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米倉 勉
南京事件・夏淑琴氏名誉毀損訴訟
東京地裁における勝訴判決について
安部 千春
職業上の癌患者の交通事故に労災決定
中島 哲
労働者の賃金が全額派遣会社の税金に使われる!?
鈴木 亜英
NLG総会特集 2
ナショナル・ロイヤーズ・ギルド総会
 初の日米分科会開催さる
―危機にある憲法9条を擁護する―
井上 洋子
ウイリアム・ミッチェル法科大学院にて憲法9条シンポジウム
大久保 佐和子
初めてのアメリカ、初めてのNLG総会
大久保 賢一
米国の心ある法律家への手紙
佐藤 博文
自衛隊における「規律」とは何か
〜東国原・宮崎県知事の
「徴兵制あってしかるべき」発言を批判する視点〜
加藤 幸
「市民メディアNPJ」ついに本格始動
福山 孔市良
鈴木康隆著『気のむくまま思うままに
私が出会った人・旅・裁判』を読む



南京事件・夏淑琴氏名誉毀損訴訟

東京地裁における勝訴判決について

東京支部 米 倉  勉

 一九三七年に発生した南京大虐殺事件は、旧日本軍が上海侵略に引き続き南京に侵攻した際に行われた無差別虐殺事件であり、日本の侵略性を示す事件として世界的に報道され、国際的な批判を浴びたが、当時の日本では情報制限によってほとんど知られず、それが後述する戦後の「まぼろし論」にも繋がっている。今年は事件後七〇年に当たり、国際シンポジウムの開催など、あらためて話題になっているところである。

 夏淑琴(シア・シューチン)さんは、この事件において両親など家族七人を虐殺され、自らも銃剣で刺されて重傷を負った。南京事件の多数の被害者・生存者の中でも代表的な存在の一人として、中国内外で著名な存在である。ところが、亜細亜大学教授である被告東中野修道が、夏さんは史料に登場する少女とは別人(ニセの被害者)であると指摘し、それなのに来日してウソの証言までしていると非難する書籍「『南京虐殺』の徹底検証」を出版した。

 そこで、夏さんが名誉毀損及び人格権の侵害を理由として、東京地裁において東中野と出版元である株式会社転展社を被告として、損害賠償と謝罪広告等を求めて提訴したのが本件訴訟である。なおこの提訴には経緯がある。夏さんはこの書籍の出版を知った後、法律扶助を受けて南京の弁護士に依頼し、南京の裁判所に訴訟を提起した。ところが被告東中野はこの訴訟に出廷せず(その後認容判決が確定)、逆に東京地裁において「債務不存在確認訴訟」を提起した。この送達を受けた夏さんは日本の弁護団に依頼し、本訴被告として応訴するとともに、反訴として本件訴訟を提訴したものである(本訴は第一回弁論で取り下げられ、反訴だけが残ったので、以後は夏さんが「原告」)。

 南京侵攻において非戦闘員に対する大規模な虐殺行為が行われたことは、歴史学界では既に史実として確立している。ところが我が国においては、南京虐殺事件「まぼろし論」というべき言説が、反動勢力によって絶えず主張されてきた。

 南京事件の全体が中国国民党によるプロパガンダだとする政治的宣伝論や謀略説、さらには「白髪三千丈」論は、南京侵攻直前まで中国の首都であった一〇〇万都市において発生した明白な事実の前に、そもそも無理な妄言である。夥しい目撃者がいて事実を語り継ぎ、今も生存者が多数いるのであって、どうにも誤魔化せることではない。しかし日本国内では、歴史学者が正確な史実を記し、教科書裁判が虐殺の事実を認定して「決着」した今もなお、「まぼろし」本が書店に並んで市民の認識を誤らせようとし続けている。

 本件訴訟では、夏さんの事件について、関係する史料や文書の原本からの複写を直接検討し、夏さんが「別人だ」という主張が完全な虚構であることを論証した。ここでの被告東中野の論法は、著名な史料である「マギーフィルム解説文」(英文)を翻訳・解釈して見せ、この史料において夏家の娘は「8歳の少女」を含めてすべて殺されたと書かれているのに、生き残りの「8歳の少女」を名乗っている夏さんは別人だとして、様々な「矛盾」を指摘するというものである。しかし、夏家の「8歳の少女」が殺されたという翻訳がそもそも誤訳であり、この誤訳がなければ何の矛盾も生じない。そもそも素直に読めば間違えない文章を、あえて矛盾が出るように工夫して誤訳し、作り出した「矛盾」を批判する手法である。文章を読む(訳す)ときには、矛盾が出ないように合理的な読み方をするのが普通だが、この「研究者」は矛盾が出るように読むのである。これが意図的な誤訳であることは、「矛盾」を指摘する記述の中からも読みとれる。判決は名誉毀損の事実を正しく認定したうえ、こうした点を精密に指摘して「真実性」「相当性」の抗弁を退け、本件書籍を「学問研究の成果というに値しない」と切って捨てた。

 この著者は別の本(「南京事件『証拠写真』を検証する」)でも夏さんをニセ者扱いしているが、そこでは、夏家の惨殺を知らされて駆けつけた夏さんの叔母(王芝如)が「難民区に避難して二十何日かして家に帰ってみたら死体を発見した」旨の証言をしているのを捉え、これを「自分が第一発見者」という趣旨であると紹介した上、実際の第1発見者は写真を見ると老女性であるから、この叔母(当時二四歳)は年齢が合わないので夏さんはニセ者だとする論法であった。写真の老女性とは、近所の老人院に住み、夏さんの生存を最初に発見して関係者に通報した人物であるところ、叔母もこの老女性も、事件の経過説明に登場する人物で、叔母の発言が「事態を知らされた親族として最初に駆けつけたのが自分」という意味であることは、関係資料を見た者なら誰でも判る。これも「研究者」ならばあり得ない解釈である。

 このように、史料を直接見れば虚偽であることが歴然なのだが、この書籍だけ読んで信用すれば、騙されてしまう。南京事件「まぼろし論」とはこういう水準のものだったことが判った。

