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往くべきは平和の道 有事法制に反対する意見書

2002年3月
自 由 法 曹 団

目次

一 はじめに
二 これが有事法制下の戦時体制だ――いつ、だれのために発動される
  1 包括法案
  2 第1分類(防衛庁が所管する事項)
  3 第2分類(他の官庁が所管する事項)
  4 第3分類(所管官庁が明らかでない事項)
  5 有事法制のもとのこの国と社会
三 平和的解決こそ世界の道――アフガン問題が明らかにしたもの
  1 9・11事件と報復戦争
  2 アフガン空爆はなにをもたらしたか
  3 救援・復興と平和的解決の道
  4  アフガン問題と有事法制
四 おわりに


一 はじめに

 小泉政権はこの春、「有事法制」関連法案を通常国会に提出する方針を明らかにした。公然と有事法制研究が開始された1978年から20年余を経て、有事法制をめぐる情勢はいままさに風雲急を告げている。
 有事法制とは戦時立法そのものである。
 法案の対象となる事態として、政府は「我が国に対する武力攻撃事態」のみならず、「武力攻撃に至らない段階」を含めると明言した(2002年1月22日内閣官房「有事法制の整備について」)。かねてから中谷防衛庁長官は、国会において、「(有事の事態は)3年、5年のターム(期間)では想像ができないかも知れません」と答弁していた(2001年5月31日 参議院外交防衛委員会)。9・11事件とアフガン報復戦争を契機に、この国でも世界でもテロにも報復戦争にも反対して平和を求める声が広がるいま、なぜ戦時立法を急ぐのか。
 中谷長官は、その後さらに、「『周辺事態』が『日本有事』になる事態を想定しているのか」との質問に対して、「悪いケースでは日本有事に発展していく可能性は十分ある。対応する必要があると考えている」と答弁している(2002年2月28日 衆議院安全保障委員会)。日本に対する武力攻撃がなくても、「周辺事態」すなわちアメリカが行う戦争に対応するために戦時立法を急ぐ必要があるということであり、「武力攻撃に至らない段階」に広げようとしているのもこれに対応していると考えるほかはない。
 「備えあれば憂いなし」と政府筋は言っているが、実際には「備え」すなわち戦時立法の整備が「憂い」つまりは戦争を促進する役割を果たすことは歴史の痛切な教訓であり、このことはこの国の戦前を考えるだけでも明らかである。「テロ」や「不審船」が戦時立法の口実にされようとしているが、これらは基本的に犯罪行為として対処すべきものであり、有事すなわち戦争の問題とは厳密に区別されねばならない。こうした犯罪行為の根絶への道は、国際社会の平和的努力によって貧困や差別、国土の荒廃といった根源にある問題を解決することであって、世界が戦争体制に入ることではないのである。

 本意見書は、全国1600名の弁護士で構成する自由法曹団が、法案が提出されない現段階において急きょ作成・発表するものであり、
 (1) 入手し得る中間報告などから、有事法制とそのもとでの戦時体制を考察すること
 (2)パキスタンでの現地調査を踏まえて、アフガン問題が投げかける問題を考えること
を主な内容としている。こうした構成もあって、有事法制をめぐるすべての問題を指摘しているものではないので、あらかじめ問題の要点を列挙しておく。

 第1に、有事法制は日本国憲法に違反し、憲法をなし崩し的に改悪するものである。
 有事法制が憲法第9条に違反することはもとより、憲法が保障した基本的人権を蹂躙し、国会や地方自治体などが憲法の求める機能を果たすことを事実上停止されることになる。これは主権者国民の論議をつくさず、憲法が定める改正の手続を経ないままで、憲法のなし崩し改悪を強行するものにほかならない。こうした方法で憲法の根幹にかかわる改悪が行われることには、自衛隊や日米安全保障条約への賛否、あるいは憲法「改正」への賛否にかかわらず、広範な批判・反対が巻き起こるだろう。

 第2に、有事法制は、この国の人々を「徴用・徴発」にかりたてて基本的人権を剥奪するばかりか、他の国に対する戦争への加担・協力を強いることになる。そのことは、この国の国民が、再び被害者であるとともに加害者になることを意味している。
 イラク・イラン・北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しするアメリカ・ブッシュ政権が、これらの国に戦争をしかけかねないこと、小泉政権がそれを容認して追従する方向であることは、周知のところとなっている。フィリッピンなどで米軍との共同演習を名目とする事実上の軍事行動が進められていることなどから考えれば、米軍が戦端を開き、周辺事態法が発動され、それに対応して有事法制が発動される未来は、決して杞憂ではない。
 この道が、アジアや世界との共生・協力を願うこの国の人々の願いととうてい相容れないことは自明である。

 第3に、戦争か平和かの問題は人間のあり方に関わっており、戦争への道を選ぶか、平和的努力に徹するかは人間の尊厳と民主主義に関わる問題である。戦争が、結局のところ問題や紛争の解決になり得ないことは歴史の冷厳なる教訓であり、アフガン報復戦争の経験が示すところでもある。
 かつて、ジョン・レノンは「もしあなた方が求めるなら、戦争は終わる」と歌った。戦火の色濃いこのいまも、この曲は世界で歌い続けられている。世界の人々の願いは「なによりも平和。そして人間の尊厳」であり、これは軍事報復で国を追われたアフガンの民衆が語ったことでもあった。いまその人間の原点に立ち戻るべきではないだろうか。
 
 自由法曹団は、1921年の創立以来80余年にわたって、自由と人権、平和と民主主義のために献身してきた。
 有事法制研究が開始された1978年から今日まで、有事法制の研究や制定の企てには、法律家の立場から直ちに検討を加えて批判・反対の意見を表明してきた。国家機密法案やPKO法、周辺事態法、テロ特措法などの戦争と平和にかかわる問題をめぐっては、反対の立場から論陣をはるとともに、広範な人々と共同して活動を行ってきた。
 そして、いわゆる「同時多発テロ」と軍事報復をめぐっては、本年初頭、パキスタンに現地調査団を送り、報復戦争の実態と平和的解決への努力をつぶさに見聞、調査してきた。
 本意見書はこれらを踏まえて作成・編集したものであり、「往くべきは平和の道」は自由法曹団と団員弁護士の心からの願いである。
 本意見書が、「平和の道」に寄与できることを願ってやまない。

