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市川 守弘 加重労働を強いられる勤務医に残業代支払 (札幌地裁九月五日)
増田  尚 シンポジウム「非正規労働者の実態とその権利保障ー理論と実践」のご報告
労働問題委員会へのお誘い
戸舘 圭之 シンポジウム「非正規労働者の実態とその権利保障」に参加して
萩尾 健太 三〇〇〇人増員には反対、問題はその論拠である
中野 直樹 早春 山葵の花咲く渓に躍る心と尺岩魚



加重労働を強いられる勤務医に残業代支払 (札幌地裁九月五日)

北海道支部 市 川 守 弘

 この事件は、国立帯広病院(当時・現在国立病院機構)に勤務する心臓外科医が、過酷な労働を強いられ、残業代も支払われていなかった事件で、請求の八の残業代を支払うとする和解が成立したものである。

 帯広病院では、この勤務医が勤務を始めた二〇〇二年ころ、医師の名義借りによって約四〇〇〇万円の裏金つくりが問題になった病院である。この勤務医は、勤務するはじめに院長から「国費が削られ、医師の出張旅費が支給できなくなった。そこで、残業代を今までの月一〇万円から一五万円に増やすので、この中から毎月二万円を別に作る通帳にプールし、出張旅費はそこから出してもらうことにする」と言われた。ここでは、出張旅費は公費から支出されていたにもかかわらず、私費と偽って浮いた旅費分を裏金プール金にしていたという点と、勤務医の残業代が正しく支給されていない点、という三点が問題となる。前者の点は本年三月に札幌地裁で裏金プールがなされていたと認定され、勤務医の損害賠償請求が認められている(控訴中)。

 今回、和解になったのは、残業代のほうである。帯広病院は、心臓外科と呼吸器科の専門病院で、緊急医療も手がけている先端医療の現場である。この勤務医は、毎日のように手術をし、術後の診療も行っていたため、夜勤明けの日にさらに夜まで残業するなどということは日常茶飯事であった。三六時間寝ずに仕事をしていた日などざらであった。これは全国で問題となっている医師不足と無縁ではない。多くの勤務医は常に医療過誤を心配しているという。しかし、勤務医の超過勤務命令簿は、月額一五万円にあわせたもので、全く勤務医の勤務実態を反映していなかった。そこで勤務医は妻の日記を元に一年半で総額八七〇万円の残業代の支払いの請求をしていた。病院側は公文書としての超過勤務命令簿を根拠としていたが、学会に出張した日に診察をしていたことになっているなど、そのずさんさが明確になった。裁判所は、このような病院側の資料のずさんさから、請求額の八割に当たる金額の支払いの和解案を提示した。勤務医は、もともと勤務医の労働実態を訴えることに主眼があったため、病院側が公文書に虚偽を記載していたことを認めれば、和解してもよいと主張した。病院側が、最終的に「勤務実態と異なる記載」を認めたため、和解が成立した。

 なお、超過勤務命令簿の虚偽記載については、帯広地検に院長らを虚偽公文書作成罪で告発したが、不起訴になったため検察審査会に審査申立て中である。また裏金プールについては、札幌高裁で審理中である。

 勤務医は、多くの勤務医の労働実態を広く知ってもらいたいという動機から訴訟を提起した。救急患者が病院をたらい回しにされる最近の事例は、医師不足、勤務医の加重労働、残業代未払い、医療過誤などと一連のもののように思えてならない。このような実態を様々な面から糾していくことが求められていると考えている。



シンポジウム「非正規労働者の実態とその権利保障ー理論と実践」のご報告

担当事務局次長  増 田  尚

 九月三日、団本部にて、シンポジウム「非正規労働者の実態とその権利保障−理論と実践」が開かれました。このシンポジウムには、団内外から四五名が参加し、「ワーキング・プア」、「ネットカフェ難民」など、働きながら最低限度の生活すら営むことのできない労働条件を押しつけられている非正規労働者の実態に対し、自由法曹団として、何をなすべきかを検討し、行動する第一歩となりました。

