過去のページ―自由法曹団通信:1088号        

<<目次へ 団通信1088号(4月1日)



島田 修一 二〇〇三年 秋田五月研究討論集会のご案内 (1)
秋田・五月集会への参加を呼びかけます
狩野 節子 北東北の風に触れてみませんか
奥野 京子 中村華奈子さんへの不当労働行為
大阪地裁判決
田中  隆 なにを守る「生活安全条例」
井上 正信 ブッシュの戦争は「無差別戦争観」によるものだ
中野 直樹 「イラク攻撃ノー」の声、行動を本部にお寄せ下さい
市川 守弘 法科大学院と法学教育



二〇〇三年 秋田五月研究討論集会のご案内 (1)
秋田・五月集会への参加を呼びかけます


幹事長  島 田 修 一

 全国の団員、事務局の皆さん。米英両国が遂にイラクへの軍事攻撃に踏み切りました。「平和に対する脅威」の緊急性もなければ、安保理の「必要な措置」決議もない、国家主権を明白に侵害した武力侵略そのものです。この蛮行は、大量破壊兵器の廃棄は国連査察によって平和的に成し遂げるという国連憲章と国際社会の意志を公然と踏みにじるものであり、その犯罪性は明白です。国際平和の秩序を根底から破壊した米英の傲慢な行動、そして紛争を武力で解決することを禁じた日本国憲法に背を向け対米追随を露わにした小泉首相の支持表明、「米国は善、イラクは悪」の悪しき論法で平和の秩序を崩壊させ、イラク民衆におびただしい血を現在も流させている非人道的な武力行使は絶対に許すことができません。
 しかし、皆さん。未曾有に広がった反戦の世論は米英の無法な先制攻撃を激しく批判し、武力行使の即時中止を求めています。ブッシュの「単独行動主義」は破壊と大量殺戮をもたらし、「中東の民主化」は親米政権樹立による中東支配の野望だということが明らかになっています。軍事力による世界支配に展望などあり得ません。同盟国も反旗を翻しています。今、私たちに求められていることは、この暴挙を一刻も早く終わらせてジェノサイドを防ぎ、国連の平和システムを早急に回復させることだと思います。世界の平和をめぐる対立が極限状態を迎えた今、「力の支配」ではなく「法による平和」の回復、確立を求めることが焦眉の課題となっています。米英・小泉内閣・連立与党を厳しく糾弾していこうではありませんか。

 イラク攻撃即時中止の闘いを推し進めることは、北東アジアの平和構築そして有事法制阻止に連なるものです。「米国支持は日本の国益」と日米安保に固執する勢力は、北朝鮮も「悪」だとして日本のナショナリズムを煽り、平壌宣言破棄を唱え、有事法制の四月中衆院通過を目論んでいます。特に、イラク攻撃は北朝鮮の核兵器開発を促進させてその「脅威」を拡大させ、有事法制必要論を高めていく危険があります。しかし、他方、有事法制は北朝鮮に対する米国の先制攻撃に日本を組み込み、日本がその一翼を担うこともイラク攻撃を通して明らかとなりました。国連を無視し米国の判断で武力攻撃を行う、米国が攻撃しない限り戦争は起こらない、この事実は「攻められたらどうする」の欺瞞性を明らかにしたものです。反戦世論の高揚は、信頼醸成と多国間協調こそ北東アジア地域の平和の道筋との認識へ発展し、有事法制と決定的に対立するものです。
 イラク攻撃後の国内の政治状況は、有事法制をめぐる攻防が正念場を迎えます。イラク攻撃がもたらす二つの側面を直視し、総力あげた闘いを全面展開していこうではありませんか。