二 これが有事法制下の戦時体制だ――いつ、だれのために発動される

 小泉政権は、通常国会に有事法制案を提出すると公言している。
 しかし、法案の内容が公表されてないこともあって、国民にはそれがどのようなものなのかほとんど知られていない。また、法案提出を受けて審議にあたる国会の中にも、提出されるであろう法案とそれが強行されたとき起こるであろう事態が、正確に認識されているとは限らない。しかも、国会の現状からすれば、法案が発表・提出されてから問題にしていたのでは、国民にはなにがなんだかわからないうちに一気に可決・成立ともかりかねない。
 その一方で、有事法制研究には長い歴史があり、これまでの中間報告や政府見解になどによって骨格はほぼ明らかになっている。以下、法案が提出されていない現段階において入手できるこれら資料にもとづいて、「有事法制とはなにか」を検討する。

1 包括法案

 政府が今国会に提出を予定しているのは有事に関する包括法案である。
 「全般部分」と「個別部分」とにわかれる。「全般部分」には、有事に対処する基本構想、国の責務などの総則的規定と法制の整備項目などが規定される。
 重要なのは、「有事法制は、我が国に対する武力攻撃の事態が中心」としながら、「武力攻撃にいたらない段階から適切な措置をとることが必要」としていることである。実際には、第2次朝鮮戦争や台湾海峡での紛争(周辺事態)にも適用できるようにしているのである。
 「個別」部分には、第1分類(防衛庁所管事項)と第2分類(他の省庁所管事項)が含まれることが確定している。第3分類(所管官庁が明らかでない事項)は、研究が進んでいないため、次期国会以降の課題となる。このほかに「米軍有事」(安保条約にもとづいて出動する米軍にたいする有事立法)がある。これが今国会に提出されるかどうかは、現在のところ明らかになっていない。
 なお、一部の報道では、テロ対策、不審船問題などに対する措置は、有事立法に含めず、別の法律を制定する、とされているが、なお流動的である。かりに含まれないとしても、テロ、不審船などが、有事立法の必要性をめぐって宣伝材料にされることは明らかである。

2 第1分類(防衛庁が所管する事項)

 注意しなければならないのは、第1分類の大部分は自衛隊法103条にすでに規定されていることである。ただ、これに関する政令ができていないため適用できない状態にあるだけのなのである。
 政府が政令をつくれば、国会の審議を経ずに、いつでも適用できる。
 政令ができたとき発生する事態をスケッチする。

(1) 病院等の「管理」
 知事は病院、診療所その他の施設を「管理」する。これによって民間の病院や診療所が知事の「管理」のもとにおかれ、いわば都道府県立病院になってしまう。緊急の場合には、師団長などが「管理」することができるから、こうなるとまさしく「軍直轄の病院」。緊急時に師団長などが発令できるのは、他の事項も同じである。
 病院長らの権限が規制され、戦病・傷者を優先して入院させる、という事態が想定される。
 「その他の施設」には、燃料、弾薬・火薬の保管施設および整備品等の応急処理の施設が含まれる。ガソリンスタンドや自動車修理工場などが知事の(ときには師団長などの)「管理」のもとにおかれることも起こり得る。

(2) 土地等の使用
 知事は、土地、建物、物資を「使用」する。
 美しくガーディニングした私人の庭(土地)も、樹木をひきぬき、穴を掘って迫撃砲陣地として「使用」することができる。
 私人の邸宅(家屋)を高級将校の宿舎として、民間マンションを兵舎として「使用」できる。もとの住人はお情けで物置小屋に寝泊まりできることもあるが、邪魔なら追い出される。
 知事はまた、工場や港の荷揚施設(クレーンなど)などの「物資」も「使用」できる。

(3) 物資の保管命令
 知事は物資の「保管」を命じることができる。
 物資の「保管」とは、フリーズ(凍結)すること。いっさいの移動・販売などを禁じてしまうのである。「物資」とは、燃料、食糧からトイレットペーパーにいたるまで、全ての財貨をふくむ。保管命令の対象物は、「物資の生産、集荷、販売、配給、保管、輸送を業とする者」だから、生産(川上)から小売(川下)にいたる全部である。
 「明日食べる米がない」といわれても、町の米屋は米を配達することができなくなる。

(4) 物資の収用
 知事は物資を「収用」することができる。
 「収用」とは取り上げることである。「物資」とはすべての財貨であり、収用される対象者が川上から川下にいたるすべてであること、保管命令の場合と同じである。
 米屋の倒産は必至である(この非常時に文句を言うな!)。

(5) 業務従事命令
 知事は、「医療、土木建築工事又は輸送を業とする者」に対し、自衛隊のために働くことを命じることができる(業務従事命令)。つまり「徴用」である。「医務」のなかには、医師、歯科医師、薬剤師、看護婦(士)、検査技師などがふくまれる。「土木建築工事」のなかには、土木・建築技術者、大工、左官、とび職、土木建築業者とその従事者(労働者)がふくまれる。「輸送」のなかには、地方鉄道業者、航空運輸業者、自動車運送業者、船舶運送業者、港湾運送業者とそれらの「従事者」(労働者)がふくまれる。
 民間人だから最前線には出されないだろう、などと考えることはできない。
 看護婦(士)には、最前線でバタバタ倒れる兵士に応急処置をとることが命じられるかもしれない(「仮包帯も弾の中・・」 古いか?)。土木建築業者は施設隊(工兵)の軍属に配属される。橋が壊れていれば、戦車も歩兵も進められない(護衛のない)なかで、修理をしなければならない。輸送労働者は最前線の中隊に武器・弾薬を運び込むトラックの運転を命じられるかもしれない。潜水艦の潜む海域での船舶労働者は、つねに死を覚悟しなければならない。戦争のなかで軍需物資を輸送する航空機に対空ミサイルを発射することは、国際法上「合法」なのである。

