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則武透 解同・県学事文書課の教育介入を断罪!ー寒川高校解雇事件高松地裁判決
井上正信 安保防衛懇談会報告書を読むー安保再々定義ー
宮崎定邦 改憲阻止運動『七十歳以上の団員の出番!』
白石光征 永尾団員の「大川真郎前日弁連事務総長の話を聞いて」を読んで
渡辺脩 永尾さん考え直してください 中野さんは頑張ってください(下)
城塚健之 斎藤貴男さんのポケットから
中野直樹 書評「岩魚釣りの旅礼賛」(文芸社) 二つの源流に心のやすらぎを求めて
村田智子 事務所・支部単位で、一一・六教育全国集会にご協力を! 教育基本法改悪阻止対策本部




解同・県学事文書課の教育介入を断罪!

   ー寒川高校解雇事件高松地裁判決

岡山支部  則 武  透

1、さる一〇月六日、高松地裁において、解同香川県連及び香川県学事文書課による前近代的な教育介入を原因とする私立学校教諭の解雇を無効とする画期的な判決が下された。

2、解雇事件のきっかけとなった解同による教育介入は、〇一年五月に学園、学事文書課、解同香川県連に各々なされたという「匿名電話」に始まった。この匿名電話は小野教諭の担当する社会科の授業で差別発言があったと決めつけるものであった。さらに、同年六月には「匿名投書」なるものが問題とされたが、これは同和地区出身の体育講師が起こした体罰事件を学園がもみ消しにしようとしていたことに対し、小野教諭が事実関係を明らかにし同種事件の再発を防止すべきだと主張したことが「差別発言」だとするものであった。こうして、同年七月には解同の主催する確認会への教員全員に対する参加強要へと発展した。その後も、学園の「小野差別発言問題」への対応が生ぬるいと決めつけた解同は、二度にわたり学園前や丸亀市内などでの街宣車やビラによる宣伝攻撃を行い、最終的に小野教諭らを解雇に追い込もうとした。

3、一方、香川県学事文書課は、こうした解同の動きをバックアップし、学園に対し、解同の主催する確認会へ小野教諭らを出席させるように、行政指導の形で一貫して圧力を掛け続けた。その後、学園の紛糾を改善するために学事文書課が乗り出したが、その紛争を収拾するために出した紛争収拾案の中で、学園理事の総入れ替えを行うと共に、「問題の二名の教員については、早い段階でしかるべき対応を図るものとする。」と小野教諭らの解雇を示唆するに至った。学園は、この学事文書課の紛争収拾案を全面的に受け入れる形で、新たな構成による理事会を開催し、小野教諭の解雇を内部決定した。

4、こうした状況の下で、小野教諭は解同主催の確認会への出席強要禁止を求める仮処分を申し立てるなどして、抵抗を試みた。しかし、同仮処分が弁護士の助力のない本人訴訟であったことなどが災いして、〇二年一月、高松地裁丸亀支部は残念なことに小野教諭の仮処分申請を退けた。その一〇日後に、満を持した学園は小野教諭らを解雇した。学園は本件解雇により、解同の介入に批判的で学園の自主性と適切な運営を求めていた小野教諭らを学園から排除し、紛争の収拾を図らんとしたのであった。

5、解雇直後の〇二年一月、香川県の藤井学園寒川高校の小野真史教諭ら二名が不当解雇されたとの相談を受けた。私自身、子どもの頃に八鹿高校事件などの新聞記事は読んだ記憶はあったが、二一世紀となった今日でもこのような時代錯誤の解同による教育介入や、それを容認する教育行政が香川県では罷り通っていることを知り、驚きを禁じ得なかった。これまで、解同関係の事件を担当した経験が全くなかった私は、解同問題に詳しい大阪の石川元也弁護士、伊賀興一弁護士、福山の服部融憲弁護士、林隆義弁護士、そして地元香川(現在は東京)の塙悟弁護士に呼びかけ、強力な弁護団が結成された。その後、直ちに地位保全・賃金仮払いの仮処分の申立が行われ、〇二年一二月には、小野教諭の解雇を無効とする仮処分決定が下された。さらに、〇三年二月には地位確認・賃金請求の本訴の提起が行われ、このたび、高松地裁において、同本訴の判決が下されるに至ったのである。

6、今回の判決の主なポイントは以下の三点である。

 第一に、判決は真正面から解同の教育介入の不当性を断罪した。判決は解同の確認会が地対協で問題視され、法務省でも出席すべきではないと指導されていたことを前提に、「本件解雇に対し、解放同盟香川県連の思惑が少なくとも間接的に介入したものといわざるを得ないから、本件解雇の有効性を判断するにあたっては、当該影響についても考慮されなければならない」と明快に述べている。この点は、同じく小野教諭が勝訴したとはいえ、先行の仮処分では解同の教育介入に対する判断が回避されていたことと対照的である。

 第二に、判決は「被告に対し強く働きかけることのできる立場にある学事文書課をはじめとする関係行政機関も、このような被告の方針(解同の介入を排除しない方針)に異を唱えることなく、むしろ解同香川県連が介入するのを容認」、「被告を監督、指導すべき立場にある学事文書課をはじめ香川県の関係部署の職員らも、上記法務省の指導に従わず、いわゆる差別発言事件に関し、解放同盟香川県連が主催しあるいは解放同盟香川県連の関係者の参加が予定されている確認会であることを認識しながら、自らそれに出席し、あるいは原告に対し出席を要請」したなどと、香川県学事文書課が果たした負の役割についても論及している。

