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守川 幸男 明治乳業賃金差別行政訴訟で東京地方裁判所が不当判決
玉木 昌美 冤罪日野町事件報告 池田鑑定、自白による殺害方法を否定
瀬野 俊之 六・三〇の夜に
冨森 啓児 五月集会に参加して
永芳 明 五月集会新人学習会の感想
永尾 廣久 五月集会雑感
秋山 健司 団五月集会に参加して
松井 繁明 「憲法問題」につながる有益な討論 「イラク・有事法制分科会」に参加して
志田なや子 書評 アルンダティ・ロイ『帝国を壊すために ―正義と戦争をめぐるエッセイ』




明治乳業賃金差別行政訴訟で東京地方裁判所が不当判決

千葉支部 守川 幸男

1 はじめに

 本年五月三一日、東京地方裁判所民事第三六部(難波孝一裁判長)は、明治乳業株式会社に対する賃金・昇格差別不当労働行為事件について、被告中央労働委員会が行った却下、棄却の不当命令を容認する不当判決を宣告した。

 この判決は、次に述べる本件の本質と争点を理解せず、会社の不当労働行為政策を容認したものである。

2 どんな事件か

 会社は昭和四〇年代に大「合理化」を強行したが、市川工場において労働条件の向上を目指して職場の多数の支持を集め、執行部にも加わって活動していた原告らに対して、インフォーマル組織「明朋会」を結成してア力攻撃や役員選挙介入を行い、インフォーマル組織に帰属するか活動家集団に帰属するかによって労働者を差別、分断する攻撃を強めて、原告らを少数派に追い込むとともに、昭和四四年には職分と賃金制度の改悪と移行格付試験を行った。この試験は、その直前二年間の人事考課成績が悪ければ試験の成績がよくても合格しないものであり、この人事考課差別の結果、原告らの約六割はそもそも合格条件を満たしておらず、原告ら全員がこの試験を受験しなかった。

 この試験は、新職分制度への移行にあたり、あらたな格付けをするための試験として、対象者全員が受験することが予定されていたが、市川工場においては、受験率が約五割である一方、受験者の大部分が合格するという異常な試験であった。この試験とその後の人事考課差別の結果、原告らは今日まで継続的に職分、賃金差別を受け続けてきた。そして、会社の原告らに対する一貫した不当労働行為意思は多くのマル秘文書によって明らかであった。

3 労働委員会の不当命令

 ところが都労委命令と中労委命令は不当労働行為認定の判断構造を放棄して、会社の不当労働行為意思を立証する数々の証拠を無視し、格差を否定するとともに移行格付試験の不受験を理由に救済を否定したのである。行政訴訟ではまさにこの点の実質的、総合的判断こそ求められていた。

4 判決の不当な内容

 しかしこの判決は事件の本質をまったく理解せず、第一に、除斥期間を理由に、救済を求めていた昭和五五ないし六〇年のうち昭和五九、六〇年だけが審理の対象であるとし、次いで、移行格付試験を受験しなかったことによって格付けられた最低職分である事業所採用者コース内で比較すべきであるとして同期・同学歴比較を否定し、結局この年度の職分・賃金と人事考課成績について格差の存在自体を否定した。したがって、原告らの組合活動に対する嫌悪や格差の合理性に関する争点について判断するまでもないとして、都労委、中労委の不当命令を追認したのである。

 そうすると審理の対象は、長年にわたる職分・賃金差別ではなく救済を申し立てた年のわずかな昇給額の差に限られることになり、累積された月額賃金の大きな格差は対象にならない。しかし職場で差別が問題にされるのは、年収で賃金五か月分にもなる賃金額の差であって、ごくわずかな昇給額の差ではない。

 現在、除斥期間に関しては、最高裁判所の「青写真論」が定着しつつある。しかし従来、この種の事件の命令例では、不当労働行為自体については「長年にわたる」賃金格差を審理の対象とし、ただ救済の範囲を「青写真論」に基づいて約二年間に限定する手法を採っている。その場合でも救済内容は現実に存在する格差を将来に向かって一挙是正するのである。

