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阿部 浩基 「静岡空港に飛行機は飛ぶか」
樋口 和彦 裁判員裁判は冤罪を防ぐか
田中 富雄
門屋 征郎
司法改革 過去からの教訓
―司法における憲法理念の実現を目指して―
仲山 忠克 米軍基地問題交流会へのお誘い
萩尾 健太 国鉄労働者一〇四七名JR不採用問題の全面解決を求める団体・個人署名のお願い
江上 武幸 パンフ「押し紙を知っていますか?」の配布について
大江 洋一 『官製ワーキングプアを生んだ公共サービス「改革」』(城塚健之著・自治体研究社)をお薦めします



「静岡空港に飛行機は飛ぶか」

静岡県支部  阿 部 浩 基

 一九〇〇億円もの巨費を投じた静岡空港は来年三月の開港をめざして、工事が急ピッチで進められている。場所は、お茶で有名な牧ノ原台地の一角である。

 反対地権者、共有地権者は、土地収用に対抗して、事業認定取消、収用採決取消の訴訟を提起して、現在審理中である。

 羽田、中部という大空港に挟まれ、新幹線、東名高速など交通網の整備されている静岡県に空港をつくっても利用者は少なく、赤字空港になることは必至である。それにもかかわらず、静岡県は、年間一〇六万人という需要予測をたて、それを根拠に公益性があり、赤字にもならないと主張して、計画を強行してきた。しかし、開港を来年に控えて、航空各社の就航予定が明らかになるにつれ、どう計算しても、四〇万人前後にしかならないことが誰の目にも明らかになってきた。最大の需要を見込んだ新千歳便は五〇万人の予測のところ、一四万人にすぎない。この五〇万人という数字が二五〇〇メートル滑走路の根拠となっており、一四万人なら二五〇〇メートル滑走路は認められなかったのである。さすがに、石川県知事でさえ、赤字開港になることを認めざるを得なくなっている。

 しかし、いかに需要予測が間違っていたかを立証しても、どうにも止まらないのが公共工事である。ダム建設はその典型であろうか。裁判所など何の頼りにもならない。そう思い、地団駄を踏んで、開港のテープカットを見るしかないのか、と諦めかけていたところ、ここにきて、ひょっとすると、工事は終わっても、飛行機は飛ばないのではないかという可能性が出てきた。

 航空法は、飛行場は航空機が安全に離発着できるよう、水平表面、転移表面、進入表面(まとめて制限表面という)を定めている。進入表面は、静岡空港の場合、水平面に対して五〇分の一の勾配が必要である。その上に土地、植物、建造物が出ていれば、航空機が衝突する可能性があるので除去しなければならない。

 したがって、空港を建設する際には、制限表面の上に出ている土地があれば買収し、制限表面まで土砂を削るのが普通である。ところが、静岡空港の場合は、西側の制限表面(進入表面)にあたる場所に反対地権者の広大な土地が存在していたため、土地収用をかけざるを得なかった。静岡県は、収用委員会での収用地と非収用地の境界を現地で示すようにとの地権者の申し入れも無視して、収用手続を強行し、制限表面にかかる反対地権者の土地を取得した。そして、取得した土地を制限表面まで重機で削っていったのであるが、その過程で、収用していない反対地権者の土地と立木が制限表面に上に出ていることが明かとなった。工事が終わりに近づくにつれ、その部分だけがぽっこりと盛り上がって残っているため、一目瞭然である。しかも、滑走路の延長線のほぼ真ん中に残っているのである。

 杜撰な測量が原因であろう。

 これでは、空港の工事が完成しても、完成検査が通らず、試験飛行もできない。営業運行などできるはずがない。静岡空港に飛行機は舞い降りないのである。

 我々は訴訟でこの点を事業認定、収用裁決の違法事由として国(事業認定取消)や県(収用裁決取消)に事実関係の認否を求めているが、国や県は違法事由と関係ないとして事実の認否から逃げまくっている。

