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三浦 直子 弁護士・建築士総勢五〇人でUR団地に行こう!
『UR住宅の解体・更地化問題』説明会に参加して
相原 わかば 女性部総会に参加して
神田  高 『蟹工船』から、ハイエク、そしてマルクス
谷村 正太郎 ― 書 評 ―
(杉井静子 著)
「格差社会を生きる男と女の新ジェンダー論」を読む
中尾  誠 ― 書 評 ―
(城塚健之 著)
官製ワーキングプアを生んだ公共サービス「改革」



弁護士・建築士総勢五〇人でUR団地に行こう!

『UR住宅の解体・更地化問題』説明会に参加して

東京支部  三 浦 直 子

 二〇〇八年一〇月一日(水)、市民問題委員会が、自由法曹団本部で開催した『UR住宅の解体・更地化問題』説明会に出席した。

 このUR賃貸住宅取り壊し問題を初めて知ったのは、確か、二〇〇八年三月、団東京支部の若手学習会で「建築紛争」がテーマの時だっだと記憶している。その時の講師榎本武光団員から、「都市再生機構(UR)という日本最大の大家が、耐震強度不足を理由に、首都圏にあるUR賃貸集宅の取り壊しを計画し、居住者への明け渡しを迫っている」という話を伺った。「耐震性」を問題とするもので、一見やむをえないかのごとく装っているが、「耐震性」は口実。実は、URが昨年末発表した「一〇年間で八万戸の住宅を削減し、更地化して民間に売却する」等の「UR賃貸住宅ストック再生・再編計画」を効率的に進めるために考え出された方策らしい、怪しい!というのである。今回の説明会での講師も榎本団員。さらに、この問題の当事者である団地居住者の方々から実態、現状等生の声を伺えるという。とても興味を感じた。

*「お上はウソを付くはずがない」?

 説明会では、東京日野市高幡台、千葉市幸町、春日部市武里、各団地の居住者のお話を伺ったが、やはり切実なものがあった。

 本年三月末、URから事前の交渉もなく一方的に「耐震強度不足で補修も難しい」から取り壊す、二年以内に開け渡せ、と言われ、居住者達は、当初、「お上から言われたら明け渡すしかない」と思ったという。「地震は怖い」し、「耐震性に問題がある」などと、まさか「お上がウソをつくはずがない」と、思ったのだという。

 しかしながら、これまで団地の集会等で、榎本団員の説明や「国民の住まいを守る全国連絡会」(住まい連)の坂庭代表の説明を聞いて学習し、賃借人である自分達には、契約に基づいて居住する権利があり、URに「正当事由」がなければ自分達に明け渡しを要求できないことを知り、また、そもそも、「耐震診断の資料及び改修不可能と判断するに使用した資料」が公開されておらず、本当に「耐震強度不足で補修も難しい」か不明であることを知ったのだという。

 現在、居住者の会からの要請により、建築家がURの耐震調査報告の検討を進めているところであるが、耐震強度の技術論からすると、URの判断は、相当に疑問らしい。さらに、今回対象となっている箇所は、医療機関や郵便局、銀行、商店等がある各団地の中心部分であって、これを取り壊した場合、団地の居住者全体の生活に重大な影響があるという。当然、他の団地への波及も懸念される。やはり、URのやり方を見過ごすことはできない。特に、「高幡台団地は高齢者の割合が半分を超え、ここを終の住み家と決めていた人、今更、引っ越しなど出来ない人が多い」、「今の住宅にはエレベーターがあるが、転居先にエレベーターがないと、日常生活が非常に困難になる」等、居住者の方々のお話を伺って、なにかしなければ!との思いを強くした。

*みんなでUR団地に視察に行こう!

