自由法曹団通信:1109号        

<<目次へ 団通信1109号(11月01日)



中野 直樹 二〇〇三年総会 福岡で開催
吉田 健一 生協で働く青年の過酷な労働に警鐘
ーマイコープエクスプレス事件判決
富永由紀子 初任給切り下げ問題で都労委が画期的救済命令
石川 元也 黒田了一さんを悼む
神田  高 メディア寸評〜「景気回復」と選挙
土井 香苗 女性部の二〇〇三年度総会そして三五周年記念シンポの報告




二〇〇三年総会 福岡で開催

前事務局長  中 野 直 樹

 一〇月二四〜二五日、プロ野球日本シリーズにわく福岡ドーム球場横「Sea Hawk HOTEL」にて、自由法曹団二〇〇三年総会が開催された。参加者は四九三名(弁護士三三三名、事務局員一三八名、その他二二名)であった。総会としては一九八八年松本・浅間温泉総会と並ぶ最高参加者数で迎えることができた。
 国際的には、アメリカのイラクに対する無法な先制攻撃と引き続く軍事占領に対し世界各国と人民が批判の包囲を強め、北朝鮮問題をめぐる対立と平和的な解決をめざす努力が厳しくせめぎあっている。ブッシュ政権の帝国主義戦略に盲目的に追随する小泉政権は、有事三法に引き続き、イラク派兵法の成立を強行し、年内にも戦闘状態の続くイラクに自衛隊を派兵しようとしている。また、小泉政権は雇用の流動化と大量倒産・失業者を生み出す新自由主義「構造改革」を推し進め、教育基本法の改悪と憲法の明文改憲を基本方針とした「マニフェスト」を打ち出して衆議院を解散した。財界と改憲推進勢力がかさにかかった大攻勢に出てきている。こんな情勢のもとで開催された。

 総会は、福岡支部・前田憲徳団員、京都支部・奥村一彦団員、東京支部・松島暁団員が議長団となって進められた。
 宇賀神直団長から開会の挨拶、地元福岡支部の稲村晴夫支部長から歓迎の挨拶があった。 来賓として福岡県弁護士会から原田直子副会長、日本民主法律家協会から鳥生忠佑理事長、日本国民救援会から望月憲郎事務局長、全国労働組合総連合会から井筒百子労働局政策局長、日本共産党から小沢和秋前衆議院議員の挨拶があった。
 福岡県弁護士会は会員数六四四名(うち女性七四名)で全国七番目、当番弁護士制度を始動させ、現在は観護措置少年事件の全件付添人制度を実現し、国選の登録率は八三%だそうだ。県内一四カ所に法律相談センターを設け、さらに二カ所準備中とのこと。この結集と展開に団員が大きな役割を果たしているとの話であった。

 宇賀神団長から古稀団員一二名に表彰状と記念品が贈られた。出席された団員は、工藤勇治団員(東京支部)、小牧英夫団員(兵庫県支部)、渡辺脩団員(東京支部)であった。代表して誕生日の最も早い小牧団員から、小学六年で敗戦を迎え歴史の転換期に青春時代を送り、治安維持法下で苦闘した先輩団員と親しく交流することができたこと、解同の無法な暴力が人権と自由を蹂躙した八鹿高校事件に団が総力をあげてたたかったこと、阪神淡路大震災時における団のあたたかい取り組みについての思い出が語られ、自分にカツを入れる思いで今回表彰を受けることにしたとの挨拶がなされた。

 島田修一幹事長は、昨年の総会来、この国の右傾化と憲法破壊のテンポが著しく加速している情勢、一方で軍事によらない平和づくりを志向する世界の国家と民衆の動き、他方で「殴る」ことをためらわない暴力的雰囲気が日本社会のなかにつくられている状況を指摘した。総選挙を経た国会で、有事法制の具体化、恒久派兵法、教育基本法改悪、労働の一層の流動化、権利闘争抑圧の弁護士報酬敗訴者負担、憲法改正の国民投票法等との対決をひかえ、この間団が「有事と教育」「教育と労働」との接点を追求してきたことをさらに進展させ、反戦と反グローバリズムを連帯させた運動を推し進め、改憲阻止の運動主体の本格的な構築をめざすための積極的な討議をしようと呼びかけた。最後に、団の組織活動を支える財政基盤の強化の点から、古稀団員の団費免除年齢を七七歳とする措置をとることを提案し、予算・決算の提案を文書に基づいて行った。
 会計監査から会計処理が適正に行われていることが報告された。