 この判決の論理を前提とすると、大企業を相手に賃金差別を争った石川島播磨重工業の二度にわたる勝利、東京電力、中部電力、関西電力、日立製作所、千代田化工などの連続的な勝利はあり得なかった。これらはいずれも「長年にわたる」賃金差別の事件である。

 判決は第二に、合格の可能性のない約六割の原告についても、自らの意思で受験しなかったのだから、合格の可能性のいかんにかかわらず、(不受験者や不合格者が格付けされることになっていた最低職分である)事業所採用者コースに属するのは、(他の約四割の者と同様に)自らの選択によるものというほかはない、などと同義反復の趣旨不明の判示をして、この約六割の原告についても請求を切って捨てた。

5 闘いは続く

 明治乳業争議支援共闘会議、明治乳業賃金昇格差別撤廃争議団、明治乳業賃金差別事件弁護団は、東京高裁に控訴してたたかうことを決め、同時に、会社が未だに原告らをはじめとする労働者に対して続けている不当労働行為政策をきっぱりやめ、本件紛争の全面解決に向けて交渉のテーブルにつくよう強く求め続ける。

 困難な闘いは続くが、団結を固めて奮闘したい。(弁護団事務局長)



冤罪日野町事件報告 池田鑑定、自白による殺害方法を否定

滋賀支部 玉木 昌美

 日野町事件の再審請求審は、殺害方法という最も重要な争点について大きな展開をみせた。この問題は、そもそも確定判決が「被告人が、中腰の姿勢で、同女(被害者)が一声もあげることなく、絶命に至るほど、一気に力を加えることができるのかも疑問に思われる」とし、解剖した龍野医師まで馬乗りになって上から締め付けたとするのが自然と証言したことに注目していた(もっとも、龍野医師は再審請求審段階の検面でその証言を訂正、左手を類の後ろにあてれば、頚が固定されると主張した)。これに対し、弁護団が鑑定を依頼した河野医師が中腰の姿勢では絞め殺すほど力が入らないことを解明していた。

 今回裁判所が鑑定を依頼した九州大学大学院の池田典昭教授は、平成一五年七月一日に鑑定書を、平成一六年一月三〇日に補充鑑定書を提出され、この五月二五日に証人尋問が行われた。

 池田教授は、本件は、一人による犯行とすれば、床か犯人の胸で頚の後ろを固定し、左手で口をふさぐように顔面を上に押し上げ、舌骨を浮き上がらせ、右手で扼殺したとされた(鑑定書)。そして、自白による殺害方法とは、請求人が右後方よりとしている点および左手を項部に当てて被害者の頭頚部を支えている点で明らかに異なっており、整合しないとされた(鑑定補充書)。

 証人尋問の結果によれば、損傷部位の認定はほぼ河野意見を採用された。そして、通常の扼殺の場合には、舌骨はその下にある甲状軟骨と同時に骨折するが、本件では甲状軟骨は折れておらず、舌骨のみが骨折した珍しい例であるとのことであった。池田鑑定では、山型索状痕の存在を認めたうえで、二度索状物で絞めたとし、これは、死線期から心拍停止後に行われたものと考えられたとした。

 池田教授は、解剖をした龍野医師が鑑定書を作成していないこと、メスをいれて頸部の皮下出血・筋肉内出血の有無を確認していないことを強く批判され、この点は河野意見と同一であった。また、索状物については、「幅一〜一・二cm程度ないしその程度になり得る比較的軟らかい布や紐の類が考えられる。」とされた(鑑定書)。

 池田鑑定は、扼殺であるとする点において本件が絞殺であるとする河野見解とは異なった結論になったが、確定判決があげた疑問に理由があることを解明された点で高く評価することができる。確定判決は、疑問について「結局これを検証する手段はない。」とあいまいにしたが、池田鑑定は、これを検証し、中腰で左手を被害者の頚の後ろにあてる形では頚が固定されず、絞めることはできないと解明され、検証されたわけである。もし、この鑑定内容が一審の段階でなされていたならば、合理的な疑いが残るとして有罪にはならなかった可能性が高く、その意味で池田鑑定が新証拠に該当することは明らかである。また、殺害に利用された紐が自白の内容と異なるとすれば、これもまた、重要な問題になる。いずれにしても、二審判決が信用性を認めた自白は大きく揺らぐことになる。

