<<目次へ 団通信1012号(02月21日)

一月三〇日、名古屋地裁と
名古屋高裁へ司法改革要請行動

愛知支部  西 尾 弘 美

一、「市民のための司法改革を求める愛知の会」(以下「市民の会」という)は、一月三〇日に、名古屋地裁と名古屋高裁に対して司法改革(裁判改革)についての要請行動を行った。
 参加者は四五名で、地裁、高裁ともに約一時間の要請を行った。対応されたのはいずれも総務課長であった。

二、「市民の会」は昨年七月一九日に結成総会を行い、月一回程度の世話人会を開いて、司法改革に関する学習会を行いながら、一〇月三日のシンポジウム(鈴木亜英団員の基調講演と四人のパネラーによる報告)、一二月一二日の審議会中間報告検討集会(岩崎光記団員の講演)を行ってきた。
 そして、これらのシンポ等は、司法改革についての理解を深め、審議会に対して市民からの意見を表明していくために大切な取り組みであるが、学習するだけでなく、自分達が利用している地裁等に具体的な改善要求をしていく司法総行動の取り組みもしようということになった。

三、当初は、一日かけて裁判所、検察庁、地労委、弁護士会などに要請に行こうと考えたが、諸事情から地裁と高裁のみに要請することになった。
 世話人会では、「せっかくみんなで行くのだから、要請書を渡して要請内容を話すだけで終わらせたくない。事前に要請書を渡して回答をもらおう。」「裁判所を『追及』するのではなく、裁判や裁判所を改善するために懇談する形にしたい。」などの意見が出された。
 事前の折衝では、裁判所から「一五人程度、一五分くらいで」という話があったが、要請行動の趣旨を説明し、実際には四五人で約一時間の要請を行うことができた。残念だったのは、裁判所に、要請内容への回答をしてほしい旨要望していたにもかかわらず、裁判所側が「今日は要請をうかがうだけ。」と繰り返していたことである(数点についての「回答」らしき話はあったが)。近いうちに、回答をもらい、新たな要請を行う場を設けたいと考え、裁判所にもこの点を申し入れた。

四、当日の参加者は、国民救援会、労働組合、過労死裁判や公害裁判の原告らが大半を占めた。要請行動への参加の呼びかけにおいては、国民救援会や法律事務所友の会の役員が諸団体や労働組合に要請行動の意義を説明してまわった。弁護士のみではとてもこのような行動は実現できなかったと思うと、司法改革を進める力は国民であると再認識した。
 要請内容は、「市民の会」の事務局長が原案を作成し、寄せられた意見に基づいてまとめた。と言っても、この作成過程では、労働組合や諸裁判の原告らから具体的な意見は出されなかった。しかし、当日の要請前打ち合わせや要請行動の中で、具体的な要求が次々と出された。「国連人権規約委員会では、裁判官に国際人権規約を周知させる努力をしなさいという勧告が出されたが、裁判所ではその研修を行っているのか、まだであればきちんと行うべきである。」「裁判所の駐車場に宣伝カーが入ると、スローガン部分を覆うように言われるが、どういう根拠によるのか。以前は問題にされなかったのだから、表現の自由を守ってほしい。」「障害者用トイレが少ない上に、その場所の案内が不親切。しかもドアを開けるためにボタンを押すようになっているが、その説明書きすらないので、最初に使うときに困った。」などなど、いずれももっともで大切な内容であった。これらの意見を反映させることによって、次の要請内容はさらに充実したものになると思う。

五、「市民の会」では、裁判所等への要請行動の外に、今後、審議会への団体要請署名、要請はがきに取り組むとともに、陪審制をテーマにした集会を企画している。


新たな労使関係をきり開いた
大陽ステンレスのたたかい

東京支部  菊 池  紘

 一月一五日、大陽ステンレス(本社・東京練馬区、従業員四五〇名)各工場の朝礼で、工場長から争議が円満に解決したことが発表された。会社とJMIU大陽ステンレス支部の「共同宣言」は「双方が心から歓迎できる一括全面解決の合意がなされ」「二一世紀の幕開けにあたり、労使は互いにその立場を尊重しつつ…対等な労使関係のもとで協働の精神をもって円満な労使関係を確立する」としている。
 これに先立つ年末二七日には「社員の昇進、昇格、業観において、組合員であることあるいは男女であることを理由とする差別があってはならず、常に平等、公平、公正に実施すること」を確認し「昇進の遅れている組合員については是正する」とする協定が結ばれた。そして実際に各組合員の昇進是正が個別に示された。
 一五日夜の支部「旗びらき」で東京地本書記長の阿部は言った。「争議を始めた三年前にこうした画期的な労使関係がつくられることは予想できなかったのではないか。多数派をめざして苦労して努力していこう。JMIUの政策能力と組織力が問われる。明るく元気に勇気をもってたたかっていこう」と。

