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1998年1月

「盗聴法案」要綱骨子に対する批判意見書

自 由 法 曹 団

は じ め に

  1. 経過
     法務省は、1996年10月、法制審議会に対し、盗聴捜査を導入するなどの「組織的犯罪対策立法」を諮問した。
     暴力団等による薬物・銃器の取引やこれらの組織による不正な権益の確保を目的とした犯罪、オウム真理教事件のような大規模な凶悪事犯、会社などの法人組織を利用した悪徳商法等の大型経済犯罪など組織的な犯罪に対処するための法整備を必要とする、というのが諮問の理由である。
     法制審議会は、1997年9月、弁護士委員などの反対を押し切り法務大臣に答申した。
     これを受けて、法務省は、「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制などに関する法律案要綱骨子」、「刑事訴訟法の一部を改正する法律案要綱骨子」とともに、「犯罪捜査のための電気通信の傍受に関する法律案要綱骨子」(盗聴法案)を発表し、各党法務部会・法務委員会の理解を取り付けるため、レクチュアーを旺盛に行った。当初は、昨年の臨時国会に右三法案が上程され、1998年4月から施行予定と伝えられていた
     しかし、右法案、とりわけ「盗聴法案」には、諮問当初から強い批判が寄せられ、立法化に反対の声も強く、政府は現在のところ、右法案を上程できないでいる。
     自由法曹団は、1997年7月に、憲法上(主には令状主義)の問題点及び立法理由の指摘を含む「盗聴立法に反対する意見書」を、同年8月には、警察の盗聴事件に見られる姿勢及び覚醒剤・銃器取締捜査の実態に照らした問題点と令状審査は濫用の歯止めとならないことを明らかにした「組織的犯罪対策立法に関する意見書」を発表した。

  2. 本意見書のポイント
     盗聴法案要綱骨子の発表があり、法務省が導入しようとしている盗聴法案の内容がより明確になった。本意見書は、特に盗聴法案の市民生活、マスコミの取材活動、議員活動、労働組合などの団体の活動などに与える影響を指摘しつつ、要綱骨子に沿ってその問題点を明らかにするものである。
     以下、盗聴法案要綱骨子を要綱骨子と略して説明する。

第1 あらゆる電気通信が盗聴の対象となる

  1. 携帯電話・ポケベルも
     要綱骨子は、盗聴の対象となる通信を「電話その他の電気通信であって、その全部又は一部が有線(有線以外の方式で電波その他の電磁波を送り、又は受けるための電気的設備の有線部分を除く)によって行われているもの」と定義している(第一の一)。
     有線の電話の外に携帯電話、PHS、ポケベル、ファクシミリ、コンピュータ通信(リアルタイムのパソコン通信の外に蓄積型の電子メールなどの通信を含む)などの電気通信がひろく盗聴の対象となる。要するにトランシバー方式以外のあらゆる電気通信を盗聴の対象とするのである。
     盗聴法案は、いまの社会において、便利で重要な意思伝達手段、表現活動手段となっている電気通信手段のほとんどを盗聴の対象とし、広く、国民各層が盗聴の対象者とされる仕組みをつくりだす。

  2. 第三者の通信設備も
     さらに、盗聴の対象とされる通信設備は、犯人(被疑者)が電気通信事業者との契約に基づいて使用しているものに限らず、「犯人による犯罪関連通信に用いられると疑うに足りるもの」も含まれる(要綱骨子第二の一)。
     犯人が所有したり、通常使用している電気通信に限らず、盗聴対象犯罪に関連する内容の通信をするために使われる通信設備との疑いがあれば、公衆電話であれ、犯人が出入りまたは送信したりする相手方の団体や個人宅の通信設備であれ、盗聴の対象設備となりうるのである。
     この点からも、犯罪に関係のない人々の通信が盗聴の対象となる仕組みを有している。

第2 安易かつ無限定な盗聴を許す要件

  1. 盗聴令状の発布要件
    要綱骨子は、次の要件を定める(第二の一)。
    1. 以下に該当する場合において
      1. 別表に掲げる罪(盗聴対象犯罪)が犯されたと疑うに足りる十分な理由がある場合において、当該犯罪が数人の共謀によるものと疑うに足りる状況があるとき。
      2. 別表の罪が犯され、かつ、引き続き(イ)当該犯罪と同様の態様でこれと同一又は同種の同表に掲げる罪又は(ロ)当該犯罪の実行を含む一連の犯行計画に基づいて犯される同表に掲げる罪が犯されると疑うに足りる十分な理由がある場合において、これらの犯罪が数人の共謀によるものと疑うに足りる状況にあるとき。
      3. 禁錮以上の刑が定められている罪が別表に掲げる罪の実行に必要な準備のために犯され、かつ、引き続き当該別表に掲げる罪が犯されると疑うに足りる十分な理由がある場合において、当該犯罪が数人の共謀によるものであると疑うに足りる状況があるとき。
    2. 右(1)@ABに規定する犯罪の実行、準備又は証拠隠滅等の事後措置に関する謀議、指示その他の相互連絡その他当該犯罪の実行に関連する通信が行われると疑うに足る状況があり
    3. かつ、他の方法によっては、犯人を特定し、又は犯行の状況若しくは内容を明らかにすることが著しく困難であるとき に盗聴令状の発布を認める。
       この要件には、次の問題がある。 

