団通信982号(4月21日)

地裁労働部の動向と反撃の視角

東京支部 上 条 貞 夫

 昨年秋から今年にかけて、東京地裁労働部は、従来の判例法理をかなぐり捨てて、リストラ解雇にフリーハンドを与える新判例をつくろうとする、異様な動向が顕著にみられる。その分析と批判は、すでに日本労働弁護団の三月二日付見解「解雇権濫用法理と整理解雇法理を変質させる東京地裁労働部を糾す」に詳しく述べられている。ここで、なぜ、そのような動向が生じたのか、反撃の手がかりは、どこにあるのか、この角度から問題をとらえ直してみたい。
一、七〇年代にオイル・ショックの情勢のもとで、全国各地で一方的な整理解雇に対する反撃が、裁判も含めて一せいに、したたかに闘われた。そのなかで、解雇の原因に立入った論争、審理が深められた。そこから、解雇のやむを得ない必要性、回避努力、人選基準の公正、労働者側との協議、といった判断基準が、全国各地の裁判所で共通の判例法理(四要件)としてクローズアップされた。その裁判例は七〇年代後半に集中して各地合計一〇件を数える。
 これに対する逆流が、今回までの間に、三回あった。まず、四要件の枠組みを形だけ残しながら内容を骨抜きにした東洋酸素仮処分事件・東京高裁判決(七九年)。しかし、この判決の論理は、たちまち高裁レベルで破られ、四要件の法理が再確認された(八二年高田製鋼所事件判決、八五年名村造船事件判決。いずれも大阪高裁)。二回目の逆流は最高裁行政局見解による(八六年)。その影響も一時、地裁レベルに生じたが、やがて運動はこれを乗り越え、九〇年代に入ると、千代田化工建設事件の、東京高裁、最高裁判決が、四要件の法理の豊かな到達点を刻んだ。ここで三回目の逆流が、四要件をスリ抜ける「変更解約告知」の論理となって九四年の東京地裁決定(スカンジナビア航空事件)に現われた。しかし、その新論法は、当該争議によって粉砕され、後に別件で大阪地裁でも否定された(九八年、労働衛生センター病院事件判決)。
二、整理解雇制約の法理は、たたかいの中で生まれ、たたかいの中で逆流を乗り越えてきた。これを一挙に、くつがえそうとしたのが、九九年三月、在日米国商工会議所から高村外相に手交された「九九年版・日米貿易白書」で、そこには日本の裁判所の解雇制限の法理がグローバルな企業活動を妨げる、と身勝手な非難が露骨に述べられていた。九九年秋から集中した東京地裁の異例の動向は、まさにこの米日財界の強い要求がストレートに反映したものにほかならない。いまこそ、政治的に視野を広げた分析と反撃の指針を、団の討議の中から打ち出さなければならない。それは、これまでのたたかいの実績をふまえて、十分に可能である。


管理型最終処分場建設差止め 仮処分決定報告

福岡支部  高 橋 謙 一

1、鹿児島県鹿屋市上祓川地区に建設が計画されていた管理型産業廃棄物最終処分場に対して、住民がその建設の差止めを求めていた仮処分事件について、鹿児島地裁は本年三月三一日に住民の請求を認容する仮処分決定を出しました。管理型産業廃棄物処分場の建設差止めを認容した決定・判決としては全国で初めてのものであり、かつ、申請より決定までわずか八ヶ月という最速記録を打ち立てた画期的決定と言えます。
 決定の内容については別に譲るとして、このような勝利を勝ち取りえた勝因について報告させていただきます。

