<<目次へ 団通信1040号(12月01日)


  白井 劍 狂牛病と薬害ヤコブ病
三木 恵美子

収容されたアフガニスタン難民たちについて

  菅野 昭夫 九月一一日事件後のアメリカ合衆国における治安政策、治安立法の強化
鍜 治 伸 明 検察が弁護人を懲戒請求
盛岡 暉道 緑色韓国連合、クンサン米空軍基地そしてハノイで
アンニョンハシュムニカ(こんにちは)、韓国米軍基地反対運動(一)

守川 幸男                    白井 幸男 不当な出勤停止処分攻撃に高裁でも断罪の判決
坂井 興一 こんなことも、、。(続)
一二・八 アフガニスタンに平和をー法律家・市民のつどいのご案内ー

狂牛病と薬害ヤコブ病


東京支部  白 井  劍


一 一〇月二日のことだ。農水、厚労の両大臣が、テレビカメラの列の前で、牛肉を食するパフォーマンスをみせた。「これ、このとおり安全です」というわけだろう。

 立派な身なりのふたりの紳士が、皿と箸を手に、真剣な顔をして肉をほおばる映像をみて、「これは安全性とは無縁ではないか」と思い、なにか茶番劇をみているような違和感を感じたかたは、少なくなかったのではなかろうか。

二 同じ茶番は、実はすでに一九九〇年に、イギリスで演じられている。
最初の狂牛病(牛海綿状脳症)の牛が報告されたのは、八六年一一月のことだった。そのときは、世間の注目は集めなかったが、八九年までには、英国マスコミもおおきくとり上げるようになった。

 九〇年五月、ブリストルで飼われていた一匹のシャム猫の死が、イギリス中を恐怖に陥れた。ロンドンの学校給食から牛肉が消え、牛肉の売上げは三分の一に落ち込んだ。その後、英国内のあちこちで、ふらふらと歩く飼い猫が見られるようになる。ある著名な微生物学者が、感染した牛のいた群全体を処分すべきだ(もちろん全額の補償をして)と主張し、反響を呼んだ。

 茶番劇が演じられたのは、そのときだった。
 当時、イギリスは、保守党政権であった。

農漁業食糧大臣ジョン・ガンマーは、国民を「安心」させようと、立ちならぶテレビカメラの前で、ハンバーガーをほおばって笑顔を見せた。そして、傍らに不機嫌そうに立っていた自分の娘(四歳であったといわれている)の口にもハンバーガーをつめこんだ。

 しかし、それで、どれだけの英国民が安心したのだろうか。牛の感染被害は、その後も拡大しつづけた。
 九三年には、牛海綿状脳症感染牛をだした酪農家二人が死亡したことが報道された。
 九四年には、若すぎる発病が二例報告された。

 そして、九六年春、死亡しあるいは重症の若者は、一〇例に達した。ついに英国政府は、狂牛病がヒトに感染する可能性を否定できないと発表。世界中に激震がはしった。

 二〇〇一年現在、英国の新変異型ヤコブ病被害者は、一〇七例に達している。すでに新変異型ヤコブ病被害者は、海峡をこえて、他のいくつかの国にもおよんでいる。

三 歴史はくりかえす。一度目は悲劇として。二度目は茶番劇として。
 たしか、そんなふうに始まる、ルイ・ボナパルトのなんたら一八日とかいう長ったらしい名前の古典的名著は、何というんだったかしらん。さっきから考えているが、思い出せない。

 しかし、どうやら茶番劇は、何度もくりかえされるものであるらしい。
 ふたりの紳士が牛肉を食べる姿をみて、四〇年以上前の水俣での出来事と二重写しに見えたのは、小生の思い過ごしだろうか。

 五〇年代の水俣湾沿岸では、つぎつぎと飼い猫が狂い死にし、おおくの人が病に倒れていた。恐怖が町を支配した。
 五九年、水俣奇病騒ぎを静めるために、通産省は、チッソにサイクレイター(汚水浄化施設)を設置させる。実は、これには、水銀除去能力がなかった。

 チッソの社長と熊本県知事は、大勢の記者を集めて、コップの水を飲んでみせた。社長は、サイクレイターを経た水はこのとおり安全だと胸をはった。コップの水は、単なる水道水であったことが、後に判明する。
 茶番は、あらたな悲劇を招くかも知れない。水俣病では、不知火海一円に被害が拡大しつづけ、被害者数は万余におよんだ。
 この国の行政は、水俣病の悲劇の歴史から、何を学んだというのだろうか。

四 残念なことに、この国では、悲劇は、現に何度もくりかえされてきた。
 行政が、本気で国民の生命と健康をまもろうと考えないかぎり、国民の鋭く弛まぬ批判が国の姿勢を変えないかぎり、悲劇はくりかえされる。

 その悲劇のひとつに、薬害ヤコブ病がある。大津と東京であわせて二八名の被害者に関する裁判がたたかわれている。
 新変異型ヤコブ病は、牛の病気が、食べ物をとおしてヒトに現れたものと考えられている。
 これに対して、薬害ヤコブ病は、交通事故や脳腫瘍などの手術でつかわれたヒト死体硬膜ライオデュラ(ヒトの死体から採取して製品にしたもの)を介して、古典型ヤコブ病の感染被害が多発した事件である。
 同じヤコブ病と呼ばれても、医学的には、異なるタイプであるらしい。食品と医療製品の違いもある。

 しかし、国民の生命や健康への危険を前にして、行政が本気で安全性のチェックをせず、対策をとらなかったときにおそろしい悲劇がおきるという、ことの本質に違いはないと小生は思う。

 先日、久方ぶりに電話してきた友人が、小生にこう述べた。「昨今の狂牛病での行政の対応のいい加減さをみると、以前君から聞いた薬害ヤコブ病は、けっして人ごとではない、そう思うようになった。とくに家内が、そう白井君に伝えてくれといっている」

五 薬害ヤコブ病の原因となったライオデュラは、七三年、西ドイツから輸入が開始された。その際、厚生大臣が、安全性を確認したものとして、輸入承認をした。しかし、実際には、安全性の審査とよべるものは、何もされてはいない。原材料であるヒト死体の硬膜をどこでどのように入手するのかさえ、いっさいチェックされていない。承認申請書では三五〇例以上の臨床試験をしたことになっているが、本来添付されるべきはずの資料も付いておらず、現実には、臨床試験はおこなわれていなかった。

