団通信993号(8月11日)

暑中お見舞い申し上げます

幹事長  鈴 木 亜 英

 今夏はひときわ暑さを感じます。皆様お変わりございませんか。日頃のご活躍に心から敬意を表します。
 さて、司法改革論議も真っ只中の今日この頃ですが御地では運動が進んでいますでしょうか。
 司法改革審議会の審議が進み警戒しなければならない情勢も次第に顕わになっております。この動きを批判し、国民とともに国民の司法改革要求を審議会に突きつけてゆくことが大切です。
 私も司法問題には自分なりに意見や希望を持ちながらも、最近まで司法改革運動には疎遠でした。というよりも渦中に入ったら大変だという思いから、暫くの安きを盗まんと、ここはどなたかにお任せしようと心に決め、この問題から遠ざかっていたというのが本当のところでした。しかし、映画「日独裁判官物語」をみて、心を動かされ、日本の司法を変える責任は私にもあると思うようになりました。この映画製作にささやかなカンパをしたことがきっかけで頂戴したビデオフィルムを携えながら、かれこれ一年近くの間に、開かせていただいた小さな上映会はもう一七・八ヶ所になったでしょうか。すでに三・四百人の方と対話したことになります。私は上映会のたびにフィルムのなかに新しいことを発見し、参加者の感想に得心しながら、さらなる対話を求めてきました。

 話は変わりますが、お陰様で私の「思想調査事件」国賠訴訟は今年二月にプライバシー侵害を認められ、国ら被告に勝訴することができました。
 この裁判は私が原告本人であるだけに、裁判をすこしばかり国民の目線からみることができたように思います。私たちは警察が秘かに収集した個人情報、とりわけ警備公安にかかる個人情報が警察内部に違法に保管され、利用されていることを問題にしてきました。しかし、審理の中でこのことに少しでも踏み込もうとすると、被告らは勿論でしたが、裁判所までもが異常な抵抗をすることにハッとさせられました。行政の違法を衝こうとする者に対し本能的に立ちはだかる司法の姿がそこにありました。人権救済とは裏腹の不透明極まりない対応でした。裁判所は警察の持つ個人情報の受益者でなければよいがなどと余計な心配もしたくなりました。優秀で献身的な弁護団の法廷活動と強い関心を寄せてくれた大勢の支援者の力でかろうじて第一審を乗りきりましたが船底一枚下は地獄を実感したのも事実です。この勝利への不確かさは一体どこからくるのでしょうか。日独司法を比較して、歴史の岐路というものを改めてみる思いがします。ファシズムを許した過去への深刻な反省と人間の尊厳を至上の価値とする社会への志向はそれなりに国民の不断の努力があってのことでしょう。手放しの賛辞を送ることには躊躇を覚えますがドイツ司法の透明性はその賜物だと思うのです。司法だけが突出して前進したわけではなく、政治背景の中でこれをみるべきでしょうが、司法に携わる者の責任の重要性もまた認識しないわけにいきません。

 「裁判所は人権の砦」という憲法的価値を司法制度と裁判の中に実現するための個々の努力の積み重ねこそ今私たちに求められた課題ではないでしょうか。団員はこれまで様々な分野で国民とともに権利の実現のために裁判所と格闘してきました。私たちは官僚的司法制度を維持しながら、そこに多少の手直しを加えても現状が変わるわけではないことを肌で知っています。社会経験豊かな法曹のなかから裁判官を選ぶ、司法の判断権者のなかに普通の国民が参加してゆく、この仕組みを作り上げることなしに憲法の要求する司法を実現することは困難だと云わなければなりません。私たちはこのことを強く要求する資格を持っています。

 自由法曹団はいま司法改革の分野で国民の中に一層強力な運動を組み立てるためにこの夏、余暇を返上して集中した議論をしています。司法改革審議会をめぐる情勢をどうみるか、司法改革運動はひとつの闘いであり、この闘いの性格をどうとらえるか、団内にも様々な意見がありますが、いずれにしてもここ数年で司法は大きく変わろうとしています。この現実をみつめ国民の司法要求を真剣に取り上げさせる運動を一層強力に展開しなければならないことでは一致しています。
 団員ひとりひとりが少しずつ力を出し合えば大きな流れになると思うのですがいかがでしょうか。
 暑さの折ご自愛下さるようお願い申し上げます。