2、住民の強い反対にもかかわらず、鹿児島県は九八年七月三日に設置戸可を出しました。そこで早速住民は三五〇人の仮処分申請団を結成し、弁護〔も数日内に申請書を完成させました。このようにいつでも提訴できる状態にした上で「ぜひ計画の安全性について説明してほしい」と業者に訴えました。そして計画地の前に「見張り小屋」を建て、住民が交代で連日監視し、工事の車両が入ろうとすると見張り番がサイレンを鳴らします。すると農作業中の住民が七、八〇人駆けつけ、車両の前に立ちふさがって口々に「きちんと説明をするまで工事に着手しないでほしい」と訴え、車両の進入を防ぎました。こうして実に一年近く着工を事実上阻止してきました。九九年七月中旬、ついに警察より「こういう状況てほぼ一年たっており、もうそろそろ『要請』とはいえないと思うのだが」との指導を受け、私たちは満を持して用意していた仮処分申請をしました。立証活動を一週間で終え、裁判所に対して「すぐ決定を出してほしい」と迫ったところ、裁判所は「まあこういう事件ですから債務者の意見も聞かざるを得ませんので。ただ、決定が出るまで工事を中断するように勧告します」と言ってくれました。そして実際業者は裁判所の勧告を受け入れざるをえなかったようで、工事車両は引き上げました。この時点で、私たちは、勝利を確信しました。この後、私たちは立証活動は殆どしておりません。判決まで八ケ月間もかかったのは単に債務者側が引き伸ばしたからに過ぎないのです。

3、本件の勝因はひとえに、住民自らが一年間がんばって工事に着手させなかったことに尽きます。これにより、住民の結束が強まると同時に、そこまで住民に要求されてもなお安全性について業者が説明しないことから、本件処分場が安全でないという印象を内外に明らかにしました。
 また、こうして住民が耐え忌んだ一年間の間に、処分場を巡る全国の情勢は各地反対住民の努力により住民側に極めて有利となり、全国的に「処分場建設を許すな」というコンセンサスが確立されつつありました。弁護団はこの追い風を満身に受け、しかも住民が身を持って稼いでくれた一年間という貴重な時間をフルに利用し、当時の水準から見てほぼ完壁な主張・立証を、申請後わずか一週問で終了しました。
 従って今回の勝利は間違いなく現地住民及ぴ全国住民の運動の成果です。

4、そもそも弁護団自身も法廷闘争に割いた時間は全体の一割にも満たない程度で、残りの大部分の時間を法廷外闘争に費やしました。
 まず何といっても第一に、住民に現在の住民の要求とそれを獲得する運動が正当かつ有効であることを確信してもらうよう、協議を重ねました。その過程で、団が発行した「自由法曹団への招待」も活用させていただきました。他方、前記のとおり全国に吹いている追い風を凪させないように、むしろ偏るために、全国で闘っている住民・弁護団と連絡をとり、場合によっては現地を訪れるなどして、共闘体制を強めてきました。今回の決定はそういう法廷外の運動の成果であり、まさしく「主戦場は法廷の外」でした。

5、私たちが結成している「九州廃棄物研究会」は、個別事件を解決するためには全体解決が必要であり、そのためには個別事件の共闘こそが肝要である、という方針を立て、実践しています。今回の決定は、研究会のこの方針が誤りでなかったことを証明しました。
 もちろん、今後業者は起訴命令を申し立てるでしょうし、全国的にも国・産業界からの巻き返しが起こるでしょう。それに対抗するためにも、私たちはいっそう、法廷外での活動ー各地住民運動の活性化、運動団体間の共闘の強化、世論の喚起ーに尽力していく所存です。皆様の協力を期待しております。


駆け込み産廃・建設差止仮処分決定

長野県支部  松 村 文 夫

一、一九九七年一二月一日廃棄物処理法改正法施行にともない、長野県内各地で着工された「駆け込み産廃」のうち唯一法的手段で争っていた塩尻市牧野区における産廃建設問題について、長野地裁松本支部は去る三月三一日建設を差し止める仮処分決定を出しました。