 本件書籍の意図は、事件の代表的な被害者を「ニセ者」扱いにすることで、事件全体を「まぼろし」として印象づけようとするところにあるのだろう。その背景には、当時の日本の侵略性を認めようとせず、美化しようとする歪んだ国家観があり、まさに病的なナショナリズムに由来するものと思われるが、政治的には日本を再び戦争のできる国家にしようという改憲の動きとも結びついており、その社会的危険性・有害性は少なくない。高齢の夏さんが本件訴訟を提起したのも、自分の悲惨な体験を語り続け、戦争の悲惨さと平和の尊さを社会に訴えることが必要だという信念に基づくものである。

 東京地裁民事第一〇部(三代川三千代裁判長)は、一一月二日、名誉毀損を認定し、損害賠償(弁護士費用五〇万円を含め、合計四〇〇万円)を命じる判決を言い渡した。過去と向き合い、事実をありのままに受け入れることからしか、侵略の歴史への反省はできないと思う。その意味でもこの判決の価値は大きい。しかし被告等は控訴し、当方からも謝罪広告の認容を求めて控訴した。引き続き、負けることの許されない裁判が続く。

 なお本件は、戦後補償事件の「番外編」とでもいうべきものであり、戦後補償事件弁護団と中国側との間に構築された信頼関係を通じての依頼であった。私は「番外編」の一員に過ぎないが、この訴訟を通じて、東アジアの平和と日中の真の友好を願う日中双方の様々な市民、弁護士、研究者の存在を知り、交流を得ることができた。

 常任の弁護団は、渡邊春己、山森良一、穂積剛、井堀哲、菅野園子の各氏・各団員と私であり、加えて中国弁護団の尾山宏、小野寺利孝、南典男ほかの各先生が名を連ねている。



職業上の癌患者の交通事故に労災決定

福岡支部  安 部 千 春

事案の概要

 平成一三年九月一三日Oさんは妻とともに自動車で温泉保養を兼ねて大分県臼杵市にあるOさんの実家に向かう途中、九州縦貫自動車道路上り車線において、追い越し車線に進入しょうとして、同線を走っていた自動車と接触、そのはずみで中央分離帯に激突して停止、警察に事故の連絡をしょうと反対車線側に設置されている電話機のところへ行こうとしたところ、反対車線側を走ってきた車にはねられ死亡したものです。

 Oさんは膀胱癌で労働災害の決定を受けていた。平成一三年六月腎臓に癌が移転し手術は不能と宣告されていた。そのためにOさんは精神が異常になり、本件事故につながったというのがOさんの妻の主張です。

労働者災害補償保険の不支給決定

 Oさんの妻は北九州西労働基準監督署長に労働災害補償保険法による遺族補償年金の請求をしたが不支給決定がなされた。

 Oさんの妻は福岡労働者災害補償保険審査官に審査請求をしたが棄却された。

 棄却の理由は「事故後に止まった車から降りて高速道路路肩の電話で事故の連絡をする行為、電話が故障していると勘違いして近くの他の電話を探し連絡を取ろうとする行為は通常の精神状態であっても行う可能性がある。よって交通事故はOさんの精神状態を原因として発生したものと断定することはできないというものであった。

また三人の医師の意見書が提出されているが二人の医師が癌の脳転移を断定できないとしているというものだった。

再審請求

 Oさんの妻はそれまで自分で請求をしてきた。私は依頼を受け、再審査請求をした。

 私の主張は次のとおりです。

 第一に高速道路は横断禁止であり、高速道路を横断すること自体が異常な行動である。私は事故現場の事故時の高速道路の車の通行状況をビデオに撮影し、いかに通行量が多く、危険な行為であるかを証明した。

 第二にはOさんのその日の行動である。Oさんは北九州を出発し大分県日田市の温泉に行く予定であった。ところがOさんは鳥栖のインターで高速道路に乗り、九州自動車道路を北九州方面に引き返し、北九州市小倉南区で本件事故を起こしている。事故を起こさずにそのまま進行すれば本州にまで行ったと思われる。高速道路には案内板がでているから、通常の運転をしていれば間違いに気づくはずである。北九州市に戻ってきてもそれに気がつかないのはOさんが通常の精神状態でなかったからに他ならない。

 第三に三人の医師の意見書を分析すれば三人のうちの二人が膀胱癌と本件交通事故の因果関係を認め、もう一人の医師は多くの可能性があるといっているだけで因果関係がないと断定しているわけではないと主張した。

勝利

 平成一九年一一月一六日付で原決定を取消す旨の裁決があった。

 私が再審査請求をしたのが平成一六年二月六日、公開審理が東京の労働委員会会館で行われたのが平成一七年二月一七日だった。それ以後何の連絡もないので、私がどうなっているのかと問い合わせると審理中との回答だった。今年になって電話をすると「そろそろ順番です」との回答だったが決定が下されたのは平成一九年一一月一六日だった。

 勝ったからいいようなものの裁決に三年九ヶ月もかかるのはあまりにも遅すぎる。



労働者の賃金が全額派遣会社の税金に使われる!?

北海道支部  中 島  哲

 私は、弁護士登録して間もない現行六〇期の弁護士ですが、登録したてのこの三ヶ月の間に、労働者の権利につき、とても悔しく、また、憤りを感じる事件がありました。

 それは、派遣労働者の給料となるべき、派遣先から派遣元への派遣代金を税務署に持って行かれたという事件でした。

 私は、同じ事務所の佐藤博文団員とともに、ある事件で労働者数十人の給料を確保すべく、派遣先から派遣元への派遣代金債権の仮差押えに成功しました。ところが、その矢先に税務署が来て、派遣会社が税金を滞納しているとして、派遣代金を差し押さえたのです。

 私たちは、何度も税務署に赴き、交渉しました。労働者の代表も、「このままじゃ年を越せない。」と涙ながらに訴えました。しかし、結果は覆りませんでした。

 派遣代金というのは、最終的には労働者に支払われるべき給料となるのは自明の理です。

 仮に、労働者自身が税金を滞納している場合でも、給料の差押えは四分の一しか許されません。

 しかし、ひとたび派遣契約を結んで、これが派遣代金という形になると、労働者自身が税金を滞納したわけでもないのに、全額滞納租税として持っていってしまうということが、租税実務上は行われているのです。