 シンポジウムでは、まず岩田幸雄さん(全国労働組合総連合副議長)が全労連の非正規雇用問題でのとりくみを紹介されました。ここ数年、偽装請負、個人請負、派遣労働などの非正規労働者の問題が顕在化し、全労連としても、非正規雇用労働者の問題に意識的にとりくむようになり、ヘルパーによる労働組合「ヘルパーネット」や、各地のローカルユニオンなどが立ち上げられたことが報告されました。また、非正規労働者の要求は、@まともな労働条件の実現、A均等待遇、B地位の不安定の解消にあり、労働相談などを通じて、これらの要求に答えています。また、共済による「助け合い運動」を通じて労働者間の連帯を強めようととりくんでいること、自治体職員での非正規労働者の割合が増えており課題となっていることなども語られました。

 次に、伊藤潤一さん(東京地方労働組合評議会副議長)が、東京地評のとりくみを紹介されました。東京地評で行っている労働相談は、今年に入って三〇〇〇件に達しようとしており(昨年の約2倍)、その約半数が非正規雇用労働者であることなど、深刻な実態が語られました。最低賃金の引き上げは非正規雇用労働者の生活向上にとって不可欠かつ焦眉の課題であり、連合も含めて時給一〇〇〇円の要求を強める中、労働組合としての社会的責任として、大幅引き上げをかちとりたいとの決意が述べられました。また、東京地評では、団東京支部と共同しながら、昨年から弁護士による労働相談を実施しているとのことです。

 次に、河添誠さん(東京公務一般労働組合青年一般支部書記長)から、首都圏青年ユニオンのとりくみを紹介されました。冒頭、首都圏青年ユニオンによる団体交渉の様子を撮影したビデオが上映され、何の理由もなく一方的にクビを切られた女性労働者がユニオンの支援を得て、使用者に不当解雇を認めさせる状況が紹介されました。首都圏青年ユニオンでは、こうした団体交渉を体験した組合員が別の組合員の団体交渉を支援するなどして、自分ひとりではなく連帯して労働者の権利を守る運動にとりくむことを重視しているとのことです。そうしたとりくみの中で、労基法をまったく守っていないような無法な労働実態や、社会保険・雇用保険に加入をしていないため、解雇されたり、病気になると、たちまち生活が立ちゆかなくなっている実態が浮き彫りになってきました。河添さんは、非正規雇用労働者には、多重債務や生活保護など様々な貧困の問題が渦巻いており、諸団体と連携して対応しなければ、問題が根本的に解決しないことが指摘されました。首都圏青年ユニオンでは、現在、貧困の問題にとりくむNPO「もやい」などと共同して、「反貧困ネットワーク」の結成を準備しており、こうした貧困解消の専門家集団のネットワークづくりにとりくんでいます。河添さんは、こうした「現代の貧困」の中で、「ネットカフェ難民」に象徴されるように、個々の労働者の人間性が破壊されており、非正規雇用労働者の権利保障のとりくみは、人間性を回復する重要な運動であると指摘されました。

 最後に、鷲見賢一郎団員(東京支部)から、JMIU徳島での光洋シーリングテクノや日亜化学のたたかいが紹介されました。鷲見団員は、こうしたたたかいの中で、組合員が自らの「ジリ貧」の状態を解消するには、労働組合に加入して権利を主張しなければならないと目覚めたの言葉を引用しつつ、ここに時代の閉塞感を突破する糸口があると感じていると述べられました。また、偽装請負に対する厚生労働省の通達など、非正規雇用労働者の権利を守るための資料集が配布され、中でも労働局に対する申告が効果的であると指摘されました。

 報告後の討論では、各地での労組との共同(山梨の青年ユニオンの事例など)、生活保護、多重債務救済運動とからめたネットワークづくりなどの経験が語られたほか、パート改正法の「活用」や、派遣先の責任追及などの提案がなされました。とりわけ、核となる労働組合の専従活動家を要請し、支えるための財政的基盤の確立の重要性と、結集した組合員を組織化し、労働組合運動をどう広げていくかなどについて問題意識が示されました。参加者からは、口々に、非正規雇用労働者の実態の深刻さを知り、この問題が「現代の貧困」克服という重要な課題であることの認識が強まったとの感想が語られました。