二、近日では、産廃施設の建設に対して差し止める判定や仮処分決定は珍しくなくなっていますが、本件で特徴的なのは安定型埋め立て場(最終処分場)と焼却炉(中問処理施設)を同時に差し止めたということと、差し止め理由として汚水の地下流出・ダイオキシンの排出の他に、廃棄物処理法違反(容量超過)・農地法違反(宅地転用許可条件違反)についてまで判断したことです。

三、長野県当局は、改正法施行時点(一二月一日午前〇時)で基礎が打たれておれば旧法を適用するという見解を出したために、一一月下旬県内各地で穴が掘られ、コンクリートが流し込められることが起りました。
二岩下団員・中島団員は実力阻止の方針を出し連夜住民総出で阻止しました。私は老人の多い部落であることにためらいが生じている一瞬をつかれてコンクリートを打たれてしまいました。このため、仮処分申請をせざるをえなくなりました。
 業者はユウレイ会社名義を使い分けて三千平方メートル未満の穴を並べて二箇所掘ったのに対して、住民の大闘争の結果、厚生省・県当局は、容量超過として埋め立て場の建設は認めない見解を出しました。残る焼却炉についても農水省・県当局は、宅地転用許可条件に違反するという見解を出しました。
 これで事実上停止していましたので、仮処分事件はじっくりとやることにしました。

四、そのうち、甲府地裁などで仮処分決定が続出し始め、これが「団通信」に載ると、その決定例を書証として提出しました。
 裁判所は、当初因果関係・損害発生について私たちに立証を促していましたが、途中からは業者に対して、ダイオキシン・汚水の排出がないことの立証を求めるようになりました。
 企業から出される資料の矛盾を突くだけで専門家の鑑定意見書を作成してもらいませんでした(そのツテがなかったことによりますが)。わずかに、汚水が住民使用の井戸方向に流れうる地形にあることを信大教授から簡単な意見書を作成してもらって提出した程度です。この間の全国的に急激にかちとった仮処分決定・判決を引用するだけで勝てたようなものです。

五、なお、厚生省や農水省から見解を出させるについては、団員でもある木島日出夫衆議院議員に協力してもらいました。国会議員の、力の大きさに関心するとともに、これを大いに活用することも必要だと思います。


陪審・一元アメリカ大型視察のスズメ

─日弁連「百聞は一見に如かず」ハワイツアーの報告と提案

大阪支部  桐 山  剛

一 「百聞は一見に如かず」ハワイツアー
 日弁連司法改革推進センターは、二月二八日から三月三日までの一週間、実際に陪審裁判を見よう、法曹一元裁判官に会おうという趣向で、丸田隆・関学教授とハワイ大学ロースクールの協力のもとにハワイツアーを行った。
 陪審と一元は司法改革の二大目標であるが、実際に陪審裁判を見たことのある人が誰もいない、一元裁判官に会って話を聞いたことのある人が誰もいないという単位会があるようでは、はたして司法改革ができるのかという問題意識から全国の単位会に呼びかけて実施した。
 参加者は、三三単位会八五名にのぼり(他にマスコミから二名)、初期の目標達成に大きく前進することができた。
 ハワイを選んだのは、気候がいいからではなく、日系アメリカ人がたくさんいて、西洋文化と東洋文化が接触する地域だからである。
 法廷でも、裁判官、検察官、弁護士そして陪審員の中に多くの日系の人がいてとても親近感を覚えた。ハワイは人口一二〇万人の小さな州であるが、よくまとまっており司法制度についてもっともっと注目してよいところである。

