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加藤 健次 六〇五名が参加した岐阜・下呂温泉五月集会
玉木 昌美 裁判員制度について論議を深め、団が意見を
米倉 勉 刑罰化社会と刑事司法改革
―我々が対決するべき相手は誰か?
柴田 五郎 布川事件ご支援御礼
もりかわうらゝ
(守川 幸男)
岐阜一泊旅行と詩集完売のお礼
土井 香苗 スポーツ選手の権利はどこに?
―我那覇選手事件を通じて(1)
(我那覇選手弁護団の一人として)



六〇五名が参加した岐阜・下呂温泉五月集会

事務局長  加 藤 健 次

一 はじめに

 五月二四日から二六日、草津、有馬とともに「日本三名泉」と称される岐阜・下呂温泉で、二〇〇八年自由法曹団研究討論集会が開催されました。昨年の五月集会以来、団は、憲法改悪阻止と新自由主義のもとでの構造改革路線に反対する活動を活動の柱にしてきました。今年の五月集会は、名古屋高裁で歴史的なイラク派兵違憲判決が出され、大阪高裁では、松下PDPの偽装請負をめぐって損害賠償とともに雇用関係を認める画期的な判決が出されるという、活気ある情勢のもとで開催されました。集会は、六〇五名(うち、弁護士三六六名)という史上最高の参加者を得て、活発な討論が行われました。

 参加者のうち、新人の新旧六〇期の弁護士と新旧六一期の修習生だけで一〇〇名近くを占めるなど、若々しさの目立つ集会でもありました。

二 全体会

 議長団として、岐阜支部の中松正人団員、東京支部の山口真美団員が選出されました。冒頭、松井繁明団長から開会の挨拶、岐阜支部の笹田参三団員から歓迎の挨拶があり、来賓として、地元岐阜県弁護士会の幅隆彦会長からご挨拶をいただきました。

 続いて、田中隆幹事長から、改憲阻止、新自由主義的構造改革とのたたかい、「足元」の司法問題、治安警察問題に関連するこの間の情勢と団の活動について基調報告があり、分科会を中心に団が取り組む課題について大いに討議し、深めるための活発な討論の呼びかけがなされました。

 その後、この間、貴重な前進をかちとった事件について、以下の五名の方から発言がありました。いずれも、分科会のテーマと関連する重要な内容を含んだ報告でした。

(1) 名古屋高裁・イラク派兵違憲判決について
    愛知支部・川口創団員

(2) 松下PDP事件・大阪高裁判決について
    大阪支部・村田浩治団員

(3) 中野保育園・非常勤保育士雇い止め事件について
    東京支部・松本恵美子団員

(4) 引野口事件(殺人・放火無罪事件)について
    福岡支部・横光幸夫団員

(5) 京都の新規採用教員に対する分限免職処分取消訴訟、教員の超過勤務に対する損害賠償請求事件について
    京都支部・村山晃団員

三 分科会

 今回の五月集会は、分科会の討論を中心として、団が取り組んでいる様々な課題についてじっくり討議を深めることを主眼としていました。

 各分科会と参加人数は、以下のとおりです。

(1) 改憲阻止分科会 一二五名
 一日目は、沖縄、岩国、横須賀など、この間の米軍再編に関連する基地問題での全国の取り組みと各地での憲法運動を交流しました。二日目は、「究極の立法改憲」である恒久派兵法を阻止する課題について討論しました。今後の運動で、名古屋高裁のイラク派兵違憲判決を生かしていくことが確認されました。

(2) 教育分科会 四三名
 一日目は、全国で唯一いっせい学力テストへの参加を拒否している愛知県犬山市の教育委員もつとめられている中嶋哲彦名古屋大学教授に講演をいただき、学力テストにみられる国家統制と新自由主義的競争の持ち込みについて議論しました。二日目は、長く刑事法の研究をされてきた前野育三団員の報告を受け、少年法改正問題について討議しました。

(3) 労働分科会 一一六名
 一日目は、脇田滋龍谷大学教授の講演を受けて、偽装請負など「ワーキングプア」の問題、労働者派遣法の抜本改正について、各地の運動の報告も踏まえた議論が行われました。二日目は、具体的な裁判の取り組みを通じて、裁判闘争にいかに勝利するかという議論がなされました。

