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「金銭解決制度」及び「変更解約告知」に関する意見書

2004年10月6日
                          自由法曹団
団 長  坂本 修

はじめに

 「今後の労働契約法制の在り方について包括的な検討を行うこと」を目的として設置された貴研究会は、本年4月23日から7月22日までの5回の研究会において、労働契約法制全般のあり方とともに、「労働契約の成立、展開、終了に係るルールの在り方」について論議を進めてきた。

 労働契約に関しては、憲法27条にもとづいて、労働基準法・最低賃金法などの最低労働基準を定める法律が制定されているものの、労働契約に関するルールについての基本法制というべきものが存在していない。このため、労働契約に関する基本ルールは、個別の紛争事案について裁判所が積み重ねてきた判断から成る判例法理に委ねられてきている。ところが、わが国において、大企業を中心とする経営者の多くは、とりわけ昨今、人件費削減によって短期的にでも利益を挙げようと、判例をも無視した違法・無法を繰り返しているのが実情である。

 我々自由法曹団は、労働契約に関するルールとしての基本法制を設けるのであれば、なによりも、こうした実情に照らして労働者保護ための実効性ある法制が打ち立てられるべきであると考える。

 しかし、厚生労働省が設定した検討課題に基づいてこの間に進められてきた貴研究会における論議の経過は、残念ながらこうした要請を満足させる方向とは必ずしもなっていないようにように思われる。

 とりわけ、「労働契約の終了に関する論点」のなかに盛り込まれこれにもとづいて開始された、いわゆる「金銭的解決制度」及び「変更解約告知」新設についての検討には、重大な危惧を感じざるを得ない。これらの検討の結果及びその扱われ方如何によっては、現在でも危機に晒されている労働者の雇用についての権利を、これまでとは比較にならない程に著しく侵害する道を開くからである。

 そこで、本意見書においては、この「金銭的解決制度」及び「変更解約告知」に絞って我々の意見を述べることとする。貴研究会におかれては、本意見書を十分に踏まえて今後の論議を行われるよう切に願うものである。

第1 金銭の支払いによる労働契約終了=「金銭解決制度」について

1 正義に反し労働者の権利を奪い去る制度に断固として反対する

 解雇が無効であれば、他に終了事由のない限り労働契約は継続する。こうして、解雇は、ほんらいであれば続いたはずの職場での就労を一方的に奪うものである。解雇が違法・無効であるならば、労働者が求める限りもとの職場への復帰がはかられるべきことは、正義に照らした当然の結論である。

 これを、当の違法解雇を強行した使用者の申立で一方的に奪うことを認めることは、憲法が労働者に保障している勤労権(27条)、さらには、国民に等しく保障される人間の尊厳と幸福追求権(13条)を踏みにじるものである。

 「金銭解決制度」は、まさに、この正義に照らした当然の結論に真っ向から反し、憲法が労働者に保障する諸権利を踏みにじる制度にほかならない。

 すでに、自由法曹団は、今回の検討開始の契機となった平成14年の労働政策審議会建議(以下たんに「建議」という)について、2003年1月30日付で「首切り自由化につながる労働政策審議会建議にもとづく解雇立法の法案化に反対する意見書」(以下「建議にもとづく解雇立法の法案化に反対する意見書」という。本意見書に添付)を発表し、そのなかでこのような制度の危険性を様々な角度から明らかにしたところであるが、あらためて、このような制度の導入に断固反対するものであることを表明するものである。

2 破綻した労働政策審議会の建議−不法な復職拒絶の合法化

 いわゆる「金銭解決制度」は、労働基準法の「改正」をうたった前述の平成14年の建議のなかに盛り込まれていたが、「金で首切り合法化」等の強い反対が各界から沸き起こり、平成15年の労働基準法改正作業のなかでは異例にも法案化そのものが見送られたものであった。

 今回、厚生労働省は、この建議とこれにいたる労働条件分科会での論議、第156国会での質疑等を資料として提出しつつ、その新設をあらためて目指しているが、これは、すでに破綻した導入必要論を蒸し返すものにほかならない。

 建議は、「裁判所が当該解雇は無効であると判断したときには、労使当事者の申立に基づき、使用者からの申立の場合にあっては当該解雇が公序良俗に反して行われたものでないことや雇用関係を継続し難い事由があること等の一定の要件のもとで、当該労働契約を終了させ、使用者に対し、労働者に一定の額の金銭の支払いを命ずることができることとすることが必要である」としていた。

 しかし、すでに前述の「建議にもとづく解雇立法の法案化に反対する意見書」において解明したとおり、これは、労働者を違法に解雇した使用者が、裁判所を使って労働者の職場復帰を求める権利を奪うことを認めるという、おそるべき内容のものであった。