 第三に、以上のことを前提にすると、学園が小野教諭の解雇を決定した賞罰委員会の判断は「被告が解同香川県連の影響下にあったという事情も踏まえれば、同委員会における判断は、必ずしも公平になされたものとはいい難い」とし、他に学園が形式的に解雇理由として掲げたものはいずれも解雇の理由とはならず、結論として本件解雇には合理性が認められないと判示した。

7、三〇数年継続した同和対策事業が一昨年をもって終了したことに見られるように、今日、同和問題は基本的に解決の方向に向かっている。それは同和関係者を特別扱いすることは必ずしも部落問題を解決する上で適切ではないことを示すものである。こうした時代の流れに逆行する香川県の同和行政、解同による教育介入を許さないためにも、小野解雇事件で最終的に勝利することが求められている。現時点では、学園が控訴するか否かは不明であるが、今後とも、多くの皆さんのご支援を切にお願いする次第である。


安保防衛懇談会報告書を読む

 ー安保再々定義ー

         広島支部  井 上 正 信

 一〇月四日首相の私的諮問機関である「安全保障と防衛力に関する懇談会」の報告書が提出された。典型的な官僚文書であるため、国民にはその重大な内容が理解しにくいものになっている。しかし一一月にも策定されようとしている新防衛計画大綱とセットになり我が国のこれからの安保防衛政策の行方を決定付けるものである。

 一読した印象として、ブッシュ政権の国家安全保障戦略を下敷きにした内容である。「不安定の弧」などとブッシュ政権での最初の「四年ごとの国防見直し(QDR 二〇〇一・九・三〇)」に出てくる言葉をそのまま使うなど、模範答案をカンニングしたような内容である。それだけ我が国が目指そうとする安全保障戦略が、米国にべったり寄り添うものになろうとしているということであろう。

 官僚文書である報告書は、九月一五日まとめられた論点整理と併せて読むとその含意はより明確になる。報告書の中身をわかりやすくするためのネーミングとして「安保再々定義」を提案したい。なぜ「安保再々定義」か。報告書を報じた一〇月五日の朝日新聞の一面見出しが「安保再定義」であった。「安保再定義」は九七年九月に策定された「新ガイドライン」を呼称するネーミングである。これは九〇年代に米国が取り組んだ世界的な同盟の再定義(NATO同盟は九九年五月「新戦略概念」で完了した)の一環であった。しかし、新ガイドラインとそれを実行するための周辺事態法に米国はいたく不満があった。日米安保再定義は失敗したという議論が当時から出ていた。最大の原因が集団的自衛権を巡る憲法問題であった。二〇〇〇年一〇月米国防大学国家戦略研究所対日レポート(通称アーミテージレポート)が、当時接戦を戦っていた民主ゴア・共和ブッシュ両大統領候補のどちらが勝利しても新しい政権が取るべき対日政策提言として作成された。この内容は安保再定義を乗り越えた新しい日米同盟の提案であった。レポートは安保共同宣言後の安保再定義に強い不満を述べ(冷戦後の同盟漂流)、新ガイドラインを越える日米の防衛計画が必要とし、その障害である集団的自衛権の行使禁止の制約を取り払う必要性を強調して、憲法改悪を示唆している。その後今日までの動きはレポートの内容を着実に実行していることが理解できる。同じ頃「新日米同盟プロジェクト」という研究会が日米の安全保障問題の専門家により行われていた。その副題「ガイドラインを越えて」ということに意図が象徴されている。つまり、安保再定義以降日米の支配層の間では、我が国が集団的自衛権を行使し有事法制を作り憲法を改悪するという「安保再々定義」のプロセスが進行していたのである。「安保再定義」を表す政治的文書は、「安保共同宣言(九六・四)」「新防衛計画大綱(九五・一一)」「新ガイドライン(九七・九)」である。報告書が「新たな『日米共同宣言』や新たな『日米防衛協力の指針』を策定すべき」と述べているのはそのことを示している。憲法改悪を最終段階とする安保再々定義のプロセスの完成を目指す内容がこの報告書である。報告書は「付言」として憲法問題を「更に検討を進めるべき課題」としていることは当然の帰結である。集団的自衛権に関して報告書はいろんな議論があったことを示しながら、「現憲法の枠内でどこまで許容されるかを明らかにするよう議論を深め、早期に整理すべき」と述べている。報告書の示した安全保障戦略は集団的自衛権行使を前提にしていると思われ、「議論を深め、早期に整理」とは、現憲法で可能なことや改憲を前提にすることなどを「早期に整理」するという意味である。

