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谷村 正太郎 追悼 寺本 勤 団員
橋本 紀徳 寺本 勤 先生を偲んで
西田 美樹 団総会・女性部の憲法企画へどうぞ!
小林 善亮 おまたせいたしました。
教育基本法リーフ完成しました。
城塚 健之 私も靖国神社に行ってみた
井上 正信 第四回六カ国協議の結果について
神田 高 総選挙から




追悼 寺本 勤 団員

東京支部  谷 村 正太郎


 本年八月一七日、寺本勤団員が亡くなられた。享年九六。

 寺本さんは一九三二年に九州大学政治学部を卒業、公務員として参議院法制局等に勤務された。一九五七年、司法修習(九期)終了後、弁護士登録をし東京合同法律事務所に入所、同時に団員となった。

 入団直後から、メーデー事件、人民艦隊事件(出入国管理令違反)、白鳥事件の弁護団員として奮闘。また、寺本さんは公職選挙法に詳しく、足利事件、大島事件等多くの公選法違反事件で活躍されている。

 この間、一九六〇年、ハガチー事件の勾留理由開示で法廷等秩序維持法による弾圧を受けている。科料三万円。

 寺本さんは法廷では激しく闘ったが、事務所では温厚であり、年齢の差にもかかわらず、私たち後輩ともよく付き合われた。

 一九七〇年代後半の頃、事務所の若手が「若手勉強会」を始めたのに対抗して、古手・中堅は「天下国家を論ずる会」を結成し、年に数回、公団住宅の四階にある寺本さんの自宅で読書会をすることとなった。ファシズムについて、ユーロコミュニズムについて、その他、歴史、経済、社会主義、自然科学等、報告者が自分の好みで選んだ本について参加者が自由に討論するこの会は、六年くらい続いたであろうか。その間、宮原将平氏(北大教授、白鳥事件の弾丸鑑定に長年従事された)、武谷三男氏(物理学者、寺本さんの台北一中での同窓生)を招き、物理学の講義を受けたことも懐かしい思い出である。

 寺本さんの趣味は音楽(就中オペラ)と将棋である。

 私が事務所に入って一〇日くらいたったとき、寺本さんに「あなたは将棋を指せますか」と聞かれ、不用意に「指せます」と答えたため対局することになり、あっという間に五連敗した。全くの手合い違いで、勝負にならないのである。私も奮起し、将棋連盟の教室に一年通い、ようやく三番に一番は勝てるようになった。以後、数百回対局することになる。

 寺本さんの将棋は、居飛車相がかり、角交換腰掛け銀という正当派急戦である。刀と刀が触れると、次の瞬間勝負がつくという戦法が得意であり強かった。升田幸三九段の熱烈なファンであり、升田が名人になったとき、寺本さんから「革命には関係ないが本当に良かった」という手紙をもらい驚いたことがある。

 寺本さんの熱意が高じて、自由法曹団チームを作り、何回か職域団体対抗戦に出場するに至った。あるとき抽選の結果、産経新聞チームと対局することになった。反論権をめぐって訴訟中のことである。寺本主将は選手五人を集め「この勝負はなんとしても勝たなければなりませんぞ。」と厳しく訓示した。先方も自由法曹団の名前は知っていたようである。このときの戦いは三対二で勝ち、事なきを得た。

 とりとめもないことを書いたが、思い出は尽きない。

 ご冥福を祈る。



寺本 勤 先生を偲んで

東京支部  橋 本 紀 徳


 寺本先生の訃報を聞いて、ブラームスのロ短調のクラリネット五重奏曲を盤に置きました。クラリネットの重く切々とした旋律は社会主義への見果てぬ夢を追い続けた先生の願いと生涯を物語るかのようです。

 同居人は云います。

 先生にふさわしいのはパリの哀れなお針子ミミの物語ではありませんか。先生と一緒にオペラ「ボエーム」を聞きましたが、ミミの死をむかえて娼婦ムゼッタの示すやさしさに先生は泣きました。

 弾圧事件の法廷で示された仮借なく権力と闘う先生、自分の美意識を頑固なまでに貫き通して死を迎えられた先生。

 多くのことを教えられました。さようなら、寺本先生。



団総会・女性部の憲法企画へどうぞ!