 国家と社会と個人。新自由主義と国家主義は、有事と連動してこの関係の有り様を変質させ、「強い日本」へ向けた国家戦略を推し進めています。特にこの通常国会では、有事法案とともに、解雇自由・サービス残業合法化・過労死拡大・ピンハネ拡大のあくなき経済価値を追求する労働法制改悪案、平和民主国家の形成者の育成から「大競争」に勝ち抜く「たくましい人間」と公共心・愛国心を持つ人材育成への教育基本法改悪案、人権切捨て司法への裁判迅速化法案・弁護士報酬敗訴者負担を含む司法改悪との闘いも重要な課題となっています。地方議会でも監視社会を目指す生活安全条例との闘いがあり、〇五年改憲へ急ピッチで進む憲法調査会との闘いも並行しています。
 今年の五月集会は、基調講演はなく、討議を中心として一三もの分科会を設けることとしました。前日には新人学習会・事務局員交流会・プレ企画「これからの団を考える」を開きます。定期総会以降の闘いの前進と実践課題を明確にし、緊迫した対決状況のもとで力関係をどのように転換させていくか、充実した討議にしたいと思います。皆さんのふるっての参加を期待いたします。




北東北の風に触れてみませんか


秋田県支部  狩 野 節 子

 秋田の五月集会に是非お越しください。秋田は、日本の中で日照が最も少ない地域の一つですが、五月はやさしい陽光と薫風につつまれる時期です。会場は秋田市内ですが、郊外ですので、北東北の春を満喫できる場所です。
 日本時間の三月二〇日から始まったアメリカのイラク攻撃が続く中でこの原稿を書いております。戦争反対の世論が世界を何回も駆け巡り、秋田でも「戦争反対・有事法制反対」を一致点として集まった人々による共同行動が何回も繰り返されました。アメリカの無法な武力攻撃は強行されたものの、平和を求める人類史の着実な流れを感じます。今年の五月集会はこの歴史的な時期に開催されます。憲法と有事法制問題、教育基本法改悪問題、労働法制改悪問題等、議論していただく問題は多岐にわたりますが、北東北の自然と風の中で大いに語り合いましょう。
 そして、秋田といえば、お米とお酒と美しい自然の国。議論のあとは、名物きりたんぽやハタハタ、最盛期の山菜と地酒を堪能してください。名物「なまはげ」の集団出演も検討中ですし秋田県支部の団員・事務局一同、全国の皆さんのお越しをお待ちしております。

2 旅行等について
 旅行は、世界遺産の白神山地の自然に触れる一泊旅行を計画しておりますが、白神山地のふもとの散策コースのみの半日旅行も計画しております。
 旅行に参加されない方も、秋田市中心部に位置する千秋公園とそのすぐ近くにある平野美術館に足をのばされてみたらいかがでしょう。また、新幹線こまちでお帰りの方は、みちのくの小京都角館や田沢湖にちょっと途中下車してみたらいかがでしょうか。角館までは秋田から新幹線で約四〇分、田沢湖までは約一時間です。すべての「こまち」が両駅には停車しますので、帰路も安心です。車で来られた方は、男鹿半島・大潟村方面に行かれてはいかがでしょう。
 秋田の自然の美しさとゆったりとした里山の風景を満喫できると思います。




中村華奈子さんへの不当労働行為
大阪地裁判決


大阪支部  奥 野 京 子

第一 事案の概要
 愛集幼稚園では、従前から賃金が低く、残業手当が全く支払われないまま恒常的に長時間の残業が行われるなど労働条件が劣悪であったところ、二〇〇〇年四月より「なかよしクラブ」という延長保育が新設されることが、職員に対し、労働条件への影響等具体的説明は一切なされないまま募集要項に組み込まれた。そのため、職員の間には「さらに労働時間が伸びるのではないか」という不安が募り、その状況下で理事長は職員に「来年度も続けるか、やめるか」という進退届けの提出を迫った。そこで、職員らは進退届けの提出を迫られた一九九九年九月、大阪私学教職員組合(大私教)に相談に行き、同月四日、原告中村華奈子氏をはじめとする四人の職員が、続いて六日、新任教員三人が組合に加入した。
 ところが、理事長は同月七日、分会結成通告が行われるや、分会長である中村氏を自宅待機とし(自宅待機命令一)、その間に他の組合員に働きかけて中村氏以外の全員に脱退届を出させた。そして、ただ一人組合にとどまった中村氏に対し、組合勧誘行為を理由とする懲戒譴責処分や、担任外しといった不利益取扱い、二度にわたるつるし上げ、夏休み期間中の連日出勤等の差別的取扱いといった、みせしめのためのいやがらせを行った。中村氏と大私教は、理事長による「クラス担任解任の無効を求める」仮処分を申請し、大阪地裁岸和田支部は、二〇〇〇年三月、園の上記一連の行為に不当労働行為意思を認定し、「クラス担任解任」の業務命令は無効との決定を出した。しかし、園は右決定に従わず、中村氏に対するいやがらせを続け、大私教との団交も拒否し続けたため、中村氏と大私教は、同年四月、業務命令無効確認と損害賠償を求めて本訴を提起した。