  2. 組織的犯罪に限定されていない
    1. 別表の犯罪自体が広範
       別表にかかげられた盗聴対象犯罪は広範であり、組織的に行われるとはいえないものも多く含まれている。たとえば、現住建造物放火、汽車転覆、水道毒物等混入通貨偽造(別表一のハないしホ)、逮捕監禁罪(チ)などは、暴力団などによって「組織的に実行される」犯罪とはいえない。
       要綱骨子は、組織的犯罪対策であることをアッピールするためか、「数人の共謀があるとき」を要件としている(第二の一)が、共謀は組織性を示すものとはいえない。法務省は、「数人」について「2人以上」であればよいと説明するし、「共謀」についても「関与した」程度で足りるとする。これを組織的犯罪対策というのは偽りの看板である。
    2. 事前盗聴でますます無限定に
       さらに次の3で指摘する事前盗聴においては、別表犯罪は発生しておらず、将来の危険を盗聴の対象とするものであるが、別表犯罪が実行されていなくても、準備されていると捜査当局に認識され、何らかの犯罪を犯せば、その段階で盗聴という強制捜査権限が発動され得るのである。
       盗聴の対象には事実上限定がない仕組みとなっている。

  3. 盗聴を拡張する仕掛け
    1. 令状主義を破る3つの盗聴
       捜査令状は、通常、発生した犯罪の証拠収集のために発布され、執行される。
       しかし、盗聴法案では、事前盗聴捜査を容認する。さらに、該当性判断のための盗聴(予備的盗聴)、別件盗聴捜査をも認める。
    2. 事前盗聴による拡張
       要綱骨子は、禁錮以上の刑が定められている罪が別表の罪の実行に必要な準備のために犯され、かつ、引き続き当該別表の罪が犯されると疑うに足りる十分な理由がある場合において、数人の共謀によると疑うに足りる状況があれば、盗聴を認める(第二の一の3)
       これを事前盗聴と呼ぶ。

      2点を批判する。
      1. 捜査概念を逸脱
         刑事訴訟法では、捜査は犯罪発生後に行われることを前提としている(刑訴法189条2項)。
         事前盗聴は、禁錮以上の刑が定められている犯罪は発生していることになるが、別表記載の盗聴の対象とする犯罪は未だ発生していないときに、なお強制捜査を可能とする仕組みである。これは、現行の捜査概念を逸脱するものである。
         警察官職務執行法に根拠をおく行政警察活動は、犯罪の制止・予防を目的とする(警職法5条)ため、将来起こり得る犯罪を防止するために予め情報を収集することもある。
         これに対し、刑事訴訟法に根拠を置く司法警察活動は、過去又は現在の犯罪の嫌疑を前提とした証拠収集などの捜査を行うもので、行政警察とは区別される。
         盗聴法案は、この行政警察活動と司法警察活動の区別を不分明にし、警察の治安・行政権限強化への途を開くものと言えよう。
         わが国の戦前の警察が「行政警察予防ノ力及バズシテ法律ニ背クモノアルトキハ其ノ犯人ヲ探索逮捕スルハ司法警察ノ任務トス」(行政警察規則4条)と、行政警察と司法警察を区分していたにもかかわらず、「公ヲを害スル虞アル者」との行政検束(行政執行法1条)の濫用、治安維持法の予防拘禁(治安維持法39条1項)の多用など、行政警察と司法警察が一体となって広く国民の人権を侵害し続けてきた。
         戦後は、行政警察権限を制限し、司法警察を中心としつつ、厳格な令状主義のもとでのみ強制捜査権限を警察に認めた。行政警察と司法警察の区別を曖昧にすることは、戦前の人権侵害の反省のうえに立って、行警察権限を縮小し、予防的・探索的捜査を厳しく戒めてきた人権保障の歴史的意義を余りにも過小評価するものと言わざるを得ない。
      2. 盗聴対象犯罪を無限に拡大
         盗聴対象犯罪の実行に必要な準備のために犯される禁錮以上の刑に当たる罪とは、刑法が定める罪の大部分である。因みに刑法上の罪で禁錮以上の刑に該当しない犯罪は、騒乱罪の不和随行者、多衆不解散罪の首謀者以外の者、単純失火罪、過失建造物侵害罪、変死者密葬罪、過失傷害・致死罪、侮辱罪しかない。ほとんどの罪が禁錮以上の刑にあたる。
         これが、盗聴対象犯罪を一気に拡げる仕掛けになっていることは第2の2で述べたとおりである。
    3. 予備的盗聴による拡張
       要綱骨子の第三(傍受の実施)の七は「傍受令状に記載された傍受すべき通信に該当するかどうか明らかでないものについては、傍受すべき通信に該当するかを判断するため、これに必要な最小限度の範囲に限り、当該通信の傍受をすることができる」とし、該当性判断のための盗聴を認める。
       これを予備的盗聴と呼ぶ。
       盗聴捜査は、盗聴してみないと何を証拠として収集すべきかが判断できない、という本質をもっていることからくる問題である。つまり、盗聴捜査は、必然的に探索的捜査にならざるを得ないという性格を示している。
       「必要な最小限度の範囲に限り」といっても、これを判断するのは、盗聴捜査を実行する警察官らであり、彼らが盗聴捜査の実施に着手後に「必要な最小限度の範囲」と認識すれば、該当性判断の名目でいくらでも盗聴することが可能となる危険がある。裁判官もこれをチェックすることはできない。
    4. 別件盗聴による拡張
       要綱骨子の第三(傍受の実施)の九は「令状による盗聴を実施している間に、死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮に当たるものを実行したこと、実行していること又は実行することを内容とするものと明らかに認められる通信が行われたときは、当該通信を傍受できる」とする。
       これを別件盗聴と呼ぶ。
       憲法35条が求める令状主義は、@捜索場所と押収目的の特定を求め(特定の要請)、A裁判官の発する個別の令状を要求する(個別令状の要請)。別件盗聴は、裁判官のチェックを経ない盗聴であり、憲法の求める令状主義を満たさない。犯罪を一定のものに限定しているが、証拠としての価値や必要性に何らかかわりなくすべて盗聴を認める点で限定がない。


