過去のページ―自由法曹団通信:1277号        

<<目次へ 団通信1277号(7月1日)



岩月 浩二 「名ばかり弁護団員」の見たイラク訴訟
小池 振一郎 裁判員制度実施を目前にしていま求められていること
高崎 裕子 『憲法を泣かせるな』
澤地久枝さんの講演と
シャンソンの夕べを企画して
玉木 昌美 すばらしかった宮尾講演(憲法講演会)
田篭 亮博 自由法曹団五月集会に参加して
谷川 生子 五月集会に参加して
中川 勝之 五月集会&総会を日々の活動の力に
土井 香苗 スポーツ選手の権利はどこに?
―我那覇選手事件を通じて(3)
(我那覇選手弁護団の一人として)
千葉 恵子 女性部二〇〇八年総会のご案内



「名ばかり弁護団員」の見たイラク訴訟

愛知支部 岩 月 浩 二

 去る四月一七日、名古屋高等裁判所において、航空自衛隊の空輸活動には憲法九条1項に違反する部分が含まれるとした判決がなされた。極端な司法消極主義を指導原理とする司法官僚制が貫徹する司法において、このような判決をなした裁判官の英断には、敬意を表さないわけにはいかない。判決報告集会で、古希を迎える弁護団長は、裁判官の勇気に対して、法廷で不覚にも涙ぐんだことを告白し、日本政府のイラク戦争支持表明に対して、反対の意思を表明したことからレバノン大使を解任された原告である天木直人氏は、同じ官僚制に身を置いた者として、裁判官の勇気に対する賛辞を惜しまなかった。

 しかし、単に裁判官が良かったという評価に止めるとすれば、今回の判決が弁護活動にもたらした大きな教訓を見逃すことになる。

 おそろしく単純化していえば、この判決がなされるに当たっては、五五期の若い二人の弁護士が果たした献身的役割は決定的に重要であった。

 判決全文を読めば、判決がイラクにおける戦闘状況、被害、米軍の活動、自衛隊の活動等を正確かつ詳細に認定することに過半の紙幅を割いていることがわかる。スローガンとして、「イラク全土が戦闘地域」と呼ぶことは易しい。しかし、判決文において、バグダッドは戦闘地域に該当すると断定するには、相当な慎重さが必要であることは当然である。裁判所がこうした事実認定に踏み込むことを可能にしたのは、若きT弁護士の努力だ。T弁護士は、手に入る限りの全てのイラク関連記事をスクラップして証拠化し、全ての期日において、現にイラクで起きていることをまとめた準備書面(毎回二〇頁から三〇頁に及ぶ)を作成し、提出し続けた。この地道で粘り強い努力が、裁判所が確信を持って、事実認定を可能にする基盤となった。四年間にわたって、記事を拾い続け、これをスクラップし、書面化するという作業の地道さと忍耐がどれほどのものであったか、弁護士であれば、容易に理解できるだろう。それも、現在の司法状況において、これが事実認定に反映されるという希望は限りなくゼロに近い中でこの努力は貫かれたのだ。

 もう一つ、例を挙げる。本件訴訟は、原告数三二五一、七次にわたって提訴された。五次訴訟までは一〇〇人台を維持していた提訴者数は、六次訴訟では一六名、七次訴訟に至っては一名であった。経緯は省くが、五次訴訟まで併合されていた訴訟は、六次訴訟、七次訴訟は、併合されず、別の部で審理されることになった。さらに、天木直人氏のみがイラク戦争と直接に結びつく特別な事実関係があったことから被侵害利益の面から分離されて審理されることになり、大規模訴訟が四つに分かれ、別々の期日が持たれた。その上に弁論更新の機会を奪い、強引に結審した裁判官に対する国家賠償請求訴訟を抱えることになり、五つの裁判を並行的に進めることになった。弁護団事務局長を務めたK弁護士は、本体訴訟のみでなく全ての期日に同じように全力を挙げて、弁論を準備し続けた。大体、原告が一人しかいない七次訴訟を提起すること自体が、傍から見れば無謀だ。さすがの「名ばかり弁護団」の私も、K事務局長から、七次訴訟でも、弁論時間を取って弁論をするので、原告の意見陳述を用意してほしいと言われ、やむなく協力せざるを得なかった。辟易したのは、この一人原告の七次訴訟の第二回期日においても、原告の意見陳述を用意して欲しいと言われたときだ。私は、さすがに、虚弱体質を理由にお断りした。その結果は、結局、K弁護士が、七次訴訟の二回目の原告意見陳述を自ら用意することになったのである。およそ普通に考えれば無駄としか考えられない意見陳述にK事務局長は、あくまでもこだわり続けたのである。そして、四つの一審判決の中では、平和的生存権に光を当てたという意味で七次訴訟判決が、最も貴重な判決となったのである。

