過去のページ―自由法曹団通信:1164号      

<<目次へ 団通信1164号(5月11日)



菅野 昭夫 愛国者法 その後(下)
野澤 裕昭 何が起きてる? 商法大改正(下)
笹本  潤 パンフ「隣人から見た憲法第九条〜東北アジ ア市民共生への道〜」を活用してください
桜井 昌司 〈寄 稿〉 冤罪を生み出すもの
中野 直樹 阿部さんとの思い出 ―ある夏の日のつれづり
松村 文夫 産廃操業差止 高裁判決かちとる
萩尾 健太 九月一五日判決を迎える鉄建公団訴訟




愛国者法 その後(下)

北陸支部  菅 野 昭 夫

<拡大されるターゲット>

 愛国者法は、テロリストからアメリカを守るためという大義名分で制定され、国際及び国内「テロリスト」及び「テロ行為」の取り締まりと、そのための盗聴等の捜査権限の大幅拡大をその柱にしている。しかし、愛国者法は、制定当初から、そのターゲットを、戦争遂行に批判的な人々や無辜の一般市民にまで拡大している。

 愛国者法が、少数意見、特にアメリカの戦争政策に対する批判を封じ込めるために発動されていることは、あまりにも明白である。(1)二〇〇四年五月二六日に、ボストン大学の学生ジョー・プレビテラは、イラクのアブグレイブ刑務所での囚人虐待に抗議するために、囚人がかぶせられたと同じ形のフードを身にまとい、一人で、陸軍の施設の、前に立っていた。すると、ボストン警察の爆弾処理班がかけつけてきて、彼の周りに円を描くようにロープを張って遮断し、爆弾を探すふりをした。そして、彼は愛国者法違反で逮捕されたが、それは陸軍の施設に爆弾を仕掛けるふりをすることによって、公共の安全を損ねる行為をしたという容疑であった。(2)二〇〇四年、サウス・カロライナ州コロムビア市のブレット・バーシーは、ブッシュが遊説で市を訪問した際に、演説を取り囲んでいた大群衆の中で、「No War For Oil」と書いた紙を持って立っていたところを逮捕され、五〇〇ドルの罰金を科された。

 愛国者法は、一般市民の日常的な行動に対しても牙をむく。(1)二〇〇三年一一月アイオワ州デス・モネス市で、あるカメラ好きの市民が街に出て、風景を撮影していた。彼は、あるホテルをスナップ撮影したところを警察官に咎められ拘束され、二時間後にかけつけたシークレットサービスに執拗に尋問されたうえ、高級カメラを没収された。彼らの言い分は、「ホテルにチェイニー副大統領が泊まっている。不審な行動をとる者は、テロリストの疑いがあるので愛国者法により逮捕できる。」というものであった。(2)オハイオ州アイダホ市在住のサミ・オマールは、開設したホームページがたまたま他のウエブサイトにリンクできる設定になっていたところ、そのウエブサイトにテロリズムを肯定する内容の記載があったため、テロリズムに対し物質的援助を与えたとして、愛国者法違反で逮捕され起訴された。弁護人は、「ニューヨーク・タイムズのホームページにアクセスするとオサマビンラーデンの最新のメッセージにリンクできるが、その論理によれば、ニューヨーク・タイムズも愛国者法違反になるのか!」と弁論したところ、さすがに、陪審員は、二〇〇四年六月に無罪の評決をした。(3)今や、FBIは、図書館の貸し出し記録、各種のビジネス情報を秘密裏に入手し、インターネット、Eメール交信を秘密裏に傍受している。

<集団示威行動に対する凶暴な弾圧>

 九月一一日事件後、アメリカにおいても、アフガニスタン戦争やイラク戦争反対等の集団示威行動(デモ)が大規模に展開された。しかし、愛国者法体制の下で、政府は、これら表現の自由(憲法第一修正)の行使に対しても、呵責の無い弾圧を加えている。NLGは、二〇〇五年七月に、「言論の自由、集会、少数意見に対する弾圧」と題する一一二頁の報告書を発表し、政府を糾弾した。その報告書には、何十という弾圧例が生々しく描写されている。その一端を紹介する。

 デモの前段階における弾圧・・・・(1)二〇〇三年五月セントルイス市で世界農業フォーラムの開催に反対するデモが行われたが、地方警察は、そのデモを呼びかけた団体が本部を置く三つのビルの各事務所を、ビルの管理人を伴って捜索し、「消防法違反」の容疑で活動家数十人を逮捕した。このような警察の弾圧手法は、愛国者法制定後全米で普遍的となっている。(2)街頭行動に対する許可権限の濫用も著しい。二〇〇三年二月一五日ニューヨーク市でのイラク戦争反対のデモについて、市当局は、当初目抜き通りでのデモは不許可と伝えていたが、デモ数日前に市内における一切のデモを不許可とすると決定した。また、高額の許可料を課するいやがらせも、まれでない。(3)二〇〇四年夏のボストン市における民主党大会に対するデモの直前に、FBIは、周辺の都市の多数の活動家に戸別訪問を行い、「この質問に虚偽の答えをすることは重罪として処罰されるのだが、民主党大会に対し何らかの暴力的活動が計画されているのを知っているか」と質問をし、「弁護士の同席がないと答えられない」と答えると、彼らの両親に電話をして、デモの組織化を妨害した。

