自由法曹団通信:1218号        

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吉村 清人 東京大空襲訴訟 原告団結成!
井上 正信 自民党防衛政策小委員会
「国際平和協力法案」の分析

中野 直樹 栗駒のブナの森に求めた岩魚の楽園(三)

山本 真一

北朝鮮問題をどう考えるか その二

菅野 昭夫

愛国者法体制を追認する
Military Commissions Act(軍事委員会法)の成立

宇賀 神直 詩集の紹介
巡礼の旅・・・・チェルノブイリ・・・
作者 みちのく赤鬼人




東京大空襲訴訟 原告団結成!

東京支部  吉 村 清 人

 既にマスコミ報道されているとおり、東京大空襲訴訟の原告団結成の集いが、一〇月二九日、東京都内で行なわれました。一八都道府県に住む五〇〜九〇代の被害者ら一三六名が原告に名乗りをあげていますが、集いには被害者ら四五人と支援者ら約一五〇人が参加しました。

 集いでは、訴訟の目的として、次の三点が確認されました。

  (1) 民間人犠牲者への差別を改め、補償と謝罪を求める。
  (2) 東京大空襲が国際法違反の無差別絨毯爆撃であったことを認めさせ、戦争を始めた国の責任を追及する。
  (3) 民と兵の差はなく、日本の国土が戦場であったことを明らかにする。

 会場発言では、被害者、支援者の思いが熱く語られました。

 「先日のNHKの報道で、東京大空襲訴訟の提訴のことを初めて知り、NHKに電話して今日の集いのことを聞き、矢も楯もたまらず、ここに駆けつけた。残りの人生をこの裁判にささげたい。」(八〇歳代の男性)。

 「戦争が終わって学童疎開先から帰ってきたら、東京大空襲で家族がすべて亡くなっており、孤児になっていた。身寄りが誰もいなくて、浮浪児として戦後直後を生き抜いてきた。」(七〇歳代の女性)。

 「高校の学園祭で、東京大空襲で命を失った一〇万人という人数の物凄さを実感してもらいたいと、一〇万人の顔写真を展示する企画を行なった。それをきっかけに『P魂s』(ピーソウルズ)という青年平和サークルを結成した。東京大空襲の戦争体験を、同年代の若者たちに伝えたい。」(二〇歳代の男性青年)、等々。

 閉会の挨拶では、「わずか二時間半の間に焼夷弾の作った火の壁の中で命を奪われた一〇数万人の亡魂の叫びをも背負って、歴史の裁きの場であるこの訴訟に臨もう」との訴えがなされ、大空襲から六二年目となる来年三月九日の提訴への決意を固め合いました。

 弁護団は、本日(一一月一日)現在で一〇六名、多くの団員の方々にも参加表明をいただいております。前述のとおり、一三六名の原告が全国各地に散らばっていることから、陳述書づくり等を行なっていただける方の、さらなる弁護団への参加を募っております。

 また、理論面での参加・支援もお願いしたいと思っています。例えば戦後補償裁判や新原爆訴訟での理論的蓄積等も反映していただければ幸甚です。東京大空襲弁護団のメーリングリストもありますので、御参加・御協力をお願いいたします。



自民党防衛政策小委員会

「国際平和協力法案」の分析

広島支部  井 上 正 信

一 国際平和協力法案を巡る情勢

 自民党防衛政策検討小委員会は、二〇〇六年六月一四日国際平和協力に関する「一般法」案の概要を合意し、更に法案化を目指して検討をすすめていた。その結果、八月三〇日「国際平和協力法案」を決定した。法案はすでにほぼ完成したもので本文六〇条で構成されている。自民党内でいつから検討が始まったか、現時点では私には情報はないので不明である。二〇〇三年六月二五日小泉首相が国会で、自衛隊海外派遣恒久法を将来の課題として検討する必要があると答弁したことが、おそらくは出発点であろう。同年八月一日内閣官房に、自衛隊海外派遣恒久法制定のための準備室が設置された。有事法制三法案が成立した直後であり、有事法制三法案成立前日に、安倍官房長官(当時)が、有事法制三法の後の課題として集団自衛権行使の憲法解釈変更を挙げたのも恒久法案と無関係ではないであろう。なぜこの様な法案を策定しようとしているのか。その背景は、新しい安全保障政策が、自衛隊を安全保障政策の手段として有効に使おうとしていること、自衛隊の海外任務を自衛隊の本来任務にするための自衛隊法改正法案が先の通常国会へ提案され、継続審議となっていることが挙げられる。

 本稿は、この法案の分析を、これまでの自衛隊海外派遣法制の中で位置づけ、それにとどまらない極めて異質な内容であること、法案が自民党新憲法草案第九条の二第一項〜三項を先取りし、憲法改悪の露払いとなっていること、これらの背景としての我が国の新しい安全保障政策に言及している。