 最後に、志村新団員(労働問題委員会委員長)より、シンポジウムの成功に感謝の辞が述べられ、この成功を糧として、各地で大きな流れを起こしてほしいと訴えがありました。

 自由法曹団は、七月の常任幹事会で非正規雇用労働者をめぐる実情と法的救済の枠組みについて学習会を行い、このシンポジウムを迎えました。ここで首都圏青年ユニオンをはじめとする労働運動の先進的なとりくみを学びました。団員一人ひとりが非正規雇用労働者の権利と生活を守る運動にとりくむことが自由法曹団の責務であることを深くとらえ、団員・地域事務所が地域におけるネットワークの中心として機能を発揮すべきときです。そのための具体的な運動方針について、来たる総会のプレ企画「いま、ワーキング・プアを考える〜『現代の貧困』の克服のために」で、おおいに語り合いましょう。各支部・各事務所として、ぜひプレ企画を位置づけていただき、多くの団員に参加いただくことをうったえます。



労働問題委員会へのお誘い

 次回労働問題委員会では、プレ企画の進行や、今後の非正規雇用労働者の権利を守る運動について、議論します。場所が団本部ではなく、文京区民センターですので、お間違いのないように。

    日時 九月二六日(水)午後六時〜
    場所 文京区民センター2階B会議室



シンポジウム「非正規労働者の実態とその権利保障」に参加して

東京支部 戸 舘 圭 之

 二〇〇七年九月三日ー奇しくも六〇期二回試験不合格発表の日でしたがー自由法曹団本部で開催されたシンポジウム「非正規労働者の実態とその権利保障」に参加しました。

 全国労働組合総連合副議長の岩田幸雄さん、東京地方労働組合評議会副議長の伊藤潤一さん、東京公務公共一般労働組合青年一般支部書記長の河添誠さん、自由法曹団東京支部弁護士鷲見賢一郎団員らをパネラーに非正規雇用問題についての各団体のとりくみについての報告が行われ、若干の質疑、意見交換が行われました。

 今回のシンポジウムは、労働組合の最前線で活動しておられる方や弁護士として非正規雇用に真正面から取り組んでいる鷲見団員の熱意あるお話など、どれも大変興味深いものばかりでした。その中で、もっとも印象に残ったのは首都圏青年ユニオンの河添誠さんによる若者の労働現場の実態及びそれに対する首都圏青年ユニオンの運動の報告でした。「ひとりでも誰でもどんな働き方でも入れる若者のための労働組合」として、非正規労働者の若者らが集い行動している中で把握してきた若者の労働現場の実態、それに対する首都圏青年ユニオンの活動などが報告されました。

 報告に加えて、ユニオンがとりくんだ団交の場面を映したビデオが上映されました。小さな飲食店で働いている女性が店長により不当に解雇されてしまったので、団交を申し入れ、ユニオンのメンバーと当事者の女性が一緒に相手方に出向き団交を行った様子が映されていました。涙ながらに経営者に向かって訴える女性、それをサポートするユニオンの若者たちの姿がそこにありました。

 恥ずかしながら私は、これまでの人生において、小遣い稼ぎのバイト以外に労働らしい労働をしたことがなく、労働組合運動とも無縁であり、学生時代に労働法をまともに学んだこともありません。団体交渉など当然のことながら経験したことはありません。その一方、同世代の友人の中には極めて悪い労働条件の下におかれている人も何人かおり、私も飲み会の席などでたびたび彼らの仕事に対する不満などを聞いて、法律家として私に何ができるのかと考えていました。

 そのような私にとって、ビデオで観た団交の場面は、非常に新鮮であり、ユニオンの若い人たちの熱意、情熱に感動しました。アルバイト等で生活している若者が不当解雇などの権利侵害を受けるとき、そのほとんどは孤立無援の状態にあると思われます。そんな孤立無援の状態にある若者を、同世代の仲間が一緒になってサポートしていくという青年ユニオンの存在意義は極めて重要であると感じました。