鹿島建設等に対して九億円の損害賠償を命じた新南陽工場住民訴訟一審判決について

愛知支部  長 谷 川 一 裕

一  一審判決の内容
 名古屋地方裁判所民事第九部(野田武明裁判長)は、七月一四日、新南陽工場住民訴訟(名古屋地裁平成七年行ウ第七号。結審は本年三月六日)において、原告勝訴の一審判決を言い渡しました。
 判決は、新南陽工場第二期工事の指名競争入札において指名業者の間での談合並びに名古屋市建築局幹部による落札価格指示がなされたことによって落札価格がつり上げられたとして、同工事を落札した鹿島建設株式会社等に対して九億円及び平成七年四月二日以降の年五分の割合による遅延損害金の支払を命じました。同時に、判決は、談合に深く関与した名古屋市建築局次長(当時)、並びに泉義信市議会議員(当時。公明党所属)に対しても、一億円と遅延損害金の支払を命じました。
 しかし、判決は、西尾武喜前市長に対する請求については、同旨長が談合に加担した祥子はなく、監督責任も認められない等として請求を棄却しました。
 判決は、大型公共事業の入札談合により落札したゼネコン並びに関与した名古屋市幹部と市議会議員の損害賠償責任を認め、公共事業に巣くう政・官・業の癒着と腐敗の構造にメスを入れたものということが出来ます。

二 判決理由の骨子
 判決は、入札談合は名古屋市に対する不法行為であるから、談合行為を行ったゼネコン各社、並びにこれに深く関与した名古屋市建築局次長や市議会議員らは共同不法行為者として名古屋市に対する損害賠償責任を負うとしました。
 そして、本件の入札談合及び建築局幹部による落札価格指示について「違法性は極めて高い」「本件は、当該契約を無効としなければ、契約の締結に制限を加える法令の趣旨を没却する結果となる特段の事情の認められる場合に該当するというべきであり、本件契約は無効である」と断定しました。
 「予定価格内で契約がなされたから、損害はない」との被告らの主張に対しては、予定価格は契約できる価格の上限額に過ぎないと一蹴。
 争点となった損害発生の事実並びに損害額については、判決は「談合行為により、発注者は、談合の結果契約せざるを得なかった金額と競争によって形成されたであろうと想定される落札金額との差額相当分の損害を被ったことになる」とした上で、損害額の推定に関する民事訴訟法第二四八条を適用し、間接事実等を綜合して「本件工事について適正な競争かなされた場合の想定落札価格と現実の落札価格との差額は九億円を下回ることはない」として九億円の損害賠償を命じました。判決が、民事訴訟法改正の中で新たに盛り込まれた損害額の推定に関する民事訴訟法二四八条を入札談合に基づく損害賠償事例に適用し様々な間接事実の積み上げによって名古屋市が九億円の損害を受けている事実を認定したことは重要です。

三 事件の概要
 新南陽工場は、老朽化した南陽工場に替わる名古屋市のゴミ焼却場であり、平成三年一二月工事着工(一期工事)され、工事費総額は約八一〇億円の大型公共事業です。
 一期工事である地盤整備工事等(工事費三七億五〇〇〇万円)は、平成三年一一月五日日産を幹事社とする共同企業体が落札し、施工しましたが、同工事の途中、汚泥から基準の六万倍という高濃度水が検出される事態となり、請けであった東海土木工業(現在は村上技建株式会社)が、これに伴う休業補償、プラント洗浄費等を日産建設に請求。結局、補償交渉は四億円を日産が東海土木に支払うことで妥結しました。これが、いわゆる水銀問題です。
 その後、日産建設は、泉市議会議員をエージェントとして名古屋市に損失補填を要求し、これを受けた名古屋市建築局次長と共謀して、二期工事の工事費から前記の休業補償と日産建設の裏金、泉市議会議員の賄賂(同市議は収賄で実刑判決を受け服役中)等として九億円を捻出することを計画しました。
 新南陽工場二期工事(建築工事)は、平成五年六月三日に、請負代金額二一六億三〇〇〇万円(消費税込み)で鹿島建設を幹事社とするJVが落札しましたが、同二期工事の過程で前記の水銀問題が発覚し、二期工事の工事費上乗せ問題が新聞報道され、名古屋市議会は一〇〇条委員会を設置しましたが、結局、疑惑は解明できませんでした。
 そこで、住民らが立ち上がり、「新南陽工場建設疑惑を糾明する会」を結成し、監査請求を経て、地方自治法二四二条一項四号に基づき名古屋市に代位して本訴を提起したものです。原告は、名古屋市内の団体役員、医師、弁護士、一級建築士らです(私も原告でしたが、訴訟提起後に名古屋市外に転居したため原告からはずれました)。

