<<目次へ 団通信1039号(11月21日)


  草場 裕之 党派を越えて11・3憲法集会
平井 哲史

国会傍聴記

新旧役員交代【新任編】
  井上 洋子 事務局次長職とお見合い結婚?した覚悟で
齊藤 園生 事務局次長になりました
山崎 徹 ご挨拶
八〇周年感想特集その一
則武 透 八〇周年記念行事・総会に参加して
谷萩 陽一 八〇周年記念のつどいと総会への、やや辛口の感想です
佐武 直子 八〇周年行事の感想
藤野 善夫 えひめ丸被害者家族とその弁護団にエールを
守川 幸男 テロと戦争をめぐる二方向の反応について 千葉のアピールと松島団員の「つぶやき」に触れて
杉本 朗 アメリカ同時多発テロに怒りを感じてしまうイケナイ私
本の紹介(書評)
川人 博 『ワイドショーに弁護士が出演する理由』

党派を越えて一一・三憲法集会
ー市民が開く憲法公聴会パートIIを開催ー


宮城県支部 草 場 裕 之


 一一月三日午後、宮城県内の三つの憲法擁護団体を中心とする実行委員会は、市民が開く憲法公聴会パート?を開催し、会場の収容人数を越える九〇名の市民が参加しました。実行委員会は、四月一六日の衆議院憲法調査会の仙台地方公聴会開催に対抗し、政治的立場を異にしそれぞれ別個の運動を行ってきた三団体が結集したものです。実行委員会は、来年五月三日の憲法記念日の統一大集会を開催するために、さらに幅広い実行委員会を結成することで合意しており、一一月三日もそのための一歩として、九月から憲法を語りあうミニ集会を準備していました。衆院補選直後、宮城県知事選挙真っ最中ということで、大集会は無理であろうとの判断でした。

 しかし、集会準備の過程で、無差別テロとアメリカの軍事報復、自衛隊海外派兵法の審議が始まったことを受けて、実行委員会は、集会の副題を〜今こそ平和的手段で紛争の解決を〜と題する集会内容に切り替えたものです。

 集会では、まず、小野寺義象団員が一〇月二九日に成立した法律の問題点、戦後の軍事関係法の年表を使い今回の立法が憲法との関係では完全に憲法を破っていることについて簡潔に報告しました。二番目の報告者として「パレスチナと仙台を結ぶ会」の石川雅之氏からは、無差別テロの背景としてパレスチナ人民が受けている迫害について詳細に報告がありました。イスラエルによるパレスチナ人虐殺、テロの実態、これに対するアメリカの支援の実態がリアルに語られ、テロリストを支持する世論を生み出してしまっている状況について参加者の理解を深めることになりました。私自身、パレスチナで起こっていることについて余りにも無知であったことを恥じました。最後の報告として小田中聰樹専修大学教授は、国会の空洞化が著しく立法と行政の一体化に進んでいる状況があること、支配層は自由を選ぶのか安全を選ぶのかという選択を迫っているが憲法は自由の中に安全を見出していくという思想であることなどについて話されました。その後、会場参加者と三名の報告者との間で一時間弱の熱心な討論が行われました。討論が熱気を帯びるにしたがって、政治的立場を異にする三団体結集の力を活かして、今の危機的状況に対する継続的な運動を提起して欲しいという声もあがりました。

 実行委員会は、次は五月三日の統一集会開催に向けて準備に入ることを考えていましたが、会場参加者の熱気に押されて、継続的な運動について議論することになりました。来年五月三日を睨みながら、自衛隊の海外派兵を許さない闘いと三団体の輪をさらに広げていこうと、実行委員会で議論しているところです。


国会傍聴記


東京支部  平 井 哲 史


本当は受任予定の事件の調査をする予定だったのですが、いても立ってもいられず一〇月二五日の国会傍聴に行って来ました。
 三つの委員会の連合審査となっていて、傍聴席はマスコミと法案審議を見守る人でごったかえしていて、立ち見もたくさん出ました。

 今回の「テロ対策措置法」案(もう法律になってしまったけど)は、衆議院では実質審議五日・三二時間という異例のスピードで参議院に回ってきたとのこと。九〇年のPKO法の約半分、九九年の周辺事態法のなんと三分の一だそうです。どうりで国民に中身がよくわからないわけです。