 非正規労働者の多くは、貧困状態にあり、労働条件の改善とともに債務整理、生活保護等の諸施策による救済が不可欠な人たちです。多重債務問題、生活保護問題、非正規雇用問題は、「貧困」という視点でみれば同じ問題であることに気づかされます。

 今回のシンポジウムを受けて、非正規雇用問題を手がかりに現代における「貧困」の問題に弁護士として取り組んでいかなければならないと強く思いました。

 団員として初めて参加した団の企画でしたが、労働問題初心者の私にとっても、いま最も緊急に取り組まなければならない非正規労働者問題について一定の視点を得ることができ大変有意義な企画だと思いました。



三〇〇〇人増員には反対、問題はその論拠である

東京支部  萩 尾 健 太

1 城塚団員の文章への意見

 ずいぶん経ってしまいましたが、検討すべき重要な問題が含まれていると思いますので、今年の自由法曹団特別報告集掲載の城塚健之団員の文章「仕方がないでは済まされないー特に三〇〇〇人増員問題についてー」への意見を述べます。

私は、「仕方がないでは済まされない」との城塚団員の基本的考え方、「司法改革は明らかに新自由主義構造改革の一環である」との観点に強く賛同します。そして、三〇〇〇人増員路線をやめさせるべきとの結論にも賛同します。

 しかし、「『二割司法』は必然だった」との部分については、賛同できません。「『二割司法』でも社会は十分に回ってきた」との認識に同意できないからです。

 また、「クレーマー」増加=「権利意識」の高まりだとの認識にも同意できません。

2 弁護士へのニーズはある

 現状では、法律家、とりわけ弁護士は圧倒的に足りないと思います。

現在、日本全体で未払い残業代は七兆円あるといわれています。非正規雇用、偽装請負、労働条件の不利益変更、労災、過労死など、労働問題は限りなくあります。労働者の権利向上のために働く弁護士は、圧倒的に足りません。

 日弁連の金利引き下げ対策本部の計算では、サラ金がむさぼり喰っていた過払金は年間約七五五五億円です。昨年貸金業法が改正され、過払い金を返還請求できることがニュースになっていますが、それでも、多額の過払い金を請求できるはずなのに気づかずにさらに闇金に食い物にされたり、借金を苦にして自殺する人があとを絶ちません。国全体の責任ですが、弁護士も足りていません。

 生命保険三八社の、金融庁に〇一〜〇五年度の五年間を対象とした保険金の不払い調査の結果報告によれば、不払いなしと報告したカーディフ生命保険を除く三七社の不払い件数は計約二五万件、総額は約二九〇億円にのぼりました。

 三大疾病(がん、心筋梗塞、脳卒中)特約などで、保険金二〇〇〇万円を支払っていなかった事例もあったので重大です。病気や死亡の際に遺産や遺言を含めて弁護士に気軽に相談できる体制が必要だと思います。

 以上を見ても、「『二割司法』でも社会は十分に回ってきた」などとは到底いいがたい現状であるといえます。クレーマーというのも、権利を正当に主張できないから、扇動に乗って「弱者」に鬱憤をぶつけているだけに思われます。国鉄分割民営化時の国労攻撃、「教育改革」に伴う教師へのバッシング、そして弁護士バッシングは同根だと思います。最近「人権」をやたらに攻撃するネット右翼などその典型であり、彼らを見れば「権利意識が高い」などといえないことは明らかです(もっとも、オレオレ詐欺の被害者が大阪では少ないことを見ると、大阪人は権利意識が高いのかもしれません)。

3 裁判官・裁判所増設で「二割司法」の打破を

 上記のようなニーズに応えるためには、まず、裁判官の増員・裁判所の増設が必要であることは言うまでもありません。自由法曹団を含め弁護士界は、増員への対応に追われて、裁判官増員の要求が後手に回っている感があります。しかし、「二割司法」でいい、というのは、むしろそうした要求の足を引っ張り、「人権メタボ」などといっている伊吹文部科学大臣やネット右翼を利することになりかねません。

