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伊須 慎一郎 一〇〇年に一度の大不況を理由に賃金カットは許されない
―いすゞ自動車に差額賃金全額の仮払いを認めた一〇〇%勝利決定のご報告―

大坂 恭子

外国人研修生の労働者性を認めた初の判決!

飯田  昭

住民訴訟の活性化に繋がる判決
〜市原野談合・弁護士報酬請求事件大阪高裁判決

盛岡 暉道

四・一六〜一八
「アジア太平洋のミサイル防衛に反対し軍拡競争の終わりを求めるソウル国際会議」に参加して

中野 直樹

ちょっぴり荷を背負って五月集会へ(その二)



一〇〇年に一度の大不況を理由に賃金カットは許されない

―いすゞ自動車に差額賃金全額の仮払いを認めた一〇〇%勝利決定のご報告―

埼玉支部  伊 須 慎 一 郎

一 事案の概要―中途解雇撤回から休業命令+四〇%賃金カットの不利益処分へ

 本件は、いすゞ自動車が、昨年一一月一七日、不況による減産を理由に、藤沢工場の期間労働者三九八人、栃木工場の期間労働者一五五人の合計五五三人全員を二〇〇八年一二月二六日付で、解雇する通告を行ったことを契機としています。

 その後、いすゞ自動車は、上記期間労働者全員に対する違法な中途解雇を維持できないと考えてか、同年一二月二四日に解雇を撤回しました。

 しかし、同時に、いすゞ自動車は、同じ期間労働者でも、(1)労働契約の合意解約に応じる者には、契約期間満了日までの平均賃金の八五%相当額と契約期間満了日まで勤続した場合に発生する満期慰労金の差額を平成二一年一月一五日に支払うが、(2)労働契約の合意解約に応じない者には、契約期間満了日まで一括して休業を命じたうえで平均賃金の六〇%相当額と、満期慰労金の差額を契約期間満了日(栃木工場の期間労働者は平成二一年四月七日)に支払うという一方的な申し入れをしてきました。

 この申し入れは、合意解約に応じるか否かで、(1)二五%もの賃金差別を行っていること、(2)契約期間満了前に合意解約に応じる期間労働者に対しても満期慰労金を支払うこと、(3)合意解約に応じた期間労働者には、満期慰労金という性格に反して、期間満了前の平成二一年一月一五日までに満期慰労金の残額を支払うこと、(4)期間労働者には、わずか二日の検討期間しか与えられていないことなど、いすゞ自動車が大多数の期間労働者を退職に追い込もうとする不当なものでした。

二 宇都宮地方裁判所栃木支部に対する仮処分申立

 本件仮処分は、二〇〇八年一二月四日、いすゞ自動車の中途解雇予告に対し、解雇予告効力停止の仮処分として申し立てられましたが、その後、いすゞ自動車により中途解雇がすべて撤回され、代わりに休業命令にともなう四〇%の賃金カットが強行されたことから、栃木工場で働く三人の期間労働者がカットされた四〇%の賃金の仮払いを求める仮処分に移行しました。

三 いすゞ自動車弁護団の取り組み

 一〇〇%勝利決定を勝ち取るまでに仮処分申立から五ヶ月強の期間を要しました。この間、栃木支部での審尋期日は七回にも及び、労働者側提出の準備書面は仮処分であるにもかかわらず、準備書面(一七)まで提出しました。また、いすゞ自動車の「現実に生活できているのであるから過去の賃金の仮払いの必要性はない」などという不当な主張に対し、労働者の苛酷な生活実態を何通も陳述書にすることで担当裁判官に期間労働者の生活の窮状をリアルに訴えました。さらに、同様の事件が係属している横浜地裁の仮処分を担当する神奈川弁護団とも情報交換を密に行い、横浜と栃木でお互いの主張・立証を補完しながら粘り強く、いすゞ自動車の賃金カットの不当性を訴えました。

四 宇都宮地方裁判所栃木支部(橋本英史裁判官)による一〇〇%勝利決定(二〇〇九年五月一二日)