四 今後のたたかいについて
 既に、被告らは控訴し、原告側も西尾前市長に対する請求が棄却されたことを不満として控訴しており、たたかいの舞台は名古屋高裁に移っています。
 一審判決を機に運動を強める必要があり、先日も名古屋市に対し、「損失の回復は市当局の責任。住民訴訟まかせにしていいのか」と要請行動を行いました。今後も市議会各派に対する申し入れ等の運動を強めていきたいと思っています。
 中尾建設相、若築建設による建設工事入札をめぐる斡旋収賄疑惑が発覚し、改めて公共事業をめぐる政財官の癒着と腐敗が大きな争点となっています。また、巨額の公共事業が国と地方自治体の財政破綻をもたらしていることが広く指摘されています。
 新南陽工場住民訴訟は、わが国の政治の矛盾を衝く重要な訴訟の一つであると受け止め、勝利まで頑張り抜く決意です。


七五三木税金裁判控訴審判決

─税務署を勝たせるためには何でもありの裁判

神奈川支部  小 口 千 惠 子

 今、警察内部が腐っていることがようやく表面化しています。裁判所における大嘘つきの証人と言えば警察官のほかに税務署員が挙げられるのではないでしょうか。
 でも悲しいことに、裁判所はいまだに我が国の警察官と税務署員の言い分のままに判決しています。国の権力機関に楯突くことは出来ず、国民に対してはあくまでも横柄です。そうしておけば裁判官の出世の道も閉ざされません。裁判所って何のためにあるのでしょうね。
 国民は所得があれば所得税を納めなければなりません。もし、申告が誤っていたら修正申告をすべきですし、帳簿もなくでたらめなら、税務署から合理的に推計された税金を納めるべきです。
 消費税が課税されるようになってから、景気も随分悪くなりましたね。消費税が導入される当時、これに対して反対の意思を表明し活発な反対運動を行っていた民主商工会に対して、税務署の態度は呆れるばかりでした。税務署は会員のところに形だけの訪問をし、民商の悪口を吹き込み、本人以外に立会人がいたから調査できないと訳の分からない理由で帰ってしまい、所得を確認できないからと言って強引に多額の税金を推計して押し付けてきました。
 七五三木さんもその一人でした。誰にも恥じない正確な帳簿をつけきちんと税金を納めていたのに、税務署からべらぼうな税金を押し付けられたのです。
 税務署は、七五三木さんは利幅の大きい家具を製造しているから多額の売上があるはずだと言うのです。でも、当時七五三木さんは利幅の小さい、ゼネコンの下請けの棚やカウンターの取付内装工事業者だったのです。
 七五三木さんは裁判を起こし、横浜地裁では、七五三木さんの言い分が認められました。
 税務署は自らの過ちを認めないどころか控訴しました。税務職員は「七五三木さんに推計課税した税額の根拠となった家具製造業者に今回聞いて見たところ、『今は内装業者です』と言っていた。昔もそうだったと言う人もいる。」と証言したのです。
 多額の税金を課した当時の税務署の言い分「儲けの大きい家具製造業者の平均額を七五三木さんも払うべき」は一体何だったのでしょうか。もし七五三木さんを内装業者とするならば、計算上税額は少なくなるのです。
 東京高等裁判所は、税務署が調査しようとしなかったことや推計したこと自体が許せないという七五三木さんの声は封じてこれについて調べをしませんでした。
 そして、計算の根拠となった家具製造業者(あるいは内装業者?)という人はどこの誰なのか、本当にそう言ったのか、実際はどちらの業者だったのか確認したいとの声も封じ、どう考えても矛盾してるとしか言いようがなく、そして裏付けもない税務署員の無責任な証言だけで、七五三木さんを逆転敗訴させました。
 高裁で税務署員のボロボロの証言を聞き、裁判所は公正なところと信じていた七五三木さんと傍聴人はこの判決を聞いてショックのあまり声も出ませんでした。
 司法改革と声高に言われていますが、裁判所が国民に背を向けている姿勢を正すことがまず必要なのではないでしょうか。


