<<目次へ 団通信1021号(05月21日)

九条の価値を全国民に伝えるために

−「憲法九条の映画」企画への参加を呼びかけます−

担当事務局次長  伊 藤 和 子

一、驚異的な内閣支持率でスタートした小泉政権は、初めから「改憲」「九条見直し」「集団的自衛権行使」を公然と主張し、憲法九条を標的とした改憲の意欲を明確に表明しています。
 総裁選での改憲論議や憲法調査会内外での石原慎太郎、櫻井よしこ等の改憲論者の活発な発言、小林よしのりの「戦争論」等、声高な改憲主張が展開されています。
 憲法記念日を前にした朝日新聞の世論調査では、「九条を変えない方がいい」という回答が七四%ということで少々ほっとさせられましたが、今後一層九条をターゲットとした改憲策動が国民を巻き込んで行なわれていくことは明白です。
 国民投票を視野に置いて、全国民に対し、私達が九条の価値を伝える必要があります。
 従来の運動の枠を大幅に越える憲法九条改悪阻止の国民的規模の世論をつくるためには、多くの人が共感できるような運動の武器を持つ必要があります。そこで、「憲法九条の映画」を提案することになりました。
 九条の原点は何よりも戦争の犯罪性・戦争の悲惨さとその克服の決意だと思います。戦争を知らない世代に、戦争がバーチャルではなく、いかに残酷な現実なのかを共感してもらうために、映像が必要だと思います。
 また、今なお戦争に明け暮れる世界の人々は戦争の根絶を強く希望していること、一九九九年のハーグ平和会議で第一原則に掲げられたように、これら戦争の根絶を希望する人々にとって憲法九条は極めて先駆的で全世界的価値を持つこと、九条の普遍化こそ日本に求められる国際貢献であることを、映像をもって伝えたいと思います。
 日独裁判官物語や10フィート運動のように、広く普及し、各地で上映会を開いてもらえる映画を目指したい、その規模を国民多数に広げたい、と考えています。

二、映画をつくるというのは非常に大胆な企画であり、資金調達も大変です。しかし、広範な人々に依拠する大きな運動を展開して、流れを変えることが今、求められているのではないでしょうか。
 多彩な文化人に呼びかけ広範な運動を作っていきたい、メディアにもどんどん取り上げられるようなキャンペーンにしたいと思います。
 もうひとつ、平和を求める全ての個人・団体が連携できる運動にしたいと思います。
 一九九九年のハーグ会議で、同じ平和を目指しながらそれまで全く連携してこなかった日本の平和・反核NGO・宗教者・市民が一同に会しました。若い人の活気にあふれる日本の平和NGOの活動も紹介されました。
 私はこの会議に出席して「何故これだけの人達がこれまで全く別々に行動してきたのか。様々な経緯はあるにせよ今後も別行動を取りつづけることは、平和にとって犯罪的なことではないか」と痛感したことを覚えています。このことは、この会議の直後にガイドライン法が採択されたため、一層痛感させられました。
 このたび五月三日に中央で統一した憲法集会が開催され、各地でも幅広い連携が模索されています。しかし、さらにその規模を広げる必要があると思います。
 映画の企画は、日本ハーグアピール運動が主な呼びかけ団体となり、日本の幅広い平和・人権団体(例えば、YWCA・生協・国境なき医師団・日本国際ボランティアセンター・地雷キャンペーン・女性国際戦犯法廷を実現したNGO・ピースボート等)にも呼びかけを行なっています。
 この映画の企画により、NGOや宗教者、若者等、平和を願う広範な人々の共同行動・共同のアピールが実現し、憲法に関する現在の世論を大きく変えたいと思っています。

三、この企画の成功のためには多くの方のご協力が必要です。
 先日、自由法曹団、青法協、日民協、国法協、反核法協の法律家五団体のメンバーや日独裁判官物語を作られた高橋利明弁護士、学者、日本ハーグアピールのメンバー、地雷ネットワーク、世界連邦運動のメンバー、映画関係者、マスコミ関係者等が参加して第一回準備会を行ないましたが、映画をつくることを考えると圧倒的に人手が足りないことは明らかです。
 多くの人にアイディアを出していただいて企画を進めたいと思います。
 以下のとおり、準備会を開催しますので、是非積極的にご参加下さい。特に若い団員の積極的な参加をお願いしたいと思います。
 また、映画のアイディアやノウハウ・ご意見等がありましたら、団または私の個人メール(BQY01552@nifty.ne.jp)宛どんどんご連絡下さい。
 成功に向け、是非よろしくお願いします。