五 福岡シンポ

 新メニューである。昨年の岡山総会プレ企画「これからの自由法曹団を考える」で福岡支部の躍進する姿を知った。執行部で、この元気をみんなで共有し合いたいと考えたことが、温泉場のない福岡に総会会場を要請した最大の動機であった。この期待に見事こたえた出色の企画となった。
 稲村支部長は開会の挨拶で、福岡支部の団員数はこの一五年間に四一名増えて一〇六名で全国三位、団員比率一六%で高裁所在地では全国一位、北九州部会に限れば実に二七%を占める、福岡市に二四、北九州市に一二、久留米市に七、筑豊に五、ほかの地区五の合計五三の事務所で活動をしていることを紹介された。
 この地域展開と新入団員の獲得そして集団訴訟弁護団への配置を、「人事が万事」の集団的討議により政策をたて、実践してきていることを語る一時間のシンポとして構成した。
 林田賢一団員(二八期)の司会のもとに四人が報告した。
 (1)吉野高幸団員(二〇期)「福岡県における団事務所の地域展開について」
 (2)馬奈木昭雄団員(二一期)「福岡における集団訴訟の取組みについて」
 (3)迫田登紀子団員(五三期)「ハンセン事件弁護団活動に取り組んで」
 (4)後藤富和団員(五五期)「よみがえれ!有明訴訟弁護団の中心として」
 いずれも刺激的で、団員の心意気と一緒にがんばっていてよかったという生き方にも触れる内容であった。

六 分散会

 二四日の午後三時四五分〜六時、二五日の午前八時四〇分〜一〇時五〇分、三つの分散会に分かれて討論を行った。
 一日めは、「教育・労働現場で起きている憲法破壊の実態とこれをはね返すたたかい、権利闘争を司法の現場でどう切りひらいていくか」をテーマとした。発言者数(教育・労働・司法)は、第一が(五・四・一)、第二が(六・九・五)、第三が(七・四・二)であった。
 二日めは、「北東アジアの平和のために何をなすべきか、改憲策動に対峙する運動の構築をどうすすめるか」を考え合った。発言者数は、第一が一二名、第二が一六名、第三が一六名であった。

 二五日の午前一一時から全体会を再開した。

 七名の団員が発言した。「朝鮮半島をめぐる情勢と課題」(山崎徹事務局次長)、「教育基本法を守る運動の現状と運動の提起」(黒岩哲彦団員)、「全国で憲法改悪を許さないたたかいを」(吉田健一団員)、「有事法制闘争から非戦・発動阻止の闘争を」(田中隆団員)、「司法民主化のたたかいについて」(高橋勲団員)、「圏央道あきる野土地収用事件」(伊藤克之団員)、「旧日本軍による遺棄毒ガス・砲弾事件判決の勝利報告と戦争責任・戦後補償問題の展望と課題について」(泉澤章団員)。

 討論を踏まえ、総会議案、予算・決算それぞれが承認された。そして、次の決議が採択された。
 (1)全国で憲法改悪を許さないたたかいを
 (2)教育基本法改悪法案の国会提出に反対し、改悪を阻止する運動に全力を尽くす
 (3)北朝鮮問題および北東アジアの平和について
 (4)自衛隊のイラク派兵及び米英のイラク占領への資金拠出に断固反対する
 (5)国民のための司法改革を求める

