<<目次へ 【意見書】自由法曹団


はじめに

    −−−本意見書の目的と内容

参議院選挙によって生じたあらたな政治状況

 5400万の労働者とその家族、つまり国民の4分の3におよぶ人々の労働のあり方と生活を大きく変える戦後最大規模の労働基準法「改正」案を、「自民党連立政権」はさきの国会に提出しました。しかし、この「法案」は、おおくの国民の強い批判のまえに「継続審議」となり、過日、行われた参議院選挙による国民の審判をうけるにいたったのです。その結果は、この「法案」を提出した政権政党である自民党は歴史的大敗北となり、衆議院における現在の議員構成は明らかに民意と大きく乖離し、衆議院の解散・総選挙によってあらためて国民の信を問うべきだとする声が、日々大きくなっています。
 このあらたな政治状況のもとでも、いまなお政府・財界は、「法案」成立になみならぬ執念を燃やしています。また、さきの国会の会期終盤においては、政府提出の「法案」の「修正案」による成立を目指す動きも、いまなお根強くあります。
 このようなあらたな政治状況を踏まえて、5400万の労働者とその家族、つまり国民の4分の3におよぶ人々の人間らしい生活の実現に直結する労働のルールの確立を求め続けてきた私たち自由法曹団は、あらたに本意見書を発表することにしました。

「法案」に「重大な問題点」があることは国民的常識

   −−−いま、「修正案」より廃案が最良の選択の政治状況

 本意見書の後記第1は、この「法案」には看過することのできない「重大な問題点」のあることが、いまや立場の如何をとわず、きわめて多くの国民の共通の認識となっていること、そのことを「法案」を審議した衆議院労働委員会委員長みずから認めておられることを指摘しています。
 また、「修正案」の内容と連合や全労連などのナショナルセンターがこれまで要求してきた内容とは「天と地」ほどのギャップがあり、廃案が最良の選択であること、そして今般の参議院選挙の結果生じているあらた政治状況をみるとき、「国会での力関係上、修正案でも止むを得ない」と一部でいわれていた。「政治状況」なるものも根底から崩壊し、いまこそ廃案をめざすことが最良の選択であることを明らかにしています。

「法案」のもたらす「重大な弊害」は明白

 本意見書の後記第2は、これまでに行われた衆議院労働委員会の審議における政府答弁などにより明らかとなった「法案」のもたらす「重大な弊害」の全貌を、職場の実態に照らしてあらためて整理しています。
 ただ、衆議院労働委員会での審議は、政府答弁が憲法・国際労働基準の無視、明確な法規制を放置し「労使の自主的な努力」に委ねてしまう一面的な「労使自治万能論」、職場の現実を無視し、長時間過密労働をいっそうの低賃金で働かせることのできる「使用者側のニーズ」をあたかも「労働者側のニーズ」に「すりかえる答弁」に終始したため、きわめて不十分なものとなっています。
 しかし、このようにきわめて不十分な審議のなかでも、「法案」のもたらす「重大な弊害」と「法案」には「重大な不備」のあることは、いまや否定しようもなく明白となっています。

「修正案」は「法案」のもたらす「重大な弊害」を解消しない

 政府・自民党と一部野党が中心となって策定された「修正案」の内容は、いまだおおくの国民に知られていません。本意見書の後記第3においては、「修正案」の内容を職場の実態に照らして具体的に分析すれば、「法案」のもたらす「重大な弊害」はなんら除去・解消されていないことを明らかにするものであります。

第1 「法案」のもたらす「重大な弊害と不備」は
   「修正案」によっても解消されない

1 「法案」は、長時間過密労働・不安定雇用の増大という
  今日の労働現場・状況をさらにたえがたく悪化させる

 さきの国会(衆議院)に提出・審議された労働基準法「改正案」は、5400万人の労働者とその家族、つまり国民の4分の3におよぶ人々の労働のあり方と生活を大きく変える戦後最大規模の「改正」法案であり、広範な各界・各層からの強い批判をうけ、「継続審議」となりました。
 いま、立場のいかんをとわず、すべての国民が「法案」審議に求めているものは、これまでの職場の現実を見ない拙速な「法案」審議をさけ審議をつくすことです。「法案」審議中に全労連、連合、全労協などのナショナルセンターやおおくの労働団体、そして女性、市民のさまざまなネットワークや全国の弁護士の強制加入団体である日本弁護士連合会をはじめ自由法曹団、労働弁護団、連合弁護団、労働法研究者などの法曹界、全国の各地方自治体など、広範な各界各層から提出された多くの意見・要求に謙虚に耳を傾け、事実に基づいた公正な審議をおこなうことを私たちは求めます。そうすれば、この法案はいったんは廃案にし、労働者・国民・法曹界の意見を尊重した点に改正といえる法案につくり直すしかないことははっきりしていると私たち自由法曹団は確信するものであります。
 労働基準法の真の改正とは、「労働時間後進国」「過労死社会日本」と内外から指摘されている異常な長時間過密労働の悲惨な実態など、誰もが知っている動かすことのできない事実を直視し、こうした悲惨な実態を適正に規制する法改正を実現することであります。働く者の生命と健康を奪い、家庭生活を困難にし、小さな子どもたちから両親を半ば奪い、青少年までが「弱肉強食」「差別と選別」の非人間的ルールで支配された社会に、光り輝く未来はありません。私たちは、すべての国民が、人間らしく働き、生きられる未来の実現のために、人間らしく働くためのルールとしての法改正を求めているのであります。
 さきの国会に提出された「法案」には、憲法や世界の労働基準にも反し、なによりも、過労死あいつぐ長時間過密労働・不安定雇用の増大という今日の労働現場・状況をさらにたえがたく悪化させる「重大な弊害」と「問題点」のあることが、きわめて不十分な審議のなかでも明らかとなってきました。その点だけでも、この法案は廃案にすべきものと考えます。

