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松島  暁 二〇〇四年五月集会滋賀県長浜で開催 五四三名が参加
瀬野 俊之 もうひとつの五月集会〜実践編
吉原  稔 天皇・ブルーギル・科学
吉田 健一 衆議院憲法調査会公聴会での意見




二〇〇四年五月集会滋賀県長浜で開催

五四三名が参加

事務局長  松 島   暁

 五月二二日から二四日、琵琶湖のほとり滋賀県長浜市を中心に、自由法曹団研究討論集会が五四三名(うち弁護士三三五名)の参加で開催された。
 泥沼化するイラク戦争、国内的には有事関連法の衆議院通過と参議院での審議入り、また、改憲・国民投票が現実の政治日程に上ってくるなど、今日、「この国」の進路が問われている。かかる情勢を反映して、平和有事分科会と改憲阻止分科会には二〇〇名近い団員が参加した。「戦争と平和」が中心テーマとなった。

二 全体会(一日目)

 議長団として滋賀支部の野村裕団員、東京支部の山下基之団員が選出された。
 冒頭、坂本修団長から開会の挨拶、滋賀支部・吉原稔支部長から歓迎の挨拶があった。
 来賓として滋賀弁護士会の桐山郁雄会長から挨拶をいただいた。同会の会員数が四九名であり、県民の権利擁護のために会員拡大が課題になっていることを強調された。また来賓の宮腰健長浜市長は、熱っぽい議論とともに癒しの観光をアピールされた。
 韓国民弁からのメッセージ紹介に続いて、島田幹事長からは、有事法制の衆議院通過に抗議し、引続き参議院における有事法制阻止のたたかいを継続すること、イラク人質事件における政府の態度は、まさに戦争する国の姿を見た思いがすること、また、改憲に関する国民意思について、六割以上が九条改正に反対しつつも、その危うさも同時に見なければならないこと等の問題提起がなされた。
 特別講演は千葉大学の小林正弥教授による『非戦・平和と憲法九条ー平和主義再生のためにー』であった。小林教授は、公共哲学の立場から、憲法政治をめぐる大決戦が間近に迫っており、その決戦に備えた準備、危機に打ち勝つ平和運動の構築を訴えられた。

三 分科会

 本年の分科会は以下の九分科会であった。( )内は参加人数。
(一日目)
 1平和分科会 イラク撤兵と有事法制阻止、全国のたたかいから(一九四)
 2労働分科会 各地の労働裁判闘争と非正規労働者の組織化に向けて(一〇六)
 3警察分科会 監視社会とこんにちの治安維持政策(五九)
 4国際分科会 緒方靖夫さんと語ろう世界の人権(五五)
 5市民問題分科会 「規制改革」を考えるー中小企業問題、借地借家問題を中心に(三六)
(二日目)
 6憲法分科会 迫り来る改憲の嵐に団はどう闘うか(一七〇)
 7教育分科会 教育基本法改悪阻止のたたかいー各地の活動から(八七)
 8司法分科会 司法民主化運動の到達点と課題(八二)
 9コンビニ・フランチャイズ分科会 現代の奴隷契約の解消をめざして(六二)

四 全体会(二日目)

 分科会終了後一一時一五分から一二時二〇分まで全体会を再開した。以下の九名の団員が発言した。
 1 「有事法制と改憲阻止のたたかいー緊急にすべきこと」
                     四位直毅(東京支部)
 2 「改憲阻止の運動について」   渡辺登代美(神奈川支部)
 3 「司法民主化の今後の取り組みについて」高橋勲(千葉支部)
 4 「国公法弾圧事件について」     石崎和彦(東京支部)
 5 「NTT大阪高裁逆転勝訴判決の報告」中村和雄(京都支部)
 6 「筑豊じん肺最高裁判決の報告」   安部千春(福岡支部)
 7 「学資保険最高裁勝訴判決の報告」  深堀寿美(福岡支部)
 8 「圏央道あきるの判決の意義」    吉田健一(東京支部)
 9 「原爆症認定集団訴訟について」   樽井直樹(愛知支部)
 全体会で採択された決議は次の通りである。
 (1)イラク戦争に抗議し米英両軍及び自衛隊の撤退を求める決議
 (2)戦争法制の参議院での廃案を求める決議
 (3)戦争国家を目指す改憲を許さない広範な共同を呼びかける決議
 (4)「弁護士報酬の敗訴者負担」の法律による導入・契約による導入を許さない決議
 (5)滋賀県豊郷小学校問題における行政の違法行為に抗議し、無駄な公共事業を許さない決議
 ここで一時拡大幹事会に切り替え、島田幹事長から、新入団員(二名)の承認の提案があり、承認された。
 沖縄支部の新垣勉団員から、一〇月二四(日)・二五日(月)の日程で開催される、沖縄総会の案内がなされ、最後に滋賀支部の玉木昌美団員からの挨拶で集会を閉じた。