 次に報告書の内容を検討する。今後の安保防衛政策を形成する上で重要な点は三つである。第一は「国際的安全保障環境の改善」を安全保障戦略の柱にしたことである。これは論点整理でイラクやアラビア海への自衛隊派遣を国際貢献ではなく日本の防衛と同じ位置づけ、国際的な安全が日本の国益とした点である。これまで我が国の国益の範囲は、我が国周辺地域(周辺事態法、新防衛計画大綱)、アジア太平洋地域(安保共同宣言)であった。それ以外の自衛隊海外派遣は国際貢献としか説明してこなかった。イラク派兵について、小泉は日米同盟の維持は我が国防衛の基本(国益)であり、そのためにイラク戦争を支持し、自衛隊を派兵するという持って回った議論を打ち出した。報告書はストレートに我が国の国益と位置づけるのである。この違いは大きい。我が国の防衛と同じ位置づけとするなら、海外派兵は必然的に自衛隊の本務であり、任務遂行のためには武力行使もするということになるからである。報告書は、自衛隊の国際平和協力の本務化とそのための自衛隊法改正を提案しているのである。

 次に重要な点は、日本が米国と共に軍事面で「国際社会での脅威の発生そのものを予防する機能を高めつつあ」り、日米間の戦略対話を積極的に行い両国の役割分担を明確にし、より効果的な日米協力の枠組みを形成すべきとしている点である。論点整理では「我が国の防衛と周辺地域のみならず、世界のなかでの脅威の予防を行うことが必要」とのべている。ブッシュ戦略の先制的武力行使を地球規模で日米でやろうというのである。懇談会には財界の重鎮二名(座長・荒木浩・東電顧問、張富士夫・トヨタ自動車社長)が入り、報告書には財界の本音がズバリ出ている。「世界の様々な地域での脅威の発生確率を低下させ、在外法人・企業を含め日本に脅威が及ばないようにする」ことが安全保障戦略の二つの大きな目標の一つと述べている。これは憲法改悪のねらいでもある。

 三つ目は、緊急事態で首相に国家権力を集中する国家体制を提案している点である。既に国民保護法制や安全保障会議設置法などの有事法制でかなりの部分が法制化されているが、一層強化しようというものである。これを政策課題の最初に上げている。

 報告書は一一月には策定予定とされている新防衛計画大綱に盛り込まれるであろうが、それにとどまらず憲法を改悪した後の我が国の安全保障戦略とそれに必要な国家体制を目指すものである。報告書は憲法改悪のねらいを示すものとして、反対運動を進める上で批判的な分析が必要であろう。


改憲阻止運動『七十歳以上の団員の出番!』

熊本県支部  宮  崎  定  邦

長崎原爆のキノコ雲を私はこの天草で見た。

 一九四五年八月九日、その日十歳の私は持病の小児喘息を患って現在と同じ住居の二階で一人臥せっていた。

 うつらうつらしていたところ、突然ドーンと大きな音がしてガラス窓がビリビリと震えて鳴った。びっくりして四方を伺ったが、続いて直ぐには何ごとも起こらなかった。しかし、程なく北側の窓から青空に黒いキノコ雲が立ち昇るのが見えた。現在写真で見られるとおりのものである。

 当時周りでは落下傘爆弾が長崎に落ちたらしいと噂された。

数日を経て、母が長崎出身なので、その実家から母の身内の多くが原爆で亡くなったとの連絡が入った。

 敗戦になってから、父母兄弟そろって天草から長崎の茂木港に渡り、猛暑のなかを歩いて母の実家のあった長崎市内に入った。

 以前に見た街はなく一面瓦礫だらけで、その中にポツンと伯父(母の長兄で、原爆投下時に偶々県外に出かけていて無事だった)が小さな掘立小屋を建てて住まい、原爆症で頭髪が抜けている叔母を看病していた。

 このとき他に記憶しているのは、伯父が小屋のそばに据えたドラム缶で風呂を焚いて歓待してくれたことだけである。

この十月二、三日団九州ブロック総会が熊本で開催された。三十数名の参加で多少淋しかったが、坂本修団長の「切迫した改憲の濁流≠ノ抗しー今、自由法曹団の活動を考える」と題した講演を得て、総会の大半で、改憲阻止運動につき、情勢が討議され、従来の取り組みが報告され、今後の団及び団員が理論、宣伝、組織の全てにおいてどのように全力を尽くすか、が熱っぽく話し合われた。

 そのなかで『七十歳以上の団員の出番!』という、今後の取り組みについての一つの方針?がでた。どうしてか。

 改憲要求の中心が九条にあることは明白であり、改正されると日本が再び「戦争をする国」になることは必至であり、そうなると、殺し殺されるだけでなく、自由も民主主義も、さらには生活も悲惨な状態に陥ることになる。

 憲法九条のあるなしによる明暗を示す、そのために戦争の被害体験を語る(坂本団長は、直接戦闘には参加していないものの、兄二人の戦争に起因する非業の病死を紹介された)ことは説得力を増す、大いに語ろう、そして、期せずして「(戦争を知る)七十歳以上の団員の出番だ!」ということになったわけである。

日本国憲法は、十五年間にわたる侵略戦争によって近隣諸国に多大の被害を及ぼし且つみずからも悲惨な体験をした日本国民の平和への願いと決意から制定されたものである。

 これまでも私の幼い経験(「長崎原爆のキノコ雲」以外にもいくつかの悲しく苦しい思い出がある)も交えつつこの憲法誕生のいきさつを話してきた。

 年老いた人たちはそうだそうだと頷いてくれたし、戦争を知らない人たちはそんなことがあったのかと聞き入ってくれた。

 「九条の会」の大江健三郎氏は、憲法が自分の文学と生活の根本になってきたと語るなかで、憲法制定前の最大限尊重さるべき個人が押しつぶされてきた経験などを話しつつ、憲法を後世に伝えようと訴えている。