※    ※     ※

 今回の解決は不当配転と賃金差別を争って九八年に都労働委員会に提訴された争議を終結させたものである。
 副委員長の吉川が第二工場の労働者代表選挙に立候補し、予想をこえる得票をしたのが事の始まり。退職金を著しく切り捨てる就業規則変更について労働者代表を選ぶ選挙で、会社派の第二組合代表との一騎うちの結果、吉川はJMIU以外で九名もの得票を得た。このほか、十名が保留で会社に抵抗した。職制が監視する朝礼の場の挙手でのこの結果は、すべての者を驚かせた。「無記名投票だったら吉川が勝っていた」というのが職場の声だった。
 この労働者代表選挙から三か月で吉川は他工場へ強制配転された。選挙への報復人事だった。
 吉川は同時に配転された組合役員二名とともに、配転の取り消しと原職復帰を求めて労働委員会に提訴した。「たたかえばきっと原職に戻れる、とは思えない。しかし間違っていることは間違っている。正しいことをつらぬく」との考えからだった。
 たたかいの転機となった集会で支部委員長の林は訴えた。「私たちは正しいことを貫く小さな勇気と小さな確信を集めてたたかってきた」「正面からたたかう。そしてたたかって勝つことで、あちこちでがんばっている人々に大きな励ましを与えることができる」と。
 そして労働委員会での会社の不正の追及と、金属反合を中心とした支援の大きなひろがりのなかで、昨年五月一日メーデーを期して三名は原職に復帰した。社会的にほしいままの配転がひろく横行するなかで三名の原職復帰は、委員長が述べたとおり、産別金属と東京北部の労働者をこの上なく励ました。これに力を得た労組と共闘会議は、さらに半年の労使交渉を重ねて、差別是正と争議解決の今回の合意を手にすることができた。

※    ※     ※

 「大陽ステンレス」の名をどこかで聞いたことがあるという人もいるのではなかろうか。七〇年代以降に会社と三度争議をくり返した全金大陽ステンレス支部は、総評が解散し連合と全労連が発足する時に、規約を改正して全金を脱退しJMIUに参加した。ところが会社はこの期に全金本部と結び第二組合を発足させ、第一組合を否認して団交を拒否するとともに、連日脱退強要を重ねた。このため組織をめぐる大陽ステンレスの熾烈な攻防は、労働戦線再編をめぐるひとつの焦点となった経過がある。
 そして私個人の記憶はさらにさかのぼる。いまだ三十才前の若い日に練馬区労協の事務所で、やはり若かった林委員長をはじめ大陽ステンレスなどの金属労働者とともに、全自運の「労働組合教科書」をテキストに月に一、二回の学習会をした。テーマは労働者の権利、労働組合のあり方、その他。うす暗い区労協事務所で「賃労働」や「剰余価値」をめぐって論議した日々の記憶と重なって、二五年余りを経て、彼らがまったく新しい労使関係をきり開いたことへの、特別な思いがつのる。
 (弁護団は、労働委員会で終始中心的な役割をはたした長谷川史美、そして小薗江博之と菊池)


リレー特集 各地でひろがる憲法運動


平和憲法を二一世紀へ
−東京・足立の憲法運動から

東京支部  田 中  隆

一 「憲法の集い」(八二)から「足立の会」(〇〇)へ
 自民党が憲法調査会を再開し、「八〇年代改憲」が動き出した一九八二年春、「私たちのくらしと憲法を考える集い」の運動がはじまった。最初は北千住法律事務所が単独で提起し、主催した「憲法の集い」は足立に定着し、団体・個人によって構成される実行委員会が形成された。「ぞう列車」の大合唱をメインにして一、〇〇〇人が集まった九三年、地方自治をテーマに吉田万三足立区長(当時)を迎えた九七年などテーマ・内容や参加層も豊かに広がった。ことし二〇回目を迎えようとしている「集い」の歩みは、憲法に寄せる人々の想いの深さと広がりを物語っている。
 二〇〇〇年春、衆参両院に憲法調査会が設置されて平和憲法の明文改憲の動きが政治日程にのぼり、より直裁に明文改憲に反対して平和憲法を守る運動を建設することが焦眉の課題となった。
 北千住法律事務所と「憲法の集い」実行委員会が「憲法運動のための懇談会」を呼びかけたのは、こうした認識によるものであり、かくして生まれたのが「平和憲法を守る足立の会」である。

二 懇談会から半年余・・「足立の会」の足跡
 七月一〇日、懇談会には一九団体から三六名が集まり、継続的な運動の構築を確認した。このとき確認されたのが、@学習会(憲法そのものを学ぶ)、Aミニ・シンポ(足許の課題から憲法を考える)、B現場検証(現地に出て行って考える)の「三本柱」の柱立てであり、「平和憲法を二一世紀へ!」を共通スローガンにすることも議論のなかから生み出された。
 この懇談会の顔ぶれは、足立の政党・労組・民主団体の責任者・役員を網羅したもので、「これだけの顔ぶれが集まることはちょっと例がない」というのが参加者の感想だった。憲法情勢への危機意識と運動への要求の強さをうかがわせる。