(6) 法律の「改正」を要する事項
 これまで見たのは、法律の「改正」を要せずに政令の発布のみで可能な事項である。
 ところが、政府はこの第1分類についてもさらに法律の「改正」が必要だとしている。
 主なものはつぎのとおりである。
(1) 自衛隊法103条による「管理」その他の措置をとるには、相手方(土地の所有者など)に「公用令書」を交付しておこなうが、相手方の居所が不明なばあいでも、その占有者(留守番役)などに交付すればよいことにする。
(2)「使用」する土地に建物などがあるばあい、それを撤去できるようにする。
(3)物資の保管命令に従わない者を処罰できるようにする。
(4)現行法では土地の使用等を行えるのは、防衛出動が命じられた後となっているのを、その前の段階からできるようにする。
(5)緊急移動の場合、私有地の通行を可能にする。
(6)防衛出動待機命令をうけた部隊が攻撃をうけたばあい、反撃のための武器使用を可能にする。
 「建物の撤去」や「所有者が知らないうちの管理」を可能にするこうした「改正」が、いっそう自由自在の戦争体制づくりになるのは明らかだろう。

(7) 「保管命令だけ罰則」の意味
 どうやら自衛隊法第103条の事項のなかで、「保管命令」だけに処罰規定を新設し、その他の事項には処罰規定を設けないようである。実際にそうなるかどうかまだ流動的だが、仮に層だとしたらなぜだろうか。
 物資の保管を命じられても、その物資の所有者または占有者は、引き続きその物資についての所有権あるいは占有権をもっている。だから、保管命令を受けた所有者・占有者が命令に違反して物資の売却や移動などの処分をしても、窃盗罪や横領罪などにはあたらない。単に行政命令違反の法的な状態が残るだけである。だから、命令違反の売却や移動に処罰規定をもうけることによってしか、保管命令の実効性を確保することができないことになる。
 これに対し、その他の事項は自衛隊法に処罰規定を設けなくても実効性が確保できる。
 「管理」によって病院等の施設は直接知事(または師団長など)の管理のもとにおかれるから、抵抗やサボタージュする者には解雇その他の懲戒処分を行うことができる。土地・建物の「使用」や、物資の「収用」などは、直接の公権力の行使だから、これに抵抗した者には公務執行妨害罪が成立する。
 それでは「業務従事命令」はどうか。
 「業務従事命令」とはすなわち「徴用」であり、これに処罰規定を設けることは、自衛隊が志願制であって徴兵制を採っていないこととの関係で、明らかに均衡を失するであろう。このことは、政府も配慮せざるを得ない。
 しかし、「業務従事命令」は、業者(企業)と従事者(労働者)に対して発令できることになっている。処罰規定がなければ、直接「業務従事命令」を受けた従事者(労働者)は命令を拒否できることにはなる。ところが、業者(企業)が「業務従事命令」を受け入れた場合、勤務する労働者が拒否すれば、企業からの解雇その他の処分を受けることになる。
 以上のように、「保管命令」についてだけ新たに処罰規定をもうければ、自衛隊法第103条に列挙された事項は、ほぼ実効性を確保できるのである。

3 第2分類(防衛庁以外の官庁が所管する事項)

 第2分類では、次のような法律の「改正」が必要だという。

(1) 部隊の移動・輸送
 「戦場に駆けつける戦車などが赤信号で止められていては戦争にならない」。有事法制推進論者の言い分である。しかしこの問題は自衛隊の車両をすべてパトカーや救急車並の「緊急車両」に指定すれば解決できる、と政府は考えているようである。
 ただし、道路や橋が破壊されている場合、道路管理者の承認は取らずに自衛隊が勝手に道路や橋の修理ができるように道路法に特例を作る必要があるという。

(2) 土地の利用
 国土や環境を保全するために、海岸法、河川法、森林法、自然公園法などは、やたらな立ち入りや樹木の伐採、土地の形状変更などを禁じている(当然のことである)。しかし、自衛隊が陣地などを構築するときに、そんなことに構ってはいられない。自衛隊には何をやってもいい特権を与えようというのである。

(3) 構造物の建造
 有事の際、航空機用えん体(堅固な格納庫)、指揮所などの構造物を作る必要がある。しかし、これに建築基準法の手続や構造の基準(建ぺい率や容積率の制限など)などを適用されると困るので、自衛隊にフリーハンドを与えなければならない、というわけである。

(4) 火薬類の取り扱い
 火薬類はきわめて危険なので、現行法では夜間の積み卸しやフェリーへの持ち込み量が制限されている。有事にそんなことはいっていられないから夜間の積み卸しも自由にし、フェリーにいくらでも弾薬、砲弾、手榴弾などを持ち込めるようにするという。

(5) 野戦病院
 病院などは患者の安全や医療水準を維持するために、医療法によって一定の構造や設備を有しなければならないことになっている。しかし頻繁に移動する野戦病院の場合、テント張りもあり得るし、十分な設備を持っていないこともある。医療法に特例をもうけようというのである。

(6) 戦死者の取り扱い
 現行法では遺体を勝手に火葬したり埋葬したりすることは禁じられている。
 戦死者がゴロゴロ転がっているような有事の際には、火葬場の順番を待っているわけには行かない。野原や空地に戦死体を積み上げてガソリンをかけて燃やしてしまう。あるいは穴掘って戦死者をなげこみ、ブルドーザーで土をかけて埋めてしまうことにする。そのためには「墓地埋葬等に関する法律」を「改正」する必要がある、というのである。これでは、戦死者が天国や浄土にゆける保障がないことになる。
 以上の第1分類、第2分類は確実に今国会に上程されることになる。

4 第3分類(所管官庁が明らかでない事項)

 次期国会以降に上程が予定されている第3分類については、研究が進んでいない模様だが、次のようなものが含まれていると予測される。

(1) 住民に関する警報等
 敵機が接近していることを知らせる「警戒警報」、敵機が上空に来たことを知らせる「空襲警報」などのことである。「灯火管制」なども含まれるかもしれない。これは電灯の周囲を黒い布などで被い、灯火が周囲にもれなくする措置を強制することである。

(2) 住民に対する避難の勧告等
 「避難の勧告」とはいっても住民の安全を守るためのものではない。戦場となることが予想される場所から、足手まといになる女性・子ども・老人・病人などを追い出してしまうためのものである。子どもを親から強制的に引き離し、「安全な」地方へ送り込む「疎開」もこれに含まれる。
 亡くなった向田邦子さんに哀切なエッセーがある。
 向田さんの幼い妹が疎開させられることになった。父親はまだ字の書けない娘に、自宅を宛先にした多数の葉書を渡し、「元気なら丸を書いて、1日1枚づつポストに入れなさい」と教えた。はじめは葉書の中からはみだすような大きな丸が書かれた葉書が届いた。しかし、その丸はだんだん小さくなってゆき、ついには白紙の葉書ばかりが届くようになった・・・・。

