自由法曹団通信:1293号      

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林 治

いすゞ自動車の「非正規切り」と闘う
解雇予告効力停止と賃金仮払いの仮処分申立

伊須 慎一郎

明るいクリスマスと年越しを

永芳 明

滋賀にもできた「反貧困ネットワーク」

神原 元

法律家三団体シンポジューム
「市民と法律家で考える裁判員制度」

下迫田 浩司

ジュネーヴの報告と感想

出田 健一

NTT西日本に対して中労委で逆転勝利命令

橋 右京

「麻生首相宅拝見リアリティーツアー」弾圧事件報告

小笠原 彩子

教育子育て九条の会発足と協力のお願い

高崎 暢

韓国九条の会との交流の旅
〜たかさき法律事務所九条の会世話人会の仲間とともに〜

大久保 賢一

母たちにとっての小林多喜二
団通信の訂正



いすゞ自動車の「非正規切り」と闘う

解雇予告効力停止と賃金仮払いの仮処分申立

東京支部  林     治

 アメリカ発の金融危機に端を発した不況を理由に、日本の自動車や電機などの製造業は、軒並み、派遣労働者、期間労働者といった非正規労働者を数百から数千人規模で解雇や雇い止めにする方針を打ち出した。全体で、数万人に及ぶと言われている。

 その中で、いすゞ自動車は、藤沢工場と栃木工場に勤める派遣労働者と期間労働者約一四〇〇人全員との契約を、今年の一二月二六日限りで打ち切ることにした。期間労働者との契約期間が残っているにも関わらず、契約途中での解雇予告を通知するという極めて乱暴なやり方である。

 いすゞ自動車は、二〇〇八年一一月五日に「平成二一年三月期第2四半期累計決算」を発表しているが、その中では、連結で営業利益、経常利益とも六〇〇億円、当期利益四〇〇億円を見込んでおり、単体でも営業利益一九〇億円、経常利益二〇〇億円、当期利益二一〇億円を見込んでいる。また、今年度の株主配当を一円増額することも予定している。

 このように、会社には非正規労働者を今すぐに解雇などしなければならいほどの逼迫した状況にはなく、非正規労働者を雇用し続ける体力は十分にあるのである。

 そもそも、労働契約法一七条では「やむを得ない事由」がある場合でなければ契約途中での解雇はできないとされている。そして、この「やむを得ない事由」の判断は、期間の定めのない労働契約における解雇権濫用法理や整理解雇4要件の法理よりも狭く判断すべきとされる。

 いすゞ自動車の場合は、前述のとおり十分な体力があり、期間満了を待たずに直ちに解雇しなければならないような事情はまったく存在しない。さらに、いすゞ自動車の今回の解雇は、「経営上の必要性、解雇回避努力、説明・協議」などの期間の定めのない労働者の整理解雇の場合に用いられる整理解雇四要件も満たしていないのである。

 今まで、会社は低賃金で働く大量の非正規社員を登用することで多くの利益を上げてきた。非正規労働者は十分に会社の売り上げ向上に貢献してきたのである。それにもかかわらず、簡単に「非正規切り」を行う今回の事態に対して非正規労働者の会社に対する怒りや将来に対する不安は当然ことながら大きいものであった。

 その中で、いすゞ自動車の栃木工場の期間労働者二名が、一二月四日、今回のいすゞ自動車の解雇予告に対する効力停止と賃金の仮払いを求めて、仮処分の申立を宇都宮地方裁判所栃木支部に行った。今回申立を行った労働者二名は、いすゞ自動車でのキャリアが長いため、正規労働者に仕事の手順を教えるほどの知識と技能を持っているのである。

 現在、自動車業界は近年にないほど国内需要が落ち込んでいるが、それは自らの従業員の労働条件を極限まで切り下げ、自分が製造している自動車も買えないような状況に追い込んでいるからである。非正規労働者の多くが結婚や子育て、将来の展望が持てないワーキングプアとよばれる貧困層になっていることが社会問題化しているが、今回のような大規模な「非正規切り」を許せば貧困層がいっそう拡大することは明らかであり、絶対に許すことはできない。

 今回の自動車業界をはじめとする大企業のかつてないほどの大規模な「非正規切り」に対するマスコミの注目度は高く、この仮処分申立を準備している段階から多くの新聞社やテレビ局から取材の依頼が殺到した。テレビクルーが仮処分申立書や当事者の陳述書を作成している事務作業の模様を撮影したり、申立の前日に行ったJMIU(全日本金属情報機器労働組合)いすゞ自動車支部を結成したことを発表する記者会見には会場いっぱいの記者やカメラマンが集まった。また、一二月四日の申立日の記者会見にも四〇名ほどの記者やカメラマンが集まった。

 このように注目されている事件だけに、この仮処分の結果が今回の大企業による数万人にもなる非正規労働者の大量首切りに与える影響は大きい。そのため、何としてでも勝利して、大企業の大量首切りに歯止めをかけたいと思っている。



明るいクリスマスと年越しを

埼玉支部  伊 須 慎 一 郎

 未曾有の不況の中、トヨタ、ニッサンなどの自動車メーカーに続き、電機業界でもキャノンが一一〇〇人を超える非正規労働者に対する「派遣切り」「請負切り」を行い、三万人を超える労働者が路頭に放り出されようとしています。それだけでなく、IBMは一〇〇〇人規模の正社員の退職勧奨を行い、ついには正社員にまで大量の人員削減が及ぼうとしています。年末に向けて生活が立ちゆかなくなる人々が大量に生み出される危険が高まっています。

 自由法曹団では来る、二〇〇八年一二月二四日(水)午前一〇時から諸団体と連携して、「明るいクリスマスと正月を」と銘打って、生活保護、雇用問題、多重債務、住まいなどの何でも相談会を共催します。

