<<目次へ 【意見書】自由法曹団


PKF本体業務の参加凍結解除に反対する意見書

1999年11月
自 由 法 曹 団

はじめに

一九九九年五月二四日、日本がアメリカとともに海外での戦争の一翼を担う新ガイドライン関連立法ー周辺事態法等が成立した。そして、一〇月四日、自民党、自由党、公明党のいわゆる自自公連立政権の合意書は、九九年一一月二九日に召集された臨時国会に、PKF本体業務参加について凍結を解除するPKO法「改正」法案を提出することを確認した。
 PKO法案(国連平和維持活動等協力法案)は、一九九二年六月、自民党に加え、当時の民社党・公明党の賛成を得てようやく成立したものである。その際、PKF本体業務は、海外で武力行使に及ぶおそれの強い活動であって憲法に違反するとの指摘があり、その参加に反対の声が強かったため、これを凍結することにしたのである。
 そもそも、海外に武装した自衛隊を派兵し、武力行使に及ぶことをも容認するPKO法案そのものが憲法違反である。自衛隊の海外派兵が憲法上許されないことは、参議院が一九五四年に行った「自衛隊の海外出動をなさざる決議」などで繰り返し確認されてきた。私たち自由法曹団は、当初からPKO法案に反対し、法案成立後も、カンボジアPKOに対する現地調査活動なども行い、自衛隊の海外派兵に反対する取り組みを続けてきた。
 なかでもPKF本体業務は、武力行使に直結する活動であって、日本国憲法の平和原則からとうてい認められるものではない。海外での武力行使を否定していた政府見解からいっても、憲法上認められないのである。
 私たちは、日本がPKFの本体業務まで参加して、海外で武力行使を行うことは断じて許し難いと考える。本意見書は、次のとおり、私たちの立場を明らかにするものである。
 第一に、PKF本体業務へ参加することが、海外での武力行使を伴うものであり、明白な憲法違反となることをあらためて明らかにする。
 第二に、国連のPKOがいっそう武力介入の要素を強くしている状況を明らかにする。
 第三に、PKO法案成立後に進められてきた自衛隊の海外派兵の問題点について明らかにする。
 第四に、特に、九八年のPKO法の「改正」で武力行使・交戦権が事実上認められたもとで、海外での武力行使に直結する危険性を指摘する。
 第五に、PKF本体業務への参加は、PKO参加五原則にも反することになることを明らかにし、政府が説明してきた憲法の枠すら逸脱するものであることを指摘する。
 最後に、アメリカの戦略との関係及び現在検討されているチモールへの自衛隊派兵のねらいと問題点にもふれ、私たちの立場をあらためて強調したい。

一 PKF本体業務参加は明白な憲法違反

 国連のPKO(Peaceーkeeping Operationsー平和維持活動)は、従来、「紛争地域の平和の維持もしくは回復を助けるために国際連合によって組織される軍事要員をともなう活動で、強制力を持たない」ものであって紛争当事者の合意と協力を基盤とするものといわれてきた(国際連合「ブルーヘルメット」一九八六年、講談社)。軍事監視員や歩兵部隊などの軍事要員を含む点で、文民のみで構成される選挙監視活動とは異なる。
 PKOの中には、休戦協定が遵守されているかどうか停戦監視を主とする非武装の軍事監視団、歩兵部隊による平和維持軍とがあり、日本では、後者がPKF(国連平和維持軍)活動と呼ばれてきた。すでに指摘したように、PKO法の成立にあたって、このPKF活動のなかで、輸送などの後方支援活動への参加は認めることとしたが、PKF本体業務への参加は凍結されてきたのである。
 PKO法で凍結されたPKF本体業務は次のイからへまでの活動である(三条三号、同法付則二条)。
イ 武力紛争の停止の遵守の監視または紛争当事者間で合意された軍隊の再配置若しくは武装解除の履行と監視
ロ 緩衝地帯その他の武力紛争の発生の防止のために設けられた地域における駐留及び巡回
ハ 車両その他の運搬手段又は通行人による武器(武器の部品を含む。ニにおいて同じ)の搬入又は搬出の有無の検査又は確認
ニ 放棄された武器の収集、保管又は処分
ホ 紛争当事者が行なう停戦線その他これに類する境界線の設定の援助
ヘ 紛争当事者間の捕虜の交換の援助
 これらの活動については、国際的には「軽武装が許され、武器の押収、検問所突破の阻止や特定の任務の遂行に対する妨害の排除など、厳密な意味での自衛の範囲を超えた強制力の行使を認可される場合がある」とされている。例えば、一九六四年九月一〇日に提出された国連事務総長の国連キプロス平和維持軍(UNFICYP)に関する報告書の中では、最小限の武器の使用が許されるケースとして、PKO部隊が、@彼らの司令官の指示で占拠している陣地からの武力による立ち退きを強要された場合、A武装解除を強要された場合、B司令官から命令された任務の遂行を武力で阻まれた場合、等があげられているという(川端清隆・持田繁著「PKO新時代、国連安保理からの証言」岩波書店)。
 軽武装といっても、一二〇ミリ迫撃砲、対戦車ロケット砲、自動小銃・重機関銃、装甲車も使用されているのであるから、かなりの装備である。そして、現に、コンゴ国連軍による戦闘機による爆撃をはじめとして、過去たびたび戦闘行為等も発生しいる。そして、PKO活動に参加した要員の犠牲者は、一九九八年九月一日までに一五八一人もの多数に達しているという(江畑謙介著「安全保障とは何か」平凡社新書)。
 日本国憲法は、侵略戦争の反省のうえに、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する。」とし、「陸海軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」と規定している。
 PKFの活動は海外で武力行使を伴う活動であって、これが憲法に違反するものであることは明らかである。