 私は、自衛隊法・防衛庁設置法案とともに、本法案の分析批判を早急に進めて、反対運動を提起することは、自由法曹団にとって急務と考えている。

二 法案の位置づけ

 この法案は、現在衆議院で継続審議中の自衛隊法改正法案第三条二項二号と一体となって(別に定める法律で二号任務を遂行する)、自衛隊の海外活動を自衛隊の本来任務にし、自衛隊海外派遣をこれまでのように事態に応じた時限立法(特措法)ではなく、恒久法として策定するもの。また、自民党新憲法草案第二章第九条の二第三項を実行する国内法制でもある。従って、この法案を分析する場合、自衛隊法改正法案と新憲法草案を踏まえる必要がある。自衛隊法改正法案は、防衛庁設置法改正法案と一体となって提案されている。マスコミは主として、防衛庁の省への昇格法案として説明しているが、自衛隊の海外活動を自衛隊法第三条の本来任務とするものである。ちなみに、自衛隊の任務は自衛隊法第三条の我が国の防衛(主たる任務)と国内治安維持及び災害派遣(従たる任務)を「本来任務」として、第六章「自衛隊の行動」で規定されている。海外活動はすべて「付随的任務」として、雑則へ規定され、時限立法である特措法任務は、附則へ規定されている。自衛隊は「主たる任務」以外は武力行使ができず、「付随的任務」は、「本来任務」の余力があれば(防衛予算と兵力面での余力)行うという位置づけにすぎない。自民党新憲法草案第九条の二は、自衛軍の任務として、我が国の防衛と国際協力活動を並べている。自衛隊法改正と恒久法案はこの新憲法草案を先取りするものである。

三 既存の自衛隊海外派遣法制との比較

 この法案を分析する場合、既存の海外派遣法制と比較することが重要である。これまでの海外派遣法制は、憲法第九条との関係で議論がなされ、解釈改憲の最も重要な局面であった。法案は既存の法制を踏まえながら、これを大きく踏み越えようとしているものであることが理解できる。

 最初の海外派遣法制であるPKO協力法は、国際連合平和維持活動と人道的な国際救助活動(九八年改正で選挙監視活動が入る)で、国連安保理・総会決議や国際機関の要請が派遣の条件であった。派遣地域には限定はなく恒久法である。問題は、武力行使との関係である。武力行使に該当するおそれがあるのでPKO本体業務は凍結され、武器使用も個々の隊員の判断に任された。組織的使用は武力行使に該当するとの批判を受けたからである。防護対象も自己又は自己とともにある隊員に限定された。武器防護のための武器使用(自衛隊法第九五条)も禁止された。人に対する殺傷行為は刑法の正当防衛と緊急避難に厳しく限定された。九八年改正では、原則として上官の命により組織的に武器を使用すると改正され、二〇〇一年改正では防護対象が「自己の管理に入った者」と武器防護のための武器使用が認められ、PKO本体業務の凍結が解除された。これまで武力行使に該当するおそれがあるとして、認められていなかったことが、PKO活動の実績と国民世論の変化を利用して、解釈改憲が拡大されたのである。

 一九九九年周辺事態法では、我が国が武力攻撃を受けていない事態で自衛隊が米軍支援の軍事活動を行うので、個別自衛権ではなく集団自衛権行使ではないかという点が最大の焦点になった。この論点は既に九〇年一〇月に国会へ提出された国連平和協力法案(廃案)で登場していた。湾岸へ集結した多国籍軍への後方支援ができる法案であったため、集団自衛権行使であると批判された。そのときの政府答弁は、他国軍隊の軍事活動との一体化論であった。後方支援だから一体化しないので集団自衛権行使にならないという理屈である。周辺事態法では、戦闘が行われていない、且つ活動の期間を通じて戦闘が行われない見通しがある地域として後方地域という概念を編み出した。危なくなれば活動を中断し、現場から逃げるというのである。個別自衛権でもなく、集団自衛権でもない奇妙な活動をグレーゾーンとも呼んだ。このときの議論と法制が、その後のテロ対策特措法やイラク特措法へ引き継がれた。「戦闘地域」概念である。しかし、テロ対策特措法もイラク特措法も非戦闘地域での後方支援活動(あるいは人道復興支援)にとどめた。イラク特措法では、占領軍(その後安保理決議一五四六号により多国籍軍となる)への参加となるので、交戦権行使(占領)の禁止に触れるのではないかと批判されたが、占領軍や多国籍軍の指揮下に入らないとの屁理屈を付けた。これ以上の活動は、いかに解釈改憲を進めても武力行使、交戦権行使、に該当するからである。

 このように、海外派遣法制の制定、改正の度に解釈改憲が積み重ねられたが、米軍など他国軍隊への後方支援にとどめていること、人への殺傷行為が刑法上の正当防衛、緊急避難に厳しく限定されていること、任務遂行のための武器使用が認められていないことという点は共通している。政府答弁でもこの点は憲法解釈上の限界なのである。

 では、恒久法案はこれらの法制のどこを踏まえどのように乗り越えようとしているのか。

四 恒久法案の構成

 国際平和協力活動は、人道復興支援活動、停戦監視活動、安全確保活動、警護活動、船舶検査活動(第一条、第三条)である。活動主体は、国際平和協力本部(総理大臣が本部長)、警察庁、海上保安庁、自衛隊である。自衛隊以外の主体は人道復興支援活動しかできない(第一〇条〜第一三条)。携行武器も、自衛隊の部隊には法律上の制限はなく自衛隊の武器であれば何でも持っていける。それ以外の主体(個々の自衛官も含む)は、小火器と限定されている(第四章)。

