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松島  暁 改憲阻止夏合宿への訴え
平井 哲史 憲法合宿に向けての一意見
渡辺登代美 新しい改憲運動に関する提起
吉田 竜一 新日鐵の反共労務政策を断罪
新日鐵広畑賃金差別訴訟・神戸地裁姫路支部判決
松島  暁 反WTO二〇〇四・六ソウル行動




改憲阻止夏合宿への訴え

事務局長  松 島  暁

 去る六月一九日、六月常幹終了後、第一回の改憲阻止夏合宿実行委員会を開きました。予想以上に多くの方が参加され、改憲を何とか阻止したいという熱意が伝わってきた会議でした。そこで出された様々な意見を集約し、議論されるべきテーマ・議題として後記の通り整理しました。出された意見そのものと私の方でまとめたテーマについては、すでにいくつかのメーリングリストに載せてありますので、それをご参照下さい。まとめとして不適切なものも混入しているかもしれませんが、その旨ご指摘いただければ幸いです。
 さっそく次長の平井さんと渡辺さんから本号掲載の提案をいただきました。平井さんの文章にもあるとおり、事前に各事務所、各支部で「ミニ討論」をやっての参加をお願いします。

【予定】一日目 渡辺治教授を囲んで
    二日目 情勢と討論
    三日目 まとめと行動提起

【議題・テーマ】
 (1)改憲を促す政治的・経済的・軍事的諸要因
 (2)改憲勢力の改憲を目指す基本戦略
 (3)護憲勢力のこれを迎え撃つ体制(思想面、運動面から)
 (5)改憲をめぐる国民意識をどう見るか
 (6)改憲をめぐるマスメディアの役割とその現状
 (7)運動の全体的イメージ(護憲運動か平和運動か、縦割り運動の弊害をどう打破するか)
 (8)全国的運動と地域運動(全国的統一組織と各地域の特殊性に対応した運動)
 (9)中核的部隊の組織と波及(事務所間、事務所内アンバランス等)
 (10)運動の中の法律家(団)の役割(専門家か素人か)
 (11)平和への結集に向け克服すべきいくつかの問題(社共の確執と運動上の分裂、世代間ギャップ、市民運動と組織運動、シングルイシューとジェネラルイシュー)
 (12)団の体制(闘争本部体制、各支部、各事務所の体制)
【参加要綱と参加申込書は次号に掲載・同封します。】



憲法合宿に向けての一意見

東京支部  平 井 哲 史

1 「国の形を変える」にリアリティーを感じない。なぜか?

 「この国の形を変える」と豪語した小泉政権は、その言葉を本当に実現させてしまうかもしれません。有事法案は、幾多の反対運動を乗り越えて次々と成立し、大新聞とテレビは改憲が既定路線であるかのように宣伝し、与党ばかりか野党第一党も含めて改憲試案を競う状況になっています。国民相互監視社会に向けた生活安全条例の制定が全国的に進み、図に乗って再び拘禁二法制定が企まれようとしています。生存権、人間らしく生き働く権利を脅かす各種労働法制の改悪の動きや、学校を教育勅語の時代に引き戻す教育基本法の「改正」を求める与党中間まとめも発表されています。でも、なぜか、運動が火の出る勢いで盛り上がっている様子はありません。自分自身の中にもリアリティーがありません。恥ずかしながら、本部次長として有事国会に結局一度も行きませんでした(一応の言い訳はあるものの)。なぜなのか。

2 現実をどれだけ見ているか?

 フリーライターの江川紹子さんは、三人の誘拐事件について人質バッシングに対して「想像力の欠如」という指摘をしました。命の危険が現実に迫っている人およびその家族の気持ちを推し量ることのできない、まるでプロレス観戦でもしているような感覚に対する警鐘だろうと思います。
 ひるがえって、今の状況に対して、どこかリアリティーを持てないというのも、実は、この「想像力の欠如」ではないかな、と思います。現実には、学校では、国旗・国歌法制定以来、全国で潜行していた日の丸・君が代の押し付けが、教職員の大量処分やPTAへの圧力として公然とあらわれています。東京都をはじめ、警察官僚を自治体の重職に迎えるところが徐々にですがあらわれ始めています。東京の国立市では、マンションにビラを入れた人が住居侵入で逮捕され、北海道では、イラク派兵反対の宣伝をしている人々に対し、「非国民」という言葉が通行人からかけられました。そして、堀越事件です。テレビを見ていても、「あーこの国はこのまま行ったらどうなってしまうんだろう。」と思うことはいっぱいあります。考えるのが嫌になるくらいに。こんなに目の前にあるのに、なぜ運動は低調なのか。見えていないのか、見ようとしないのか、あるいは見えていても見えないつもりでいるのか。
 ここまでつらつらと考えてみて、実は、憲法合宿は、弁護団会議と重なるために欠席をしようと思っていましたが、「やはり現実をみよう」と考えを改め、一部だけでも参加することにしました。