 その後も、ヤコブ病のヒト間感染に関する数々の報告や警告がつぎつぎと世に出た。厚生省自身が設置したスローウイルス研究班でも、移植によるヒトからヒトへの感染の危険がたびたび指摘されていた。しかし、厚生省はすべて無視しつづける。

 そして、八七年二月、ついにライオデュラの使用によるヤコブ病発症例がアメリカから報告される。米国では輸入承認されていない製品であったが、米国政府はすぐに、国内への流入と使用をくい止める措置をとった。カナダでも、オーストラリアでも、すこし遅れてイギリス等でも、措置がとられた。

 しかし、日本の厚生省は、九六年まで、そういう情報や警告に目をむけようとしなかった。九六年の狂牛病騒ぎをうけての調査で、新変異型ヤコブ病ではなく、硬膜移植ヤコブ病(薬害ヤコブ病)が多発していることが判明したのだ。

 九七年三月、厚生省は、ようやくヒト死体硬膜の使用を停止する緊急命令措置をとる。しかし、ライオデュラの生産は、すでにその前年に中止されていた。

六 訴訟では、被告国は、当初、ライオデュラの「有用性」を強調した。しかし、国・原告双方申請で証人にたった脳外科の権威は、ライオデュラは便利だったといいつつ、「それがなければできない手術は考えられない」「必要不可欠なものではない」と証言した。

 国は、こんどは、「症例の積み重ね」を懸命に強調した。症例の積み重ねがなければ予見できず、規制権限を発動する義務はないと強弁した。

 しかし、「症例の積み重ね」とは、大勢のひとが遷延性植物状態になって死にいたるということである。「大勢の人が死ななければ、国は何もしなくてもよいのです」そういう厚生労働省が、私たち国民の生命と健康をまもる役所であること自体が、この国の悲劇であるのかもしれない。

 あまりしたくない想像だが、仮に将来、万一、狂牛病から感染した新変異型ヤコブ病が日本ででたときにも、国は、「わからなかった。予見できなかった。」と弁解し、「症例の積み重ねがなければ動けない」と突っ張るつもりなのであろうか。

七 一一月一四日、大津・東京の両地方裁判所は、薬害ヤコブ病の和解に関する所見を示した。
 国や企業の様々な弁解をすべて排斥し、「これらの知見や情報に基づき有効な対策を何ら講じなかったことに関し、被告国もまた被告企業とともにその被害者救済の責任を果たすべきであると考える」和解所見は、そう言い切っている。

 大津と東京の弁護団員はあわせて五〇名をこえる。弁護団は、この裁判所の和解所見を強力な足がかりとして、被害者全員についての全面解決をかちとろうと原告や支援とともに、奮戦している。とくに若い団員が、溌剌として推進力になっている。

 今月五日にも、またひとり被害者がなくなった。もう時間はない。一日も早い全面解決を実現しなければならない。
 各事務所の、あたたかいご理解とご支援を、心からお願いする次第である。


収容されたアフガニスタン難民たちについて


神奈川支部  三 木 恵 美 子


1 発端
 二〇〇一年一〇月三日早朝、千葉県佐倉市においてアフガニスタン人九名を含む一三人が、摘発され、家宅捜索された上、その日のうちに東京入国管理局第二庁舎の収容場に収容された。

2 難民申請済みであり実際上難民と認められる人々であること
 弁護団は被収容者に次々と面接し一〇月一〇日の時点では九人については八月一日から九月六日までの間に日本政府に対して難民申請手続きをとっていること、アフガニスタン国籍であること、そしてアフガニスタン政府から迫害されている難民であると判断した。
 九人の人々は、以下のような事情から、難民だと思われる。

(1)ハザラ人に対する迫害
 九人のうち八人がハザラ人でシーア派教徒である。
 タリバーンは、パシュトゥーン人によって構成されており、イスラム教スンニー派であり、彼らによればシーアはムスリムは不信仰者であるから彼らを殺害しても罪にならないという布告を出している。そして、タリバーンは、一九九八年八月八日にマザリシャリフを攻略したときに何千人ものハザラ人を組織的に殺害し、占領後はハザラ人の家を一軒ずつ家捜しして老人男性や子どもを殺害し、若い男性を数百人連れ去り、若い女性多数を連れ去ってタリバーン兵士の子どもを生ませるために組織的に強姦し、残った人々に対しては、「犬のようにその場で射殺されたくなければスンニー派に改宗して一日五回礼拝に出よ」という呼びかけを行った。一九九八年九月にはバーミヤンでハザラ人が虐殺され、その年の内にハザラ人主体の「イスラム統一党」の党員ないし支持者であると疑われた七〇〇人のハザラ人が投獄されたと報道されている。

(2)八人のハザラ人のプロフィール
 八人それぞれではあるが代表的な例を挙げる。
 原告番号一の人は、長兄がタリバーンとの闘いで戦死、次兄も殺され、母親はロケット弾で死亡し、父親は逮捕され、本人も一週間拘束されて拷問され後脱出した。
 原告番号二の人は、家族がイスラム統一党に多額の寄付をしており、父はタリバーンに連れ去られて行方不明。
 原告番号五の人は、本人が二回にわたって、それぞれ一週間くらい拘束されいずれの時も拷問を受けた。タリバーンによって父親は連行され行方不明であり、妹は暴行されて死亡した。
 原告番号六の人は、本人はまだ一八歳で父親がタリバーンに連行されて行方不明になった後母親が農地を売って本人を脱出させた。
 原告番号七の人は、旅券を更新しようとしたところタリバーン当局に拘束され二〇日間コンテナの中に閉じこめられ拷問された。

(3)原告番号九のタジク人
 ラバニ・マスード派の勢力はタジク人を中心としており、タリバーンと対抗関係にある。また、タリバーンはソビエト侵攻後に生まれたPDPA(人民民主党)政権に対抗して生まれてきた組織であり、PDPA党及び共産主義者の存在を許さない。
 原告番号九番の人は、タジク人であり本人が人民民主党員であり、二〇日間拘束され拷問を受けた。父親は連れ去られて殺害された。