  4. 歯止の役割を果たせない要件
    1. 犯罪の嫌疑
       要綱骨子は、犯罪の嫌疑として「疑うに足りる十分な理由」とする(第二の一)。
       盗聴による人権侵害の重大性に照らすと、被疑事実の「明白性」が必要である。
       たとえば、検証令状による電話盗聴を合憲とした甲府地方裁判所判決は、「令状発布時は被疑者氏名は特定できなかったが、被疑事実自体の嫌疑は明白だったこと」を合憲の理由としてあげている。この裁判例に照らしても、要綱骨子の嫌疑の要件は緩やかにすぎる。
    2. 数人の共謀
       「数人の共謀があるとき」の要件は、要件としての意味をなさないことは第2の2で説明したとおりである。  
          
    3. 対象通信
       要綱骨子第二の一は「犯罪の実行、準備又は証拠湮滅等の事後措置に関する謀議、指示その他の相互連絡その他当該犯罪の実行に関連する事項を内容とする通信」という。しかし、犯罪関連通信とは何を指すか必ずしも明らかでない。裁判官も判断が困難である。結局のところは捜査機関が関連するといえば、そのようになるという運用がなされる可能性が高い。
    4. 代替手段(補充性)
       要綱骨子は、「他の方法によっては、犯人を特定し、又は犯行の状況若しくは内容を明らかにすることが著しく困難であるとき」を要件として掲げる(第二の一)。  しかし、代替手段がないことが最低限求められるべきである。
       わが国の裁判所の令状チェックの形骸化実態に照らすと、よほど厳格な条件を要件としないと、令状請求が事実上フリーパスになる危険性を払拭できない。なにしろ、1995年度の統計で、地裁・簡裁への捜索差押の請求件数は全国で37万8106件あったが、このうち却下件数は僅か464件で0.12%にすぎない。現職の裁判官も「裁判官の令状審査の実態に多少なりともふれる機会のある身としては、裁判官による令状審査が人権擁護のとりでになるとは、とても思えない。令状に関しては、ほとんど、検察官、警察官の言いなりに発布されているというのが現実だ」(1997年10月2日付朝日新聞)とその実態について述べている。
       前記甲府地方裁判所判決は、「暴力団組織による転送電話を利用した非対面方式の密売の解明と検挙には電話通話の検証が捜査上必要不可欠だった」と、「不可欠」であったことを、合憲の理由としてあげる。要綱骨子の「補充性」は、裁判例よりも大きく後退したものとなっている。
       アメリカ連邦法は、補充性について「通常の捜査手続きが試みられたが失敗に終わったこと、通常の捜査方法では成功する見込みがないと考えられる合理的理由があること、又は通常の捜査手続きでは危険と考えられる合理的理由があること」を要件とする。これとの対比で見ても、要綱骨子の補充性要件ははるかに緩やかである。
       なお、アメリカ連邦法では、盗聴許可申請に際し、捜査機関が宣誓のうえ、右に定める補充性要件を示す詳細な陳述書(書面)の提出が必要とされている。
       通信の傍受は、通信の秘密、プライバシー権との対抗関係にある訳だから、通信傍受でなければ証拠収集が不可能というほどの補充性が必要であろう。

第3 盗聴実施と濫用は背中あわせ

  1. 盗聴実施の仕組み
     要綱骨子第三は「傍受(盗聴)の実施」について定める。
     要綱骨子は、@盗聴の実施及び立会に関する規定(一〜六、十一〜一五)、A予備的盗聴(該当性判断のための盗聴)に関する規定(七、十一〜一三)、B別件盗聴に関する規定(九、十一〜一三)、C記録の作成・複写・消去に関する規定(十六〜十九、二一〜二五)、Dその他の規定からなっている。
     以下において、要綱骨子では、濫用を防止するのは、盗聴を実際に行う機関である警察と警察官の「善意と良心」に期待せざるをえない構造となっていること、その結果、国民のプライバシーが、いとも容易に侵害される非常に危険な法案であることを明らかにする。