 首都圏では、東京(東京市民法律事務所)・埼玉(埼玉総合法律事務所)・千葉(千葉弁護士会)に電話相談会場を設け、栃木、神奈川などからの電話は埼玉で受ける予定です。

 今回の取り組みの特徴は、住むところもままならない緊急性の高い相談案件について、二五日、二六日に生活保護の申請同行や、債務整理の受任通知の発送などのフォローを行うことです。

 大量解雇が続発している状況下で、電話相談も相当数にのぼることが予想されます。そこで、団の先生方、特に、六〇期、六一期の団員・入団予定者の皆様には積極的に参加して頂きたいと思います。二四日の電話相談については、できれば二五日、二六日のいずれかの時間を空けておき、緊急案件については申請同行等を行って頂きたいと考えていますが、電話相談だけを担当いただいても結構です。

 また、電話相談は担当できなくても、生活保護の申請同行をしてみようという方は、二五日か、二六日のどちらか一日でも午前または午後の予定を空けて頂き、ご対応頂ければありがたいです(配転がない場合もあり得ますが、その場合はご容赦下さい)。

 二五日、二六日については、バックアップ要員を置き、案件の処理などについて相談に応じられる体制も取る予定です。また、電話相談会に先立って一二月二〇日午前一〇時〜一二時まで団本部で生活保護の申請同行などについて学習会を開催しますので、積極的に参加して頂きますようお願いします。

 年末の最も忙しい折ですが、この取り組みは今後も続くことが予想されます。来年以降、全国各地に、雇用問題を含んだ貧困問題解決のネットワークがさらに広めるためにご協力お願いします。

 参加申し込みにつきましては、電話相談を実施する近畿、愛知の状況も含め早急に「貧困問題FAXニュース」でお知らせします。



滋賀にもできた「反貧困ネットワーク」

滋賀支部  永 芳   明

 
 今年の七月一二日から一〇月一九日まで、生活保護問題対策全国会議が主催して、反貧困全国キャラバンが開催された。このキャラバンを契機に、反貧困ネットワーク滋賀を設立することになった。昨年、滋賀では、クレサラ対協が主催する被害者全国交流集会が開催された。その際、多くの法律家や関連団体が協力し、全国から多数の参加者を迎え、集会を成功させた。この余勢を駆って、今年の四月にクレサラ被害者の会である「びわ湖あおぞら会」が設立された。

 この「びわ湖あおぞら会」が中心となって、滋賀でのキャラバンを運営し、反貧困ネットワークも設立することになった。このキャラバンでは、党派的な違いを超えて、関係団体・個人が連帯して貧困問題に立ち向かうというのが大きな趣旨であった。そこで、「びわ湖あおぞら会」やホームレス支援団体等が呼びかけ団体となり、各種労働組合や医療団体等幅広く参加を呼びかけた。残念ながら、滋賀では、一部の系列の団体の参加は得られなかったが、一七団体の関与の下、反貧困ネットワークが設立されることになった。

 全国キャラバンが滋賀に来た一〇月四日、反貧困ネットワーク滋賀の設立集会を開催した。当日は、富山の日弁連人権大会の翌日であったが、生活保護問題対策全国会議代表の尾藤廣喜弁護士を講師に迎え集会を行った。反貧困フォーラムIN滋賀と銘打った集会では、非正規雇用や生活保護受給者三名の体験報告を聞き、続いて、尾藤弁護士の「現代の貧困から暮らしを守る」と題する記念講演が行われた。この講演の中で、尾藤弁護士は、自身の経歴や関与された訴訟についての体験や、水際作戦や硫黄島作戦と呼ばれる北九州市での生活保護行政の実態に触れながら、「基礎年金額に比べて生活保護基準が高いので保護基準を引き下げるべきだとの意見があるが、議論の建て方が間違っている。」と指摘した。これは、生活保護基準が高いという問題ではなく、年金額が低すぎることこそが問題なので、年金受給者と共同して年金額の水準引き上げの運動を行うべきである等、生活保護に対する世間の偏見を解消する必要性を明快に説明された。また、朝日訴訟等の経緯に触れ、「弱い者は強い」すなわち、弱者が声を上げることによって制度を改善し社会を変えていくことができる、弱者はそういう力を持っていると述べられた。この言葉から、様々な場面で苦労して運動に取り組む参加者一同は大きな希望を得た。そのためには、様々な取り組みをしている人たちがネットワークをつくって共同していくことが必要であり、そのために反貧困のネットワークを広げていくことが必要だと締めくくられた。

 続いて行われたパネルディスカッション「目を向けよう滋賀の貧困」では、医療や労働、学校現場で見受けられる貧困の現状が紹介された。例えば、小学校で子供が熱を出しても、親に迎えに来てもらうと仕事を休まなければならず収入が減ってしまうと心配して、親に連絡しないで欲しいと懇願する児童が居る等、子供にまで貧困のしわ寄せが生じている等の報告がされた。

 この集会の前後から、クレサラ被害者の会とホームレス支援団体等の間で連携が始まり、相談者を紹介したり、司法書士が生活保護の申請に同行する等の具体的な取り組みが広がりつつある。

 地方でマンパワーが必ずしも十分ではないので、大きな集会等を行うことはなかなかできないと思われるが、反貧困ネットワークのつながりを活かした連携が広がることにより、ひとりでも多くの人たちが貧困から脱出し、あるいは貧困に陥ることのないよう、活動を広げていきたい。

 なお、滋賀での設立準備にあたっては、岐阜支部の小山哲団員及び笹田参三団員及の報告(団通信一二八二号)および、滋賀支部と岐阜支部との交流(両支部合同の八月集会)から多くを学んだ。この場を借りて岐阜支部にお礼を申し上げる。