 デモそのものへの弾圧・・・・・(1)どのデモに対しても、チェックポイントが設けられ、全デモ隊員の所持品が検査され、旗などが武器として没収される。二〇〇三年マイアミ市でのFTAA反対のデモでは、地元紙に、「ダウンタウンは、警備員のフェンスによって、ジグソーパズルのようにきざまれ、おびただしいチェックポイントが設けられた」と報道されているなどである。このような「関所」が設けられれば、アラブ系移民ばかりでなく、法執行機関との摩擦を避けたい一般市民は、デモ参加を回避せざるを得ない。(2)デモ隊が行動できる区域(フリースピーチゾーン)が厳格に設定される。二〇〇二年ピッツバーグ市でのブッシュ遊説に対するデモにおいては、彼の遊説コースは全てデモが禁止され、フリースピーチゾーンは野球場に鎖が張られた囲いに限定された。このとき、ビル・ネックという六五歳の退職した鉄鋼労働者が、「ブッシュ一族は沢山の貧乏人を作ったのだから、その面倒を見る責任もある」と書いた紙を持って、演説会場に立っていた。しかし、彼はたちまち、シークレットサービスに逮捕された。ちなみに、演説開場には、多数のブッシュ支持派が、ブッシュ支持のプラカードを持って立っていた。(3)デモが行われるたびに、多数の参加者が逮捕されるのが通常である。二〇〇二年九月二七日のワシントン・D・CでのIMF、世界銀行に抗議するデモでは、六四七人が逮捕されたため、議会の調査が行われた。その結果、逮捕者はデモ参加者のみならず、通行人なども含まれていたこと、そのうちの約四〇〇人は、ポップアップラインと呼ばれる警察官の人垣や柵によって、パーシング公園に誘導され、そこに閉じ込められ、出ることを許されず、一網打尽となったこと、被拘束者には手足を互い違いに鎖につなぐなどの違法な拘束手段が施され、コンピューターの故障を理由に一八時間外界との接触を立たれたまま拘束されていたことが報告されている。二〇〇三年二月一五日のニューヨーク市でのイラク戦争反対のデモでは、大量の逮捕者のうち二一五人は、釈放が引き延ばされ、零下一二度のバスの中にさらに一〇時間拘束され、この間負傷者の治療は拒絶され、弁護士との接見も拒否された。(4)デモ隊に対しては、警察官によって、しばしば武器が使用される。ゴム弾、木製弾、スタンガン、催涙弾等々である。その結果、失明、頭骸骨骨折などの重篤な被害を生じている。胡椒弾はより害が少ないと、最も頻繁に使用されているが、デモ隊の中に喘息患者がいれば致命的となる。

 デモ後の抑圧・・・・・(1)デモに対する処罰は、どんどん重罰化されている。フィラデルフィア市での共和党大会反対のデモについて、三九一人が逮捕された時、携帯電話の所持さえ武器の所持として訴追されている。(2)アメリカ憲法第八修正は、過大な保釈金を課すことを禁止している。それにもかかわらず、二〇〇〇年八月一日の共和党大会でのデモの「首謀者」に対しては、検察官の意見により、一〇〇万ドルの保釈金が言い渡された。「この者を安易に保釈すると、間もなく予定されている民主党大会にもデモを仕掛けるから」というのがその理由であった。

<ゴンザレス新司法長官の就任>

 今後、愛国者法体制がますます強化されるのか、また前報告にある愛国者法Uが現実化するのかを占う重要な閣僚人事が、ゴンザレス新司法長官の任命であった。彼は、初のヒスパニック系司法長官という鳴り物入りで入閣したが、その経歴から、右翼的なアシュクロフト前司法長官を上回る超タカ派であることが明らかである。

 ゴンザレスは、ブッシュ大統領がフロリダ州知事であった時代からの側近であり、ブッシュの当選によって大統領の顧問弁護士となり、ブッシュから「マイ・ローイヤー」と呼ばれていた人物である。ゴンザレスは、二〇〇二年一月二五日に、「テロとの戦争は新しい種類の戦争であり、それ故捕虜の尋問を制限するジュネーヴ条約のような旧式な法規定は適用されない」とのメモをブッシュ大統領に渡し、アフガニスタン戦争の捕虜に対する拷問を合法化して、アブグレイブ刑務所での捕虜虐待の下地を作った。ゴンザレスは、また、戦争犯罪を処罰する国内法の適用を懸念する政権内の動きに対して、「タリバンやアルカイダとの戦争についてはジュネーヴ条約は適用されないと大統領が宣言しさえすれば、戦争犯罪の責任を負うことを回避できる」との意見を具申した。ゴンザレスのこの意見に対しては、コーリン・パウエル国務長官でさえ、「そのような宣言を公的に表明すれば、合衆国は法的に、政治的に,道義的に、外交的に致命的な打撃を受けるであろう」と猛反対をした。しかし、ブッシュは、二〇〇二年二月七日に、「合衆国大統領は、ジューネーヴ条約適用を排除する権限を有する。しかし、当面は、タリバンとの戦争に同条約の適用を排除はしない。ただ、タリバンは、「不法敵戦闘員」(unlawful enemy  combatant)であり、ジュネーヴ条約に言う戦時捕虜には該当しない」との宣言を行ったのである。このように、ゴンザレスこそは、国際法、国内法を無視した違法拘束が合法との「法理論」を編み出し、囚人に対する拷問を正当化した人物なのである。なお、州知事時代に、ブッシュは多数の死刑囚の死刑執行を断行したが、その決済のための事案の審査に当たったゴンザレスは、それら死刑囚が裁判で不十分な弁護しか受けていないことや弁護人が利益相反を犯していること、減刑事由があることなどの要素を悉く無視して、死刑執行に問題なしとの意見を具申した。

