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伊藤 和子 裁判官制度改革を考える
齊藤 園生 裁判官の人事評価は必要か
吉田 健一 海外派兵と改憲問題についての覚書ーカンボジアPKO、平和基本法問題をめぐって
中野 直樹 憲法調査会から目を離さない
萩尾 健太 国鉄闘争の再構築へ、自由法曹団も検討を
池田 眞規 軍隊を捨てたコスタリカから軍隊禁止を宣言したフゲーレス元大統領夫人カレン・オルセン女史がやってきます


裁判官制度改革を考える


東京支部  伊 藤 和 子

 司法制度改革推進本部・法曹制度検討会では、裁判官制度改革の論議がスタートした。司法審最終意見は、法曹一元の実現を見送る一方、給源の多元化・多様化、任用・人事の見直しを提言した。

 この提言に基づき、給源の多様化については弁護士任官推進の体制がつくられつつある。また、裁判官任用について、最高裁は「一般規則制定諮問委員会」を七月に発足させ、中央に一つ高裁管内に八つの裁判官指名諮問委員会を設置し、すべての任官者をここで審査に付することを決めた。少なくとも密室で恣意的に任官拒否をすることは困難な事態が生まれつつある。

 しかし、現在の最高裁事務総局を中心とする官僚主義的司法統制を打破するには、人事統制にこそメスが入れられなければならない。

 最高裁は司法審最終意見を受けて、昨年「人事評価のあり方に関する研究会」を発足させ、今年七月に報告書を提出したが、その内容は、司法審最終意見書の不十分な指摘からも著しく後退するものといえる。

 司法審最終意見は、裁判官の人事評価につき、@評価基準の明確化・透明化A人事評価の本人開示B人事評価に関する不服申立機関(第三者機関)設置C進級制の見直しD人事評価にあたり本人の意向を汲み取る方法の検討E人事評価に外部の評価を導入することの検討、の六点を提起した。

 「研究会」は、人事評価の本人開示については積極的に検討すべきとしたものの、人事評価の不服申立機関(第三者機関)の設置及び人事評価に外部の評価を導入することに関し、いずれも否定的見解を鮮明にした。

 このような「研究会」報告、とりわけ特に外部評価を一切排除した結論は、法曹制度検討会や一般規則制定諮問委員会でも厳しく批判されている。

 今後、人事評価のあり方をめぐって、検討会や最高裁等で議論が進み、日弁連も人事評価のあり方に関する対案を提出するようである。団内にも「裁判官人事評価のあり方」に関する具体的対案を出すべきとの意見もある。

 しかし、最高裁を頂点とするピラミッドの中で行われる「人事評価」こそは、官僚主義的裁判官統制の淵源にほかならない。裁判官人事は、事実として思想・信条・結社の自由を侵害し、裁判官から独立と市民的自由を奪い、司法の本来の役割を阻害している。団は、裁判官を管理・評価・支配している機構や制度を縮小し、事務総局の人事統制を無力化することにこそ力を注ぐべきである。

 仮に「裁判官人事評価の客観化・明確化」の名のもとに、人事評価体制が一層強化され、詳細な評価項目を設定した人事評価が行われることとなれば、中央集権的官僚統制の打破どころかその逆に陥ることとなる。

 裁判官の評価項目を具体化・細目化し、評価手続を決めれば、差別人事がなくなるものではない。賃金差別事件にみられるように、各企業の詳細な評価システムにおいて実に巧妙に差別的人事評価が行われているのであり、裁判官人事評価における詳細な評価項目の設定は逆に差別を巧妙に隠蔽し、差別を合理化・正当化するものとして活用される危険性すらはらむ。

 特に「人格的資質」なる評価項目の設定(司法審最終意見では倫理性、柔軟性等が例示されている)が積極的に導入されれば、恣意的・差別的な評価の温床になる危険性は明らかである。