連続特集(五)司法改革を国民とともに

それでも、私は一〇〇万人署名を集める

〜自虐史観を乗り越えて

東京支部   萩 尾 健 太

一 「なんだこれは」
 日弁連司法改革一〇〇万人署名の「趣旨説明」を読んだとき、私は目を丸くした。
 「戦後五〇年、私たちは生活に重大な影響がある事柄について、ほとんど官僚任せにしてきました」
 「お上に任せておけばよいという時代は今終わりを告げようとしています」
 まるで私たちが、今までずっとお上任せ、官僚任せにして、安逸を貪ってきたかのようである。あまりに人を馬鹿にしており、全く不愉快である。
 これまで、民主主義を求める多くの勢力が、趣旨説明の中で述べられている「健康の問題も、環境の問題も、教育の問題も、そして大破綻を来している金融の問題も」いずれにおいても、あるいは公害や雇用条件の規制の強化を求めて企業の野放図な経済活動に反対し、あるいは教育の多様化=差別化に反対して教育現場の改善のために努力し、あるいは金融機関のバブル期における投機行動や不況期における貸し渋りに対する規制を求めて闘ってきた。「お上に任せておけばよいという時代」など存在しないことはとうの昔から分かっていた。
 この署名はいったい誰に集めてもらおうというものなのか。これまでは、官僚による産業育成のための規制に守られ、お上任せでやってきた結果、十分に力を付け、これから多国籍企業化して行くにあたって、従来の規制がうっとうしく、不透明なルールとしか思えなくなった大企業か。前述のような、血の滲むような運動の結果勝ち取られてきた公害、労働、教育、金融に対する規制を不合理な規制だとしか思わないような財界か。それとも、日本市場に参入するにあたり、健康や雇用、金融の規制があるのが厭わしいと考えるアメリカや外資企業か。
 アメリカや経団連が日弁連のために一〇〇万もの署名を果たして集めてくれるとでも思っているのか。
 公害規制を求めて闘ってきた公害患者に対して、「私たちはこれまでずっとお上任せでダメな人間でしたね。これからは、規制緩和で弱肉強食の自由社会なんだから、お上に頼らず、自立した強い人間になりましょう。いい加減被害者意識は捨てて、行政や立法による被害の予防は止め、実際に被害が起きてから裁判に訴えるようにしましょう。そのために裁判所を大きくしましょう」なんて偉そうに説明しろというのか。
 「趣旨説明」には、「弁護士も自己改革に取り組みます」と書いてあるが、自己改革すべきは、「趣旨説明」に現れているような愚民観、民衆蔑視の態度である。
 この「趣旨説明」はまさに財界やアメリカの認識に立って、規制緩和万能論の立場で書かれたものに他ならない。アメリカ財界主導の政治が日本をおかしくしてきたことに目をつぶり、全てを官僚に押しつける内容である。
 しかし、この様な、腐りきった「趣旨説明」による、やる気をなくさせる妨害策動に屈してしまったら、まさに敵の思うつぼである。
 現在、司法改革審議会では、規制緩和・自由競争社会のための司法か、民衆が権利救済される司法かが争点となっている。後者はかなり押し込められている。後者が盛り返すためには、民衆の世論を喚起するほか無いのである。そして、日弁連がこの署名集めに失敗すれば、前者の路線が貫徹される結果となるのである。
 本署名は、要求項目だけを見れば、後者実現のための武器となりうるものである。
 そのために、本署名はやはり集められなければならない。私は、唾棄すべき「趣旨説明」は文字通り唾棄して、要求項目についてだけコピーしてこの署名を集めている。
 趣旨説明は簡単である。「日本の裁判所は、大企業や政府ばかりを勝たせて、腐っている。腐った裁判所をよくするための署名なので、お願いします」これで集まる。