二 武力介入に及ぶ国連PKO活動

 湾岸戦争が終わった一九九二年の六月、国連ガリ事務総長は、安全保障理事会に「平和への課題」という報告書を提出した。ガリ事務総長は、その中で、侵略が予想される場合、すなわち従来前提とされた停戦協定などがなくとも国境にPKO部隊を配備する「予防展開」や、PKOより重装備で停戦合意の履行の確保など限定的な目的に限って武器の使用が認められる「平和執行部隊」の創設を提唱した。
 その後の国連PKOも、従来のPKOの任務を拡大して展開されてきた。カンボジア暫定統治機構を経て、ユーゴスラビア、ソマリアやルワンダなどで展開されたPKOは、国内問題へ本格的に関与し、停戦の監視や確保のみならず、強制的な武装解除や軍隊の解体にまで及ぶ活動が任務とされた。そのため、投入される兵力の規模も飛躍的に拡大し、それぞれ二万人を超えるものとなった。旧ユーゴスラビアに展開された国連防護軍は一時四万人近くにまで及んだ。しかも、必ずしも武力紛争が終結しているとはいえない状態で投入されるので、停戦合意があったとしても、それが遵守される可能性は低く、そのために、従来のPKO活動と比べて強力な任務を要請され、これまでのPKOは参加していなかった国連常任理事国など軍事大国が参加するようになっている。
 国連PKOのこのような変化は、経済的にも多大な利害関係を有する軍事大国が参加し、かつ、武力行使を伴うことがいっそう多くなるため、PKOそのものが武力紛争の当事者化してしまう結果を招く。そのために、当初、人道を目的としたPKO活動も、重要な原則とされていた中立性が失われてしまうおそれが生ずる。例えば、旧ユーゴスラビアでは、安全地帯に展開していた国連防護軍に対して攻撃を加えたセルビア軍に、NATO所属の米軍戦闘機が出撃する事態となった。また、ソマリアでも、国連PKOによる武器の押収に抵抗する勢力からロケット弾などによる本格的攻撃が行われ、PKO部隊との間で銃撃戦などが展開されて、戦争状態となった。それらは、国連の活動として認められている限定的な武力行使の範囲すら逸脱するものである。
 このように国内の紛争へ国連が軍事介入することについては、権力闘争を不安定なままで固定し、事態の根本的な解決を妨げかねないという危険性が指摘されている(以上、前出「PKO新時代ー国連安保理からの証言」参照)。いわば、武力によっては、紛争の根本解決は実現できないことこそ、この間のPKO活動で明らかにされたといえる。
 この間、数度にわたって米軍をはじめとして組織され、国内紛争への軍事介入をおこなった多国籍軍の問題も同様である。
 このような軍事介入や武力行使を行うPKO(PKF)に対する自衛隊の参加が日本国憲法の平和原則に反することは明白である。