 このような人物が、司法長官として、愛国者法体制にどのような影響を与えるかは、多言を要しない。NLGは、ゴンザレスの任命に反対するとともに、警戒を呼びかけている。

<NLGの闘い>

 愛国者法の猛威に対するNLGの闘いは、勇猛果敢であり、献身的である。

 まず、愛国者法は、NLG自体をターゲットにしている。二〇〇三年一一月に、アイオワ州デス・モネス市のドレイク大学で、NLGドレイク大学支部は、「イラク占領を中止せよ、州兵を故郷へ帰せ」との反戦フォーラムを開いた。その呼びかけで、翌日デモが行われ、一二人が逮捕された。二〇〇四年二月にFBIは、この集会が愛国者法に違反する疑いがあるとして、大学当局に対し、NLGドレイク大学支部及び集会参加者全員の情報を提出するように命じるとともに、四人の活動家に対し、大陪審に出頭せよとの召喚状を発した。NLGは、これらが、憲法第一修正の表現の自由を侵害する弾圧であるとして、全米にその違法性を糾弾し、差し止め訴訟を提起した結果、メディアもこれを取り上げ、遂にそれらの命令と召喚は撤回された。

 NLGの中で、愛国者法体制との闘いに献身的に取り組んでいる三つのセクションがある。ひとつは、「移民法プロジェクト」である。全米で多数のNLG会員移民法弁護士が愛国者法によるアラブ系移民に対する国外追放を回避させるために取り組んでいる。彼らは、不安におののくアラブ系コミュニティーに入り、彼らに団結して防御する術を啓蒙し、逮捕・国外追放手続にあっては、彼らの弁護人として活動する。弾圧の規模が大きいため、一般の弁護士によびかけて、講習会を組織し、彼らのための弁護士を増やす取り組みを行っている。

 二つ目は、「大衆行動防御委員会」の活動である。全米のNLG会員弁護士、ロー・スクールの学生、パラ・リーガルは、デモの際にリーガル・オヴザーヴァーとなって、デモを警備し、法執行機関の違法な介入を監視する重要な役割を果たしている。そして、大量逮捕の中で、NLGの会員自身も逮捕されている。そこで、NLGは、弾圧に対し、防御に徹するのではなく、しばしば、攻勢に転じている。NLGは、デモに対する警察の暴力的介入に対しては、損害賠償請求の訴訟を提起するばかりいか、二度と同じ手口の介入が無いように、デモ予定の市において、弾圧差し止めの仮処分申請を行っている。メイン州オーガスタ市では、許可料を市当局が課してきたため、NLGが訴訟をしてその七五%を取り戻したが、再び別なデモに対し一万ドルを課したため、NLGはそのような課徴は憲法違反であるとして差止め命令を求めて提訴して勝訴し、課徴の根拠となる州条例を改正させた。

 三つ目は、ミリタリー・ロー・タスク・フォース(軍事法部会)の活動である。イラク戦争で一五万人のGIがイラクに動員され、彼ら及びイラク以外のGIの多くが、戦争に従事することから逃れたいと希望している。ペンタゴンでさえ、イラク戦争開始以降、五五〇〇人のGIが任務放棄したことを認めている。ミリタリー・ロー・タスク・フォースのNLG会員弁護士は、良心的兵役拒否希望者などのためにGIホットラインなどの電話相談活動を他の平和活動家と協力して行い、合法的な除隊を援助している、また、政府は、新兵の募集などが困難であるために、既にイラクに動員されているGIが契約期限が来ても、一切除隊を認めず、期限を無期限に更新するという、「ストップ・ロス・ポリシー」を採用しているが、NLG会員弁護士は、除隊希望者を代理して訴訟を闘っている。

 二〇〇三年のNLGの総会で、ブルース・ネスター議長は、「NLGは、湾岸戦争では見るべき取り組みをすることが出来なかった。しかし、九月一一日事件からイラク戦争の今日まで、NLGは法的援助を必要とする移民や、侵略戦争に反対し市民的自由を擁護しようと立ち上がった人々にとって、「頼れる存在」となることができた」と挨拶した。こうしたNLGの闘いは、日本の弁護士にとっても、敬服に値するものである。



何が起きてる? 商法大改正(下)

東京支部  野 澤 裕 昭

七 二〇〇一年一二月改正

 この年は、 取締役、監査役の責任軽減化が行なわれた。平成五年の株主代表訴訟の提起を容易化したことで株主代表訴訟が急増し、巨額の損害賠償請求が多発したことなどから財界の主張を入れて実現した。

 商法二六六条T五の責任「法令又は定款ニ違反スル行為」(善管注意義務、忠実義務、競業避止義務、利益相反など)につき、取締役・監査役に善意且つ無重過失のときは、株主総会の特別決議により会社が被った損害の一定額(報酬・その他の職務遂行の対価として会社から受ける財産上の利益の四年分に相当する額)以上を免除することができる(二六六Z)。但し、改正法施行前になされた行為については免責されない。「経営判断の原則」(経営判断の専門性、複雑性などから取締役の裁量判断を尊重すること)から、重過失まではないものとして株主総会で免責する場合が増えるとの目論見からであった。

八 二〇〇二年五月改正

 現代的・社会的責任的企業観にもとづく、株主ないし有限会社社員、会社債権者、外国会社等多元的利益を実現し、公正かつ透明で合理的な会社の運営を確保するため、会社の財政的基礎である資本、財産の評価、株主ないし社員の要請に応える株式関係および株主ないし社員総会、正当な企業統治の実現を期する改正が行なわれた。これも企業活動の国際化に伴い海外の投資家の批判を受けてものである。これにより、重要財産委員会、委員会設置会社、企業会計、外国会社に関する改正が行なわれた。

