<<目次へ 【意見書】自由法曹団


2002年10月

      戦争 と 国民 そして 日本国憲法

有事法制を問う

自 由 法 曹 団


  はじめに ―― いまあらためて有事法制を問う
  T アメリカの世界戦略と有事法制
    第1 2つの道・・アジアの平和か戦争か
    第2 アメリカの軍事力による世界支配戦略
    第3 日本に求められている選択
  U 事態対処法制(個別法制)と「国民保護」
    第1 「国民保護法制」先送りの意味するもの
    第2 戦争法体系を生み出す事態対処法制
    第3 戦争法のなかの「国民保護」
    第4 事態対処法制のもたらすもの
  V 日本国憲法と有事法制
    第1 改憲を先取りする有事法制
    第2 いまこそ平和憲法を活かす道を
  おわりに ―― アフガン報復戦争のもとでの1年



はじめに − いまあらためて有事法制を問う

 7月31日、第154通常国会の閉会に伴って、有事法制関連三法案は継続審議となった。4月17日の国会提出から3箇月余、平和を願う広範な国民の反対運動が巻き起こり、地方自治体やマスコミからも厳しい批判を受けての継続審議であった。5月21日、中央公聴会の単独決定を強行してまで成立をはかろうとした法案であったことを考えれば、成立を許さなかった通常国会の閉幕は、国民の良識の力を発揮したものと言えるだろう。
 自由法曹団は、日本国憲法を蹂躙し、世界とアジアを戦争の道に進ませようとする三法案に真っ向から反対し、法律家の立場から見解を表明するとともに、反対運動の一翼を担ってきた。第1意見書「往くべきは平和の道」(3月5日)、第2意見書「戦争動員法案に反対する」(4月18日)、第3意見書「戦争動員法案20の疑問」(5月10日)、第4意見書「衆議院論戦を検証する − もう廃案しかない」(6月3日)と、発表した意見書も4度に及んでいる。
 これら意見書で明らかにしたとおり、三法案は経過の上からも法文の上からも明らかな「米軍のための戦争動員法」であり、そのことは米軍に追随しての発動・参戦をあけすけに認めた政府の答弁からも明らかであった。国会審議で三法案の破綻が露呈し、戦争の道を拒否する国民の意思が明らかになったいま、政府・与党がなすべきことは三法案をきっぱりと廃案にすることであり、それこそ北朝鮮訪問・日朝共同声明で政府自らが開こうとした北東アジアの平和に寄与する道である。
 にもかかわらず、政府・与党はあくまで有事法制関連三法案強行の姿勢を捨てず、「修正」をほのめかす一方で、「国民保護」に名を借りて事態対処法制=個別法制の準備を進めている。ブッシュ政権のイラク攻撃が迫るなかで、「テロ対策新法」の検討も開始されるなど、小泉政権の対米追随の姿勢はまったく変わっていない。一方、衆参両院の憲法調査会では改憲をめぐる論議が堂々と続けられ、平和憲法支持の圧倒的な世論にもかかわらず、調査会が明文改憲の拠点にされようとしている。こうしたもとで強行される三法案が、明文改憲に直結するものになることも明らかである。
 この第5意見書は、これまでの意見書をふまえて現在の課題・論点となっている、
 @  アメリカのイラク攻撃態勢のもとで有事法制がどのような意味をもつか
 A  「国民保護」の名のもとに強行されようとする事態対処法制がなにをもたらすか
 B  有事法制が日本国憲法の理念をいかに根こそぎ蹂躙して明文改憲に道を開くか
の3点に絞って、法律家の立場から検討・解明を加えたものである。
 アメリカの単独行動主義が全世界の非難を集める一方で、日本に北東アジアの平和への大きな役割が期待されているこのいま、この国がやるべきことが、あくまで対米軍事追随を貫徹し、平和憲法の理念を根こそぎ蹂躙する有事法制を強行することか・・自由法曹団1600名の弁護士は、いまあらためて有事法制を問う。


T アメリカの世界戦略と有事法制

第1 2つの道・・アジアの平和か戦争か

1 日朝共同声明と日本国憲法
 9月17日に小泉首相が北朝鮮を訪問し、日朝共同声明で日朝国交正常化交渉の再開が合意された。言うまでもなく、朝鮮半島の南北分断と1953年7月27日の朝鮮戦争・停戦協定の成立以後約50年も続いている二つの国家の戦争状態の継続は、現在の世界の中で最も不正常な状況の一つである。世界とアジアの平和にとって、この状況は一日も早く改善されなければならないことは誰の目にも明らかである。しかし現実にその道を見いだすことは極めて困難であった。2000年6月16日の南北首脳会談は、全世界の人々にその期待を抱かせた。しかしその後の大きな進展はなかった。それどころかブッシュ政権の成立以後のアメリカの態度は、第二次朝鮮戦争を発生させる恐れさえ現実感をもって考えさせることになった。
 そのような歴史的状況の中に、今回の小泉首相の北朝鮮訪問と日朝国交正常化交渉再開の合意がある。このことの持つ意味は限りなく重い。我々はまずこのことをしっかり腹に据える必要がある。
 もとより、正常化交渉を前進させるためには問題も多い。金正日総書記との会談では、いわゆる「拉致事件」の概要が明らかにされた。被害者のうち8人が死亡という事実が示され、日本国内に激しいショックを巻き起こしている。しかもこの犯行は北朝鮮・特殊機関によるものとされ、北朝鮮の国家的犯罪であることが白日の下に明らかにされた。金正日総書記からは、謝罪とともに「これからは絶対起こさない」との言明もされたが、日本国内では真相の解明を求める声がいよいよ強まっている。
 北朝鮮の行為は国家的犯罪であり、日本の過去の植民地支配によって免責されるものではない。しかし同時に、このような国際犯罪への対応は、戦争に訴えることでも、軍事力によって威嚇することでもないことも、確認されねばならない。本年7月1日、国際刑事司法裁判所の発足が確定した。21世紀初頭の世界は、真相の解明・責任者の逮捕訴追と処罰・被害者への適正な補償など、国際犯罪を司法手続によって処断することを基本的なルールとする世界に向かっているのである。
 このような課題をかかえてはいても、今回の合意の内容の前進は、北東アジアだけでなく世界の平和のためにも絶対的に必要である。日本の我々もまたこのためにできることを全力を挙げて行わなければならない。そしてその時の日本の行動指針は日本国憲法の理念と精神である。まさに今こそ憲法第9条を輝かせ、これを高く掲げて事態に対処することが、アジアと世界の平和の実現のために必要な時である。

2 イラクに向けた戦争計画の進行
 「アメリカのイラク攻撃の可能性はかなりある」・・報道では、これは小泉首相の助言機関「対外関係タスクフォース」での会合で各委員が一致した認識であるとされている(本年8月25日付朝日新聞)。小泉首相自身もこの会合に出席していた。この状況は、9月17日の日朝首脳会談があった後も基本的に変わっていない。
 周知のように、昨年の9・11事件以後、アメリカのブッシュ政権は「対テロ戦争」を口実に、軍事力による世界支配戦略を強力に押し進めている。昨年10月7日から開始されたアフガン戦争は現在もなお継続されている。
 そしてブッシュ政権は、本年1月末の一般教書演説の中で、イラク・イラン・北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しで非難し、大量破壊兵器の開発等を口実にイラク攻撃を今年中にも開始しようと着々と準備を進めてる。大統領を先頭にブッシュ政権の中枢を占める極右翼の政府高官達は、アメリカ単独でもイラクを攻撃するとの姿勢である。
 ブッシュ大統領は、「悪の枢軸」発言を皮切りにイラク攻撃の発言を繰り返している。3月11日には、対テロ戦争が第二段階に入ったとして、イラク攻撃を示唆した。同月13日、イラク攻撃の理由として大量破壊兵器の開発等を挙げている。
 マスコミもまた次々と具体的な作戦計画を報じ始めた。7月5日のニューヨーク・タイムスは、「25万人の米軍を3方から投入してフセイン政権を一挙に転覆する」という作戦計画を報じている。7月28日の英国サンデー・タイムズもまた、「イラク周辺からの陸海空の同時攻撃」と報じ、翌7月29日のニューヨーク・タイムスもまた、「第1撃でバクダッドを急襲する」とした。さらに8月6日のウォールストリートジャーナルも「空爆と同時に5〜8万人の地上兵力で攻撃する」と報じた。
 9月12日の国連総会での演説で、ブッシュ大統領はイラク攻撃を正当化する国連安保理決議を求め、もし国連がきちんと対応しなければアメリカと同盟国とでイラクに対する軍事攻撃を開始すると世界に脅しをかけている。

3 有事法制関連三法案の重大な危険性
 このアメリカの軍事力による世界支配の戦略に対しては全世界から批判や憂慮、さらに反対の声がまき起こっている。とくにイラク攻撃に関しては、アメリカの最も忠実な同盟国であるイギリス政府を除いて、フランス・ドイツ・イタリア等EU諸国の全てから反対の声があがっている。イギリスでも世論の過半数は反対と言われている。アジア諸国やイスラム諸国では、絶対反対の声が大きくひろがりつつある。アメリカ国内でも民主党バーバラ・リー議員を初めとして知識人の間から、単独行動には反対の声が上り始めている。この声は、共和党の一部議員にも広がり始めていると言われる。
 こうしてアメリカ政府の中にも、全世界の反対を押し切って単独でイラク攻撃に踏み切ることは大きな賭だという意識は生まれはじめたようである。ブッシュ政権は、国連を無視して単独行動に走るという方針を転換して、国連安保理の決議を要求しはじめた。しかし国連が思いどおりにならなければ、アメリカだけでもイラクを攻撃するという立場は変えていない。
 このような状況の中で、日本が有事法制関連三法案を成立させて、アメリカの単独行動主義に全面的な支援の姿勢を示すことがどのような意味をもつかは明らかであろう。
 この日本の全面的な支援の姿勢は、全世界から孤立しかねないアメリカの立場を強固にし、ブッシュ政権に対する最も力強い激励になる。アメリカは安心して戦争政策を遂行することができるようになる。こうして日本は再び自らの選択として、アジアの諸国民に対して、加害者の立場に立って戦争による惨禍を押しつけることになる。
 56年前、日本は「政府の行為によって再び戦争の惨禍がおきることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言して」日本国憲法を確定した。今日有事法制関連三法案を成立させることは、事実上、この厳粛な誓約を破り捨て、投げ捨てることを意味する。日本国民は、主権者として、このような選択を絶対に拒否しなければならない。