東京支部  西 田 美 樹


 女性部の憲法企画の内容が来ました。余りおもしろすぎて(!?)ほかの人には教えたくないけど、教えないと人が来ない! 泣く泣く教えます。読めば絶対来たくなる、女性部の憲法企画のお知らせです。

 一〇月二三日(日)午前九時、鳴門教育大学です。ホテルからは朝八時半にバスが出ます。眠いけど、とにかく体をバス乗り場に運んでください。会場に着いたらぱっちり目が覚めます。

 ずずっとご一行様で鳴門教育大学に着いた後は、早速各地の報告です。あの人はどんな実践をしているのか、憲法講師の依頼が殺到しているこの人のポイントは何か、この機会に何でも聞いちゃいましょう。

 その後は与党の憲法案について、じっくり検討します。与党案のどこをつけば痛いのか、三人寄れば文殊の知恵、みんなで意見を出し合いましょう。

 そうそう、この企画、何がいいって、双方向であることです。総会で毎年、なんだか話し足りない、議論したいのに聞いてばかりだ、という点で欲求不満になっているあなたにぴったり!

 今回の「郵政選挙」で身にしみましたけど、たとえ詭弁でも、わかりやすく、一本筋を通すことが本当に大切。自分の理解はひとりよがりになっていないのか、筋が通っているのか、わかりやすいのか。チェックしてみるチャンスですよ。

 なお、女性部企画と銘打っていますが、男性の皆さんの参加も歓迎です。そして、新人の皆様のご参加、熱く熱く期待しています。

  鳴門の渦潮よりもダイナミックな憲法企画、どうぞお越しください!



おまたせいたしました。

教育基本法リーフ完成しました。

東京支部  小 林 善 亮


 今年の六月、教育基本法改悪阻止FAXニュースで教育基本法リーフの表紙を飾る赤ちゃんの写真を募集しました。それからはや四ヶ月。もはやそんな企画があったこと自体、皆さんの記憶の彼方に追いやられていたかもしれません。

 しかし、教育基本法改悪阻止対策本部は、着々と準備を進めて参りました。そしていよいよ教育基本法リーフが発刊されます。

 教育基本法「改正」を打ち出した中央教育審議会の答申から二年半。「改正」案の国会上程を押しとどめてこれたのは、団も含めた様々な市民の運動の力があってこそです。

 しかし、九月の総選挙の結果をみれば、憲法と並んで教育基本法をめぐる情勢も緊迫感を増していると言わざるを得ません。教育基本法は、憲法の理念を実現するための法律ですから、教育基本法「改正」論議には、憲法「改正」にかける改憲勢力の「理念」が色濃く表れています。戦争を支える国民を形成のために愛国心や公共心を一面的に強調する、子どもはお国に奉仕する「人材」だとして学力競争をさらに強化する。子どもの成長発達権の保障と真っ向から反する「改正」が取りざたされています。

 情勢が緊迫したこの時期に「改正」反対の武器となる、団のリーフが出される意味は大きいのではないでしょうか。是非皆さんに活用して頂きたいと思います。

 今なぜ教育基本法「改正」なのか、教育基本法の何が変えられようとしているのか、変えられてしまうと子どもにどんな影響があるのか・・・。リーフは教育基本法「改正」の問題点をイラストで分かり易く解説しています。そして表紙を飾るのは団員のお子さんたちの写真です(これが何しろ可愛い!ご協力頂いた団員の皆様ありがとうございました)。

 教育基本法のことはよく分からないという人、このリーフを是非読んでください。そんなこともう知っているという人、リーフを配って他の人に教育基本法「改正」の問題点を知らせてください。これまで「憲法学習会の講師の時に教育基本法のことを話す時間がないな。」と思っていた人、このリーフがあればもう大丈夫です。

 このリーフを活用して、各地で教育基本法「改正」反対の風を巻き起こしましょう。

【注文方法】

  教育基本法リーフは一部二〇円です。

  注文は団本部(FAX:〇三ー三八一四ー二六二三)まで。

(氏名・事務所名・連絡先・送付先住所・部数を明記。リーフ送付先と代金請求先が異なる場合には請求先の連絡先をご記入下さい。申し訳ありませんが送料はご負担願います。)