五 プレ企画

 前日の二二日午後には次の三つのプレ企画を行った。( )内は参加人数。
 1 新人学習会(五四人)
 田中隆団員(東京支部)がここ一〇年の自由法曹団のたたかいの軌跡を、吉原稔団員(滋賀支部)が地方で活動する団員の役割と課題というテーマでお話をいただいた。
 2 事務局員交流会(四三人)
 事務局交流会実行委の企画による全体会企画は、島田幹事長の「自由法曹団の歴史と役割」と愛知の小野万里子法律事務所の事務局員山縣忍さんの「セイブ・イラクチルドレン名古屋の活動から平和を考える」であった。後半、(1)新人事務局交流会、(2)これからの団を考える、(3)各地の運動という三つの分科会に分れ、活発な討論がなされた。
 3 法科大学院と自由法曹団(一三四)
 本年四月の法科大学院発足を受け、自由法曹団の関わりと課題を、団員教員の参加を得て開催された。

 本年度の五月集会は会場が二カ所(プレ企画を含めると三カ所)に分散し、参加者の皆様には移動等のご不便をおかけしたことを、心からお詫び申し上げます。
 また、この集会の成功のために尽力いただいた滋賀支部の団員、事務局の皆さんはじめ関係者の方々にあらためてお礼申上げます。



