自由法曹団通信:1221号        

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石口 俊一 憲法九条一万人集会
【ピース・フェスタ・イン・ヒロシマ】
羽柴 修 一一月三日 「九条の心」 はばたく
鳴尾 節夫 一一・一五 憲法集会成功す!
津田 二郎 NTT企業年金裁判緒戦の勝利
東京地裁、受給者の「訴訟参加」を認める

笹山 尚人 「すき家ユニオン」誕生秘話
伊藤 克之 ファンドの企業買収による人員削減攻撃を阻止したカイジョーの勝利解決
脇山 弘 「伝統思想と文化」・抄
志村 新 大詰めを迎えた労働時間規制破壊と
「労働契約法」制定に向けたうごき

吉江 仁子 行ってよかった団総会
平松 真二郎 新人学習会「東北アジアの平和をめぐる韓国民弁とのシンポジウム」で感じたこと
泉澤 章 【新旧役員挨拶その三】
退 任 挨 拶

坂本 修 「ありがとう」、そして、「よろしく」




憲法九条一万人集会

  【ピース・フェスタ・イン・ヒロシマ】

広島支部  石 口 俊 一

 昨年の一一・三、加藤周一さんの講演会を終えて、県内の九条の会の参加者が急遽集まり、繋がりが必要だ、何とかネットワークを作ろうという声の中から、今回の一万人集会が始まった。兵庫県の九条フェスタの活動がとても参考になり、事務局長の私もいろいろと神戸の羽柴弁護士から貴重な助言をもらって、改憲の動きが厳しい時だからこそ、従来の集会の枠を超えて「もっと沢山の人々が集いたい」との思いで一致できればと、県内のすべての「九条の会」、護憲団体が思想信条を超えて実行委員会の結成を目指した。県内各地から集まるだけでも大変なところ、互いに支持政党も違い素性を知らない者同士が、自己紹介や、活動の案内を重ねる中で少しずつ歩み寄ったが、実行委員会の結成は四月。他方、一万人が入る会場は八月に原水禁大会をする体育館のみで、一一・三が確保できたのは二月で、集会の中身は事前の準備会を経て実行委員会で論議を深めるが、若手からは「九条の会」に集まる人以外の参加を目指し、若者に人気のミュージシャンを呼ぼうと、年齢の高い世代は、そんなミュージシャンは知らん、講演会でいいと・・・。八・六もあり、出演者等が確定したのが八月の終盤、今から思うと無謀というしかない。県内の「九条の会」が毎月、実行委員会に足を運んでくれ、企画会議が毎週開かれ、その熱意がなかったら成功しなかったであろう。

 県内の「九条の会」は、一一・三に向けて連鎖的にタイアップ集会を次々と開催し、新たにいくつもの「九条の会」が結成され、「音楽・演劇」や「マスコミ」、「はつかいち」、「弁護士」などの九条の会は一周年記念集会を開いた。地元新聞への有料広告の掲載、ラジオCMを流すなど新しい試みもして、一般千円、学生五千円、高校生は無料という設定で当日を迎えた。当日の朝、二〇〇人近いスタッフが準備して、一一時前から続々と参加者が連なり、七〇〇〇人の老若男女で会場が埋まった。

 第一部は地元のアマチュアミュージシャン四組のコンサート、第二部のオープニングは、広島で生まれた歌「ねがい」を保育園児たちや保護者二九〇人で合唱、パフォーマンスの松元ヒロさんの「憲法君」の熱演、講演では池田香代子さんの分かりやすい話と、若者に檄を飛ばす小田実さん、直近のイラクのビデオ報告を久保田弘信さん、歌は早苗ネネさんの「さよなら戦争」、タケカワユキヒデさんは自分のヒット曲に加えて「イマジン」を歌ってくれました。集会の呼びかけ人の一人、弁護士九条の会代表の江島弁護士は「憲法改正は先の話、と思っていたが、そうも言っておれない状況になってきた」と挨拶し、一万人集会をバネに、「九条の会」を草の根のように広げようと訴えた。参加した一人の母親からは、「憲法九条に関心がなかったが、プログラムの九条を壁に貼って、子どもたちと一緒に毎日見ています」というメッセージも寄せられた。一二月にまとめの実行委員会を開き、新たな広がりと連携を目指していきたいと思っている。



一一月三日 「九条の心」 はばたく

兵庫県支部  羽 柴   修

 一一月三日、ポートライナー三宮駅と市民広場駅は人で埋まった。ワールド記念ホール(八〇〇〇人)「はばたけ!九条の心」市民集会に参加する人の波は途切れることがなかった。この日、私達は五月三日憲法記念日など憲法集会で別々に集会を開いてきた人びとと力を合わせ、統一した集いを持つことができたのである。主催は、(1)九条の心実行委員会、(2)兵庫県憲法会議、(3)憲法・兵庫会議、(4)平和憲法を広げる兵庫県民会議・阪神、(5)平和憲法を守る兵庫県連絡会の五団体である。(1)は県下一三三の「九条の会」が結集した集会実行部隊、(2)、(3)は古く(?)からの護憲団体、(4)は分かりやすく言うと土井さんの「行脚の会」、(5)は労働組合の共闘組織である。実行委員会が企画と事務局を担当、九条の会と四団体がブリッジ方式で支えるということで、今年五月三日憲法集会の後、大きく動き出した。幾つかの問題があったが、九条を守るという強い願いで乗り越えてきた。

 集会は澤地久枝さん、伊藤真さんの二つの講演、青年が中心となる「九条ファッションショーとライブ」、間にニュースペーパーの憲法コントを鋏んだ。準備段階では、会場使用料を含む予算が一二〇〇万円も必要ということで、著名なミュージシャンで人を集めようと、メジャークラスを当たったが現在の情勢では無理(詳細は別の機会に報告)。二つの講演ではお年寄りも若い人達も抵抗があるのではという意見もあったが、侃々諤々の議論の末、両方共やると決めた。澤地さんは兵庫県弁護士九条の会結成総会当時からラブコールを送っていたが「九条の会」にお願いして快諾して頂いた。伊藤真さんは団員外の徳岡弁護士のつてでOKをとった。

 兵庫の特徴は青年企画である。PA九(プロジェクト・アーティクル九)は九条ファッションとダンスで兎に角、九、好きな九をアピールする。昨年九月九日の神戸国際会館のファッション・ショーから数段レベルアップし、ダンサーとモデルが一二〇人以上集まり、叔父さんたちを圧倒するショーを披露した。ワールドの会場にはステージの上だけではなく、若い人が多かった。但馬からバス四台でかけつけてくれたし、自治労や兵庫労連を中心とする多くの労働者・市民が県下各地からつめかけた。

 時間が長すぎたのではないか、音響の問題など様々な問題が指摘されたが、これだけの大会場、七五〇〇人もの人が集まったという大集会ならではの話で貴重な経験であった。参加者の多くが、自信と元気をもらった。「九条の心」はかけがえのない命への思いであり、この思いは人を愛し平和を愛する強い想像力から生まれる、この心を強く・大きく広げましょうと訴えた。広島の石口弁護士と連絡をとりながらお互いの集会が七〇〇〇人を超えて成功したことを確認、九条を何としても守るという決意をあらたにした日であった。



一一・一五 憲法集会成功す!