二 なお、少し逸れるが、この署名に関連して考えたことがある。それは、自虐史観の根深さである。
 自虐史観というのは、一般には、改憲勢力の側が侵略戦争を反省する日本国憲法の立場を攻撃するのに使われる言葉である。しかし、こうした「自虐史観」攻撃を受け入れてしまう素地が護憲勢力の側にもあるのではないか。それが私のいう自虐史観である。
 例えば、護憲の集会などに行っても、「日本は市民革命の経験がないから、みんな人権の意識が低い、これから意識を高め、憲法を護っていきましょう」などということが平気で語られたりする。これではとうてい「押しつけ憲法」論や「普通の国」論に対抗できない。憲法が人権意識の低い民衆に押しつけられたものであり、日本人は自国を守る意識も持たない普通でない国民であることを自認するようなものだからである。そしてこの自虐史観は、一〇〇万人署名の「趣旨説明」に現れている。
 「自虐史観」に対して改憲勢力は、新自由主義史観=国家の誇り(プライド)史観を提唱しているようであるが、私は民衆の誇り(プライド)史観を提唱したい。
 果たして日本の民衆はそれほどにダメなのか。歴史をひもとけば、日本は民衆の抵抗の歴史であった。鎌倉幕府を崩壊させた百姓の逃散闘争、室町幕府を揺るがせた土一揆、徳政一揆が、戦国時代には加賀一国を領有した一向一揆、山城国一揆による自治に結実した。京都や堺でも町衆による自治が行われた。江戸時代には、最大の百姓の反乱である島原の乱の後も、百姓一揆、打ち壊しが続き、それらが江戸幕府の屋台骨をぐらつかせ、明治維新を招来したのである。明治に入ってから、自由民権運動が起こり、秩父困民党が公然と天皇制政府に反旗を翻した秩父事件に至る。それが初期社会主義運動に引き継がれ、やがて労働運動、小作争議や普選運動が盛り上がり、無産政党の設立に至るのである。
 こうした自由と民主主義を求める民衆の運動が、日本の歴史を作ってきたのである。
 あの反動と侵略戦争の時代においてすら日本共産党が敢然と天皇制打倒、侵略戦争反対の旗を掲げて命を賭けて闘い、極めて少数でありながら、支配者の心胆を寒からしめたのである。
 そのことは、ポツダム宣言受入を決めた御前会議の際、天皇裕仁が「コノママデハ赤色革命ガ起キテシマフ」と言って戦争終結を主張したことに現れている。
 敗戦後、小作争議、労働争議が燎原の炎のように広がり、この動きに恐れをなしたGHQが農地解放を初めとする一連の民主的改革を行い、侵略戦争の反省に立った憲法を制定するに至ったのである。
 そして日本の民衆は、この憲法を破壊する策動と闘い続けてきたのである。
 六〇年の安保闘争では空前の数の民衆が国会を取り巻き、岸内閣を打倒した。沖縄返還闘争の際にも、数多くの民衆が立ち上がった。これらに代表される民衆の闘いの中で、憲法は護られ、実質化されてきたのである。憲法は、鎌倉時代末から引き継がれてきた日本民衆の闘いと伝統、文化を体現するものであり、日本民衆の誇り(プライド)なのである。