(3) 民間船舶・航空機の航路・空路、海域・空域の指定
 「航行の安全確保」という名目で、軍用艦船に優先的に航路・海域が指定され、民間艦船は残りの不便な航路、海域が与えられることになる。
 民間航空機の場合も、民間船舶の場合と同じである。

(4) 不必要な電波の発射制限
 戦場の軍隊は膨大な通信量を必要とする。多くの電波を軍事用に転化しなければならない。女子高校生などが友人間でおしゃべりを交わしている携帯のメールなどは、もちろん「戦場」には不必要なので取り上げられる。状況次第では民間テレビ局は1局に統合され、残りの電波は軍事用に回されることだって、予測される。

(5) その他
 以上のほかにも「応援医療体制」のために女子高校生らを看護兵に仕立てること(沖縄での「ひめゆり部隊」の再現)、「民間防衛」として国民の相互監視のための「隣組」、防火訓練、防空壕、ついには民兵組織(竹槍というわけにも行かないので、旧式銃や手榴弾程度は持たせるのか)の導入なども、検討の外にあるわけではない。
 そればかりではない。
 戦時における情報統制のためには、「国家機密法の制定も不可欠」ということになるだろう。
 まだ明らかになっていないが、安保条約にもとづいて米軍が出動する場合、米軍の要請によって、米軍の移動の自由の確保、土地の使用、収容などを実施する必要がある。
 おそらくは、最小限度、第1分類、第2分類と同様の措置が米軍のためにもとられることになるであろう。すなわち、米軍の塹壕を作るために日本の土地が「使用、収用」されることになるのである。

5 有事法制のもとのこの国と社会

 すでに見てきたように有事法制のそれぞれの項目もそれ自体、恐るべきものではあるけれど、これらが集合して形成される日本の国や社会には想像を絶するものがある。
(1) 敵の上陸が予想される海岸地帯は、そのまま要塞地帯になる。すべてのビルや家屋が取り壊され、地雷地帯と塹壕線が延々とのびる。各所に迫撃砲や、火砲陣地が構築される。民間人は立ち入れない。
(2)航路や港湾は軍用艦船で埋め尽くされ、民間艦船の航行、出入港は厳しく制限される。道路も戦車や装甲車、軍用トラックが行き交い、民間輸送力は著しく低下する。
(3)日本の食料自給率は40%。大部分の食料は船舶で運ばれている。それが規制されれば、日本は飢餓状態に陥らざるを得ない。国内でも農産物や海産物が輸送力の低下によって、消費者に届かないことも懸念される。
(4)物価は高騰し、生活必需品を金持ちが買い占め、闇商売が横行する。ついには配給制(配給切符がないと、ものが買えない)をとるしかない。
・・・
 念のためにもう一度確認しておくが、こうした有事法制の発動は、「日本に突然X国軍が上陸してきたとき」に起こるのではない。そんなことが起こりえないことは政府自身が認めており、国民にもほとんど常識になっている。また、万が一、こうした事態が起こり得るとすればその前に徹底的な爆撃や艦砲射撃が加えられる。その砲爆撃の前には、「有事体制」などなんの役にも立たない(沖縄戦を見よ)。
 冒頭に述べたように、今回の有事法制は「武力攻撃にいたらない段階から適切な措置をとる」ことを眼目にしており、朝鮮半島や台湾海峡で「有事」が勃発すればそれに連動する仕組みになっている。
 「北朝鮮は悪の枢軸のひとつ」と叫ぶアメリカ・ブッシュ政権が、「核疑惑」や「テロリスト擁護」などを理由に北朝鮮と軍事紛争を引き起こし、空爆を開始したら、周辺事態法によって自衛隊は「後方支援」のために出動することになるだろう。この出動は国際法上は戦争行為だから、北朝鮮側がアメリカと日本に反撃することは国際法上当然ということになる。その「危険」が迫ったら、防衛出動待機命令が発令され、「武力攻撃にいたらない段階から適切な措置をとる」必要があるから、国民が有事法制で駆り出される。
 1994年の北朝鮮核疑惑のときは、武力行使一歩手前のところまでいって、カーター元大統領の訪朝で危機が回避された。その理由は、「日本に有事法制がないから戦争ができない」というところにあった。
 その有事法制が今度は現実のものとして制定されようとしている。
 自衛隊は現在でも、東アジア地方で最強力の「軍隊」である。しかし憲法第9条の制約があり、まだ有事法制が整備されていないため、海外に侵略する体制にはないものとみられてきた。しかし有事法制を整えれば、自衛隊はいつでも海外侵略を行える軍隊に転化する。アジア諸国は強い警戒心を抱き、日本を不審の目で見ざるを得なくなる。日本のアジア外交はたちまち機能不全に陥るだろう。
 そんな日本にだれがしたいのか。