東京支部  鳴 尾 節 夫

一 企画と集会の成功

 去る一一月一五日夜、東京の下町に事務所をかまえる東京東部法律事務所が憲法集会を開催しました。

 集会名は、「憲法を語る夕べ」、出演者は、先ほど東京地裁で無罪判決を勝ち取った葛飾ビラ弾圧事件の荒川庸生さん、歌手の山之内重美さん、女優の市原悦子さん、東大教授の小森陽一さん、場所は、地元江東区のティアラ江東(江東公会堂)大ホール(一二三四席)、チケット代は五〇〇円という企画でした。

 丁度この日は、衆院特別委員会において、与党が野党や多くの国民世論の反対を押し切って、政府提出の教育基本法改悪法案の採決を強行した歴史の分岐点ともいうべき日でした。雨がぱらつく中、開演が六時半のところ既に四時半ごろからチケットを持った人々が並び始め、開演時刻ごろには予定していたプログラム一五〇〇部があっという間にはけ、主催者側の当初の予想をはるかに上回る一七〇〇名以上の参加を得て、一階から二階までの全席が満杯、大ホールの両脇や通路には立錐の余地もないほどの立ち見もでる盛況振りでした。中に入りきれない人々はロビーのいくつものモニターテレビに見入っておりましたし、会館内への入場すらお断りする事態になり、多数の方々にはお帰り願うことにもなり、主催者としては身のすくむ思いもしました。

二 集会の内容

 山之内さんは、旧ソ連時代の戦場での兵士や戦死した恋人などを詠う歌曲、道、つる、青いプラトーク、祈りなどを中心とした選曲で、冴えたトークを交え、予定時間を一五分以上もオーバーする熱演でした。

 また市原悦子さんは、映画「黒い雨」「うなぎ」、テレビ「家政婦は見た」「まんが日本昔話」などで広く国民におなじみの大女優ですが、この日は、小学三年生の教科書でも取り上げられている「ちいちゃんのかげおくり」(あまんきみ子作)と「凧になったおかあさん」(野坂昭如作の戦争童話)二本を朗読しました。いずれも先の戦争で父親が出征している留守家族の母子がB29などの空襲の犠牲になる生々しい話で、私も舞台の袖で聞いておりましたが、大聴衆がしわぶきひとつたてる人もなく、あたかも水を打ったようにシーンと静まり返って名女優の朗読に聞き入っている様は圧巻でした。参加した人々からは、背中がゾクゾクするほどの感動を覚えたとか、涙が出てとまらなかったなどの感想が多数寄せられました。どれほどの感銘を人々に与えたか、そのすごさの一端が分かります。

 最後に九条の会事務局長の小森さんが、衆院特別委員会での教育基本法改悪案の強行採決という激動する情勢を反映する国会のホットニュースを携えてかけつけ、一時間の講演をしました。近代日本文学研究の学者らしく、憲法前文や教育基本法前文の言葉を明晰に分析し、分かりやすく解説しました。教育基本法はその前文冒頭に「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」とあるが、これを削除して教育基本法を憲法から断ち切る狙いを指摘した上で、特に「教育の力にまつべきものである」の「まつ」は、ひらがなで書かれており、「待つ」と「俟つ」の二義があって、後者の、期待する意味にとる特別の意義に触れた部分などは新鮮で、時間の経つのも忘れるほどでした。アメリカのイラク侵略戦争において、米軍の移動を民間の警備会社が護衛することに象徴されるように、二一世紀の戦争においてカネをかけないように民間への外注化すなわちアウトソーシング化が進んでいる実態、イラク派兵の陸上自衛隊の帰還に際し、民間航空会社に依頼したために、中近東を飛ぶその民間会社名は攻撃を恐れて未だに明らかにされていない実情、戦時になれば例えば民間のクロネコヤマトのヤマト運輸の労働者までも軍事的に使われるのは必至なことなど、話は具体的で説得力に満ちたものでした。自民党安倍政権は、五年以内に「新憲法」を制定すると言っており、現行憲法を改正するなどとは一言も言っていない、しかも非戦、非軍備の憲法前文削除と九条改悪が要であって、アメリカの侵略戦争に日本が加担するための「新憲法」制定なのだ、軍事裁判所を設置して、内閣総理大臣が最高指揮権者となる自衛軍と憲兵が全国民を支配する仕組みが明文化されているいわば憲法クーデターである、だから逆に我々が憲法前文や一二条の深い意味をつかみとって草の根から日常的に主権者として行動してこのファッショ的な企みを阻止していかなければならないということを熱く訴えました。終演が夜の九時半過ぎになったにもかかわらず、殆どの参会者が最後まで講演に聞き入る様は小森教授の力量のほどを窺わせるのに十分でした。

 因みにこの日の小森さんの日程は、朝、東京世田谷の九条の会での講演、それから箱根での東京土建一般労働組合幹部の学習会での講演を終えて、国会に駆けつけて自民公明与党の強行採決への抗議集会に出た後の、私どもの集会での講演という、まさに殺人的なスケジュールでしたが、それを全く感じさせない熱弁でした。

三 成功の要因

 この集会は今年の四月初めに企画し、七ヶ月半かけて準備し成功させたものであります。成功の理由は、何よりも内容がよかったこと、特に大衆性があり国民的人気のある大女優の市原悦子さんが出演してくれたことが大きかったと思います。舞台監督をプロに頼み万全を期しました。また土日はすべて講演にあて全国を駆け巡っている九条の会事務局長の小森教授からは、時宜に適い、内容的にもすばらしい講演が十分期待できたこと、格安のチケットであったこと、これらが相俟って人々の心に強くアッピールしたのではないか、このように考えております。事務所あげての取り組みであり、所内実行委員会のもとに全事務所員あげて参加したこと、七万五〇〇〇枚にも及ぶチラシ、二〇〇枚のポスターなどの宣伝物を使いきったこと、事務所と密接につながっている地域の主だった人々との打ち合わせを都合四回持ち、各種集会や組織の執行委員会などに全所員が分担してこまめに顔を出し、訴えたこと、事務所依頼者の多くの方々に弁護士直筆の参加依頼の連絡をしたこと、朝日新聞の一一月三日付マリオンに集会記事を掲載してもらったことなど、要するにこの種の集会で必ず必要とされることをすべてやりきったことが、結局は成功の要因であったと考えております。