もうひとつの五月集会〜実践編

東京支部 瀬 野 俊 之

 はじめて市民に公開された五月集会。扇型に配置されたアリーナ席には団員と事務局員。二階席には、長浜市民らが陣取っている。参加した市民は五〇〇人。
 全体会終了後、杉島次長による事務連絡。
 「みなさん、ご連絡がございます。つい先ほどJR北陸本線の米原駅・田村駅間で列車事故が発生いたしまして、復旧の目途がたっておりません。そういうわけで、ホテルの最寄り駅である長浜駅まで列車で移動することができなくなりました。現在執行部で対応を協議しております。協議の結果は分科会終了後とさせてください。分科会が終わりましたら、もう一度、この全体会の会場に戻ってきていただくようお願いします。」
 分科会終了後の全体会会場。松島事務局長からの提案。
 「現在もまだ北陸本線は不通となっております。執行部で協議した結果、長浜ロイヤルホテルまで、イラク戦争反対、有事法制廃案を訴えるキャンドルパレードを行うことを提案します。本日資料としてお配りした中に、韓国総選挙の総括文が入っています。そこには、『今回の総選挙は何といってもキャンドルの勝利だ』『キャンドルの力は団結の力』『大衆闘争の力』『大衆参加の力』という文章があります。長浜駅に近づくにつれ日も暮れてきます。ぜひご協力をお願いいたします。なお、バスは市民の皆さんの代替移動手段の確保の必要があり、バスでの移動はご遠慮下さい。これより、キャンドルパレードの概要をご説明いたします。この行動は当然ながら、警察にデモ申請を行っておりません。ですから歩道上を歩いてください。・・・・・」
 二階席の長浜市民がいっせいに携帯電話を取り出し、あちこちに電話をかけている。午後六時、自由法曹団と長浜市民、それに米原市民も加わって三〇〇〇人の隊列ができあがった。米原、彦根のホームセンターでかき集めた紙コップにキャンドル。どこからともなく集まった旗、旗、旗。
 坂本団長の挨拶。「みなさん、こんなにたくさん集まっていただきまして本当にありがとうございます。平和を願うみなさん一人ひとりの心をキャンドルの灯に託して歩こうではありませんか。平和の道、光の道を作りましょう。」坂本団長の目には涙が光っている。「さあ、五・二三ピースキャンドルナイト・イン滋賀の始まりです。」
 パレードは国道八号線を通って長浜駅まで行われることになった。日が暮れてきた。平和の灯が参加者の笑顔を照らしている。折からの強風でキャンドルの灯が消えてしまう。それでも参加者が平和の灯を分け合って燃え続けるキャンドル。二・五キャンドルナイトと同じ風景だ。
 長浜駅に近づく。いつもの声が夜空にこだましている。田中隆団員だ。怒っている。有事法制を審議なしで通過させた衆議院の暴挙を糾弾している。イラクの人々を虐殺した米軍に怒っている。聴衆が集まっている。「そうだ、いいぞ」の喚声。聴衆は皆お揃いのTシャツを着ている。黒地に行書で書かれた「憲法九条死守」の文字が白抜きされている。自由法曹団滋賀支部の発案でデザイン・作製され、すでに県内で七〇〇〇枚が販売されたという。田中団員の肩にはたすきがかけられ、「彦根東高校出身・平和の弁護士」とつづられている。これも滋賀支部が急遽作成したものだ。はちまきもしている。「命どぅ宝」の文字。次期総会開催地沖縄に敬意を表したものらしい。
 二時間近く遅れて始まった宴会。歓談中に斎田次長(宴会部長)の声。「田中隆団員が見当たりません。心当たりの方、いらっしゃいますでしょうか」。松井繁明団員から「まだ演説してるんじゃないか。」の暴言。「可哀想。私、迎えに行ってきます」と村田次長。松井団員をにらむ目が潤んでいる。後日談。田中団員の方向音痴は相当なものだ。出身地滋賀で、延々長浜駅周辺をさまよっていたのだ。田中団員の弁。「琵琶湖が見つからなかった。」そんな馬鹿な。
 二日目。分科会を経ての全体会での発言。平和・有事分科会からは四位本部長からの報告と提案。「全体会終了後、長浜市、彦根市に有事関連七法案について自治体要請を行います。全体会終了後ご用のない方は是非参加してください。」「ご存知のとおり昨日、長浜市長にはこの五月集会に来賓として参加していただきました。そのお礼も兼ねて行きたいと思います。」自治体要請に参加した団員は二七名。後日、長浜市、彦根市と自由法曹団滋賀支部との間で有事法制研究会が発足することが決まった。
 こうして「もう一つの五月集会〜実践編」は幕を閉じたのである。

右の文章には事実とフィクションが混在しています。(編集部注)