2 衆議院労働委員会委員長田中慶秋氏も認める
  「法案」の「重大な弊害」と「問題点」

 「法案」のもたらす「重大な弊害」と「問題点」については、「法案」審議をした衆議院労働委員会の委員長田中慶秋氏ですら、以下の通り、認めざるをえないものであったのです。
 98年5月29日発行の「田中慶秋衆議院労働委員長『国会リポート』66」には、「政府提出の改正案」は、「5400万人の労働者と家族にとって、日常生活を脅かす」4項目の「問題点」があると指摘しています。
 その1として、「時間外・休日労働及び深夜業」については、「罰則がなく使用者が上限規制に違反しても処罰されません」として、「法案」が実効性のある男女共通の労働時間規制を実現するものでないことを認めているのです。田中労働委員会委員長の「国会リポート」が指摘する「法案」のこの「問題点」は、1919年に成立したILO第1号条約においても労働時間の上限を明確に規制し、各国も男女共通の労働時間規制・時間外労働の上限規制を明確にしてきて、今日では時間外労働の上限について96ヶ国が法的に規制している世界の流れにも逆行するものです。それは「女子保護」規定を撤廃した際の「国会決議」にも違反するばかりか、各界・各層の圧倒的多数の世論が絶対に容認できない「問題点」であります。
 その2として、過労死あいつぐ長時間・過密労働の温床となっている「裁量労働制」は、「1日何時間働いても8時間とみなす制度で、これを事務系ホワイトカラー労働者にまで拡大しようとするものです。サービス労働へのつながりが懸念されます」と指摘しています。つまり「法案」の「新裁量労働制」は、1日8時間労働時間制を崩壊させ、「事務系ホワイトカラー」に歯止めなく全面的に拡大させ、働いても賃金が支給されない「サービス労働」、わが国の社会でひろく横行している「不払残業」を「合法化」してしまう「問題点」のあることを認めているのです。
 田中労働委員会委員長の「国会リポート」が指摘する「法案」のこの「問題点」は、「法案」の「新裁量労働制」の対象労働者はきわめて広範なもので、裁量労働制の濫用を防ぐことのできないこと、しかも「法律による規制」でなく「労使委員会」なるものにチエックを委ねてしまう「法案」では、規制は空文化してしまい、実効性のある労働基準法の改正を実現することができず、結果として不払長時間労働に「フリーパス」をあたえるものとなってしまうことを、「懸念」しているのです。
 その3として、「法案」の1年単位の変形労働時間制の要件緩和について、「週48時間の労働時間の上限を週52時間に延長し繁忙期には休日を減らし、長時間労働が可能となるもので、家庭での安らぎ、健康面などに心配が残ります」としています。
 田中労働委員会委員長の「国会リポート」が指摘する「法案」のこの「問題点」は、わが国における変形労働時間制が、時間外労働に上限規制がなく、深夜労働になんらの法的規制のないもとで、交代制勤務などと相乗することによってきわめて長時間労働化していること、その長時間労働によって生じている家庭生活の崩壊と過酷な健康破壊に、「法案」による上限規制緩和がいっそう拍車をかけるものであることを、警告しているのであります。
 その4として、「法案」の「契約期間の上限」を3年に延長することについて、「対象者を限定し、新たに雇う場合、3年を上限とする短期契約を認めています。3年経てば解雇は自由となり、不安定労働につながります」としています。
 田中労働委員会委員長の「国会リポート」は、労働契約期間の上限延長が、正規常用労働者を「3年経てば解雇は自由」な有期雇用に大転換し、「不安定労働」の増大をもたらすと指摘しているのです。「法案」は、安定雇用を破壊し雇用保障のない無権利・差別的な低賃金の短期雇用契約労働者を大量に作り出そうとしているのです。  田中労働委員会委員長の指摘している以上の4項目の「問題点」こそは、まさに「法案」のもたらす重大な根本的弊害を列挙したものであり、多くの国民が容認することのできない「問題点」として批判してきたものであります。

3 「修正案」は「法案」のもたらす「重大な弊害」と
  「問題点」を解消しない

 政府提出の「法案」は重大な弊害をもたらし、看過することのできない深刻な問題点が存在する以上、廃案にすることが最良の選択であったはずであります。
 ところが、さきの国会終盤の局面で「民主党を中心とする野党と政府・自民党間の調整」によって「修正案」をまとめあげたと、田中労働委員会委員長の「国会リポート」は報告しています。
 それでは、「修正案」は、「法案」のもたらす「重大な弊害」と「問題点」を解決したとでもいうのでしょうか。
 「修正案」の内容をみても、後記第3、に詳述するように、「法案」の根幹部分に由来する「弊害」「問題点」にメスを入れようとしない小幅な「修正」にとどまっており、とても「問題点」の根本的解決になるものではありません。
 「修正案」の柱となっている「裁量労働制適用への本人同意」やその「施行時期の1年先送り」と、全労連や連合の要求している「新裁量労働制導入反対」「新裁量労働制の削除」とは「天と地」ほどのギャップがあることは、明らかであります(別表参照)。
 また、「激変緩和措置」として特定労働者に係る労働時間の延長の上限を150 時間とする「修正案」は、「努力目標」であって「罰則」もなく、なんら法的効力のあるものではありません。田中労働委員会委員長が指摘された「問題点」は、「修正案」によってなにも解決していないのです。「修正案」は、この点でも男女共通の労働時間の罰則付法的規制の実現を求めてきた全労連や「連合」の要求とこれまた「天と地」ほどのギャップがあります。
 もともと、この「修正案」は、伝えられるところによると参議院選挙で、自民党が大勝し「法案」が強引に成立されてしまう最悪の事態を回避する必要があるとの「政治状況」の見通しのもとに、「妥協案」として登場したとされています。
 しかし、過日、行われた参議院選挙の結果をみるとき、「法案」を提出した政権政党である自民党は歴史的大敗をし、衆議院における現在の議員構成は明らかに民意と大きく乖離するにいたり、衆議院の解散・総選挙の可能性が現実の政治日程にのぼりだしているのです。仮に解散を引きのばして衆議院で自民党が採決を強行しても、参議院での成立は自民党以外の各党が法案に対する反対あるいはつよい批判の姿勢を変えない限り、参議院では否決になり、法案は成立しません。
 私たちは、このような政治状況のもとで、「法案」の根幹部分における抜本的修正とはほど遠い「修正案」についての拙速な審議をするのではなく、この際、国民から信任されなくなった政府提出の「法案」を、すでにのべたように、ひとたび廃案にすることが最良の選択であると確信します。そのうえで、すべての国民が、人間らしく働き、生きられる未来の実現のために必要な働くルールとしての労働基準法の抜本的改正を国民の前に提起し、各界・各層の国民的論議を踏まえた働くルールとしての法案を提出することが、おおくの国民の願いであることを強く訴えるものであります。