 団長は無投票で、幹事は信任投票で選出されたことが報告された。新入団員二五名の入団を承認した。
 総会の場を一時中断にして拡大幹事会を開催し、常任幹事を選出し、規約にもとづき、幹事長、事務局長、事務局次長を選任した。新役員は次の通りである。
 団長    坂本  修(東京支部  新任)
 幹事長   島田 修一(東京支部  再任)
 事務局長  松島  暁(東京支部  新任)
 事務局次長 杉島 幸生(大阪支部  再任)
   同   渡辺登代美(神奈川支部 再任)
   同   坂 勇一郎(東京支部  再任)
   同   村田 智子(東京支部  再任)
   同   平井 哲史(東京支部  再任)
   同   齋田  求(埼玉支部  新任)
   同   瀬野 俊之(東京支部  新任)
   同   大崎 潤一(東京支部  新任)

一〇 退任した役員は次のとおりで、退任の挨拶があった。
 団長    宇賀神 直(大阪支部)
 事務局長  中野 直樹(東京支部)
 事務局次長 山崎  徹(埼玉支部)
   同   馬屋原 潔(千葉支部)
   同   齊藤 園生(東京支部)

一一 閉会にあたって二〇〇四年五月集会へのお誘いの発言が滋賀支部を代表して吉原稔団員からなされた。日程は五月二三日(日)〜二四日(月)(ただし、五月二二日にはプレ企画を検討中なので合わせて日程を確保いただきたい)である。
 最後に、福岡支部の三浦久団員からのあいさつをもって総会を閉じた。

一二 プレ企画

 前日二三日の午後には次の二つのプレ企画を行った。今回は会場の都合で総会が金曜日からとなったため、プレ企画は木曜日となり、参加しづらい日程となった。

(1)新人学習交流会

 一〇月に登録したばかりの五六期新人を対象とした企画である。昨年から、後期修習修了間際に企画する自由法曹団と修習生との交流企画、翌年の五月集会時の新人学習会に連続するものと位置づけている。
 今回は、篠原義仁団員(神奈川支部)による講演「大衆的裁判闘争と団の役割―公害裁判と弁護士の役割」、五五期から、後藤富和団員(福岡支部)の「よみがえれ!有明訴訟の取り組み」、川口彩子団員(神奈川支部)の「在日コリアンの子どもたちに対する嫌がらせを許さない若手弁護士の会」の活動を報告してもらった。  
 愛知、大阪、福岡などで弁護士会新人研修と重なるという条件のもとで、参加者は五六期が一六名、その他一三名であった。

(2)「これからの自由法曹団を考える」全国会議 第五弾

 この二年間の「考える」運動のしめくくりである。
 昨年総会以来五〇名の弁護士から入団申し込みがあった(うち五五期は四六名)。団はこの総会で当面毎年五〇名の新入団員を迎えるという方針を採択した。
 これを実現していくために、(1)法曹人口の大幅増員のなかで、意識的な事務所展開をしていく、(2)団と修習生・学生との接点を格段に広げていく、(3)そのために団員事務所のネットワークを強化する、ことを追求する。全体会でも紹介した福岡支部における地域展開は(1)の実践例として大変示唆的であった。(2)東京、愛知、大阪、京都で、学生が人権を考え活動に参加する運動を支援する取り組みが具体的に進み、あるいは着手され始めている。豊富な経験をもつベテラン団員も果たせる役割がおおいにあることも語られた。この二年間で、この分野における課題の整理と認識の共有化が大いに進んだことを実感できた。
 本部では将来委員会を立ち上げる。全国の支部での集団討議と実践に踏み出す段階にきている。
 参加者は一三都道府県から四三名であった。

一三 福岡での全国会議は一九七六年の福吉での総会以来二七年ぶりであった。私たちを迎えていただいた地元福岡支部の団員と事務局員の皆さんに感謝申し上げます。格好の温泉地・観光地がないというハンディを支部役員も心配し、一五〇名近い地元参加者団を組織していただいた。この団結の力も今総会の宝である。



