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坂本  修 新しい情勢―そして今年の“夢”
山口 真美 改憲を許さないための三つの取り組みの提起
竹澤 哲夫 横浜事件(第三次)再審公判結審
判決は〇六・二・九
市川 守弘 弁護士・弁護士会の行方




新しい情勢―そして今年の夢

団 長  坂 本   修

 明けましておめでとうございます。

 改憲を迫る流れは、一段とつよまっています。昨年一一月二二日、自民党は五〇周年党大会で『新憲法草案』を発表。総選挙での「突風的勝利」に勢いを得て、あわよくば〇七年の国民投票をも展望して、策動に拍車をかけてきています。しかし、その一方、私たちの側でも、九条の会が一一月末時点で三六〇〇を超え、一一・一九集会も三万五〇〇〇人が集まって成功するなど、反撃の流れは広がっています。せめぎ合い≠ヘいよいよ本番を迎え、今年は、流れの行方を左右する年になるのだと思います。

*  *  *

 各地での団員の多様な活動を団総会、改憲阻止対策本部会議、常幹、そして団通信で知って、私は大いに励まされています。

 最近思うのは、基地、共謀罪、諸弾圧、教育基本法、そして労働法制などなど、数多くの課題―ほとんどすべての課題―が憲法をめぐるたたかいとの関連を鮮明にしつつあるということです。大変ですが、そこにも、反転攻勢、勝利の新しい条件が生まれてきているのではないでしょうか。

*  *  *

 思いもよらず、団長になり、私が設定した二年間という期間をこえ、「約束」に反して三年目に入りました。パソコンのメールの受信はできるようになりましたが、送信はできないなど、就任時の公約に違反してみなさんに迷惑をかけていますが、このままで終わりそうです。

 憲法闘争に勝利できるかどうか大事な境目になるこの一年。私自身が学習会にかけ廻るのではなく、みなさんが活動しやすく、みなさんに役に立つ団になることを願って、そのことを自分の一番大切な仕事として活動しようと考えています。

 就任以来二年間、途中リタイアしないように自制してきましたが、あと一〇ヶ月ですから、ブレーキをはずして、そのためにできるだけのことをするつもりです。

*  *  *

 「アメリカの裏庭」とされていた南米の小国、コスタリカは一九四八年、憲法で軍備を持たないことを決め、いまもこれを実践しています。そのときの大統領夫人カレン・オルセンさんは、二〇〇三年に訪日して、つぎのように語ってくれています。

 「一人ひとりが真実の一片をもっています。平和のためには、そ  の一片をもちよって行動することが大切です」

 「行動するためには、最初にまず夢をみなければなりません」

 ―一人ひとりが「一片をもちよって」改憲を阻止し、必ず勝利する。そのとき、憲法ははるかにつよく輝き、私たちは憲法のより力づよい使い手に変身≠キる。そうした私たちが多数派を形成し、この国の人々、そしてアジアや世界の人々とみんなが平和で人間らしく生きる世界をつくるための豊かな連帯を実現する。そのことによって、「もう一つの日本」「もう一つの世界」への扉を開く。そのために団と団員がともに前進する二〇〇六年になる。

 これが私の初夢≠ナす。ジョン・レノンが夢想家≠ニいわれるかも知れないが、でも一人ではない、みんながイマジンすれば、夢の実現は可能だと唱っていることを信じて……。

 今年もどうかよろしくお願いします。



改憲を許さないための三つの取り組みの提起

改憲阻止対策本部担当次長  山 口 真 美


 自民党が新憲法草案を決定し、民主党も憲法提言を発表しました。国民投票法案についても自民、公明、民主三党が本年一月二〇日から開かれる通常国会で可決・成立を目指す動きをみせるなど、改憲に向けた動きが急ピッチで本格化しています。

 他方、九条の会に賛同する各地の「会」が全国で三六〇〇を超えるなど、平和憲法を支持する取り組みもこれまでにない広がりを見せています。憲法を活かすことこそ重要だということに確信を持って今後の運動を展開していくことが何より大切だと思います。

 自由法曹団としても、九条の会など改憲を許さない運動を大きく広げるなかで、改憲阻止に向けて、いまとりわけ重視するべき次の三つの取り組みを提起することになりました。

 改憲を許さないために、すべての団支部、法律事務所、さらには団員として、取り組みを強めていただくようお願いします。

一 団員一人一人が改憲阻止を全国で訴える

         学習・講師活動に打って出よう!

