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増田  尚 通常損耗を賃借人負担とすることは原則として許されない
〜画期的な最高裁判決が出る!〜
菅野 昭夫 NLGポートランド総会に参加して
軍隊・自衛隊に関するQ&A対談
―いまさら聞けない憲法「改正」の基本知識
〜なぜ「自衛軍」なのか編〜




通常損耗を賃借人負担とすることは原則として許されない

〜画期的な最高裁判決が出る!〜

大阪支部  増 田   尚


 最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)は、二〇〇五年一二月一六日、大阪府住宅供給公社の特優賃物件での敷金返還請求訴訟で、通常損耗を賃借人負担とする特約が成立しており修繕費用の控除は正当であるとして賃借人の敷金返還請求を棄却した原判決を取り消し、審理を大阪高裁に差し戻す判決を言い渡した。

 この事案は、大阪の弁護士及び司法書士らで結成された敷金問題研究会が、結成当初の二〇〇二年一〇月にいっせいに提起した訴訟の一つであった。当時、原状回復費用と称して実質的には賃借人が負担すべきでないリフォーム費用を請求する事例が多発しており、中でも、特優賃物件の相談件数が目立っていた。

 もともと、大阪府住宅供給公社は、地方住宅供給公社法に基づき設立された法人であり、住宅の賃貸業務を遂行するに当たり、住宅を必要とする勤労者の適正な利用が確保され、かつ、賃貸料が適正なものとなるように努めなければならないとされている(同法二二条)。そのような、いわば「家主の鑑」ともなるべき住宅供給公社が通常損耗を賃借人の負担であるとして請求していることは、社会的にも問題視された。

 しかし、裁判の壁は厚かった。何しろ、大阪府住宅供給公社は、修繕箇所を事細かに分割して、その大半の修繕を賃借人の負担とする「修繕費負担区分表」なる書面を別冊として用意しており、契約書本文には明渡時には、この区分表に基づいて補修費用を賃借人が負担すると記載していた。時期によっては、この区分表の冒頭に、「上記区分表については承知しております」と不動文字で記載し、そこに賃借人の署名捺印を求めるなど、賃借人に通常損耗の修繕費用を負担させるための用意周到ぶりは、民間の業者も顔負けであった。このガチガチの契約書・区分表を前に、大阪地裁(吉川愼一裁判官)、大阪高裁(横田勝年裁判長)とも、通常損耗の修繕費用を賃借人が負担するとの特約が成立しているときわめて形式的に判断して、賃借人を敗訴させた。

 しかし、率直に言って、このようなやり方は、地方住宅供給公社として恥ずべきものであるといわなければならない。政府は、一九九三年に賃貸住宅標準契約書を整備し、退居時の原状回復の範囲から自然損耗を除外することを明確にし、一九九八年には、「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」を制定して、退居時の原状回復について、範囲と基準、賃借人が負担すべき割合について基本的な考え方を示した。また、建設省住宅局長は、特優賃法の施行に先立ち、各都道府県知事に宛てて、「特定優良賃貸住宅の供給の促進に関する法律の運用について」と題する通達を発出し、特優賃貸住宅における賃貸住宅契約書は、特定優良賃貸住宅賃貸借契約書によることを求めた。これは、後記標準契約書を特定優良賃貸住宅に使用できるよう若干の修正を加えたものである。にもかかわらず、「家主の鑑」になるべき住宅供給公社が通常損耗を賃借人に負担させることは、まったく納得がいかなかった。

 敷金はよほどの不始末がなければ原則として返還されるべきものであり、ふつうに暮らしていれば生じる汚れ・傷について、その修繕費用を返還されるべき敷金から控除されることはない。まして、特優賃物件であり、賃借人も大阪府住宅供給公社である。民間ならあり得べき「ぼったくり」があろうはずもない―というのが賃借人の一般的な感覚である。退居時に修繕費負担区分表をにわかに持ち出し、特約があるとして一方的に通常損耗の修繕費用を控除するのは、まさに「不意打ち」というほかない。そうした賃借人の感覚に適合した法解釈こそ求められるのではないか。そう考えて、賃借人は上告した。

 上告受理申立理由は、(1)特約が成立していないこと、(2)成立したとしても特優賃法などに違反し公序良俗に反して無効であること、(3)判例違反、(4)法令違反など、あらゆる主張を駆使した。(1)については、賃貸借契約が使用収益と賃料支払が対価関係に立つ契約であり、目的物を通常に利用したことによる価値の減少は賃料によって補償されるとみるべきであり、目的物の修繕義務を原則として賃貸人が負うとなっていること、このような民法の原則や社会通念に反する特約は、賃借人にとっていわば「不意打ち」になるので、その認定には慎重になるべきであること、契約書や区分表の記載だけでは、賃借人が負担すべき範囲が明らかでなく、入居者説明会の説明も不十分であったこと、などを主張した。また、幸い、(2)については、上告申立理由書提出直前の二〇〇四年七月三〇日に、大阪高裁(小田耕治裁判長)が大阪府住宅供給公社を相手取った敷金返還請求訴訟で、このような特約が公序良俗に反し無効であるとの判決を言い渡したので、大いに主張を補充することができた。

 しばらくして、最高裁第二小法廷より、上告受理申立書記載の理由のうち(1)以外を排除して受理する決定が届いた。私たちは、特約の成立を認めた原審大阪高裁判決が見直されるものとして、大いに期待した。果たせるかな、最高裁判決は、通常損耗の修繕費用を賃借人に負担させる特約は、原則として許されないとの画期的な判断を示した。

 本判決は、「賃借人は、賃貸借契約が終了した場合には、賃借物件を原状に回復して賃貸人に返還する義務があるところ、賃貸借契約は、賃借人による賃借物件の使用とその対価としての賃料の支払を内容とするものであり、賃借物件の損耗の発生は、賃貸借という契約の本質上当然に予定されているものである。それゆえ、物の賃貸借においては、賃借人が社会通念上通常の使用をした場合に生ずる賃借物件の劣化又は価値の減少を意味する通常損耗に係る投下資本の減価の回収は、通常、減価償却費や修繕費等の必要経費分を賃料の中に含ませてその支払を受けることにより行われている」として、賃貸借契約においては、通常の使用による目的物の価値の減少は賃料によってまかなわれており、通常損耗の修繕費用は、原則として、賃貸人が賃料から負担すべきであるとの考え方を示した。そのような基本的な考え方から、「建物の賃借人にその賃貸借において生ずる通常損耗についての原状回復義務を負わせるのは,賃借人に予期しない特別の負担を課すことになる」と述べ、賃料以外の方法によって通常損耗の修繕費用を賃借人に負わせるのは、「賃借人に予期しない特別の負担」であると言い切った。「不意打ち」と多くの賃借人の感覚にマッチした指摘であるといえる。