 派遣労働については、様々な問題点がありますが、このような課税実態というのも目が向けられるべき問題ではないでしょうか。

 法律上給料の四分の三につき差押えが禁止される趣旨は、労働者の生計を維持することにあります。かかる趣旨からすれば、派遣代金についても、最終的には給料として労働者の生計を維持するため支払われるべきものなのだから、差押え禁止の趣旨が妥当し、全額の差押えは許されないというべきです。

 私たちとしては、租税債権に基づく派遣代金の差押えにつき、少なくとも労働債権に基づく差押えと競合したときは、四分の三については差押を控えるという運用を行うよう、国税庁に申し入れるべきではないでしょうか。それが容れられないなら、法律そのものを変えるしかないでしょう。



NLG総会特集 2

ナショナル・ロイヤーズ・ギルド総会

 初の日米分科会開催さる

―危機にある憲法9条を擁護する―

東京支部  鈴 木 亜 英

 ナショナルロイヤーズギルド七〇周年総会において、憲法9条分科会がもたれた。一五年に及ぶギルドとの交流のなかで総会分科会ははじめてである。

 日米政権の行き詰まりのなかで国民との矛盾は深まる一方である。武力よらない平和の契機をどこに求めるのか。満身創痍にみえる憲法9条であるが、なおその有効性を確認しながら、平和への規範性を探る試みが分科会となって結実した。

 憲法9条を中心テーマとして日米二人ずつのプレゼンテーターを出すことになった。いつもならのんびり旅のNLG総会であるがタイトな総会スケジュールのなか、分科会をプログラムに組み入れ、時間と場所を確保してくれたアメリカ側の誠意に応えなければならなかったから、出掛ける前の準備は大変であった。

 インターナショナルレセプションに引き続いてはじまった分科会(ワークショップ)には日米合わせて二九名が参加した。前日までに小チラシを作って知っている人にはこれを手渡し参加を呼びかけるなどの努力をしてきたこともあって、数のうえでは恰好のついた分科会となった。司会役をピーターアーリンダーと菅野昭夫さんがつとめた。

 まずトップにピーターアーリンダーが立ち、日本の憲法闘争を詳しく紹介し、改憲されればイラク戦争の中でイギリスがアメリカ帝国を支えたように日本も同じ役割を果たすことになる。改憲は軍事産業を促し、アメリカのように戦争をしつづけなければ成り立たない産軍複合国家が出現する。日本の憲法擁護闘争を支えようと訴えた。

 次いで井上洋子さんが日本人と戦争体験、終戦と新憲法のなかでの平和への願いがどんなものであったか日常の生活感覚から説いて、憲法のおかげで戦後日本は戦場で一人も他国民を殺していない幸せが日本国民にはあると訴えた。

 三番目に笹本潤さんが平和憲法の存在がアジア諸国などからどのように受け止められているか、憲法が世界の平和規範として機能しうることを述べ、来年五月に日本で開催される9条世界会議の中身を紹介し、その成功のため是非支援して欲しいと訴えた。

 最後にマーチハイケンがアメリカ反戦運動の重要な一環を担う米兵の本国帰還運動に触れながら、自衛隊とりわけ海上自衛隊の軍事力がすでに世界第二位に達している事実を詳しく紹介した。そして憲法9条の歯止めとしての役割の重要性を述べたあと、9条が世界平和を築くうえで全世界のモデルだと強調した。

 プレゼンテーションはどれもよく準備されていて感銘するものがあった。質問タイムとなり、アメリカ側参加者であるルークハイケン、エリックシロトキン、スティーヴ、ジェフリーレイク、エミリーマローニ、クリスクーパーらが次々と発言した。

 何故安倍内閣は負けたのかといった話題から始まり、質疑は次第に熱を帯びていった。若いカーティスクーパーは「日本とアメリカはアジアでぶつかっている。改憲は日本独自の要求ではないのか」と率直に質問した。菅野昭夫さんがアメリカの強要と日本独自要求を丁寧に説明した。長くNLG国際部長だったデービットが誰も殺していない、平和経済を維持している日本を評価しながら、「今9条はどれほどシンボリックな存在になっているか。今日における憲法の評価はどこにあるのか」と鋭い質問をした。女性のエミリーマローニは「この問題は非常にシンプルな問題だ。(護憲に)反対する人はいないはずだ。」としなから、ギルド機関紙だけでなく、もっとネイチャーのような一般的な雑誌に載せた方が良い」と提案した。そして、NLGのなかに9条擁護の小委員会を作ったらどうかとか、来年五月の9条世界会議成功のために代表団を送ったらどうかとか、9条ネットをアメリカとの間に拡げる必要があるとか積極的な提案がスティーヴ、エリックシロトキンやエミリーマローニなどから出されブッシュ政権と闘う弁護士の力強さを感じさせた。一時間四〇分は瞬く間に過ぎてしまった。しかし通訳なしのディスカッションだから無駄のない濃密なひとときであったことは間違いない。

 この日の分科会が他の重要な平和課題の分科会と時間的に重複したため、参加を断念したメンバーが何人もいた。これまでNLG総会に参加し、9条の危機を訴え続けてきた私たちの長年の蓄積が人を呼びこの分科会を成功させたと思う。この分科会が総会の9条決議につながったことを喜びたい。来年もこの続きができるであろうか。



ワシントンDC十一月三日

宮城県支部 庄 司 捷 彦

 この日、訪米団最後の公式行事。ワシントンの平和市民団体(NPOワシントンピースセンター)との交流会。朝一〇時前に会場到着。そこは本屋とカフェとが一体となった店舗の奥にある舞台を備えたホール。舞台奥には三枚の大きな顔写真ダライラマ、ガンジー、アーサーキング。写真の下には「WAITING」「WATCHING」「DREAMING」の文字が。ホールの壁にも公民権闘争時の写真や著名な運動家の顔写真があった。芸術的に塗り込められている。壁文字には「Peace is hard work Peace is not absence of war 」とあった。 ホール自体が平和を語り、人権闘争を語っている。アメリカ側から約三十名、日本側からの十名を含めて約四十名の交流集会。