 以上取り急ぎご報告する次第です。



NTT企業年金裁判緒戦の勝利

東京地裁、受給者の「訴訟参加」を認める

東京支部 津 田 二 郎

 厚生労働省は、二〇〇六年二月、NTTが経営悪化などを理由にNTTグループの退職者約一四万人の企業年金の給付減額を求めた申請を不承認とした。NTTの経営が深刻な状況ではないと判断したためです。

 これに対してNTTは、五月、「年金の安定運用に向けた企業の自主努力を否定する」とその処分取り消しを求めて行政訴訟を提起した。

 これに関して受給権者らは、この行政訴訟に訴訟参加を認めるよう申立をしていたところ、東京地方裁判所は、一〇月二三日、受給権者五一七人に訴訟参加を認める決定(以下、「本件決定」)をだした。

 受給権者五一七人は、「退職によってすでに確定している企業年金を減らすのは受給権の侵害」であり、NTTと厚労省の間の訴訟の結果によって権利を害されるは自分達自身であるとして行訴法二二条に基づく訴訟参加を求めてきた。

 これに対し、黒字でありながら受給者減額を主張するNTT側は受給権者は訴訟の結果によって「権利を害される第三者に当たらない」と主張し、受給権者の訴訟参加に強く反対した。

 本件決定は、「不承認処分が取り消されたとしても、これ自体によっては、申立人(受給権者。引用者注。)らには何らの権利義務の変動も生じない」が、当該取消判決が確定した場合、厚生労働大臣は本件申請について改めて判断することになる(「第二次処分」)が、「取消判決の拘束力が働く結果、本件申請を承認する処分をする可能性は、相当高いと認められ」、「直接申立人らの受給権が減額され、権利を害される関係にあるということができる」。「また、実質的に見ても、申立人らは、第二次処分の取消訴訟において、厚生労働大臣が取消判決の拘束力に従って第二次処分をした場合には、これを違法ということができないと解されるから」「本案訴訟において申立人らに行訴法二二条による参加を認めて、共同訴訟的補助参加の地位を与える必要性がある」とした。

 弁護団でも決定の詳細についての検討はまだ十分になされてはいないが、受給権者らに対して厚労省の主張の範囲でのみ訴訟行為を許す「補助参加」でなく、より独立性の強い「共同訴訟的補助参加」の地位を認めたことは、より本件の実態に見合ったものとして評価できると考える。

 今後受給権者は、黒字体質にもかかわらず年金減額に固執するNTTの不当な実態を明らかにし、原判断維持を求めて訴訟に参加することになる(弁護団はほかに小部正治団員、小木和男団員、坂勇一郎団員、山内一浩団員、洪美絵団員)。



「すき家ユニオン」誕生秘話

東京支部  笹 山 尚 人

 「すき家」と言えば、全国的に有名な牛丼チェーンの一つ。「吉野家」「松屋」に比べ知名度は今ひとつかもしれないが、皆さんの中にも、日常食事を取ったことがあるという方も多いと思う。これを経営する会社ゼンショーは、外食産業で第三位という大企業。

この「すき家」渋谷店のアルバイト職員が、店舗のリニューアルを理由に突如解雇通告を受けたのが七月上旬のこと。彼らは、首都圏青年ユニオンに加入して、解雇の撤回と復職を求めて団体交渉にのぞむ。団体交渉で、会社は解雇手続きの不備を認め、解雇を撤回、九月末までに、組合員全員が職場復帰を果たし、一一月からは、もとの渋谷店に復職を果たした。

 この大成果を、首都圏青年ユニオンは、一一月九日、厚生労働省で記者会見して発表した。そして、「すき家ユニオン」を立ち上げ、「すき家」で働く全ての職員にこれに加入することを呼びかけた。

外食産業では、最近、マクドナルドの労働組合が有名になったが、アルバイトによって労働組合が結成された例は珍しい。「すき家ユニオン」の結成は、一一月一〇日付全国紙で取り上げられて報道された。なおこのすき家の事件は、一〇月三一日のNHK「クローズアップ現代」でも報道された。

 団員のみなさんにとっては「馬の耳に念仏」とは思うが、解雇事件を裁判で争った場合、解雇無効の仮処分決定や本訴の判決を勝ち取っても、労働者が職場に戻るのは難しい。というか、かなり解雇事件を担当してきた私の六年間の経験の中でも、たった一度のみ。このことからすれば、職場復帰を勝ち取れたというのは、それだけでも成果である。

 まして、アルバイトである。会社から、「お前の替わりはいくらでもいる。」「どうせ腰掛けだろ。」という扱いを受けている。アルバイトの解雇で、職場に復帰とは、希有の例ではないだろうか。

 首都圏青年ユニオンという労働組合が、社会的な力を発揮することで、迅速に、アルバイト職員を職場に復帰させることが出来た。実に労働組合らしい取り組みが出来た事件だと思う。

 アルバイトと言っても、彼らは正社員となんら変わるところがない。アルバイトは、もはや学生の副業ではないのである。

 本件の場合も、彼らは、「すき家」の店舗をアルバイトだけで切り盛りしている。牛丼を作り、盛りつけ、提供する仕事に誇りを持っている。彼らは、このアルバイトで生活をしており、家族を養っている者もいる。

 これが、経済界が推し進めてきた「新日本的経営」の具体化であり、「常用代替」の姿そのものである。

 私たちは、このような、アルバイトで生活している若者が大量に存在することを、見過ごすべきではない。彼らが、人並みに生活したい、安定した仕事をしたい、もっと賃金をもらいたいと願ってどうしていけないといえるだろうか。彼らのような労働者の権利の実現に取り組むことは団の使命だと思う。

 今回の件は、実は最初に私に相談があった。迅速な職場復帰のために私は顧問先である首都圏青年ユニオンを紹介し、組合につないだ。交渉中、ユニオンの執行部からは、この件に関する相談を受け、アドバイスをした。私も、今回の成果については、団員の一人として誇ってもよい成果をあげることができたのではないかと自負している。

 こういう仕事ができたことは、判例には残らないけれど実に気持ちがいい。今年は、このような職場を作るたたかいにいくつか参加できたことが誇りである。



ファンドの企業買収による人員削減攻撃を阻止したカイジョーの勝利解決

東京支部  伊 藤 克 之

一 ファンドによる企業買収のもとでのたたかい

 株式会社カイジョーは、羽村市に本社を置く、半導体の開発・販売等を業とする会社であり、株式会社カイジョーソニックはカイジョーの子会社である(以下一括して「カイジョー」という)。カイジョーはもともとNECの関連子会社であったが、企業再生ファンドのフェニックス・キャピタル株式会社に買収された。そのもとで開始された一方的な人員削減の攻撃に対して、JMIUカイジョー支部がこれを許さないたたかいを展開し、去る一〇月三一日、東京都労働委員会での勝利解決を勝ち取った。