4 弁護士の数は十分な法曹養成ができる人数に限定すべき

さらに、弁護士の増員も必要です。ただし、闇雲に弁護士を増やせばいいというものではなく、上記のようなニーズに応えるだけの技量を持った弁護士が必要なのです。技量のない弁護士に当たって犠牲になるのは依頼者です。「淘汰すればよい」などという弁護士もいますが、それは依頼者のことを考えない暴論です。

 その点では、弁護士の増員は、法曹界として責任を持って養成できるだけの人数に限定されるべきです。

 ところが、昨今の法曹養成制度の改革は、「責任を持った養成」というよりも、まずコスト論先にありきの発想です。増員分の人件費・施設費節約のために、修習期間をかつての二年から一年に半減し、給費制を貸与制に変え、司法研修所で教えていた要件事実論や民事執行・民事保全を法科大学院で年間一〇〇万円以上の学費を払わせて教えるようにしました。それでも、従来は大学の専門課程三年、受験勉強約三年、司法修習二年の合計八年かけて学んでいたものを、法科大学院未修三年、受験勉強約二年、司法修習一年の六年に縮めるので消化できるはずがありません。法曹資格習得後のOJTも必要とされるようになります。

 そうした法曹養成の「プロセス」全体を見れば、むしろ、司法試験合格者数を増やした分、知識の少ない者も合格するのだから本来修習期間を延長すべきです。司法研修所の増設も必要でしょう。実務修習の受け入れも重要な要素です。法曹資格取得後の就職も、OJTの観点からも保障しなければ、依頼者層への責任が果たせません。

 現状では、法科大学院では司法修習を短縮した分を十分教育し切れていない、かといって司法研修所は予算がなくて修習期間を延長できない、司法研修所の増設もできない、実務修習の受け入れも限界を超え手抜きになっている、就職も数百人があぶれるといわれている現状です。

 法曹養成制度の破綻は明らかであり、司法試験合格者数を削減して法曹養成制度の建て直しをする必要が出てきているのです。そして、現在の法曹養成の状況からすれば、一年半修習であった現行五九期の一五〇〇人が限界でしょう。裁判所の増設や修習期間延長の措置を講じても二〇〇〇人が限度だと思われます。

5 法科大学院をどうすべきか

 問題は、司法試験合格者数を削減すると、さらに法科大学院間で競争が激化し、文科省の統制が強化され、廃校も出るなど、痛ましい結果が生じかねないことです。法大学院の良さは各地域に設置されて司法過疎解消に寄与することにあるので、東京の大規模法科大学院が率先して定員を削減して地域校を圧迫しないようにすべきでしょう。授業内容も、司法修習における前期修習の復活を前提条件として、憲・行政・民・商・刑・刑訴・民訴・法選の基本的な受験科目に重点絞って(それでも私の頃より二科目多い)実務系・人権科目も厳選し、取得単位数を減らして実施する必要があります。しかし、法科大学院における教授の自由も尊重しつつ慎重な対処が必要でしょう。

6 それでも弁護士は「没落」するか?

勿論、毎年一五〇〇人程度としても、「儲かる事件」は相対的に減って弁護士の収入は低下するでしょう。しかし、自由法曹団員について言えば、もともと庶民の事件に取り組んでいてそう裕福でなかったのがバブル以前に戻るだけで「没落」というにはあたらないと思います。庶民と同程度の生活でないと庶民の弁護士としてはむしろ不都合ではないでしょうか。やはり弁護士は高飛車な人が多いと庶民からは見られています。なお、わたしは同年代のサラリーマンと同程度の手取りですが生活するうえで困ることははありません。これでも私と同年代で子どもが三人いた私の父親の収入を上回っています(母親は当時専業主婦)。

ただ、それでは「人権派弁護士」総体は先細ってしまいます。新自由主義の本家アメリカに一定数の「人権派弁護士」がいるのは、懲罰的損害賠償制度があり、大企業を相手に公害裁判でも起こせば損害填補の程度を超えて違法行為再発防止の程度まで賠償金が取れるという点もあると思います。そのような制度改革も求めていく必要があります。