二 最高裁長官の評価とハワイの誓い
 アメリカで陪審・一元が定着していることは当然といえば当然であるが、ハワイ州の最高裁長官も次のように高く評価していた。
  Q 一元制度にはどういうメリットがありますか。
  A ハワイでは、経験を非常に大事にして、弁護士としての経験もそうですが、人生の経験、世の中の見聞を広めた上で裁判官になればよい裁判官になるとの信念が非常に強いのです。
  Q 陪審員の事実認定能力をどうお考えですか。
  A 裁判は真実が大事です。陪審員は一二人いますが、一人の裁判官よりは人数が多いほど一二人の陪審員の方が、判断としてはよいと思います。真実を決めるには、裁判官だけよりも裁判官と陪審の両方がいる方がいいと思います。
 また、日本語のできる日系裁判官S・マッケナ女史に魅了された人もおり、ハワイとのつき合いはしばらく続きそうな気配である。
このツアーの英文は、Seeing is beleieving. であるが、それにBeli-eving is Realizing. を続けてハワイの誓いとした。

三 今秋、団としてアメリカ大型視察団を
 単位会の中で特筆すべきは、静岡県弁護士会である。参加者はダントツの一四名。司法問題にあまりかかわっていなかった若手弁護士が「陪審と一元は絶対やらないかん」と目の色が変わっているという(ただし伝聞)。
 逆に参加が弱かったのは、福岡を除く九州、中部、中国そして東京であり、全単位会参加というわけにはいかなかった。
 そこで、陪審と一元という二大目標を実現するために、今秋、団が大型視察団をアメリカに派遣することを提案したい。全支部が一名参加すれば軽く五〇名になるし、大きい支部がその気になれば一〇〇名の大型視察団も夢ではない。団には、幸いナショナル・ロイヤーズ・ギルドという友好団体があり、アメリカ側の受け入れ態勢には何の問題もない。後は、われわれが決意するかどうかだけである。
 今年から来年は、陪審が実現するかどうか、一元が実現するかどうかという時期であり、いわば有事である。ギルドの総会に何名かが参加するという程度では平時の取り組みであり、二大目標を実現することはできないのではないか。実際に視察すれば大きな成果があることは間違いない。この際、腹を決めて大型視察団を派遣することを考えてもらいたい。


朝鮮半島南北首脳会談と新ガイドライン

広島支部  井 上 正 信

一、四月八日、韓国・北朝鮮両政府は六月に南北首脳会談を開催することを発表した。ビッグニュースであるとともに、半世紀にわたる南北分断と、敵対関係を最終的に終わらせ、アジアの冷戦構造を転換させる歴史的な第一歩になることを期待し、大いに歓迎する。
 このイニシャチブに対し我が国政府や国民がとるべき立場は、この流れを確かなものにし後戻りできないよう、そのための国際世論を形成し、当事国を援助し、関係国とともに協力することである。
更に我が国だけにしかできないことがある。それは植民地支配とそれに起因する諸問題の精算と日・朝国交回復である。このことが、南北首脳会談の実現と合わさり、北東アジアの安全保障に果たす役割は大きい。
 私はかつて団通信へ北朝鮮問題に関する私見を投稿した(九六五号、九七二号、九七四号)。これらの見解を踏まえて、新ガイドライン路線の実行を阻止する課題と南北首脳会談に関して私見を述べてみたい。

