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南里 禎司 祈るように走りたい
平和を求めるネットワークのひろがりを
二〇〇三年秋田五月集会のご案内(3)
五・二四 新人学習会へのお誘い
窪田 之喜 地方自治分科会への期待
田中  隆 ブッシュ・ドクトリンと有事法制を問う
「有事法制とアメリカの戦争―続・有事法制のすべて」
吉田 健一 リレールポ憲法調査会(1)
憲法調査会傍聴記―連載にあたって
根本 孔衛 憲法調査会傍聴体験記
天皇の「公的行為」と政教分離を考える
坂  勇一郎 五・三〇日弁連パレードを成功させよう
〜弁護士報酬の敗訴者負担制度
伊藤 和子 刑事裁判員制度を巡る情勢とパブリックコメントの募集
萩尾 健太 法科大学院教員派遣法案に反対しよう
黒岩 哲彦 教育基本法改悪反対闘争の現時点の攻防



祈るように走りたい
平和を求めるネットワークのひろがりを


三多摩法律事務所事務局員  南 里 禎 司

 今年の桜はとても悲しく見える。美しければ美しいほど、切なくなってくる。
 イラク戦争が始まってしまった。テレビをつけると、まるで映画の場面のように映し出される戦闘。私は、かつてこれほど戦争の恐怖というものを実感させられたことはない。一刻も早くやめさせなければ。その思いとともに、あの機関銃の銃口が自分たちに向かってこないという保証もどこにもないことを痛感している。こんなにたいへんな時代、もう本当に、思想信条をこえて、戦争反対、平和を求める一大ネットワークを築くことがもとめられている気がする。そして、それは、世界で、日本で着実に広がっていることも事実だ。
 戦争開始の翌日三月二一日には立川では「ピースウォーク・イン・立川」が無党派で行われ、四〇〇名が参加し、集会とパレードを行った。立川のさまざまな会派の議員や、都議、国会議員も参加した。私は、手作りのイラク攻撃反対のパネル(ジョン・レノン顔写真入り)と『イマジン』をエンドレスに入力したテープ持参で参加した。会場ではイマジンの歌をくばり歩いた。
 翌日、立川駅を歩いていると、昨日のデモのにぎやかさはなくなり、街は静かだった。戦争が始まり胸を痛めている人も多いだろうに、街には目に見えるかたちで反戦の風が吹いていない。
 いったい、どうしたものか。私の高校生の娘は戦争前から戦争が始まってしまうかもしれないと大変心を痛めている様子だった。何の活動や表現ができていない無力感に耐えていたのか。そんなある朝、カミさんが「あの子、やったんだよ」というので、何かと思って、娘の部屋の窓をみると「平和」と大書した紙を通りに向けて貼っていた(うちの目の前はスーパーでこれが結構目立っている)。
 それを見て、かなり心を揺さぶられた。大げさに言えば、子どもに生き方を教えられるような気がした。最近の高校生や学生の熱心なとりくみには本当に敬意を表したい。
 私もなにかせずにはいられない気持ちでいたので、自転車通勤の利点も生かして、自転車の前後に『イラク戦争反対!WE LOVE PEACE!』と書いたパネルをつけて走ることにした。そして、そこには作家の辺見庸氏の次の言葉をお借りした。「彼方(かなた)の戦争に反対することは来るべき此方(こなた)の戦争を拒むことにも通じるのだ」。
 自転車パネルについては、家族がどうするかは当然、自主性に任せようと思って、いくつかつくって家に帰ったら高校生の娘はすぐさま私と同じように自転車に取り付けた。それで高校へ通っている。
 自転車でのアピール、最初はちょっと緊張もしたが、誰にも押しつけられず、自分の信念でやっていること。小さい声で『イマジン』を口ずさみながら走っていくと、心も落ち着いてくる。いままでのようにあくせく急いで走ることも必要ない。ゆっくり走って、通り過ぎる人と平和を求める気持ちを少しでも共有できたら。ただそれだけを願っているばかりだ。早くお仲間が増えないかなとの楽しみもある。しかし、押しつけはダメ。みんなが納得してできるところから意思表明するのがいいと思う。
 事務所の中でも、他の事務所で作成された戦争反対のバッジを買ったり、インターネットからとったイラストを利用してワッペンをつくったりして、アピールしている。
 公園で遊ぶ子どもがイラクの子どもと重なる。自分と子どもと、その先続く人間を考えてみる。二月に生まれたばかりの早紀ちゃん(妻の妹の子ども)の顔が目に浮かぶ。
 原爆の詩や反戦詩の朗読をライフワークとする吉永小百合さんは「祈るように語りたい」と言っている。いまは、私も「祈るように走りたい」気持ちでいっぱいだ。

二〇〇三・四・六記





二〇〇三年秋田五月集会のご案内(3)
五・二四 新人学習会へのお誘い

 昨年の総会につづき、五月二五、二六日開かれる秋田での五月集会でも、自由法曹団では新人学習会を企画します。前日の五月二四日、是非新人学習会に参加ください。
 今回の新人学習会の講師は秋田県支部の沼田敏明団員と北海道支部の佐藤博文団員です。沼田団員は生活保護不支給を争った裁判、大王製紙の秋田進出に反対した住民裁判など、秋田の市民の権利擁護のために不屈にたたかっています。また佐藤団員はみちのく銀行の不当労働行為事件、NTT大リストラ事件など多数の労働事件で、これまた不屈にたたかっている弁護士です。困難とたたかい、いかに成果を勝ちとるか、必ず新人のみなさんにとって勉強になるはずです。そして夜は久しぶりに全国から集まった同期の仲間と酒を飲みましょう。是非ご参加ください。
 また新人弁護士を迎えた事務所におかれましては新人交流会に参加されるよう、事務所としても特別な配慮をお願いする次第です。
 申込みの締め切りは四月二五日です。(文責  担当事務局次長 齊藤園生)