 多少なりとも目先の利く者であれば、だれもが無駄と考えて回避するような膨大な努力を、若き二人の弁護士は重ねたのである。高裁判決は、彼らのひたむきな努力に光が当てられた瞬間でもあった。

 私はイラク訴訟の全期日に出席したが、主張書面は訴状以外に書かなかった「名ばかり弁護団員」である。本件訴訟と、いささか距離を置いた身であるからこそいえる。裁判官が良かったから、画期的な判決が出たという一面的な受け止め方は、この判決が弁護活動のあり方にもたらした大きな教訓を見落とす重大な誤りをおかすものだ、と。

 なお、本稿では触れなかったが、絶望するしかない時期も含め、粘り強く原則的な闘いを続けた原告団の運動、全国一二の地裁に起こされた同種の訴訟の提携も、今回の高裁判決を生み出す大きな要因であったことはいうまでもない。



裁判員制度実施を目前にしていま求められていること

東京支部 小 池 振 一 郎

 団通信本年六月一一日号玉木論稿に、先日の五月集会分科会での私の発言が紹介されているが、多少不正確(あるいは、私の発言が舌足らずだったか)なので、補足し、さらに、玉木論稿(以下、同論稿からの引用部分を「」で示す)に対する私の意見を述べる。

「歪な内容」か

 同論稿は、「被告人の選択権」、裁判員の「量刑判断」の「二点」を、裁判員制度の「歪な内容」として、「事前に」「最低限改め」るよう求める。

 「被告人の選択権」について。

 陪審制の場合の選択権とは、陪審制を選択する権利であって、裁判官裁判を選択する権利ではない。検察官の同意がなければ裁判官裁判を選択できないというアメリカの制度は、裁判官裁判を選択する権利とはいえないであろう。裁判員制度について、「被告人の選択権」を害するとの議論は、裁判官裁判を選択する権利があるという前提に立っているが、その前提に疑問がある。これは、制度論の問題に過ぎない。

 「裁判員を量刑判断からはずす」という点について。

 陪審制との対比からこのような議論が出てくることはわかるが、裁判員に量刑判断ができないと断じることはできない。参審制度では、参審員は量刑も判断する。裁判員制度になれば、裁判員だけでなく、弁護側・検察側双方にも、量刑相場表が示される。相場表を参考にしながら、双方の意見を聞いて、各裁判員が自主的に判断すればいい。それが事件ごとの個性というものであり、結局、これも制度論の問題である。

 従って、これらが裁判員制度の「歪な内容」とまでは思わない。また、立法に至るまでさんざん議論してきたこれらの点について、「改正を事前に、三年後を待つまでもなく、行え」と言っても、その現実性はないし、そもそも「最低限」の前提とする論点だとは思わない。これらが実現しない限り裁判員制度実施の延期を求めるという議論は、結局、裁判員制度をつぶせという議論につながる。

獲得すべき課題

 私は、五月集会で、「今回の裁判員制度導入の中で従来手がつけられなかった部分に手がつけられ」、と取調べ過程の一部可視化、保釈・勾留の運用改善、無罪判決の増加に触れた。しかしこれは、「逆に言えば、別に裁判員制度を実施しなくても改革できることを示した」ものではない。裁判員制度導入を控えているからであって、裁判員制度と無縁に実現しているものではない。これらはもちろんまだ部分的な「成果」に過ぎないが、裁判員制度の実施を梃子に、大幅に拡大しなければならない課題であるし、その可能性は十分ある。

 「死刑を裁判員裁判により多数決で決めることが出来ることの問題性」は確かにある。だから、いま、裁判員制度の下では死刑は全員の同意を必要とするとの議員立法の準備が進められている。ちなみに、アメリカでは、陪審員は量刑に関与しないとされているが、死刑という結論を出す場合には、陪審員の評決が求められている。

 死刑について、これほど国民の関心が高まったのは裁判員制度が背景にあるからであろう。先日ジュネーブで開かれた国連人権理事会で日本政府が各国から最も追及されたテーマが死刑問題だった(その二日前に開かれた韓国の審査では、韓国で十年間死刑執行が停止されているが、執行停止では生ぬるい、死刑廃止の法制定をするよう迫られていた)。

 また、推定無罪の原則を徹底するならば、「無罪に対する検事控訴は認めない」という問題も、控訴審では裁判員制度がないという問題と絡んで、ようやく国民の関心を呼ぶことになるであろう。

 ただ、そもそも今まで実現しなかった課題がそう簡単に実現するものではない。これらが実現しなければ裁判員制度を実施すべきでないという議論は、実現する展望を示しておらず、結局、裁判員制度をつぶせという議論に収斂する。これらは国民の司法参加を実現する過程で獲得すべき課題である。