二、南北両政府の今回の合意事項は、一九七二年七月四日の南北共同宣言とそこで述べられた祖国統一三原則(自主的、平和的、民族の大同団結)を前提にしていることに注目すべきである。更に合意事項に関して北朝鮮首相は「祖国統一の遺訓を一日も早く実現するという熱い一念に燃えている」と語ったことが赤旗(四/一二)で紹介されている。この流れは今年に入ってから周到に準備されていたことがその後の報道から明らかになっている。二月のロシア・北朝鮮外相会談、三月の韓国金大統領のベルリン宣言、その後の両政府高官の上海を舞台にした秘密折衝である。北朝鮮は韓国の「太陽政策」を北朝鮮の体制を崩壊させるものとして信用していなかったが、北朝鮮の潜水艦潜入事件・黄海での両国海軍の銃撃戦、テポドン発射実験などの事件にも関わらず「太陽政策」を変更しなかったとなどから、北朝鮮は従来の政策を転換したと思われる。
 韓国国内の世論の変化も感じられる。四/一二ノーチラス研究所(米国)のホームページに元韓国外務省の役人が論文を出していた。
「朝鮮半島の安全保障に対する地域的アプローチ」と題する論文である。著者はこの中で、在韓米軍の存在が「太陽政策」に限界を与えており、その撤退こそが朝鮮半島に真の平和と安定をもたらすものである、と主張している。韓国軍だけで北朝鮮軍に十分対処できるという背景はあるが、このような在韓米軍撤退論は新しいものである。この論文は南北首脳会談合意が発表されるかなり前の一月のものであるが、合意事項発表を踏まえて考えると、この提案はまさに今強調すべきものである。北朝鮮が身構える最大の要因は在韓米軍だからである。このことは新ガイドライン路線にも当てはまる。
新ガイドライン路線は世界最強の米軍とアジア最強の我が国海・空軍とが連合して北朝鮮を攻撃する態勢だからである。九四年朝鮮半島危機で米国は戦争を決意し、密かに韓国在住の米国人の避難を指示した。この時金泳三大統領は、駐韓米国大使を呼び、米国人の避難計画の実行に強く反対し、その結果避難計画は実行されなかった。
なぜ金大統領が反対したかといえば、もし韓国在住米国人が避難し始めると、北朝鮮はそれを攻撃間近のサインと受け止め、本当に戦争に突入する可能性が高くなり、首都ソウルをはじめ韓国に甚大な被害が及ぶことを恐れたからである。当時我が国はそのような韓国犬統領の懸念を知る由もなく、無邪気に北朝鮮脅威論をマスコミがあおり、第二次朝鮮戦争を想定した対米協力を検討したり北朝鮮制裁を連立政権の政策合意に入れた。我が国のこの動きは北朝鮮にとうて、着々と戦争への道を歩むものと映り、自らも戦争準備へと駆り立てる要因となったであろう。

三、南北首脳会談が合意されたが、我が国は日・朝国交回復交渉を再開したばかりである。我が国と韓国の国交回復交渉ですら、一九五二年から一九六五年の日韓条約締結まで実に一三年間かかり、その間一次から七次までの交渉を重ねなければならなかった。ましてや北朝鮮とはもっと困難な問題がある。局面局面だけで短絡的に判断するのでなく、国交回復という基本路線を常に明確にしながらねばり強く交渉しなければならない。他方我が国は首相の所信表明演説で有事立法推進を宣言するように、またTMD参加を深めているように、相変わらず軍事的対応をとろうとしている。TMDは韓国ですら参加を拒否したものである。TMD配備により中国・北朝鮮は一層の軍拡に走るおそれがあり、動き始めた朝鮮半島情勢を再び悪化させるだけである。我が国のこのような対応は、せっかく新しい展望が開きかけたこの有利な情勢の足を引っ張るものである。我が国が軍事的対応を進め、北朝鮮に対し強硬路線を採るならば、南北首脳会談で引かれるはずの平和統一路線の阻害要因になる。南北が平和的に統一されることは、我が国の安全にとって極めて重要なことである。この観点から新ガイドライン路線の実行を阻止しなければならないと思う。