法律家三団体シンポジューム

「市民と法律家で考える裁判員制度」

司法問題担当次長  神 原   元

 一一月二七日午後六時より、四谷プラザエフにて、法律家三団体(自由法曹団、青法協、日民協)共催で、法律家三団体シンポジューム「市民と法律家で考える裁判員制度」を開催した。パネラーは、今村核弁護士、伊藤和子弁護士、小田中聰樹東北大学名誉教授(発言順)であった。司会は私と松尾文彦弁護士が担当した。

 会場は四谷プラザエフ九階。一〇〇人ほどの会場で九〇名ほどの参加を得た。発言は非常に活発で、内容的に充実していた。

 主催者を代表してあいさつした鳥生忠佑日本民主法律家協会前理事長は、「立場や意見の違う三団体だが、いま共同して制度の問題点を国民に知らせるのが、私たちの責任と考えた。今後も歩調を合わせて行動していきたい」と述べた。その後、パネラーの方々より裁判員制度についてそれぞれの立場から発言があった。今村弁護士は、官僚裁判官による裁判の限界を指摘しつつも、公判前整理手続終了後には無罪証拠を提出できない場合がある等、制度の欠陥を指摘され、最高裁のモデルに対置する「新たな運用モデル」の必要性を説かれた。伊藤和子弁護士は名張毒ぶどう酒事件の経験等から司法への市民参加に期待を示しつつも、アメリカの陪審制の下で証拠隠しによって冤罪が発生した例などをあげられ、不十分な証拠開示制度のもとで裁判員制度はえん罪を生む危険がある等と指摘された。小田中先生は、裁判員制度の政治的社会的背景を分析され、その根本的矛盾と廃止の必要性を指摘された。

 後半は、討論であった。法的問題点の各論的掘り下げより総論的・政治的批判や戦略論が多かったように思う。制度施行の延期や廃止を求める、かなり強い意見もあった。団外の議論をほとんど知らない私にとって、とても興味深かった。若い鈴木麻子弁護士が公判前整理手続終了後に弾劾証拠を証拠採用させた実績を発言したあたりから、話が落ち着いてきた。「制度の害悪を最小限にして被告の人権を守ること、抜本的な改正をやるため全力をあげること、この二つの課題に同時に取り組まなければならない。困難な闘いだが諦めることはできない」という趣旨の坂本修弁護士の発言、「批判を持っている人こそ現場で先頭に立って闘うべきだ」という趣旨の加藤健次弁護士の発言、「実施すべきとか延期すべきとかいう議論はあるが、実際には実施される蓋然性が高い。その場合に備えるのことも一つの責任の取り方だ。それが裁判員制度を容認することにはならない。」という趣旨の今村核弁護士の発言が特に印象に残った。

 シンポで配布した三団体名義のリーフレットは三団体合同の力作だ。手続の流れにそって制度の問題点が理解できる。たたき台をもとにそれぞれの立場から手を入れてもらい、一致をみた。このような「問題点指摘型」なら見解の一致点を見つけることができる。

 この集会で参加者を一つの方針にまとめるということはできない。しかし、意見が別れる難しい問題では、深刻な見解の違いに焦点を定めて対立を煽るより、全員が共有している問題意識(例えば、弁護権の充実や誤判の危険性)について議論を深め、一致できる点を見つけていった方がいい。私はそう思う。立場や見解の違いを超えた幅広い団結を作ることができるからだ。今回のシンポジュームが、法律家三団体を、そのような方向へ導く第一歩になれば、これに勝る喜びはない。

(なお、本稿は速報版であり、様々な方々の発言の引用は私の記憶に基づくものであって、本稿の記述に関する責任は全て私にある。シンポの詳細は、「法と民主主義」に掲載予定であるので、参照してほしい。)



ジュネーヴの報告と感想

大阪支部  下 迫 田 浩 司

 新入団員の下迫田(しもさこだ)と申します。現行六一期です。

 河野善一郎先生と鈴木亜英先生が、それぞれ一二九〇号及び一二九一号で自由権規約委員会についてご執筆されていますが、私も、一〇月中旬、鈴木亜英先生が団長として率いるNGO団の一員としてジュネーヴに行ってきましたので、報告するとともに、感想等を述べたいと思います。自由権規約委員会とは、市民的及び政治的権利に関する国際規約二八条に基づき設置された人権委員会のことです(以下、ここでは、短く「人権委員会」といいます。)。

一 私のロビー活動

 私は、今回、大分県の選挙弾圧大石市議事件について、当事者である大石忠昭さんとともに、委員の方々に訴えるというロビー活動をしました。

 立食会や国連の食堂などさまざまな所で委員を見つけては、ロビー活動をしていました。

 また、会期の直前に、人権委員会の委員の方々とNGOとのミーティングが二時間だけ設けられましたが、私はそのうち三分間だけ枠を与えていただき、大石事件について、大石忠昭さんの代弁者として、英語でスピーチしました。

大石さんが一八枚の選挙ビラを支援者に配っただけで、二一日間も逮捕・勾留され、起

訴され、人権委員会の元委員であるエリザベス・エヴァットさんが「戸別訪問を禁止し、文書配布・事前運動を制約している日本の公職選挙法は、規約一九条又は二五条に不適合である。」と日本の法廷で証言したにもかかわらず、公職選挙法違反で有罪とされたということを、私は説明し、日本の公職選挙法は規約に違反するものであり直ちに改訂されるべきであるという総括所見を出してほしいと人権委員会に対してお願いしました。