3 収容の背景
 このような収容の背景については、記者や国会における質問の結果、以下の事実が判明している。九月一一日のいわゆる同時多発テロの後九月下旬に開かれた「内閣危機管理・安全保障室」の会議において警察庁警備局長は、テロリスト捜査のため「特定の国やイスラム関係の人物」をチェックする必要があると強調し、その勢いに押された法務省入管局長はその席上で「アフガニスタン人に絞ってチェックする」方針を表明した。そして、両名は、現場に対してアフガニスタン人の「チェック」を指示した。これを受けて、東京入国管理局警備課と警察の合同チームが一〇月三日の摘発を行った。

 この摘発と収容の法的根拠については不明であったが収容令書執行停止の手続きの中で、国側の一〇月二六日付意見書によって、「任意同行」(!!)させた後同日入国警備官が違反調査を実施して出入国管理法二四条一号に該当する理由があるとして、主任審査官から収容令書の発布を受け、同日令書を執行して収容したということが明らかになった。

4 収容令書の執行停止申立
 一〇月一九日、弁護団は、東京地方裁判所に、収容令書執行停止事件を申し立てた。リスクの分散の意味で、原告番号一から四までを東京地裁民事第二部に、原告番号五から九までを同第三部に分けて申し立てた。

 そして、一一月五日一九時三〇分、二部(合議)は四名全員について却下の決定を行い、一一月六日に三部(合議)は五名全員ついて一一月九日午前一〇時以降本案事件の第一審判決言い渡しがあるまで執行停止を決定した。

 法律上の争点は行政事件訴訟法二五条三項の「本案について理由がないと見えるとき」同条二項の「回復困難な損害をさけるため緊急の必要があるとき」及び同条三項の「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」の三つの要件に該当するかどうかである。

 実際上の判断を左右したのは、難民条約三一条二項が締結国に対して、難民に対して必要な制限以外の制限を課してはならない、と定めていることを、入管法三九条の収容令書を発布するに際して尊重するのか、無視するのかということである。

 そして、この判断を分けたのは、およそ不法入国してきた者は収容して良いのだと考えるか、国籍国の政府から迫害を受けて日本に辿り着く難民は真正な旅券(旅券とは、国籍国の政府から外国政府に対する保護依頼書である)をもっているはずもないのだから不法入国も不可避的であって不法入国してきたからといって難民と思われる人を収容してさらなる被害を与えてはならないと考えるかである。平たく言うと、不法入国者だが難民である可能性があるなら丁寧に扱わなくてはならないと考えるか、難民だろうがなんだろうが不法入国者は収容すべきだと考えるかである。

4 今後の課題
 原告番号五番から九番の人は釈放されてカトリック潮見教会に身を寄せているが、健康診断の結果PTSDや拘禁による精神的打撃は深刻である。そして、国側は直ちに不服申立をして、抗告事件は東京高裁第九民事部に係属している。

 原告番号一番から四番の人たちは却下決定に対して非常にショックを受け精神状態は悪いが東京高裁第三民事部に抗告事件が係属し一一月二二日から二七日までの間に決定が出される見込みである。

 いずれにしても、身柄が釈放されればすべてが解決するわけではない。九人の人たちはすべて、一〇月二〇日までの間に入管法上の口頭審理が終了し法務大臣裁決を待っている状態にあるが、難民認定手続きはじわじわとしか進んでいない。そして、難民として認定されるか、もしくは在留特別許可により「定住者」の在留資格を与えられるまでの間、彼たちは就労することもできず、生活の糧を持たない。

 この人たちが、アフガニスタンに強制送還されることになれば、仮にタリバーンに虐殺されないまでも戦火の中で死亡してしまう危険性は非常に高い。

 難民の支援は、アフガニスタン国内から逃れられない人、パキスタンなどに脱出できた人たちに対して行うと同時に、日本に庇護を求めてきた人たちを隣人として受け入れる方法でも行わなくてはならないと考える。


九月一一日事件後のアメリカ合衆国における治安政策、治安立法の強化


北陸支部  菅 野 昭 夫


 表題の件について、NLG総会参加の際得た情報やインターネットによるアメリカの各新聞報道をまとめてみると、以下のとおりです。

1 治安政策の強化
 九月一一日事件後、「テロリスト」対策としてなされた、逮捕勾留者は、一〇月二六日にブッシュ大統領が明らかにした数によれば、約一〇〇〇人に達しています。その一週間前が八三〇人とされ、増加の一途の様です。その内訳は、事件と実質的な関連性のある容疑で直截に逮捕された者は一〇人以下で、約四分の一はオーバーステイなどの移民法違反で逮捕され、その他の逮捕者の大部分は交通違反または軽罪の容疑のみであり、後記のように全く犯罪の容疑がなくて逮捕勾留されているものさえいます。

 こうした軽罪や移民法違反を積極的に活用して長期間身柄拘束することは、ブッシュ政権の公然とした方針です。アシュクロフト司法長官は記者会見で、「テロリストの諸君に警告する。もし君達がビザの期限を一日でもオーバーステイするなら、我々は君達を逮捕する。地方の条例に違反しても、我々は君達を逮捕するしできる限り長期間勾留する。我々はあらゆる法令を駆使して治安を守る。」と語りました。
 しかし、これらの逮捕勾留による人権侵害がマスコミによってさえ指摘されるようになっています。

 まず第一に、こうした政策は社会的弱者であるマイノリティ、移民を直撃せざるをえません。レイシャル・プロファイリング(検問や犯罪捜査に当たって人種によって犯人を推定すること)は、九月一一日事件前は法執行機関の中でも表向きはタブーとされていましたが、事件後は当然と意識されるようになったとのことです。また、事件前は決して逮捕されるようなことのなかったマイナーな移民法違反も必ず身柄拘束をされるようになり、特にアメリカ各地の空港で働く移民労働者が、ダラス、マイアミ、デンバー、ワシントンなどの各市で数十人単位で逮捕されたり強制送還されたことが報道されています。