新規採用拒否でも不当労働行為成立

−青山会不採用−

神奈川支部  小 島 周 一

 東京地裁民事一九部(山口幸雄裁判長)は、本年四月一二日、いわゆる「青山会不採用事件(東京地方裁判所平成一一年(行ウ)第七六号)」につき、組合嫌悪を理由に新規採用を拒否した場合には、その採用拒否は労働組合法七条一号本文前段の「不利益取扱」に該当するとして、組合員の採用を命じた中労委命令を支持し、青山会の請求を棄却した。
 同じ部の高世三郎裁判長のもとで、新規採用の場合には労働組合法七条一号本文前段の適用はないとされた、一九九八年五月二八日の国労本州不採用事件判決、二〇〇〇年三月二九日の全動労判決を乗り越えての勝利判決であった(なお、山口コートにも、この高世判決のときの右陪席であった鈴木正紀裁判官が右陪席として合議体を構成している)。
 以下、事件の概要、訴訟の経緯、判決の内容、判決の評価と残された問題点について報告する。

第一 青山会不採用事件の概要

 一 病院の引き継ぎに至る経緯

 神奈川県秦野市で精神病院「越川記念病院」を運営する医療法人社団仁和会は、診療報酬の不正請求、入院患者に対する人権侵害等の問題により、一九九四年一〇月、神奈川県から、健康保険法による保険医療機関の指定取消等の処分を受け、一九九五年一月一日以降、同病院の運営ができないこととなった。
 そのため、仁和会は、同じく神奈川県下で精神病院などを運営する医療法人社団青山会にその病院施設等を売却し、一九九四年一二月三一日をもって全職員を解雇した。なお、病院施設の売買契約に伴い締結された覚書には、「甲(仁和会)は従業員に対し、本覚書締結までに解雇予告を行うものとする。なお、甲の従業員を乙(青山会)において雇用するか否かは乙の専権事項であって、甲は一切関与しないものとする」との条項がある。
 青山会は、右売買契約締結とともに、一九九四年一二月から越川記念病院の職員に対する面接を開始し、看護職員については希望者をほぼ全員採用するとともに、一九九五年一月一日から、越川記念病院の施設と患者をそのまま引き継ぎ、採用した越川記念病院の職員と自ら雇用していた職員とで、名称変更した「みくるべ病院」の運営を開始した。

 二 二名の組合員の採用拒否

 ところで、越川記念病院には、「上秦野病院(越川記念病院の前の名称)労働組合」があり、前記売買契約当時は、組合員が二名いた。また、青山会にも上秦野病院労働組合と上部団体を同じくする労働組合「初声荘病院労働組合」があり、病院引継前から、青山会との間で解雇事件を巡って争議を行っていた。
 以上のような状況から、上秦野病院労働組合の二名に対しては、青山会が採用を拒否することも十分予想されたので、組合は、事前に、他の職員と同様の労働条件で働く意思があることを青山会に伝えたが、青山会は、この二名に対しては採用要求の手紙の受け取りも拒否し、採用面接すら行わずに、採用を拒否した。
 以上から明らかなように、本件は、法的には、新たな使用者との間の新規採用の事案であり、かつ、その新たな使用者による組合所属を理由にした採用拒否が明白な事案なのである。

 一 組合は、採用拒否後直ちに、神奈川県地方労働委員会に不当労働行為救済申立を行い、同地労委は、一九九六年七月、組合嫌悪を理由とした採用拒否は労働組合法七条一号本文前段の不利益取扱に該当し、かつ同条三号の支配介入にも該当するとして、青山会に対し、二名の組合員の採用を命じるとともに、一九九五年一月一日からの賃金を支払うよう命じた。

 二 青山会はこれに対して中央労働委員会(中労委)に再審査を申し立てた。中労委は、申立組合委員長、青山会専務理事の証人尋問等を経て、一九九七年六月一二日に結審した。

 三 ところが、結審後の一九九八年五月二八日、国労本州不採用事件の中労委命令取消訴訟において、東京地裁民事一九部の判決が言い渡された。その判決の中で、高世三郎裁判長は、新規採用の場合に不当労働行為が成立するのは、労働組合法七条一号本文後段の黄犬契約ないしこれと同視できる場合に限られ、かつ、仮に不当労働行為が成立するとしても労働委員会には労働者の採用命令を出すまでの権限はないという判断を示した。その判断の主たる根拠は、労働組合法の立法者意思、及び昭和四八年の三菱樹脂事件最高裁大法廷判決(以下「最高裁四八年判決」という)であった。

 四 我々は、この高世判決の悪影響を心配したが、中労委は、一九九九年三月九日、採用拒否と不当労働行為の関係について神奈川地労委と同様の解釈を採って、「本件再審査申立を棄却する」との命令を発した。