 また、本判決は、「賃借人に同義務が認められるためには、少なくとも、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には、賃貸人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなど、その旨の特約…が明確に合意されていることが必要である」と述べ、例外的に通常損耗の修繕費用を賃借人に負担させる場合の基準を示した。

 その上で、本判決は、大阪府住宅供給公社の賃貸借契約書及び別冊である修繕費負担区分表について、「通常損耗を含む趣旨であることが一義的に明白であるとはいえない」などとして、通常損耗の範囲が条項自体に具体的に明記されておらず、入居者説明会における口頭説明についても、「通常損耗補修特約の内容を明らかにする説明はなかった」として、賃借人が特約を明確に認識し、合意の内容としたとは認められないと判断した。

 原状回復をめぐる法的紛争は、(1)「原状に復して明け渡す」などの文言を賃貸借契約締結当時の状態にするのではなく、通常の用法に従って使用したことによる損耗や経年劣化については含まれないとする解釈論、(2)原状回復義務に通常損耗を含むとの明文化された契約条項について「明確に認識して自由な意思に基づき契約したか」どうかという意思表示論、(3)通常損耗を賃借人負担とする原状回復特約が民法九〇条や消費者契約法一〇条に違反し無効であるとする効力論、の三つの段階を追って争われてきた。

 本判決は、第二段階である意思表示をめぐる争いに終止符を打つ意義を有している。大阪府住宅供給公社の負担区分表は相当に詳細であり、これでも「通常損耗を含む趣旨であることが一義的に明白であるとはいえない」と評価されたのであるから、不動産業者サイドとしても、およそ契約書に明記することなどできないといってよいであろう。

 また、本判決は、消費者契約法の適用前後を問わず、詳細に規定して通常損耗の修繕費用を賃借人に負担させる特約の成立を阻むものであり、不当な原状回復費用の請求から賃借人を幅広く救済する効果を有しているといえる。本判決と消費者契約法一〇条が相俟って、こうした原状回復特約を封じ込めることが期待される。

 私たち敷金問題研究会は、早速、大阪府住宅供給公社に対し、(1)契約書及び区分表の見直し、(2)将来の退居者から通常損耗の修繕費用を徴求しないこと、(3)過去の控除についても点検して不当利得があれば返還すること、を申し入れた。同公社の対応が注目される。また、他の地方住宅供給公社についても、同様の原状回復特約がなされていないかどうかを点検し、改善を申し入れることを検討している。

 私たち敷金問題研究会は、本判決を最大限に活用し、賃貸住宅契約において、標準契約書やガイドラインに従って、原則論である「通常損耗は賃貸人負担」を徹底するよう求めていく次第である。

 なお、合わせて、一二月一六日、原状回復特約を公序良俗に反し無効であるとした大阪高裁判決について、大阪府住宅供給公社の上告受理申立てを受理せず、上告を棄却する決定がなされ、同判決が確定したことも報告しておく。



NLGポートランド総会に参加して

北陸支部  菅 野 昭 夫


 ナショナル・ロイヤーズ・ギルド(アメリカの進歩的法律家団体NLG)の二〇〇五年総会が、オレゴン州ポートランド市で、一〇月二六日から三〇日まで開催され、日本から鈴木亜英団員(東京支部)と私が参加し、ニューヨーク留学中の伊藤和子団員もかけつけてくれた。ポートランドでの総会は、ちょうど一〇年前に団が約三〇人の代表団で参加し、当時の石川団長がオープニングで格調高い基調演説を行ったが、それから全米の大きな市を一回りしたためか、今回が私たちにとって二度目である。しかし、世界とアメリカの情勢は一〇前から一変し、今回の訪米においては、アメリカ合衆国への入出国自体が、二〇年まえと異なり、ものものしいものであった。 まず、以前はUS移民局と表示されていた係官の身分は、ディパートメント・オヴ・ホームランド・セキュリティ(合衆国治安省)と変わり、入国にあたっても、出国にあたっても、写真撮影と指紋採取を受け、加えて、以前は「サイトシーイング」とさえ言えば、フリーパスだったのが、一人一人根掘り葉掘りの尋問を受けるまでに変化している(本年三月の訪米よりもさらに厳しくなっていた)。

総会の二〇余りのメジャーパネルやワークショップは、イラク反戦運動の高揚、愛国者法を基軸としたファシズム体制に対するNLGの不屈の闘いに関連するものが殆どである。例えば、「GI・レジスタンス」「愛国者体制下で言論弾圧と集中砲火を浴びている大学教育者、裁判官、弁護士たち」「合衆国による国内外における身柄拘束者に対する拷問」「大衆行動を愛国者法からどう守るか」「国内テロ行為の嫌疑による弾圧」等々のテーマである。

 これらのうち、メジャーパネル「GI・レジスタンス」は、瞠目すべき内容であった。このパネルは、団の一〇月総会プレシムポのために来日したハイケン夫妻の属するMLTF(軍事法部会)が主催したものである。パネラー六人の中には、軍事法の専門家のみならず三人のイラク戦争退役軍人が含まれ、イラク戦争開始後のGIのレジスタンスがどのように発展しているかをリアルに教えてくれた。それによると、イラク戦争従軍中のGIの多くが、戦争の現実から正当性の欠如と失敗を肌で感じていて一日も早い帰国を望んでいること、メディアが真実を伝えなくても兵士の家族友人への通信と帰還兵の話からアメリカの地域社会が次第に事実を知るに至っていること、アメリカ軍の士気は著しく低下し、AWOL(三〇日以上の無断軍務離脱者)はペンタゴン発表の六〇〇〇人を優に上回っていることなど、この一〇月に来日したハイケン夫妻が語ったとおりの状況である。しかし、ハイケン夫妻が語りつくせなかったことの一つとして驚いたのが、兵士自身による軍内の勇敢な闘いである。パネラーになった三人を初めとして、本年に入ってからかなり多くの兵士が、イラク戦争の正当性に異議を唱えて出撃を拒否し、軍法会議での法廷闘争を闘っているとのことである。その一人である、ケヴィン・ベンダーマンは、イラク派遣中の第三歩兵師団に所属し、いったん帰還したが、二度目の参加を命令されたため、同じ師団の他の一七人の兵士とともに無断軍務離脱をした。彼は、新聞記者に、「アメリカ軍はイラク人の非戦闘員を日増しに多く殺戮している。私がイラク戦争従事中に、私の隊は大尉からアメリカ兵に石を投げつけるような子供は直ちに銃殺せよと命令された。私はこのような戦争には参加できない」と、良心的兵役拒否による除隊申請を行った。しかしながら、軍は、倫理的又は宗教的理由による拒否ではなく特定の戦争に対する政治的理由による拒否であるとして、彼らを軍法会議に訴追したのである。彼らとは別に海軍の下級将校であるパブロ・パレデスもまた、イラクへの出撃命令を受けて記者会見し、イラク戦争の大義の不存在、イラクにおけるアメリカ軍による違法な虐殺行為を理由に良心的兵役拒否を宣言した。パレデスも軍法会議に訴追され、軍人による陪審員は、良心的兵役拒否(倫理的又は宗教的理由により一切の戦争を拒否すること)には当たらないと、有罪の評決を行った。その結果、二〇〇五年五月に、パレデスは、裁判官(軍の法務官)による量刑法廷に付された。パレデスは、NLGの弁護士を弁護人に選任し、弁護人はNLGの会員で著明な国際法学者であるマジョリー・コーエンを証人として喚問し、彼女は法廷でイラク戦争を初めとする一連の戦争が国際法に違反した軍事行動であることを論証したのである。すると、驚いたことに、裁判官は、「私は、合衆国によるユーゴスラヴィア、アフガニスタン、イラクに対する各戦争がいずれも違法であったと兵士が確信してよい合理的理由があると信ずる。」旨述べて、パレデスに対し禁固三ヶ月(実質的には執行猶予)と言う極めて軽い量刑を選択したのである。軍人である裁判官でさえイラク戦争の違法性を認めたと言うこのニュースは、全米の反戦活動を鼓舞したとのことである。パレデスを初めとした三人のパネラーは、いずれも最近軍務を拒否して一旦は身柄拘束されて軍法会議にかけられたが、いずれも何らかの形で釈放を勝ち取り、NLGの総会に参加をしている。このメジャーパネルでは、私たち日本代表団がNLGのMLTF活動と連帯していることが紹介され、会場から大きな拍手を受けた。