三 平和的解決こそ世界の道―――アフガン問題が明らかにしたもの

1 9・11事件と報復戦争 − なぜアフガン問題調査を行ったか

 「これは戦争だ。犯人はビンラディンだ。報復戦争だ・・」。
 ニューヨークとワシントンをいわゆる「同時多発テロ」が襲った2001年9月11日、ブッシュ・アメリカ大統領はこう叫んだ。崩落したビルの下で犠牲者がうめき声をあげ、消防士たちが必死の救出作業を行っている最中だった。
 いかに深刻な被害があろうと、「自爆機」の突入はあくまで犯罪であり、真相の究明と国際的な批判と訴追こそが本来の道筋であった。自由法曹団は、法律家の立場から「復仇のための戦争」が国際法違反であることを明らかにして報復戦争に反対し、世界各国の反戦・非戦の声は日増しに高まった。
 にもかかわらず、同年10月8日(日本時間)、ブッシュ政権はアフガニスタン空爆に踏み切った。小泉政権は全面支持を表明し、「テロ特別措置法」を成立させて海上自衛隊をインド洋に送った。日本国憲法の制定から50年余、日本がはじめて参戦に踏みきった瞬間だった。
 11月に入ってカブールが陥落した。タリバーン政権が崩壊して、臨時政府のもとでアフガン復興が進められようとし、「戦勝にわき立つアメリカ」が報じられた。「空爆によってアフガンに自由が回復した」などという宣伝も少なからず行われた。
 2002年1月7日から14日まで、自由法曹団アフガン問題調査団の7名の弁護士は、パキスタンで現地調査を行って、難民キャンプやNGO、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を訪問した。アフガン空爆のもとで起こっている事態をつぶさに見聞・調査するとともに、救援・復興支援や平和的解決の可能性を探るのが目的であった。
 わずか8日間(移動時間を除けば実質5日間)ではあったが、現地側の積極的な歓迎と熱心な協力を得て、極めて充実した調査となり、いずれの点でも貴重な成果をおさめることができた。本項では、こうした現地調査を踏まえたアフガン問題から、軍事報復と有事法制をめぐる問題点を考察する。なお、パキスタン調査の詳細は、「平和的解決と復興のために」(自由法曹団アフガン問題調査団編)をご参照いただきたい。

 2 アフガン空爆はなにをもたらしたか − 戦争被害と加害の責任

 (1) いくつかの難民の証言
 難民キャンプで、空爆でアフガンを逃れ出た難民から聞いた事実を抽出する。
 A ダルザブ村からランディカレーズ・キャンプ(クエッタ周辺)に逃れた農民たち。
  10月25日から10日間連続で村が爆撃を受けた。村の近くにタリバーンの軍事施設はなかった。地面に5フィートから6フィートの穴があく爆弾だった。7人が死んだ家族も近所にいた。村の200家族で逃げ出した。イランに逃げる道もあったが国境が閉鎖されており、ペシャワルへの道も危険だった。だから、ここに逃げてくるしかなかった・・。
 B カブール北にあるカプサのダガホ地区からキトケイ・キャンプ(ペシャワル周辺)に逃れてきた難民
  2人の妻と6人の子どもと一緒に逃げてきた。キャンプについたのは村を出て40日後。自分の親戚では9人が犠牲になった。バザール(市場)で犠牲になった男性もいる。近くには軍事施設はなかった。村に残った人もいる。残ったのは、金の問題や健康の問題だ。
 C カブール周辺からキトケイ・キャンプに逃れてきた難民のリーダー(長老)。
  14日間続いた爆撃の後に村を出てキャンプに到着した。タリバーンはもう去っていた。空爆は朝方3時ころと6〜9時ころだった。爆弾が直撃して破壊された家もあった。ぺシャワールに来るのには、不通のルートではない道を伝って2日間かかった。兄弟2人と叔父は残っているが、どこにいるかわからない。
 D トラボラ(ビンラディン捜索の作戦が展開されているところ)周辺からキトケイ・キャンプに逃れてきた難民の長老。
トラボラにもたくさんの村がある。村にも空爆が行われている。ディージーカッター(燃料気化爆弾)が村の中心部に落とされた村がある。大きな村では600から800の家が破壊された。トラボラでの死者の正確な数はわからないが、1000くらいの死体が発見されている。トラボラではすべての村が破壊された。
 これらはすべて調査団の弁護士が、直接聞いた「証言」である。

 (2) 証言が明らかにしているもの
 調査団が証言を得たのはパキスタンの難民キャンプであり、「戦場」そのものを現認したわけではない。しかし、証言から軍事報復のもとのアフガニスタンを考えることは十分可能である。
 (A)の難民が暮らしていたダルザブ村はアフガニスタン北西国境に近いマザリシャリフ周辺にあり、パキスタン南部のクエッタまでは直線距離でも800キロ。農民たちの脱出経路をたどると1千キロにも及ぶ。アフガニスタンではソ連侵攻・内戦であらゆる産業が破壊されて飲料水の確保すら容易でなく(だからペシャワル会は井戸を掘り続けてきた!)、数知れぬ地雷が埋まっている。それに加えて米軍がクラスター爆弾を振りまき続けていたその国土を、南北に縦断してきた「道行き」は想像するにあまりある。
 (B)の難民の「金の問題や健康の問題で残った」という言葉もこれに関係する。子どもたちが多かった難民キャンプでも、乳飲み子や高齢者の姿を見ることはほとんどなかった。「40日間の彷徨」や「1千キロの逃避行」は、乳飲み子や高齢者・病人にはおよそ不可能であり、これが「健康の問題」。「金の問題」とは、国境を越えてキャンプにたどり着くには、地理や国境、キャンプの場所に通暁した世話役(一種の「ブローカー」)に金を払って頼まねなければならないから。「1人いくら、6人家族でいくら」という「相場」があるとも耳にした。
 最も貧しく、最も弱い者は、難民にすらなれないで荒廃したアフガンの山野をさまよい続けるしかなかった。ここに「難民になれた人はまだ幸せだ」と言われる理由がある。その「国内避難民」が彷徨を続ける山野に、爆弾が降り注ぎ続けたのである。
 「目標とされたのは軍事施設だけだ」との米軍発表が続けられた。難民の側からの「プレス発表」などあろうはずはないから、世界に一方的な情報が流し続けられることにもなった。本当にそうだったなら、どうして難民・国内避難民は村を捨てなければならなかったのか。
 20年に及ぶ戦争で無数の地雷が埋まり、飲料水の確保すら困難な国土であることなど、そのアフガンに暮らす民衆が知らないわけはない。米軍発表が事実なら「自分の村にいるのが最も安全」のはずであり、その「安全な場所」を捨てて、「40日間の彷徨」や「1千キロの逃避行」に踏み出すことなどあり得ないのである。
 4つの証言が示しているのは、北部(マザリシャリフ)でも、カブール周辺でも、南部(トラボラ付近)でも、軍事施設がない農村(あるいは町)に空爆が続けられたという動かし難い事実である。その空爆ゆえに、民衆は荒廃した空爆下のアフガンをさまよい、やっとのことでパキスタン北部国境の難民キャンプにたどりついた。閉鎖された国境を超えてパキスタンに逃れたこうした難民は20万人とも40万人、50万人とも言われている(パキスタンが正式に入国を認めていないこともあり、正確な数はUNHCRにもわからない)。