(4) 刑事裁判分科会 九八名
 一日目は、長野ひき逃げ事件、北陵クリニック事件、引野口事件や再審事件など、具体的な事件の取り組みを通じて、現在の刑事裁判の問題点や公判前整理手続の問題点が報告されました。二日目は、一日目の報告を踏まえて、裁判員制度の導入を前に、団としてどのような方針で臨むべきか、具体的にどうたたかうかという点について、活発な議論がなされました。

(5) 地方自治分科会 五七名
 構造改革の中での自治体をめぐる状況と自治体民主化の課題、自治体業務の民営化などをめぐる状況と自治体労働者のたたかい、オンブズマン活動の現状、さらには住民訴訟など自治体をめぐる裁判について報告・討論がなされました。

(6) 貧困問題分科会 一二五名
 大阪府の元ケースワーカーの可児伸一氏から、自治体労働者の立場からみた生活保護行政の問題点と課題について報告をいただき討論しました。年金制度、後期高齢者医療制度についても報告がありました。二日目は、福岡の椛島団員の報告を受けて、多重債務者問題についての討議を行うとともに、法律家として貧困問題にどう取り組むかについて議論がなされました。

 地方自治と貧困問題をテーマにした分科会は初めての試みでしたが、内容の濃い議論ができました。総じて、団が取り組んでいる課題について、実践に基づいた深い議論がなされたといえます。ぜひ、今後の活動に生かして行きたいと思います。

四 全体会(二日目)

 分科会終了後、全体会が開催され、以下の一〇名の方から発言がありました。なお、時間の関係上、東京の柴田五郎団員(布川事件)と東京の戸舘圭之団員(袴田事件)の発言通告については発言要旨の紹介のみとなりました。

(1) 恒久派兵法阻止の運動について
    東京支部・長沢彰団員

(2) 九条世界会議の成功とお礼
    東京支部・笹本潤団員

(3) 京都におけるワーキングプア問題への取り組みについて
    京都支部・毛利崇団員

(4) 取調べの可視化法案について
    神奈川支部・神原元団員

(5) 少年法改正問題(被害者傍聴)について
    東京支部・三澤麻衣子団員

(6) 大阪における法曹人口問題の議論について
    大阪支部・長野真一郎団員

(7) 生存権裁判の勝利と生活保護基準について
    東京支部・中川勝之団員

(8) 社会保険庁の解体・民営化と公的年金制度について
    東京支部・尾林芳匡団員

(9) 中津川人権裁判について
    岐阜支部・岡本浩明団員 当事者・小池公夫氏

(10) 関ヶ原人権裁判について
     岐阜支部・小山哲団員 当事者・野村浩之氏

 全体会で採択された決議は次のとおりです。

(1) 恒久派兵法制定を断固阻止し、平和憲法の完全実現を求める決議

(2) ワーキングプアをなくすため、労働者派遣法を労働者保護法へ抜本改正することを求める決議

(3) 老齢加算・母子加算の廃止を撤回し、生存権を保障できる生活保護基準の実現を求める決議

(4) 社会保険庁の解体・民営化を凍結し、公的年金制度の確立を求める決議

(5) 取調べの可視化法案について早期に審議入りし、速やかな成立を求める決議

(6) 中津川市議会における発声障がいをもつ議員へのいじめ損害賠償請求事件訴訟を支援する決議

(7) 関ヶ原町の行った人権侵害に抗議し、関ヶ原人権裁判を支援する決議

 なお、関ヶ原人権裁判の決議は、翌五月二七日に、一泊旅行参加者と岐阜支部の団員によって、関ヶ原町宛に直接執行がなされました。また、中津川人権裁判とあわせて、地元マスコミも注目し、大きく報道しました。

五 プレ企画

 集会前日の五月二四日に三つのプレ企画が行われました。

(1) 新人学習会 七九名

 新入団員に向けて、次の二つの講演がありました。

 「イラク派兵差止訴訟・若手弁護士の挑戦」
   愛知県支部・川口創団員

 「地域に根づいた法律事務所の役割と活動」
   岐阜支部・山田秀樹団員

(2) 将来問題を考える会議 六〇名
 団事務所の「基盤づくり」、「人づくり」をテーマに活発な議論がなされました。

(3) 事務局交流会 一三一名
 全体会で岐阜支部の林真由美団員の講演を行った後、「憲法運動経験交流」、「私たちの『仕事』について考える」、「新人交流会」の三つの分科会に分かれて討論がなされました。