  2. 警察による盗聴はやりたい放題
    1. 建前は立会人の存在が原則
       警察は、盗聴を行うにあたって、「通信手段の傍受を実施する部分を管理する者又はこれらの者に代わるべき者に」傍受令状を呈示する(要綱骨子第三の一)。具体的にはNTTのしかるべき管理者に令状を示したうえで盗聴を実施することになる。盗聴のためには録音機等を通信設備(交換機)に接続しなければならないのであるが、その際、NTTの職員の協力を求めることができ(協力義務)、この求めに対し「正当な理由」なく拒んではならないとされる(第三の三、四)。
    2. 実際は密室が常態化
       法律により通信の秘密を守るべき義務を負った、通信事業者に協力義務を負わせることが果たして妥当か、これを拒否した場合に罰則が科される危険はないのか等の問題が生ずるが、最大の問題点は、立会に関する規定が決定的に不十分であり、警察による実際の盗聴を監視し、これをコントロールする者がだれもいないという点にある。
       立会人は、@通信設備の管理者又は、Aこれに代わるべき者である。さらに、これらの者の立会ができないときには、B地方公共団体の職員を立ち会わせなければならないとする(第三の五)。しかし、本来的な業務を抱える管理者やその代行者が立会人となるかはおおいに疑問である。結局はBの地方公共団体の職員、具体的には消防署職員を立会人とすることになる可能性が高い。裁判所の令状によって実際に盗聴が行われた甲府と旭川の事件ではNTTの職員は立ち会わず、消防署職員が立会人となっている。
       さらに、常時立会を免除していることは大問題である。要綱骨子第三の六は、盗聴の開始・中断・終了及び記録媒体の交換時を除き、「やむを得ない事情があるとき」立会人がいなくてもよいことにしている。つまり、記録媒体交換時等を除き、立会人不在の、警察官しかいない時間帯が生まれ、その間は警察官の「善意と良心」によってしか、通信の秘密、国民のプライバシーは守られないことになる。
       昨年10月30日に行われた自由法曹団他の主催による「盗聴法反対集会」において現場のNTT職員から、一つの交換機には約10万の電話回線が集中していること、都内100カ所の交換機うち1割は、夜間無人となることなど、実際、盗聴が行われるであろう通信設備の現場の実情が明らかにされた。このような現場で、警察が最大30日間24時間ぶっ通しで盗聴を行うのである。NTT職員のいない夜間、立会人も立ち会わない時間帯に10万世帯の電話等の回線が、警察官の面前に無防備に晒されてしまうことになる。
       緒方日本共産党国際部長宅盗聴事件において裁判が確定した後も、盗聴の事実を認めようとしない警察が、誰も監視する者のいない現場で、違法な盗聴を行わないという保障はどこにもないのである。まさに警察のやりたい放題を事実上容認する法案である。

  3. 予備的盗聴の濫用は
     要綱骨子第三の七は、該当性判断のための盗聴、いわゆる「予備的盗聴」を認める。即ち、傍受実施中に、令状に記載された傍受すべき通信に該当するか明らかでないものについては、該当するかどうかを判断するために、傍受できるとする。
     ここにとにかく聴いてみなければ判らないという盗聴の危険性が端的に現れている。国民の基本的人権を守るために、捜査の必要性がある場合であっても警察権力による侵害の範囲は明確に特定的でなければならず、何かないかと根こそぎ嗅ぎ廻る捜索、一般的・探索的捜索を憲法35条は禁止しているのであるが、予備的盗聴はこの憲法35条の趣旨に真っ向から反する。
     確かに、要綱骨子は「必要な最小限度の範囲に限り」傍受できると、一応は限定を加えてはいる。しかし、立会人による切断権等は認められておらず、「必要最小限度の範囲」か否かの判断は、運用上は警察の判断に全面的にまかされる。そして、警察は、ともかく聴いてみなければ「必要性」すら判断できないということで、結局は全部傍受(盗聴する)ということになりはしないか。これを事後においてチェックのうえ範囲を逸脱した場合には何らかの制裁があるのかといえば、そのような制度は全く予定されていない。後に詳しく述べるように、結局は犯罪に関係していなかったとして「刑事記録」が作成されなければ、盗聴の事実は表に出ることはなく、闇に葬られてしまうのである。

  4. 別件盗聴の濫用は
     盗聴の範囲を大きく拡大するものとして、別件盗聴があることは第2の3で述べた。
     裁判官による違法盗聴の抑制がどの程度実効的に行われるかそれ自体大いに疑問のあるところであるが、この別件盗聴は、令状を全く必要としない盗聴を認めるものである。いわば盗聴実施者=警察の「善意と良心」に盗聴権限を白紙委任するに等しいものであり、憲法35条の令状主義原則に違反する疑いがあることに対し、弁護士会その他のからも違憲の疑念の表明されている。