 厚生労働省は貴研究会に対して、建議が制度新設の必要性について「解雇が無効と判断されても実際には現職復帰が円滑に行われないケースも多い」と述べていたことを紹介している。しかし、職場復帰の実現が困難な原因が解雇無効の判決をも無視し続ける無法な経営者にあることは明らかである。また、復職困難の理由として「職場の労働者が受け入れを望まない」との事情があるとされることもあるが、そのような事情なるものは、敗訴を覚悟した経営者が復職受入拒否のための言い逃れとして主張する例がまま見られるものの、客観的な裏付を欠くものである。しかも、使用者は労働者が職場において自由な人間関係を形成する自由を不当に侵害してはならないのであって(関西電力事件・最高裁平成7年9月5日判決)、違法・無効な解雇を強行して被解雇者を職場から一方的に排除した経営者が、上記のような事情を挙げて雇用契約終了を求めることなど、とうてい許されるべきものではない。

 「金銭解決制度」は、無法な経営者による「金で始末をつけたい」との欲望を制度的に充たしてやるものであって、このような経営者の横暴をいっそう助長することにもなりかねないものである。

3 司法制度改革に反しつつ労働者から裁判を受ける権利を奪う

 解雇が違法・無効とされたにもかかわらず職場復帰が容易でないという現状について言えば、使用者が解雇無効判決を無視し続けることができないよう「就労請求権」を明文化するなど、解雇に対する実効的な裁判上の救済制度を設けることこそが求められる。

 ところが、「金銭解決制度」は、これとは正反対に、人権救済機関である裁判所に、違法・無効な解雇に対して労働契約の終了という解雇有効と同一の、しかも新たな法律関係を形成する役割を担わせるものである。このように、違法な行為を行った使用者を裁判所に救済させることは、憲法の予定する司法の在り方に大きく反するものであって、労働者から裁判を受ける権利(32条)を実質的に奪うに等しい。

 そればかりでなく、「金銭解決制度」は、裁判実務において種々の問題を生じさせることとなる。

 たとえば、使用者の申立を受けた裁判所は、解雇無効の判断に加えて、労働契約終了の可否をめぐって(建議に即していうならば「公序良俗に反し行われたものでないことや雇用関係を継続し難い事由があること」等の要件。なお、これらの要件がなんらの歯止めにもならないことにつき「建議にもとづく解雇立法の法案化に反対する意見書」6頁「5」参照)さらに審理を重ねなければならないこととなる。そのうえで、使用者が支払うべき金銭の額について検討・判断しなければならないとしたならば、裁判所の負担はさらに重なる。これでは、今次の司法制度改革において、労働裁判の審理期間を「おおむね半減すること」とされたにもかかわらず、却って審理を長期化させることは必至である。

 ちなみに、建議では、使用者が支払うべき金銭の額については厚生労働大臣が告示で定めるものとされていたが、これは、一方において、裁判所に対して使用者に代わって労働契約終了という権利関係の形成権限を付与しながら、その唯一の代償となる「金銭」について予め厚生労働大臣が定める告示によって裁判所を拘束するもので、司法権を侵害するものといわざるをえない(なお、大臣告示により金額を定めておけば、解雇が無効であっても最終的に労働契約を終了させるために要する「首切りコスト」を予め計算できることなどから、違法解雇を強行する無法な経営者をさらに助長することにつき、「建議にもとづく解雇立法の法案化に反対する意見書」5頁「4」参照)。

第2 いわゆる「変更解約告知」制度について

1 新手の「リストラ合理化」手段を保障してはならない

 冒頭にも指摘したとおり、わが国における大企業をはじめとする経営者は、労働者の権利無視を繰り返している。「リストラ合理化」の嵐が続いて久しい今日、その被害から労働者とその家族を救済する道こそが切実に求められているのである。経営者の一方的な行為による不利益から労働者を保護するために今後の労働契約法制において新たに必要なことは何か、が具体的に検討されなければならない。

 従って、今後の労働契約法制の在り方を検討するなかで、万が一にも、経営者に対して新たな人員削減・労働条件不利益変更の手段をさらに保障する道をひらくことがあってはならない。

 ところが、厚生労働省は、「変更解約告知」すなわち「新たな労働条件による再雇用の申出を伴った労働契約の解約の意思表示」について、これを「労働契約の終了という観点だけでなく、労働条件変更の手段の一つとして検討することが必要ではないか。」としてその導入の必要性を前提としつつ検討を促している。

 しかし、このような位置付けによる「変更解約告知」の検討は、まさに経営者に対して新たな人員削減・労働条件不利益変更の手段を保障させようとするものであって、断じて許されないものである。