 自由法曹団がカウンターレポートづくりの取り組みなどをいかに精力的に行ってきたか(私は新入りなので何もやっていませんが)、公職選挙法について、委員の方々が日本政府団に対してどのような質問をし、どのようなやりとりがあったか、そして、一〇月末に人権委員会がどのような総括所見を出したかということについては、河野先生と鈴木先生がすでに詳しくご執筆されていますので、ここでは省略します。

二 委員の言葉に感動する

 さて、もう少し全般的なことについて感想を述べますと、人権委員会の委員の方々がとてもよく日本の人権状況について勉強されていて(この点については、日本の各NGOのカウンターレポートが大きな貢献をしていると思います。)、日本政府に対して極めて的確な質問をするのが印象的でした。例えば、「この奴隷制度のような外国人研修生制度を人間的な制度に根本的に改めるか、それとも、廃止するか、どちらにしますか?」など、本当に胸のすく思いでした。また、日本の刑事司法の制度・運用をつい所与の前提と思ってしまっていた新人弁護士の私としては、例えば「被疑者が、自分の雇った弁護士さえも警察官の取調べに立ち会わせることができないとは、理解しがたいことです。」との委員の発言には、新鮮な感動を覚えました。

三 なんとか審査の場をやり過ごそうとする日本政府代表団

 これに対し、日本政府代表団があまりにもやる気のない答えに終始したのが残念でした。最初に日本の国連大使が、すでに日本国が提出した報告書をほぼそのまま一時間半くらい棒読みしたのは、質問される時間を少しでも減らそうとしているとしか思えませんでした。そして、委員からの具体的で鋭い質問に対しても、日本政府団は、報告書に書いてある一般論を繰り返したり、最高裁の判例が合憲としているなどと言ってはぐらかそうとしたり、きちんと答える気がないという感じでした。日本政府団のメンバーは、各省庁の中堅又は若手という顔ぶれで、おそらく、自分たちが質問にまともに答えていないということは分かっているのだと思います。

 日本政府は、人権委員会の総括所見で厳しい勧告が出されるということは承知のうえで、なんとか審査の場をやり過ごせば、後は、どんなに厳しい勧告が出されても、どうせ強制力がないのだから無視すればいいと考えているのではないかと、私は感じます。実際、今回の日本政府の報告も、二〇〇二年一〇月が提出の締切だったのに、平気で四年二か月も遅れて提出していますので、いかに日本政府が人権委員会を軽く見ているかが分かります。

四 勧告の内容の実現に向けて

 そうすると、今回、各NGOのカウンターレポート等の成果として人権委員会が素晴らしい勧告を出してくれましたが、おそらく日本政府はほとんど無視するつもりなのではないかと思います。

 国連の食堂で同席したケラー委員が「私たち委員は、日本政府をコントロールするには、あまりにも遠く離れている」とおっしゃっていたのが思い出されます。結局は、勧告の内容の実現は、われわれ日本の人民にかかっているということでしょう。

 とりあえず、われわれにできることは、今回の人権委員会の勧告の内容を日本の人々に広く知らせることで、それにより、世論が日本政府を動かしていくことにつながるのではないかと思います。私も、微力ながらも、いろんな場で、今回の人権委員会のことについて、話をしていくつもりです。



NTT西日本に対して中労委で逆転勝利命令

大阪支部  出 田 健 一

 NTTの一一万人リストラに伴う通信産業労組組合員の不当配転については各地で裁判が闘われているが、大阪では、裁判と平行して、リストラ計画時から配転までの間のNTT労組との団交による差別・支配介入について労働委員会闘争を行っている。大阪府労委では「当初の提案」時の差別と支配介入を認めたものの、ほとんど棄却されたが、本年一〇月三一日、中労委は格調高い逆転勝利命令を交付した。

 命令は、次の内容の文書を通信労組に手交せよというものである。

「当社が、(1)「NTTグループ三か年経営計画(二〇〇一〜二〇〇三年度)」に基づく構造改革に伴う退職・再雇用制度の導入等に関する貴組合との団体交渉において、貴組合に対する提案並びに貴組合の求める資料の提示及び説明において合理的な理由がないにもかかわらず他の労働組合と比べて取扱いに差異を設け、団体交渉期日の設定及び団体交渉における説明・協議において誠実性を欠く対応をし、上記退職・再雇用制度の導入に伴う意向確認を貴組合との誠実な協議を行わずに実施に移したこと、(2)貴組合が平成一四年二月五日付けで申し入れた組合員の勤務地等に関する団体交渉において、本人の希望を尊重した配置を行うなどの配転の実施方針に関する団体交渉に応じなかったことは、労働組合法第七条第二号に該当する不当労働行為であると中央労働委員会において認められました。今後このような行為を繰り返さないようにいたします。」

 中労委はHPで、「複数組合併存下での少数派労働組合との団体交渉における使用者の交渉態度及び配転の事前協議における使用者の交渉態度についての労働組合法第七条第二号該当性の判断枠組みを中央労働委員会として初めて示した」とコメントし、前者については、使用者には多数派労働組合との交渉重視が許されるとしても中立保持義務があり、使用者は多数派労働組合との経営協議会における提示資料・説明内容と同様の取扱いを行う必要があること、後者は、使用者は配転の実施方針(一般的な基準)について誠実に団体交渉に応じる義務があるが、個々の配転についての事前協議に応じなければならないものではないとした。

 支配介入と個々の配転の事前協議義務を認めなかった点に問題は残るが、その余は事実関係についても理論面でも組合側主張を全面的に肯定したもので、綺麗で格調高く、中労委の見識を感じる。特に、持株会社を被申立人にしなかったものの、持株会社も加わったNTT労組との経営協議会を利用した組合間差別を認めたこと、本件救済申立て以後の経緯についても、不当配転や毎年行われる退職・再雇用の必要性の説明拒否等つぶさに事実認定を行っている。

