<<目次へ 【声 明】自由法曹団


寺西裁判官分限事件最高裁決定に対する談話

 一二月一日付けで最高裁判所は、仙台地方裁判所寺西和史裁判官に対する分限裁判に関する抗告を棄却し、分限処分を肯定する決定を下した。
 この事件は、寺西裁判官が本年四月一八日、東京における組織犯罪立法(盗聴法など)に反対する集会に出席して、「予定していたパネリストとしての発言を辞退する」旨発言したことを捉えて、仙台高等裁判所が本年七月二四日に裁判所法五二条一項後段により禁止されている「積極的に政治運動をすること」に該当するとして戒告処分をなしたことを争っていたものである。
 ところが、今回の決定は、仙台高裁の認定を越えて事実認定においてこの発言を「本件集会の参加者に対し、本件法案が裁判官の立場からみて令状主義に照らして問題のあるものであり、その廃案を求めることは正当であるとの抗告人の意思を伝える」ものと決めつけた。これはまさに事実のねつ造と言わざるを得ず、認めることは出来ない。
 さらに、法律判断において「本件集会は、単なる討論集会ではなく、初めから本件法案を悪法と決め付け、これを廃案に追い込むことを目的とするという党派的な運動の一環として開催されたもの」として裁判官が参加し発言することは厳に避けなければならないと断定している。しかし、盗聴法は国民の通信の自由やプライバシーの権利を侵害し警察権力の暴走を許すものであり、自由法曹団をはじめとする多くの団体が集会等を含む反対運動を展開してきている。この決定は盗聴法のような悪法に対する国民の法案反対運動自体を非難し中傷するものとして絶対に容認できない。同時に裁判官が国会に提出されている法案に関する市民的集会に参加し発言することを否定する民主主義欠如の時代錯誤の判断といわざるを得ない。
 ただ、今回の決定には弁護団活動の反映として、五人の裁判官の画期的な反対意見(少数意見)がつけられている点に注目しなければならない。このことは、この決定(多数意見)が事実認定や法律上の判断において多くの問題点がある根拠薄弱なものであることを物語っている。
 本件で争われてきた裁判官の市民的自由は、「自由で独立した、憲法のみに従う裁判官」を求めるすべての国民の課題である。
今日最高裁判所を頂点とした裁判官に対する官僚的統制は裁判官の独立と自由を大きく侵害している。特に、市民的・政治的自由は厳しく制限されて、自己規制を過度に求められ、官舎と裁判所の往復さえ公用車で行き来し、その交際範囲も限定され市民社会と没交渉の生活を強いられてる。このような状況の下にある裁判官に、国民の苦しみや悩みを十分に受け止める感覚を求めるのは困難である。
 今回の最高裁判所の決定は、このような裁判官に対する統制をさらに強化する危険性があるばかりでなく、すべての裁判官の生活を萎縮させ、自己規制を一層強める効果を生むことになるだけに、到底容認できないものである。
 自由法曹団は、「自由で独立した裁判官」を求める多くの国民・団体の方々とともに今回の決定について問題を提起し、国民的論議を呼びかけ、裁判官の市民的自由を擁護・発展することをめざすとともに、国民の「自由で独立した裁判官」による裁判を受ける権利を確立するため法曹一元制度の実現など司法の民主的改革に全力を挙げるものである。

一九九八年一二月三日
自 由 法 曹 団
幹事長 鈴 木 亜 英