私も靖国神社に行ってみた

大阪支部  城 塚 健 之


 団通信一一七六号で笹山尚人さんが靖国神社について論じておられたが、大阪支部ニュース二二九号(二〇〇五年八月一二日号)も、ちょっとした靖国神社特集となっている。きづがわ共同法律事務所では事務所で靖国ツアーを組まれたようで、鈴木康隆・井上洋子・渡辺和恵さんの訪問記が並んでいる。かくいう私の所属する大阪法律事務所でも、「八尾 平和のための戦争展」の準備として独自にツアーが企画され、参加した事務局の藤井靖久・片山光江・西尾由香さんが感想文を書いている。私も、行ってみようかな。渡辺さんは百聞は一見に如かずというし。ところが、藤木邦顕さんは、「入場者を増やすのでお勧めしない」なんていうのである。どっちやねん。しかし、やはり法律家は現場が第一。それに、これまであまり考えたことがなかったが、中国大陸のどこかで戦死したという私の祖父もここに合祀されているのではないのか。というわけで、先日、東京出張の折りに、ちょっと早起きして靖国神社に出かけてみた。

 いやあ、実に面白かった。まず、大鳥居をくぐって拝殿へ。「世とともに語りつたへよ國のため命をすてし人のいさをを」という明治天皇の歌が掲げられている。右に折れて、軍馬や軍犬や伝書鳩の銅像などを見学した後、「遊就館」へ。それはまさに戦争博物館。一階には、零戦やタイの泰緬鉄道を走った蒸気機関車が飾られ、二階に上ると、皇室コーナーに教育勅語や軍人勅諭が飾られている。続く展示では、明治から昭和にかけて、列強諸国の脅威にさらされる中、わが国がいかにたたかってきたかという歴史が語られていく。日露戦争では軍艦マーチとともにロシアのバルチック艦隊撃滅を誇らしげに語る映画が上演され、太平洋戦争中のさまざまな作戦についてもよく分かって、これは軍事オタクには興味深いことだろう。さらに、中国人民を苦しめているのは日本軍ではなく蒋介石であるとする報道映画、戦車や人間魚雷・回天の実物、数多くの遺書。最後に「英霊」(神様)の写真が多数飾られている部屋へと続く。

 そもそも私は、靖国神社の由来もろくに知らなかったのであるが、一八六九年の戊辰戦争の官軍側の戦死者を顕彰するために建てられた「招魂社」がその前身であり、一八七九年に靖国神社と改名され、その後、日清戦争、日露戦争、満州事変、支那事変、大東亜戦争など、ひっきりなしの戦争のたびに戦死者を次々と祀っていったのがその歴史である。そこに祀られている「神様」とは「英霊」のみ。靖国神社が戦争と不可分の施設であることはその本質に基づくものである。

 また、「国家(天皇)のために」「戦って死んだ」ものを「顕彰」するのが靖国神社のコンセプトである以上、賊軍や外国軍戦死者を祀らないのも、非戦闘員を祀らないのも、当然であるし、他方、A級戦犯が上記の要件を満たす以上、これを合祀するのもまた、当然となる(太平洋戦争はルーズベルトが不況を脱するために日本に宣戦布告させるよう追い込んだ結果であり、東京裁判は戦勝国の無法な裁判であるというのは、以上の論理からすれば、あくまで補足的な理由であろう)。すべて論理が一貫している。

 「遊就館」で描かれる歴史は、太平洋戦争の終結により終わっている。これもまた靖国神社の性格からは当然であろう。要するに、日本が戦争をしなければ靖国神社の存在意義はないのである。だからこそ、笹山さんが指摘するように、首相の靖国参拝は憲法破壊につながるのである。

 帰ってから笹山さんが推薦されていた高橋哲哉「靖国問題」(ちくま新書 二〇〇五年四月)を読んでみた。冒頭に靖国問題を「論理的に明らかにする」とされているとおり、非常に明晰な論理で、靖国で感じたことの論理的な裏付けが得られたように思う。

 ついでに、高橋氏を激しく攻撃している小林よしのり「靖国論」(幻冬舎 二〇〇五年八月)も読んでみた。小林氏は「真の追悼施設を造るには、新たな戦争を絶対に起こさない国を作る方が先だ」という高橋氏の結論部分を「今どき社民党でも大っぴらには言えないような極左のカルト的主張」と決めつけているが、それは、国家に戦争はつきものという自らの立場から、これと異なる高橋氏の立場を攻撃しているだけである。論理的な批判ではない。

 しかし、「遊就館」の展示を見ていくうちに、「ああ、気の毒な日本」、「がんばれ日本」などという気分になってくるのも事実。そこでは、国家と天皇と国民が一体化させられている。来館者の感想が記されているノートをみると、今日の日本の繁栄の礎となった人々に想いを寄せるために一度来てみたかったんです、などの記載がなされている。見事なまでの「教育」装置。こうした靖国神社の実態を知るには、藤木さんに逆らうようで悪いけど、やはり実際に自分の目で確かめてみるのが一番である。