生協で働く青年の過酷な労働に警鐘

ーマイコープエクスプレス事件判決

東京支部  吉 田 健 一

1 生協残酷物語

 本件は、二〇万人を超える組合員を抱える東京マイコープ生協が独立・外注化させた配送部門(マイコープエクスプレス社)で、酷使される青年労働者の事件である。五、六〇キロに及ぶ荷物まで玄関先に届ける配送作業、夜間は生協組合員の拡大を義務づけられ戸別訪問を続ける。朝七時過ぎから午後九時ころまでの長時間労働となる。腰痛などの労災が続発し、月一〇〇時間に及ぶ残業代もほとんど不払いという状態である。
 労災の申請と過酷な労働条件の改善を求めた青年労働者が労働組合を結成してたたかいを始めたのが二〇〇一年の夏。会社は、労災を認めず申請にも非協力で、三人の組合員が治癒して就労を開始しようとしたら自宅待機を命じて職場から排除し、賃金も支払わないという露骨な組合敵視の姿勢で対応した。
 この自宅待機命令については、本年三月に、裁判所で賃金の支払いを会社に命じる仮払い仮処分が認められている。

2 ビラ、ホームページに関する賠償請求を否定した判決

 団体交渉で残業代の支払い等を求めても会社は拒否。組合は、職場の過酷な実態を訴えてビラ配布活動を展開したが、会社は、組合のビラやホームページの記載を理由にして、名誉毀損による損害賠償を請求する訴訟を三人の組合員あてに提起した。
 組合は、労働組合活動の正当性を訴え徹底して争ってきたが、去る九月二六日、東京地裁八王子支部で判決が出された。
 この判決は、ビラ配布やホームページの記載について、一部に不適切な表現があるなどと認定したものの、違法といえるほどのものでないとして会社の損害賠償請求を否定した。

3 不払い残業を認めた判決

 他方、組合は、合計で一五〇〇万円を超える残業代の支払を求めて裁判を提起し、裁判闘争に取り組んできた。
 この残業代請求事件で、会社は、配送業務についても、組合員の拡大業務についても、事業所外みなし労働であることを理由に残業は存在しないと主張した。しかし、九月二六日、前述の損害賠償請求訴訟と同時に八王子支部で言い渡された判決は、会社の主張を退けて不払い残業の存在を認めたうえ、一部残業代の支払いを会社に命じた。
 ただし、判決は、労働者側の記録が不十分であることなどを理由に、主張した残業時間を大幅に削った。また、請求組合員の拡大業務について支給されているわずかな業績手当等を不当にも歩合給と認定し、認容した残業代を割増部分(二五%)に限定した。
 判決が会社に支払いを命じた金額は七〇数万円にとどまったけれども、不払い残業の存在を明確に認め、認容した残業代と同額(一〇〇%)の付加金の支払を命じた点は十分評価できる。

4 全面解決を求めて

 これらの判決は、生協関係で働く青年労働者の過酷な労働を是正する必要性を提起している。組合員に対して続けられている不当な就労拒否を止めさせるとともに、一審判決の不十分な部分を控訴審で是正させ、違法な残業代未払や労災の続発する過酷な労働条件を改善させることが急務である。



初任給切り下げ問題で

都労委が画期的救済命令

東京支部  富 永 由 紀 子

1 根岸病院の概要

 東京都府中市にある根岸病院は、ベット数四〇〇あまりの精神科専門病院である。根岸病院労働組合は、職員の半数以上を組織する職場で唯一の労働組合であり、一九七三年の結成以来、労働条件の改善と医療の充実に努めてきた。

2 松村労務担当理事の就任と労使関係の悪化

 そのような組合と病院との間の労使関係が極めて不正常なものとなったのは、一九九五年に松村労務担当理事が就任してからのことである。同理事は、組合員の労働条件に関する事項を一方的に決定したり、組合との団体交渉を拒否する動きを見せるようになった。
 中でも、組合が長く要求の主眼においていた定年延長の問題について、病院が従前の協議経過を全く無視してこれを白紙に戻すかのような回答をした上、実際に組合員を雇い止めにするなどの対応に出たため、労使の対立は一気に深まった。組合は、一九九六年九月、当該組合員の現職復帰と定年延長についての団体交渉応諾等を求めて都労委に救済申立をする。ところが、その調査が行われている最中の一九九八年四月に、病院は、新たに組合執行委員の雇い止めを通告。そのため組合は、当該執行委員の職場復帰と定年延長問題についての団交応諾を求めて、さらに都労委に救済を申し立てる事態となった。

