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伊藤 和子 アメリカでみたこと
―グアンタナモ基地 その後
井上 正信 「日米同盟:未来のための変革と再編」をどう読むか
田中 富雄 弁護士の懲戒処分はこれでいいのか
―処分取消の闘いと報告―
四月六日 国民投票法反対集会
クレオへお集まりください。




アメリカでみたこと

―グアンタナモ基地 その後

東京支部  伊 藤 和 子


 昨年一二月の団通信に私がニューヨークの人権団体・CCRにいた際のグアンタナモ基地をめぐる攻防を投稿した。

 今回はその後の進展をご紹介したい。

一 司法審査権の剥奪

 昨年一一月、米議会上院は、「グアンタナモ基地にいる約五〇〇名の被収容者には、身体拘束の正当性をめぐって連邦裁判所の裁判を受ける権利がない」として、彼らに対する司法審査を全て排除する議員立法を、委員会審議も経ずに通過させた。二〇〇四年に出された「グアンタナモ基地にいる収容者は権限ある裁判所で自己の身体拘束の正当性を審理される権利を有する」との連邦最高裁決を否定したこの法案は、法曹界に大きな衝撃をもたらし、心ある法律家たちや人権団体はワシントンに連日のロビー活動を展開してこれを阻止しようとした。しかし、下院はわずかな修正により、この立法は成立してしまった。結局、グアンタナモ基地の被収容者の身体拘束の当否は、国防総省が設定した「戦闘員認定法廷」(CSRT)の手続に委ねられ、連邦裁判所にはCSRTの手続が手続規定に違反していないかどうかを形式審査する権限のみが残された。

二 CSRTとは

 二〇〇四年七月、国防総省が設置したCSRTは、三人の軍人が多数決で被収容者が敵戦闘員か否かを決定する手続きだ。被収容者は審理に立ち会えるが、「機密資料」に関わる審査からは排除される。彼に有利な証人の証言は「合理的な見地から出頭可能」と判断された時だけに限られ、ほぼ否定されたに等しい。上訴は、国防総省にのみ可能であり、収容者の代理人は、任命された軍人に限られ、この代理人に守秘義務はなく被収容者から知りえた秘密は審理において公開される。二〇〇五年三月、国防総省は、五五八件の全ての被収容者について完了したと宣言、わずか五人が釈放されたに過ぎない。

 軍人が裁判官、検察官、弁護士をかねるというこのCSRTがデュープロセス及び中立で公正な裁判を受ける権利を侵害する、との憲法訴訟もCCRによって提起され、二〇〇五年一月には、ワシントンDCの連邦地裁は全く違う二つの結論に至った。グリーン判事はCSRTは憲法のデュープロセスに違反する、と結論付け、レオン判事は被収容者の申し立てを棄却したのだ。

三 人身保護請求棄却の申立てと被収容者の状況

 しかし、こうしたCSRTをめぐる連邦裁判所の論争も冒頭に書いた立法によって封じ込められてしまうこととなる。米政府は、同立法に基づき、CCRが提訴している約二〇〇件の人身保護請求訴訟を全件棄却するよう、連邦地裁に申立て、全ての人身保護訴訟を葬り去ろうとしている。そんななか、グアンタナモ基地に収容された人々のハンガーストライキや自殺未遂行為はさらに激しくなっている。現在、弁護士を除けば、彼らとあえるのは国際赤十字社のスタッフのみであるが、赤十字社は収容の実態について何ら米国に断固たる態度をとっていない。軍は、連邦地裁の命令に反して赤十字や弁護士との会話を傍受しており、処遇に対する不満を赤十字や弁護士に訴えた被収容者はその後決まって暴行を受けるという。

四 発覚した盗聴

 二〇〇五年末、議会は電話・電子メールの傍受などを認める愛国法を延長した。しかし、実は、米政権中枢は、議会にも秘密裏に、法律によらない国民の盗聴を実行していた。二〇〇二年初頭、大統領命令により、国家安全保障局は米国民の電話・電子メールを裁判所の許可なく盗聴することを許可され、広範な盗聴が密かに実行されてきたのだ。二〇〇五年末にニューヨークタイムズ紙のスクープによりこれは発覚したが、米政権は「戦争中の大統領権限」だとしてこれを正当化している。CCRはこれにいち早く反応し、二〇〇六年一月、盗聴の差し止めを求める訴訟を提起した。