第二 不当労働行為を認定した一審判決
 二〇〇三年二月一四日、大阪地方裁判所堺支部第一民事部判決は、以下の理由で、被告に原告中村氏に対し一〇〇万円、同大私教に対し五〇万円の支払を命じた。

 原告中村氏について―担任外しの業務命令の無効確認については、中村氏が平成一一年度において担任をしていた梅組は存在せず、確認の利益を欠くとして却下された。しかし、判決は、右業務命令は「原告中村が組合員であることを理由として不利益に取り扱うものであることが明か」とし、右業務命令とともに発令された自宅待機命令(自宅待機命令二)と共に労組法七条1号の不当労働行為に該当し、中村氏に対する不法行為を構成すると認定している。自宅待機命令一についても、見せしめとして不利益を課し組合活動を弱体化させようとした不当労働行為と認定し、中村氏の自宅待機中に中村氏以外の組合員七名が組合を脱退したことについても、被告のはたらきかけが一因となったことは否定できないとしている。また、ただ一人組合にとどまった中村氏に対し行われた数々のいやがらせや差別的取扱いについても、組合員であることを理由に他の教諭らと別扱いをして孤立させる等の目的でなされたものであり、労組法七条1号の不当労働行為に該当するのみならず、「様々な態様で、かつ、継続的に、いやがらせを加えて」おり、違法性が強く、原告中村に対する不法行為を構成すると認定している。これらのいやがらせの中には、担任外しの業務命令が前提となっているものもあるが、判決はここでも「原告中村を梅組担任から配転させる本件業務命令は違法」と明言している。

 原告大私教について―被告の不法行為によって組合が弱体化し、また団交拒否の回数等から、大私教に無形の損害を与えたとした。

第三 中村氏の奮闘と全国的支援
 このように、一審判決はほぼ全面的に原告側の主張を認めるものとなったが、判決までの約三年間、ただ一人組合にとどまって闘い続けた中村氏の奮闘ぶりは、弁護団としても頭の下がる思いである。被告は、裁判所の強い和解勧告にも頑なに応じず、結審直前に原告らの組合活動を「不法な宣伝行動」と決めつけて損害賠償請求の反訴を提起し、裁判長がこの反訴を別訴として取り扱おうとすると右訴訟指揮に対し忌避の申立を行うなど、悪あがきとしかいいようのない引き延ばし行為に出た(この申立は当然却下された)。このようにして長期化した裁判の中で、中村氏は日々続くいやがらせと果敢に闘い続けた。一審判決後の記者会見で、中村氏は「子ども達とふれあうと、自分が人間に戻れるような気がする」と述べ、中村氏の園児への深い愛情と、その愛情で自らを支えた苦しい闘いの日々を思わせた。このような中村氏の姿には全国的にも支援の輪が広がり、本件はミュージカルや劇画という形で広く紹介された。一般に、幼稚園という職場は組合活動が定着しにくい土壌があるが、労働者である教諭らがよりよい環境で働けるようになれば、園児にもさらにゆとりと愛情を持って保育にあたることができるであろう。本件は、被告の控訴や別訴の提起などで、未だ終結していないが、いわば全国区となった本件が契機となって、愛集幼稚園はもとより、全国的に労働条件改善の動きが生じればと期待する。




