自由法曹団通信:1150号        

<<目次へ 団通信1150号(12月21日)



坂 勇一郎 内閣提出法案廃案の画期的成果
(敗訴者負担法案廃案)
中野 直樹 伝えたい 二つの「あれ」
小島  肇 諌山博さんとお別れする会
坂本  修 お別れの言葉
小島  肇 お別れのことば
財前 昌和 書評「税金裁判ものがたり『納税者』のための税務訴訟ガイドブック」




内閣提出法案廃案の画期的成果

(敗訴者負担法案廃案)

東京支部  坂  勇 一 郎

 第一六一臨時国会の閉会に伴い、敗訴者負担法案が廃案となった。臨時国会前半では継続審議との見方もあったが、最終的に廃案に持ち込むことができた。内閣提出法案で、衆議院の解散を待たずに廃案となったのは、画期的成果である。

日弁連・各界懇談会の総括的会議

 一二月一一日、日弁連の各界懇談会が開催され、これまで運動に参加してきた市民団体から、次々に今回の成果を喜ぶ発言が行われた。

 この間反対運動を根っこのところで支えてきた東京大気汚染公害訴訟の原告の一人は、涙声でたった一言「これまでいろいろと押さえられつけてきたから、今回の廃案は本当にうれしいんです。」と述べた。他にも多くの市民が、「道理を通して無理を引っ込めさせた」成果に喜びの感想を述べた。「廃案」の成果は、これまで取り組みを行ってきた多くの市民・市民団体を励ますものとなった。

 また、多くの市民から、市民・市民団体と弁護士会が協力して取り組みを継続してきた成果であることを確認する発言が相次いだ。この経験を是非、将来に生かしていこうという呼びかけが行われた。

 各界懇談会に引き続いて全国連絡会の呼びかけによる懇親会が行われ、これまで運動に参加してきた公害団体・消費者団体・労働団体がともに祝杯をあげた。

市民団体三団体の声明

 この日に先立ち、弁護士報酬の敗訴者負担に反対する全国連絡会・司法に国民の風を吹かせよう実行委員会・司法総行動実行委員会は次の声明を発表した。

「敗訴者負担法案廃案にあたっての声明
 先の通常国会に提出され継続審議となっていた敗訴者負担法案(民事訴訟費用等に関する法律の一部を改正する法律案)が、第一六一臨時国会の閉会に伴い廃案となりました。

 私たちは、弁護士報酬の敗訴者負担制度が、市民や労働者、その他経済的な弱者の裁判の利用を萎縮させるものであるとして、その導入に一貫して反対してきました。

 今回廃案となったのは、こうした敗訴者負担制度の問題点が広く市民の間に浸透し、同制度を導入すべきではないとの共通認識ができたこと、市民・市民団体と弁護士会等が共同してそれぞれの立場からねばり強い取り組みを継続してきたことの大きな成果です。

 私たち市民は、市民にとって裁判を利用しやすいものにして欲しい、裁判の利用を萎縮させないようにして欲しいと願っています。反対運動の過程で浮き上がってきた私的契約による敗訴者負担の問題に対しては、これを無効とすべき立法措置が採られることを望みます。」

今後の課題

 まず、重要な点は、今回の成果をこれまで運動をともにしてきた市民・市民団体等に、十分に伝えることである。今後法案を再度提出させないため、また、私的契約に敗訴者負担合意を持ち込ませないために、このことはきわめて重要である。

 これまでの運動を通じて、敗訴者負担が裁判の利用を妨げる悪しき制度であることの認識は、かなり広げることができたが、今後、悪徳業者・悪徳企業が、私的契約に敗訴者負担合意を持ち込む危険は絶無とはいえない。そのような事例が明らかとなったときには、これまでの運動と理論の蓄積を生かして、的確に対応していくことが肝要である。

 さらに、消費者・労働の分野では(行政事件分野とともに)、本来社会的弱者である消費者・労働者の側のみが弁護士費用を回収できる片面的敗訴者負担制度が導入されるべきである。(但し、市民団体からは「片面的敗訴者負担」という名称は、これまで反対してきた「(両面的)敗訴者負担」と混同されやすく、命名が妥当でないとの意見が出されている。)こうした制度導入こそが、真に司法アクセスを促進することができるものであり、米国の立法例に見るように、私的合意の効力を否定することができるものである。


