<<目次へ 【意見書】自由法曹団


2002年12月4日

      有事法制はいらない

現場からの告発 パート2

自 由 法 曹 団


  はじめに
  【総論】
  国民動員法制(国民保護法制)と臨戦態勢の社会
  【各論】
  有事体制下の政府機関と公務員
  有事法制のもとの教育と学校
  有事法制とマスメディア
  有事法制のもとでの情報・通信
  有事法制と気象情報 − 天気予報がなくなる!
  有事法制と製造・技術
  有事体制のもとでの陸上輸送
  有事体制のもとの地域社会 − 「火垂るの墓」の社会



はじめに

 2002年10月末、政府は「国民の保護のための法制について」を与党に提示し、与党議員を通じて第155臨時国会の武力攻撃事態対処特別委員会の野党委員にも配布された。通常国会で「先送り」を批判された「国民保護法制」の「輪郭」を記載したもので、武力攻撃事態を具体化する個別法制(事態対処法制)の準備状況を示したものである。
 自由法曹団がこれまで発表した6度にわたる意見書・告発集で明らかにしたとおり、有事法制関連三法案の本質・目的は、アメリカが行う侵攻戦争に軍・官・民をあげて兵站基地となり、米軍に追随して自らも参戦していくことにある。この海外侵攻型有事法制にどのような「国民保護法制」をつけ加えてみたところで、有事法制の本質はいささかも変わるものではない。同時に、地域社会をまるごと戦争態勢に組み込んでいこうとする国民動員法制(国民保護法制)の浮上は、海外侵攻戦争の「銃後」で形成されていく「後方社会」の様相を明らかにし、三法案とあいまって「戦争をする国の社会」を浮かび上がらせることにもなっている。
 本告発集は、三法案や自衛隊法によって直接に兵站業務に動員される分野を検討した「Part?」に続いて、全国民やすべての分野・地域社会がいやおうなしに組み込まれていく「後方社会」についての検討を加えたものである。それぞれの論稿では、自治体や住民を組み込んで構築される「後方社会」全般を総論で扱うとともに、各論では政府機関・教育学校・マスメディア・情報通信・気象・製造技術・陸上輸送・地域社会という、国民のくらしに直結した重要な機能・役割がどのように変容していくかを考察している。自由法曹団有事法制阻止闘争本部での検討を経てはいるが、論稿の執筆は末尾に記載した執筆者の責任で行っている。
 「後方社会」の問題は、社会全体やこれらの機能・役割が戦争のために変容させられていくという問題であって、決してそれぞれの分野に働く労働者だけの問題ではない。そのことは、それぞれの変容を重ね合わせたときに起こる「臨戦態勢の社会」のおぞましさを考えれば理解できるだろう。そして、そのおぞましさが決して架空のものでないことは、アフガン報復戦争やイラク攻撃準備のもとでアメリカ社会に発生している変容を見ればわかるだろう。
 国民動員法制(国民保護法制)の検討を経て、自由法曹団は重ねて問う。
 ブッシュ・ドクトリンであれほどあけすけにアメリカ本位の単独行動主義が表明され、イラク攻撃回避への国際的な努力が続けられているこのとき、この国はかかるおぞましい「臨戦態勢の社会」を準備してまで、ブッシュ政権に追随して戦争の道を走ろうというのか。それでこの国の政府や政治家は、独立国家の政府・政治家と言えるのか。
 いま求められるもの。それはアジアとこの国の未来をかけて、有事法制関連三法案を直ちに廃案にすることなのである。


【総論】国民動員法制(国民保護法制)と臨戦態勢の社会

1 有事法制関連三法案と国民動員法制(国民保護法制)
(1) 「輪郭」と有事法制関連三法案
 2002年10月末、政府は「国民の保護のための法制の輪郭を示した」とする「国民保護のための法制について」(以下、「輪郭」)を与党に提示した。11月11日の武力攻撃事態対処特別委員会で、福田官房長官は「委員会から求めがあれば資料として提出する」と表明し、与党委員から理事懇談会で資料として配布されているから、政府・与党は「輪郭」についての審議を求める意向と思われる。なお、政府は10月8日には都道府県知事会に「国民動員法制(素案)」を示しているが、上記の「輪郭」は「素案」に一定の検討・整理を加えたものになっており、「輪郭」が現時点の「政府プラン」と考えられる。
 これまで自由法曹団が繰り返し指摘してきたとおり、有事法制関連三法案は、米軍の侵攻戦争に追随して兵站拠点となるとともに自らも参戦していく「周辺有事」対応型有事法制の体系である。海外を主戦場とする侵攻戦争では「本土空襲で甚大な被害が出る」などという事態は想定されていないから、政府・与党も「避難」や「復旧」等の「国民保護」などは先送りしていいものと考えていた。
 この海外侵攻型有事法制に、「先送り」批判に応える形で「国民保護」を加えたところで、有事法制の本質はいささかも変わるものではなく、「国民保護法制」のみを切り離して論じることは、かえって本質を没却することにもなりかねない(第5意見書「有事法制を問う」参照)。本稿では、このことを前提にしたうえで、「輪郭」が描き出す「後方社会とそのシステム」の検討を試みるものである。なお、「輪郭」に見られる「国民保護法制」とは、すべての地域社会を戦争態勢に組み込みんで海外侵攻戦争の「銃後」を固めようとするもので、国民動員法制と言うべき性格を持っている。よって、本稿では、「輪郭」の法制を国民動員法制と呼称する。

(2) 自己完結した独立法制
 「輪郭」に付された「基本的構成」によれば、予定される法制は以下の骨格をもったものということになる。
? 総則 役割分担・権限・調整規定等
    国の主導、自治体対策本部、指定地方公共機関、自治体等の計画、国民の協力等
? 避難 役割分担・相互関係等
? 救援 避難住民の救援、施設、医療、安否情報等
? 被害を最小限にするための措置
    応急措置・情報・輸送通信・社会秩序・消防・保健衛生・生活安定、応急復旧・原子力施設等
? その他 被害復旧・財政上の措置・罰則・附則
 政府によれば、これらを一本の法案として整備・提出する予定とされており、「200条に上る大型法案になる」(共同通信 10月8日)と報じられている。
 これらの事項は、事態対処法制の整備を定めた武力攻撃事態法案第22条の1号に対応するもので、避難・警報・応急復旧といった狭義の「国民保護」の分野にとどまらず、社会経済統制法制に属する「社会秩序の維持」、「国民経済の安定と生活関連物資の確保」や、作戦あるいは治安にかかわる「原子力施設等の被害防止」などまで含まれている。このあたりに、「国民保護」というキャッチフレーズのもとに「すべての後方体制」を組み上げようという意図が透けて見えている
 留意すべきは、「個別法制」との通称にかかわらず、「個別的各論の法制」ではなく、これ自身が自己完結した独立法の構造を持っていることであり、
? 武力攻撃事態法とは別の大がかりな「総則」が付されること、
? 事態法にはない「対策本部」「計画」や「指定地方公共機関」などが登場すること
? 自衛隊法とは別チャンネルの「国民協力」や罰則強制が予定されていること
などは、この構造による。
 こうなると、別途整備されるはずの作戦・兵站法制(事態法第22条2号に対応)、米軍支援法(同第3号に対応)もそれぞれ自己完結した法制となるはずで、全容が明らかにならない限り、有事体制の全体像や権限と義務の関係などは判明しないことになる。

(3) 「輪郭」の性格と想定する戦争
 「輪郭」が想定している戦争は「大規模な本土有事(沖縄を含む 以下、同じ)」であり、そうでなければ「都道府県を越えた避難」や「国民生活の安定」は登場するはずがない。このような「大規模な本土有事」など起こり得ないことは、政府すら認めているところだが、現実の発生がなくてもそれを想定した「後方システム」が構築されることによる社会の変容には深刻なものがある。そして、自治体の「国民動員計画」が組み上げられ、地域社会が「国民動員システム」に組み込まれていくことは、侵攻戦争にとっての「巨大な後方」として機能するに違いない。「本土有事」が考えられないからといって、国民動員法制を軽視することはできないのである。
 次に、国民動員法制の急浮上が一部野党の取り込みや「国民受け」を狙ったものであることは明白である。また、総論にあたる部分や「避難」等の一部を除いてはほとんど項目だけのもので、政府側にとっても「生成途上」にある法制ということになる。「この国の法律や制度を根本的に変容させるこれだけの法制を、本当にこのとおり制定する気なのか」となると必ずしも確証はないが、武力攻撃事態法で制定が要求されている事態対処法制を制定しない限り戦争法体系は完結せず、有事法制は発動できないことにもなる。そして、有事法制が「本土有事」の仮面を脱げない限り、事態対処法制もまた「本土有事型」にならざるを得ないことになる。
 従って、さしあたり政府の「輪郭」を、「予定されている国民動員法」として検討し、その生み出す「社会像」をシミュレートしなければならない。

(4) 「兵站」と「後方」
 自衛隊法などによる「戦争動員」が、狭義の「兵站」(作戦軍へのバックアップ ロジステック)であるのに対し、「輪郭」が対象とする「国民保護」や「社会経済統制」は、さらにその「後方」をどう構築するかという領域になる(あの戦争で言えば「銃後の社会」の構築)。「兵站」動員が「徴用」「徴発」による直接強制(それを背景にした事実上の強要も含む)を本体とするのに対し、「後方」の構築は「任意的な協力」「システム的な協力」を前面に押し出してくると考えられ、「輪郭」にもその片鱗は現れている。こうした「協力」は、最終的には広範な罰則で強制されるものにはなるが、現実には「自治体や地域をあげての態勢にいやおうなく組み込まれる」という形で進行していくだろう。
 「兵站」と「後方」では人間としての関わり方に違いが出ることにも留意を要する。
 戦争に向かう部隊の「野戦病院」への従事や演習参加には、医療関係者の拒否意識が働くだろうが、戦争で被災した児童・生徒の救援やその訓練となれば、良心的な医師であればあるほどまず拒めない。「後方」への動員は人間としての善意に依拠する面があり、これを「利用されている」の一言で片付けることはできない。「人間の善意をも動員する戦争の犯罪性」と言うべきものである。

(5) 戦争と災害
 「輪郭」は武力攻撃事態法以上に災害対策法の敷き写しの構造をとっている。最も敷き写ししやすい「避難」や「警報」を題材に押し出して、「災害も戦争も被災者が出るのは同じだ。だから、応急対策も同じだ」と説明するつもりだろう。
 応急の対応だけに限って考えても、
? 事態対処法制の目的は、戦争・作戦の遂行であって国民の保護・救援ではないこと
? 応急対応においても、「情報公開・自治体主導型」の災害と「情報秘匿・軍主導型」の戦争は似ても似つかないこと
という重大な相違点を確認しておく必要がある。
 より本質的な問題は、「輪郭」(ひいては有事法制)の根底には、それぞれの「危機」の本質的な違いを意図的に捨象して、「危機の結果」だけを強調し、「危機」を混同しようとする思考が流れていることである。
 人為的努力では防止できないのが自然災害だからこそ、パブリックの責任による万全の災害法制や災害対策が必要になるのであり、人間が生み出した国家・政府が人為的に引き起こす戦争への最大の「備え」は、戦争防止のための努力と態勢であって戦争法制や戦争態勢でない。犯罪の領域にある「テロ」や「不審船」の問題と戦争・武力攻撃を混同してはならないのは同じ問題であり、「テロ・不審船に備えるにも自治体の有事体制がいる」といったキャンペーンは本質的に誤っているのである。

2 政府のもとに自治体を総動員 − 国民動員法制のもとの地方自治体
(1) 「国による主導的な対処」「国の『基本指針』」
 「輪郭」の冒頭に「国による主導的な対処」が掲げられている。
 政府が安全保障会議に諮問したうえ、閣議決定を経て「基本指針」を定めることが明記され、「素案」段階では必ずしもはっきりしていなかった「政府主導」が「輪郭」では強く押し出される形になっている。
 この「基本指針」は具体的な武力攻撃事態の発生を待たずに平時の段階(国民動員法制が整備された段階)で策定されるものになると考えられる。「基本指針」は、地方自治体や指定地方公共機関等の「計画」「業務計画」の上位の「指針」とされており、自治体等の「計画」「業務計画」は平時から組み上げてシステム化し、演習・訓練を積み上げておくことが必然的な要請となるからである。現に、「輪郭」には「避難に関する訓練への参加」まで掲げられており、「計画」なしに「訓練」が成り立つわけがないのである。
 この「基本指針」について安全保障会議の諮問を経るのは、「戦争の場面を想定する」ことの結果だが、その安全保障会議は「武力攻撃の予測」や「おそれ」(与党「修正」案の表現では「明白な危険」)の場合に、「武力攻撃事態」(「修正」案の表現では「武力攻撃予測事態」も)の際に自衛隊の作戦や自衛隊・米軍への兵站提供を中心とした「対処基本方針」を立案・答申することになっている。
 平時からの「基本指針」と「戦時」の具体的な「対処基本方針」をどう調整するかは、「輪郭」でも定かではない。「備えあれば憂いなし」と言うのみで具体的な事態を想定しない(正確に言えば「米軍の周辺事態での出動」を想定しているが明示できない)有事法制がはらむ構造的な矛盾である。現実の事態が発生すれば、米軍の要請や作戦・兵站計画に対応して、「基本指針」を閣議決定で変更するか、具体化の閣議決定を行うのだろう。
 なお、11月11日の武力攻撃事態等特別委員会で、福田官房長官は筒井信隆議員の質問に対し、「可能性が高いと客観的に判断される事態において、・・国民の被害を防止するための警報の発令等といったさまざまな対処処置が迅速に実施される必要があるから、予測事態は必要」と答弁しており、国民動員法制の予測段階からの発動が予定されていることは明らかである。
 避難措置について都道府県知事に「指示」を発するのも政府であり、「自治体の判断での自主的避難」が想定されていないことも明白である。第5意見書では、「戦争では作戦の遂行は国家と軍の『専管事項』に属しており、地方自治体が自主的に判断して対策を講じることなど問題にならない。(中略)戦争における応急対策とは、『作戦優先の中央集権型』のものにならざるを得ないのであり、自然災害への応急対策とは似ても似つかないもの」と指摘したが、このことは「輪郭」自体で裏づけられたことになる。
 国民動員法制は、政府主導のもとで地方自治体を「下請機関」として動かすことを眼目とするものであり、被災自治体の自主性を旨とする災害対策基本法や災害救助法とは本質的に違ったものなのである。