 会は菅野昭夫団員の発言で始まった。発言のテーマは「日本の平和憲法は危機に瀕している」。彼は、九条の成り立ちと冷戦下での九条に向けられた攻撃(自衛隊の強化)を語り、しかし日本社会の強い九条支持が海外での戦闘行為を阻止してきたと語った。そして九条がアジア地域の平和の要石となっているが、現在アメリカ政府からの強い圧力の下で九条改悪への策動が続いている、九条を維持するため国際的な世論形成が必要であることを訴えた。

 二番目の発言は笹本潤団員。彼は「憲法九条の国際的価値」のテーマで語った。憲法の成立経過と九条の六十年の歴史を概括し、特に現代世界における九条普遍性を訴えた。そして、来年五月四日から日本で開催の「九条世界会議」の意義を伝え、その成功のための協力を要請した。

 二人の発言は英語で行われた。会場からの発言には通訳を依頼していたが、上手とは言いかねた。以下の要約は菅野団員のメモに依拠している。

 会場からの発言は活発であった。その質疑の概略は以下の通りである。

質問 「あなたがたは九条改憲反対の運動をどのように組織しているのか」
回答 「地域、職場などのあらゆる分野に、草の根の運動を組織することに重点を置いている。各地に九条の会が結成されている。最近の世論調査では、九条改正反対が6割近くである。ちなみにイラク戦争反対の意見はもっと多い」
質問 「マスメディアの動向はどうか」
回答 「アメリカと同じく一部を除き大資本に牛耳られている。5月に成立した改憲手続法では、改憲派が豊富な資金によって大々的な広告を行うことを許している」
質問 「九条を維持しろと言うのは誰にも反対できないほど単純な命題ではないか。国連総会で九条維持の決議を得ようと考えたことはことはないのか」
回答 「正直に言ってそこまで考えたことがない。すばらしい発想だと思う」
質問 「アメリカ政府はなぜそれほどまでに九条改定に圧力をかけるのか」
回答 「アメリカの新らたな世界戦略にとって日本国内の米軍基地は極めて重要になっている。アメリカには、自衛隊をアメリカ軍と一体として行動させたいとの強い欲求がある」
質問 「北朝鮮問題とはなにか、これが改憲問題に利用されていないか」
回答 「日本と北朝鮮間には4つの解決すべき問題がある。(1)半島の非核化と安全保障、(2)国交回復、(3)拉致問題、(4)歴史的清算と補償。我々は包括的平和的な解決を求めている。しかし改憲派はこれらのうち拉致問題を強調し、テポドンの恐怖を煽るなど、北朝鮮問題を改憲の必要性の論拠として利用している」
質問 「広島長崎の被爆者は現在どのような被害に苦しんでいるのか」
回答 「放射線被曝を原因とする多くの症状に苦しんでいる。政府の被爆者救済の幅は狭く、放置されている被爆者が数多い。被爆者たちは、被曝による疾病であるとの認定を求める訴訟を全国で展開しており、今日参加の弁護士の中にその代理人として行動している人もいる」

 これらの質問は、ここでは結論部分だけを記したが、彼らは短い言葉の中に自分の意見を必ず挿入している。その意見の中で、「資金を持たない者は、立ち上がり、語りかけることが必要だ」と熱っぽく語ったギニア出身の男性がいた。正味二時間と少しの交流であったが、濃密な時間を過ごすことができた。

(二つの余談)

(1)NLG総会で見たこと。会議に議題が提案され、提案者の発言が終わるや否や、会場中央に立っている一本のマイクの後ろに行列が出来る。議長は発言時間を2分に限定して発言を許す。次々に反対・賛成の意見を述べる。機関銃のような早口で。発言者がなくなると裁決に入る。議論、討論のあり方として大変興味深かった。

(2)ワシントンDCはスミソニアン等多くの博物館がある。殆ど無料。丸一日を博物館見学などに費やした。以下はその時の感想である。

 『初めてのアメリカ』

 ワシントンDC/そこは紛れもなくヨーロッパ/ドーリア式の石柱が建ち 巨大な石像が街角を飾る/ギリシャにも似て/ローマにも似て この街の創り手たちは/ここに故郷ヨーロッパを刻んでいる/彼の地と北米での人類史を刻んでいる だがスミソニアンで学ぶ歴史には/先住民インディアンの姿が見えない/ホロコースト記念館を持つこの国なのに 開拓者との言葉が重く大きく/侵略者という言葉は忘れられているのだろうか/……いま歴史博物館は閉鎖中……

二〇〇七・一一・三※2

※1 一九九三年オープン。ナチスドイツのホロコーストを詳細に伝える展示。四階から二階。パルチザンにも少し触れている。一〇年少し前に日本を巡回したテレジン収容所の子どもの絵が一〇数点あった。ナチス同盟国だった日本・イタリアには触れていない。昨年ミンスクやキエフで聞いたナチスによる侵略と抵抗の物語を思い出した。

※2 この詩をつくった後、インディアン博物館の存在を知り、訪ねた。そこには、先住民・ネガティブとしてのインディアンが語られていた。幾つもの種族ごとに。インディアンの戦争は一九一三年に終わったメキシコとの闘いだけが記されていた。現在の居住区を示す地図もある。しかし、西部劇映画に描かれているインディアン迫害の歴史はない。アメリカ人は開拓者・フロンティアではあっても、侵略者ではないのだと、善意で、思い込んでいるらしい。



ウイリアム・ミッチェル法科大学院にて憲法9条シンポジウム

大阪支部  井 上 洋 子

 二〇〇七年一一月五日、ミネソタ州セントポール市のウイリアムミッ チェル法科大学院で憲法9条に関するシンポジウムを開催しました。ケネス・ポート教授からは、憲法9条の文言の歴史的変遷、菅野昭夫団員からは、憲法9条の説明と現在の危機的状況、鈴木亜英団員が憲法9条危機の背景としての靖国派の台頭について、笹本潤団員が9条の世界的価値と9条会議について、ピーター・アーリンダー教授が9条の存在とそれが政治経済的に及ぼした影響ということで戦後のアメリカの軍産複合国家化と日本の平和主義国家化とを比較して、それぞれ報告しました。

