<<目次へ 【決 議】自由法曹団


人権擁護法案に反対し、廃案を求める決議

 政府は今国会に人権擁護法案を提出し、その成立をめざしている。しかし、人権擁護法案には、経過においても内容においても看過できない問題点がある。

人権擁護法案は、地域改善対策協議会から具申された意見「同和問題の早期解決に向けた今後の方策の基本的な在り方について」(1996年5月)、人権擁護施策推進法の成立(同年12月)、同法による人権擁護推進審議会の設置、同審議会の二つの答申「人権尊重の理念に関する国民相互の理解を深めるための教育及び啓発に関する施策の総合的な推進に関する基本的事項について」(1999年7月)、「人権救済の在り方について」(2001年5月)という流れの中で提案されている。

 このような経緯から、人権擁護法案は、多くの人権課題の中でもとりわけ同和問題を重視して作られてきたことは疑いない。

 同和問題については、1969年の同和対策特別措置法以来順次作られてきた特別立法がその目的を達したと評価され、2002年3月に完全に失効したという背景がある。これに対し、部落解放同盟は、1969年からいわゆる「窓口一本化」政策を始め、1985年からは「部落解放基本法」の制定要求運動を開始した。部落解放同盟の方針は、部落差別は実態としてなお深刻であること、国民の間に根強く残っている「差別意識」(内心の問題)の解消が重要課題であること、を認知させて、差別確認・糾弾運動の路線を維持していくことにあると考えられる。

 戦後の同和問題の歴史と人権擁護法案が浮上してきた経緯と背景とを考えると、人権擁護法案は「部落解放基本法」と思惑を共通にした同質性をもつと評価せざるをえない。この経緯と背景に対する警戒の目なくして本法案を見ることはできない。

また、人権擁護法案は、国連の「国内機構の地位に関する原則(いわゆるパリ原則)」(1993年)などを意識して作成されたという経緯もあるが、人権擁護法案の内容は、パリ原則が国内人権機関の在り方として求めている@権限と責務の独自性、独立性、A機構の独立性と多様性の保障、B活動方法とその民主性、などの要件を満たしておらず、これら国際的潮流が求める内容に適ったものとはなっていない。

 法案の内容についても、@機関の独立性がない、A「人権」「人権侵害」の定義が欠如し、かつ不明確である、B禁止の対象となる「人権侵害行為」の態様があいまいで広すぎ、追及による新たな人権侵害を生む危険性を有している、C職権調査と民間への調査嘱託の規定が権力介入を生む危険性を有している、D適正手続きの視点を欠く、などの問題点を有している。Eまた、法案が報道機関の報道によるプライバシー侵害等を特別救済手続きの対象にしていることについては、十分な議論を経た上で、規制の適否、方法、要件など慎重に検討すべきである。報道が言論・表現の自由の一環をなすものとして現代社会において重要な位置を占めることに配慮し、公権力による安易な報道規制は権力による言論の統制に連なり、国民の知る権利を奪う危険を持つものと認識すべきである。Fそして何よりも、救済の範囲について、規定されているもの以外の人権侵害、とりわけ最も救済の必要性の高い公権力による人権侵害についてはどう扱われるのかが不明確なままである。これまで幾多の人権侵害は、主として公権力によってなされてきた歴史的事実を見逃すわけにはいかない。公権力はその権力の大きさ、チェック機能のなさ、不十分さゆえに濫用されやすい性質を本来的に持っている。そして一旦濫用された場合には、抑止・救済する機関がないゆえに、被害が大きいものになる。本来何よりも優先して防止されるべきは公権力による人権侵害である。

 自由法曹団は、人権擁護のための機関、施策の必要性を否定するものではない。しかし、今国会に提出されている人権擁護法案については、人権擁護よりもむしろ公権力の権限濫用の危険を内包するものと考え、人権擁護に資するものではないと評価し、その成立に強く反対する。

 そして、人権擁護法案を廃案にすることを求めるものである。

上記 決議する。

2002年5月27日
自由法曹団2002年研究討論集会