地方自治分科会への期待


東京支部  窪 田 之 喜

 三月下旬、連絡をいただいて五月集会地方自治分科会事務局の打ち合わせに出席させていただいた。
 休み無く働いている毎日であるが、今日六日(日曜日)は、久しぶりに近くの日野緑地を散歩した。二五年ほど前に区画整理事業でできた三〇〇メートルほどの満開の桜並木を眺めた後、間もなくして一一二段の階段を降りると日野緑地の一角にでる。多摩川と浅川のつくった河岸段丘の緑を保全した緑地で、我が家はその上の台地ある。ここには平安時代からと伝えられる小さな古い神明社がある。三月下旬から四月のはじめにかけて特に楽しみにしているポイントである。こぶしは咲き終っていたが、広く散った花びらはまだ真っ白に地面を飾っていた。予想どおり二輪草が清楚な白い群をつくって咲き、一輪草も開花目前の大きなつぼみをふくらませていた。よく見ると浦島草もいくつも元気に顔をだして釣り糸を垂らしている。
 「憲法を市政に生かす」、「緑と清流のまち」という基本理念を掲げた森田革新市政は、九七年四月まで二四年間続いた。(私は、多くの支援をいただきながらこの年のたたかいで敗れた候補者であった)。日野緑地の花たちは、その革新市政の一つの象徴である。同時に「緑と清流のまち」という基本理念は、今でも大多数の市民の願うところであり、政権が変わっても簡単に放棄できるものではなくなっている。
 それでも、この六年間、市政は大きく変化している。談合の噂は絶えない。全国に誇っていた高齢者三六五日給食事業は大手民間に委託され、「まずい」といわれ大幅に需要が減った。かつて「子育ては日野で」と誇りをもって語られた公立幼稚園・公立保育園の充実施策は、今、統廃合のうきめにあっている。京王線高幡不動駅近くの医療・福祉中心施設建設予定だった広い土地は、民間マンション用地に売却されてしまい、このとき市民の声を聞く機会は設けられなかった。「市民参画」を標榜している市長であるのに。まちには、今、来年のNHK大河ドラマに便乗する新選組事業の旗がいたるところに立っている。
 私たちは、二年前の市長選挙で大敗した。いくつもの要因があるとしても、激変する医療・福祉・教育・ごみ・環境・産業など市民生活のあらゆる分野で、政策的な遅れがあることは事実であった。ふりかえれば革新市政時代の五、六期には明らかに提起されていた問題であった。私たちは、昨年夏、「NPO法人日野・市民自治研究所」をたちあげた。まちにしっかりと足を踏んで立ち、まちから国・世界のあり方を考え、調査研究を続けようとするものである。「杉原泰雄・地方自治基礎理論講座」「地方自治法を読む」「教育基本法を読む」「都市計画研究会」「日野市財政分析研究会」等、活発に動き出している。
 生活の場・地方自治における徹底した民主主義の実践無くして、新しい日本の民主主義は生まれない。私自身の三〇年近い地域における市民活動と学習の一つの結論である。
 今回、自由法曹団五月集会で、地方自治の分科会がもたれることに大きな期待をもっている。まず、多くの団員がそれぞれの持っている地方自治とのかかわりを報告し合うだけで、互いに多くを学びあうことができるに違いない。長野の団員のみなさんの活動はどんなものだろうか、誰かきらりと光る条例づくりに関与している団員はいないだろうか、オンブズマンや住民訴訟の経験はどうか、また小さな町や村で民主主義のために心をくだき時間を割いている団員がいるのではないか。楽しみである。




ブッシュ・ドクトリンと有事法制を問う
「有事法制とアメリカの戦争
―続・有事法制のすべて」


東京支部  田 中  隆

1 イラクへの戦争と「四月闘争」のなかで
 「有事法制とアメリカの戦争―続・有事法制のすべて」(自由法曹団・編 新日本出版社・刊 四六版二二四頁)が出版の運びとなりました。昨年五月に出版した「有事法制のすべて―戦争国家への道」の続編であり、この一年間、有事法制阻止闘争本部で積み上げてきた理論構築のひとまずの集成でもあります。
 最初の編集会議をもった一月三一日には、すでに米英軍がイラク周辺に集結していました。戦争の切迫に胸を痛め、非戦の声の高まりに胸を熱くしながら、なんとか三月一〇日までに入稿を終えました。三月二〇日のバクダッド空爆が最初の校正の時期、三月末から四月初頭の「有事法制事態急変」が二度目の校正の時期でした。街頭に出てピースウォークや訴えを続け、国会に乗り込んで要請行動を行いながらの最終編集でした。「あとがき」に、「憤りと悲しみにかられながら校正の筆をとった日のことを、執筆者らは忘れることはないだろう」と記しましたが、六名の執筆者の共通の想いでしょう。
 それにしても、昨年の「すべて」は有事法制関連三法案の法案提出を受け、ほとんど不眠不休で執筆や差し替えをしての出版。こんどの「続・すべて」は現実の戦争の瞬間と向き合いながらの出版でした。「もう少しゆっくり考えることができれば」と思わないでもありませんが、いまこのときをリアルタイムで問いかけるのが自由法曹団の役割。ゆっくり考えられる状況なら、たぶん執筆者らは「すべて」の出版など企画しないでしょう。その切迫感を読み取っていただければ幸いです。

2 異色の出版―問いかけるものは政治・経済・軍事・社会・・
 続編でも「すべて」伝統の三部構成を採用しました。本質論・政治論とディベートと改題・注釈です。
 最大の特徴は、いつもなら法文注釈になるPartIIIをブッシュ・ドクトリンの全文と改題にしたこと。PartIIIだけでなくほぼ全編を、法文の検討ではなく政治・経済・軍事・社会の検討にあてており、法文はほとんど登場しません。法律家の出版としては異色でしょうが、ここまで踏み込まなくてはイラク戦争や有事法制は解けないと考えるためです。ブッシュ・ドクトリンの全文と改題・批判を加えた出版は、この国ではじめての試みです。
 構成と執筆者は以下のとおりです。
 PartI イラク戦争と有事法制をめぐる攻防
 プロローグーいま世界とこの国で
 一 有事法制関連三法案と国会論戦―第一五四通常国会でのたた かい
 二 「国民保護法制」と臨戦態勢の社会―第一五五臨時国会での たたかい
 三 ブッシュ・ドクトリンと対イラク戦争
 四 自民党政治のゆきづまりと有事法制のねらい
 エピローグー平和の道をめざして
  (執筆 プロローグ、一、二、エピローグ=田中隆、三、四=松井繁明)
 PartII 見えてきたものはなにか 青年のディベート
  ・・ それぞれの項目をA君、B君の二人の青年の会話・討論 で構成。
 1見えてきた「有事法制」の目的/2「国民保護法制」とは何だろうか/3国民の「戦争協力義務」/4有事法制と地方自治体/5有事法制と医療現場/6建設労働者、船員、港湾、航空労働者と有事法制/7報道・マスメディアと有事法制/8有事法制で国内の外国人はどうなるか/9テロ対策と有事法制/イラク攻撃をどう考える?/戦争やテロのない世界へ
  (執筆 1=平和元、2、9、=鈴木剛、3〜8、=神原元)
 PartIII ブッシュ・ドクトリンを読む
  ・・ 主意に沿う形でブッシュ・ドクトリンの翻訳を行い、総  括的な改題・批判と章ごとのコメントを付しています。
 「帝国」の野望  総括的な改題・批判
 アメリカ合衆国国家安全保障戦略(資料とコメント)
  第Iから第IXまでの全文と章ごとのコメント
   (翻訳・執筆=松島暁)