 第二に、何らの犯罪の容疑もないのに、重要証人(マティリアル・ウィットネス)との理由で長期間勾留されている者が(政府はその数を明らかにしませんが)十数人以上いることが指摘されています。重要証人の逮捕勾留は古い法令に基づいているのですが、その制度は長く使われず、わずかに一九九五年のオクラホマ市の連邦政府ビル爆破事件以降にごく少数について限定的に使用されただけだったものが、今回は重要な武器として使用されるようになったものです。後述の反テロ法の改悪に上院でただ一人反対したラス・ファインゴールド上院議員は格調高い反対演説を行っていますが、その中で、二人のハイジャッカーと似たアルバダ・アル・ハツミという名前のサン・アントニオ市住人の放射線科医師が、学会に出席するためサン・ディエゴ行のフライトを予約したところ、重要証人として逮捕され一三日間留された後、「彼の容疑は晴れた」という一片の説明のみで釈放された例を挙げています。

 第三に指摘されているのは、逮捕勾留された者の弁護人とのアクセスが意図的に妨害されていることです。右のアルバダ・アル・ハツミの例でも、彼の弁護人は最初の接見を果たすのに六日もかかったと、ファインゴールド議員は糾弾しています。これらの逮捕は重要証人に対するものも含め秘密に行われるうえ、勾留場所も転々として、弁護人の依頼を受けた弁護士は所在さえ告げられず、まず連絡先を発見するのに長時間を要するのが通常となっています。また、被疑者の保釈も、「テロリスト」関連となると、軽罪でも不当に否定されることも指摘されています。

2 治安立法の強化
 ご承知のように、反テロ法及び盗聴法が、下院では賛成三五七対反対六六、上院では賛成九八対反対一の票差で「改正」決議され、一〇月二六日にブッシュ大統領が署名するに至りました。

 これらの「改正」の要点は次のとおりです。
 第一に、政府が電話、携帯電話、コンピューターなどによる会話や通信を盗聴する権限が大幅に拡大され、電子的装置による盗聴が飛躍的に容易になったことです。また、令状の発布も容易となり、人物さえ特定すれば、その人物が用いるあらゆる電話(勤務先等を含む)の盗聴が可能となりました。また、あるコンピューターやネットワークに「侵入」した者に対して、侵入されたそれらをモニターすることも可能となりました。なお、盗聴令状の有効期限については、政府原案では無期限とされていましたが、四年間と修正されました。

 第二に、司法長官がテロリストの容疑を抱いた移民を政府が司法審査なしに勾留する権限が認められました。この対象者は、アメリカ国籍を有しない者全てであって、従って永住資格を得て合法的にアメリカ合衆国に居住している者を含みます。また、「テロリスト」との疑いさえあれば、特定の犯罪容疑を必要としません。政府原案はこの勾留を無期限としていましたが、議会の修正によって、司法長官は勾留を維持するためには七日以内に犯罪容疑で刑事訴追するか、または国外追放の手続を裁判所に請求しなければならないとされました。しかし、国外追放の司法審査においては、テロリストでないことの立証責任は政府ではなく勾留されている者が負います。さらに裁判所が国外追放を適当でないと判断した場合でも、司法長官がなおテロリストの容疑を抱いているときは、さらに勾留を継続することが可能とされています。

 第三に、マネー・ローンダリングを防止するための、広汎な権限が政府に付与されました。即ち、政府が各金融機関に対し、質問・検査・預金の閉鎖を命令することが可能となり、これに従わない金融機関(外国のそれを含む)は、合衆国における金融取引の各制度を利用することが禁止されるなどの制裁を課されることになりました。

 第四に、CIA、FBI等さまざまな法執行機関や情報機関が、盗聴などで得られた情報を交換し共有できるシステムが導入されました。政府の高官は、今や「危険人物」に関する情報ファイルが整備され活用できる準備が整ったと豪語しています。しかし、一度収集された情報の開示、訂正、削除に関しては、何の権利も保障されていません。

3 言論の抑圧
 アメリカでは、報復戦争に反対し、テロ対策を理由とした治安政策の強化を批判する声が、少数ながら、厳然として存在しています。しかし、これらの言論活動の中心となっている大学人達は、政府に批判的な発言をするや、大学当局や大学を主管している地方政府から、懲戒処分の圧力などさまざまな攻撃を受けるようになっており、憲法修正第一条の言論の自由を守るための闘いがよびかけられている状況です。

 以上のとおり、九月一一日事件後のアメリカ合衆国における治安政策と治安立法の強化には慄然とせざるをえないものがあり、対岸の火事とは考えずに引き続き関心を寄せる必要を痛感します。


検察が弁護人を懲戒請求


埼玉支部  鍜 治 伸 明


一 埼玉の本庄保険金殺人事件はご存知でしょうか。主犯とされる男性が愛人の女性たちに指示して、トリカブトや風邪薬を使って被害者を殺害し、保険金を騙し取ったとされる事件です。今年三月末にさいたま地裁で第一回公判が行われました。共犯者とされる女性たちはすべて公訴事実を認めましたが、主犯とされる男性Yは、公訴事実を全面的に争っています。このYについての審理は分離され、第一回公判から約五ヶ月間の準備期間を経て、九月から集中審理方式による審理が始まりました。私も第一回公判後に国選弁護人の一人として加わりました。現在、週四日、全日開廷のペースで審理が進んでいます。

二 この事件の審理は、まず、共犯者とされる女性の中でも最も重要な役割を果たしたとされるTの証人尋問から始まりました。

 このTは、逮捕直後からノートに詳細な日記をつけていました。昨年七月ころ、Yの弁護人(当時はYの弁護人にはまだ一人しかついていなかった)が、Tの弁護人からこのノートのコピーを入手しました。そこには、捜査官がTに対して「あなたが自白すればYも楽になる」、「自白しているのとしていないのとでは求刑に差が出る」、「このままではYは死刑だ」、「Yにとって一番大事なのは家族だ」、「あなたは捨て駒だ」、「Yはあなたが一人でやったと言っている」などと言って自白を迫っている様子が克明に記載されていました。また、犯罪事実そのものについても、起訴事実とは大幅に異なる内容が記載されていました。