伝えたい 二つの「あれ」

東京支部  中 野 直 樹

 一〇月末、二女の通う相模原市立の小学校の三〇周年記念行事があった。子どもたちの歌と踊りの発表会を中心とする催しということで、身内のAさんが訪れ、出席してくれた。私はその日法科大学院生のフィールドワークのお手伝いで、いつものようにわが子に不参加をなじられる立場であった。夕刻自宅に戻ると、家族がAさんもまじえて鍋団らんであった。私もその輪に加わると、Aさんは、すぐさま、今日の学校行事には大変感動したことがあると話し始めた。私は、わが子の演技力かと想定したが、一五〇〇人のホールでは豆粒にしか見えなかったそうである。そうではなく、学校行事だから、当然日の丸と君が代があるものと考えていたところ、どちらもなかった、そのことに心から感動したとの言であった。

 なんだそんなことかと受け取ると、継ぎ穂が失われる。もう少しAさんの話に耳を傾けよう。Aさんは、商売をしており、二五年間、ライオンズクラブの会員である。私は幾度か、青年会議所の定例会議に出席して訴える機会があったが、必ず正面には日の丸が掲げられ、冒頭に起立・礼、君が代斉唱から始まることに困惑したことがある。ライオンズクラブも同じであり、Aさんはそのことに疑問をもつことがなかったとのことである。そんなAさんも、昨今の、「強制」にはなんとない違和感を感じていた。このAさんが、国旗・国歌のない学校行事に直面し、「あれ?!」とサプライズさせられた。Aさんは、今の時代にこのような周年式典のもち方を追求した実行委員会の父母及び教師の意思と努力の存在に胸打たれたことを熱っぽく語った。Aさんは、長年、名のある短歌の会に属し、地元紙面の文芸欄の常連である。すぐさま会場で、打たれた気持ちを歌に編んだそうだ。Aさんは、自分がこの歌を新聞に投稿すると地元では騒動になるだろうな、共産党と言われるかな、と話していた。数日後、私は成り行きを知りたくAさんに電話をしたところ、迷った末に、結局発表しないことにしたとの返事であった。残念であったが、私は、思い切って、Aさんに、作歌を日の丸・君が代押しつけで厳しい状況におかれている先生への激励などに活用させてもらえないだろうかと頼んだ。Aさんはしばし沈黙したあとに、名を出さないのであれば、何に使っていただいてもけっこうだと了解してくれた。

 直截な表現ではない。しかし、思考停止していることに対して初めて感じた疑念と自省、抵抗している人たちに対する新鮮な共感に溢れた作品だと思う。

 国旗掲揚国歌斉唱の二十五年疑わず歌ひきわれらの会は

 日の丸も国歌斉唱なき会もあると知りたり二十五年経て

 一一月八日、私の所属するまちだ・さがみ総合法律事務所主催の憲法のつどいがあった。九二年にスタートした事務所は、一年に一回、事務所を支えてくださっている地域の方々とともに、第一線で活躍されている素敵なゲストをお招きして、その生き様を伺う会を恒例行事としている。第一回目は、坂本修弁護士であった。坂本さんから遺言をしゃべらせるのかと言われそうなので、演題は「人生楽しく生きて生きて」と重ね言葉とした。この思いも通じ、坂本さんはお元気に現在は団長を務められているし、この会も現在まで続いている。憲法をめぐる状況の悪化から、いつからか名称が「憲法のつどい」になった。

 今回は、九条の会の事務局長として全国をとびまわっておられる小森陽一さんにお願いした。この一〇日ほど前に、八王子合同法律事務所三〇周年行事で当の小森さんが講演したのを聴いていたが、語り口のわかりやすさ、そのパッションと迫力はすばらしく、感服した。事務所の読みが甘く、途中三〇席の椅子を追加しなければならなくなった。この企画として初めて一〇〇を大きく超える参加者となった。その数もさることながら、選挙行動として区分すれば、自民党、民主党と考えられる方々の参加もあり、「あれ!」が繰り返し胸中をめぐった。

 私は夕食をごちそうするからと言って、中学二年の長女をつどいに誘った。初めての経験である。

 彼女がアンケートに寄せた感想文は次のようなものであった。「せんせい攻撃はしてはいけないから、アメリカの『イラクに大量のかく兵器がある』と言って戦争を始めたという事が理解できた。税金は戦争のためにはらっているのではない。日本が自分たちの意見をとおしたいのなら、アメリカについている行為は意味ない。いつまでもアメリカにつぶされる」「戦争は社会科でも勉強しました。戦争VS平和だと、お金の関係をのぞくなら全員が平和に手をあげると思う。問題はお金だと思う。授業の道徳で『心のノート』を使います。みんなよくわからずに使っています。」