 静岡県は、今のところ、再度の土地収用をかける意思はないようであるから、来年三月の開港のために、今頃、国交省と一緒にウルトラCの屁理屈でも考えていることであろう。



裁判員裁判は冤罪を防ぐか

群馬支部  樋 口 和 彦


 団通信一二八二号で中野団員が裁判員模擬法廷で無罪が出た報告をされている。私は、裁判員裁判に賛成し得ないという立場だが、同制度で報告にあったような無罪判決が出るであろうことは否定しない。しかし、この事件での真相は果たしてどちらかは報告の限りでは判然としない。もし、被告人が本当に被害者を攻撃したのなら、無罪と言えど誤判である。この方向での誤判が許されるのは、無辜を罰しないという目的を達するために、裁判仕様を被告人に有利に設計し、そのために、たとえ有罪者を逃しても、それはやむを得ないという考えに基づく。誤った無罪それ自体に価値があるのではない。それは、いわば、必要悪である。有罪者を逃し、他方で冤罪を多数発生させるなら、制度自体に欠陥があるというべきである。

 この関係で、無罪率が日本に比較して圧倒的に高いアメリカにおいて、DNA鑑定等により多数の死刑囚の無罪が証明されたということはショッキングなニュースである。そのアメリカでさえ、判決の決定には陪審員の全員一致を必要とし、プレ・トライアルでの証拠開示を広く認め、無罪推定や証拠排除に関する教示を徹底し、少なくとも死刑事件においては、陪審員選定だけでも数週間を擁することがあり、審理期間も数ヶ月、ときに1年を越し、罪体審理と情状審理を区別して実施し、被告人のための情状証拠はできるだけ広く認めなければならないとするなど、誤判防止に努力してきた。これに比べて裁判員裁判の冤罪防止装置は圧倒的に劣る。アメリカ以上の冤罪が発生する恐れなしとしない。このままでは日本の刑事裁判は危うい。

 このような冤罪防止機能の欠陥は、裁判員法にたまたま個別偶発的な欠陥があるから生じたというものではない。そもそも、裁判員裁判は、国民の統治客体意識を克服し、統治主体意識を涵養するために創設されたもので、被告人のために考え出されたものではない。だからこそ、被告人には選択の余地が与えられなかったのである。そのための裁判員法であるからこそ、迅速性と分かりやすさが強調され(法五一条、規則四〇条等)、冤罪防止には無頓着、少なくとも重きを置かない。

 同じ団通信で伊藤団員は、国会で一度は決議した制度を延期するのは無責任だ、その「見直し」を求めて、実施はすべきだという。

 しかし、第一に、延期、廃止、延期なしの見直しのいずれを求めるべきかは、その法律の内容に対する価値判断にかかわらしめるべきことであって、国会で一度決議したか否かによるのではない。これまでも団は、一端成立した法律の即時廃止を求めて闘った歴史を持つ。

 第二に、先にも述べたように、裁判員法の本質は国民意識の涵養である。そのためには多くの国民が参加しうるものでなくてはならない。「分かりやすさ」や「迅速」が求められえる所以である。そこに冤罪防止の装置を埋め込もうとしても限界がある。到底、「見直し」程度でこの本質を変更させられるものではない。

 第三に、論者の言う「見直し」が実現しない場合に、延期するのか、強行するのか、そこを明示しないことこそ、無責任というべきではないか。

 今、私たちに求められるのは、経済的にも社会的にもある程度恵まれた立場から高見に立って、「弁護士の力量で相当結果が異なる」などと、のん気なことを言ってこの制度を喧伝することではない。もし、あなたが社会的に必ずしも恵まれない立場にあり、やってもいない殺人事件で逮捕・起訴されたとき、本当にこの裁判員裁判を受けたいと思うのかである。三日で死刑判決が出されたとき、その迅速性に満足し納得するか、である。



司法改革 過去からの教訓

―司法における憲法理念の実現を目指して―

東京支部  田 中 富 雄(二弁向陽会)
同     門 屋 征 郎( 同   )
(二〇〇八、九、五 文書・田中)