 それにしても、二時間程度の見学時間では短かかった。できれば四時間程度はほしいところだ。帰り際に、「遊就館」一階にある喫茶レストランで「海軍カレー(昔ながらの味)」というものを試してみた。この味の評価はたぶん分かれることだろう。



第四回六カ国協議の結果について

広島支部  井 上 正 信


 第四回六カ国協議が九月一九日共同声明を採択して閉会した。今回の六カ国協議の焦点は、(1)北朝鮮の核兵器と既存の核開発計画を完全に放棄させること、北朝鮮のNPT復帰とIAEAの保障措置(査察)受け入れ、それとの関係で北朝鮮の核平和利用を認めるか、(2)北朝鮮の体制保障と米朝関係の改善、(3)(1)との関係で北朝鮮に対する経済援助をどのように行うのかであった。しかし、共同声明の前文に述べているように、あくまでも(1)を中心にした朝鮮半島の非核化が最大のテーマであった。

 共同声明を読むと、上記三つのイッシューはもとより、これに関連して幅広い課題が議論されたことが解る。日朝国交正常化のための措置をとることを約束し、朝鮮半島の恒久的な平和体制の確立(朝鮮戦争の休戦協定を平和条約にすること)を協議すること、北東アジア地域安全保障についての共同の努力を約束したことである。

 共同声明の評価を巡り、商業マスコミは肯定的な評価をしているが、他方で、九四年ジュネーブ合意と比較して、共同声明が何ら具体的な措置を定めていないことや、今後の具体化のための協議如何によりどうなるか解らないと言った懐疑論が流されている。

 私は、今回の六カ国協議の行方を固唾をのみながら見守ってきただけに、共同声明が採択されたことを率直に喜んでいる。

 確かにジュネーブ合意と比較すれば原則論に終始している。しかし、ジュネーブ合意自体があそこまで具体的なプロセスを決めなければ合意できなかったのは、ある意味では米朝間の不信感の根深さのあらわれであった。最初の合意で詳細なプロセスまで合意したことがかえってその後の履行を妨げる結果にもなった。米国は毎年五〇万トンの重油を北朝鮮に供給する義務を負ったが、毎年米議会はそれにブレーキを掛けてきたため、順調に供給されなかった。KEDOによる軽水炉建設は、二〇〇三年には完成予定であったが、決定的に遅れてしまった。これらは米朝間の緊張の原因にもなった。その意味では今回原則論で共同声明に合意したことは賢明であったといえよう。

 ブッシュ政権の北朝鮮政策からすれば、共同声明を懐疑的に見るよりも、原則論であっても共同声明に米朝が合意したことの積極的意義を評価すべきであろう。

 ブッシュ政権は発足後六ヶ月掛けて北朝鮮政策を策定した。その内容は、クリントン政権時代の北朝鮮政策よりも更にハードルを高めたものであった。その上、北朝鮮の核計画放棄に対する見返りは与えないとか、対話をしても交渉はしないなど、およそ北朝鮮に対する外交政策といえるものではなかった。その上二〇〇二年一月ブッシュ年頭教書演説(悪の枢軸演説として有名)で、北朝鮮をイラン・イラクと並んで悪の枢軸と呼称した。二〇〇二年一月「核態勢見直し」のなかで、ブッシュ政権は北朝鮮を先制核攻撃の標的にした。クリントン政権最末期で、米朝首脳会議を平壌で開き、両国の国交正常化実現直前まで進展したにもかかわらず、ブッシュ政権のABC政策(Anything But Crynton クリントン政権の政策の全面否定)と北朝鮮政策により、米朝間の不信と対立は一気に高まった。その後二〇〇二年一〇月米朝高官協議で決定的に決裂した。この様なブッシュ政権の北朝鮮政策は、外交政策としては「無政策」と言わざるを得ず、北朝鮮の核開発に対しても無策であった。米朝間の直接の高官協議すら禁止していたため、第一回の六カ国協議では、ホスト国中国がいかにして実質的な米朝協議を行わせるか苦労したのである。中国を交えた三カ国協議の体裁で途中中国が席を外すというように、まるで子供のケンカに大人が仲裁にはいるようなばかげた交渉であった。

 第四回六カ国協議開催を目指して、今年五月から米国は積極的に米朝高官協議を行うなど、ブッシュ政権はこれまでの政策を大きく変更し始める兆しが見えてきた。

 共同声明が合意されたのは、六カ国がそれぞれ朝鮮半島非核化を交渉で実現しようとする強い政治的意思があったからである。戦争の危機をはらむ国際紛争を外交交渉で平和的に解決が可能であるという、一つの重要なケースを示しているように思う。