 そこで、弁護人は、そのノートのコピーをYに差し入れて、そのノートに対するコメントを書いてもらうことにしました。Yは、便箋にコメントを記し、弁護人に宅下げしました。その便箋には、事実経過の他に、Tに対する思いや、ウソの自白をするにいたったTへの憤りの言葉も書いてありましたが、「自白しないように呼びかける」=罪証隠滅を意図する内容とは到底考えられないものでした。弁護人は、Yの便箋の写しをTの弁護人に渡しました。

 その後、Yの便箋に対するTの返信が、Tの弁護人からYの弁護人のもとに届けられましたが、それはTからYへの私信であり、宛先も明確にY宛てのものでしたので、その手紙をYに差し入れることはしませんでした。

 なお、今年九月ころ、突然Yの房に捜索が入り、弁護人がYに差し入れていたTのノートのコピーは差し押さえられてしまいました。ですから、そのころに、検察は、弁護人がTのノートのコピーをYに差し入れた事実を知ったはずです。

三 このTのノートの内容は前述したとおりのものであり、弁護団としてもこのノートのコピーは、Tの公判証言を弾劾する極めて有力な資料であると考えたので、このノートのコピーを証拠調請求しました。すると、検察官は、このノートのコピーは、接見禁止決定に違反して入手された違法収集証拠であると主張し証拠能力を争ってきたのです(当時T、Yともに接見禁止がついていた)。裁判所は、しばらくは採否を留保しましたが、結局は、弁護人がこのノートのコピーを入手した過程に違法はないということで、証拠として採用しました。ただし、裁判所は、TのノートのコピーがYに渡った点、Yの便箋のコピーがTに渡った点については、接見禁止の趣旨を潜脱するものであり、違法の可能性が高く、今後このようなことのないよう警告する旨付言しました。
検察側はこれでは収まらず、一一月一二日、さいたま地検が、Yの弁護人とTの弁護人について、接見禁止に反する違法な弁護活動を行ったとして、埼玉弁護士会に懲戒請求をしました(請求書をまだ見ていないので、具体的な主張はわかりません)。

四 この問題についての我々弁護団の見解は概ね以下のとおりです。
弁護人は、単にY・T間の私信のやりとりを仲介したわけではありません。TのノートはあくまでもTの日記であり、特に宛先があるわけではなく、Yの弁護人が弁護活動上収集した証拠です。また、Yが書いた便箋のメモは弁護人宛てのものであり、Tに宛てたものではないことは明白です。弁護人は、弁護士として、証拠隠滅の危険のない書面と判断した上で、ノートや便箋のやりとりをしたのです(だからこそ、Yの便箋に対するTの返信については、私信の性質を有すると判断し、Yに差し入れていません)。これらの行為は決して、接見禁止を潜脱するような性質を有する行為ではありません。

 むしろ、これら弁護人の行為は、弁護人として当然やらなければならない弁護活動のひとつであると考えます。すなわち、Tのノートは、その内容から考えて、極めて重要な「証拠」であり、その内容について、依頼人であるYの見解を求めるのは、弁護人として当然のことです。また、共犯関係が疑われている被疑者の弁護人相互の間で、それぞれの依頼人の事実認識や主張について、どの程度の情報交換をするかは、それぞれの弁護人が、自己の依頼人の最善の利益を考えて決定すべきものと考えますが、Yの弁護人としては、Yの記した便箋をTの弁護人に示すことは、Yにとって不利益なことではなく、むしろ、それを示すことによって、Yの見解をTに知ってもらうべきではないかと判断したものです。したがって、Yの記した便箋をTの弁護人に示すことも、Yの弁護人として果たすべき弁護活動なのです。

 逆に、このノートの差入行為は、弁護人と被疑者との秘密交通権によって保護されるべきものですから、ノートを差し押さえた捜査機関の行為は、Yの弁護権に対する重大な侵害であり、これこそが違法行為だと思います。
今回検察庁が懲戒請求してきたことの意図は明白です。検察側の立証にとって重要な鍵を握る証人であるTの証言を強く弾劾する性質を有するTのノートの入手方法が違法であったことを世間に印象付け、我々弁護人や裁判所に対して、プレッシャーをかけようとしているのです。

五 今回の件は、刑事弁護ガイドラインや弁護士の懲戒制度の問題など、様々な論点を含んでいると思います。これらの問題に関する具体的な事例として皆さんにご議論いただければと思います。


緑色韓国連合、クンサン米空軍基地そしてハノイで
アンニョンハシュムニカ(こんにちは)、韓国米軍基地反対運動(一)  


東京支部  盛 岡 暉 道


 韓国語がとても堪能な、新横田基地公害訴訟弁護団員で公害弁連事務局次長の松浦信平団員(日野みなみ法律事務所)が?新横田基地公害訴訟団と韓国の基地公害訴訟団との交流を実現するため、と?日本の公害弁連が、来年、韓国で、あちらの公害訴訟に取り組む人々とシンポジュームを開くので、その打ち合わせをするため、に横田訴訟団の原告二人と嘉手納基地訴訟弁護団の松井忠義団員(大阪・太平洋法律事務所、もう四回も訪韓している)と一緒に韓国に行くというので、「俺も連れてってくれ」と頼んで、一〇月八日から一一日まで駆け足で、生まれて初めて、韓国に行って来ました。 

 行って、本当によかった。その上、一〇月一九日からベトナムの首都ハノイで行われたアジア太平洋地域法律家会議に参加して、ここでも米軍基地反対運動に取り組んでいる韓国の弁護士たちと会ったので、そのことも報告しておきます。

 ソウルでの韓国の基地・空港公害訴訟運動との交流会
 一〇月八日は、未明にアメリカがアフガニスタンに報復攻撃を開始した日ですが、私が成田に向かうため朝七時頃、自宅近くの玉川上水沿いの道にさしかかると、日本の警察官が物々しい警備を行っていました。

 しかし、同日の午後四時頃に着いたソウル近郊のインチョン(朝鮮戦争の時、米軍が反転攻勢の上陸を強行したあの仁川です)新国際空港は、銃を肩にした二人組の韓国兵があちこち行ったり来たりはしていたものの、思ったよりは警備は厳しくありませんでした。