 つどいの後、小森さんを囲んで喉を潤した。このとき、私は、Aさんの「感動」を紹介した。小森さんは、この「あれ?」「あれ!」をどれだけ広められるか、そしてそれを感じた方々に、すかさず次のコンタクトをとり連鎖をつくっていくこと、そのためにはこれまでの手慣れた「運動手法」の焼き直しでよいか慎重に吟味する必要がある、と述べていた。

 ほのぼのとするなかでも心が高ぶる体験であった。私の九条の会の出発にしたいと思う。


追悼 諫山博さん

諌山博さんとお別れする会

福岡支部  小 島  肇

 私たち福岡第一法律事務所所員一同が敬愛してやまない諌山博先生が、去る一一月二七日に逝去されました。享年八二歳でした。先生の誕生日でもある一二月五日に福岡第一法律事務所による「諌山博さんとお別れする会」を催しました。当日の会には、各地から七〇〇名を越える方々が参列して下さり、しめやかな中にも盛大にとり行なわれ、先生も喜んでおられたものと思っております。会は、全員で黙祷の後、主催者を代表して、私からお別れの言葉を述べさせていただきましたが、その内容は、当事務所のかわら版新年号に掲載しています。

 所外から四名の方から、お別れする言葉をいただきました。松崎隆・福岡県弁護士会会長からは、戦犯の一人である廣田弘毅の揮亳した書を弁護士会館に掛けてあるのは問題だと先生が弁護士会の「月報」に投稿され、これに反論する投稿を松崎会長のボス弁が書かれ、会員の注目する論争になったことを思い出深く語っていただくなど、しみじみ先生を偲ぶ言葉ををいただきました。

 吉岡吉典・日本共産党名誉役員(前参議院議員)からは、先生の参議院議員の同僚としての思い出が語られました。吉岡さんから、先生が学習活動を本気で考え、自ら講師を努めてきたこと、先生と最後に会われた際、先生が「事実を大事にすることと分析力」の必要と「深い理論と政治哲学」を身につける重要性を強調されたことを語られました。吉岡さんは、先生が「警察権力との闘いがライフワーク」と自ら語っていた「警察権力との闘い」は凄まじいものだったと思いましたと語られました。

 最後に坂本修・自由法曹団団長からお別れの言葉をいただきました。団長は、先生が三池争議などで若手弁護士をどんな乱戦の中にあっても、大局をふまえて沈着に指導されたこと、沈着であると同時に、不正に対しては炎のように怒りを燃やし、恐れを知らずに闘う人であったことが語られました。団長は、日本共産党本部に公安調査庁の職員がひそかにアジトをつくって盗撮した事件で、先生と団長が先頭になって踏み込んで逮捕しようとした際、警察の「逆デッチあげ」を心配した団長に対し、先生が「坂本君、相手が不正な犯罪をやっているんです。逮捕に全力を尽くしましょう。「逆デッチあげ」をしてくるなら闘ったらいいじゃないですか」と笑って、少しも動じなかったことを紹介されました。団長は、先生が「もう一度見たい映画」として平和を希望する人間の切なる思いを描いた名画「大いなる幻影」を挙げ、今、平和憲法の命運が関わっているとき、憲法九条を決して「幻影」にせず、この国に生かすため力を尽くすことによって、自由法曹団員は先生の歩んだ道を歩み続けることを心に誓って、お別れの言葉とされました。この後、全員で献花を行い、当事務所代表、遺族代表の謝辞をもって会は滞りなく終了しました。会終了後場所を移して、短時間軽食をとりながら先生を偲びました。

 最後に先生とのお別れの会に坂本団長をはじめ多くの方に遠方からご参列いただき、また各地の団員からも丁重な弔電・御厚志をいただき、この紙面をお借りして御礼を申し上げます。