三 自衛隊の派遣によって明らかとなったPKO法の問題点

 PKO法成立後、日本は、PKOに次々と海外に自衛隊を派兵して参加してきた。
 @ カンボジアPKO(一九九二年九月〜一九九三年一〇月)
 A モザンビークPKO(一九九三年九月〜一九九五年二月)
 B ザイール・ルワンダ国境における国連難民高等弁務官事務所の活動に対する「国際 平和協力業務」(一九九四年九月〜一二月)
 C ゴラン高原に展開する「国連兵力引き離し監視隊」(UNDOF)への自衛隊派遣 (一九九六年一月〜現在)
 これらの自衛隊派遣派遣によって、PKO法の持つ矛盾が事実をもって浮き彫りになった。
 カンボジアPKOでは、ポルポト派による停戦違反が日常化していたにもかかわらず、政府は「停戦合意は守られている」との立場に固執し、業務の中断・撤収は全く検討されなかった。この中でボランティアの中田さんと警察官の高田さんが犠牲になるという惨劇が生じた。また、「道路補修」の任務のために派兵された自衛隊が実際には法律上凍結されているはずの「武装パトロール」業務に従事するという問題も起こっている。
 ザイールへの自衛隊派兵は、国連の要請もないまま日本単独で自衛隊が派遣されたものであり、はたして自衛隊の派遣が必要かどうかも疑問なものであった。
 ゴラン高原の「兵力引き離し監視隊」は、PKO法で凍結されているPKFの「本体業務ではなく後方支援活動である」との「理由」で派遣が強行された。しかし、現に自衛隊は小銃や機関銃などでの射撃訓練等も行っており、輸送などの後方支援活動と本体業務は一体のものであって、実質的な区別がされているものではないことが明らかとなっている。
 このようにPKO法のもとで行われた自衛隊の海外派兵は、はじめに「海外派兵ありき」ということで実施されていったものとみるほかはない。

四 九八年PKO法改悪のもとで武力行使と直結する活動

 政府は、PKO法が、「憲法九条で禁止された『武力行使』あるいは『海外派兵』にあたるという懸念はいささかも無い」と強弁してきたが、その理由として、「武器の使用は、我が国要員の生命又は身体の防衛のために必要な最小限度のものに限ることとしている」と主張してきた(一九九二年六月一五日、PKO法成立に際しての内閣総理大臣談話)。PKO法案の審議に際しても、政府は、「刑法の正当防衛や緊急避難に当たる場合であって、一人ひとりの隊員の判断で武器を使用することしかない」「だから武力の行使にあたらない」という答弁を繰り返し行った。そもそも「武器の使用」が「武力の行使」にあたらないなどという解釈は成り立たないが、政府がこうした矛盾に満ちた答弁を繰り返したのは、「組織的な武器の使用は憲法の禁じる武力行使にあたる」ということを認めざるをえなかったからにほかならない。
 ところが、九八年PKO法「改正」では、政府の見解をいとも簡単に変更し、「小型武器又は武器の使用は、当該現場に上官が在るときは、その命令によらなければならない」として、正面から上官の命令による武器使用を認めてしまったのである。上官の命令によって、組織的に武器を使用することは、部隊としての応戦すなわち自衛隊の海外での「武力行使」を認めることにほかならない。
 このように、自衛隊の武器使用が結局は部隊としての武器使用=憲法違反の武力行使にいきつくことが明らかになった以上、自衛隊の派遣そのものが見直されるべきなのである。ましてやPKO法を国会で修正してPKF本体業務へ公然と参加することは、これに全く逆行するものであり、自衛隊が海外での武力行使に踏み出す道を拡大するものに他ならない。