五 国連での事態の進展

 このようななか、米国の人権問題を正面から批判することがなかった国連がついに動いた。国連人権委員会は、特別手続の一貫として、さまざまなテーマ別の「特別報告者」を選任して人権状況の調査にあたらせているが、このうち拷問、拘禁、宗教的自由、身体的精神的健康に関する権利、司法の独立の五つのテーマで国連から任命された特別報告者は、それぞれグアンタナモ基地の人権問題を調査の対象としている。私は昨年秋に国連第三委員会を傍聴して、彼らの報告を聞いたが、各特別報告者の真摯な追及の姿勢には感銘を受けた。彼らはそれぞれグアンタナモ基地の事態に強い懸念を表明し、同基地への査察を強く要求した。米国はついに一二月に特別報告者たちがグアンタナモ基地を訪問することを認める回答をするが、被収容者に対するインタビューは拒絶した。五人の特別報告者たちは、被収容者への質問が認められないような視察は特別手続の趣旨を損なうものだとして、グアンタナモ基地への訪問を取りやめ、代わりにヨーロッパ等に在住する元被収容者などに対する徹底した調査を行ない、一人ひとりではなく五人共同での報告書作成をすることを決めた。こうして、今年二月一五日、五人の特別報告者たちは、グアンタナモ基地における人権問題について、共同の報告書を国連に提出した。報告書は、グアンタナモ基地への無期限拘束は国際人権法に違反し、同基地での被収容者への処遇は拷問に該当する、と認定、グアンタナモ基地を速やかに閉鎖し、被収容者を速やかに司法の判断に委ねるか釈放せよ、と明確に勧告した。私も報告書を読んだが、国際人権法・人道法とテロリズムに関する最新の理論の集大成というべき素晴らしい内容の報告書である。世界クラスの権威ある五人の専門家がそろってグアンタナモの事態を拷問と断じたことは国際世論に大きな影響を与えている。米国政府は報告書に強く反発したが、アナン事務総長は総論において報告書を支持し、「グアンタナモ基地は早晩廃止されるべきだ」と表明した。この出来事は、米政権がいかに無法なことをやろうとも、世界は黙っていない、ということを強く印象付けるものであり、「反テロ戦争」に対し自由を求める良心のたたかいは決して屈したままではないことを示した。特別報告者たちの多くは私たちと同じ法律家である。アメリカと世界の良識ある法律家たちの勇気ある行動が、世界に変化をもたらそうとしている。



「日米同盟:未来のための変革と再編」をどう読むか

広島支部  井 上 正 信


一 何が協議されているのか

 二〇〇二年一二月に開かれた日米安全保障協議委員会(日米の外務・防衛、国務・国防の大臣長官がメンバー、2+2とも呼ぶ)以来日米間でいわゆる在日米軍再編または在日米軍兵力構成協議と称される重要な日米協議が進んでいる。二〇〇五年二月一九日の日米安保協議で共同発表文、二〇〇五年一〇月二九日日米安保協議では「日米同盟:未来のための変革と再編」が合意された。日本側は国民向けに、この協議は在日米軍が及ぼす地元負担の軽減のためであるとか、「日米同盟:未来のための変革と再編」を中間報告と呼ぶなど、その実態を国民の目から隠そうとしてきた。

 しかし、この日米協議は地元負担軽減を目的にしたものなどでは決してないうえ、在日米軍基地の再編というものではなく、もっと広い文脈で見なければならない。

 「日米同盟:未来のための変革と再編」は、「二〇〇二年一二月の安全保障協議委員会以降、・・・・・日米それぞれの安全保障および防衛政策について精力的に協議した。」と率直にその目的を述べている。「日米同盟:未来のための変革と再編」は日米間の協議の目的や内容を端的に表したタイトルなのである。このタイトルには三つのキーワードがある。「日米同盟」「未来のため」「変革と再編」である。

 関心の深い方は一九九六年四月一七日「日米安保共同宣言」が「二一世紀に向けての同盟」と副題が付けられたことを思い出すであろう。いわゆる安保再定義である。現在進められている日米協議も同じようなタイトルが付されている。わずか九年足らずの間に日米関係が大きく変わろうとしているに違いない。

 もともとこの日米協議は国民の目から隠されて進行していた。時々マスコミで在日米軍の再編という観点から個々の在日米軍基地の問題として、かつ地元負担軽減という観点からのみ報道されていた。そのため、逆に負担が増える地元(岩国、座間、沖縄本島北部など)では反対の声が出て、日本政府は協議を進めにくい立場となった。米国は日本側の姿勢に強い不満を持ち、日米は協議のしきり直しをする。その結果日米協議を「共通の戦略目標の共有」「自衛隊と米軍の役割・任務・能力分担の取り決め」「在日米軍基地再編の決定」という三段階で進めることとした。一種の詰め将棋のような進め方で、この種の協議ではいつも曖昧な姿勢で、国民向けにごまかして時間稼ぎする日本政府を逃げられないようにたがをはめたのである。日本政府の売国的な姿勢には強い憤りを感じる。

 その結果共同発表文は第一段階の共通の戦略目標を共有することを確認し(一項から一一項)、第二段階と第三段階へ向けた協議の道筋を付ける内容(一二項から一六項)となった。「日米同盟:未来のための変革と再編」は、第二段階を合意し(U役割・任務・能力)さらに第三段階のかなりの部分を合意し、一部を今後の協議で具体化する内容(V兵力態勢の再編)となっている。このレポートは英文が正文である(仮訳は外務省のホームページにある)が、英文のどこにも「中間報告」に該当するInterim Reportという言葉はない。中間報告とは日本政府が例によってその本質を国民に隠すために付けた名称に過ぎない。決して中間報告でないことは読めばわかる。米国は中間報告と呼ぶ日本政府に対して、これは中間報告ではないとあからさまな不信感を述べている。私もこのレポートを中間報告という頭で最初読んだときには、頭になかなか入らなかったが、第二段階についての日米合意として読み直すと理解しやすかった経験がある。米国国務省の担当者から中間報告ではないと公然と指摘されたり、一部の識者から早い段階から中間報告ではないと指摘されながら、マスコミは今でも中間報告と呼んでいるのは、マスコミの怠慢としかいいようがない。