いま最も求められていること

 私は、制度上の大きな問題点としては、「公判前整理手続後の」弁護側の主張・「立証制限」、証拠の目的外使用禁止、守秘義務の厳格化であると思っている。

 いまここでこれらの問題点を指摘することは重要である。

 ただ、いま最も求められていることは、国民に裁判員制度の市民参加の意義を訴え、前向きに受けとめてもらい、参加意欲を共有していくことである。そのためには、現在の日本の刑事司法の問題点を指摘し、それを変革するために、裁判員制度を梃子として公判段階を改革し、そこから捜査段階を改革する視点が必要である。

 「『核心司法』論の危険性、捜査構造に手をつけないままの改革は捜査の不可視化につながる」という今村核団員の指摘は、供述調書の矛盾・変遷を突いて無罪を勝ち取るといった精密司法下の弁護活動のやり方が裁判員制度では困難になるという趣旨であろうが、それは現在の精密司法を前提とする立論である。

 確かに、公判段階だけ変わっても仕方がないという指摘はわからないわけではない。日本の刑事司法が、警察・検察の描いた捜査構造に乗っかり、公判がそれを追認する場になっているという歪さにこそ最大の問題があることにはおそらく異論がないであろう。問題は、どのようにすればこの捜査構造に手をつけることができるかであり、ここで裁判員制度を葬り去って、捜査構造を変革する展望があるのかということだ。むしろ、公判段階を改革することによって、捜査構造にメスを入れることが最も現実的な展望であろう。

 公判前整理手続は始まったばかりであり、裁判員制度が近々始まる。最初が肝心である。ここでいい方向で実績を作っていくことがその後を規定する。

 公判前整理手続では、現場のまだ頭が切り替わっていない裁判官と対決し、『やむをえない事由』を拡大して被告人の権利を実質的に拡大すること。

 裁判員制度では、運用上は、連続開廷をどうするかという問題がある。「連日開廷」とは必ずしも限らないが、無罪を争う本格的な事件で、三日程度で終わるはずがないし、終えてはいけないケースはかなりあるだろう。調書裁判を打破する絶好のチャンスであるから、供述調書の安易な証拠採用と徹底的にたたかい、本当の公判中心主義を実現するために全力を尽くすこと。

 いま動けば変わる。制度が始まったばかりの試行錯誤のときこそ、頑張れば頑張るほどその効果が現れ、実績として先につながる。

 制度の問題点はそのたたかいの中で訴え、世論の共感を拡げて、三年後の改正につなげていくことであろう。



『憲法を泣かせるな』

澤地久枝さんの講演と

シャンソンの夕べを企画して

北海道支部  高 崎 裕 子

 六月七日、「9条の会」の呼びかけ人で作家の澤地久枝さんをお迎えしての、「たかさき法律事務所9条の会」の設立二周年記念企画は、会場関係者も、始まって以来の人と驚くロビー等第四会場までの一二〇〇人を超える市民が参加し、憲法9条を守ろうという熱気に溢れました。

 昨年暮の世話人会で、澤地さんは札幌で講演されていないので、二周年記念に是非お招きしたいということになり、幸いにも実現の運びとなりました。

 昨年、札幌市内の約八〇の「9条の会」等の皆さんと共同で市民集会を成功させることができました。今度は、単独の企画で大変だけれど、これまで関わりのない新たな層や人々にも広く呼びかけ、一歩ずつ9条を守る輪を広げようと世話人会で議論を重ねました。

 シャンソン関係の知人を持つ世話人が、シャンソンは反戦歌も多く講演も女性なので、シャンソンと組合わせるなら音楽の好きな人にも広げられるとの提案がありこの企画になりました。

 約四四、〇〇〇枚のチラシを作り、メーデー会場(労連系、連合系)や大通公園、弁護士が講師の学習会はもちろんあらゆる集会に声をかけ、チラシ入れの作業にも参加し、チラシを配布。歌手とピアニストも快く、関係者へのチラシの配布を協力して下さり、運動の輪が広がりました。

 宣伝カーの提供もあり、初めてマイクを手にする会員も参加する等、とにかくあらゆる繋がりを活かし幅広く宣伝しました。

 今回は、四六〇余名の札幌弁護士会の全会員の受箱にも手紙を添えて配布しました。チラシを見た事務員さんが自分の知り合いにも渡したいのでチラシを欲しいと電話を下さったり、当日も弁護士やご家族、事務員さんも参加し、帰り際に声をかけて頂きました。

 また、昨年の市民集会で共に汗を流した人々が、昨年は楽しかったとさまざまな形で協力してくれました。

 北海道新聞や赤旗にも働きかけ、記事が出ると、早速、問い合わせの電話が一日五〇件位来て、うれしい悲鳴を挙げました。六月一五日付北海道新聞に、紙面の四分の一に澤地さんの写真入り講演要旨が掲載されました。