第2 アメリカの軍事力による世界支配戦略

1 「世界最強の国」の人類史的な責任
 「ベルリンの壁」の崩壊やソ連の崩壊以後の世界は、唯一の超大国になったアメリカの一極支配の世界になった。
 アメリカは経済力において、世界のGDPの30%を占め、世界貿易の主要部分を占めている。アメリカを除く全ての国が、自国の経済発展をアメリカの市場に頼っている。グローバル化した世界経済は、アメリカ経済の正常な運営なくして成り立たない状況になっている。このようにアメリカ経済はすでに世界的には一種の公共財ともいえる存在になっている。ここではアメリカが自国の国益だけを考えて行動する余地はほとんどないはずである。客観的に、アメリカ国民の利益と全世界の諸国民の利益を両立させる政策を採る人類的な責任がアメリカ政府とアメリカ国民には要請されている。
 アメリカは軍事力においてもまた、世界の唯一の超大国である。2002年度のアメリカの国防予算は約3440億ドルに達しており、約8000億ドルといわれる世界の軍事費の40%を占めていた。2003年度はさらに15%も増加する予算になったと報じられている。いまだに数千発もの核兵器を保有し地球を何十回も破壊するに足りる狂気の力を保持し続けている。その上さらに未臨界核実験を何度も繰り返してこれらの核兵器の「改良」や小型化に邁進している。また通常戦力においても、約137万人の常備軍、500万トン、970隻におよぶ海軍力(11隻の空母を中心とした空母戦闘群)、3500機の作戦機を所有している。特に、湾岸戦争以後、急速に改良された超精密誘導爆弾等のハイテク兵器体系とコンピューター等、IT技術を駆使した戦術戦闘体系を完成させ、世界の軍隊の中で他を寄せつけない強力な軍隊を持つに至っている。今日、アメリカ軍と対等に戦って勝利できる軍隊はどこにもない。
 この強大な軍事力がアメリカ一国だけの利益のために暴走したとき生じる惨禍が深刻きわまりないことは、あらためて指摘するまでもあるまい。

2 軍事力による世界支配の戦略
 現在アメリカのブッシュ政権のとりつつある新しい世界戦略は、明らかにこのアメリカの世界史的な、人類史的な責任に背をむけるものである。経済的にも軍事的にも最も強力となったアメリカは、ただアメリカ一国の利益、しかもアメリカの中の一握りの特権階級の利益の確保と擁護のためだけにこの力を利用しようとしている。
 8月15日に発表された「2002年版国防報告」では、アメリカ政府は、アメリカの国益を護るためには、敵対国家への先制攻撃もあり得ることを明記した。さらに核兵器の先制使用も辞さないこと、また、そのアメリカの軍事力の主要な矛先をアジアに向けることを公言している(8月15日付産経新聞等)。
 すなわち、同報告では、まず「安全保障環境の再検討」として、9・11事件により、これまでアメリカの安全を保障してきたと考えられていた地理的な環境、すなわち太平洋と大西洋という二つの大洋に守られているという条件が失われた。武力衝突がいつ、どこで起きるかは予測不能になっており、大量破壊兵器の拡散の危険も高まっている。世界の各地で、一定の勢力がアメリカの国益を脅かす能力を開発しており、特にアジアで大規模な軍事競争が起きる危険性が増しているとする。名指しこそしていないが、中国が「アメリカの軍事的な競争者」となる可能性を強調し警戒感を煽っている。またイラン・イラク・北朝鮮を挙げて「大量破壊兵器の開発を目指している」とし、アメリカに敵対して軍事力を拡大しようとしていると非難している。
 以上のような認識の下に、「新戦略の策定」と題して、アメリカを守り「平和を維持する」ために、以下の4項目の防衛目標を掲げた。
 @ 同盟国・友好国に対する安全保障を確保する。
 A アメリカとの軍事競争を始める可能性のある他国(中国など)に対して、事前にその可能性を排除する。
 B アメリカおよびアメリカの国益に対する脅威を抑制する。
 C 抑制が失敗した場合には、敵性国家に対して(その政権の交代も視野に入れた)決定的な撃破を行う。
 さらに、こうした防衛目標を実現するためには、対テロ戦争の教訓として総括した幾つかの点が将来的にも適用できるとする。ここで掲げられている主要な教訓とは以下のようなものである。
 @ 21世紀の戦争では、軍事作戦に加えて、経済・外交・金融等の国力の全ての要素を動員する必要がある。
 A アメリカを護るには、「予防」、場合によれば「先制攻撃」が必要である。優れた攻撃が最良の防衛である。
 B アメリカは事前にあらゆる可能性を否定しない。勝利をえるためには手持ちのあらゆる手段を用いて、どんな犠牲をもいとわないことを敵に理解させる必要がある。
 C ハイテク兵器だけでは勝利は得られないので、特殊部隊の要員が現地で攻撃目標への誘導を行う等の新旧戦法の組み合わせが有効である。
 このようにこの国防報告は極めて好戦的である。アメリカ単独でも戦争行為に訴える姿勢を隠そうともしない。
 注意すべきは、アメリカの国防報告は単なる1つの省庁の報告ではないことである。
 現在のアメリカの政治や外交は、産軍複合体を含む軍事部門に支配されている。周知のように、チェイニー副大統領は湾岸戦争時の国防長官であり、パウエル国務長官は統合参謀本部議長であった。これらに象徴されるように現在のブッシュ政権の中枢、ホワイトハウス・国務省・国防総省等は、軍人・元軍人そしてアメリカでも極めつけの好戦的な思想の持主たちによって占められている。国家予算に占める国防費の比率も3割を越えている。アメリカ経済における軍事産業の占める比率もきわめて高く、戦争なしには好景気は望めないという状態にあると言われている。
 現在のアメリカは世界最大の軍事国家なのであり、国防報告はアメリカの政治・外交の基本的な方針を示す文書なのである。
 9月20日、ブッシュ政権は「アメリカの国家安全保障戦略」を発表した。
 「自由と民主主義が国家を成功させる唯一のモデルである。米国は今日、比類なき力と偉大な経済的、政治的影響力をもっている」と誇示した「序文」にはじまるこの「戦略」は、「われわれは単独行動に出ることを躊躇しない。必要であれば自衛のために制攻撃もする」と宣言するなど、国防報告と同趣旨の内容がいっそう激しくあけすけな表現で語られている。

3 ブッシュ政権の単独行動主義
 ブッシュ政権のユニラテラリズム(単独行動主義)の現れは軍事面だけではない。
 このことは、地球温暖化防止など世界が追求している環境対策のひとつの到達点である「京都議定書からの離脱」や、世界が着実に積み上げてきた多くの「核軍縮条約」を反古にしようとする態度などからも理解できる。
 2001年12月にはABM制限条約からの一方的な脱退を通告し、この条約は本年6月13日に失効している。このためこれに対抗してロシアは第二次戦略兵器削減条約(START2)の無効を宣言した。
 アメリカは昨年11月の第2回CTBT発効促進会議を開催日になってボイコットするという暴挙を行い、包括的核実験禁止条約(CTBT)の死文化をも狙っている。世界の非難も全く省みることなく、数十回の未臨界核実験を続行し続けている。核不拡散条約(NPT)すらも無視しはじめようとてしている。
 本年7月1日に発効した国際刑事裁判所を骨抜きにしようとする行動も実に露骨である。アメリカは国際犯罪を司法的な手続きによって裁くという人類の理想そのものに敵対しているとしか言いようがない。
 また、ブッシュ政権は本年7月22日、突然国連人口基金への3400万ドルの拠出中止を強行した(7月31日付朝日新聞)。7月24日には、国連社会経済理事会で10年以上かけた拷問禁止条約議定書の採択がなされたが、ここでもアメリカは「時期尚早。国家主権が侵害される。」として採決に反対した(日本も同調。しかし結局条約案は可決された 7月30日付朝日新聞)。8月にヨハネスブルグで開かれた世界環境サミットにブッシュ大統領は欠席した。こうした国連の活動への敵視もまた露骨である。

4 アメリカ軍の残虐性・・・軍事化した世界の恐ろしさ
 現実に進行しているアフガン戦争では、アメリカ軍の残虐性もまたいよいよ明らかになっている。
 7月1日には結婚式に集まった人々に対して空から爆弾の雨を降らせた。死者48人、負傷者117人と報じられている(8月4日付朝日新聞)。しかしアメリカは「誤爆だ」といってすませ、アメリカの援助なしには国家の再生もままならないアフガン政府は抗議もできない状態である。4月18日にも誤爆でカナダ兵4人が死亡している(8月8日付朝日新聞)。
 韓国では、6月13日、2人の女子中学生がアメリカ軍の架橋用装甲車にひき殺されるという事件も発生し、韓国でも責任追及・謝罪要求などの声が高まっている。
 このようなアメリカの好戦的な態度は、パレスチナでは一層過酷で悲惨な状況を生み出している。イスラエルは、一人のPLO幹部を逮捕するためと称して、1トン爆弾を多数の民間人が居住しているアパートに打ち込んだ。数十人が一瞬にして死亡したと報じられている。
 アメリカは、自国の安全のためなら人間の命を何とも思わない時代に逆戻りさせようとしているに見える。