天皇・ブルーギル・科学

滋賀支部  吉 原  稔

 松島事務局長の「憲法特別論集」の中の「醜い日本国憲法・それでも何故護憲なのか」(「天皇が訴追を免れ、自己保身と引替えに戦争放棄を受け入れた、醜さの象徴としての憲法一条、しかし、九条があったから日本の軍隊は海外で人を殺傷しなかった。この一点で九条は護られるべきである」との趣旨)を読んで、次のことを思い出した。五月集会の新人学習会で話をしたら、これだけがうけたので投稿する。
 今、琵琶湖をはじめ全国の河川で猛威をふるっているブラックバス、ブルーギルは「貝にひっついて入ってきた」とか言われているが、天皇(当時の皇太子)がアメリカからお土産に持ち込んだものである。
 滋賀県は昭和四三年一〇月に明治一〇〇年記念行事として「琵琶湖鮎放流祭」を行い、皇太子が来県し、船上から鮎を放流する行事を行った。
 昭和四三年一〇月一三日の滋賀日々新聞に掲載された座談会では、西川良三滋賀県農林部長や末富寿樹水産試験場長が出席し、末富場長は「外国から資料や新品種を仕入れて研究しているのですが、三八年に入った皇太子様のおみやげで北米産の例のブルーギル。これはイケチョウ貝の増殖用にふやしています。今に食用にもなるでしょう。タイみたいな形で、味もいいので、量産していけばきっと漁業としても成り立つでしょう」と述べ、当時、琵琶湖特産の淡水真珠をつくるイケチョウ貝の雑魚を運搬する魚としてブルーギルに目をつけて、放流したとしている。同紙では、
「“ブルーギル”ー皇太子さまはこの魚の名前をご存じでしょう。三五年秋に、殿下がアメリカを訪問されたさい、シカゴのシェッド水族館から贈られたサンフィッシュ科の淡水魚です。わが国では伊東市の一碧湖だけにしか放流されていませんが、県では淡水真珠の母貝になるイケチョウ貝の人工養殖に用いています。養殖技術は長年の研究が実って完成、来年からは二万匹のブルーギルを使って本格的なイケチョウ貝の人工養殖をスタートします。」
 「あれこれ試験をしているうちに殿下がアメリカからもらわれたブルーギルが候補にのぼってきました。三八年から三九年にかけて東京の淡水区水産研究所から約三千匹をもらって実験を始めたところ最適です。ブルーギルを離れた小貝をびわ湖に放して試験飼育をした結果でも、成長ぶりは優良健康児なみで、天然真珠の二倍の早さ。真珠の巻き具合もよく企業化の見通しは十分で、来春から本格的な人工養殖を開始することに決めました。
 来年の生産量は二万個。すでに今春に、ブルーギルの人工フ化をし、いま二万匹を彦根市の水産試験場で飼育しており四センチに成長しています。来年の四月頃には六、七センチになりますので、“グロキディア”を付着させます。
 四八年には二百万個のイケチョウ貝を生産する目標なので、八十万匹のブルーギルを養殖する必要があります。県民はブルーギルが育てたイケチョウ貝でりっぱな真珠をつくり殿下にお目にかけたいと思っています。」としている。 
 しかし、ブラックバス等の外来魚がいかに他の魚を食べる害魚であるかは、私の釣ってきたブラックバスを金魚と一緒に金魚鉢に入れたところ、一晩で金魚が骨と皮になった結果からも明らかである。ブラックバスの場合は害魚であるが、スズキ科の魚で白身魚でムニエルにすると美味だが、ブルーギルは骨ばかりで食用にならずどうにもならない。
 こんなことは、生物学者の天皇(当時の皇太子)も、魚類学者である水産試験場長も百も承知の筈だが、明治百年の記念行事として皇太子のみやげの外来魚をありがたがって、これを「水産振興」に活用すべく、無理矢理、イケチョウ貝の人工養殖にこじつけて琵琶湖に大量に放流したのである。
 滋賀県では滋賀献穀祭(天皇の新嘗祭に献上する米粟を神道式で栽培するのに行政が関与した行事)違憲訴訟で明らかになように、「農業振興」を名目に天皇の私的宗教行事に奉仕してきた。外来魚を放流することも天皇制への盲信では根は同じだが、一方は米粟、一方は害魚である。この結果は悲惨な外来魚による在来種の食害と環境破壊をもたらした。外来魚や琵琶湖統合開発の自然破壊で琵琶湖の水産業は年間一〇億円の水揚げにと壊滅的打撃に陥っている。私も県議のとき外来魚対策の条例の規制を県に迫った。今、滋賀県では二〇年前には予想もしなかった外来魚対策のため、条例をつくったりして躍起になっている。
 肝心の淡水真珠は琵琶湖の水質悪化でイケチョウ貝が育たず、安価な中国産に押しやられてほぼ全滅状態である。
 天皇制に由来する「日の丸君が代」は「定着」したが、「ブルーギル」も「定着」した。県の発行した魚雑図鑑等もこのころは、ブルーギルは「皇太子のみやげ」と書いていたが、これではまずいと考えたのか、最近の本からはこの記述はなくなった。天皇の権威に科学や産業政策が目をくらまされたお粗末な例である。外来魚の被害をうけた漁民や県民は天皇や県に国家賠償を請求できるのである。



衆議院憲法調査会公聴会での意見

東京支部  吉 田 健 一

はじめに

 私は、いま議論されている憲法「改正」に反対する立場から、憲法の平和主義を中心に意見を述べます。以下、私が憲法改正というときは、「」付の改正ですのでそのように聞いていただきたいと思います。