なにを守る「生活安全条例」


東京支部  田 中  隆

1 全国展開する「生活安全条例」
 「生活安全条例」の制定が続いている。
 「安全安心条例」「安全なまちづくり条例」「安全で快適な生活環境の整備条例」など「安全」がキーワードになっているのが特徴なのだが、「捨て看板防止条例」「歩行禁煙条例」など「各論型」条例も登場しているから目が離せない。
 「安全」をうたった「総論型」の条例は、すでに全国の区市町村の三分の一以上で制定されている。防犯協会の全国組織の「全防連」のホームページに掲載されたリストによれば、二〇〇二年一〇月二一日現在で三六パーセント、〇二年一二月、〇三年三月とどんどん制定され続けているから、現在ではもっと増えているに違いない。
 生活安全警察を戦略重点とする警察が、「草の根」ネットワークを持つ防犯協会と一緒になって推進している条例で、「モデル型」条例はわずか七〜八条。自治体行政に警察と協力して安全を守る施策を講じる責務を課し、住民等に自治体の施策に対する協力義務を課し、安全推進協議会をつくって推進にあたるというもので、問題点がわからないうちに「全会一致で採択」となっているケースも多いだろう。
 その「モデル型」から突出したのが、〇二年の大阪府条例や東京の千代田区条例、八王子市条例。「バットやゴルフクラブの目的外の所持を禁止し、違反には罰則」(大阪)、「ホールなどには防犯カメラの設置を義務」(千代田)、「『つきまとい・勧誘禁止地域』を指定し、違反者には警告や氏名の発表」(八王子)など、自由やプライバシーへの直接の介入に道を開くものである。
 「突出型」「モデル型」を問わず、共通して流れているのは「犯罪が増加し、不安が高まっているから、警察を中心にして行政や住民ぐるみで安全を守る」という考え方、だから自由やプライバシーより「安全」が優先され、住民等に協力義務を課すのは共通している。
 この「共同責任での安全」はすでにさまざまな形で実行段階に入っている。「区内をブロックに分けて警察や警察OB主体の安全推進専門委員が巡回」(千代田)、「京王線・明大前駅に『民間交番』が誕生。『自警会』が巡回」(東京・世田谷)、「町長が任命し、町費で報酬が支払われる『防犯指導隊』を条例で創出」(神奈川・山北町)等々。「スクール・ポリス」ならぬ、「シティ・ポリス」「タウン・ポリス」というわけである。
 警察と行政が「シティ・ポリス」と一体になって地域に監視の網を張りめぐらし、不審者を摘発して「不逞な輩」を追放しようというこの動きは、政治活動などへの干渉にも連動せざるを得ない。東京・小金井市でのポスター張り・連行で警備課長がうそぶいたのは、「いまや路上でタバコを吸っても罰金となる時代だ」との台詞。「生活安全条例」・生活安全警察と警備公安警察の連動を示している。