二 人員削減と退職の強要

 二〇〇五年一〇月三日カイジョーは、希望退職募集を一四〇人規模で行う旨発表し、全従業員を対象とする面談交渉を開始した。しかし実際には、希望退職を求める対象者は特定されており、それらの対象者に対して退職強要に等しい退職勧奨の面談が執拗に繰り返された。

 前記退職勧奨の結果、一一〇人近くの従業員が退職を余儀なくされたが、JMIU組合員のうち一五名が退職に応じず、カイジョーに残ることを選んだ。

 それらの組合員に対し、カイジョーは遠隔地への出向を求め、応じなければ業務命令違反であると主張して面談を強要した。そして、引き継ぎと称して組合員の仕事取り上げを強行した。

 この間、会社は、JIMUとの団交を拒否したり、あるいは不誠実団交を繰り返した。

三 都労委でのたたかいと出向撤回、仕事確保

 そのため、JMIU本部、同東京地本、同カイジョー支部は、二〇〇五年一一月三〇日、東京都労働委員会に不当労働行為救済命令申立を行った。あわせて、面談強要や、出向命令などを強行させないよう実効確保も申し立てた。

 労働委員会では、第一回の調査期日から人権蹂躙を続ける会社の横暴と労働者の窮状を訴え、組合との交渉を実現すること、そして何よりも出向を強行しないよう強く求めた。調査期日外にも、現場の動きを伝える上申書を繰り返し提出して権利救済を訴え続けた。もちろん、組合は、職場内外での集会はもとより、フェニックス・キャピタルへの抗議・宣伝行動など労働委員会外での運動も大きく進めた。

 そのような取り組みのもとで、第二回調査期日において、公益委員は、団体交渉を早期に入れること及び「実効確保の趣旨を踏まえ」出向等の強行を差し控えてほしい旨、会社側に対して口頭で要望するに至った。そして、第三回調査期日の直前、〇六年二月一三日、カイジョーは出向対象者に対する出向を撤回し、出向対象者だった組合員全員が羽村事業所(本社)内の職場に配属されることとなったのである。

四 勝利解決の実現

 組合との団交を無視して退職強要を続け、出向を強行しようとした事態に対して、会社の謝罪と再発防止策を明確にすることがが重要な課題である。

 しかし、カイジョー側は、自己の責任を認めて出向を撤回したわけではないと主張したため、解決を実現するまでに労働委員会の期日を挟みながら、さらに交渉を要することとなった。一時は労働委員会での調査を打ち切り、審問・命令手続きへと進むことまで検討したものの、組合は勝利解決を目指して団交や運動を粘り強く重ねた。その結果、次のような内容の勝利和解を勝ち取ることができたのである。 

(一)会社は、希望退職募集の実施によって紛争が生じたことに関し遺憾の意を表する。

(二)団体交渉に関して確認された内容は次の通りである。

(1)会社は、企業の買収・合併、会社の分割、譲渡、解散、事業所の新設・改廃、事業の縮小・休廃止、操業短縮(一時帰休)等によって組合員の労働条件に重大な影響を及ぼす場合は、組合との間で相互理解と納得を目指し、事前に誠実に団体交渉を行う。

(2)会社は、希望退職等組合員の雇用に影響を及ぼす施策を実施する場合、又は賃金制度を改定する場合は、組合との間で相互理解と納得を目指し、事前に誠実に団体交渉を行う。

(3)会社は、個々の組合員の賃金、一時金、退職金、労働時間などの中核的労働条件の変更については、組合と事前に誠実に団体交渉を行い、相互理解と納得の上で実施する。

(4)会社は、転籍、出向、転居を伴う異動、職種変更等の人事異動を行う場合は、当該社員への事前の説明を行うとともに、組合との間で相互理解と納得を目指し、事前に誠実に団体交渉を行うこととする。なお、転籍を行う場合は、当該社員の合意を得て実施する。

(三)今回のような人権侵害を防止するために、従業員に対し(1)執拗に退職勧奨を行うこと、(2)精神的苦痛を伴う退職勧奨面談や言動を行うこと、(3)一方的に仕事を取り上げたり、脅迫的言動を行うこと、はない旨を会社に確認させた。

五 勝利解決の意義

 まず、会社に対し、「遺憾の意」を表明させた上、執拗な退職勧奨などを行わないと約束させたことは、同様の紛争の再発の防止という観点からも極めて重要な意義を有するものと考える。

 また、団体交渉について「組合との間の相互理解と納得」を目指すとしたことは、使用者側の一方的なリストラに歯止めをかけたものである。特に、「中核的労働条件の変更」について、「相互理解と納得の上実施する」とした点は、「中核的労働条件の変更」につき実質上組合の同意を必要としたものといえよう。

六 まとめ

 近年、投資会社(ファンド)に買収された企業に於いて過酷なリストラが行われる事件が増えているが、本件における労働者のたたかいは、ファンドのあくなき利潤追求にもとで労働者を犠牲にする攻撃に一定の歯止めをかけたものである。このような成果をあげたのは、職場で会社の熾烈な攻撃をはね返し団結を守り抜いた現場の労働者の頑張り、そしてファンドの横暴を糾弾する運動を広げる一方で勝利解決に向けて粘り強く団交を進めてきた組合のたたかいの賜であることを申し添えたい。

 (弁護団は、吉田健一・長尾宜行・橋詰穣及び私の各団員である)



「伝統思想と文化」・抄

山形支部   脇 山   弘

 団の冊子教育基本法改正の問題点に接し、「伝統と文化」を読んでみたが違和感を感じる。

 日本の伝統思想を語る場合、儒教や仏教それらと習合した神道、江戸時代の国学を取りあげるだろう。冊子は儒教と国学にふれないし、武士道をとりあげたのは奇異である。「武士道」というものはない「武芸」、があるだけだ、と荻生徂徠は書いていたのに。