 現在、自由法曹団は、居住者の会からURが進めようとしている一時使用契約への切り替えのチェックや補償等の覚書作成への対処方法検討等、法律的な支援の要請を受けている。そうした法律的な支援のためには、もっと団地の現状や居住者の声を聞くことが必要になってくる。

 「みんなで弁護士バッジをつけて建築士の先生方と五〇人くらいで大挙してUR団地に視察に行こう!」と、ある団員の朗らかな声が響いた。

 そうだ。理論と実践!これこそ自由法曹団のモットーだ。法律家も建築士も黙っていないことをURに示し、広く社会に問題をアピールすることにもなる。ついでに、これからの季節、団地近くの高幡不動など紅葉が綺麗だろう。最後に田中隆幹事長の力強い挨拶を聞きいて、さらにその後、居住者の方々と楽しくお酒を飲んで、これからこの問題に取り組む決意をした次第である。



女性部総会に参加して

福岡支部  相 原 わ か ば

 女性部の総会に初めて参加しました。これまで子どもが小さかったので夜間不在にする予定は極力避けていましたが、多少手がかからなくなってきたところに、高校同級生の宮腰直子団員からのお誘いが魅力的だったことと、事務所のメンバーが「福岡女性九条の会」の予定が重なって出席できず背中を押されたこともあり、少々羽を伸ばしに…という気軽な気持ちで出かけました。

 産科医の斎藤みち子先生による医療現場からの御報告をはじめ、労働問題や後期高齢者医療・生活保護の問題等、格差社会で女性が底辺に置かれ、さらに格差が増幅させられている実情を再認識させられると共に、視点を共通にする方々との議論は、前向きで、活力を与えられました。

 また、女性部の成り立ちの話や日弁連・各弁護士会の男女共同参画への取り組みに関する議論は興味深く、家庭での家事分担態様や子育て期の乗り切り方、会務・団活動への関わり方など、諸先輩方を始め各人の経験や知恵が語られ、大変ためになりました。

 私自身、常に家庭と仕事のバランスには悩まされますが、「子どもが小さい頃は成長促進剤でもあればと思ったくらいよ」とおっしゃる、均等法や育児休業法以前の大先輩方に比べれば、制度面でも周囲の理解の点でも恵まれており、これ以上、家庭に時間を割きたいというのは甘いのでは、との負い目にも似た気持ちが拭えません。しかし、諸外国に目を転じれば、男女ともプライベートな時間を大切にし、家庭責任を負っています。日本の常識がスタンダードではない、日本の労働者はもっと家庭に戻れるようにならなくてはと思います。

 弁護士会でも、福岡では、委員会活動が正午や夕方三時・四時から一時間や一時間半で行うものがあり、研修や常議員会も主に平日の日中に行われています。参加している集団訴訟も、弁護団会議が平日昼間にあり助かります。こうした動きは、会務などの責任を果たしつつ声を上げてきた諸先輩方(家庭責任を果たしたいという男性も含めて)が切り拓いてこられた賜物ですが、一人ひとりだと、「負い目」のように抱え込みがちな問題です。それだけに、日弁連が男女共同参画の問題として取り上げ、議論するのは、時代の要請ともいえますが、画期的と思います。

 また、私自身、子どもをもつタイミングや子どもを持った後の生活について、先が見えず先延ばしにし、個別に助言をいただきつつも手探りで来ましたが、今回の集まりのように経験交流・意見交換できる場は貴重で、もっと早くに出会っていたらなあと思いました。と同時に、皆さん各々、女性の権利・環境整備に奮闘する姿に、自分は、先輩方から受け取ったバトンをどう手渡していくのか、と考えさせられました。有意義な会を準備してくださった皆様ありがとうございました。

(最後に本題とは関係しませんが、もし紙面をいただけるなら「福岡女性九条の会」の宣伝を)

 福岡女性九条の会は、様々なものを超え「九条を護りたい」という一点で集う女性の会で、二〇〇六年一二月に発足しました。本年一二月七日に瀬戸内寂聴さんをお迎えして、源氏物語千年メモリアル平和説法を予定しています。多くの皆様に御参加いただければと思います。御連絡は、女性協同法律事務所(080−1740−5431)までお願いします。



『蟹工船』から、ハイエク、そしてマルクス

東京支部  神 田   高

 下呂温泉・五月集会への車中で、何十年ぶりかで『蟹工船』のページをめくる。目についたのは三つ。冒頭の「おい、地獄さ行ぐんだで!」、本文末尾の「そして、彼らは、立ち上がった。ーもう一度!」。最後に付記、「そして、『組織』『闘争』ーこの初めて知った偉大な経験を担って、漁夫、年若い雑夫等が、警察の門から色々な労働の層へ、それぞれ入り込んでいったということ。