(1) 重要財産委員会

 大会社又はみなし大会社で一定の要件(取締役の数が一〇名以上、取締役のうち一以上が社外取締役であること)を満たすものは、重要な財産の処分及び譲受と多額の借財(二六〇U二・三)について、決定を委任することができる、取締役会が定める取締役三名以上で組織する(商法特例法一の三〜一の五)。大規模会社の国際競争力確保の方策として、取締役会の専決事項を減少させ、業務執行を担当する役員による迅速かつ果敢な業務決定を可能とするために設置された。

(2) 委員会等設置会社

 委員会設置会社とは、株式会社の大会社、又はみなし大会社で取締役会のなかに、いずれも社外取締役が半数を占める指名委員会(取締役の選任、解任に関する議案の内容を決定する権限を有する)、監査委員会(執行役員以外の取締役で妥当性監査もできる)、報酬委員会(取締役と執行役が受ける個人別報酬の内容を決定する)という三つの委員会を必置し、業務担当役員である執行役員(制度上は一人)を置き、定款をもって、商法特例法の規定する委員会等設置会社に関する特例(商法特例法二一の五〜三六)の適用を受ける旨の定款の定めがある会社をいう。従来から認められてきた監査役を設置する会社を監査役設置会社という。

 委員会等設置会社は、業務執行と業務監督を分離実現しようとするアメリカ型の機関制度であり、世界的な大競争時代におけるわが国の大企業の国際競争力確保の方策、取締役会の専決事項を減少させつつ、取締役会の監督機能の大幅な強化を実現する目的。

(3) 企業会計に関する改正

  (1) 計算関係規程の法務省令委任
  (2) 連結計算書類制度の導入

 大規模会社における企業グループ全体の財務内容を株主に情報公開させる。

九 二〇〇三年七月改正

 定款の授権に基づく取締役会決議による自己株式の取得の導入がされた。平成一三年改正では、定時株主総会で、次営業年度の買い入れ枠を設定することが前提とされているためフレキシビリティーに欠けた。そこで、(1)定款の授権にもとづく取締役会決議による自己株式の取得を可能とした、(2)子会社の有する自己株式を買い受ける場合には取締役会の決議による自己株式の取得を可能とした。株主総会へは事後報告。これで一層自己株式の取得が容易になった。

一〇 二〇〇四年六月改正

(1) 株券不発行制度の導入

 非公開会社はもちろん、公開会社でも株券発行のニーズは少なかった(株券を交付しての譲渡はまれ、証券会社に保護預りにしたり、株券等の保管および振り替えに関する法律(保振法)上の株券保管振替制度(保振制度。いわゆるホフリ)を利用し、現実に手も元に株券を保有せずに株式の譲渡が日常的に行なわれている。そこで、(1)定款で定める「株券廃止会社」、(2)公開会社については、改正商法施行後五年以内(二〇〇九年六月)の政令で定める日(「一斉移行日」)において株券不発行についての定款変更決議をしたものとみなし、かつ新振替制度に移行することとした。一斉移行日後は、公開会社はすべて株券廃止会社となる。すなわち、この政令で定める日(一斉移行日)に上場株式は、強制移行され(附則)、株券不発行会社になる。現在の保振制度で預託されている株式はそのままペーパーレス化され、株主の手元にある株式(タンス株券)は、発行会社が設ける特別の口座預けることでペーパーレス化される。

 因みに、堤義明が逮捕された西武鉄道の有価証券虚偽報告問題は、株券のペーパーレス化になると架空名義の株券があぶりだされ、実質的な株券の所有者を明らかにせざるを得なくなったことが誘因となっている。西武の古い手法が通用しなくなったのである。

(2) 電子公告制度の導入―平成一七年二月一日施行

 株式会社の公告方法につき、官報または日刊新聞紙(一六六X)に限定されていたが、これに加えてインターネットによることが認められた。平成一三年改正法で財務関係書類等一部は電磁的公示が認められていたが、本法は「公告一般」について電子化をしたもの。

一一 会社法制の現代化

 以上、会社法の改正経過を紹介したが、政府、財界はこれにあきたらず、会社法の全面改正を今国会に上程している。法務省は、二〇〇二年二月一三日、「会社法制に関する商法、有限会社法等の現代回を測る上で留意すべき事項」を法制審に諮問、二〇〇三年一〇月二九日、「会社法制の現代化に関する要綱試案」が出され、これをもとに法案化され、二〇〇五年三月一七日、今国会に「会社法改正法案」が提出されて、まさに今全面改正化されようとしている。

 詳細を紹介するには、字数がすでに尽きているが、主な点だけあげれば、有限会社を廃止し、株式会社に統合すると共に、設立時には「発行する株式の総数」ではなく、「株式会社の設立に際して出資すべき額又はその下限額」を記すこととし、下限額の制限を設けない(資本金一円でも設立可能とする)。ここに株式会社は、資本の裏づけのない存在となり、生まれては消えるあぶくのような存在になる。規制緩和も行き着くところまで来た観がある。日本の資本主義はこれまでの会社法の原理原則をかなぐり捨て、専ら効率性と利潤追求の局地に突き進もうとしていると言える。



パンフ「隣人から見た憲法第九条〜東北アジア市民共生への道〜」

を活用してください

東京支部 笹 本   潤

 このパンフレットは、今年二月に東京・国連大学で開かれたGPPAC東北アジア地域会議において、東北アジアのNGOが日本の憲法第九条について発言した内容を紹介したパンフレットです。発行は東北アジア地域会議の運営にかかわった「GPPAC・JAPAN」です。