(2) 自治体対策本部
 都道府県・市町村の対策本部の設置を義務づけるものであり、「閣議決定で指定されたものに限る」とあるから、政府が「○○地方では対策本部が必要」と判断して閣議決定すれば、それに従って自治体は設置せざるを得ないことになる。ここでも「自主的・自律的な対策本部」などまったく想定されていない。
 対策本部のモデルは、災害対策基本法の「災害対策本部」と考えられる。災害対策基本法では災害の「発生」か「おそれ」で、「災害対策本部を設置することができる」(第23条)となっている。任意規定だが、ほとんどすべての自治体で「災害対策本部条例」が制定されている。対策本部は、避難・救援・応急復旧など災害に対応するすべての事項を掌握することになり、災害対策の全体がここでコントロールされ、発表されていく仕組みになっている。東京都の条例では自衛隊(の幹部)は構成員となっていないが、「災害対策訓練」では自衛隊を含めた「共同演習」が行われている(00年9月3日に自衛隊を突出させた東京都は、都民の批判もあって02年は自衛隊の街頭進出は控えたが、都庁の「防災ルーム」では自衛隊幹部を含めた「図上演習」が行われた)。
 災害対策は自治体の自主性・主導性が基本だから対策本部の設置も任意規定で、構成等も自治体に委ねられている。しかし、戦争の場面では、前記のとおり閣議決定による義務的設置となり、政府の「下請機関」とならざるを得ないから、構成や権限等も法文上明記されると考えられる。
 なお、対策本部は「非常時機関」だから、設置そのものは「武力攻撃事態になってから閣議決定を受けて」となるだろうが、災害対策の場合と同じように「対策本部設置条例」であらかじめ構成員や役割を明記しておくことになるだろう。そうでなければ、「武力攻撃事態演習」に際して「模擬本部」の立ち上げもできないからである。

(3) 「国民動員計画」と「防災会議相当の機関」
 「基本指針」のもとに、政府機関(指定公共機関・指定地方公共機関)のみでなく、都道府県・区市町村、指定公共機関・指定地方公共機関にも「計画」「業務計画」の策定が義務づけられる。これも災害対策基本法(第34条以下)にもとづいて策定されている「防災計画」の敷き写しである。「国民保護計画」とでも称するのだろうが、その実質は戦争に自治体や地域を組み込むための国民動員計画である(さしあたりこの呼称を用いる)。
 この「計画」「業務計画」は、政府の「基本指針にもとづいて」組み上げられるもので、実際の計画には政府の細かなチェックが入るだろう。災害対策と違って、「自治体の自主的計画」など一顧だにされていないのである。
 重大なことは、自治体の「計画」は都道府県や区市町村の「本体」だけでなく、道路・公園・都市計画・警察・消防・医療・教育・福祉・産業・流通といった部局単位、学校・病院・保健所・福祉事務所といった機関単位に必要となることである。現に防災計画はこれらを「末端機関」とした計画が組み上げられ、それが自治会・町会・管理組合、業界団体・商店会、PTA・消防団・防犯協会といった自治組織と結びついている。防災計画をモデルにした国民動員計画が、おなじような構造をとるのは必至と考えねばならない。
 この自治体の計画をどのようにして策定するか。
 防災計画の立案にあたっているのは、災害対策基本法で設けられている諮問機関の防災会議であり、内閣府に中央防災会議が置かれ、都道府県・市町村に地方防災会議がおかれている(災害対策基本法第11条〜22条)。都道府県防災会議には「当該都道府県を警備区域とする陸上自衛隊の方面総監またはその指名する部隊若しくは機関の長」や「教育長」「警察本部長」が委員になると定められている(第15条)。
 戦争法体系では、中央防災会議にあたるものが安全保障会議なのだが、地方にはこれに対応する機関は存在しない。「素案」で「防災会議相当の機関の必要性」が掲げられていたのはそのためである。非軍事の災害対策ですら「部隊の長」が含まれているのだから、戦争に対応する機関が設けられれば、自衛隊の幹部が直接関与するものになることは「理の当然」ということになる。
 「輪郭」では、この「防災会議相当の機関」が抜け落ちている。各分野の専門家を動員した策定とチェックのシステムは不可欠のはずだから、法制化段階で再浮上するかもしれない。逆に、こうした策定システムが設けられないなら、「基本指針をそのまま敷き移すべし」と言っていることになり、「上意下達」はいっそう顕著ということになるだろう。

(4) 指定地方公共機関
 武力攻撃事態法にはなく(挿入意見があったが見送られた)、「国民動員法制」で創設されるものである。
 原型は災害対策基本法の指定地方公共機関で、「港湾局、土地改良区その他の公共的施設の管理者及び電気、ガス、輸送、通信その他の公益的事業を営む法人で、当該都道府県知事が指定するもの」とされている(基本法第1条6)。武力攻撃事態法も含めてこのあたりは災害対策基本法の敷き写しだから、おそらく同じ規定になるだろう。とすれば、指定対象は「公益的事業を営む法人」を含むことになり、公営バス等に限られず、地方鉄道・地方バス・地方新聞・地方放送局等まで広がることになる。この指定地方公共機関は、指定公共機関とともに、その都道府県での対処措置を遂行することになる。
 災害対策基本法にもとづいて東京都が指定している指定地方公共機関は、
? 都内に路線を有するすべての民間鉄道、東海汽船、都トラック協会、都庁輸送組合、東京バス協会、東旅協(ハイヤー・タクシー)、都個人タクシー協会
? 都医師会、都歯科医師会、都薬剤師会、献血供給事業団
? 都内で放送しているすべての民間放送局(テレビ・ラジオ・短波を含む)
である。
 「輪郭」では、「放送事業者」「ガス事業者」「運送事業者」が摘示されているから、上記の?と?が指定されることは間違いない。武力攻撃事態法で指定公共機関に明示されている日本赤十字だけでは医療は足りないはずだから、医療関係者も組み込まれることになるに違いない。指定地方公共機関による輸送などが、「住民の救出」に限られないことには留意を要する。国民動員法制には「生活関連物資の確保」まで含まれているのだから、「後方」での物資輸送には、自衛隊法第103条の動員を行うまでもないことになる。

3 協力動員と管理・排除 − 国民動員法制のもとの国民
(1) 国民すべてを組み込む「国民動員計画」
 自治体の「国民動員計画」には、すべての住民が組み込まれることにならざるを得ない。「備えあれば憂いなし」というだけで、具体的な想定事態をまったく明示しない法制のもとでは、「なにが起こるかわからないが、とにかく・・」ということになる。その結果、すべての地方・地域の自治体が、「いつなにが起こるかわからないから」との口実で「後方社会」を構築せざるを得ないのである。
 そこでまたしても「国民の協力」が登場する。一般の「協力義務」は武力攻撃事態法案に入っているから(第8条)、「国民動員法制」で規定される「協力」とはより具体的なものである。端的に言えば、民間の防衛組織やボランティアまで組み込む協力動員のシステムと、その確立のために地域住民を管理し、異端者を排除する制度ということになる。
 「輪郭」ではこの2つが書き分けられており、「ボランティア等への支援」が前者にあたる。典型的なパターンとして提示されるのは「避難」に違いない。「地域や建物が灰燼に帰す場面ではとにかく避難するしかない」という「理屈」で、災害と戦争の本質的な違いを捨象できる(というよりごまかせる)からである。この「協力」の場面では、災害対策でも強調され出している「自助」(自分の命は自分で守る)と「共助」(地域社会で助け合う)が、いっそう露骨に強調されるに違いない。
 その影響は直接の兵站動員などよりはるかに広範で、影響には深刻なものがある。「自治体住民をあげて避難する」などという場面を想定すれば、自治会・町会・商店会・管理組合・PTAなどの住民組織がフル稼働しなければならず、企業・NPOの役割発揮や他地域からのボランティアの応援なども不可避ということになる。それらをあらかじめ準備し、「協力システム」を構築しておくことが、「国民動員法制システム」の眼目である。
 この「協力システム」が構築されたら、「輪郭」が掲げる「避難に関する訓練」が実施に移されるに違いない。この「訓練」で、「災害ならいざ知らず、戦争の場面での避難計画になど手を貸せるか」と言って住民組織や住民が協力を拒否できるだろうか。

(2) 非協力者、「異端者」は強権的に排除
 「輪郭」の「4 国民の役割」にまとめられた「国民の権利及び義務」では、直接的・現実的な協力義務が掲げられている。箇条書きにすれば以下のとおりである。
? 都道府県知事による事業者への医薬品、食料等の救急物資の保管命令、売渡要請・収用
? 都道府県知事による医療関係者への医療提供要請・指示
? 都道府県知事による土地・建物等の提供要請・使用
? 市町村長による応急措置としての土地・建物等の一時使用、物件の使用、収用
? 市町村長等に対する異常現象通報義務
? 市町村長の応急措置に対する現場にある者の協力義務(協力要請に応じる義務)
 このうち??は事業者(医療関係者を含む)に対するもの、??は土地・建物・物件の所有者に対するものであるが、??はすべての国民が対象である。「保管命令」「収用」「使用」「医療提供指示(業務従事命令)」は自衛隊法による「徴用」「徴発」と同じ構造であり、自衛隊法第103条系統とは別のチャンネルで国民に対する広範な権利制約・強制が発生することになる。「自衛隊の任務遂行上必要があると認められるとき」に発動される自衛隊第103条の「徴用」「徴発」が「作戦のための直接の兵站」に対応するのに比べ、国民動員法制の義務(「徴用」「徴発」を含む)は、「国民保護」を口実にしてより広範に発動されることになるだろう。
 こうした義務違反に対して、広範な罰則強制が設けられる。
 「輪郭」では、罰則は「保管命令違反の売却など経済的違反行為」「原子炉等取り扱いに高度な注意義務を要する場面での措置命令違反」「警戒区域等への立ち入り制限違反」を摘示しているが、「など」が付されていてこの範囲にとどまるかどうかはわからない。この範囲であれば、「収用」や「使用」に対しては罰則がないことになるが、これらは直接の公権力の行使を伴うものであって、「収用拒否」が公務執行妨害罪に問われる危険性をはらむことは自衛隊法第103条の場合と同じである。
 いまのところ一般国民の協力義務への罰則強制は予定されていないかに思えるが、このまま推移するかどうかはまだまだ不分明である。災害対策基本法・災害救助法には、業務従事命令・保管命令・協力命令(基本法第71条 救助法第24〜26条)が規定され、違反者にはすべて罰則が付されている(6月以下の懲役または30万円以下の罰金)。最も射程の広いのが協力命令で、「救助を求めている者の近隣住民が救助への協力を断ると直ちに逮捕」という事態もあり得ることになっている。「国民保護のためだから」「人命救助のためだから」の押し出しで、これらがこのまま移植される可能性は大きいのである。
 こうした直接強制の設定と罰則強制は、前項で見た「システム的な協力」とあいまって、国民を戦争態勢に駆り立てるに違いない。「システム的な協力」は、さしあたりは「任意性」「自主性」や「善意」を前面に押し出してくるだろうが、「直接強制・罰則」はそのために国民・住民を管理し、妨害者・拒否者を鎮圧し、「異端者」として排除する機能をもっているのである。

4 「避難」とその責任 − 国民動員法制が予定する避難システム
 警報からはじまって、住民への避難指示、避難誘導、避難地、救急物資の確保、避難住民の輸送、避難住民の救援、応急復旧などが続く。これらは災害対策基本法・災害救助法の対策プロセスから抜き取ったものだろう。
 留意すべきは以下の構造である。
 第1に、政府の「都道府県知事に対する避難措置の指示」が冒頭に掲げられており、「避難」は自治体の自主的判断ではなく、政府の指示によることが明確にされていること。「避難指示」を冒頭に押し出したのは、戦争での対処が「作戦優先の中央集権型」にならざるを得ないからである。「避難先が重点作戦地域だった」ではすまないから、「避難」の場所や方法等も臨機応変に変化せざるを得ない。そのため、政府の「是正指示」や「直接執行」が広範に認められており、「避難の指示に関する措置」「誘導に関する措置」「都道府県を越えての避難に関する措置」「救援に関する措置」「武力攻撃災害への対処に関する措置」「救急物資の輸送に関する措置」のすべてに「是正指示」が認められ、ほとんどに「直接執行」が認められるから、自治体が自律的に行える部分はまったくないことになる。
 第2に、都道府県知事に、国の指示にもとづいて現実の指示を発するとともに、「徴用」「徴発」などを含めて避難に必要な施設や物資等を確保する責任が課せられていること。「素案」の段階では都道府県の役割がはっきりしていなかったが、「輪郭」で「避難・救助システムの遂行主体」としての都道府県の役割が明確にされてきたことになる。
 都道府県知事は、
? 国の統制のもとに住民に避難指示を発し、
? 住民あるいは地元企業から土地・建物等を取り上げて(使用)避難者の収容施設を確保し、
? 住民あるいは地元企業・団体の施設・建物・物資等を取り上げて(使用・収用)食糧・医薬品や医療施設を確保し、
? 医療関係者を動員して医療を提供させる(業務従事命令)
立場に立つ。その避難住民を移動させる輸送手段は、知事が指定した「指定地方公共機関」によることになるから、ここでも知事は「遂行責任者」ということになる。
 第3に、「避難の誘導」が「市町村長等」とされていること。「素案」では「市町村長、消防長など」とされており、消防関係者が動員されることは「輪郭」でも前提になっているはずである。「市町村長」と「消防長」を書き出したのは、「自衛隊は戦闘、警察は治安で手一杯、政府も都道府県も手がまわらないから地元でやれ」という判断だろう。区市町村と消防は政府主導の枠組みのもとで、末端実行機関としての役割を負わされる。その避難がうまくいかずに犠牲者が発生でもしたら、「誘導が万全でなかったから」として住民からも国からも非難されるのは、区市町村とその職員ということにならざるを得ない。