 ーこの一篇は、『殖民地における資本主義侵入史』の一頁である。(一九二九・三・三〇)」

 十代で初めて読んだときは、(海の男達の抑圧された性描写とともに)この最後の一文の意味が分からなかったが、何十年かたって、“帝国主義戦争=植民地戦争”と表裏になった搾取、収奪の極限的な強化をリアルに描いた作者の構想力に改めて感銘した。“歴史は繰り返す”。

 “新自由主義”の代表的イデオローグ、ハイエクの『隷従への道』(一九四四年)を読む。副題は「全体主義と自由」。新≠ェつくから最近のものかと思っていたら、第二次大戦中の出版で、イデオロギー闘争の根深さをまず思った。労働組合つぶしに狂奔したサッチャーは、本書の熱心な読者であった。右派イデオローグの渡部昇一もノーベル賞の経済理論より、同書を読めと絶賛している。

 同書を通読してまず思うのは、“資本蓄積の規制”に対する強烈な憎悪である。その主敵は、まず、“社会主義”である。本文の扉に「あらゆる党派の社会主義者たちに」と書いているように、搾取の自由を阻害する者に対する挑戦的イデオローグである。ハイエクは、計画経済=社会主義と同視し、「市場という個人的関係から遊離した規律によって支配される秩序〔市場経済〕か、少数の個人の意志によって指導される秩序〔計画経済〕かの二つの可能性があるのみである。そして第一のものを破壊させる人々は、意識的にあるいは無意識的に第二のものを作り出すのを助けることになる。」ー「それは個人の自由に死刑の宣告を下しているのである。」という。

 そして、同じくイギリスの学者でありながら、資本主義の危機的状況を素直に≠ノ認めて「計画化」による修正資本主義≠フ理論をうちたてたケインズに対する敵意も強烈である。

 ケインズは、資本主義経済社会の矛盾、「経済の投機化」に目をむけた。経済そのものが投機化し、市場経済が投機の波によって浸食されていく。投機市場(株式市場、証券市場)が次第に組織化されていくと、投機の手はそこにも侵入し、投機はもはや市場経済秩序の中での投機というものではなく、市場経済そのものが投機の波に浮かぶ島となってくる(間宮陽介『ケインズとハイエク〈自由〉の変容』ちくま)。

 ハイエクの『隷従への道』は「着々と進行しつつある計画化への道に対する対抗プロパガンダとして」、イデオロギー的性格を強くもっている。これが、グローバル化を前提とした、今日の新自由主義イデオロギー(現代帝国主義イデオロギーと言ってよいが)とその施策のための“(新しい酒を盛るための)古い皮革”の役割を果たしている。

 しかし、この反動的イデオロギーに対して、最も簡潔で、鋭い告発と批判を展開していたのは、二五歳と二七歳の二人の若き天才が、イラストをも交えながら楽しげに書き上げていった、科学的社会主義の金字塔=wドイツ・イデオロギー』(一八四六年)であった。

 「国家および法と所有との関係ー・・・大工業と普遍的競争によって条件づけられる現代的資本にまで、すなわち、共同体のあらゆる外観を棄て、所有の発展にたいする国家のあらゆる作用を排除した純粋な私的所有にまで、発展する。この現代の私的所有に照応するのが現代の国家であり、それは、諸租税を通じてしだいに私的所有者たちによって買い取られ、国債制度を通じて完全に彼らの手に帰し、そして、その存在は、取引所における国債証券の騰落のなかで、私的所有者であるブルジョアたちが現代の国家にあたえる商業信用にまったく依存するようになってしまった。」

 では、生産者である労働者の闘いはどうなるか。

 「競争は、諸個人をひとつに集めるにもかかわらず、彼らを、ブルジョアたちだけではなくて、それ以上にプロレタリアたちをも、互いに孤立させる。したがって、これら諸個人が結合しうるまでにはー・・ー長い時間がかかるのであり、したがって、これらの孤立した諸個人、孤立化を日々再生産する諸関係のなかで生きている諸個人に対する、すべての組織された力は、長い諸闘争のあとではじめて打倒されうるのである。」

 解雇事件を担当した若い組合員から、今度はサラ金の相談を受けた若き弁護士笹山団員は、同じ組合員にサラ金相談ができなかった青年の顔色を見て「連帯の道、まだまだ通しだな、と苦笑した」(赤旗九月一〇日号)が、一六〇年前の二五歳と二七歳の青年の大きなメッセージからすれば、もっとずっと長かった時間は少しは短縮されてきていると思う(なお、『世界』一〇月号・座談会)。