1 イラク派兵と憲法九条

 まずお話ししたいのは、第一に、憲法九条に違反するイラクへの自衛隊派兵の問題です。いま、憲法「改正」について考えるときに、イラクの問題を抜きにはできないと思います。武装した自衛隊がイラクにまで派遣されている、この現実は、憲法そのものが守られていないといわなければなりません。
 イラクは米英軍の占領下にありますが、これはアメリカによる違法な攻撃にもとづくものです。国連憲章は、他国から武力攻撃を受けたとき、または国連の決議がある場合を除いて、武力行使を禁じています。ところが、ブッシュ大統領は、大量破壊兵器を口実に、先制攻撃に踏み切りました。自衛権の行使にもとづいてできるなどとしていますが、武力攻撃を受けていないアメリカが自衛権の行使としてイラクを攻撃できるわけはありません。明らかに侵略戦争であり、国連憲章違反です。しかも、大量破壊兵器が見つからなかったばかりか、ブッシュ大統領が戦争の終結を宣言した昨年の五月以降も、イラクで戦闘が続いています。特に今年の四月には、アメリカ軍がファルージャを包囲して攻撃し、六〇〇人以上の市民が殺されるという悲惨な事態がおこっています。他方では、収容したイラク人に対する米兵の虐待行為まで明らかにされています。その映像は、いまや世界中にインターネットや、マスコミから伝えられています。人間性を踏みにじる現実、到底許し難いことですが、残念ながら、それが戦争なのです。
 そもそも、小泉首相がアメリカのイラク攻撃を支持すること自体、国連憲章を無視するものです。確立された国際法規を誠実に遵守すべきとする憲法九八条2項を無視するものです。ましてや違法な戦争を進めてきたアメリカに協力し、自衛隊をイラクに派兵するなどということが現憲法のもとで認められないことは明らかです。まず、自衛隊は、このようなアメリカの占領支配の一環としてイラクで活動していることになります。占領行為は憲法九条2項で禁止された交戦権の行使になります。また、「イラクは戦争状態にあり、その全土が戦闘地域」であることは、米軍自身が認めているところです。ここで自衛隊は、戦闘行為を展開している米英軍の物資輸送や武器をもった米兵の輸送まで行っているのです。憲法で禁止された武力行使にも該当する行為といわなければなりません。
 全ての弁護士が所属している日本弁護士連合会では、今年二月三日、国際紛争を解決するための武力行使および他国領土における武力行使を禁じた日本国憲法に違反するおそれが極めて大きいことを指摘し、自衛隊のイラク派兵に反対する理事会決議をあげています。

2 憲法九条「改正」と集団的自衛権の行使

 そこで、第二に、平和主義そのものを変質させる改憲の危険性、問題点を明らかにしたいと思います。
 いま指摘したような憲法を無視した自衛隊の海外派兵が行われているもとで、アメリカは、日本に対して集団的自衛権の行使を求めています。この集団的自衛権を行使するために憲法九条の「改正」が必要だと議論されていることはきわめて由々しきことです。
 例えば、読売新聞から発表されている改憲試案では、個別自衛権だけでなく集団的自衛権を行使しうるとし、国際平和協力活動も行うとされています。集団的自衛権を認めることによって、アメリカとの共同行動には法律上の制約はなくなるという説明がされています。さらに、昨年三月二〇日に行われたアメリカ軍のイラク攻撃について、自衛隊も、国際平和協力として、当初からアメリカ軍と行動を共にしたイギリス軍と同様の行動をとりうると説明されているのです。数千人から一万人以上ともいわれるイラクの人たちを死に追いやっているのがアメリカの先制攻撃です。自衛隊にそれをも可能にする憲法になってしまったとしたら、それは平和憲法とは到底言い得ないのではないでしょうか。
 そもそも、自衛隊の海外派兵が憲法違反ではないかという疑問に対して、政府は、PKOへの参加、それも武力紛争が終結して停戦合意が成立している安全な地域で、武器の使用もきわめて限定するなどいわゆる五原則を厳格に遵守するという前提を強調し、合憲だと説明してきました。それが、二〇〇一年のアフガニスタンでの戦争については、現に戦闘行為を行っている米軍などへの支援(燃料その他物資の補給・輸送など)まで行われました。戦闘行為が続いているイラクでは前述のように武装した米兵の輸送まで行っているのです。合憲性を維持するために行った自らの説明すら投げ捨てていく、いわば場当たり的な説明に終始してきたといわざるを得ないのです。これでは、憲法にもとづく政治が行われているとは到底言い得ません。つまり、立憲政治の基本が無視されているといわざるをえないのです。
 このように憲法に従った政治が行われていないもとで、憲法を「改正」すれば、それが正されるのでしょうか。否であります。戦争のできる憲法となってしまったもとで、海外での戦争参加や武力行使をますます広く容認する危うさを感じざるを得ません。
 それが、国際協力のため、という言葉による場合でも、アメリカの軍事行動に対して自衛隊が協力する形をとって同様の問題が生ずることは、読売新聞試案について述べたところからも明らかです。
 いずれにしても戦争への道をすすむことになる改憲は認めるわけにはいかないのです。