書評 保育行財政研究会編著

「公立保育所の氏営化─どこが問題か」

大阪支部 城 塚 健 之

 私たちは、しばしば自治体労働組合や地域住民より、自治体業務の民間委託に関する相談を受ける。これは一九八○年代の第二臨調地方行革のころから顕著になってきた動きであるが、特に近年は、地方財政危機を背景に、自治体リストラと称してその動きは一層強まっている。
 この動きの背景に、多国籍企業が世界市場で自由に活動するための国家・自治体づくりがあることは言うまでもない。税金を投入する福祉部門を縮小して企業活動に対する財政的制約を外し、合わせてこれを市場として開放するためのものである。
 ところで、前述のような相談を受けても実定法の解釈の領域で対応できる部分は少ない。従って弁護士としては「民間委託の是非は政治の問題であって法律問題ではない」「運動を盛り上げてはね返すしかない」と答えるケースが多い。
 大阪自治労連弁護団として、大阪府八尾市の給食調理業務の民間委託について職安法・派遣法違反とする意見書を出したこともある。しかし、意見書を起案しながら確信が持てなかったのは「民間業者が給食を作ってどこが悪いの?民間給食が悪いならファミリーレストランも駄目ということ?」「市の財政が苦しいのなら安いと
ころに外注したくなるのは当然じゃないの?」といった素朴な市民の声に的確に反論できただろうかという点であった。民間企業にだって「公共性」が当然のように求められる時代である。アプリオリに、公務の民間委託は駄目と言っても、説得力がないのである。
 本書は、こうした疑問に答えるヒントを与えてくれるものである。
 編著者の「保育行財政研究会」は大阪保育研究所と(社)大阪自治体問題研究所のメンバーで構成され、堺市の公立保育所の民営化などを素材に、
・公立保育所の民営化が全国的にみてどの程度進んでいるのか
・民間委託が安いというコスト論をどうみるか
・民営化は保護者や子どもたちにどういう問題を投げかけるのか
・公立保育所の改善方向は何か
といった論点の解明に挑んだものである。
 これは、たとえば学校給食の民間委託問題についても、
・民間委託は本当にコスト削減につながるか。仮につながるとして、その違いはどこから生まれるか(結局、労働者の賃金が低いからだけではないのか)
・民営化は学校教育に悪影響を与えるのか
などといった論点を考える上での「ヒント」を提供してくれる。
 もっとも、本書の執筆に法律家は関与しておらず、運動論としてはともかく、論点の詰めについてはなお不十分さが残る。また、本書だけで自治体リストラ全体に理論的に対抗できるわけではない。しかし、各地で創造的な戦いを構築する上で本書はきっと参考になると思われる。 [問合せ先]
(社)大阪自治体間題研究所
〒530-0041 大阪市北区天神橋一・一三・一五 大阪グリーン会館五F
電話〇六・六三五四・七二二〇/FAX〇六・六三五四・七二二八
一〇〇〇円・送料別(申し込みは郵便またはFAXでお願いしたいとのことである)


書籍紹介

「大規模訴訟の審理に関する研究」 司法研修所編

東京支部  安 原 幸 彦

 これは昨年の一〇月にまとめられた裁判官五名による司法研究報告書で、その内容は、大きく具体的なケース研究と新民訴下の迅速な審理の諸方策の二つである。
 ケース研究としては、HIV訴訟、西淀川大気汚染訴訟、四国のじん肺訴訟が取り上げられている。担当裁判官への面接調査に基づいており、詳細でかつ折々の裁判官の心情などもあらわれていて興味深い。諸方策としては、原発・基地・水害・大事故・医療過誤・詐欺取引といった類型別の検討もされており、争点整理の仕方や立証計画、和解の進め方についても詳細に検討されている。
 この種の訴訟に取り組む弁護士として一読の価値があるので購入をお勧めしだい。(法曹界三八〇〇円)


湯の森を越えて出会った夏盛り(三)