― 書 評 ―

(杉井静子 著)

「格差社会を生きる男と女の新ジェンダー論」を読む

東京支部  谷 村 正 太 郎

 著者は数年前から、山梨県の都留文科大学で「ジェンダー研究入門」の講座をもっておられます。受講者は当初は圧倒的に女子学生であったが、年々男子学生が増えて、現在は約四分の一になったとのこと。この本はその授業の中から生まれました。離婚、嬰児殺し、DV、家族手当の男女差別事件等著者が担当した多くの事件、日弁連・両性の平等に関する委員会委員長等の弁護士会活動、憲法を守る運動等の地域活動、そして授業での学生との討論に裏打ちされた本書は、ジェンダー問題に関する多面的な考察と明快な解説により、高度な内容の入門書となっています。

 第一章「女と男を考える」は身の回りにあるジェンダーについてです。男らしさと女らしさ、「○○家 ××家」結婚披露宴、著者が毎年年賀状を夫と連名で出すのに、いつのまにか受け取る年賀状は「杉井嚴一様」宛になってしまうこと、等。

 第二章「格差社会のジェンダー」では、現在の社会の状況、その中での賃金格差、健康保険・年金その他の社会保障システムでの差別、幼児の交通事故による死亡の際の逸失利益の差等、格差社会の中でさらにジェンダー差別により女性が最大の犠牲者となっている状況が語られています。統計資料を基にした多数の図表が極めて説得的です。格差社会、ジェンダー差別について自分が考えていたとおりだと思う図表、予想を超えたひどい状況に驚く図表があります。先進国中、男女の賃金格差が一番大きい国は日本であることも一目瞭然です。また全労働者中非正規労働者の占める割合は、男性で一八パーセントであるのに対し女性は五八パーセントと過半数を超えています。

 格差社会と言うが、資本は長年女性労働力を何時でも首を切れる安価な労働力として使い利潤を上げてきており、今それを若年労働者を中心とした全労働者に広げてきている、これまで女性だけの問題として考えられてきたことが今や全労働者の問題になりうるし、していかなければならないことを著者は強調しています。

 第三章「男らしさ女らしさのルーツ」は女性差別と差別に対するたたかいの歴史です。「家」制度、その中での戸主の強大な権限(年齢に関係なく家族の婚姻には戸主の同意が必要である等)、妻は未成年者と同様に行為無能力者であること、教育の差別(戦前の女子大学は専門学校)等、今では信じられないことが語られています。しかし、これは決して昔話ではなくオンリー・イエスタディのことです。それだけではない。この時代に作られたジェンダー差別が、現在でも社会制度・人々の意識の中に残っていることは、次章以下のとおりです。

 第四章「今もあるジェンダー差別」では「夫は外で働き、妻は家庭を守るべき」という考えについて、家事・育児時間に占める男性の割合、研究者に占める女性の割合、女性の国会議員の割合、女性国家公務員の在職状況等の国際比較で日本の現状が明らかにされています。大方の予想の通り各分野で女性がもっとも進出しているのは北欧諸国であり、日本は驚くほど低い。女性研究者の割合はバルト三国が高く、女性国会議員の割合が最も高いのはルワンダである(四九パーセント)という意外な発見もあります。

 コラムも面白い。「著者自身の戸籍の話」、「韓国の民法改正」、「女工小唄」、与謝野晶子と平塚らいてうの「母性保護論争」、一九二七年東京もスリン争議の際に「会社側が親元に出した手紙」等。

 紙数が足りなくなったので第五章「ジェンダー・バッシングに負けない」、第六章「私の人生何だったの?と嘆かないために」は省略。ジェンダー・イデオロギーとジェンダー的社会構造の変革、家事・育児も男女いっしょに楽しもう、男女の会話が必要(反論し批判する「競争的会話」ではなく「協調的会話」を)というのが、著者の読者へのメッセージです。

 ジェンダー論については敬意を表しつつ、できるだけ遠ざかるというのが多くの男性団員ではないかと思います。その一人として、自分の耳に痛いことは棚に上げながらこの本を読み、得るところが多々ありました。団員各位、ことに団員諸兄にお薦めする次第です。