3 初任給切り下げ問題の発生

 病院が、職員の初任給の切り下げを組合に通告したのは、都労委において前記二つの事件が審理されていた最中の、一九九九年二月のことである。切り下げ率は、最も少ない看護師で一〇パーセント、その他大半の職種で二〇パーセントにも上った。組合は直ちに抗議をしたが、病院側は「新規採用者は未だ組合員ではないのだから、初任給額は病院と新規採用者との合意によって決定できる。」と譲らず、初任給引き下げを断行した。
 賃金表の無い根岸病院においては、初任給額は職員の賃金の唯一の基礎とされており、これに毎年度の定期昇給、ベースアップが重ねられて賃金水準が決定されていた。だからこそ、初任給額については、毎年組合と病院との間で確認がなされていたのである。それを一方的に切り下げる行為は暴挙というほか無い。そこで組合は、直ちに、(1)初任給問題についての団体交渉応諾、(2)切り下げ前の初任給額との差額の支給、等を求めて、都労委に救済申し立てをした。

4 画期的救済命令

 以上のような経過で、三つの事件が同時に都労委に係属するという事態になったわけである。加えて、その後さらに組合書記長が雇い止めされたため、これについても都労委に救済申し立てをし、総計四つの事件が都労委で審理されることとなった。
 正直言って、八年に及ぶ都労委闘争は、組合にとって決して楽なものではなかった。そのような中で、今回、初任給切り下げ問題について都労委が出した以下の内容の救済命令は、組合を一気に勇気づけるに足るものであった。
 すなわち、都労委は病院に対し、(1)初任給問題についての団体交渉に誠実に応じることのほか、(2)初任給が切り下げられた一九九九年三月一日以降に採用された職員のうち、組合に加入した者に対し、切り下げ前の初任給額との差額を支給すること、(3)本件が不当労働行為だと認定された旨を病院職員の見やすい場所に掲示すること、を命じたのである。
 特に、(2)の救済方法は画期的である。都労委は、このような命令をする理由について、「病院の組合嫌悪の意図が強固であるため、団体交渉を命ずるだけでは、正常な労使関係を復元するには不十分であるから、一旦、本件初任給引き下げを白紙に戻し、一一年三月一日以降に新規採用された組合員について、是正賃金の支払いを命ずるのが相当である。」と断じている。
 本救済命令は、さっそく組合によって他の職員にも伝えられた。このような中、新たな組合加入者が相次いでいるという。

5 これからも続く

 本件救済命令に対し、病院側は中労委に再審査の申立をした。また、組合は、病院による不当労働行為によって組合の社会的評価が毀損されたことなどを理由として、東京地方裁判所八王子支部に損害賠償を求める民事訴訟を提起している。現在、都労委や中労委、そして裁判所に係属している事件は総計五つ。労使関係正常化をめざす組合のたたかいは、まだまだ続く。
*本件の弁護団は、長尾宜行、渡部照子、生駒巌、竹中喜一各団員(いずれも東京支部)と私の、五人である。