第2 「法案」のもたらす「重大な弊害」と「問題点」

1 実効性ある男女共通の労働時間規制のないこと

(1) 「法案」の時間外労働についての「基準」に法的効力はない

 「法案」には、労働大臣の定めた基準に違反した時間外労働に対して罰則がありません。したがって、行政指導も実際には無力です。
 労使双方は、労使協定を締結するにあたり、時間外労働の上限を「労働大臣が定める基準に適合したものとなるようにしなければならない」という「法案」の規定は、実効性のある法的規制ではありません。
 既に明らかになっているとおり、同趣旨の文言が使用されている有給休暇取得に対する不利益扱いの禁止規定(134条)についての最高裁の判断(1993年6月25日、沼津交通事件)によれば、単なる努力義務規定にすぎず、私法上も効力がないのです。したがって、労働大臣が定めた基準を超えた労使協定も民事的には有効になってしまいます。罰則もなく、民事的効力もない「法案」は現行の目安時間と大差がないのです。
 国会審議においても、伊藤労働基準局長が、「基準」を超えて定めた36協定も、手続に欠陥がなければ労基署で受理せざるを得ないことを認め、上限を超えている場合でも「労使が十分に話し合い合理性があれば無効にならない」と答弁しています(5月7日)。しかし、労基署でこのような「合理性がない(不合理である)」かどうか、を判断することは困難ですし、「合理性がないのでは」と労基署が考えたところで、「労使協定でそうなっている」と言われれば受理するしかありません。その結果、実際上は手続に明白な瑕疵がなければ受理されることなります。監督官が「懸命な繰り返しによる指導を行う」と言っても、労使で決めて届け出られた協定に、誰に対して、どのように指導ができるというのでしょうか。ここまで「基準」が法的効力をもたないことが明らかなっているのに、労働時間の上限規制ができるかのような政府答弁は、男女共通の労働時間規制を求める国民を欺くことであります。

(2) 「法案」は時間外労働「基準」の上限時間すら明記しない

 「法案」は、労働大臣の定める「基準」についての上限時間さえ明記していません。このことは、「法案」が実効性のないものであることをいっそう明らかにするものです。伊吹労働大臣は、「総労働時間について、罰則付きで数字を示すのが労働者一人ひとりのプラスになるだろうか」と答弁しています。また伊藤労働基準局長は、「労基法は最低限のルールを書き、警察権で保障する、そこに平均的な時間を書くのはいかがなものか、中小企業は即なじめない」「業種により上限の長いものもあり、法で定め一律にやると業種の扱いが難しくなる」などと答弁しています(いずれも4月24日)。政府は、年間1800総実労働時間の実現のために労働時間の短縮の措置を講じるという政府の責務を放棄した発言に終始しているのです。

(3) 36協定は歯止めとして機能していない

 「法案」は36協定の労働者代表の選出方法について何らの基準・手続も設けていません。労働基準局長が労働者代表が適正に選出されているかチェックし、その選出方法、資格について欠陥があれば受理できないと答弁しても、何が「欠陥」なのかの基準さえ示されていません。労働組合の組織率は全体で22.6%、労働者の圧倒的多数を占める100人以下の企業では1.5%にすぎません。どう「民主的」に選出されても、労働組合のないところで労働者の「代表」が企業に抵抗して協定を拒否するのはもともと難しいのです。そのうえ、労働者の利益が守られるような選出方法は具体的には何も担保されていません。それにもかかわらず、労使によって届けられている協定はたとえ「基準」を上回るものであっても、有効なものとなってしまいます。
 労基署が「基準」を超えているから「違法」であるとか、罰則の適用があるといって指導するための法的武器はなにもありません。こんな法案で、どうして実効ある男女共通規制が実現するというのでしょうか。これでは罰則のない指導「基準」が長時間残業の枠組みとなってしまうおそれさえあります。

(4) 深夜労働についてなんらの規制を設けていない

 「法案」には深夜業についての規制が何もありません。それ自体「法案」の重大な欠陥ですが、男女共通の労働時間規制がないこととあいまって致命的な被害を回避できません。多くの国々では交替制労働(交替制深夜労働)には1日と1日の勤務時間に「一定のインターバル」時間(休養時間)が8時間〜14時間(いちばん多いのが12時間で、27ケ国)と規制されており、今日では77ヶ国で法制化されています。
 わが国ではこうした法規制はなく、これと変形労働と「青空天井残業方式」が結びついて、世界に例のない実拘束17時間労働(国立病院看護婦)や16時間労働(郵政「B職」労働者や私鉄運転手など)が横行しています。
 深夜労働が人間の生理に反し、深夜交替制労働の職場で過労死が多発していることをみれば、深夜業について何らの規制もないのは「法案」の致命的な欠陥です。しかも、「法案」提出にあたって、政府は昨年の国会附帯決議で求められた深夜業が労働者の健康及び家庭・社会生活に及ぼす影響についての調査研究や実態把握を、まだ、なにひとつしていないのです。
 それなのに、「法案」成立をなにがなんでも強行しようというのは、前国会での審議・決議をふみにじる暴挙です。
 深夜労働・交替制労働について諸外国なみの法規制をすることなく、さらに男女共通の労働時間規制なしに「女子保護」規定の撤廃を実行することの重大な被害は、バラバラでなく総合的に追及されるべきです。拙速に「法案」の成立を急ぐことに対しては、各党・各議員が一致してきっぱりノーというべきだと確信するものです。

(5) 「法案」廃案と99年4月1日の「女子保護」規定廃止の施行による女性労働者に生じる不利益は容易に回避できる

 昨年6月に女子保護規定の撤廃が可決されました。しかし、賛成した各党もすべて施行期日(99年4月1日)までに男女共通の労働時間の規制が必要だということでは一致し、その趣旨は附帯決議にも反映されました。ですから、今回の労基法「改正」にはそのことが明記されるのが当然です。だが、実際にはそうなっていません。それだけでも、このままでは「法案」に全党が反対すべきだと私たちは考えます。そして、真に実効性のある男女共通の労働時間規制の法律を早急に設けるべきです。
 もしそれが間に合わないのであれば、各党が一致できるはずの「最小限規制」として、当面、付則改正で「女子保護」規定撤廃の施行を延期すべきです。「女子保護」規定廃止を定めた「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等のための労働省関係法律の整備に関する法律」付則第1条の施行時期に関する規定に、平成11年4月1日施行の例外として3項を設け、同法第4条の規定の施行時期について、「(男女共通規制が実現し施行される時期と同一にするため)別途、命令で定める日とする」等とし、男女共通規制が実現するまでは、「女子保護」規定廃止の施行を延期するとすれば、当面の問題は解決します。
 私たちは、国民の世論である男女共通の労働時間の規制が実現するまで「女子保護」規定の撤廃を延期することこそ、昨年の国会審議や決議にかなうものです。このことは、昨年の国会審議での各党の態度に照らしても必ず一致しうるはずだと考えます。

2 新裁量労働制の適用範囲拡大の「問題点」は
  答弁では少しも解消されていない

 新裁量労働制は、11業務に例外的にみとめられている現行裁量労働制をさらに要件緩和し、実際にはホワイトカラーの大半に適用可能にするものです。新裁量労働制は、現行法のもとでは、犯罪(6ケ月以下の懲役又は30万円以下の罰金)とされる「不払残業」を合法化し、長時間・過密労働をさらに激化させ、過労死を多発させ、しかも大幅な賃金ダウンになります。この「問題点」については、ほぼ同じ問題意識をもって、各党から質問が集中しました。しかし、政府は、「労働者のニーズ」をみたすためのものだとか、歯止めがあるから「新裁量労働制」による被害は阻止できるとの「強弁」に終始しました。この「問題点」については政府の事実無視や論理のすりかえが山のようにでてきました。