 本件は、次の四つの争点がありますが、本件決定は次のとおり判断しています。

(1)民法五三六条二項「債権者の責めに帰すべき事由」の立証責任

 本件決定は、民法五三六条二項「債権者の責めに帰すべき事由」の立証責任について、『労働者において、労働契約上の債務の本旨に従った履行(労務)の提供をしたのに、使用者がその受領を拒否した」という主要事実を主張立証すれば(又は争いがなければ)、労働債務の履行の性質上、時間の経過とともにその債務の履行は刻々と不能となり、かつ、その「履行不能」が「債務者の責めに帰することのできない事由による」という要件事実が主張立証されたことになるから、抗弁として、使用者において、その受領拒絶が「債権者の責めに帰することのできない事由」によることを具体的に主張立証しない限り、反対給付債権たる賃金請求権が消滅することはないと解される。』として、「債権者の責めに帰すべき事由」の主張立証責任は、いすゞ自動車にあることを明確に示しました。

(2)民法五三六条二項「債権者の責に帰すべき事由」の解釈

 次に、本件決定は、民法五三六条二項「債権者の責に帰すべき事由」の解釈について、労働契約における労働者の賃金請求権は、労働契約上の権利の根幹を構成するものであり、使用者がした受領拒絶(受領遅滞)に責任事由がなく、賃金請求権が消滅するという一方的な不利益を労働者に課すためには、労働者の一方的に不利益な就業規則の変更を許容する法理(労働契約法一〇条)と同様に、そのことを正当化するために必要と解されている「合理性の要件」を判断の基礎とするのが相当であり、合理的な理由を欠く使用者の一方的な受領拒絶(受領遅滞)によって、労働者の賃金請求権が消滅に帰すると解することは、明らかに正義・公平の理念に反し、条理にも反するとして、使用者の労務の受領拒絶に「合理的な理由がある」など正当な事由があることを主張立証すべきとの判断を示しました。

 そして、本件決定は、合理性の有無は「具体的には、使用者による休業によって労働者が被る不利益の内容・程度、使用者側の休業の実施の必要性の内容・程度、他の労働者や同一職場の就労者との均衡の有無・程度、労働組合等との事前・事後の説明・交渉の有無・内容、交渉の経緯、他の労働組合又は他の労働者の対応等を総合して判断すべきとしました。

(3)いすゞの賃金カットに必要性と合理性があるのか?

 本件決定は、非正規労働者の労働条件や生活実態を直視し、昨年一二月二四日に告知した休業命令+賃金カットは、期間労働者のみで、かつ、その全員を対象とするものであり、休業期間も期間満了日までとする包括的、かつ、一律に定めるものであり、三ヶ月以上の長期にわたるものであること、労働者の賃金は労働者の権利の根幹をなすものであり、労働者やその家族の生活を支えるものであり、カットされる四〇%相当額が労働者にとっていかに重要な金額であって、これを使用者側の決定によって一方的に喪失させられることが、労働者にとっては、まことに過酷であり、重大な不利益を及ぼす処分であることは、社会通念上、顕著に認めることができることなどを理由に、本件休業処分の合理性は、個別に休業日を定める場合と比して、高度なものを要すると判断しました。

 また、同様に労働契約法一七条一項によって、契約期間途中の解雇が原則として禁止され、使用者側に期間労働者に対する雇用保障が厳格に課せられており、期間労働者の保護が図られていることなどを理由に、休業命令の合理性は、期間の定めのない労働者に対する場合と比べて、より高度なものを要すると判断しました。

 そのうえで、いすゞ自動車が労働組合に対し、事前に何ら説明・交渉することなく、期間労働者に対し、包括的、かつ、一律に休業命令を下し、上記のように合意解約に応じるか否か二者択一の選択を迫ったこと(正社員との差別)、

 合意解約に応じる期間労働者には、応じない期間労働者と比較して破格の提案をしていること(期間労働者間の差別)、

 いすゞ自動車の意図のとおり、合意解約を選択した期間労働者が極めて多数に及び(二〇〇九年三月末日の時点で五五三人のうち五四〇人が合意解約に応じた)、JMIUに加入した期間労働者八人も次々に脱退し、そのうち五人が仮処分を取り下げていること(組合員の切り崩し)、

 残期間労働者が極めて少数となったため、いすゞ自動車が本件休業の実施にともなう賃金カットにより得る利益は、いすゞ自動車の経営及び財務の規模からして全く微々たるものとなり、休業手当の支給額(八〇万円程度)の負担も同じく微々たるものに帰着したことなどから(企業規模と請求金額の比較)、いすゞ自動車による本件休業命令は、高度の合理性を肯定することができないばかりか、合理性を認めること自体、到底困難であると判断しました。