3 具体的な取り組みについての話し合いを

 もうすでに、舵は切られているのですから、放っておけば、切られたほうに「日本丸」は曲がっていくことになります。これを引き戻すための本気の努力が必要です。言葉だけでなく、体を動かすことが。では、何をしたらいいのか。それを考えるのが憲法合宿だとしたら、やはり、何をするかを討議の最重要テーマとすべきだと思いますし、討議できるだけの準備をして臨むべきだろうと思います。以下、いくつかの提案をします。

(1) 改憲勢力の戦略と向こうの運動の到達点をどう見るか、国民の意識動向はどうなっているか、マスコミの傾向は、情勢に立ち向かう護憲の側の体制(態勢)はどうなっているかといった情勢討議については、基本的な報告があれば、後は、その現状認識は違うという意見だけをとりあげ、その意見も取り入れるかどうかという議論に絞り、早期に現状認識についての意見の一致を形成すべきだろうと思います。あんなこともある、こんなこともあるという情報の提供は、具体的な運動課題に結びつくのであれば有意義かと思いますが、ただ耳に残しておいてということであれば、時間を食うだけとなりかねません。

(2) 時間をとってしまいますが、事前に各事務所で、ミニ討議をやってから合宿に臨むというようにならないでしょうか。諸課題がある中で二泊三日なんて正直やってられないという声もあります。業務が忙しくてなかなか手が回らないということも当然あります。ただ、そこは優先順位を少し変えるということができないでしょうか。

(3) そして、可能であれば、さらに、地域の付き合いのある団体と協議をすることができないでしょうか。
 悲観的になりたくなる現実は山ほどあると思いますが、逆に、全国の経験をあつめれば、展望も見えるかと思います。



新しい改憲運動に関する提起

神奈川支部  渡 辺 登 代 美

◎学習会で、パワーポイントを使えるようにする。一般の人たちにわかりが良いのは、視覚的に人の死を訴えること。街宣のときも、アルジャジーラ配信の映像を拡大コピーして張り出しておくと、ビラの受け取りが良い。→憲法合宿で、有志参加として、例えば夕食後など、一時間程度パワーポイント学習会をやる。【レジュメ集・資料集も良いが、自由に使って良い映像を提供してもらい、映像集を作る(劣化ウラン弾、韓国、ピースキャンドルナイトなど)。
パワーポイントが使用できない小さな学習会でも、写真に落としてもっていけるようにする。】
◎本部でウインドブレーカーを作る。「憲法を活かす弁護士の会」などをつくり、背中に「弁護士」「会」を大きく入れたウインドブレーカーを作り、街宣で使用する。街宣のときは、誰が何をやっているのかを訴えるのが大事。弁護士バッチは最大限活用したい。
スポーツ新聞みたいに「の」を小さくすると、弁護士会と間違えてビラをとる人が増える。いつもそろいの服装をしていると、街宣が定着する(川崎公害では、「まちづくり隊」の黄色いウインドブレーカーが活躍している)。「ビラには「自由法曹団」だけでなく、必ず「平和と民主主義を守る弁護士団体」などの説明を入れる。」
◎携帯ストラップを作る。今誰もが持てて、一番普及できそうな改憲グッズは何か?ピース・キャンドルをイメージした携帯ストラップなどどうでしょうか。
◎テーマソングを作る。瀬野先生担当