 この三月までの「第一期」の活動日誌。
  九月 三日 プレ現場検証「これが三軍統合演習だ!」
         足立区舎人・荒川区白髭西の二会場に五〇名
  九月一一日 オープニング集会
         「平和に向けた世界の大勢と改憲策動」
         講師 佐々木陸海前衆議院議員   五〇名
 一〇月二五日 学習会「世界の平和と日本国憲法」
         講師 水島朝穂早稲田大学教授   四〇名
         「平和憲法を守る足立の会」正式発足
 一二月 四日 運営委員会兼プレ学習会(教育)   二〇名
         報告 都教組足立支部
  一月二四日 ミニ・シンポ「平和憲法と学校教育」
         講師 大谷猛夫教諭(東大講師)  五〇名
 (以下、予定)
  二月一三日 運営委員会兼プレ学習会(大空襲)
         講師 早乙女勝元氏      
  三月一八日 現場検証「東京大空襲戦跡めぐり」

三 到達点と「工夫どころ」
 「三本柱」を組み合わせた「足立の会」の活動は、なんとか軌道に乗り、企画や参加も定着しはじめた・・これが到達点である。
 歩みだしたばかりでいささか過早だが、これまでの教訓。
 第一に、平和条項への明文改憲策動に照準しつつ、教育・福祉・自治・人権などの広範な分野に射程を広げていること。「企画に幅を持たせる」というプロモート上の理由もあるが、国家改造と結びついた改憲策動そのものがこうした構造を持っていることによる。
 第二に、自分の意思で参加し、共同で実行するという「自発と共同」を基本にすえていること。「やってほしい」「一緒にやろう」といった会話を繰り返し、「平和憲法と学校教育」は教組が主体で企画し実行した(ミニ・シンポはこれが原則。現場検証はチーム編成)。
 第三に、「足立の会」をゆるやかな共同の場とし、北千住法律事務所がコーディネートと事務局を引き受けていること。調整や実務なら「お手のもの」だし、実務論議より学習論議をやった方が学ぶものが多い(発足後の運営委員会はプレ学習会が中心)。
 悪法阻止闘争型とは「ひと味ちがう」組み立てができるようになったあたり、時代もわれわれも少しは成長・成熟したということか。

四 そしてこれから
 まずは続けられるか。
 「無理せず。疲れず。あきず」といったところが秘訣だろう。やっていて楽しくない運動など長持ちするはずがなく、「意義と任務」で動員したところで心が動かない限り力にならない。その限りでは、この半年は「合格」と言っていいだろう。
 展望はあるか。勝てるか。
 「そんなものやってみなけりゃわかるか」というのが正直なところ。「歴史は発展するのだから必ず展望は開ける」というのなら、わざわざ運動を構築する必要などないのだから。無理して頭の中で「科学的展望」とやらを引き出そうとする発想とおさらばするのも、「ひと味違う」時代の運動。それで十分なのである。


「臨時総会」というもの

東京支部 坂 井  興 一

 小生は今期、一一月臨時総会議題に関する「理事会雑感」、中間報告関係の「述べて置きたいこと」、法人化総会の二回などの団通信の寄稿掲載を頂いた。理事会への意見書、質問書は何度かになるが、こうした応答を通した角度から問題を知って貰う適当な媒体が他にはないので、大変有り難かった。団員の理事経験者は大勢居られるだろうが、それぞれ単位会や弁連を背負っていて、自由な立場でモノが言えた方は少なかったであろう。一年で理事が七人もいる気楽な東弁の立場から、二/九法人化総会をベースに、「臨時総会」という合意形成システムの問題点を雑感的にレポートしてみたい。

総会議事というもの  一一月総会は懲戒請求という形で今尚騒動が続いている。それに関連して、質疑や討議打ち切りがケシカラン、その動議を出した某々は期成会ではないかとかの声が聞かれた。名指しで言われた本人は甚だ不本意であろう。実のところ好きこのんで出したわけではなく、返上困難な割り当て分担の役割を果たした迄だからである。
 一昔前、東弁理事者になって驚いたことの一つに総会議事進行表に基づいての打ち合わせがあった。進行時間・賛否・動議提出者等、すべて予定がハッキリ記載されていたからである。日弁連では総会開催会や弁連、東京三会の理事者らが適当に分担してこれを担う。定時総会のように、波乱がなく、表彰や招待客があってスムーズな進行が是認されるところで発達した手法が、シナリオがあるのはどうかと思われるものに迄、適用される。そのことに少なからぬ衝撃を受けながら、自由闊達の筈の弁護士会は立派に官僚組織なんだと妙に感心したことがあった。然し、総会役者が立派かどうかは何とも言えない。常議員会担当の理事者なら議事規程にも通じているが、それ以外、殊に会長経験者がそうかどうかは怪しい上、会長がそのまま理事会議長を務める日弁連では議事規程も何もあったものではないから、その限りではなくなる。一一月総会はテレビ参加となってしまって、訳が分からない音声遮断の退屈紛れに、会規集を見ながら、動議成立を確認しなかったり、副議長に対する不信任案をハナから無視したりの進行を、「アッ、また間違えた、また問題だ。」などと言いながら観戦していた。それで今回、念のため会規集のコピーを見ていたのだが、議長さんが勝手に討論を打ち切って騒ぎになったので、ご注意申し上げることになった。討論希望者がまだ少なからず居たことは議長自認の事実なのだから、彼に出来ることは、打ち切り動議を促す合図送りだけだったのである。
 それは兎も角、打ち切りにあたっては、質疑や討論の残余の希望者の氏名と論点は紹介すべきであろう。団通信での「一人法人問い合わせ」の報告責任もあって、前日早く、恐らく整理券一番で質問通告をしながら、当番財政議題での質問権行使を理由に無視されてしまった。そんなルールがあるなら事前に教えて貰いたかったが、それでも執拗に、粘りに粘って、当議案はわが賛成した議案にあらずとの、保留の立場での討論の機会を得た。ともあれ紹介位はカットされた者への礼儀であり、納得を得る所以であり、弔電紹介以上に必要なことに思えたのである。紹介すれば問題点が浮かび上がり、議事や打ち切りの当否の見当も付け易くなると云うものである。それをしないのは、却って続行を誘発するからとのことであったが、帰りの時間を気にされる方の恨みを好んで買うのは賢明ではないのだから、これは取り越し苦労というものであろう。執行部にとって総会は合意形成の場と云うより、乗り切るためにある位いにしか思えなくなっていることの表れであろうか。