六 最後に(お礼をかねて)

 今回の五月集会で特筆すべきは、地元岐阜支部による文化的企画です。二五日の午前中には、野点が行われました。あいにくの雨で室内での催しとなりましたが、しばしゆったりとした時間の流れを楽しむことができました。また、二五日夜の大懇親会では、岐阜支部の三名の団員による伝統芸能「美濃仁輪加(にわか)」が披露されました。

 岐阜支部の団員と事務局の皆さんをはじめ、集会の成功のためにご尽力いただいた関係者の方々に、この場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

 五月集会で深めた内容と養った英気をもとに、これからも一層奮闘しましょう!

以上



裁判員制度について論議を深め、団が意見を

滋賀支部  玉 木 昌 美

 団通信一二七一号に「裁判員制度、このまま実施でよいのか」という意見を述べ、今回下呂の五月集会の刑事裁判分科会で論議された。結論から言えば、前回の意見のとおりであり、裁判員制度について論議を深め、団として意見を表明すべきであると思う。

 分科会では、今村核団員の法曹三者の「核心司法」論の危険性、捜査構造に手をつけないままの改革は捜査の不可視化につながるという指摘は貴重であった。論議においては、基調報告的な発言に時間を採りすぎ、議事運営をめぐってもバトルとなったが、それでも根深い対立構造を確認することができた。

 宮田団員は、国民の司法参加の意義を強調され、もっと積極的に裁判員制度を評価すべきであることを強調されたが、発想が抽象的な理念に埋没されていないか疑問に感じられた。小池団員は、制度が国民の司法参加がせめぎ合いの中で勝ち取られ、刑事司法改革の絶好のチャンスをつくっていることを強調された。その発言には日弁連で中心的に活動されてきた裏付けがあった。確かに、今回の裁判員制度導入の中で従来手がつけられなかった部分に手がつけられ、取調べ過程の可視化が議論されるようになり、保釈の若干の運用改善、無罪判決の若干の増加になったこと等はそうかもしれない。

 しかし、それが契機になったことは高く評価するが、逆に言えば、別に裁判員制度を実施しなくても改革できることを示したともいえる。

 問題は、その成果があるから、ともかくもできあがった制度を実施しなければならない、「できたものに文句をいうな。」という姿勢をとるのか、ということである。最高裁や検察庁は「決まったからやる。」、上から命じられたからやる、まさに官僚的な発想そのものである。個々の現場の裁判官や検察官は制度設計がおかしいと思っても意見を言わないし、言えない。彼らと議論をすれば、「立場上言えないから、弁護士の方で議論してくれ。」となる。

 現在の裁判員制度が陪審制導入を主張した日弁連の考えは大きく後退させられ、政治的妥協の産物としてできたものである。この点について争いはない。裁判員制度を絶賛する宮田団員でも「歪な形であれ、できた以上」と歪なことを認めている。

 私の意見は、前回述べたように、その歪な内容を最低限改め、実施するに足る内容にする改正を事前に、三年後を待つまでもなく、行えとするものである。その内容は、被告人の選択権、裁判員を量刑判断からはずす、の二点であった。被告人の選択権は立法政策の問題である(桐山団員)としても、被告人の権利としてこれを認めるべきである。また、裁判員を量刑判断から外すことに異論はほとんどないと解される。桐山団員も二つの点について「再考の余地」があるとしている。ちなみに、死刑を裁判員裁判により多数決で決めることが出来ることの問題性は決定的である。

 桐山団員は、「何とか辛抱できる程度のもの」と評価し、日弁連に力がなかったから仕方ないとしているが、政治的妥協の産物の制度の問題性を指摘しないのは国民に対する無責任な態度である。

 今回、伊賀団員がその二点に加え、無罪に対する検事控訴は認めない、公判前整理手続後の立証制限をしない、連日開廷の都合により立証制限をしないことを提起された。報告が長すぎた点はいただけないが、提起した内容は極めて傾聴に値する。一致点の範囲を探る必要がある。