 安全確保活動と警護活動は、活動の範囲が一定の地域なのか又は警護対象の個人・施設・物品なのかの違いはあるが、自衛隊の部隊の活動としては変わらない(第三三条)。

五 安全確保活動

 これまでは後方支援しかできないとされていたものである。活動内容は、イラクでの武装勢力掃討作戦も可能となっている(第三条、第二五条〜第三一条)。

六 警護活動

 これまでの海外派遣法制ではなかった活動である。要員の警護や施設、物資輸送の警護などである(第三条)。PKO法でカンボジアへ派遣された際、選挙妨害を防ぐため事実上警護活動を行い批判があった。警護活動の際の自衛隊の軍事活動の内容は安全確保活動の規定を準用しているので、同じと考えてよい(第三三条)。

七 船舶検査活動(第三四条〜第五四条)

 船舶検査活動は国際法上の臨検である。臨検は交戦権行使とされている。そのため、周辺事態船舶検査活動法(二〇〇〇年一二月)の国会審議でこの点が問題となった。政府は周辺事態の活動を個別自衛権として、そのための船舶検査活動は自衛権行使のための必要最小限度のものであり、交戦権行使ではないと説明した。このため、周辺事態船舶検査活動法は、相手船舶に対して軍事的強制力を行使できず、要請・説得にとどまっている。

 法案の船舶検査活動は、国際テロリストの移動や大量破壊兵器の拡散防止のために行われる。国連安保理決議に基づく活動であれば、国際法上の根拠があるが、米国を中心とした有志連合で行う「拡散防止イニシャチブ」(PSI)では、国際法上の根拠がないとこれまでも批判されてきたものである。船舶検査活動では、自衛艦は相手船舶に停戦命令を出し、従わない船舶に対しては最終的には危害射撃(通常国際習慣ではまずマストへの射撃、次にスクリューへの射撃)ができる。乗船検査の際抵抗されれば反撃できる。

八 武器使用(特に人の殺傷行為)

 人の殺傷は、自衛隊の部隊以外の主体には、刑法第三六条、三七条の場合に限定されているが、自衛隊の部隊にはこの要件ははずされている。

 第四章第二節「武器の使用」に規定されている。この条文は特に第八項が中心的な規定である。驚くべき内容となっている。ここで規定されている内容は、イラクで米軍が行っている武装勢力の掃討作戦の戦闘場面を細かく切り取り、法文化すればこのようになるのではないかと思われるような内容である。従って人道復興支援活動でも、人道復興支援活動を行う自衛隊を護衛する部隊が、安全確保活動として、駐留した外国の市民に対して、自衛隊が攻撃して殺傷することができるのである。イラク特措法での人道復興支援とは本質的に異なることに注意しなければならない。

 「多数集合して暴行又は脅迫をし、又は暴行若しくは脅迫をしようとする明白な危険があり、武器を使用するほか、他にこれを鎮圧し、又は防止する適当な手段がないとき」「小銃、機関銃(機関拳銃を含む)、砲、化学兵器、生物兵器その他殺傷力がこれに類する武器を所持し、又は所持していると疑うに足りる相当の理由がある者が、暴行又は脅迫をし又はする高い蓋然性があり、武器を使用するほかこれを鎮圧し、又は防止する適当な手段がないとき」「職務上警護する人、施設又は物品が暴行又は侵害を受け、又受けようとする明白な危険があり、武器を使用するほか、これを排除する適当な手段がないとき」

 この規定では、現場で自衛隊の部隊は組織的な交戦で現地の市民を殺傷できる。それも危険、疑い、相当の理由など主観的要件で行えるのであるから、米軍の無差別攻撃とどこが異なるのであろうか。

 これまでの自衛隊海外派遣法制では、人への殺傷行為はすべて刑法第三六条、三七条の要件がかかっていた。武力行使に該当するという批判を受けたからである。法案の規定を読めば、通常の軍隊が戦闘場面で交戦することと違うところはない。第二五条八項の規定は、任務遂行のための武器使用を認め、その場合人の殺傷もできるというものである。この法案で派遣された自衛隊員が他国の市民を殺傷した場合で、刑法上の正当防衛・緊急避難の要件を満たさなくても、刑法上の犯罪には問われない。刑法第三五条の職務上正当行為とも言い難い。なぜなら、人を殺傷することを義務づけられているのでもなく、殺傷する権限を与えられているのでもないからである。一定の条件の場合、人への危害射撃は止むをえないという消極的な規定だからである。そうすると、人を殺傷した自衛隊員が殺人・傷害の犯罪行為に該当しないことは、国際法上の武力行使であると説明するしかないであろう。武力行使であれば、国際法に違反しない限り殺人・傷害・器物損壊の犯罪に問われることはない。第二五条八項の要件は、武力行使の場合でもある意味では当然の規定であり、もしこの要件を欠いたまま自衛隊員が人を殺傷すれば、非戦闘員の殺害として戦争犯罪になりかねない。したがって、いくら法案で「武力による威嚇または武力行使に当たるものであってはならない」(第二条四項)と規定しても、武力行使に該当しないと強弁はできないであろう。