 参加者は、法科大学院の学生のほか、ミネソタ日米協会の案内でいらした一般市民で、約三〇名でした。

 会場では活発な意見交換がなされました。日本国民が9条を支持しているならば、なぜ自由民主党が政権をずっと維持しているの か、という質問に対しては、アメリカ側から、アメリカ国民が戦争を望んでいなくてもブッシュが政権についているのはなぜかという問いと同じだという回答があり、国民の思いがそのまま政権に反映されないもどかしさに共通性を感じました。日本は中国への対抗軸を築こうとして9条を改変したがっているのだろうという趣旨の発言が中国人女学生からありました。日本にいるときは戦争放棄をすばらしいと思っていたが米国に二〇年間済むと軍事力のない国はありえないという考え方になったという六〇歳代の日本人女性の意見には考えさせられました。日本は米国がたどってきたように、宇宙技術の開発を基盤として軍事技術を錬成しつつあるのかという質 問、日本はロシア・北朝鮮・中国の脅威にどう対応していくつもりなのかという質問など、深くかつ厳しい質問が次々に出て、参加者が非常に興味を抱いていることがよくわかりました。非常に刺激的でした。

 今後は、9条の紹介だけにとどまらずより深いレベルでの議論や考察が大切であり、地道な継続的交流が実りをもたらすのだということを実感しました。

 当日のセントポールは寒く、「初雪が舞う」というより「初吹雪が街をなでる」といった方が正確な荒れ模様でした。しかし、建物内に一歩入ればとても暖かく、シンポジウムの会場は陽が差すと半袖でないと暑いくらいでした。この過度の暖かさのために石油を求めているのだと思うと、何か生活のゆがみのようなものを感じます。



初めてのアメリカ、初めてのNLG総会

東京支部 大 久 保 佐 和 子

 まだ司法修習中の八月、事務所の先輩弁護士から、一一月のNLG総会に行ってみないかとお話しをいただきました。私は、アメリカに行くのは初めて、英語は話せない、NLGを知らない、という状態でしたが、海外だし、アメリカだし、なんか楽しそう・・・というそんなお気楽な気分で「行きます!」と返事をしました。

 NLG総会に参加してみると、アメリカの法律家団体が日本の憲法9条を守る運動に対して連帯の決議をする、というとても貴重な場面に同席させていただくことができたのです。

 総会で決議された議案は多数あり、それぞれについて異議等がないか確認し、あるときは議論がなされ、中には決議が次の日まで持ち越しになるという議案もありました。ですから、果たして9条の決議はすんなり通るのか、私は緊張しながら席に座っていました。そして、いよいよ9条の議案が会場で読み上げられ私の緊張は増していきました。結果、9条の決議は異議もなく、満場一致でなされました。議決権を示すブルーのカードが会場を埋め尽くしたときは、ほっとし、とても嬉しく感じました。

 同じ日の夜は9条の分科会が開かれました。私は、海外の法律家団体の総会で9条の分科会が行われるということが「すごい!」と単純に思いました。というのも、今回アメリカへ行って総会などに出席させていただき強く感じたのですが、言葉の壁というのはけして小さくなくて、その壁を少しずつ取り払って、こちらの思いを伝え、向こうの思いを受け取るという作業を、長年の間先輩弁護士とアメリカの法律家の方が続けてきたことが、こういう形で実を結んだんだと本当に実感したのです。

 ただ、さあ分科会をやるといっても、参加者は集まるのか、前日から手作りのチラシを片言の英語で配り、少し心配しながら会場に行きました。しかし、始まってみると、多数の分科会があった中でも、9条の分科会にアメリカの方が二〇人近くも参加してくださって、こちらの参加者も加えると三〇人以上になり、議論も非常に盛り上がりました。日本が憲法を変えようとしているのは、中国に対する野望があるのではという質問や、9条をアメリカにも取り入れたいと言う意見が出たりして、後者はとても嬉しいことでした。

 最後に、翌日、アメリカの平和活動団体との交流会が行われ、この交流会の中でも活発な議論が行われました。ここで、普段英語を聞いてもわからない私が、聞いていて意味がわかったことがありました。それは、確かギニア出身の方が、北朝鮮やイラン、と言う英単語と、核兵器と言う単語を組み合わせて何か話した直後に、会場に居た方々が、口々に「アメリカ!」と叫んだのです。これを聞いてわたしは、北朝鮮やイランのことを言う前に、アメリカこそ多くの核兵器を持っているじゃないか、と言う趣旨の発言だとわかり、このことは、私が普段からアメリカの不合理な態度として疑問に強く思っていることだったので、自分と同じ感覚をアメリカにいる方が持っているということがとても嬉しかった瞬間でした。

 この交流会で印象的だった言葉があります。それは、アメリカの平和団体の方の「確かに、私たちには運動をするためのたくさんのお金はないけれど、人というつながり、人という力があるじゃないか。」と言う発言です。今回のアメリカでの交流自体が、人との出会いによる草の根の広がりだと思いましたし、また、日本で行われている数多くの憲法擁護・改悪阻止のための運動も、人と人とのつながり中で、少しずつ広げていけるものだということを、この発言で確信し、勇気をもらった気がするのです。

 私のアメリカ訪問はこのように多くの刺激に満ちた、かけがえのない経験となりました。一緒に参加された弁護士のみなさんは、普段お会いすることができない東北・関西地方の方もたくさんいらっしゃり、夕食の席などで昔の話から現在の話まで、数多くの話を聞かせてくださったことも嬉しい経験でした。この場を借りて御礼を申し上げたいと思います。



米国の心ある法律家への手紙

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 この手紙は、先日NLGの総会に参加した鈴木亜英団員に付託して米国の弁護士に届けてもらったものである。鈴木さんのおかげで、ピーター・アーリンダー前NLG会長の奥さんから返事をいただいた。ピーター弁護士と協力して、この手紙を米国の弁護士たちに紹介するというものであった。この手紙の主題は、広島と長崎の被爆者が原爆投下についての米国政府の法的責任を法的機関で裁くことに協力してほしいというものである。この試みが、米国の弁護士の協力なくして実現できないことは当然であるが、多くの団員の協力も不可欠である。私は、この試みを「新原爆裁判」と位置づけ、多くの団員にその試みへの理解と協力をお願いしたいと考えている。その一助としてこの「手紙」を紹介させていただく。