  5. 盗聴記録の悪用を防止できない
    1. 警察も記録を持ちかえる 
       盗聴を実施した場合、これを録音その他の方法で記録することになるが、先ず、要綱骨子が予定する盗聴記録の作成・複製・消去についての流れを、電話盗聴を例に概観しておく。
       先ず、電話を盗聴したならば、それをテープに録音する(要綱骨子第三の十六前段)。この録音されたテープが「傍受の原記録」となる。
       同時に、後に作成される裁判用の記録(「刑事手続用記録」と言う)を作るために、盗聴の際にもう一台録音テープを回すことができ(十六後段)これによって録音されたテープを「同時記録」と呼ぶ。
       このうち「傍受の原記録」は、立会人によって封印されたうえで(十七)、裁判所に提出される(十九)が、「同時記録」の方は警察が持ち帰ることになる。
       また、盗聴時に同時に二台の録音機を使用しない場合には、「傍受の原記録」を封印する前に「刑事手続用記録」を作るためのコピーをとることができ(十八)、これを「複写記録」と呼ぶ。
       「同時記録」か「複写記録」かは別にして、「傍受の原記録」以外に、「刑事手続用記録」を作成するためのテープが警察の手に一本残されることになる。
       警察は、盗聴終了後すみやかに、右の「同時記録」あるいは「複写記録」をもとに「刑事手続用記録」を作る(二一)のであるが、その方法は、「同時記録」や「複写記録」から以下の@〜Cを残し、それ以外を消去して作成することとされている(二二)。
      1. 傍受すべき通信に該当する部分
      2. 八により傍受した通信(外国語による通信又は暗号など、傍受すべき通信に該当するかどうか判断することができないものはすべて傍受できる)であって、なお、その内容を復元するための措置を要するもの
      3. 九により傍受した通信(「別件盗聴」として通信の傍受が認められた通信)および八により傍受した通信であって九の通信に該当すると認められるにいたったもの
      4. @からBまでに掲げる通信と同一の通話の機会に行なわれた通信
       なおその際、「同時記録」「複写記録」そのものから消去該当個所を消していく(その結果その部分は何も録音されていない空白部分となる)のか、新たに残す部分だけのテープを編集し直すのかについて議論はなされていない。(ジュリスト1123号108頁での渡邉一弘法務省刑事局法制課長の発言)
    2. 密かな情報蓄積
       このように、盗聴が実施された場合、何本かのテープ、記録が生まれるのであるが、これらの記録がどのように使われるかについて要綱骨子は、警察の目的外使用、濫用を抑制するための有効な手段を用意してはいない。ここでもひたすら警察の「善意と良心」に頼るしかないのである。
       確かに、要綱骨子は、刑事手続用記録に記録されたもの以外は、消去しなければならないと定め(二四)、その内容を他人に知らせてはならないとの禁止規定が存在する(二五)。
       しかし、これを保障する制度は全く存在せず、右規定に違反した者に対する処罰規定すら用意されていないのである。警察が持ち帰った「同時記録」や「複写記録」をさらに複写する危険性を防止する制度もなければ、刑事手続用記録作成後の消去が確実に行われたかの検証を確実にする制度も予定されてはいない。盗聴を行うに際して取ったメモを確実に廃棄したか否かを確認する監視者はいないのである。
       警察が、密かに複写・ダビングした記録を保持する可能性をなくするための客観的保障手段がない以上、警備情報としての価値ある情報、あるいは政治的な情報、スキャンダル情報の記録が密かに警察に管理され続けることの危険は現実的である。
       仮に、右のような禁止規定によって、盗聴記録の違法な利用が抑制されると法制審の委員が考えているとしたならば、警察の実態を見ないきわめてお人好しと言われても仕方がないのである。警察とは、緒方盗聴事件において今もなお否認を貫き通している組織・集団なのである。

第4 盗聴の事実を知らされない市民

  1. 事後的チェックの不十分性
     盗聴法案の重要な問題点のひとつとして、捜査機関による「盗聴捜査」の事実が、盗聴された当事者にどのように告知され、「盗聴捜査」に対して事後的チエックがなされる保証がどの程度果たされているかが、極めて大切である。
     要綱骨子は、この点で極めて不十分であり、盗聴に対する事後的チエックがほとんどなされないと言わざるを得ない。
     要綱骨子では、「検察官又は司法警察員は、刑事手続用記録に記録されている通信の当事者に対し、刑事手続用記録を作成した旨及びこの法律に定める事項を書面で通知しなければならない」(第四「事後措置等」一)としている。

  2. 常でない刑事手続用記録の作成
     前記第3の5で説明したとおり、要綱骨子によると、「刑事手続用記録」が作成される場合は、
    1. 傍受した通信の中に被疑事実等が含まれる場合(二二 1ないし4)、
    2. 傍受の実施にあたり、録音テープを2本とったが、全く被疑事実等(二二の1ないし4)が含まれず、すべて消去されたテープが存在する場合、
    である。Aは記録として、全く価値のないものであるが、要綱骨子によると、「刑事手続用記録」が作成されることになる。
     「刑事手続用記録」が作成されない場合もある。それは、「傍受の実施」にあたり、裁判官に提出するための録音テープが1本しか作成されず、その傍受した通信のなかに、被疑事実等が全く含まれず、「二二の手続(刑事手続用記録作成)の用に供するため、複製を作成」する必要がない場合である。