5 国民動員法制がもたらす臨戦態勢の社会
(1) 国民動員法制の描く社会
 ほとんど項目だけの「国民動員法制」の輪郭から、「輪郭」が描く「後方像」をスケッチしてみた。総論的部分に掲げられた「組織論体系」と、「避難」の一応の組み立て以外は法構造も明らかになっていないもとでのスケッチだが、その範囲でも生み出されようとしている「後方」=「銃後の社会」のアウトラインは理解できるだろう。
 「輪郭」が描く社会・・それは政府の武力攻撃事態(「予測事態」を含む)の閣議決定とともに、自治体で「対策本部」が立ち上げられ、あらかじめ策定された「計画」によって、自治体各部門や指定地方公共機関に指定された機関・企業を先頭に、すべての企業・NPOや町会・自治会などが戦争態勢に組み込まれ、いっせいに動きだす社会である。
 その社会の「基本理念」には、「自分の命は自分で守る」という「自助」と「近隣住民が助け合う」という「共助」が掲げられ、住民はシステム化された「計画」にいやおうなしに組み入れられ、それでも拒否する「異端者」には広範な罰則の強制が待っている。「輪郭」が項目だけということもあって今回のレポートでは具体的に検討しなかったが、「立入禁止区域」「警戒区域」の設定や、原子力発電所の防護のための非常態勢もとられるだろうし、「優先通信の確保」のための通信規制も行われるだろう。
 まさしく「臨戦態勢の社会」にほかならない。

(2) 戦争法による後方の構築はなぜ必要か
 「本土への大規模な空襲」も「本土上陸・本土決戦」もあり得ないのに、本当にそんな社会が必要になるか。単なる「空中楼閣のまやかし」ではないのか・・こんな疑問も生じ得る。だが、そうは考えられない。
 あの戦争で国家総動員法が制定された1938年は日中全面戦争開始の翌年、拡張・強化された41年3月は北進論・南進論が展開された年で、いずれも本土決戦などは想定されていなかった。戦争法体系によってあえて国民を組み込まねばならない戦争とは、「外に出て行く戦争」であって本土決戦でも本土空襲でもなかった。逆説的に言えば、目前に敵が迫った本土決戦段階では、「法律による国民組み込み」の必要性などなかったのである。
 あの戦争が終わって60年、政治・経済や地域社会のありようは大きく変貌し、国際化・情報化が進展している。だが、そうであればあるほど、「外に出て行く戦争」を行うには、戦争に向けて国民を統合し、戦争を遂行する政府や軍隊(自衛隊)を総合的にバックアップする「後方」の構築が必要になる。
 「自由と民主主義」を標榜する国家が仕かける侵攻戦争は「国民の支持」なしには継続できない。「戦争への支持」を維持するための「最良」の方法は、「テロの脅威」を浮かび上がらせて、「国と国民を守る」戦争の「意義」を鮮明に押し出すとともに、大多数の国民を「国を守り、自分と家族と近隣住民を守る」共同のシステムのなかに取り込んでしまうことだろう。それは、「国家安全保障戦略」(ブッシュドクトリン)を振りかざすブッシュ政権が進もうとしている路線でもある。
 いまだ政府部内でも生成過程にあるとはいえ、「輪郭」の「システム化された後方社会」こそが、米軍に追随して海外に出兵していく国に必要とされる臨戦態勢の社会なのではないだろうか。

(3) 臨戦態勢の社会がもたらすもの
 国民動員法制は平時にシステム化を遂げておくことを前提にしているのであり、臨戦態勢の社会への変容が武力攻撃事態を待ってはじまるのでないことも明らかだろう。
 すべての自治体や地方公共機関では平時から「国民動員計画」を組み上げておかねばならず、「計画」「業務計画」はすべての自治体の部局やそれぞれの学校・保健所・病院・福祉施設などにまで広がる。輸送や医療を担当する民間企業・機関や地元マスコミも指定地方公共機関として、いつ起こるかわからない「事態」への対処計画を構築しておかねばならない。その計画・業務計画は、自治会・町会・PTAなどを通じて地域住民に徹底され、「いざという時の避難方法」だの「生徒の誘導方法」「老人のサポート方法」だのが検討されていくだろう。そのことは、「いつでも有事に対応できる臨戦態勢の社会」を日常的に構築し、準備しておくことを意味している。
 この「平時の戦時化」がすべての地域・分野に広がっていったとき、文字どおりの「三軍統合演習」が実施されるだろう。こうなれば、2000年9月の東京都・ビッグレスキューのように、「東京直下型で北海道の部隊が渡河訓練」だの、「震災で瓦礫の山のなった銀座に練馬の駐屯地から装甲車が移動」だのといった「漫画的想定」をする必要はなくなってしまう。「なぜ」という問いへの答えはただひとつ、「戦争だから」ですむのである。
 いまこのとき、私たちはこんな社会をつくるのだろうか。子どもたちにこんな社会を残すのだろうか。

(田中 隆)


【各論】有事体制下の政府機関と公務員

1 「全体の奉仕者」から「米軍の奉仕者」へ
(1) 国家公務員は「国民全体の奉仕者」
 国家公務員は一般職と特別職に分かれている(国家公務員法第2条)。本稿がテーマとするのは、有事法制関連三法案が成立した場合の「一般職国家公務員」に与える影響である。
 日本国憲法は、公務員の地位について「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と規定している(第15条第2項)。ここでいう「全体」とは「国民ないし住民全体」の意味である。これは現行憲法の基本原理である国民主権ないし民主政の原理の下では公務員の地位と権限は、その基礎と権威を国民に仰ぐことが要請されているからである。国家公務員法で明確に「国民全体の奉仕者として」と書かれているのもこの趣旨からである(第96条第1項)。
 一方、憲法は、「行政権は内閣に属する」と規定し(第65条)、この内閣は「首長たる総理大臣およびその他の国務大臣により組織され」(第66条)、「内閣は(他の)一般行政事務を行う」と規定している(第73条)。現行法制では、この内閣の行う一般行政事務を担う主体は、内閣を構成する総理大臣およびその他の国務大臣の下に、国家行政組織法により組織された行政機関である。具体的には、総理府・法務省・外務省など国家行政組織法の「別表第1」に記載されている「府ないし省・委員会・庁」である。これらの行政機関は、そのトップを除けば主として「一般職国家公務員」で構成されている。
 このような形で構成されている日本の行政機構の目的ないし存在意義は、いうまでもなく国の行政事務を能率的に遂行することによって日本という国家の目的ないし存在意義を現実に具体化することである。そしてこの「日本という国家の目的ないし存在意義」については、憲法前文で、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」とされている。ここでいう「福利」の実現、すなわち憲法第3章の「国民の権利および義務」を始めとする憲法の各条項に掲げられている内容の確保、維持・増進こそ、日本国の存在意義である。

(2) 政府機関・行政機構の存在意義と責務
 「すべて公務員は、全体の奉仕者である」とは、この意味での日本国の存在意義を具体的に実現ないし達成するために行政機構の一員として業務の遂行にあたることである。
 例えば、環境省設置法では、「環境省は、地球環境の保全、公害の防止、自然環境の保護および整備その他環境の保全(良好な環境の創出を含む)を図ることを任務とする」と規定し(第3条)、「所掌事務」として、「環境の保全に関する基本計画の企画、立案、推進」を始めとする広範な行政事務の範囲が示している(第4条)。これらを実際に具体的に担うのが、環境省に勤務する一般職員(国家公務員)である。
 他の省庁でも同様に、任務と所掌事務が具体的に法定されている。そのほとんどは基本的には上記の「国民の福利」の実現・増進・向上を目的としたものである。そしてこれらを実際に具体的に担うのが、各省庁に勤務する一般職員(国家公務員)である。逆に言えば、約80万人の一般職国家公務員の基本的な存在意義は、日本国の目的である「国民の福利の確保・維持・増進」という政府機関の現実の諸活動を支え遂行するという日本国憲法上極めて重要な任務に携わるところにあり、これが憲法の要請なのである。

(3) 防衛庁の特異な任務
 有事法制が強行されれば、こうした政府機関のありようは一変せざるを得ない。このことを如実に示す機関と法律が、現在すでに存在する。ほかならぬ防衛庁と防衛庁設置法である。
 防衛庁設置法では、防衛庁の「任務」を、まず、「わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つことを目的とし、これがため、陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊を管理し、運営し、これに関する事務を行うことを任務とする」としている(第4条第1項)。この規定自体が、戦争放棄・戦力不保持を規定した憲法第9条に真っ向から違反するものであるが、そのことはひとまずおいておく。
 この防衛庁設置法第4条第2項には、防衛庁は、「前項の任務のほか、条約に基づく外国軍隊の駐留および日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定の規定に基づくアメリカ合衆国政府の責務の本邦における遂行にともなう事務で他の行政機関の所掌に属しないものを行うことを任務とする」という規定がおかれている。一読して明らかなとおり、これは「わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つことを目的とし」という第1項に掲げられた基本原則とは直接には関係していない。しかも第5条では、「防衛庁の所掌事務」として、「防衛および警備に関すること」という第1号の規定から始まって32号まで実に細かく具体的な事務が掲げられているが、そのうちの19号から30号まで実に12項目(37・5%)が上記の第4条第2項の「アメリカ合衆国政府の責務の本邦における遂行にともなう事務」に関係する事務なのである。
 このことは、現在の防衛庁がすでに米軍の出先機関(!)としての性格を明確にしていることを意味している。

(4) 有事法制のもとでの行政機構と国家公務員
 アメリカと密接に協力することを誓約し、国民を動員して米軍への兵站提供を行うことを明文で掲げた三法案が成立すれば、現在ですら色濃く存在する対米追随に拍車がかかることは火を見るよりも明らかである。
 しかも、ひとたび「武力攻撃事態」が宣言されれば、「米日両軍」の制服組によって作成されている「日米共同作戦計画」や、「ガイドライン」によって設けられている「調整メカニズム」などにより、米軍との作戦・兵站の調整にあたる防衛庁・自衛隊が、事実上すべての省庁のトップに座ることにならざるを得ない。そして、米軍と結んだ防衛庁の事実上の指示によって、すべての行政機構と国家公務員がアメリカの戦争のための「対処措置」にかきたてられていくことになる。
 このことは、日本の国家公務員が全体として「米軍への奉仕者」に一変することを意味しているのである。

2 武力攻撃事態の発動と政府機関・国家公務員
(1) 内閣総理大臣の「武力攻撃事態」の宣言
 武力攻撃事態が発動される可能性が最も大きいのが朝鮮半島有事や台湾海峡有事の場面であることを、自由法曹団は繰り返し指摘してきた。そのひとつ朝鮮半島有事について考えてみよう。
 もしアメリカが北朝鮮に対する軍事的な威嚇行動を現実に開始すれば、それは直ちに日本にとっては「周辺事態」と認定されることになる(周辺事態法第1条参照)。なぜならアメリカが北朝鮮に対する軍事的な威嚇行動を開始する時とは、実際には在日米軍と日本の自衛隊との間で既に調印されて締結されている日米共同作戦計画が発動する時でもある(この共同作戦計画への調印は第154通常国会の審議で政府もほぼ認めている)。米軍が日本の後方支援なしに北朝鮮に対して軍事行動を構えることは考えられないからである。
 政府により「周辺事態」と認定されると、自動的に自衛隊は「日米共同作戦計画」に従って米軍の後方支援活動に動きだす。周辺事態法に定められた国会承認等の各種の手続きは単にこの「計画」に定められた内容の追認でしかない。
 北朝鮮から見れば、このような米軍と自衛隊の行動は一種の「宣戦布告」である。北朝鮮軍が反撃のために動きだすのは当然であり、軍隊の補充や移動が行われるだろうし、横田・嘉手納や佐世保港・横須賀等の「軍事基地」にノドン・ミサイルの照準をあわせることも行われるだろう。こうなれば日本にとっては直ちに「武力攻撃事態」である。内閣総理大臣の「武力攻撃事態」宣言がなされ、閣議決定が行われることになるだろう。
 これが「周辺事態すなわち武力攻撃事態」とならざるを得ない理由である。

(2) 「武力攻撃事態」で政府機関はどう動くか
 「武力攻撃事態」宣言とともに、政府は直ちに「対処基本方針」と「対処措置」を決定し、それを実行することになる。
 武力攻撃事態法案では、「武力攻撃事態への対処においては、国、地方公共機関および指定公共団体が、国民の協力を得つつ、相互に連携協力し、万全の措置が講じられなければならない」とされ(第3条第1項)、国については、「第3条の理念にのっとり、組織および機能の全てを挙げて、武力攻撃事態に対処するとともに、国全体として万全の措置が講じられるようにする責務を有する」とされている(第4条)。要するに、「総力動員体制」ということである。この「総力動員」の事実上のトップが防衛庁・自衛隊になり、「日米共同作戦計画」や「調整メカニズム」に関わる制服組が具体的な行動の指示をすることになる。
 再び朝鮮半島有事の場合について具体的に考えてみよう。
 1994年の朝鮮半島での核疑惑危機の際に在日米軍が日本政府に求めた協力項目は1059項目に及ぶとされている。これらの事項の大半が、前述の日米共同作戦計画の中に取り込まれていると推測される。これを具体的に実行する作業に、各省庁の一般職国家公務員がまず動員されることになる。
 1999年8月25日から施行された周辺事態法では、「別表第1」と「別表第2」に後方地域支援として行う活動の内容が列挙されている。大項目だけを挙げても、補給・輸送・修理および整備・医療・通信・空港および港湾業務・基地業務・宿泊・消毒と並んでいる。これに全く関係を持たない政府の行政機関はあるだろうか。具体的には全国各地の空港・港湾の利用から燃料・食料その他の必需品の調達・保管・輸送などなど数万人から場合によれば数十万人の米兵の活動に要する施設・物資・労務等の提供が求められる。
 これらの要求を満たすためには、とうてい自衛隊や警察等だけでは足りない。地方自治体や指定公共機関、そして多くの国民の支援・協力が不可欠である。これらの支援・協力を現実に調達するための膨大な業務もまた現実的には関係する各省庁に勤務する一般職国家公務員の仕事になる。
 これらの業務を処理するために、各省庁の多くの部署で日常の一般行政事務がほとんど麻痺状態になることも十分考えられるのである。