九 新しい安全保障政策の実行、新憲法草案の先取り

 この法案は、これまでの自衛隊海外派遣法制で積み重ねられてきた解釈改憲の理屈では説明できないであろう。憲法九条に真正面から違反する内容である。

 では何故このような驚くべき法案が作られたのか。新しい安全保障政策を実行するためのものである。新しい安全保障政策とは、二〇〇四年新防衛計画大綱の策定過程で形成された。国際的安全保障環境の改善を我が国の国益と直結させ、その手段として軍事力を有効に活用するのである。自衛隊を存在するだけの抑止力(これまでの防衛政策である)から、国益実現の外交戦略の手段として有効に活用しようというものである。国際貢献ではないのである。そのためには、自衛隊の海外活動を我が国防衛と並んで、本来任務に格上げしなければならない。新憲法草案第九条の二で一項が自衛軍の我が国防衛任務規定、三項が国際的安全保障環境の改善任務の規定となっている。

 恒久法案が自衛隊を海外に派遣できる要件として、「国際の平和及び安全を維持するため我が国として国際協調の下に活動を行うことが特に必要であると認める事態」を挙げている。国連安保理・総会・国際機関の要請・決議がなくても我が国が独自の国益判断で、武装した自衛隊の部隊を派遣できるということは、新しい安全保障政策を実行し、新憲法草案を先取りするものである。この法案が成立すると、自衛隊の海外活動は本来任務となり、自衛隊の装備、編成、軍事ドクトリン、交戦規定、予算など自衛隊の有り様が根本的に変革されることになるであろう。自衛隊の自衛軍化(といっても外征軍であるが)である。自衛隊を新憲法草案の自衛軍にすることが、憲法改正をまたず進められることになる

 新しい安全保障政策は、日米同盟再編協議の中で、米軍の地球規模での軍事態勢の変革(トランスフォーメーション)と共通の基盤であると、日米間で共通の認識が述べられている(二〇〇五年二月2+2共同発表文)。その後発表されたいわゆる「中間報告」「最終報告」で米軍の変革だけではなく、自衛隊の変革も合意された。自衛隊の統合軍化と米軍との一体化の強化である。自衛隊統合軍化の法制は既に二〇〇五年七月成立した自衛隊法・防衛庁設置法改正でできあがっている。

 新しい安全保障政策は、この日米同盟再編協議のプロセスと並行しながら形成された。恒久法案は、日本が独自に海外へ自衛隊を派遣するというのではなく、米国に付き従って米軍と一体となって地球規模で軍隊を派遣するという内容なのである。



栗駒のブナの森に求めた岩魚の楽園(三)

東京支部  中 野 直 樹

 民宿には建設会社の若い労働者が二人泊まっており、宿の家族も同じ食卓を囲んだ賑やかな夕食となった。女将は首にかけたタオルで汗をふきふき、旨い手料理をあつらえる。箸の根元ほどの太さのワラビが皿の上に山となっている。きけば、ワラビ栽培に成功し、出荷もするし、旅行会社と提携してワラビ採りのツアー客も受け入れているとのことである。私たちが採ってきた箸の先ほどの太さのワラビが笑われたはずである。

 焼酎を飲み始めた五〇代半ばの主の親父さんは、東成瀬村の村会議員だという。秋田県雄勝郡の町村合併の歴史はすさまじく、成瀬村も西成瀬村もかなり昔に消滅し、近時の大合併でさらに横手市、湯沢市に吸収され、現在の郡は、東成瀬村と羽後町の二つとなった。成瀬川と皆瀬川が合流する旧平鹿郡増田町は「釣りキチ三平」で有名な矢口高雄のふる里であるが、かつて雄勝郡西成瀬村を飲み込み、そしていま横手市に飲み込まれた。平鹿郡は消滅した。このなかで東成瀬村は合併に与しない。

 親父さんは、山菜採り、キノコ採りの山人で、私たちが今日入った沢の奥地を知り尽くしていた。そして、冷凍庫から、この春先に木賊沢で釣ったという、ビニール袋に一杯つまった岩魚を披露した。ここで話に火がつき、自慢話しが膨らんだ。そのうちに親父さんは、俺も明日釣りに行きたくなった、と言いだした。実は近く結婚した娘が夫を連れて遊びにくるので釣りを教えてやろうかと考え、ブドウ虫も仕込んであるのだそうだ。願ったりの話である。親父さんと私が合ノ俣沢の奥地に、岡村・大森さんが木賊沢に入るということになった。

 翌朝四時三〇分、親父さんの「起床」のかけ声が私たちを眠りから起こし、五時民宿を出発、五時二〇分から昨日の山道を歩き始めた。ぐいぐいと歩を進める親父さんの後を、二日酔の頭で遅れまいと追った。さすがに足の運び方が巧い。合ノ俣沢に入ってもひたすら歩く。平川であるが、途中通らずの岩場があり、右岸を二〇メートル以上の直登の高巻きをしなければならない。要所に長いロープが下がっていた。このようなことを三回繰り返し、七時、左手に雪渓が大きく割れている場所に着いて朝食となった。対岸が鋭く切れ上がり、並はずれて大きな葉をひろげるぜんまいの林となっていた。親父さんの話では、今は融け落ちているが、梅雨の頃には、この場所に見事な雪のアーチができるそうである。