既判力効果というもの
 時系列で変化する臨時総会の議案については、対象議案・決定内容が何かがホントのところ良く分からないものになってしまう。一一月の時は会長の八/二九の三〇〇〇人容認フライングに合わせて何度も議案の書き換えが行われたが、二月のは小生が言い出した濫用を戒める理由修正が一度あっただけで、一人法人、弁護士法改正手法等の是非が理事会に諮られることはなかった。黙っていたら報告もされず、従って理事と云っても一般会員と変わらない状態で総会に臨んだのである。そうした議案外のこと一切が、官報的報告の一行でもあれば、取り混ぜて承認したようなことになってしまう。二/九総会で法人化基本方針を決めてみたって、それらが策定された何ヶ月か前に時計が戻るわけではないので、その後の進行を含めての批准案件に化けてしまう。理事会も一度採決してしまえば、もうことさら問題にしない限り関与も出来ない。融通の利かないことで定評がある総会方式が、その実、オール包括承認式になって、執行部に却って好都合になる現実がある。審議会マターや立法問題はある程度は交渉事項でもあるので、われわれの注文や目途通りになる訳ではない。だから一々注文を付けても始まらないし、説明を受けたことと違うからと云って文句を言うのもどうかということになり、そういうことは、だから総会より理事会の方が向いている。だから私は、執行部の包括的フライングを戒めるためもあって、漠たる内容での総会開催にはどちらも疑問を呈していたのである。総会手法では執行部の功名手柄気分もあって、早々承認・自陣ゴールが避けにくくなるのが総じての傾向だったからである。それが総会になったものだから、却って理事会サイドの注文が付けれなくなっていた。まことに一長一短であるが、今回は両方の悪い面が出たように思う。

準則主義と云うこと
 二月総会基本方針第一はこれになっている。議案の述べるところによれば、資格者が作るのだから法人格を容易に取得できる必要があり、それ故にまた濫用の危険もあるとなっている。不動産や商業登記と一緒で、形式が整っていればインチキでも不正競争でもそこでは拒否できないと云うシステムになる。今回の立法形態は弁護士自治への土足侵入を避けるため、「弁護士法改正」以外の、いわば周辺・枝葉立法と云うことで議論されていた。それだったら、一定程度法務省等の関わりが否定できず、だったら一々のクレームを付けられないよう準則主義がいいという議論であった。「解散命令」のことも、枝葉手法なら例外注文にも限度があるので、と受け止めていたのである。それが逆転して弁護士法改正方式となると、主務官庁が日弁連であるべきものに中身の文句が付けられず、形式審査でパスさせることになる。然も商法、会社法の論理が解釈基準として大幅に弁護士法に取り入れられる。獲得すべき重要事項第一項が、警戒第一項に逆転してしまったのである。そして商法・会社法の論理と云うことになると、真っ先に商号と登記の順位獲得とダブリ排除が問題になる。以前から燻っていた「優越名称の可否」、「地域独占名称の可否」の問題である。団関係者が好んで使っている「第一・中央・〇〇県合同法律事務所」名は不正競争法上問題となるか、そも、新たな登記登録制度採用にあたり、改めて早い者勝ちとなり、遅れたらダメなのか、と云った問題が陸続と生まれてきて、然もそれが商法、会社法の論理で処置される。仕事の議論として弁護士にとって自明のことではあるが、それが自分たちのことになると、単にモラルや仁義の問題でしかなかったことが、これからは例外なく法律問題として処置されることになる。この変化にどう適応するのか、そも適応する間にわれわれ自身がどう変わってしまうのか。