 改憲を許さないかどうかは、平和憲法を支持する世論を広げ、国民の中に改憲を許さない多数派を結集できるか否かにかかっています。草の根から無数の九条の会をつくり、アピールの賛同や改憲反対の署名を広げる活動が進められています。そのような取り組みを進めるうえでも、改憲の動きや問題点、そのねらいなど、しっかり学習しなければという声があがっています。すでに、各地の九条の会や共同センター、様々な団体・グループなどで学習会活動が進められており、一〇名前後の小規模の学習会にも団員の講師活動が取り組み始められています。

自由法曹団としては、九条の会など様々な改憲を許さない取り組みを進めるなかでも、とりわけ憲法の学習会の開催をおおいに呼びかけ、団員一人一人が憲法を語る講師活動を全国的に進めていきたいと思います。

団の各支部、法律事務所、団員個人が、あらゆるつながりを活かし、また、憲法会議、全国革新懇、労働組合、市民団体などと連携し、憲法改悪を許さないための学習活動を呼びかけ、講師活動に打って出ましょう。

学習会活動や講師活動の経験をぜひ団本部にお寄せください。


二 二月一七日 全国活動者会議に参加しよう!

全国活動者会議を次のとおり開催します。会議では、改憲を許さないための取り組みについて全国各地の団員の経験や情報を交流し、改憲阻止のたたかいをどう広げるか、学習・講師活動にどう取り組むかなどについて議論したいと思います。ぜひご参加ください。

 日時 二〇〇六年二月一七日(金)

          午後一時三〇分〜午後六時(目途)

場所 文京区民センター三階三A

         住所:東京都文京区本郷四ー一五ー一四

         電話:〇三ー三八一四ー六七三一

三 四月六日 国民投票法案反対集会に参加しよう!

  各地で法案に反対する取り組みを進めよう!

国民投票法案が本年一月二〇日から開かれる通常国会に提出される見込みです。国民投票法案は憲法改悪のためのものであって、その制定自体を許さないたたかいが重要となっています。国民投票法案に反対する声を国民の中に広げることが急務となっています。

 左記のとおり、国民投票法案に反対する集会を開催します。ぜひご参加いただくとともに、多くの人に参加を呼びかけてください。

 また、全国各地で改憲を許さないたたかいに位置づけて、宣伝や学習、集会など国民投票法案に反対する取り組みを進めてくださるよう訴えます。

 日時 二〇〇六年四月六日(木) 午後六時三〇分〜

場所 弁護士会館「クレオ」(予定)



横浜事件(第三次)再審公判結審

判決は〇六・二・九

東京支部  竹 澤 哲 夫


 横浜事件再審公判は、一〇月一七日の第一回公判期日に続いて第二回、〇五年一二月一二日の証拠調べ(横浜事件についてのビデオの法廷での上映・検証と再審請求人である遺族の証言)で結審した。 東京高裁の判断を経て確定した再審理由によると、確定有罪判決には「無罪を言渡すべき再審理由」(旧刑訴法四八五条六号)があり、拷問と自白に関する諸証拠が「無罪を言渡すべき新たに発見した明確な証拠である」とする。これを覆すものが全くない以上、本件の来るべき唯一の正しい判決は、横浜事件の全体像・ねつ造の経過を明らかにし、特高の拷問の犯罪性を糾弾した上での、明快な無罪判決である、と弁護団は確信している。

 判決は〇六年二月九日午後一時半、横浜地裁一階の法廷で言い渡される。

 第二回期日における弁護団の最終弁論(担当竹澤)要旨は左記のとおりである。

弁 論 要 旨

 六〇年余のトンネルを抜け出て再審公判として甦った本件、御庁昭和二〇年(公)第五〇号他の治安維持法違反被告事件の審理も、いま弁論を終結する段階を迎えた。

 すでに前回第一回公判期日(〇五年一〇月一七日)において本件についての弁護人の冒頭意見を述べたが、その骨子は(一)公訴事実はねつ造であり、被告人らは無実。(二)被告人の自白は虚偽。(三)虚偽自白は特高の拷問によるもの。(四)特高の事件ねつ造、故なき逮捕、拘引、長期にわたる勾留、その間の苛烈残忍な拷問による虚偽自白の強要。被告人らはその被害者であって、いかなる観点からみても無罪である、とするものであった。