2 「生活安全条例」と有事法制
 三月二〇日、ブッシュ・ドクトリンを発動したイラク討伐戦争(=侵略戦争)が開始された。そのいま、この国では有事法制が提出され、「国民保護法制」が準備されている。この二つをリンクするのは、「戦争を支持するのは日米同盟があるから」との政府の説明。「海外侵攻戦争のための有事法制」という有事法制阻止闘争本部の「持論」は、いまやその限りではまことに正直な政府の説明によって裏付けられている。
 この戦争の道と「生活安全条例」が唱える「共同責任での安全」は、どこでリンクするか。ブッシュ・ドクトリンと有事法制と「生活安全条例」が、共通の哲学・イデオロギーに立脚していることは、拙稿「『私たち』『敵』そして『安全』」でスケッチした(団通信一〇八五号)。この共通の哲学は、現実の社会形成でも猛威を振るうに違いない。
 有事法制・「国民保護法制」が形成する社会は、地域ぐるみでいやおうなしに戦争態勢に組み込んでいくシステム化された臨戦社会。この臨戦社会の「草の根」からの動員をいかにして行うか。
 長く「日陰」の生活を余儀なくされてきた軍隊=自衛隊は、自らが地域に浸透する力を持っていない。「帝国陸軍」の時代と違って「ウチの町の連隊」や「連隊区」は認知されておらず、「草の根」に根を張った「在郷軍人会」も存在しない。かといって、いかに「政府の指示権」を振りかざしてみても、地方分権の趨勢のもとで自立が強まる地方自治体と職員に動員を委ねることは容易ではない。
 この日本的「軍隊事情」「自治体事情」のもとで、「有事」に対応できる動員システムを組み上げようとすれば、地方分権の趨勢をよそに中央集権を誇り、生活安全の名のもとに地域社会に浸透した警察力に依拠するしか道はない。「生活安全条例」が形成する民間防犯組織や「共同の防犯システム」は、そのまま民間防衛組織や「共同の防衛システム」に必然的に転化するだろう。
 「国民保護法制」によって地域ぐるみで「避難」の準備や訓練を行おうとするとき、警察や「シティ・ポリス」が中心になった監視システムが「非協力者」や「反対者」をいぶり出し、「敵国人」や「仮想敵国人」に住民ぐるみの監視が加えられるだろう。「生活安全条例」は、「銃後の守りの憲兵機能」を果たすのである。
 その道筋をひと足先に歩んだ国。それが人口の一%に及ぶ受刑者を抱えるアメリカであり、「自警団」社会に豹変した英国であることも多言を要すまい。あくまで戦争遂行を呼号する米・英・日の「枢軸」は、治安維持や社会形成においても著しい類似性を持ちつつあるのである。

3 東京支部・対策プロジェクト
 その「生活安全条例」が、どうやら六月には東京都に登場する。登場する条例が「外国人犯罪」や「首都の治安」を押し出した「突出型」のものになる危険は甚大。二月二七日に行った都庁要請での都側の対応は、「警視庁がやっている。警視庁とも話し合ってほしい」だった。その警視総監に選挙はないのである。
 こうした情勢のもと、東京支部は「生活安全条例対策プロジェクト」を設置し、三月一〇日に初会合を行った。支部執行部や都政対策委員会のみならず、団本部や国民救援会の参加や研究者の参加もあって出席は一四名。「生活安全条例」の研究・検討とあわせて、都条例に備え、区市での条例制定も可能な限りサポートする。こうした支部の活動と連動して、三月に提出された杉並・立川・町田の条例については、いずれも地元法律事務所を中心とした反対要請などが行われている。
 運動体の立ち上がりはまだまだだが、研究者や法律家のなかでは検討や対応の足並みが揃ってきており、自由法曹団も五月集会で住基ネットや「個人情報保護法」とあわせて「住民監視社会」の分科会を組む。「法と民主主義」(日民協発行)は、四月号で「生活安全条例」問題の特集を組み、研究者の論稿と各地の条例や運用等が掲載する。筆者も緊急に依頼を受けて本日論稿を脱稿。現時点での研究者と法律家の研究・検討の到達点なので、ぜひ一読いただきたい。
 イラク戦争反対・有事法制阻止、教育基本法改悪阻止とあわせて、本質と哲学を共有する「生活安全条例」の問題に、全国の支部と団員が取組みを強められるよう切望する。(二〇〇三年三月二一日脱稿)




ブッシュの戦争は「無差別戦争観」によるものだ

広島支部  井 上 正 信

1、いま米国と英国はイラク攻撃を開始した。体中に怒りが蓄積している。松島さんから送られたブッシュ演説の全文を読んで、そこから透けて見えるブッシュの戦争の特徴をまとめてみたい。いくらかでも冷静になるために。