3 ご活用と普及のお願い
 「有事法制とアメリカの戦争」は四月二三日には店頭に並ぶはずです。そのときのイラクの戦局や国会の情勢はわかりませんが、局面がどう動こうと、グローバリゼーションと戦争の道か、共生と平和の道かという、世界を貫く対決軸は変わりません。その世界とこの国の明日をともに考え、たたかいを広げるためにご活用と普及をお願いします。
 定価一、五〇〇円のところ自由法曹団扱いは二割引の一、二〇〇円(+税)。注文票つきのチラシを「団通信」今号に同封します。郵送料もかかりますので、できるだけまとめてご注文ください。

(二〇〇三年 四月一一日脱稿)





リレールポ憲法調査会(1)
憲法調査会傍聴記―連載にあたって

沖縄・改憲問題対策本部事務局長 吉 田 健 一

【改憲議論を準備する調査会】
 国会の憲法調査会は二〇〇〇年一月に設置された。二〇〇四年に最終報告書を出すことになっているから、残りの期間は二年足らずである。衆議院の調査会は、〇二年一一月に中間報告書を出した。新聞報道記事等を見ると、その審議のやり方は、設置の趣旨にいう「日本国について広範かつ総合的に調査を行うものとする」(規定一条)というのとは、大分異っているように思える。調査というのであるからには、常識的に考えると、憲法の各条項についてそのもつ意味を明らかにし、それが現状においてどのような機能し、どのような効果を及ぼしているか、その原因・理由は何かを確かめることが必要となる。そのうえに立って、法的、政治的な評価をし、それらを国民に報告し、国政に資するということになろう。
 しかし、現実の審議の状況はそうなっていない。審議の対象は、文化、社会、政治の万般にわたり、未来論にも及ぶなど確かに広範囲であるが、有識者として呼ばれている参考人等の陳述も、一般的であり、具体的に事実を述べると言うよりは、自らの意見の開陳が多い。しかも、委員側からの発言は、質疑とはいうが、参考人等に尋ねたり、質したりするより先に、自分の見解を述べるのに急であるかのようである。与党委員の質問は、参考人等から憲法「改正」に「役立つ」陳述を引きだすのが目的ではないか、との印象が強い。
 中間報告書は、「客観的」に記述する体裁になっているものの、調査会のこのような審議状況を反映している。しかも、その編集方法は、各陳述等をバラし、憲法「改正」という意図にそう形で、それを項目毎にまとめて整理するものであり、改憲議論の準備作業となっているかにも見える。
 衆議院の憲法調査会の審議は、今年に入ってその報告書の作成に目がけてピッチをあげる体制が作られた。四つの小委員会が設置され、それらが最高法規、安全保障・国際協力、基本的人権、統治機構を分担し、全一〇三条について審議をおこなうことになっている。
 〇四年までに「調査」を終了して「改正」作業のための意見書を「必ず」出すと言っている。そこから日程を逆算して調査会の審議を促進する措置がとられたのであろう。有事法制づくりとともにアメリカの戦争のための支援が求められている現実から、改憲へのテンポアップへの圧力を感じないわけにはいかない。
【生の傍聴体験を伝える】
 このように憲法「改正」問題は、緊迫度を加え、いよいよ重大化している。しかし、これについての新聞紙等の報道はわずかなものである。国民の知らぬ間に「改正」作業が進展し、そこで「民主的手続を経た」ということで、突然「改正」案が国民に突きつけられるという事態になりかねない。そのような事態は何んとしても避けなければならない。それには、この「改正」作業の実情を国民に知ってもらわなければならない。そのために先ず自由法曹団の中で関心を深め、論議をまき起こすことが必要である。そこで、去る二月二五日の沖縄・改憲問題対策本部の本部会議で、部会員が一人づつ、小委員会を含めて衆院憲法調査会の開催日毎に出席し、審議の様子を記事にして団通信に掲載することにし、それぞれ担当する日程も確認した。このように私たちが、体験した憲法調査会での生の事実をそのまま団員の皆さんに知っていただきたい。その事実を改憲を許さないたたかいを大きくするために、広めていただきたい。団通信の連載にも、是非ご注目下さい。




憲法調査会傍聴体験記
天皇の「公的行為」と政教分離を考える

神奈川支部  根 本 孔 衛

 衆議院憲法調査会最高法規小委員会が三月六日に開かれることになっており、そのテーマは天皇の国事行為であり、参考人は元最高裁判所裁判官園部逸夫氏であった。同氏は、裁判官就任前は京都大学で行政法を教えており、「皇室法概論」という著書がある。私は、九〇年におこなわれた天皇即位式違憲裁判を担当しているので、天皇問題には関心があり、この日の傍聴を希望した。沖縄・改憲阻止特別対策本部の決定による傍聴者の第一号となった。
 園部氏は、一九九七年四月二日に、最高裁大法廷が、愛媛県知事が靖国神社の祭礼にあたって献納した玉串料等の金銭支出について、憲法違反と判定した裁判に、裁判官として関与していた。多数意見は、この献金を、政教分離原則を定める憲法二〇条三項の禁止する宗教活動に当たり、また公金を宗教上の組織・団体に支出することを禁止する同八九条に違反する、と理由づけている。これに対して園部裁判官は、この献金の違憲性はその理由付けとしては八九条で足りるとし、二〇条三項に該当するかどうかは判断する必要はない、としている。それに附加意見として最高裁が二〇条三項該当性を判定する際にこれ迄採用してきているいわゆる目的効果基準については、基準としての客観性、正確性及び実効性について疑問を呈している。この附加意見では二〇条三項の厳正な適用を求めている尾崎行信裁判官の意見に同調もしている。私は、同氏のこのような憲法規定の厳正適用という姿勢が、天皇の国事行為についてはどうなるのかを注目していた。

 よく知られているとおり、天皇の国事行為についての憲法七条の規定は、限定列挙の形をとっている。そして、同四条には、「天皇は、この憲法の定める国事行為のみを行ひ、国政に関する機能を有しない」とある。これらの条文に忠実にしたがえば、天皇の行為は、七条の行為と、特に六条が規定する内閣総理大臣と最高裁長官の任命以外は私的行為となる。いわゆる二分説である。しかし、天皇は、現に国事行為や私的行為であることが疑いのない日常生活の他に、国会開会式に出席して「おことば」を述べ、外国の使節の接受・接待などの行為をおこなっている。これらの行為を公的行為として、それが適法行為であることの根拠を同一条の天皇の象徴たる地位に求める、いわゆる三分説がある。園部氏は、これを学説の中の通説である、という。園部氏は、この三分説のヴァリエーションとして、国事行為、公的行為の他に、純然たる私的行為とは別に、公的性格ないし公的色彩のある行為が私的行為の中にあるとしていた。後者の中には個々の福祉行為、スポーツ大会への参加等があるという。この修正三分説はむしろ四分説といった方がよいかもしれない。
 さらに、園部氏は、自説として五分説をとなえていた。これは、公的性格ないし公的色彩のある行為をさらに社会的行為と皇室行為に分けるのである。この皇室行為には宮中祭祀の主宰行為が入っている。皇室祭祀は天皇の私的行為ではあるが、公的性格をもつというのである。私的行為の中にも公的性格をもつものがあるというこの分類の考え方は修正三分説でも同じであるとしている。これらの考え方はさきの大嘗祭の挙行にあたって公的性格があるとした政府見解と通じることになる。