 尚、山型索状痕の形成過程、絞頚の問題については、死線期論で説明する池田鑑定が相当であるのか、河野意見が相当であるのか、そして、各圧迫痕を扼痕と見るのか(池田鑑定)、抵抗防御創(河野意見)と見るのかは今後検討を要する。

 今後は、弁護団としては、指紋についての鑑定書、被害金庫の傷についての鑑定書等さまざまな問題について新証拠を提出する予定である。また、進行協議期日(次回六月二二日)において引き続き証拠開示請求をなし、さらに、証拠構造の分析を行い、証拠の全面的な見直しを行って主張を整理する予定である。阪原さんの健康問題もあり、弁護団としては、こうした作業を精力的に進め、一日も早く阪原さんを救出したいと考えている。



六・三〇の夜に

東京支部 瀬野 俊之

 いまも叩いているのか、企てのキーボードを
それは富の独占と命のやりとりを計りにかけるプラグマチズムの実践
戦争に成功して歓喜し、戦争に失敗して落胆する狂気

さあ、休憩だ
窓の外を見てみるがいい、治外法権の敷地の向こうだ
非戦の国の淵にへばりついている反戦の民が見えるだろう

数えてみるがいい、ひとつふたつと
赤く灯る殺戮を憎む光源を
この幾倍の人命がイラクの地で奪われたのか

想像してみるがいい、ひとつひとつに
ついさっきまで未来を映していた少年の瞳と
動かぬ少年を抱き上げる父親の血涙を

半減期四五億年の劣化ウランをまき散らし
抵抗なき「静かな死」をなおも累積するのか

チグリスとユーフラテスから恵みを受けて
ゆっくりと命を育み続けた大地を民衆に返せ

私は泣いている
少女の微笑み、あの少女の屍が瞼の裏を熱くする
私は震えている
貴国に向けてかざした灯りが小刻みに揺れている

自由を語るな
民主主義を語るな
帝国と呼ばれて羞じぬ国に未来はない
いまだ、いますぐだ
米軍はイラクから撤退せよ


 イラクへの主権移譲の期限である六月三〇日の午後七時に米国大使館を平和のキャンドルで包囲します。一時間ないし一時間三〇分の予定です。この行動は、一四〇名を超える呼びかけ人により提起されているものです。現在、米国大使館周辺は規制を受けています。

権力の介入を許さない、静かな行動を呼びかけます。雨天決行です。

雨の場合、米国大使館からキャンドルの灯が見えるように、透明のビニール傘をお持ちいただくようお願いいたします。キャンドルは用意いたしますが、それぞれで個性的なキャンドルを持参していただければ幸いです。六月三〇日午後七時に米国大使館正門周辺にお集まり下さい。よろしくお願いします。

 最寄り駅は、東京メトロ銀座線「虎ノ門」です。



滋賀五月集会感想 その1


五月集会に参加して
 
長野県支部 冨森 啓児

 今年の初め、足の指先の痛みに耐えかねて、小さな手術をした。その足を引き吊りながらの一人旅では大変だろうと、事務局の岩下さんにも同行してもらって、会場には何とかたどりついた。

 長野から米原−長浜はそう遠い道のりではないが、不自由な体には、多少の躊躇いがなかった訳ではない。しかし、既に始まっていた全体集会での島田幹事長の報告や、小林正弥教授の基調講演に引き込まれる中で、参加して良かったという思いがこみあげて来た。

 幹事長報告の中で、同じ長野県で活動している毛利団員や、同期で神戸から故郷の天草半島に帰って憲法行脚で奮闘している宮崎定邦団員の話などは、懐かしくもあり、心打たれるものがあった。私自身も深く関わっている、長野県での「憲法九条の改悪に反対する住民過半数署名」の取り組みについても、評価されていることを知り励まされた。