2、戦争の目的を演説はどのように述べているか。誰しもイラクの大量破壊兵器の廃棄と思うであろう。ところが演説では、第一の目的はフセインの打倒なのだ。フセインと息子たちに四八時間以内にイラクを去らなければ軍事攻撃するという最後通牒はそのことを端的に語っている。「イラクを支配する無法な人々が標的だ」、「フセイン大統領が政権を握っている限り、武装解除は行われない」、「フセイン大統領が政権にしがみつけば我々にとって極めて危険な敵であり続ける」、「サダム・フセインの武装解除が世界平和に必要だ」とのべ、演説の冒頭でイラクの危険性を強調しながら、次第にそれがフセインの危険性に収斂される。ブッシュの本音であろう。米国は、大量破壊兵器の廃棄とテロの防止という美名を掲げながら、それをフセイン打倒の口実としているのである。
 しかし、いかに米国が気に入らない独裁者といえども、政権を倒すことを武力行使の最大の目的にすることは、自決権の尊重と内政不干渉原則に反することであり、二〇世紀に生きてきた我々にとってとうてい信じがたい思考である。

3、ブッシュ演説は、最初にイラクがいかに危険な国であるかを強調する。
 湾岸戦争以来の安保理決議に違反したこと、大量破壊兵器を隠し持っていること、アル・カイーダを匿い支援していること、テロリストに大量破壊兵器を渡し米国などを攻撃する可能性があること
 その上で、米国は自国の安全を守るため武力行使権限があり、大統領が軍の最高指揮官としてその責務を負うと述べる。議会の決議の存在にも言及する。
 しかし、この主張は武力行使を正当化するものではない。なぜなら、大統領権限も議会の議決も米国の憲法と国内法(戦争権限法)上の正当化理由に過ぎないからである。武力行使の正当性は国際法上から吟味されなければならない。ここまでの演説内容で国際法上意味がありうるとすれば、「自国の安全を守るため」という点であるが、これは自衛権の主張ではない。いわゆる国家の自己保存権の主張である。自己保存権は戦争が違法化される以前の戦争の論理である。

4、次に演説は国連憲章上の根拠を挙げている。決議678号と687号で武力行使権限が認められていると主張する。武力行使権限に関して国際法上の根拠に言及するのはここだけである。678号は、クゥエートからの撤退と同国の領土保全と主権回復、正統政府の復活のための武力行使権限を加盟国に許容したもので、イラク軍のクゥエート撤退によりその目的は達した。687号は湾岸戦争終結決議で、イラクへの経済制裁と大量破壊兵器の廃棄などの条件の履行をイラクに要求しているが、決議違反に対し、武力行使権限を認める内容ではない。この点で国際法学者に異論はないであろう。

5、次に演説は決議1441号に言及する。決議はイラクが即時全面的な武装解除をしなければ「深刻な結果」を招くとした。しかしイラクはこの決議に違反した。しかし安保理は「深刻な結果」を招くための責任を果たさなかったと安保理を非難している。だから米国が行動するというのだ。
 演説は武力行使権限の根拠としては、決議1441号を挙げていない。安保理を非難する口実に使っているだけである。

6、次に演説は、四八時間の最後通告をし、イラク国民とイラク兵に呼びかけている。国民への呼びかけはここでは触れない。イラク兵に、大量破壊兵器を使用すれば、「ただ命令に従っただけ」という言い訳は許されず、戦争犯罪人として裁かれると予告している。ブッシュはここでニュルンベルグ原則を引用したのだが、もう一つの原則である「元首無答責の排除」を忘れてはならない。戦争犯罪による処罰から元首も自由ではないのだ。

7、最後に演説は、フセインがいかに危険かを強調して、「こうした敵が先に攻撃した後に反撃するのは自己防衛ではない。自殺行為だ。」と言い切る。この主張は驚くべきものである。言い換えれば、憲章五一条による自衛権行使は有害でナンセンスだ(自殺行為)というのである。