 現在、衆参憲法調査会の報告や自民党、民主党の憲法改正案がマスコミをにぎわしていますが、いずれの改憲案も、外国、外国人から見て憲法、特に9条がどのように受け止められているかがスッポリ抜け落ちているのが決定的な弱点です。

 もちろん、そのような態度は意図的になされていて、歴史教科書の問題ももちろん意図的ではあります。しかし、私たち国民・市民にとっては、グローバル化していく社会において、他国や隣人から日本・日本人がどのように見られているかは重要な問題です。憲法改正国民投票の実現は許してはいけませんが、実施されてしまった場合には、私たちは「隣人から」の視点をももって、「本当に九条を変えてしまっていいのか」を自分たちで問い続けなければならないし、法律家としてもそのような問題提起をしなければならないのではないでしょうか。

 このパンフレット「隣人から見た憲法第九条〜東北アジア市民共生への道〜」はそのようなインパクトを与えられるパンフレットです。

 同時に、このパンフに収められている「東京アジェンダ(提言)・骨子」は、九条の非武装・非軍事の理念でどこまで武力紛争を予防していけるかを、さまざまな具体例を通して示してくれる一つの試案です。これも東北アジアのNGOが何ヶ月もかけてまとめ上げた成果です。まとめ上げる上での苦労(中台問題など)は法学セミナー五月号六六頁、川崎哲論文を参照してください。戦争する国にしないためには、戦争する国家になるための原因を除去していくことが必要であり、それがGPPACという名称(武力紛争予防のためのグローバルパートナーシップ)に表れています。

 九条を守っていくことの意義として、憲法改正によって「戦争する国」になるのを阻止するという意義のほかに、戦後六〇年間戦争する国になるのを阻止してきた憲法第九条の「本当の生命力を発揮させる」という意味もあります。九条の理念は、日本のみならず東北アジアNGO共通の平和構築の原則にもなりました。東京アジェンダの前文には、(九条の戦争放棄、戦力放棄の原則は)「普遍的価値を有するものと認知されるべきであって、東北アジアの平和の基盤として活用されるべき」と書かれました。

 そして、九条の武力でなく対話による紛争解決の原則も、歴史認識の問題などで中国や韓国で反日デモが起こり、「不信の連鎖」が続いている今だからこそ、生きてきます。市民同士の交流や連帯を大切にして、誤解を解き、信頼関係を取り戻していく、そしてそれ自体が武力紛争予防につながっていく。このような九条理念の実践が、また戦争国家化を阻止する力にもなるのではないでしょうか。

 歴史認識の問題についても、九条はそれ自体が侵略戦争・植民地支配を反省し、戦争一般、それにつながる戦力を持たないと世界やアジアに向けて宣言したものですから、九条は、歴史認識の食い違いを解決していく方向性を示したものでもあります。

 なお、このパンフレットは五月集会でも販売する予定です。一部三〇〇円。まとまった部数の発送依頼は、ピースボート内のGPPAC・JAPAN事務局まで(TEL 03-3363-7561  FAX 03-3363-7562 
Email: gppac@peaceboat.gr.jp  URL: http://www.peaceboat.org/info/gppac/index.html



〈寄 稿〉

冤罪を生み出すもの

布川事件再審請求人  桜 井 昌 司

一 代用監獄の問題点

 冤罪は誤った捜査によって生み出され、誤った裁判によって育てられます。

 なぜ捜査を誤るのか、なぜ裁判を誤るのか、問題部分は沢山あります。

 先ずは警察、代用監獄問題があります。

 警察の留置場は、何をしても刑事の好き勝手です。朝から夜中まで、自由に取り調べて「自白」を求めるわけです。その過程にウソや脅し、あるいは暴力などの違法行為を使います。しかし、これを監視する者もいなければ制止する者もいないのが代用監獄です。

 死刑囚の再審が何件も続き、その反省から警察は留置場の管理部門を取調べ部門と切り離し、それによって公正さを保つとしたようですが、このような改正は目くらましでしかありませんし、これを信じるのはおとぎ話です。

 今、裁判員制度に絡み、取調べの可視化が論議になっていますが、誰が反対しているでしょうか。警察です、検察です。彼らにとっては違法、脱法行為は日常茶飯事なのです。そのような行為でしか事件を解決できない体質となっているのです。

 警察には「確証なき確信」という取調べ精神があるようです。目の前に容疑者として座った人は、全く証拠がなくても犯人と確信して調べる、それを「確証なき確信」と言うようです。これまでの多くの冤罪は、この取調べ精神から生み出されました。

 私は四〇数日前のアリバイを聞かれ、「東京の兄のアパートのいた」と答えました。ところが「お前の兄貴は調べてある。来てないと言ってるぞ」と刑事は言いました。ことは強盗殺人事件です。まさか警察が嘘を言うなどとは考えられもせず、正しい自分のアリバイを否定して考えることになり、「お前を現場で見た人がいる」「証拠がある」などという取調べに負けて、最終的にウソの自白に追い込まれていきました。ところが、その刑事は、裁判では自分のした行為を「私は言っていません、そんなことはしません」と、ことごとく否定しました。あのときにビデオあれば刑事の違法な取調べは白日下になります。