 当日は、若い人や女性の参加が目立ちました。この種の集会には縁がなかった音楽関係者の方も多く参加され、従来にはない広がりを実感できました。

 シャンソンでは、反戦歌「ハノイの恋人」等に、参加者が涙を拭い感動に包まれ、又、歌手の巧みなトークと楽しい歌にアンコールの声がかかり、楽しく盛り上がりました。

 澤地さんは、故小田実氏からの手紙「大きな力を持つ大きな人間が大きな戦争をする。実際に戦うのは小さな人間。小さな人間が嫌だと言ったら大きな人間は無力だ」(要旨)を引用し、「昨年七月小田氏が亡くなった後、『国民一人ひとりには志があり、それは誰も奪えない。個を確立し、日本の社会を強くしよう』と改めて決意した。9条の会のネットワークを二一世紀・二二世紀の将来に残すこと、それが『憲法を泣かせるな』ということです。」そして、「元気で、(悲壮とは正反対の)にこやかさを保って一緒に歩きましょう。」と訴えました。

 「9条を守れ」の闘いは、熾烈で、ともすると肩肘張りがちな私達に、肩の力を抜いてやろうよと激励されたと思いました。

 集会後、感動した、元気をもらったとの電話や手紙が寄せられ、私達が逆に励まされています。

 私事ですが、私は、弁護士になって間もない頃、偶然書店で「妻たちの二・二六事件」の「妻たち」という視点に心ひかれ手にして以来の澤地ファンです。客観的資料を地道に収集し、埋もれた歴史の真実に迫り、選び抜かれた言葉には、真実への真執な思いが込められています。

 とりわけ、小さき者、弱い人々への限りない愛に溢れ、辛いテーマであっても、生きることの素晴らしさ、勇気や希望を与えてくれます。

 そんな澤地さんが、「退くわけにはいかない」との強い決意で「9条の会」の呼びかけ人になられたことは、満州で敗戦を迎え「平和」の輝きを胸に刻んで歩み続けた必然の「一本の道」なのだと改めて思いました。

 その、澤地さんの講演は、まさに、命をかけた心からの叫びとして私達の心に重く深く響きました。

 私達は、やがてこの世を去りますが、次の世代につなげ発展させていくために、知恵を寄せ、思い切った運動をしていく必要を痛感します。本気になって工夫するならば、可能だとの確信を深めることができました。



すばらしかった宮尾講演(憲法講演会)

滋賀支部  玉 木 昌 美

 滋賀・弁護士九条の会は、細々と役員会を続けていたものの、独自の企画を打てないでいた。これではいけないと本年五月一二日には、全会員を対象に例会を開催し、ビデオ「イラク 戦場からの告発」等の上映をしたものの、参加者はわずかであった。

 そして、この六月九日、久しぶりに市民向け企画として、憲法講演会を開催した。日弁連の憲法委員会で活躍されている、奈良弁護士会所属の宮尾耕二団員を講師に、「憲法は何のために誰のためにあるのか」と題して講演していただいた。憲法の基本に立ち返るのにふさわしい講師であるということと、奈良弁護士会で『憲法って、何だろう?』を作成され、若者向けの活動をされていることから、講師をお願いすることにしたものである。

 冒頭三〇分間、日弁連の人権大会で上映された「ビデオレターこの人が語る憲法」の前半を上映し、その後、代表の一人である元永団員の挨拶のあと、メインの宮尾講演となった。

 宮尾団員は、まる九〇分、軽妙な語り口でわかりやすく憲法を語られ、参加者はその内容の濃さと歴史を踏まえたお話に、目からウロコという感じで感動した。そのすばらしさは、参加者から寄せられた沢山の感想にも現れている。たとえば、「今まで参加した九条の会で一番良い内容の講演だった。感情論や思想論におちいらずに、学ぶことが多く、好奇心が刺激され、ためになった。」、「非常にわかりやすく、歴史の含蓄も多かった。」、「歴史を解きおこし、また、今日的な新自由主義、グローバリゼーションとの関わりでの自民党の新憲法草案が出てくる背景が興味深く聴けた。」「憲法改正の底流に多国籍企業育成の思惑があるということ等実に示唆に富んだ話。」「退屈しなかった。子供の太平洋戦争は自分にとっての日露戦争というのはナルホド!!」「戦前から、九条1項と同内容の条約があり、日本もそれに加盟していたこと、それだけでは戦争を防げず、九条2項が日本国憲法に組み込まれた経緯に関するお話はなるほど!と目からウロコでした。」等であった。いずれにしても、参加者のほとんどが感動する内容であり、元気をもらうことになった。誰も眠ることはなく、宮尾団員の「勝ち」であった。