お別れの言葉

団長  坂 本  修

、とうとうお別れの日がきてしまいました。「巨星墜つ」の思いで悲しんでいる全団員を代表して、奥様を始め、ご遺族のみなさんに心から哀悼の意を表します。

 先生は、一九五一年、司法研修所を卒業されたのち、直ちに自由法曹団に入団され、九州での戦後第一号団員として、歴史に残る活躍をされています。そのことは、ここにお集まりのみなさんのよくご承知のことですので、あれこれ申しません。私は、一人の自由法曹団員として、先生に学んだ多くのことのなかから、一つ二つを話し、お別れにあたって、先生へのお礼を述べたいと思います。

、一九五九年から六〇年にかけての三井三池の大争議で、先生はすでに現地弁護団の中心として活動しておられました。

 「ホッパー」をめぐって、立入禁止の仮処分が提訴されたとき、なり立ての弁護士の私たちはあわてふためき、すべての力をこの仮処分阻止の攻防に投入すべきではないかと、先生に言ったことがあります。先生は、「たたかいの全局をみればホッパー攻防の一点に絞るのは得策ではない」ことを噛んでふくめるように教えてくれました。せめぎ合いの乱戦の中で、全局の沈着な見方とねばりづよい対応が大事なことについて、私たち若手団員は多くを先生から学んだのです。

、先生は沈着であるとともに、不正に対しては火のようになってたたかい恐れを知らない人でした。日本共産党中央委員会の前にあるアパートに公安調査庁の職員が住み込み、長期にわたって盗み撮りした事件がありました。そのとき、現場で摘発し、出来れば犯人を現行犯逮捕しようということになり、国会議員であった先生と弁護士の私が踏みこむことになりました。警察官が駆けつけてくるのは目に見えていました。私は、「逆デッチ上げ」を心配し、あれこれ細かくうち合わせをしようとしましたが、先生は、「坂本君、不正は許すわけにはいかない。相手が悪事をしているのだから、堂々と逮捕に行こう。抵抗があっても出来るだけのことをしようではないか。『逆デッチ上げ』があったらたたかえばいい」と笑って言いました。結局、頑丈なチェーンロックがあり、逮捕はできませんでしたが、しかし、先生はなんとか部屋に入ろうと奮闘し、犯人に戸を開けるよう道理を説いて止みませんでした。私は先生の態度をみて、我が身の気の小ささを恥じる気がしたのを今も憶えています。

、元団長の上田誠吉さんから、数日前に、先生のことを聞く機会がありました。上田さんはこう言っていました。「諫山さんは、労働者や市民の人々と話すのと、執筆するのと、法廷で弁論するのとを全く同じように話す人だった。これだけぴったり三つが一致する団員は諫山さんだけではないだろうか。だから、誰れにでも分かりやすく、抜群の説得力のある弁論ができたのだ」と。けっして話術の問題ではない、つねに〃民衆〃の中に身を置き、その権利を守るためにともに生き抜いた先生だったこそ、こうした活動が出来たのだとあらためて思います。

、先生が九州での戦後第一号の自由法曹団員として活動をはじめられたとき、九州で実際に、団員として活動していたのは清源先生一人だけだったと聞いています。だが、いま、九州ブロックの団員は一八〇名近くにのぼります。このような抜群の発展に先生が果たした役割はまことに大きなものがあります。巨木というべき先生は倒れても、その下で育った木々はそれぞれに高く大きな木になり、さらに無限の可能性を持つ多くの若木が育ち、豊かな森をつくっています。そうなるために、先生が先達とした果たされた長年にわたるご活動にあらためて、団として心からお礼申し上げます。

、先生はついに去って逝かれました。しかし、先生は、私たちの心のなかに長く生き続けます。先生は「もう一度観たい映画」として、国境を越え、敵味方を越えた平和を求める切なる思いを描ききった名画「大いなる幻影」をあげておられます。憲法の命運が問われる今、自由法曹団と一六〇〇人の団員は、憲法九条と平和をけっして「大いなる幻影」とはしない、先生の遺志を引き継ぎ、かならずたたかいに勝利するために全力をつくすことを、先生及びご参列のみなさんに誓って、お別れの言葉とします。今日、参列できなかった多くの団員の万感の思いも一言こめて、先生、さようなら。

二〇〇四年一二月五日


お別れのことば

福岡支部(福岡第一法律事務所) 小 島  肇

 諌山博さんとお別れする会に各地から多くの皆様にお集まりいただき、諌山先生も喜んでいただいているものと思います。皆様とともに諌山先生を偲びながら、最後のお別れをしたいと思います。