  3. 常でない当事者への通知
     次に、通信の当事者に対して書面で通知される場合はどのような場合か、が問題となる。
     要綱骨子では、「刑事手続用記録に記録されている通信の当事者」(第四の一)に対して、書面で通知することになっている。「傍受の実施が終了したのち30日以内にこれを発しなければならない」(同 二)としている。ただし、「一の通知は、通信の当事者が特定できない場合又はその所在が明らかでない場合」は必要はないことになっている(同 二)。
     書面で通知されない場合としては、
    1. 刑事手続用記録が作成されない場合、
    2. 刑事手続用記録に記録されている場合でも通信の当事者が存在しない場合(すべて消去された場合)、
    3. 刑事手続用記録に記録されている場合でも、通信の当事者が特定できない場合又はその所在が明らかでない場合、
    である。
     すなわち、犯罪事実と無関係な会話が盗聴された場合には、通信の当事者には、事後的通知が全くなされないことになる。この場合は、捜査機関の「盗み聞き」がなされたまま、「聞きっぱなし」のまま、捜査機関が合法的に『情報を取得』できることだけが保障される。
     アメリカの盗聴捜査の実態について、レナード・W・リービ氏はその著書『最高裁の逆流』(ぎょうせい)において、「1969年から1972年までの丸3年の間に7万3千人の人々が百万件以上の会話を盗聴されたが、このうち7万2千人は無実、もっと正確にいえば、いかなる犯罪についても無実であった」と述べている。98・6%の無実の人の会話が盗聴されたことを指摘する。これは、「犯罪の通話を特定」して、その通話だけを取り出して盗聴することが本質的に不可能であることを物語っている。アメリカの盗聴の要件は、「通常の捜査手続が試みられたが失敗に終わったこと、通常の捜査手続が成功する見込みがないと考えられる合理的理由があること、又は通常の捜査手続は危険と考えられる合理的な理由があること」という厳格なものであるが、そのような厳格な要件のもとで行われても、このような実態である。盗聴法案の要件は、「他の方法によっては、犯人を特定し、又は犯行の状況若しくは内容を明らかにすることが著しく困難であるとき」としており、アメリカの要件に比べても緩やかであり、無実の人の会話の比率が増加することが容易に予想される。
     その圧倒的多数の無実の人に対する「事後的通知」はなされないのである。

  4. 通知猶予期間の延長
     さらに、通信されるべき当事者に「三十日以内」に通知するということについても、例外が定められていることは問題である。
     「ただし、地方裁判所の裁判官は、捜査が妨げられるおそれがあると認めるときは、検察官又は司法警察員の請求により、この通知を発しなければならない期間を延長することができる」(第四 事後措置等 二)としている。
     この通知期間の延長措置の規定は、@期間延長事由が曖昧である、A延長できる期間の制限がないことから、当事者への通知が遅れることになり当事者の防御権が侵害され、捜査が優先され濫用の危険がある問題点が指摘できる。

第5 盗聴立法がもたらす害悪

 通信手段が高度に発達した現代社会においては、通信の秘密と自由は、市民ひとりひとりの思想・良心の自由や表現の自由にとって不可欠な権利であると同時に、さらには国民の知る権利にこたえる表現活動や民主主義の基盤である政治活動の自由にとって不可欠なものとなっている。

  1. マスコミの取材源秘匿への侵害
     マスコミの取材の自由も、憲法上の権利としての報道の自由を支えるものとして十分な尊重に値するものとされている(最高裁昭和44年11月26日博多駅フィルム事件)。 要綱骨子第三の十では、医師、弁護士など特定の職にある者との間の通信で「他人の依頼を受けて行なうその業務に関すると認められるときは、傍受をしてはならないものとする」とされているが、この禁止対象にはマスコミが含まれていない。
     そうすると、第1に、マスコミが傍受対象被疑者の契約通信設備に通話したときには、その通信内容は全部盗聴の対象となりうる。第2に、犯人が、ある特定のマスコミ会社の通信設備に、犯罪関連の情報を提供してくるという状況があったときには、そのマスコミ会社自体の通信設備も盗聴の欲求の対象となる。そして、要綱骨子第二の一の「特定された通信の手段であって、・・、又は犯人による犯罪関連通信に用いられると疑うに足りるものについて、これを用いて行なわれた犯罪関連通信の傍受をすることができる」に該当するという解釈によってマスコミ会社の電話が盗聴の対象となりうるのである。
     マスコミの取材源が知らないうちに警察に捕捉されてしまうということでは、マスコミの電話に安心してかけられないということになる。このことがもたらす萎縮効果がたいへん危惧される。
     ベテランの新聞記者は、この法律ができると、歴史的・経験的に調査報道のきっかけとなってきた深夜の電話による内部告発(いわゆるたれ込み)がまずなくなるだろう、取材源秘匿の保障のなくなる社会は、当事者からの情報の提供を減少させ、報道の衰退を益々加速化させて、国民は官製報道しか受け取れなくなってしまうことを指摘し、警鐘を鳴らしている。

  2. 政治を歪める盗聴情報
    1. アメリカでは、最近包括的なテロ対策法案がいくつも連邦議会に提案された。
       そのなかには、盗聴権限の拡大も提案されたが、共和党の反対もあって、削除された。FBI作成の秘密ファイルのなかに、共和党関係者のファイルが多数含まれている事実が判明したからである。このファイルは、大統領に対するテロ対策を口実に情報を収集したものであった。盗聴はその性質上、合理的な限界設定がきわめて困難であり、テロリストや犯罪組織に対象が絞られるという保障がきわめて弱い。反対派に関する情報が警察によって収集され、政治的に悪用される恐れがあるというのが共和党側の反対理由であった(斎藤豊「アメリカは盗聴を拡大したかーアメリカのテロ対策法」法学セミナー1997年3月号)。
    2. わが国においても1986年11月27日、日本共産党の緒方靖夫参議院議員(当時国際部長)の自宅の電話が警察によって1年半にわたって継続的に盗聴されていたことが発覚した。緒方議員と家族が提訴した国家賠償裁判で、1997年6月26日、東京高等裁判所は、神奈川県警警備部公安一課の所属警察官による組織的盗聴であり、国際情勢や政党の党務に関する事項を内容とする通話が盗聴にさらされ、更には録音されていたことが推認されると認定した。そして盗聴され記録された情報は、神奈川県警から警察庁に報告されていたと認定した。
       緒方靖夫氏に対する盗聴は許される余地のない政治盗聴である。前述のアメリカでのFBI秘密ファイルの件やウォーターゲート事件を引き合いにだすまでもなく、権力の情報収集手段としての盗聴には政治性・謀略性がつきまとうのである。盗聴手段で得られた情報は政府のみならず、警察庁との関係の深い特定の国会議員に集中される。他の政党や議員の弱み、秘密を握った特定の政党や議員が、他の政党や議員を陰に陽に攻撃する材料に使用したり、歪んだ政治力を及ぼして、政治過程を支配していくことにつながる。