 審議では、小泉首相のまともに議論をしようとしない不真面目な態度が目立ちました。首相は、民主党議員からテロの定義を聞かれて、「絶対許すことのできない行為だ」と「評価」を述べるにとどまり、基準らしいものは示しませんでした。また、日本共産党議員から「アフガンの民も苦しむべきだ」(ラムズフェルト米国防長官)という報復の思想を支持するのかとの質問をされて、「誰も好きで報復する訳じゃない」と述べて報復への協力のために自衛隊を出すことを示しつつ、さらに、「もっと共産党さんに耳障りのいいことを言ってあげましょうか。」と挑発的な態度をとり、しまいには、「こんな議論は嫌んなっちゃうんだよな〜」と述べて審議拒否するなど甚だ子供じみた対応で重大な法案を審議していることへの責任感は全く見られませんでした。

 また、審議中に与党席でにやついた顔をしてヤジを飛ばしている議員たちにはあきれかえりました。「戦闘地域には行かないんだからいいじゃないか。」と彼らは言います。「安全だというなら、まずは自分たちでその地域に行って何が本当に必要なのか見てこい!」と叫びたくなりました。

 こんな調子でつくられた法律で自衛隊が海外に出かけていくことを本当に認めていいのか。時がたつにつれてだんだんと冷静な意見が広がってきているようですし、自由法曹団の一員として世論喚起に参加していこうと思います。


新旧役員交代【新任編】

事務局次長職とお見合い結婚?した覚悟で


井 上 洋 子


事務局次長に新任になった大阪の井上洋子(四四期)です。一年後に私事で海外に行く可能性があるため、一年間だけというわがままを許してもらって就任させていただきました。よろしくお願いします。

 大阪からの前任者は財前昌和さんという非常に優秀な方でした。財前さんが次長に就任する前に、本部前幹事長の鈴木亜英さんが大阪にこられて、大阪支部元幹事長の戸谷茂樹さんとともに酒の席で次長就任を迫られる場面に遭遇しましたが、かの優秀な財前さんでさえ、かなり躊躇されて悩んでおられた姿を今でも覚えています。それに引き替え私は、身の程も知らず、一年間ということもあって比較的あっさりと引き受けました。どこか頭のネジがはずれているのかもしれませんが、恐れて殻にとじこもっていても仕方ないと思い、一歩踏み出すことにしました。

 しかし、そうはいっても、次長職を引き受ける覚悟をして篠原義仁幹事長と大阪で初めてお会いしたときには、お見合いとはこのようなものなのかと思うくらい緊張していましたし(私にはお見合い経験がないのであくまで想像ですが)、過日の団総会と事務局引継の会議までは食欲がなくなり、一時的にやせてしまいました。

 ちょっと古くさいたとえで恐縮ですが、事務局次長職とお見合い結婚したつもりで、いろいろあっても泣き言をいわず、根性を出してがんばりたいと思います。能力が足りずにできないこともたくさんあると思いますが、私の良いところが団に少しでもお役に立てれば幸いです。


事務局次長になりました


東京支部  齊 藤 園 生


 一〇月二七日の総会で事務局次長に就任しました。以後二年間よろしくお願いします。
 八王子合同法律事務所に所属しており、今年九年目の四五期です。私自身は札幌で生まれ、埼玉で育ち、大学は京都で、修習は大阪、このまま西進していれば、九州あたりで開業でしたが、なぜか縁もゆかりもない八王子にきました。八王子というとなじみはないかもしれませんが、東京の西の端っこの町で、隣はもう山梨です。都内のくせになんと団本部まで行くのに一時間以上かかってしまいます。この長い「通勤時間」が玉に瑕です。

 団の仕事では平成八年から二年間、東京支部の事務局次長をさせていただきました。主に憲法問題を担当しましたが、「実におもしろかった」というのが感想です。ガイドライン改定、周辺事態法の成立と大変は大変でしたが、周りの方に支えられ、好きなように考えて好きなようにやらせてもらったからだと思います。そのせいか、団は基本的に「おもしろい」という概念が自分の中にできあがってしまったので、本部の次長のお話があったときも、私自身は「すでに支部の次長を経験しています」の抗弁は主張しましたが(少なくとも東京には、支部の次長をすると本部の次長にはならなくていい、という不文律があると聞いていました。でも、どうも嘘らしい)、ほかに断る理由もないので、実にあっさりお引き受けしてしまいました。一ヶ月近くを経過して、このお気軽さを多少後悔、反省しています。