 諌山博さんは、一九二一年に今日と同じ、十二月五日に福岡県浮羽町で生まれました。一九五一年に弁護士となり、当時占領中で、占領政策違反、レッドパージなどの事件が殺到し、先生は九州各地を駆けめぐられました。三井三池裁判、安保闘争などを経て、一九六二年に、先生を中心に福岡第一法律事務所が創設されました。先生を慕って気鋭の弁護士が入所し、先生の下で多くの事件で鍛えられ、その後数多くの弁護士が、九州各地や福岡県下で民主的な法律事務所を創ってきました。私も現場で徹夜に近い状態で作成した労働仮処分の陳述書や申立書に先生から一字一句真っ赤に朱を入れられたことを懐かしく思っています。先生は日本共産党の要請を受け、衆院議員一期、参院議員を一期務められました。先生の弁護士と政治家の活動に貫いたのは、何よりも弱い者や労働者に対するやさしさにあふれた限りない献身でした。同時に強者権力の不正義に対する呵責のない追求は、他に及ぶものがないものでした。先生は精緻な論理を実にやさしい話し言葉で語ることのできる人でした。先生は、刑事弾圧事件の実践の中から、公訴権濫用論を提起し、その後の学説や判例に大きな影響を与えています。私が修習生の頃、裁判官から、「諌山弁護士の反対尋問は是非聞いておきなさい。勉強になるから。」とよく言われました。

 先生は、議員時代には、共産党の警察問題担当として、鋭い論戦を展開され、多くの著述もされています。先生が、共産党の参院全国区の名簿の高位に指名され、当選されたのは、共産党中央が、先生の鋭く豊かな論戦力を高く評価したものと思われます。先生のお宅にうかがうと、多くの書棚にびっしりと本が並び、階段の書棚にも数え切れないほどの文庫本が並んでいることに驚かされます。書棚の中からレーニン全集を引っ張り出して見てみると、先生の手でいたるところに赤で棒線が引かれ、書き込みがびっしりされているのをみて、とてもかなわないなと思いました。先生は、全く私心のない人でした。それが先生が何よりも共産党を愛し、共産党員として社会に献身していくことにつながったものと私は思っています。

 先生は、実に多趣味な方でした。読書は多方面にわたり、読書量も大変なものでした。先生は、「小島さん、アラビアンナイトは 実におもしろい。読みなさいよ。」と言われたことを今でも懐かしく思い出します。釣も寸暇を惜しんで楽しまれました。観劇も並ではありませんでした。後年は新劇よりも歌舞伎にこられていました。映画好きも無類のものがありました。先生が映画のビデオをうれしそうに家に持ち帰られる姿をよくみかけました。寅さん映画の大ファンでした。先生はまた、無類の甘党でした。パンの上に餡をのせ、砂糖をかけて、実に嬉しそうに食べる先生でした。偉大な先生にもこんな一面があったことを私は時々思い浮かべております。 

 先生が逝かれて瞬く間に時が過ぎました。私には、まだ先生が亡くなったことがなかなか実感できません。今でも先生が、「小島さん、この点はどう思うかね。」と話しかけてくれるのではとの思いが断ち切れません。それでも今は先生にお別れの言葉を申し上げなければなりません。私たち所員一同は、先生の遺志をついでまいります。

 先生安らかにお眠りください。


書評「税金裁判ものがたり『納税者』のための税務訴訟ガイドブック」

(著者 関戸一考団員)

大阪支部  財 前 昌 和

1、実務を批判的かつ実践的に検討する

 この本は「これから税金裁判に積極的に関与していこうと考えている」弁護士や税理士、そして専門家でない市民の方に対して「分かりやすい税金裁判の手引き書」として書かれたものです。「何で財前が税金裁判の本を薦めるのか?」と怪訝に思う方も多いと思います。それは全くもって正しい疑問で、私はこれまで一度も税金裁判はやったことがありません。実は著者の関戸さんは、私が現在行っている法科大学院で、法情報調査・法文書作成、税務争訟法、現代人権論、建築紛争法などの科目を教えておられ、その縁で今回この本を手に取ることになりました。この本は法科大学院の授業のテキストに使うことも考えて出版されたようです。