 私が代用監獄を体験したのは三八年前です。今の警察は違う、変わったと思う人もいるかと思います。しかし、そうでしょうか。私が犯人にされた一九六七年以降、死刑囚だけではなく、何件もの冤罪が再審を実現し、無実が証されましたが、ただの一件として、警察が反省のコメントを出したことはありません。何時も「捜査は適正であった。遺憾である」などと言うばかりです。人も組織も反省のないところに変化はありえません。ことを起こして反省のない者は、必ず同じ過ちを犯します。今も昔も警察は同じように可視化できない「適正な捜査」によって冤罪を生み出しているのです。

 晴山事件、北陵クリニック事件、足利事件、狭山事件、東電OL殺人事件、三崎事件、袴田事件、名張事件、福井女子中学生殺人事件、日野町事件、東住吉事件、大崎事件、そして我が布川事件、これだけの殺人事件が、今も私の周辺で冤罪を叫び、無実を訴えています。どれもが同じように代用監獄で生み出された冤罪なのです。

二 裁判官の自白偏重

 代用監獄が今も変わらない冤罪の生みの親であるならば、裁判所は冤罪の育ての親というべきでしょう。

 身の潔白を証明できず、朝から晩まで犯人視される取調べの苦しさ。そこから逃れたくて一時凌ぎにするウソの自白。この人間の弱さを裁判官は理解しません。過度に「自白」を重視し、刑事と同じように科学的な証拠を無視して出す有罪判決。それが警察の「自白」に頼る違法な捜査を横行させているのかもしれません。もし、前記の冤罪を主張する各事件の物証が正しく判断されていれば、全ての事件が無罪となっていたでしょう。

 筋弛緩剤の毒性から点滴では殺人ができない可能性が大だというのに無期懲役の北陵クリニック事件。車の下に燃える小さな火が目撃されているのに、ガソリンを撒いてライターで火をつけたと言う「自白」で無期懲役の東住吉事件。ガソリンを小さな車庫で撒き、ライターで火をつけたらどうなるか、全く裁判官は理解できない。爆発するような激しい火に包まれるでしょう。この二事件は、今も裁判中の最近の冤罪です。

 検察などは独自の捜査力もなく、ただ警察の尻拭いだけの存在ですから冤罪の原因として触れる必要もないでしょうが裁判所は違います。今の日本にある冤罪は、ある意味では裁判所が助長して作っているといえましょう。

三 むすび

 もし私に冤罪を無くす方法を語れと言われれば、まず代用監獄を廃止すること、それが一番だと言いたいと思います。人間は過ちを犯します。どのような制度、どのような手段を用いても冤罪が根絶することは出来ないかもしれません。しかし、代用監獄が主因で生み出される日本の冤罪は、それを廃止すること以外に無くす方法はないと思います。



阿部さんとの思い出

―ある夏の日のつれづり

東京支部  中 野 直 樹

 四月二一日、専従事務局だった阿部敏也さんの送別会に出席した。阿部さんが団本部で働き始めたときからの歴代の団長・幹事長・事務局長、事務局員そして現執行部によびかけられたものだった。ほぼ全員参加で、おのおのから二〇年間の思い出が勝手気ままに、語られた。それにしてもこれだけ個性の異なる「上司」が二年ごとに替わるとなると、その苦労が推し量られるというものである。阿部さんは、団通信の退職のことばで「黒子に徹する」ことを団生活の信条としたと記しているが、歯がゆいほどに、自分の意見を主張したり、表出することにひかえめであった。しかし、阿部さんは、実によく全国の団員の動静について把握し、執行部の一人一人の働きについて観察していた。毎年総会後の新旧執行部の歓送迎会で、阿部さんからなされる、退任役員に対するねぎらいという名の「通信簿」は実に辛口で、評定を受けた団員は、良くも、悪くも、忘れがたい言葉として胸にしまいこんでいるそうだ。阿部さんは団の生き字引きであった。

 私が事務局次長二年目の九九年八月下旬、福島県飯坂温泉で、執行部恒例の夏合宿を行った。ここから総会の議案書づくりが始まる。この年は、公明党の与党化で、新ガイドライン法、憲法調査会設置法、盗聴法、国旗国歌法など、現在の戦争・治安・愛国教育を基調とする国家改造に連なる悪法が目白押しで強行採決された。八月一三日まで延長国会が続く異例の年であった。加えて「松川事件五〇周年記念集会」が飯坂温泉で開催され、そこに執行部も要員で参加するという誠に忙しい夏であった。

 記念集会の日の夕刻、私は人目を忍んで阿部さんに声をかけ、町田市からかけつけた釣り師佐藤文夫さんの運転するパジェロに乗り込んだ。車は東北道を北上し、山形道を経て、月山を右手にみながら、朝日連邦のふところに入った。夏の日がなすび色に暮れかけたころ、車止めに到着した。たそがれの語源は「誰そ彼れ」と言問う意味で、要するにあたりがよく見えなくなる時分である。適当にテントを張って、腰をおろして安着祝いビールを飲み始めた。ところが尻が冷たくなるし、ヤブ蚊が音をたって群がってきた。ヘッドランプで周囲をつぶさにみたところ、湿地の中に入りこんでいることがわかった。たまらずテント場を移動し、なおしつこくまとわる蚊を払いながら、自己紹介をしあった。佐藤さんは、妻が初出馬して当選した七四年町田市議選で、「四号棟の佐藤です。お騒がせしております」と居住する団地の各戸を回ったことが「候補者名いいあるき」の公選法違反として弾圧され、八四年に最高裁上告棄却で罰金一万五〇〇〇円の有罪確定するまでたたかった。常任弁護団の事務局をになったのが八王子合同法律事務所で、そこの斉藤展夫と佐治融団員が、合宿の息抜きに、佐藤さんを岩魚釣りの世界に引き込んだ。以後3Sの連れ釣りの旅が年四〜五回の行事となり、東北各県の山々に多摩ナンバーのパジェロが分け入った。八六年に八法に入所した私もその洗礼を受けた。