 本公判は旧刑訴五一一条による公判であるが、いうまでもなく東京高裁の抗告審決定に対し検察官が不服申立せず確定したのは、ほかでもない当裁判所の再審開始決定である。これを受けての当裁判所の再審公判である。確定した再審理由、つまり本件確定有罪判決につき、無罪を言渡すべき再審理由にかかわる証拠を請求審に続く同一裁判所の当公判廷の手続にのせる。確定した再審理由を再審公判で変更ないし否定することはありえないことは当然である。

 したがって、当再審公判は確定した再審開始決定が示す判旨と、判旨が示す方向に従い、再審開始決定と同じ心証のもとに、再審制度の理念の実現、すなわち無辜の救済に向けて充実した審理をつくさなければならない。そのことこそが求められてきたのである。

 請求人、弁護人らは請求審、再審公判を通じて前記弁護人の主張について充実した立証を期し、被告人本人や事件関係者のほとんどが生存していないという困難な状況であったが、それにもかかわらず弁護人の意図したところの主張、立証はこれを尽くすことができたと考える。そして、証拠調べに基づく本件の来るべき唯一の正しい裁判は、本件の全体像を明らかにし、特高の拷問の犯罪性を糾弾した上での明快な無罪判決であると固く信ずるものである。

 この最終弁論にあたり、当裁判所に要望、留意を願いたい点として次の三点を指摘させて頂きたい。

一 事件の全体像を明らかにすること

 海野弁護人が指摘されるように「横浜事件は言論弾圧という点から考えると、日本古来まさに未曽有の歴史的事件といっても過言ではない」「この大弾圧が、実はまったくのねつ造によるものであることを、声を大にして叫ばねばならない。」(弁三三)。

 特高が苛烈な拷問によってねつ造した横浜事件の経過と全体像の解明は、当裁判所に、そしてきたるべき判決に課せられた課題であると考える。

二 人間の尊厳と拷問

 次に拷問について論ずる場合に留意されるべき視点についてである。

 今回の再審開始決定の確定を決定づけた拷問と自白は、本件再審と再審公判の核心に位置づけられてきた問題点である。この拷問に関しての証拠調べを終えて、あらためて横浜事件における拷問の残忍さに身の毛がよだつのである。前回の法廷の意見陳述で弁護人がふれた唯一人の女性被告人川田定子に対する拷問、さらに拷問の末の虚偽自白の強要、「転向」強迫などの、生涯消えることのなかった被告人らの無念、自責の思いなど、拷問が被害者にもたらした心の被害の深刻さに胸が震えるのである。

 横浜事件について、拷問の問題をとりあげるとき、拷問がもたらした身体的、肉体的な被害の認定に片寄りがちになる。もちらん身体的被害についての事実認定の確かさの必要性の強調されるべきこと当然であるが、それとともに拷問がもたらしたものは身体的傷病被害にとどまらないことについても留意されなければならない。

 弁護人が強調したいのは、本件横浜事件にみる思想弾圧事件の拷問は、治安維持法一条、一〇条の主観的要件について自白を迫る形で敢行されているが、拷問によって侵され、蹂躙されたのは、思想・信条の自由であり、良心の自由であり、言論・出版の自由であることが看過されてはならないということである。そして、より根源的、本質的には人間の尊厳に対する侵害、蹂躙であることを強調したいのである。

三 検察措置の禍根(拷問に対する対応の甘さ)

 抗告審決定が認定するように、横浜事件の被検挙者三三名は、特高が敢行した暴行凌虐行為について、戦後昭和二二年四月、横浜事件を調べた元神奈川県警部松下英太郎、同柄沢六治及び同警部補森川清造を含む特高警官多数を横浜地裁検事局に、本件拷問が特別公務員暴行傷害罪にあたるとして告訴、厳罰を求めた。

 これに対し、検察官がとりあげ起訴したのは告訴人益田直彦(本件検挙当時世界経済調査会員)の分だけであった。たとえば今回の再審公判の法廷に高齢のため出廷することのできなかった請求人由田道子の夫被告人由田浩の場合をとりあげよう。東京高裁の抗告棄却決定が引用する口述書によれば、「昭和一八年九月九日検挙。横浜臨港警察署に留置。同日、同署三階調室において、最初の訊問調書を取る機会に、否認すると、神奈川県警察部特高課室賀警部補ほか二名が、竹刀の折れたのや弓の折れたの等で全身を強烈に乱打し、膝裏に三角棒をはさんで座らせ、腿の上を泥靴で踏みつけるなどした。二時間余を経過し、虐殺の憂き目にあうを恐れ、やむなく訊問を肯定し、署名捺印し、そのまま人事不省に陥った。大腿部、背部、腕、顔面に受けた傷は、約二週間治らなかった。その三、四日後、特高課左翼係長松下警部、逗子警部補らが来て、又もや、前回のごとき暴行傷害を加えて陳述を強いた」のである。