 メジャーパネルのもうひとつのテーマである「合衆国による国内外における身柄拘束者に対する拷問」の糾弾についても、NLGなどが果敢に取り組んできた課題である。NLGは、九月一一日事件後に、アメリカ政府が多数のイスラム教徒を何らの犯罪の嫌疑なしに身柄拘束し、アメリカ国内に秘密の収容所を設置して勾留し、または海外のアメリカの影響下にある国々に移送してはCIAの監視下で拷問していることを、早くから糾弾してきた。また、拷問を許容する大統領令そのものの存在も指摘してきた。そして、それらのことは、次第にアメリカ国民も知るところとなり、私たちが、総会に参加したときは、ブッシュ政権の違法行為、特に身柄拘束者に対する拷問及び非人道的方法の使用禁止を内容とする法案が、ヴェトナム戦争退役軍人であるジョン・マッケーイン共和党議員を提唱者として上院に提出され、チェイニー副大統領の必死の反対ロビー活動もかかわらず、圧倒的大差で可決されてまもなくであった。総会直後の、一一月二日のワシントン・ポストは、アフガニスタン、パキスタン、ヨルダン、及びウズベキスタン等の東欧系諸国における秘密の身柄拘束が被拘束者に犯罪の嫌疑が無いのにもっぱらアメリカのための情報収集の目的だけで行われ、CIAの立会いのもとに拷問が行われていることを報道した。メジャーパネルは、こうした情勢を反映して、事実を広めるだけではなく、国際法国内法を駆使して、いかにブッシュ政権を追い詰めていくかの課題について、熱心な議論を展開した。

 今度の総会には、海外から一一カ国の法律家団体の代表が参加し、例年どおりインターナショナルレセプションが一〇〇人あまりの参加で行われた。司会者からは、日本代表団の鈴木さんと私がNLG総会に毎年参加している(私たちにとって一三回目の参加)ことへの謝意が表明され、私がスピーチを行い、憲法九条をめぐる情勢について報告し支援を求めた。日本代表団は毎年何らかの形で同様のスピーチを行っているため、一〇年前とは異なり、NLGの中では、日本国憲法九条の重要性はよく理解されていて、大きな連帯の拍手を受けた。

 NLGの総会参加者に、最近二〇歳代の参加者が多くなっているとの印象を最近もつようになった。ロースクールのNLG支部が、イラク反戦の行動などで発展してきているとのことである。団もそうした点を見習いたいものである。

 今年も学ぶ点が多い総会であった。私たちは、総会後、カナダのヴァンクーヴァ市を訪れ、目の覚めるような紅葉を楽しんだ。



軍隊・自衛隊に関するQ&A対談

―いまさら聞けない憲法「改正」の基本知識

〜なぜ「自衛軍」なのか編〜


 二〇〇五年九月二一日、軍隊とは何か、自衛隊とはどう違うのか、改憲草案の「軍事裁判所」は何を狙っているのかなどの問題について、内藤功団員と若手団員らとの間でQ&A対談をしていただきましたので、その概要を掲載いたします。(なお、各自の発言について、内容の変更にわたらない範囲で字句調整した部分があります)。

 出席者は、内藤功、齊藤園生、大崎潤一(いずれも東京支部)の各団員と本部専従事務局の渡島敏広さんです。

大崎 単に疑問に答えていただくだけではなく、軍隊になるとどうなるのかとか、軍事裁判所の問題とかいろいろ周辺のことも含めてお話していただければと思います。

内藤 ワンフレーズというのがはやっていて、パッと一言で答えるというのがあるけれど、きょうのは、それは抜きにして、多面的に深く考えるということでいいんですね。多面的に深く考えれば、ワンフレーズもいい言葉がパッと出てきます。

齊藤 でも一言ではなかなかいえないですよね。

内藤 まず、自民党の憲法草案が出た。自民党の案では、自衛軍の設置。自衛軍は国際活動をやる。自衛軍の統制は内閣総理大臣が指揮統制権を持って、統制は別に法律で定める。それから七六条にいって、最高裁判所のもとに、特別裁判所として軍事裁判所をつくると、これが大枠なんですね。

 それで、軍隊ということですけれど、なぜこれが問題になるかというと、一般の人は自衛隊は軍隊だと思っている人が多いですけれど、政府の解釈はご承知の通り、自衛隊は軍隊ではないという解釈ですね。最初に法律家的に説明すると、たとえば一九八〇年の一二月五日、内閣の答弁書では、自衛のための必要最小限度の実力。これは禁止されていないと。これをずっと今まで貫いていまして、今年の防衛白書でもそうなっています。防衛白書というのは政府の建前を知るには一番いいのです。それには自衛のための必要最小限度の実力とあります。この言葉をずっと使っているのです。

 それで、さらに軍隊との関係は一九八五年一一月五日、政府答弁書で、「自衛隊は通常の観念で考えられる軍隊とは異なる」としています。通常の観念で考えられる軍隊とは異なる、こういうことですね。一九八六年一一月一三日、参議院特別委員会、防衛庁防衛局長の答弁では、自衛隊は外国の侵略に対して防衛する任務を有するものであるけれども、交戦権を認められていない。その他憲法上各種の厳しい制約のもとにあると述べています。そういう意味では、自衛隊を通常の観念でいう軍隊とは異なるということです。これも同じですね。