第3 日本に求められている選択

1 ユニラテラリズム(単独行動主義)のもたらすもの
 軍事力を最優先にして貫徹されようとしているアメリカのユニラテラリズム(単独行動主義)は、全ての国の多様性を保障しつつ共存しようとする世界の努力を押しつぶそうとしている。地球社会を再び19世紀以前の世界に押し戻し、豊かで繁栄する一部の国と、飢餓にあえぎつつ恐怖と貧困の中で暮らさざるを得ない大部分の国に、世界を分断しつつある。世界中のあらゆる国と市民は、このアメリカの一国覇権主義に対して重大な懸念を表明し始めている。

2 日本政府の態度
 しかし、現在の日本政府は、この世界中が抱いている懸念に対してほとんど反応していないように見える。この8月に閣議決定された「平成14年版防衛白書」は「まるでアメリカの白書のようなもの」と評価されている(8月4日付朝日新聞)。アメリカの要求に応じて、米軍と米軍を支援する自衛隊の自由勝手な行動を保障するための武力攻撃事態法案等の有事法制関連三法案の強行も企てられている。アメリカのイラク攻撃に対しては、新テロ対策措置法を作成して協力しようとする動きも始まっている。
 このような中で、今回の小泉首相の北朝鮮訪問と国交正常化交渉再開の合意は、確かに矛盾しているように見える。アメリカは内心では不満らしい。
 しかしこのような矛盾にみえる事態が生じることこそ、まさに世界の現状を映し出しているのである。アメリカとイギリスを除く世界中の人々は、アメリカのユニラテラリズムに反対を明確にしはじめている。そうでなくては世界がもたないことが次第に明らかになっているからである。日本政府もこの現実を無視できなくなっているのである。

3 いま求められるもの − 日本国憲法と国連憲章の理念に基づく秩序の構築
 すでに述べたとおり、現在アメリカが進めようとしている軍事力による世界支配の戦略に日本が全面的に協力することは、世界の平和と安全に重大な危険を生じさることになる。とりわけ、朝鮮半島や台湾海峡をめぐる戦争の危険を極限まで押し進めることになりかねない。
 こうした世界の現状では、まさに日本国憲法の平和主義こそ世界の導きの星である。このことが、さらに明らかになりつつある。
 この憲法を持つ日本のなすべきことは、地球上に暮らす60億の人々のすべてが、法の支配の貫徹した公正な世界において平和のうちに暮らすことができる社会の構築であることがいよいよ明らかになってきた。
 アメリカ・ブッシュ政権の進めようとしている世界戦略に断固反対を表明すること、有事法制関連三法案を直ちに廃案にすること、そして日朝首脳会談の成果の上にアジアの平和を現実のものとすること・・これこそ、21世紀の初頭にあたっての日本の選択でなければならない。

U 事態対処法制(個別法制)と「国民保護」

第1 「国民保護法制」先送りの意味するもの

1 武力攻撃事態法案と対処措置
 有事法制関連三法案のひとつ武力攻撃事態法案は、
 @ 政府が武力攻撃事態を認定して対処基本計画を決定すると(第9条)、
 A 基本計画にもとづく対処措置が実行されることになり(第2条6)、
 B 政府機関・地方自治体・指定公共機関(公的団体・民間企業)が対処措置を実行する義務を負い(第4条〜第6条)
 C 内閣総理大臣が地方自治体や指定公共機関に指示や直接執行ができ(第15条)、
 D 国民には対処措置への協力義務が発生する(第8条) という構造になっている(以下、条文番号は法文名がない限り武力攻撃事態法案)。
 その対処措置とは、自衛隊の作戦から自衛隊・米軍への兵站の提供、国民保護や経済安定のための警報・避難・救助・復旧・価格統制・物資配分(配給)などの広範囲に及んでおり(第2条6)、法文には「その他」が付されているから列挙したものにとどまるわけではない。これでは「およそ戦争にかかわることはすべて対処措置」と言っているに等しい。

2 通常国会での「先送り」答弁
 第154通常国会での法案審議で、この対処措置の具体的な内容や、それに伴う国民への権利制限の内容・程度がひとつの焦点になった。地方自治体や民間企業、国民の側からすれば、政府の決定ひとつで戦争にかかわる業務が強要され、協力が要求されるのだから、論戦の焦点になるのはあまりにも当然である。ところが、対処措置についての政府の答弁は、国民への権利制約についてはあけすけに肯定する答弁を行いながら、対処措置の具体的内容についてはほとんどすべてを「先送り」する答弁を繰り返した。
 例をあげておこう(詳しくは自由法曹団第4意見書「衆議院論戦を検証する − もう廃案しか道はない」=2002年6月3日)。
 * 公共機関の指定は、当該機関の業務の公益性の度合いや、その業務の武力攻撃事態対処との関連性などを踏まえ、当該機関の意見も聞きつつ、総合的に判断することとなる(4月26日 小泉首相)
 * (武力攻撃事態法の「指示」は)地方自治法の代執行とは中身がかなり違う。・・・こういう措置をどういうふうに組み立てるか、制度設計するかは、実はこれからだ(5月29日 片山総務相)
 * 武力攻撃事態法は指定公共機関に直接の義務を課すものではなく、今後整備する個別法律で具体的に定める(5月9日 福田官房長官)
 これでは、なにをさせられるのか全くわからないままで、地方自治体や民間企業の義務と国民の権利制約だけが確定させられることになる。多くの地方自治体から反対・慎重の意見が提出され、野党議員が「それならなぜこの法案だけ提出したのか」と詰め寄ったのも、その限りでは当然なのである。

3 急浮上した「国民保護法制」
 こうした批判を受けて、政府・与党は事態対処法制=個別法制の検討を急浮上させ、臨時国会には「国民保護法制の要綱を明らかにする」と表明した。「国民保護」を割り込ませることによって「先送り」批判に対処するとともに、有事法制があたかも「国民を守るための法制」であるかのように描き出そうとしていると考えられる。
 だが、どうしていまごろ「国民保護」なのだろうか。
 「国民保護」などの対処措置の具体的な内容が「すべてこれから検討」とされる一方で、三法案には「予測段階」での自衛隊の陣地構築や、アメリカとの密接な協力や、米軍への兵站支援などがドラスティックなまでに書き連ねられた。武力攻撃事態発動に際しての米軍との「調整メカニズム」での検討・調整はリアルに答弁されながら、住民に最も密着した地方自治体との連携や地方自治体の役割は、「これから制度設計」というだけだった。最後まで提出予定がささやかれていたのは米軍支援法であり、避難や救助の法制など提出準備の片鱗もなかった。これはいったいどうしたことだろうか。
 結論は単純である。有事法制の急浮上と提出の過程のなかで、政府・与党は国民保護など最優先で検討するものとは全く考えていなかった。必要なものは、米軍との調整を経た武力攻撃事態の認定と、自治体・企業・国民の動員と、米軍への兵站提供という基本的な枠組みを一気につくりあげることだった。
 これしか「国民保護」の片鱗もない「三法案提出劇」を説明する方法はない。

4 なぜ「国民保護」は先送りされた
 政府・与党は、なぜ「国民保護」を先送りしていいと考えたか。
 「国民に冷酷な政府だから」ではさすがに説明にならないだろう。国民の政治批判が厳しい現在、「政府の準備不足のために、本土空襲で甚大な犠牲者を出した」では、政権がもたないどころか、戦争遂行もおぼつかないからである。
 これまた答はあまりにも単純である。
 政府も与党も、有事法制を発動して突入する戦争態勢で、「本土空襲で甚大な被害が発生する」などとは全く考えていなかった。「現実に起こり得ない事態」であるとわかっていたから、検討は「先送り」でよく、具体性がなくてもよかった。
 その一方で、「周辺事態と武力攻撃事態の併存」だの、「日米調整メカニズムでの調整」だのという武力攻撃事態の発動をめぐる事項は、なぜあれほどまであけすけでドラスティックなまでに並べられたか。それこそが「現実に起こり得る事態」としてアメリカとの入念な調整をすませてきた事項だからであり、提出が予定されながら先送りされた米軍支援法が先送りされたのは、米軍との調整がつかなかったためにほかならないのである。
 「国民保護」先送りは、「日本有事」に対応してきたその限りでは「防衛的」な70年代以来の有事立法研究を、「周辺事態」に対応した米軍追随の侵攻型有事法制に組み替えるという有事法制関連三法案の本質を物語っているのである。