いくつかのこと
 ついでに言えば、「競業避止義務」もどうなるのか。説明では適用になると言うが、そも弁護士の避止義務とは何か。弁護士はモノを売っているわけではない。うまい・下手、ビギナー・シニアの区別はあるが、ほぼ同じく「法的サービス」を売っている。法律事務所経営とは云っても、存外に水商売の世界に似ている。あそこは「小料理屋」、ここは「大衆キャバレー」、そっちは格式が違うから「クラブ」とかの例えが妙に当て嵌まったりする。となると競業とは要するにクライアントの取ったり取られたりのことかとなる。パートナー・従業員弁護士とも、これからの業内紛争は仲間内の仁義違反から法違反の問題になる。あいにく地理的に狭い範囲でやっているから、別れ話の多くがこれになり兼ねない。こんな辺りが会規会則処理でどうなるかをみて要綱や法律案の当否を考えたいのだが、二/五速報が言うような三月上旬国会提出予定では、一切が間に合わない感じである。また、「弁護士法改正」の方式については、これになったとは、二/五速報が初めての紹介で、総会当日配られた二/七ワーキング文書の末尾一行の下りが公式の初めてである。尤も二/一号の日弁連新聞にはその予定であるとの座長の一文があるが、届いたのは総会後である。手打ちしていたのなら、判っていたのなら早く言えよ、と言いたくなる。執行部とチーム関係者以外では、問題の所在・進行・顛末が殆ど論じられることがなく、文字通りのギリギリの滑り込みで既判力の恩恵に浴した際物である。弁護士自治を一番の問題と考える人からみれば、殆ど信じ難いカムフラージュ手法である。商法とビジネスロイヤーの論理が浸透し、法務省を通して外界の論理が自治の本丸に陣取ることになる。これからの弁護士法は、ビジネスロイヤーの増大と相俟って、さながら、徳川内府に乗っ取られた太閤没後の大坂城の如きになり兼ねない。この伏線が「弁護士法人」呼称であったか。それ迄は「法務法人」・「法律事務所法人」と呼ばれていた。いっそ端的に、と言った程度の変更理由説明を聞き流していたし、そのため、「弁護士法人は弁護士か?」などという珍問答が誘発されたかと思っていた。が、この呼称がまさしく端的に弁護士法改正方式へ架橋したに違いないと、今は思うのである。

これからのこと
 法案は三月上旬上程され、審議会のプッシュと、日弁連が要求、承認したとの錦の御旗のもとに最速成立となるだろう。私にしても弁護士自治がどうのこうのと言ってはみても、事務所に帰れば「民宿と大ホテルは大丈夫だが、中小旅館は、ウム」と云った思考になるので、所内論議も大概「傾向と対策」にしかなりようがないのが実情である。
 これが中間報告以降ハッキリしてきた「弁護士の在り方論」に重なる。懲戒外部化に繋がる審査会設置問題・会務運営への会外者関与拡大は勿論、弁護士法二〇条(二重事務所禁止の改廃・無意味化)・三〇条(兼職・営業の届け出方式への転換。ちなみにサラ金サービサーへの営業許可があり、また、サービサー自体の営業制限撤廃問題が押せ押せになっている。)・ 七二条の、案の上の大幅解禁(日弁連が付けた条件の無意味化)・企業法務出身合格者の修習免除・副検事等の法曹資格取得前向き検討が一斉に現実化している。その勢いのもとでわれわれの法人化が達成される。事務所数にして八割、会員数にして四〜五割の会員が利用出来るようにとの「一人法人」中心の法人法であり、弁護士法改正である。こんな状況下で「執行部批判」と取られるようなことを言ったり、書いたりするのは理事の一員として本意ではないし、些か心苦しい。然し、行政責任を負う方々は否応なしに外部権力と共通語で話す癖が付き、仲良くなる。一年の当番意識程度で要路に就くと、流れに乗って無事辿り着くことと、あわよくば一つ位手柄を立てたいとの気持ちに取り憑かれ、独特の視野狭窄に陥る。少しは身に覚えのあることであり、これを免れる人は例外である。これから先、ホントに一体どんなことになるのか、私には分からない。その問いをただ、繰り返すばかりである。


本場アメリカで陪審を考える

(訪米報告その2)

東京支部  鈴 木 亜 英

 全米を騒がせたO・J・シンプソン事件はロサンゼルスの上級裁判所(地裁)での無罪評決で幕を閉じた。翌日の朝日新聞社説は、「あまりにもアメリカ的な事件のあまりにもアメリカ的な結末」と書いた。私はこのアメリカ的結末に興味を持ちつつ、これを掘り下げる時間が持てなかった。
 幸いNLG総会を機に本場の陪審を見る企画ができたので、予備知識も左程ないまま、七人の調査団のひとりとしてボストンへ飛んだのである。
 ボストンはアメリカ独立史を凝縮したような町でその美しさもさることながら陪審裁判を受ける権利を合衆国憲法に先がけて州憲法に明記したマサチューセッツ州の州都である。
 NLG会員の熱心な受け入れ態勢で私たちは短期間に密度の濃い体験をさせて貰った。連邦地裁でマフィアが被告人の陪審裁判を傍聴したのをはじめ、各級裁判所において、各種刑事手続を実際に見ながら、NLG弁護士の活躍を垣間見、裁判官、検察官、弁護士などから詳しい説明を受けた。
 裁判官が入廷するや「今日は日本からお客様がみえています」というと、廷内の訴訟関係者が一斉に私たちに視線を向けて「ようこそ」という感じで目礼したり、私たちを陪審員席に座らせて現職裁判官が陪審制度の歴史を説いたり、裁判所食堂横の裁判官会議室兼休憩室のようなところで待つ私たちに裁判官が気さくに話しかけてきたりなど、日本の裁判所では考えられない対応に皆小さな驚きを覚えながらの日々であった。
 陪審裁判に関しては同行の各執筆者の報告に譲るが、次のような点が今回の訪米で記憶にとどめられるべきではないかと思い簡単にまとめてみた。