2 論議の契機となったスカンジナビア航空事件・仮処分決定の重大な誤り

 いわゆる「変更解約告知」については、スカンジナビア航空事件・東京地方裁判所平成7年4月13日仮処分決定を機に論議されるようになった。

 この事件は、スカンジナビア航空が、経営上やむを得ない事情によるとして、全従業員についていったん退職のうえ一定数の者を大幅に低下した労働条件(賃金・勤務時間等)のもとで再雇用するとしつつ、これに応じなかった労働者に対して強行した解雇の効力が争われたものであった。

 決定は、わが国の実定法には存在しないにもかかわらず、このような意思表示は「変更解約告知」として一定の要件のもとに雇用契約終了の効果を生じさせることができるものとしつつ、結論として解雇を有効した。

 これは、解雇権濫用法理あるいは労働条件不利益変更に関する確立された判例法理を、仮処分手続のなかで拙速にも無視し去ったものであった。それ故、異議審においては、解雇有効の結論を全面的に否定して希望者全員についての雇用を確保する内容の和解が短期のうちに成立し、仮処分決定の誤りは事実をもって正されることとなった。

 その後、この仮処分決定をめぐって、「変更解約告知」による雇用契約終了はそもそも認められるか、労働者が不利益変更について争う権利を留保しつつ解約告知に応じた場合はどうか等々が論議されることとなった。ところが、これにとどまらず、「変更解約告知」は使用者による個別的な労働契約条件変更の新たな有効手段として評価し得るのではないかとの意見を生み出し、新制度導入の論議にいたったのである。

3 新たな法制度の検討にあたって踏まえるべき前提事実

(1) 労働条件の一方的不利益変更の実態

 そもそも、「労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである。」(労働基準法第2条)。にもかかわらず、雇用開始の当初における労働条件が使用者の示すところによって設定されるのが一般であるばかりか、その後の労働条件の変更についても使用者の一方的意思表示により行われていることは否定できない事実である。

 使用者は、労働条件の不利益変更を行おうとする場合、労働者の同意を得られなくとも、あらかじめ裁判所その他の許可等を要せずに、一方的にこれを実施することよって事実上その目的を達成することができる。そして、これに同意できない労働者は、不利益に変更された労働条件のもとで就労しつつ、従前の労働条件の確認(または従前の労働条件にもとづく賃金等の給付)を求めて自ら訴訟を提起して争わなければならない負担を強いられているのである。

 これに対して、労働者が自らに有利な労働条件の変更を実現するためには、使用者がこれに同意して合意に達することが常に必要となる。使用者は、労働者が求める新たな労働条件をこれに同意できないにもかかわらず現実に提供することは有り得ないからである(なお、例えば、労働者が労働時間を自己の有利に一方的に短縮することは抽象的には可能であるが、そのような行動に出た場合には懲戒解雇が待ち受けているので事実上は不可能である)。

(2) 新たな「リストラ合理化」の手段としての「変更解約告知」

 また、スカンジナビア航空事件以来、これと同様に、労働条件の不利益変更に同意することを再雇用あるいは雇用継続の条件とした雇用終了(解雇、雇い止め等)の意思表示が、「リストラ合理化」の手法として採られる事例が相次いでいる(裁判上争われた例だけでもナショナル・ウェストミンスター銀行、大阪労働衛生センター病院、日本ヒルトン、大船自動車教習所、日本オリーブ、西神テトラパック等々におけるものがある)。

 経営者がこのような手法をとった場合に、これに直面した労働者は、(1)雇用喪失を免れるために不本意であっても労働条件の不利益変更に同意する、(2)不利益変更に同意せず雇用を失う結果を迎える(そのうえで場合により裁判等により争って回復を目指す)、更には、(3)これを機に自ら退職する(この場合には再就職等による収入源は一般的に保証されていない)という、いずれも苛酷な道のなかからの選択を一方的に迫られる。結局のところ、いずれにしても従来の労働条件のもとで働き続けながら家族とともに日々を過ごすことは適わない結果に追い込まれるのである。

 前述のとおり、労働条件の不利益変更を望む経営者は、これを一方的に実施することにより少なくとも当面の目的を達することができる。これに加えて、上記のように、形式上は労働者自身の選択により労働条件の不利益変更についての同意を取り付けられれば、後に争われることによるリスクは遙かに軽減される。これにより専ら犠牲を強いられるのは労働者である。