 言語に絶するとしか表現できないのが横浜事件唯一の女性被告人川田定子の場合である。弁護人の冒頭意見でふれ、また先に証拠調べを了した同人の手記(弁二八等)のとおりである。残虐非道の拷問、目を覆うばかりである。

 人事不省に陥らせるほどの職務上の暴行凌虐傷害行為、これが起訴の対象とならないことについて合理的理由を見出すことができるだろうか。抗告審決定もいうように、これらの拷問は横浜事件の司法警察官による取調べの中で、被告人益田直彦に対する拷問が「例外的出来事であったとみるべきでない」とすれば、拷問に対する検察官の甘い姿勢こそが、拷問禁止を特に憲法に規定し(憲法三六条)「絶対に」の文言によってきびしく禁じたにもかかわらず、なお拷問が後を絶たない禍根となっているものといわなければならない。戦後・現憲法下でも拷問が後を絶たず、拷問による自白がさらに誤判に結びついて、冤罪犠牲者をながきにわたって生み続けることになっているのである。

 戦後の冤罪事件裁判の走りともいうべき幸浦・二俣事件について、その弁護経験から拷問捜査を摘発して「拷問捜査―幸浦・二俣の怪事件」を出版されたのは清瀬一郎弁護士であった。同弁護士はA級戦犯を裁いた国際法廷東京裁判における日本側主席弁護人をつとめた著名法曹である。幸浦、二俣と並ぶ小島(おじま)事件を弁護されたのが、本件の弁護人海野晋吉弁護士である。因に、幸浦、二俣の両事件については先にあげた清瀬一郎弁護士による拷問告発の書「拷問捜査」(日本評論新社刊)があり、小島事件については当時の海野事務所の大野正男弁護士による「事実認定における裁判官の判断―幸浦・二俣・小島事件の実証的研究」(日本評論社刊、「裁判における判断と思想」に収録)があることは知られるとおりである。拷問による虚偽自白がどうして誤った有罪判決に結びつくのか。両者とも改めて考えさせる名著となっているのである。

 さて、幸浦・二俣、小島事件等の拷問はこれら事件にとどまらなかった。静岡県下で昭和二〇年代から昭和三〇年代初頭に相次いだ冤罪事件―島田、丸正等の事件でも、拷問と自白が問題となった。拷問捜査を指揮した静岡県警紅林警部の名がマスコミを賑わしたのもその前後であった。昭和二〇年代後半、東京都下でおきた青梅事件でも苛烈な拷問とウソの自白が問題になった。これらいずれの事件も拷問による虚偽自白が一、二審では誤判有罪判決へと結びついたのである。

 このように検察・司法の拷問に対する甘さが拷問をさらに助長し、虚偽自白、誤判への連鎖、悪循環をくり返しているとすれば、まずその原点にも位置づけられる本件横浜事件における特高の拷問を具体的に検証し直してみた上で、それにもかかわらずこれを不起訴にして免罪した検察措置が結局冤罪誤判へとつながるに至っている。何度も言うように、拷問は憲法が規定する、「絶対に」あってはならない犯罪である。横浜事件でその犯罪的拷問がいかなる態様、内容でなされたのか具体的にまず事実として判決の中で認定して頂きたい。

四 むすびにかえて―海野論文(弁三三号)から

 本弁論の締めくくりとして、当弁護人は他の全弁護人とともに、次ぎの海野晋吉弁護士の言葉を借り引用させて頂くこととしたい。 海野先生の弁三三号「横浜事件を弁護して」は、昭和四一年一一月一日号の「総合ジャーナリズム」に書かれたものであるが、同弁護士の年譜によるとその頃は国立東京第一病院に入院されていた。先生は二年後の昭和四三年七月、同病院で他界された。