(4)過去の賃金の仮払いの必要性

 いすゞ自動車は、期間労働者を都合よく使いながら、不当な賃金カットに及んだにもかかわらず、個々の労働者の具体的な生活を無視して、標準生計費で生活できるとか、過去の賃金の仮払いは保全の必要がないなどと、労働者が文化的な生活を営んでいることを、全く捨て去る主張を繰り返しました。これに対して、個々の期間労働者は、生活費を極度に切り詰め、食事の回数を減らしたり、援助により何とか生活してきた実態をリアルに伝えました。

 本件決定は、いすゞ自動車の非人間的な主張に対し、期間労働者が「非日常的・極限的な最大限の努力を傾注して「現に生活をする」のであって、「現に生活していた」ことのみを理由として、一律に、原則として保全の必要性を否定することは、かような人の本性を犠牲に権利侵害による被害の早期回復という仮処分制度の法的な保護を拒否することになりかねない」と判断し、上記詳細な生活実態を事実認定して、保全の必要性を認めました。

(5)そのうえで本件決定は申立金額全額の仮払いを認めました。

五 当事者の満面の笑み

 三人の期間労働者が賃金をカットされただけでなく、雇い止めまでされる厳しい生活状況のなか、全国の非正規労働者の仲間のためにと、立ち上がり、そして一歩も譲らずたたかい続けたことが、本件一〇〇%勝利決定を勝ち取った最大の要因です。

 本件決定を勝ち取った翌一三日の新聞各紙で報道されているように、仮処分の債権者の一人である松本浩利執行委員長の満面の笑みが写真付で報道されていました。弁護団にとってはこれ以上の喜びはありません。

六 本件決定が強力な武器になること

 本件決定を勝ち取った翌一三日、私は、知り合いの組合員から、ある派遣労働者が某企業の派遣切りにより派遣会社を中途解雇された事件の電話相談を受けました。

 派遣会社の中途解雇は労働契約法一七条一項により許されないこと、酒井団員が紹介したプレミアラインに対する仮処分決定(団通信一三〇八号)を武器に交渉するようアドバイスしたところ、組合員から再度連絡があり、派遣会社は賃金の六〇%を支払うという和解案を提示してきたことと、それに応じようと思っているとの報告がありました。

 そこで、いすゞ自動車に対する本件決定を武器に再度交渉するようアドバイスしたところ、派遣会社はあっさりと期間満了まで一〇〇%の賃金を支払うことに応じたということでした。

 当初、派遣会社は解雇予告手当を支払っていることを理由に解雇は有効であるとき強弁していたようですが、プレミアラインといすゞ自動車に対する二つの決定により一〇〇%の満額の成果を極めて早期に獲得できたということで、本当に喜んでもらえました。

 本件決定は、使用者による減産や受注減を理由とする人件費カットの一態様である休業命令+賃金カット強行に対し、大きな歯止めになりうると確信しています。

 本件一〇〇%勝利決定により、東京、神奈川、埼玉、栃木弁護団、当事者、労働組合のみんなが、東京地裁に提起した期間労働者などの地位確認等請求訴訟をたたかいぬくために、より一層堅固な結束を固める力となりました。



外国人研修生の労働者性を認めた初の判決!

愛知支部  大 坂 恭 子

 昨今、新聞等でも大きく報じられるようになった外国人研修生問題について、今年三月一八日、津地方裁判所四日市支部で、研修生にも最低賃金法の適用を認めた初の判決が出ましたので、ご報告いたします。なお、以下では、来日一年目については、当事者を「研修生」と、二年目以降については、当事者を「技能実習生」と記します。

事案の概要

 この事件は、中国人の女性技能実習生(来日三年目)五名が、受け入れ先の会社から損害賠償を請求される形で始まった裁判ですが、これに対して、技能実習生らは、研修生時代の未払い残業代を最低賃金法に従って支払えとして反訴しました。なお、会社側の請求は、技能実習生らが作業を「ボイコット」したため、取引先への納品が間に合わなくなり、廃業に追い込まれたとして、向こう一〇年の利益分を請求したもので、結論として排斥されていますが、この点については割愛します。

 本件の研修生達は、車のシートを縫う縫製作業に従事していましたが、来日一年目から多いときには月一五〇時間を超える長時間の残業に従事させられていました。それでも研修生達が受け取っていた金額は、月額六万円の研修手当と時給三〇〇円の残業代だけです。そこには、本来制度が予定していたような、日本から途上国へ移転すべき高度な技術も、技術を教える指導者の存在もありません。