 一九九〇年一〇月八日、衆議院本会議、中山太郎外相答弁。通常の観念で考えられます軍隊ではありませんが、国際法上は軍隊として取り扱われている、と述べました。これは儀礼ですね。外国の港に軍艦が入るときに、礼砲を打って迎えてもらうとか、そういう扱いという意味だと思います。そういうことで、通常の観念でいう軍隊とは違うということなんですね。

 ところが、イラクの戦争、それから不審船に対する爆撃措置というもとで、とても限界があって、これは突破しなければならないということがでてきました。ということで軍隊にしてしまおうということが狙いですね。

 通常の軍隊というのはどういうものかというと、特徴をいくつか言いますと、軍隊が警察と違うのは、国家権力の最大限の暴力、実力を行使する組織なんです。これには、国家の意思というものは一〇〇%反映するけれども、法律による制約になじまないのです。警察というのは、警察比例の原則とか、その他の原則があって、抑制できる。しかし軍事力、武力というのは、基本的には法的抑制になじまない。ここに特徴がある。従って、最大限の武力行使ができる、これが軍隊の特徴です。

 二番目は、行使する場所は、国内周辺に限らない。世界中どこでもできる。これが一つ。それから、必要とあればよその国でも守れると。集団的自衛権。それから強制措置。徴兵、徴用、動員。こういったものが当然伴う。それから、機密保護。保護の制度をつくり、運用することができる。独自の規律を担保する機関、軍事裁判所、軍事法廷、軍法会議、名前はいろいろですが、そういうものを持つと。こういうのが諸特徴なんでしょうね。だから、この政府の答弁の、「通常の観念で考えられる軍隊」というのは、日本では一九四五年に解体した、旧帝国陸海軍はその最たるものだと。従って、旧軍隊と比べてみると、非常によくわかるということだと思うのですが、そういう軍隊をつくるというのが 自民党憲法案の大きな狙いだと思いますね。まずそこのところまでが一般論、総論です。

 ではどういうところに、自衛隊が逆に合わなくなってきているかというと、これはアーミテージレポートに書いてあるように、集団的自衛権の行使というものができないことです。

 これはまず、アフガニスタンに出て行ったテロ特措法も、その前の周辺事態法も、今度のイラク特措法も、この三つを見てみると、大体アメリカ軍の後方支援、これはできると。しかし、米軍と一緒に共同して武力行使はできない。これが一貫してだめです。それからイラクへ出た陸上部隊も、後方支援、医療とか補給とかは米軍にできるけれど、一緒に武力行使、たとえばテロリストが潜伏している家に入っていって、家宅侵入をやって逮捕して殺害するということはやっていませんし、できない。果ては、サマワの宿営地に迫撃砲弾をぶちこまれても、すぐに退避壕に避難しちゃうということで、反撃は一切しないということです。これは普通の国の軍隊か。普通の国の軍隊ではあり得ない。普通の国の軍隊ではないと。

 それからアメリカの空母、たとえばキティホークというのがインド洋に出ているとしますと、これに直接、補給艦「ときわ」という艦がパイプをくっつけて給油することができない、お水もやることはできない。どういうことができるかというと、アメリカの駆逐艦にまず補給して間接補給。その駆逐艦からアメリカの空母にやる。なぜかというと、アメリカの空母はイラクを爆撃しているから、そこに直接補給することは、共同の武力行使になる恐れがあると。そういうものが非常にまどろっこしくなるのです。そういうことが最大の原因だと思います。

齊藤 集団的自衛権は認められないのだという、内閣法制局のずっと一貫した見解があったわけじゃないですか。前に、内閣法制局の見解を変えればいいじゃないか、ということがありましたよね。あっちの方法をとらなかったのはなぜですか。 

内藤 それは日本の内閣法制局という役所が明治初年にできた役所なんですね。これは大蔵省主計局と並び称せられたいろんな権力をもった機関だったのですが、特に戦後の場合は、法制局の仕事のやり方はものすごく頑固なのです。一旦決めた憲法の解釈はガンとして変えない。従って、これは我々の側から見ても非常に頑固な役所。最近ではこれが逆に憲法九条の解釈を厳格にするのです。軍備拡大の非常なネックの一つです。従って、内閣法制局を潰せ、あるいは法制局の見解を変えろ、という圧力を政治家はかけるんだけれど、ガンとしてやはり変えない。これはもちろん徐々に変えていくことは起きるかも知れないが、その徐々に変えていくやり方は、自民党改憲勢力の要求するスピードには合わないですね。

齊藤 やはりこの憲法ではもう無理だと。

内藤 「いかん」ということですね。

齊藤 やはり正面からこれは軍隊だと認めたほうが、アメリカの要求にもちゃんと適用できる実力を使うことができるということなのですか。

内藤 その場合に、憲法の明文が変わるまで足踏みして待っているのではなくて、どんどん既成事実を積み重ねるということをやってきました。それは具体的には自衛隊法改正、防衛庁設置法改正、改悪ですね。具体的にいいますとたとえば、海外派兵を中心任務とする軍団。防衛庁長官直轄でつくったのです。つくって、これは中央即応集団。セントラル・レディネス・フオーセス。中央即応集団というのをつくった。座間に司令部、習志野の空挺団、特殊作戦群。それから大宮の化学防護隊、それから群馬県のヘリコプター部隊、それから木更津の第一ヘリコプター団、そういう海外機動作戦をやれる部隊を全部東部方面とか第一師団にあるやつを全部引っこ抜いてきて、中央直轄で集めて編成する。そういうものは今までとてもつくれなかったのです。攻めるための部隊を長官直轄でつくった。ということは憲法で許されないのですけれども。既成事実で、自衛隊法の改正、防衛庁設置法の改正、それから政令改正、庁令改正で、どんどんつくるということですね。

 それから陸海空の自衛隊を統合するというのは、〇五年の通常国会で法律改正通りましたけれど、これはアメリカの太平洋軍は陸海空を統合しています。それと同じように合わせていくと。そんな既成事実をつくっていく。つくっていって、もう外形的に憲法は首の皮一枚しか残らないというところまで追い込んで既成事実の積み重ねと、憲法典の改定と、同時に両面でやる、これはもう作戦ですね。