 弁護人等は、この論文を海野先生の横浜事件についての遺言であると受けとめているのである。その一部を引用することによって、弁護人最終弁論の結びとしたい。

 「横浜事件の弁護は、結局私ひとりが担当したが、裁判は幾班にもわかれ、裁判長は二人で、その一人の八並裁判長とは私はかねてから懇意であった。あれは二十年八月二十八日で、忘れもしないが、連合軍が最初に日本本土へ上陸した日であった。私は公判の打合せに八並裁判長を横浜地方裁判所へ訪ねたが、同裁判長はひどくあわてた様子で、『即日言い渡しをするから私にまかせてください、けっして悪いようには計らわないから』と、押しつけるように言って、私に公判準備の時間を与えないで、即刻公判を開きましょうとせきたて、暗に全員を執行猶予で釈放することをにおわせた。

 そこでさっそく、翌二十九日に改造社関係の公判を皮切りに五日間ぐらいつづいて、ほんの形式的な公判が行なわれ、全員が一様に執行猶予で釈放された。この間の二人の裁判長の態度は、微塵も確信がなく、係り検事のごときは周章狼狽の極、ろくに陳述の口もきけないありさまであった。また、予審判事は西尾氏ほか二名の予審終結決定には泊会談の事実を認めているが、終戦後になると、泊会談に参加した二名に対し、右の事実を削った。これは、私ほか二名の面前で書いた予審終結決定書に明らかである。思うに、同判事は初めから泊会談は虚構のものと考えていたのではなかろうか。

 裁判官は何ものにも冒されない独立の地位と権威が認められているのに、横浜事件の裁判官は、なぜにこうまで確信のない態度で公判を急がねばならなかったのであろうか。

 二十年八月二十八日、私が笹下の横浜拘置所で改造社の諸君と翌日の公判の打合せをすましての帰途、裁判所に寄ってみると、その裏庭で山のような書類を燃やしているのを目撃した。そのなかには膨大な量に達する横浜事件関係の書類があるはずであった。法律によって一定の保存期間の定められている裁判書類を、いったい何ものの指図によって、かくも無謀に焼却するというような処置をとったのであろうか。私はこのような裁判所の処置に対する批評の言葉を知らないばかりか、法曹界の一人としてまことに遺憾千万であり、憤慨にたえない。

 ところで、さきにも述べたように、横浜事件の被害者は細川氏をはじめ全員が治安維持法第十条違反に問われて起訴された。いまどき治安維持法の話などをもちだすと、時代錯誤の夢のような感を抱くひともあるかも知れないが、この悪法は大正十四年四月二十二日、法律第四十六号によって制定され、のち昭和三年六月二十九日、さらに昭和十六年三月十日と二回にわたり改正され、戦後廃止されたといういわくつきの法律である。

 新憲法においては第十九条『思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。』そして第二十一条は『集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。』さらに同条第二項で『検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。』と民主主義の精神に立脚して規定されている。

 私が憂うるのは、最近またベトナム軍需ともいうべき景気に刺激されて、一群の企業家を中心に、この新憲法をもとにもどそうとする憲法改悪の風潮が流れていることである。もしも旧憲法第二十九条の『法律ノ範囲内二於テ』というように制限規定のもとの言論・出版・結社の自由しかない場合を想像すると、横浜事件のような大弾圧が二度と起きないと誰が保障できるであろうか。

 横浜事件は絶対に再び起きてはならない。横浜事件のように権力の暴威による事件は、たとえ抵抗しても起きてしまってからではもう遅いのである。その意味で現在の若い人びとにも、明るい言論の発展のために、涙と血で綴られた横浜事件の暗黒のページを、じっくりとひもといてその内容を深く理解してもらいたいと痛感する。」



弁護士・弁護士会の行方

北海道支部  市 川 守 弘


 お礼

 多くの団員の方に代理人になっていただいた道警の代理人からの札幌弁護士会への懲戒請求は、「懲戒しない」旨の決定が一二月一四日出されました。応援していただいた皆様に厚くお礼を申し上げます。ただ、この弁護士会の決定は看過できない重大な問題を抱えており、私は、これは弁護士会が権力に屈服したのか、と思うほどです。

 懲戒請求の内容

 簡単に懲戒請求の内容に触れておきます。私たちは北海道警察の裏金疑惑を巡って、住民訴訟、氏名冒用による慰謝料請求、情報公開訴訟等を提起しました。私と渡辺団員は、原告本人、代理人という立場でした。この訴訟で、被告は道と警察本部長で、その代理人が、懲戒請求をしてきたのです。私たちは、相手方の準備書面について期日前にマスコミに配布しました。また警察本部長の議会での発言と訴訟での答弁が食い違っていると思われることに対し、私は「二枚舌である」とマスコミにコメントしました。この配布と発言が私に対する懲戒理由です。渡辺団員は住民訴訟判決を「だまし討ちとしか思えない」と発言しました。渡辺団員へは前記配布行為とこの発言が懲戒理由でした。