 大江氏と同年齢の私も全く同感であり、憲法の下で育った経験も併せて話しながら、憲法を護り育てることを訴えていきたい。

 七十歳までまだ一年余りあるが、四捨五入して「七十歳以上の団員」の一人として私も微力を尽くしたいと考えている。


永尾団員の「大川真郎前日弁連事務総長の話を聞いて」を読んで

        東京支部   白 石 光 征

 団通信は毎号よく見る。自分の属している日本国際法律家協会の機関誌よりもよく眼を通すぐらいだ。その中には何でこんなものを団通信に長々と載せるのだ(紙面の無駄使いだ)と思うのもあれば、論旨には必ずしも賛成できないものもある。筆忠実な人ならすぐ反論や感想などを投稿するのであろうが、私は面倒臭さが先に立って一文を寄せることはしてこなかった。

 しかし、一〇月一日号の永尾廣久団員の標題の「論考」については、どうしても一言言わねば気がすまない衝動を覚えた。ここでは特にその中の「在野性」についてだけ述べる(その他の部分については賛成という意味ではない)。

 永尾団員は、まず、「今、自由法曹団員が国会議員になり、裁判官になっていこうというときに、在野性の保持をあまりに強調しすぎるのはいかがなものか」と言う。団員が国会議員(ここでは民主党=保守政党の国会議員のことを指しているようだ)になったり任官したりすることがあるからといって、なぜ、団が在野性を希薄にしていいのか。全く理解できない。それは、権力にすり寄ることにつながるのではないか。永尾団員はまた、「国家権力の枢要部を占めている警察を『コントロールできる』公安委員会に団員が入っていくことは推奨すべきことであ」る、「むしろそれを目ざすべきではないか」とも言う。

 かく言う永尾団員の念頭には、前提として、現在の国及び地方の公安委員会が警察法の定めるとおり警察を「コントロールできる」状況にあるとの認識、また、現在の国家権力が自由法曹団員を国又は地方の公安委員会に迎え入れる可能性があるとの認識があるとしか考えられないが、この前提認識自体あまりにも根拠がなく何とも甘すぎると言わざるを得ない。現実に即して考えれば今の政治的経済的社会的体制の下で(すなわち「平和で独立した民主日本」(団規約二条)が実現していない段階で)、警察権力の中枢そのものといっていい公安委員会に団員を送り込もうなどと言うのは、民主勢力を弾圧する側に団員を送り込むことにほかならず、あまりにも突拍子もない発想であり、論外である。

 また、「在野性というのは、『常に多くの国民や大衆の視点を忘れないというようなふわっとした心構えのようなものだ(藤尾順司団員の言葉)』という指摘には同感だ」とある。「多くの国民や大衆の視点を忘れない」のはそのとおりだとして、「ふわっとした心構え」とはなんとも心もとない。そんなふうにふにゃふにゃでいいのだろうか。団に期待している人たち、団を頼りにしている人たちからは、「もっとしっかりして下さい」と言われるであろう。

 自由法曹団が「在野性の保持をあまり強調しすぎるのはいかがなものかと思う」永尾団員は、日弁連についてはもっとゆるやかになり、「ましてや日弁連という団体は、果たして在野性をその団体を特徴づけるキーワードたりうるのだろうか、と考え直している」と言う。「考え直し」た結果、「在野性は日弁連を特徴づけるキーワードたりえない」と言いたいようである。ということは、日弁連は在朝勢力の一員という位置づけになるのであろう。これも驚きである。日弁連に在朝性の側面が全くないかといえばそうではないかもしれない。しかし、本質的、本来的には、在野勢力である。少なくとも司法の分野で、全般的かつ日常的に国民の立場で在朝勢力に物を言うことができるのは日弁連しかない。日弁連の存立基盤はそこにこそある。

 司法制度改革推進本部や各種審議会に弁護士を日常的に派遣していることが「現実」だからといって、なぜそれが「官と対比される意味で『在野性』を強調して何が得られるのだろうか」という議論になるのだろうか。そういったところに派遣される弁護士も日弁連を代表しているのである。官に弁護士を派遣しているからといって、日弁連が在野性を捨てなければならない理由は一つもない。「在野性を強調して何が得られるのだろうか」との議論は、裏を返せば、国民の立場から物を言うことをやめて官に同調した方が得るものがあるというに等しい(あるいはこのあたりに永尾団員の真意があるのかもしれない)。一連の司法改革の中でも、日弁連が在野性を発揮して行動したからこそ国民の利益の方向で勝ち得た成果もあったのではなかろうか。

 永尾団員はまた、「日弁連として共通(最大公約数)のキーワードは社会正義そして平和の実現と基本的人権の擁護ということなのではなかろうか…」とも言う。そう、まさに社会正義、平和、基本的人権の擁護という弁護士の使命達成のため、在野性こそがその組織体である日弁連に要求されるのである。なぜなら、今それらを阻んでいるのが日本及び世界の支配勢力にほかならないからである。

 永尾団員とて日弁連にそれらのことを求めるなら、在野性抜きには語れないはずである。

 概して、永尾団員の意見は、現在の権力や抑圧勢力の前に立ちはだかり、これらから頑として国民の権利利益と平和を守るべく存在している自由法曹団や日弁連を何か骨抜きにするような(大政翼賛的に変質させるような、と言っては言いすぎか)議論に思えてしょうがない。