 なお、この命令後の二〇〇〇年三月二九日、高世コートは、全動労不採用事件において、新規採用と不当労働行為の関係について再び同様の判断を示した。

第三 訴訟の経緯

 一 青山会は、中労委命令に対して、一九九九年三月、その取消を求める行政訴訟を提起し、本件訴訟は東京地裁民事一九部に継続した。
 その中で青山会は、昭和四八年最高裁判決と、前記高世判決に基づいて「新規採用に関しては不当労働行為は成立しない。仮に成立するとしても、それは、労働組合法第七条一号本文後段(黄犬契約)の場合に限られる」と主張した。

 二 ところで、この事件は、当初、高世コートの右陪席であった鈴木正紀裁判官の単独法廷に継続した。当時は、東京地裁労働部が、特に解雇事件について、これまでの解雇制限法理をかなぐり捨てるような判決を次々と出していた時期でもあった。しかも鈴木裁判官は、第一回の法廷に臨んだ我々の前で、別な労働事件の原告側に対し、裁判官席で扇子を開いてパタパタ扇ぎながら、馬鹿にしたような態度で話をしていた。我々は、それを見て、次回の法廷からは我々の方でも扇子を持っていき、もしも鈴木裁判官が扇子を開いて扇ぎながら話をしたら、我々も扇子を開いて扇ぎながら発言しようと意思統一し、二回目の法廷に扇子を持っていって、机の前に置いた。すると、それを見たせいか、鈴木裁判官は、我々の法廷のときには、以後、扇子を出さなくなった。

 三 それはともかく、前記高世判決の合議体の構成員でもある鈴木裁判官の単独法廷のままで審議を進めたのでは、高世判決の頭のままで審理が進み、判決が言い渡される恐れがあった。そこで我々は、どうせなら高世裁判長と始めから対峙しようと、直ちに事件を合議に変更するように求める上申書を提出した。
 その結果、本件は合議体で審理されることとなり、二〇〇〇年二月二三日、合議体初の弁論期日が開かれた。ところが高世裁判長は、別な用事があるとのことで法廷には現れず、結局、我々の前には一度も姿を見せることなく、同年四月から最高裁に転出していったのである。

 四 この事件に勝利するためには、高世判決を乗り越える必要があった。そして高世判決が根拠としていたのは四八年最高裁判決と立法者意思であった。しかし、高世判決には致命的な欠点もあった。それは、立法者意思と言いながら、実際の立法過程については何ら検討もしていない点、及び、四八年最高裁判決を引いて「採用の自由と不当労働行為の調整」に言及していながら、高世解釈を採った場合に、団結権・労働現場にどのような影響があるのかについては全く具体的な検討をしていない点であった。要するに、高世判決は、「秀才」が机上で考えた判決だったのである。
 そこで我々は、立法過程については、国会図書館から、現行労組法、その母体となった旧労組法の制定当時の委員会議事録等を取り寄せ、証拠として提出した。また、高世判決を採用すると、実際の労働現場にどのような影響が及ぼされ、団結権が危殆に瀕することになるかを主張した。さらには萬井教授にお願いして、条約をも含めた日本の法体系の中で、労働組合法・不当労働行為制度がどのような位置を占めるか、そしてそれに基づくあるべき解釈について鑑定意見書を作成してもらい、提出した。
 また、中労委も、この事件に関して、十分検討され、かつ熱意のこもった主張を当初から最後まで展開してくれた。

 五 そのような法廷での取り組みを進める中で、新たな裁判長となった山口幸雄裁判長は、結審前には、「判決を出せば重要な影響を与えることになる事件なので、慎重に検討したい」と発言するまでになっていった。しかし他方、高世コートのときの右陪席であった鈴木正紀裁判官も結審時、山口コートの合議体メンバーのままであった。
 そのような中で我々は二〇〇一年四月一二日の判決を迎えたのである。(次号につづく)


大学と司法の良識を問う

−駒場寮訴訟控訴審結審に寄せて−

東京支部  田 中   隆

一 〇一〇四一九東京高裁

 四月一九日、東大駒場寮明渡訴訟の控訴審が結審した。無条件明渡と仮執行宣言を認容した昨年三月二八日の一審判決からほぼ一年が経過している。
 最後の弁論が開かれたのはこの日から使われた一〇一号法廷。最大の法廷を学生やOB、教官らしい人々が埋めた。提出された控訴人最終準備書面は約一八万字、メールで受信しているから正確にはわからないが二百頁近い大作に違いない。若手団員を中心とした弁護団の渾身の作である。法廷での若手弁護士の意見陳述も簡にして要を得た見事なもの、久しぶりにすがすがしい法廷を体験させてもらった。
 駒場寮弁護団に加わったのは結審間近の二月末、発端は「一緒にやりませんか」との萩尾健太団員からの電話だった。直前の東京支部総会の幹事長報告で、「がんばっている若手を支えようじゃないか」と演説していたこともあって、「俺はやらない」とは言えない理屈。一瞬「しまった!」と思ったが、もう間に合わない。同時に、三〇年ほども昔に三年半ほど籍を置いて青春を過ごした思い出の地が、当局の決定とやらでやみくもに破壊されようとしていることに、穏やかならぬ気持でいたのも事実ではある。
 かくして何世代も違う弁護団に加わり、尾林芳匡団員の「独立した論点ならいまからでも書けるだろう」の鶴の一声で、仮執行宣言論を担当することになった次第である。