 宿で用意されたにぎりめし三個とお新香、ジュースが、汗をかき、活性化した胃袋に瞬く間に納められた。親父さんは、不慮の事態が起こるかわからない山では絶対に酒を飲まないそうである。

 なにしろ親父さんの頭には工事作業用のヘルメットが固着されている。私はザックに手を入れ缶ビールをつかんだ指をはずした。

 親父さんはブドウ虫、私は川虫で、交互に釣り上がった。親父さんは短い提灯仕掛けで岩魚をかけ、素早く取り組む。遊びがなく、実にテンポよい。もともと私の釣りは一つのポイントで粘る方ではなくさっさと上に向かうが、親父さんもそれ以上に早いのである。私が川虫採りをしているうちにすぐ姿が見えなくなる。

 低い水温の川面からも朝霧が立ち、差し込む光をしっとりと包んでいる。どうも渓相は貧弱で、川底の石肌も暗く、流水も映えが乏しい。ところが、瀬から、小さなたまりから、腹が白く、緑色の斑点が鮮やかな岩魚が小気味よく飛び出してくる。九時頃、四メートルほどの滝上が左に九〇度曲がっているところで一服となった。私はさりげなくビール缶を冷やした。二人で二〇尾ずつ魚籠に納めていた。

 親父さんから山の話を聞いた。秋になると北の俣沢の奥に舞茸採りにいくことが楽しみのようだ。増水時には、地図に載っていない隠れ道を辿る。昨夜の酒の席で、この支流の本流への合流点のすぐ下にダムをつくる計画があることが話題になり、私たちがダム不要論を述べたところ、親父さんは、よそ者が現地の実情も知らないで安易な議論をするなと青筋をたてて怒鳴った。秋田県には水が足りない地区があると力説していた。東成瀬村が単独で生き残ろうとしている動機もこのダム計画にあるのかと推察した。ダムが完成したときの湛水がどこまで達するのか不明だが、親父さんは、岩魚の渓が最源流部だけになってしまうことには寂しさを感じている心情も吐露していた。

 滝の曝下での親父さんの釣り姿をカメラに収め、滝上にあがった。一転明るい渓が開け、ブナやナラの巨木が陽光を求めて天に枝葉を広げている。ナメとザラ瀬の平凡な川面から、差し込む陽射しに肌と水の玉をきらきらと輝かせて岩魚がはねる。アキアカネが群れる。私は、残酷にも、羽を休めに竿にとまるアキアカネを手づかみし、羽を半分切って、首元にハリを刺し、川面に浮き流す。繊毛運動をしながらトンボが流れ、と、岩魚が顔を出すや、一瞬に捕食し、ちゃぽっと音を立て仕掛けをもって沈む。ここであわてると早合わせで餌がとられてしまうのである。親父さんは、トンボを餌にした経験がなく、興味深げであった。数メートル進むごとに岩魚の取り込みと餌付けに忙しく、釣りの描写をしている暇がない。親父さんも五〇匹持参してきたブドウ虫を使い果たし、トンボを捕まえてやってみたらうまくいった、餌に食いつく瞬間の岩魚の動きが見えるのがよいと感心していた。

 最源流で、二又に分かれているところで一一時半となり、昼食である。二つの沢とも藪かぶりだが、水量も多くまだ奥があり詰めてみたい。しかし、帰途が三時間以上見込まれることから未練を断ち切り、ここで竿納めとなった。結局、釣果は四〇尾ずつの八〇尾。二人ともめったに経験できない豊漁であった。アルバムに岩魚の楽園と銘打ちたい渓であった。

 対照的に、木賊沢は不漁であった。渓相のよい沢で、岡村・大森釣り師もがんばってかなり奥まで攻めたようだが、名人も岩魚がいなければただの人である。釣り場本にも残雪のあるうちが勝負と書かれている。沢沿いに明瞭な辿道がずっと延びており、釣り人が多いのである。満足と徒労感の入り交じった夕食の宴が始まった。

 宿の裏に、広大なワラビとウドの栽培畑が広がっている。機嫌のよい親父さんから、その成功までの工夫と努力を興味深く聞いた。大森さんが、ウド畑が伸び放題の藪になっていることに言及し、切って手入れをした方がよいと口にした途端に、女将さんから、ウドは精一杯繁らせとかないと、元気がなくなり、翌年の成長がよくない、とすかさずやりこめられていた。どうも釣り師仲間で評論しているようなわけにはいかない。実地と事実をふまえないと生活人には説得力をもたない。

 私は連日一〇時間の山谷歩きをしたことからくたびれ切り、九時頃には先に布団に入った。翌朝、岡村さんがいうには、酔った大森さんが女将さんについてある評価をずけっと口にしたことに対し、これまた酔った親父さんが腹を立て、大声で一喝する騒動があったそうである。