 もっとも、黒っぽい私服の鋭い目つきの人物が何人か所々で目を光らせてはいましたが。

 出迎えに来てくれた「緑色連合」内の環境訴訟センター事務局のパクさん(三〇歳台。彼は今年の三月に八王子で行われた公害弁連のシンポに参加して松浦団員と面識がある)に連れられて、ソウルの中心街ミョンドンはロッテ百貨店そばにあるビジネスホテル(低料金相応の宿)に着き、夕刻、近くの食堂で、今年三月に弁護士になったばかりで環境訴訟センターを担当しているウー・キョンソン弁護士とキンポ(金浦)空港騒音訴訟担当のチョイ・ヨンドン弁護士ら(いずれも三〇歳台)と一緒に焼き肉料理を食べました(美味しかった)。

 私は、彼らに、カタカナで書いておいたメモをみながら、やや得意になって「アンニョン(安寧)ハシムニカ(安寧にお過ごしですか=今晩は)。マンナベソ キプムニダ(お会いできてうれしい)。ジェイルムン盛岡暉道イムニダ。」などと挨拶しましたが、有り難うの「カムサ(感謝)ハムニダ」は「カmサハmニダ」と発音するのだと、何度も言い直させられてしまいました。

 二日目の一〇月九日は、朝、ソウルのアメ横とでも言うべき南大門市場まで散歩して、そこの小さな大衆食堂で韓国餃子入りのスープの「マンドゥクッ」を食べ(安くて、美味しかった)、午前一一時頃から、キリスト教会館の中にある韓国「緑色連合」(グリーン・コリア)の事務所を訪問しました。このキリスト教会館は七年前に建てられたばかりの建物なので、その三階にある「緑色連合」の事務所は明るくて広く、働いているスタッフも二〇歳台が中心かと思うほど若い人たちばかりでした。「緑色韓国連合」(グリーンコリア)とは、韓国の環境問題に取り組んでいる市民運動団体で、共同代表三名、地域代表と団体代表の一五名で構成されている中央委員会、全国に九支部を持ち、組織局・市民参与部・企画広報局・自然生態局・対案社会局(凄い!)・環境訴訟センター・緑色社会研究所などで構成されているそうです。

 ここで、一九九九年五月にグリーンコリアの一部局として発足した環境訴訟センターのリー・チョンヒル事務局長(三〇歳台)と同席したヨンサン米軍基地返還運動センターのキム・テヒョンさん(奈良の天理市に二年間語学留学した二〇歳そこそこのとてもよく笑う女性)から、韓国の米軍基地反対運動の概略を教わりました。

 なおヨンサン(龍山)米軍基地とはソウル市街地の真ん中(東京で言えば新宿か池袋辺り)にある米軍司令部のおかれている場所のことで、騒音被害などはないが「私達の首都のこんな中心部に米軍基地なんて絶対許せない」と返還運動を起こしているのだそうです。

 リー・チョンヒル事務局長は、昨日からアメリカのアフガニスタン報復攻撃への抗議の集会やマスコミへの対応など予定外の行動が入ったためとても忙しくて、今ようやく落ち着いたところだといっていました。日本の人たちと共同のアピールも出したそうです。

 私たちは、この韓国緑色連合の環境訴訟センターに、持参した旧横田基地公害訴訟のビデオ「一八年の闘い」三巻、同パンフ「静かな夜を返せ」三冊、新横田基地訴訟訴状(英文)、米政府の出廷拒絶の日本外務省宛口上書(英文)、ニューヨークタイムズ意見広告(英文)、新横田基地訴訟の概要(英文)、日米合同委員会の「横田基地騒音の軽減措置に関する同意事項」(和文)、横田基地周辺の騒音コンター図などを渡しました。

 環境センターからは同センターの活動を紹介する分厚い冊子やしゃれたパンフなどをもらいましたが、勿論これらは全文ハングル文字で書かれているので、松浦団員以外は誰も読むことは出来ません。

 逆に、環境センターの人たちはこちらの日本語の資料はすぐに活用出来るものではないかも知れません。でも環境センター室の本棚には日本語の書籍が何冊か見あたりました。
とにかく新横田基地訴訟の英文の訴状は、これはすぐにも参考に出来るわけで、高い費用をかけたこの英文の訴状が思いがけず役に立ち本当によかったと思います。

 みんながリー事務局長と熱心に打ち合わせをしている最中に、私はその様子を写真にとることを思いつき、カメラを取り出してメモを見ながら「ヨギソ サジン(写真) チゴド テヨ」(ここで写真をとってもいいですか)というと、リーさん達はどっと笑い出し、事務局のパクさんが私からカメラを受け取って、みんなにポーズをとらせたので、自然なスナップ写真をという私のあては、残念ながら外れてしまいました。ここでの雑談のなかで、私はリー事務局長さんに「貴方も三八六世代か」と聞いてみたら「そうだ」といっていました。「三八六世代」とは現在三〇歳台で八〇年代に大学生活を送り、六〇年代に生まれた人たちのこと(四方田犬彦著「ソウルの風景」岩波新書)だそうです。キンポ空港訴訟担当のチョイ弁護士など彼らの仲間は殆どみな「三八六世代」だといっていました。そして、今や韓国ではこの「三八六世代」こそ政治、思想、芸術などの分野で縦横の活躍をしている世代らしいのです。松浦団員は「そういえば私も三八六世代と言うことになりますね」といったので、私は「え、そうなの」とあらためて驚いてしまいました。つまりは、リーさん、チョイ弁護士、松浦団員たちは、私や原告の大野さん、鈴木さんなどと三〇歳も若い!