 私の前回の団通信に対しては、多くの方から賛同の意見をいただいた。団通信を読んだ民主党のある国会議員からも賛成であるとの反応があった。意見をいえば、すでに実施されようとしている制度の妨害になると考えている日弁連執行部が動きにくいのであれば、なおのこと団が積極的に議論し、裁判員制度をまともに使えるものにするため、最低限でも事前に改めるべく力を注ぐべきではないか。

 「法律として決まった以上は」という発想はこれまで我々が批判してきた官僚的発想そのものである。腫れ物に触るような腰の引けた状態をやめ、積極的に議論し、一致点で運動を展開していくべきであると思う。



刑罰化社会と刑事司法改革

―我々が対決するべき相手は誰か?

東京支部  米 倉  勉

刑罰化社会の深化

 現在の日本の刑事司法は、「刑罰化社会」と呼ばれる状況にある。その主要な現れは、(1)処罰の早期化、(2)処罰範囲の拡大、(3)重罰化等の事態であり、具体的には保護法益の抽象化、危険犯処罰規定の拡大、不明確な構成要件の増加、法定刑の引き上げ等の現象を挙げることができる。こうした状況は、刑事法研究者の間では既に多数の論考を通じて研究と議論の対象となっていたようだが、私たち弁護士(実務法律家)の間では、あまり検討課題・対決課題になってこなかったように思う。

 この状況は、一方で「リスク社会における刑法」という位置づけを与えられている。但し「リスク社会」といっても、現実にそのような危険に満ちた社会であると解するべきものではなく、あえていえば「カッコ付き」である。すなわち、犯罪や「テロ」、大規模な事故など、人為的なリスク(危険)が増大した現代社会においては、リスクへの対処の必要性からこうした刑罰化がもたらされ、社会のリスクに対する不安がこれを要求するのだという議論が進展していること自体が検討課題ということであり、その意味で「リスク社会とは」、社会がそのように認識し、様々な事象をリスクの観点から理解・構成している状態というべきである(例えば、島田聡一郎「リスク社会と刑法」有斐閣「リスク学入門3・法律から見たリスク」所収一〇頁の指摘、あるいは「リスク社会論の立場から見た犯罪と犯罪者」竹村典良 日本評論社「社会の中の刑事司法と犯罪者」所収三九頁など)。

 私自身の実感としても、現代社会が「危険社会」であり、リスクの増大に脅かされているとは考えない。現に刑事司法統計によれば殺人事件の発生件数は増加しておらず、認知件数の増加に比して検挙率が低下していることが治安悪化を印象づけているに過ぎないことが指摘されている。また交通事故による死亡者数は低下を続けており、航空事故による死亡者数も少なくとも日本や欧米においてはほぼ低下している。従って、そのような「リスク社会」認識自体が一定の政策の結果に過ぎないものといえる。

 しかし、それにもかかわらず、少なくとも社会一般にはそのようなリスク社会という認識が浸透しつつあり、刑事法学・犯罪学の分野でもリスク社会論の比重が増大しているといわれる。組織犯罪規制法の改正や危険運転致死傷罪の新設など近年の夥しい刑事立法、刑法改正による有期懲役の上限引き上げをはじめとする重罰化、被害者の刑事手続参加(権利拡充を超えて被害感情を直接刑事手続に反映させる制度)などは、いずれもこのようなリスク社会刑法の内容をなすものであり、監視社会という現象もこのような説明によって正当化されている。

新自由主義政策の求めるもの

 こうした「リスク社会」と「刑罰化社会」は、一連の新自由主義政策がもたらした結果である。規制緩和と競争による市場原理主義を貫徹するにおいては、刑罰強化による規制なくしては統治と秩序が保てないということであろう。また、格差社会の中で逼塞した国民の意識が「敵味方」に分断され、処罰感情を増幅させるという現象をもたらす。