齊藤 何日かまえに、自衛隊がアメリカのイラクの前線の司令官のもとで演習をやっているというのが出ていましたよね。あれは違うのですか。中央即応集団とは。

内藤 中央即応集団としてはまだ機能を発揮していませんから。今のお話は、イラクでやっているアメリカの陸軍と海兵隊の作戦というのは、テレビでも一部報道されているように、テロリストがこの町にいると。この町の、ここと、ここと、ここの家にいるという情報が入ったと。そこで捜索するというので、まずドアを蹴破って入ると。そして中にいる人間を逮捕して、必要ならば殺害し、あるいは拉致する、という作戦ですね。それから、そこまでいかない、そんなことをしないで初めから、空からF一六戦闘機、陸上からは装甲車・戦車に乗って攻撃して、破壊すると。町そのものを破壊する。こういう攻撃をやるんですね。こういうものを日本の陸上自衛隊にもやらせると。陸上自衛隊で一昨年からやっている訓練の特徴は、家に入って逮捕して拘束して殺害する。この作戦です。市街地戦闘。これを重点的にやっているわけです。これを今、全国十数か所にそういう建物を建てて、市街地の模型をつくって練習場をつくっている。

 そこでアメリカ軍の司令官が来ているかどうかというのは、私は未確認ですが、アメリカの海兵隊の部隊、それから陸軍の部隊が兄貴役になって、教員役になって訓練をやっています。これは一つはハワイでやりました。それからグアムでもやりました。何箇所かでやっています。そのときに指導するわけです。司令官クラスじゃなくてもう少し下の中隊長、班長クラスが来て、現場をやっているのが一つ。たとえば、アメリカ軍は家に入るときに、ものすごい声を出して脅かしながら入ってくる。日本の今までのやり方は、黙って入ってくる。それを段々アメリカ式に。そういう変化ですね。そこから始まって、今度は戦車、航空機による攻撃という、アメリカの真似をしたものをやろうとしているのでしょうね。日本の今までの陸上自衛隊というのは、演習場で草っぱらの中で小銃をもって匍匐前進をしたりという牧歌的な演習だったでしょう。ところが市民を殺すという演習は、陸上自衛隊の青年たちはやっていないのです。

齊藤 二年位前からですか。

内藤 頻繁になったのは約二年くらい。ですからもちろんイラク戦争以後。イラク戦争は二年前ですからね。これが最大の特徴ですね。

齊藤 知られていませんね。一般にそんなの言われていないですよね。

内藤 赤旗に時々出ていますよ。

齊藤 そうそう赤旗に時々出て、写真とかが出るとエッと思うけれど、普通そんなことは一般には報道されていないですよね。

内藤 陸上自衛隊の最大の今の訓練項目はそれですね。

齊藤 地上戦を前提としているわけですね。

内藤 それはさっき齊藤さんもおっしゃった治安行動訓練ともだぶる面がある。今までは治安行動というのは日米安保条約反対闘争、六〇年安保闘争、最大規模の一〇万のデモが国会の回りを取り巻いた、それを排除しようとした。次は、六〇年代後半、横田基地の回りに数万のデモがやってきた。追っ払う対象はこのレベルだったのね。このレベルの治安行動を考えたけれど、今のはそんなものではないですね。

齊藤 今はどんな?。

内藤 家の中に入って、テロリストを捕まえるということなんですけれど、その訓練はそのままイラクでも通用できる。イラクでも通用できるし、日本の国内でも。たとえば福井の原発を爆破しにテロが入ってきた、というような、まったくこれはあり得ないことだと思いますが。ですから、訓練が、戦車とか大砲を相手にするのではなくて人を相手にするものになっている。しかも軽武装または非武装の民間人。それを相手にする。民間人であってテロリストという肩書きを持っているのではないのだから、腕章をつけているのではないから、テロリストかどうかわからない、一般の民間の人を捕まえて、武装解除して場合によっては殺害する、という訓練に変化してきています。

齊藤 それはイラクとかの戦闘地域ではなくて、場合によっては国内でもありうるわけですね。

内藤 表向きの建前としては国内でしょうね。もし国会で追及されたら、わが国にテロリストが発生して、と言うでしょう。ではイラクに行ったときの訓練に全然なっていないかと聞かれれば、「そういう場合に役立つと思いますけれども、今のところ考えておりません、こういう訓練は、あくまで人道復興支援活動だけです。」と言うでしょうね。だから軍隊、自衛隊というのは建前と本音、二つの顔を持っているということ、いつもそれを見ぬいておかないといけません。如実にその本質は軍隊です。自衛隊の本質は半分以上はやはり軍隊です。軍隊的要素はたくさん増えてきて、それから通常の完全な軍隊になりえます。

齊藤 軍隊的要素が増えてきているというのは、たとえばどういうところですか?。さっきいった、直轄の部隊ができたとかそういうことですか。

内藤 編成、装備、教育、訓練、精神、紀律、これが軍隊を見る場合の要素なのです。編成というのは今言った、陸の場合には中央即応集団。これは完璧に軍隊的要素ですね。それからやはり、海上自衛隊の場合には、装備を見ますと一万五千トンというとお分かりになるかどうか、今までの日本の護衛艦の二倍のトン数、排水量のトン数をもった軽空母です。ヘリコプター一〇機を詰めるヘリ積載可能の空母。これが今、三井造船玉野造船所で平成一三年に建造開始になっています。海外に長期作戦可能の大型軍艦をつくりはじめました。そういう特徴がありますね。

 あと演習です。今いったように、陸上自衛隊の市街地訓練というものが非常に増えてきている。それから、〇四年の一〇月にやった日米共同演習では、外国にいる居留民、一般市民を車両と航空機と船舶で移動させる、避難させるというものをやる。それから何よりも、自衛隊員に読ませる、暗に推薦する本、その中に第二次大戦、太平洋戦争、彼らのいう大東亜戦争中の日本の旧軍人の話、精神、こういうものは世の中にいっぱい出ているけれど、自衛隊員にはこういうものを読ませることを遠慮していたのです。自衛隊員も、俺たちは昔の軍隊とは違うのだ、という意識を持っている人はかなりいたのです。そういうものがかなり出てきていますね。たとえば自衛隊の準機関紙「朝雲」という新聞ですが、本の広告に、「真説日露戦争」などが出てきています。

齊藤 なんか怖い。

内藤 「忘れられた大日本帝国。太平洋戦争でなく大東亜戦争」、こんな本の広告もあります。

齊藤 昔はこういうのはなかったのですか。

内藤 ありません、特にこの二年くらいですね、出てきたのは。それから、ここに新刊紹介欄には「親日アジア街道をいく、日本近代中の真実」日本軍が本当にアジアで蛮行を繰り広げたのだろうか、と否定する本を紹介しているのです。フィリピンで日本軍がアメリカ軍の捕虜を長い間歩かせて殺したと言われている。これは捕虜を鉄道の駅まで歩かせたに過ぎず、日本軍の虐待ではなかった、ということを現地の誰かに言わせる。日本軍の善戦を懐かしむ親日家の存在を無視している、というような内容の本です。「東条英機宣誓供述書」も紹介図書です。これを紹介するということは、東条英機を美化する、東条英機の「侵略戦争ではない」という主張を美化する。そういう思想的な影響のもとに今、自衛隊員はいると。