(1) 「労働者のニーズ」など存在しない

 政府は、「新裁量労働制」の導入が「自らの知識、技術や創造的な能力をいかし、労働時間の配分や仕事の進め方について自ら決定し、主体的に働きたいという者も増加している」(中央労働基準審議会建議)などの「労働者のニーズ」を充たすものとしています。しかし、中央労働基準審議会も、政府も、新裁量労働制導入についての「労働者のニーズ」を証明する具体的資料を明らかにしいません。連合や全労連をはじめとする圧倒的多数の労働組合が反対しているなかで、「労働者のニーズ」が、どこに存在するというのでしょうか。
 現行の裁量労働制やフレックス制のほかに、さらに8時間労働制の全面解体に直結する新裁量労働制をつくらねばならない「労働者ニーズ」があるのかについて、政府は“証拠”を明示すべきです。調査もなく“証拠”もなしに、「労働者のニーズ」を強弁するのは、国会に「法案」を提出した政府のなすべきことではありません。
 新裁量労働制が「労働者のニーズ」などと言えないことは各参考人も指摘しています。

「慎重な議論が必要、法案では疑問点あり、範囲が不明確で濫用のおそれがある。労働者間の競争が激化する。基準法の根幹は時間管理であり、裁量制はこれを崩壊させる。導入については慎重にすべき、社会的コンセンサス、理解が深まったかは疑問、理解を深める時間が必要。」(桑原参考人)
「裁量労働制については、社会経済本部の調査で77%が目標達成に関心があり、労働者は仕事に夢中になる、家族崩壊につながる。裁量制の実態では自殺や過労死の横行がある。もう少し議論が必要である。」(井上参考人)
「審議会で議論したが枠組みに不充分さがある、法案のままでは使用者側の判断に委ねられる危険あり、もう少しきちんとした議論が必要、中基審に戻し、継続審議を行うべき」(松浦参考人)
「労働者が裁量権をもっているのか疑問、現行法下でも脱法的裁量があり取締りの有効な手立てがない。サービス残業を野放しにしている実態の中でどうなのか。社会経済本部の調査でも52.9%が長時間につながるとの回答があり、業種が不明確で濫用される危険」(山田参考人)
「サービス残業を蔓延させ、能力主義に結びつき、過労死認定を困難にさせる」(熊谷参考人)

 これだけ、各参考人から労働者の「ニーズ」に反し、「重大な問題点」のあることを指摘されているにもかかわらず、政府が根拠のない「労働者のニーズ」を主張して「法案」成立を進めようとすることは許されません。

(2) 新裁量労働制は無原則にホワイトカラー全体に拡大する

 新裁量労働制はホワイトカラー全体に広がり、「自律的な働き方」どころか現在の長時間・過密労働がかえって助長される恐れがあることが、労働界からも、日弁連はじめ法曹界からも広く指摘されてきました。各党議員もその趣旨の質問をしました。
 国会審議では、政府もこのような危険性があることを認めざるを得ず「裁量労働制にはいろいろな意見があるが、どんな薬にも効果と副作用がある。適切に処方することが大切だ。」(伊吹労働大臣)としています。
 しかし、「適切に処方する」というのなら、処方箋がしっかりしていなければなりません。毒性をどうやって弱めるのかが充分確認されなければなりません。そのためには、政府の主張に立っても、法律で、第一に導入対象の要件が厳格に定められなければなりません。第二に企業の側の「やり過ぎ」をチェックし、きちんと実効ある法的規制がなければならないはずです。しかし、「法案」は、そうなってはいないのです。
 私たちがそういう理由をいくつかあげれば以下のとおりです。

  1. 新裁量労働制の対象は広い−−−ホワイトカラーの大半に適用される
    1. 「対象事業場」の広さ
       「対象事業場」が「事業運営上の重要な決定が行われる事業場」とされていて、「本社」等と明確に特定されていません。本社以外でも事業部制をとっている企業や営業方針を支店に委ねているケースなどはどう取り扱われるのでしょうか。「法案」では「事業運営上の重要な決定が行われる事業場」となっていて、「本社」等に限られていません。今日、多くの各企業は、本社ですべてを決めるのではなく、事業場単位で「事業運営の重要な決定」をさせる運営をしています。これは社会的によく知られている事実です。この実態に照らすと「法案」の規定では、ひとつの企業内でいくつもの対象となる事業部や支店があり、そこで働く多くのホワイトカラーに新裁量労働制を適用されることになります。そこで、「すべての支店が対象です」と企業に言われたら、労基署はどのように判断するのでしょうか。労基署が、この工場、この支店では「事業運営上重要な決定はしていない」と独自に認定することなど不可能です。
    2. 「対象業務」の広さ
       「対象業務」として「企画、立案、調査、及び分析の業務」とされていますが、具体的にどのような業務となるのでしょうか。例えばホワイトカラーで「営業職」に従事するホワイトカラーであっても、単に販売を担当するだけではなくて、今日では「販売のための調査・分析」や「営業対象に併せた宣伝企画」などの業務をしばしば行っています。労働大臣は「具体的に適用範囲をどうするかは、今後の審議の中で明らかにする。」(4月2日)と答弁していますが、「一連の業務を部分的でなく総合的に行う人が対象」(5月6日労働基準局長)などといった抽象的基準では全員が対象となってしまう恐れがつよいのです。
       「裁量労働は労使不一致のまま出されてきた。対象者がどこまで広がるかに懸念がある。法案で裁量とそうでない業務との境界があいまいで細かいことはわからない。政令で後で基準を示すのでは納得できない」というもっともな質問(5月15日 中桐伸五議員)に対して、政府は「管理的といってもあいまいで、明確にする必要があるが、労使委員会に全会一致の網をかぶせ、指針で具体的に明らかにする方向」(同日 労働基準局長)とあいまいな基準を具体的に示すこともできませんでした。「対象業務」が無限定であるのは国会答弁でも明らかになっているといわざるをえません。
    3. 「具体的指示をしない」ということの広さ
       「法案」は「業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し、使用者が具体的指示をしないこととする業務」としていて、「使用者が具体的指示をしないこと」にすれば、どのような業務も裁量労働制の適用対象となる仕組になっています。この要件は、「具体的な指示が困難な業務」というよりはるかに広く、企業の意思によってどうにでも広くなる規定です。この点について政府は「一義的には使用者が判断する。」(5月8日労働基準局長)といっています。「一義的に使用者が判断する」ということは、企業が決めるということです。「二義的」に労基署がちがうといって是正することなど、実際には不可能です。
       以上、@ABをみれば、新裁量労働制が現在の11業務の制限をはるかに超え、ほとんど全ホワイトカラーに適用可能なものになることは明らかです。政府の「一部の労働者に限定される」という答弁はまったく事実に反する答弁です。