目 次

第一 戦後の団の先輩や弁護士会の改革方法

第二 臨司反対運動」とその教訓

第三 日弁連の司法改革運動と改革内容の複合的性格(次号掲載)

第四 司法改革の前進のために(次号掲載)

「教訓はいつも後からやってくる」

 アメリカは九・一一後戦争へと暴走した。これを鋭く批判した書中の名文句である(堤 未果「貧困大国アメリカ」岩波新書二〇三頁)。

 いま、五〇〜一〇〇年に一度あるかないかの司法改革が進む。弁護士会が揺れている。二弁向陽会創立二五周年を機に、戦後を出発点とし臨司反対から今次改革までを回顧した。

 それらから何を学び何を教訓とするか。内容は浅薄で、尊敬する大先輩・同僚への批判も含む。何卒ご容赦願いたい。

第一 戦後の団の先輩や弁護士会の改革方法

一 戦後改革の不徹底性

 現行司法制度は、一九四六〜四七年の憲法改正に伴う主要法制整備の一環として内閣と司法省が共同作業で成し遂げた。天皇に帰属した旧司法権は国民主権主義に沿うよう根本的に変革されたが、その内容は極めて不徹底といわれる。

 例えば、天皇の名の下に弾圧をほしいままにした裁判官は誰も追放されず、弾圧を可能にした司法官僚体制も形を変え最高裁事務総局に温存された(松井康浩「自由と正義」三七巻六号一九八六『戦後法曹一元の理念と現状』)。また、制度の内容でも国民の意見が反映せず、法曹一元を要求したGHQや弁護士会の意見すら無視された(「東京弁護士会一〇〇年史」五五五頁以下)。

 では、その後先輩たちはこれどのように改革しようとしていたか。

二 自由法曹団の司法改革構想

 改革の関心は、文字通り反動的な企ての「阻止」と諸制度の改悪「反対」にあった。

 具体的に「何を」「どのように」改革するか。司法改革に対する当時の動向を手許の資料から探ってみたい。

 自由法曹団(以下「団」という)は、一九四五年一〇月早くも再建会議を開き「司法制度の徹底的革新」など六項目の行動綱領を発表した(団刊「団物語・戦後編」六頁)。

 「司法制度の徹底的革新」とは何か。その有力な手がかりが大先輩の岡林論文(「法律時報」一八巻六号一九四六年『司法制度の民主化』)である。論文は「…日本の現在の司法制度は国民大衆を抑圧し欺瞞しそのすべての自由を奪って、暴虐な帝国主義戦争にかり立て司法制度は現在の支配階級の支配のための国家機構の一部であり、したがってまた現在の支配機構たる天皇制の廃止、民主人民政府の樹立によってのみ、司法制度の民主化もはじめて達成されうる…」と結論。

 具体的に、人民の政治的意識を司法制度に反映させる方法として、裁判官の選挙制,参審ないし陪審制、議会による検事総長の選挙制、警察署長の公選制など司法制度の徹底した民主化を主張する。

 この論文は、自由法曹団の数名の意見をまとめ発表したとされ(同「戦後編一五頁)、当時の団の中心的な考えと解される。

 徹底した民主化を主張した岡林先輩は、その後に「わたくしが主張した司法制度の民主化は何一つ実現していません。しかし、みせかけの民主化では、法律がどんなにきれいな言葉で人権をうたってみても、それは絵にかいたモチにすぎません。戦後の初期の「民主化」が、アメリカ占領軍の占領政策の転換の中で、反動化の道をたどっていったとき、人権の危機を直感しないでいられませんでした。」と語った(岡林辰雄「われも黄金の釘一つ打つ」大月書店一三四頁)。

 改革は、徹底的にやるのみ、「中途半端」では意味がない、との強調が再々目につく。

三 団および弁護士会の司法改革構想の違いと共通点

(1) 弁護士会の法曹一元論

 一九四六年六月日本弁護士協会(日弁連の前身)は、司法の民主化、基本的人権の擁護、法曹一元化の実現を目ざして創立総会を開いた。ここで「司法の民主主義的発展と運営は、法曹一元により始めて結実する。我等は之が実現に付全国民の理解と協力を熱望する。」と決議。以後この方針堅持の姿勢を断固貫いた。