 そもそもアメリカ等の法曹一元諸国では、内部での昇給・昇格という概念がなく、報酬は原則一律で、任期制があるため、人事評価が存在しないのが一般的である。私は、以前米マサチューセッツ州の裁判所の裁判官から、「内部の制度としての人事評価は存在しない、私たちにとって唯一最大の評価は、国民からの評価であり、国民から裁判官として信頼を得ていることこそが裁判官の生命線である」と聞き、感銘を受けたことがある。裁判官の視線が国民の側に向けられているのである。

 アメリカで例外的に内部的な人事評価がなされているハワイ州では、常に弁護士会等の外部が評価を行って裁判所に資料提供し、これを内部評価に組み込んでいるという。この場合の人事評価の目的は裁判官が国民に対する説明責任を全うし、職務の質を向上させることに尽きるという。「独立」の名目で外部評価を排除しようとする最高裁との違いは明瞭である。

 しかし、日本においても、給源・任用等の改革如何によっては人事評価を可及的に縮小しうる。つまり、第一に弁護士任官により早期に判事補制度を解消し、第二に、一〇年ごとに国民参加の諮問機関で再任審査を受けることとし、第三に任地・転勤については応募制とし、希望が重複した場合は任用同様に国民の参加する諮問機関における審査に付し、「その意思に反して免官、転官、転所、職務停止、報酬減額されない」とする裁判所法四八条を実効化させ、第四に報酬を三段階程度に簡素化する。こうすれば、人事評価が問題とされる場面は著しく狭められることとなる。裁判所内部での人事評価の余地を可及的になくす課題にこそ、エネルギーを注ぎ、国民的に訴えていくべきである。

 当面、裁判所内部の人事評価が残るとしても、内部評価項目は極めて簡素かつ客観的なものとし、主観的項目は排除すべきである。他方で弁護士会等の外部評価を制度的に取り入れるべきであり、そのために中立的な評価機関を国民の側で設置していくことも課題となろう。

 そして人事評価の改革において不可欠なのは透明化である。裁判官の独立と自由を阻害する官僚主義的人事統制、とりわけ密室での恣意的・差別的人事評価に基づく良心的裁判官に対する差別人事を根絶するために、人事評価の本人開示及び人事評価に関する不服申立のための第三者機関の設置が不可欠であると考える。



裁判官の人事評価は必要か


東京支部  齊 藤 園 生

 前号で神奈川支部の山田泰団員が、裁判官人事評価のあり方について、限定的だが必要論で意見を述べていた。人事評価のあり方については団内でもほとんど議論がされておらず、賛否両論があるとおもう。今はイギリスに行ってしまった井上洋子団員は人事評価不要論だったが、私も「そんなものいらない」といっていたので、井上さんに代わっておまえが不要論を書け、といわれてしまった。理由付けは井上さんとは違うかもしれないが、言った者勝ちだろうと思うので、勝手にかつ全く理論的根拠なく直感的意見を述べたい。

 まず、現状の最高裁の行っている裁判官人事評価が、恣意的で裁判官の独立を侵す問題の多いものであることは、おそらく異論のないところだろう。今の人事評価が裁判官統制の最大の手段であり、最高裁に刃向かうことのできない、憲法に沿った判断をすることのできない裁判官を作っている最大の原因である。人事評価は裁判官の独立と厳しい緊張関係にある。だからこそ、人事評価は客観的基準で恣意的運用ができないものでなければならないと思う。

 では人事評価はどうあるべきなのか。まず評価項目に裁判内容を含めることはできない。裁判内容がどんなに「反動的」だろうとそれをもってマイナスの評価などすれば、それこそ裁判官の独立を侵害するからである。では裁判官の人的資質(話を聞く態度とか、倫理観とか)とか、能力(法的判断力、組織運営能力など)はどうだろうか。私はこのような項目も客観的評価になじみにくさがあると思う。最高裁に任せていては恣意的運用がなされる危険性が残る。