3 歴史に見る「戦争下の」公務員労働の実態
(1) アジア・太平洋戦争における公務員労働
 アジア・太平洋戦争を強行した天皇制ファシズム・軍国主義の狂気の体制が、当時の日本国民(朝鮮半島や台湾・満州の民衆も含む)を戦争行為や後方支援に駆り出したことは周知のところである。アジア・太平洋千戦争はまさに「総力戦」だったのである。その国民動員業務の先頭に立たされたのが政府に勤務する公務員だった事実は、あらためて確認しておきたい。

(2) 朝鮮戦争における公務員労働
 1950年6月25日午前4時40分、北朝鮮軍の武力侵攻で開始された朝鮮戦争では、多くの日本人が再び戦争行為や後方支援に動員された。当時はまだ米軍の占領下であり、日本政府は表向き局外中立を保つという態度だった。7月4日の閣議で、米軍の軍事行動への協力はさしあたり「行政措置の範囲内で行う」との方針を決めている。
 現実には、朝鮮半島に出動した米軍への支援・協力はすぐに始められた。まず海上保安庁が翌26日から動いた。国鉄には占領軍から軍事輸送への協力が求められ、日本政府は開戦4日後の6月29日に軍需物資の輸送を優先的に行うように命令した。船舶輸送、空軍基地の使用、爆弾や燃料の輸送と続いた。
 7月8日には占領軍最高司令官マッカーサーは、警察予備隊7万5千人の設置と海上保安庁8千人の増員を指令した。吉田内閣は無条件でこれに従い、ポツダム勅令によって警察予備隊の創設を強行した。7月15日、吉田首相は国会で「できうる範囲で協力する」と表明。その後「占領軍の命令に従うことは当然」という論理のもとに、密かに、しかし全面的な後方支援活動が行われた。海上保安庁・国鉄・地方自治体・日赤の看護婦などが動員された。
 直接に機雷除去作業という実質的な戦闘行動に参加したのは、海上保安庁の20隻の掃海艇であり、作業は10月10日から開始された。参加した海上保安庁職員207名は、「国家公務員として通常業務の延長線上でこの作戦に参加することになった。10月17日、作業中の日本の掃海艇1隻が触雷して爆発・沈没し、1名が死亡し、18名が負傷した。しかし、この事実は掃海作業そのものとともに国民には1978年まで秘匿されつづけた(以上は、和田春樹:「朝鮮戦争全史」に拠る)。

(3) ベトナム戦争での韓国軍の戦争協力
 1968年8月のトンキン湾事件から始まったベトナム戦争では、直接的にはベトナムとの利害関係を持たない韓国が、「望まない」戦争に協力させられた。戦争開始当初には医療・運送などの後方支援に従事させられたが、戦争の長期化と拡大にともなって米軍の指揮の下に韓国軍の投入を要請された。最終的に30万人以上の兵力を派兵し、3,739人の戦死者と1万人以上の負傷者を出している(以上は、山内敏弘編「日米新ガイドラインと周辺事態法」の中の纐纈厚論文に拠る)。
 「米軍の奉仕者」となることの意味を示していると言えるだろう。

(山本真一)


【各論】有事法制のもとの教育と学校

1 あのころ・・そしてこのいま
(1) あのころ・・侵略戦争のもとでの教育と学校
 1931年の柳条湖事件から1945年のポツダム宣言の受諾まで、15年におよんだ侵略戦争=アジア・太平洋戦争のもとで、この国の教育と学校は、戦場で戦う兵士と「銃後の守り」を生み出すための道具とされてきた。
 「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス・・」「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ・・」。これは戦前の教育の基本に据えられていた「教育勅語」の一節である。「忠孝」を「国体の精華」として「教育ノ淵源」に位置づけ、「一旦緩急」の有事には「義勇」をもって「奉公」することを高唱したこの「教育勅語」の理念が、もっとも猛威をふるったのが、あの戦争=アジア・太平洋戦争であったことは言うまでもない。すべての学校に掲げられた「御真影」から配属将校による「軍事教練」、そして「学徒動員」「徴用動員」と、「戦争の道具にされた教育像」には枚挙にいとまがない。
 その戦争と教育・学校への痛切な反省のうえに、恒久平和を宣言した日本国憲法があり、「民主的で文化的な国家の建設」と「世界の平和と人類の福祉」への貢献という「理想の実現は、根本において教育の力にまつべきもの」とした教育基本法があることを、いまこのときあらためて確認しておくべきだろう。

(2) いまこのとき・・「教育改革」と教育基本法攻撃のもとで
 そのいま、この国の教育をめぐっては、「教育改革」の嵐が吹き荒れ、教育基本法「改正」の策動が続けられている。
 市場原理による競争至上主義を学校教育に持ち込もうとする新自由主義的方向と、公(オオヤケ)・国家・愛国心を強調して国家的統制を強化しようとする新国家主義的方向が、「教育改革」の「車の両輪」となっている。ネオ・リベラリズムとネオ・ナショナリズムという矛盾するかに見える2つの方向が並存し、補完しあって進行しているのが現在の「教育改革」であり、それは構造改革と有事法制策動が同時並行で進行するこの国の政治・経済の縮図とも言えるだろう。
 重大なことは、「教育の平等」を原理的に否定し、学校選択の自由化・複線化、中高一貫教育といった「自由化」と、学校管理・経営への民間手法の導入、教職員への成績査定といった「管理システム化」をあわせ持つ新自由主義的改革も、日の丸・君が代の押しつけや道徳・奉仕の強調、教育基本法「改正」論者が高唱する「愛国心」「日本の文化と伝統」といった新国家主義的改革も、ともに「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」(教育基本法前文)という教育の使命を根底から掘り崩すことである。
 教育が大きく変容されようとしているいま、否定したはずの戦争が有事法制によって教育・学校に持ち込まれようとしているのが、戦争と教育・学校をめぐる情勢である。

2 「武力攻撃事態」のもとでの教育と学校
(1) 「武力攻撃事態」と教育・学校
 武力攻撃事態法案では、「武力攻撃事態」の宣言によって軍・官・民をあげての戦争態勢に突入することになっている。こうした「武力攻撃事態」が発生したとき、教育や学校はどのような状況におかれるか。実を言うと、有事法制関連三法案の中に、直接教育・学校に言及した部分は存在しない。だからといって武力攻撃事態のもとで、それまでと変わらぬ教育や学校のあり方が保障されるわけではない。
 武力攻撃事態法案では、「国は・・組織及び機能のすべてをあげて、武力攻撃事態に対処する・・責務を有する」(第4条)とされている。この「組織」の中に文部科学省が含まれ、「機能」に文部科学省が所管する教育や研究が含まれることは言うまでもない。義務制諸学校や高等学校は都道府県や市町村の教育委員会が所管しているが、この地方自治体も「国及び他の地方公共団体その他の機関と相互に協力し、武力攻撃事態への対処に関し、必要な措置を実施する責務を有する」(第5条)とされている。結局、文部科学省を「頂点」とするこの国の教育・研究の「組織及び機能」は、丸ごと戦争態勢に組み込まれ、「必要な措置」の実施にあたらざるを得なくなる構造なのである。
 どのようなことが要求されるだろうか。
 軍・官・民をあげての戦争態勢を構築しようとすれば、政府は戦争の「正当性」を国民に説明しなければならなくなる。「なぜ戦争準備や戦争をする必要があるのか」「相手がどんな『悪い』ことをしたのか」「海外に出て行っている自衛隊員などが国と国民を守るためにどんな苦労をしているか」等々・・キャンペーンを要することがらは多い。これらはそのまま、文部科学省−教育委員会−校長のルートで、学校教育に持ち込まれるだろう。「朝礼」その他の「学校行事」のなかで、さらには関係する学科の授業のなかで「いまやっている戦争」が取り上げられるようになっていくに違いない。
 大学・大学院など学問研究にたずさわる機関では、影響や要求はいっそう直接的なものになる。科学技術や化学・生物学などの分野は戦争に直結するものとなり、協力要請が殺到することになるだろう。政治・経済・外交などに関わる分野では、戦争に伴う国際関係の変容や相手国や周辺国家の国情への情報や研究が要求されるだろうし、「反戦的研究」や「敵国を擁護するような研究」には圧力が強まるだろう。「アフガン報復戦争」のもとでアメリカの研究者に発生した事態が、この国でも現実のものとなるに違いない。

(3) 「国民の協力義務」のもたらすもの
 こうしたもとで、教職員や研究者が、自らの良心と教育者の使命にもとづいた教育を続け、あるいは自由な研究発表を続けることができるだろうか。
 武力攻撃事態法案では、「国民は、国及び国民の安全を守ることの重要性にかんがみ、・・対処措置を実施するときには、必要な協力をするよう努めるものとする」(第8条)とされている。協力の対象となる「対処措置」には「自衛隊が実施する武力の行使、部隊の展開その他の行動」(=作戦)や、米軍と自衛隊への「物品、施設又は役務の提供その他の措置」(=兵站)まで含まれているから、これは「戦争に協力するよう努力する義務」と言っているのと同じである。
 こうなると、「米軍のイラク攻撃は国際法違反だから、それに参戦する武力攻撃事態の宣言は誤りだ」などと主張する研究発表を行ったり、「戦争はよくないことだ。外交で解決すべきだ」と授業で話したりすることは、それ自体が「義務違反」ということにもなりかねない。とりわけ学校では、この「国民の協力義務」を口実にして、教育委員会や校長などから教職員への「指導」「注意」などが繰り返される事態が十分考えられる。
 それだけではない。「つくる会」教科書を学校に持ち込もうとし、卒業式・入学式での「国旗」「国歌」への教職員の態度を逐一チェックしようとするネオ・ナショナリズム勢力は、いまでも学校教育への監視や介入を強めている。有事法制が強行され、「武力攻撃事態」が宣言されたら、こうした勢力が監視・介入に拍車をかけるのは必至だろう。
 *○○教諭は「この戦争は正しくない」と教えた。子どもに国民の義務への違反を扇動する「売国教師」だ。教壇から追放しろ。
 *高校学園祭で××研究会は、敵国の文化や社会について同情的な発表をした。解散させろ。
 *武力攻撃事態に対応した教育についてどのように指導・徹底しているか、校長に説明を求める。
 *職員会議で武力攻撃事態に対応した教育についてそれぞれの教職員がどんな発言をしているか、情報を公開しろ。
 切り口・方法はいくらでも見出せるだろう。「9・11事件」後のアメリカで、「アナーキズム同好会」をつくろうとした女子高校生が放校処分になって大きな問題となった。「国及び国民の安全を守ることの重要性」が最優先される「武力攻撃事態」のもとでは、自由は戦争に従属させられざるを得ないのである。

3 有事法制・国民動員法制(国民保護法制)と学校・教育
(1) 有事法制が生み出す「平時の有事化」
 有事法制による教育・学校への影響は、なにも「武力攻撃事態」を待ってはじまるというものではない。有事法制関連三法案が強行され、国民動員法制(国民保護法制)をはじめとする関係法案(事態対処法制)が整備されれば、この国の法律・制度に「戦争法体系」が組み上げられることになる。日本国憲法が否定し、教育基本法も否定した「戦争の道筋」がこの国に書き込まれるとき、教育に及ぼす影響はただちに現れるに違いない。
 ただですら、「公」重視、「道徳」重視の傾向を強めている学習指導要領には、「愛国心」や「国を守ること」「国民の協力の義務」などが書き込まれていくだろう。社会科などの教科書にはこうした内容が盛り込まれるだろうし、「平和だけを強調した記述」は「国を守る意味や国民の協力義務を軽視したもの」として検定によって排除されるかも知れない。教育委員会や校長などが直接管理権を及ぼす学校行事に対する強圧的な介入が行われることは、国旗・国歌法制定後の「日の丸」「君が代」の強制からも明らかだろう。
 学問の自由、教育の自由を基本においた現在の教育法制が全面的に改変されない限り、個々の教職員の教育内容・授業内容に対する強権的な介入はないだろうが、校長の権限が強化されつつある学校組織のなかで事実上の圧力は避けられないだろう。学校評議会などによる「地域に開かれた学校」が、地域有力者による教育内容への圧力を生み出すことも十分考えられる。
 戦争法体系の強行による「戦争」の導入は平時を戦時化させ、「武力攻撃事態」が発生しないでも教育・学校を変容させざるを得ないのである。