7 最後に

 こうした「改革」を主張せずして、三〇〇〇人増員を所与の前提として議論をするのは「敗北主義である」との城塚団員の主張には強く同意するものです。

以上



早春 山葵の花咲く渓に躍る心と尺岩魚

東京支部  中 野 直 樹

 私の実家のある石川県白山麓の山間は、五月の連休中、田植えで忙しい。私も帰省し、農民のひとときを過ごす。私がこの村で成長期を過ごしていたころは、部落内のどの家もうっそうとした屋敷森に包まれていた。一五年ほど前から、帰省するたびに、周囲の樹木が切られた家が増え、明るく開けた雰囲気となった。太陽の光を取り入れたいとの目的とともに、老人世帯ばかりとなり、秋の落ち葉片づけに耐えられなくなったことが理由だ。私の実家には、幹周り三・六メートルの欅の巨木がそびえたつ。小学生のころこの欅の木陰下が、僕たちの遊び場であった。私は実家に帰るとまず、その威風堂々とした欅を見上げる。太い幹から縦横にのびた枝が空の青さに力強い線を描き、まだまばらだが、吹き出るようにのびる若葉が陽の光に輝いていた。

 翌日は雨で農作業がなかった。私は、コゴミとウドを求めて、奥山へ向かう仕度をした。

 白山にむかって車を走らせ、手取川ダムのトンネルをいくつか貫けるうちに、山々の肌は、新緑が薄くなり、芽吹いたばかりの茶色が勝ってくる。白峰部落を過ぎてさらに手取川の上流にむかう道路の右側に立ち上がる山には、山桜のうす桃色が淡い霧のなかに浮かんでいた。

白山登り口の手前の峪の林道に車を乗り入れた。この奥には昭和のはじめまで出作り部落があった。山降ろしの風に勢いのついた雨がフロントガラスを打つ。十五分ほど進むと車止めである。カッパを着込み、股下までのフェルト靴を履いて、川筋にはいった。

この沢の入り口には堰堤があり、そこを越えていった先が、通らずとなっており、源流にいくためには流れを渡渉して左岸にわたり、その急斜面を潅木につかまりながらトラバースしていかなければならない。しかし、この時期は、残雪が残り、行く手を阻まれることが多い。一〇年ほど前の五月、この左岸の斜面に山ウドが群生しているところに出くわしたことがあった。以後常に期待をしてここを探るが、いつも時期がずれてしまう。この日は、手前の斜面の雪は融けていたが、ウドの芽には尚早いようである。腐食した草のなかから濃緑のコゴミが渦を巻いた頭を出している。アクがなく、それでいて山菜特有のヌメリがあって、てんぷらによし、おひたしによし。根元から鷲づかみにして採っていると、上流で轟音が響いた。目をやると、奥の左岸の斜面に敷物のように張り付いていた残雪が、雨にゆるんだのか、根こそぎ勢いよく谷に流れ落ちている。とっさにやばいと感じ、あわてて、沢を渡渉し返し、対岸に戻った。一時的に雪で堰きとめられた流れが鉄砲水となって押し寄せるかもしれないからである。雨に打たれながら、流水の変化を観察して、しばらくたたずんでいた。目だって水量が減る現象がでなかったので、堰きとめにはならなかったようである。やがて、濁り水にまじって、雪のブロックが流れてきた。 

 残雪もろとも沢に流されるとたまったものではないので、上流部にいくことはあきらめた。

 道端に顔を出すふきのとうを摘みながら、せっかくリュックの中に竿を入れてきたのに、このまま下山するのは惜しくて仕方がない。そこで少し下流に戻り、雪解け増水した流れに竿をさしてみるも、川面が雨に打たれて波立つ悪条件に早々に竿をたたんで、撤退することにした。空を見上げると、雨脚がくねくねと襞をつくりながら風に飛ばされる様子が、山肌をスクリーンにして映っていた。

 二〇分ほどかけて白峰部落まで車でもどったところ、空の雲がきれ、薄い青が見え始めた。よし、雨が上がる、釣りができるぞと心が躍った。まずは腹ごしらえと、小さな食堂に入り、おばちゃんにラーメンを注文した。   