 そもそも、評価する項目の中で、果たして恣意的運用ができないような客観的基準が作れるものなど、そんなにあるのだろうか。欠勤回数とか、遅刻回数くらいなのではないか、と思う。

 そもそも、人事評価が必要なのか、という点からして疑問である。私は本来裁判官は一定の経験を積んだ弁護士から任用すべきと思う。そして任官は、一〇年間という任期を、一定の給料で(だから一〇年間は基本的に給料は一定)、一定の裁判所に勤務するという条件での任用行為とすべきだと思う。だからその間に昇給や、昇格など必要としない。任地も私は一〇年同じでいいと思う。やむなく転勤があったとしても、転勤を意志に反してさせることはできない(裁判所法四八条)ことを確立すべきである。任地希望が重なったら、家庭事情などの人事評価とは違う部分で調整すればいいし、最後はくじ引きもやむを得ない。結局このように考えると、問題はそもそもどんな人物をどんな基準で裁判官に任用するのか(再任を含む)という問題に集約され(これをどうするかはまた問題だが)、人事評価そのものは不要であると思う。

 以上、かなり大胆な人事評価不要論である。賛否両論あると思うので、これからどんどん議論しましょう。



海外派兵と改憲問題についての覚書ーカンボジアPKO、平和基本法問題をめぐって


東京支部  吉 田 健 一

1 はじめに
 九〇年代に入り、湾岸戦争を契機として自衛隊を海外派兵する動きが強まり、PKO法が成立、カンボジアPKOへの自衛隊派兵が開始された。これに連動するように自衛隊を立法により合憲化する様々な基本法構想や明文改憲の動きが急速に強まっていった。これらの動きは、今日の有事立法や改憲策動に連なる重要な意味を持つものである。

 この間の団通信への木村晋介団員の投稿は、これらの経過にも関わるものである。私は、団員個人相互の批判や論争に立ち入るつもりはないが、当時の執行部や改憲対策本部(当初は、海外派兵阻止対策本部)の活動に関与してきた一人として、木村氏の投稿では触れられていない部分もあるので、自由法曹団としての議論や取り組みについても、若干の解説を含めて紹介することにしたい。

2 カンボジアPKOへの自衛隊派兵
 一九九一年国会に提出されたPKO法案に対しては、自衛隊を海外派兵することに多くの国民が反対し、団も法案の違憲性を指摘するとともに法案反対の活動を展開し、平和憲法にもとづく日本の平和的役割を訴えた。国会では、社会党、日本共産党、社民連などの議員が牛歩戦術まで行って、その成立に抵抗した。しかし、一九九二年六月、法案の成立が強行された。

 九二年九月、PKO法に基づいて自衛隊の派遣された先が、まずカンボジアPKOであった。団は、PKO法の実施に反対するとともに、カンボジアへの派遣については、PKO法の成立にあたって国会で確認されている五原則(@停戦合意、A受入同意、B中立性、C以上のひとつでも欠ける場合の撤収、およびD武器使用を生命等の防護のための必要最小限に限定)のうち、@ないしBが満たされていないことを指摘し、これに反対してきた。

 九三年二月に行われた団のカンボジア調査団報告は、現地の実態をふまえてこの五原則が満たされていない事実を主に報告したものであり、あわせてUNTAC(カンボジア国連統治機構)の問題点も指摘している。当時、カンボジアでは、ポルポト派が武装解除を拒否し、停戦監視所へのロケット砲攻撃など停戦違反を繰り返していたが、九三年一月二九日からはプノンペン政権側からも、ボル・ポト派に対する大規模な攻撃が行われている(近藤順夫「カンボジアPKOーゆれ動いた三七二日」日本評論社)。停戦状態は崩れ、いわば支配地域の争奪戦が続いている状態であり、住民にも相当多数の犠牲が及んでいた。国連側の発表でもカンボジアPKOの要員だけで七八名が死亡しているとされているが、この数字は、九〇年代においては、ユーゴ関係の総計(一六七名)、ソマリア(一四七名)に次ぐ多数である。国境なき医師団も、「UNTACの監視下に置かれた地域では多数の死者を出す紛争がつづいたものの、まがりなりにも秩序だったやり方で住民が自主的に投票者を登録し選挙を実施することができた。一方、クメール・ルージュの支配地域では、住民らの意思を表明する機会をいっさい与えられなかった」状況であったことを含めUNTACの問題点を多々指摘している(「国境なき医師団は見た」日本経済新聞社)。このような報告から見ても、団発行のパンフが「当時の現状を偽った」などということはできない。政府が検討すら十分行わずに五原則が満たされていると偽って自衛隊の海外派兵を強行したのが真相である。