 午前四時半、森のしじまに野鳥のさえずりが始まった。テントをはい出て、ひんやりとした森の気を深呼吸し、自然にかえれと、勢いよく小用を足した。寒河江川に注ぐ大井沢の支流は、天狗角力取山という愛嬌ある名の登山口でもある。この沢は幅二〜三メートルの小沢で、木々が覆い被さって強い夏陽も遮られ、うす暗い。阿部さんは白いベストに赤い帽子となかなか粋ないでたちである。さて腕前拝見となると、阿部さんは、しょっちゅう腰をおろして仕掛けをいじっている。立ち上がったかと思うと、川底を釣ったり、頭上の枝を釣ったりで大忙しである。この源流域の沢には釣り糸が長すぎるのである。思い切って、両腕を無理なくひろげたほどの幅に短く修正した。ほらきた。阿部さんの竿がしなり、慎重にたぐり寄せた。お見事だったが、初ものはリリースサイズであった。

 左岸から枝沢が注いでいる。ブッシュがかぶさり、蜘蛛の巣だらけである。佐藤さんは、誰からも敬遠されるこのような小沢を好み、一一時の待ち合わせ約束で別れた。阿部さんも調子づいてきた。交互に竿を出しながら、つんつんとあたりが響いてくると一、二、三と数えて、軽く合わせる。と、暗い沢特有のまっくろい肌をした岩魚が、しまったという顔つきで浅い水面に跳ねあがる。上流に遡るに流れが細くなるが、ポイントごとに岩魚が川虫を追う。そうなると、互いに黙する人となって、川面に全神経が集中し、真剣なまなざしで竿を振り、息をつめる。反転した岩魚を鉤がけしたとき思わず「よし!」という気合いが吐き出される。 

 忘我のときから気がつくと佐藤さんとの待ち合わせ時間が近づいている。あわてて沢を下ると、佐藤さんが待ちくたびれた顔で一時間遅れだと怒っている。そんなことはない。私は一一時すぎを指している私の時計を示す。佐藤さんは自分の時計は一二時だという。おかしい。阿部さんの時計は? むむ・・一二時を指していた。でも阿部さんは、私に一言も、待合わせ時間が過ぎていることを主張しなかった。私と阿部さんの魚籠をひっくり返すと、二五センチを頭に二五尾近い釣果が山をなした。阿部さんの無口がもたらした、大漁の一番であった。

 翌日、団通信でもあかすことのできない隠し沢に阿部さんを特別招待した。阿部さんは持参の毛鉤で、二五センチの緑の斑が美しい岩魚をしとめた。ブナの森に陽が木漏れ、苔むした岩陰で、そうめんをまえに、乾杯のビールに和んだ阿部さんと佐藤さんを撮った。

 伊那にUターンした阿部さんにとって、この連れ釣りの旅は、いまも記憶鮮やかな団物語の番外編であるに違いない。



産廃操業差止 高裁判決かちとる

長野県支部 松 村 文 夫

 一九九一年以来操業してきた産廃焼却炉(長野県駒ヶ根)について、二〇〇三年長野地裁飯田支部が操業差止を命じていた判決に対して業者側が控訴していたところ、去る四月三〇日東京高裁一四民事部は、控訴棄却の判決(操業差止)を言い渡しました。

 長年にわたって操業してきている焼却炉の差止を命じた高裁判決としては、全国初となります。

 産廃焼却炉の建設・操業を差し止めする仮処分決定は珍しくありません。また、試運転段階で差止めた判決はあります。

 しかし、長年操業してきたとなると、単にダイオキシン類の排出や健康被害のおそれを主張するだけでは足りず、どの程度立証しなければならないかが課題でした。

 高裁では、「産廃全てがいけないとは言えず、全面差止というわけにはいかない」「規制値以上の排出を差止めるということではないか」等と、裁判官が発言しておりました。

 ダイオキシン類は微量で大被害を起こすだけに、その微量の測定は、風向き等によりすぐに一万倍も差異が出てしまい、経費がかかり過ぎるので、結局は、焼却炉の煙突に付けた装置で行う以外ありません。そうなると、業者が測定の時だけ焼却量を減らしてダイオキシン類が減った測定結果を出すことも可能です。

 本件でも、高裁段階で業者側が保健所立会のもとで測定した結果を証拠として提出してきましたが、地元住民がたまたまその時対岸の山腹から焼却炉をビデオで撮影しておりました。

 それによると、測定開始前にもうもうと上がっていた排煙が測定開始とともにほとんどなくなり、測定が終わると再びもうもうと上がっている状況が映し出されています。

 私は、裁判官に対して、ダイオキシンの測定がこのように困難であり、業者に操作されてしまうのであるから、規制値以上の排出だけを禁止すると事実上野放しになってしまうことを力説しました。

 ダイオキシン測定が困難なことから、住民側としては、規制値以上の測定結果を証拠として提出できませんでした。

 しかし、高裁判決は、「規制値を超える可能性が相当に高い」と判示しました。そして、「測定の際に意図的に焼却方法を操作した疑念を否定できない」ことも理由にして全面的に差止めを認めました。

 被害立証も、ベトナム戦争後のダイオキシン被害や西淀川の喘息などのような顕著なものは未だ出ていませんが、住民へのアンケート調査によって、焼却炉より遠距離でも気流によって排煙が多く流れ込む地域ほど「風邪」「せき」などの症状が出ていることを明らかにしました。