「司法審」公聴会傍聴記

三多摩法律事務所事務局 戸 井 田 和 彦

 七月二四日に日比谷公会堂で開催された、司法制度改革審議会の第四回公聴会を傍聴しました。以下はその報告と雑駁な感想です。
 率直なところ、月曜日の夕方五時半などという時間にどれだけの人が集まるものやら、などと思いつつ出かけていったのですが、開会一〇分前の時点で、既に一階席は八割の入りとなっていました。また、耳に入ってくる会話から、宇都宮や甲府、さらには奈良県桜井市から足を運んでいる人たちもいることがわかり、驚いているうちに幕が開きました。
 冒頭、佐藤会長の、一年間に二六回の会合を開き海外視察も実施した、八月七日から九日にかけては集中審議を予定、法曹一元についてもここで徹底して議論し、秋には中間報告を出すという内容の挨拶に、審議会も本気だ、そんな気迫を感じました。
 その後本題に入り、松本サリン事件の被害者河野義行さんら、八人の公述人が意見発表を行い、出席した一〇人の委員が各々公述人に質問をするという形式で進められました。
 実体験に基づいた意見にはどれも説得力がありましたが、最後に登場した公述人が印象的でした。「商社の法務担当」という自己紹介に、何となくはすに構えて聞いていたのですが、担当裁判官の途中交替から生じる不合理を嘆き、人員増の必要性と、裁判官に取引社会の実情と現実的な経済活動を理解して欲しいとの訴えは、とてもよく理解できました。企業論理に貫かれた裁判官ばかりになっては困りますが、実社会に触れて常識を身につけた裁判官に、納得できる裁判をしてもらいたい、これはまさに市民的要求だと思います。立場は違っても、適正で迅速な裁判の実現を求める気持ちは同じであり、ここに運動の広がりの可能性を感じました。
 質疑応答で、医療過誤訴訟の原告である公述人に、ある委員が、「日本人の国民感情になじまないとされる(注 私にはそう聞こえたのですが、何となくもごもごと言いよどんだ感じでした)陪審制がよいと言うのははなぜか」と問いかけていましたが、質問のしかたとしてアンフェアだと思います。聞き手であるはずの委員が、テーマに注釈や評価を加えるのはルール違反ではないでしょうか。他にも質問と銘打ちながら自己の意見を朗々と述べている委員がいて、そのためか質問の趣旨がぼやけてしまい、公述人の回答がかみ合っていない部分もありました。緊迫したやりとりを期待をしていた者としては、味のなくなったガムを意地になって噛み続けているようなもどかしさを感じたのも事実です。
 しかし全体として、けしてセレモニー的ではなく、実のある議論が展開されていました。審議会には、この日の議論の中身をどう取り上げたのか、報告の段階で明らかにしてもらいたいものです。
 余談ですが、私は「少年えん罪・草加事件」の支援する会の事務局として、昨年一二月、最高裁の口頭弁論を傍聴する機会に恵まれました。このときの体験をついでに報告させて下さい。
 入館にあたり、傍聴者はいきなり一〇人ずつの二列縦隊を編成させられるのです。しかも前後に一人ずつ職員が配置されて。これは「連行」ではないですか。また驚くべきはセキュリティゲート、これが一〇人くぐれば八人までが警告音の洗礼を受ける代物なのです。東京地裁のそれとは感度が違うのでしょうか。過敏としか言いようのない反応は何かを象徴しています。
 コンサートホールと見まごうような法廷のしつらえ、正面の観音開きの扉が重々しく開き、苦渋に満ちた表情で入廷する裁判官。こけおどしの装飾を施し、けれんを駆使しなければ司法の権威が守れないのでしょうか。そもそも権威が必要だとも思えませんが。
 また、職員から傍聴の心得を拝聴したのですが、これが高圧的で、「お前らな、今日だけは特別に入れてやったんだからな、じっとしていろ、何もするな、絶対に動くな」、そう言われているようで呼吸すら自由にできないような窮屈さを感じました。マナーの問題なら、最後列に陣取り、前の椅子の背もたれに足を乗せているカメラマンこそ不体裁です。スペースの関係で仕方がないのですが。
 その日の傍聴者より警備(監視?)にあたる職員の数が多いこと、トイレに行くたび戻るたび、傍聴券の呈示を求められることなど。市民は、国民は、絶対に憤慨します。
 とにかく最高裁(の法廷対策)は異常です。またそのことを感じる機会さえめったに与えられないということが異常の極めつけです。一刻も早く改められるべきです。
ここが変われば全てが変わる気がします。