(2) 「徹底的改革論」が残したもの

 民主人民政府樹立のもと「徹底的革新」を強調した団先輩の方針と、「法曹一元」の堅持を強調した弁護士会との間で、改革方法の内容は大きく違う。

 内容は違うが、注目すべき共通性が一つある。ともにあるべき理念、理想を高く掲げ、それに沿わない改革に断固「反対」という姿勢である。言い換えれば「あれかこれか」という「二分主義」的姿勢を堅持し、中途半端な妥協を絶対しなかった。その後十数年間、団の先輩たちの諸活動は、専ら弾圧反対や悪法反対に集中した。法曹人口増員、裁判の長期化の是正など司法の諸施策に取組んだ形跡がない(もちろん当時の情勢下で止むを得ない側面があったことを十分理解しておかなければならない)。また、同様に弁護士会においても特段の改革の成果が見当たらない。

 こうして「松川事件、砂川事件、朝日訴訟から八海事件…で裁判手続のあり方や裁判官の思想、検察の態度と弁護士の行動などについて…鋭い批判の能力を備えた人は少なくない…しかし、それらの人々も、わが国の裁判官・検察官・弁護士を養成する機構とその現状、裁判手続の実際など(の)…認識は低く関心は薄い」との指摘を受ける(我妻栄他「日本の裁判制度」岩波書店一三頁)。

第二「臨司反対」運動とその教訓

一 問題を残した「全面反対論」

 その後一九六二年に至り、内閣に設置された臨時司法制度調査会(以下「臨司調査会」という)は、司法全般の総合的な改革意見を答申(以下「答申書」という)した。

 しかし、日弁連は、答申書の狙い(本質)を、在野法曹が期待する法曹一元を棚上げし、裁判官のキャリアシステム強化・官僚体制強化を目指し、弁護士の在野性の抑制・自主性の制限を狙うものだとし多数で全面反対した。

 だが、答申書の中には、(1)裁判官増員、(2)弁護士任官、弁護士の大都市偏在化是正、弁護士活動の共同化、弁護士倫理の確立、弁護士会活動の活発化、弁護士の紛争予防的活動の強化、(3)法律扶助制度の拡充などが豊富に掲げられていた。今日法曹界が国民のためあげて取り組む改革課題と多くの点で重なる内容が掲げられていた。これはとても重要な意味を残した。

二 反対運動の「成果」

 日弁連で「全面反対論」の中核となった東弁の司法問題対策特別委員会は、後日反対運動を次の(1)、(2)のように回顧し、自賛している(同委員会刊『臨司二〇年の軌跡と今後の課題』―司法の民主化のために―一九八二、二、八刊)。

(1)反対運動内の意見の違い

 臨司調査会は、安保闘争二年後の一九六二年に発足した。その前後には憲法調査会、行政制度調査会などが発足。戦後民主主義への逆行が強まっていた。そのため弁護士会内でも、答申書は、裁判官不足や訴訟遅延対策を表向きの理由にし、司法の反動的再編を狙っているとの見方を強めた。その結果、日弁連の反対書作成作業では、に逆行する官僚体制強化に連がり法曹一元に反するものとして全面批判するA説(東弁、大阪、名古屋ほか)と、その内容に法曹一元に通じる部分もあるではないかとする是々非々論のB説(一弁、二弁ほか)が激しく対立。日弁連は、その後A説で全国の意見をまとめ強力な反対運動を展開しこれを潰した。

(2)反対運動の「成果」

 AとBの重要な違いのもう一つは、運動の視点をもつかどうかだ。つまり、Aは、批判書を単なる学術論文でも反対書面でもなく、国家権力の実行を阻止する運動の一環だと位置づける。そこに重点目標と事態の基本的性格を明記し、反対「運動」に役立つようにした。