黒田了一さんを悼む

大阪支部  石 川 元 也

 七月二四日、大阪支部の黒田了一さんが亡くなられた。九二歳だった。
 黒田さんは一九七一年から、二期八年間、大阪府知事として、東京の美濃部さん、京都の蜷川さんとともに、自治体と国政の前進に大きな役割を果たされた。七一年の知事選は、ようやく成立した革新統一の候補者としてたたかわれた。相手は、「大阪万博」を成功させ、四選をねらう自民党左藤知事。「公害知事さんさようなら、憲法知事さんこんにちは」の合言葉で、府民は燃えに燃え、競り勝った。高度経済成長が頂点に達し、公害などのひずみがぎりぎりのところまできていた。時代の転換点を象徴するものといわれた。
 一期目の黒田府政は、公約した公害対策の強化、老人医療の無料化、府立高校の増設など目覚しい実績を示した。二期目は、社会党・総評が統一から離脱し、社公民推薦、自民推薦と三つ巴の選挙に大勝した。しかし、折からの石油危機などで、財政難に追い込まれ、少数与党の中で奮闘された。顔面神経痛に悩まされたのもこのころだったが、ユーモアを絶やされることはなかった。三期目は、自、社、公、民など六党、財界、労働界をあげての相手に惜敗した。以後、大阪では、この図式が今日まで続く。
 実を言うと、一期目の前年ころ、団大阪支部ではすでに、矢田事件など激しい解放同盟の攻撃とたたかっていた。彼らは大阪の社会党を牛耳っていたのである。そんな中でも、深刻な公害問題など府民の要求の前には統一の道しかなかったのである。
 黒田さんは、その困難な候補者選定委員会の責任者だった。私もお供して行った先生らに断られ、自ら立つことを決断された。それが投票日まで一ヵ月半という時期だった。
 「明るい革新府政をつくる会」の代表委員には毛利与一さん(元大阪弁護士会会長)がなられた。三月一六日、大阪扇町プールは三万人で埋め尽くされた。みんなが、燃えに燃えて、四月一一日勝利を手にした。私たちの五分野の会(学者、文化人、宗教者、医師、法律家)も、大きな役割を果たした。二期目には同和問題などを理由に社会党が離脱したが、ときの大阪府連委員長の亀田得治さん(団員)は、それに反対し、府連から除名通告を受けて、自ら離党して革新府政の継続のため奮闘された。この選挙の後、毛利与一さんも、「もうここまでくれば入りましょう」と、入団をされた。
 黒田さんは、一九八〇年一月弁護士登録をされた。そして、憲法会議や全国革新懇や非核の政府の代表世話人などで活躍された。わが団には一九八一年一月、入団されている。ちなみに、推薦者は私と宇賀神現団長である。団の行事に参加されることは余りなかったが、支部では黒田さんの傘寿や米寿のお祝いを贈り、喜んでいただいた。
 最後に、一九八二年三月、自由法曹団創立六〇年・大阪支部結成一五年の記念文集への黒田さんの寄稿を紹介する。
 「大正デモクラシーの台頭を圧殺せんとする反動勢力に抗し自由、人権の擁護に立ち上がったわが自由法曹団の創立六〇周年を心から祝福いたします。そして更に今、再び政局の右よりの反動化が顕著になりつつあるとき、創立の精神を想起しつつ、一層闘いの輪を広げる決意を固めたいと思います。」と。