四 共同声明で合意されたことの含意を検討してみよう。

1 朝鮮半島非核化

 共同声明一項で、朝鮮半島の検証可能な非核化という共通の目標が確認された。

 北朝鮮は、すべての核兵器と既存の核計画を放棄し、NPTとIAEA保障措置協定に復帰することが合意された。核兵器計画に限定するか平和利用を含む核計画の放棄かを巡る米朝の対立が、第四回六カ国協議で合意文書第四次案がまとまらなかった最大の原因であった。休会後も米朝間で平和利用を巡り対立は深まった。再開後の協議で、「適当な時期に軽水炉提供問題で協議」を合意したことで、北朝鮮は譲歩した。これにより現在の黒鉛原子炉と再処理施設の廃棄が合意されたのである。

 北朝鮮はNPT、IAEAの保障措置に早期復帰を約束した。米国は、北朝鮮に対して核兵器、通常兵器による攻撃または侵略の意図がないことを確認した。これは、直ちに先制的自衛という米国の国家安全保障戦略や、北朝鮮に対する先制核攻撃戦略(核態勢見直し)を修正するものではないかも知れないが、今後の共同声明具体化のための六カ国協議や米朝協議では必ず直面する問題である。韓国国内へ核兵器がないことの確認と非核化の約束及び一九九二年朝鮮半島非核化南北共同宣言の遵守、実施義務の確認は、北朝鮮の非核化と相まって、朝鮮半島の非核化へ向けた大きなステップである。今後共同声明を具体化する協議の過程で、法的拘束力ある消極的安全保障(NSA核兵器国が非核兵器国を核攻撃しないという誓約)が必ず問題になる。ジュネーブ合意では三項(1)で米国によるNSAが与えられていた。この要求は、ジュネーブ合意に至るまでの米朝高官協議で、北朝鮮は一貫して米国に求めていた。更に言えば、NSAは一九六八年に締結される核不拡散条約(NPT)の締結交渉の中で、核兵器国と非核兵器国との間で鋭く対立した問題であった。北朝鮮と米国との間でのNSAの合意は、日本の安全保障政策の柱である米国の核抑止力に依存するという「核の傘」政策の有効性にまで波及するはずである。後に述べる北東アジア安全保障についての努力において、日本の「核の傘」政策の是非について、真剣に議論しなければならない時が来るであろう。

 米国は今回の六カ国協議で、北朝鮮の核平和利用を容認しないという原則で臨んだ。これは、北朝鮮政策にとどまらず現在のブッシュ政権の核不拡散政策の重要な柱になっている。それだけに、米国としては譲歩が困難な課題である。しかし、北朝鮮がNPTへ復帰すれば、NPT第四条で平和利用が締約国の奪い得ない権利であると規定されているのであるから、北朝鮮の要求は正当である。米国は、二〇〇五年NPT再検討会議に向けて、条約第六条核軍縮義務は果たしたとして、再検討会議の中心課題に、核拡散問題を据えようと画策した。NPT体制を核兵器不拡散のいくつかあるうちの一つの枠組みとして位置づけようとした。米国は、核兵器の平和利用の陰で核兵器や兵器級核分裂物質が開発製造されてきたという口実から、条約四条の平和利用の権利を制限しようとした。六カ国協議に臨んだ米国の立場は、この様な全般的な戦略の一環であった。しかし、この戦略は条約第四条を否定し、NPT体制の信頼性を揺るがすものであることや、再検討会議後米国はNPT非加盟のインドに対して、これまでの政策を一八〇度転換して、インドの核平和利用に支援を与えるなどダブル・スタンダード政策を露骨に示し、国際社会から強い批判を浴びている。共同声明で北朝鮮の平和利用の権利を尊重せざるを得なかったことは、米国の核不拡散政策の破綻である。