 その後、臨司反対運動を契機に、弁護士会活動は、反対する課題については単なる「反対」から「運動」を組織する方向に発展した。それがその後の司法の官僚化・反動化を阻止する司法の独立を守る諸運動、弁抜き反対運動、拘禁二法反対運動、刑法改正反対運動、弁護士自治擁護運動等へ続いた。

 こうして、日弁連の諸運動は、以後大きく前進し成果をあげた。

以上が東弁委員会の回顧のポイントである。

 私たちも、臨司運動は、弁護士会が一つの大きな課題に立ち向かい一丸となって取組んだ歴史的快挙として積極的に評価したい。そして、その後弁護士会が掲記された悪法反対、司法反動阻止など人権と民主主義擁護のため世界にも誇れる成果をあげていったことは紛れもない事実である(但し、臨司反対運動と、その後の悪法反対運動等の発展との間に相互的な因果関係があるか否かは残念ながら不明である)。

三 反対運動の問題点

(1) 残る疑問

 だが、臨司意見に対する日弁連の対応は、まさしく「全」弁護士(「一部有志」でない)による国民のための司法改革運動であった。だから、そのような成果のみの強調で十分か、反対運動を通じ日弁連内に残した禍根はないのか、反省すべき課題はないのか、率直に問い正したい。

(2)傾聴すべきB側の複眼的視点

 これに対し、私たちが忘れてはならないB側の意見がある。一、二紹介しておく。

 先ず、反対意見書発表後一弁臨司委員会(伊藤晃夫委員長)は、日弁連に反省を迫る次のような趣旨の要望を提出したとされる(第一東京弁護士会全期会「全期会二〇年」一九七三、七刊二〇八頁以下)。

(1)臨司以来、裁判所と弁護士会との間の深い溝が取り払われず、…裁判所の計画する司法の改革について、日弁連はすべて反対という印象を受ける、

(2)日弁連は、何でもかんでも反対する団体だと評価されてしまい、重大な反対運動においてすら、効果が弱められてしまう、

(3)理想とする法曹一元制度実現にむけ、もっと具体的な方策を樹立するとともに、裁判所、法務省に対し三者協議の場を通して、積極的に早期実現を働きかけるべきである、

(4)臨司意見書中にも当然取り上げなければならない具体的提案があるのに、全くこの点をなおざりにし、地道な司法民主化の努力を怠っているように思える、と。

 次は、二弁の大野正男弁護士の発言である(第二東京弁護士会「わが会をかたる」『創立五〇周年記念座談会』一九七六、三刊三〇九頁以下)。

(1)他会の論客の方々は臨司調査会メンバーに官僚や官学出身者が多い、従ってすべて官僚主義的発想であるから白紙に還元しろと主張、果たしてそれで現在の日本の司法なり弁護士制度の問題が全部片がつくのだろうか、私はそういう観点で何でもかんでも割り切ることに強く反対、

(2)殊に法曹一元を唱える以上、弁護士はしっかりしなければならない、会長をジャンケンで決めたり、飲み食い放題で何百万円何千万円もかける選挙をやっていながら、弁護士だけが社会の実情に通じ、高邁なる法の理想の実現者であるかのように言っても一体国民が納得するだろうか、

(3)二弁は、かなり強力に官僚化に反対しつつも、この機会に日弁連を改革し、社会の要求にもこたえるとした、

(4)ABは、本来対立すべき内容でないのに、Bは悪魔のごとく裁判所に弁護士会を売り渡す説だと極端にドクマ化されて伝えられ、現在も依然対立的とされたまま会内に尾を曳いている、