 われわれが結論として主張していたのは、一一万人リストラは本件不当労働行為を必然的な手段としている点である。即ち、NTTの一一万人リストラは違法な五〇歳定年制と大幅賃金切り下げを狙いとするから、国鉄型の新法や会社分割法制にもよらず労働協約・就業規則の不利益変更にもよらず、大量の中高年労働者の「同意」を取り付けるという古い手法により、普通なら労働者は「同意」しない。それを克服するために会社は、秘密裡の経営協議会等を利用してNTT労組の中枢幹部の積極的な協力をえて、具体的労働条件についてNTT労組全体が大会を経て会社と最終合意するまで、最大の反対派である通信労組との団交を拒否し無視・差別して情報を与えず、NTT労組と合意したとたんに通信労組組合員に直接働きかけて「同意」を取り付け、それでも同意しない残留組の配転について団交拒否をして配転に応じさせようとする組合破壊の支配介入を働いた。残念ながら支配介入は認めなかったものの、経営協議会から配転の団交拒否まで全項目の事実関係が認められた訳で、大いに評価できるものである。

 この勝利命令を来年一月一五日の大阪高裁の配転裁判の判決勝利につなげ、また各地の裁判にも積極的に利用していただき、全国的な一一万人リストラ阻止のたたかいに勝利したい。



「麻生首相宅拝見リアリティーツアー」弾圧事件報告

東京支部   橋 右 京

 事件は、本年一〇月二六日、日曜日の白昼、渋谷の町のど真ん中で起きました。

 その日、フリーター全般労働組合の組合委員などが中心となって企画する「反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉〇八」が呼びかけ、「リアリティーツアー六二億ってどんなだよ。麻生首相のお宅拝見」との行動が行われました。それは、社会の「貧困」「格差」を解決すべき麻生首相が、参加者とどれだけかけ離れた暮らしをしているかをその目で見て実感するため、その土地だけでも六二億円とも言われる麻生首相の自宅を外から見るという企画でした。

 参加者約六〇名は渋谷駅ハチ公前で集合し、やがて麻生邸へ向けて歩き出しましたが、先頭でプラカードを掲げて参加者の道案内をしていたAさんは、歩行中、突然警官に取り押さえられ、東京都公安条例違反で現行犯逮捕されました。また、彼を助けようとしたBさん、Cさんも、警官に暴行などまったく振るっていないにもかかわらず、公務執行妨害で逮捕されました。

 本件被疑者Aさんの被疑事実は、無許可の集団示威行進を指揮したというものでした。しかし、本件「リアリティーツアー」は、特に隊列などを組んだわけではなく、シュプレヒコールなどをあげることもなく、参加者どうし雑談などしながら歩道上を交通ルールにしたがって歩行していたに過ぎません。渋谷駅前で掲げていた横断幕などは、警察の指示に従い、歩行中は畳んでいました。つまり、「リアリティーツアー」は、いわゆるデモというほどのものではなく、そもそも「集団示威運動」にはあたらないものでした。

 また、出発前の渋谷駅前において、渋谷警察署警備課長は参加者に対し、麻生邸の規制区域に近づいたら「五〜六名ずつ行くぶんには、それはかまわない」とはっきり述べています。この事実から、警察はリアリティーツアーに許可を与えていたことは明らかです。また、いったん許可を与えた上での突然の現行犯逮捕は、警察によるだまし討ちに他なりません。

 さらに、Bさん、Cさんについても、被疑事実には、Aさんを奪還しようとして警察官に対し「体当たりする暴行を加えた」とありますが、前述のとおりそのような事実は一切ありませんでした。

 逮捕後、連絡を受けた直ちに萩尾健太団員が渋谷警察署に接見に行きましたが、遅れて私も駆けつけましたが、実際に接見ができたのは、最初に接見を申し入れてから約二時間も経過した後でした。

 当日、直ちに弁護団が結成され、その後も多くの弁護士に弁護団に加わっていただきました(弁護団のうち、自由法曹団員は、酒井健雄、戸舘圭之、萩尾健太の各氏と、私です。)。右のような不当逮捕に対し、弁護団、被疑者は徹底抗戦の方針を決め、被疑者たちは、転向の強要や侮辱的発言を含む捜査官の厳しい取り調べに対し、完全黙秘で対抗しました。弁護団も支援団体と連携して被疑者を精神的に支えるとともに、勾留決定に対する準抗告や勾留理由開示請求など、被疑者の身柄解放、不起訴に向けて全力を尽くしました。その甲斐あって、勾留理由開示公判が開かれる数時間前の一一月六日に、Aさんたちは釈放されました。そして、一一月二六日、起訴猶予処分がなされました。

 本件は、この国の貧困・格差問題を真剣に憂い、ささやかな、そしていたって平和的な行動を起こした若者達に対し、国家権力(公安警察)が行った、明確な政治的意図を持った弾圧事件です。近時このような、言論に対する弾圧が頻発し、裁判所の態度も極めて冷淡であることは周知のとおりです。我々弁護士がこれに対し毅然と立ち向かっていかなければならないのは言うまでもありません。

 ただ、本件では、一つの大きな収穫もありました。それは、不当な逮捕の実態を動画でインターネット上に公開することで、世論の支持を得ることが出来た点です(http://jp.youtube.com/watch?v=3Uw701vV15U)。白昼渋谷の真ん中で起きた異様な事件であるにもかかわらず、当初マスメディアの扱いは極めて小さいものでした。それどころか、幾つかの新聞は、警察のリーク情報をそのまま流し、被疑者が警官に対して殴るなどの暴行を振るったという報道をしました。しかし、不当逮捕の瞬間を公開することで、世間は真実を知り、多くの著名文化人などが警察に対する抗議の声を上げてくれました。そして、最終的にはいくつかのマスメディアも本件を取り上げ、警察を批判する内容の報道をするに至りました。このような世論の動きが、本件の処分に大きな影響を与えたことは十分に考えられます。動画配信は、弁護団ではなく支援団体によるものですが、今後我々弁護士がこういった弾圧事件に取り組むにあたっても、ひとつの運動の在り方として、非常に参考になるのではないかと思います。