第2 戦争法体系を生み出す事態対処法制

1 武力攻撃事態法案が予定する事態対処法制(個別法制)
 有事法制三法案への国民的な批判を意識してか、政府・与党はことさら「国民保護法制」を強調し、あたかも「国民保護」が眼目であるかに見せかけようとする。
 まず、はっきりさせておこう。武力攻撃事態法案で整備が義務づけられる「事態対処法制」(個別法制)とは、以下の4分類の措置を実施するためのものである(第22条)。
 @ 「武力攻撃から国民の生命、身体及び財産を保護するため」の措置(同条1の前半)     警報の発令・避難の指示・被災者の救助・消防等(小分類のイ 以下、同じ)、施設・設備の応急の復旧(ロ)
 A 武力攻撃が国民生活及び国民経済に影響を及ぼす場合において当該影響が最小となるようにするための措置(同条1の後半)
    保健衛生の確保、社会秩序の維持(ハ)、輸送・通信(ニ)、国民生活の安定(ハ)、被害の復旧(ヘ)
 B 武力攻撃を排除するために必要な自衛隊が実施する行動が円滑かつ効果的に実施されるための・・武力攻撃事態を終結させるための措置(同条2)
    捕虜の取り扱い(イ)、電波・通信(ロ)、船舶・航空機の航行(ハ)
 C アメリカ合衆国の軍隊が実施する日米安保条約に従って武力攻撃を排除するために必要な行動が円滑かつ効果的に実施されるための措置(同条3)
 それぞれの分類には法文に列挙された項目を摘示したが、@〜Bにはいずれも「その他の措置」との記載があるから、どれだけ拡大されるかわからない。Cに全く限定がないことは法文上からも明らかである。
 これでは、広範な対処措置(第2条6)に対応して、戦争遂行に必要なあらゆる法制を網羅した戦争法体系を整備すると言っているに等しい。この膨大な戦争法体系のうちで、かろうじて「国民保護」とも言えるのは、「生命・身体・財産を保護するため」という@の部分にすぎないのである。
 では、@以外の事態対処法制とはどのようなものだろうか。

2 社会経済統制法制
 「保健衛生」「社会秩序」「輸送・通信」「生活安定」「被害復旧」などのAの分類は、戦争遂行のための「社会経済統制法制」である。法文の上では、避難・警報・応急復旧などと並べられているが、これらは「国民の生命、身体及び財産の保護」を目的とするものではなく、「国民生活及び国民経済」への「影響」に対応するものである。
 戦争を遂行するには、後方にあたる社会の秩序や経済の安定が確保されていなければならず、そのためには国家による介入・統制が不可欠になる。かつてこの国を覆った国家総動員法では、「生産、修理、配給、輸出、輸入、保管」「運輸、通信」「金融」「衛生」「教育訓練」「試験研究」「情報、啓発宣伝」「警備」が「総動員業務」として列挙されていた(国家総動員法第3条)。この総動員法での列挙と武力攻撃事態法での列挙に、著しい類似性があるのは直ちに見て取れるだろう。
 「備えあれば憂いなし」と言う政府・与党は、この国が武力攻撃を受けて全面戦争に突入する事態を想定しているようである。自由法曹団が繰り返し指摘してきたように、そのような事態は全く考えられないが、どうしてもこうした「本土空襲」「本土決戦」の事態を想定しようとすれば、「銃後の守り」の必要になるメニューには国家総動員法と大きな違いはないからである。
 その結果、「社会経済統制法制」は著しく大時代的なものとなり、国民の自由や権利を正面から制約するものにならざるを得ない。「保健衛生」とは生物兵器・化学兵器の脅威に対応するための生活レベルの点検にならざるを得ず、「社会秩序」は利敵行為や「スパイ」の摘発を含む強権的なものになるだろう。「輸送・通信」は経済秩序を維持して戦争を遂行するための軍事優先のものにならざるを得ず、「生活安定」は価格統制や物資の配給を伴うものになるだろう。現に、同じ武力攻撃事態法案では、対処措置のなかに「生活関連物資等の価格安定、配分その他の措置」が掲げられているのである(第2条6ロ(2))。
 こうなれば、「被害の復旧」の対象が住居や地域の復興ではなく、戦争の遂行に不可欠な道路・鉄道・橋梁、「ライフライン」や通信線、政府施設や生産工場などになることは明らかだろう。自然災害だった阪神・淡路大震災ですら、最優先にされたのは高速道路の復旧や都市の経済の復興であって、被災者の住居や生活の復興ではなかったのだから。
 これらはおよそ「国民保護」などと言えるものではない。

3 作戦・兵站法制
 「捕虜」「電波・通信」「船舶・航空機の航行」が例示されたBの分類が、直接的に戦争遂行のための法制となることは、「自衛隊が実施する行動が円滑かつ効果的に実施されるため」という目的そのものから明らかである。
 「電波・通信」とは軍事優先のための通信管制、「船舶・航空機の航行」とは作戦に従事する艦船・航空機を優先するための海域・空域の管制を意味しているだろうから、いずれも作戦を支援する兵站法制の一種ということになる。「自衛隊は軍隊ではない」と言い続けてきたこの国が、軍隊を前提にした「捕虜」についての法制を持つことが、戦争にさらに一歩踏み込むことになることも論を待たない。
 政府の通常国会での答弁によれば、対処措置を遂行する地方自治体や指定公共機関の義務は、武力攻撃事態法によって直接発生するのではなく、「今後整備する個別法律で具体的に定める」ものとされている(5月9日 福田官房長官答弁)。とすれば、作戦・兵站に関わる個別法制は、「捕虜」「通信管制」「海域空域管制」にとどまらないことになる。
 対処措置の中心となるのは、自衛隊と米軍の「円滑かつ効果的に行われるために実施する物品、施設または役務その他の提供」であり(第2条イ(2))、その対処措置を政府機関とともに実行するのが地方自治体と指定公共機関である。ここには、「地方自治体の土地や施設の提供」や「医療機関の医療業務」「鉄道輸送や道路輸送による部隊や物資の輸送業務」などの兵站業務が含まれているはずであり、「通信管制」と「海域空域管制」の法整備ではとうていまかなうことはできない。こうした対処措置を実施しようとすれば、それぞれの関係分野ごとに「作戦・兵站法制」の整備を行わざるを得ないことになる。

4 米軍支援法制
 武力攻撃事態法案の著しい特徴は、アメリカにだけ最初から特殊的な地位を付与し、対処においては「アメリカ合衆国と緊密に協力」し、米軍に兵站を提供することを法律上明記しているところにある。法律の明文で対米追随を誓約したに等しいこの構造をいっそう推し進めようとするものが米軍支援法であり、これも武力攻撃事態法案で制定が義務づけられている。
 アメリカとの秘密協議の必要もあってか、この「米軍支援法制」の内容は依然として判然としていない。通常国会での答弁によれば、「米軍へ陣地として使用される施設、区域を迅速に提供できるような、あるいは緊急通行についても今後検討していく」(5月7日 川口外相)、「民間の空港や港湾、漁港など、既存の施設を一時的に米軍に提供すること」についても「今後、政府全体として検討していく」(5月29日 川口外相)とのことだから、米軍に自衛隊と同じような特権的地位を付与するものになることは間違いない。

5 法制すべての変容 − 属国の戦争法体系
 これまで見た「社会経済統制法制」「作戦・兵站法制」「米軍支援法制」が、戦争を放棄した日本国憲法のもとで、「戦争をしないこと」を基本として組み立てられているこの国の法制のすべての分野にわたって、根本的な変容をもたらすことは言うまでもない。憲法上の理念である「地方自治の本旨」を基礎にしている地方自治法に、自衛隊と米軍の兵站を担って徴用・徴発業務を遂行するという役割や、そのための政府の「指示」「直接執行」を割り込ませることを考えれば、このことは容易に理解できるだろう。
 事態対処法制=個別法制が揃ったとき、この国は法体系の上でも「戦争法体系を持った国」に生まれ変わる。戦前の日本が国家総動員法などの法制でもって実現した戦争法体系を、武力攻撃事態法のもとの多数の事態対処法制=個別法制で実現することになるのである。しかも、その戦争は独立国の責任と判断で行う戦争ではなく、「アメリカ合衆国と緊密に協力」し、米軍の兵站を国民の強制動員で担うことを法律上で明記したものとなる。
 これでは「属国の戦争法体系」と言うほかはないのである。

第3 戦争法のなかの「国民保護」

1 「戦争被害」と自然災害被害
(1) 「国民保護法制」と災害法制
 「社会経済統制法制」「作戦・兵站法制」「米軍支援法制」と連なる事態対処法制=個別法制はこの国の法制を全面的に変容させ、法律上もアメリカに追随した「属国の戦争法体系」を生み出すことになる。その体系があまりにもおぞましいものであることは、これ以上説明を要すまい。
 そのおぞましさを認識してか、政府・与党はこれらの事態対処法制には言及せず、ことさら「国民保護法制」を強調して見せる。警報や避難、救助や消防、応急復旧なら、国民生活にも直結しているし、震災や津波などの自然災害の時にも行っているから、別に異様なものでもないという思惑だろう。
 確かに、災害対策基本法には、「警報の発令」「避難の勧告又は指示」「消防、水防」「救難、救助」「施設及び設備の応急の復旧」といった災害応急対策が摘示されている(災害対策基本法第50条)。警報・避難といった「国民保護」の検討には、災害対策基本法や災害救助法などの災害法制が最大限活用されるに違いない。

(2) 「戦争被害」と自然災害
 「戦争被害」と自然災害被害は、応急対策という点では同列に考えられるものか。
 自然災害とは一過性のものであり、「敵が占領地域を拡大して追撃する」だの、「避難先に絨毯爆撃が加えられる」などということはあり得ない。だから、応急対策で要求されるのは、「津波のこない高台に逃げよう」「余震に注意しよう」といった注意・判断であって、意図的に攻撃を加える「敵」などを想定する余地はない。また、自然災害では、現にその「敵」と戦闘を行っている「作戦」や「作戦軍」にあたるものはなく、せいぜい「消防車の進行を妨害しないように」程度の注意が要求されるだけである。
 この戦争と自然災害の本質的な相違は、応急対策では決定的な違いとして現れる。
 第1に、自然災害では住民の生活に密着した被災地の地方自治体に第一次的な役割が期待され、政府機関はバックアップするのが使命となる。都道府県を主体とした災害救助法はこの構造であり、災害対策基本法で認められる政府の「調整」や「指示」もこれを基本においたものである。だが、戦争では作戦の遂行は国家と軍の「専管事項」に属しており、地方自治体が自主的に判断して対策を講じることなど問題にならない。
 第2に、自然災害では情報の迅速な公開と正確な伝達こそが生命であり、住民の理解と相互の信頼が応急対処を支える。このことは、あの阪神・淡路大震災の教訓が事実をもって示している。だが、「作戦の秘密」「軍機」にかかわる戦争の場面では、情報の完全な公開など考えられず、「防諜」のための相互監視こそが要求されることになる。現在のアメリカの実情を見れば、これまた事実をもって証明されていると言えるだろう。
 戦争における応急対策とは、「作戦優先の中央集権・秘密主義型」にならざるを得ないのであり、自然災害への応急対策とは似ても似つかないものなのである。