メディア寸評〜「景気回復」と選挙

東京支部  神 田  高

『世界』一一月号に“経済回復は本物か?”のタイムリーな特集がなされていた。自民党の総裁選間近になって「景気回復」の記事が新聞の一面トップに出始め、それを裏づけるかのように「株価上昇」の報道がなされていたとき、“金を使ったな”と胡散臭く思っていたが、同誌の紺谷典子論文「“ぶっ壊した”のは日本経済だ」は、リアルに空恐ろしくこれを裏づけていた。
 同論文は、“一万一〇〇〇円を記録するまでの急速な株価上昇は、財務省の為替介入に助けられた「演出された株高」である”と喝破する。
 要点をまとめると…経済データを改善させた最大の原因は、米国経済の好調による輸出拡大であり、日本の実体経済は、不良債権、失業ともに増大し、「景気回復」などといえるものではない。この数年来、日本経済は自律的な勢いを失うほどに体力が低下し、すっかり米国頼み、輸出頼みになってしまっていて、その反映として日米株価がかつてなく“連動性”を高めている。この“連動性”をテコに財務省がドル買い為替介入を行い、外国人投資家に資金提供をしたのだという。つまり、日銀が介入で得たドルで米国国債を購入し、巨額ドルが米国国債市場へ流れ込み、米国金利を引き下げ、金利低下は株式市場へ資金を誘導し、米国の株価を上昇させた。米国株価の上昇は日本などの株価の割安感を生み、結局日本の株価を上昇させた。春から九月までの財務省の介入は一〇兆円に達するがこうした例は世界にないという。唯一の牽引力である輸出への打撃回避のための円高対策の面もあるが、今回のは“迂回した株価対策”というしかない。この間の外国人の買い越しは六兆円というが、差額四兆円はどこへいったか。大ペテンの胡散臭さが消えないが、“株価の一万円超えは、小泉再選の大きな支援となったことは間違いない”と紺谷は言う。しかも、「景気回復」が幻想であったなら、反動として株価暴落は必至であるという。国民の金を使って、一層の犠牲を押しつける。そうなら“犯罪的”というしかない。
 紺谷は、最後に“誰のための改革か”を論じる。為替介入を決定したのは財務省であり、小泉政権は「財務省傀儡政権」と言われるほどで、介入は自身に有利な政権の延命を図ったのであり、ブッシュが円高阻止を黙認したのも、米国に有利な政権だからだという。つまり、小泉・竹中「改革」は米国と財務省のための「改革」であり、その犠牲は国民に押しつけられる。
 事態の真相を明らかにしないマスコミの責任も重大である。同誌で山口義行立大教授は、マスコミはきわめて現実離れした報道をしており、自民党総裁選でも、“実際には転換を余儀なくされている「構造改革」路線の是非ばかり議論されていた”とし、民主党も同罪だと断じている。
 この他、柴田徳太郎東大教授の「対イラク戦争後のアメリカ経済」も分かりやすく興味深かった。米国の双子の赤字拡大に主導された経済回復の困難さを指摘していたが、一〇月二一日の毎日夕刊には“米財政赤字最悪ー減税、イラク戦影響”、二三日の夕刊には米日株価の急落が報道されていた。

『世界』を読んでいて思い出したのが、国際的投資会社のモルガン・スタンレーの元社員の書いた『大破局ーデリバティブという「怪物」にカモられる日本』だった。格付け会社も抱き込んだ詐欺とペテンのゲームに興じるグローバル資本主義の実態と、その寵児たちの人間的退廃がリアルに描かれていた。また、恒常的な国際収支の赤字を出しながら、高金利政策で世界の資金をかき集めた最初の国は英国で、これを「帝国主義的循環」と呼ぶそうだが、一九八〇年代以降アメリカも日米関係を特別な関係にして、日本にアメリカの帝国主義的循環を成り立たせる上でなくてはならない特別の役割を果たさせてきたと言われる(工藤晃『マルクスは信用問題について何を論じたか』)。
 この「循環」を使って、今回「景気回復」を演出してみせたが、あまりの危うさ故か、いよいよ政治的上部構造まで金で買収しようとしている。米国、特にブッシュ政権が大企業に金で買われた政権であることはあまりに有名だが(ウォルフレン『ブッシュ』)、今度は米国流の「二大政党制」にして思うままにしようとしているようだ。大ペテンは許してならない。