 小林教授の講演は、明晰でよどみがなく、知的刺激にも満ちたものであった。特に、武力と戦力の区分を明らかにし、自衛隊は武力ではあっても戦力ではなく、九条2項の決定的無視こそが、「決定的違憲」という現在の憲法の危機的状況をつくり出しているという分析には考えさせられるものがあった。自衛権までも否定することは、現実的でないばかりか、正当防衛や民族として当然の独立する権利の否定にも繋がりかねない。一方では武力も戦力も否定するという見解は、かえって今日の、イラク戦争のただ中での、戦時下改憲の危険性、海外派兵のための改憲の危険性に対する、鋭い対決を鈍らしてしまうことにもなりかねない。要は、今日のクーデターさながらの公然たる憲法蹂躙の事態に対し、壮大な行動や運動に結びつく議論を、如何にして展開するかにかかっていると思われてならない。

 今回の集会には長野県からは、私を含めて七名の団員弁護士が参加していたが、同期の一三期からは一名も参加はなかった。それぞれ頑張ってはいるのだろうが、一寸寂しいことであった。翌日、僅かな時間を割いて、大通寺や長浜城などを回り、新興勢力として登場する秀吉の時代の余韻を感じることが出来た。俺も滋賀県出身だと名乗り出たのは高知の土田嘉平団員等だったが、私自身は京都出身だが、親父は滋賀県の水口町の出である。その故か、滋賀県長浜の地は、ひとしお懐かしいものがあった。私も好きな芭蕉の次の一句で締めくくりとしたい。

ゆく春を近江の人と惜しみけり



五月集会新人学習会の感想
 
滋賀支部 永芳 明

 私は、修習の期は五六期であり、滋賀県大津市の滋賀第一法律事務所で仕事をしています。地元で開催されることから、今年の五月集会の新人研修会に参加しました。

 講師は、東京支部田中隆先生と、滋賀支部吉原稔先生でした。両先生は、いずれも、私の母校、彦根東高等学校の先輩です。

 両先生のお話しは、いずれも、分かりやすく興味深いもので、時間が過ぎるのを忘れてしまう程でした。

 田中先生のお話は、裁判だけではなく、住民や組合などの運動を盛り上げることによって、問題解決にあたるという手法を中心にされていたと理解しています。その話の中で、ピースキャンドルナイトの例などを挙げられながら、楽しげに話をされていました。それまで、私は、運動の類は、正義感・義務感にあふれる献身的な人でなければできないのではないか、という事を考えていたのですが、そうではなくて、運動というのは、正義感・義務感もさることながら、みんなで一つの目標に向かって頑張る楽しさがあるのだということを感じました。

 次に、吉原先生のお話ですが、いままで扱ってこられた事件の話をされました。豊郷小学校、献穀祭、PCBによる土壌汚染などなど、色々な事件の話を伺いました。実は、吉原先生は、我が事務所のボスなのですが、普段は、とても忙しく、今までに扱った事件の話を聞いたことは、ほとんどありませんでした。同じ事務所の弁護士の活動歴を、事務所外の集会で知ることになるとは、いささか皮肉な気もしますが、私にとってはとてもいい機会となりました。

 この五月集会を経て、私は、自由法曹団の団員となることにしました。新人研修を含め、五月集会において、自由法曹団および団員の諸先輩の活動を知ることができたことは大きな収穫でした。



五月集会雑感
 
福岡支部 永尾 廣久

□ 出かける前に

 年に二回の自由法曹団の五月集会と総会は事務所にとって全員参加の重要行事として位置づけているつもりでいたところ、今回は二〇代の若手二人に造反され、残念なことに「おじさん、おばさん」七人の参加となった。そのことを知った福岡の女性団員から「そんなことじゃあ、団事務所としての将来性に欠けるじゃありませんか」と、きついお叱りを受けた。そこで、私は二人の若手所員に対して次の沖縄総会には万難を排して参加するよう、しっかり念を押した。

 参加する直前に大阪の福山孔市良団員の「弁護士の散歩道」が送られてきた。これで三作目だ。大阪支部ニュースなどで読んだものもあったが、改めて全文を通読した。福山団員が実に豊かな人生を過ごしていることがよく分かる。ところどころ、前日弁連事務総長の大川真郎団員の写真が登場しているのも興味深い。やはり心がけ次第で、忙しさに流されることなく人生を心豊かに楽しむことができると思った。さっそく福岡県弁護士会のホームページに書評を載せることにした。