 それでも朝食前には、水に流したのか、忘れたのか、親父さんは機嫌良く、見事なワラビ菜園を案内してくれた。



北朝鮮問題をどう考えるか その二

東京支部  山 本 真 一

 二〇〇六年一〇月九日、北朝鮮は今度は核実験を行ったと発表した。国連安保理は、一〇月一五日に、再び全会一致で「北朝鮮に対する制裁決議」を採択した。朝鮮半島情勢は一気に緊迫化した。

 私は前回の論稿で、「このような北朝鮮の論理をどう考えるか?・・「理解不能」というしかない。正常な神経では理解できない。・・・大日本帝国と現在の北朝鮮とは一卵性双生児のように見える。」と書いた。井上団員からはこの言い方は「行き過ぎだ」というご批判もいただいた。確かに私の表現が過激すぎることは認める。しかしそうでもしないと私の真意が伝わらないのではと思っている。従って今もこの考えはほとんど変わらない。だが問題はその中身である。そこで改めて何が問題なのかを冷静に考えてみたい。

 一〇月二四日の朝日新聞の朝刊に、「北朝鮮の核を読む・・・劇場兵器のワナ」という船橋洋一さんの記事が載っていた。北朝鮮が「核兵器保有国である」ことに固執する理由を簡単に、しかし要領よくまとめてある。その中で、「北朝鮮が核開発に着手したのは一九六三年からだ」というC・ウェザーズビー(歴史家)の結論と、「北朝鮮を核へと突き動かした根本的な理由は、アメリカからの核攻撃の恐怖と中ソの裏切りという不信感だ」という指摘を紹介しつつ、船橋氏の結論として「根は深いのである。・・・・金正日総書記はおそらく最後までそれを手放すことはないだろう。」と言う。

 この船橋氏の結論的な意見に賛成するつもりはない。北朝鮮に核兵器への固執を諦めさせる方法はあると思う。この観点から見て、この記事の中で最も印象に残った部分は、二〇〇三年四月、北朝鮮が核保有宣言をした時に、それをアメリカから聞いた中国が、北朝鮮に対して「自殺をするつもりかと問いつめた」とする部分である。これが真実かどうかは判らない。しかし最近の中国の動きを見ているとほぼ中国の本音だと思う。

 このすぐ後の二〇〇三年八月、第一回の六者協議が始まった。中国は六者協議の議長国として北朝鮮問題の解決に極めて熱心に動いた。北朝鮮を説得しようとする中国の真剣な姿勢に誤解の余地はなかったと思う。しかしすでに三年も経過した。北朝鮮は事態を正確に理解しようとしなかったと思う。現実には北朝鮮は核実験という最後のカードまで出してしまった。これに対して中国は「憲章第七章に基づいて行動し」という文言の入った国連安保理決議にさえ賛成した。さらには唐副首相等がわざわざ北朝鮮まで出掛けて金正日総書記の説得にあたった。これほどまでに真剣で、積極的でしかも日米と協調した行動をとる中国は見たことがない。

 私が北朝鮮の行動を「理解不能というしかない。正常な神経では理解できない。」と前回記載したのも基本的にはこのことである。中国の基本的な姿勢には誤解の余地はないように私には思えた。しかし北朝鮮はそれを理解しようとしなかったし出来なかった。

 しかし中国が本気で経済制裁に乗り出せば、北朝鮮が生き残ることはほぼ不可能である。それは北朝鮮が最もよく知っているはずである。でも北朝鮮は中国がまさかそこまで踏み込むとは思わなかったし、いまでも思っていないのかもしれない。

 私も中国がどこまで踏み込むつもりなのかはまだよく判らない。しかし北朝鮮に平和的に対話の中で現在の核兵器に固執する路線を転換させ、北朝鮮も表向きは協調している「平和的民主的な朝鮮半島の統一」の実現に向かわせるには中国を中心とした日米韓ロの協調しかないことは明らかである。そして中国は本気でこれを実行するつもりなのだと思う、または期待する。中国にとってもそれしかないと思うからである。

 そこで問題は日本とアメリカの行動である。私はアメリカ、とくにブッシュ路線の下でのアメリカは表向きは別として、本音では簡単にこの平和的な対話と説得の路線に乗ってはこないと思う。「冷戦の終結」でもって世界に敵がいなくなったアメリカにとって朝鮮半島の緊張関係が続くことは望ましいことだからである。北朝鮮問題の解決があるとしてもアメリカにとっては「悪の権化」としての北朝鮮の体制の崩壊こそが望ましい。アメリカの力を世界に示せるからである。

 しかしアメリカも変わらないわけではない。現在のブッシュ路線はアメリカにとっても行き過ぎである。私は一一月七日のアメリカの中間選挙をこの観点から注目している。

 次に日本である。安倍政権が、就任早々中国・韓国を訪問し、それぞれの国で首脳会談をしたことは正しい。正しいというより当然のことをしたまでだと私は思う(小泉首相の靖国神社参拝への固執は世界、アジア、日本の平和にとって犯罪行為ともいうべき誤りであった)。しかしその一方で、北朝鮮との全ての貿易を事実上禁止し、アメリカの後について「船舶検査」まで行うことを当然のように言う政府の対応にはまったく賛成できない。日本の世論はあまりにも「制裁」ばかりである。平和的な対話をどう実現するのかという姿勢がほとんど見えない。政府の外交までこれに引きずられるとしたら、それは再びあの一五年戦争の過ちを繰り返すことだと思う。