裁判所の判断とその意義

 裁判所は、次のような理由で、研修生達を全国で初めて「最低賃金法に規定する労働者」だと認めました。

 第一に、「研修」と呼べる実態がなかったことです。本件の研修生らは、来日後三日間に限っては、生活に関する座学研修に費やしましたが、それ以外は、朝から晩までミシンで車のシートを縫っていました。もともと研修生制度は、三分の一の時間を非実務研修(いわゆる「座学研修」)に費やすことを原則としていますので、その要件を充たさない点を指摘したのです。

 そして、第二に、積極的に労働者と認められる状況、具体的に本件では、(1)研修生の作業内容が雇用契約に基づいて行われる作業(労働)と全く区別されていないこと、(2)研修生には許されないはずの時間外労働に長時間従事させられていたこと、(3)会社自身にも、研修生が労働者と区別される存在であるとの認識がなかったと推認されることを要素として挙げました。

 もともと「研修」生という呼び方は、在留資格が「研修」であるというのみで、何ら実際の状況を反映したものではありませんでしたが、今回の判決により、「研修」生であっても、労働に従事している限り、最低賃金が保障されるという当然のことが明確になったと思います。同時に、今回、基準となった要件は、全国に年間一〇万と新規受け入れがなされている多くの研修生に当てはまるものです。ですから、今後、全国各地で行われている研修生問題において、裁判の場に限らず、法律相談や交渉等の場で活用していただければと思います。

今後の課題

 最後に、外国人研修生制度については法改正が迫っており、近いうちに研修生時代についても、明確に労働関係法の適用を認める改正があるようです。もっとも、その点の改正だけでは、多くの事件は解決されないことを訴えておきたいと思います。というのは、これまでも、一年目の研修生に限らず、二年目以降、労働関係法の適用の下にあった技能実習生達の最低賃金の不払い、旅券の取り上げ、不当な管理費、住居費の徴収、突然帰国させられる強制帰国の問題等が多数あり、全国でも多数の裁判が取り組まれています。

 今後も、これらの問題や「団体管理型」という受け入れ体制の下で、研修生らと会社とのブローカーの役割をしてきた機関の責任の問題、より根本的には、この制度が制度趣旨と乖離したまま維持されるべきかという問題が継続していきますので、今後も、この制度の行方にご注目下さい。

(最新の事件情報等については、外国人研修生問題弁護士連絡会

http://nagoya.cool.ne.jp/kenbenren/にもお問い合わせ下さい。)



住民訴訟の活性化に繋がる判決

〜市原野談合・弁護士報酬請求事件大阪高裁判決

京都支部  飯 田   昭

一 住民訴訟弁護士費用認容額としては最高額の判決

 二〇〇九年四月二二日、大阪高等裁判所第一三民事部(大谷正治裁判長)は市原野ごみ焼却場建設談合事件の住民訴訟の弁護士費用として、原審京都地裁判決(三〇〇〇万円)を変更して金五〇〇〇万円の支払いを京都市に命じました。住民訴訟の弁護士費用請求事件の認容額としては最高額と思われます。

二 談合住民訴訟

 二〇〇六年九月一四日、大阪高裁(同じ第一三民事部大谷正治裁判長)は市原野ごみ焼却場(=京都市東北部清掃工場)談合追及住民訴訟(原告七七四名)において、談合による不法行為を認定して川崎重工の控訴を棄却するとともに、原審京都地裁の判決を更に一歩進めて、談合による損害額を契約金額の八%(原審五%)と認定して、川崎重工は京都市に対し、総額金一八億三一二〇万円の損害賠償を支払うよう命じました。

 一連のごみ焼却場談合事件(全国一一地裁一三件)で初の高裁判決であると共に、談合による損害認定額としては、ごみ焼却場談合事件はもとより、高裁レベルでは談合事件全体について最高割合を認定したもので、談合根絶へ向けた司法の厳格な姿勢を示した画期的な判決と評価できます。

三 提訴経過

 最高裁は川崎重工の上告・上告受理申立を却下し、確定したため、川崎重工は、京都市に、損害額一八億三一二〇万円に、年五分の遅延利息五億七六六九万三〇二八円をつけて、二四億七八九万三〇二八円の金額を返還しました。