3 軍事優先と人権の危機

 第三に移りますが、ここでは憲法の平和主義があやうくなれば、人権保障も危うくなることを指摘したいと思います。
 憲法の平和主義は、戦争を行わないということと同時に、平和のもとでこそ人権も民主主義・地方自治も保障されるという関連があります。過去に日本は、アジアの人たちに多大な犠牲を強いる侵略戦争を進めてきました。その当時は旧憲法、つまり大日本帝国憲法のもとで、表現の自由も、知る権利も否定され、命が奪われ、働く権利や財産権まで戦争のために奪われた経験があります。しかし、平和憲法の制定とあわせて、国家総動員法や軍機保護法など戦争するための法律などが全て否定されました。土地収用法も改正され、軍事国防の目的によって土地を強制収用できる規定も削除されたのです。
 ところが、その後、日本は米軍に基地を提供し、基地公害などにより住民の権利が侵害される事態を放置してきました。被害を受ける国民に受忍を強いる態度をとってきたのです。特に、沖縄の人びとは、アメリカの施政権のもとで米軍の銃剣とブルトーザーとで土地を取り上げられましたが、米軍基地にされた土地については、沖縄が本土復帰をした後にも、強制使用が続けられてきました。しかも、一九九六年には、日本政府は、契約期限が切れた反戦地主の土地を不法に使用し続ける違法行為まで行ったのです。そして、使用権原を取得できず違法使用の状態が続くことに対して、これを暫定使用などとして「合法化」する立法まで後付で行いました。このように地主の権利を無視して米軍用地の提供を最優先させてきたのです。
 昼夜を分かたぬ、すさまじい基地騒音についても、周辺住民は我慢を強いられ続けてきました。沖縄だけではありません。横田や厚木の基地についても同様です。せめて夜は静かに眠らせてほしいと裁判に立ち上がった住民に対し、政府は、ここでも米軍の活動を優先させる態度に終始してきました。国の安全を守るためには、騒音は我慢しろというものでした。
 私は、沖縄の反戦地主の裁判や横田基地の騒音公害訴訟を弁護団の一員として担当してきましたが、アメリカ軍のためには住民の生活や権利は無視するという政府の態度を幾度となく体験させられたのです。
 しかし、このように軍事を優先させて騒音被害の受忍を強いる政府の態度については、裁判所も批判的な立場に立っています。横田基地公害訴訟について八七年七月一五日に出された東京高等裁判所の判決は、「騒音自体に公共性とあるものとないものとの区別があるはずはなく、侵害行為としては航空機騒音も工場騒音も同一視されるべきものであり、社会生活上最小限度の通常の受忍限度を超えれば、いずれも違法なのである」と判断しています。これが現憲法のもとでの司法による歯止めです。
 ところが、この問題は、いま国会で審議されている有事法制に関して、いっそう露骨に提起されています。つまり、有事法制のもとでは、自治体、民間業者、マスコミ、一般国民まで、戦争のために協力することを余儀なくされます。日常から戦争を想定した訓練が組織されます。国や自治体が管理する港や空港、海岸、河川や公園はもとより、海域、空域をはじめ電波まで軍事のために優先利用の対象となります。アメリカの軍事活動についても、同様に優先されます。住民の福祉のために自治体が果たすべき役割よりも、自衛隊や米軍の活動を円滑にするために最大限の協力が求められることになるのです。
 このような有事法制のもとで想定される人権侵害に関して、日本弁護士連合会は、基本的人権保障原理を変質させる重大な危険性が存するとの意見書を発表しています。この意見書では、マスコミなどが規制され、市民の知る権利、メディアの権力監視機能、報道の自由を侵害し、国民主権と民主主義の基盤を崩壊させる危険を有すると指摘しています。
 それが、改憲により戦争のできる憲法になってしまったらどうなるでしょうか。軍事をいっそう優先することになり、生活や権利がますます無視されるという深刻な事態となることは必至です。このような事態をもたらす改憲を認めることができないのは当然です。