 五月集会が滋賀であると知って、私はすぐに安土城に行こうと思った。福井での総会のときには、浅倉の越前一乗谷まで出かけて感動を受けた覚えがあるし、復元がすすむ信長の安土城をぜひこの目で見たかった。行って本当に良かった。近くにある「信長の館」には安土城天守閣の五層、六層が想像復元されている。豪華絢爛とはこのことを言うと思った。標高一九〇メートル足らずの山が全山すべて城となっていたわけだが、広くて急勾配の大手道をのぼっていく先の頭上に、金色に輝く天守閣が聳えていた。権力者信長の発想のすごさを膚で感じることができた。

□ 非戦・平和と憲法九条

 小林正弥教授の講演について、人選を誤った、ちっとも面白くなかったという声があったという(実は、うちの若手弁護士もその意見)。しかし、とんでもない。私は、こんな面白い憲法論議を久しぶりに聞いた思いだ。今まさにベストの人選だったと絶賛を惜しまない。

 自衛隊は武力であっても戦力ではないという小林教授の指摘はそのとおりだと思う。いかに技術的にすぐれた兵器をもっていても、自衛隊は憲法九条の制約を受けている。しかも、戦後六〇年間、一度も「敵」を殺したことのない(殺されたこともない)「軍隊」なのだ。そのような自衛隊について、今はじめて海外での戦争行為を認めようという動きがすすんでいるなかで、ここに反対の声を集中すべきだ、という小林教授の指摘は、まさにそのとおりだと思った。小林教授は、楽しい平和運動をしよう、暗いムードで憲法九条を守れという発想を打ち破れと提唱した。なるほど、そのとおりだ。若者を戦争反対にまきこんでいかないと日本の将来の展望はない。

 小林教授の講演を聞いただけでも、五月集会に来て良かったと思った。身体にビリビリと電気が走っていく感じがした。昔は、これを「空気が入る」と言っていたことを思い出した。

□ 盛り上がらなかった懇親会

 懇親会でクラシックを聞けたのは良かったが、やはり、あれだけ大勢だと演奏する人に対して失礼になるような気がした。五六期の参加者の紹介を司会が名前を読みあげてしたのには、がっかりさせられた。やはり、ここは五六期に全部まかせるべきだ。彼らを信用しないかのような運営は明らかにマイナスでしかない。ぜひ、次回からは五六期にまかせてやってほしい。

 そんなわけで、高知の土田嘉平団員による恒例の「バナナ・ボート」がなければ、まったく盛りあがりに欠ける懇親会のまま閉会してしまったことだろう。私も弁護士になって三〇年たち、団の集会にはほとんど欠かさず参加しているので、もう五〇回も「デーオ」を聞いたような気がする。これを聞かないと団の集会に参加した気がしない。体重四〇キロの細い身体で、よくも、あれだけの声量が出るものだと、中年太りに悩む私は感心するばかり。どうぞ、土田先生、いつまでもお元気で、「バナナ・ボート」を絶唱してください。

□ 司法改革問題分科会

 実は、団の司法改革問題分科会に、私はあまり参加したくはなかった。例の「一条の会」ばりの観念的なそもそも論が青法協と同じく、団内にも横行するようになっているので、消耗感があったからだ。それでも、日弁連副会長になったこともあるので、現実を無視した観念論がこれ以上横行するのをやめさせる義務があると思って参加した。

 案の定、「司法センター」反対声明には、現実にもとづかないことが書かれており、それを支持する意見も出た。しかし、果たして、国選弁護を担っているのは弁護士自治だと言えるのだろうか。東京などの現実をふまえると、そんなことを言えるはずがない。全国津々浦々に司法サービスを行きわたせるという点でも、それを弁護士会だけでやり切れるとは、とても思えない。裁判員制度にしても、国民とともに刑事司法を変えていこうという姿勢があまりに欠けているとしか思えない。実は、団は日弁連執行部との関係では「与党」的立場にいる。しかし、あたかも日弁連執行部について、彼岸にいる「階級敵」のようにとらえて、ことさら反対論を言いたてる団員がいる。悲しいことだ。