(2) 国民動員法制と末端組織としての学校
 教育・学校の変容のもうひとつの道筋は、準備が進められている国民動員法制(国民保護法制)にある。災害対策法制をモデルにした国民動員法制は、「国民保護」を口実に、すべての自治体や地域に「有事対応システム」を構築させようというものであり、このシステムにはすべての学校が組み込まれざるを得ない。有事法制・国民動員法制が予定するのは、「いつどこから引き起こされるかわからない武力攻撃」である。となれば、全国のどこの学校であれ、「いつ攻撃を受けるかわからない」ということなり、児童・生徒の安全に責任を負う学校はその準備を整えておかざるを得ない。
 実例をあげておこう。
 数百ページに及ぶ「東京都地域防災計画震災編」には、それぞれの部局・機関・団体等が果たすべき役割が詳細に規定されている。以下はそのなかの「第17章 第1節 応急教育」からの抽出。
? 災害時の応急教育計画、指導の方法等についてあらかじめ適正な計画を立てておく
? 在校中やグラブ活動などあらゆる場面を想定した避難計画を立案し、児童生徒の避難訓練を実施する
? 区市町村が行う防災訓練に、教職員、児童生徒が参加し、協力する。
? 教育委員会、警察、消防、保護者との連絡体制、勤務時間外の教職員の連絡・参集体制を準備する。
 これらは、災害対策の「事前準備」として学校長に要求される責務である。こうした準備を整えた学校は、災害発生時には対策の「末端拠点」とされ、児童生徒を保護する責務が課されることになる。こうした計画の策定や防災訓練への参加は、災害対策基本法による責務とされており、学校や学校長がその責務を放棄することはまずできない。
 この災害対策計画の「末端拠点」としての学校が、災害法制を敷き写した国民動員法制によって、国民動員計画の「末端拠点」に変容させられる。そうなれば、「有事対応の応急教育計画」や「防衛訓練」が学校と教職員の使命とされることになり、学校のあり方や教育にもたらす変容は教育内容統制に勝るとも劣ることはない。
 「校長先生、どうして防災訓練をする必要があるの」「いつ災害が起こるかわからないから。神戸の地震や三宅島の噴火はテレビで見ただろう」「じゃあ、どうして有事の訓練をする必要があるの」。「いつ攻められるかわからないから。悪い国があるのをテレビで見ているだろう」・・意味するところは明らかだろう。
 あえて付言しておこう。「教育内容の自由」がそれなりに確保されている限り、勇気を出して戦争賛美の教育を拒否することは可能だし、拒否しても処分に至ることはまずあるまい。だが、「子どもの命を救うための訓練」の拒否には心理的抵抗が伴わざるを得ず、拒否すれば職務命令違反の処分もあり得るのである。

4 いま問われているもの・・「現代の戦争」と教育
 あの戦争は国家総動員法・治安維持法の強圧のもとで、ファシズム国家が国民を動員した侵略戦争であり、「教育勅語」のもとで教育・学校そのものが戦争の道具として活用された。いまこのとき発生するであろう「現代の戦争」は、「自由と民主主義」を掲げるアメリカが「自由と民主主義の敵」を討伐しようとする戦争であり、有事法制が発動されるのもこの侵攻戦争の場面である。
 この「現代の戦争」で、滅私奉公を高唱した「教育勅語」の復活や「軍事教練」「学徒動員」の再現をそのままイメージするのは、かえって本質を見誤ることにもなるだろう。基本的人権の保障や国民主権を保障した日本国憲法が存在し、仮にも「自由と民主主義」を標榜し続ける限り、「現代の戦争」とファシズム国家が仕かけたあの戦争とは様相が大きく異なるのである。
 だが、そのことは教育や学校の自由を決して意味しない。治安維持法や「教育勅語」などによる抑圧政策によらないそれなりに「民主的なシステム」のもとでの戦争は、政府が戦争の「正当性」を国民に説明し、国民の「支持」を得て戦争遂行に向けて国民を統合していくことが不可欠になる。そのために、言論や情報、教育や研究をはじめ、国民の「理解」や「支持」に関わるすべての機能が戦争態勢に組み込まれ、協力を要求されざるを得ない。有事法制や国民動員法制は、そのシステムを構築して国民をいやおうなしに組み込んでいくための法制であり、教育や学校も決してその射程の外にはないのである。

(田中 隆)


【各論】有事法制とマスメディア

1 報道・出版の自由に対する最大の危機
 1938年に国家総動員法が制定され、軍機保護法などの防諜法制と相まって、戦争体制の整備が進められた。この体制のもとで、日中戦争から「大東亜」戦争へと戦線を拡大し、アジアで2千万人とも言われる人命を奪った。その当時の新聞・ラジオなどのマスコミは、政府のスポークスマンとなって戦意高揚のための報道を担い、「大本営発表」を垂れ流し続けて国民を戦争に駆り立てていく重要な役割の一翼を担った。
 このことは、歴史的事実として忘れることは許されない。
 2001年9月11日のいわゆる「同時多発テロ」以来、政府はアメリカの「報復戦争」を積極的に支持し自衛隊をインド洋におくり、さらにアメリカが「イラク」等を「悪の枢軸国」と名指しで非難して「小型核兵器」を先制的に使用することも含めて「報復戦争」を行うことに反対しようとしない。さらに、アメリカの要請を受けて、政府はアメリカの侵略戦争に自衛隊が参戦するとともに、社会全体が米軍と自衛隊の後方支援を行うための有事法制関連三法案の成立をもくろみ、10月には「国民の保護」を口実にした国民動員法制の「輪郭」を示している。
 こうした有事法制や国民動員法制で、「指定公共機関」や「指定地方公共機関」が定められ、NHKは言うまでもなく、全国民間放送・地方放送局をはじめ全ての放送局が指定されることになることは避けがたい。戦争に際して新聞や出版の統制が行われてきていることも歴史的事実であり、そうなれば報道・出版の自由は存在しない。同時に、現行憲法は死滅し、民主主義は破壊され、自由と人権は画に描いた餅となる。
 有事三法案こそ、マスコミの報道・出版の自由に対する最大の危機である。この国の平和を擁護し、人権と民主主義を発展させるためには、マスコミが日本国憲法の精神・視点に立って報道していくことが必要であり、今こそ求められている。
 まさに、マスコミとマスコミ労働者には、戦争への道を許して再びそのスポークスマンとされる道を進むのか、平和への道をめざし有事法制を阻止するために全力を挙げるのかが問われている。

2 「有事」には政府のスピーカーにされるマスコミ
 政府・与党は、有事法制によって、マスコミに対し、国民を戦争に駆り立てた役割を再び果たすよう求めている。有事法制には、マスコミが政府のスピーカーになることを法律上強制する仕組みが幾重にも張りめぐらされている。
(1) 武力攻撃事態法による指定公共機関
 まず、武力攻撃事態法案による「指定公共機関」。「指定公共機関は・・・その業務について、必要な措置を実施する責務を有する」(第6条)と規定され、日本放送協会(NHK)が指定公共機関になることは明文で定められている(第2条5号)。それ以外のマスコミに関しても、内閣が自由に作成できる政令によって「指定公共機関」にできることは言うまでもない。
 NHKのニュースで米軍がイラクに対する先制核攻撃を正当化する報道を続けているときに、民間放送のキャスターが「イラクに対する先制核攻撃は国際法に違反し全く正当性の根拠がない」と反論していては、自衛隊が米軍に参戦することはできないだろう。民間放送局も「指定公共機関」に指定され、NHKと同じ論調の報道を求められることは必然である。新聞社・出版社も自由な報道・評論が許されるはずがない。通常国会では、政府自らが民間放送や新聞社を指定公共機関にすることを示唆しているのである。

(2) 国民動員法制で地方放送局や地方紙にも
 「指定公共機関」にならない地方放送局や地方新聞も、有事法制の網から逃れることはできない。10月末に内閣官房が与党三党に提示し、野党議員にも配布された国民動員法制の「輪郭」では、「指定公共機関」とは別に「指定地方公共機関」の制度が設けられることになっている。
 この国民動員法制は、「国民の保護」を口実に米軍の侵略戦争に「国民を総動員」するため、社会全体を平時から戦争に即応できる態勢に組み替えていこうとするものである。こうなると、地方放送局や地方新聞はおろか、短波放送・有線放送や地域のミニコミ誌紙まで組み込まれていかざるを得ない。「地域住民を戦争の被害から守るために避難方法を広報しようというのに、協力しないのか・・」。こう言われて協力を拒否できる放送や新聞がどれだけあるだろうか。
 国民動員法制のもとで、都道府県知事によって地方局などはまっさきに「指定地方公共機関」に指定されるだろう。現に、「輪郭」のモデルにされた災害対策基本法にもとづく「指定公共機関」は、東京都では都下にテレビ・ラジオを放送する全国局のみならず、「ラジオたんぱ」(短波局)や「MXテレビ」(東京の有線ローカル局)に及び、千葉県では「千葉テレビ」や「株式会社エフエムサウンド千葉」が指定されているのである。

(3) 「国民の協力義務」で記者やキャスターにも
 「警報や避難の広報には協力する。だが、戦争批判や作戦報道は自由のはずだ・・」。こう言い張る硬骨の記者やアナウンサー・キャスターもでてくるだろう。言論表現の自由、報道の自由があるから当然の主張でもある。
 だが、武力攻撃事態法案には、「(政府機関などが)対処措置を実施するときには、必要な協力をするよう努めるものとする」(第8条)という「協力義務」が設けられている。この「対処措置」には自衛隊の武力行使などの軍事行動(作戦)や米軍と自衛隊への物品などの提供(兵站)まで含まれているから、作戦や兵站に積極的に協力する義務が、国民にもジャーナリズムにも課されることになる。
 * △△局の○○キャスターは「こんどの戦争はおかしい。アメリカへの協力は慎重であるべきだ」と話した。対処措置を妨害し、国民に協力義務を守らないように扇動している・・。
 * 地元紙の△△紙は、海岸に建築中の防御陣地について、「環境破壊の陣地構築 高まる住民の反対の声」と題して特集報道を組んだ。国民の協力義務をなんと思っているのか。
 こんなことにもなるだろう。戦争遂行という「至上命令」と「国民の協力義務」のもとで、言論表現の自由は圧殺されざるを得ないのである。

(4) 民間放送連盟の意見
 2002年7月18日、社団法人日本民間放送連盟は「武力攻撃事態法案による指定公共機関制度に対する意見」を公表した。
 「意見」では、「この法案がこのまま成立した場合、放送が首相の権限の下に置かれ、国民の『知る権利』に奉仕する報道機関が、政府に奉仕するものに変質しかねない」とし、「この制度が政府による情報統制を意図したものではないかとの懸念を持たざるを得ない」と論じ、「上記の懸念が払拭されない限り、民主主義の根幹である報道の自由に関わる領域で、『指定公共機関』を法制化することは受け入れられない」としている。
 極めて当然の見解ではあるが、「指定公共機関」の法制化に反対するだけでは不十分と言わざるを得ない。戦争遂行のためには、マスコミの統制が必要不可欠であり、有事法制の中にマスコミの統制を行うための法律が制定されるのは、ある意味で当然のことである。言論表現の自由、報道・出版の自由を守る道は、戦争の道=有事法制そのものを阻止することしかないのである。

3 「平時」から侵害される報道・出版の自由
(1) 執拗に続けられる報道の自由への攻撃
 政府が取材・報道の自由に対して一貫してかつ継続的に規制・統制・侵害しようと企てていることは明らかであり、とりわけ「軍事機密」に関しては権利を抑圧し続けている。
 沖縄返還に関する密約を報道した記者が、国家公務員法で処罰されたことは記憶に新しい。防衛庁が情報公開請求者リストを作成し庁内に配布していた事実が白日にさらされ、行政機関が収集した個人情報が治安対策等に活用されていることが浮き彫りとなった。
 1985年には、マスコミの報道の自由や国民の自由・知る権利を奪う国家秘密法案が「スパイ防止」を口実に国会に提出された。マスコミへの内部告発や情報提供への監視・規制に使われる危険の大きい盗聴法案は、マスコミ・国民の反対にかかわらず強行されている。
 「9・11事件」を口実にして、自衛隊がアメリカの行う戦争に現実に参戦することを認めた「テロ特措法」が2001年秋の臨時国会で成立した。同時に、自衛隊法「改正」として、国家秘密法の復活とも言うべき「防衛秘密」条項が盛り込まれた。処罰対象者を拡大するとともに、「共謀」「教唆」「扇動」を独立の犯罪とするこの「改正」によって、取材・報道活動が処罰される危険が大きくなった。
 
(2) 「人権擁護法案」「個人情報保護法案」、教科書攻撃・・
 近年のマスコミ報道のあり方への国民の批判を背景に、マスコミに対する権力的な規制の策動が続いている。犯罪被害者やその家族への過剰な取材や暴露が、被害者らの平穏な生活やプライバシーを脅かしていることは重大な問題であり、マスコミには「社会の公器」の責任を自覚した反省と改善が求められ、現に改善の努力がはじめられている。
 継続審議になっている「人権擁護法案」では、公務員による人権侵害を放置する一方で、法務省からの独立性のない「人権委員会」が強力な調査権限をもって私人の紛争に介入することを認めている。報道機関も対象から除外されていないから、権力による報道統制に道を開く危険をはらんでいる。
 また、「個人情報保護法案」では、放送機関・新聞社等は適用除外とされているが、出版社やフリージャーナリストの適用除外は明記されていない。公人のプライバシーや事件報道などに関し、取材の目的や取材源の開示を、ジャーナリストに罰則を背景に強要できる仕組みであるから、取材の自由・報道の自由に及ぼす影響は深刻なものがある。
 ネオ・ナショナリズム勢力の教科書攻撃が続いており、2001年の中学校教科書では、「従軍慰安婦」などに関する教科書発行者の自主規制が極限まで進む一方で、「つくる会」教科書が検定を通過した。「つくる会」教科書と同一の基調に立つのが、教育基本法「改正」の策動であり、この11月には中央教育審議会が「中間報告」を提出している。
 こうしたマスコミや教科書に対する規制・統制の動きは、有事法制強行の動きと軌を一にしたものと考えねばならない。
 
(3) 有事法制・国民動員法制が強行されたら
 こうした報道の自由への攻撃のもとで、有事法制が企てられている。
 有事法制・国民動員法制がもし強行されたなら、平時からマスコミへの圧迫がいっそう強くなるに違いない。前に述べたように、武力攻撃事態法案や国民動員法制によって、全国マスコミから地方マスコミまでが「指定公共機関」「指定地方公共機関」にされることになり、その指定は平時の段階で行われる。そして、「指定公共機関」や「指定地方公共機関」はあらかじめ「業務計画」を作成しておくことになるから、平時から「有事における報道体制」の準備をしておかざるを得なくなる。平時から戦争態勢に組み込まれてしまったマスコミが、世界の情勢やこの国の政治・経済・軍事などについて、自由な取材や放送が続けられるだろうか。
 それだけではない。国民を動員して戦争態勢を構築するシステムは、必然的に国民を「軍事機密」に接近させてしまうことを意味している。国民が戦争態勢の秘密を自由に話し、その内容が自由に報道できるようでは、安心して武力攻撃事態を宣言して戦争態勢を構築することはできない・・政府や支配層がこう考えたとき、国家秘密法の策動が再浮上してくるだろう。そうなれば、平時から外交や軍事にかかわる情報が「国家秘密」とされ、ジャーナリズムが刑罰で弾圧されるという時代が再来することになるだろう。