 このカンボジアPKOへの参加を口切りに、各地に自衛隊の海外派兵が実施され、最近では、武器使用の拡大や凍結されていたPKF本体業務の解除などPKO法「改正」が進められてきた。団は、PKO法による自衛隊の海外派兵に一貫して反対し、今日に至るまで、その拡大を許さない取り組みを重ねている(二〇〇一年一一月「PKF本体業務への参加凍結を解除し、武器使用基準を緩和するPKO法『改正』に反対する意見書」参照)。

3 平和基本法をめぐる議論について
 九三年三月になって、一部の学者から平和基本法が提起されたのは、前述したような海外派兵が進められ、これをいっそう拡大するための憲法「改正」ないしは安全保障基本法などによる自衛隊の合法化が各方面から提起されていた時であった(読売憲法調査会、自民党・小沢調査会など)。そこで、「最小防御力論」によって自衛隊を合憲化する平和基本法構想に対して、自衛隊違憲論を降ろすことは海外派兵の「ブレーキ外し」との批判が少なからぬ学者からも寄せられた(渡辺治外「『憲法改正』批判」労働旬報社等)。ところが、社会党は、翌九四年六月、自民との連立で成立した村山政権が安保条約の堅持と自衛隊合憲を表明し、同年九月の党大会でも政策転換を確認してしまった。

 ここでは、九四年団総会議案書の次の指摘を紹介しておく。「平和基本法の提唱が、社会党の重大な方針転換を側面から支えたことはもはや明らかである。私たちはこれまで、平和基本法の提唱者たちに対し、これが軍事大国化を狙う勢力にいかなる打撃を与えうるのか、逆に同じ改憲の土俵を提供することになりはしないか、日本国憲法の理念を捨て去り、その説得力を失わせることになりはしないかという疑問を投げかけてきた。これまでの経過は、私たちの危惧が現実のものであったことを事実を持って示している。」

 その主観的意図はともかく、平和基本法構想の果たした役割は歴史的にも明らかであり、今日でも、その評価を変更する必要はない。しかし、そのことと共同の運動を広げることは必ずしも矛盾しないと考える。平和基本法構想を提唱した人たちも含めて、有事法制や改憲策動の共同のたたかいを広げる努力が重要であることはいうまでもないのである。



憲法調査会から目を離さない


東京支部  中 野 直 樹

 衆議院憲法調査会が一一月三日に中間報告を出す予定だという。これに向けた作業としてこの七月に衆議院憲法調査会事務局が「小委員会における委員及び参考人の発言に関する論点整理メモ」(一七五ページだて)を発行した。この冊子は調査会事務局に求めればもらえる。

 先日の沖縄・改憲対策本部の会議でこの冊子を手に入れ、ペラペラとめくっていたところ、私たちにもお馴染みの松井芳郎名古屋大学大学院法学研究科教授の「国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会」での発言の一部が、憲法改正に賛成する立場であるとの印象を与える要約をされていることに気づいた。前後の脈略を無視してごく一部だけ抽出して歪曲する手法である。対策本部では各小委員会ごとに「論点整理メモ」を検討して、不適切な整理個所を指摘するとともに「中間報告」が憲法「改正」への誘導になるような構成と内容にすべきではないことを意見書にして申し入れることにした。