 この観点からして、「周辺事態」の認定問題は重大問題である。政府はアメリカの「臨検」行動への後方支援は当然であり、従って「周辺事態」の認定もまた当然であるかのように世論を誤導しはじめた。幸い、現在のアメリカはまだ全面的な北朝鮮船舶の臨検政策までは選択していないようなのでこの議論が日本の政治上の焦点になるまでには若干の時間的余裕はできたようであるが、北朝鮮の出方によってはいずれ日本の中で大問題になるはずである。

 現在日本がなすべきことは、国連を中心にし中国を前面に立てた北朝鮮の説得路線に全面的に協力することである。アメリカにもこの路線への協力をつよく働きかけ、中国や各国の意向に反した軍事優先の行動に出ないように説得することが必要である。アメリカまかせにして、アメリカが臨検を始めれば現在の事態を「周辺事態」と認定してアメリカに追随するなどは最悪の選択である。

 そしてこれにはある程度時間がかかることはやむをえない。中国も韓国も北朝鮮を自暴自棄になるまで追い詰めて体制の崩壊をもたらすことは全く望んでいない。日本もこれに協力してじっくりと粘り強く対応することが是非とも必要である。我々も改めて憲法九条のもつ意味をじっくりと検証しながら、冷静で正常な国民世論を形成するために全力を上げる時だと思う。

(二〇〇六年一〇月二六日記)



愛国者法体制を追認する

Military Commissions Act(軍事委員会法)の成立

北陸支部  菅 野 昭 夫

一 はじめに

 朝日新聞(二〇〇六年九月二七日付、一〇月一九日付)などが報道したように、アメリカで、この一〇月に、またもや憲法を蹂躙する新法が成立した。

 二〇〇一年九月一一日事件を契機に、ブッシュ政権が愛国者法などによる警察国家体制を推進していることについてはたびたび報告した。その中で、ブッシュが、「不法敵戦闘員」(unlawful enemy combatant)という、制定法のどこにもない新たな概念を創り出し、それに該当するという理由で多くの外国人や時にはアメリカ国民の身柄をグアンタナモ基地などに無期限に拘束し、拷問を加えることを容認し、刑事訴追もせず、被拘束者からの人身保護令状の申立等の司法審査も一切拒否してきたことは、今日世界的に知られている事実である。これらの、被拘束者の何人かは密かにエジプトやシリアなどに引き渡されている。

 しかし、こうした議会の制定した法の根拠を欠く赤裸々な人身の自由の侵害は、アメリカ合衆国最高裁から痛烈な批判を受けることになった。即ち、最高裁は、二〇〇四年六月に、不法敵戦闘員として身柄を拘束されていたアメリカ国民及び外国人が、共にその正当性について司法審査を求めたハムディ対ラムズフェルド事件及びラサル対ラムズフェルド事件において、大統領が不法敵戦闘員の容疑で身柄を拘束することには議会の承認した根拠を欠くことなどを理由として、被拘束者がその拘束の正当性について司法機関での司法審査を求めることができるとの判決を言い渡した。この判決に対応するために、ブッシュ政権は、二〇〇五年一二月に、グレイハム修正と呼ばれる新法(Detainee Treatment Act of 2005)を連邦議会に制定させた。この法律によると、グアンタナモ基地収容者は、CSRT(Combatant Status Review Tribunals 戦闘員審査法廷 軍人が裁判官、検察官、弁護人を構成し、被拘束者に防御権を殆ど認めない特別裁判所)による審査のみを認め、かつ遡及的効力を明記した。しかしながら、最高裁は、二〇〇六年六月に、ハマダン対ラムズフェルド事件の判決を言い渡し、新法制定前から人身保護令状の申立をしていた同事件には新法は遡及されない、戦闘員審査法廷の設置は大統領の権限を逸脱し憲法違反であり、不法敵戦闘員にもジュネーヴ条約の保護は及ぶ旨判示した。

 そこで、ブッシュ政権が再度議会に新法を制定させ、少しのあいまいさも残さずに最高裁判決の桎梏から免れ、かつそれまで行ってきた拷問などを免罪させようとしたのが、今回のMilitary Commissions Act(軍事委員会法)(二〇〇六年一〇月一九日の朝日新聞は、「特別軍事法廷設置法」と訳している。)の成立のいきさつである。

二 議会における審議と成立

 ブッシュ政権が法案を二〇〇六年九月に連邦議会に提出するや、法案は下院において圧倒的多数で可決したが、上院においては、NLGなど進歩的団体をはじめとする反対運動を反映して、共和党のマッケイン議員ら三人がジュネーヴ条約の適用を排除していることに異議を唱え、同じくスペクター議員が人身保護令状の適用を排除していることに反対して、ともに修正案を提出する動きを見せた。しかし、最後には、わずかな修正で妥協し、賛成多数(賛成六五人うち共和党五三人民主党一二人、反対三三人うち共和党一人民主党三二人)で、二〇〇六年一〇月に可決された。