 原告団・弁護団は、地方自治法に基づき京都市に「京都弁護士会報酬規程」より低く、一億九三五三万九九〇七円を請求しましたが、京都市は弁護士報酬額は算定不能(八〇〇万円)であり、コピー代等実費にも満たない一九〇万円しかし払えないとの回答であったため、京都地裁に同額の支払いを求めて提訴しました(原告は上記住民訴訟の幹事ら一〇〇名)。

四 京都地裁判決の到達点と問題点

 提訴当時は、高裁段階を中心になお「算定不能説」が根強かったため、原告団・弁護団ではこれを「住民訴訟の活性化」のための試金石と位置づけ、京都地裁で阿部泰隆中央大学教授の意見書を二次にわたって提出したものが、判例時報二〇〇七、二〇〇九、二〇一〇号に掲載されたものです。

 その後、二〇〇八年六月一二日名古屋高裁判決(認容額元本九億円。回収額一二億四七二〇万円。認容報酬額三八〇〇万円。原審名古屋地裁を維持)、大阪高裁二〇〇八年八月二九日判決(ポンポン山弁護士報酬訴訟判決、認容額二六億一〇〇〇万円。回収額八〇〇〇万円余。認容報酬額一〇〇〇万円。原審京都地裁を維持)が出され、高裁レベルでも「算定不能説」は克服されてきましたが、なお両判決は中間説的なものでした。

 本件原審の京都地裁二〇〇八年九月三〇日判決(判例タイムズ一二九〇号一五三頁)は、算定不能説を排斥し、理論的には認容額説に近いものですが、なお決定的な誤りがありました。即ち、日弁連の「アンケート結果にもとづく市民のための弁護士報酬の目安」で、住民訴訟の「着手金」が一億円の請求で三〇万円程度までが平均であることなどから、「普通地方公共団体の財務行政の適正化という高い公共性を有する事件における弁護士報酬の相場額としては、一億四四二万九一五三円(注 京都市は八億一六三八万七〇〇〇円を回収額から国に返還しているため、回収額からこれを控除した一五億九一五〇万六〇二八円を基準とし、報酬規定により三〇%減額して算出した額)よりも大幅に低い額が設定されるものと推測されることを総合考慮すれば、本件報酬相当額は三〇〇〇万円とするのが相当である」と報酬規定から七〇%も減額してしまったのです。そもそも日弁連のこのアンケートは、住民から着手時に受け取る金額のアンケートであり、回収できた場合に地方公共団体に請求する金額ではありません(その意味では本件では実費以外にはゼロです)。公益事件では実際に回収できても報酬が低くてよいとする理屈は到底承服できないため、算定不能説に固執する京都市とともに、双方が控訴していたものです。

五 大阪高裁判決の前進点

 大阪高裁判決は、「住民訴訟の委任を受けた弁護士がする委任事務処理費用の負担が、直接当該地方公共団体から相手方に対する損害賠償訴訟の委任を受けた弁護士の場合より軽いとは考え難い」、「四号訴訟は報酬規定上金銭債権に係る事件にあたり、その経済的利益の額は利息及び遅延損害金を含む債権総額とするのが相当である」、「最高裁五三年判決の指摘する四号訴訟の訴訟額が算定不能であることと、本件報酬規定が定める経済的利益の額が算定不能であることとは別問題」などとして、明快に算定不能説を退け、認容額説に立ち、京都地裁同様、「住民訴訟は相当程度複雑困難な事件であったこと」、「京都市は寄与していないこと」を認定したうえで、高額であることより、弁護士費用を三〇%の範囲内で減額して九七〇〇万円と認定しました。

 しかしながら、「相当と認められる額」(地方自治法二四二条の二第七項)は、住民が依頼した弁護士と地方公共団体間には直接の委任関係がないため事前に報酬額についての話し合いができないことや多額の弁護士費用を請求されることにより地方公共団体の事務の遂行に支障が及ぶことをさけるべきことなどの考慮に基づくものと解されるとして、五〇〇〇万円の支払いを命じました。

 言うまでもなく、住民訴訟の活性化は、適正な地方財政の確保、住民自治の発展のために必要不可欠です。各地の住民と弁護士が大企業の談合という「犯罪」を許さず、市民の「税金は無駄にしない」という正義のたたかいに直ちに立ち上がり知恵と工夫をこらして奮闘するためにも、住民訴訟への正当な弁護士報酬額の確保は重要であり、高裁判決はなお不十分点を残すものの、これまでの到達点を大きく前進させたと評価できるものです。