 もちろん、私も今の司法改革を団が全面的に無条件に支持すべきだなどと主張する気はない。団が国民の立場に立って、必要な批判を加えることは必要だと思う。しかし、それにしても、事実にもとづかず、「日弁連執行部は戦争への道に加担している」などと決めつけてもらっても困る。やはり、国民のための司法とは何か、そのために我々はどうしたらよいのかについて、変革する立場から大胆に提言してほしい。

 帰宅して夜の散歩に出かけると、近くの小川に蛍が飛んでいた。淡く明滅する光を見るたびに、田舎に住んで良かったなと思う。



団五月集会に参加して
 
東京都支部 秋山 健司

 この度、初めて五月集会に参加しました。

 滋賀の団員の皆様、実行委員の皆様、設営大変ご苦労さまでした。

 おかげさまで仕事を離れていいリフレッシュができたと思います。琵琶湖の雄大さが目に浮かんできます。

 今回、初日は新人学習会に参加させて頂きました。午前中、有事法制制定反対のための議員要請活動に出ていたため遅れての参加となりましたが、対照的な二人の先輩(田中隆団員、吉原稔団員)からお話を聞かせて頂きました。自分の楽しみと重ね合わせて団活動に取り組む生き方、任務ということを強く意識して団の活動に取り組む生き方、団員により様々なのだなあ、ということを思いました。自分はどういう団員ライフを送るのかな、ということを思わされました。充実感を持ちながらやっていけるようになりたいと思っています。

 翌日は小林正弥教授の特別講演を拝聴しました。憲法九条についての新解釈を打ち出すことにより自衛隊合憲論者とも手を結んで平和を守る、というテーマだったと思いますが、なかなか興味深いテーマだったと思います。この講演を通じて、自衛隊を認めつつ平和を守る道を行くのがいいのか、それとも非武装中立を旨として進んでいくのがいいのか、という自分の中にある困難な問題を久しぶりに思い起こしていました。まだその答えは出ていませんが。

 最終日も憲法改悪問題に関する分科会に出席しました。様々な団員が、それぞれの地域で憲法擁護活動に取り組まれていることが感じられました。

 今回は憲法改悪問題に関わる分科会を中心に出席しました。戦後一度も改悪されたことのない、私の父や母にとって宝のように大切な憲法が危機にさらされていることに脅威を覚えたためかもしれません。しかし、まだ憲法擁護を自分のライフワークとできるほどに理論武装できていません。五月集会で聞いた経験談等を元にして、更にこの問題を自分らしく考え、行動していきたいと思います。

 五月集会では久々に同期の仲間と会えたのもよかったでした。今まで面識のなかった同期とも色々お話ができたのもよかったです。研修所では知り合えなかった同期の知り合いをこの機会に作ることができました。

 なんだかまとまりがありませんが、以上をもちまして五月集会の感想とさせて頂きます。



「憲法問題」につながる有益な討論

 「イラク・有事法制分科会」に参加して

東京支部 松井 繁明

  五月集会第一日目は「イラク・有事法制分科会」に参加した。

 二〇〇人弱という大型「分科会」だったが、数の多さからくる分散的傾向もみられず、ひきしまった討論がおこなわれた。短い時間のなか、発言者の数も限られたが、どの発言も、なにを伝えたいのか明確な目的意識をもつ、内容豊かなものだった。

 いくつかの発言が、直前におこなわれた小林教授の講演内容を引用していた。講演の成功を物語るものだろう。私自身にとっても、運動をひろげるうえで多くの示唆を受けた。

 民主党修正案について、田中発言が瀬野さんの言として紹介した「子どもが母親を産んだ」という表現は、講演などで「使える」と思った。

 多くの発言が、いかにして運動の幅を拡げるか、に触れているのが印象に残った。大阪の成見さんが民主勢力内の「非民主的」体質を指摘していたのは、いかにもありそうなことと共感し、このような発言ができるのも自由法曹団らしくてよかった。

 共闘をひろげるうえで「暴力の排除」が障害になっているとの発言もあったが、悩ましい問題ではある。革マル、中核派などの暴力的体質そのものの排除ではなく、当該行動、当該運動に限っての「暴力の排除」を求めるなど、さまざまな手だてを考えなければならないだろう。