 園部氏は、その天皇行為の五分説は、通説とは異なるというのであるから、出席委員の中から、そのように分類する根拠について質問が出された。園部氏は、その区分を皇室財政の支出について、公費とされる宮廷費と天皇の私費にあてられている内廷費の分類項目に従っているかのようであった。また、現状として色々の筋から、その関係する催物を権威づけるために天皇の参加を働きかけることが多い事実を指摘し、それが際限もなくひろがることを警戒していた。そこで天皇の行為の分類をしっかりしておくことは、天皇、皇族の集会等の参加について過大な負担をかけず、また皇室費用の拡大も抑えることができる、もう一つの理由であると述べていた。しかし、園部氏の五分法は果してその目的に役立つのだろうか。即位式の執行について、政府が、天皇の私祭である大嘗祭に「公的性格」を付して多大の経費を支出したことは、周知の事実である。その論理をもってすれば、公的性格があるという天皇の私的行為にも公費を支出しても宜しいということになろう。このような考え方によれば費用の支出を抑えられないばかりか、二〇条三項の政教分離原則がこと天皇に関する限り機能しなくなるであろう。園部氏はこの種の行為を「象徴としての地位を背景に有しつつ、私人として行なう行為」という説明をしているが、それらと「象徴としての地位に基づく公人として行なう行為」である公的行為との差は、紙一重であるというよりは、考え方如何ではどっちにもなるのではないか。因みに、園部氏のいう公的行為の中には、天皇の伝統的側面に由来するという官中の歌会始や文化、産業の奨励等が含まれている。
 六〇年代半ば以降、政府・与党によって、建国記念の日、明治百年祭、元号法、天皇在位六〇年式典、日の丸・君が代法の制定などがおこなわれてきた。その本質は、帝国憲法の神権天皇と日本国憲法の国民主権下の天皇との社会的事実としての同一化であるのみならず、その法制化が進められている過程である。旧憲法の登極令にしたがっておこなわれた天皇即位式は、新旧天皇の同質性ないし同類性を國の内外に公然として宣言したものである。園部見解の五分説は、このような動向を助長するとまではいわないまでも、これを容認することになろう。
 このような見解に対して、共産党、社民党所属委員から、国民主権と天皇についての憲法規定の立場からして、天皇の国事行為を限定的に考えるべきではないかという批判的質問が出された。園部氏は、これに対して国民主権が憲法の基本原則であることからすれば、そのような見解がありうることを認めた。また一条の象徴の解釈についても厳密な解釈の立場がありうることは認めていた。しかし天皇は歴史的、伝統的存在であることからして、そこには君主的側面と伝統的側面があるとしていた。このように天皇の地位からくる象徴性の持つ意味を寛くとって社会的事実として現に運用されている天皇制を法的にも認めようとするもののようであった。このような社会的事実としての天皇が法規範を侵食していることの容認が、前記の五分説の前提になっているように思われる。

 天皇主権下の天皇と国民主権による天皇とがその法的性格を異にすることは、憲法の前文と関係条項で明らかである。天皇は法的には政治権力を有しないことになった。しかし、天皇という名称が新憲法でも残され、旧天皇がなんの選任手続もせずにそのまま新しい天皇となり、その子孫がなお天皇の地位を継ぐことになっている。これは社会的事実としての「伝統的」天皇が、憲法の中に入りこみ新しい憲法の基本原則を汚染しているといってもよいであろう。敗戦の降伏条件であるポツダム宣言を「天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラザルコトノ了解ノ下ニ受諾スル」とした日本の絶対的天皇制下の支配者達を、占領政策の実施に協力させ利用するために連合国軍総司令部が妥協策として、大した手を加えずに温存した。憲法上にもこのような天皇規定を残されたことは、ともに憲法制定過程時における日本の民主勢力の成長の未熟性を示し、それがここに反映されているといってよいであろう。この後の天皇制をめぐる、法規範と存続された社会的事実との抗争が、憲法調査会をめぐって今も続けられている状況が見られる。
 園部氏の陳述に対する自民党委員の質疑は、ポツダム宣言の受諾に際して「国体護持」の条件をつけた旧支配者層の政治的子孫にふさわしく、天皇には元首的性格があることの確認を求め、それを憲法上明確化することが適切であろうという園部氏の発言を引き出すことに向けられていた。しかし園部氏は、天皇には君主的側面があるとはしていたが、法制度としての元首性については明言しなかったように思う。ここのところの論議は、園部氏のマイクの使い方が悪く、それよりも私の耳が遠くなっていて、よく聴き取れなかったので、私の誤解があるかもしれない。これについてのこまかいコメントは、この日の記録が出来たあとの機会にしたいと思う。

 これらの問題の他にいわゆる七条解散、女帝問題、首相公選制等が論じられていた。
 自民党の出席委員の中には、中曽根康弘氏、奥野誠亮氏の顔が見られた。中曽根氏は党内での天皇の地位、権限の強化を領導している中心人物であろう。会場の同氏は終始目をつぶっており、質疑の途中で退席していった。審議中に口をあける姿が見うけられたが、その時は眠っていたのだろうか。復古派の先導者とみられる奥野氏は憲法制定時の状況を回想して天皇は実は元首であると説き、憲法の政教分離規定の表現法はよく考えるべきだと言う。これは天皇はこの制限からはずすべきだということを意味するのだろうか。また「伝統とは差別の正当化であるといわれるが、そういうことになるであろうか、気になる」と言っていた。奥野氏は次回の選挙には立候補しないと伝えられている。この老闘将にも時代の風がしみいっているのだろうか。また大嘗祭を国事行為とする意見など旧天皇イデオロギーのお化けのような見解を出していた。旧人達は消えていっても、自民党の「新人」達の頭の中には、社会的事実としての神権天皇制がなお根深く存在していることを改めて認識させられた。
 最後に自由討論の場があったが、その時間の割当はいかにも少ない。このことからしても、この調査会の設置の目的は憲法について真剣になって調査、検討するということよりも、憲法「改正」のための予備手続を履んだとすることのアリバイ作りではないかとの感を深くさせられた。