2 「警報」「避難」「応急復旧」とは
 武力攻撃事態法が掲げる「警報」「避難」「応急復旧」といった「メニュー」はどのようなものになるだろうか。スケッチ的に検討しておこう。

(1) 「戦争被害」の2つの前提
 念のために2つの前提を確認しておく。
 第1に危機のレベル。政府・与党は有事法制の理由を「備えあれば憂いなし」と言うのみで、現実の政治世界で発生すると想定する「日本本土への武力攻撃」のイメージを全く示していない。「想定事態」を全く明示しない戦争法など「空想の産物」以外のなにものでもないのだが、あくまで政府・与党がそう言いはる以上、現時点で考えられる最もハイレベルの攻撃すなわち米軍と同等の戦力をもった「敵」の攻撃を想定するしかない。考えられる最高レベルの危険に対応できなければ、危機管理など成り立たないからである。
 第2に危機の対象。「テロの決行」や「不審船の領海侵犯」といった事態は含まない。有事法制の対象はあくまで「武力攻撃」であって、「テロ」や「不審船」が対象外であることは政府も繰り返し答弁しているところであり、これらは警察規制の対象だからである。

(2) 警報
 警報と聞けば、だれしもあの戦争での「空襲警報」を考えるだろう。
 だが、警報は、あらかじめ事態が予測でき、伝達によって住民が被害を回避する道筋がなければ意味を持たない。「暴風雨警報」や「洪水警報」は予測と回避が可能だから有効だが、「震災警報」が意味をもたないのは、予測困難に加えて予測できても被害回避の方法がほとんどないからである。
 あの戦争では、B29の飛来を察知できたから警報に意味があり、視認による爆撃目標の設定だったから「灯火管制」、降ってくるのが焼夷弾だったから「燃えるものを片付けて近くの防空壕に」となった。このような警報イメージは、高性能のレーダーで照準し、ディージーカッターやクラスター爆弾を投下する現代の空爆には全く妥当しない。警報とは、作戦軍が応戦体勢をとるためのものであって、国民との関係ではせいぜい「政府は警告したから責任はない」という「アリバイ」程度の意味しかもたないのである。

(3) 避難
 これまたあの戦争での「疎開」をイメージさせる。確かに、生徒・児童や非戦闘員を戦闘地域・危険地域から「疎開」させようと言うのだろう。だが、避難・疎開が必要になる場面とは、本土が空襲にさらされるか、本土上陸が予想される場面である。
 「核家族化」が進んで「田舎」を持たない家族が増え、子どもたちはサバイバルな生活をした経験などほとんど持っていない。社会人といえども、住居と職場から切り離されて生きていくことがどれだけ困難かは、阪神・淡路大震災や三宅島地震の経験が示している。その老若男女を、空襲が続き、本土上陸が予想されるもとで、どう避難させるというのだろうか。
 「避難先の選定」「避難者の選定」「移動手段の確保」「移動ルートの設定」「私財や家具の移動」「生産手段やオフィスのシステムやデータの移動」「避難先での衣食住の確保」「避難先での教育」「避難先での社会保障や保健衛生の確保」・・どれひとつとってみても、気の遠くなるような制度とシステムの構築が必要になることは明らかだろう。しかも、そのすべてに「戦争遂行能力の維持・確保」「作戦の優先」といった軍事主導が貫徹されざるを得ない。
 阪神・淡路大震災は一過性だったから「避難所から仮設住宅」へという道筋だった。三宅島は島だけの災害だったから東京に逃れることができた。そして、その「仮設住宅への爆撃」や「東京への上陸」など考える必要はなかった・・ここでも自然災害などなんの参考にもならないのである。

(4) 応急復旧
 どうやらこれも災害法制を参考にしたようである。前記のとおり災害対策基本法には「応急の復旧」が掲げられており、災害救助法には「住宅の応急修理」の救助メニューがある(災害救助法第23条)。この「住宅の応急修理」とはどのようなものか。阪神・淡路大震災での運用を見てみよう。
 修理の対象は「居室、炊事場、便所等のように生活上欠くことのできない部分」に限定され、しかも一世帯あたり30万8000円という画一的な「一般基準」がそのまま適用された。そのため、住宅の応急修理の公的援助を受けられたのは兵庫県下で1,227棟のみにとどまった・・。これが実情である。自由法曹団は地域や暮らしの再建に寄与しないこうした運用を厳しく批判し、訪米調査を行ってアメリカの被災者支援制度を紹介し、これが不十分とはいえ被災者支援法の制定に結びついた。
 大都市の神戸とはいえ全国から見れば局地的な被害だった大震災ですら、「応急修理」「応急復旧」とはこの程度のものだった。全土に戦争の影響が生じる「非常時」「戦時」で、国民生活を保護するための「住宅の復旧」に力が注がれることなどあり得ない。最優先に「応急復旧」がはかられるのは、戦争遂行に不可欠な鉄道・橋梁・港湾・空港などの交通線や政府施設や生産工場ということになるに違いない。これを「国民保護」などというのは、ほとんどデマゴーグに等しいのである。

3 まやかしの「国民保護法制」
 これまで政府・与党が言い続ける「備えあれば憂いなし」の土俵のうえで、「本土有事」を念頭においた「国民保護法制」像を検討してきた。各論的な検討は、「警報」「避難」「応急復旧」の3つに絞ったが、この3つからでも「国民保護法制」なるものの性格は明らかだろう。
 この国が「本土空襲」や「本土上陸」を受けた場面では、国民のための「警報」や「応急復旧」はほとんど成り立たず、「避難」は本当に実行しようとすれば社会生活や地域生活を根本的に変容させるに等しい遠大な制度とシステムを構築するしかない。このおぞましさは「社会経済統制法制」や「作戦・兵站法制」に勝るとも劣ることはない。OA情報が遮断されただけで経済や社会が大混乱に陥るような脆弱な社会で、「警報」だの「避難」だのを想定すること自体が、あまりにも「大時代的」なのである。
 では、政府・与党は、ほんとうにこの国に「警報」や「避難」を要する事態が発生すると考えて、有事法制関連三法案を提出したのだろうか。
 問題は再び本質に立ち戻る。
 自由法曹団が繰り返し指摘したとおり、三法案は「本土有事」を想定したものではなく、「周辺事態」での米軍の侵攻戦争に追随して兵站基地となり、自らも参戦していくためのものである。とすれば、主戦場はあくまで海外であり、国民は海外での戦争に動員されることはあっても、「本土空爆」や「本土上陸」を逃れて避難する事態などまず発生しない。
 アフガン報復戦争に参戦してすでに一年、この国では一度として「警報」が鳴ることも、「避難」を準備することもなかった。「警報」や「避難」が現実のものになったのは日本ではなくアフガンだったのであり、「応急復旧」どころか「国そのものの復興」が課題となっているのもまたアフガンなのである。ブッシュ政権がイラク攻撃に踏み切ってこの国が再び参戦したとしても、同じことになるに違いない。イラクに日本を爆撃し、あるいは日本上陸を敢行するような兵力は存在しないからである。これが唯一の超大国のアメリカが、圧倒的な軍事力でもってしかける「非対称の戦争」の実像である。
 この「非対称の戦争」の実像が明らかだから、政府・与党は「国民保護法制」などまともに検討することなく、有事法制関連三法案を国会に提出した。その三法案に、「国民保護法制」をつけ加えたところで、「周辺有事」対応の侵攻型有事法制という本質は変わるものではない。
 「国民保護法制」とは、米軍追随の侵攻型有事法制に、「本土有事」という偽りの外皮を着せかけるための、まやかし以外のなにものでもないのである。

第4 事態対処法制のもたらすもの

1 「周辺有事」と「本土有事」のはざまで
 現在想定されている戦争は、圧倒的な軍事力を持つ米軍が一方的に侵攻する戦争であり、この国はその戦争で米軍に加担して兵站基地になり、自らも参戦していく。有事法制三法案はそのために提出され、その場面でのみ発動される。だから、「テロ」や「不審船からの武装ゲリラの上陸」といった反撃を受けることはあり得ても、「本土空襲」や「本土上陸」を受けることはあり得ない。
 これが、自由法曹団が指摘し続けてきた「周辺有事」対応の有事法制の真実である。
 だが、政府・与党は、これまでこのような説明はしてこなかったし、これからもまずできない。こう説明すれば、「備えあれば憂いなし」と唱え続けた政府・与党の主張が足元から瓦解し、米軍の侵攻戦争のための「属国の戦争法体系」だということを政府・与党自身が認めることになるからである。
 だから、政府・与党は言い続けるしかない。「いつ、どこからこの国が武力攻撃を受けるかわからない。本土が敵の空爆や上陸にさらされるかもしれない。だから、有事法制も必要だし、『国民保護法制』も必要だ・・」。その結果、組み上げられるすべての事態対処法制は、「本土有事」「本土決戦」を想定したおぞましいものにならざるを得ない。
 これは、真実を隠蔽した有事法制と事態対処法制がはらむ本質的な矛盾である。