六 別件最高裁判決

 ポンポン山高裁判決に上告受理申立てしている京都市が上告受理申し立てをすることは確実であるため、当方も上告受理申し立てを行うことを予定していたところ、翌四月二三日、最高裁判所は、宇治市の事案(判決認容額一億三〇〇〇万円。回収額九五〇〇万円。住民側代理人は大阪の井上元弁護士)で、弁護士費用を九〇〇万円と認定した京都地裁判決を破棄して算定不能説にたち三〇〇万円に減額した大阪高裁判決を破棄し、次の通り判示して宇治市の控訴を棄却しました。「『相当と認められる額』とは、旧四号訴訟において住民から訴訟委任を受けた弁護士が当該訴訟のために行った活動の対価として社会通念上適正妥当と認められる額をいい、その具体的な額は、当該訴訟における事案の難易、弁護士が要した労力の程度及び時間、認容された額、判決の結果普通地方公共団体が回収した額、住民訴訟の性格その他諸般の事情を総合的に勘案して定められるべきものと解するのが相当である」。

七 最高裁での残された課題

 そこで、当方も京都市が上告しないのであれば上告しないとの方針を決め、原告団は京都市に対し、(1)京都市は、京都市が支払う弁護士報酬金額は、談合という不法行為と相当因果関係のある損害として川崎重工に請求することができるため、これを怠ることなく、直ちに請求すべき、(2)本判決に対し上告・上告受理申立てをすることにより、市民の税金を更に無駄遣いし、川崎重工に対する損害賠償の機会を逸することのないことを申し入れるとともに、上記方針を伝えました。

 京都市はぎりぎりまで検討していたようですが、上告期限である連休明けの五月七日、やはり上告受理申立てをして最高裁の判断を仰ぐ旨連絡してきたため、当方も「原判決の一審原告敗訴部分を破棄し、金一億円の支払いを求める」との趣旨で同日上告受理申立てを行いました。上告審では「相当と認められる額」の解釈及び「国への返還額を基準額から控除することの違法性」を争点とし、更なる前進を図りたいと考えています。



四・一六〜一八

「アジア太平洋のミサイル防衛に反対し軍拡競争の

終わりを求めるソウル国際会議」に参加して

東京支部  盛 岡 暉 道

 あの四月五日の北朝鮮の人工衛星の発射は、最初に米軍の早期警戒衛星が探知して横田基地内の日米共同統合運用調整所に情報を送り、それが、現在まだ府中にある自衛隊の航空総隊司令部経由で、自衛隊の陸・海・空のミサイル防衛部隊(SM3積載のイージス艦、PAC3配備の高射部隊など)や首相官邸に転送されて、更に、自治体や報道機関に発表された。

 この横田基地内の日米共同統合運用調整所は、もう三年の前の二〇〇六年二月から運用を開始している。

 そして、府中の自衛隊の航空総隊司令部は、来年二〇一〇年一〇月には横田基地の米第五空軍司令部の建物の直ぐ前に移転する予定で、この総工費約五〇〇億円の移転工事は、昨年〇八年三月から始まっており、工事が完成すると米第五空軍司令部の建物と自衛隊航空総隊司令部の建物は、互いに地下で結ばれることになる。

 このように横田基地が、日米のミサイル防衛(BMDまたはMD)システムの中枢を担う役割を果たす基地に変化していることについて、横田基地の周辺自治体も住民も、関心は弱い。

 こういう、基地周辺の環境に、目に見え音に聞こえるような変化を与えていないが、実は、日米の軍事行動による東北アジアの平和を破壊する拠点と化している基地に対しては、どういう方法で反対を訴えるのが効果的か。

 頭をひねり続けている私たち「横田基地問題を考える会」に、四月一六日〜一八日に、ソウルで「アジア太平洋地域のミサイル防衛と軍拡競争を阻止するための国際会議」というものが開かれるという情報が入り、私(だけ)がそれに参加することになった。

 といっても、私は、この会議の日本からの参加者約二〇人の個人も団体(ピースボート、ピースデポ、「核とミサイル防衛にNO!キャンペーン」などなど)も、今まで全く接触がなく、私が参加申込をしたときには、もう締め切り日が過ぎていたが、幸いキャンセルが一人出て、参加OKとなった。

 しかも、参加手続きの情報の殆どは、不得手なメールで送られて来るだけなので、大いにまごつかざるをえなかったが、私は、八年前、新横田基地公害訴訟団と弁護団の仲間と一緒に、韓国の米軍基地訴訟などの運動体と交流するためにソウルとクンサン基地に行ったことがあるので、まあなんとかなるだろうとそんなに心配はしなかった。