 「輪廻」が仏教思想の中核か、そうではあるまい。加藤周一の日本文学史序説によると、大和朝廷の仏教は現世利益の面を強調し、僧侶の重要な機能は、国家鎮護、農業のための降雨招来と病気治療の加持祈祷や寺院における教育であった。この現世的な仏教はそのまま平安時代にもちこされ神仏習合が普及した。加藤は、日本文学史序説補講でも語る。平安朝が崩壊し貴族社会の秩序が完全に壊れたとき浄土宗が出てくる。死後の救済です。「西方浄土」が大事になってくる。西方浄土に行くにはどうしたらいいか。自力では浄土に行けないから他力に頼ろうとする。それが、「南無阿弥陀仏」阿弥陀信仰である。法然と親鸞は、よく仏を念じて「阿弥陀仏」と唱えていればいいと説いた。死んだら西方浄土の極楽に行ける、と。

 天台宗の僧正慈円は、「近頃、念仏宗というものが流行って、ギャアギャア無学な奴らが念仏唱えてうるさくてしようがない。まるで春の田に鳴く蛙の如し」と揶揄していた。

 曹洞宗の道元は修行の覚悟がある人は永平寺にいらっしゃいといい、民衆を教化しようとは強く考えなかった。どういう個人であろうと救われるとすれば、それは「悟り」による。「悟り」がなければ救われない。誰にとっても悟りの手段は座禅、只管打座である。

 鎌倉仏教も世俗化してゆく。徳川政権によって寺檀制度が確立され、宗教は個人の自由な信仰によって成り立つのではなく檀那寺と檀家という家単位の関係で成立し、寺院は宗門改帳によって生者の監督に当たるとともに墓地を管理し過去帳で死者をも管轄する。寺院は宗旨人別帳を宗門改役に提出する義務を負わされ、幕府の行政機構の末端に組み込まれた。徳川政権に屈服した仏教は葬式仏教と化していった。(加藤・序説。末木文美士・日本仏教史)。

 冊子が、狩野派の絵画、西鶴の文学、歌舞伎、浮世絵をとりあげて述べるところも理解し難い。

 徳川政権が武士と町人農民を世襲的身分で差別する制度を確立し、それゆえに文化も支配層の文化と大衆の文化という二重構造、つまり武士は狩野派の絵画、町人は琳派の絵画や浮世絵、西鶴や歌舞伎は町人のもので、武士は能や狂言と分化し発展した。

 この背景には宋学がある。宋学はこの時代の現世主義に理論的支柱を提供しそれを強化して仏教的世界観を克服した。宋学は古代儒教からひきついだところの政治倫理的な綱領である仁・義・礼・智・信の道義的価値、また具体的な人間関係については、君臣、親子、夫婦などのあるべき姿を強調する。宋学のこの面は、上下関係の社会秩序を支えるもので徳川身分体制の維持に役立つ。徳川権力が朱子学の普及を鼓舞したのはそのためであった(加藤・序説)。

 丸山真男は「宣長は日本の儒仏以前の『固有信仰』の思考と感覚を学問的に復元しようとしたのであるが、もともとそこでは人格神の形にせよ理とか形相とかいった非人格的な形にせよ究極の絶対者というものは存在しない。祭祀の究極の対象は渺々とした時空の彼方に見失われる。この信仰にはあらゆる普遍宗教に共通する開祖も教典も存しない。したがって『神道』というものは昔はなかったという徂徠の言を宣長はそのまま承認し」たという(日本の思想)。

 加藤も、神道の理論的な体系は儒教、仏教、道教またはキリスト教の概念を借用している。外来思想の影響をうけない神道には理論がない、と書いている。

 宣長は、儒仏を排し天皇を神格化して日本至上主義を強調した国学者である。「記」「紀」にしるされた神話を唯一の真実とみなし「皇国は四海万国の元本宗主たる国」で日本が他国に「すぐれて尊きこと」目にみえて著しい。たとえば「皇統の不易」「稲穀の美しきこと」などである。故に、やまと魂をかたくする事を要すべしと

  「敷島の大和心を人問はば朝日に匂う山桜花」

と詠んだ。この歌は軍国日本で流行した。「大和心」は国学の核心であり国民精神総動員や戦争イデオロギーに利用された。

 だが、雨月物語の秋成は、宣長の議論は売僧(まいす)の談義弁程度のものにすぎない。「やまとだましいと言うことをとかくにいうよ。どこの國でも其國のたましいが國の臭気也」、といって、

  「しき島のやまと心のなんのかのうろんな事を又さくら花」

と痛烈に批判したことを忘れてはならない。

 伊藤博文の帝国憲法草案審議の所信演説。「欧州に於いては・・・宗教なる者ありて之が機軸を為し、深く人心に浸潤して人心此に帰一せり。然るに我国に在りては宗教なる者其力微弱にして、一も国家の機軸たるべきものなし。仏教は一たび隆盛の勢いを張り、上下の人心を繋ぎたるも、今日に至っては巳に衰替に傾きたり。神道は祖宗の遺訓に基づき之を祖述すと雖も、宗教として人心を帰向せしむる力に乏し」と、伝統的宗教が内面的機軸として作用する意味の伝統を形成していないという現実をハッキリと承認していた。

 かくて「我国に在て機軸とすべきは、独り皇室あるのみ、是を以て此憲法草案に於いては専ら意を此点に用い君権を尊重して成るへく之を束縛せさらん事を勉めり」と、天皇およびそれを取り巻く「国体」という名の「非宗教的宗教」を国家秩序の機軸とした。

 伊藤が儒教に言及していなのは、統一的な世界像としての儒教思想はすでに解体し個別的な日常徳目の形で生きのびていたからである。だが、この徳目は「教育議」をめぐる論争を通じ、やがて教育勅語の中に吸収された。「我力臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ・・・我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス・・・爾臣民父母ニ孝ニ姉弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」がこれである。

 串田久治は(儒教の智恵)で「儒教イデオロギーが家族のために個人を犠牲にし、家族よりも国家を優先させたことは事実である。しかし、一方で儒教的家族主義が協調や謙譲の精神、目上の人への尊敬、集団(家族)の中での義務感や自制心などを教育する役割を果たしたことも否定できない。これら謙虚・誠実・勤勉・寛容・協調などの精神が健全に機能すれば、儒教が期したように個人から家へ、家から国家へ、国家から世界へと広がって平和をもたらすことができるかもしれない。家族主義には世界共通の普遍性があるといえよう」と、「健全に機能し・・・平和をもたらす」制度的保障になんらふれることなく儒教的統治思想の復元を主張している。

 法案の「伝統と文化」は、国学の「大和心」、加藤がいう執拗な「土着世界観」、丸山の日本人の意識の「古層」であろう。

 加藤は(補講)で語る。一五年戦争をおこし、南京虐殺をして、朝鮮半島でもひどいことをしました。それも日本文化の所産です。軍人だけでは戦争はおこせない。日本人を戦争する気にさせた、あるいは南京で虐殺する気にさせたのは、単なる命令と組織だけではなく、同時に日本の文化でもあると思う。明治時代に漱石や鴎外を生んだ日本文化は、同時に南京虐殺の背景としての日本文化とおなじです。文化の核心にどういう問題があるのだろう、日本文化の中心は何だろうという問題です。