 第一に、アメリカがイギリスから独立する過程で、これを支えた人間平等の思想と権力に対する徹底的な不信が、職業的裁判官の専断よりも一二人の市民の判断の方が、はるかに安全で正しいとする考え方を生み出し、これが陪審制度を肯定する基礎になっている。今日本国イギリスで陪審が衰退の傾向にあるなかで、アメリカ陪審がなお意気軒昂なのはわずか二〇〇年余り前のこの新たな歴史的体験がそうさせているのである。

 第二に、現職の裁判官たちは、アマチュアの健全な判断に強い信頼を寄せており、裁判官にとって陪審員教育が手間のかかるものであることを考慮に入れても、なお陪審制を肯定する論者が支配的だったといってよい。これは誤判と思われる事例や裁判官の心証と異なる判断がそれぞれの体験から案外少ないという思いによっても支えられているようである。

 第三に、陪審制度を維持する陪審員選定手続は思いの外大変だということである。国民が司法に関与することは義務と観念されながら、国民が自分の仕事に縛られ容易に離脱できないこと、経済や教育の格差が広がり適切な陪審員候補が少ないこと、法の専門化や複雑化のなかで素人がこれにコミットしにくくなっていることなどいくつかの原因が考えられる。七〇〇人を無作為抽出して呼び出し、二五〇人しか集まらないところにこのことが示されているようだ。陪審制度がこれまで実体法や訴訟法を充実させてきたという歴史を踏まえ、これを一層国民に近づけわかりやすいものにするために陪審の維持は不可欠という認識がなければ、とてもこの手間と時間とお金のかかる制度は長続きしそうもない。民主主義には忍耐が必要だとの格言は最もよく当てはまるような気がする。

 第四に、陪審の功罪を考えなければならない。陪審をどう見るかはアメリカの訴訟関係者の間では概ね肯定的に受け止められているようだが、国民のほとんどは陪審員の経験はなく、その知識はマスコミ等によって与えられたものである。しかし、概して陪審はよいものだという考え方が強い。しかし、NLG元議長で、ロー・スクールで憲法的刑事法を教えるピーター・アーリンダー氏の考え方は少し違う。手短かに紹介しよう。
 陪審制はアメリカの歴史と文化と個人主義という思想に根ざしている。一二人の陪審員が反権力という歴史的に形成された陪審の役割を理解し、政府や裁判所に対し、自発的に対応する気持ちになれるかどうかにその有効性がかかっている。刑事事件についていえば権力の濫用にたいし公正に裁くという気持ち、民事事件についていえば、企業に対し、毅然と立ち向かうという気持ちが貫かれるなら、陪審は裁判所が果たすことができない役割を果たすことができる。アメリカの場合、同じ陪審でも、大陪審(グランド・ジュリー)と小陪審(ペティ・ジュリー)では全く違った役割を果たしている。前者は検察官にお墨付きを与えることにいいように利用されているが、後者は訴え当事者の言い分を聞いて、検察官の望まない結論を引き出す充分な可能性を示してきた。陪審の評決は予測しがたい。蓋を開けて見なければわからないというところがある。この予測不可能性こそ陪審の価値であり、生命である。陪審の示す正義感が社会的な支持を得られる限りこの予測不可能性が権力から人民の正義と人権を守ってきた。弁護人・弁護士の法廷での役割は、警察・検察の権力の影響を縮小させ裁判所・検察の影響を殺ぐことであり、陪審の予測不可能性を引き出す努力に尽きる(後記の森脇圭子さんの『宿題「ジュリー・ナリフィケイション」のこと』を参照してください)。反面陪審はそれが自己目的化した場合に誰も手がつけられない制度に転化する虞れがある。陪審に附せよとの要求は、陪審にかかる裁判所のエネルギーを少なくしようとする裁判所との間の摩擦を生むことになり、弁護士の望む司法和解を引き出す戦術としても使われ、陪審の要求が常に戦略となる訳ではないともいう。団創立七〇周年に来日し、大阪で講演したアーサー・キノイ氏は団員の質問に答えて、「労働事件における陪審の評価、つまり陪審が労働者側に好意的な評価をしてくれるかは、今日わたしがお話ししてきたことすべてにかかわっているのです。法廷外の運動が盛り上がって民衆の支援が強ければ、陪審は当然、労働者側に有利な評決を書くのです。彼らは自分の属するコミュニティの世論に反対したくないからであります。しかし、法廷外の運動がないときは陪審の評決はしばしば会社や検察官に有利なものになります」といった。P・アーリンダーは言う。民衆ができるだけ司法に関与していくことはよいことだ。しかし、その場合市民の参加は権力から独立しているかどうかにかかっている。そうでなければ、かえって有害である。陪審が難しい判断ができるか、マスコミによって影響を受けやすいのではないかなど様々なデメリットも考えられる。従って自分は陪審制賛成論者ではあるが、陪審が司法制度の中でベストかどうかはわからない。