二 駒場寮廃寮と公団住宅建替

 問題の発端は九一年夏、東大当局が要求していた三鷹国際学生宿舎の予算化が急浮上したことから、それと「引き換え」に駒場寮の廃寮と駒場キャンパス再開発が企図されたことにある。この廃寮や再開発計画に、学生や教職員など大学構成員が参加する道筋は保障されておらず、かつて東大が確認したはずの全構成員自治の理念は片鱗も見受けられない。
 以来一〇年、当局は廃寮を既定事実として、「跡地利用計画」の策定、入寮募集停止通告、廃寮決定通告といった道をひた走り、九六年四月には現に寮生が居住する寮への電気・ガスの供給を停止する。「バブル」全盛期の地上げ業者を思わせるこの強権的な手法に、学生や教職員が反対の声を挙げるのもけだし当然というところだろう。
 駒場寮問題が動き出した九〇年代初頭、全国の公団住宅では強権的な建替が強行され続けていた。「国の決定」を金科玉条にしてやみくもに立退きと住居の解体を迫る手法は、駒場寮と酷似している。
 その建替問題では、当初「国策」を盾にした無条件明渡判決が続いていたが、九〇年代中盤からの公共事業見直しの機運を背景にして住民との協議による解決の方向が模索されるようになってきた。筆者が担当した葛飾区・金町団地事件では、九九年三月、七年の闘争を経て、以後一〇年間の建替延期と希望者の残留入居を基本とする「解決協定」を締結している。この金町団地の解決について、建設省(現国土交通省)は、「これを参考に住民との協議を尊重する」旨の国会答弁まで行っている。
 かの特殊法人や国土交通省ですら住民参加や協議を約束せざるを得ないこのいま、「良識の府」のはずの大学や文部科学省は、一〇年も前の「決定」に固執してOBを含めた全大学人の共有財産とも言うべき駒場寮をやみくもに解体しようとするか。
 これが駒場寮問題の問いかける現代的な問題である。

三 仮執行宣言と高裁判決と

 高裁判決は五月三一日に宣告される。当然ながら弁護団は原判決破棄を確信しているが、これまた当然ながら情勢は予断を許さない。
 頭書のとおり原判決は仮執行宣言付であり、そのまま執行に至っていればすでに駒場寮は解体され、問題の社会的な解決はおよそ不可能となっていた。その破局を防いだのは機敏な執行停止決定の獲得であり、三、〇〇〇万円という保証金を調達した学生や支援運動の努力であった。
 当局の「廃寮決定」だけが理由で学生にいかなる有責原因もない本件のような明渡請求事件で仮執行宣言を付すべきか。憲法上の理念で大学の自治に関わり、社会的な問題となっている案件で、三審制の例外のはずの仮執行宣言によって協議による問題解決の道筋を封じるのが司法の役割か・・。これが急きょ筆者が担当した仮執行宣言論の骨子であり、問題はやたら仮執行宣言を乱発する近時の民事司法のありようにも関わる。
 とはいえ、五月三一日の高裁判決の結果いかんでは、駒場寮は「強制執行による解体」という無残な終末を迎えることになり、それを防ぐにはいっそう困難な高裁判決の仮執行宣言に対する執行停止決定を獲得しなければならない。
 弁護団の驥尾についた一員として、団員各位のご協力・ご支援を切にお願いしたい。

(二〇〇一年 五月一二日脱稿)


日弁連・百聞は一見に如かずツアー
ニューヨークとボストン調査の報告

大阪支部  桐 山   剛

1 ニューヨークとボストンへ一〇〇名の調査団

 日弁連・司法改革推進センターは、百聞は一見に如かずツアー第三弾として、ニューヨーク(三月二四日〜四月一日)とボストン(三月三一日〜四月八日)調査を行った。
 テーマは、陪審制、法曹一元、ロースクール、弁護士の公益活動であり、全国から合計一〇〇名(弁護士は八四名)が参加した。第一次から第三次を通じて延べ二三九名の弁護士が参加したことになり、司法改革運動に新たな一ページを記録したと自負している。
 ここでは、私が参加したニューヨーク調査の中から印象に残った点を報告したい。