 永尾団員の意見は間違っている、というのが私の意見である。

 論旨の取り違い、失礼の段がありましたらご海容の程。

(一〇月五日記)


永尾さん考え直してください 

中野さんは頑張ってください(下)

      東京支部  渡 辺  脩

四、会内合意形成

 この「司法支援組織」の問題について、私は、「法律扶助協会」の事務局長として永らく活動してきた永盛敦郎さんに、「どうして、法律扶助協会が担うという方針を出さなかったのか」と聞いたことがある。「大勢に抗すべくもなく、言っても無駄と思った」という答えであった。「シラけていては戦(いくさ)にならないよ」と私は言ったが、散々苦労を積み重ねてきた永盛さんに強いことを言う気にはならなかった。しかし、どうして大勢がそうなったのかはよく考えておく必要がある。

 日弁連の「刑法全面『改正』阻止」の実行運動は三〇年前にスタートしたのだが、その作戦参謀・切込隊長であった私は、終始、「地方会の力で東京を包囲する」という運動方針を堅持した。

 東京は、刑事弁護を引き受けない弁護士と弁護士会活動に参加しないで済んでいる弁護士が圧倒的に多い。つまり、「まともな弁護士会」とは言えないのであって、私の持論である。

 いずれの参加率も高い地方会の方が、地域社会・政党と国会議員・マスコミ・市民各層に対する影響力がはるかに強いのである。

 東京中心と執行部中心の日弁連活動の打破が焦眉の急であった。

 すべての問題は単位会の討議におろされ、各地の状況と情報はいち早く日弁連に集約された。それを日弁連が全国に伝えるわけだから、会員は、日弁連の考え方や方針をよく知ることができたし、日弁連宛の意見も活発に提起され、具体的な活動面では、各地弁護士会の主体的な活動が強められ、「日弁連待ち、中央待ち」という状況は生まれなかったのである。

 その活動方針は、「弁護人抜き裁判特例法案」や「国家秘密法案」反対運動などでも貫徹されて、大きな成果を収めた。

 このような日弁連活動の進め方は、格段に困難と見えた課題についても、会内合意と意思統一を力強く実現させたのであった。

 これに対し、日弁連の現状は、路線問題の衝突による分裂状態が激しく、会内合意形成の課題から見ると、最低の状況である。

 もともと、地方会のエネルギーを受け止め、その力を全国的に組織していく上で、東京・大阪など大単位会の活動家と日弁連中枢の責任は重大である。いくら地方会に力があっても、それを集約・組織する軸がなければ、その力を発揮する体制にならないのだ。

 これらの歴史的な事実は、「日弁連五十年史」に記録されている。

 このような日弁連の会内合意の形成には、なかなか重要な意味が含まれていると、私は考えてきた。日弁連は、強制加入団体であるから、日本の社会に現存するあらゆる意識状態や価値観や意見が混在し、凝縮されている集団だ。したがって、日弁連が、「人権侵害反対・人権擁護」の一点で、会内合意を形成出来るのであれば、そのことは、その問題に関する広範な国民的運動を拡大して行ける可能性を大きく示すことになるからである。

 前記三法案に対する阻止闘争は、そのようにして着火され、拡大されて行ったのである。国会対策も活発だったが、それは運動の一環であり、一部幹部によるロビー活動などという小手先の話とは別物であった。このような戦い方は、私にとって、「大衆的裁判闘争」における認識の理論を弁護士会活動に適用したものであったが、この問題の説明は他の機会に譲る。

 今回の「司法改革」問題こそは、そういう日弁連活動を最も必要とした課題だったのではないか。中野さんの嘆き節はもっともだ。 「東京中心」の「執行部中心」の運営で、会員から遊離すると、日弁連には、本当の智慧も力も湧いてこないのだ。

 今、日弁連では、刑事法制委員会が、「心神喪失者等医療観察法」の適正な実施に向けて準備を進めている(日弁連は反対してきたが、法律成立で対応を準備中。批判方針は堅持)が、「指定医療機関」を県下に抱える佐賀県弁護士会では、「ローカル・ルールを作っていこう」という意気込みであり、永尾さん所属の福岡県弁護士会でも研究が進み、九弁連全体での体制作り(福岡県弁の高木茂日弁連・刑事法制委副委員長が責任者。高木さんは、日弁連活動三〇年来の私の盟友である)も出来ている。私は、「ぜひ、ローカル・ルールで東京に攻めのぼってほしい」と励ましている。

五、法律家の責務

 私の議論は、以上のような事実と思考を前提としている。

 それは、ありのままを論じたものであって、「ふた昔前にはそれなりに通用した打撃的批判用語」(永尾弁明)を使った憶えはない。

 私は、「麻原裁判」を今日の刑事司法の最先端の現場と位置づけていて、その立場から、刑事司法の現状と「司法改革」に対する批判の報告を続けているが、その観点から使っている用語でもある。

 そして、私の言い方による私の報告は、今、学生や司法修習生たちにも非常によく理解され、実に新鮮な反応が生まれていることを喜んでいる。今、若者たちは、真の問題の所在と本気の声を聴きたがっていることを、私は、痛感している。人生の先輩たちの現状は、そういう若者たちの欲求に応えていると言えるのだろうか。