東京支部  中 野 直 樹

一 前日の夕刻、冷たい雨に震え、酒談義もなく寝入り、暁の光に目覚めた。四時三〇分だった。電気のない自然のなかでは、都会人もつかの間、山棲人のリズムを刻む。
 川面に朝靄が立ち込めていた。緑を深める木々の葉はまだ雨雫を留めている。渓流水は落ち着き、合流点からたおやかに流れ下る。その川下の向こうにV字状に広がる雨あがりの空に引くうす雲は梅雨明けへの扉を感じさせる。
 東海村核臨界事故をはじめいくつもの「安全神話」が崩れた一九九九年だった。八月中旬、神奈川県を中心に、河原に野営したキャンプ客の悲しい水難が相次いだのもそのひとつであった。ほとんどの河川はダムや堰堤をつくり取水されている。中流域で水量が少なくおだやかな流れになっているのはそのためである。この偽りの姿に惑わされる。ひとたび人工的な管理の容量を超える雨量に見舞われたとき、もはや何の制御もできない状況に激変する。ブナの森の保水能力ははるかに懐深いものであるが、それでも峪を遡行するときには、岩に着く水苔や岸辺の草木の様子に注意し、谷の荒れ具合や出水時の水位を推し量る。昨日の豪雨が降り続いていたなら私たちの安全も揺らいだかもしれない。
 重く濡れた衣類をその冷たさにひくつきながら身につけた。朝食は、麻婆ナスをかけた春雨。初の試みであったが、二度と食することはなかろう。
 お茶を飲んだ後、思い思いにキジを撃ちに行く。これだけは藪に分け入りあるいは大岩の蔭に身を潜め、人目を気にして行う。通常使用する道具はティッシュと蕗の葉で、撃った後は、うっかりと踏まれないように石積みをするなどしてその存在を告知する工夫もする。川岸にまたいで済ませば自然の水洗であり、ついでにお尻も洗浄できて爽快である。

二 五時四〇分、本流を釣りあがることにした。平瀬が続く。私は毛鉤の準備をした。毛鉤は羽虫を模した擬似餌である。和式毛鉤釣りは、もともと職漁師が餌を付けかえる時間も惜しく商品の岩魚を大量に釣るために考案した漁法である。毛鉤の巻き方には個性があるが、基本は単純で、一本の毛鉤で通す。通常、テンカラ竿という比較的短くて軽い竿に、竿より長いテーパーラインと呼ばれる仕掛けをつけ、手首返しで竿を後前に振って毛鉤を飛ばして行う。毛鉤を目標点に正確に着水させることができるかどうかが習熟度の物差しとなる。大森さんは餌釣り用の五・三ないし六・一メートルの長竿に、テンカラよりもかなり短く、餌釣りよりも若干長めの毛鉤仕掛けを付ける工夫をあみ出した。私もそれに教わった。立ち込み、構え、腕の振り、仕掛けを垂直に保って流すなど餌釣りとほぼ同じである。と記しても、釣りをしない人には何を言っているのか不明だろう。
 イギリスを発祥とするフライフィッシングはやはり毛鉤(フライ)を使うが、もともと貴族社会のジェントルマンのスポーツとして発展した。使い分けるフライの種類が多く、フライアングラーの釣りはバター臭くなる。紹介しよう。「このプールは期待できそうである。フライはわざわざ替える必要はなかったが、あえて私の必殺パターン、プロフェッサー#14にチェンジした。黄色のボディーにゴールドティンセルのリブ、テールが赤にハックルがブラウン、とてもイワナには似合いそうもない派手なパターンであるが、私の場合、不思議とこのフライがイワナと相性が良いのである。今度はさきほどのポジションから高い石に移り、大胆なアプローチを試みた。案の定、プールには、尺クラスのイワナが数尾泳いでいるのが見える。一番手前にいる奴のオブザベーションポストまでは、五メートルくらいである。その二メートルほど上流へソフトプレゼンテーション。一、二、三、ヒット!もはやヒットするまで計算通りである(吉田哲人「北アルプス・黒部源流」から)。
 同じ岩魚を釣っても、その楽しみ方にかなりの落差があるものだなと思う。