2 ニューヨーク市立大学ロースクール

 ニューヨーク市立大学ロースクールは、マスコミランキングによれば第四分位(最下位)に属するが、貧しい人々に教育の機会を与え貧しい人々のための弁護士を養成することを目的とした実にユニークなロースクールである。教授陣も学生も女性の方が多い。
 特徴は、クリニックという臨床科目に力を入れ、弁護士になればすぐにでも役に立つ弁護士を養成している点にある(クリニックの分野ではベスト一〇にランクされている)。クリニックには、刑事弁護、婦人の権利、社会福祉、移民・難民の権利、老人法、国際婦人人権法、仲裁の七分野がある。
 刑事弁護を例にとると、刑事手続きにしたがって陪審裁判の終わりに至るまで裁判所をも舞台にして実践的なプログラムが組まれており、実践的という点では司法研修所の実務修習よりはるかに徹底している。婦人の権利と社会福祉のクリニックを傍聴したが、赤ちゃんを抱きながら勉強している女性、盲導犬といっしょに録音しながら勉強している男性が目に付いた。平均入学年令は二九才と高齢である。
 授業風景はアットホームな雰囲気が満ちており、誤解を恐れずに言えば、面倒見のよい気さくな教授が一生懸命教えている専門学校のような感じである。
 授業料は、ニューヨーク州の補助があるので非常に安く、ニューヨーク州住民であれば年六、七五二ドル、そうでなければ年九、九八二ドルである(ちなみに、次に述べる私立のニューヨーク大学ロースクールの授業料は、年二八、五〇五ドルと高額である)。

3 ブレナンセンター

 ブレナンセンターというのは、連邦最高裁の有名なリベラル派ブレナン判 事の業績を記念して一九九五年に設立された研究と実務を兼ね備えた組織である。ニューヨーク大学ロースクール(有名な私立のロースクールでトップテンに属している)に付属し、デモクラシーを強化すること、貧困者に対する公正さを確保すること、自由を守ること、刑事被告人の権利を保護することを目的として実践的な活動をしている。
 簡単にいうと、全米で起きている上記四分野の訴訟をバックアップするため、スタッフが弁護人として参加するというスタイルである。そして、ニューヨーク大学ロースクールの教授が弁論を行う。例えば、リーガルサービスのために働く弁護士は福祉に関する法律自体を争うことはできないという連邦法の有効性を争い、一度重罪を犯すと選挙権が一生なくなるというペンシルヴァニアとフロリダ州法の有効性を争っている。
 資金は各種の寄付で賄われており、雇用されているスタッフ弁護士(一五〜二〇人)の初任給は四三、〇〇〇〜四五、〇〇〇ドルという。スタッフ弁護士は有名ロースクールを卒業したエリートであり、この金額からもわかるように、お金ではなく憲法的価値を守ることに生き甲斐を見いだす弁護士や学者をめざす弁護士が集まっており、いわば高級な公益活動を行うセンターとでもいうことができよう。


弁護士の在り方、その二、三のこと(下)

東京支部  坂 井 興 一

「法人化問題その後」

 法案を受けての連合会方針案が三月理事会に掛かり、圧倒的多数の賛成で通過した。×三、△六であった。方針案は提出された法案内容がそのまま連合会の意向に沿ったものであると受け止めて、ほぼ丸ごと承認しようとしたものであった。これについて私は、要旨以下の意見書を提出して×とした(今更くどいとは思うが、これからの作業と判断のご参考迄に紹介させて頂く)。

(意見の趣旨)

 その趣旨として、本案件は当面、国会に提出された法案の報告事項として会則・会規案の策定を急ぎ、その上での法案についての態度・意見確定をされるべきこと。
 仮に何らかの実質的方針決定とする場合、主要部分について例えば、以下のような修正を検討・追求されたいこと。

イ、一人法人については特則をもって制度整備を図ること。

ロ、登記による弁護士法人の成立手続きについても、可能な限り会則での注文を可能なものとすること。

ハ、自然人たる弁護士が受けるべき裁判事務等の業務についての規定の仕方としては、受任主体は弁護士であり、弁護士法人はその事務の受託責任を負うものとなるべきではないのか。

ニ、指定外社員の有限責任を確保するなどと云う品のない方針は感心しないこと。

ホ、競業避止義務の受け止めと規定の仕方については、法案を安易に受けないようにされたいこと。

ヘ、弁護士法人について、解散命令に関する規定が準用される場合、以下のようにすべく務めること。

1,法務大臣の請求があるときは監督官庁である連合会はその意見を聞き、解散不請求とするときはその内容を法務大臣に報告する。

2,商法五八条の請求権者にはそれと同等以上のものとして、連合会(会長)を加える。

ト、制度創設に伴い必要となる罰則及び科料規定の準用についても安易な受容はしないで慎重に検討すべきこと。そしてその(意見の理由)として、

1,弁護士法改正の手法を取るとしても、改正案とその内容は主務・監督官庁となるべき連合会が主体的・主導的に提起すべきものであること。然し本議案は、意のままにならなかった法務省提出法案をそのまま垂れ流し的に方針とするのもので連合会の主体性がなく、二月臨時総会に於いて連合会方針を理事会で定めるとしたこととの辻褄合わせに終始していること。