 ありのままに眺めると、権力の動向を研究せず、自らの戦いの歴史を踏まえようともしないまま、会内意見分裂の状態で進んだ日弁連が、根本方針を誤り、戦いに敗れたことには必然性があると思う。

 その事実を直視することから再スタートしないと、日弁連が、国民のための司法の担い手になることは不可能ではないのか。

 誤りがあれば正すしかない。戦いに敗れたら、この次に勝つことを求めるのだ。では、どうしたら、勝ったことになるのか。

 今回の「司法改革」は、司法の分野だけに止まる問題ではなく、広範な国民の社会的な意識に大きな変化をもたらしているのではないだろうか。それは、「社会的な危険の防止」を優先させ、「人権保障原理」を大きく崩していくイデオロギーとして機能しているのではないか(「法律時報」本年八月号・金尚均「刑法の変容とオウム裁判ー危険と刑法」等。「ソーシャルコントロールの原理」)。

 それは、「ファッシズム」の合理化であり、「ファッシズム」を受け容れる国民意識を醸成する作用を果たしているのではないか。

 今回の「司法改革」は、多少の社会的な進歩要因と見える要素をも含んでいるので、国民を欺く誘因も強く、厄介ではある。

 いずれは、USAの「愛国者法」に到達する流れであろう。

 その過程で、権力批判の立脚点を失って「在野性」を「古臭い」と嘲笑し、「真実義務」等も安易に容認しながら、「マニュアル主義」に堕落する傾向も強まり、弁護士の意識状態も大きく崩壊していくだろう。弁護士の大量生産が、これに拍車をかけ、早晩、「弁護士自治」を維持出来なくなるだろう。今の日弁連は、そのコースをたどっているのではないか。団にも、その自覚が必要だ。

 法律家は、他の専門分野と連携しながら、その全容と危険の解明を責務とするべきである。その全貌を明らかにして、広範な平和と民主主義の戦いを展開していかない限り、「刑訴法大改悪」も「法律支援センター」も改正・改善して行くことはできないだろう。

 私の刑事訴訟手続に関する問題提起も、その一環に他ならない。

 このような大きな課題の前で、永尾さんにはぜひ考え直してもらいし、中野さんにはますます元気に頑張ってもらいたい。

 日弁連の立場から見ると、団は、全国的な弁護士の横断組織として、弁護士会活動に最も強い影響力を与え得る最大の団体である。

 団は、もっと、各地弁護士会の民主的な活動をサポートするための方針と政策と体制を早急に固めるべきではないのか。


斎藤貴男さんのポケットから

大阪支部  城 塚 健 之

 朝日新聞の日曜日の読書欄に「斎藤貴男さん(ジャーナリスト)のポケットから」というコーナーがある(このコーナーは「○○さん」が週替わりで登場する)。斎藤貴男氏といえば、「機会不平等」(文春文庫、二〇〇四年)や、「安心のファシズムー支配されたがる人びと」(岩波新書、二〇〇四年)などといった著作を通じて、たとえば優性主義を臆面もなく口にする江崎玲於奈(教育改革国民会議座長)に象徴される新自由主義の不正義と不道徳を告発し、あるいは人びとが、「安心」や「癒し」を求めて弱者をいたぶり(たとえばイラク人質の三人がバッシングの対象となったのは、あの三人が「女子ども」で与しやすしとみられたからではないのか、など)、監視・治安強化社会を求めるという病理現象を徹底的に追及している。彼こそは「民衆のジャーナリスト」と呼ぶにふさわしい。

 彼の著作を通じて学ぶべきものは多く(私も全部を読んでいるわけではないけれど)、団員のみなさんにお勧めしたいのであるが、そんな斎藤氏の推薦する本もまた、同様に、刺激的である。ここではこの夏に読んだ以下の二冊が面白かったので、ご紹介したい。

 一冊目は、関岡英之「拒否できない日本ーアメリカの日本改造が進んでいる」(文春新書、二〇〇四年)。これは、構造改革路線が、すべてアメリカ通商代表部の「年次改革要望書」に示されていたものであり、それが「日米構造協議」という「イニシアチブ」(アメリカの主導)により進行していることを、明らかにしたものである。今さらながらであるが、「司法改革」もまたその主要な柱である。

 関岡氏は、バブル時代に東京銀行に入行して、証券投資担当や北京駐在員などを努めた後、大学院で建築を学んだという、なかなか個性的な人物のようである。豊富な読書量をもとに、英語、英米法、フリードマンを中心とするシカゴ学派(新自由主義)経済学などと、いろんなジャンルから突っ込んでいて、その論旨のすべてに賛同できるわけではないけれど、本書を読んで初めて知り、考えさせられたことも多かった。それにしても独力で勉強してこうした論述ができるのには驚かされる。

 二冊目は、香山リカ「〈私〉の愛国心」(ちくま新書、二〇〇四年)。香山氏は、「リカちゃんコンプレックス」(ハヤカワ文庫、一九九四年)などで一躍名を馳せ、現在もマスコミでも活躍中の精神科医である(たしか、彼女はこのデビュー作でリカちゃん人形の名前をペンネームにしてしまったと記憶している)。本書は、イラク戦争、憲法改正、少年法犯罪、医療観察法などを題材に、日本とアメリカの社会の精神病理を解明しようと試みたものである。