 第五に陪審制度の日本への導入の是非についても考えてみなければならない。一般の裁判官たちは、「アメリカは多民族国家であるから、ひとつの意見を形成することが難しい。その点日本はそうした問題が少ないから陪審は成功すると思う」という。しかし、P・アーリンダーは言う。一群の市民がひとりの専門家より優れた判断をするという考え方は、エキスパートに対する不信感に立脚している。アメリカ特有の考え方に根ざすものであり、その場合、社会が自律と自覚を持った市民によって構成されていることが大切である。日本は残念ながら歴史的にそういう経験をしていない。多くのアメリカ人は陪審に無批判な信仰を持ち陪審を独特の制度と考えて、批判なしにセールスしたがるが、歴史と文化の背景を無視してこれがどこでも根づくとは考えがたい。もし導入しても、それが成功といえる迄は長期にわたる改革と努力が必要だろう。歴史や文化と切り離して、陪審制はそれ自体が民主的な制度だとは言い難い。司法改革のなかで国民の司法参加が目指されている。
 私は国民が司法判断という権力作用に関与していくことの意義がどこにあるのか、短いアメリカの滞在の中でこれを考えるヒントを得たように思う。陪審裁判の利用者としての当事者や一般国民の陪審制度に対する認識や感想を聴く機会がなかったが、次回の宿題としたい。