2 もたらすものは「平時の戦時化」
 問題はそれだけにとどまらない。
 「本土有事」を想定した戦争法制が整備されたとき、戦争法制にもとづく制度・システムがつくりあげられ、システム発動の準備が続けられざるを得ない。
 この国には、災害対策基本法や災害救助法などの災害法制が整備されている。だが、「災害法制があるから大震災が発生しても安全だ」とはだれも考えない。「震災はいつ、どこで起こるかわからない。だから、不断の準備と防災訓練が必要だ・・」。甚大な犠牲者を出した阪神・淡路大震災の教訓であり、それゆえに9月1日の防災の日には全国各地で防災訓練や避難訓練が繰り返されている。
 その同じことが、戦争法制でも起こるに違いない。「武力攻撃は、いつ、どこから起こされるかわからない。だから、不断の準備と防衛訓練が必要だ」というわけである。現に、通常国会では、「訓練について、平時から備えることが大事なことで、検討は考えている」(5月8日 福田官房長官)、「民間防衛(も)・・国民の合意を得ながら今後検討する(5月9日 同)との答弁が繰り返されている。
 「米軍に従って海外に攻めていくだけだ。だから国民は安心していていい」と言えない政府は、この答弁をそのまま実行に移すしかない。そうなれば、「防衛」の名のもとに、国家の管理・統制が進み、地方自治体や企業は戦争への対応に駆り立てられ、そして自由や人権は当然のように制約される。「本土上陸」を想定した避難システムまで構築する必要があるのだから、プライバシーや人権の制約は「住民基本台帳ネットワーク」の比ではない。
 そのとき平時が戦時化し、この国の社会はまるごと「いつでも戦争ができる社会」に生まれ変わる。有事法制関連三法案と事態対処法制・「国民保護法制」の終着点は、「いつでも戦争ができる臨戦態勢の社会」なのである。
 その「臨戦態勢の社会」が、米軍の兵站拠点となって自らも参戦していく海外侵攻戦争の、「巨大な後方」として機能することは自明ではないだろうか。

V 日本国憲法と有事法制

第1 改憲を先取りする有事法制

1 海外での武力行使拡大
 90年代から制定されたPKO法、周辺事態法、テロ特措法などにより、海外における自衛隊の活動が著しく拡大されてきた。現在でも、アメリカのアフガンでの戦争行為を支援するために、インド洋において自衛隊の艦船が活動している。
 ところが、「武力攻撃事態法案では、公海上の船舶に対する攻撃が武力攻撃にあたる場合も排除されない。在外公館やPKO、周辺事態、テロ特措法で他国にいる軍隊への攻撃が、『我が国に対する計画的、組織的な攻撃』と認定されれば武力攻撃事態法が発動される(5月8日 福田官房長官 木島日出夫議員に)」と説明されている。つまり、「規模の大小や程度は問わず、公海上や他国の領域での攻撃も含み、周辺事態法やテロ特措法などで行動中の艦船等への攻撃も含む」ということになる。しかも、重大なことは、これらの攻撃が現に行われた場合だけでなく、その「おそれ」や「予測」まで含んでいることである。その結果、こうした攻撃が「組織的、計画的」に行われる「おそれ」や「予測」が認定されれば、武力攻撃事態とならざるを得ないことになる。
 このように、武力攻撃事態法の下では、海外での武力行使は、著しく拡大される。必要最小限の自衛力の行使という政府の説明する合憲の範囲も逸脱することは明らかである。

2 「武力攻撃事態」の拡張 − 先制攻撃まで容認
 武力攻撃事態法案第2条2号によれば、武力攻撃事態とは「武力攻撃(武力攻撃のおそれのある場合を含む)が発生した事態または事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」のこととされる。法案は@武力攻撃が発生した事態、A武力攻撃のおそれのある場合、B武力攻撃が予測されるに至った事態、の3段階を想定している。
 武力攻撃事態とは何かについて、5月16日の衆議院有事法制特別委員会における政府見解は、次の通りである。
 まず、@の「武力攻撃」とは、我が国に対する外部からの組織的・計画的な武力の行使である。次に、Aの「武力攻撃のおそれがある場合」とは、ある国が我が国に対して武力攻撃を行うとの意図を明示し、攻撃のための多数の艦船又は航空機を集結させていることなどからみて、我が国に対する武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると客観的に認められる場合であると説明されている。さらに、Bの「事態が緊迫し、武力行使が予想されるに至った事態」とは、「武力攻撃のおそれがある場合」には至っていないが、我が国を取り巻く国際情勢が緊張が高まっている状況下で、ある国が我が国への攻撃のために部隊の充足を高めるべく予備兵の招集や軍の要員の禁足、非常呼集を行っていると見られることや、我が国を攻撃するためと見られる軍事施設の新たな構築を行っていることなどから見て、我が国への武力攻撃の意図が推測され、我が国に対して武力攻撃を行う可能性が高いと客観的に判断される場合というのである。
 そして、政府は、「攻撃のためのミサイルに燃料を注入する等の準備を始めれば着手と考えていい。その場合に、防御するためにほかに手段がないと認められる限り、ミサイルの基地を叩くということは法理的には自衛の範囲に含まれ、可能である」(5月20日中谷防衛庁長官)などと答弁している。
 日本側が武力行使のできる要件とされている「武力攻撃事態」そのものがどんどん拡張され、エスカレートしていく。「着弾しなくても着手でいい」→「燃料注入などの準備を始めれば着手だ」→「着手があればミサイル基地を叩くのも自衛だ」となれば、「○○国が弾道ミサイルの発射準備に入った。目標は日本本土と思われる」との情報が米軍からもたらされたら「武力攻撃だ。基地の空爆だ」ということになるだろう。弾道ミサイルを確実に防御する軍事的手段は、発射前に基地を叩く以外にはないという考え方が貫徹されることになるからである。
 政府答弁は、「先制攻撃」を事実上認めたものと考えるしかない。
 このように武力攻撃事態法のもとで先制攻撃まで認められ、それが政府が説明してきた「個別自衛権の行使」であるとすれば、それ自体が戦争放棄を定めた9条に違反することは明らかである。

3 「集団的自衛権」も公然と行使
 武力攻撃事態法によれば、日本は「集団自衛権」の行使に及ぶことになるので、従来政府が説明してきた憲法9条の解釈の限界をも越えることとなり、この点からも、有事法制が憲法違反であることは明らかである。

(1) 従来の政府見解
 集団的自衛権と憲法の関係に関する政府見解は、1960年4月20日、いわゆる安保国会のときの、「日本は、国際法上、集団的自衛権を観念として持っているが、憲法上行使できない。」という岸首相の答弁以来変更がないと説明されてきた。
 アメリカ軍との共同行動について、政府は「経済的に燃料を得るとか、貸すとか、あるいは病院を提供するということは軍事行動とは認められませんし、そういうものは朝鮮戦争の際も、日本は、やっておるわけであります。こういうことは日本の憲法上禁止されないということは当然だと思います。しかし、極東の平和と安全のために出動する米軍と一体をなすような補給業務をすることは、これは憲法上違法なのではないかと思います。」(1959年3月19日)と答弁し、米軍の武力行使と一体をなすような補給行為などは憲法上許されないが、武力行使と一体化しないものは許されるとの考えを示してきた。このことは、周辺事態法案やテロ「特措法」案の国会審議でも、政府が繰り返し答弁してきた。

(2) 「武力攻撃事態」と周辺事態の重なり
 すでに指摘したように、「武力攻撃事態」概念はあいまいで、それゆえに際限なく拡がるおそれを秘めている。先制攻撃まで容認する危険はすでに指摘したが、さらに問題なのは、「事態が緊迫し、武力攻撃が予想されるに至った事態」が、周辺事態法1条の定める「周辺事態」(そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力行使に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重大な影響を与える事態)と完全に重なるという点である。
 一例を挙げるならば、たとえば、アメリカが北朝鮮の核施設を破壊するための軍事行動が周辺事態法の定める「周辺事態」として認定され、周辺事態法に基づいて日本はアメリカに対し後方支援を開始した場合を考える。その場合、日本は北朝鮮と交戦状態に入ったことになるから、政府はこの事態を「事態が切迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」と認定するであろうから、有事法制が作動し始める。このように、有事法制の行き着く先はアメリカのアジアにおける軍事行動を後方から支援するシステムの構築である。「武力攻撃事態」というマジックが日本の米軍支援の幅を広げ、集団自衛権への途を切り開くものであることは明らかであろう。

(3) アメリカ軍への支援活動
 武力攻撃事態法は、「武力攻撃事態」に際して実施する「対処措置」のひとつとして、日米安保条約に従って米軍が実施する「武力攻撃を排除するために必要な行動が円滑かつ効果的に行われるために実施する物品、施設または役務の提供その他の措置」(第2条6号イ(2))を定める。すでに、新ガイドライン及び周辺事態法のもとでは、米軍への後方支援、具体的には補給、輸送、修理及び整備、医療、通信、港湾及び空港の提供などの強化と円滑化が約束されており、そのために国や地方自治体など各行政を通じての協力が予定されている。しかし、それはあくまで協力を求める域を出なかった。しかも、「対応措置の実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない」という制約があり、対米軍事支援は「後方地域」(現に戦闘が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる地域)に限定されていた。テロ対策「特措法」(2001年)にもこのような制約があり、「ミサイル発射態勢に入った艦船に燃料補給ができるか。」という議論が国会で闘わされたのは記憶に新しいところである。
 ところが、このような米軍支援について、武力攻撃事態法案では、自治体や国民の協力が義務づけられることとなる。
 しかも、武力攻撃事態法案では、今後2年間で整備されるべき「事態対処法制の整備」の一環として「アメリカ合衆国の軍隊が実施する日米安保条約の規定に従って、武力攻撃を排除するために必要な行動が円滑かつ効果的に実施されるための措置」があげられている。(第22条3号)。
 ここでは、「武力行使と一体とならない」とか、「後方地域でしか行わない」という現行法の枠を越えた支援活動を日本が担うこととなる可能性が大である。これは、まさに、これまでの政府見解すら踏み越えて集団的自衛権の行使に及ぶものであり、2000年10月のアーミテージレポートの「日本は集団的自衛権に踏み込むべきだ」という要請に沿ったものとなるであろう。