五 PKO五原則をも無視する凍結解除 

一九九二年、政府は、国連の活動への「協力」を口実に、あくまで自衛隊の海外派兵を実現しようとPKO法を強行成立させた。このとき、PKOへの自衛隊の派遣が憲法に違反しない「理由」として政府が持ち出したのが、いわゆる「PKO参加五原則」であった。
 この五原則とは、
 @ 紛争当事国間に停戦合意が存在すること
 A 派遣先の受け入れ同意が存在すること
 B 中立性が確保されること
 C 以上(@〜B)の前提が崩れた場合に業務を中断し、撤収すること
 D 武器使用は、隊員個人の生命防護のための必要最小限にかぎること
   (組織的な武器使用は行わないこと)
 そもそも、PKO法案審議の中でも、すでにこの「五原則」は何らの歯止めにならないことが指摘されていた。第一に、国連の諸文書によれば、PKOは国連の指名する司令官の統一的指揮下にはいることが要請されるので、中断・撤退・武器使用などについて日本が国連や他の国と全く独自の行動をとることは不可能である。第二に、上官の命令なしに個々の自衛隊員が武器使用についての判断をするなどということは通常考えられないことである。
 そして、九八年、前述のように、政府自民党は、上官の命令によって、組織的な武器使用=武力行使を容認するPKO法の改悪を強行した。
 さらに、前項で指摘したように、湾岸戦争以降、国連PKOは、従来の規模や役割を大きく変更している。停戦合意が成立する以前から軍隊を派遣する予防展開、さらには、軍事大国が参加して、PKO自ら戦闘行為を行うなど中立性を欠如させている実態を見るならば、政府が確認した「五原則」の実現など非常に困難となっている。
 結局、今日、PKO一般への参加はもとより、PKF本体業務への参加凍結も解除して、自衛隊を海外派兵しようとすることは、政府がPKOへの自衛隊派遣の「合憲性」の「根拠」としていた要件をも投げ捨てようとするものにほかならない。政府がどのように説明しようとしても、もはや参加凍結の違憲性は疑う余地がない。

六 PKF本体業務の参加凍結の解除は許されない

1 拡大する戦争への道
 東アジアで一〇万人の兵力維持を確認したアジア・太平洋地域の安全保障戦略報告等でも再三指摘されているように、アメリカにとって、アジア・太平洋地域は、その死活にかかる利害を有している。
 そして、アメリカは、在日米軍基地の強化をはじめ、日米安保条約をさらに拡大し、自らの行う戦争や軍事介入に対する日本の参加・協力を強く求めている。一九九六年四月一七日の日米安保共同宣言、一九九七年九月二三日の新ガイドラインがそれを明確に示している。
 この新ガイドラインそして、「周辺事態法」等により、日本は、アメリカの行う戦争や軍事介入のために、米軍と共同して海外での軍事行動、武力行使に及ぶ道に踏み込もうとしている。
 PKO参加などについても、日米安保共同宣言では、「両国政府が平和維持活動や人道的な国際救援活動等を通じ、国際連合その他の国際機関を支援するその他の協力を強化する」と位置づけている。さらに、新ガイドラインでも、「日米いずれかの政府又は両国政府が国際連合平和維持活動又は人道的な国際救援活動に参加する場合には、日米両国は、輸送、衛生、情報交換、教育訓練等における協力の要領を準備する」と具体的に約束しているのである。
 このように今回企図されているPKF本体業務の参加凍結の解除は日米安保共同宣言新ガイドラインでアメリカと約束したことを実行する視点から画策されているのである。
 他方、PKF本体業務への参加凍結解除は、日本の軍事力の海外進出に関わる問題でもある。海外での利権や経済的利益を確保するために海外で軍事的な支配を及ぼそうとする軍事大国の姿勢を示すものといわざるをえない。
 現在すすめられようとしている西チモール(インドネシア)への航空自衛隊輸送機部隊の派兵にも、そのことが、示されている。西チモールには、独立を決めた東ティモールから約二十万人の避難民が流れ込んでいるという。しかし、日本は、東ティモールに武力侵攻して併合を宣言したインドネシア政府を支援し、最大級のODA援助を続けてきたほか、インドネシアに対する国連非難決議に反対してきたのである。日本政府は、東チモール問題に対する態度を抜本的に改め、平和的手段による活動に徹するべきである。間違っても、自衛隊の派兵を強行すべきではない。
 以上のように、今回の凍結解除は、前述した日米安保共同宣言、新ガイドラインにもとづき日米共同して海外で戦争する道をいっそう拡大するのみならず、日本が軍事大国として海外進出することが、その背景やねらいにあるといわざるを得ないのである。

2 国際平和の声に逆行する憲法違反
 このような方向は、戦争放棄、軍隊の不保持を明記し、平和的生存権を明確にした日本国憲法のもとで、絶対に取ってはならない選択である。憲法で明らかにされた武力によらない平和の実現こそ、国際的にも重視されなければならないのであって、そのことは、一九九九年五月にハーグで開かれた世界平和市民会議でも、「憲法九条のように政府が戦争をすることを禁止する各国議会の決議を求める」こととして確認されている。PKO法を改悪して、PKF本体業務に参加し、自衛隊を海外に派兵することは、このような世界の流れと全く逆行するものである。
 以上明らかにしたように、私たちは、PKF本体業務への参加凍結を解除するPKO法改悪に断固として反対するものである。