 このあと、私たちが会うことになる韓国の、現在米軍基地訴訟に取り組み、これから取り組もうとしている人たちは、本当に誰もかも、二〇代、三〇代で若々しくさわやかな感じのする人たちばかりでした。

 そして、考えてみれば、三〇年前に横田基地訴訟に取り組み出した時の私たちも、やっぱり、みんなそうだったのだ。私は彼らに一層の親しみといとおしさを感じざるをえませんでした。(続く)


不当な出勤停止処分攻撃に高裁でも断罪の判決


千葉支部  守 川 幸 男   白 井 幸 男


一 事案の概要と画期的な一審判決
 詳細は団通信九九八号(二〇〇〇年一〇月一日)に「不当な出勤停止処分に断罪の判決ー組合にも慰藉料三〇〇万円」として掲載された。
 一九九七年九月の旧運輸一般の分会結成を機に、脱退強要、団交拒否、配車差別を含む仕事差別と賃金差別、一時金不支給、出勤停止処分の乱発などをされた事件である。一審判決は「組合を敵視した一連の行為」について「その期間も長期に及び態様も執拗かつ悪質」で、「強度の違法性がある」とした。
二 東京高裁判決とその評価
 一〇月一六日に東京高裁で判決があった。以下はその内容と評価である。

1 分会員一名の訴え取下を無効と断ずる
 高裁段階で一名が会社の攻撃と利益誘導に屈し、訴えの取下書を取られた。しかし、分会員はその直後に高裁に連絡し、会社に内容証明を送り、準備書面等でもその不当性を批判した。その結果、控訴審は訴え取下の効果を否定したうえで、これを、「長時間にわたる利益誘導や脅迫的言動を支えた執拗な脱退工作」、同人の「意思決定の自由が侵害された状況のもとで行われた。」などと断罪した。

2  労働組合の「無形の損害に対する賠償額」三〇〇万円を引き 続き認める
 一審判決は「慰謝料」と表現したが、高裁判決は頭書の表現に改めた。この金額は、全税関横浜の最高裁判決(一一月一日)の二五〇万円を超える。

3 平均賃金の計算方法は一審判決を維持―但、欠勤が増えた分を 減額
 一審判決は、組合結成前の平均賃金との差額を差別賃金として認めた。差別後の懲戒処分の場合、その直前の平均賃金を算定基礎とされたら救済額は著しく低くなるから、この判断の持つ意義は大きいが、控訴審もこれを認めたのである。

 しかし、分会結成後は、裁判所への出頭や弁護士との打合せによる自己都合欠勤が多くなり、これに伴って賃金が減少しているが、控訴審はこの欠勤の必要性、相当性は明らかでないとして、各人毎に、対象期間の一ヶ月平均の労働日数(出勤停止処分による欠勤は労働日数に含む)の減少分について減額した。

 これは直接の争点にはなっていなかったが、控訴審で裁判所から、欠勤日数が増えたことは認めるのかとの求釈明があり、このような判断となった。この点で一審より減額になった。しかし、個別の欠勤理由に踏み込まずに一律に労働日数や欠勤日数だけの比較をしているものであり、また、運動上、団結上の問題点もある。

 ただ、上記のような欠勤理由だと、これを会社の不当労働行為と相当因果関係ある損害たる賃金差別と判断せよ、と裁判所に求めることはかなりむずかしいとも言え、上告はしなかった。

4 不況の影響による三割の減額を否定
 一審判決は、「不況の影響がある程度の影響を及ぼしている可能性が否定できない。」として不当にも、主張も証拠もなしに三割を減額した。そこで控訴審で附帯控訴したところ、これをすべて認めてくれた。
 結局、認容総額は一審より約三〇万多い一〇八〇万円強となった。

5 今後の問題
 会社は、一応上告したが話し合いには応ずる、と言っている。
 地労委、中労委の同種事件はすべて勝訴したが、行政訴訟を提起され、現在、緊急命令申立中である。

 また、本件を第一次訴訟とすれば、その後の不当労働行為について第二次訴訟が千葉地裁で闘われており、ほかにも暴行のデッチ上げに基づく損害賠償請求事件(被告)や、ビラ配布を理由とする損害賠償請求事件(被告)なども係属中である。全面解決めざし、さらに奮闘したい。


こんなことも、、。(続)


  東京支部  坂 井  興 一


(法人化の今)
 一〇/三一 、昼より法人化総会に出る。議案は弁護士法の法人部分を受け流すだけのイージーな手法によっている。上位法の準則主義を尊重し、届け出のあった法人をそのまま受けるのだから文句の言いようがなく、賢明と言えば言える。然し殆ど無審査で登録パスだから、無責任でもある。会則をゴチャゴチャいじらず規程で一本化しているので、スッキリしている点は評価できる。総会では常連の一人、二弁のM氏がいつもよりシンミリとした口調で言っていた。どうして監督官庁が日弁連でないのか、近頃の新人の挨拶状と来たら、人権・社会正義・憲法なんて何処にも書いてない。議案反対の人は何もアレコレの条項がどうこう言いたいんではないんです。自分は後がないからいいが、新しい人が商売意識しかなくなってこれからどうなっちゃうの?!、、、云々といったことだった。私の方は改めて言うべきこともなくサテと思っていたが、採決の方は数えるまでもないらしく、目の子勘定だけのものでアッサリ成立となった。

 法人化については、理事任期中、一人法人・準則主義・名称・弁護士法全面改正手法等に関連し何度も言わざるを得ない気分になり、言ってしまった。法が通過してからはそれも今更めいて、事務所・東弁期成会の学習会等では、専ら傾向と対策レベルでレポートしてきた。その結論は、我が社では先に進みようもないが、業界ではフツーの事務所がその内バタバタと改組するだろうということであった。我が社は東弁・二弁共存し、どっちにも役員を送り出す気でいるが、形だけとはいえどっちか一会所属では人心が収まらない。さりとて三会合併を待ったり、その推進派に合流したりも難しい。対等扱いの事務局員諸君も、社員になれようもないダブルスタンダード論議にはキョトンとしている。元々この手の事務所の実態は法人に近くなっているが、その形式は米国でいうゼネラルパートナーシップ(GPS)の方が似合っている。、、というわけで、あとは当初から予想されたとおり、フツーの事務所が法人化するのである。

 そもそもS六〇年頃からの東弁の取組みは、H会員の事務局法人代取就任の営業許可を蹴った、その代償措置から始まったのである。曰く、弁護士が法人成りして何が悪い!であり、その主な意図は勿論、所得二分化にある。殊にボス弁型では経理処理はメいっぱい裁量の余地があり、その閉鎖性とが相俟って、マ、その辺の会社と同じことになる。そして今度は、制度を作る以上出来るだけ利用者は多いのがいいと、ご親切にも法務省が一人法人を認めてくれた。それで東京の説明会でも、一人事務所の先生方のご参加が目立ったとのことである。(蛇足ながら、野心家のH会員は法友会の所属で、いつの間にか自民埼玉の国会候補者になり、三度の挑戦がみな蹴られた。日弁連調査室の不相当回答の理由は派遣がらみの無責任性であったが、蹴られ癖の始まりがその営業不許可であったか。)