2,提出された法案の適否・整合性等は、結局のところ会則・会規の定めがどうなるかが分からなければ判断が困難であり、後日、その策定過程で法案の不都合・不具合が判明した時、法案そのものを方針としていれば、無理にでも(欠陥・問題)案文に会則・会規を合せねばならないと云う不都合を防げないこと。

3,例えば、当年度理事会では支所問題以外は決着済みとして昨年一一月まで審議する機会が事実上与えられず、改正手法・一人法人・監督官庁問題等がまともに検討されなかったが、何が決着済みで、何が未決着なのかハッキリさせることが必要であるのに、連合会にとっても先行き障碍になり兼ねない、過ぎたる確認を漫然とするものではないのか。

(問題部分について)

 監督官庁、一人法人、支所、解散命令等であるが、

1,監督官庁は、弁護士法改正手法を取る以上当然日弁連であり、法務省等のチェックは余儀ない範囲に止めるのを本則として立案すべきであり、少なくも会則・会規はその立場で策定するものとして確認されたい。

2,一人法人については、商法上及び立法目的からして明らかに例外のものであり、整合性を図る見地から、法文上も一括特則手続きとして整理すべきこと。

3,支所問題についても、二重事務所禁止条項との抵触の整理を始め、様々な混乱や他条項との齟齬が危惧され、従って同様に特則扱いとし、詳細は会則等に委ねること。

4,強い異論のあった解散命令については、弁護士法改正手法を取るなら、法務大臣主体の構成を連合会の方針とすることは不可解に譲歩した態度であり、本来、除名などと同様、命令主体も連合会とするのが順当だったこと。それがこうはならない流れになったのは、本件が実のところ弁護士法三〇条の拡張的なものとして検討されず、専ら法人法制のものとして検討されたにも係わらず、体裁を整える段階になって弁護士法改正の手法を取ったことによると受け止められ、ミスマッチの不都合が感じられること。

5,当初から弁護士法改正手法で検討されていたというなら、法人法制的・商法的発想(準則主義、支所、解散命令主体等)には強く反対すべきだったのであり、「実質が法人法制であるもの」が、「弁護士法改正の形」で行われたものとして、悪いところ取りになっており、目指すべきものはその反対で、「法人法立法とし弁護士法改正は必要最小限にするか、若しくは、名がそうなら、実も、弁護士法らしい弁護士法改正的なものとするもの」ではなかったのか。然るに今回のは、法人化(程度)のために、歓迎したくない内容・様式での大改定になってしまっており、少なくとも、今後の会則・会規対応で連合会の主権を保持する方向を追求すべきであること。

(その他の各論的なこと)

 いずれも連合会主導の、そして今後の会則・会規対応の余地を拡大する方向で処置すべきことで、若干触れると、

イ、「登記」については、長年燻っていた法律事務所名称問題や、先登録・先登記問題はどうなるのか。
 準則主義故、この関係では連合会には何の発言権もないというのか。また、解説によれば法律事務所用語の使用も任意的とのことだが、定款記載事項についての法文には所在地記載について、「法律事務所の所在地」とある。義務規定ではないとするとどう整理するのか、弁護士法人でないものが使うとどうなるのか。そうしたものを含めて、鵜呑みにしていいことなのか。

ロ、「受任関係」の規定の仕方については、裁判所等との関係で受任主体は担当(指定)弁護士であり、法人は依頼人から(保証・後見的に)事務委託を受けるとなるものと思われ、要綱・法文はここに書いているようになっており、一方で連合会の方針案はそうでないように読め、解説と法文案との整合性が判然としない。また、指定外社員の有限責任を確保する云々の言い回しは方針として品格に欠けるものであり、他方で関与社員の責任を認めているが、その定義等が何もないこと。

ハ、「競業問題」については、法人所属中の勝手な事件受任は専念義務違反・背任問題と思われるが、独立・分離等の別れ話のもつれが様々な問題を生じさせる。会則・会規でどうなるかの検討が重要であり、それによる対応の余地を残し置くべきこと。

ニ、「罰則・過科」と云ったものについて迄、受け売りの形でそのまま方針として記述するのは如何なものか。必要性を吟味した上での対応が不可欠ではないのか、、と言ったような問題点の指摘と意見を述べた。

(然し、、)