 それは、人権意識の強弱というより「長いものには巻かれろ」ではないかな。権力と国民との関係において、日本の文化は権力批判の面で弱かった。日本の社会は少数意見が嫌いで、みんなの意見が一致して仲良くしよう、という社会です。少数意見をなくすにはどうするかというと、かなり時間をかけてみんなで説得する。たとえば「国民精神総動員」です。もういい出していますね、教育基本法を改正して「愛国心」を養成する、とかね。少数意見をつぶすのです。最初は説得しようとしますが、説得できなければ暴力をつかってでもつぶしてしまう。こうするとみんな同じ意見になって同じ方向に進んでいく、と。

 丸山は少数者の状況を回顧する。「世を挙げて翼賛時代でしょう。だから、そのこと自身大変なんですね。ぼくらが信じていたひとは、どっちかというと左翼に多かったけれど、ぜんぶ転向でしょう。いまから思うと転向と言いえない三木清とか、そういう人にしても東亜共同体なんて書き出すものだから、『なーんだ』と思いました。なんて頼りないものだという思い」。「当時、岡(義武)先生がぼくに言われました。戦争の最中、『丸山くん、こういう時代になってくると、われわれのほうがおかしいんじゃないかね。周りがみんな気違いと思わなければ、自分の考えているのは正しいという確信が持てない。しかし、周りがみんな気違いと思うのも、ちょっと傲慢なので、われわれのほうがおかしいんじゃないかね』と小さな声でだけれど真面目に言われたのをいまでも覚えいます。それは非常に印象的だな。岡先生はシニカルなところがあるから、もっと平然と時局を傍観していたと思ったら、そうじゃないんだな。やはり大変なんだよ」。「マッカーシズムの時代もそうだったろうな。例のロバート・ベラーの話(末尾に注)はわかりますね。ああいうときにわかるのです。この人間が信用できるかどうか。自分が助かりたいために、手段を選ばないというのは、本当に恐ろしいです。悪いといえば権力のほうがもっと悪いのだけれども。」(丸山真男回顧録下)

 加藤は、序説の最後に書いている。大江健三郎は、「体制を支える価値の体系に、はっきりした拒否の意思を示す。その拒否は、どういう積極的な価値に由来するのか。それはおそらく平和であり、樹木であり、生命の優しさでもあるだろう。」現実を「批判し、拒否し、乗り超えようとする表現の裡に、またその表現にのみ、抜きさしならぬ究極の性質をあらわす」と。

 われわれも法案の「伝統と文化」の名による精神総動員を批判し、拒否し、これを乗り超えなければならない。

  ハーヴァード大学の大学院学生であった彼が、文理学部長から学部学生時代の左翼活動を告白すること、かつての仲間をFBIに密告することを、執拗にかつ陰湿な方法を用いて迫られたが、これを拒否した彼はフェロウシップを拒まれた。ハーヴァード大学は学問の自由を擁護したかという問題をめぐって論争になった事件。



大詰めを迎えた労働時間規制破壊と

「労働契約法」制定に向けたうごき

東京支部  志 村   新

 労働政策審議会・労働条件分科会で検討されている労働時間法制の「見直し」(労働基準法「改正」)と「労働契約法」制定に向けたうごきが、いよいよ大詰めを迎えている。

 厚労省は、来年の通常国会への法案提出に間に合わせるために、年内に結論を得ようと躍起になっている。

法定労働時間制を破壊する労働時間法制の「見直し」

 労働時間法制「見直し」の中心的な柱は、言うまでもなく現行労基法の労働時間規制の大幅な「緩和」にある。

 その具体的内容は、(1)事業場外及び企画型裁量労働についての「みなし労働時間」制(現行法三八条の二及び四)の適用要件を大幅に緩和する、(2)現行法四一条二号で労働時間規制の適用が除外されている「管理監督者」に一定の「スタッフ職」を新たに含ませる、(3)「ホワイトカラー」労働者の一定部分を労働時間規制の対象から除外するという、いずれも現行法の大改悪である(一一月一〇日開催の分科会配付資料の中の「素案」)。

 とりわけ重大なのは、(3)のいわゆる「日本版ホワイトカラーエグゼンプション」だ。

 憲法二七条は労働条件の基準を法定すべきこととし、これを受けて労基法は八時間労働を基本とする労働時間規制を設けた。だが、平和主義・国民主権主義などの諸条項と同様に、憲法はここでも踏みにじられてきた。

 もともと時間外労働の上限を明記せず、時間外割増率も諸外国と比較して低かった労基法のもとで、深夜・休日に及ぶ長時間残業を含む日本の労働時間の長さは国際的にも有名だった。そのうえ、変形労働時間制・みなし労働時間制の導入など、一九八七年以降の労働時間についてのあいつぐ「規制緩和」により、一日八時間・週四〇時間の法定労働時間は抜け道だらけにされてきた。こうしたなかで、過労死・過労自殺が増加の一途を辿り、また、職場のメンタルヘルスが大きな社会問題となってすでに久しい。

 それでも、不払い残業告発などのとりくみが進むなかで、行政も数年前から指導監督に力を入れるようになり、トヨタなど日本有数の大企業にも未払い割増賃金を支払わせるという成果が挙がってきているところだ。

 だが、今回の「見直し」は、これらの成果の大半を奪い去るどころか、労働者の命と健康をいっそうの危機に晒すこととなる。

 厚労省は、一連の時間規制の緩和と引き替えに時間外割増率アップの方向を示していたが、財界の反対を前にすでに撤回する姿勢を示している。また、「日本版ホワイトカラーエグゼンプション」は一定額以上の年収があること等を要件とするとしているが、これまでに示されている要件に歯止めの効果は期待できない。ちなみに、日本経団連は、この一定額を四〇〇万円とすべきだと主張してきたが、労働総研の試算によれば、これにより使用者が支払いを免れる割増賃金は年間一一兆六〇〇〇億円という途方もない額となる。

予断を許さない「労働契約法」の内容

 一方、「労働契約法」の制定は、労働者の権利を明確にし使用者の横暴を規制するものとして、かねてから求められてきていた。

 ところが、労働政策審議会での検討開始に先立ち昨年九月に発表された「研究会報告書」には、試用期間に法定の上限を設けること、転籍には労働者の同意を要することを明文化すること、有期であることを書面で明示せずに雇い入れた場合は期限の定めのない雇用契約と見なすことなど、労働者保護に資する方向が示される一方、御用機関として様々な場面で猛威を振るいかねない新たな「労使委員会」制度や、悪名高い「解雇の金銭解決」制度、さらには「雇用継続型契約変更」(変更解約告知)制度をはじめ使用者が労働条件の一方的不利益変更を行えるさまざまな手段の新設などが盛り込まれていた。