 いずれにしても、この分科会は、発言できなかった人もふくめて参加者の共感を得ることができたと思うし、翌日の「憲法問題分科会」につながる有益な討論になったと思われる。執行部・関係者の労を多とするものである。



書評

アルンダティ・ロイ『帝国を壊すために

―正義と戦争をめぐるエッセイ』

東京支部 志田なや子

 アルンダティ・ロイは、ブッカー賞を受賞したインド人女性小説家である。アフガン戦争やイラク戦争などを辛らつに批判したエッセイを次々に発表し、雑誌『世界』でも紹介された。本書は岩波新書で出版されたロイのエッセイ集である。

 エッセイ集は、アメリカ帝国主義の気まぐれに翻弄され殺戮されたアフガニスタンなどの民衆に対する愛情と冷徹な分析からはじまる。「オサーマ・ビン・ラーディンとは、いったい何なのか。彼はアメリカという家庭に隠された秘密なのだ。…野蛮な双子の片割れ。アメリカの外交政策によって痩せ衰えた世界の肋骨から彫りだされた存在」。「砲艦外交、核兵器、アメリカ人以外の生命に対する冷酷な無関心、野蛮きわまりない軍事介入、専制・独裁政権への支持、貧しい国の経済を蝗の大群のように食い荒らす非情な経済プログラム」「襲いかかるアメリカの多国籍企業によって、わたしたちの呼吸する空気が接収され、わたしたちのよってたつ大地や飲み水も取り上げられ、わたしたちが抱く思想までもが奪い去られていく」としている。

 ロイの批判の眼はドイツやフランスといったイラク戦争に反対したヨーロッパ諸国の政権に及ぶ。しかし、彼女は欧米先進国の政府と民衆をいっしょくたにして敵視することを強く戒める。戦争反対の民衆との連帯を呼びかける。先進国の民衆だってちっとも良い思いをしていない。アメリカの黒人男性の平均寿命は最貧国バングラディシュの民衆の平均寿命にも及ばない、と。彼女の知性と想像力は欧米、中東、アフリカ、アジア……と、グローバル資本主義に対抗して地球上すべての民衆に及ぶ。

 自国の政府についても容赦ない。インド人民党は政権の座につき、新自由主義政策を推し進めながら、その結果生じた共同体の崩壊や貧困の増大のために奪い去られたアイデンティティーを民族主義・ヒンドゥー原理主義で癒そうとした。核兵器をもつことによって偽りの誇りをもたせ、イスラム教徒二千名の虐殺事件まで起こった。ファシズムの萌芽へのロイの激しい怒りがみのったのだろうか、インド人民党は大方の予想に反して、総選挙で敗北し、左翼政党は躍進し、左翼政党の閣外協力のもと、インド国民会議が政権の座についた。

 ロパート・ケーガン著『ネオコンの論理――アメリカ新保守主義の世界戦略』を読むと、アメリカ支配層の最高の知性をうかがい知ることができる。世界は、(1)ポストモダン(先進資本主義諸国)、(2)モダン(中進国)、(3)プレモダン(前近代・後進国)から成っている。プレモダンの国々はジャングルのようなものでギャングの支配のもとにある。「ポストモダンの楽園」に住むドイツやフランスは「法の支配」の原則を言い立ているが、ジャングルで通用するのは「力の論理」である。ヨーロッパも力があった過去にはそのようにふるまってきたではないか。弱体化したが故にこのようなことを言い出したのであり、強力なアメリカは軍事力行使をためらわない、という。プレモダン世界がなぜジャングルになったのかという歴史と事実に眼をつぶれば、ケーガンの主張は論理一貫しているように見える。ネオコンはキリスト教右翼の宗教原理主義に毒された愚か者の集団ではない。しかし、彼らは明らかにプレモダン世界の住民を人間とはみなしていない。

 知性と想像力の欠乏。先進国、とりわけ日本をおそっている深刻なこの病を克服することができるのだろうが。まずその第一歩として、ロイの『帝国を壊すために』を読むことをおすすめする。