 彼女の診断によれば、「テロにつくかアメリカにつくか」という究極の二元論を打ち出したブッシュに代表されるアメリカ社会は、自分以外のものを「大好き」か「大嫌い」かという両極端でしかとらえることができない、「境界例(ボーダーライン・パーソナリティ」(「人格障害」の一つ)に該当する。この患者は、何らかの刺激を与えられると「行動化(アクティング・アウト)」と呼ばれる、原因とはまったく無関係な破滅的行動を突然起こすという特徴があるという。

 これに対して、日本社会には、「身近な事柄だけにしか関心を持たず、そうでない事象に対しては「他人事感覚」で済ませる(たとえば、自衛隊がイラクへ行こうと、自分までが徴兵されることはないだろう)、自分が間違ってるかもしれないという可能性は考えもせず、ひたすら被害者意識で相手を攻撃する、「自分以外はみんなバカ」と決めつけることで、「自分はバカではない=『負け組』ではない」と自己確認する(だから養老孟司「バカの壁」(新潮新書、二〇〇三年)なんかがバカ売れしたりするのか)、などといった特徴があり、こうした一貫性や脈絡の喪失、「人格の断片化」は「解離」であるとする。

 彼女の診断は、私たちが憲法運動などを進めるなかで直面する「国民意識」をよく表現していると思われる。しかし、彼女は、病人(日本)が同じく病人(アメリカ)を治してあげようと思っても、それはまず成功するはずがないとして、せいぜい自分の意見が主観的であることを自覚せよ、というところで終わっていて、これではなかなか展望が見えてこない。

 ではどうすればよいのか。これは私だけでなく、おそらく多くの団員のみなさんが苦しんでいるところであろう。でも、斎藤氏の「安心のファシズム」で紹介されているフロムの言葉(『自由からの逃走』からの引用)はかみしめる必要があると思う。

 「一部のひとびとはなんら強力な抵抗をなすこともなく、しかしまたナチのイデオロギーや政治的実践の賛美者になることもなく、ナチ政権に屈服した。」

 「(これら労働者階級や自由主義的およびカトリック的なブルジョアジーの)ナチ政権にたいするこのような簡単な服従は、心理的には主として内的な疲労とあきらめの状態によるように思われる。」

 「われわれはどのような外的権威にも従属していないことや、われわれの思想や感情を自由に表現できることを誇りとしている。・・・しかし思想を表現する権利は、われわれが自分の思想をもつことができる場合においてだけ意味がある。」

 私たちは、みずからの「思想」をもっともっと豊かなものにしなければならない。それはきっと、出来合いのものの借用ではだめで、それぞれの深い「思索」に基づくものでなければならないだろう。そして、決して疲れ果てたり、あきらめたりしないことだ。


書評「岩魚釣りの旅礼賛」(文芸社)

二つの源流に心のやすらぎを求めて

東京支部  中 野 直 樹

一 若葉色に染まる渓の流れを基調にしたブックカバー、その左上に、見事釣り上げられ観念した尺岩魚をかかげて快心の笑顔の岡村親宜団員が写っている。岡村さんは、「労災・職業病・通勤災害」「過労死と労災補償」「過労死・過労自殺救済の理論と実務」など数多くの専門・実践の導き書を著してきた労働弁護士である。同時に岡村さんは、四〇歳を過ぎたときから、仕事一筋都会人生を大転換し、源流の岩魚にあこがれる旅人となり、以後二〇年、東北の山々を中心として踏跡を残してきている。そして岡村さんは実に筆が豊かで、この自分の人生の楽しみと生き甲斐を「岩魚釣りのある旅」(花伝社 一九九四年)、「岩魚庵閑談」(共著、つり人社、二〇〇〇年)で語り、そして、「私の源流の岩魚釣りの旅を集約した」ものとして、本書を発刊した。

 本書は、第一部「岩魚との出会い旅紀行」、第二部「わが人生と岩魚釣りの旅」からなる。

二 第一部では、秋田、岩手、福島、新潟、山梨、岐阜、福井、鳥取の岩魚との出会いが一二話に綴られている。岡村さんは修習二〇期であるが、同期に大森鋼三郎という人物がいる。大森さんは、本業や社会運動の傍ら、囲碁、ゴルフ、酒飲みなど多趣味な方である。大森さんは、四〇歳を前に大病を患い入院中に妻の大森典子団員から差し入れられた太田蘭三の推理小説「殺意の三面峡谷」を読み、イワナ釣りの魅力にとりつかれたという。この大森さんが、岡村さんにそれまでの人生の道からはずれることを勧めた。以後、岡村さんは彼を釣りの師匠と仰ぎ、彼の釣りの技を盗んだ。 

 本書の紀行文は、釣行記であるともに二人の友情の旅でもある。岡村さんは記す。「釣行では、彼が男役、私は女役である。二人用の狭いテントに、お互いにイビキ(中野注・超大イビキ)をかいて寝るが、これが苦にならないから不思議だ。この頃は、一緒に旅していると『ご兄弟ですね』と旅先で言われることが多い」。さらに私流に脚注をほどこすと、昔風の夫婦像になぞらえて、男役とは、気楽で気ままな亭主、女役とは世話女房という意味であり、二人には誤解をうけるような関係はない。もうひとつ付記すると、この男役は、他の釣人と鉢合わせとなったときや、日暮れて急に宿取りをするときの折衝の術は実に巧みで頼もしいのである。