(二〇〇八年 かもがわ出版刊 定価 本体一八〇〇円+税。杉井法律事務所 電〇四二−五四八−八六七五)



― 書 評 ―

(城塚健之 著)

官製ワーキングプアを生んだ公共サービス「改革」

京都支部  中 尾  誠

 一二八五号の大江さんからの推薦に引き続いて、表記の本の紹介をさせていただきます。

 城塚さんは、自治労連弁護団の事務局弁護士の一員として、活躍しており、全国各地で、自治体労働者・労働組合を対象として、講師活動をしています。この本は、「各地での講演活動のエッセンスを凝縮した一冊」となっています。

 本の題名に、「官製ワーキングプア」というの表示があります。店頭で手にとってもらうための、「はやりの言葉」をつけたという意味では良いかもしれませんが、本の全体像を表していないという気がしました。私が題名をつけるとすれば、売れないか知れませんが、「公務の市場化・民営化の現状(最前線)−いかに闘うか」という感じです。

 項立ては、次の通りです。

I 構造改革の柱としての「小さな政府」

II 進行する公務の民間化

III 内部的民間化としての公務員制度改革

IV 実施部門の外部化(公務の市場化)

V 公務市場化の実際

VI 危機に立つ住民の権利

VII 公務市場化と労働者の権利

VIII 公務市場化への対抗軸

IX どう運動を広げていくか

 公務の市場化・民営化について、構造改革、並びに、「小さな政府」との関係で捉え(I)、自民党新憲法草案、地方分権・道州制との関連についても言及しています。大きく捉えた上で、本題である公務の民営化について、内部的(III)なものと外部化(IV)の双方について、最新の動きについて紹介しています。

 そして、指定管理者制度、業務委託、労働者派遣、市場化テスト、独立行政法人などの公務を市場化するための個別のツールについては、多くのページを割いて解説しています(V)。本文の理解を深めるための有益な「注」が七十八まであり、それ自体が大きな特徴となっていますが、この章(V)の注は、三十を数え、力の入ったものとなっています。

 実態を踏まえて、それによって影響を受ける、住民の権利(VI)と自治体(関連)労働者の権利(VII)の問題に続きます。VI章の中の保育、学校給食、大学、芸術文化、水道などの分野の住民サービス低下の状況は、現在進行中のものであり、注意喚起の記述となっています。また、その章の地方税などを払っていない住民に対する行政サービスを制限する条例(いわゆる行政サービス制限条例)に関する紹介・問題点の指摘は、これまであまりまとまった形では触れられていなかった課題です。本の題名となっている「官製ワーキングプア」のことは、VIIの中で触れられています。「公務が官製ワーキングプアによって担われていけば、これまで蓄積されてきた公務の専門性を維持することは困難となります」との指摘は、重要と思いました。

 VIII章は、公務の市場化・民営化に対してどう闘うか、そのための視点は何かについて、述べられています。個別の問題について、「ゴミ収集の有料化がただちに違法不当とはいえないでしょう」、「談合こそが今日の最大の悪であって、これを撲滅すれば税金の無駄遣いがなくなる、…すべて競争入札にすべきであるとシンプルに信じている人がいます」などのくだりは、鋭い指摘であり、「さすが−」という感じです。

 最終章(IX)は、自治体労働者、労働組合に対するメッセージ(国家・社会のあり方を深く考える、公務員バッシングをどう考えるか、運動体のみなさんへ)となっています。自治体に関する事案を考える上で、私達弁護士にとっても有益な指摘がふんだんに盛り込まれています。私は、本を読むときに、気に入った箇所には付箋をつけるのですが、一番大きく付箋をつけたのは、「一人の個人がすべてを理解する高みに到着するというのは難しいのですが、それでもさまざまな場面で意味ある役割を果すためには、当面する課題だけではなく、もっと大きな視点で、国家社会のあり方を深く考えることが必要です。」(一九四頁)というくだりでした。身が引き締まる想いがしました。

 労働問題に関わらず、今、自治体で起こっていることについて、考える上で、鳥瞰図的な役割を果してくれる本であると思います。是非、ご一読ください。

  自治体研究社・一九九五円

* お問い合わせ先 Tel 03-3235-5941