 年度末にヤッツケ仕事的に出されたこの議案について、理事会は最早既に厭戦・今更気分で、さしたる関心もないようであった。三/六に上程され、要綱と同時に提示された法案のボリュームと既成事実的な重みが連合会の思考力を萎えさせてしまったのだろう。石流れ木の葉沈むと迄は言わないが、大抵のことがバタバタと過ぎ往く日々になっていたのであろうか。
 今現在は、近々の法案の無修正通過予測と採択されたこの連合会方針に沿って会則改正案作りが行われているが、果たしてどうなるか。弁護士法自体が第一条を中核としたプロフェッション規範法から、業務・業界取締法へと変化してしまっている。法自体、引用が多過ぎてまともに手に取って読む気にもなれない煩瑣法になっている。一〇月末の臨時総会で採択すべく検討中の会則・会規レベルでは、それに輪を掛けたものになるだろう。
 自由法曹団的考え方からすると、法人問題それ自体は地味なものなのだが、しばしばこうしたことが根底から物理的に状況を一変させるのである。長年法人化問題を気にしてきた者としては、自治問題についての警戒心の薄い今回の甘い対応が如何にも残念に思われる。私もこれから先、大きな法律事務所を目指すしかないのだろう。然し、紛争処理業特有の双方代理的排斥力の強さを考えれば、労働組合や業者団体などの社団型顧問先を多く抱える弱者型法律事務所には最初からしんどい障碍が待ち受けていて、事務所を大きくしようもなく、如何にも頭の痛いところである。

「サービサー法改正」

 年度末になってバタバタして来たものにこれもある。愛知県選出・一弁の弁護士代議士で、自民党司法制度調査会の強面で聞こえる杉浦正健議員が中心になって、サービサーの営業範囲をポジティブリスト方式(〇の列挙で、原則は×)から、ネガティブリスト方式(×の列挙で、原則は〇)に変えようと云うのが俄に突き付けられたのである。彼らは業界団体を結成し、自民党に働き掛け、その早期実現を図っている。自分らは弁護士も関与し、チャンとした会社であり、不況と不良債権問題の早期解決の為有用且つ心配のない転換であると称している。
 この件はプロジェクトの検討を経る時間的な余裕もないことから、執行部対応となった。執行部の方針としては、派生・付属債権等への拡大は已むナシであるが、特定金融不良債権に限定すべきであり、ネガティブリスト方式、利息制限法問題債権のは認められない、と云ったものであった。
 ところが事情通に言わせると、今度のことは当初より予定され、折り込み済みのスケジュールに沿ったものとの内訳話であり、反対のトーンも取り組みも、私には些か弱腰過ぎるんじゃないかと思われるものであった。各サービサーには弁護士が関与しており、業界応援団が強力なこと等からみて、反対意見を通り一遍述べる程度では要するに言ってみた迄のことで、突破されるのは時間の問題のように思えた。その圧力の強さと連合会の対応の弱さに私は強い危惧を覚え、異論を述べたのであるが、それを聞きつけた法律新聞記者から執行部批判の観点からの投稿を強く促された。然し、執行部がこれに賛成しているのなら兎も角、反対の仕方が通り一遍であるという程度では何となく義理の悪さを覚え、そのままにしている。

(業界の言い分とその問題点)

 業界のスポークスマンは、債権保有企業サイドでの費用対効果での有効性、債権の早期売却整理による財務収支改善・正常化効果、破産管財人業務の早期処理上の効果や、不良債権評価の国際規格化、迅速・透明・公正な処理手続き実現の持つ国民経済発展上のプラス効果の内外の意見一致があること等を強調している。倒産、不良債権処理、不況からの早期脱出の掛け声がずーと続いているので、何となくそういうものかと思わされてしまうが、果たしてそうか。 言う迄もないが、こうした推進側の議論にはサービサーの持つ負の側面、つまりは陰の面がスッポリ抜け落ちている。
 サービサー先進国アメリカについての日弁連ワーキンググループの詳細な報告書があって、条件整備、環境基盤等の色々な情報を提供してくれるのだが、高々一〇年ぐらいの歴史しかないアメリカでのその教訓もさることながら、要するにこれは取り立て専門業なのであり、何処までその伝統的な取り立て屋スタイルを免れているかなのである。その特徴をみると、

イ、事態を取る方からしか見ない事業であること(両方ある弁護士法律事務所とは違う)。

ロ、債権の発生・継続に関係しないこと(義理も事情もない)。

ハ、従って常に抗弁権の事実上の切断があること(一々、部署や担当者を変える必要がない)。

ニ、取り立て屋に特化していること(技術面だけなら弁護士に頼めばいいのに、、)、、等が挙げられる。

(行き着く先)