 私も時折、この旅に同行している。大荷物を背負い、険しい山道をたどり、ヤブをこいだその先にある源流域の水の流れ出しまで岩魚の楽園を求めて直向く。そこに予期しない危険が待ち受けることもある。本書は、ふんだんに写真を配置し、渓間で自然とたわむれるおじさんたちのくつろいだ姿を視覚的に伝えてくれる。

 岡村さんは、ズボンベルトの留め金がいつも下を向いているほどの太鼓腹である。失礼な物の言い方で恐縮であるが、この体型で岩場を登り降りする姿に想像をこらしながら読んでいただけると、その汗の流しよう、息絶え絶えのあえぎ、そして頻繁に登場する缶ビールでの乾杯の悦びが臨場感をもってわかっていただけよう。

三 第二部では、岡村さんの生い立ちから岩魚釣りにはまるまでの自分史と、魅了してやまない岩魚の生態と生活史、そして岡村流の釣装束と釣技の解説、さらに料理談義まで及ぶ。

 岡村さんは鳥取県郡部の山村をふる里としている。岡村さんは、歴史を調べることが好きな方だが、その少年期を包んだ家族とふる里の史を実に丁寧に調べ披瀝している。山村育ちの私は、いつも心に、故郷の少年時代が心象風景として宿っているが、岡村さんの少年記を読みながら、田舎育ちの者たちの人生の源流に回帰するような感慨をもった。

 岡村さんは、酒談義のときに「俺はトップでも主軸バッターでもない。九番ライトだ」を口癖とする。岡村さんのなしていること、大きな声からほとばしる濃さからみて、とうてい頷けない自己評定だが、岡村さんは「野心を持たず、人を押し退けない」ことの心がけを述べたものであろう。大変な努力の人であり、忍耐力をもち、まめに生きることを志向する岡村さんが、趣味の世界を自分の生活史にまで深めていった過程が、旨い食にたどりつく料理本のように解析され、解説されている。

四 岡村さんは、「人は何のために生き、死んでゆくのか。誰でも人はこの世に生まれてよかったといえる人生を過ごし、自然死したいと願っている。」と過労死問題に取り組む原点を語る。そしてこの言葉を、自分に向け、岡村流に過剰な仕事ストレスから脱却する道を見いだした。

過労死しないための生き方転換、それが本書の核心部分である。

本書(二千円)は、岡村団員の所属する事務所にご注文ください。【東京本郷合同法律事務所 電話〇三・三八一三・六五三七

FAX 〇三・三八一三・六五〇四】


事務所・支部単位で、

一一・六教育全国集会にご協力を!

教育基本法改悪阻止対策本部

担当次長  村 田 智 子

一一・六集会と、三つのお願い

 昨年の一二・二三教育基本法改悪反対全国集会で集まったメンバーが、「全国連絡会」を結成し、後記の通り、再び、全国集会を開きます。自由法曹団は、当初から同連絡会に参加しています。

 集会を支え、改悪法案提出を阻止するための、三つのお願いです。

(1)集会に参加してください。

 一一・六集会は、「皆が元気になって帰れるような集会」を目指しています。「日比谷野音全体を舞台に見立てるような構成にしよう」というプランも進んでいます。教育だけに限らず、今後の集会の構成を考える上でも、一見の価値はあります。ぜひ、足をお運びください(都内の事務所の皆様には、警備のお願いもしていますが、こちらもよろしくお願いします)。

(2)集会へのご賛同・ご寄付を願います。

(3)意見広告へのご寄付をお願いします。

 一二・二三集会は、ほとんど一般紙で報道されませんでした。その反省も踏まえ、今回は、集会の前に、意見広告を出します。

 集会前に、朝日新聞の三分の一程度の紙面に掲載される予定です。

集会本体及び意見広告に対するご賛同・ご寄付の方法

 集会本体と、意見広告とで、送金口座が違います。

 お名前を出していただくためには集会本体へのご寄付が必要です。意見広告のほうはお名前は掲載されませんが、短期間に一〇〇〇万円を集めなければなりません。ご面倒ですが、両方にご協力ください。

集会本体へのご賛同・ご寄付(まだ一〇〇万円以上の赤字です)

  振込先  UFJ銀行 久我山支店 普通4548058

       名義:教育基本法の改悪を止めよう!全国連絡会

  賛同方法 振込みの際に、通信欄に、「氏名公表可」とご記載ください。

*振込み名は、「○○法律事務所」、「弁護士○○」、「自由法曹団○○支部」など、弁護士であることが分かるように書いてください。

*一口五〇〇円です。できましたら各事務所で一〇口(五〇〇〇円)以上、各支部で二〇口以上(一万円)以上でお願いいたします。

意見広告へのご賛同・ご寄付(あと一〇〇〇万円必要です)

  振込先  三井住友銀行 高幡不動支店 普通1477174

       名義:全国連絡会意見広告

   紙面の関係上、お名前は掲載されません。

   一口一〇〇〇円です。できましたら、各事務所で五口以上、支部で一〇口以上でお願いいたします。

 一一月六日(土) 一二時三〇分開場 一三時三〇分開演

〜終了後、デモパレードの予定場所 日比谷野外音楽堂