二 日米協議を進める米国の立場

 日米協議を進める米国は、在日米軍基地への地元からの批判があるから再編協議をしようというものではない。結論から言うと日米同盟と抑止力強化のためである。地元負担が軽減されたとしてもそれはおまけであって意図したものではない。逆に地元負担が増大する地域があってもそれを押さえ込んで進めるのである。米国は日米協議を世界戦略の重要な一部として位置づけている。世界規模での軍事同盟の再編成を進めているのだ。ブッシュ政権はそれを軍のトランスフォーメーション、グローバル・ポスチャー・レビュー(世界規模での軍事態勢の見直し)と呼んでいる。以下にそれを紹介しよう。

 軍のトランスフォーメーション、グローバル・ポスチャー・レビュー(世界規模での軍事態勢の見直し)を理解するには、九〇年代後半から進められた米国の安全保障戦略、軍事戦略の変化を概観する必要がある。それによって、九〇年代の安保再定義がなされながら、なぜ現在の日米協議(私は安保再々定義と以前から呼んでいるので、これからは日米協議をこう呼ぶ場合がある)が進められているのかも理解されるであろう。

 ソ連崩壊、WATO崩壊、湾岸戦争を経て米国の安全保障戦略と軍事戦略は大きく変わった。それまで旧ソ連・WATO軍との戦争を想定した軍事同盟網と安全保障戦略、軍事戦略であったが、これらの脅威が消滅してからは、脅威の対象がならず者国家、テロリスト集団(非国家的主体と呼ぶ)、大量破壊兵器(核・生物・化学兵器、WMDと呼ぶ)と運搬手段である弾道ミサイルの拡散となった。ならず者国家の代表格であったイラクは、湾岸戦争後国連経済制裁で封じ込められたし、北朝鮮とはジュネーブ合意(枠組み合意)以降米朝関係が改善されたのでならず者国家が脅威とは言い難くなった。それに変わり非国家的主体とWMD・弾道ミサイル拡散が主要な脅威として強調されるようになった。脅威の対象が変われば安全保障戦略、軍事戦略、軍事態勢が変わる。国家安全保障戦略といえばずいぶんと難しい印象を受けるが、実は国家に対する脅威が何で、それに対してどのように対処するかということを議論しているに過ぎない。

 脅威の対象が変われば米国を盟主とした軍事同盟の意義も変わるし、軍事態勢も変わらざるを得ない。それが九〇年代から進行した軍事同盟再定義のプロセスであったし、米軍が進めた「軍事における革命(RMAと呼ぶ)」、トランスフォーメーションである。日米安保体制では安保再定義と呼ばれる三つの文書(日米安保共同宣言、新ガイドライン、九五年新防衛計画大綱)が作られた。NATO同盟では同盟の新戦略概念という文書が一九九九年四月NATO五〇周年サミットで採択された。

 その後、ならず者国家の脅威が消滅し、米国はますます非国家的主体と大量破壊兵器・弾道ミサイル拡散の脅威を強調するようになり、九・一一事件以降この傾向が決定的になった。ブッシュ政権の先制攻撃戦略とこの流れが合体した結果有名な二〇〇二年九月国家安全保障戦略レポートが発表された。

 この安全保障戦略の下で米国は軍事戦略、軍事態勢さらには軍事同盟の再編強化を進めている。

 ブッシュ政権の軍事戦略は、非国家的主体による米国や米国の国益への攻撃はいつどこでどこから行われるか判らないので、世界中の紛争地域へ米軍を迅速に展開すること、大量破壊兵器を使用されたらその被害は甚大(国家安全保障戦略レポートの表現を借りれば指数関数的な被害になる)であるから、脅威が現実化する前でも先制的に攻撃するというものである。このような軍事戦略を実行する軍事態勢を構築するため、軍のトランスフォーメーションを進める。これはひと頃は「軍事における革命」(RMA)として、最先端技術(インターネット、衛星通信、偵察探知技術、など)を駆使し、いかにして敵を早く探知し、敵より先に且つ敵の攻撃射程の外(スタンドオフ攻撃)から迅速正確に攻撃するという軍事技術を装備し、それに見合った作戦を立てるというものである。トランスフォーメーションは日本語で変革とも訳されるが、私は形態変化と呼ぶ。それは、トランスフォーメーションの対象が「(軍の)教義、組織、訓練、資材、統率、教育、人員、施設」というおよそ軍の全てにわたる変化であり、これにより軍の組織形態も変革されようとしているからである。海外米軍基地も再編成され基地の位置づけも変わる。当然海外配備の米軍の再編成も行う。ヨーロッパ配備の米軍と在韓米軍は減らされ、在韓米軍は北朝鮮への抑止力から、世界中へ展開可能な迅速展開軍となる、在日米軍基地は世界各地へ展開できる大規模な戦力を配備するハブ基地(PPH)となる。米陸軍は、重厚長大な方面軍―軍団―師団―旅団という編成から、UEY―UEX―UAという編成となり、基本的な戦闘単位を師団からUAという旅団編成にし、迅速に世界中へ展開できるようにする。UAは現在の旅団規模でありながら戦闘力は大幅に向上し、作戦可能範囲が師団と同じくらいになるといわれている。UEXは四軍(陸・海・空・海兵)の統合指揮を執る統合司令部になる。「日米同盟:未来のための変革と再編」の中で「展開可能で統合任務が可能な作戦司令部組織」と述べているのがUEXである。展開可能とは、世界中の紛争地域の前線へ司令部が展開できるという意味である。これがキャンプ座間へ来る予定の陸軍第一軍団司令部である。現在の司令部が来るのではない。トランスフォーメーションで改編されたものである。また、トランスフォーメーションで軍の統合を進めており、海兵隊航空部隊と海軍航空部隊が統合される。厚木の海軍航空部隊(空母艦載機部隊)が岩国へ移駐するのはこのためである。沖縄の海兵隊司令部要員がグァムへ移転するのも、グァムを戦力展開の中心として基地機能を強化し、軍の統合を図るためである。グァムは海軍・空軍の基地機能が強化されつつある。