4 国民の権利を擁護し平和を守るマスメディアに
 「9・11事件」の後、アメリカの3大ネットワークでは政府の要請でアルジャジーラの映像をそのままでは報道しなくなったと言われている。この国でも、アフガン空爆の深刻な被害はほとんど報道されず、マスコミを通じて伝えられたのは「タリバンの軍事施設に限った限定的なものである」との米軍発表による一方的なものがほとんどだった。
 三法案の国会提出直後、「日本の平和と独立、及び国民の安全を守る上で、不可欠な法整備の第一歩である」「遅きに失した感は否めないが、国家として当然の努めである」「万一に備える法の整備は基本的には必要であろう」という新聞各紙の社説が並んだ。憲法違反との論陣を張った報道機関はほとんどなく、有事法制の背景やねらいをアメリカの戦略との関係で報道したマスコミも乏しい。国民の中で有事法制に反対する運動についても、ほとんどはテレビ・新聞等には報道されない。
 この9月から始まった日朝外交交渉についても、北朝鮮の拉致問題や家族の悲しみや憤りについては連日のように報道されているが、その一方で平壌宣言の歴史的な意義や北東アジアの平和への展望についての報道や評論は、日を追うごとに減少している観がある。
 こうした報道の状況からは、少なくないマスコミが、政府・支配層などの攻撃・圧力のもとで、国民から期待されている「社会の木鐸」としての役割を自ら放棄しつつあるとすら考えざるを得ないものがある。マスコミに求められるものは、政府・支配層の動きから毅然として自立し、平和と民主主義の立場から政府の政策や行動を厳しくチェックするとともに、国民に多面的な情報を提供することのはずである。
 有事法制・国民動員法制は、平和と民主主義に重大な事態をもたらす法案であると同時に、報道・出版の自由に致命的な打撃をあたえる法案である。いまこのとき、マスコミとマスコミ労働者が、平和と民主主義を守り、かけがえのえない報道・出版の自由を守るために、決然と有事法制反対に踏み切ることは決定的な意味をもっている。とりわけ、自らが携わるメディアを通じて、有事法制・国民動員法制の内容や問題点を国民に知らせ、警鐘を鳴らすことは、いまこのときのマスメディアの歴史的・社会的責務ではないだろうか。

(小部正治)


【各論】有事法制のもとでの情報・通信

1 有事法制における情報・通信の扱い
 この国に有事法制ができることによって、国民の情報・通信に関する分野が規制を受けることになるのか。このことは、この間の国会審議からはほとんど明らかになっていない。けれども、NTTやKDDIなど情報・通信事業に関わる会社が指定公共機関となることはまず間違いない。
 武力攻撃事態法案第22条2号では、「自衛隊が実施する行動が円滑かつ効果的に実施されるため」「電波の利用その他通信に関する措置」についての事態対処法制を制定することになっている。自衛隊の作戦のために電波・通信を利用することは有事法制が明言するところである。さらに、今回明らかにされた「国民保護法制」の「輪郭」にも「被害を最小にするための措置」として「対処措置の実施に係る優先通信の確保等」の項目がある。作戦のみならず、後方支援の構築にも通信の利用や規制が考えられていることになる。
 したがって、有事法制によって国民の情報・通信に関する分野が何らかの規制を受けることは必至である。いったいどのような規制を受けることになるのであろうか。

2 有事法制が想定している戦争
 「備えあれば憂いなし」というキャッチフレーズで国会に提出された有事法制関連三法案であるが、その目的は日本が他国から攻められたときの備えではなく、アメリカがアジア太平洋地域で行う戦争に日本の「自衛隊・国民」を総動員することにある。このことは「武力攻撃事態」の定義をめぐる国会論戦でもはっきりしている。
 また、もともと政府が有事法制の制定に本格的に取り組んだ契機は、いわゆる「アーミテージ報告」にあると言われる。そこではアメリカが日本に対して「新ガイドライン」の誠実な実行を求め、その「誠実な実行」には「有事法制の制定」も含まれると書かれている。要は、アメリカの要求を「誠実に実行」するための有事法制なのである。日本の「本土有事」はもともと想定されていない。
 これを前提にすると、有事法案が実際に想定しているのは、日本の自衛隊が海外でのアメリカの戦争行為に加担することである。
 その場合、日本がアメリカの戦争の兵站基地となり、日本を基点に米軍の艦船や日本の自衛艦が海外へ出動していく。それに伴って、日本は日米共同の軍事通信の拠点になるであろう。そして、その軍事通信を自衛隊がもっている通信網で対応しきれなければ、民間業者であるNTTやKDDIなどの通信設備を軍事的に利用することになる。そのような状況の下では軍事通信が優先され一般回線の使用は制限されるから、当然、NTTやKDDIなどの国民に対する情報・通信サービス(電話、電子メール等)には支障が生じてくるであろう。

3 国民の情報・通信の監視
 さらに問題となるのは、自衛隊の活動とは直接に関わらないが、国家の戦争遂行に必要な「対処措置」あるいは「国民保護法制」の名の下に実施されると思われる国民の情報・通信の規制である。
 考えられることをあげてみよう。
 まず、国民の国際電話、海外のインターネット情報へのアクセスといった国際通信との関係である。戦争を遂行する国家としては、国民に厭戦気分をもたらすような海外情報の流入を極力防ぎたいところではあるが、インターネットが飛躍的に発達した今日の情報化社会ではその全面規制は事実上不可能である。
 むしろ、政府の方策としては、それを規制するというよりも、「スパイ防止」などを名目にして、国民の海外との情報通信を盗聴・監視していくことが考えられる。国民の国際通信を国家の監視下におくことで、政府の戦争政策に有益な情報が得られる場合もあるであろうし、何よりも国内外の反戦団体の動きを監視できる。
 国民の情報統制という点では、教育の場における戦争の正当化及び愛国心醸成、マスコミを通じた情報操作に比重が置かれる。指定公共機関となったマスコミは、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などあらゆるメディアを通じて政府の戦争政策に都合のよい情報だけを流し続けるであろう。放送局の一部を一時的に「軍事専用放送」にしてしまうことなども考えられる。
 国内の軍事機密、外交機密を敵国や中立国に流出させないことも戦争遂行にとっては不可欠である。そして、国民の国際通信の全面規制が事実上不可能だとすれば、その前段として、国家の軍事機密、外交機密は国民にさえも知らせないというのが国家の要求となる。それを担保するのが国家秘密法制である。
 国家秘密法案は、1985年に国会に提出されたが国民の反対運動のうねりのなかで廃案においこまれた。しかし、有事法案は日本が「戦争をする国」になることを求めている。「戦争をする国」において、軍事機密、外交機密などの国家機密はトップシークレットである。敵国のスパイから国家機密を守ることは至上命題となる。戦争の遂行にとって国民に知られては困る情報もたくさんあるはずだ。昨年の「テロ対策特別措置法」の制定にともなう自衛隊法の「改正」では、防衛庁長官の指定により「防衛秘密を取り扱う業者」との指定を受けたものは、秘密保護義務が負わされ、故意過失を問わず漏洩が処罰されることになった。したがって、有事法制が強行されれば、次にはより包括的な国家秘密法が登場せざる得ない。「アーミテージ報告」も日本に国家秘密法の制定を要求しているのである。
 国家秘密法は、国民が国家の軍事情報、外交情報に接近しこれを知ることを禁止する。その情報が国家機密かどうかは国家が判断し、国家機密とされる情報や文書の漏洩に重罰をかけていく。そして、漏洩のみならず、探知、収集を処罰する。国家機密に関する調査、取材、出版、報道、日常会話、手紙、談話などのすべてが処罰の対象とされ、萎縮的効果もあいまって、国民の情報・通信の自由は著しい制約を受けることになるのである。

4 反戦平和運動の弾圧
 有事法制ができ、そして国家秘密法ができれば、その犯罪捜査のための法律が整備されるであろう。そこでは国家機密の取得が問題となるから、電子メールの追跡や電話の盗聴などが国内の犯罪捜査においてもごくあたり前になるであろう。情報・通信に関する犯罪捜査の方法が大きく転換する。そうなれば、国民の情報・通信は日常的に国家の監視下のおかれ、国民の情報・通信の自由はないに等しい。
 有事法制では、国民に戦争協力義務が課されることになっている。
 反戦平和運動はこの戦争協力義務に真っ向から反する。有事法制のない現在でさえ、公安警察は国民の平和運動、労働組合活動など民主的活動を監視し、弾圧することに全力をあげている。公安警察は、犯罪捜査にかこつけて容赦なく平和運動の抑圧・弾圧に出てくるであろう。その手段として、電子メールの追跡や電話の盗聴が使われることになる。
 現にアメリカにおいては、反テロ愛国法が制定され、アメリカ政府の戦争政策と機を一にした厳しい治安政策が進行している。捜査当局は、強大な捜査権限を手に入れ、電話の逆探知はもちろんのこと、「テロリスト容疑者」というだけで受発信する電子メールの追跡をすることができるようになった。ある刑事弁護人は、テロリストとされる被告人の弁護に際し、被告人の発言内容をメディアに流したことが「テロを助長する行為」であるとされて、逮捕、起訴されている。
 「戦争をする国」アメリカにおいて進行しているこのような事態は、有事法制のもとの日本においても十二分に起こり得ることなのである。

(山崎 徹)


【各論】有事体制と気象情報 ― 天気予報がなくなる!

1 自然現象
 日本領土が一方的な軍事侵略を受けようとしたのは、鎌倉幕府時代の元の襲来以来ない。このときは猛烈な嵐が元の船を襲い、元軍は撤退を余儀なくされた。
 このような古い歴史を持ち出すまでもなく、自然現象は重要な軍事情報である。いまアメリカがイラクに対し全面的先制攻撃をしかけるかどうかが世界の大きな憂慮となっている。報道では攻撃開始時期は1月〜2月ではないかとの観測が流れている。この時期を過ぎると、イラク周辺が砂嵐と40度を超える灼熱の地となり、ハイテク兵器で固めた米軍も行動が困難になることが予想されるからである。

2 天気予報が消えた日
 明治32年に制定された「軍機保護法」が1937(昭和12)年に改正され、陸・海軍大臣が「指定区域内の気象の観測」を禁止・制限することができるようになった。1938年、気象報道管制時には天気予報・暴風警報まで許可制とすることになった。1939年制定された「軍用資源秘密保護法」では、「軍事上秘密を要する気象に関する重要な事項」は罰則付きでその漏洩が禁止されることになった。
 1941年8月には、各管区気象台の幹部が集められて気象事業の臨戦体制についての説明がされ、このときから中央気象台に駐在する陸海軍気象関係者が飛躍して増加した。11月末日から天気図が秘密扱いとなった。12月8日、海軍が真珠湾攻撃を開始した途端、陸・海軍大臣は気象報道管制実施を命令し、気象無線通報は暗号化され、新聞・ラジオ等の天気予報掲載は全面禁止された。以後気象情報はすべて軍部に集中されて国民には極秘となり、「台風の位置・進路はもとより、台風の存在することも絶対に公表しない」という扱いがされた。
 終戦までの3年8ヶ月の間に大きな被害をもたらした台風が5回襲来、地震が6回発生した。その被害合計は、死者・行方不明者7172名、負傷者2236名、破壊家屋約53万6000戸、船舶7735隻に及んだという。今の時代では考えられないほどの甚大な被害である。ところが、当時の新聞では、それらはすべて、紙面最下段・端に1〜2段程度の「べた記事」でしか掲載されないという報道統制がかけられた。ここには国民に自然災害の実態を知らせることにより戦意喪失が生じることを避けたいというもうひとつの動機もあった。気象情報が知らされていなかったがゆえに、予め知っていればとりようのあった備えをとれず命を落としてしまった人々が多数にのぼったことが推察される。

3 空白の天気図
 現代の戦争でもこのことは変わらない。
 現在では、地球上全体の気象情報が「SURFACE WETHER MAP」として世界を情報流通している。ところが、1982年のイギリス・アルゼンチン間のフォークランド紛争、80年代のイラン・イラク戦争、91年の湾岸戦争など戦争が発生すると、その地域のすべての気象情報は軍事機密となって公表されなくなった。
 湾岸戦争のときにはイラクのみならずその周辺のクェート、サウジアラビアなどの気象情報はすべて秘密とされ、MAP上は真っ白とされたのである。今もイラクやアフガニスタンの気象情報は秘密扱いが続いている。

4 軍事部門への気象情報の提供
 日米安保条約第6条に基づく地位協定第8条は次のように定めている。 
 日本国政府は、両政府の当局間の取極に従い、次の気象業務を合衆国軍隊に提供することを約束する。
 a 地上および海上からの気象観測(気象観測船からの観測を含む)
 b 気象資料(気象庁の定期的概況及び過去の資料を含む)
 c 航空機の安全かつ正確な運航のため必要な気象情報を報ずる電気通信業務
 d 地震観測の資料(地震から生ずる津波の予想される程度及びその津波の影響を受ける区域の予報を含む)
 自衛隊法第101条では、自衛隊と気象官署は相互に常に緊密な連絡を保つこと、防衛庁長官は自衛隊の任務上特に必要がある場合には、気象官署に対し協力を求めることができ、この場合、気象官署は特別の事情がない限り応じなければならない、と定めている。
 この2つの法規範にもとづき、気象庁のコンピューターと米軍横田基地・自衛隊間は通信回線で結ばれ、気象情報はすべてリアルタイムで米軍と自衛隊に提供されている。