  3. 労働組合、住民運動への牙
     要綱骨子は盗聴対象犯罪に逮捕監禁罪を含める(別表一のチ)。この罪の法定刑は3ヵ月以上5年以下の懲役刑で、とりたてて重い犯罪でないにもかかわらずである。  労働組合の団体交渉、会社や社長宅への要請行動、業者団体、市民団体の当局・自治体交渉等のなかで、逮捕監禁があったとして盗聴令状が発布されるおそれがある。  まず、交渉行動が通常の労働組合運動の範囲内の正当行為として許されるような場合であっても、警察が一方的に犯罪とみなして被疑事実に書けば、裁判官は事実上チェックできず、歯止めがきかない。
     さらに事前盗聴のしかけを活用すると、逮捕監禁等の準備行為として、労使紛争の刑事事件の会社側証人を威迫した、社長宅に不法侵入した、脅迫・強要・名誉棄損した、解決金をよこせと恐喝した、等といった犯罪が犯され、引き続き逮捕監禁等が犯される疑いありと、警察が一方的に認定して被疑事実に書けば、それが正当な言動であっても発令されてしまうだろう。
     第4で指摘したとおり、当事者への通知がなされる場合が限定され、なされる場合にも30日以内にすれば足りる、さらに遅れてもよい例外を認める。盗聴令状は、逮捕令状・捜索令状などと異なって、当事者のチェックの機会がないか、相当に遅くなり得るので、気軽に令状請求され、容易に執行される危険性が大きい。

  4. 緒方宅電話盗聴事件は重大
     法務省は、緒方議員の盗聴事件は公安情報部門にかかわるものであり、いま検討している法案は犯罪捜査にかかわるものであり、まったく別問題であることを強調する。
     しかし、その指摘内容はまったく観念的であり、何ら盗聴立法の危険性を除去する議論となりえていない。
    1. 警備警察が警察の中枢
       わが国の警察組織は警備公安情報収集担当部門と捜査刑事部門の双方を包摂している。そして、警備警察部門が警察の中枢に位している。このことは歴代警察庁長官は警察庁警備局長経験者から任命されることが定着してきていることに典型的に表れている。警備関係の役職者は各県警本部においても他の部署の役職者よりも階級の高いものが就任するのが一般化されている。
       しかも、こうした警備情報収集活動と称する国民監視活動が専従警備警察官だけの職務ではなく、全警察官に基本的任務のひとつとして職務化されている。たとえば、外勤警察官に対しても、緊急事態に対処するいわゆる急訴事件にあたってさえ、「被害者、加害者またはその家族に警備対象者がいないかどうか」「現場に遺留されたもののなかに警備関係資料などがないか」などに着眼せよと教育している(「警察学校講師用初級講義録」)のである。
       事件捜査の過程であるいは捜査に藉口して警備情報収集の手段として盗聴が行なわれないとの保障は何もない。
    2. 警察は嘘をつきとおしている
       緒方宅電話盗聴事件の犯人が現職警察官であることが社会的に明らかになってきた時期の昭和62年5月7日、山田英雄警察庁長官(当時)は参議院予算委員会において「警察におきましては過去においても現在においても電話盗聴ということは行なっていない」と答弁した。以後、警察は組織をあげて、刑事捜査手続きにおいても、国家賠償裁判においても完全否認をとおした。東京高等裁判所が1審判決に続き、警察官による盗聴であることを認め、その判決が確定した後も、警察は、なお警察がやったものではないと居直り続けている。
       わが国の警察は盗聴に関する犯罪・違法行為を犯したときには、それが司法手続きによって証拠認定されたとしても、絶対に事実を認めない頑迷な体質をもっているということである。
       この体質をもった警察に、新たに合法盗聴の武器を与えることは実に危険なのである。