 衆議院憲法調査会では、この二月から七月まで四つの調査小委員会を設置し、それぞれ五回にわたり参考人質疑を行った。有事法制のたたかいの渦中で、この議事をフォローする地道な作業をすることに困難があったが、対策本部では集中して議事録を読み報告をしあった。

 私は、「政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会」を担当した。「議員内閣制のあり方」(高橋和之・東大教授)、「統治機構を再検討する視点」(山口二郎・北海道大学大学院法学研究科教授)、「両院制と選挙制度のあり方」(大石眞・京都大学教授)、「司法審査制度のあり方」(松井茂記・大阪大学大学院法学研究科教授)、「明治憲法体制下の統治構造」(八木秀次・高崎経済大学助教授)という五つのテーマが設定された。

 高橋氏と山口氏は議院内閣制をとりあげ、いずれもイギリス型のモデルがよいという。議員選挙のステージで国民の多数派が支持する基本政策を絞り込み、首相に強いリーダーシップを与えてトップダウンで迅速に政策プログラムを実行する内閣モデルを推奨する。両氏は大石氏とともに小選挙区制支持の立場である。

 大石氏は、両院制を維持しつつも衆議院の優越性を高める方向での憲法改正を考えてもよいとの見解を述べた。

 山口氏が冒頭で述べていることは興味深い。「一九九〇年代の改革の一番の問題点は、日本の社会や経済や政治や行政における病理現象の原因がどこにあるのか、選挙制度なり行政制度なりのどういう欠点が病理に結びついているのかなどの因果関係に関する的確な分析をしないで、制度改革が目的化してしまったところにある」という。そして「自分もまじめに議論してきたつもりだが、選挙制度を変えても、省庁再編をしても、政治の無力・外務省をはじめとする行政の病理はかわらないのをみて、一体何をしていたんであろうとのむなしさを感じている。」と述懐する。そのうえで「私は憲法のあり方について議論することは大いに賛成であるが、今の日本のさまざまな問題が、憲法の具体的にどういう点とつながっているのかということについて、きちんと踏まえた上で憲法論議をしていかなければ、九〇年代の空振りの改革の繰り返しになってしまうことを危惧している」と述べた。

 松井氏は、違憲立法審査権の活性化のため当面必要なことは、憲法改正による憲法裁判所の設置ではなく、司法制度改革であるという。具体的には法律で原告適格を拡大していく、最高裁の人事改革、裁判官・弁護士の増員などをあげる。この範囲では護憲の立場にもみえるが、松井氏はプロセス的憲法観の立場である。私たちが学んだ憲法論(憲法の目的は人権保障で統治原理はすべて人権保障のためのもの)とは異なり、憲法はあくまで統治手続きを定めたプロセス的な文書であり、人権保障は、天賦人権の保障ではなく、守らなければならない手続き的なルールを定めたものと考える。司法の目的は基本的人権の価値の実現ではなく、手続きの保障にすぎないとする。ほっておいてくれと主張する個人ではなく、他の人とともに政治共同体を組織し、互いに他を尊重しながら一緒にやっていくことを求める市民としての個人であると考える。新自由主義のなかで「公」を背負う市民像が強調されているが、そこに通ずるものを感ずる。不勉強でプロセス的憲法観の全容についての知見をもちあわせていないが、価値規範としての憲法は否定され、政治の問題に解消されている。やわらかな改憲論のひとつであろう。

 一九六二年生まれの八木氏は、憲法とは「国柄」であり、憲法論議は、わが国の国柄をめぐる議論でなけれならない、と始める。そのナショナリズムの濃さに「感銘」を受けた自民党の長老奥野誠亮議員が復古的な憲法論をとうとうと演説する異様な会議となった。同世代の民主党の伴野豊議員も、八木氏の話は「非常に自然に私の体のなかに入ってきた」と感想を述べたうえで、首相公選制についての見解を尋ねた。これに対し、八木氏は、「公選の首相は共和制の大統領であり、立憲君主制との関係では軽軽に出してくるべきではない」と答えた。