 事実、四月一五日の午後三時過ぎに着いた金浦空港から地下鉄で、私は、高校生や若い会社員風の人に、「すみませんが」という韓国語は覚えきれないので、ただ「アンニョンハセヨ(今日は)」と云っては、ローマ字で駅名を書いたメモを見せ、「カムサハムニダ(有り難う)」とお礼をする、この二つの繰り返しで、午後五時半頃、本当になんとか、会場兼宿舎の「ソウルウイメンズプラザ」のある「大方(テバン)駅」にたどり着くことができた。

三 さて、四月一七日に全体会議の行われた「アジア太平洋地域のミサイル防衛と軍拡競争を阻止するための国際会議」は、「宇宙への兵器と原子力の配備に反対するグローバルネットワーク」と「武力紛争予防のためのグローバルパートナーシップ東北アジア」と韓国の一〇の平和団体でつくる韓国組織委員会の共同主催で、参加者は、韓国(延べ約五〇人?)、日本(二〇人)、アメリカ(一〇人)、オーストラリア(四人)、蒙古・ロシア・ニュージーランド・イギリス(以上二人)スウェーデン・イタリー・インド・ハワイ・香港・ナイジェリア・フィリピン・台湾・中国(以上一人)などで、この二〇人の日本人の内で、私の直接面識のある人は誰もおらず、ただ、名前を知っているのが、グローバルピースキャンペインのきくちゆみさん、国法協事務局長の笹本潤団員、日本人ではないが徐勝立命館大学教授の三人だけであった。

 なお、四月一七日には、同時に、「武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ(GPPAC)東北アジア会議」も開かれたが、私は、これには出なかった。(この会議のようすは、笹本潤団員がこの団通信の一三〇七号《〇九・五・一号》で報告しておられる。)会議はすべて韓国語と英語(日本人の報告者のみ日本語)で行われたので、我々英語のわからない日本人のために、きくちゆみさんが通訳してくれるコーナーが設けられたものの、出席中は発言の殆どが、十分には理解できないままであった。

 しかし、私は、最初から、ミサイル防衛反対する運動の雰囲気とヒントが掴めればそれでよいと覚悟していたので、それなりに興味深い会議であった。

 なお、日本からの報告は、「東北アジアに非核・非ミサイル地帯をどうつくるか」(藤岡惇:立命館大学教授)、「東北アジア非核兵器地帯条約・試案」(田巻一彦:ピースデポ)、「日米軍産複合体への挑戦」(杉原浩司:核とミサイルにNO!キャンペーン)の三本であった。

 さらに、帰国後に上記の杉原浩司さんから配信されたメールによれば、日本からは、「入間、浜松、名古屋、九州などのミサイル配備反対運動やピースデポ、ピープルズ・プラン研究所、ピースボートなどのNPOを含む約二〇人が参加した」となっている。

 会議が採択した声明文の大略は、

 「北朝鮮のロケット発射は、朝鮮半島の分断とアジア太平洋地域での(両側の)軍拡競争との副産物である(北南の両側の軍拡競争に原因があるという意味)という視点が必要であるにもかかわらず、脅威が大げさに解釈されてこの東北アジア地域でのミサイル防衛(MD)システム開発の正当性が持ち出されている。

 北朝鮮のロケット発射は、反対に、各国間の協力による相互軍縮に加え、諸国間の信頼の構築と関係正常化もまた、何よりの急務であることを示している。」

 「MDシステムは、莫大な経費を必要とする軍事費拡大の理論に基づいており、ただ軍産複合体を肥やすためのものでしかない。このシステムは、経済危機、社会福祉の崩壊、環境危機で苦しむ多くの人びとの救済に投資されるべき大量の資源を犠牲にすると言うことを忘れてはならない。」

 「不必要な攻撃的兵器の開発は、MDシステムを含め、直ちに停止されなければならない。人びとと地域の安全を無視する国家安全保障には何の意味もない。」

 「それゆえ、私たちは、今後、MDがまやかしであること、MDによって必然的に生じる軍拡と軍事紛争がもたらす被害を、広く人びとに知らせていく。国際社会の一員として、私たちは、私たちが今立っているこの地域社会から、軍事対立にとってかわる、平和共存と紛争解決をもたらす新たな平和のメカニズムを展開していくことを誓う。」