 しかし、この問題での米朝の見解の隔たりが埋まったわけではなく、今後の具体化のための協議において最大の問題になるであろう。

 ウラン濃縮計画は第三回までの六カ国協議の大きな争点であったが、共同声明の文章にはウラン濃縮計画の言葉はない。北朝鮮は一貫してこの計画の存在を否定してきた。これが入ると合意できなかったであろう。「既存の核計画」にはウラン濃縮計画が含まれるという意味であろう。ウラン濃縮計画は、二〇〇二年一〇月の米朝協議の場で、北朝鮮が計画の存在を認めたと米国が発表し、北朝鮮外務省声明はそれを否定し、それをきっかけに米朝関係が一気に悪化して、あたかも九四年の朝鮮半島危機と同じような経過をより短期間にたどったという、いわく付きの問題である。北朝鮮はウラン濃縮計画を否定し続けてきたので、共同声明に明確に盛り込むことは合意を危うくするため「既存の核計画」という表現になったと考えられる。しかし、最近パキスタン政府が公表した事実から、北朝鮮にはウラン濃縮計画が存在したことは間違いないであろう。ただし、数千台の遠心分離器を稼働させるため大量の電力が必要となるウラン濃縮計画が稼働しているか専門家の間では疑問を持たれている。恐らく北朝鮮にとってウラン濃縮計画は面子と取引材料という位置づけではなかったかと考える。今後共同声明を具体化する過程ではこの問題は重要な争点にはならないであろう。

2 北朝鮮の体制保障と米朝関係、日朝関係の改善

 米朝関係では、共同声明一項で米国は北朝鮮に対して核・通常兵器による攻撃、侵略の意図を持たないと保障し、二項で両国は相互の主権尊重と平和共存、国交正常化のための措置をとることを約束した。ジュネーブ合意はここまで踏み込んだ内容にはなっていない。クリントン政権末期、クリントン訪朝と米朝首脳会談を準備するためのオルブライト国務長官(当時)が訪朝することを合意した二〇〇〇年一〇月米朝共同コミュニケでも、まだここまでの踏み込んだ内容ではなかった。その意味でこの合意内容は、戦後の米朝関係史でも画期的といえる。この合意を具体化する協議では、当然のことながら米国国内法による北朝鮮テロ国家指定の解除と、経済制裁の撤廃が議論されるであろう。

 北朝鮮の核開発問題は、米朝二国間の根深い不信と対立の中から発生した問題である。共同声明により合意された朝鮮半島における恒久的な平和体制確立のための協議と米朝国交正常化という、より包括的な枠組みにより北朝鮮の核問題の根本原因を解決して、朝鮮半島非核化を実現しようとするのは、それぞれの参加国に思惑の違いはあるにしても、六カ国が共同声明合意に向けて真剣に努力したことを示しているであろう。この合意が具体化に向かえば、ブッシュ政権の北朝鮮政策は変更を迫られるであろう。クリントン政権の「ならず者国家」ドクトリンは、北朝鮮との関係から形成されたものであった。それが、ジュネーブ合意の後、特にクリントン政権末期になり、米朝関係が急速に改善に向かう中で、「ならず者国家」ドクトリンが崩壊し、米国は公式に「ならず者国家」という呼称を放棄し、「懸念国家」という呼称に改めた。この共同声明具体化が進展すれば、ブッシュ政権の「悪の枢軸」ドクトリンも破綻するであろう。残るのはイランだけである。

 共同声明の中で、日朝は平壌宣言に従って国交正常化の措置をとることを約束した。第四回六カ国協議では、日朝二国間協議が必ずしも十分に行われたとは思えない。その中でこの一文が共同声明に入ったのは、日朝国交正常化が日朝二国間関係の問題にとどまらず、朝鮮半島の非核化にとって不可欠な要素であり、協議参加国の共通の関心事項であることを示している。日本が拉致問題という特殊二国間問題解決にこだわり、日朝国交正常化を先延ばしにすることは、朝鮮半島非核化という目標実現に対して阻害要因になることは明らかである。拉致被害者家族会は、共同声明が発表された際の記者会見で、拉致問題が後回しにされたとして否定的な評価をした。私たちは、この様な見解に振り回されて拉致問題解決を国交正常化の前提条件にするのではなく、平壌宣言に従って国交正常化交渉の過程で解決されるべき懸案事項の一つであると、明確に位置づけなければならない。ましてや北朝鮮に対する経済制裁など論外である。その様な立場に立たない限り、共同声明を具体化すべき今後の六カ国協議で、日本が重大な阻害要因になり国際的に孤立するであろう。

3 北朝鮮への経済援助

 共同声明三項で、六カ国はエネルギー、貿易、投資分野で二国間または多国間での経済協力を推進することを約束し、北朝鮮を除く他の五カ国は、北朝鮮へのエネルギー支援の意向を表明した。これまでブッシュ政権は、北朝鮮の核開発の放棄が先で、それに対して見返りは与えないという頑なな政策を採ってきた。第三回までの六カ国協議でも北朝鮮へのエネルギー支援を自らは行おうとせず、他の四カ国が行うことを容認するとの立場を出ることはなかった。共同声明では、米国も直接援助に加わることが合意されたのである。ブッシュ政権が直接の経済支援について、米議会の同意を取り付けられるのか懸念されるが、この点でもブッシュ政権は自ら設定したハードルを乗り越えようとしているのであろう。