五・三〇日弁連パレードを成功させよう
〜弁護士報酬の敗訴者負担制度


担当事務局次長  坂  勇 一 郎

1 司法アクセス検討会における議論の状況
 司法制度改革推進本部司法アクセス検討会において、弁護士報酬の敗訴者負担制度についての議論が重ねられている。三月一〇日の検討会では日弁連がプレゼンテーションを行い、(1)敗訴者負担制度は司法アクセス促進の観点から議論が行われるべきとの立場を打ち出すとともに、(2)訴訟類型などによる個別的検討に基づき、基本的に両面的敗訴者負担制度は司法アクセスを阻害するものであること、(3)行政訴訟等一部の訴訟類型については片面的敗訴者負担制度を導入すべきであるとの意見を提示した。(日弁連プレゼンはこの間の日弁連における議論を集約したものである。司法制度改革推進本部のホームページの司法アクセス検討会の三月一〇日の配付資料としてアップされているので、是非ご参照いただきたい。)
 その後、四月一五日の検討会において引き続き議論が行われているが、座長を含めて一一人の検討会委員の中に導入論は根強く、制度導入に疑義を表明しているのは依然三名の委員にとどまっており、状況は依然厳しい。

2 運動の状況
 一月二九日の検討会当日のデモ行進・国会内集会(全国連絡会主催)の後、三月一〇日の検討会にむけては、(1)市民集会(全国連絡会主催、構成劇「それはないでしょ、検討会様」、三月八日)、(2)全国の弁護団・原告団一二六団体による共同声明(同日)、(3)銀座マリオン前にてリレートークと宣伝行動(三月一〇日)が取り組まれた。この間日弁連は、三月九日(一部の地区は八日)読売新聞朝刊に意見広告を掲載した。また、四月一五日の検討会当日は、推進本部前にて宣伝行動が行われた。
 この間、反対署名は三月末までに日弁連・全国連絡会・東京センターの合計で六〇万筆を超えた。

3 五・三〇日弁連パレードと署名の取り組みの強化を
 当初敗訴者負担問題は三月ころまでには決着がつくといわれていたが、これまでの反対運動の広がりにより、三月までに導入の結論を出すことは許さなかった。検討会の日程は七月まで入っているが、日程的には次回(五月三〇日)、次々回(六月二〇日)が検討会での議論の正念場となる。
 こうした状況の中、日弁連は次回検討会当日、左記のとおり国会要請一〇〇〇名パレードを提起した。昨秋の有事法制反対パレードは弁護士と法律事務所事務員によるものであったが、今回取り組まれるパレードは広く市民の参加を呼びかける形で行われるものであり、日弁連としてもはじめての取り組みとなる。是非、多数の団員弁護士及び事務局の参加とともに、つながりのある団体や依頼者に対して広く参加を呼びかけて欲しい。
 また、署名活動も一〇〇万人の峰が現実のものとなってきているところである。再度、つながりのある団体への働きかけ等、反対署名の取り組みを強めて欲しい。
【弁護士と市民による市民を裁判からしめだす「弁護士報酬の敗訴者負担」に反対する国会要請一〇〇〇名パレード】
    日 時 二〇〇三年五月三〇日(金)
    集 合 正午(弁護士会館クレオ)
     パレード出発 午後〇時一五分
     コース 弁護士会館〜国会前〜推進本部前〜永田町
    解 散 午後一時




刑事裁判員制度を巡る情勢と
パブリックコメントの募集

東京支部  伊 藤 和 子

 「刑事裁判員制度」の制度設計と刑事司法改革に関する論議が山場に差し掛かろうとしている。二〇〇四年通常国会に裁判員制度・刑事司法改革の立法提案がなされる予定であり、そのためには今秋には遅くとも法案作業がなされるものと考えられている。
 司法制度改革推進本部「裁判員制度・刑事検討会」では、昨年二月からの第一巡の議論を終え、第二巡の議論が始まっている。ゴールデンウィーク前後までの検討会で裁判員制度に関する議論を行い、その後刑事司法改革に関する議論に入る予定とされている。

 三月一一日、司法制度改革推進本部事務局が「裁判員制度について」とする法案の「たたき台」を示し、この「たたき台」に基づいて議論が進められている。司法制度改革推進本部では、この「たたき台」につき、国民の意見を聴取する機会として四月一日から五月三一日までの期間、パブリックコメントを募集している。
 「たたき台」の項目で最も焦点となっているのは、裁判官と裁判員の人数比である。裁判官三に対し裁判員二〜三というコンパクト論(A案)と、裁判官一〜二名に対し裁判員九〜一一という市民を圧倒的に多人数とする案(B案)が両論併記され、今後の検討にゆだねられている。B案の出てきた背景は、顧問会議メンバーが多く参加する司法制度改革国民会議が「裁判官一対裁判員一一」を提案するなど、徹底した市民参加を求める世論が一定程度形成されてきたことがあると思われる。
 コンパクト論はこの「たたき台」が提案された三月一一日の検討会でも相当数の委員から根強く主張されており予断を許さない状況であるが、一方、中間的な意見―例えば裁判員の人数は少なくとも六名以上であるべきだという意見―等が有力に主張され、今後AかBかではなく中間的なかたちで取りまとめられる可能性もある。
 人数比は、国民参加をどこまで徹底するか、という制度の本質に関わるものであり、また抜本的な制度改革をどこまで実現するかの鍵となる。
 仮にコンパクト論が通ってしまえば、国民参加の意義は大幅に減殺され、官僚裁判官の合議体に少数の市民が「飾り物」として参加し、国民参加は形骸化する危険性は高い。また、裁判員の人数が少なければ、現行の刑事裁判の悪弊は温存され、直接主義・口頭主義の徹底や取調べの可視化、証拠開示といった刑事司法の改革も何ら実現されないという結果になりかねない。
 この論点はこの数ヶ月の論議で決せられ、そのうえで意味を持つのが国民世論の動向である。広く世論を喚起する運動を行うとともに、どれだけのパブリックコメントが推進本部に寄せられるかが大きな鍵となるであろう。
 是非、コンパクト論は国民参加の名に値しない、として徹底した国民参加を求める意見を推進本部に届けていただきたいし、広範な団体・個人にも呼びかけていただきたい。