新日鐵の反共労務政策を断罪

新日鐵広畑賃金差別訴訟・神戸地裁姫路支部判決

兵庫県支部 吉 田 竜 一

 本年三月二九日、神戸地裁姫路支部は、新日鐵広畑製鐵所の従業員五名(内四名は訴訟中に定年退職)が、共産党員であることを理由に様々な差別、嫌がらせを受けてきたことを理由に損害賠償を求めた裁判で、総額一五四〇万円(慰謝料一四〇〇万円、弁護士費用一四〇万円)の賠償を会社に命じる判決を下しました。

 原告らは、いずれも昭和三〇年代に新日鐵の前身である富士製鐵に入社し、入社後間もなく共産党に入党した労働者で、組合が昭和四三年までに労使協調組合と化して組合内の少数派となってからも、労働者の権利を擁護する組合の再構築の必要性を訴えて様々な活動を行ってきましたが、かかる活動は会社がもっとも忌み嫌う活動であり、会社は原告ら共産党員に対して様々な差別、嫌がらせを行ってきました。
 差別の重要な柱は昇給昇格差別であり、また嫌がらせの柱は、職場内に高炉休止反対の声が広がるのを阻止するために原告ら少なからぬ共産党員を第四クラフトという新たに設置した職場に隔離したことでしたが、平成一〇年一〇月、原告らは、かかる様々な差別、嫌がらせを受けてきたことについての損害賠償を求める訴訟を提起しました。

 判決の最大の意義は、原告らに対する上司の共産党からの転向の説得、職場行事からの閉め出しといった嫌がらせや、原告らが昇給面においても最低レベルの処遇を受けていることが、いずれも会社の反共労務政策に基づいて行われたものであるとして、かかる反共労務政策の違法性を真正面から認めたことです。
 判決は、まず、昭和三四年の四九日ストで痛手を受けたことが、会社が反共労務政策を採用する動機であったとの原告主張をそのまま認め、会社が労使協調主義を是とする思想教育を徹底していたとの事実を認定し、作業長会、工長会といったインフォーマル組織の反共的な活動が「会社の意を受けて行われた」ものであることをも認めて、原告らが受けている差別や昇給面における最低レベルの処遇が、原告らが共産党員であることを理由とするものであることが「推認できる」としました。
 その上で、判決は、「被告において、原告らの職務遂行能力が昇給面の処遇に見合った最低レベルであったことを立証しなければ、かかる昇給格差の合理性を認めることはできない」ところ、原告らの元上司が述べる抽象的な悪口だけでは、原告らの「職務遂行能力が最低レベルであったとまでは認めることはできない」として、原告らが低賃金しか受けられないのは、その労働能力が劣悪であるからとの、この手の訴訟での会社側のお決まりの反論を原告全員について一蹴しました。
 会社側に、原告らが能力的に劣ることの立証責任を課すに止まらず、最低レベルの能力しか有していなかったことの立証責任を課した点は、この判決の一番の長所だと思うのですが、この判示を引き出すについては、会社側の確固たる反共意思と原告ら共産党員が例外なく同期同学歴者の中で最低のランクの賃金しか受けえていないことを証拠上、明白にし得たことが大きかったと思われます。

 また、原告らは、昇給昇格差別だけでなく、第四クラフトという隔離職場の違法性をも正面から問いたいとの強い希望をもっておりましたが、判決は、第四クラフトについても、設置の必要性は否定し得ないとしても、原告らを配転する高度の業務上の必要性は認め難いだけでなく、職場における共産党員の比率が極めて高く、そこでは、呼び捨てといった「特殊」な行為、退職の挨拶をさせない等の「差別的ともいえる取扱い」があったことからすると、高炉休止に対する反対運動を鎮静化させ、高炉休止をスムーズに実現するために、「広畑製鐵所は、共産党員である原告らを第四クラフトに配転することにより、他の従業員から隔離したものというべきである」と判示し、第四クラフトへの隔離も慰謝料算定に際して斟酌しており、この点においても原告らの思いを正面から受け止めてくれたものとなっています。