齊藤 昔からこんなのばんばんやっているような気がしていたけれど。最近のことなんですか。

渡島 意識的にこういう記事ばかりを書いているんですね。

内藤 ですからこれを見ると、自衛隊の軍隊化というか、旧軍隊に近づいているということがわかります。

齊藤 今、自衛隊の中に軍隊的要素があるというけれども、軍隊という名前をつけると、それに伴っていろいろな整理をしなければいけないわけでしょう。軍法裁判所をつくるだとか、靖国をちゃんと認めてやるだとか、それの一貫だと考えていいわけですよね。

内藤 その話を言いますとね、今、僕が言ったのは、編成とか装備とか、それから演習とか、そういう表に見えている現象的な観察ですよね。同時に、軍隊というのは戦争をするための組織であるということです。戦争とは相手の国民と殺しあうことであり、軍隊とは、そういう特殊な組織であると。ということから、軍隊の人的基盤に必要なものは、一つは規律。もう一つは任務意識とか精神的なものです。旧軍では規律のことを軍紀といったのです。それからもう一つ、自分の生命を犠牲にしても戦闘に従事するという、自分の生命よりも国の利益を大切にする、これを昔の言葉で軍人精神といったのです。軍紀と軍人精神。これが今の日本の自衛隊には決定的に欠けているというのが、今の自衛隊指導部及びOBたちのおそらく共通した考えですね。つまり日本の国民は日本の憲法の下で、平和憲法下の教育を受けているのだから、自衛隊に入ってくる人はみんな命が惜しいし、命を捨てる気持ちもないし、軍の規律に一〇〇%従うのもない。そこをどうするか。一つは規律を厳重にするということ。もう一つは、今の言葉で愛国心。命を捨てても構わないという国民をつくる教育。その二つなのです。

 前のほうをいうと、イラクで、今の状況ならいいのですが、サマワの宿営地に銃弾をぶち込まれて、こっちもやむなく反撃して、そこから武力衝突という事態になると何人か死ぬだろう。その場合に逃げる者がいるのではないか。従わない者がいるのではないか。当然考えますよね。それを見ていたら今度は次の派遣部隊に志願する者がいなくなるのではないか。これに対する規律というものを担保するのは現在では自衛隊法しかない。自衛隊法というのは非常に厳格に罰則が制限されています。死刑はない、無期もありませんね。最高が七年です。そういうもので軍の規律が保てるのか、ということなんでしょうね。旧軍の刑法と旧軍の軍法会議というのがありました。旧軍は陸軍と海軍と二つの軍隊があったのです。陸軍刑法が明治四一年、海軍刑法も四一年。陸軍軍法会議法は大正一〇年、海軍軍法会議法は大正一〇年。これは適用範囲は軍人、軍属、学生生徒、それから一般民間人でも一定の罪は軍刑法の対象になったと。それから軍法会議法というのは五〇〇条くらいありました。捜査から起訴から予審から上告から刑の執行、死刑の執行まで。五〇〇条くらいあったのです。

 この特徴は、命令に反抗する、抗命、それから軍用物を損壊する損壊罪、逃亡。逃亡はかなり重くて、敵前逃亡は死刑。そういうようなものがあって、それを執行するのが捜査機関の憲兵。憲兵という職種の兵隊がいて、憲兵は陸軍の軍人なのですが、戦時中は海軍の軍人も捜査対象にはいるのです。それから軍法会議というのは検察機関と裁判機関があって、検察機関にも法務官、裁判機関にも法務官がいるのです。法務官は大学の法学部を出た人を採用している。しかしながら、実際の裁判は裁判官(判士)五人の構成でやる場合は、裁判長(判士長)は陸海軍の将校なんですよ。軍紀の維持を本質とするからです。陪席のうちの一人だけ法務官になるわけ。

軍法会議というのは死刑など重罰が多いので、みんな震え上がったのです。ただ軍法会議に持っていくには、その法務官も数が限られていますから、その前に懲罰でやっちゃう。懲罰というのは軍隊は重営倉といって、仮の留置所みたいなところに入れちゃう。それから懲罰までいかないのは、ご承知の軍隊の制裁ですね。制裁、懲罰、軍法会議、という順序。軍法会議にかける案件は、日本の通常の裁判所には絶対にいかない、そこだけでやる。

齊藤 自衛隊に今軍法会議なんていったら自衛官はやめるんじゃないですか。

内藤 ですから私は、今度の自民党の憲法案でいろんな議論がありながら、陸上幕僚部の意見を入れて、軍事裁判所をようやく入れましたけれど、腰が引けていますよね。というのは、本気でやったら齊藤さんがいうように、若年はみんな来ませんよ。去年より新入隊員の応募者が七割というのがもっと減る。逆にこういう軍事裁判所までやろうとしているんだよ、ということを知らせるということは大事なことですよね。

 しかし軍隊とは何かというきょうの設問については、これを避けるわけにはいかない。だから自民党案でも、軍法会議という言葉はつかわないけれども、七六条三項に、最高裁判所の下で、法律に定められたところに従い、軍事裁判所を設けるとした。軍事に関する裁判、という言い方は非常に広い。軍事に関する裁判所というのは、おそらく構想は二つある。一つは昔の軍法会議みたいな刑事専門のものをつくっておくべきだ、という意見が、陸上幕僚部防衛部の中にはあったでしょうね。しかしそれはとても無理です。

 それからもう一つは刑事に限らないと。行政事件でも民事事件でも軍隊に関する事件、軍事に関する裁判はすべて軍事裁判所でやらせてほしい、軍事に知見と理解のある人に審理させろということではないのかな。これに対して、日本の最高裁以下の司法当局者は怒らなければいけない。冗談を言うな、というべきところですよ。

 自由法曹団の人達は敏感にわかると思いますね。憲法九条と司法権の独立と。司法権に軍隊を介入、とんでもない、というところは、立場が違えど法曹関係者が一致できる問題ですからこれは避けることはできない。日本にあった、かつての軍刑法や軍法会議法の一応のアウトライン程度はつかんでおく必要がある。

 自衛隊員の、イラクに行く人は怖いですよね。まず行く前に、注意書きというか注意を与える。ストレスの軽減に必要な知識を与える。それから講習を行う。現地のクェートなりサマワに行きまして、カウンセリング教育を行う。自衛隊の中からカウンセラーとして、これは必ずしも医官には限らなくて、もと教員だったとか、大学で心理学をやったというような人を指定して、それを行かせて話し合う。カウンセリングをする。厳しい環境下での精神面を配慮する。あまりひどい人がいた場合は、すぐに帰国させる。そういうことですね。特に防衛庁は二〇〇三年七月に自殺防止対策本部を本庁に設置したのです。