 (3) 戦争被害は「誤爆」のためか
 アフガニスタンへの空爆は、「タリバーン政権がビンラディンを匿っている」との理由だけで行われた。本当に9・11事件の「真犯人」がビンラディンなのか、本当にタリバーン政権が「匿っていた」かの、究明も訴追もまったく行われていないもとでの空爆だった。仮に「真犯人」と「隠匿」が後日証明されたとしても、アフガンの民衆にいかなる罪もないことだけは自明であり、彼らには攻撃を受けるいわれはない。
 では、彼らはなぜ村を破壊され、「1千キロの逃避行」の果てにパキスタン国境を超えざるを得なかったか。米軍が認めている「いくつかの誤爆」のためだろうか。到底そう考えられないことは証言の内容からも確認できるだろう。証言が語るのは、「軍事施設のない村への連日の空爆」であり、「中心部へのディージーカッター」であり、「すべての村の破壊」である。
 最先端の兵器を持つ米軍が、軍事施設の有無を事前に確認できないことはあり得ない。「最高精度の誘導システムを駆使した」ことを誇る米軍が、「トラボラでは誤爆ばかり繰り返した」などという事態も考えられない。そして、難民たちの村が破壊されたことは、難民たちが村を捨て危険を冒して難民キャンプにたどりついた事実が雄弁に証明している。
 空爆の被害は「誤爆」によるものではなく、タリバーン政権の転覆やビンラディンの「いぶり出し」のために、軍事的要衝の周辺の村々に米軍が無差別攻撃を行ったことによって発生した・・こう考えるのが最も難民の証言と整合する説明である。
 とすれば、それはかつて中国大陸で日本軍が展開した三光作戦や南京大虐殺、平頂山事件などにも比すべき戦争犯罪ということになる。その真実の究明や告発には歳月を要しようが、少なくともこのいま、アフガンを追われた難民や国内に残った国内避難民が、そう考えていることは明らかなのである。

 (4) 軍事報復がもたらしたもの
 カブール陥落以来流された「女性がグルカを脱いだ」等のという宣伝とはうらはらに、調査団が見聞した軍事報復の被害はあまりにも深刻なものだった。「子どもたちが空爆のトラウマを抱え、ものが話せない子どもも多い」「ペシャワルでは6000人の女性と子どもが路上生活者になっている」「難民のための診療所に来る子どもの30%が栄養失調」・・これらはいずれも調査団が現地で見聞した事実である。
 被害を受けたアフガニスタンの民衆は、どれほどの復興予算を積み上げられようとも、空爆で受けた傷を癒されることはないだろう。その傷は、長く加害者の米軍などへの憤りや呪詛として残るに違いない。これは、戦後50年余を経たいまなお、中国民衆から戦争責任を問われ続けているこの国が最もよく知る事実ではないだろうか。
 アフガン難民だけではない。「これまでパキスタン人はアメリカが好きだった。しかし、今度のことでみんな嫌いになった。だれでもいいから町を歩いている人に聞いて見るといい・・」。ミーティングを行ったパキスタン弁護士の言葉である。膨大な難民を抱えながら隣国への空爆に協力させられ、「テロ」を口実にもう一方の隣国のインドと一触即発の状態にまでなったパキスタンの国情を考えれば、十分理解できる説明である。
 アフガニスタンにもパキスタンにも、戦争の被害や恐怖を撒き散らした報復戦争が、「テロ根絶」の道筋とは大きくかけ離れていることは明らかだろう。動機・目的の面でも、手段・結果の面でも、報復戦争は絶対に正当化されない戦争だった。直接に空爆を実行したアメリカも、そのアメリカ艦隊に補給を行って参戦した日本も、この戦争責任への加害の責任を負わねばならないのである。
 この国がいますぐなすべきこと、それはいまなお続く米軍のアフガン攻撃を中止させ、インド洋の「支援艦隊」を直ちに引き上げさせることであって、さらなる軍事突出の道を進むことではないのである。

3 救援・復興と平和的解決の道 − アフガン問題が投げかけるもの

 (1) 救援・復興支援の視点 − 日本NGOとのミーティングから
 アフガン問題調査団は、数多くのNGO(日本NGOも外国のそれも含め)を訪問し、活動の調査やミーティングを行った。日本NGOの訪問先は、ペシャワル会・アフガン難民を支える会・ジャパンプラットフォーム(JPF)・JEN・JIFFの5つである。政府(外務省)や経団連が参加するJPF、独立したNGOとして一貫してアフガンの民衆のなかに入り続けてきたペシャワル会、パキスタン在住の日本人がほとんど一人ではじめた「支える会」と、活動の沿革や規模、性格はさまざまであったが、いずれの現地担当者も誠実でひたむきだった。
 それぞれのNGOの紹介や論評は避けて、NGOから共通して指摘された救援・復興支援の視点とそれに関わる活動だけ掲げておこう。
 「救援物資は現地で調達する。価格が安いものを大量にそろえられ、難民の生活にあったものを提供でき、地元経済の活性化にもなる。だから、日本に帰って『なにが欲しい』と言われれば、『お金が欲しい』となる」。政府資金を活用して救援物資を調達・搬送しているJENの担当者の言葉である。現地で購入すれば毛布は1枚が300円から500円。「日本から高価な毛布1枚を運んでくる船賃で1枚買える」とのことである。
 「あくまで井戸は『アフガン人の井戸』でなければならない。だから、『自分で管理できるか』を徹底する。でないと『外からきた団体がすべてやってくれる』となって力にならない」。これは地雷の散らばるアフガンで水源確保事業(=井戸掘り)を続けてきたペシャワル会の担当者の言葉。
 「教室が狭いので場所を移そうという話がある。借りるのに月5,000円かかる。出せない金額ではないが、『自分たちの教室だから自分たちでなんとかしなさい』と言っている」。イスラマバードの難民居留地の「教室」を支援する「支える会」代表の言葉。
 場面こそ違っても、このそれぞれが同じことを投げかけていることは理解できるだろう。救援・支援とは現地の自立をうながすことであって、決して「めぐんでやる」ものであってはならない。だから、現地の実情を理解し、現地の「目線」で考え、現地が教育・医療の面でも経済の面でも、自立していくようにしなければならない。政府資金を活用するJPF傘下のNGOでも、完全に独立して活動するNGOでも、これは共通して指摘されたキーワードだった。
 「自衛隊の輸送機に日本の毛布200枚を積んで空輸した」などという「救援」が、いかに真の救援・支援とかけ離れているかは明らかだろう。