(5)日弁連の反対の結果、会内や裁判所との間に極端な不信感を生み、細かな技術的部分を除き、これはいいという基本的部分すら何も実現されなかった、

(6)反対論者は、阻止的効果を上げたというが、司法改革を望む側からは、ただ現状を固定しただけということになる、と。

四 反対運動の教訓

 臨司反対運動を省みて、次のような疑問や教訓に気づく。

(1)民主的合意形成

 国民が望む司法改革とはどのようなものか。その実現方法は如何にあるべきか。これらに会員間の考えに大きな違いがあるとき、思想,信条、経歴を異にする会員が強制加入する集団において、どのように合意形成がなされるべきか。多数が少数を押し切るような単純な方法が果たして正しいか。夫々が粘り強く一致点を模索しつつ慎重に会内合意を形成し、幅広い国民運動を組織すべきではなかったか。

(2)「二分主義」的対処への疑問

 その際、意見書の狙いや本質が、官僚制の強化・反法曹一元・弁護士抑制策だと的を絞り、全体的に賛成か反対かを決める。反対であれば改革案の中に有益な各論部分がもしあっても葬り去る。このような対処が正しいか。

(3)謙虚に受け止めるべき外部の批判

 現に、臨司反対運動に対し、答申書は「今日に通じる…数々の指摘を行」っていたのに具体的成果がなしに終わったのは「臨司路線反対的な活動に終始し、建設的な対案を示し、国民の理解を得ていくとの姿勢に欠けていたのではないか」という批判がある(阿部泰久「自由と正義」五〇巻二号一九九九『司法制度改革と弁護士のあり方』)。

 丸山真男(「日本の思想」岩波新書一五三頁以下)は、例えば、これが財界代表の批判「である」からとしその属性をもって批判内容を重視したり無視したりすることを戒める。

(4)全体を見失う「本質」優先論

 適切でないが、臨司答申書を一本の樹木に例えてみる。Aは、その幹が害虫に喰われ倒れる危険ありとして伐採を主張。Bは、枝葉が繁り元気に光合成し付近の環境に役立っているから育てようと主張。Aは、司法の官僚化反対等を(「幹」=「本質」)とみてその余の総べてを否定する。

 臨司後半世紀近い年月を経たが、現在に生きる教訓がなお豊富である。

(次号に続く)



米軍基地問題交流会へのお誘い

沖縄支部  仲 山 忠 克

 自由法曹団沖縄支部は、昨年から韓国民弁米軍問題研究委員会と米軍基地問題に関し研究交流会をもっております。昨年は民弁の先生方が来沖し、韓国側からは南北間の平和構築、在韓米軍問題について、沖縄側からは米軍基地を巡る訴訟と運動の概要について報告を行いました。

 今年は一〇月三〇日から一一月二日にかけて、韓国において研究交流会を開きます。韓国側からは米軍基地と環境問題、韓国における反基地運動について、沖縄側からはこの間進展のあった、普天間爆音訴訟やジュゴン訴訟について報告をし、意見を交換する予定であります。一〇月三〇日は研究交流会と懇親会、翌三一日はDMZツアー、市民団体との交流など(リムジンバス使用)を行い、一一月二日に帰国の予定です。

 他の支部、地域からの参加も受け付けておりますので、興味がおありの方は後記の連絡先までご連絡下さい。

  自由法曹団沖縄支部 事務局長 仲 山 忠 克

      TEL 098-855-7435 FAX 098-855-7440



国鉄労働者一〇四七名JR不採用問題の全面解決を求める団体・個人署名のお願い

東京支部  萩 尾 健 太

 一九八七年四月に、国鉄が「分割・民営化」され、現在のJR各社になりました。その際、国鉄は「分割・民営化」に反対していた国労、全動労、動労千葉に所属する職員を差別し、北海道・九州を中心として七六二八名がJRに採用されず、国鉄清算事業団に収容されました。三年間の飼い殺しの後に、一〇四七名が一九九〇年四月に解雇されました。解雇された組合員らは、闘争団を結成し、現在、鉄道運輸機構(国鉄清算事業管理部)を相手に裁判で闘っています。

 国鉄闘争は、二〇〇五年九月の鉄建公団訴訟判決に続き、本年一月二三日の全動労訴訟で国鉄の不当労働行為を認定させる判決を勝ち取りました。しかし、三月一三日の鉄道運輸機構訴訟は、不当労働行為の有無を判断せず「時効」で逃げる不当判決となりました。