高裁判決は、住民の健康被害については、「現時点では必ずしも深刻な状態に至ってはいないとはいえ現に生じている」と認定し、因果関係については、「ダイオキシン類の影響が明らかではないとしても、本件排煙が主たる原因となって既に健康被害ないしその兆候として表れる程度になっている」と認定しました。

 私は、二〇〇〇年受任した段階で勝てる見通しがないところで、費用をかけないようにしておけば負けても言い訳ができるだろうと考えて、独りでやることにしました(しかし単独ですと裁判所から軽くみられるので、中島・相馬団員にも加わってもらいました)。

 予想外の一審勝訴を東京高裁でも維持できるか、心細い思いをしました。勝てるのであれば、大弁護団で臨むべきでした。



九月一五日判決を迎える鉄建公団訴訟

東京支部 萩 尾 健 太

 二〇〇二年一月に、国労闘争団員のうち二八三名が国鉄清算事業団の後進である鉄建公団を相手に裁判を起こした「鉄建公団訴訟」は、三年余の裁判を経て今年三月七日に結審し、判決日が九月一五日に指定された。

  国鉄分割民営化について、当時の首相であった中曽根康弘は「国労が崩壊すれば総評が崩壊すると言うことを明確に意識してやった」と述べて、赤字解消とは口実に過ぎず、たたかう労働組合潰しの国家的不当労働行為がその真の狙いであったことを自白している。その狙いのもとに、鉄道の安全・住民の足としての公共性は切り捨てられ、国鉄の経営・資産は財界に安くぶんどられ、一〇万人もの国鉄職員が職場を追われ、約二〇〇名が自殺した。一九八七年四月、JR発足と同時に七六二八名が国鉄清算事業団に送られ、再就職を必要とする職員とされて仕事を取り上げられた。全国の地方労働委員会がJRの採用差別を認める救済命令を発したが、一九九〇年四月、救済命令は履行されることなく、国鉄清算事業団は最後まで残っていた一〇四七名を解雇した。そのうち九六六名の国労組合員は、闘争団を組織してアルバイト、物資販売、オルグによる自活体制で歯を食いしばって労働委員会命令の実施を求めて裁判闘争をたたかってきた。ところが、一九九八年の東京地裁敗訴判決に動揺した国労本部は、JRに法的責任無しを認めてこれまでのたたかいを否定する四党合意を批准したため、二八三名の国労闘争団員は「私たちの人生を勝手に決めないで下さい」との思いから、新たな闘いの手段として、国鉄清算事業団による一九九〇年解雇の責任を問おうと鉄建公団への訴訟を起こしたのである。

 原告団はその後追加されて二九五名となり、二〇〇四年一〇月から丸一日四期日原告二〇名証人二名に対する尋問を行い、今年三月七日に最終準備書面を提出し、結審した。それまでの主張・立証にあたっては、国労弁護団の方々の成果を引き継ぎ、労働委員会申立以来の不当労働行為訴訟の主張・立証をフルに活用させて頂いた。

 本訴訟では、主位的請求として国鉄清算事業団からの解雇無効確認、慰謝料、名誉回復の手段としての謝罪文、採用要請文交付を請求し、予備的請求として国鉄が原告らをJRに採用させなかった不法行為によるJR賃金・退職金・年金相当損害金の賠償請求を行っている。

 解雇無効については、採用差別があった以上再就職を必要とする職員の指定が無効であり、解雇は無効、あるいは全員の地元JRへの「再就職」こそが憲法二九条二項の趣旨からも国鉄清算事業団の責務であり、労働委員会命令で明確化されたこの義務に違反する解雇は違憲・無効であると主張している。また、予備的請求も差別がなければJRに採用されたと言うことが前提である。

 ところが、不当労働行為事件の中労委命令では、地労委申立人全員が差別がなければJRに採用されたかは明確ではない。そこで、本件訴訟では、不当労働行為の存在のもとでの因果関係の擬制、立証責任の転換を主張すると共に、各原告らがJRに採用されるべき資質を持った労働者であることを主張立証した。

 被告鉄建公団側は、事項を主張してきたが、原告らは本件の主位的請求の不法行為は継続的不作為の不法行為であること、予備的請求についても、JRが責任を負うのか、国鉄清算事業団が責任を負うのか、不明確な状態で翻弄されてきた原告らにとって、「加害者及び損害」を知ったのは不当労働行為裁判の最高裁判決が確定した二〇〇三年一二月であることを主張した。

 二〇〇四年一一月三〇日には国労闘争団のうち九名、今年二月には七名が、二〇〇四年一二月には動労千葉、全動労が相次いで鉄道運輸機構相手に裁判を起こし、裁判闘争は労働組合の枠組みを超えて広がっている。

 先行する鉄建公団訴訟では、四月一日まで一ヶ月間、北見闘争団の中野勇人さんが四国から東京までの一〇四七キロマラソン、東京では七二時間ハンストを行い、文字通り命を賭けてたたかっている。九月一五日の判決へ向け、五〇万人署名を提起し、現在二〇万近く集まっている。この判決で勝利し、それをテコに他の訴訟団と共に一挙に解決することをめざしている。

 弁護団には多くの自由法曹団員が名を連ねている。これまでの団員各氏のご協力に感謝すると共に、国家的大陰謀である「国鉄改革」の犠牲になった被解雇者らの一八年のたたかいに報いるため、引き続きのご協力をお願いします。

 ホームページ http://www.h4.dion.ne.jp/~tomonigo/をご参照下さい。