  2. 濫用を是正する方法がない−−−労働者は身を守れない
     このような不明確な法案ですから、濫用や悪用によって具体的な弊害が生じたときにどうするのかが大きな問題となります。
     この点について政府は、@「労使委員会」で歯止めがかけられる、A苦情処理が機能する、B労働基準監督官が目を光らせる−−だから大丈夫だという答弁をくり返しています。
     しかし、これは事実に反する無責任な答弁です。
    1. 「労使委員会」は「歯止め」にならない−−−不払残業への「フリーパス」
       「労使委員会」が機能するのかどうか、とくに労働組合のない職場で、労働者の「代表」が企業の要求する新裁量労働制適用対象労働者の範囲や「みなし労働時間」数について異議を述べ拒否することは実際にはほとんど期待できません。現在の残業協定が、労働組合のある大企業でも、@しばしば年間150時間はおろか労働大臣が決めた「目安時間」の360時間をさえ超えていること、Aさらに重大なことに、労使協定での上限時間を超えた、しかも不払残業が広範に広がっていることは、そのことを証明するよく知られた“証拠”です。
       「労使委員会」の決定は、現在は犯罪(懲役6ケ月以下又は30万円以下の罰金)である不払残業を合法化してしまいます。労使で共同決定したのだからということで、労基署の監督や指導、ましてや法的強制による是正は不可能になります。大規模な不払残業に「フリーパス」が発行されることになるのです。
       「労使委員会」によって裁量労働制の濫用を是正できないことは参考人からも指摘されています。長年にわたって労働行政の現場で仕事をしてきた井上参考人は「労使委員会は評価していない。労使委員会を選ぶのは過半数でよく、過半数に達しないパート労働者などの意見は反映されない。協議内容が難しく、労基法を理解しなければならない、監督官でも何が違反になるかわからないと言っている」と指摘しました。他の参考人からも、現在の日本の低い労働組合への組織率の実態からみれば、「未組織労働者は8割近くいるなかでどう担保させるのか疑問、企業内組合という日本の特殊性を考慮するならば不充分」(山田参考人)「制度としては評価するが、現在の実態をみれば経営者主導となっている問題点」(桑原参考人)と「労使委員会」が適正に機能することは期待できないことが指摘されています。
    2. 決定が不合理でも変えられない
       さらにもうひとつつけ加えれば、労使共同決定方式には、あまり気づかれていない大きな落とし穴があります。例えば、政府は「裁量労働で長時間になるのではないか」という質問に、「もし、裁量労働制の導入で8時間を著しく超えるようならば、労働側から見直しの意見が出るだろうし、労使委員会、基準行政でもチェックされるだろう。」(4月24日 労働基準局長)と答弁しています。しかし、「労使委員会」は全会一致が要件となっています。労働側から見直しの意見を出しても、使用者委員が反対すれば変更できるのでしょうか。「改正」の法文をそのまま読む限りでは、「全会一致でなければ変更できない」ということになるのだと思います。
    3. 労働者個人の「苦情」の解決策はない
       「苦情処理」についても、どのような機能をもっているのかなどが不明確です。国会でも「労働者個人が苦情と言えば労使委員会がとりあげる義務があるのか」という質問に対して「苦情処理は裁量労働制導入の絶対条件」(5月8日伊藤労働基準局長)と言うのみで、明確な答弁を避けています。未組織の職場などでの労使の力関係からいって、労働者の苦情が通ることは期待できないでしょう。仮に労働者の「代表」が「苦情は正当だ」といっても、企業の「代表」が認めなかったら、「苦情」はどう「処理」されるというのでしょうか。ちなみに、苦情処理で解決できないとき(実際には解決不能のケースが圧倒的に多いでしょう)、労働者は「自分の労働は裁量労働制の要件に合致しない」とか「みなし労働時間は不当に短すぎる」ということで法的に争うことができるのでしょうか。実際にはきわめて困難でしょうし、仮に裁判所に訴えても、労使決定が優先的に尊重されることになるにちがいありませんから、救済されることはないでしょう。
    4. 基準行政の強化で解決できない
       最後に労働基準行政がしっかり指導するという答弁が繰り返されていますが、行政機関が指導するには、ひとつにはそのための基準が明確にされていなければなりません。もうひとつには、基準違反を違法とし、処罰できるようになっていなければなりません。だが、「法案」はまったくそうなってはいないのです。いまでも不払残業が横行している(政府統計からの推計でも年約300時間前後)のに、労働法制ではそもそも客観的な時間という基準そのものがなくなっているのです。「みなし時間」を決めるのは「労使委員会」の権限なのです。労働基準行政は、少なくとも新裁量労働制については、無力で実効のないものになってしまうことは火を見るより明らかです。
       この点についても、労働行政の現場に携わってきた井上参考人は「現在適用事業場は、450万とも言われている、監督官は年間16〜17万件監督しているが、監督官を増やし全ての事業場を監督しても違反の立証は難しい」と端的に問題点を指摘しています。そのとおりでしょう。
       以上のように、法律の不明確さから来る濫用の恐れは、どの面からみてもきわめて明白となっています。

3 1年単位の変形労働時間制の要件緩和の問題点は
  何も解明されていない

 「法案」による1年単位変形労働時間制の要件緩和が、労働者にもたらす被害をさらに拡大することにつながることは、衆議院労働委員会での質疑でも明らかになっています。そのうえ、変形労働時間制の導入にあたって不可欠な総労働時間の短縮についてはなんらの措置も講じられていないのです。これを放置したまま「法案」を採決に付すことは許されません。