齊藤 本当ですか。

内藤 特に自殺者が多いですね。この二年来。

渡島 イラクに行った人たちの中にですか。

内藤 全体。

齊藤 行くかもしれないということですか。

内藤 表向きはサラ金だというのです。

渡島 何かに出ていましたね。

内藤 でもサラ金でそんなに自殺が増えるわけがないのです。病名で言うと、心的外傷後ストレス障害。PTSD。もう一つ、惨事ストレス。

齊藤 それもPTSDの一個じゃないですか。災害に遭って、人が死んだりそういうのをたくさん見ると、それでストレスを抱えてうつ病になってしまうんですよね。

内藤 惨事ストレスに関する取り組みを、検討しているというのです。メンタルヘルス活動の目標は四点あって、一つは精神的疾病がない。二がはなはだしい不安や苦悩がない。三が社会規範に適応している。四が自己実現がなされている、という状態で、これは一般論です。それからあとは家族との触れ合い。イラクに行った人は、電子メールで交換する、それからビデオレターを提供する、というのが、一応表向きの発表です。これは全部防衛白書にこういうことをやっています、と出ています。では、これで克服できるかというと、絶対にできない。イラクの戦闘、さらにもっと深刻な戦闘を見た場合には、これでは克服できない。どうしても、そこにもう一つの規律。何らかの強制処置。あるいは自衛隊法の罰則の強化拡大とか、という面が問われてくる。ただ、あなたがいうように、それだけではもうもたないと。ここから海外派兵軍隊というのは崩れてくる可能性がある。今大体陸海空自衛隊駐屯地、国内駐屯地、全部一渡り中央病院の軍医官と看護官が巡回した。全員を集めて、ストレス解消法、ストレス検査、自殺防止、自殺の症例、回ったんですね。そのときに直接責任がある班長、中隊長、隊づきの幹部で服務担当者から出ていた質問は、自衛隊というのは規律を大事にして、一人一人の個人の個性とか悩みというのを全部聞いて上げられないのだと。それでは軍隊の規律というのはなかなか難しい。どうしたらいいのですか、という質問。これが最大の矛盾。しかし、最大の矛盾だけれども、これを自民党憲法案は、軍事裁判所を設置する方向を打ち出している。腰が引けているというのは、僕は軍法会議と書けなかったことだと思うのです。それよりむしろ、自衛隊と闘う裁判闘争を抑えるそういう構えも見えている。

 海外派兵をやりますね、絶対に軍法会議が必要です。というのは、海外でその場で裁判。脱走したり、それから外国人が多いと思いますが、日本の戦車、装甲車が路肩爆弾で爆破された、この人がやったと捕まえて、軍用物損壊罪で日本の軍法会議にかけるでしょうね。軍法会議、軍事裁判所というのを日本で今つくるとすると、それは海外派兵と外国領土占領に伴うものです。ただ、今言ったように、それをやればやるほど震え上がっちゃって、日本の青年は応募しないと。それから人を使う隊長が、軍法会議とか懲罰だけでは部下は絶対に言うことを聞かないでしょう。上に立つものは、上の人間として下をかわいがってやるという面もないと、人がついてこないから、これだけではいかん、と思いますね。けれどそれを、自民党案は軍事裁判所という言葉を言の葉に乗っけたということが恐ろしいじゃないですか。言い過ぎちゃいかんが、無視しちゃいかん、軽く見ちゃいかんと思いますね。

齊藤 でも私はそれで本当に自衛隊がついていくのかしら、と本当に思いますね。今の自衛隊じゃ無理ですよね。

内藤 だからすぐにはできないでしょう。憲法じゅうりんの第二段階。憲法改悪の最初はやはり、「国を守る責務」「公の秩序」とかの言葉を入れてもらって、様子をみて、でしょうね。それはおそらく、今の公民教科書、歴史教科書がこれ以上普及するかどうか。自衛隊の中だけで愛国心教育をやってもだめだから。日本の青少年全体に、扶桑社の教科書の思想が広がれば、自衛隊に入ってくる人間は教育しやすいですよ。戦前の我々の時代というのは、小学校、中学校から軍国主義の教育、皇国史観の歴史でしたから、軍隊に入るときには一応それなりのものができていた。今はまったくやらない。ですから、自衛隊の精神教育と直結するものだと思うのですよ、扶桑社の教科書は。

齊藤 土俵ですよね、教科書は。

内藤 しかしそれを〇・四%にしたというのは大きな成果。

齊藤 すると、向こうからすると焦っているでしょうね。

内藤 焦っているでしょうね。ただし、編成とか装備とか訓練とか演習とか、外面はものすごく強い軍隊になっているから、齊藤さんが言うように、軍隊じゃないですか。しかし軍隊というのは、戦争をする。戦争というのは相手の国を屈服させる動きなので、それをやるのに欠けているのは軍紀と軍人精神ですね。つまり今で言うと、厳正なる規律と、任務意識、旺盛なる任務意識であると。それは決定的に欠けている。でも観閲式なんか見ると、きちんと揃って、行進も一糸乱れずにやるじゃないですか。あれは外面は軍隊というのは、ダンシングチームと同じで、そういうふうになるのです、訓練で。でも弾が一発とんできたときに逃げないという軍隊にできるかどうか。そこは決定的な課題。

齊藤 でも自衛隊の人って軍隊だとは思っていないでしょう。

内藤 軍隊だと。だって軍艦があって、戦闘機があって戦車がある。外形は軍隊。外形はどんどん大きくなっていくから、さっきおっしゃった軍隊。しかし、精神面、規律、軍紀というものはまだできていない。軍紀を担保する軍事裁判所もない。演習とか観閲式のときにキチッと並ぶというだけではないですね。戦闘になったときに、恐れずに戦えるか、命を捨てられるかということになるとちょっと、と思っているのではないですか。

 自衛隊員の人間としての要求というのがありますよ。普通の官舎に勤めていても、隣は民間のアパートで子供はみんな小学校、中学校。民間の人達と一緒。奥さん同士、話をする普通の社会にいるわけですからね。ですから一般社会の中で、厭戦、平和の世論がぐっと広がっていけば、もう自然に自衛隊の官舎の中から、奥さんから家族から変化しますよ。だけど生活が苦しいから退職も簡単にできないしイラクに行かざるを得ない。断るわけにはいかない。

齊藤 自衛隊もハードは装備とかなんとかかなり進んでいるけど、ソフトがまだできていないんですね。ソフトをできないようにする、というのがきっと重要なんですね。ハードもあまり大きくなっても困るけれど。