教育子育て九条の会発足と協力のお願い

東京支部 小 笠 原 彩 子

 二〇〇八年一〇月一六日「教育子育て九条の会」が次の趣旨で発足しました。

 子育てと教育の現場では、教育基本法「改正」による保守化と硬直化が進行しています。

 子どもと若者をめぐる文化的経済的状況はいっそう厳しいものとなり、教員免許更新制などによる教師への統制も強化され、子どもの学び発達する権利、教師の創造性、学校の自律性は著しく制約されて深刻な危機に陥っています。

 しかし、こういう時代だからこそ、―中略―憲法をよりどころにして、子どもたちの未来と日本社会の未来のために、少しでも教育をより良いものにしようと願っている私たちが、それぞれの地域を基盤として連帯を広げてゆくことが、今ほど求められている時代はないと思います。

 そこで全国各地の地域において「教育子育て九条の会」を組織することを呼びかけます。

 「教育子育て九条の会」は、―中略―「九条の会」と趣旨を同じくし、―中略―具体的には、(1)平和な社会を教育によって実現すること、(2)子ども一人ひとりの学び発達する権利を保障すること、(3)保育園、幼稚園、学校の組織と運営に民主主義を実現することの三つの課題を中心に活動を推進し交流します。(呼びかけ文より)

 この会の呼びかけ人は槙枝元文(元日教組委員長)と三上満(元全教委員長)が名を連ねる等、各界から幅広く、池田香代子(翻訳家)、池辺晋一郎(作曲家)、上原公子(元国立市長)、尾山宏(弁護士)、香山リカ(精神科医)、佐藤学(教育学者・事務局長)、田中孝彦(教育学者)、暉峻淑子(経済学者)藤田英典(教育学者)、堀尾輝久(教育学者)、山田洋次(映画監督)が名を連ねています。

 この会の呼びかけ人の一人である上原公子氏は、一一月一六日「九条の会」第三回全国交流集会で

 教育は「不当な支配に服することなく」とされているのですが、ここが一番大事なのに上からの支配が強まりまして、今これを跳ね返すために全国の大きなネットワークで立ち上がらなければならない時を迎えています。改正前の教育基本法の前文には、「憲法の理想の実現は、根本に置いて教育の力に待つべきもの」であるとしておりました。だからこそ、二〇〇六年憲法とセットでやってきたのが教育基本法の改悪ですが、これは「教育こそが九条をつぶすための手段だ」という動きだったと思います。私は、教育基本法の改悪については、以前の「教育基本法を復活させたい」と思います。

と、この会への参加を呼びかけました。

 会は一二月六日第一回全国交流集会を行ないます。

全国の団員の皆様に、この会への参加とカンパの協力をお願いする次第です。

 連絡先

 〒101ー0048 東京都千代田区神田司町二ー四小山ビル六階 小笠原法律事務所内

  教育子育て九条の会 TEL・FAX 03ー3255ー6860

  カンパ振込み先(一口一〇〇〇円ですが、是非複数のカンパを)

  郵便振替 (口座番号)00170ー0ー616245

         (加入者名)教育子育て九条の会

  ホームページ http://www10.ocn.ne.jp/~kyoiku9



韓国九条の会との交流の旅

〜たかさき法律事務所九条の会世話人会の仲間とともに〜

北海道支部  高 崎   暢

 若干旧聞になるが、本年一〇月一〇日、韓国九条の会と交流をもった。

 たかさき法律事務所九条の会は、発足以来二年が経過し、会合を重ねていくなかで、誰からともなく、「みんなで韓国へ修学旅行に行こう。」と夢のようにプランを描いてきた。それが実現した。四泊五日の旅の目的は、歴史を学び、韓国にできた九条の会と交流を持つことだった。

 ソウル市内の教会で開かれた交流会には、韓国の会二五名、私たちは一五名が参加した。想像以上の多い人数に驚いた。

 詳細は省くが、まず、元帝京大学教授、韓国の東国大学名誉教授の朱先生が、反核平和運動の視点から、韓国人からみた九条について話された。朱先生は日本平和委員会で講演をしたことがある方である。

 当会からは、私が、私たちの会の概括的な活動、国際社会の中で九条の今日的意義、アジアの中での九条の役割について報告した。

 集まった方々からは、たくさんの質問、意見が次々と出され、時間が足りなくなってしまった。「どれくらいの人が九条の会の活動に参加しているのか」「日本は、九条を変えて、戦争を始める可能性はあるか?」「今度東京マラソンに参加するが、九条を支持する旗をもって走っても大丈夫か?」「日本には本音と建前という言葉がある。九条は建前で本音の部分では自衛隊があり、海外派兵もしているではないか?」などなど。

 会合の後には、韓国料理を囲んだ懇親会があり、交流を一層深めることができた。九条の会は草の根運動であるという話には、韓国の人が、強い関心を示していたことが印象的であった。

 参加者から、「会の中で、どんな役割をしていますか?」「支持政党はどこですか?」「南北の軍事境界線には行きましたか?」と英語とハングルで話しかけられ、言葉の壁は確かにあるが、それでも、コミュニケーションは可能だという貴重な体験ができ、本当に会えてよかった、来てよかったという感想が寄せられていた。