白峰部落は近時の町村合併で私の生まれ育った村と同じく白山市となったが、中心部が標高七〇〇mに位置する豪雪地帯で、千数百年以上前から林業・炭焼き・夏の時期に山中に庵をつくって畑を拓く出作りで生業をたててきた。伝承文化が保存され、堅豆腐、とち餅、牛首紬などの名産をうんでいる。恐竜の化石発掘で有名となり、最近は雪だるま祭が話題となっている。が、昼時の客は私以外におらず、部落内で見かける人々は高齢者ばかりの現実にある。

 白峰部落から、手取川を少し上流に向かうと、高台に御前荘がある。白山登山・白峰スキー場の宿泊基地である。私が、愛して足繁く通いづめている美しい渓がこの付近にいくつかある。その一つの渓沿いの林道に車を乗り入れた。荒れたでこぼこ道に揺られながら、車の腹がすらないように速度とハンドルさばきをしながらも、目は、タラの芽探しに忙しい。ようやく車止めに着くと、陽射しが芽吹き初めのうす茶色と芽吹き終わった淡緑を鮮やかに照らし、木々の枝に残る雫をきらめかしていた。

 はやる心の動きに中年となった足がついていかず、コゴミが伸びきった斜面でころげてしまった。石にしたたかに身体を打ち、水を含んだ土壌に泥だらけになった。かわまず竿をとりだし、この下で分かれている小沢に振った。雪解けの冷たい水が岩に砕け、細かい水滴がきらきらと散り飛ぶ。水泡の白濁りが消えるあたりにブドウ虫が沈んでいくと、つんつんとあたりがあった。スーと糸が引かれた。あと一呼吸待って竿先を合わせると二〇数センチの岩魚が跳ねた。

 その後、数尾を釣り上げて気分よく遡行した。やがて、川筋が右手に曲がり、左手から小さな滝が霧状に流れ落ちていた。黄緑色の苔に水が伝い、光の反射の乱舞にしばし目を奪われた。その下に、川底がみえるほどの深さのたまりがあった。落ち込みから五十センチほど手前の流れに仕掛けを振り込んだ。

その一瞬、スーと黒い線が走った。と、糸が引かれ、竿先が引かれた。手指に伝わるその重量感にぞくりとする。あせるなと自分に言いきかせ、つばをごくりと飲んだ。ここは鈎を飲み込まれてもよいと五つまで数えてから、一気に引き上げた。大きい。水しぶきを飛ばしながらくねくねとあばれ、仕掛けが切られそうである。落ち着いていたのはここまで。岸辺に放り投げ、竿を投げ出して、ばしゃばしゃと水を跳ね飛ばしてかけよった。水にもどろうと懸命の反転を繰り返す岩魚を両手で押さえ込み、ぐいっと左手で背から胴をわしづかんだ。この時期にしては肉付きがよい。御免と言ってナイフの柄で頭部を叩き、しめて、そっと苔むした岩に横たえた。さびが残るが、斑点の濃黄色が印象的だ。巻尺をあてると、三二センチを刻んだ。大物釣りが下手な私の幾度めかのタイ記録であった。満面の笑みを写真に撮ってくれる同行者がいないのが惜しい。 

 その少し上が堰堤となっている。この堰堤からバックウォータの左岸の斜面を苦労しながら横渡ると、小さな沢の流れ沿いに一面に天然の山葵が群生している。この渓の楽しみの場所だ。この時期、三十センチほどの茎がすっと伸びその先に菜の花のような花が白く咲いている。可憐さを堪能したあと、茎の根元からぽきりと折って摘む。買い物用ビニール袋が一杯になった。栽培ものに比べ小ぶりなワサビの根もとった。

 この日の夕食の食卓に並んだ、岩魚の刺身、天然ワサビ漬け、タラの芽、コゴミ、ふきのとうのてんぷら、そして久しぶりに食卓を囲んだ家族のぬくもりが一枚の写真におさまった。