米国の友人の皆さん。

 私たちは米国の広島・長崎への原爆投下は国際法上も人道上も許されない行為だと考えている日本の法律家です。

 米国は、一九四五年八月六日に広島に、八月九日には長崎に原爆を投下しました。

 原爆は、広島と長崎を「屍の町」とし、多くの市民に「この世の地獄」をもたらしました。その死者の数は、一九四五年一二月末までに約二一万人とされていますが、正確な数は把握されていません。蒸発しあるいは焼け焦げてしまった死者の把握は不可能なのです。

 その死者の中には、多くの外国の人々も含まれています。

 そして、その被害は、投下後62年を超える歳月の中でも絶えることなく、現在も多くの被爆者が肉体的・精神的苦痛の中にあります。「原爆症」といわれる症状です。その原因は原爆がもたらした放射能の影響です。

 原爆の被害は、その大量無差別性と残虐性と永続性において、他に類を見ないものなのです。このことは既に明らかにされている資料や証言の中でも断言できることなのですが、被爆の実相は私たちの想像の域をはるかに超えており、多くの被爆者はその体験を心の奥底に封印しているのです。そして生き残った被爆者に残された時間も少なくなっているのです。

 私たちは、原爆が人間に何をもたらしたかを知る義務があるだろうと考えています。その義務は「人間の尊厳」と「正義」から導かれるものです。人間が人間として生きることも、人間として死ぬこともできない状況は排斥されなければなりません。理不尽な暴力よってその生命が奪われることは阻止しなければなりません。

 私たちはあなた方とともに、被爆の実相を解明したいと考えているのです。

 ところで、連合国は、ニュルンベルクあるいは東京で戦争犯罪者を法的に裁きました。その際、連合国の法律家たちは、当時の国際法に準拠して被告人たちを裁きました。「平和に対する罪」はここでは度外視することとして、彼らが準拠したのは国際人道法(戦争法)でした。当時の国際人道法は、既に、非戦闘員に対する無差別攻撃の禁止、非軍事施設に対する攻撃の禁止、不必要な苦痛を与える兵器の使用の禁止などを定めていました。

 私たちは、原爆投下は、当時の国際人道法に違反する違法な攻撃と考えています。これは、既に日本の裁判所では公式な見解となっています(「下田事件」)。また、一九九六年の国際司法裁判所の勧告的意見も「核兵器の使用や使用の威嚇は、一般的に違法である。」と結論しています。あなた方はどう考えるでしょうか。

 更に想起して欲しいのは、戦争犯罪を裁いた連合国の法律家は、裁きの準則は敗戦国の「犯罪者」だけではなく、戦勝国の「犯罪者」にも適用されるとしていたことです。法が戦争の敗者にだけ適用され、勝者はその適用を免れるとすれば、それは法ではなくなるのですから、それは法律家として当然の言明です。

 しかしながら、戦勝国は、原爆投下の違法性について、公式な法廷で裁くという営みはしていません。このままでは、連合国の法律家は自らの言明を反故にしたとの謗りを免れないでしょう。

 もし、原爆投下の違法性が裁かれないということは、戦争に勝利するためであれば何をしてもよいこととなり、国際人道法(戦争法)はその存在意義を失うこととなるでしょう。このことは、法は戦争という国家の物理的暴力の前で立ち止まることとなり、人々は巨大な暴力に無防備でさらされることになることを意味しています。

 私たちはそのような事態を容認することはてせきません。それは、人間の尊厳を無視することとなり、不正義をはびこらせることとなるからです。もちろん、法は万能ではないでしょう。けれども、法はむき出しの暴力の野蛮さをコントロールするという役割を期待されているはずです。そしてその役割を実現するのは法律家の任務ではないでしょうか。

 私たちは、米国の指導者だけではなく多くの市民が、原爆投下についてやむを得ない行為であるどころか正義にかなう行為であると信じていると承知しています。もちろん私たちはこのような意見に反対です。原爆投下は国際法に違反する人類史上最悪の犯罪だと考えているからです。

 そこで私たちは、米国の原爆投下が国際法に違反するかどうか、戦争犯罪を構成するかどうかを、米国の裁判所で問いたいのです。米国政府の原爆投下正当化論と正面から論争したいのです。一九四五年八月六日と九日、米国の原爆投下がもたらした大量無差別の残虐な死、そして今でも続く被害が、国際法と米国の法律は許容するのかを問いたいのです。

 私たちは、米国裁判所と政府はこれらの問いかけに正面から答える義務があるだろうと考えています。なぜなら、米国は、連合国の一員として、枢軸国の戦争犯罪を裁いたことがあるからです。そのとき米国は法と正義と人道を基準としていました。であるからこそ、米国は、原爆投下について、法と正義と人道に反しないということを、法の裁きの場で堂々と主張しなければならないのです。

 自らの行為は棚に上げ、他人の違法性だけを言い立てるのは不公正であり卑怯な態度です。私たちは、米国と米国の法律家は決してそのような態度を取らないだろうと信じています。

 私たちは、広島と長崎の原爆被害者を原告として、米国政府を被告として原爆投下の違法性の確認と被害補償及び謝罪を求めて、米国連邦裁判所に提訴したいと考えています。この提訴について、米国の心ある法律家の協力をお願いしたいのです。この提訴が極めて困難な問題を抱えていることは承知しているつもりです。けれども、被爆者はその残されて人生をかけて、原爆投下の違法性を明らかにしたいと考えているのです。原爆投下は法と正義と人道に違反していることを明らかにしたいのです。どうか被爆者の想いを理解し共感してください。

 そして、私たちは、米国の裁判所が適切な対応をしなかった場合、米州人権委員会に米州人権宣言に基づく「個人請願」を展望しています。被爆者は、原爆投下によって、現在もその生命・健康を脅かされています。生命と健康の侵害が人権侵害であることは自明だと思われます。原爆投下という犯罪行為による被害を六〇数年の永きにわたって放置してきた米国の責任を、人道と正義に基礎を置く国際法の名においてを追及するのです。