 このため、団は、こうしたいわば「猛毒」の持つ危険性を意見書等で強く訴え続け、全労連・連合をはじめとする労働団体も、これらの問題点が取り除かれない限り労働契約法づくりそのものを阻止すべきだという意見も含めて、揃って反対の立場を鮮明にしてきた。

 このような経緯で今年一月から開始された労働条件分科会では、冒頭から激論が交わされた。また、労使委員の意見が真っ向から対立するなかで、討議の経過を無視したとりまとめを急ぐ厚労省の姿勢に、分科会の開催自体が六月二七日から二か月余りにわたり中断するという一幕もあった。

 八月三一日から再開された分科会でも労使の厳しい意見対立が続いてきたが、一一月後半にいたって、厚労省は、使用者側への「配慮」に大きく傾斜した内容で「決着」をはかろうとしていることがありありと窺える(一一月二一日・二八日開催の分科会配付資料の中の「素案」)。

 たとえば、東京地裁労働部を中心に、従来の判例上の「整理解雇の四要件」を「四要素」へと後退させる流れがあるが、厚労省はこの流れを受け入れたとりまとめを明確化している。また、六月段階の案には、有期雇用の期間が一年を超え又は三回以上反復して更新された場合に正社員への優先的な応募機会を付与することが盛り込まれていたが(一部マスコミはこれを「正社員化を保障」と報じたが誤報である)、正社員化への道はその方向性すら消し去られている。

 一方で、厚労省は、「解雇の金銭解決制度」と使用者への労働条件の不利益変更手段の提供については、手を変え品を変えて盛り込もうと試みてきている。

 たとえば、一一月二一日配布の「素案」には、最も批判の強い「解雇の金銭解決制度」が依然として残されているとともに、就業規則による労働条件の不利益変更も明記された。周知のとおり、秋北バス事件・大法廷判決(昭和四三年一二月二五日)以来の一連の最高裁判例は、労働条件の一方的不利益変更は原則として無効で、変更が就業規則により行われかつ変更に合理性が認められる場合のみ、これに同意しない労働者にも例外的に効力が及ぶとしている。そして、一連の判例では、合理性判断の中心は当該労働者が被る不利益の内容・程度におかれ、多数労組との合意等は付随的な判断要素とされている(みちのく銀行事件判決・最高裁調査官解説)。ところが、「素案」は、合理性判断の要素として労働組合との合意を第一に掲げる一方で、肝心な当の労働者が被る不利益の内容・程度には全く触れていない。

日米政府・財界のうごきと予断を許さない今後の展開

 このように、厚労省主導で進められてきた一連の流れは、「日本版ホワイトカラーエクゼンプション」をはじめとする労働時間規制の破壊にあくまでも固執する一方、「労働契約法」づくりにおいては、新たな「労使委員会制度」や「雇用継続型契約変更制度」(変更解約告知)などを論点から外すという、運動の成果を一定反映した面もあるものとなっているのが現状と言えるだろう。

 しかし、米政府の要求に根ざす「改憲」のうごきと同様に、労働時間規制の破壊や「解雇の金銭解決制度」などの労働法制改悪も、米政府が「年次改革要望書」で繰り返し求めてきたもので、今年六月の「日米投資イニシアチブ報告書」にもホワイトカラーエクゼンプション導入が米側の要請として明記され、在日米国商工会議所にいたっては「政府関係者・審議会委員と労働法改正の方法について意見を交換する」ことまで求めている。

 しかも、これらに呼応し追い打ちをかけるかのように、一一月三〇日開催の経済財政諮問会議では、労働者派遣の期間制限と直接雇用の申込義務の撤廃、「不公正な格差の是正」と称した正規労働者についての保護の非正規並への切下げなどが、財界を代表する「民間議員」らによって声高に主張され、これを受けて安部首相は「労働市場改革は内閣の大きな課題」と言明し府省横断的な検討の場をつくって実現を目指す意向を示したと報じられている。

 これら全般的なうごきにも目を配りつつ、当面、労政審をつかった厚労省による法案化の中身が労働者保護に逆行するものとならないよう、全国各地で運動を高め、厚労省に集中することが求められる。



行ってよかった団総会

愛知支部  吉 江 仁 子

 思えば、私が団総会に参加したのは、二回試験も終わり後期修習もあとわずかになったある日、クラスの友人に「キミコは和倉温泉行くの?」と言われ、「加賀屋の姉妹館に泊まれるよ。」と聞いたから、というミーハーな動機からでした。

 そして、一〇月二一日、私は、ウキウキと、加賀屋の姉妹館「あえの風」へ到着しました。「あえの風」は、まったく素晴らしく、私は、展望風呂から臨む日本海の美しさに見とれ、行き届いたサービスに酔いしれ、それだけでも、「来てよかった」と満足したのです。

 しかし、私が本当に「来てよかった」と思ったのは、総会の中身の方です。

 まず、プレ企画の「韓国民弁シンポ」では、恥ずかしいことに、初めて韓国の現代史を知ることができました。それまでの私にとっての韓国のイメージは、資本主義の国で、IT化が進んでいて市民レベルでのネットでの情報交流が活発で、キムチや焼き肉が美味しくて、ドラマはキレイで、サッカーは激しい、というくらいの貧困なものでしたので、つい二〇年前まで情報統制や言論弾圧があったと知って、本当に驚きました。しかも、韓国民弁の激しい活動の歴史を作ってきたパネラーの方を目の前にして、正直なところ、実際、それがどういうことなのかがよくわからないくらい、勉強不足でした。

 自由化した韓国はますます発展するでしょう。今は、隣の国、韓国と韓国民弁について、もっと勉強したいと思っています。

 次に、二日目からの本総会では、討論が活発で、参加されている先生方のエネルギーの高さに、とても刺激を受けました。とりわけ、横須賀強殺事件、七生養護学校事件、日の丸君が代事件に心が動きました。そして、私が大学二年生くらいのころに素朴な正義感を感じていたことなどを何となく思い出し、自分の原点を確認したような気持ちになりました。これは、登録したばかりの私にとって、大きな収穫だと思います。