 労使対等決定原則のもとにあるはずの労働者に対してこのような一方的な犠牲を強いることは、ほんらいであれば許されるはずがないのである。

 ところが、問題は、このような手法による解雇までをも追認する裁判例が、たとえ一部とは言えども現れており(ナショナル・ウェストミンスター銀行事件・第3次仮処分・東京地裁平成7年4月13日決定、日本ヒルトン事件・東京高裁平成14年11月26日判決)、そのことが現状にさらに拍車を掛けかねないことである。こうした現状を放置しておくならば、労使対等決定原則は更に形骸化するとともに、雇用そのものもいっそう脅かされることとなる。

 「変更解約告知」をめぐっての立法措置を検討するにあたっては、これらの現実を踏まえつつ、何よりも労働者保護の観点に立脚しなければならない。

4 新たな法制度において求められる規制の内容

(1) 労働条件の不利益変更とセットでの解雇等に対する規制

 第1に、何よりも求められることは、いわゆる「変更解約告知」の手法によって、従来より不利益な労働条件による再雇用の申出とともにする解雇(雇い止めその他労働契約を終了させる一切の意思表示を含む、以下同じ)には、労働契約終了の効果が生じないことを明文をもって明らかにすることである。

 前述した、ナショナルウェストミンスター銀行事件において解雇された労働者、日本ヒルトン事件において雇い止めとなった労働者は、いずれも労働条件の不利益変更について争う権利を留保しつつ就労する旨の意思表示を行っていた。にもかかわらず、裁判所は、前者の場合の解雇を有効と認め(※)、後者の場合の雇い止めを有効としたのである。

※ 但し、これに先立つ同一事件についての第1次及び第2次仮処分決定並びにこれらに対する保全異議決定は、いずれも解雇を無効としている。

 このように、労働条件の不利益変更を争う道を閉ざしつつ強行された労働契約終了の意思表示をも有効とする裁判所による誤った判断が、二度と行われない確実な立法措置を講じることが求められる(そうでなければ、判例をも無視して違法・無効を承知のうえで解雇を強行する経営者が横行しているなかで、たとえ訴訟を提起されても勝訴の機会があるからと、敢えて強行さる解雇によって労働者とその家族が路頭に迷わされることを防ぐことは出来ない)。

 そのためには何よりも、このような手法が採られた場合には、使用者による一方的な回答要求に対して労働者が如何なる対応をとった場合でも、雇用には影響のないことが明確にされるなければならない。そうでなければ、労働者は、雇用を失うことを恐れて不本意な労働条件への同意を強いられ、結局は経営者の意のままにされてしまうからである。

(2) 労働条件の不利益変更に対する規制

 また、「変更解約告知」の手法による労働条件の不利益変更は、これについて労働者が同意・承諾の意思表示を行った場合も無効とすることが必要である。

 何故ならば、「変更解約告知」は、雇用終了に伴う新たな労働条件での再雇用申込みに対する労働者の承諾を求めるという形式をとってはいるものの、その実質は、労働条件の不利益変更についての同意を求めるものである。そして、労働者に対して解雇その他の労働契約終了とセットで労働条件の不利益変更について同意を求めることは、そもそも、不利益変更に同意するか否かについて労働者の自由な選択を阻むものである。このように自由な選択にもとづかない同意には、ほんらい、効力を認めることはできないからである。

 にもかかわらず、経営者は、このような形式上の同意・承諾を得ることによって、後日争われる可能性を狭めあるいはたとえ争われた場合にも形式上の同意の存在を盾に徹底抗戦して後続を断つことにより、労働条件不利益変更の実を挙げようと試みるのである。

 従って、このような場合の労働条件の不利益変更にはたとえ労働者の同意があっても効力のないことを明確にすべきである。

(3) いわゆる「異議留保付承諾」の保護のみでは不十分

 なお、厚生労働省が示した「労働契約の終了に関する論点」は、「例えば、『留保付承諾』(労働条件変更に異議をとどめて承諾しつつ、事後的に変更の効力を争うこと)を認めることと併せて検討すべきか。」としている。要するに、少なくとも労働条件の一方的不利益変更を争う権利を留保しつつ承諾した場合には雇用を維持すべきことについて「例えば……併せて検討すべきか。」として、消極的姿勢を示しているのである。

 しかし、「留保付承諾」により当面の解雇は避けられるとしても,これを保証することだけでは不十分である。

 何故ならば、それは、経営者による一方的な不利益変更を先ずは認めたうえで、後日、訴訟等で争う道を残すというにとどまり、始めから経営者を優遇するにものほかならない。しかも、雇用の終了を突きつけられた労働者が、経営者の求めに「留保」を付することは通常の場合には著しく困難である。そのうえ、結果的に幸いにして雇用を失わなかった場合にも、爾後に訴訟を提起・遂行するという負担は労働者とその家族にとってあまりにも重いものだからである。

以 上