 ホント、これからのことを考えると、節約できるもの、形造りをした方がよいものをやって何が悪いの?となるのは、マ、当然である。この世界もいよいよ、フツーの職業・フツーの業界になる。フツーの人になっても勿論倫理教育は可能でそれなりの規範意識もあるが、組織ましてや法人となると、根っからの目的的存在であるから、そうしたものが常備されるかどうかは分からない。私が日常体験で分かっているのは、平常時では個人商店は相手にされにくく、非常の時となると法人は放置ゴミ如きとなる。それが法人成り現象を生み、そして少額管財手続き導入の背景・原因となった。これは、マ、実務知識のイロハであろう。職業・業界ともフツー化してみれば、それと特段違った傾向になるとも思えない。、、ということで件の二弁M氏の言はご尤もなことと思えたのである。他に解散請求権・非弁提携の議論もあったが、それは、マ、非常・例外・間接影響のことであり、本線はこのフツー化・ビジネス化、つまりは特権無用・自治無用のその辺の団体・業界との違いがわからない時代に入って行くことへの懸念であろう。そうしたことは然し、あからさまにクチにするに憚るものがあるから、こうしてコッソリ書き留めるくらいが丁度なのである。
(フツーのこと)
 このフツー化については他にも思いがある。綱紀・懲戒市民参加問題であり、刑弁準則等の問題である。弁護士自治を守るため、出来るだけ余計な人は入れたくない、まして法務省は、ということなのだが、この一連のものも意図してかどうかポイントがずれて議論されている。実のところ、昔から、自己規律・自覚ほど難しいものはなくて、いっそ市民参加の方がアリバイ証明に徹すればいいので、ずっと楽なのである。高山さんたちは自覚・自立・自治のための規範意識の徹底・昂揚というしんどいことを強調している。攻撃防御に徹して、ドライに、サ、何が悪い、文句あるなら証明して見ろ!とは、提携弁護士諸君の綱紀委員会相手とせずとの常套手法であり、フツードライ派宣言である。昔からフツードライ派は柳に風のタフな下士官流であり、モラル自己規律派は戦死率の高い尉官クラスの手法と相場が決まっていたのである。

 かくして弁護士・法律事務所という職業・業界もフツーのものと化する。私も人口・ロースクール等で様々に言ってきたが、フツーはイヤだ、ワガ職業がそんな風に辱めを受けるのはイヤだという意識がまるでなかったと言えば、多分嘘になる。それは変わらず不愉快で、然しそれと制度論として問題だと思うこととは別のことなのだが、とにかく事態は進む。

 昔々、弁護士になり立ての頃、所員弁護士の表示が期順であることに強い不満を抱いてアイウエオ順を迫り、そうして貰ったことがあった。多分このテの事務所でも至って早い時期のことだったと思う。それを、マ、若気の気負いと思うこともあったが、もう一遍、駆け出し気分に戻り、フツー化・ヒラ化して、序列・評判はお客様に決めて貰うしかないのか。そんなことをこのフツー化時代入りに思うのである。


一二・八 アフガニスタンに平和をー法律家・市民のつどいのご案内ー


 去る九月一一日にアメリカで発生した同時多発テロを契機にアメリカ軍などによるアフガニスタンに対する武力攻撃が続いており、日本の参戦も具体化されています。
 しかし、この戦争により何らの罪もないアフガニスタンの多くの一般市民が犠牲になっています。そして、一〇〇万もの人々が飢餓状態におかれ、生命すら危険にさらされているといわれています。
 私たちは、このような戦争は一日も早くやめさせ、日本が参戦することにも反対の声をあげていかなければならないと考えています。いまこそ、戦争を放棄し平和的生存権を明記している日本国憲法の役割が発揮されなければならないと思います。
 以下のように戦争の実態から考えるつどいを緊急に開催することになりましたので、ぜひとも、多数ご参加くださいますようお願いします。

【日時】 一二月八日(土) 午後一時〜四時
【場所】 平和と労働センター
 (JR・地下鉄丸の内線ーお茶の水駅下車徒歩)(=全労連会館)
【内容】アフガニスタンをめぐる世界情勢と憲法九条 
    ・小林武教授(南山大学)
    アフガニスタン・パキスタン現地からの報告
    ・木山啓子氏(アフガン難民支援に取り組む
               NGO「JEN」事務局長
    ・地雷廃絶日本キャンペーンのメンバーの方
    戦争を考える報告・討論
    ・航空機パイロット、ピースボート、チャンスのメンバー    日本の参戦・役割について
    ・アフガン難民弁護団、靖国訴訟など
【よびかけ】日本民主法律家協会/青年法律家協会弁護士学者合同    部会/日本国際法律家協会/自由法曹団


ご希望の方にお送りします

 二〇〇一年総会資料で配付した「古稀団員経歴紹介」、「古稀団員からのあいさつ文集」をご希望の方に送ります。どちらも二〇部ほどの残部がありますのでご希望の方は団本部にご連絡ください(常幹で、大変によい内容なので残部があれば総会に参加できなかった方で希望者におわけしようということになりました)。


徹底討論 どうする、どうなる「裁判員制度」
         〜制度のあり方を考える〜日程案内

         司法民主化推進本部

【日 時】  二〇〇二年一月一九日(土)午後一時から五時
【場 所】  団事務所
【内 容】 
  1 報告 裁判員制度から陪審制度をめざして【仮題】
            (四宮啓 日弁連司法改革・調査室長)
       刑事裁判官の立場からどうみるか
            (秋山賢三元裁判官)
       裁判員制度をどう考えるか
            (伊藤和子団員)
  2 討論 裁判員制度をどう作るか
       必要な刑事訴訟法改革をどう進めるか
       国民運動をどう広げるか

 多数お集まりください。