 この日の参加者は弁護士、修習生、事務局、一般市民の四四名であった。私としては、近所の元自治会長や元依頼者等にも参加していただき、感激したが、修習生、団関係の事務局は勿論のこと妻まで動員したのに、参加者が少なかったこと、弁護士、とりわけ若手弁護士の参加が少なかったことは残念であった。せっかくのいい内容の講演をもっと多くの人に聴かせたかったところである。アンケートには「再び宮尾講演を」の声もあった。

 集会は、中日新聞、朝日新聞、滋賀民報は事前に企画案内をしてくれた。特に、朝日は、「航空自衛隊のイラク派遣は違憲との判決が名古屋高裁で出たが、戦争に参加しているという思いを実際に抱いている人は少ない。原点に立ち返って日本のあり方を考えてもらうきっかけになれば」との私のコメントまで掲載してくれた。

 滋賀・弁護士九条の会として、なかなか継続した取り組みができない中、今回の企画は大ヒットであったといえる。宮尾団員に感謝するとともに他の地域にも宮尾講演をお勧めする次第である。



自由法曹団五月集会に参加して

福岡支部 田 篭 亮 博

 さる五月二四日から二六日まで、岐阜県の下呂温泉にて開かれた五月集会に参加してきました。九州からの参加ということもあり、現地に着くまで五時間以上もかかり移動だけで疲れきってしまいそうになりましたが、ホテルに着くと、全国各地から大勢の団員が集まっておりその熱気に圧倒されました。

 私は、今回二四日のプレ企画から参加させてもらい、六〇期なので新人対象のプレ企画に参加しました。その中では、自衛隊のイラク派遣に対する名古屋高裁での違憲判決を勝ち取るまでについて、愛知県支部の川口団員より報告がありました。その報告は、イラク戦争のDVDを上映し私たちにイラク戦争の悲惨さを強烈に訴えかけるところから始まり、その戦争は他人ごとではなく、いまこの日本がしている戦争なのだと訴えるものでした。イラク戦争のDVDは衝撃的で、新聞の文字では伝わらない悲惨さが伝わりました(現実はさらに比べ物にならないほど悲惨であるのでしょうが)。この違憲判決は弁護団が毎回イラクの現状を訴え続け、執念で勝ち取った違憲判決だと思います。

 二五日、二六日の分科会には、改憲阻止の分科会に出席しました。

 ここでは、名古屋高裁の違憲判決や恒久派兵法の成立阻止に向けた取り組み等々様々な議論がなされました。現在、明文改憲自体は、世論の変化もあり、近々の課題ではなくなっている印象を受けますが、今度は、明文改憲ではなく解釈改憲、法律で憲法を事実上変えようという動きがあります(恒久派兵法がその典型でしょう)。その流れに負けないよう、恒久派兵法の危険性等を広く知らせていき世論を味方につける必要があると思います。

 五月集会、総会に参加する利点は、やはり全国各地で頑張っている団員の活動報告を聞くことで、全国で起きている最新の問題を知ることができるとともに、それに対する団員の取り組み、熱意を直に感じることができる点だと思います。報告を聞くだけでも、とても刺激を受けます。また、各地の同期と知り合いになれることも五月集会の利点だと思いました(二四日の夜は、六〇期だけで懇親会をさせていただき懇親を深めることができました。)

 また、五月集会や総会の楽しみといえば、各地の名湯を堪能することもできる点だと思いますが、下呂温泉は、三大名湯の一つに数えられるだけあり、そのお湯は普段仕事で疲れた体を癒してくれました。名物飛騨牛も絶品でした。五月集会、総会の醍醐味はこういうところにもありますよね。



五月集会に参加して

埼玉支部  谷 川 生 子

 私は、今回六〇期の新人として、初めて自由法曹団五月集会に参加しました。五月二四日のプレ企画から参加し、二五日の分科会は貧困問題を選択しました。

 貧困問題への興味もさることながら、団員であるにもかかわらず、自由法曹団とは?団員とそうでない人の違いは?という質問をされると答えに窮するという体たらくの私は、今後、もう少しましな答えができるようになるのではと密かに期待して臨んだ集会でした。

 今回の集会全体を通じて、最も印象に残っているのは二四日の新人学習会におけるイラク派兵差止訴訟に関する川口先生の講演です。実際裁判で上映されたDVDに衝撃を受けると共に、先生方の活動の姿勢に感銘を受けました。イラク訴訟に関しては、栃木での実務修習中、若干弁護士の活動を拝見する機会がありました。東京高裁に係属している段階でしたが、期日において傍聴してみると、裁判所の対応は非常に冷たいものでした。このつれない裁判所を振り向かせ、違憲判決を得るのにどれだけの時間と労力をさかれたのか。川口先生の「どんな裁判体でもきっと違憲判決を書かせる。書かざるを得ないような活動をする。」という言葉を聞いただけでも、集会に参加した意味があったと思います。何より、先生が遠いイラクでの出来事を自分の問題として受け止めていることが、印象的でした。弁護士は鈍感であってはいけないのだと再認識した講演でした。