 人類に壊滅的な打撃をもたらす可能性のある核兵器を廃絶するためには、その核兵器の使用がもたらした現実を確認し、その犯罪性と違法性を明確にすることが前提となるのです。私たちは、被爆国の法律家として、投下国の法律家であるあなた方に、ぜひとも力を貸して欲しいのです。ともに、原爆投下の実相に向き合って欲しいのです。ともに、原爆投下の犯罪性と違法性の論証をして欲しいのです。米国連邦裁判所への提訴にご協力いただきたいのです。そして、ともに、核兵器のない世界を目指して欲しいのです。核兵器と人類は共存できないのです。人類の明日のために共同の行動を心から呼びかけるものです。



自衛隊における「規律」とは何か

〜東国原・宮崎県知事の

「徴兵制あってしかるべき」発言を批判する視点〜

北海道支部  佐 藤 博 文

1.宮崎県の東国原知事が、一一月二八日、若手建設業者らとの懇談会で、「徴兵制があってしかるべきだ。若者は一年か二年くらい自衛隊などに入らなくてはならない」「若者が訓練や規則正しいル−ルにのっとった生活を送る時期があった方がいい」「道徳や倫理観などの欠損が生じ、社会のモラルハザ−ドなどにつながっている気がする」等と発言し、記者から真意を問われても撤回せず持論を展開したと、報道された。

 彼は、巷間「教育の荒廃」「社会規範の崩壊」とされる問題に対するアイデアとして言ったつもりだろうが、余りにも無知で、非常識である。

2.私の手元に空幕法務課の事務官が書いた「研修論文」があるが(法翼第二三号「日本国憲法下における自衛隊裁判所制度の導入の可能性」〇四年/非公開文書)、それには次のように書いてある。

 「社会の秩序維持には、最低限度の道徳規範が必要であり、これに違反した者を処罰するために、刑法が定められている。そして、一般市民を裁くには普通裁判所がある。

一方、軍は武器をもって外敵と対戦する戦闘集団である。ここでは戦時、通常の道徳規範に反する器物の損壊、人員の殺傷が公然と行なわれ、生命を省みない危険な行動が求められる。

そこで、軍では、軍人の基本的人権が制約され、組織に特別の秩序を科し、任務を強制する等、行動を強く規制する必要があった。これがいわゆる軍紀の保持である。」

要するに、軍隊における「規律」の本質は、東国原知事が想定しているような「通常の道徳規範」ではなく、それとは正反対に、一般社会では許されない「器物の損壊、人員の殺傷」などの戦争遂行行為を、自他の生命を省みないで公然と行なわせることができる「規律」なのである。

3.さらに、新入隊員の教育訓練中に配布される「職場での『躾(マナ−)』」、「躾」と題する、それぞれ一〇数頁にわたって驚くほど事細かに注意事項を書いた文書がある。その中には、「寸言」として次のような記載がある。

 「今の若者は社会常識にうとく、礼儀作法をわきまえないという批判を聞く。これは何も若者に限ったことではなく、日本の社会全般にわたって共通の問題である。かって東洋の君主国と言われたわが国は、太平洋戦争が封建制度の否定とともに古来の美風も崩壊して、それに変わるべき新しい規律は誤れる自由主義の名目の下にいまだ固定化していない。」

 自衛隊が言う「旧軍」を承継した発想である。自衛隊の「規則正しいル−ル」は、憲法の民主主義、人権尊重主義を否定する発想に立っているのである。

4.しかも、その内容たるや、例えば「第2章 日常生活におけるしつけ」をみると、トイレット、電話、食事等とまるで幼児にしつけるかのごとき内容で(だから「躾」なのだろう)、最後が「H語の限界」という項目で、「ユ−モア、ウィットのないH語はするな」等とあり、思わず、自衛隊はユ−モア、ウィットのあるH語を教えるところなのか、と笑うしかない。

 ここには、「真理と正義を愛し」「個人の価値をたっとび」「勤労と責任を重んじ」「自主的精神に充ちた」という、改悪教育基本法が削除した旧第1条「教育の目的」に掲げられた人間観、教育観は存在しない。

5.この一方で自衛官の自殺は、毎年一〇〇人以上で、一〇万人当たり三八.三人(二〇〇六年度)。人事院がまとめた国家公務員の平均一七.七人の二倍強となっている(一一月一二日道新)。

 さらに、インド洋やイラクなどへの海外派遣任務についたのべ約一万九七〇〇人のうち、一六人が在職中に自殺しており(一一月一三日産経新聞)、これは一〇万人当たり約八一人ということになる(これは私の推計)。国家公務員の平均の四.六倍の自殺者である。

 ここにこそ、「規律」とか「崇高な使命」といった美名の下、さらには海外派兵を本務とするに至った、自衛隊・自衛隊員に起きている矛盾、「人権侵害」の実態がある。



「市民メディアNPJ」ついに本格始動

東京支部  加 藤  幸

1「市民運動のワンストップメディア」を目指して

 報道などでご存じの方も多いと思いますが、自由法曹団所属の弁護士が中心となって立ち上げた団体「People’s Press」が運営する、インターネット市民メディア「the News for People in Japan(NPJ)」が、一一月二六日の記者会見を経て、正式にスタートいたしました。

 NPJは、「市民が社会を知ルための情報発信」をコンセプトに、平和・基本的人権にストレートに偏ったメディア(笑)として、マスメディアでは報道されない平和・生活困窮者・労働者・自然環境といった問題にスポットをあてた報道をしています。また、市民が発信する活きた情報を掲載するページへのリンクを充実させ、個人・市民団体・労働組合などの多様な情報、集会・イベントの情報などを写真や映像などを使用してお知らせしています。

 市民運動の「ワンストップ」メディアを目指し、日々情報提供を行っていますので、ぜひ、「お気に入り」に入れてご活用下さい(「NPJ」で検索すればすぐに出てきます)。

2 弁護士の訟廷日誌

 NPJのオリジナルコーナーとして、裁判等の進行状況(次回期日の日時と予定されている内容・法廷・傍聴希望者の集合場所・裁判報告集会や関連集会のお知らせ、前回期日の内容とその評価、これまでの手続きの経過など)やその裏側などについて、当該訴訟の担当弁護士がリアルタイムで執筆を担当する「弁護士の訟廷日誌」があります。