 共同声明のこの内容は、日本に対しては経済制裁をしてはならないとの含意を含んでいる。

4 安全保障

 共同声明第四項では、朝鮮半島非核化の目標実現を目指して二つの安全保障に関する合意がされた。一つは北東アジアでの地域安全保障であり、他は朝鮮半島での恒久的な平和体制確立である。この二つの安全保障問題にかかわる当事国が、「六カ国」と「直接の当事者」と書き分けてある。朝鮮半島における恒久的な平和体制確立とは、朝鮮戦争を国際法的に終結させる平和条約を締結することである。現在は休戦協定のままなんと五二年が過ぎた。平和条約は休戦協定の当事国(米・中・北朝鮮)に韓国を加えた四カ国の問題である。この二つの安全保障問題は不可分の関係である。

 六カ国協議を通じて二つの安全保障協議が進展すれば、将来の地域的安全保障の枠組みへと発展するであろう。米国による北朝鮮に対するNSAの付与が実現されれば、日本の核の傘政策も見直しを迫られ、朝鮮半島南北非核化宣言と、日本の非核三原則から、北東アジア非核地帯への道が開かれる。北東アジア安全保障の枠組みと北東アジア非核地帯とは互いに補いながら、地域安全保障を確かなものにするであろう。

五 共同声明と日本の立場

 共同声明は、米朝と日朝の二国間関係について特に言及している。それは北朝鮮の核開発問題は主要には米朝関係にかかわる問題であるが、日朝国交正常化が朝鮮半島非核化目標にとって決定的に重要であるという六カ国の認識を示しているのである。日朝国交正常化が平壌宣言に従って進められるべきであるという点も六カ国の共通の認識である。平壌宣言と六カ国協議や共同声明は深い関係にある。二〇〇二年九月日朝首脳会談で平壌宣言が合意されたが、会談で金正日は初めて六カ国協議を公式に肯定した。その後二〇〇三年二月パウエル国務長官(当時)が日・中・韓を訪問するが、日本側からパウエルに六カ国協議を提案し、パウエルが米国案として中国へ提案した。これが六カ国協議実現につながったと言われる。平壌宣言は日朝国交正常化交渉と二国間安全保障対話を車の両輪として両国の関係改善を図る仕組みを合意していた。平壌宣言は日朝二国間関係だけではなく、「この地域の関係国間の関係が正常化されるにつれ、地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備していくことが重要」との認識で一致している。

 共同声明も、二国間関係の正常化と地域安全保障とが、朝鮮半島非核化の目標実現にとって不可分であるという認識である。平壌宣言と共同声明は共通の基盤に立っているといえるであろう。日朝が平壌宣言を誠実に履行することは、朝鮮半島非核化から更には地域安全保障の枠組み構築へと進展させる重要な鍵を握っている。日本は間違っても拉致問題に振り回されて経済制裁など行ってはならない。拉致問題は、日朝国交正常化交渉の過程で解決されるべき懸案事項の一つに過ぎない。

 憲法改正問題も、この文脈において考えると、共同声明の具体化の過程に対して悪影響を及ぼすであろう。北朝鮮の立場からは、改憲された日本は強い脅威となる。アジア最強の海・空軍力を擁する日本が、改憲により海外で軍事力行使が可能になり、軍事力を背景にした強圧的な外交交渉に出るからである。

六 まとめ

 「既存核計画の放棄」と軽水炉提供時期を巡り、既に北朝鮮とその他の五カ国との間で認識の違いが表面化している。年内に開かれる予定の六カ国協議での成功の道のりは厳しいことを予感させる。これから第五回に向けた数ヶ月間に、日朝、米朝、南北朝鮮、国際原子力機関と北朝鮮との協議がどれだけ進展するか重要である。北朝鮮核問題の解決では、九四年一〇月ジュネーブ合意よりももっと大きなチャンスが広がっている。共同声明は多国間協議の結果であり、北朝鮮核開発問題を中心にしながらより包括的で根本的な解決の道筋の原則を合意しているからである。米国の北朝鮮政策の事実上の変更が大きく寄与している。