 これらは近年の刑事法学者の論考にも、つとに指摘されているところである。安達光治・武内謙治・豊崎七絵「刑事司法の変容と法」(法律時報増刊「改憲・改革と法」所収一四九頁)は、「『犯罪不安』は一般的な生活不安と区別できるわけではない。むしろここでの不安感は、落伍への不安を常に煽り続けるネオ・リベラリズムの思潮や政策そのものから生じているとすら考えられる」と指摘する。また前掲「リスク社会と刑法」(二九頁)は、「犯罪者に対する見方についても、新自由主義は重罰化と結びつきうるといわれる」と述べる。また、「リスク社会論」が「法と秩序」政策と結びつき、より強力な警察的取締権力が求められるようになることに警鐘を鳴らす前掲「リスク社会論の立場から見た犯罪と犯罪者」も、「現代における犯罪統制を理解するために重要なのは、グローバル化の結果として生じた変化とそれがネオ・リベラルな民主国家の統治への影響、国家と市民社会の関係の変化である」と指摘する(同四三頁)。

 そもそも司法制度改革審議会意見書そのものが、「規制緩和等の経済構造改革」の「最後のかなめ」と宣言し、今後の規制緩和社会においては「ルール違反に対する的確なチェック、効果的な制裁」(すなわち刑罰の強化)が必要であり、国民の司法参加によって、「刑罰の強化」が実現できると述べているところである。

 法曹人口の増加とそのための法科大学院設置は、規制緩和による自由な取引領域の拡大と、これに伴う事後的な紛争解決ないしセイフティーネット(救済措置)にとって必要な措置である。司法支援センター構想は、同様に「法化社会」の基盤として事後的紛争解決と救済措置を担う。裁判員制度は、上記のとおり刑罰強化のための「強固な国民的基盤」と位置づけられているが、この裁判員制度が、重罰化・刑罰化社会を一層加速するであろうことは(この点については「法と民主主義」五月号の拙稿を参照していただきたい)、このような理論的・政策的構造からも導かれる。このように、一連の司法制度「改革」は審議会意見書が位置づけたとおり、新自由主義政策の要求そのものである。

 二〇〇〇年四月二〇日発行の「拒否できない日本」(関岡英之・文春新書)が、アメリカ通商代表部の年次改革要望書に基づく様々な対日要求の一つに司法制度改革が含まれ、一連の「司法制度改革」がこの要求に応えるものであることを指摘するのを読んだとき、私は同書の指摘に異論はないながらも、なぜ日本政府がアメリカ政府から要求を受け、これを唯々諾々と受け容れるのかのメカニズムには納得できなかった。しかしこれは私の不明に過ぎず、これらの対日要求は新自由主義からの要求、すなわちアメリカ政府からというより、多国籍に展開する資本が(まずアメリカを新自由主義化させ、次いで)、アメリカ政府の要求という形で日本政府に迫っただけだということに気づけば、あまり不思議はない。

 そして、今日の日本社会における新自由主義政策は、労働法制の破壊、派遣事業法の改悪、会社法改正等による企業再編の自由化などを通じて、「格差社会」、ワーキングプアという現象を生じ、労働者の生活破壊は極限まで進んでいる。国民の経済的・社会的閉塞感は、戦後これまで経験のない水準に至っているのではないか。

 今一度「刑罰化社会」という現象に目を向ければ、「民意を尊重するという名目で、人々の生の応報感情や犯罪に対する不安感情に依拠するようになると、際限のない犯罪化と重罰化が推進されかねない」のである(横山実「人々の意識と犯罪化・重罰化」日本評論社「社会の中の刑事司法と犯罪者」所収九四頁)。警察国家化そのものである。そのような事態は既に進み、警察権力はこれにを最大限に利用(推進)して、立川のビラ配布事件、社会保険庁職員国公法違反事件、世田谷国公法違反事件等の刑事弾圧事件が続発していることは、周知のとおりである。このような警察国家、刑罰化社会が国民にとって幸福をもたらすものであるとは、到底思えない。刑罰とはそれ自体害悪であって、何時の時代においても可能な限り謙抑的であるべきである。市民を敵と味方に分断するような社会は不幸であるし、そのような社会意識を増幅するべきではないと思う。

この流れにどのように対応するか

 司法制度改革の流れの中で、弁護士会がその中核で影響力を維持・発揮し、改革の方向を少しでも有益な(ないしは害の少ない)ものにすることを目標に活動し、制度が出来た後は、その制度の中での最善の運用や弁護活動のために努力している方々がいる。そのような目的意識は理解できるし、その意味での成果はあったであろう。