 冒頭指摘した「論点整理メモ」では、調査小委員会の設定した五つのテーマには該当しない、「憲法論議に臨む態度その他総論的事項」、「制定経緯に関する議論」、「九条に関する議論」、「憲法改正・最高法規」、「憲法と教育」なる項目をことさらに設けて(計八頁)、奥野議員の持論を展開する発言を九つも並べ、さらに八木氏の発言を突出して多く紹介している。改憲推進派の意図が露骨である。

 「中間報告」が改憲論に都合のよい切り貼りになる危険は高い。発表後の対策について私たちは構えなければならないと思う。



国鉄闘争の再構築へ、自由法曹団も検討を


東京支部  萩 尾 健 太

1 新しい闘いの開始
 一九九〇年四月一日に国鉄清算事業団から解雇された国労組合員で構成される国労闘争団員およびその遺族らのうち二八三名は、今年一月二八日、国鉄清算事業団を継承した日本鉄道建設公団(鉄建公団)に対して、解雇無効と雇用関係の確認、現在に至るまでの未払い賃金の支払、そして一人につき一〇〇〇万円の慰謝料の支払いを求める訴訟=鉄建公団訴訟を、鉄建公団の所在地を管轄する東京地方裁判所に提訴した。

 その裁判の第一回口頭弁論が、さる九月二六日一一時、東京地方裁判所一〇三号法廷にて開かれた。九〇名以上もの傍聴者で満席となった。当日は、加藤晋介主任代理人が、国鉄分割民営化が国家的不当労働行為であることについて陳述した。北海道の闘争団の原告が、再就職を斡旋するとして収容された清算事業団では、やはり国労に対して差別待遇がなされ、ろくな就職斡旋もなかった実態を語った。そして闘争団員の遺族三浦原告が、涙ながらに夫の無念を晴らしたいとの思い、解雇された者の家族の苦しみを陳述し、傍聴者も涙を流した。陳述終了後、拍手が湧き起こったが、裁判官もこれを制止しようとしなかった。

 この裁判は、「四党合意」の提示以降、混迷状況にあった国鉄闘争に新たな展望を切り開くものである。

2 三与党声明の明らかにしたもの
 国鉄闘争の政治的解決の名の下に二〇〇〇年五月三〇日に提示された「四党合意」の破綻はもはや明白になっている。

国労が「JRに法的責任なし」を認めることを先行させるという「四党合意」の枠組みの矛盾から、その承認を巡って国労内部では組織を二分する議論がなされ、翌二〇〇一年一月二七日の全国大会で、高い水準での解決を勝ち取ることへの期待のもとに、ようやく「四党合意」が承認された。しかし、それから一年経っても何の解決案も提示されなかった。

 それどころか、本年四月二六日には、最後通牒とも言うべき「三与党声明」が発表されたのである。そこで三与党は、国労執行部について「組合員に対しては与党・政府から解決案が出るが如く喧伝して彼らの期待感を煽っている。このような国労執行部の対応は、単に自らの延命策を図るものであり、与党三党と社会民主党の誠意及び組合員とその家族の信頼を裏切り、関係者のこれまでの努力を無にする行為であると断じざるを得ない。」と述べて非難している。これは、「四党合意」が解決の名に値しない内容であることを自ら明らかにしたものである。

 さらに、「国鉄新聞」によれば、二〇〇二年七月一〇〜一二日、四党合意に基づく解決の促進のための要請行動を行った闘争団家族に対し四党合意の座長、甘利明自民党副幹事長は次のように語った。