施設の子の人権は誰が守るのか

─千葉県の養護施設、恩寵園事件に見る施設内虐待

千葉支部  山 田 由 紀 子

 千葉県船橋市にある社会福祉法人恩寵園の養護施設(親に養育できない事情のある子どもや親に虐待された子どもが、地方自治体の措置によって入所し生活する施設)では、長年にわたり園長による在園児童に対する体罰や虐待が行われ、一九九六年四月、児童一三名が児童相談所に駆け込んで訴え一時保護されるという事態が発生しました。
 児童相談所に出向いて、子どもたちの話を聞いた私は、本当に驚きました。園長の虐待は、植木バサミで脅す、性器にハサミを当てる、鶏の死骸を抱いて寝させる、二四時間の正座を命じてトイレも食事もさせないなど、常軌を逸したものだったのです。
 社会福祉法人は、社会福祉事業法によって県に認可される法人です。また、その法人が運営する養護施設も、児童福祉法に基づいて県に認可され、運営資金はすべて県民の税金である措置費によって賄われます。したがって、監督官庁である千葉県には、本来これらの法に基づき、法人と施設に改善勧告・改善命令・認可取消等を含む強い指導監督権限があります。私は、子どもたちの話を千葉県にもっていけば、すぐにでも園長の解職を含む改善策が講じられるだろうと思いました。
子どもたちの話を聞いてすぐに、県児童家庭課の課長に面談を申し入れた私に、課長は「子どもの代理人なんて聞いたことがない。会う必要はない。」と言いました。次に面談を申し入れた、中央児童相談所の所長は、会うには会ってくれましたが、いくら私が子どもたちから聞いた酷い虐待の話をしても、顔色ひとつ変えず、「まあ園長もなかなか大変なので、指導の行き過ぎ程度はあったかもしれませんがねえ」と言うのです。これが『指導の行き過ぎ』・・?私は千葉県の人権感覚のなさにあきれましたが、これがその後四年間、千葉県が一貫してとり続けた本件に対する姿勢でした。
 千葉県はあてにできないと感じた私は、子どもたちの代理人として弁護士会や法務局に人権救済申立をしました。園の中では、子どもたちが児童家庭課長に園長を辞めさせてほしいという要請文を出したり、県知事宛に「助けて!」という手紙を書いたりしましたが、返事は「県には園長をやめさせる権限はない」というそっけないものでした。
見るに見かねた市民たちは「恩寵園の子どもたちを支える会」を作り、その代表者と私とが『千葉県民』という資格で、九七年一一月に、虐待をするような園長に措置費(税金)から給与を支払うのは違法だと主張して住民訴訟を提起しました。児童虐待問題に熱心な東京の弁護士たちが弁護団を組織してくれました。二〇〇〇年一月二七日、千葉地方裁判所は、主文では私たちの請求を棄却したものの、理由中で、園長の数々の体罰を具体的に認定し、これを園長の管理主義的教育観と体罰肯定思想に基づくものだと断ずるとともに、県には、遅くとも子どもたちが児童相談所に駆け込んだ九六年四月の時点で、園長の解職を含む改善勧告をすべき作為義務があった、にもかかわらずこれをしなかったことは違法であると明言する画期的な判決をしました。
 こうして、今年二月一六日、千葉県は、事件発覚から四年目にして、ようやく恩寵園に園長の解職を含む改善勧告を出したのです。
 ところが、これすらもハッピー・エンドではありませんでした。二月二八日、恩寵園は改善勧告に従うどころか、何ら反省の姿勢も見せないままに廃園を宣言し、千葉県も即日これを了承するという挙に出たのです。子どもたちは再び立ち上がりました。四年前に内部告発した卒園生たちが、厚生省に要請に行き、自ら街頭にたってビラまきをするなどして、市民やマスコミに「廃園は臭いものにふたをすることだ。園にいる兄弟のような子どもたちがばらばらにされることは、絶対に許せない」と訴えたのです。厚生省も、この声に動かされ、千葉県に廃園承認を撤回し園が改善勧告に従うよう行政指導せよと迫ってくれました。
 こうして三月九日、恩寵園は廃園の撤回を宣言せざるを得なくなり、園長は解職され、傷害罪で逮捕され、園には子どもの人権を尊重する新しい園長が迎えられて、ようやく園は改善の方向に向かうことになったのです。
 しかし、私たちは真から喜ぶことはできません。虐待を受けた子どもたちの心の傷が残されていることは言うに及ばず、四年以上にわたって県が何もしないでいる間に、園長の息子は、園の女児に強制わいせつ・強姦まで犯していたのです。私たち弁護団と「支える会」の市民は、これから県の賠償責任等を求める訴訟で、この間の県の責任を追及していきますが、同時に、二度とこのような事態が起きないよう子どもの人権救済機関の設置を県に求める運動もはじめるつもりです。


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