4 憲法を生かし平和・人権の道を

 第四に、私は、平和を実現することはもとより、国民の生活や権利を守るためにも、憲法を変えるのではなく、憲法を守り生かす方向こそ、いま求めてられていることを強調したいと思います。
 戦争をできる憲法にすることは、普通の国と同じ憲法にするだけだという意見もあります。しかし、日本の平和憲法こそ、平和を求める市民によって支持されているものです。例えば、一九九九年にオランダのハーグで開催された世界平和市民会議では、「公正な世界秩序のための基本十原則」の第1項で「各国議会は、日本の憲法九条のように、自国政府が戦争をすることを禁止する決議をすること」が採択されました。日本の憲法九条の規定こそ、平和を実現する政府のあるべき立場を示したものとして、世界的に注目されているのです。
 アメリカのイラク攻撃に対しても、ドイツやフランスなど多くの国々が反対し、アメリカ国内をふくめ世界各国で大きなデモンストレーションが行われました。数十万から一〇〇万単位の人々が街に繰り出し、全世界で一〇〇〇万人単位の人たちがイラク戦争反対を訴えたのです。
 このように各国が協調しあって、武力によらないで紛争を解決することを求めているのが世界の流れです。このような平和を求める国際世論に反して、アメリカは、イラクに対する武力攻撃を強行し、いまなお軍事占領を続けているのです。このような武力による支配を目指すアメリカに依存し、日本の憲法を戦争のできる憲法に変えてしまおうなどという方向は、平和を求める世界の流れに逆行するものに他ならないと思います。現在の憲法の平和主義を生かして、軍事にたよらない平和な国際関係の実現を追求することこそ、日本に課せられた課題ではないでしょうか。
 基本的人権の保障に関しても、改憲を進める論議には重大な問題があります。環境権やプライバシーの権利など新しい人権を憲法に明記するために、憲法を「改正」しようとする議論です。私が弁護士として携わってきた横田基地公害訴訟では、現憲法前文や一三条などで十分認められるものとして平和的生存権や環境権、あるいは静かに生活する権利を主張し、住民の権利の救済を求めてきました。また、刑事弁護活動で被疑者に黙秘権行使を勧めた弁護士の政党所属を警察が調査した弁護士に対する思想調査事件については、プライバシー権の侵害を主張して警察や検察の責任追及の訴訟を担当してきました。いま、改憲を口にする人たちは、このような権利侵害に対する被害の救済、あるいは権力の責任追及のためにどのような役割を果たしたのでしょうか。むしろ、足を引っ張ってきたのではないでしょうか。まず、憲法を変えることよりも、憲法を生かして、保障されている基本的人権の内容を充実させ、それを実現していくことこそ、第一に考えなければならないと思います。求められているのです。

5 おわりに

 以上、私の立場から、憲法が大切にされていない、生かされていない事実の一端を指摘させてもらいました。そして、そのようなもとで憲法を変える必要性が全くないこと、改憲の先にはより危険な方向が待ちかまえていることを重ねて強調したいと思います。
 ところが、国会の憲法調査会では、憲法を変える方向での議論が先行しているのではないかとの危惧を抱かざるを得ません。他方では、憲法調査会がこれまで積み重ねてきた各地の公聴会において、現実の生活や権利とかかわってきた多数の市民から、憲法を大切にしたいという意見が強く述べられてきました。私は、憲法調査会に対して、このような声に対して、真摯に耳を傾け、憲法を実現するための積極的な提言を検討するなど、より充実した調査をさらに行っていただきたいと思います。
 この五月一日から憲法週間がありましたが、裁判所の玄関前にも、「憲法は明るい社会の道しるべ」という標語が表示されていました。これは、国民の憲法に対する大きな期待が示されているように思えるのです。しかし、万一「改正」された憲法にもとづいて戦争が行われるような事態となったら、憲法は明るい社会の道しるべではありなえくなってしまいます。そのような事態を、憲法調査会が進めたというような批判を後世の人々から受けることのないよう強く要望しまして私の意見とします。
【二〇〇四・五・一三 憲法調査会中央公聴会(五・一二〜一三開催にて公述人としての発言を転載】