 要するに、ぐるみで取り立て屋に傾斜するのが避けられない。高利貸しは元々無茶な押し貸しをしているから取り立ても困難であり、勢いそれを見越して取り立て能力が特化する。それと同じことが取り立て専業のサービサーにも起こるのである。
 そして一番困ったことに彼らはそれを難易度に応じて事実上次々に下請け・丸投げし始め、それを止めることが困難である。一軒の、もっともらしいサービサーの周辺に有象無象の取り立て関係者が寄生するのを防ぐことが出来ない。産廃業界とさして変わらぬことがここでも起きるのである。
 弁護士生活を長年やっていれば、大概、取り立て屋・事件屋諸君の手法を見せつけられるのだが、自己資金を投下して何でも有りで歯止めが利かないそうした前近代性を、どの程度に免れて彼らが存立するというのだろうか。
 そうしたことへの警戒心、危惧の指摘がないままの講学的説明会程度の対応では、果たして先行きどうなるのか、、。
 今迄この絡みのことはサービサー側に立ち、それ故に関心のある業対派弁護士が主になって対応し、一般的な広がりがなかった。然し、回収機構に関与する団員も増えてきたことであり、事業ペースになって歯止めを失いかねない現況を直視した取り組みを切望したい。回収機構と商工ローン業者との中間領域が歯止めなく拡大したとき、弁護士業務・法律業務は果たしてどのように変わってしまうのか(連合会速報四/二五版によれば、今回はネガティブリスト方式は回避されるようである。然し一連のことは、事業化が可能な法律業務は恒常的にそうした圧力にさらされることを示唆しているのであろう)。

(今、最終答申を前にして)、

 人口・養成制度と連動して弁護士の在り方問題が強くクローズアップされて迫って来ている。そうなってしまうのは、それが審議会の基本手法と主要意図であり、加えて他の法曹二者はサボッても、そうは出来ない弁護士会側のある種生真面目な受け止め方の帰着するところだからとも言えよう。その結果、法律業務全般が仕切りも境界もないようなことになり、危惧される問題も多々ある。 然しそれらの重たい背景として、これからの不安定不透明社会の中で益々強くなるライセンス志向と、「人治・集団・組織」支配から、高学歴個人主義の浸透による、「法治・制度・責任」による支配への転換願望があるように思われる。 その意味で、それなりに否応のない流れの中でのこととして冷静に対処するしかないのだろう。そう云ったことを自分に言い聞かせて過ごしている。


自由法曹団創立八〇周年記念特別寄稿

自由法曹団創立記念日の周辺 その3

赤旗社会部 阿 部 芳 郎

 社会運動通信」は一九三二年(昭和七年)の暮れも押し詰まった十二月三十日に開かれた自由法曹団の年次総会の様子を伝えたもので、「自由法曹団に新陣容」という主見出しがついている。ちなみに、この前年、日本は外へ向かっては、中国東北部に侵略戦争を開始(柳条湖事件)、国内では激しい恐慌で、失業者は数百万人にのぼった。東北、北海道は冷害に見舞われ、娘の身売りが続出するなど、時代は暗くなる一方だった。
 この新聞記事ではじめて知ったのは、当時、自由法曹団の本部が、東京・芝区佐久間町の社会大衆党内に置かれていたということだ。創立の日に関するくだりは、記事の後半部分にあった。そのまま紹介するが、ただし、パソコンにない古い漢字は、直すことにした。
 「元来自由法曹団は大正十年夏、神戸の三菱、川崎造船所の大争議を応援したる東京の弁護士によって当時の自由主義乃至社会主義弁護士を糾合して同年八月二十日に創立され日比谷松本楼に発会式を挙げたものなるが・・・・・・」
 森長氏が「根拠薄弱」と指摘した個所はこれだった。記事は、総会が大阪ビル内の「レーンボーグリル」で開かれたとあって、幹事に次の七人を選んだ、としている。
 片山哲、松永義雄、馬場旺輔、山崎今朝弥、中村高一、羽田綱吉、細野三千雄(会計)
 ここには、「八月二十日 松本楼」説を唱えた山崎氏のほか、戦後、社会党の書記長になり、一九四七年に首相になった片山の名前が見える。そして、規約と申し合わせで、「今後、社会大衆党の運動を積極的に支持」することになった、という。
 社会大衆党に本部があった、ということや、こうした「申し合わせ」の内容は、今日の自由法曹団の姿からは、およそ想像もつかない。この党は、戦後の民社党の源流(一九三二年七月、社会民衆党と全国労農大衆党が合同)で、「反ファッショ、反共産主義、反資本主義」と称する綱領(三反綱領)をかかげ、事実上、侵略戦争を合理化した政党だからだ。
 しかし、当時の自由法曹団の主要なメンバーが社会民主主義者で占められていた背景には、天皇制ファッショ政治によって、進歩的な思想の持ち主である弁護士が、相次いで治安維持法違反で検挙、投獄されたことがあった。なにしろ、一九三三年は、同法による 検挙者が、一万八千三百九十七人になり、戦前のワーストワンを記録している。まさに暗黒政治のピーク時だった。