 本部の次長としては改憲対策本部と公害委員会の担当になります。どちらも重要な分野です。特に改憲問題では、今後も有事法制や明文改憲も含めた急な動きが予想されます。

 是非たくさんの団員に、知恵も手も足もお借りしたいと思います。きっといろいろご迷惑をおかけします(もうここで言っときます)が、二年間よろしくお願いします。


ご挨拶


事務局次長  山 崎  徹


 埼玉から、団本部の事務局次長に就任することになりました。期は、四七期で、事務所は川越法律事務所という共同事務所です。埼玉からは、昨年は誰も団本部に役員を送っておらず、今年は誰か一人はということで、私のほかにも何人か候補者はいたはずなのですが、他の候補者はそれぞれ私よりも多忙なようで、結局私が団本部に行くことになりました。

 いきさつはともかくとして、行くからには何とか期待される役割を全うしたいという思いがあると同時に、本当に自分で大丈夫なのだろうかという一抹の不安もあり、久しぶりに戦々恐々とした気持ちになっています。実際、まだ仕事が始まっていないので、どんな困難が予想されるのかもよく分からない状態です。ただ、いずれにしても、こういった活動は、楽しく、おもしろくやりたいものだと思います。おもしろければ、多少の困難は乗り越えられるだろうし、川越から後楽園(団本部がここにあるのは最近知った。)に通うのも苦にならないでしょう。

 団本部の活動で、日頃の仕事上のストレスを解消することはできないまでも、活動を通じて、今までの枠を超えて、多くの魅力的な人と知り合い、いろんな意味でいい刺激を受けたいと思っています。

 また、団本部の活動を通じて、自分が何のために弁護士をやっているのかを考えるヒントが見つかればとも思っています(ちっと、欲張りすぎか)。


八〇周年感想特集その一

八〇周年記念行事・総会に参加して


岡山支部  則 武  透


 団の事務局次長を退任し、郷里の岡山に帰って二年になる。次長時代は何で岡山の団員弁護士は団の五月集会や総会に参加しないのだろうと大変に不満に思っていたが、その自分が団の中央行事に参加できたのは二年ぶりのこと。いつも団の五月集会や総会の日程は前もって手帳に記入していたが、一ヶ月前位になると大規模訴訟の弁護団会議や労働組合の学習会などの日程調整の末に泣く泣くスケジュール変更を強いられていた。やはり地方はまだまだ民主的法曹が圧倒的に不足している。

 二六日正午に日比谷公園に到着し、懐かしい顔と四方山話をしているとデモが始まり、久しぶりに霞ヶ関でシュプレヒコール。記念企画では団の八〇周年の歴史を振り返ることが出来た。特に松川事件の先輩団員の不屈の闘いの歴史にはあらためて感動を覚えた。音楽あり、映像あり、構成詩ありという企画の充実ぶりからすれば、クレオという狭い会場ではもったいない出来であった。夜のレセプション後は、同期の団員と夜遅くまで痛飲する。

 二七日の総会。まずは個性あふれるメンバーの古稀団員表彰。これも次長時代は今後古稀団員も増え呼ばれた方も呼ぶ方も大変だから近々廃止すべきとの意見を持っていたが、後輩団員が古稀団員の生き様に触れることで団の歴史を学ぶという意味では貴重な機会であると思う。討論は多岐にわたったが、最後はやはり坂本修先生。坂本節には、毎度のことながら何故か勇気をかき立てられる。引退執行部の挨拶では、同時期に次長を務めながら請われて三年も次長に留任していた小賀坂さんの退任挨拶が印象的だった。ご苦労様のエールを送りたい。

 こうして久しぶりに団総会に出席し、団総会の存在意義を改めて実感したような気がする。語弊があるかもしれないが、それはかつての寅さんの映画に近いものがある。年に一回、ある意味でマンネリではあるけれども、そこに参加することで泣き笑い怒り、人生も捨てたもんじゃないな、今年一年も頑張ろうと思う。そうして私に弁護士の原点を再確認させ勇気を与えてくれる貴重な場。それが団総会である。