 ブッシュ政権は軍のトランスフォーメーションを進めながら、それを同盟国や友好国へも及ぼそうとしている。新しい軍事態勢では同盟国、友好国の軍事的協力の強化が不可欠だからである。二〇〇三年一一月二五日ブッシュは「本日を起点に合衆国政府は、我が海外軍事力態勢の今後の見直しに関して、議会とまた友好国、同盟国そして海外のパートナーとの協議を強化するであろう。(中略)この目的に合致するように、我々は(見直し過程への)友好国や同盟国の全面的な参加を求めるであろう」と大統領声明を発表した。これがグローバル・ポスチャー・レビューである。ブッシュ政権は同盟国、友好国と米国の安全保障戦略、軍事戦略、軍事態勢を一体化しようとしているのだ。この日本版が現在進められている日米協議(安保再々定義プロセス)である。九〇年代後半の同盟の再定義をさらにもう一度行うプロセスである。このプロセスは当然のことながら自衛隊のトランスフォーメーションにならざるを得ない。

三 日米安保再々定義

 日米安保再々定義は以上のような流れの中にあるが、もう一つ日米安保特有の事情が加わっている。それは何かといえば、憲法問題なのである。憲法の制約でわが国は集団的自衛権が行使できず、海外での武力行使ができない。米国は安保再定義にはいたく不満が残った。アーミテージレポート(二〇〇〇・一〇)は「同盟漂流」と言う言葉を使って、そのことを率直に述べている。アーミテージレポートは日米同盟を米英同盟のような成熟した同盟にするには、有事法制の整備という課題を真っ先に挙げながら、集団的自衛権行使ができなければだめだと述べて、憲法改正を言外に求めている。日本の軍事的役割が周辺地域に限定されたことも不満であった。これ以降の日本国内の重要な動きは、有事法制の整備、新防衛政策大綱の策定、自衛隊イラク派遣、改憲論の公然とした登場など、着々とアーミテージレポートの路線を進んできた。

 日米同盟を強化するには近い将来の憲法改正は避けて通れない政治課題であったことは確かである。そこへ米国のトランスフォーメーションとGPR政策が加わり、憲法改正への圧力が加速した。

 私は、日米安保再々定義の出発点はアーミテージレポートと考えている。日本国内の動きとしては、二〇〇一年九月一一日同時多発テロ直後に防衛庁内へ設置された「防衛力のあり方検討会議」がそのはしりであろう。「あり方検討会議」は九七年防衛計画大綱を改正し新防衛計画大綱を策定するために設置された。

 もう一つの出発点は二〇〇二年一二月の日米安保協議委員会であろう。「日米同盟:未来のための変革と再編」は、この2+2以降「日米それぞれの安全保障および防衛政策について精力的に協議した」と述べている。二〇〇二年一二月の2+2は、合衆国の国家安全保障戦略レポートが発表された直後に開催された重要な日米協議である。この2+2へは米国の新しい安全保障政策、軍事戦略が反映された。その共同発表文では、国際テロリズム、大量破壊兵器と弾道ミサイルの拡散の脅威という「新しい安全保障環境」を強調し、「日米両国が直面している安全保障上の問題および日米同盟にかかる問題、並びに両国関係に関するその他の問題」、「新たな安全保障環境における日米両国の各々の防衛態勢を見直す必要性」を協議し、両国間の安全保障協議を強化することを決定した。具体的には、「両国の役割、任務、兵力及び兵力構成、地域の課題やグローバルな課題への対処における二国間協力、国際的な平和維持活動その他多国間の取り組みへの参加・・・」を協議することを合意した。

 ここで合意された内容は、その後形成されるわが国の安全保障政策、新防衛計画の骨格と日米同盟強化のための両国間協議の内容を決定したのである。

二〇〇四年四月から首相の私的諮問機関である「安全保障と防衛力に関する懇談会」での議論が始まり、同年一〇月報告書(「未来への安全保障・防衛力ビジョン」という副題)が発表され、一一月「あり方検討会議」の報告書が発表された。その上で一二月新防衛計画大綱が閣議決定された。これらの文書が述べる国際情勢、安全保障環境、脅威認識は二〇〇二年九月合衆国国家安全保障戦略レポートと全く同じ内容である。表現までもが模範解答を引き写したようなものまである。

 「あり方検討会議」設置後新防衛計画大綱策定までの間、日本国内では重要な出来事が続いた。テロ対策特措法やイラク特措法による自衛隊海外派兵、有事法制の整備である。これらの動きは決して日本単独で行われたものではない。日米の合作と考えざるを得ない。自衛隊海外派兵はむろんのこと、有事法制整備は周辺事態で米軍へ日本が軍事的支援をすることや、それから派生する日本有事を想定していることから、日米共同作戦計画が前提になって進められたことは間違いないであろう。これらの日米共同作業は日米安保再々定義プロセスと重なり、憲法改悪への強い衝動となったのである。