 また、二四日には新人の懇親会もあり、この場でも意欲に溢れた同期のエネルギーを感じました。新人ならではの苦労を語りつつも楽しそうな同期の姿に、励まされる気がしました。いろいろな地方の同期と知り合うというのは、全国的な集会ならではの貴重な機会と思います。

 二五日の全体会は、壮観だと聞いていましたが、実際そのとおりでした。確かにこれだけ大勢いれば何かできそう、というような?

これが「団」というものかと漠然と考えておりました。分科会は、私が初めて貧困問題に触れたのが、ホームレスの被告人の国選弁護であったことから、情状弁護に関わる生活保護について特に興味がありました。法律家がどのように貧困問題に取り組むかというのは、今後自分なりに考えなければならない課題だと思っています。

 諸先生方には叱られそうですが、今後、「団員とそうでない人の違いは?」と聞かれたら、「特にないけれど、団の集会に参加して珍しい(?)体験をするかどうかが違う。」と答えるかもしれません。経験を積んで、もう少し逞しい答えができるようになることを期待したいと思います。

 つらつらととりとめなく書いた上、拙い感想文で大変恐縮ですが、以上が五月集会に初参加した私の感想です。最後になりますが、貴重な体験をさせていただきありがとうございました。今後とも何卒よろしくお願いいたします。

以 上



五月集会&総会を日々の活動の力に

東京支部  中 川 勝 之

 まずは別件ですが、「九条世界会議」では全国の団員の皆様に多大なご協力をいただきました。ありがとうございました。

 さて、五月集会への参加申込の際、正直迷いました。どの分科会も興味深く参加したかったからです。一つに決めるとしたら貧困問題か労働の分科会と思っていたところ、団本部の社会保険庁PTとして、当該組合の方に実態を話してもらおうということになり、両分科会に参加することになりました。貧困問題分科会では、雇用・社会保険・公的扶助の三つのセーフティネットのうち、社会保険の一つである公的年金が解体されようとしている旨発言をし、具体的な問題点について組合の方に発言してもらいました。そして、翌日の労働分科会では、社会保険事務所で過労死寸前の働かせ方が横行しており、今後団として実態調査に行く旨発言をし、やはり具体的な実態を組合の方に発言してもらいました。

 そして、全体会では、生活保護の決議を採択するということで、六月二六日判決予定の東京生存権裁判についての発言の機会もいただきました(同日不当判決)。

 昨年十月の団総会では新人弁護士としてやや受け身の立場で参加しましたが、今回の五月集会では三度も発言の機会をいただき、団員としての自覚を強めるに至りました。

 全体会、分科会の発言を毎回楽しみに聞いています。全国の団員から報告集には記載されていない貴重な話が聞けるからです。私の今回の発言はそうした話ではなかったと思いますが、聞いて良かったと思える発言を自分自身ができるようにしたいと思っています。

 社会保険庁問題について言えば、実は私も勉強し始めたのは最近のことです。消えた年金とか報道されているうちに社会保険庁解体の方向となったときに何故だろうと思っていたのですが、社会保険庁PTに参加し続けてその実態が分かってきました。会議に出ればレポート等の課題が課せられるのですが、それに向け調査をし、提出した書面には先輩団員がコメントをするので大変勉強になります。弁護団会議に出て分担を決めるのと同じです。日々事件処理が多忙な中で団の活動に参加するのは大変ですが、貴重な経験をさせてもらっていると実感しています。

 五月集会の新人学習会の中で、多忙で日々の仕事に追われがちになったときに大局的・客観的に自分を見ることが必要になること、団の五月集会と総会には、毎回出席するクセをつけることという新入団員へのメッセージがありました。正にその通りだと思いました。今回でさえ五月集会前には仕事が立て込み困ったのですが、それでも参加したらまた半年、総会まで頑張ろうという気になりました。メッセージの中では毎回必ず出席することは難しいかもしれないから少なくとも「出席するクセをつける」とのことでしたが、やはり五月集会と総会の自分における位置づけが大事だと思います。私としては五月集会と総会には必ず参加してそれらを半年間の日々の活動の力にし、日常的には団通信を読み、微力ながら団員の一人として奮闘したいと決意を新たにしたのが今回の五月集会でした。



スポーツ選手の権利はどこに?