 裁判傍聴への関心は高まっているものの、期日の日程や傍聴や報告集会など知らせる情報は極めて少ない現状のなく、訟廷日誌のコーナーは、社会に広めたい裁判の情報を多くの方に伝える手段として、非常に注目されています。マスメディアの司法記者の方からも、「これだけまとまってわかりやすい裁判情報は見たことがない」との声も寄せられています。

 すでに、多くの自由法曹団員からも原稿が寄せられていますが、皆様、ぜひ原稿をお寄せ下さい!同時に、判決文や訴状などの情報も収集・蓄積していきたいと考えていますので、ご協力お願い致します。

その他、「NPJ通信」として、今後、識者の論評などを充実させるとともに、メディアリテラシー(メディアを読み解く能力)を重視した提言や批評を行っていきたいと考えています。また、「ガンジー大山の回文道場」、「島弁日記」、「猿田佐世のNY便り」などの連載も始まっています。

3 設立記念集会を行います

 二〇〇八年一月一七日(木)一八時〜、作家の吉岡忍さんを講師に、「新しいメディアに期待すること」と題して、四谷の弘済会館で設立記念集会を行います。ぜひ、ご参加下さい。また、今後、正会員、賛助会員などのお願いもさせて頂きたいと思います。あわせて、カンパのお願いもさせて頂きます。メディアの現状を変える一助となりうるこの取り組みに、ぜひご協力をお願い致します!

 (振込先は、みずほ銀行 四谷支店 普通 1067673 「ピープルズ・プレス」)



鈴木康隆著『気のむくまま思うままに

私が出会った人・旅・裁判』を読む

大阪支部 福 山 孔 市 良

1.毎年一一月二〇日過ぎ頃になると、鈴木康隆さんの自宅に招かれて、昼頃から夕方まで碁を打ち、碁のあと夕食には決まって河豚をご馳走になることが、もう一〇数年間続いています。参加するメンバーは、その年によって増減しますが、最近は、私以外、関西合同法律事務所の上山さん、あべの総合法律事務所の蒲田さんらが常連です。碁の実力は、少しの差はあっても、ほぼ同格といえます。

 今年も鈴木さん宅にお邪魔すると、鈴木康隆著『気のむくまま、思うままに』のできたてほやほやが、清風堂書店からから届けられていました。

 本の題名も気楽な題であったので、もらって帰ってすぐに読んでしまいました。この本の内容は、第1章は「旅をする」、第2章は「本との出会い」第3章「弁護士人生アラカルト」第4章「政治をみる」第5章「わが事務所の20年」と5つの章に分かれています。

2.第1章の「旅をする」では、私や宇賀神さん,大川真郎さん、谷智恵子さんら大阪の弁護士も加わってスペインの巡礼の旅に行った時のことが書かれています 私にとっても一〇年以上も前の旅行でもありますが、懐かしい思いがしました。鈴木さんは、すごい読書家で、色々な方面の本をよく読んで感心することがあります。巡礼の旅のところでも、堀田善衛の「ゴヤ」や「スペイン断章」をさらっと登場させています。「山歩き」の話のところでも、ゲーテの「旅人の夜のうた」や「暗夜行路」のことが出ています。「暗夜行路の主人公のような悩みもなく、したがって格別の悟りを開くこともなく、大山もまあこんなものかと思いつつ、三人は山をおりたのです。」といったくだりなど鈴木さん流の特徴のよくでた文章だと思います。

 第2章は「本との出会い」ですが、E・Hカーの「歴史とは何か」を除き、大阪 支部の団員の書いた本の紹介が主な内容であります。私の「弁護士の散歩道」も書いてもらっていますが、これは、花と山の本でもともと難しくも易しくもないものです。しかし、石川さん・宇賀神さん・大川さん・三上さんらの本は、中味はなかなかのもので、決して易しい本ではありません。それを、さらりとやさしく紹介しているのが、鈴木流であって、鈴木さんの書いたものを読むと、著者の顔が思い浮かんでくる位です。人によれば、易しいことを難しく書く人もいますが、鈴木さんは、難しいことを易しく書くのが実に上手だと思います。

 第3章では、「馬券裁判記」正・続が面白かったと、清風堂の編集担当の奥村礼子さんも笑っていました。

 第3章の中に「大阪法律事務所」のことが書いてあります。私の事務所で「忙中閑あり」という本を出版した時に投稿してくれたものですが、自分の事務所の所員のことでも書くのが困難なのに、他人の事務所の多数の弁護士のことを書くなどとは、鈴木さんしかできない技と思い、書いてもらった当時も、今読んでみても、うれしくなってしまいます。

 鈴木さんの人を見る目の的確さと優しさがよくわかります。

3.この本の三分の一以上を占めているのが、第5章「わが事務所の20年」です。「20年」は、正森事務所の活動の歴史であると共に、鈴木さんの弁護士歴四〇年間の前半の活動歴でもあると思います。

 自らの活動を前面に出すのではなく、事務所の活動を紹介する中で、その一人として、活動歴を明らかにしていると思います。

 もともと鈴木さんは、はにかみ屋であり本の題名にもそのことが、あらわれています。そうは言っても、鈴木さんは、自由法曹団では、大阪支部の事務局長、幹事長、支部長と長期間団大阪支部の活動に専念されてきました。又、国民救援会でも宇賀神さんのあとを引き受けて、ながらく会長を務めてきました。はにかみ屋だけではなかったことが、これらのことからはっきりしてきます。鈴木さんは「あとがき」にもあるように、小学校一年に入学した四月に結核になり,生死の境をさまよった経験があり、それを克服して今日に至ったわけで、既に弁護士生活も四〇年を超えました。七年前からは、毎日、雨の日も風の日も朝五時に起床し、奥さんと二人で、学園前近辺を一時間以上歩いています。私など三日も続くどころか、思うだけでしんどくなってしまいます。彼の怒った顔を見たこともないというほど優しい人ですが、それだけではない精神と肉体の強さを、このことから感じさせてくれます。こういう鈴木さんの、さらりとしたこの本を「さらっと」読んで下さい。

〈ここで紹介された鈴木康隆著「気のむくまま思うままに 私が出会った人・旅・裁判」は、一三〇〇円(定価は一五〇〇円)+送料実費で頒布しております。ご希望の方は、きづがわ共同法律事務所 電話〇六−六六三三ー七六二一までご連絡下さい。〉