 新防衛計画大綱が打ち出した新しい防衛計画とはどのようなものであろうか。その核心は、軍事力を安全保障政策の手段として有効に活用しようというものである。今回の防衛計画大綱を含め過去三回大綱が定められた。昭和五一年度大綱(一九七六年)、平成七年度大綱(一九九五年)と異なり、新防衛計画大綱は安全保障政策を初めて打ち出した。軍事力による安全保障政策である。憲法は前文と九条で軍事力に依らない安全保障政策を進めることを宣言しているが、新しい安全保障政策はこの制約を突破しようとしている。財界の改憲提言である日本経団連「わが国の基本問題を考える」(二〇〇五年一月)は、これまでの防衛政策(基盤的防衛力構想)を、自衛隊は存在することによる抑止力で国益のために有効に機能していない、世界の安全保障問題に対して戦略がなく、主体的な関与・貢献が不足している、国民は平和主義=非軍事として軍事力を安全保障の道具と認識していないと批判して、新しい防衛政策と憲法九条改正が一体であることを述べている。

 新防衛計画大綱が打ち出した安全保障政策は、日本防衛と国際的安全保障環境の改善という二つの戦略目標を掲げ、それを実現するためわが国自身の努力、同盟国(米国だが)との協力、国際社会(といっても米国だが)との協力という三つのアプローチを統合するというものである。安保防衛問題懇談会報告書はこれを「統合的安全保障政策」と大仰な呼び名を付けた。この二つの戦略目標は、日米協議の中でも貫かれている。二〇〇五年二月の共同発表文では、共通の戦略目標として、日本の防衛と周辺事態を含んだ「地域における戦略目標」と、「世界における共通の戦略目標」を合意している。「日米同盟:未来のための変革と再編」では、「日本の防衛及び周辺事態への対応」と「国際的な安全保障環境の改善のための取り組み」としている。

 新防衛計画は、昭和五一年防衛計画大綱、平成七年防衛計画大綱で採用されてきた基盤的防衛力構想をから、所要防衛力構想である多機能弾力的防衛力構想へ大きく転換させた。基盤的防衛力構想とは、国家間(主としてソ連であるが)の武力衝突を想定して、存在することでそれを抑止するというものであった。別の言い方では、軍事的脅威に対抗するよりも、自らが力の空白となって周辺地域の不安定要因にならないよう、独立国として必要最小限度の防衛力を持つというものである。これは「専守防衛」政策にかなう防衛力構想であり、憲法九条にも適合すると位置づけられた。所要防衛力構想とは、仮想敵国が一〇の防衛力を持てば、わが国も一〇の軍事力で対抗するというもので、歯止めなき軍拡になるおそれがある。新防衛計画大綱は「基盤的防衛力構想の有効な部分は承継しつつ、新たな脅威や多様な事態に実効的に対応しうるものとする」として、所要防衛力構想を採ることを明確にした。

 多機能弾力的防衛構想のもとで、具体的な防衛力の役割として七つのものを挙げる。弾道ミサイル、ゲリラ・特殊部隊・島嶼部防衛・周辺空海域の警戒監視、大規模・特殊災害、本格的侵略、国際的安全保障環境改善である。警察、消防の役割から軍隊の役割までまさに多機能である。それを遂行するため自衛隊の統合化を図る。統合運用の強化である。具体的には統合幕僚会議と議長を廃止し、新たに統合幕僚長を置き、統合幕僚長が防衛庁長官の指揮を受けて自衛隊三軍を統合指揮する態勢である。現在の自衛隊は長官が三軍それぞれを各幕僚長を通じて指揮するという態勢である。新しい統合運用体制では三軍の幕僚長は軍隊への指揮系統からはずされる。さらに長官直轄部隊として中央即応集団と、情報本部を設置する。中央即応集団は、司令部の下に空挺団、特殊作戦軍、ヘリコプター団、化学防護隊、緊急即応連隊、国際活動教育隊を置く統合部隊である。海外機動作戦が迅速にとれるようにすることや、島嶼部防衛を含め多機能弾力的防衛力の目玉であろう。このための防衛庁設置法が既に改正されている。

 自衛隊の統合運用の狙いは明らかである。米軍との共同軍事作戦を円滑に遂行するためである。米軍は一人の司令官のもとで四軍(陸・海・空・海兵)が統合指揮される統合軍である。米軍と共同作戦を採るためには、自衛隊も統合軍化しなければならない。

 新防衛計画はこのように自衛隊自身のトランスフォーメーションを進めるものとなっている。二〇〇五年二月一九日2+2共同発表文は、新防衛計画と米軍のトランスフォーメーションが一体であり、在日米軍再編と自衛隊再編が一体であることを強調している。