 (2) NGOとこの国の課題 − 「出席拒否問題」が意味しているもの
 この国の政府や政治家・官僚たちは、NGOの活動の蓄積が、差別や貧困を克服し、紛争を未然に防ぎ得る道筋であることを理解しようとしているのか・・。パキスタン調査の折々に調査団が感じざるを得なかった疑問であった。
 「与党3党幹事長がやってきたが、レストランで慰労宴をやって帰った。厳格な禁酒の社会なのに・・」、「外相が来て日本から教師を派遣すると約束した。いま必要なのは『読み書き』を教えて手に職をつける学校だ。教えられる教師なら難民のなかにもいっぱいいる・・」。日本から訪問した調査団からすると、「穴があったら入りたい」とでも言うほかない現地の声だった。
 果たせるかな、調査団が帰国した直後に東京で開かれたアフガン復興国際会議で、外務省はJPFの出席を拒否する暴挙・愚挙を行った。政府のNGOへの無理解を全世界に露呈した事態だったと言ってよい。その「出席拒否問題」は国民の憤激を呼び起こし、NGO関係者のみならず、マスコミ・知識人からも厳しい批判が寄せられた。外務省が直ちに「出席拒否」を撤回したのは理の当然というところだし、「出席拒否問題」が外務省の暗部にかかわる「ムネオ問題」を白日のもとにさらけだしたことは奇果とでも評すべきだろう。
 だが、本質的な問題はそんなところにはない。
 復興会議で提起・確認されたのは、「アフガンの復興・再建が責務」という国際社会の課題だった。また、「出席拒否問題」が示したのは、「国際化」だの、「グローバリゼーション」だのを叫ぶこの国の政府が、NGOが果たしている役割について無知に等しい段階にあるという恥ずべき事実だったはずである。
 とすれば、この国が行うべき道筋は、NGOによる平和的解決、救援・復興こそが本来の道筋であることを自覚し、国際会議の開催国として率先してアフガン復興のために尽力することのはずである。その道筋のどこから、「有事法制で戦時体制を準備する」などという愚劣な「課題」が登場するのだろうか。

 (3) アフガン復興への国際的支援 − なぜあのころ行われなかった 
 復興国際会議では45億ドルの国際支援が確認された。復興支援とは「資金を投入すればいい」だけのものでないことは指摘したとおりだが、復興に資金を要するのは確かだから「一歩前進」ではある。だが、アフガンの戦争と荒廃はすでに20年余に及んでいる。なぜいまになって巨額の資金の投入なのだろうか。
 イスラマバードで調査団が訪問した国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)とのミーティングでの、責任者の述懐を掲げる。
 「タリバーン政権と長く交渉を続けてきた。タリバーンはいま報道されているようなモンスターではなかった。タリバーンを説得するのは大変だったが、わかりあえば誠実で意見をよく聞いてくれる連中で、個人的には魅力のある人も多かった。だが、神学だけを学んできたタリバーンには経済がわからなかった。そこにアラブがつけこんで、経済的に乗っ取る事態が生まれた。UNHCRはタリバーン政権に『麻薬追放宣言』をさせた。だが、世界各国は完全に黙殺した。麻薬を絶つには資金がいる。『麻薬撲滅』に多額の予算をつぎ込んでいるアメリカの大使に資金援助を求めたがダメだった・・」
 述懐の意味するところは明らかだろう。
 あの復興国際会議では決定された45億ドルの一部でも、何年か前に国際社会が負担してアフガン復興支援に踏み切っていたら・・。アフガンにテロリスト集団に依拠せざるを得ない政治を生み出すことは避けられた。その努力を怠って、大国の利害で翻弄され破壊され尽くしたアフガンを「忘れられた国」のまま放置したことが、呪詛とも言うべき憤りと悲しみを蓄積させ、破壊的テロリズムの温床になった・・。
 アフガン問題の最大の教訓・・それは、「戦争が自由と復興をもたらした」のでも、「モンスターがいるからテロが起こった」のでもなく、「平和の努力を尽くさなかったから、テロと戦争になった」ことなのである。

4 アフガン問題と有事法制

 (1) 「戦争ヒステリー」のもたらしているもの
 9・11事件を機に、世界は「戦争ヒステリー」とでも言うべき症状に陥ってしまった観がある。
 やみくもな軍事報復が「テロリズムとの戦争宣言」に連なり、「2002年は戦争の年」だの、「イラク・イラン・北朝鮮の悪の枢軸」だのの粗暴で短絡的な言辞に道を開いてしまっている。世界でただひとつの超大国の為政者から吐かれ続けるこうした言動が、世界の人々に不安と疑心暗鬼を植えつけ、冷静で良識をもった思考や多様な社会・文化の共存・共生の努力に冷水を浴びせ続けている。その言動が、空爆で村を追われたアフガン難民・国内避難民の心の傷をどれだけ深くしているか、献身的に活動をしているNGOの活動をどれだけ妨げているか・・あえて指摘するまでもあるまい。
 それだけではない。災いは世界すべてに及んでいる。
 あの粗暴で短絡的な思考が、世界の緊張や不安をどれだけ高めているか。カシミールやパレスチナの事態を見れば明らかだろう。
 あの粗暴で短絡的な思考に人々が翻弄され続けることが、どれだけ人々の明日への夢や希望や意欲を失わせ、経済を失速させ、社会を不安定にしているか。
 もうみんな気がついているはずだ。