4 民主主義・地方自治を踏みにじる有事法制
(1) だれが「武力攻撃事態」を認定するか
 武力攻撃事態法案は、武力攻撃事態に至ったとき、政府は武力攻撃事態への対処基本方針を定めるとする(同法9条1項)。これは、内閣総理大臣が安全保障会議への諮問を経て対処基本方針案を策定し、閣議にかけるプロセスを指す。今回の安全保障会議設置法「改正」案では、同会議の審議事項として「武力攻撃事態への対処」が追加され、「武力攻撃事態」の認定と対処計画の作成のプロセスで決定的な役割を果たすことが予定される。また、同会議に意見を具申する事態対処専門委員会の構成員は防衛庁や外務省の局長と自衛隊の統合幕僚会議議長などが含まれることが予想される。
 ところで、「武力攻撃事態」の認定に際し、情報的優位にあるのは当然、防衛庁、自衛隊である。また、自衛隊と米軍とは平時より緊密な情報交換が予定されているが、圧倒的に米軍の情報力が優れる。とすれば、安全保障会議も米軍の情報にもとづいて「武力攻撃事態」を認定する以外にない。このように有事法制が成立すれば、国民のあずかり知らぬところで、米軍の情報にもとづいて「武力攻撃事態」の認定が行われ、有事法制が発動されることは必至である。実際に、対処基本方針を組み上げるには日米両軍の入念な検討・調整が必要であるので、政府が対処措置の基本方針を策定する以前に、「調整メカニズム」での日米両軍の協議・調整が先行して行われることが考えられる。
 このように国と国民の運命を左右する「武力攻撃事態」の認定について、一部の官僚と軍人にフリーハンドを与えるものであるばかりか、それがアメリカの影響下のもとで決定されることになるのである。これは、憲法の予定する立憲主義体制を根底から破壊すると言わざるを得ない。

(2) 首相の権限強化と国会軽視
 武力攻撃事態法案は、対処基本方針の閣議決定があったときは、「直ちに対処基本方針につき、国会の承認を求めなければならない」としている(第9条E)。だが、この承認は事後承認にすぎず、政府は国会承認を得る前にどんどん対処措置を進めていくことができる(同条Iはこれが前提)。
 実際、前述のように、「調整メカニズム」での日米両軍の協議・調整が行われ、安全保障会議(および事態対処専門委員会)での検討と答申にもとづき、閣議決定がされ、対処措置が開始される。その最後の段階で、「やっと国会に登場」ということになるのである。
 しかし、「軍事機密」のヴェールで閉ざされた「調整メカニズム」や専門委員会で調整・検討が行われた内容が、閣議決定によって実施に移された後に、はじめて審議にあたる国会がどれだけのチェック機能をもつだろうか。
 国会審議で対象となるのは、アメリカが関わる軍事緊張と米軍の軍事行動への参加・協力についての案件である。野党がどのように追及しようとも、「アメリカ大統領からは『核開発の確かな証拠を得ている』と通報があった。それ以上は外交の秘密だから答えられない」「米軍の作戦については答えようがない。」などという答弁の域を出るものではない。
 国会は十分な情報のないまま審議させられ、責任だけを分担することになるのである。

(3) 地方自治の破壊 − 直接執行
 武力攻撃事態法は、地方自治体が「武力事態への対処に関し、必要な措置を実施する責務を有する」としている(第5条)。周辺事態法では、地方自治体は内閣から協力を求められる立場にあったが(同法第9条@)、武力攻撃事態法では国とともに対処措置を実施する責任を負う。
 しかも、地方自治体の首長に対する内閣総理大臣の指示権を認め、地方自治体がこれに従わず実施できないときには内閣総理大臣自らが実施でき、あるいは他の大臣を指揮して実施させることができるとしている(武力攻撃事態法第15条)。これは、政府と自治体との間に強力な上下関係を持ち込むものであり、自治体の自主的な判断や対応を否定するものである。
 地方自治体は、武力攻撃事態法のもとで決定される対処措置、すなわち、自衛隊の武力行使、部隊等の展開その他の行動、自衛隊及び米軍に対する物品、施設又は役務の提供など(第2条6号)を担うこととなる。また、自衛隊法第103条によって医療・運輸・土木建築などの業務、土地・物資の収用、物資の保管も、自治体ないしその職員に命令される。つまり、自衛隊や米軍のために、地方自治体は、土地や施設、病院、公営交通(バス・鉄道)、港・空港などの提供を余儀なくされるのである。職員も、これらの仕事につかなければならなくなる。さらに、地方自治体が管理している道路、河川、港湾、公園、森林などについても、自治体の管理権限等を無視して、これらを使用し、工事等を実施できることとなる(自衛隊法「改正」案 第115条の6、同8、同10〜15、同17〜21)。軍事が最優先されて住民サービスはあとまわしにされ、自治体の住民に対する役割が無視されることになるだろう。
 「地方自治の本旨」(憲法第92条)を掲げる憲法は、住民の意思にもとづき住民自らの生活を守る立場にたった地方自治を保障しているが、有事法制のもとでは、地方の自治は破壊されるに等しい。

5 基本的人権の侵害
 まず、建設、運輸、医療に関わる国民が戦争のために動員されたり、国民の財産が取り上げられたりする。働く権利や財産権の侵害が横行する。そのうえ、政府や地方自治体とともに対処措置にあたる指定公共機関に、NHKのみならず新聞社や民間放送局などマスコミが指定され、戦争に協力させられることになる。そのため、報道の自由や国民の知る権利も抑圧される。準備されている「国民保護法制」が人権侵害を拡大する結果をもたらす危険のあることは、すでに詳述したとおりである。
 のみならず、現在でも沖縄をはじめ米軍基地では、周辺住民に対する騒音公害など様々な環境破壊が問題となっている。軍事が優先される有事法制のもとでは、このような国民の生活や権利、環境がいっそう犠牲にされることは必至である。

6 憲法「改正」と有事法制
 以上のように有事法制関連法案が憲法と如何に矛盾したものであるかはますます明らかとなっており、これまでの政府答弁の域では到底説明できないところまで至っている。それは、海外での武力行使に及ぶおそれを一層拡大するのみならず、民主主義や地方自治、基本的人権の保障の原則までないがしろにするものである。つまり、日本国憲法が前提としている戦争をしない国のあり方そのものを変更し、日本を戦争する国に作りかえてしまうことになる。憲法を「改正」しなければできない内容を、有事法制によって実行してしまうものであり、改憲の先取りといわざるをえない。
 他方、国会の憲法調査会の議論などでは、日本国憲法を「改正」しようとする動きも強められている。焦点は、「自衛のための軍隊」をもてるようにするなど憲法第9条に関する「改正」である。日本が軍隊を持つことを憲法上に明記するならば、日本は憲法上でも「戦争をする国」に変質することになる。そうなれば、有事法制関連法案に関して指摘した問題点がいっそう拡大されることは明らかである。
 つまるところは、軍隊を持ち、戦争をする国の体制を作ろうとする以上、「戦争のため、軍事のため」という目的の前に、民主主義も地方自治の原則も無視され、国民の基本的人権も犠牲にされざるを得ないということである。そして、有事法制の成立により、そのことを許すこととなれば、それにあわせた憲法「改正」をすすめる動きにもいっそうの拍車がかけられることとなる。
 戦争のための有事法制を選択して憲法との矛盾をいっそう広げ明文改憲へと突き進むのか、憲法の平和原則にもとづき有事法制を許さない道を選択するのか、有事法制の成否は、明文改憲に向かうかどうかの重要な岐路となっているのである。

第2 いまこそ平和憲法を活かす道を

1 平和憲法を支持する国民世論
 日本国憲法は、日本がアジア諸国に侵略し、2000万人とも言われる多大な犠牲をもたらした反省の上に立って制定されたものである。日本国民自らも、核兵器による悲惨な被害をも体験した。政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないよう決意し(憲法前文)、戦争を放棄し、軍隊を持たない平和国家として、出発する決意が日本国憲法に示されているのである。国民が主権者となり、戦争しない国をつくり、そのもとで、国民の自由と人権も確保される仕組みを具体化しようとするのが日本国憲法に他ならない。これは、天皇制絶対主義国家のもとで侵略戦争が遂行され、天皇の臣民とされた国民は基本的人権の保障もなく、戦争の犠牲にされたことに対する痛苦の反省に基づくものでもある。
 日本国憲法、とりわけ憲法の平和原則は、国民世論によって支えられてきた。憲法全体については、「改正」に賛成する意見が多数になっているとの世論調査が発表されているもとでも、「憲法9条は改正すべきでない」という意見が依然として多数を占めている。
 昨年4月に行われた朝日新聞の世論調査では、「日本が憲法で『戦争放棄』をうたったことは、日本やアジアの平和と安定に役立ってきたと思う」という意見が70%に達しており、「憲法第9条を変えないほうがよいと思う」という意見は74%を占めている。本年3月に行われたNHKの世論調査でも、「憲法9条が日本の平和と安全に役立っている」という意見は、72.8%である(「非常に役に立っている」が17.2%、「ある程度役に立っている」が55.6%)。同じ調査で、「憲法9条を改正する必要がある」との回答が30.1%なのに対して、「改正する必要がない」との回答は、52.4%の多数を占めているのである。
 このことは、有事法制に関する最近の世論調査結果にも反映されている。
 本年6月5日付の日本経済新聞は、同年2月の世論調査から賛否が逆転し、有事法制反対が46%、賛成40%となったことを報道している。また、6月9日のテレビ朝日「サンデープロジェクト」の世論調査でも、有事法制に対する反対意見が52.2%と賛成26.6%を大きく上回っている。
 そして、このような国民世論は、有事法制に反対し、ないしは慎重審議を求める決議が500を越える地方自治体で採択されていることにも、示されている。
 以上のように、国民の多数の支持を得ている憲法第9条を生かした選択こそ重視されるべきであり、国民世論も、有事法制を成立させて戦争をする国家づくりを進めることを求めていないことは明らかである。