8、さてここまで述べてきたらもはやブッシュの戦争の意味は明らかであろう。演説の目的は米国の有権者を説得するものであり、ブッシュの戦争の惨禍に巻き込まれる世界の諸国民に向けたものではないということだ。むしろこれまで米国がフセインの危険性を強調したのにそれに耳を貸さず、一致した対処に失敗したと勝手に断定して国際社会を非難し、戦争の責任を転嫁しているのである。
 また、自衛権行使であることを積極的に否定していることも大きな特徴である。戦争が違法化されたことの裏腹の関係で、違法な武力行使が例外的に合法化されるものとして自衛権概念が誕生したはずである。戦争が違法化される以前(第一次世界大戦以前)は、いわゆる「無差別戦争観」が支配し、国際紛争解決の手段として国家は戦争に訴えることは許されていた。ブッシュの戦争はこの「無差別戦争観」に立って初めて理解ができるものである。二〇世紀の国際法と国際社会の発展を一挙に一〇〇年後戻りさせるものであり、絶対に容認できない。私はこれからはブッシュの名前の前に「戦争犯罪人」を冠することにする。侵略戦争を計画し遂行した「平和に対する罪」を犯したからである。
           イラク攻撃のニュースを聞きながら




「イラク攻撃ノー」の声、行動を
本部にお寄せ下さい


事務局長  中 野 直 樹

 三月二〇日、私の上の子の小学校卒業式だった。この子が生まれた年が親ブッシュ政権による湾岸戦争。そして、一二年後、子ブッシュ政権によるイラク先制攻撃開始。三月二三日付け朝日新聞の投書欄に中学二年生からの、卒業生による「平和を願う歌が響くとき攻撃」との悲しみと悔しさの込められた一文が掲載されていた。
 三月二〇日夜、日弁連がクレオで「アメリカの『正義』日本の『有事』」集会。姜尚中東大社会情報研究所教授と酒井啓子アジア経済研究所主任研究員という魅力的なメンバーの対談。ものすごい集中と緊張感あふれる三時間だった。
 伊藤和子団員が、アメリカ大使館に抗議と要請に行こうと呼びかけ、集会参加者から約五〇人がタクシーに分乗してホテル・オークラまで移動した。ここから歩いてすぐだが、誰かが、「大使館前は厳戒の警備体制なので集団でいくと阻止される、どこに行くかと質問されたら、共同通信社に行くと答えるとよい」とアドバイスしていた。なるほど大使館正面には警察の装甲車が並び、前面道路は完全に封鎖されていた。ポイントに立つ警察官がさかんにどこに行くのか質問してくる。山崎徹事務局次長が、教えられたとおり「共同通信まで」と応えたところ、すでに共同通信社の玄関前を通りすぎており、警察官がそっちではなくこっちだというようなことを叫んでいるのを苦笑いしながら無視して、大使館前の道路向かいの歩道に着いた。そこには数十人の人たちがペンライトや反戦ボードをもち、夜空にそびえる大使館建物にむかってそれぞれの気持ちを表明していた。そのうちに、「ギブ・ピース・ア・チャンス」が歌われ始めた。田中隆・松島暁団員から、せっかくきたのだからここで団長声明を執行しようとの提案がなされ、山崎次長を中心に作成した「米国のイラク空爆の即時中止および日本政府の戦争支持の撤回を求める声明」文書をもって、正面に陣取っている警察官に文書の受付の取り次ぎを求めた。警察官は「抗議文か」ときくので、「要請文だ」と答えると、携帯電話で責任者に連絡をとり判断をあおぐとのこと。しばらく待たされたあと、警察官は「アメリカ大使館は本日一〇時三〇分以降、いかなる要請も受けないという方針をとっている」との回答だった。私から、「アメリカは民主主義の国だから批判を含めすべて受け付けて本国に送る、というのがこれまでの姿勢ではなかったか」と言って再度確認してくれと言ったが、回答は同じであった。戦争する国の民主主義は停止している。
 この日からテレビは、あの戦況報道に突入した。繰り返し見せられていると「慣らされてくる」からこわい。何が真実か判断がむずかしい報道にあふれている。
 皆さんも、さまざまな方法で声をあげ、行動し、観察し、考えていることでしょう。それらの一端を本部までお伝えください。マスコミ報道のあり方についても監視してください。米英による無法な武力攻撃が今後の世界と日本と社会のあり方に重大な影響を与えるでしょう。早期の停止を願うとともに、やはりこの武力攻撃は間違っているとの圧倒的な世論をもって終えることができるか。
 その過程を法律家の目で検証し、記録することを提案したい。
(各支部宛にアンケート用紙をFAX送信しましたので、ご記入の上、団本部まで返送してください)