―我那覇選手事件を通じて(3)

(我那覇選手弁護団の一人として)

東京支部  土 井 香 苗

処分後の経過

 我那覇選手に対しては、Jリーグの決定は最終的なものであり、不服申立方法もないと説明されました。我那覇選手は、「おかしい」とは思ったものの、「サッカー選手としてプレーに専念しよう」と自分自身を納得させようとしました。しかし、自分の中でも割り切れない気持ちが続いていました。

 その後、Jリーグのチームドクター全員が一致してJリーグの判断に疑問を示しました。また、上記のとおり、日本・アンチドーピング機構や世界ドーピング防止機構も、チームドクターたちの意見を支持する見解を示しました。我那覇選手の「この処分はおかしいのでは?」という疑問は次第にふくらんでいきました。

 二〇〇七年一一月五日、後藤チームドクターが日本スポーツ仲裁機構(JSAA)に対して、Jリーグの処分は誤りであると主張して、仲裁の申立をしました。

 多くの競技団体は、JSAAの仲裁条項に同意をしていますので、関係者の申し立てで自動的に仲裁手続きが開始されます。しかし、JリーグはJSAAの仲裁について事前の同意をしていませんでした。JSAAで仲裁を開始するためには、Jリーグが個別に仲裁に同意をすることが必要でした。

 Jリーグは、一一月一二日午後記者会見を行い、仲裁同意を拒絶しました。鬼武チェアマンは、拒絶の理由を、後藤医師は処分対象者ではない、「本件は当事者であるJリーグと、我那覇選手、川崎との間において、すでに解決済み」と発表しました。

 しかし、これは事実に反しています。我那覇選手は、川崎フロンターレに対して、一一月一二日午前には、Jリーグに「自分も真実が知りたい。後藤医師の仲裁申し立てを是非受けて欲しい。」という意思を伝えていのです。

 Jリーグは、同日のJリーグの記者会見後に、川崎フロンターレを通じて我那覇選手の意向を知ったと説明しました。しかし、翌一三日には、鬼武チェアマンは、「(我那覇の)考えを事前に聞いていたとしても、同意しないという結論は変わっていなかった」と話しており、Jリーグ自身の説明が変わってしまいました。

 世論はJリーグの仲裁拒否に批判的でした。文部科学省は、一一月二一日、Jリーグに早期解決を指導しました。この結果、Jリーグ(羽生事務局長)は「FIFAで審理をしつくしても不服があればスポーツ仲裁裁判所(CAS)にいってもらう」と話し、我那覇かクラブがCASに申し立てをすれば仲裁に応じると回答せざるをえなくなりました。

 後藤医師は、川崎フロンターレの意向に反してJSAAへの仲裁を申し立てたため、最終的に川崎フロンターレチームドクターの地位を失いました。

 我那覇選手は、Jリーグが後藤医師の仲裁を拒絶した時点で、自ら第三者の判断を求めなければならないと思い出しました。

 我那覇選手は、「三歳になる子どもがサッカー選手になりたいと言い出した。サッカーを裏切るようなことはしていない。わが子にもサポーターにも胸をはってサッカーを続けたい」という気持ちでした。

 我那覇選手は、知人を通じて弁護士を探しました。そして、ドーピング問題をアジアスポーツ法学会で報告をしていた望月弁護士を紹介されました。

 このころ、Jリーグは、我那覇選手に対して、期限を切ってCASに対して仲裁を申し立てるか否かの判断を求めていました。その期限は一二月五日でした。弁護士にたどり着いたのはその直前でした。

 我那覇選手は弁護士に相談してからも、「サッカーに集中してピッチで結果をだすのが選手の姿勢ではないか」、「仲裁費用と弁護士費用を自分一人でまかなえるだろうか」、「サポーターがピッチ外で争うことを支援してくれるだろうか」と悩みましたが、結論として、一二月四日仲裁申し立てを決意しました。

 我那覇選手は望月弁護士と共に、一二月五日、川崎フロンターレ武田社長外に「仲裁判断を求める」と報告しました。川崎フロンターレは、我那覇選手を励まし、可能な限り協力をすることを誓ってくれました。

 望月・伊東両弁護士は、一二月六日の記者会見前に、Jリーグにあいさつに行きました。この時のJリーグの対応は、「ありえないことが起こってしまった」(よもや、我那覇選手がJリーグを相手に立ち上がることはないという意)という、非常な緊張感に包まれたものでした。

 弁護団は、スポーツ法の研究会のメンバーであった上柳敏郎弁護士、伊東卓弁護士で構成されました。上柳弁護士は、千葉すず選手の事件で、(財)日本水泳連盟側の代理人としてCASの審理にかかわっていた経験もありました。上柳弁護士は、早稲田大学法科大学院の現役教員で、なかなか弁護活動時間を確保できないため、同事務所の私と和田恵両弁護士がサポートをすることとなりました。