宿題「ジュリー・ナリフィケイション」のこと

本部事務局  森 脇 圭 子

 ボストンは非常に美しい町だった。それだけで日本で生活している日々の日常の閉塞感から解き放たれたすがすがしい解放感がある。日常をつつがなく、それなりにこなしていくことも大事なことだけれど、思い切ってそこから解放されることもまた同じように大事なことで、必要な事だと、滞在期間中も日ごとに彩りを変えるボストン・コモンの柳を見ながらそう思った。
 司法改革がこれだけ議論になって、団のスローガンも「司法を国民のものに」とされているにもかかわらず、告白すると恥ずかしながら余りピンとこない。団の意見書の編集の仕事に携わったり、常幹や事務局会議の議論を聞いていてこの有様だ。これだけ現場の近くにいながら、こんな事でよいのだろうかとずっと思い続けていた。
 NLG総会がボストンで開かれ、陪審制度についての視察もかねて行われることを知ったのは、丁度司法問題をもっと自分で、もっと自分のものとして考えたいという気持ちが大きくなった頃で、この機会に是非アメリカの司法制度を見てみたいと強く思い、今回参加させていただいた。
 私たちは、幾つかの裁判所を訪れ、たくさんの人たちと話をした。NLG会員の弁護士、公設弁護人事務所の弁護士、裁判官、裁判所長、検察官、裁判所の職員などのべ二〇人くらいであっただろうと思う。また、私たちは見学の後、集まってよく議論をした。自分の目で見て、感じたことを感想を述べ合い、疑問を出し合いながら食事をするのは何よりも楽しかった。評決を終えた陪審員や陪審員経験のある市民と話してみたかったが、そのチャンスがなかったのは少し残念だった。
 それぞれの報告は先生方から詳細にされているので(団通信一〇〇五号掲載)是非読んでいただきたいが、滞在中、特に印象に残ったことを一つだけ記したい。
 私たちが裁判所見学の日程をほぼ終えた頃、滞在したホテルには多くのNLG会員が全米から集まってきた。週末に総会が開かれるからだ。ロビーでもNLGのネームプレートをつけた会員たちと出会うことがあり、一日前のオープニングレセプションに全員で参加して菅野先生が演説をされたこともあり、話しかけられたり握手を求められたりすることが多かった。
 たまたま話しかけられた会員に、私たち一行はアメリカの陪審制度を見学する目的で幾つかの裁判所の見学をしたという話をした。そして陪審制度についてどう思うかを尋ねると、私の意見がNLGの意見ではないがという前置きをした上で、陪審制度にはよい点も悪い点もあるけれど、私は賛成ではない、という。理由を聞くとあなたはジュリー・ナリフィケイションという言葉を知っているかと逆に聞かれた。申し訳ないが全く知らないと言うと、それが私が陪審制度に賛成できない最大の理由だと言う。知識の無さだけでなく、会話力もないものだからそれ以上話が進展することもなく、スペリング(jury nullification)だけを聞いて、ではまたということになってしまったが、この知らない言葉が帰国後もずっと気になっていた。
 帰国してから、団総会の際に書籍コーナーで買った「日本に陪審制度は導入できるかーその可能性と問題点」(丸田隆著・現代人文社)という本を読んでみたら、辞書にも詳しく出ていなかったジュリー・ナリフィケイションの記述が二カ所にあった。
 紹介すると『…判決に理由を付さないことを通じて、陪審には証拠に反して無罪評決を下すことができるとする、いわゆる法を無視する権利(ジュリー・ナリフィケイション)がある。そしてジュリー・ナリフィケイションの権利は「悪法」から市民の自由を守るための重要な権利として、陪審に認められてきたのである。…(39頁)』とある。つまり、証拠が圧倒的に合理的な疑いを越えて存在することをしりつつ、それらに拘束されることなく(証拠や裁判官の説示を無視して)証拠以外で評決をだす権利ということになる。但しあくまでも陪審の示した正義感が社会的な支持を得られる限り正当な評決との評価を得られるとあるので、事件事実や被害者あるいは被告人に対する感情的判断や人種的偏見によるものはこれに該当しないと思われる。
 そこでまた一つの疑問が生じた。片や陪審制度推進論者ともいえる丸田先生がこのジュリー・ナリフィケイションをその立場から紹介し、ボストンで短い会話を交わしたNLG会員は逆の立場からジュリー・ナリフィケイションを知っているかと言う。これから陪審制度の導入を考えようとしている私たちはこのことをどんな風に考えてみればいいのだろうか。
 その後、宇賀神団長にお借りし見せていただいた日弁連・第一八回司法シンポジウムのたくさんの資料の中の岡山弁護士会の「二〇〇〇年憲法記念県民集会報告集・裁判に市民の風を」に鹿児島大学助教授・指宿信先生の講演録があり、ジュリー・ナリフィケイションについてふれられていた。その中でアメリカでどのような形でジュリー・ナリフィケイションが発揮されたかという事例の紹介がある。その一つとしてベトナム戦争の際の徴兵拒否者に対する裁判をあげている。徴兵拒否者を政府が起訴していくことに対して、アメリカ市民は政府の政策にノーといえないかわりに、構成要件的にも法的に認められない徴兵拒否裁判の評決で、反戦ムードが強まるに従って無罪率を高くしていったという。
 法を無視してコミュニティの正義感に従って判断していいというところが陪審制度の最も素晴らしいところという意見と、法を適用し法に照らして判断すればよいものを裁判を予測不可能なものとしてしまう陪審制度は反対であるという意見がこの「ジュリー・ナリフィケイション」を巡って対立していることは、陪審制度の導入についてのみならず、司法を国民に身近なものにするための制度改革ということを自分自身の頭で考えるとき、一つの宿題をアメリカから持ち帰ったかな、と思う。アメリカと日本の民主主義や民主主義教育、さらには文化や歴史の違いにも様々な思いが及ぶ。
 もう少し関連の文章も読んでみたいし、このことで先生方の意見も伺ってみたいと思う。いつも考えている「一つの事柄(専門分野)と一つの事柄の隙間(溝)を埋めることが凄く大切」なのではないか、ということとも関連してこのことを紹介したいと思った。
 最後に、調査団でご一緒させていただいた鈴木亜英調査団長はじめ皆様には大変お世話になり感謝しています。特にいつも素晴らしい通訳を提供してくださった菅野先生と藤木先生にはこの場をお借りして心からのお礼を申し上げます。


学習・宣伝用「司法改革タブロイドニュース」
と要請はがきの普及と活用をお願いします

団 事 務 局

タブロイド版ニュース
 司法制度改革審議会の審議は、六月の最終報告に向け急ピッチで進んでいます。二月に「裁判官制度改革」の集中審議が行われ(三回)、三月には「国民の司法参加」についてのとりまとめが行われる予定です。最終報告の中身を国民のための司法改革に前進させることができるか、まさに正念場に来ています。
 団は、一月常幹で、二月に「草の根宣伝学習月間」、三月一五日「全国一斉行動」、四月二〇日「全国統一行動」を設定し全国で旺盛に司法改革運動を展開することを決めました。
 今回、そのための宣伝、学習用の武器として司法改革タブロイドニュースを緊急発行しました。これは、国民のための司法の必要性を問い、国民のための制度改革を実現させるたたかいを、広く訴える最適の武器です。二ページ・二色刷でイラストやHIV訴訟の川田悦子さん、ケンウッド事件の柳原和子さんの声、裁判制度の問題点、あるべき司法制度について、わかりやすく簡潔にまとめてあります。学習会などで大いに活用できるものと思います。各支部・事務所での活用はもちろん、運動体などにも大いに普及して下さい。大量のご注文をお願いいたします。

 一部一五円。一〇〇〇部以上注文の場合は一部一〇円に割り引きいたします(送料は別途負担)。大量注文をお願いいたします。

要請はがき
 司法制度改革審議会への要請はがきをご活用下さい。
 団員自身や事務局、家族はもちろん、依頼者の方やつきあいのある労働組合などに提起していただければ、団員一人当たり数十部ないし一〇〇部程度は可能と思われます。
 官製はがきに印刷していますので、実費五〇円になります。タブロイド版ニュースとあわせて大量注文をお願いいたします。