 「裁判で敗訴したら雇用はゼロ、解決金もゼロ。闘って名誉の戦死をするか、人道的和解でプラスアルファを採るかの選択となる」

 「JR東は完全な民間会社であり、その他の会社も政府は株主であるだけで、…出来ることと出来ないことがある。」

 「JRが自主的にやるのだから、何千万円の和解金とか全員の雇用保障とかにはならないし、そのような幻想を言ってはならないと再三申し上げている」

 また、甘利明は、六月六日の記者会見において、解決交渉開始の条件として、八月の国労定期大会までの最高裁訴訟の取り下げと鉄建公団訴訟参加者の除名を求める発言をした。

 しかし、国労では定期大会は八月には開けず、結局一一月二四、二五日の開催となり、鉄建公団訴訟参加者の査問手続も進行せず、最高裁訴訟の取り下げの目途もないなど、甘利明が提示した条件をどれ一つとして達成できていない。

3 新しい動き
 国鉄分割民営化で国労組合員とともに解雇された組合員を擁する全動労(現・建交労鉄道本部)は、もとから「四党合意」反対の立場を表明していたが、四月一〇日発行の「建交労理論集」で坂田建交労副委員長の講演を掲載して、「四党合意」反対を強調し、要求に基づく闘いの中で勝利を勝ち取る展望を明らかにしている。

 日本共産党は、本年七月の国労関係の会議で三与党声明をもって団結自治への不当介入と断じ、「四党合意」依存路線から脱却し、要求を掲げた幅広い闘いを構築するとの方針を打ち出した。

 国労を中心組合とする全労協でも、一〇月五、六日に行われた全国大会において、京都総評をはじめとする多くの組合から、「四党合意」から脱却して闘う路線に立ち返ることを求める意見が出された。

 こうした中、地域では、従来の枠組みを超えた共同の取り組みが始まっている。特に、東京西部地域では、国労闘争団、全動労争議団が共同し、新宿区労連、新宿地区労センター、西部全労協が事務局を務め、東京自治労連や地域の民商などが賛同するなど、幅広い勢力を結集した集会が一〇月一七日に企画されている。その動きは、今、各地に波及する勢いを見せている。

4 自由法曹団は対応を
団員の中には、従来の国労弁護団に関わっていた方も多く、この問題の捉え方も、複雑であると思う。しかし、このように情勢が大きく変化してきているもとで、自由法曹団・団員としてもこれに何ら関与しないというわけにはいかないのではないだろうか。国鉄闘争の再構築が始まりつつある今日、自由法曹団・団員のこの問題の検討、積極的関与を求めるものである。



軍隊を捨てたコスタリカから軍隊禁止を宣言したフゲーレス元大統領夫人カレン・オルセン女史がやってきます


東京支部  池 田 眞 規

 来日を前に、日本の皆様へ次のメッセージを送ってきました。

『平和について語り合うことは何よりの特権です。平和は全てに優先するものです。平和の文化とは、短い言葉で描写できます。産んだ子どもたちを軍隊に送らなくていいと知っている幸福な母親との言葉を皆様と分かちあいたいです。日本の皆様と平和、そして世界の非武装、について語り合っていくことは、私の希望であり、使命であります。』

 彼女は「軍隊を捨てても心配はない」と説くのです。
 在日中の訪問地は、沖縄、東京、京都です。東京のメイン行事は次のとおりです。お誘い会ってご参加ください。

日 時 一一月三日(文化の日)午後一時会場・一時半開演
  第一部 カレンさんと子どもたちとの対話
  第二部 カレンさんの講演
場 所 日本教育会館一ツ橋ホール(千代田区一ツ橋)
営団地下鉄「神保町駅A1出口」徒歩三分
入場料

大人前売り一五〇〇円・大人当日 二〇〇〇円
中高生(前売り、当日共)一〇〇〇円
小学生以下無料

主 催 カレンさん招へい実行委員会+足立力也【企画協力】
連絡先・事務局 諏訪の森法律事務所 〇三・五二八七・三七五〇

◎企画賛同金をお願いしております。一口五〇〇〇円です。
 郵便振替口座00120-5-183845「カレンさん招へい実行委員会」

 よろしくお願いいたします。