 以上のように判決は、昇給差別、第四クラフトへの隔離がいずれも違法な会社の反共労務政策に基づくものであるとして、総額一五四〇万円の賠償を会社に命じ、原告五名全員を救済しました。
 慰謝料自体の額は低いものではないと思われるのですが、判決の最大の問題点は、昇格差別を否定し、多くの者が主事に昇格している同期同学歴者の平均賃金との差額を損害とすることはできないとして、差額賃金相当額の損害を認めなかったことです。
 確かに、原告らには主事昇格のための試験を受けていないという弱点があったことは否定できないのですが、判決も原告ら共産党員が同期同学歴者と比較して例外なく最低ランクの賃金しか受けえていないこと、共産党員で主事に昇格できた者は誰もいないことは認めているところ、新日鐵を初めとする多くの企業が採用する日常の査定と資格がリンクする給与体系において、著しい低賃金が日常の低査定とともに昇格の据え置きによって招来されるものであることは言うまでもありません。本件においても原告ら共産党員は主事昇格の試験を受けなかったのではなく、その不公正、不公平、不合理な仕組みによって、試験を受けることができなかったとの判断をすることこそが正鵠を得た判断で、昇格差別も当然に認められるべきであったと考えられます。

 判決後の、会社は控訴せずに、解決のために交渉のテーブルに着けとの弁護団・争議団の声明にまったく耳を傾けることなく、会社は大阪高裁へ控訴したため、これを受けて原告らも控訴しました。闘いの舞台は大阪高裁へと移ることになりましたが、昇格差別をも認めさせ、一審判決を更に前進させた解決を目指して、原告団、弁護団、支援団体が一体となって今後も奮闘する決意です。



反WTO二〇〇四・六ソウル行動

東京支部  松 島  暁

一 本家・本元・元祖・老舗を訪ねて

 六月一二日から一五日まで、ソウルにおいて反WTOソウル行動が行われた。私は、次長で大阪支部の杉島さん夫妻、東京支部の笹本さんたちとその一部に参加してきた。
 反WTOソウル行動は、世界社会フォーラム(WSF)東アジア会議の一環として提起された。アジアの政治経済上の「エリート」達を集めて世界経済フォーラム(WEF)東アジア会議が、一三日からソウルの新羅ホテルで開催され、それに対抗して企画されたのが、「もう一つの世界は可能だ」をスローガンにしたWSF東アジア会議である。(WSFの内容や活動については、http://nvc.halsnet.com/jhattori/wsf/を見て下さい。)
 同時に、六月一三日という日は、京畿道道揚州郡廣積面孝村里で、この村に住む二人の女子中学生シン・ヒョスンさんとシム・ミソンさんが、米軍工兵隊所属の軌道車両に轢かれて死亡した日である。(ちなみに、六月一五日は金大中と金正日との歴史的南北首脳会議の日でもある。)
 私は、前夜一二日の追悼式から翌日の大衆行動(集会とデモ)に参加することを目的に、加えて、団が企画した二・五ピースキャンドルナイトで取り上げた「キャンドル」の本家・本元・元祖・老舗は韓国なので、「本場」のキャンドルはどんなものかしらんという興味も加わってソウルを訪ねた。

二 音楽にあふれた集会

 六時二〇分頃、地下鉄光化門駅を降り会場に近づくと、聞き慣れた音楽が聞こえてくる。「ベートーヴェンだったっけ?ブラームス?」老化現象からかすぐには思い出せない。「そうだ、今日は二人女子中学生追悼の集まりだった」ということに思いが至ってようやく判明。シューベルトの弦楽四重奏曲『死と乙女』だった。ちょうど終わり頃、四人の奏者が息を合わせてプレストで一気にフィナーレまで突き進むあたりで会場に着いたわけだ。大衆集会で弦楽四重奏を聴こうとは思わなかった。
 集会は、六車線の片側二車線を封鎖し、大型トラックの荷台をステージに、歩道側の一車線、歩道、歩道脇の空き地に参加者が思い思いに陣取り開かれた。
 進行は、演説と音楽・出し物が交互に出てくる。演説はもちろんハングルなので何を言っているのか全く私には理解できない。が、全く飽きない。弦楽カルテットの他にも女性歌手の独唱、パンフルートの三重奏、詩の朗読、女子大生と思われるグループの踊り、アブグレイブでの収容者虐待のパフォーマンス等々。だいたい日本の集会ではどこかの団体のお偉いさんの型どおりの演説を長々と聞かされるので、私の場合は途中で隅の方に避難して煙草を吸いながら悪態をつくのだが、ソウルの集会は音楽に満ち溢れていて楽しい!しかもその水準が高い。政治的メッセージが先行して音楽的には聞くに堪えない某日本の団体とは違い、音楽として楽しめるのだ(二・五のゴスペルも私は楽しめました)。
 集会の後半、十数人の女子大生風のグループが荷台の上で踊り始めると、若い集会参加者もあちこちで踊り始める。どうもこのての集会では定番曲のようで、個人的にはその際の音楽がとても気に入り、日本に帰ってから調べたところ、『巌のように(パウィチョロム)作詞作曲 ユイニョク』という曲であることがわかった。歌詞は、「大地に深く根差したあの巌は力強く立っている/ぼくたちみんな絶望に屈せず/試練の中で自分を目覚めさせていけば/最後にやってくる解放世界の礎になる/巌のように生きよう」という内容で、少々堅いのだが、曲自体は軽やかで、日本の運動でもこんな音楽があったらなぁという思いを強くした(韓国には「民衆歌謡」という分野があるらしく、『巌のように』を含む数曲がhttp://www.labornetjp.org/worldnews/korea/misc/gayoで聞くことができます。興味のある方はアクセス、ダウンロードされてみてはいかがですか)。