 しかし、司法制度改革の本質が新自由主義の要求であり、少なくともそのような刑事司法改革が社会の刑罰化に結びつくものならば、そうした改革の流れの中で「弁護士会が影響力を維持・発揮する」というのは、要するにそのような「改革」を弁護士会も主体的に後押しするということに他ならない。それが警察国家化と犯罪化・重罰化という社会の変化を本質とするのだとすれば、重大なことであろう。そのような大局的な視点で事態を観察する限り、そのような活動には、予定外であれ、大きなマイナスを生じる危険が伴う。弁護士会のNGOとしての社会的影響力保持とは次元の異なる問題が存するのである。

 刑事司法改革の評価と、そこでの弁護士会の在り方を巡る意見の対立の基礎には、こうした見方があることを理解してほしい。実施まであと一年を切った裁判員制度に対して今も疑問が表明され続けるのは、そうした疑問を感じる人々が、この制度が国民にとって災厄をもたらすのではないかという危険を感じとるからである。意見を異にする人も、「いまだに裁判員制度に冷淡な者は、無能な弁護人になって誤判を生む」などと切り捨てず、こうした視点に対する理解と、多面的な検討を期待したい。

 以上のような新自由主義政策と「リスク社会論」のもたらす危険をどう評価し、対応するか、私たちは厳しい選択と行動を迫られているのではないか。前掲「人々の意識と犯罪化・重罰化」は続けて、「今は、オピニオン・リーダーとしての知識人、たとえば、刑事法学者や弁護士の発言力が低下している。」と指摘している。この厳しい問いかけにどう答えるのか。刑事司法改革において私たちが真に対決すべき相手は何なのだろうか。

 なお、こうした日本社会の刑罰化を巡る総体的な研究書として、「日本刑法学のあゆみと課題」(内田博文著・二〇〇八年三月三一日 日本評論社刊)を是非参照していただきたい。

以上



布川事件ご支援御礼

東京支部  柴 田 五 郎

 布川事件とは、一九六七(S四二)八月年茨城県利根町大字布川(ふかわ)で発生した強盗殺人事件で、同年一〇月当時二〇歳、二一歳だった櫻井昌司・杉山卓男両君が別件逮捕・勾留され、虚偽自白を唯一の直接証拠として起訴され、無実の訴えて最高裁まで争ったものの、無期懲役が確定した事件です。

 両君は、第二次再審で〇五年九月水戸地裁土浦支部で再審開始決定を勝ち取りましたが、検察の即時抗告により東京高裁での係争を続けてきました。そして〇七年夏には、前年暮れに名張事件の再審開始決定を取り消して有名になった門野博氏が東京に栄転してきて、布川事件の裁判長になりました。彼の訴訟指揮下で半年余、この五月初旬に検察・弁護双方が総括意見書を提出、あとは裁判所の決定待ちという段階です。

 もとより弁護団としてはやるべきことはやり尽くし、天命をまつのみと言う心境ではありますが、相手が門野さんでは、そう言ってばかりはおられません。その門野さんの心を動かすのは、全国の世論しかありません。

 と言ったような訳で、〇八年自由法曹団春の討論集会で請求人本人の櫻井昌司君と共に飯田、三浦、丸山、柴田の四弁護人で、布川事件支援の訴えをさせて頂きましたところ、裁判所宛の要請ハガキ一〇〇通、カンパ三万円超のご協力を頂き、誠に有り難うございました。

 これにお応えする道は、門野コートで「検察の抗告棄却決定」を勝ち取り、再審開始を確定させるほかに道はないと考えております。

 全国の国民の皆さんに訴え、国民の声で裁判所を包囲し、棄却決定をもぎ取る決意ですので、今後とも何分のご支援をよろしくお願い申し上げます(裁判所宛の要請ハガキをウッカリして持ち帰られた方は、住所氏名を書いて今すぐ投函して下さい)。



岐阜一泊旅行と詩集完売のお礼

もりかわうらゝ
 (千葉支部 守 川 幸 男)