女性部の二〇〇三年度総会そして

三五周年記念シンポの報告

東京支部  土 井 香 苗

1 二〇〇三年度女性部総会

 二〇〇三年七月一八日(金)、霞ヶ関の弁護士会館ビルで、女性部二〇〇三年度総会が開催されました。
 女性部部長杉井静子団員から開会挨拶があり、その後、運営委員から二〇〇二年度活動の報告、そして各地での女性団員の活動についての報告と討論が行われました。討論では、各地の女性団員の活躍や、各地の法曹界内外での女性差別撤廃のための活動の報告を聞くことができた貴重な機会でした。
 その後、川口彩子団員より、特別企画「北朝鮮問題と在日コリアンの子どもたちの人権について」の講演があり、五五期弁護士で結成された「在日コリアンの子どもたちに対する嫌がらせを許さない若手弁護士の会」が中心となって取り組んでいる在日コリアンの子どもたちに対するいじめ及び差別撤廃の活動について報告がありました。若手弁護士の会は、関東地方所在の朝鮮学校二一校、二七一〇名の児童・生徒に対し、被害実態調査アンケートを実施し、実に、回答者中五人に一人が嫌がらせを受けたことがあり、二〇〇二年九月一七日に北朝鮮が拉致事実を認めた後は、とくにこれが急増していることなどが報告されました。この講演会の後、自由法曹団幹事長・島田修一団員から来賓挨拶をいただきました。
 二〇〇二年度活動報告の詳細は概ね以下のとおりでした。
・女性の憲法年連絡会での平和活動〜リレートークやパレード等でのイラク攻撃への反対運動、有事法制反対運動を展開
・日本婦人団体連合会〜シンポや女性差別撤廃条約政府報告書カウンターレポートなど
・女性部三五周年事業準備〜二〇〇三年七月一九日に開催済みですので詳細は別項をご覧下さい。
・五五期新人弁護士歓迎会〜二〇〇二年一一月二九日(金) 
・学習会〜二〇〇三年一月二四日(金)「武器を捨てたコスタリカと日本の行方」 朝日新聞編集委員・藤森研氏
 総会後は、六本木のスタイリッシュな会員制クラブ「Century Court Tokyo」で懇親会を行い、その後は、新しくできた六本木ヒルズを訪ね、展望台に上ったり、庭園を楽しんだりという夜の六本木ツアーを楽しみました。

2 自由法曹団女性部三五周年記念パネルディスカッション「女と男、昨日・今日・明日」

 総会翌日の二〇〇三年七月一九日(土)、東京都の虎ノ門パストラルで、自由法曹団女性部三五周年記念パネルディスカッション「女と男、昨日・今日・明日」が行われ、その後、レセプションが行われ、女性部部長・杉井静子団員が、女性部三五周年の歩みを発表しました。
 ディスカッションのパネリストは、堀内光子氏(国際労働機関ILO駐日代表及びジェンダー特別アドバイザー)、鹿嶋敬氏(日本経済新聞編集局編集委員)、上原公子氏(国立市長)、亀井時子団員の方々で、これまでの女性の権利保障のあり方を振り返り、そしてこれからの男女平等、女性の社会参画を多角的に分析され、大変盛り上がりました。
 堀内光子氏は、総理府で婦人問題担当室長や労働大臣官房審議官を経て国際的に活躍され、現在は、ジェンダー特別アドバイザーを兼任しながら、ILOの駐日代表をされているご経験から、世界的な視野にたったお話をしてくださいました。また、上原公子氏は、生活者ネットワークを発展させて代表になり、東京都議会に議員を送り出す運動を経て政治に参画し、一九九九年から国立市長である経験を踏まえ、政治に女性=生活者という視点を反映させることの重要性などを指摘されました。そして、鹿嶋敬氏は、長年、日本経済新聞で女性問題を担当してきた経験そして現在内閣府男女共同参画会議専門委員でいらっしゃる経験から、女性の権利の向上の闘いの軌跡そして現在のバック・ラッシュ等について鋭い指摘をされました。そして、亀井時子団員は、女性部三五周年の歩みの中で、女性弁護士が差別を受けながらも、自らの権利そして他の女性たちの権利の確立のために、闘ってきた歴史を、自らの経験を踏まえて、わかりやすく説明してくださいました。
 会場からは、今後の女性の権利を確立する運動にとって刺激的で視野の広がるよい討論だったという声が多数寄せられると同時に、女性労働者などの権利擁護のために闘ってくれた女性弁護士も同じように女性差別に苦しみながらこれまでがんばってきたことがわかって共感したなどの声も寄せられました。
 女性部では、本パネルディスカッション及び日本各地や草創期の女性部のメンバーたちの座談会記録などを収録した自由法曹団女性部三五周年記念誌を発行する予定ですので、ご期待ください。