 旅の後半は、まず独立記念館へ。緑に囲まれた中に八一五本の旗(八一五は四五年八月一五日、日本の敗戦で韓国が解放された日)が翻る広い広場があり、そのはるか向こうにキョレ(独立記念)の塔が空に向ってそびえ立つ景色は変わらないが、館内の展示が、以前訪れたときと様変わりしているのに驚いた。日本の侵略によって韓国の人々に多くの苦難を与えた事実の告発より、韓国人の独立の思いの強さが強調されていた。それでも、民族として、決して屈しない、真実の歴史を伝え続けていく心の強さは失われていない。 

 そして、日本軍による残忍な虐殺行為が行われた堤岩教会へ。

 そこは、日本の農村の集落とそっくりな田んぼと畑、曲がりくねった砂利道のある堤岩里(チュアムリ)を訪ねた。一九一九年、日本軍は、「先日の鞭打ちを謝罪するから一五歳以上の男子は集まるように」という虚言で、住民を礼拝堂に集め、集まった二一人を、教会ごと火をつけ虐殺したのである。また、駆けつけた妻二人も銃剣で刺し殺し、集落の家々全てにも放火した。

 牧師さんの「歴史は隠すことはできません。伝えていかなくてはいけません」と言う言葉が忘れられない。

 その中で、百済時代の白馬江遊覧、落花岩での散策は、おいしい食事とともに慌ただしかった旅のオアシスでもあった。



母たちにとっての小林多喜二

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 ここに紹介する文章は、二〇年前、私の処女出版「憲法ルネサンス」−パンと自由と平和を求めて−に収録されているものである(一部修正)。今、多喜二が再び脚光を浴びているが、多喜二の影響は、決して今だけのものではないことをお伝えしたい。

 「小林多喜二の文学の愛読者には、宮本百合子と比べて女性が少ないという傾向があるようです。」という指摘がどの程度普遍性があるのか、私にはわからない。

 ただ、小林多喜二の作品と生き方が何人かの女性たちの心を深くつかんでいることは間違いないようである。

 例えば、一九八七(昭和六二)年一月二六日付埼玉新聞に「人間が好き」という文章が掲載されている。筆者は金子朝子さんという家庭裁判所の調停委員の方である。引用してみる。

 「昭和一〇年代に遡るが、文学を好むようになっていた私は、見さかいなく読書した。・・・その中に『蟹工船』があった。・・・働いている人たちが獣さながらに扱われる様子がどう描写されていたか、今は、思い出すことはできない。・・・ただ、蟹を取る人たちの過酷な労働の様子に胸がつぶれたその時のショックは、五〇年後の現在も鮮やかに蘇る。・・・小林多喜二は、人間を愛するがゆえに非合法闘争に入り、虐殺される。『なぜ人間を愛することが罪になるのか。』・・・それは口には出してはならぬ怖れとして深く凍結され、青春期が過ぎた。治安維持法という史上稀な悪法を知ったのは、後年である。」

 同じ年の五月。朝日新聞の歌壇にこんな歌が紹介されている。

  蟹工船気負い読みたる友も古希

   思想は遠く我より離る

 この詠み人は、古希を迎えておられるようだから、ぼくの母よりもやや年上であるけれど、五〇年前に一〇代であった金子さんともども、同時代の女性といっていいだろう。

 そんな世代のぼくの母が、ぼくが高校生であった頃、どんな会話の流れであったか忘れてしまったけれど、多喜二のことを熱っぽく語ったことがあった。 

 「蟹工船」を書いたプロレタリア作家がいたこと。特高警察に捕まってその日のうちに殺されてしまったこと。その殺され方が本当にむごたらしかったこと等である。特に、その拷問の描写は今でも覚えているほどにリアルだった。指の関節が全部反対側に折り曲げられていたこと。金玉が・・・母は確かにそういったと思う・・・倍にも三倍にも腫れ上がるほどケシャゲラレタ・・・長野の北信地方では蹴り上げられることをこう表現する・・・こと。爪と指の間に錐か針が差し込まれていたこと、などである。

 母がどういうつもりで、ぼくに多喜二のことを話したのか確かめたことはない。「アカ」になることの怖さを教えようとしたのか。一つの思想を持って生きることのすさまじさを語ろうとしたのか。それはわからない。ただその日から、母にとってそうであったように、ぼくにとって小林多喜二は忘れられない名前になった。

 母のような普通の人にも忘れられない存在である多喜二は、物を書く女性たちにとってはもっと大きな意味を持っていたようである。

 「蟹工船」が発表された一九二九(昭和四)年当時、二三歳だった作家松田解子は「『蟹工船』の体に響くような感動はいまだに忘れない。・・・多喜二を無視して文学を鮮度高く語りにくい状況があった。」と述懐している。

 また、作家山口勇子は「蟹工船」とのめぐり合いをこんなふうに描いている。「読み終えても急には身動きができず、うずくまっていたような遠い記憶がよみがえってくる。あの名状し難い圧倒される気持ちを忘れることはできない。」

 さて、小林多喜二が「蟹工船」を発表したのは二五歳のときである。四年後の一九三三(昭和八)年、特高警察は多喜二を虐殺する。警視庁築地署の警察官がどのように多喜二を殺したか。江口渙のルポルタージュを借用する。

 「なんという凄惨な有様であろうか。下腹部から左右膝頭にかけて、何処もかしこも、まるで墨と紅ガラをいっしょに混ぜて塗りつぶしたような陰惨な色で一面に覆われている。その上、股の皮膚がぱっちりハチ割れそうに膨れ上がっている。更に、赤黒い内出血は陰茎から睾丸に及び、異常な大きさまでに腫れ上がっていた。よく見ると股の上には左右とも針か錐を打ち込んだ後が一五六以上あって、下から肉がじかに顔を出している。」