 刑事司法改革に関しても論議は大きな山場を迎えつつある。
 この間、判例時報三月一一日号に吉丸眞元裁判官が「裁判員制度の下における公判手続の在り方に関する若干の問題」、判例タイムズ三月一五日号に佐藤文哉元裁判官が「裁判員裁判にふさわしい証拠調べと合議について」とする論文を相次いで掲載している。その内容は、証拠開示の拡充、取調べの可視化などの改革を提唱している点で共通している。
 例えば吉丸論文では、争点整理のために速やかな証拠開示の運用をするよう提起し、「以上の運用により・・争点についてはほぼ全面的に証拠開示が行われることが多いであろう」と結んでいる。また、取調べの可視化については、「被疑者の取調べの全過程を録音又は録画する制度」の導入を積極的に提唱するとともに、「検察官の参考人取調べ過程の録音」も提唱している点が注目される。
 一方、佐藤論文には「直接主義・口頭主義に徹した集中審理」「精密司法から核心司法へ」等の提起がなされている。
 ともに高裁長官経験者である両名の論文がこの時期に掲載されたことは最高裁の意向と全く無縁とは言えないとも推測され、少なくとも今後の立法論議に大きな影響を与えるものと考えられる。
 今後、推進本部から刑事司法改革に関する「たたき台」が提起され、論議が煮詰められていくものと予測されるが、この時期にいかなる取り組みをつくりあげることができるかが、刑事司法改革の帰趨を決めるであろう。弾圧・冤罪と闘ってきた団の英知と経験を結集した取り組みが求められていると思う。

 なお、三月一一日の「たたき台」には、裁判員に対する接触禁止が盛り込まれ、裁判員制度のもとでの事件報道につき「裁判員、補充裁判員又は裁判員候補者に事件に関する偏見を生ぜしめないよう配慮しなければならないものとする」との記載がある。これに対しメディア側は「裁判員制度下での報道規制」として強い懸念を表明している。接触禁止に関しては、報道の自由と裁判員のプライバシー・安全の調整が問題となろうし、犯罪報道については、「無罪推定」の原点に立たず偏見に満ちた犯罪報道があとを絶たない現状をこそ抜本的に改善することが求められている。その点で、この機会に大いにメディア内部でも、そして国民的にも論議がなされ、自主的ルールがつくられていくことが望ましいと考える。

 この半年たらずで新しい刑事司法の骨格が決まることになる。
この制度は前進的な制度となる可能性もある反面、放置すれば刑事司法の改悪になる危険もあろう。非常に重要な時期であり、沈黙しているべき時期ではないと思う。是非、推進本部宛のパブリックコメント提出も含め、積極的に発言していただきたい。 
 「たたき台」及び意見募集(パブリックコメント)に関しては、司法制度改革推進本部のホームページの該当部分をご参照ください。
(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/kentoukai/saibanin/pc/06comment.html)意見の送付方法は郵送・メール・提出いずれの方法も可。 国連決議と国連憲章をあからさまに踏みにじったイラク軍事侵略は絶対に許されるべきでない。憲法九条をもつ政府は世界の先頭に立って侵略即時中止と大量破壊兵器の平和的廃棄に奔走すべきなのに、あろうことか「ならず者」米英を支持・加担した小泉与党勢力も厳しく批判されるべきである。すでに二週間に及ぶミサイルと空爆でおびただしいイラク民衆の血が流されている惨状を一刻も早く中止させるため、四月二日、法律家六団体(日本民主法律家協会、日本国際法律家協会、青年法律家協会弁護士学者合同部会、日本反核法律家協会、民主主義科学者協会法律部会、自由法曹団)は国会へ怒りの請願行動をおこなった。二月二〇日の一三〇〇人法律家アピール、三月一一日の議院会館内での国際法研究集会に続く共同行動である。
 二週間という短期の呼びかけであったが、参院面会所に集合した代表団一〇名余は午後〇時三〇分、全国から寄せられた八四九名(参議院宛は八三五名)の請願書を紹介議員三七名に託した。面会所に駆けつけた衆参九議員(民主・共産・社民・無所属、ほかに秘書五名)から、イラク攻撃の暴挙を糾弾し、即時中止を求めるメッセージを国会から発信するため奮闘を尽くすとの連帯の挨拶を受けた。野党四党決議案は自民・公明・保守が議院運営委員会で握りつぶしたというから、法律家請願を梃子に、主権者を敵視する小泉与党勢力に亀裂を入れ、九条をもつ国の議会として当然の責務を尽くさせなければならない。同時刻、衆院面会所は全労連・国民運動実行委員会が「イラク攻撃阻止・有事法制阻止」集会を並行して開催。全国から自民・公明・保守・国会に怒りの抗議を集中していこう。




法科大学院教員派遣法案に反対しよう


東京支部  萩 尾 健 太

 法科大学院教員派遣法案について、青年法律家協会弁護士学者合同部会は、さる三月一四、一五日の常任委員会で以下と同趣旨の意見書を採択した。自由法曹団の皆さんにも、この問題に関心を持っていただきたく、私個人の意見として以下に論述します。

第1 検討にあたっての視点
 政府は、法曹養成を担うことが予定されている法科大学院に、裁判官、検察官、一般職の公務員をその身分を有したまま派遣するため、「法科大学院への裁判官及び検察官その他の一般職の国家公務員の派遣に関する法律案」(以下「法科大学院教員派遣法案」という)を準備し、今通常国会への提出を予定している。
 しかし、その内容は、あるべき法曹養成及び大学の自治に照らして重大な問題を有するものである。
 1 大学自治の観点
 我が国では、かつて学問の自由が国家に侵害され(天皇機関説事件、京大滝川事件)大学が学問の真理を曲げて国家の侵略戦争遂行に協力するに至った痛苦の反省に立ち、戦後憲法二三条に学問の自由を明記し、教育基本法一〇条に行政の教育への不介入を規定した。
 そのための憲法制度として、大学の自治を保障し、評議会、教授会による自治と教員の身分保障を教育公務員特例法及び国立大学設置法等に規定した。そのもとで、大学は国家や社会的権力から独立して批判的学問を探究する場として位置づけられ、学問研究の自由が尊重されてきたのである。
 2 あるべき法曹養成の観点
 法曹は、憲法上および憲法的な基本法の上で、人権の擁護者とされている(憲法七六条3項、弁護士法一条、検察庁法四条)。したがって、法曹の養成にあたっては人権擁護こそ基本的理念でなければならないのである。そのためにも、法曹の養成がなされる場は、国家や社会的権力と距離を置いて批判的学問を探究する場である必要がある。
 ところが、法科大学院教員派遣法案は、こうした憲法に根ざす要請と相容れないものである。