 日米軍事同盟の再編強化の協議で一つ明確になってきたことがある。それは、日米の支配層が日米安保体制と日米同盟をはっきり区分していることである。前記共同発表文では「日米安保体制を中核とする日米同盟」とか、「日米安保体制の実施及び同盟関係を基礎とする協力」と述べている。さらに日米安保体制に対応する「地域における戦略目標」、日米同盟に対応する「世界における戦略目標」と分けている。「日米同盟:未来のための変革と再編」でも、「日本防衛と周辺事態」「国際的安全保障環境の改善」と分けている。地域における戦略目標は九七年九月新ガイドラインで既に合意されているものである。新ガイドラインは、日本に対する武力攻撃と周辺事態についての日米防衛協力及びそれを進めるための日米共同の取り組みを定めたものであった。二〇〇二年一二月から始まった日米防衛協議は、その最大の焦点が「国際的安全保障環境改善」という日米同盟強化であったことが理解できるであろう。新ガイドライン、周辺事態法は集団的自衛権ではなく個別的自衛権行使を前提にした態勢であった。それはまた日米安保体制の枠組みでもあった。むろんそれはかなり無理な解釈であった。それでも政府は集団的自衛権行使であるとは説明できなかった。

 憲法の制約があり、周辺事態法では後方地域支援で、戦闘に巻き込まれるおそれがあれば中断して逃げるという仕組みを作った。むろん武力行使は禁止され武器使用に限られた。イラク特措法も基本的には同じ仕組みである。非戦闘地域での人道復興支援であり、武力行使は禁止され武器使用に限定された。米国から見ればいかにも奇妙な論理であり、頼りにならない同盟国として映った。これが憲法九条の制約であり安保再定義の限界であった。二〇〇二年一二月からの日米協議は最終的にこの制約を突破させるためのものであったといえるであろう。「日米同盟:未来のための変革と再編」は、日米同盟の役割・任務・能力の基本的考え方として、「国際的な安全保障環境を改善する上での二国間協力は、同盟の重要な要素となった」と述べる。それを実行するための日米間の軍事協力の内容は、日米両軍の司令部機能の一体化、軍事情報の共有、共同作戦計画の策定、日米両軍の相互運用性の強化(軍の一体化強化)、これらを向上させるための共同訓練の拡大及び日米両軍基地の共同使用、弾道ミサイル防衛を合意した。その上で在日米軍と自衛隊再編に関する次のような勧告をしている。

共同統合運用調整の強化

 横田へ共同統合運用調整所を設置する。これは日米共同作戦司令部となろう。航空総隊司令部が横田へ移駐する。航空総隊司令部は陸自・海自を含めミサイル防衛の司令部を兼ねる。横田には米第五空軍司令部があり、日米両空軍の司令部の一体化が強化される上、共同統合運用所(日米共同司令部といった方がいい)で日米両軍の一体的な指揮が可能になる上、ミサイル防衛の司令部にもなる。横田基地の強化は日米同盟再編強化の中心である。

米陸軍司令部能力の改善

 キャンプ座間の在日米陸軍司令部は、展開可能で統合任務が可能な作戦司令部組織に改編される。トランスフォームされた陸軍第一軍団司令部が移転する。ここへ陸自中央即応集団司令部が同居し、両司令部の一体化が図られる。日米両陸軍が将来一体となって海外へ派兵されることを想定しなければならない。

 注)前衛二月号石川論文が詳しい。石川氏は早くから座間へ移転してくる第一軍団司令部のことを究明し、貴重な論考を発表している。

海兵隊の再編強化

 米国の新しい軍事戦略(〇六年二月米国防省四年ごとの国防見直しレポート QDRレポートと呼ぶ)では、大西洋の海軍戦力を削減してその分を太平洋へ回して、太平洋での海軍戦力を強化する。空母と原子力潜水艦の配備を増やすのである。その強化の中心的な基地がグァムである。その一環として第三海兵師団司令部をグァムへ移転させる。普天間飛行場から沖縄本島北部の新しい基地へ海兵隊航空部隊が移駐する。その他沖縄本島南部の基地を返還して、本島北部へ基地機能を集中させる。

空母艦載機の厚木基地から岩国基地へ移駐

 これは海兵隊航空部隊と海軍航空部隊との統合を図るというトランスフォーメーションの一環である。

四 日米同盟再編強化と憲法改正

 二〇〇四年一〇月二二日陸自防衛部防衛課防衛班の二等陸佐(中佐)が、中谷元自民党憲法調査会憲法改正案起草委員会座長へ、憲法改正草案を防衛部防衛課防衛班のファックス用紙を使い、防衛庁からファックスで送ったという事件があった。二等陸佐は新ガイドライン策定、日米物品役務融通協定(ACSA)を担当し、日米同盟に関わる憲法問題に詳しい立場であった。この事件当時の彼の地位は、軍の作戦計画立案の中枢にいたことになる。彼が作成して中谷氏へ送った九条に関する改憲草案は実に興味深い。決して彼の個人的な意見ではないであろう。自衛隊制服組の共通した認識と考えた方がよい。また中谷氏は彼の提案をそのまま自分の提案として起草委員会へ提出し、起草委員会はそれをそのまま自民党案(憲法改正草案大綱―たたき台)とした。しかもご丁寧に、彼が望ましいものとしていた国民の国防義務と軍事裁判所設置を全て取り入れた大綱にしたのである。彼がファックスで送ったものの中に、現憲法で可能なことと改正しなければ可能にならない事項の一覧表がある。改憲で初めて可能になる事項とは、集団的自衛権行使、有志連合による戦闘行動(イラク・アフガン等)、国連平和執行部隊への参加、多国籍軍への参加を挙げている。

 解釈改憲を進めてもどうしてもできない事項を整理した点で興味深い。現憲法で禁止されどうしてもできないことは、集団的自衛権行使と海外での武力行使であることは明らかである。