八〇周年記念のつどいと総会への、やや辛口の感想です


茨城県  谷 萩 陽 一


一 せっかくのご依頼なので、参加した所員の声を含め率直な感想を述べることとします。

二 今回は、記念行事があるというので、わが事務所(水戸翔合同法律事務所)では事務局員七名全員がデモから参加しました。都心の官庁街で、しかも団員中心のデモですから、「デモに参加できたのがよかった」というのが第一の感想でした。

三 記念行事では、何といっても国宗直子団員の発言がよかった、当事者や事件に深くかかわる姿勢に感銘した、というのが所員の一致した声でした。川田龍平さんや谺雄二さんなどのお話を直接聞くことができたのも貴重な機会でした。

四 前半の構成劇は、苦心の力作であったと思います。ひとつひとつの内容は大切なものを伝えているのですが、しかし、率直にいって全体としては総花的かつ冗長で、聞き続けるのがつらかった、という声が多かったのです。シナリオの出来の問題ではなく、良いものに練り上げる、という企画の姿勢の問題だと思います。当事者の「証言」は原稿の事前チェックをされたのでしょうか。音響設備や音楽的水準に対しても厳しい評価がありました。

 後半のリレートークも、山住先生は発言者としては残念ながら不評でした。この場合、聞かせる話のできる人というのは必要条件でしょう。

 むしろ後半のリレートークを中心に据えて、構成劇はもっと簡単なものにしてもよかったくらいかもしれません。準備された方のご苦労は十分理解したうえで、あえて申し上げました。九〇周年に期待します。

五 総会での、テロ・報復戦争反対の議論では、われわれが十分な根拠と確信を持って世論に訴え続けていくことが大切だ、と感じて帰ることができました。若い団員の発言にも希望を感じました。ただ、大久保賢一団員の発言は、同旨のものが団通信にもありましたが、アメリカの態度を固定的にみすぎていないでしょうか。アメリカにどうやって報復戦争をやめさせるか、という議論をしているわけですから、そのアメリカの安保理事会における態度が変わらないと言ってしまったら議論の意味がなくなってしまわないでしょうか。

六 うれしかったのは中野直樹団員の事務局長就任のこと。個人的に信頼しているだけでなく、四代くらい前の前川雄司団員(三五期)のあと(わが三六期の人材不足のせいか?)期がさかのぼっていた本部事務局長の期がやっと下がってきたからです。がんばって下さい。


八〇周年行事の感想


京都支部  佐 武 直 子


 盛りだくさんの内容の総会、懇親会、デモといろいろありましたが、最も私の心に残ったのは二〇日ぶりに同期の友達と会えたことでした。気兼ねなくくだらない話や愚痴が言え、楽しい時間をすごせました。

 しかし、肝心の総会の方はあまり心に残りませんでした。一つには私の不勉強、無関心が、もう一つは盛りだくさんの内容で個々のテーマにさける時間が少なかったことが原因だと思います。八〇周年記念総会という性質上、これまでの活動を広く浅く紹介することはやむを得ないのかもしれませんが、一つのテーマを掘り下げて話してもらい、共感したり疑問を抱いたりしつつ聞けたらよかったと思います。

 次に懇親会ですが、日頃会えない友人や先輩とお話できたのは良かったのですが、挨拶やおしゃべりに夢中で舞台の様子が分からなかったこと、人の多さでなかなか料理にありつけなかったことは残念でした。

 そして、初めて参加したデモですがあっさりとしたものでどのような意義があったのかよく分かりませんでした。私も報復戦争反対、自衛隊派遣反対という意見を持っていますが、目的達成のためにはデモが良い方法だとは思えませんでした。なぜ、報復戦争に反対で、なぜ自衛隊派遣に反対なのかを説明せずに、反対という意見を主張するだけでは何も変わらないと思うのです。

 もっとも、批判するばかりで自ら何もしようとしない自分について反省もしました。諸先輩方のお話を伺っているうちに、目先の事件処理のテクニックにばかり目が行って大きなテーマである平和問題、司法改革、その他の社会問題に関心を持たず勝算の低いことがらにタッチしないでいれば、仕事で充実感や感動を得ることもできないと気づきました。総会を通じ、目先のことにとらわれすぎて仕事に対する理念をほったらかしにしている自分に気付くことができました。反省する機会を与えてくれた総会及び原稿依頼に感謝します。