三 毛鉤釣りはなかなか上達しない。釣れないことに苛立ち、すぐ餌釣りに逃避する。この堪え性のなさが上達を遅らせる。今回こそは一尾も釣れなくとも徹しようと意を決してきた。しかし、深い谷底は繁茂した樹林に包まれて差し込む光は弱弱しく、梅雨の名残りの靄がただよい、水面が見づらい。しかも昨夜手折った竹にしたたかに打たれた左眼がうずき、涙が溢れて視界が霞む。目の片隅に、餌釣りを信念とする岡村さん、清水さんの竿が型のよい獲物にたわむのがいやおうなしに映る。大森さんが毛鉤に見事な岩魚をかけるごとに、どうだと披瀝する。私の毛鉤はむなしく流れ跳ねるだけである。それでも三時間あまり耐えたが、ビール休憩後切れてしまい、決意を先送りして、餌釣りに転向してしまった。川虫、赤トンボ、カゲロウ、バッタなどを調達し、瀬の流脈にのせると、先ほどまで姿も見えなかった岩魚が小気味よい当たりを伝えてくる。小滝の淵では立て続けに三尾あがった。
 赤石が基調の谷に棲む岩魚の斑点は朱色、川底石が緑青色の谷のものは緑色と、岩魚も潜む岩石の色に溶け込む保護色を身につける。葛根田本流の岩魚は、パシッと水面から身を躍らせたときの肌の白さが鮮やかであった。

四 遡るにつれて谷が開け、ブナの森の明るさに心が温もる。数百年の年輪を重ねる巨木群が青みを増している空に聳え立つ。光は空とブナの織り成す彩りを大淵に落とし、深みのある色調に映えさせる。
 私は大滝の下や大淵が苦手である。釣る対象は岩魚であるが、相手とするのは岩魚を包む自然そのものである。確かな自然の読みができないと釣りにはならない。満々と湛える水量に気後れしどこに流したらよいのか勘所がつかめない。あきらめが先立ち、たいていは素通りに近く遠慮する。大森さんが左岸に足場を定めて毛鉤を振り込んだ。この状態で私が淵の上流に移動しては、私の影が淵面に落ちて横切り、岩魚の警戒心を招いてしまう。そこで、左岸に立ち止まり気の入れもなく糸を垂れ、目は向かい側の大森さんの釣り姿を見つめた。全神経を毛鉤と糸の動きに凝縮し、息をつめた張りが伝わってくる。この集中力が大森さんの秀でたところである。「生きもの地球紀行」などの映像で、動物が獲物を待ち、潜み、襲いかかる緊迫感みなぎるシーンに接すると、命がかかった勝負だけに厳粛な気持ちにさせられる。釣りは人間の勝手な遊び事であるが、岩魚にとっては研ぎ澄まされた警戒心と生を維持するための餌への欲求との葛藤をした末に選択した捕食行為の瞬時の勝負となる。
 ピシッと竿が跳ねた。魚体は見えないが、白濁した泡が消えるあたりに小波がおきており、鉤がかりしたらしい。いつもは岩魚の機先を制してさっと抜き上げる大森さんは向かいにいる私に腕自慢をしようとしたのか、タイミングを失し、岩魚に潜られ、泳がれてしまっている。こうなると仕掛け切れも心配で無理はできない。私は手網を取り出し、淵尻の浅瀬に降りたって構えた。大森さんはもたつきながら慎重に岩魚を私のところに誘導し、私は手網ですくいあげた。風格ある尺物で、大森さんを破顔させた。

五 一年ぶりの夏盛りの空がひろがった。右岸に落ちている滝の又沢の手前で昼休み。ガスが残り少ないことから流木を拾って焚火を起こし、沢水で冷やしたビールで乾杯。日の光にきらめくブナ葉の波を眺め、大きく山の気を吸った。
 午後になると岡村さん、大森さんは疲れが出て集中力も失うし、釣り気が減退する。清水さんと私がなお執着をもって北の又沢の源流に向かう。清水さんは、すっかり東北の谷に魅せられて、はるばる岡山からの参加を重ねている。ねばり型で、煙草をくわえながらゆっくりとポイントを探っている。倒木が沢を埋めて、これ以上先に進めないところまで行って納竿。一時三〇分テン場への帰路についた。(つづく)


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