 自民党新憲法草案の九条改憲案(九条二項を削除して自衛軍を設置)は、この二点を可能にするためのものである。改憲案九条の二は自衛軍の任務として、わが国の防衛と国内治安維持活動、国際協調活動を挙げる。国際協調活動こそこれまで述べてきた「国際的安全保障環境の改善」に他ならない。これは新防衛計画、日米同盟再編強化の憲法上の表現に他ならない。現在進められている日米同盟再編強化のための日米協議は、それ自体が改憲への強い衝動となり、わが国の新防衛計画は憲法改悪を前提にしたものなのである。いくらこれを強行したとしても、憲法改悪が阻止されれば結局失敗に終わるであろう。

 現在三月末を期限に日米協議をまとめようとしている。しかし、沖縄、岩国、横須賀など基地機能が強化される地元では強い反対運動が起こっており、この日米協議の行方を不透明なものにしている。改憲阻止の運動と在日米軍基地強化への反対運動は、日米同盟強化を許さない共同の戦いである。



弁護士の懲戒処分はこれでいいのか

―処分取消の闘いと報告―

東京支部  田 中 富 雄

〈はじめに〉

 日弁連は、去る一月一〇日付で須藤正樹団員(東京支部)が第二東京弁護士会から加えられていた懲戒処分(業停二月)を取消しました(原処分の理由要旨は「自由と正義」二〇〇五年一月号に掲載)。相続事件の弁護活動が職業倫理や真実義務に照らし正しいかどうか問われた事案です。教訓に富んでいますので須藤さんの了解を得てご報告します。

〈受任事件と処理の経過〉

 事案や経過を正確に説明すると相当長くなるので日弁連の議決書に簡略化し紹介します。

 須藤さんは、一九八一年、Cから遺言公正証書の作成を相談され、自ら原案作成、証人として作成に立ち会いました。ただ、遺言執行人でなく、遺言書の保管も頼まれていません。

 この遺言公正証書(以下「本件遺言書」という)にはいろいろな財産について遺贈や遺産分割の指定の条項がある他に第五項に「前四項に含まれない財産で遺言者がすでに生前遺言者以外の名義に変更してあるものは生前表明したとおり各名義人にそれぞれ生前贈与してあるものであることを確認する。」という記載があります。現実にCには自己の所有財産で自ら使用収益しながらもすでに別人の名義にした財産がかなりあり、その一つにT(Cの長男)名義に登記をした土地建物(以下「甲不動産」という)がありました。第五項の記載だけからみると甲不動産はTへ生前贈与されたことになりそうです。この財産の帰属問題が後々の紛争の火種となります。

 Cは、一九九七年死亡。須藤さんは、相続人の一部Kらから甲不動産の遺産確認と分割を依頼され、その余の相続人Tらを相手に遺産分割の調停を申し立てたが本件遺言書を提出せず、Tは、これを自分の固有財産で遺産ではないと主張したため2回で不調。須藤さんは、Kらの代理人として地裁に甲不動産が遺産であることの確認訴訟を提起、ここでも本件遺言書を出さないまま、逆に、甲不動産が遺産でありCが平等分割を言い残していたことを証明するため、遺言書としての様式を充足しない遺言書類(以下「別の遺言書類」という)を証拠として提出、勝訴。Tは、高裁に控訴。高裁は、甲不動産をTの所有財産と認定、Tらが逆転勝訴・確定。高裁でも須藤さんは本件遺言書を出しませんでした。

 高裁判決確定後須藤さんは、Kらの代理人として甲不動産以外の遺産の分割事務を処理するため遺産分割の審判を申し立て、この段階で初めて本件遺言書を提出、同遺言書に基づきCのその他の遺産の分割をするための手続を進めようとしました。

〈懲戒の申立と第二東京弁護士会の判断〉

 裁判確定後Tによる懲戒請求とその趣旨

★ 須藤さんは、本件遺言書の証人で、その内容を知り甲不動産が遺産でないことを十分理解していたのにその遺言書の存在を秘匿し、

★ 代わりに遺言書として要件を充足しない別の遺言書類を証拠として提出した。

 これらは、旧弁護士倫理第四条、五条、七条、二六条に反する。

 須藤さんの不提出を正当とする弁明趣旨

★ Tは、遺言執行人でありCの全財産管理を任されていた経過から当然本件遺言公正証書をCから預かっているのに提出しないだけ、

★ 家裁の調停で遺言書が存在する旨を裁判所に書面で明示し「秘匿」はしていない、

★ 第五項は、相続税対策の補強ため遺言者の希望で入れた仮装の条項で、甲不動産が遺産と主張する依頼者の利益に反する証拠でもあり、また提出すればTに逆用されるおそれがある、など。

 予断と偏見に基づく二弁懲戒委員会の判断

 二弁の懲戒委員会は、第五項の仮装規定性や甲不動産の遺産性など須藤さんの弁明を総て「措信せず」と排斥。そして、須藤さんは、本件遺言書作成に深く関与しその存在を知る立場にいた、遺言書は遺産分割手続の基本となるものだから自分の方から早期に提出すべきだった、これを出さず逆に要式を欠く別の遺言書類の検認を受けて提出するなどの一連の弁護活動は弁護士倫理四、七、五三条に反する、と認定。