 法科大学院での授業については別の機会に報告したいと思いますが、「実務を批判的に検討し教えること」の難しさを痛感しています。今の実務、判例を無批判に教えることは論外ですが、かといって「裁判所はけしからん!」というだけでは、「ではどうしたらいいのですか?」という質問が返って来ます。その答えが用意できなければ実務家失格となります。そしてこの本は、税金訴訟の分野において関戸さんが出した答えではないかと思います。この本の中で「税金訴訟を担当していると、いろいろと不合理な壁にぶつかる。文献を調べてみても、執筆者は国側代理人を経験したことのある検察官、裁判官が多く、納税者の権利をできる限り尊重しようという姿勢は十分とは言い難い。だから納税者の側に立った理論は、結局、私が自分で考え出していくしかない」(一〇五頁)とのくだりを読んで、私は思わず我が意を得たりと嬉しくなりました。私は現在刑事訴訟関係の科目を教えていますが、市販されている多くの書籍は裁判官・検察官が書いたもので、弁護人から見て許せない理屈を、しかし一見緻密であるかのように展開しているものがほとんどです。しかし、学生やロースクール生、さらには弁護士までもがそういった書籍しか触れることが出来ない状況にあります。こうした中で私は、自分の経験や他の弁護人の体験談を読みながら悪戦苦闘していますが、関戸さんはそれを書籍としてまとめられたわけで、うらやましい限りです。しかもその内容は、すべてご自身が担当された事件を素材とし、勝った事件、負けた事件の両方から教訓を導いています。その点でもこの本は、単なる「事件報告集」とは一線を画する内容となっています。

2、自らの経験に基づいた実践的ノウハウ

 内容については全くの素人の私がコメントするのはおこがましいのですが、その私ですら、読んでいるうちに自分でも税金裁判ができそうな気持ちになってくる本です(実際には嫌ですが・・・)。たとえば、裁判のための五つのチェックポイントとして、(1)本人に十分な怒りがあるか、(2)取引先が協力的か、(3)更正処分が本人の実態とかけ離れているか、(4)どの程度の資料が揃っているか、(5)争点がどこになるかの五点を挙げられ、関戸さんが体験した成功例・失敗例に基づいて詳しく説明されています(八八頁以下)。また、税金裁判を含む行政訴訟は手続きがややこしそうで敬遠しがちな弁護士が多いことに配慮して、その手続の流れなどがフローチャート入りで分かりやすく説明されています。団員が出す本というと、内容は素晴らしいが、難しい漢字が多く紙面が黒々としているという印象がありますが、この本は市販のビジネスマン向けノウハウ本のように分かりやすい紙面構成になっています。

 その他、訴訟物に気をつけろ、税理士に協力を求めよう、平成一四年四月の税理士法改正を利用して税理士に補佐人になってもらおう、処分をした行政庁を間違えるな、期間を徒過するな、など初心者向けにきめ細かく配慮した実践的ガイドブックになっています。それとともに、総額主義による国側の争点そらしを許さないために取消訴訟とともに国賠訴訟を同時に提起するとか、国側の準備書面の読み方などといった高度なアドバイスまでされています。印象に強く残った部分を一か所だけ以下に引用します。

国側の上告理由書が「まるで教科書のように通説的見解をじゅんじゅんと展開し、極めて常識的な法律的主張をしているように見せながら、その実、少しずつ事実をすりかえて、(都合の良いところを都合よく引用し、不都合な部分を無視するということ)最後には、(中略)とんでもない結論へと誘導するものであった。」「国や課税庁の書面は絶対にうのみにしてはいけないということ。あたかも既定の事実のように引用されている『判例』や『事実』が、実は意図的なミスリードの可能性がある。税金裁判に携わる者は国や課税庁の書面において、判例が引用されていたらその原典に必ずあたり、判例の射程範囲を十分見極めることが重要である。我田引水の引用があり得るからである。」(一〇四頁)

3、さいごに

 この本を通じて、現在の税務訴訟を含めた行政訴訟が抱える問題点を具体的に知ることもできます。ひとつ例を挙げると、依頼者が大阪国税不服審判所に審査請求に行ったところ審査の相手方となる税務署や大阪国税局と同じビルに入っていることを知り、さらにはその後、担当審判官が人事異動で税務署の署長に転出したり、その逆の人事異動もあることも知り、激怒したエピソードが生々しく書かれています(七四頁以下)。

 出版社はせせらぎ出版、定価は三三〇〇円です。注文はみどり総合法律事務所宛てでお願いします。TEL〇六・六八二一・二〇五一、FAX〇六・六八二一・二〇五二です。