  5. 違法盗聴防止の保障はない
     警察権限の拡大は常に濫用の危険と背中あわせにあり、濫用のチェックと違法行為の防止、被害救済を迅速・適切に行なえるかどうかが厳しく問われなければならない。
     この点で、盗聴立法は重大な欠陥がある。
    1. 密室の作業に脱法はつきもの
       要綱骨子は、第三「傍受の実施」で、実施段階における要件を定めている。しかし、前記第3で指摘したとおり、脱法行使が行なわれることがないとの保障はない。被疑者に対し令状提示がなく、密室で行なわれる作業だけに、頼るは警察の「良心」しかなく、客観的な保障手段はないのである。
    2. 被害者に防御の術がない。
       緒方宅電話盗聴事件で東京高等裁判所は、盗聴の被害の甚大さについて「電話回線の傍受による盗聴は、その性質上、盗聴されている側においては、盗聴されていることが認識できず、したがって、盗聴された通話の内容や、盗聴されたことによる被害を具体的に把握し、特定することが極めて困難であるから、それ故に、誰との、何時、いかなる内容の通話が盗聴されたかを知ることもできない被害者にとって、その精神的苦痛は甚大である」と指摘した。
       電話による会話は通常会話当事者間では特に記録も残されないで行なわれるので、盗聴された当の本人は、後で盗聴された事実が判明しても、どのような内容の会話が盗聴されてしまったのかについて記憶を喚起し把握することは著しく困難である。当事者も忘却してしまった会話情報が警察の記録に存在するということについては、だれもが嫌悪感を高めるのではなかろうか。近時プライバシー権を、個人情報の自己コントロール権として理解することが有力であるが、この観点からも看過できない。
    3. 刑事罰も機能しない
       法務省は、違反については刑事罰が課せられるから防止になると説明し、さらに、要綱骨子第五の二で、警察が犯した電気通信事業法104条1項及び有線電気通信法14条1項の罪ならびにこれらの罪の未遂罪を刑訴法262条の付審判請求の対象とするという配慮もしたことを強調している。
       しかし、公訴権の運用の実態をみれば法務省の説明は空手形にすぎないことが明らかである。
      1. 緒方宅電話盗聴事件では、警察官の電気通信事業法違反・有線電気通信法違反の犯罪が証拠によって明らかになったにもかかわらず、検察は、それが警察の組織的犯罪であることを理由に、犯人全員を不起訴処分にしてしまった。検察は、正義・公正よりも、捜査における警察との「車の両輪」の必要性に重きをおくという選択をしたのである。
         緒方事件に限らず、検察は警察の犯罪に対しては一般人に比し、甘い対応をしていると批判されている。
      2. 刑訴法の付審判請求は、検察が公務員の職権濫用罪について不起訴にしたときに、被害者が裁判所に起訴するかどうかを審判してもらう手続きである。法務省が、要綱骨子で通信の秘密侵害罪について付審判請求の対象にすることにしたのは、緒方宅事件での批判を考慮したうえでの手当てである。
         しかし、付審判請求の手続き自体は、残念ながらわが国の司法のなかでほとんどその機能を果たしてきていない。公開手続きでなく、被害者にとって活用がたいへん困難である。何よりも証拠収集の壁につきあたる。事件発生初期の段階で、強制捜査権限をもつ検察が、警察官の犯罪の捜査を熱心に行なわないと、ほとんど証拠がない。被害者の力では刑事裁判を維持するに足るだけの証拠を収集することは不可能なのである。
         検察が、警察の職務上の犯罪に対し厳正な捜査権・公訴権を行使しないことが憂慮される以上、刑事罰の保障の手段にはなりえない。

  6. アメリカにみる人権侵害の拡大
    1. 第4で紹介したが、アメリカの盗聴捜査の実態について、「1969年から1972年までの丸3年の間に7万3千人の人々が百万件以上の会話を盗聴されたが、このうち7万2千人は無実、もっと正確にいえば、いかなる犯罪についても無実であった(「最高裁の逆流」)。
       盗聴は、その性質上不可避的に、犯罪と無関係な多数の人々のプライバシーを侵害する捜査方法であることを物語る。
    2. さらに、立法により盗聴を合法化することは益々違法な盗聴を助長させるという関係にある。
       わが国では、過去、日本共産党が摘発した同党関係者に対する電話盗聴および会話盗聴は30件を超える。日本共産党はそのほとんどの犯人が警備公安警察によるものと推定しており、うち具体的な証拠で特定できたのは昭和26年に発生した新潟十日町事件と前述の緒方宅電話盗聴事件である。その他労働組合などに対する会話盗聴器が発覚したものがある。最近はオウム関係者による盗聴器仕掛け、ゴミ処分場問題をめぐる事件での電話盗聴器の発覚などが摘発されている。興信所社員による盗聴器工作も時々検挙されている。盗聴立法をもたないわが国においてもこのように不法盗聴が増加していること事態は由々しき問題である。
       しかし、アメリカでの実情を知るとその深刻さには格段の差がある。アメリカ自由人権協会の発行した「プライバシーの権利」(教育史料出版会、1994年初版発行)は、1980年代、シンシナティーで、「地方警察とシンシナティ・ベル社の保安責任者が共謀して、1200もの多数にのぼる非合法盗聴を地方議員や地方の政治家、実業家、国防省のおもな契約企業、さらにジェラルド・フォード大統領、ジャーナリスト、政治運動家に対して行なっていた。この事件はシンシナテイの連邦大陪審段階で調査中である。・・プライバシー・タイムズ紙によれば、1980年代の非合法盗聴の事例は、ピッツバーグ、ニュー・ヘブン、ロングアイランド、ヘーガーズタウン(メリーランド州)、サクラメント、ロサンゼルスなどでも表面化した」と告発している。
       盗聴合法化立法をもつ国では、通信の秘密に対するモラルが低下し、非合法盗聴にも歯止めがかからなくなってしまう。

以上