法科大学院と法学教育


北海道支部  市 川 守 弘

 来年から法科大学院がスタートするため、各地の弁護士会や団員が「目指す法科大学院」のために奮闘されている。私は昨年帰国してから、この大学院の講師に応募し、環境法を教えることを考えていたが、今、真剣にこの法科大学院とは何なのか?と悩んでいる。
 法科大学院は、一般にはアメリカのロースクールのような法学教育を行う、と考えられている。そこでは「ケースメソッド」「双方向授業」などの教育方法が強調されてはいるが、法学教育の内容には踏み込めていないように感じる。ロースクールでの経験からは、確かに指摘されるような教育方法がとられ、学生が議論に参加する授業が行われている。しかし、それは法科大学院ゆえに求められるものではなく、日本の大学教育全般に通じる教育方法の問題である。法科大学院を新設するにあたり、まずもって議論されるべきは法学教育のあり方であろう。
 ロースクールでは、世情言われているような、判例の暗記でもなければ、単なる解釈論が教えられているものではない。法の社会的背景、歴史、文化、政治が学生と教授の議論の中心になることは多々ある。人権法の授業でジェファーソンとアダムスの論争が議論されていたとき、ある学生は「ジェファーソンは奴隷制を認めていたから、人権論者ではない。」と言って教授と議論になったりした。狭い経験での話しなので一般化はできないが、ロースクールでの法学教育は、社会的背景事実を問題にする点で一種の社会科学の教育だったと思う。
 日本での法学教育はどうであったろう。A説、B説、折衷説を並べ立て、この説ではどうなる、こうなるという解釈論が中心であった。例えば憲法をみた時に「個人の尊厳」が形而上学的に「存在」し、あたかもそれから人権の全てが解き明かされるかのような、概念法学が全盛であった。そこでは、法を生み出した社会的、歴史的事実の分析研究は捨象される。「法の体系」が客観的に存在する真理のごとく教えられた。
 アメリカは、実証主義ゆえに、このようなドグマを議論する余地はない。それゆえに私には親近感があった。法は「ある理想」からアプリオリに導かれるものではなく、社会の中で生まれ、発展し、消滅する社会現象の一つに過ぎない。法解釈は、法を解釈する主体(裁判官だけでなく広く法律実務家で行政も含む)の行為・実践であって、そこには各解釈主体が、いかなる社会的、歴史的事実認識のもとで、その解釈行為を行うかが問われ、その認識の是非が論証されなければならない。アメリカ流の法実証主義は、問題点を含みつつも社会的、歴史的事実を重視した点で、日本の法学教育よりは優れているように思われた。
 では、今の法科大学院についての議論で、どのような法学教育が行われるのか、が真剣に論じられているのであろうか?答えは否定的にならざるを得ない。それは今の大学での法学教育のあり方自体が、十分議論されていないからである。第三者による評価などという議論はされても法学教育のそもそも論は論じられていない。それは観るところ、国による予算削減、独立法人化など、「大学の自治」が脅かされる事態の前に、大学関係者自身が翻弄されているためのようだ。大学における法学教育のあり方が不十分なままで、法科大学院での教育の内容が議論されるはずはないであろう。
 しかし、来年の開校を前にして、法科大学院での教育内容論議は不可欠の論議である。「教育の仕方」ではなく、「教育の内容」、あえて言えば、「社会科学としての法学」の内容が、論じられなければならない。そこでは、単純に「団員を教授として送り込めばいい」などというレベルの問題ではない。このままでは、法科大学院は「職業訓練校」となり、社会科学の目を持たない技術屋養成機関となってしまう。