5 有事法制と気象
 武力攻撃事態法案では、気象庁は指定行政機関となる。法案中には、気象庁がどのような対処措置を負わされるのかについては具体的な定めはない。10月29日に与党3党・安全保障プロジェクトで示された「国民の保護のための法制について」の中にも特に触れられていない。しかし自衛隊法のなかにすでに防衛庁長官が気象庁に対し協力を求める仕組みがつくられており、かつて1963年、統合幕僚会議が実施した「三矢研究」のなかで「非常事態措置諸法令の研究」の一項目として、「気象官署の統制」が検討されていたとおり、有事の際には、政府が気象情報の統制を行ってくることは必至と言わねばならない。
(以上の記述は、全日本海員組合発行「海員」98年8月号 全気象労働組合 特別執行委員 上野征詔氏の文章を参照させていただいた)

(中野直樹)


【各論】有事法制と製造・技術

1 無数に広がる戦争関連の労働者
 有事法制のもとで、戦争に必要な武器、車両・船舶・航空機など、様々な分野でその製造や補修に携わる労働者の動員が予想される。
 防衛産業で働く労働者、特に金属関係の労働者は、すでに自衛隊が使用する様々な武器の製造に従事している。例えば、自衛隊の艦船や航空機からミサイル、機関銃等に至るまで、大企業が防衛庁から発注を受け、相当な割合で防衛関連の仕事を担っている。主要防衛企業の防需依存度を示す資料(平成11年度ー防衛産業・技術基盤研究会)によれば、契約額で上位10社が、三菱重工業・川崎重工業・三菱電機・東芝・石川島播磨重工・日本電気・小松製作所・日立造船・日産自動車・日本電子計算機となっており、これらのうち三菱重工や川崎重工は企業売上の10%を超える割合を占めている。しかも、これらは、「防衛」関係に特殊な武器や装備だけでなく、輸送用車両、建設機械、燃料・水の供給装置、給排水器具などを含め、多数の機器、機材が含まれる。そして、これらの企業の生産には、それぞれ無数と言っていいほどの多数の下請けや外注関係の企業・業者およびそれら企業・業者で働く労働者が関与している。
 また、OA化・情報化の進展のもとで、これらの防衛関係の装備や施設のほとんどすべてにコンピューターや通信システムが搭載されている。よって、コンピューターシステムの構築や補修を担当する企業・業者およびそこで働く無数の労働者も関係する。

2 進められてきた戦争への動員
 戦前の国家総動員法のもとでは、国民に対する徴用が徹底され、学生までが勤労動員にかり出されて軍需工場で働かされた。他方では、労働組合が解体されて産業報国会に組織され、労働者の権利主張が封じられる事態となった。
 戦後、平和憲法のもとでも、朝鮮戦争をはじめとして、今日に至るまで、国民に対する戦争協力体制づくりがすでに進められてきた。

(1) 朝鮮戦争当時
 朝鮮戦争当時も、アメリカの求めに応じて、様々な労働者が戦争のために動員された。例えば、製造兵器・装備の補修はもとより、基地の補強工事のためにタンク、ガソリンポンプ、パイプ配管等の仕事、トラックなど車両の補修、タイヤ・エンジン、組み立て、さらには上陸用船艇の造船など、多数の労働者が動員されたのである。

(2) 米軍支援の1059項目要請
 94年の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の核疑惑問題に関連して、米軍は日本に対して、1059項目もの支援を要請した(99年2月23日朝日新聞)。そのなかで、例えば、港湾や空港の使用に関して船舶の修理、また、米軍横須賀基地、佐世保基地ではミサイル垂直発射装置搭載施設や修理施設の提供が求められた。また、「輸送」支援に関しては、在沖海兵隊と岩国基地で、トラックとトレーラー1370台、クレーンとフォークリフト114台、沖縄でコンテナ865個、沖縄地区の港湾で、11トントラック96台を求めている。
 このような米軍要請に関して、輸送などにかかわる労働者はもとより、船舶や車両の補修に関わる多数の労働者も動員を求められることになる。

(3) アフガン戦争でも民間労働者を派遣
 昨年(2001年)11月中旬、防衛庁は、「石川島播磨重工業」などはじめ複数の防衛関係業者に対して、アフガニスタンで軍事行動を続ける米軍の支援のため、インド洋周辺に派遣されている自衛隊艦艇や航空機を修理する目的で、技術者の現地派遣を要請していた。石播重工ではすでに派遣要員数十人のリストアップを終え、関係書類を防衛庁側に提出したという。防衛庁側は「修理は寄港時に実施し洋上ではやらない」「紛争地域への入港は避けたい」などと説明したとされるが、派遣先にはパキスタン国内などテロや紛争地域と重なる場所も含まれるという(朝日新聞2002年5月4日朝刊)。
 実際、本年(2002年)7月から8月にかけて、上記インド洋周辺で活動中の自衛隊艦艇を修理するため、民間技術者12名が現地に派遣されている。その目的は、例えば、護衛艦「あさかぜ」のレーダーのモーターが故障したための部品交換とか、補給艦「はまな」のかじを動かすモーター修理、護衛艦「いなづま」のクレーン修理などのためといわれている(朝日新聞2002年11月4日朝刊)。さらに、10月にも4名の技術者がインド洋の自衛艦の修理のために派遣されている。
 業務命令で派遣された技術者は、現場で何が起きても防衛庁の責任を免除する誓約書まで書かされていた。つまり、「乗艦申請書」のなかで、「事故など何が起きても責任を問いません」との趣旨の誓約をしていたという。
 このように政府・防衛庁は、ほとんど国民の目に触れないところで、有事法制などの先取りをどんどん進めているのである。

3 動員の強制と物資保管
(1) 強制される動員の仕組み
 製造・技術関係の労働者が動員されるのは、政府が発注した業務を企業が実行することになる場合だけではなく、企業が「指定公共機関」として指定され必要な仕事が指示され強制される場合が考えられる。「指定公共機関」には、「武力攻撃事態への対処に際し、その業務について、必要な措置を実施する責務」(武力攻撃事態法案第6条)が課されるから、企業側には法的にも業務を拒否する自由はない。こうなれば、労働者は海外の危険地域へも動員されることになる。実際、アフガン報復戦争に関連して、実際に民間労働者が派遣されていることは、すでに指摘したとおりである。
 このいずれの場合でも、労働者が企業からの業務命令を拒否すれば、処分や解雇を覚悟せざるを得ない立場に置かれることとなる。企業が「任意で受注」した業務であっても労働者には、動員が強制されることとなるのである。労働者が働く職場では、軍事優先の名もとで、いっそうの長時間労働や配転・出向の強制が起こるだろうし、ストライキをはじめ労働者の権利を守るための労働組合の活動まで抑圧されるだろう。

(2) 秘密保持と物言えぬ労働者
 軍事に関連する製造・技術関係の仕事に従事する労働者は、そこで知ったことを話題にしたりすることはできなくなる。有事法制のもとで一体として作り上げられる国家秘密法により、仕事のことをうっかり自宅で話しただけでも、処罰されかねない事態となる。すでに、昨年秋にテロ特措法とあわせて成立した自衛隊法「改正」で、防衛庁が発注した軍事の仕事に関わる製造や技術関係の労働者も、防衛秘密を取り扱うことを業務とする者として秘密漏洩の罪に問われることになった。防衛秘密を漏らした場合には5年以下の懲役、過失により防衛秘密を漏らした場合でも1年以下の禁錮又は3万円以下の罰金である。
 前述したように、アフガン報復戦争で米軍を支援している自衛隊のために、民間労働者がインド洋まで派遣されているけれども、この労働者の派遣そのものが「防衛秘密」として扱われ、職場には箝口令(自由な発言を禁止する命令)が敷かれているという。
 現実に、前記の石播重工で働く労働者は、「だれにも相談できない雰囲気となった」とか、「職場のあちこちで尋ねて回りました。しかしだれも口を開こうとしない。労働組合も取り上げようとしないんです。不安でいっぱいなはずなのに、みんな黙らされていると感じました。物言えぬ職場は、いずれ物言えぬ国家につながる。知らないうちに私たちが戦争に駆り出されることのないように、憲法の平和主義や人権を守るためには、情報公開が何より大切だと思います」と述べている。すでに先取りが進められているのである。

(3) 収用ないし保管命令
 武器・弾薬はもとより、軍事物資など軍需産業にかかわる企業や労働者には、関連する資材の収用や保管命令が及ぶこととなる。艦船・航空機、武器・弾薬の素材、火薬類及びその材料をはじめ、コンピューター・通信機器などの部品、材料は、必要な資材・機材として、収用や保管命令の対象となりうる。特に、保管命令違反については、処罰までされかねないのであるから、労働者にとっても、深刻な問題が発生することは明らかである。

(吉田健一)


【各論】有事体制のもとでの陸上輸送

1 有事法制と陸上輸送
 審議中の有事法制関連三法案が、日本有事を想定した日本の国土と国民を守るため「防衛型」有事法制などではなく、朝鮮半島や台湾海峡における周辺有事を想定した「攻撃型」有事法制であること、周辺事態法によっては実現できなかった東アジアにおける米軍支援を、日本の軍・官・民が総力をあげて実施するためのものであることを、自由法曹団は指摘し続けてきた(自由法曹団各意見書、自由法曹団編『有事法制のすべて−戦争国家への道』新日本出版社2002年6月)。有事法制が、「備えあれば憂いなし」などという脳天気な世界のものではなく、現実に起こりうる朝鮮半島や台湾海峡での米軍の軍事行動を全面的にバックアップすることにこそ本質があることは、徐々に共通の理解となりつつある(山内敏弘編『有事法制を検証する』法律文化社2002年9月、渡辺・三輪・小沢編『有事法制のシナリオ』旬報社2002年11月)。
 政府は、東アジアにおいて軍事紛争が発生した場合、それが周辺事態(そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態)に該当するとともに、武力攻撃事態(武力攻撃=武力攻撃のおそれを含む)が発生した事態又は事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態)にも該当する場合のあることを認めている。
 したがって、朝鮮半島において米軍の軍事行動が開始された場合、その事態は、「周辺事態」だとして主として自衛隊により米軍に対する兵站活動(後方地域支援)が開始される。同時にわが国に対する武力攻撃が予測されるとして「武力攻撃(予測)事態」が認定され、軍・官・民がいっせいに平時体制から有事体制へ移行することになる。
 このような事態が発生した場合、わが国の輸送体制とりわけ鉄道やトラックを中心とした陸上輸送にいかなる影響が生ずるのかについては、「米軍支援法制」や「国民保護法制」の全容が明らかにされていない現在の段階で確定的判断を行うことは不可能である。
 しかし、1951年に発生した朝鮮戦争時におけるわが国の支援実態、とりわけ国鉄(現JR)による戦争協力の実態及び「国民保護法制」が下敷きにしようとしている災害対策基本法やそれに基づく防災基本計画によってかなりの程度明らかにすることが可能である。

2 朝鮮戦争と陸上輸送
(1) 朝鮮戦争における戦争協力の実態
 朝鮮戦争時にわが国が米軍や韓国軍に対していかなる協力体制にあったかについてはあまり知られてはいない。当時は米軍の占領下にあったこと、その多くが軍事機密として扱われたこともあり、その全容を解明した研究は皆無といってよいであろう。このようななかにあって、山崎静雄『史実で語る朝鮮戦争協力の全容』(本の泉社 1988年)と南基正「朝鮮戦争と日本−『基地国家』における戦争と平和」(東京大学大学院総合文化研究科 2000年提出博士論文)はきわめて貴重な研究成果である。以下の記述は上記2著に基づく。
 米軍はわが国の戦争協力なくして朝鮮戦争を遂行することは不可能であった。初代駐日アメリカ大使のR・マーフィーは『軍人のなかの外交官』のなかで、「マッカーサーは、当時日本に駐留していた戦闘態勢の軍隊で使えるものはすべてこれを前線に送り出した。元帥は日本政府が安全で秩序整然たる基地を提供してくれるものと確信していた。それに日本人は、驚くべき早さで彼らの4つの島を1つの巨大な補給倉庫に変えてしまった。このことがなかったならば、朝鮮戦争は戦うことはできなかった」「日本人の船舶と鉄道の専門家たちは、彼ら自身の熟練した部下とともに朝鮮へ行って、アメリカならびに国連の司令部のもとで働いた。これは極秘のことだった。しかし、連合国軍隊は、この朝鮮をよく知っている日本人専門家たち数千名の援助がなかったならば、朝鮮に残留するのにとても困難な目にあったことであろう」と述べている。朝鮮戦争時、日本の4つの島は「巨大な補給倉庫」と化していたのである。

(2) 朝鮮戦争開戦と米軍・韓国軍の輸送
 1950年6月25日午前4時40分、北朝鮮軍は38度線の全戦線にわたって一斉に攻撃を開始した。朝鮮戦争の始まりである。
 当時わが国に駐留する在日米軍は12万5000人であった。そのほとんど全てが朝鮮半島に投入された。アメリカ本土からの増援部隊も次々に投入され最大時で35万人にも達するのである。それらはいずれも日本を通過−日本に上陸、訓練を重ね、物資の補給を受け−して朝鮮戦線へ向かったのであるが、その通過に国鉄は全面的に協力した。
 戦争が勃発した直後、最初に投入された第24歩兵師団第21歩兵連隊第1大隊の約400人は自動車輸送であったが、その後は鉄道輸送(国鉄)が中心となる。大量の部隊を一気に投入するには自動車輸送では不十分であり鉄道輸送に頼らざるをえないこと、当時のわが国のトラック保有台数や道路事情からは米軍の要求に充分応えることができなかったことなどの事情によると思われる。
 輸送対象となったのは米軍だけではなく韓国軍も直接の輸送対象となっている。横浜港に上陸した韓国軍第7師団第32連隊(約3000名)は国鉄の客車73両によって東富士演習場に移送され、激しい軍事訓練を経た後、再び朝鮮半島の前線にもどり戦闘に参加していった。
 GHQ(連合国最高司令部)からの要求(命令)は、「事態は緊急であるため、日本側列車に支障があっても要請通り実施されたい」というものであった。これに対し国鉄は、1950年6月29日、「朝鮮動乱勃発に伴う緊急輸送について」との運輸総局長指令を関係鉄道局長宛に発し協力体制を敷いた。指令内容は、「緊急措置に応え得られるよう情報又は情況判断により、関係車輌や乗務員の準備並びに対処方の用意につき遺憾なきを期するよう充分配意しおくこと」「これらの輸送関係事項は、関係者以外のものに知らしめないとともに、部外には絶対これを漏洩しないよう格段の配意をすること」等であった。
 また、関釜連絡船の雇いあげ、朝鮮向け兵員・物資の輸送、朝鮮鉄道などの資料提供、物資調達、技術援助、機密保持、輸送警備などその協力は全面的なものであった。