 アメリカ憲法を蹂躙するこの法案がさほどの抵抗も無く通過したのは、周知のように、二〇〇六年一一月に上院下院の中間選挙を迎えることと無関係ではない。即ち、イラク占領の継続反対の世論が高まる中で、守勢に立たされている共和党が失地挽回のためにテロとの闘いを強調し、民主党もテロに弱腰と見られることをおそれて伝統的に認められている議事妨害を避けたためであった。

三 新法の内容

 あいまいな構成要件

 まず、新法の「不法敵戦闘員」の構成要件は、「合衆国に対し敵意を抱く行動に従事し、または故意にかつ物質的にそのことを支持する者で、合法的戦闘員(注 戦争における正規軍の軍人など)ではない者」というあいまいなものであり、政府に批判的な言動を行った者や、テロ団体と指定されている団体の慈善事業に寄付した者なども容易に包摂してしまう。
 また、永久滞在資格を持つ外国人や、アメリカ国民も当然に含まれる。

 無期限の身柄拘束
 そのようなあいまいな構成要件に該当するとされれば、無期限の身柄拘束が合法とされる。

 ジュネーヴ条約の適用排除
 被拘束者は、捕虜の虐待禁止などを規定したジュネーヴ条約を根拠に権利を主張することは許されない。

 軍事委員会(Military Commission)という特別裁判所の設置
 そして、被拘束者のうち外国人は、軍事委員会(Military Commission)という新法が設置した特別裁判所によってのみ、身柄拘束の正当性を審査されることになる。
 この軍事委員会は、裁判官、陪審員、検察官、弁護人の全てが軍人によって構成される。一般の弁護士を弁護人で選ぶことはできるが、その権限は制限される。
 審理は「個人の秘密、国家保安上の利益」を理由に非公開にすることが許されている。
 伝聞証拠は排除されず、強要による供述も裁判長の裁量により証拠として許容される。
 合議体が有罪とするには、死刑を言い渡す場合を除いては、全員一致である必要は無い。
 軍事委員会は二審制で、上訴はまず上級の軍事委員会にのみすることができる。二審の判断に不服がある場合のみ、ワシントンDCの連邦控訴裁判所に上訴が許される。
 現行の軍法会議の担い手である法務官将校の団体は、このような「特別裁判所」は、被疑者被告人の権利を保障している軍法会議に比較しても裁判の名に値しないとして、最後まで法案に反対した。

 人身保護令状の適用排除
 アメリカ憲法は、人身保護令状を求める権利は反乱または侵略下で公共の安全上必要がある場合以外は停止してはならないと定めている。
 しかし、新法は、被拘束者やその代理人が連邦裁判所に人身保護令状の申立をして拘束の違法性を訴える権利は認められないとした。

 拷問を免罪
 新法は、拷問の禁止は二〇〇五年一二月の被拘束者処遇法(Detainee Treatment Act)成立前の行為には適用しないとして、それより前に身柄拘束された者に対する合衆国公務員の残酷、非人間的、屈辱的待遇の責任を免除した。そして、「テロ容疑者」に対する尋問方法の規則化について、大統領に広範な裁量権を与えた。

四 まとめ

 このように、新法は、ブッシュ政権が、それまで行ってきた無法な憲法と国際法の蹂躙に、イチジクの葉を提供するものとなった。新法はアメリカの国論を二分し、ニューヨークタイムズは、社説で「わが国の民主主義の大きな敗北」と新法を非難している。あるいは、この法律が第二次世界大戦における在米日本人強制収用所の設置に匹敵する誤りであるとの非難もなされている。

 愛国者法体制は、当初ブッシュ大統領=行政府が独走しているかのごとくであったが、次第に小選挙区制による二大政党制を基盤にした連邦議会によっても追認されつつあるところに、この国の病根の深さを感じざるを得ない。

 しかし、法案が議会を通過すると、大統領の署名を待たずに、違憲訴訟が続々と提起され始めている。民主主義を求めるアメリカ民衆のエネルギーが消滅していないことがせめてもの救いである。



詩集の紹介

巡礼の旅・・・・チェルノブイリ・・・

作者 みちのく赤鬼人

大阪支部  宇 賀 神  直

 庄司 捷彦団員ことみちのくの赤鬼人が表記の詩集を出しました。みちのくの赤鬼人さんは、原発問題住民運動全国連絡センタ―と日本ユ―ラシア協会主催による、〇六年八月二七日から九月四日までのロシア・ベラル―シ・ウクライナの国ぐにを巡る旅に出て、その旅で出会った人々や街や村の有様、そして原発の被害の酷さを肌で感じ取り、それを短い言葉にしてその思いを書き留めました。それが巡礼の旅の詩集です。この旅の第一夜はモスクワで此れからの旅の思いを「原発 この無気味なるもの 原発 この人間の叡智を日々撃ち続けるもの  その末期の姿 チェルノイリ  その現実を探る旅の いま 第一夜 モスクワの夜」と綴っています。

 この見聞録風な詩が一八編収められている詩集は現代の大きな課題を考えさせられるものです。もちろん、豊かな感性がいっぱいに詩文ににじみでています。是非とも、団員の皆様が手にして読んで下さるよう、ご紹介しまします。

 石巻市の庄司 捷彦さんに申しこんで下さい。

(FAX 〇二二五・九四・〇四七四)