三 キャンドルは団結の力

 集会には、労働組合と思われる集団の他、一〇〜二〇人ほどのグループが三々五々集まってきており、様々な集団、組織が結集していた。会場の脇では高校生らしきグループがラジカセに合わせて踊っていたり、バッチを売ったりビラをまいたり、てんでバラバラのようで全体として統一のとれた集会だ(次長の瀬野さんの表現を借りれば「おでん」のような集会・組織ということになろうか。タマゴ、はんぺん、ちくわ等々ネタの個性を失わず、でも「おでん」として統一された集会という意味)。
 本場のキャンドルであるが、キャンドル本体は、二・五集会で使ったものとほぼ同じ、紙コップのサイズは小ぶりで自動販売機のコーヒーカップサイズ(二・五の場合、風で消えないようにとやや大きめのカップだったけれど、静止した集会では小さくても大丈夫のようでした)。
 そのキャンドルを音楽に合わせ一斉に振る光景は圧巻である。やはり来てよかったと思う。パク・ギョンスン氏は、先の韓国総選挙について、「二〇〇四年のキャンドルの力は団結の力だ。キャンドルは団結の求心だったし象徴だった。それは今回の勝利の最大の原動力だった」と総括している。かつて社会主義運動や労働運動には「インターナショナル」や「赤旗」が存在した。もはやそれを軸に団結することはできない。ならばそれに代わる「象徴」を僕ら自身が創り出さなければならない。揺れるキャンドルを見ながら、「巌のように」を聞きながらそう思った。

四 大学路から新羅ホテルへ

 翌日の大学路の大通りは色とりどりの人々であふれていた。進行は前夜同様、演説と音楽が交互に繰り返される。特徴は農民の代表らしき人が演壇に立ったことである。WTOによってもっとも被害を受けている農民が集会の主役の一人である。日本の集会と違うところだ。WTO KILLS FARMERS という幟旗も見られた。
 デモは新羅ホテルまでの約三キロをほぼ道路いっぱいを使って行進する。トラックの荷台には背丈ほどの高さの大型スピーカーが二台、後ろ向きに据え付けてあって、若い女性がそこから身を乗り出すようにして演説やシュプレヒコールを繰り返していた。その脇を歩いていた時、歩道にいた小学生くらいの二人の子どもが、参加者とともに唱和していた。何とも微笑ましく、集会やデモがある種の文化として定着していると思われた。
 新羅ホテルの入り口は、放水塔を備えた機動隊のバスと盾を持った警察官によって完全に遮断されており、もちろん新羅ホテルに押しかけることはできなかったが、機動隊のバスの前に大型トラックが置かれその荷台をステージとした集会が引き続き行われた。
 参加者の締めている鉢巻きは、赤と青のリバーシブルで結構長さがあって襷としても使え、しかもしっかりと縁取りもされていた。団の腕章が貧相に思えてしまった。
 夕刻に民弁との打ち合わせが予定されていたため、五時過ぎには新羅ホテル前を後にしたが、運動というものを考えるとてもよい機会だったと思う。