 このように判断した背景に高裁確定判決が大きく存在し、これを事実上大前提とし、有力証拠を悉く無視したうえで単純に割り切って一方的に事実認定をしたものと推測されます。

〈見過ごせない二弁懲戒委員会の誤り〉

 二弁懲戒委員会には幾つもの誤りがあります。その中でも次の点は見過せません。

★ 遺産事件であっても、受任事件総てにおいて例外なく遺言書の早期提出を、倫理的に義務づけるのは正しくない。たとえば、本件遺言書のように真実に反し、その提出が依頼者の利益に合致せず、且つ相手を利する場合などでは例外的に出す必要はないのではないか。換言すると、弁護士に一般的に求められる職業上の義務といえども、ときに具体的な受任事件の本質や受任の趣旨により当然解除されることがある。つまり、受任事件の本質から求められる具体的な義務や倫理が一般的抽象的義務に優先し帰納的に導かれることもあり得る。

★ 弁護士の証拠の取捨選択などは、原則的に主観的真実主義と裁量の範囲内の問題。遺産事件だから兎に角遺言書の早期提出をとして一般的な義務や倫理を機械的に強制するのは正しくない。

★ 我々は、甲不動産が遺産であることを証明するため裁判後に発見された確かな物証(C直筆の甲不動産を含む遺産目録のメモ)と遺言書をTが保管していることを立証するための人証申請をした。懲戒委員会は、これらを完全に無視し、事実上確定判決を大前提で非行を認定した。これは、弁護士会の自主的、独自的な判断権を放棄したに等しく弁護士自冶の本旨に反する。

★ 控訴後の確定判決に縛られ、その前の正当と確信して行った調停や一審での弁護活動を遡って誤りとするのは結果論に陥るものである。主観的真実主義に反するばかりか遡及的処罰禁止の精神にも合わない。

★ 実は、二弁懲戒委員会には仮装の第五項を含む本件公正証書を作成したこと自体の責任を事実上問う雰囲気があった。これは、申立以外の事項を非行ないし情状の資料とするもので手続違反である。

〈日弁連の見識ある判断と闘いの成果〉

 このような誤りを正すため日弁連へ審査請求をしました。日弁連懲戒委員会は、極めて的確に対処し、次のような見識ある判断をもって原処分を全面的に取り消しました。

★ 提出された各証拠により本件遺言書は、相続税対策のため作成された仮装のものであり、Cの遺志を表していないと認められる。

★ 提出された財産目録(甲不動産を含む)はCが真実作成したものと認められる。これは東京高等裁判所の審理後に発見され裁判所には証拠として提出されていない。これが提出されていれば同裁判所の判断も変わった可能性がある。

★ 従って、須藤さんは本件遺言書五項を仮装のものと認識していたのであり、その認識は事実経過からすると相当である。須藤さんが本件遺言書の作成に関与していたとしてもそのような証書をその後の遺産分割手続や遺産確認請求訴訟において提出する義務はない。

★ 須藤さんは、相続税対策のため仮装の遺言公正証書の作成に関与したことを深く反省しているが、そのことは本件懲戒請求の対象ではない。

 以上です。

 これは、須藤さんが反省すべきは反省しつつ、筋を通し事実に基づき粘り強く闘った成果であると思います。特に日弁連で、

★ 弁護士活動における主観的真実主義をきっちり守らせた、

★ 動かざる物証を重視させ、裁判所の確定判決にもとらわれない弁護士会としての独自の判断をさせた、

★ 当然ながら懲戒処分の対象を申立の範囲に限るという原則を厳守させた、

ことの意義は極めて大きいと思います。これが須藤さんと弁護団の一致した総括意見です。

〈おわりに〉

 各地の懲戒事件処理が心配になり,『自由と正義』掲載の二〇〇五年一年間分の懲戒処分の公告を調べてみました。すると審査請求一九件中なんと取消が一〇件もありました(その他棄却八件、却下一件)。驚くべき状況です。折から、刑訴法が改正され裁判所からの措置請求と会の対応が危惧され会内の意見も大きく分かれています。須藤さんの事件を含め弁護士会の懲戒事件の処理の現状には背筋が寒くなります。


四月六日 国民投票法反対集会

クレオへお集まりください。

国民投票法案反対四・六集会への参加及び参加呼びかけのお願い

 日頃の活動ご苦労様です。

 自民党が新憲法草案を公表するなど、九条改悪にむけた策動が進められる中、改憲への道を開く国民投票法案の今国会への提出・成立が目論まれています。すでにご案内のとおり、自由法曹団では、これに強く反対し、同法案の国会提出・成立を阻止するため、左記のとおり、集会を開催することといたしております(後記チラシご参照)。

 団員・所員の皆様には、是非とも多数ご参加くださるようお願します。

○ 国民投票法案反対四・六集会 ―STOP!改憲手続法―

○ 二〇〇六年四月六日(木)午後六時三〇分から八時三〇分まで

○ 弁護士会館二階・クレオBC(二八〇名規模)

 また、事務所の依頼者の皆様やお付き合いのある労働組合・民主団体ないし各地の九条の会などにも、右集会への参加を呼びかけてくださるようお願いいたします。

 その際、この機会に是非とも、各団体等に対し、署名への取り組み依頼や学習会開催の提案等もあわせて行っていただければと存じます。

 四・六集会のチラシにつきましては、団本部にて用意しておりますので、左記回答書の要領でご連絡下さればすぐにお送りいたします。