えひめ丸被害者家族とその弁護団にエールを


千葉支部  藤 野 善 夫


 団の八〇周年の記念すべき総会の全体討論の終盤の国際問題委員会・菅野団員の報告は、団の国際交流の発展を象徴するような感動的な内容であった。

 ナショナル・ロイヤーズギルド(NLG)の総会への参加の報告であったが、NLGの総会で、日本問題を検討する分科会が、設けられたこと(アメリカで「日本」のことが討議問題にされることは稀有のこととのことである)。そこでの討議内容も、米海軍の潜水艦により沈没させられた「えひめ丸事件」の内容と今般の「テロ」を口実とした特別立法により「日本国憲法九条が蹂躪される」問題を、討議する内容であったと言う(正しい内容は、関係者の報告をご参照)。

 えひめ丸事件に関しては、元NLG議長のアーリンダー氏が、数号前の団通信に投稿されているので、NLGが、この問題を取り上げて全面的に支援する決議を挙げてくれたことは、有難いことであり、また、それなりに理解される。

 更にそれに加え、日本国憲法九条が蹂躪されることを、自分たちの問題として取り上げ討議した旨の報告を受けて、大変感動を覚えたというのが私の感想と感動でした。

 このようにアメリカの民衆の弁護士に全面支援を受ける状況の「えひめ丸」事件であるが、遺体の引き揚げに関する最近の報道などで、再びマスコミの光を浴びる状況にある。そこで、この局面を受けて、さぞかし「水産高校」のある地元の宇和島市では、米海軍・アメリカ政府に、真相の解明と相応な責任を要求する立場で頑張っている、寺田祐介君のご両親(亮介、真澄さんご夫妻)を支援する地元民の声が、さらに、盛り上がっているものと思われる。私もそう考えて、今回の八〇周年全国総会に参加していたこの重大事件に関与している地元宇和島の井上正実団員(二七期)に尋ねた。

 ところが、必ずしも地元宇和島市の支援は、全面的ではなく、アメリカ政府の意向を背景にし、日本政府と愛媛県の仲介により「話し合い解決」を求める弁護士に委任状を出した被害家族グループとの間との対立関係を煽る動きがあるという。

 その一つの表れとして、最近の「週刊新潮」の一一月一日号に「共産党系の弁護士に煽られて、問題を政治的な闘争にまで拡げている」家族として、「非難される」旨の記事を書かれている。また、先の同期の井上正実団員はその扇動者の一員とも書かれている。

 「真相の解明と相応な責任」を求める被害家族の要求に正当性のあることは誰の目にも明白であろう、それをその家族と弁護団に冷やかしの「冷や水」を掛ける、週刊誌とその記者こそ異常である。

 遺体や船の引き揚げという新たな局面を迎えている「えひめ丸」被害者の家族とその弁護団に、アメリカの民衆の弁護士の全面支援だけではなく、改めて日本の民衆の弁護士も支援のエールを送ろう。


テロと戦争をめぐる二方向の反応について

千葉のアピールと松島団員の「つぶやき」に触れて


千葉支部  守 川 幸 男


1 千葉の有志アピールの報告と感想
 千葉ではこの一〇月に、「同時多発テロに抗議し、軍事報復と日本の参戦行為に反対する」弁護士有志アピール運動を行った。とりくみが弱かったが、新人弁護士を含む二八〇余名のうち一一〇名(うち五名は氏名公表せず)、が賛同した。

 そのうち会長経験者約一割、副会長経験者(現職を含む)約三割、合計で、賛同者のうち約四割が名を連ねている。

 もっとも千葉はこの種のアピールを過去一五年間で多分五ー六回はやっており、常に全会員の過半数から六ー七割を集めてきたから、今回は少しも多くはない。

 なぜだろうか。ちなみにほかの弁護士会でも決して多くはなかった。埼玉はかつて千葉とせり合っていたが、今回は三割にも満たなかったようだ。

 このとりくみの中では、あれだけひどいテロをやったのだから今回だけは別だ、という反応がいくつかあった。千葉だけでなくおそらく埼玉などでも同様だったのであろう。これに対して私が一つ一つの論点ごとに話すと、法律家らしい反応はなく、単なる結論のくり返しか、単なる感情論しか返って来なかった。これは恐ろしいことである。