 その後、CASの審理が遅れて、伊東弁護士が、四月に日本弁護士連合会事務次長に就任した関係で弁護士会活動に専念せざるを得ず、弁護団活動に十分参加できなくなってしまったため、土井・和田両弁護士は、伊東弁護士に代わって弁護団の中心となって、我那覇選手と後藤医師の尋問も担当することとなりました。

 弁護団は、この事件は、我那覇選手の個人の権利救済という点で重要な事件であると受け止めました。それだけでなく、このような誤ったJリーグの判断が先例となると、日本の全スポーツ選手が必要な治療を受けることができなくなるという重大な誤りを放置することになり、日本のスポーツ界にとって大きな害悪を与える事件と考えていました。

 弁護団は、直接の依頼者である我那覇選手の負担を最小限にとどめながら、迅速に、公正な結論を得て日本のスポーツ界に最良の結論を得ることを目標としました。

仲裁の場はJSAAかCASか?

 我那覇選手と弁護団は、二〇〇七年一二月六日、仲裁申し立てをすることを発表すると同時に、Jリーグに対して、CASではなくJSAAの仲裁に同意をすることを求めました。

 我那覇選手と弁護団は、CASでの審理にどの程度の費用がかかるか積算はしていないものの(当時は積算できるほどの資料もありませんでした)、千葉選手の例を考えても一〇〇〇万円を超えることは明らかであり、まず、経済性の観点からJSAAにおける判断を希望しました。

 JSAAの仲裁人は、国内のスポーツ法に関係する大学教員・法律家などから構成されています。JSAAは、二〇〇七年七月九日には、「裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律(ADR法)」に基づく第一号の認証を得ています。公正・中立な仲裁判断を求めるとの視点からもCASと同様に優れた組織です。日本において日本語で審理をするのですから、日本の事件の解決を求める上では、迅速性の観点からもCASより利点がありました。

 しかし、Jリーグは、「サッカー界におけるドーピングの国際基準、最高水準にあるCASに申し立てるなら合意して、対応する」として、経済性・迅速性の点で合理性の高いJSAAの仲裁を拒絶して、スイスにあるCASの仲裁に固執しました。

 我那覇選手は、やむなくCASでの仲裁を選択せざるを得ませんでした。弁護団は、この段階でも、Jリーグを翻意させ我那覇選手の負担が少ないJSAAの仲裁を実現すべく各方面に働きかけをしました。その中で、「JSAAでもCASでも結論は同じ(我那覇選手の潔白が証明されるとの意味)。ここでJリーグを説得してJSAAの仲裁を受けさせてもいいが、そうすると、JリーグはJSAAの決定に様々異議を述べて解決が遅くなる可能性がある。我那覇選手は大変だろうが、CASでの審理に応じて早く結果を出してもらう方が良い。結果としては早く解決する」というアドバイスを弁護団はもらっていました。

 今回、Jリーグが、CASの決定にさえ不満を漏らし、誠実にCAS決定を実行しようとしない姿を見ますと、この助言は、そのようなJリーグの姿を見通した的を得たものであったと思います。ただし、自らが「最高水準」と言っていたCASの決定にさえ素直に従おうとしないJリーグの現在の姿は、この助言者もさすがに予想していなかったと思います。(続く)



女性部二〇〇八年総会のご案内

女性部事務局長 千 葉 恵 子

 皆様おかわりありませんか。

 さて、すでにお手紙差し上げていますが、下記のとおり二〇〇八年の女性部の総会を行います。憲法問題を中心に討議する予定ですが、何か討議したいテーマ、報告したい内容などがありましたら、出欠のお返事とともにお知らせ下さい。また、欠席の方は是非近況をお知らせ下さい。

 日時 二〇〇八年九月五日(金)
     一三時〜九月六日(土)一二時まで

 場所

 宿泊場所 琵琶湖ホテル
  〒520-0041 滋賀県大津市浜町2-4
  電 話 077-524-7111
  FAX 077-5241384

 会議場所 滋賀県弁護士会館
  〒520-0051 滋賀県大津市梅林1-3-3
  電 話 077-522-2013        

 費用

  宿泊希望の方(一泊朝夕食付、懇親会費、会場費含む)
  二万二〇〇〇円
  個室希望者は、二万六〇〇〇円となります。
  懇親会のみ参加の方
  八〇〇〇円 

 ※東京からご出発の方で、往復新幹線ご希望の方は、出発時刻はこちらで決定しますが、往復新幹線のチケットをこちらで手配することも可能です。
 東京からの往復交通費も含めた費用は、四万五〇〇〇円(個室ご希望の方は四万九〇〇〇円)です。