(1) 政府は変形労働時間制がもたらす被害について明らかにしない

 1年単位の変形労働時間制の要件緩和が何をもたらすかについては、「法案」を提出した政府が一番熟知しているはずです。
 国立病院の看護婦には、連続17時間をこえる二交替制が導入されています。このなかで多くの看護婦から、自らの健康への不安と労働者の疲労が看護業務にもたらす悪影響が訴えられています。郵政職員には、夜勤と深夜勤または深夜勤と早日勤の2つの勤務を組み合わせて拘束16時間にもおよぶ一晩の勤務とする「新夜勤」が導入され、5年あまりで50人もの在職死亡が確認されています。政府は、自らが労働者に課している変形労働時間制のもとで、これだけの被害の実態があるのに、これに目をつぶったまま、さらにこうした被害を拡大させるような要件緩和を求めているのです。わが国では、深夜労働の法規制はありません。諸外国では当然に導入されている深夜交替制労働の場合の、勤務と勤務の間のインターバルも設けられていません。そのうえ、時間外・休日労働の上限規制がないのです(「法案」の時間外労働についての「基準」が法的拘束力がないことは既に述べたとおり)。
 1日あたりの実労働時間は無限定に拡大するおそれがあるのです。こうしたなかで、1年もの長期間におよぶ変形労働時間制の要件を緩和することは、労働者の健康と生活にとりかえしのつかない被害をもたらすものです。所定労働時間の上限を1日10時間、1週52時間とする根拠について、政府は「現行法の3か月以内でも1日10時間を限度いっぱい使っているケースが少ない。働き方に弾力性をもたすためだ」(5月15日伊藤労働基準局長)などと答弁しています。3か月以内でも1日10時間使っているケースが少ないのであれば、何故1年単位の上限時間を引き上げる必要があるのでしょうか。また、変形労働時間制は使用者側には労働時間を弾力的にするメリットはあっても、労働者にとっては、1日8時間労働制を崩され、自らの生活設計を阻害される大きな不利益があり、決して弾力的な働き方につながるものではありません。政府の答弁からは、1日・1週の上限時間の引き上げを必要とする根拠は何も見いだせないのです。
 井上浩参考人は、変形労働時間制について、「労働者の長期間の生活設計ができにくくなる。労働者も人間であり、労働し、夕食は自宅でとり、ゆっくり眠ることが必要である」と指摘しています。そして、同参考人と桑原昌宏参考人は、変形労働時間制については違反の罰則も設けられていないことの不備を指摘しました(5月18日)。いずれも当然の指摘です。
 にもかかわらず、変形労働時間制がもたらす被害をどうするかについて、政府からなにも説明はされていません。

(2) 総労働時間短縮のために変形労働時間制は有効ではない

 政府は、1年単位の変形労働時間制の要件緩和によって、週40時間制の実現がはかられるという説明しています。しかしながら、これはまったく意味のない根拠です。既に平成9年4月から週40時間制の適用猶予はなくなりました。いかなる企業も週40時間制を実施しなければならないのです。「中小企業が40時間をこなすために変形制を活用しながら定着を進めていることを理解いただきたい」(5月13日伊藤労働基準局長)というのは、労働行政による週40時間制の定着の責任を放棄したといわざるを得ません。
 政府が宣伝している変形労働時間制によって、総労働時間の短縮が実現できるというのもまったく事実に反するものです。
 「法案」は、変形労働の枠組みを拡大しながら変形労働制下の残業をみとめ、この場合の残業上限の法的規制を放棄しています。たとえば変形労働時間10時間の日であっても、さらに残業をさせることが出来るようになっています。しかも残業を含む1日の最長労働時間、週の最長労働時間については法的な上限規制がありません。つまり、実労働時間の短縮を担保する規制は何もないのです。
 深夜勤務を含む交替制労働に、変形労働プラス「青天井残業方式」が結びついたとき、労働者の労働と生活はとりかえしのつかない打撃を受けることになるでしょう。この点は、山田省三参考人も、変形労働時間制については、時間短縮が円滑に推進されるための制度が必要であり、それが前提となるが、現状では時間外労働の規制が不十分であり、そのために労働者の生活に多大な影響があることを指摘しました(5月18日)。
 「法案」と法案要綱では1年単位変形制の要件緩和に伴い、@所定労働日数の上限を定める、A連続労働日数を通常は6日とする、B時間外労働についての労使協定で定める時間について低い水準を設定する、などの制限を設けるとしています。しかし、年間実労働時間の上限規制、休日労働の規制、時間外労働や1日の実労働時間の合理的な法的上限規制がなければ、労働者の実労働時間の短縮や休日の増加にはつながりません。「法案」のいう「低い設定」は行政指導上の目安基準にすぎず、違反に対して罰則がなく、既に1、で詳しくのべたように民事的な効力もないのです。変形労働時間制がもたらす被害の防止にはつながりません。
 仮に、変形労働時間制の要件緩和、つまり拡大を導入するのであれば、少なくとも実効ある総労働時間短縮についての措置を講じることは不可欠であるのに、政府はそれについて何もこたえていません。

4 短期有期雇用契約制度の拡大およびこれと関連する
  派遣労働の全面自由化は安定雇用の原則を破壊する

 短期有期雇用契約制についても、要件が無限定で拡大を可能にすることが衆議院労働委員会の審議において明らかになりました。しかも、この制度の導入によって労働者にもたらされる被害は、労働者派遣法「改正」による派遣労働の自由化と不可分のものであるにもかかわらず、衆議院労働委員会での審議において、労基法の審議のみを先行させたことは、きわめて不正常なことです。

(1) 短期有期雇用契約制に歯止めはない

 「法案」の短期有期雇用契約の要件が、無限定な拡大を可能にするものであることが審議のなかでは明らかにされました。
 「法案」は、短期有期雇用契約の締結は「新たに就く者に限る」としていますが、国会審議で政府は、ある企業内で勤務している者との労働契約を合意によって終了した後に、同一企業内の別の事業所において短期有期雇用契約を締結することは法律上可能であると答弁しました(5月8日伊藤労働基準局長)。このことは、「新たに就く者に限る」という要件が、新たに雇い入れる労働者に限定するものではまったくないことを明らかにしています。短期有期雇用契約の新設に係わる条文については、違反を規制する法的手段が何もありません。
 したがって、使用者が労働者に対して、A支店での労働契約を終了し、B支店での短期有期雇用契約の締結を提示したとき、いったん労働者が使用者の強制によって従来の契約の解約に応じてしまえば、短期有期雇用契約を適用したことについては問題にできなくなるのです。これでは濫用には何も歯止めがかかりません。
 この制度のもとでは、期間の定めのない労働契約の労働者さえ、肩たたきリストラで退職の上、3年未満の有期雇用労働者に転化させる危険性がつよいことが明らかになったのです。
 対象となる業務についてもまったく抽象的な規定ですが、審議では高度な専門的能力を要する場合などと説明されているだけで、要件はまったく無限定なものです。
 短期有期雇用については、「労働者にとっての働き方の多様化というより、企業にとっての3年間の試用期間につながる」(山田省三参考人)、「労働者の実態をみると1年契約でもトラブルが生じており、3年有期雇用の導入によって終身雇用が減ると思われる」(桑原昌宏参考人)、「労働力のジャストインタイム、若年定年制につながる」(熊谷金道参考人)など、不安定雇用への置き換えが一気に加速化されることが指摘されています。「高度な専門的能力を発揮したいという労働者と、その能力を必要としている企業との意思が合致し、そのことによって労働者が有利な労働条件を確立していく」(5月8日伊藤労働基準局長)など到底期待できません。

(2) 派遣や短期雇用の拡大が終身雇用制を脅かすのなら、
  なぜ要件を緩和するのか?