2 松島団員のつぶやきについて
 ところで、団通信一〇三七号(二〇〇一年一一月一日)に、東京支部の松島暁団員の「一集会参加者のつぶやき」が掲載された。松島団員は司法問題等で意見が異なることもしばしばあるが、だからと言って、彼の考え方を理解していないわけでもない。

 このつぶやきも彼らしいやや斜めにかまえたように見える表現だが、妙に共感する部分もある。アメリカがこれまで全世界で勝手放題やってきておいて、今回、正義だ、秩序だ、と言って、また、武力を用いてアメリカの威信を回復しようとする姿は、私も、まさに自己中心であり身勝手だと思う。松島団員がテロが「最後の絶望的反応」であり、その理由を問うことなしに「テロ糾弾」の訴えを聞いても心に響いてこない、怒りがわいてこない、というのは、千葉でのいくつかの反応と逆だが、意外と共感する人もいるのではないかという気がする。私も街頭演説などでは、ついついアメリカ糾弾の方がトーンが強くなるし、その論述の材料もずっと豊富である。やはりアメリカこそ世界で最もひどいことをし続けてきたのだろうと思う。

3 やはりテロにも報復戦争にも反対を
 しかし、問題はその先であろう。テロも報復戦争も人命を一方的に奪うのだから、やはりテロは糾弾しなければならないし、報復戦争反対とともに訴え続けるのが民主勢力の任務だと思う。テロが必ずアメリカの軍事報復を招き、治安体制を強化し、日本の戦争参加を招くことはあらかじめわかっていた。テロ自体の犯罪性に加え、その犯罪性も厳しく批判する必要がある。やはり、人命を平然と奪う行為には怒りを忘れてはならないのだと思う。


アメリカ同時多発テロに怒りを感じてしまうイケナイ私


神奈川支部  杉 本  朗


 活字信仰というか言霊信仰というか、そのようなものが私にはあって、送られてきた文書類は、単なる広告も含めて、目を通さずには捨てられない。先日も、自由法曹団通信の一〇三七号が送られてきたので、いつものようにざっと目を通して捨てようとした。

 そのとき、ふとひっかかるものがあって、もう一度団通信を手に取ってみた。「…とても彼らを声高に『糾弾』する気分にはなれない」という一文が目に入った。よく読んでみると、アメリカを糾弾する気分にはなれない、というのではなくて、テロを行なった人たちを糾弾する気分にはなれない、という趣旨である。そこで、私は、う〜んと考え込んでしまった。

 九月一一日にシフトしよう。この日の夜、翌日出さなければならない書面を自宅で打っていたら、突然、友人からメールが飛び込んできた。「世界貿易センタービルでの暴挙を許さない」という内容の短いメールである。何のことかなぁ、以前の爆弾テロのことをいまどき何で言うのかなぁ、と不思議に思いつつ、テレビをつけてみた。目に飛び込んできたのは、まん中より少し上あたりから黒煙をあげているツインタワーだった。すぐには、何だか判らなかったが、しばらく話を聞いているうちに、どうやらジェット旅客機がビルに突っ込んだのだということが判った。そして、もう少し話を聞いていると、単なる事故ではなくて、ハイジャックされた旅客機がビルに突っ込んだ自爆テロだということが判った。

 旅客機をハイジャックしてビルにぶつける―そんな発想があるだろうか。

 これ以後、書かなければいけない書面はうち捨てて、CNNに見入り、あちこちの友達とこのテロについてメールのやり取りをしていた。

 そして、ツインタワーのうち一棟が倒壊した、というニュースが入った。そしてしばらくして、テレビの画面を見ると、ツインタワーがあったところには何もなく向こう側の空が見えているだけの景色が映っていた。もう一棟も倒壊してしまったのである。私は今でも、この、さっきまでツインタワーの少なくとも片割れはあったところに何もなく向こう側の空が見えるだけという景色を、はっきりと覚えているし、そのとき感じた足元が突然柔らかくなって崩れていく感覚も覚えている。こういう感覚は、地下鉄サリン事件のときにも感じたが、それ以来のことである。