 (2) 有事法制は「悪の枢軸討伐」のため・・ 

 そのいま、こともあろうに有事法制が登場しようとしている。
 どんな小理屈をつけようと、この登場が9・11事件を機にはじまった「戦争ヒステリー」と「テロリズムとの戦争宣言」の延長線上にあることは明らかなところ。日本国憲法ができて50年余、有事法制研究がはじまって20年余、この国は一度として「有事法制がないから国が保てない」などという事態に陥ったことはないのだから。
 その有事法制がどのような場面で発動されるか。これも容易に想像できる。
 テロリズムは差別と貧困の中で生まれた「呪詛の結晶」のようなものであり、その差別や貧困を克服しない限りどこにでも土壌は生まれてくる。まして、「テロリストをかくまった者もテロリストだから軍事報復ができる」などという短絡を認めれば、「反テロ陣営」はどこにでも一方的に戦争を仕かけられる理屈になる。「悪の枢軸」のひとつとして名指しされた北朝鮮に、アメリカとの緊張が高まるのは当然の帰結ということになるだろう。
 北朝鮮との軍事緊張が高まり、またどこかでテロが発生し、それをきっかけに「北朝鮮はテロ容認国家」として米軍が空爆か海上封鎖を強行したら・・そのときこの国は周辺事態法を発動して、黄海海上のアメリカ艦隊の支援に参戦することになるのだろう。こうなれば「日本に反撃が加えられる危険」が現実性を帯びたものになり、防衛出動待機命令が発令されて、国民は有事法制によって徴用・徴発に駆り立てられる・・。
 この国から見ようと、一衣帯水の朝鮮半島や中国大陸から見ようと、想定されるシミュレーションに違いはない。
 こんなことをわざわざ準備し、「いつでも戦争をやれる」と宣言することが、いま日本がすべきことか。それがいったいだれの利益になるのか。
 問われているのは、まさしくこのことなのである。

第4 おわりに 

 自衛隊はいま現にアメリカ軍の行う戦争に協力し、戦争に参加している。そして国内では戦時立法である「有事法制」関連法案が国会に上程されようとしている。いま日本は、戦争の道をこのまま進むのか、平和の道かの岐路にたたされている。
 アメリカのアフガニスタンへの報復戦争がいずれの面でも正当化されない戦争であることをアフガン問題調査団は見聞してきた。今日本がなすべきことは、米軍によるアフガニスタンへの攻撃を中止させ、自衛隊による戦争協力を直ちにやめることである。報復は報復をうみ、果てしのない暴力の連鎖としかならない。アフガン復興会議は日本で行われ、日本もアフガン復興のために支援することが決議された。いまアフガンに必要なことは、何よりも平和であり、人間の尊厳の確保、アフガンの自立と復興であり、そのための支援である。
 私たちは、アメリカの戦争に協力することは、テロを撲滅するどころか、さらに報復を繰り返すことになることを訴えてきた。そのことは、報復戦争の現実と戦争開始後の世界の動きが事実をもって示している。

「有事法制」とは憲法第9条のみならず、国民の基本的人権を蹂躙する法案であり、「有事法制」を導入することは、すなわち、政府の恣意的な権力行使に対して国民の基本的人権を擁護する憲法の基本的体系を破壊するものである。
 日本国憲法は、前文で恒久平和を願い、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、主権が国民にあることを宣言した。第1章で再度主権は国民にあることを確認し、第2章で、前文の趣旨を実効性あらしめるための戦争の放棄を定め、平和が保障されてこそ、第3章で保障する国民の基本的人権は保障されるものであることを示した。
 そして、第4章以下では、主権の存する国民の基本的人権を擁護するための制度として国会、内閣、司法、財政、地方自治を定めた。政府の権力行使から国民の基本的人権を護るための制度を定めたものが憲法であるといえよう。
 憲法は最後に国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員に対し、憲法尊重擁護義務を課しているのである。憲法は国民の基本的人権擁護のために国民に与えられた、政府に対する武器である。
 「有事法制」のもと、いったん「有事」と認定されたら憲法の人権規定は停止する。「有事」でなくとも「備え」のためには準備が必要であり、「備え」こそ「国益」であり、「国益」こそ「公共の福祉」であるとされるであろう。「天皇大権」の名のもとに人権が制限された大日本国憲法の規定を否定したのが日本国憲法であり、「有事法制」は日本国憲法のもとでは否定されているのである。
 元防衛庁官房長竹岡氏は、「いま有事立法を迫られている防衛庁、内閣官房の当局者は困惑しているのではないでしょうか。憲法順守義務が課せられている官僚として、前記のごとき、国土が戦場と化した一億総動員下の有事法制は、真剣に考えれば、超憲法的な法制にならざるを得ないからです」と主張している。「有事法制」は日本国憲法と相いれない法案であり、竹岡氏も「政府の責任は、日本の外交、防衛に有事をもたらさぬ『抑止』を期待します。米国に率先してでも、北朝鮮をも含む朝鮮半島や中台間の和平に献身して戴きたい」と結んでいる。
 日本が武力攻撃を受ける恐れのないことは政府の誰もが認めていることであり、「有事法制の整備」の必要性は「日米安保体制の信頼性を一層強化し」「冷戦終結後の我が国を取り巻く安全保障環境の変化を踏まえ、新たな自体への対応を図る」ことである(2002年1月内閣官房)。ねらいは「周辺地域」での米軍有事に対処するものである。アジア諸国は、「軍隊」を持つ日本が、いよいよ「武力行使」する法整備を整えたとしかみない。アジア諸国民との友好に真っ向から反する動きである。
 浅井基文教授は指摘している。「対日攻撃対処」の本質は、まずアメリカが殴りかかり、殴られた国が自衛権の行使で反撃し、日本が巻き込まれるケースであると。日本は自衛権の行使として正当化できない戦争に巻き込まれるのである。

 いまめざすべきものは、アメリカの戦争に参加することではなく、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位」(憲法前文)を占め、平和を達成することである。国連憲章前文、第1条、第2条に基づく紛争の解決が重要であり、日本政府は日本国憲法を遵守することこそ平和の道と考える。
 日本政府は、アメリカに対しては直ちに戦争をやめるよう申し入れるべきであり、自衛隊をすぐに撤退させるべきである。そして、無法なアメリカの戦争に参加するための法案であり、憲法第9条に違反するのみならず、基本的人権を侵害し憲法と相いれない「有事法制」の制定を直ちに中止すべきである。
 私たちは「有事法制」に反対し、政府が平和に徹した外交を展開することを求めるとともに、平和を願う世界と日本の人々とともに「平和の道」を邁進することを誓う。


往くべきは平和の道 有事法制に反対する
2002年 3月 5日
編 集  自由法曹団有事法制阻止闘争本部
発 行  自由法曹団
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