 こうした中、先行する鉄建公団訴訟控訴審(東京高裁第一七民事部)で、本年六月二日、当時、国鉄本社幹部の職にあった葛西敬之氏の証人尋問が行われました。席上、葛西氏は「民営化に賛成すればプラスに評価される」など採用差別を裏付ける証言や裁判官による「国労の採用率は四〇%で鉄労や動労の採用率は一〇〇%なのはなぜか」「中曽根首相が国労潰しを明確に意識してやった」との発言があるがどう思うかなどの尋問がなされました。

 続く七月一四日、嶋田元国労本部副委員長の証人尋問後、南敏文裁判長から原告、被告双方に「ソフトランディングできないか」と裁判外での話し合いが提案されました。それを受けて、冬柴国土交通大臣は翌一五日の閣議後の記者会見で「お受けし、その努力はすべき」と鉄道運輸機構が交渉に応じるよう促すとともに、一〇四七名問題の解決に向けて、「誠心誠意努力する」と踏み込んだ発言をしました。

 しかし、現在、紛争解決に向けた当事者間の交渉テーブルが設置されるかどうかは、鉄道運輸機構の抵抗、そして福田首相の政権投げ出しもあり、予断を許しません。

 こうした情勢の中で、当事者の雇用・年金・解決金の「解決要求」を具体的に実現し、一気に解決に持ち込むために、それに相応しい大衆行動の展開が求められています。

 この間、四七名もの被解雇者が解決を見ることなく他界するなど、被解雇者とその家族の苦悩は想像を絶するものがあります。事態をこれ以上、放置することは人道上も許されることではありません。当事者4者は、鉄道運輸機構に対し、早期全面解決にむけて、ただちに当事者間の協議を始めることを求め、団体・個人署名を取り組んでおります。

 諸活動でご多忙なこととは存じますが、この署名へのご協力を心からお願いいたします。

 お手数をおかけして恐縮ですが、署名用紙は「建交労鉄道本部」でHPを検索し、ダウンロードしてください。

集 約 毎月 月末集約   最終集約 二〇〇八年一二月末

集約先 左記の連絡先へ送付をお願いいたします。

  鉄建公団訴訟原告団・鉄道運輸機構訴訟原告団

   〒102-0072 千代田区飯田橋三−九−三 SKプラザ三F

                (03-3511-3386)

  国労闘争団全国連絡会議

   〒105-0004 港区新橋五−一五−五 交通ビル四F

                (03-5403-1645)

  全動労鉄道運輸機構訴訟原告団 

   〒110-0007 台東区上野公園一七−五 建交労鉄道東京

                (03-3847-3249)



パンフ「押し紙を知っていますか?」の配布について

福岡支部  江 上 武 幸

 読売新聞を相手に、新聞販売店の地位確認の裁判を担当している弁護団で、表記の題でパンフレットを作成しました。

 「押し紙」とは、販売店が新聞発行本社から仕入れる新聞の内、配達されないまま古紙として廃棄される運命にある新聞のことです。全国で廃棄される新聞紙と折込広告の量は膨大であり、貴重なパルプ・木材資源の無駄遣いであり、環境破壊の一因でもあります。また、折り込み広告主は、捨てられる折込み広告の分の料金も負担させられていますので、広告主に対する詐欺にもなります。

 我が国の良識を代表することが期待される新聞社に、何故このような異常な問題が発生し、放置されているのでしょうか。

 是非、パンフをご覧下さい。また、お知り合いに配布下さい。

パンフご希望の方は、下記まで希望部数と共に連絡下さい。原則、無料で送付致します。なお、部数については、ご希望に添えない場合もありますのであらかじめご了解下さい。

 パンフ問い合わせ先 読売販売店弁護団事務局事務所

  江上法律事務所 〒830-0022

    福岡県久留米市城南町二二番九号 法務会館ビル四階

    TEL 0942-30-3275  FAX 0942-30-3276



『官製ワーキングプアを生んだ公共サービス「改革」』(城塚健之著・自治体研究社)をお薦めします

大阪支部  大 江 洋 一

 二〇年ほど前までは、団総会や五月集会へも欠かさず参加して発言もし、団通信にも寄稿してきましたが、その後長らくご無沙汰し、同期の面々が時々投稿するのをみているだけで、団通信の読者会員のような気分になっていました。しかし、大阪の城塚健之団員が標記の書物を刊行したのを一読し、これは紹介に値すると考え、久しぶりに筆を取りました。