第2 各官職の派遣の問題点
 1 一般職の国家公務員派遣の問題
 法科大学院教員派遣法案は、裁判官、検察官のみならず、一般職の国家公務員を派遣するとしている。
 法曹養成検討会の議論では、「展開先端科目の分野において、知財法(特許庁・文化庁)、独禁法(公取委)、租税法・金融法(財務相・国税庁・金融庁)、労働社会保障法(厚労省)など各省庁の一般職についても教員派遣のニーズがある。」というのである。
 しかし、行政府の現職公務員の派遣は、上記の観点からすれば、教育基本法が禁止する行政の教育への介入となるのではないかとの強い危惧がある。
 「天下り職場」と同様、大学も生き残りのために政治力のある公務員教員を採用し、その公務員が幅を利かせる危険がある。さらに、現職公務員がカリキュラム編成や教学全般、ひいては教授会運営にも関与し、教育や大学自治を脅かす危険がある。
 専ら行政側の学問が教授され、学問の自由がゆがめられるとの危惧もある。
 人権擁護の概念には、国家権力との対峙が予定されるが、行政府の現職公務員により、官許の学問を教授されて、法曹は人権擁護という本質を失ってしまう危険すらあるのではないか。
 上記の展開先端科目については在野の学者、弁護士、税理士、弁理士、公認会計士などで十分対応可能であるし、今後法科大学院での法曹養成が進めば、ますます十分なものとなっていくと思われる。
 また、近時防衛庁職員が大学法学部で講義を行ったことが問題となっているが、実務家教員と称して防衛庁職員が国防教育を行う危険もあるのではないか。憲法違反の指摘がなされている防衛庁職員が憲法を擁護すべき法曹の教育に関与することなど有ってはならないことは言うまでもない。
 2 検察官派遣の問題
 検察官派遣については、以下の三つの問題点がある。
(1) 検察官の大学自治への介入
 検察官は準司法的行為をなすものであるから、検察官の派遣が直接行政の教育への介入になるとは言えないだろう。しかし、検察官の身分を有したまま法務行政に携わることとなっているから、やはりその危険はある。
 しかも、「法科大学院連携法」六条3項において、法務大臣は文部科学大臣に対して、以下の要請をなせることとなっている。
「法務大臣は、特に必要があると認めるときは、文部科学大臣に対し、法科大学院について、学校教育法第一五条第4項の規定による報告または資料の提出の要求、同条第1項の規定による勧告、同条第2項の規定による命令その他必要な措置を講ずることを求めることができる。」
 学校教育法一五条1項の勧告、2項の命令とは、政府が大学を法令違反と認定したときの改善勧告、変更命令である。
 このような強大な権限を握っている法務省に所属する検察官が教員として大学に派遣されると、法務省に大学の内情を報告し、大学の自由と自治が脅かされることとなりかねないとの危惧がある。
(2) 刑事法学の変質
 我が国の刑事裁判は絶望的といわれて久しい。戦後も死刑再審無罪事件が相次いだ。
 安易に身柄を拘束し、罪を認めないと保釈が認められない「人質司法」、公判廷での証言よりも身柄拘束中の密室での自白や捜査中に作成された書類ばかりを信用する「自白偏重主義」「調書裁判」、捜査側の収集した証拠資料のうち、捜査側に都合のよいものしか弁護人に開示しない「証拠隠し」がその原因とされている。これらは、「無罪の推定」「直接主義」「口頭主義」「当事者主義」などの刑事訴訟法の原則に反する違法な運用であり、学説から批判されてきた。
 現在、日弁連をはじめとする弁護士団体は、捜査の可視化や証拠の全面開示などの刑事司法の改善を求めているが、法務省・検察庁は、従来の悪弊に固執し、一向に改善に応じようとしない。
 そのような姿勢で捜査権力を担う存在である現職検察官の存在が大学へ及ぼす影響は重大であろう。現職検察官の法科大学院への派遣は、学問をねじ曲げて上記の違法な運用を学説の標準とするとともに、法曹の意識をもそうした現行実務追随にする結果を招くのではないか。検察官は同一体の原則に基づいて行動することが習性となっている点でも、上記の危惧は根拠があり、個々人の思想と学問の自由が尊重されるべき大学の場と相容れない。
 従来、司法研修所でも、現職検察官が教官として教育を行っていたが、大学ですでに刑事訴訟法を身につけた修習生への教育と、ゼロから学ぶ法科大学院生に検察側の刑事訴訟法を教え込むのとでは、大きな違いがあると言える。
(3) 給与補填の問題点
 法案では、検察官等が選任教員として法科大学院に派遣された場合、原則として大学が給与を全額負担することとされている。ただ「過疎地への派遣」など著しく給与が減る場合は、あらかじめ人事院規則の中に特例を定めることにより、減額分の一部を「派遣給」として補填できるとされている。検察官は高給なので、「派遣給」は確実に必要となるだろう。
 しかし、給与は原則としてその職務の性質によって定まっているのであり、以前と職務が変わったにもかかわらず同額の給与を受ける合理性はない。むしろ、同じ法科大学院の教員の中に給与の差を生じ、教員間に不合理な差別を設け、法科大学院の在り方をゆがめかねない。
 しかも、「派遣給」を所属庁から受けることとなると、やはり所属庁の意向にそった教育がなされる危険が高い。
 3 裁判官派遣の問題点
 裁判官は司法権力の行使者であり、裁定者であるから、裁判官が法科大学院に派遣されることとなれば、その言動が法科大学院の学問、教育に与える影響は甚大である。
 しかも、現在、我が国の裁判所は官僚司法といわれている。裁判官やその志望者は、憲法や人権を擁護する言動をなすと、採用や昇給、任地で差別されるため、人事権を持つ最高裁判所の意向を絶えず気にする傾向が出て、当事者を軽視したり、行政や大企業に有利な判断をしがちである。このような裁判官が、現職のまま法科大学院に派遣されれば、現行実務・判例に追随する法学、教育に変容させられてしまう危険があるのではないか。そうした教育を受けた法曹の意識もやはり現行実務追随となってしまうのではないだろうか。
 裁判官は、非常勤教員として派遣されるとのことだが、ただでさえ裁判官の数的不足、手持ち事件数の過多、多忙による健康や事件処理の問題が指摘されているときに、現職裁判官を非常勤教員とすることには、極めて無理があるのではないか。また、非常勤教員に対しては、給与は国が支払うため、給与減額はないとされている。しかし、上記のように給与によって裁判官等が統制を受けている状況においては、給与が国、すなわち裁判所から支出されると、裁判官が法科大学院において自由な教育を行うことが困難になるのではないか。
 だからといって、差額補填を全くせず、大学の支出のみとすると、法科大学院への派遣があたかも現在の裁判官の支部流しのように、減給を伴う差別任地となり、裁判官や国家公務員の人事統制の道具に使われかねない。

第3 採用対象となる学生に及ぼす影響
 法科大学院の特徴は、プロセス重視であり、法科大学院から司法研修への過程を通じての厳格な成績評価で法曹を養成するとされている。
 法曹志望者は、その過程を経て、ある者は弁護士になり、ある者は裁判官、検察官に任官するが、法科大学院を出て一般職の公務員となることも想定されている。現職の裁判官、検察官、一般職の公務員が法科大学院に教員として派遣されると、法科大学院の教育の場での成績評価がプロセスを通じた採用のための差別選別評価とされる危険が生じるのではないか。
 そのもとでは、法科大学院生には評価権者への迎合と萎縮が生じ、個人の自律にねざす人権擁護の観点を体得することが困難となるのではないか。
 今日、司法研修所においても修習生は採用権限をもつ教官の厳格な成績評価にさらされ、評価権者への迎合と萎縮が生じ、精神疾患を生ずる者すら多く見られる現状にある。また、任官志望者が裁判官、検察官に媚び、その反面、裁判官、検察官がセクハラ発言をしたり、女性を差別した採用枠を設定したことが問題となったこともあった。
 ゼロから法学を学ぶことが予定されている法科大学院においては、そうした傾向がさらに増幅される危険がある。