 さて、加藤周一が「テロリズム」を何と定義しているのか私は知らない。価値中立的な「テロリズム」の定義は不可能だというようなことを政治学の授業で教わったような気もするが、まぁそれもいい。問題は、ツインタワーやペンタゴンにぶつけられた旅客機、そしてなぜか墜落してしまった旅客機に乗っていた人たちは、ごく普通の、私やあなたのとなりにいる普通の人たちだったということである。倒壊してしまったツインタワーにいた人たちも同じく普通の人たちだったということである。こうした人たちを巻き込んで敢行された今回のテロに、私は素朴に怒りを感じているし、どうして今回のテロを声高に糾弾する気分になれないのか、私の理解の範囲を超えている。優越している大きな民族集団・国家が、弱い側を全ての点で押しつぶそうとし、押しつぶされそうになった側が絶望的反応としてのテロに出ることがあるとして(私にはこうした機制自体観念論に過ぎるように思えるが)、それが、私やあなたのとなりにいる普通の人たちの生命を奪い平和な生活を破壊することを、正当化するとは到底思えない。

 今回のテロの犯行勢力について物分かりのよい言説をとるということは、実は暴力に対するダブルスタンダードを認めていることになるように思うのだが違うのだろうか。今回のテロに怒りを強い怒りを感じる私は、自由法曹団の中では異端になるのだろうか。


本の紹介(書評)

『ワイドショーに弁護士が出演する理由』

(平凡社新書・小池振一郎著・二〇〇一年一〇月刊)


東京支部  川 人   博


 小池振一郎弁護士(五反田法律事務所)は、一九九三年から五年間にわたり、日本テレビ系列の『ザ・ワイド』というワイドショーのレギュラーコメンテーターを務めた。

 ワイドショーという番組に対して批判的な意見をもつ法律家は多い。また、そのコメンテーターを務める弁護士に対しても、法曹界では風当りが強いように思う。こうした中にあって、小池氏は、「弁護士というものをできるだけ市民の身近に感じてもらい、法的な思考方法にもなじんでほしい。多元的な価値の尊重が人権尊重になる。そんな発想と合理的な思考方法を視聴者の皆さんと共有できたらいい、という思いで出演した」(本書「おわりに」)と述懐している。

 彼が出演していた五年間は、オウム事件をはじめ報道と人権をめぐる議論があいついだ時期であり、その論争の多くはいまも続いている。本書は、人権問題のせめぎ合う放送現場の実態を明らかにしつつ、これに対する法律家のかかわり方を提起したものであり、かって類を見ないマスメディア論の好書である。

 本書は、国民葬ともいうべき坂本弁護士一家の葬儀のときの模様から始まる。そして、拉致事件発生後の警察の対応、坂本さちよさんがTV出演した時の様子、オウム幹部とのスタジオでの対決、微罪逮捕・別件逮捕をめぐる論争、TBSビデオ問題、破防法不適用等々の一連の問題を、スタジオの中の様々な人々の発言を具体的に紹介しながら解き明かしている。

 また、松本サリン事件、神戸児童連続殺傷事件、桶川女子大生殺人事件、東電女性社員殺人事件など、刑事事件報道のあり方が深刻に問われた各事件に関して、当時のテレビ局内の議論の内容を紹介しながら、論点を明快に整理し、小池氏の見解を述べている。無罪推定原則と実名・匿名報道をめぐる議論については、小池氏の見解に異を唱える人もいると思うが、本書を契機に一層の議論の発展を期待したい。

 メディア規制をめぐる論争に関連して、小池氏は、マスメディアが「第四権力」といわれる権力的存在としての独占的大企業であり、情報管理、世論操作をおこなう危険性を有する存在であると述べ、この権力性の自覚から出発しなければならないと強調する。彼は、マスメディアがその権力性を棚上げにして、「みずからを外部の権力の被害者として偽装する」問題点を指摘する。そして、ジャーナリストの自覚を促し、放送現場で働く人たちを激励し適切に批判する国民監視のシステムの必要性を強調し、諸外国の制度などを紹介しながら、その方向性を提示している。

 本書全体を通じて、豊富なエピソードとわかりやすい論述がほどよくミックスされており、新書としての読みやすさの工夫も施されている。弁護士諸氏はもとより、ひろく学生・市民に推薦したい一冊である。
(なお、小池氏の著作とほぼ時を同じくして、『ニュースの職人』(鳥越俊太郎著・PHP新書)が出版され、キャスター鳥越氏のマスメディア論が展開されている。あわせて推薦する次第である。)