 城塚団員は、丁度彼が弁護士登録した時期に発生した、労戦統一をめぐる衛都連と自治労との最も先鋭な対決点となった組合費訴訟の弁護団で活躍し、その後自治労連発足とともに結成された自治労連弁護団の事務局弁護士として、いまや押しも押されもせぬ自治体労働者の立場に立つ弁護士の第一人者と言っていい人です。

 本書は、まず、自治体に今何が起こっているのかを事実に即してリアルに描き出し、その手法を丁寧に紹介・説明しています。今、民間労働者の間に起こっているワーキングプアや格差社会などと言う現象が、「親方日の丸」と言われた公務職場にも、同じように、あるいはそれに輪をかけたように起こっていることに衝撃を受けます。

 部外者(私も自治労連弁護団の一員であるから部外者と言うとお叱りを受けそうですが、個別事件を時々受任する程度の身にとっては、鳥瞰するほどの視野と情報は持ち合わせていないのが実際です)にとってありがたいのは、その手法をとる法的根拠を一々示してくれている点です。その意味で自治体の労使関係入門書として「教科書」の役割を果たしてくれます。労働弁護士を自認する以上は一冊手元において、自治体関係の相談を受けたときに繙ことをお勧めする次第です。

 「公務市場化への対抗軸」では、権利ではなく顧客として(したがって税等の滞納者はアウトローとなってしまいます)住民の権利がどのように踏みにじられているのかも活写されています。そして、公務労働者が格差とワーキングプアに苛まれ、公務の専門性が失われていることに警鐘がならされています。「税金で雇っているんだから安ければ安いだけいい」と言わんばかりの視野の狭い「市民」への批判も重要な視点です。

 最後のほうはかなり駆け足ですが、運動への提言がなされています。その内容は直接読んでいただいてのお楽しみとしておきますが、いずれもコロンブスの卵というべき極めて当たり前の指摘ですが、日常に埋没していると見失いがちなものばかりです。このような発想を一人ひとりが日々自覚しながら運動していくことが大切なのだと思います。

 地球環境も社会システムも閉塞状況にある中で、精緻な議論よりも、大掴みに現在の我々の置かれている事態を鳥瞰的に示すことが不可欠であり(『不都合な真実』の比較写真が有無を言わせず私たちに事態の深刻さを突きつけました)、そのことにこの書物が資すると考えたからです。同じ意味で、脇田竜谷大教授の『労働法を考える』(新日本出版社二〇〇七年)もお薦めしたい書物です。現在の荒廃を生み出したのはすべて新自由主義と言われる実に乱暴で野蛮な議論です(私自身は「新自由主義」というような言葉で判ったような気になることが思考停止を生むので、あまり使いたくはないのですが)。御用学者と、これにイカレて迷走するマスコミ、財界のエゴ、官僚と政治家の無節操などが大合唱して推し進めてきた誤りが今の矛盾を噴出させ、人類の未来を危機に陥れていることがもはや明らかであるにもかかわらず、あいも変わらず目先を変えての目晦ましの議論が再生産され、少なからぬ人が騙されてしまうことに我慢がなりません。どのような議論が今の荒廃を生んだのかを明らかにし、二度と騙されないようにすることがいまほど必要なことはありません。自然科学は実験で事前検証できますが、社会科学は事後の総括で検証するほかありません。振り返って正しく検証しなければ「被害者」は救われません。司法改革もしかり。二度と同じ過ちは繰り返さないようにしたいものです。