 伊吹労働大臣は、裁量労働制の拡大に関連して、裁量労働制を導入しないと派遣労働などが増大して終身雇用制が維持できなくなると答弁しています(4月24日)。しかし、これはまったく逆立ちした理屈です。派遣労働は、現状の法律のもとでは対象業務が限定されています。それにもかかわらず派遣労働が増加しているのは、違法派遣を野放しにしている労働行政の責任です。しかも、労働省は、他方では派遣労働を自由化し、終身雇用制を否定する短期有期雇用契約制を新設しようとしています。まったく矛盾しています。もし、伊吹労働大臣が言うように、終身雇用制の維持のためであれば、派遣労働を自由化したり、短期有期雇用契約を導入する法案を撤回しなければなりません。
 労働大臣はこの矛盾にどのように回答するというのでしょうか。

第3 「修正案」で労働者の権利は守れるか?

1 「修正案」の『浮上』とその重大性

 衆議院労働委員会での審議中の5月中旬、「法案」案について小幅な「修正」をはかって一挙に可決・成立させようとする動きが浮上しましたが、おおくの国民、労働団体の反対の声のなかで「修正」は不成立、「継続審議」となりました。
 しかし、参議院選挙後の臨時国会における審議のなかで、ふたたび「修正可決」の企てがもちあがる可能性はけっして小さいものではありません。しかし、私たちはそうした「解決」は正しくないと考えます。ひとつには、すでにのべたように政治的状況が激変しているからです。もうひとつに以下にのべるとおり、この「修正案」の内容では、「法案」のもたらす「重大な弊害」をほとんど是正することができないものだからです。
 「修正案」での解決は、労働者の闘いのひろがりと国民世論の力で、通常国会で「継続審議」に追いこんだ成果を、一挙につき崩すことになります。
 そのことを明らかにするために、以下「修正案」の内容を批判的に検討することにします。

2 新裁量労働制にかかわる「修正案」の内容

 新裁量労働制にかかわる「修正案」はつぎのとおりです。

  1. 新たな裁量労働制を適用するに当り、対象労働者の同意を得なければならないこと及び不同意を理由として不利益取扱いをしないようにしなければならないことを「労使委員会」で決議することを、制度実施の要件とするものとすること。
  2. 労働大臣は、労働者の適正な労働条件の確保を図るために、中央労働審議会の意見を聴いて、対象となる業務その他「労使委員会」が決議する事項について指針を定め、これを公表するものとすること。
  3. 新たな裁量労働制の届出をした使用者は、命令で定めるところにより、定期的に労働時間の状況に応じた当該労働者の健康及び福祉を確保するための措置の実施状況その他命令で定める事項を労働基準監督署長に報告しなければならないものとすること。
  4. 新たな裁量労働制に係る改正規定の施行期日を平成11年4月1日から平成12年4月1日に延期すること。
  5. 政府は、新たな裁量労働制の規定の施行後3年を経過した場合において、当該規定について、施行の状況を勘案しつつ検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとすること。

3 新裁量労働制にかかわる「修正案」批判

労働者の同意権

 この「修正案」の最大の眼目が上記 「労働者の同意権」にあることは明らかです。新裁量労働制の弊害を労働者の「不同意」によって除去できるというのだから、大きな改良のようにみえます。しかし、はたしてこれが改良といえるのでしょうか。
 現実の職場は、圧倒的な資本の重圧のもとにあります。「能力なき者は去れ!」などと叫びながら企業が全労働者に新裁量労働制をおしつけるとき、個々の労働者が「不同意」を表明することは、企業に叛旗をひるがえすに等しいことです。かりに新裁量労働制の適用はまぬがれても、その労働者の職場における未来は完全に閉ざされることになります。リストラの対象となり、出向・配転命令をうけ、すくなくとも昇給・昇格の面では最低ランクにとどまることになるでしょう。
 現に疑似裁量制が実施されている電機などの大企業でも、頭打ちされた時間を超える残業を申告すれば、その分の時間外手当が支給されることになっています(まだ労基法改悪が成立していないのだから当然)。しかし、だれひとり申告していないのが実情です。申告すれば、「きめられた時間内に仕事を処理できない無能力者」とみなされてしまうからです。
 たしかに不同意を理由とした不利益取扱いは禁止されます。しかし「新裁量労働制を拒否したので解雇した」などという「正直」な経営者などいるません。「能力が低いから」リストラの対象とした、配転・出向先で求められる「能力を有しているから」配転・出向した、「公正な人事考課の結果」昇給・昇格を低ランクにとどめた、などという企業の「論理」をうちやぶることがどれほど困難なことか、容易に推測できるところです。
 実際には、「労働者の同意権」などがほとんど機能しないことは明らかでしょう。
 ここで角度を変えて、この問題を労基法の原理からも検討してみましょう。
 労働基準法の原理は、個々の労働者の同意・不同意にかかわらず、最低の労働基準を法律によって強制するところにあります。少数の「勇気ある労働者」の拒否権によって実現される状態(新裁量労働制の不適用)が最低労働基準として価値のあるものならば、それほど「勇気のない」多数の労働者にも法律の力で保障されるべきなのです。労働者の同意・不同意によって2つの労働基準(ダブル・スタンダード)を導入することは、労基法の基本原理をくつがえすものです。
 国会審議の経過にてらしても、この「修正案」はとうてい納得しがたいものです。新裁量労働制の導入について政府は、それによる弊害は「労使委員会」のチェックによって除去できる、と説明しました。しかし国会審議をつうじて、「労使委員会」のチェックはほとんど機能しないであろうことが明らかとなりました。こうした経過をふまえたはずの「修正案」が、個々の労働者の「同意権」でことたりるとするのは、非現実的といわなければなりません。複数の「労働者の代表」が参加する「労使委員会」ですらチェックできないものを、個々の労働者の「同意権」によってチェックできるはずがありません。逆に、「同意権」によるチェック機能が期待できるなら、「労使委員会」のそれは、いっそう有効なはずなのであって、なにも個々の労働者の「同意権」など不要なはずです。
 ―「同意権」で労働者の権利を守るというのは矛盾だらけであり、実効のないことは、あまりにも明白だといわなければなりません。