1.岐阜の一泊ありがとう

 山のみどりの目にしみて
 古いまちなみ高山で
 みんなでアイスをなめながら
 そぞろ歩きを楽しんだ

 あこがれ白川集落で
 歴史の重み感じつつ
 世界遺産をしっかりと
 結で協力守ってる

 歴史をしのぶ関ヶ原
 歴史にもしもはないけれど
 評価の低い石田だが
 三成擁護のガイドさん

 遊水地わかっていながら市街化に
 したのは一体なぜなのか
 たびたび水害みまわれて
 こんな大垣あきれたね

 関ヶ原人権裁判驚いた
 こんな町長いたなんて
 みんなで声明届けたよ
 こんな旅行もおもしろい

 楽しくお酒が飲めました
 ステキなお宿ありがとう
 岐阜のみなさんありがとう
 とってもありがと笹田さん

2.詩集「みすゞからうらゝへ」完売のお礼

 五月一日号の団通信でみちのく赤鬼人庄司捷彦団員に、五月一一日号で山口の内山新吾団員に、それぞれ推薦文をいただきました。

 また、団本部事務局の森脇さんから、岐阜五月集会にちらしを配ったらどうかというおすすめをいただき、急遽作ったちらしを配布してもらいました。

 詩はそもそも自分の内面や人生をさらけ出すうえ、いずれもほめられすぎで気恥ずかしいのですが、作った以上ひんしゅくを買うことを心配しつつ、ずうずうしく売ることにしました。

 詩集は四月二一日に三〇〇冊、その後ちらしは一五〇〇枚作ったのですが、一部贈呈したうえで、岐阜五月集会には、詩集五六冊(六〇冊のつもりでしたが、もう在庫がほとんどなくなっていた)とちらし五八〇枚を用意しました。結局すべてなくなり、少し不足しました。参加者の一割の方々のご協力ありがとうございました。その後、少し手直しのうえ第二版を増刷しました。ちば民報社からの取材も来ています。

 感性は人それぞれなので、気に入ってくれた方も多いのですが、お気に召さなかった方がいたらごめんなさい。

 その後も詩作を続けており、いずれ第二集を出版します。「みみず」(みすゞではない)「悲しくつらいあなたに」や、ちょっと大人の愛と別れの詩などに加えて、「イージス艦事故におもう」「明乳争議団のたたかいに寄せて」「政策形成訴訟讃歌」など、新しいグループとして、告発やたたかいの詩も作っています。最後のものは日民協の法と民主主義5月号の文芸欄に掲載されました。引きつづき、たたかいに寄与する詩にも力を入れたいと思っています。

 以上ご報告とお礼まで。



スポーツ選手の権利はどこに?

―我那覇選手事件を通じて(1)

(我那覇選手弁護団の一人として)

東京支部  土 井 香 苗

 我那覇和樹選手(川崎フロンターレ)がCAS(スポーツ仲裁裁判所、スイス・ローザンヌ)に仲裁申立をした事件で、二〇〇八年五月二七日、CASがJリーグのドーピング禁止規程違反処分を取り消し、大きく報道されました。

 我那覇選手弁護団は、当初、望月浩一郎弁護士、上柳敏郎弁護士、伊東卓弁護士で構成されました。スポーツ法の研究会で共に活動していた仲間でした。上柳弁護士は、千葉すず選手の事件で、(財)日本水泳連盟側の代理人としてCASの審理にかかわっていた経験もありました。上柳弁護士は、早稲田大学法科大学院の現役教員で、なかなか弁護活動時間を確保できないため、同事務所の私と和田恵弁護士がサポートに入ったのです。

 その後、CASの審理が遅れて、伊東弁護士が、四月に日本弁護士連合会事務次長に就任した関係で弁護士会活動に専念せざるを得ず、私と和田弁護士は、伊東弁護士に代わって弁護団の中心となって、我那覇選手と後藤医師の尋問も担当することとなりました。

 和田弁護士は、弁護士として最初の尋問がCASでの尋問という、弁護士冥利につきる強運に恵まれたのです。

 ビルマ(ミャンマー)やスリランカ、中国をはじめとする国内外の人権課題に取り組む私が、まるで分野の異なる世界に飛び込むことになってしまったのですが、やってみたら、華やかなスポーツ選手の実情は、実に無権利状態だったことを知りました。