第4 まとめ
 以上述べた点からすれば、やはり、現職での裁判官、検察官、国家公務員の法科大学院教員への派遣は認めるべきではない。
 自由法曹団員の皆さんも、我が国の法学と法曹養成、ひいては司法制度に重大な影響を及ぼしかねない法科大学院教員派遣法案の問題点に反対しよう。




教育基本法改悪反対闘争の現時点の攻防


教育基本法改悪阻止対策会議事務局長 黒 岩 哲 彦

 三月二〇日に教育基本法改悪をめぐって中教審の最終答申が出された。この最終答申の特徴、国会審議の状況、地方自治体をめぐる状況、運動の状況、団のとりくみについて報告したい。

一 中教審最終答申(三月二〇日)の特徴
 最終答申は中間報告と比較すると次の特徴がある。
 1 狙いがより明らかになった部分
 (1)「国民の責務」を明記
 「新しい『公共』」の部分で「自分たちの力で良い国づくり、社会づくりに取り組むことは民主主義社会における国民の責務である。」とした。
 国民主権において、国づくりは「国民の主権的権利」であるが、「権利と義務の逆転」が見られる。また、有事法制に「国民の責務」規定があることとの関連も注意を要する。
 (2)男女共学規定の削除を明記した。
 (3)国が「教育内容」に介入することを明記した。これは旭川学テ事件最高裁判決の「誤用と悪用」である。
 2 中間報告に対する批判を意識して、官僚的なゴマカシをした(中央教育審議会の議論のお粗末さが暴露された)。
 (1)「国家戦略としての教育改革」の文言を避けた。「国家戦略としての教育改革」の思想は一貫しているが、団意見書などを意識して、この文言はたくみに避けた。
 (2)「日本人としてのアイデンティティー」の文言を避けた。中教審の議事録を読むと「アイデンティティー」の文言をめぐって混乱した議論がなされた。団意見書や日弁連意見書を意識している。
 (3)「人間の力を超えたものに対する畏敬の念」が「自然や崇高なものに対する畏敬の念」に変更された。議事録を読むと、「人間の力を超えたもの」では「奇跡、霊感、カルト」と間違えられるからだという。全くお粗末な議論である。

二 国会審議の状況
 この最終答申を受けて、四月二日に衆議院文部科学委員会で審議が始まった。
 1 作業段階についての大臣・副大臣の答弁
 「見直し作業はどの段階」との質問に対して、遠山大臣は「答申を受け吟味している段階だ」と答弁した。また、河村副大臣は「今国会であげるのか」と問われて「与党協議を経て慎重に対応したい」と答弁した。
 2 「公共という言葉は国家と同様」と答弁
 日本共産党が「公共」という言葉の意味を問うと、河村副大臣は「国家・社会という言葉と同様に使われている」と答弁した。最終答申の「公共」が「国家」と同義だと、政府の意図をむき出しにした答弁である。
 3 「教育基本法を変えることは憲法を変えていく価値を持たせる」と答弁
 自由党からの憲法との関係の質問に対して、河村副大臣は、教基法三条と憲法一四条・二六条(教育の機会均等)、教基法四条と憲法二六条二項(義務教育)を示し、一体の関係にあることを認めた上で、「教育基本法を変えることは憲法を変えていくことに価値を持たせていくこともできる」とあからさまな答弁をした。

三 地方自治体の議会をめぐる攻防
 地方自治体の議会における攻防は次のとおりであり、地方自治体の対策は引き続き、重視する必要がある。
 1 改悪促進の意見書
 岡山県議会の三月議会で、「教育基本法の早期改正を求める意見書」が採択された。
 (なお、公明党が留保したことが注目される。)
 2 「見直し反対」自治体意見書
 (1)新潟県=一五自治体で採択されている(足立団員の奮闘が大きい)。(2)北海道=旭川市、登別市、本別町、釧路市、(3)千葉県=船橋市、(4)東京都=日野市、国分寺市、清瀬市、(5)愛知県=知立市、一色町、大口町、佐屋町、八開町、飛島町、富山町、設楽町、十四村、(6)広島県=府中町、(7)高知県=安芸市、須崎市、香我美町、赤岡町、土佐町、芸西村、吾川村、大野見村、佐賀町、大方町、三原村、西土佐町、十和村、石見町、(8)香川県=財田町、(9)島根県=石見町、布施村、知夫村、都万村、八雲村、五箇村、(10)熊本県=荒尾村

四 運動の状況
 1 共闘の追求
 教育基本法ネット、市民連絡会、二一世紀に生かす会、世界に開く会の四団体は三月二〇日に共同記者会見を行った。
 また「意見広告運動」について共同の取り組みを追求している。
 2 意見広告運動の前進
 (1)埼玉県の取り組み
 埼玉新聞四月一日付に見開き二頁を使って意見広告を出した。子どもと教育・文化を守る埼玉県民会議の取り組みで、二四三〇人、一一四六団体が募金に応じた。
 (2)北海道
 三月三一日付朝日新聞(道内向け紙面)に出した。三三七〇人分の名前で「NO」の文字をかたどっている。北海道子どもと教育・文化道民の会の取り組みである。
 (3)広島県
 市民団体、日教組関係の組合の取り組みで意見広告が出された。

五 団の取り組み
 1 政党との懇談・交流
 (1)日本共産党国会議員団対策本部との交流
 二月二八日に発足した国会議員団大学法人化阻止、教育基本法を生かす対策本部の交流会に黒岩が出席し、法律家の立場からの団としての決意を発言した。
 (2)社会民主党プロジェクトチームとの懇談
 四月二日に、同党「教育基本法改悪阻止プロジェクトチーム」と懇談を行った。団の参加者は松井繁明団員、中野直樹事務局長、渡辺登代美次長。社民党は 議員六名、秘書・事務局一一名の合計一七名であった。
 社民党のPTの会議は今回で八回目だそうで、冒頭中西座長は、「改悪阻止を国民的な運動にするために、政党としてどのように寄与できるのかを追求していきたい。」と挨拶した。九州で教師経験のある議員が多く、教育現場の実情をまじえながら、運動を盛り上げていく難しさも議論された。
 2 ブックレットの出版
 ブックレット「変えてはいけない!教育基本法―『戦争ができる国づくり』、『競争至上の社会』を許すな」の出版予定である(価格は八〇〇円、三〇〇〇部)。宣伝用パンフレットも作成予定である。