 他方、拉致問題解決を日朝国交正常化の前提問題にし、解決のためなら経済制裁も辞さずとの路線が破綻したことも明らかである。外交交渉で日朝国交正常化を実現し、諸懸案事項も解決することは、憲法の平和主義を実践する政策である。憲法改悪に反対する私たちは、改憲を許さないだけではなく、平壌宣言に従った早期の国交正常化を実現させるよう、国民世論を広め政府に要求しなければならないであろう。



総選挙から

東京支部  神 田   高


 米国同時テロから四年後の九月一一日に投票日を迎えた総選挙は、議席上、自民党の「圧勝」で終わった。民主党が一議席しかとれなかった東京の小選挙区でも、得票率をみると自民・民主は三〇%台でほぼ拮抗しており、自民党が獲得した議席も堅固なものではないが、小選挙区効果としての結果であった。

しかし、自民党が増やした五〇〇万票には、単なる 小泉旋風 とはいえないこれまでとは違った側面があるように思う。投票日に町で、「茶髪もけっこう来ていたな」という若者の話を耳にした。無党派層の多い私の住む地域の息子の保育園時代からの親しいある父親は「三〇〜四〇代が自民党に投票したんじゃないかな」とも言っていた。投票率を押し上げた原因には、 改革熱 に誘導され民主から自民に流れた票以外に、新自由主義的 構造改革 によって生み出されてきた格差拡大にあえぐ者による投票行動があったと思われる。

 投票日直前の九月八日の朝日朝刊に掲載された、総選挙特集「二極化の足下〜活況の一方 格差拡大」の記事には、貧困度の各国比較とともに所得格差の広がりのグラフが出ていた。八〇年代前半に上位二割と下位二割の開きが一〇倍以内だったのが、九〇年代後半から急激に拡大し、〇二年には一六八倍に達しているという。最近出版された森岡孝二『働きすぎの時代』(岩波新書)には、「現在すでに日本の労働者の四人に一人は年収一五〇万円未満、二人に一人は年収三〇〇万円未満」。複数世帯では階層化は表面に出ないが、「フリーターのような低賃金でシングルでいつづけることは厳しい」という。九八年に出版された橘木俊詔『日本の経済格差』(同)の出版の動機は、「理にかなわない不平等化の阻止」である。

 シラク政権のイラク戦争反対の姿勢を理論的に支えたとされるEトッドは、『帝国以後〜アメリカ・システムの崩壊』(藤原書店)で、「経済の帝国的変貌は、アメリカ社会の上層階層を一国の枠組みを越えた帝国的(「グローバルな」)社会の上層階層に次第に変貌させていく」と述べている。アメリカで、「国民」所得のうち最も豊かな五%に吸い上げられる割合は、一九八〇年には一五・五%だったのが、二〇〇〇年には二一・九%となり、最も豊かな二〇%の取り分は四三・一%から四九・四%に上昇している。

 しかし、 不平等の劇的拡大 があったのは、八〇年代から九四年の間で、最も資産のある五%では、増加率は五九%にも達している。同時に注目すべきなのは、アメリカの「帝国」への傾向が加速化したのは、九四年から二〇〇〇年までの間であると指摘されている点である。トッドは、「貿易自由化は、世界規模での不平等の拡大を引き起こし、全体としての世界の特徴である所得格差を一国規模で各国に導入し、総賃金の停滞」をもたらしたと言う。縮小された賃金は増大する生産を吸収できず、結局資本主義の伝統のジレンマを世界的規模で噴出させることになるのだが、「帝国化」の過程で国内的にも格差社会がもたらされることは、重大である。

 九九年に小沢一郎の改憲試案に続いて出された、鳩山由紀夫の「ニューリベラル改憲論・自衛隊を軍隊と認めよ」(文芸春秋一〇月号)は、グローバリズムの中で弱肉強食の世界を生き抜ける日本をつくる、そのために憲法を、九条を変えると言い放っていたが、ここに来て、そのリアリティが見えてきた。その路線は、五年余を経て小泉純一郎に引き継がれたが、その本質が、体内的には「構造改革」という名の国民収奪、格差拡大路線であり、対外的にはー「帝国」に従属したー軍拡戦争路線(トッド風にいうと「演劇的(小規模?)軍事行動主義」への参戦)であることが明らかとなってきた。

 憲法九条という日本に独自の戦争政策に対抗する社会文化的な力と「構造改革路線」に対抗する国民に見える運動の創造によって、ポピュリスト的野望をうち破っていくべきだと思う。