(3) 戦争の進展と空陸の全面協力体制
 朝鮮戦争勃発から2週間で、米軍のために国鉄が運用した軍事臨時列車は245本、使用車輌は客車が7324両、貨車が5208両にもおよび、国鉄の軍事輸送史上最高を記録している。
 軍事物資の輸送である以上、当然危険物の輸送が含まれるのであるが、朝鮮戦争勃発とともに大型爆弾の輸送の必要性に迫られた米軍は、日本政府に圧力をかけ、火薬類運送規則(昭和25年運輸省令第86号)によらなくとも差し支えないものと認められるとし、日本の法令が占領軍には適用されないとの運輸省解釈を引き出したうえで、爆弾輸送を強行した。
 戦争開始3ヶ月を経て、航空輸送と国鉄輸送との連携がはかられるようになる。当日に京浜地帯で積み込まれた軍事物資は、翌々日の早朝から午前にかけて九州地区の芦屋、雁の巣、板付、築城などの航空基地へ鉄道輸送され、その日のうちに朝鮮半島の前線基地へ空輸された。国鉄の鉄道輸送とアメリカ空軍の航空輸送の組み合わせによって、日本からわずか2昼夜で軍需品が輸送できる体制ができあがった。
 また、爆撃の主役は航続距離の長いB29であり主に東京の横田基地から発進した。横田には常時30〜40機のB29が待機しており、B29に積み込まれる爆弾は、アメリカ本土から船で輸送され、神奈川県の追浜で陸揚げされたうえで、国鉄の貨車によって南武線経由で基地内へ運び込まれたのである。

(4) 朝鮮戦争と朝鮮半島有事
 このようにわが国の鉄道網の存在及び国鉄の全面的戦争協力なくして、米軍の朝鮮戦争遂行はあり得なかった。
 もちろん占領下における米軍に対する戦争協力が、そのまま今日において再現されるとは考えられない。しかし、仮に朝鮮半島を舞台に全面的戦争状態が起きたなら、朝鮮戦争並あるいはそれ以上の戦争協力の要請がアメリカから求められるであろう。JR各社は再び米軍の戦争遂行に協力するのか、アジアの民衆が殺害される行為に手を貸すのかが問われているのである。仮にJR各社がその程度は別にして、米軍の軍事輸送を後方において支えるのであれば、そこに従事する労働者は、業務命令によって否応なく戦争に加担させられることとなろう。

3 トラック輸送と有事法制
(1) 国内輸送の現状と自衛隊の輸送能力
 1950年代とは異なり、現在、国内物流の中心は自動車輸送とりわけトラック輸送によって支えられている。
 約1万5000両の貨車(コンテナ車8000両、私有貨車6600両、その他1500両)を保有する日本貨物鉄道株式会社(JR貨物)の年間輸送量は約4000万トン、輸送トンキロ(トン数に輸送距離を乗じて仕事量を現したもの)ベースで219億トンキロ(いずれも平成13年実績)である。一方、国内貨物の全輸送量64億トンの約90%、5780億トンキロの54%がトラック輸送によるものである。
 このように国内貨物の輸送量においてトラック輸送の占める割合が圧倒的であることやJR貨物の輸送実績が平成4年では5600万トンあったものが年々減少傾向にあることなどからは、もはや国内物流の中心は自動車輸送、とりわけトラック輸送に移行しているといえる。もちろん大型軍事物資の輸送に関しては鉄道輸送に頼らざるをえないし大量の部隊や物資を一気に輸送する能力における鉄道輸送の優位性や重要性に変化はないことは当然の前提である。
 朝鮮半島や台湾海峡において軍事的紛争が起きた場合、米軍支援のために大量の人員・物資の輸送が必要となるが、陸上輸送に限っていえば自衛隊の保有するトラックは900台にすぎず、数十万単位で投入する米軍の後方支援(兵站活動)を自衛隊のみによって支えることは不可能である。他方、国内には民間の営業用トラックが約134万台存在しており、この民間の力を「活用」することが不可欠となる。

(2) 災害法制・防災計画が描き出す陸上輸送
 災害対策基本法や防災基本計画を参考に、その「活用」の姿を描いてみると以下のようになる。
 災害対策基本法80条1項は「指定公共機関及び指定地方公共機関は、災害が発生し、又はまさに発生しようとしているときは、法令又は防災計画の定めるところにより、その所掌業務に係る応急措置をすみやかに実施するとともに、指定地方行政機関の長、都道府県知事等及び市町村長等の実施する応急措置が的確かつ円滑に行なわれるようにするため、必要な措置を講じなければならない」と定めている。指定公共機関に指定されているトラック業界の最大手たる日本通運株式会社(日通)はこの定めに基づき「緊急輸送計画」の策定が課されている。武力攻撃事態に際しても、日通は指定公共機関に指定されたうえで緊急輸送計画の策定が求められるであろうし、この輸送計画によりトラックによる軍事物資輸送という戦争協力に組み込まれる。
 東京都の防災計画によれば、緊急輸送時の車輌確保のために、都財務局が貨物乗用車を東京都庁輸送事業協同組合加入会社、東京都トラック協会加入会社及び日本通運から調達するとしている(調達可能台数:大型2473台、小型2872台)。これに対する事業者側も、全国の都道府県のトラック協会がそれぞれの自治体と災害対策基本法に基づき「災害時における緊急輸送に関する協定」を結びこれに対応している。

(3) 武力攻撃事態のもとの「緊急輸送」
 武力攻撃事態においても、「国民保護法制」の中の「国、地方公共団体、指定公共機関等の対処措置等」「輸送及び通信の確保・避難住民や緊急物資の輸送の確保」の条項に基づき、国、地方公共団体あるいは直接米軍と協定を結ぶ一方、独自の緊急輸送計画の策定が求められ、これらを通じ米軍の後方支援に組み込まれていくことになる。
 武力攻撃事態法、「国民保護法制」、米軍支援法に基づく協定等によってトラック業界は「緊急輸送」という名の兵站活動の一端を担うことになるが、そこに従事する労働者は「業務命令」によって戦争加担を強制される結果となり、業務命令に反すれば解雇を含む懲戒処分が待っていることとなる。

(松島 暁)


【各論】有事体制のもとの地域社会―「火垂るの墓」の社会

1 「火垂るの墓」が描く世界
 高畑勲駿監督の「火垂るの墓」という映画がある(原作・野坂昭如 制作・スタジオジブリ 1988年)。
 空襲で家と親を失った主人公の少年は田舎に疎開するが、疎開先のおばさんは、一日中ぶらぶらしている少年を「お国のためになにもしない。」という理由でいじめる。妹とピアノを弾いて遊んでいると、「この非常時になんて非常識な」と叱られる。そんな「おばさん」の家が嫌になった少年は妹と一緒に家を出るが、隣組に入っていない少年は配給を受けることができず、妹は栄養失調で死んでしまう。
 不思議なことにこの映画に、銃剣をかざした兵隊は一切登場しない。少年に対し無言で戦争協力を強いるのは、国家ではなく、地域社会であった。そして、少年が地域社会に背を向けたとき、地域社会は少年から食料を奪い、少年と妹を死に追いやったのである。
 戦争国家において、重要な役割を担うのは地域社会である。国民に戦争協力を求める有効な手段は、国家による強制だけはない。むしろ、より有効な手段は地域社会に網を張り、地域社会の陰に隠れて国民を統制することなのである。
 有事法制とりわけ国民動員法制(国民保護法制)は、地域社会を変質させ、「ソフト」な形で国民に戦争協力を強いることになる。このことを検証するために、いま少し過去の歴史を振り返ることにする。

2 帝都防衛の歴史
 戦前の日本で空襲に備えた本格的な防空訓練である「第1回関東防空演習」が行われたのは1933年である。この演習には、軍官民あわせて10万人以上が動員され、灯火管制は、東京周辺100キロ以内で実施された。知事が総監となり、県庁、市町村役場、警察署、消防組、在郷軍人会、男女青年団などが動員され、防空監視、警報伝達、灯火管制、防空通信の任務にあたった。防空の性質上、広範な地域住民の協力が必要とされたのである。
 軍部は、第一次世界大戦における航空機のめざましい進歩と中国との関係悪化が演習に踏み切らせた理由としている。注意しなければならないのは、1933年当時、当面の仮想敵国である中国が日本本土を空襲するだけの空軍力を保持していなかったことである。それでも、軍部は地域住民を巻き込んだ防空演習を行った。「とにかく備えあれば憂いなし」という「論理」である。軍隊の論理は時代を超えることを銘記しなければならない。
 軍この演習の結果に満足せず、1937年に防空法が制定される。防空法は全22条からなり、灯火管制、消防、防毒、救護、監視、通信、警戒などの民間の防空について規定しているが、注目すべきは、府県庁、市役所、町村役場など地方官庁に大きな役割が担わされていることである。防空開始の発令権限は地方長官に与えられ、地域の防空計画は市町村長が設定するとされた。都道府県、市町村には防空委員会が設置され、都道府県委員会は内務大臣の、市町村委員会は地方長官の監督下に置かれた。有事法制・「国民保護法制」の原型はここにあるといっても過言ではない。
 「帝都防空」のためには広範な地域住民の協力が必要である。そこで、市町村の外郭団体として「防護団」が置かれた。防護団はその本部を役所内に置き、市町村長、助役、在郷軍人分会長、青年団長といった地域の有力者が幹部に就任した。その下に警備、警報、防火、防毒、救護、配給、監視の各班が置かれた。
 同時に「県民は自分を守るとともに帝都を防護しなければならない」「防護団が主としてこの任務にあたる」などの防空の必要性についてのプロパガンダも行われた。こうして地域にねざした「防護団」と、それによる防空訓練は、人々を地域の防空体制の中にしっかりと組み入れていった。
 1939年1月24日,勅令第20号「警防団令」が公布され、防護団と消防組が統合された「警防団」が結成された。警防団は、終戦まで国民を防空活動に動員する中心的役割を担い、防空訓練のほか、地域の治安警察活動などにおいて積極的な役割を果たしたのである。
 「火垂るの墓」の社会はこのようにしてできあがっていった。住民はいやおうなしに「国防」の体制に組み入れられていき、これに協力しない者を排除するようになる。ここでは国家が直接の強制力を発動するわけではない。国民の「自発的」協力こそ国家にとって望ましいのである。

3 「国民保護法制」と「住民防災組織」
 政府は「国民保護法制」の内容として「住民の防災組織」や「ボランティアに対する支援」を掲げる。政府は、阪神・淡路大震災の経験などから、災害救助のためには、「住民の防災組織」「ボランティア」など地域に根ざした住民の活動を利用することが有効であると考えたものと思われる。
 ここで「住民の防災組織」や「ボランティア」の具体的イメージは未だ明らかではない。しかし、これが政府の「支援」と結びつくときは、支援(=情報や財政援助)を受ける団体と受けえない団体との差別化を通じて政府がこれらを統制することが可能となり、政府の統制を受けた「住民の防災組織」や「ボランティア団体」は戦中の「防護団」「警防団」的な役割を果たす可能性がある。
すなわち、「住民の防災組織」や「ボランティア団体」に対して有効な支援を行おうと考えれば、平時より「役に立つ」ものを選定し、連絡を密にする必要があろう。そして、政府から「役に立つ」と判断され指定された「住民の防災組織」や「ボランティア団体」は、政府からの情報提供と資金によって他の組織・団体より優位に立ち、防災訓練その他の場面で重要な役割を果たすであろう。
 「住民の防災組織」や「ボランティア団体」は「ボランティア精神」に基づくだけに、道義的に批判されにくく、むしろ道徳的に高いものとして国民の支持を集めやすい。結果的に政府に指定された「住民の防災組織」や「ボランティア団体」からの指導は、国民から受け入れられやすいものとなり、これを受け入れない者は非難される結果となる。実は「住民の防災組織」や「ボランティア団体」の指導は政府の方針をもとにしている場合が多いのだが、そのような構造は見えにくい。
 このようにして、「住民の防災組織」や「ボランティア団体」を通して、政府の方針が地域住民に浸透していく。地域社会は政府の方針どおり国民を動かす場所になり、協力しない者に対して無言のプレッシャーをかける場にもなる。
 まさに「火垂るの墓」の世界である。

4 国民の協力義務と地域社会
 以上のとおり、有事法制とりわけ「国民保護法制」によって、地域社会は変質を余儀なくされる。政府は国民の協力義務には罰則を付さないとしているが、仮にそうであっても、政府は「ボランティア」という形で国民からの自発的協力を調達することができるし、協力したくない者も、地域社会の無言のプレッシャーによって協力をせざるを得なくなるのである。
 このような意味でも「国民保護法制」は「戦争国家」への一里塚であり、断じて拒否しなければならない。

(神原 元)

1 有事法制における情報・通信の扱い
 この国に有事法制ができることによって、国民の情報・通信に関する分野が規制を受けることになるのか。このことは、この間の国会審議からはほとんど明らかになっていない。けれども、NTTやKDDIなど情報・通信事業に関わる会社が指定公共機関となることはまず間違いない。

とすら考えざるを得ないものがある。マスコミに求められるものは、政府・支配層の動きから毅然として自立し、平和と民主主義の立場から政府の政策や行動を厳しくチェックするとともに、国民に多面的な情報を提供することのはずである。




有事法制はいらない
現場からの告発−パート2
有事法制・国民動員法制の社会
───────────────────────
2002年12月4日
 編 集  自由法曹団有事法制阻止闘争本部
 発 行  自 由 法 曹 団
 〒112-0002 東京都文京区小石川2−3−28
      DIKマンション小石川201号
Tel 03(3814)3971  Fax 03(3814)2623
URL http://www.jlaf.jp/
───────────────────────