内藤 だから今の教科書と靖国の問題は、そういう意味では非常に重要。

齊藤 重要ですよね。

内藤 靖国神社に参拝させないとか。靖国神社は単なる宗教施設ではないですからね。死んでも命は惜しくないという、そういう精神を教育する、つまり英霊を賞賛する施設。

齊藤 それは重要なんですか。軍人にとってはとても重要なんですか。

内藤 重要なことですね。

齊藤 靖国にあそこまでこだわるというのがよくわからないけれど。

内藤 だって、イラクに行ったらすぐにわかるでしょう。今の自衛隊とすれば、イラクに行っている。今はまだいいですよ。今は爆発しないのを打ち込んできますからね。実際に爆発するやつを打ち込んでくると死者が出ます。その次、反撃しろ、となれば、殺し合い。殺し合いの場で戦うというのは、自分の命を捨てても、場合によっては死んでもいいんだ、という精神がないとやれない。今なら逃げるでしょう。 

齊藤 そうですよね、逃げる、逃げる。

内藤 逃げるか捕虜になるでしょう。

齊藤 自衛隊員にはそうあってほしいな。

渡島 これが現実だということで国民に知らせる。

内藤 そこの隊員教育が、うっかりやりすぎるといけないし、とてもおっかなびっくり。そこでこういうもので、靖国神社、皇国史観、歴史教科書で教育していく。麻酔剤ですね。麻酔をかけていく。

齊藤 麻酔ね。

渡島 漢方みたいに序々に効く。

齊藤 先生、アメリカだってすごく愛国心教育をやっているでしょう、国を守るため、自分の家族を守るため、と兵隊になるじゃないですか。でも中ではいろいろな問題があると言われているでしょう。アメリカはそれでも、海兵隊とかいろいろな軍隊がそれなりの実力もあるし、ソフト面でも成功しているように私には見えるのですが、どうなんでしょう。

内藤 やはり、戦場で、初めは怖かったけれど慣れていくと。それから一番大きなのは、自分の戦友ですね。同僚。昨日まで一緒にいた兵隊がイラクの武装勢力によって殺されちゃう。あんないい戦友をあんな武装勢力が殺しやがって。よし、俺が今度殺してやる、これが集積していく。ですから、最後は同族を殺されたことによる復讐心みたいなものが積み重なり、人間の心が段々麻痺していく、これが恐ろしいですよ。案外そんなもののなかから出て行くんですね、人間的なものを麻痺させていく。

齊藤 これは全然関係ないけれど、映画ではそうなんですね。俺たちは何のために戦っているか、という会話がよく出てくるのです。そのときに自分たちは自分の仲間を守るために戦っているんだ、というのが出てくるのです。別に大義名分なんか何も出てこないのね。

内藤 映画でそれが出てくるというのはかなり考えさせるシーンなのですが。

齊藤 非常に考えましたよ、私は。

内藤 私の場合はやはり、天皇のために死ぬということについては、天皇って考えてみると人間じゃないか、人間だけど、その人に会ったこともない。偉そうな人である。だが、とてもその人(天皇)のために死ぬという気にはなれなかった。次に、あくまでも国家のため、大日本帝国のために死ぬのかと、自分に問うてみた。しかし国家というのがわからない。国家とは何だろう、国って。

齊藤 見えないですしね。

内藤 これもまだ腹が決まらなかったですよ。次が、親のためか?というのが出てきた。しかし親は自分で生きるだろうと。戦争でどうなっても、親は大人だから、生きるだろう。親のために俺が死ぬというのは逆だと思った。次が、弟と妹がまだ小さかったですけれど、かれらのために死ぬというのはどうか。ここで、これは仕方がないな、と思ったね。日本に米軍が上陸してきて対戦するというわけです。もし、自分の近くにはいないけれど、弟や妹が殺されそうになったときに、弟や妹を救うためということ、あるいは広い意味で救うためであればこれは仕方がないな、と思った。それで納得をした。これで思考停止でした。

渡島 心の整理といいますか、落ち着きどころを捜したのですね。

内藤 それは四五年の七月末か八月。原爆投下直前のころ。

齊藤 二週間前。

内藤 ということは、私は海軍にいたんですよ。生徒ですけれど。軍艦はないですから、海上に出ることはできない。従って陸上戦闘で戦うんだと言われていた。ある日、教官が水兵さんを集めて、「生徒たちを立派に死なせてやらなければいかん」と。「いかに立派に死なせてやるかということを考えなければいかん」という訓示をしているのを僕はたまたま便所の中で聞いたのです。これはいよいよ最後だと思った。死ぬしかない、弟と妹、小さい子供たちのためならば仕方がないなと。つきつめて考えてそこまでですね。大日本帝国の憲法に基づいて軍人教育をされた人間であっても、天皇とか国のために死ぬという気持ちにはならなかった。

齊藤 そうでしょうね。私は今だったら弟のために死ぬとは言わないだろうな、勝手に生きろ、って言うだろうな。

内藤 体調が悪くて、休養を命ぜられて、他の生徒たちはみんな訓練に行っちゃったんですよ。一人だけ部屋に残って休養を命ぜられていたんですよ。だから考えたんだね。ふだん考える時間はないから。

齊藤 軍隊に入ると、そんなことは考えないですか。

内藤 考える時間はないです。朝早くから夜までラッパと号令で追いまくられて駆け回るわけですから。

齊藤 その時点で、国のために死ぬなんて思っていたんでしょうか。

内藤 表向きは。

齊藤 表向きは。あの、「聞け、わだつみの声」なんか読んでいても結局は、大義名分で死にます、なんて書いている人も中にはいるけれども、でも最後はお母さん、お父さんの話ですよね。

渡島 飛行機で突っ込むときのあの場面というのは、映画だからであって、誰が何をしゃべっているかなんてわからない。

内藤 生きるという選択肢がないからね。生きる選択肢がない、死ぬ選択肢だけだから。死に方の選択肢の問題。

齊藤 自分をどこで納得させるか、ですよね。

内藤 一九四五年七月末ころの段階では、陸上戦闘で死ぬのではないかという意識です。降伏というのは全く考えられませんでしたから、世界情勢や本当の戦況や一般世間のことは全然情報が入ってこない。七月末ころの時点ではそうだった。しかし、その前の時点、四月、五月ころの時点はまだ、海上の戦闘に出られると思っていた時期は、自分がどうして死ぬのかと。機関銃の弾に当たって死ぬのか、砲弾でバッと砕け散るのか、それとも海に落ちて溺れ死ぬのか、あるいは海でフカに食われるか。いくつかの可能性を考えましたね。

齊藤 フカはいやだな。私、海はいやだな。

内藤 太平洋の地図を見て、どこで死ぬのかなと。そういうのが四、五月ころの状況だったですね。

齊藤 今の自衛隊にそんなことを話したら、みんな逃げないかしら。逃げてくれたほうがいいな。

渡島 子供の頃、ある程度聞いていれば自衛隊に自主的に入る人は少ないだろうと思います。

大崎 そろそろ予定の時間になりました。今日はどうもありがとうございました。