 最初に、事件を紹介します。

Jリーグは何をドーピング違反として制裁を科したのか
 ―点滴治療の内容

 二〇〇七年四月二〇日、我那覇選手は、風邪で投薬を受けました。

 二一日には試合(対浦和レッズ戦)に出場し初得点をあげたものの、その後風邪がぶり返し、二二日からはひどい下痢と食欲不振が続き、全く食事ができませんでした。水を飲むとすぐ下痢となるため、水分摂取もままなりませんでした。それでも、FWレギュラー争いが厳しいため、我那覇選手は、体調不調をおして、二三日に行われた二時間のチーム練習に加わりました。

 プロサッカーの練習は運動量が多く、発汗により失われる水分も多量です。失われた水分を補給するために、普段なら練習中に1500mlの水を摂取します。ところが、我那覇選手は、二三日の練習ではその一〇分の一程度の水を摂取できただけでした。

 一般に成人は、一日で2500mlの水分を摂取して、同量を排出します。摂取する水分の内訳は、食事から約1000mlを、水やお茶など水自体を飲むことで約1200mlを、体内の代謝で300mlであると説明されています。我那覇選手の場合は、二日間の絶食+ほとんど水分をとれない状態にあり、加えて激しい運動を行ったことで、脱水状態に陥っていたことは、医師でなくても容易に想像がつく状況にありました。

 我那覇選手は、練習後は全身倦怠感を強く感じ(脱水の症状の一つ)、川崎フロンターレクラブハウス内にあるフロンターレクリニックで、後藤医師の診察を受けました。我那覇選手は受診時には、食事も水分の摂取もできないと説明をしました。体温は38.5度ありました。

 後藤医師は、我那覇選手の症状の内、特に脱水に対しては緊急の治療が必要と診断して500〜1000mlの点滴を開始しました。フロンターレクリニックは、川崎フロンターレの選手だけを対象とした同クラブハウス内にある小さな診療所です。薬品庫にある薬剤は限られていました。クリニックの薬品庫の中にあった500ml/本の輸液ボトルは全てACL戦(アジアチャンピオンズリーグ)のために海外での試合用に持って行けるようにパッキングされた状態であり、薬品庫には100ml/本の生理食塩水があるのみでした。

 後藤医師は、100ml/本の生理食塩水のボトルを使用して点滴を開始しました。二目の点滴には、診療所薬品庫にある薬剤から、我那覇選手が食事を十分とれていなかったことを考慮してアリナミンF(ビタミンB1) **1を100mgを加えました。約三〇分をかけて200mlの点滴が完了した時点で、我那覇選手は症状が少し改善し、何とか水を飲める状態になりました。後藤医師は、我那覇選手が自動車を運転して帰宅することを考慮して、症状が改善したことを慎重に確認した上で治療を終了しました。これが治療行為の全容です**2。

「サッカーヘルスメイト」(診療録)には次のとおり記載が残されておりました。

「general fatigue」(【注】全身倦怠感) 「appetite loss」(【注】食欲不振) 

「diarrhea」(【注】下痢) 「気分不良」 「水分食事摂取困難」

「関節痛 -(マイナス)」 「BT:38.5」(【注】body temperature【体温】の略)

「soft」「flat」・・腹部 「bowel sound←←」(腸音亢進)

「oral」(【注】口腔)「sore throat」(【注】咽頭痛)・・上咽頭部中心及び周辺部腫れ

「div(【注】drip intravenous injectionの略 点滴) 生食 100ml×2(【注】生理食塩水の略) VitB1(【注】ビタミンB1) 100mg」

「PL(【注】総合感冒薬 1日3包」 「ビオフェルミン(【注】整腸剤)1日3グラム」

「少しよいと様子観察」

 なお、Jリーグの指示を契機に、我那覇選手に二五日に行われた血液検査において、CRP(標準値が0.3以下)が0.54と、軽度の炎症があることを示していました。**3

**1 アリナミンFの薬品説明書は、効能として、「ビタミンB1の需要が増大し、食事からの摂取が不十分な際の補給(消耗性疾患、甲状腺機能亢進症、妊産婦、授乳婦、はげしい肉体労働時等)」を上げており、後藤医師は、これに該当すると判断しました。

**2 CAS決定15〜18項。

**3 CAS決定23項は、「検査の結果は、我那覇氏の症状と上記のとおりに記載された治療と矛盾するものではなく、軽度の炎症があることを示していた」と判断しています。

(次号に続く)