 かつて、母がぼくに語ってくれたことは、本当だったのだ。

 当局は、死因を心臓麻痺と発表し、その死体の解剖を妨害した。そして、通夜や告別式の参会者を拘束し、火葬場まで警戒の手を緩めなかった。多喜二虐殺の事実を隠そうとしたのである。

 多喜二の死が時の文壇に投げかけた波紋は大きかった。志賀直哉は「小林多喜二、二月二〇日(余の誕生日)に捕らえられ死す、警官に殺されたるらし、実に不愉快、いちどきり会わぬが自分はよき印象をうけ好きなり、アンタンたる気持ちになる、不図彼等の意図ものになるべしという気がする」と書き残し、広津和郎は「小林の死が人々に与えた感動によって、おそらく彼の死は犬死ではないだろう。彼がこの世に与えつつあったものが、彼の『死』によって、一つの大きな飛躍をなし、光輝を発し、最も大きな効果を挙げたことは確かだろう。」と語っている。

 多喜二の「意図」は何だったのか。彼が「この世に与えつつあったもの」とは何だったのだろうか。それが、一方ではかくも無残に命を奪われて理由であり、他方では、ぼくの母たちの世代の心の中に半世紀を越えて息づいている理由でもあるのだろう。

 これを説くキーワードは治安維持法である。なぜなら、特高が多喜二を逮捕した根拠は治安維持法だからである。もっとも、戦前の天皇制下の警察にだって逮捕した者を殴り殺す権限など与えられていなかったのだから事態は治安維持法だけで説明できるわけではない。 

それはともかくとして、治安維持法はこんなことを決めていた。

 国体を変革することを目的として結社を組織した者は、死刑、無期、または五年以上の懲役刑か禁固刑に処する。

二 私有財産制度を否認することを目的として結社を組織した者は、一〇年以下の懲役刑か禁固刑に処する。

 これを解説すれば、「国の主人公は天皇ではなくて国民である。国民の命は国民のものであって、天皇のために死ねというのはおかしい。貧乏をなくすためには資本主義社会を変えなければならない。」などと主張したり、仲間を集めたりすれば、絞首刑だ、監獄だという法律である。(最も、多喜二の場合には裁判を受ける機会すらなく葬り去られたのであるから、もっと野蛮である。)

 当時の日本は、神聖にして侵すべからざる天皇が日本人民を支配していた。多喜二たちは、その天皇の支配に真正面から抵抗したのである。多喜二は、天皇とその軍隊による侵略戦争が許せなかったし、天皇とその警察による人民の抑圧を見逃せなかったし、人々の問題をわが問題として解決しようとしていたのである。

 多喜二は人々ともに、平和と自由とパンをたたかいとろうとしたのである。天皇制はこれを許さなかった。何時の世でも反逆者に対する制裁は過酷である。こうして小林多喜二は殺された。

小林多喜二の思想は、志賀直哉や広津和郎の予言どおり、その後の日本史の中で、花を開き、実を結びつつある。

多喜二の死後一四年を経て施行された日本国憲法にはこうある。

・ 日本国民は主権が国民に存することを宣言する(前文)。

・ 我らは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利があることを確認する(前文)。

・ 全て国民は個人として尊重される。生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする(一三条)。

そして、憲法は、日本国の最高法規として、天皇や全ての公務員がこれを尊重し擁護しなければならないとしているのである。

多喜二の死は確かに「光輝を発している」といえよう。

 昭和時代六三年の内、四二年間の国政はこの憲法の理念に導かれてきたはずである。ところが、今、憲法が予定する姿とはかけ離れた現実政治が為政者たちの手によって展開されている。天皇とその家族の異常なもてはやし。自衛隊という名の強力な戦力。一票の価値の不平等。警察による共産党幹部に対する組織的盗聴。陰険で巧妙な弱者切捨て。そして、国家秘密法制定の策動。

 こんなふうに上げていけばきりがない。

 けれども、いな、だからこそ、小林多喜二は新しい母たちの心をつかみはじめたようである。

 一九八八(昭和六三)年四月二一日、「赤旗」の読者の声欄に三五歳の主婦がこんな投書を寄せている。「多喜二の本を一冊ずつ読むごとに、私は身動きが取れなくなりました。あまりにも無知だった自分に対する恐ろしさがあります。なんと目隠しされていたことか。『アカ』に対する偏見を持って生きていることか。息がつまって読んでいられなくなり、しばらくウロウロとし、深呼吸をして、再び本に向う、その繰り返しで読み終えました。」

 ここにも小林多喜二に魅せられた女性がいた。

 「小林多喜二の人と文学は、青春の燃焼を知的自覚と真理への探求へ、そして社会変革への能動性へと発展させてやまなかったことを第一の特徴とする。」(西沢舜一)との指摘はいかにも正鵠を射ているようである。

 一九八八年。小林多喜二没後五五年である。

 この文章を書いた当時、ぼくは、二〇年後のこの国をもっと住みやすい国にしたいと考えていたし、そのために微力を尽くしたいとも決意していた。もちろん、小林多喜二が、今のような形で読まれることなど全く予想していなかった。

 ところが今、現代の青年たちが、「蟹工船」の労働者の描写と自分たちの姿とを重ね合わせながらこの作品を読んでいるという。このことに、多喜二はどのような感懐を抱くのだろうか、ぜひ彼に聞いてみたいと思う。

 そして、ぼくはこの二〇年間何をしてきたのだろうかと自問している。



団通信の訂正

 団通信一二八九号(一一月一日号)女性部事務局長千葉恵子団員投稿の一七頁掲載の女性部の今期運営委員について間違いがありましたので、左のとおり訂正いたします。

 今期の運営員は、倉内節子団員(部長)、岸松江団員(事務局長)千葉恵子(事務局長)、村田智子団員、西田美樹団員、宮腰直子団員、湯山薫団員です。