その他の「修正案」について

 新裁量労働制についてのその他の「修正案」を一括して検討します。
 上記Aは、もともと労働大臣が定めることになっていた「指針」につき、中央労働基準審議会(中基審)の意見を聴くことにするものです。
 「指針」そのものが、改悪労基法の枠のなかでさだめられるものにすぎず、しかも法的拘束力をもたないものです。それについて中基審の意見を聴くといっても、そもそも労働者側委員の反対意見を無視して労基法改悪を答申した中基審に多くを期待することができないのはいうまでもありません。
 上記Bは、使用者の報告義務を課するものです。報告の内容は「労働時間の状況に応じた労働者の健康・福祉を確保するための措置の実施状況」などだといいます。しかし、使用者は新裁量労働制によって労働時間の管理義務をまぬがれてしまうのです。その使用者が「労働時間の状況に応じた」実施状況など、報告しようにも報告できるわけがないのです。かりに「労働時間の状況」を把握していたとしても、それによる在職死亡や健康破壊を、ただ「報告」すればよいのだから、それによって労働者の状況を改善できると期待することはできません。
 上記Cは、新裁量労働制の施行期日を1年間延長するものです。しかしそれだけです。1年後には新裁量労働制が実施されるのです。その間に、労働者は「覚悟をきめておけ」とでもいうのでしょうか。
 上記Dは、3年後の見直し規定です。見直しは、政府が「必要があると認めるとき」にかぎっておこなわれるので、必ず見直されるわけではありません。「必要な措置」が労働者にとって有利なものになるという保障はなく、見直しの結果、改悪される危険もあります。
 ―以上のように「労働者の同意権」以外の「修正」点も、なんら新裁量労働制の弊害を除去するものではないのです。

4 激変緩和措置にかかわる「修正案」の内容とその批判

「修正案」の内容

 時間外労働に関する激変緩和措置についての「修正」案はつぎのとおりです。
 労働大臣は、激変緩和措置として特定労働者に係る労働時間の延長の限度等についての基準を定めるに当っては、1年当たりの労働時間の延長の限度を、現行の女子保護規定で1年についての時間外労働の限度として規定する150 時間を超えないものとしなければならないものとすること。

「修正案」の批判

 これは、もともと定められることになっている激変緩和措置の内容として、年間の時間外労働の限度を150時間とすることを定めるものです。これまで明らかにされなかった激変緩和措置の時間外労働の限度を明示させたことは無意味なことではありません。しかし、これによって激変緩和措置が実効性あるものとなったとは、とうてい言えないものです。
 もともと激変緩和措置は、労働大臣の定める「目安」にすぎず、なんら法的効力のないものです。そのうえ、適用範囲の狭さや適用期間の短さなどにつよい批判がありました。たとえば子どもの養育については6歳未満に限られ、それも家族に子どもの養育にあたれるものがいれば適用されないのです。適用期間は1年にすぎません。「修正案」は法案のこうした基本構造を改めるものではありません。
 しかも、深夜労働や休日労働にはまったくなんの歯止めもかけていません。これでは、男女共通の時間外規制(罰則付きの法的規制)を求める労働者の切実な要求に応えるものとは、とうていなっていないのです。

5 深夜労働にかかわる「修正案」の内容とその批判

深夜労働に関する「修正案」の内容

 深夜労働に関する「修正案」は、つぎのとおりです。国は、深夜業に従事する労働者の就業環境の整備、健康管理の推進等のための事業主、労働者その他の関係者の自主的な努力を促進するよう努めるものとすること。

「修正案」の批判

 わが国では、なんら公共的意義をもたない業種についても深夜業が野放しにされてきました。これが医学的・社会的に重大な悪影響をおよぼしていることは、かねてから指摘されてきたところです。そのうえ、「女子保護」規定の撤廃により女性労働者についての規制もとりはらわれました。
 深夜労働にたいする男女共通の労働時間規制がもうけられるべきことは当然であるのに、「法案」では見送られたのです。上記の「修正」部分はこれに対応したものですが、これがほとんど実効性をもたないことは明らかです。「努力義務」がなんの効果もないことは、男女雇用機会均等法の経験によっても明らかですが、この「修正」部分は、なんと「二重の努力義務」の構造になっているのです。事業主等は環境整備等の「努力義務」を法によって直接に負うのではなく、そのような努力を「促進するよう努める」国の「努力義務」によって負うのです。国が「努力義務」をはたさない場合も、国ははたしたが事業主等が努力しない場合も、なんの効果もあがりません。国も、事業主等もその「努力義務」をはたさなかったからといって、なんの制裁をうけるものでもありません。
 これによって深夜労働に対する実効ある規制がおこなわれると言うのは、あまりにも事実に反するものといわなければなりません。

6 「修正案」にたいする総合的評価

     −−−連合の対案(修正案)とも「天地の差」

 私たちは悪法阻止闘争において、すべての「修正」を不可とするものではありません。さまざまな客観的条件のもとで、一定の譲歩や妥協もやむをえないことがあるのは承知しているつもりです。しかしその場合でも、悪法の悪法たる根幹部分の除去または是正が不可欠です。それ以外の「修正」とひきかえに悪法の成立を許すようなことがあってはならないものと考えます。私たちは基本的には、「法案」を廃案にすべきことを主張してきました。また連合がこれまで表明してきた「対案」(実質的には修正案)も、基本的には改悪の根幹部分の除去・是正をめざすものであります。「新裁量労働制はいったん白紙にもどすこと。罰則つきの男女共通の時間外規制(当面、年間360時間)を法律で定めること。これらが受けいれられなければ廃案も辞さないこと」という連合の「対案」は、時間の上限などについての不満が残るものの、「法案」による改悪の根幹部分を是正しうるものと評価するからです。
 これにたいし、「修正案」の内容は、すでに個々に検証してきたとおり、とうてい改悪の根幹を是正するものとはなっていません。一部野党が、なぜこのような修正でも「よりましなもの」とし、いったんは応じようとしたのか、理解に苦しむものです。(あるいは、参議院選挙での自民党大勝の予想にひきづられたのかも知れません。)
 これにたいし、今回の「修正」劇で反対にまわった社民党の見解には聴くべきものがあります。同党は、たとえば新裁量労働制につき、個々の労働者の「同意」などという主観的要素にかかわらせることに反対し、裁量労働制の枠づけを「業務の性質上……使用者の時間管理が困難な業務」など客観的基準で設定することを主張しています。これは、現行の11業種をいくらか拡大する結果になるかもしれないが、すくなくともすべてのホワイト・カラー労働者に裁量労働制を拡大しようとする今回の改悪の根幹部分を是正するものと評価できるものです。

 いずれにせよ、私たち、きたるべき臨時国会において、@このような小幅な「修正」による法案成立には断固として反対し、参議院選挙で明らかになった国民の審判に確信をもって労基法改悪案は廃案にするしかないこと、Aせめて連合の「対案」をも下回る「修正」では絶対に妥協しないこと、Bこの機会に男女共通の労働時間の法的規制をかちとること(万一、不可能なら女子保護規定の施行を延期すること)を、つよく訴え、私たち自身もそのために奮闘するものです。