 弁護士の守秘義務違反

 相手方は、懲戒理由の大きな柱として、準備書面配布行為は、「相手方に対する守秘義務違反」であると主張しました。これに対し、弁護士会は、「守秘義務の対象が依頼者の秘密に限定されるか否かの問題はさておき」と、この論点の判断をせず、ただ準備書面記載内容は秘密と言えないという判断にとどまったのです。

 信義誠実義務違反

 決定の問題点はこの「信義誠実義務違反」を認めたところに顕著に現れています。「期日前に受領した準備書面等の写しを新聞記者に交付し、その内容が記事となって広く報道されることは、そもそも相手方作成の準備書面等を本来の目的外に使用することであり、相手方もかかる事態を予定していない」から「無断で新聞記者に交付することは差し控えることが、特段の事情のない限り、弁護士として相手方に対する信義に適う」とし、この理は相手が行政であっても変わらない、としました。

 決定では、「信義上問題がなくはない」が、懲戒をもって臨むべき非行とまではいえない、としました。

 「二枚舌発言」は、「品位に欠けるものであることは否定し難い」が、懲戒処分をもって臨むほど品位を損なうものではなく、「だまし討ち発言」は、「いささか穏当を欠く」ものの、「懲戒処分をもって臨むべき発言とはいえない」としました。

 問題点

 大きく三つに集約されます。第一に、相手方に対する守秘義務はあるのか?、第二に、準備書面等のマスコミへの配布は「信義誠実義務」に違反するのか?、第三に、「二枚舌」「だまし討ち」という発言は、弁護士としての品位に欠けるのか?、がそれです。本稿では、第二と第三について述べたいと思います。なぜなら第一について札幌弁護士会は回答を避けているからです。

 準備書面等のマスコミへの配布は「信義誠実義務」に違反するのか?

 理由としている「相手方が予定している」かどうかを基準とすれば期日の前後は問わないことになるので、ここでは一般的に論じます。まず、誰に対する、どのような義務なのでしょうか?。相手は行政(警察)です。だからこそ我々は配布をしたのです。準備書面は、すでに知事(警察本部長)までの決裁をとった、行政文書でもあります。そもそも行政が国民の知る権利に応えることを拒否してマスコミの取材に応じていないのですが、このような場合まで、我々は「公開を拒否」しようとする「行政のため」に、行政の見解、情報の「非公開」の義務を弁護士として負わなければならないのか?という問題です。弁護士は国民のために、知る権利に奉仕すべき義務を負っていても、決して行政の情報を隠すべき義務はないはずである。北海道は、前記の慰謝料請求事件について、事件終結後記者がした情報公開請求に対し、準備書面すべてを黒塗りで開示しました。これは事件終結後であっても「相手方は公開を予定していない」ことの現れですから、札幌弁護士会の見解に従えば、我々は事件確定後も、弁護士として準備書面をマスコミに配布することは信義誠実義務違反となります。これは、国民のための弁護士ではなく、行政(警察)の「しもべ」になることを意味します。

 「二枚舌」「だまし討ち」という発言は、弁護士としての品位に欠けるのか?

 両者の言葉は広辞苑にも出ている日本語です。差別語でもありません。相手を侮辱した言葉でもありません。日常用語として使われている言葉です。いったい、なぜこのような言葉が「弁護士の品位」に欠けるのでしょうか?。弁護士の品位とは一般社会とかけ離れた「ハイソサエティー」なところにあって、「平民が使う言葉」を使ってはいけないのでしょうか?札幌弁護士会が考える「弁護士の品位」とはなにか、については広く社会の中で批判されなければならないと考えます。少なくとも「二枚舌」「だまし討ち」なる言葉は自由な評論ですから、言論の自由によって保障されなければなりません。

 弁護士会の変節?

 私は憂えずにはいられません。そもそも弁護士が国民の利益に反してでも行政の利益を守るために義務を負う、という事態は、弁護士会や弁護士が権力に支配されることを意味します。また弁護士が自由な言論を自ら「品位に欠ける」として自制する事態も、同じく権力への服従以外の何物でもないと考えます。在野として国民の権利を守るべき弁護士と弁護士会がこのような事態を招いて良いのでしょうか?。私は当事者ですが、多くの団員の議論を呼び掛けたいと思います。