 さらに、夜には、懐かしい同期との交流もあり、また、新しく出来た知合いも、パワフルだったりキュートだったりで、団の五九期会は楽しくなりそうな予感がしています。

 ここ(団)で、百戦錬磨の先輩方のご指導を受けながら、楽しい同期と一緒に成長していけると思うとワクワクします。どうぞ、末永くよろしくお願いいたします。



新人学習会「東北アジアの平和をめぐる韓国民弁とのシンポジウム」で感じたこと

東京支部  平 松 真 二 郎

 韓国の民主社会のための弁護士会(以下「民弁」といいます。)の事務次長ソンホチャン弁護士から民弁が設立された背景の解説がありました。

 そこで、私は、戦後の韓国社会に日本の韓国併合、植民地支配の影響が色濃くあることをあらためて感じました。特に、民主化の遅れについても日本の植民地支配の影響が背景にあることに気づかされました。

 私は、これまで、単純に韓国は軍事独裁政権によって民主化が遅れたという印象を抱いておりました。そして、光州事件や金大中事件など民主化闘争を軍事政権が力で、あるいは謀略によって弾圧してきたものだと考えていました。

 軍事独裁政権によって民主化が遅れたのはそのとおりでしょうが、その軍事独裁政権が登場した背景には日本による植民地支配、その帰結としての朝鮮戦争があったことを初めて意識することになりました。韓国は建国当初から、北朝鮮と向き合う戦時体制国家だったわけで、軍事優先の国家にならざるをえなかったというわけです。

 そして、その軍事優先の軍事独裁政権に対して、民主化闘争を戦ってきた弁護士たちが集まって結成された在野法曹の団体が民弁であると知りました。

 実際に、逮捕、投獄され、それでも民主化を求めてやまなかった人の話に接し、私の教科書的な知識の浅薄さを痛感させられました。また、私には、民主化闘争を戦った人たちへの視線が欠落していたことを思い知らされました。

 それこそ、民主化を求める人が、あの時代、あの場所で立ち上がった、などという浅薄な知識は、実際にその時代を生き抜いてきた人の前では、ただただ圧倒されるばかりでした。

 そして、あらためて、民主主義は自らの獲得し、自らのものとする不断の努力を続けなければいけない、民主主義獲得の努力を放棄したとき、われわれはときの政府にいいように支配されてしまう、との思いを強くしました。これは民主主義が定着した国々でも同じことでしょう(日本が民主主義が定着した国であるかどうかはともかくとして)。

 団の先輩方が、戦中戦後を通じて人権と平和、そして民主主義を求めて格闘してきた伝統を受け継ぎ、さらには諸先輩が築き上げてきた実績に安住することなく、人権と平和そして民主主義を実現において新たな成果を獲得すべく、弁護士として第一歩を踏み出そうと決意を新たにした一日でした。



【新旧役員挨拶その三】

退 任 挨 拶

東京支部  泉 澤   章

 偶然でしょうが、次長だったここ二年間で、三〇代も終わり、私が登録時から関わってきた大きな訴訟も、ほぼ全てが判決か結審をむかえました。なんとなく、弁護士としての「青春時代」が終わったような感じです。これからの身の振り方をしみじみと考えている今日この頃です。

 この二年間、新旧執行部の方々、そして専従事務局の方々には、大変お世話になりました。ありがとうございました。



「ありがとう」、そして、「よろしく」

東京支部  坂 本   修

 団通信での団長退任のあいさつというただ一つ残っていた「公務」について、締め切りを一回パスしたのに、いま、二度目の締め切りのぎりぎりになって朝早く時間に追われて筆をとる羽目になりました。

 一冊の小著の「あとがき」に、さまざまにお世話になった人々へのお礼を書こうと思いましたが、とても書ききれませんでした。団長退任にあたって、真っ先に書きたいことは、この三年間、さまざまに助けて頂いた団員や専従事務局のみなさん、そして団外の多くの人々に対するお礼です。でも、小著のあとがきの場合どころではなく、とても書ききれません。蛍の光≠フ一節を借り、「心のはしを一言に」こめて、「本当にありがとうございました」と記すにとどめます。

*    *    *

 就任の時の総会で、「パソコンを使えるようになる」と「公約しましたが、メールを時々のぞけるようになっただけで終わりました。数年前から配偶者が使いこな」し、この一ヶ月位前から、上条貞夫団員が挑戦し、バリバリやりだして、東京法律事務所の事務局の諸君に賞賛されています。今や私は孤立した一人旅です。「公約」の不履行をお詫びするだけではなく、せめて情報収集は自在にできるところまで、一〜二ヶ月で到達したいと考えていますが、「公約」はしません。

 私は、団長には不向きな人間だと確信していました。思いもかげず、団長になったとき、積極的にあれをしよう、これをしようというよりは、せめて有害な行動は慎もうという思いがつよくありました。けっして、私は攻勢的に、旗を振って先に立つという能動的な人間ではありません。むしろ、受動的でせっぱつまらなければ動かないし、「ぎりぎりまでグズグズしている」たちなのです。しかし、ある緊迫した課題があり、立ち遅れていると思うと、なにはさておいても、駆け出す、そのときには、まわりを見ない(見えなくなる)という性癖があります。「団長とはそうした者ではない、あってはならない」といまは亡き小島成一団長から、当時繰り返し言われていました。だから、団長を務める以上(少なくともその間は)そうした振る舞いはするまいと決め、まわりの団員らにもそう「公約」しました。就任後、松島暁事務局長(当時)のチェックを受けながら、団常任幹事会や事務局会議などの豊かな議論をまずよく聞くことに努め、先走った口出しをしないように自分としては努力してきたつもりです(というと事務局次長の諸君は笑うのですが・・・)。みんなの討議で、方針がきまり、みんなで実践するということの大切さを私は学びました。団長になったことによる一番の「役得」だったと思っています。ただし、今年の五月以降は、ブレーキをはずしました。「公約」違反が多々あり、御迷惑をかけたと思いますが、一重に改憲手続法をなんとか阻止したいというあふれる思いのなせる業だとしてお許しください。

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 さて、では、これからどう生きるのか?私は就任時に「新しい事件は原則受任しない」、「退任その後はいっさい考えない」と決め、その通り生きてきました。ですから、これからの生き方については、今は真っ白です。正月休みによく考えてみます。例えば、「週休二日完全実施」、「ふらりとサイクリング」、「老人パソコン教室受講」とか、何を思いつき、そして実行できるか少し楽しみです。ただ、「憲法改悪阻止、憲法をこの国、この社会に生かすために、できるだけのことを」とは考えています。今日も、学習会の打合せのために地域の女性たち(一人は元事務局員)との相談、そして、今週末の京都革新懇と千葉革新懇のレジュメの作成です。呼んでいただけるうちは、思いのたけは語りつづけたい。それが、七四歳を過ぎた私の生命のつかい道かと思っているのです。

 そうした立場で、一人の団員として、みなさんと一緒に、草の根の現場で行動させてください。そのことを「よろしく」と心からお願いし、退任の辞とします。