2 戦争の禁止とアメリカの戦争
 現在、国際紛争を武力ではなく平和的手段で解決すべきであるという立場は、国際法秩序の中で主流の立場となっている。20世紀、多大な犠牲をもたらした戦争の反省にもとづき、国際社会は戦争を違法化してきた。不戦条約(1928年)では戦争の違法化を宣言し、国連憲章(1945年)では、戦争だけでなく武力による威嚇、武力行使までを一般的に違法化し、国際紛争の平和的解決の原則を宣言した。つまり、国連憲章は武力行使を原則として禁止し(第2条4)、例外的に自衛権行使の場合(第51条)と、国連安全保障理事会の決議がある場合(第42条)に限って、武力行使を認めたのである。また、「友好関係宣言」(「国際連合憲章にしたがった諸国家間の友好関係と協力に関する国際法の諸原則についての宣言」、1970年10月24日国連総会決議2625付属書)は、武力行使禁止の原則を再確認し、「武力行使をともなう復仇行為」を明確に禁止している。
 しかし、第二次世界大戦後も戦争は止むことがない。しかも、国連憲章や国際法を無視する戦争が相次いでいる。昨年10月来のアフガニスタンニでの米軍の武力行使も、アメリカは平和的解決の努力を最初から放棄して軍事報復に突入し、圧倒的な物量と最新兵器で、罪なき多くの人々を連日のように無差別に殺戮してきた。確かに、9・11事件は、世界に大きな衝撃を与えた許せない大量殺人であるけれども、これはアメリカ国内法ではもちろん、国際法上もあくまで犯罪であり、司法手続きによる処罰をするというのがルールである。また、9・11事件に関する国連安保理決議でも、アメリカの武力行使を容認する文言は一切存在しない。もちろん、アフガニスタンが国家としてアメリカに対しテロ行為を行ったわけではない。アフガニスタンに容疑者とされる人物がかくまわれていることを理由として、アフガニスタンを武力攻撃し、市民を殺戮することは、いかなる意味でも国連憲章で認められた自衛権行使ではない。
 ところが、アメリカは、報復戦争を禁止している国際法や自衛権行使以外での武力行使を禁止した国連憲章を無視して、アフガニスタンでの武力行使を強行した。しかも、アメリカは、アフガニスタンにおいて、クラスター爆弾、燃料気化爆弾という無差別大量殺戮兵器を使用して、罪のない市民に大量の犠牲者を出したのである。これは、国際法上の「人道に対する罪」にあたる国際犯罪というべきものである。さらに、タリバン政権が崩壊し、アフガン復興会議を経て復興の事業が開始された後も、アメリカは軍事攻撃を続けている。これに対し、日本は、テロ特措法の成立を強行し、アフガニスタンにおけるアメリカの武力行使を支援するため、インド洋まで自衛隊の艦船を派遣している。
 アメリカが報復戦争を進めた結果、アフガニスタンにおける民間人の死者は、昨年の9・11事件の犠牲者を大きく上回る規模になっている。このように多くの市民が戦争による悲惨な犠牲者となっているのが現実なのである。アメリカは、さらにイラクに対する先制攻撃を実行に移そうと戦争準備を進めているが、このようなアメリカの進める戦争に対しては、国際的にも、非難の声が高まっている。少なくとも、国連憲章で確認されている戦争の原則禁止は、世界各国が厳格に遵守するべきなのである。

3 世界に輝く平和憲法を活かして
 わが国がいまめざすべきものは、アメリカの戦争に参加することではなく、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位」(憲法前文)を占めるため、紛争の平和的解決を図る役割に徹することである。
 あらゆる戦争や武力行使をやめさせて世界平和を実現するために、国連憲章の平和の原則をさらに徹底して戦争放棄を明らかにした日本国憲法が、国際的にも注目されている。1999年にオランダのハーグで行われたNGOによる「世界平和市民会議」では「公正な世界秩序のための10の基本原則」が採択されたが、その第1項は「各国議会は、日本国憲法第9条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである」というものである。いわば、「自衛」も含めて国際紛争の解決に武力の行使をしないことを宣言したのである。国際紛争は武力でなく、平和的手段で解決すべきであることは、世界の常識になりつつあるのであって、日本国憲法の定める戦争放棄などの徹底した平和主義は、いまや21世紀世界の進路をさし示すものとして、世界に支持を広げているのである。
 このように日本国憲法は、世紀をこえて形成されてきた戦争違法化と平和追求の国際的歴史的潮流の先端に位置するものであり、平和を求める国際世論も、この憲法を活かした道を実現することをこそ日本に求めているのである。
 これに対して、日本がアメリカの要請にもとづき、平和憲法を無視して本格的に戦争するために有事法制を成立させ、戦争する国家としての体制を確立しようとすることは、平和を求める国際的な流れに逆行するものである。
 日本政府は、平和憲法を実現する立場に立って、インド洋に派遣している自衛隊を直ちに撤退させるべきである。そして、アメリカに対して、直ちに戦争をやめること、イラク攻撃に踏み切ることのないよう厳重に申し入れるべきである。さらに、憲法を無視し戦争する国へと道を進める有事法制づくりを直ちに中止するべきである。

おわりに ―― アフガン報復戦争のもとでの1年

 2001年10月7日、「テロへの報復」を叫ぶブッシュ政権はアフガン空爆に踏み切った。それからちょうど1年になる。「報復戦争全面支持」を宣言した小泉政権は、テロ対策特別措置法を成立させて参戦の道を突っ走った。海上自衛隊の支援艦隊がインド洋に出航した11月25日とは、この国が平和憲法のもとではじめて参戦した瞬間だった。それから1年、空爆はなおも続けられ、支援艦隊はいまも米艦隊に補給を続けている。
 そのアフガン戦争はどんなものだったか。この1月、パキスタンを訪問した自由法曹団アフガン問題調査団が見聞したものは、ディージーカッターやクラスター爆弾が平和な農村に降り注いだという衝撃的な事実であり、母国を追われて深いトラウマに苦しむ母子の姿であった。そのころほとんど報道されることがなかったこうした空爆の実態は、7月1日の結婚式爆撃事件などにより、ようやく世界の関心と批判を集めつつある。
 アフガン民衆に甚大な被害をもたらした報復戦争は、「オサマ・ビンラディンの逮捕」も「テロリスト根絶」も実現できなかった。そればかりか、「テロへの軍事報復」という国際法を無視した戦争政策が、カシミールの軍事緊張を生み出し、パレスチナではいつ果てるとも知れない「テロ」と「軍事報復」の連鎖を生み出した。
 アフガン報復戦争のもとでのこの1年が証明したもの、それは戦争・武力行使では問題は解決せず、「暴力の連鎖」を生み出すだけという冷厳な事実であった。その1年を経て、世界が立ち戻るべきは、平和的外交と国際協力によって紛争を解決し、戦争を未然に防ぐ道筋である。世界と日本の人々が、その平和の道を心から希求していることは、9月17日の日朝共同声明への内外からの高い評価が物語っている。いまこの国に求められているのは、自らが一歩を記したアジアの平和の道を、全力をあげてまい進することであり、それこそ日本国憲法を世界に活かすことにほかならない。
 にもかかわらず、「反テロ戦争の拡大」を唱えるブッシュ政権は、「脅威を未然に防ぐための先制攻撃」を叫んでイラクへの攻撃を開始しようとしている。「気に入らなければ先に攻撃する」というに等しいこの戦争が、果てしない暴力の連鎖に道を開くことは自明と言わねばならない。
 平和の道か、戦争か・・全世界が等しく心を痛めているこのとき、平和憲法を持つこの国が、アメリカの戦争に追随するための有事法制関連三法案を強行することなど、断じてあってはならない。それは、ブッシュ政権の単独行動主義に対する全面的な加担・支持の表明を意味するばかりか、自らが一歩を記した北東アジアの平和への努力を水泡に帰させることにしかならないのである。
 この国が真に世界とアジアの平和に寄与しようとするなら、有事法制関連三法案は直ちに廃案にされねばならない。
 自由法曹団は、世界とアジアの平和をかけて、三法案廃案を強く要求する。




戦争と国民そして日本国憲法
有事法制を問う
───────────────────────
 2002年10月7日
 編 集  自由法曹団司法民主化推進本部
 発 行  自 由 法 曹 団
 〒112-0002 東京都文京区小石川2−3−28
      DIKマンション小石川201号
Tel 03(3814)3971  Fax 03(3814)2623
URL http://www.jlaf.jp/
───────────────────────