 というものであった。

 さらに、四月一八日には、「宇宙への兵器と原子力の配備に反対するグローバルネットワーク」(略称GNS)の公開理事会のような会議があり、私はこれにも参加した。

 会議は、勿論、韓国語と英語で、藤岡教授なども英語で発言するものだったが、日本人のために山口響さん(ピープルズ・プラン研究所事務局)が小声で通訳してくれたので、各国の運動の苦労が、生で出し合われていているのがわかり、やはり、興味深い会議であった。

 この四月一七日・一八日の会議で私が学んだ=考えたことは、

(1)なぜMD配備に反対するのか

・MD配備及び宇宙の軍事利用関連施設=通信基地などは、その施設=基地周辺の地域環境を、直接、物理的に破壊するわけではない。

・MDは(1)その国の国際的な地域での軍事バランスを崩して、果てしない軍拡競争を誘発する。

(東アジアでは、中国・ロシア・北朝鮮対日本・韓国・台湾・米国の軍事バランスを破壊して、新たな軍拡競争を招き、朝鮮半島の非核化の実現・推進を妨害)

(2)宇宙の軍事利用→宇宙の軍事支配・軍拡競争を激化させる。

・MDなどの配備は、必ず、宇宙の軍事利用のもとに行われ、この宇宙の軍事利用は、ミサイル防衛だけでなく、その通信網は、通常兵器による戦闘にも利用されて、宇宙利用(軍事衛星からの情報利用)側の圧倒的優位のもとに戦争が行ているし、将来、ますますそのように行わわれる。

(2)MD配備に反対運動の進め方

・このように、MD配備をはじめ、現在の軍拡競争は、必ず、宇宙の軍事利用にまで拡大することを予定しているのだから、

(1)莫大な軍事費=無駄遣いを要求していること

(2)それで、市民の年金・医療・教育が破壊されること

のことのわかりやすい教育・宣伝が必要

・例えば、兵士のヘルメットや銃などに軍事衛星から情報が送られて宇宙利用側が、容易に、市民を捜し出して殺害しているイラストなどでの教育・宣伝は、どうだろう。

 この会議に参加したメンバーは、それぞれの国で、この困難を克服する活動を試みている。

(3)だから、横田基地の空自総隊司令部移転とこれによるミサイル防衛システムの強化に対しては

・直接に、アメリカと自衛隊のイラクやアフガンへの部隊派遣に繋がる(から反対!)と叫ぶのではなく、日米のMD体制や軍事情報力の強化によって、東アジアにおける新たな軍拡競争=東アジアの平和の破壊になるから反対するということを基本とするべきか?

・つまり、横田基地の日米の軍事情報・通信の中枢基地化は、

(1)東アジアにおける新たな軍拡競争の震源地となるから反対

(2)宇宙の軍拡競争にまでつながる途方もない軍事費=無駄遣いの始まりであるから反対

(たとえば五月六日付しんぶん赤旗によれば、今回の北朝鮮ロケット事件で、発射の第一報はアメリカの軍事衛星からであったことから、日本も自前のものが必要としてとりかかっている情報収集衛星は、その開発・運用費用だけで六〇〇〇億円、早期警戒衛星は一機でも五〇〇〇億円以上である《横田基地への自衛隊の航空総隊司令部の移転工事費の総額が五〇〇億円であることを想起されたい》という。)

の大きく上記(1)(2)の二つの観点に絞った市民へのアピールが必要=有効なのだろうか?

 というようなことであった。

 なお、この四月一七日,一八日の会議の前後の四月一六日と一八日、一九日には、韓国組織委員会の周到な準備のもとに行われた次のような現地訪問もあり、私は、そのすべてに参加した。

(1)非武装地帯とその近隣の対人地雷による被害の部落訪問

 この被害地域に入るには、予め生年月日の申告とパスポートを提示が必要で、そこには、未だに、カンボジアなどより大きい密度で対人地雷が埋まっている。ここを訪問したノーベル平和賞のジョディ・ウイリアム女史から、対人地雷で失った両足に義足を贈られた農民の人たちと懇談

(2)オサン(烏山)米空軍基地前で基地拡張への抗議行動と基地周辺の視察

 ここでの抗議行動では、GN事務局長ブルース・ギャグノンがスピーチをして“私たちは退かない We shall not be moved”を歌い、私たちも手をつないで合唱した。

 この基地では八機のPAC2ランチャーや横田基地にも飛来するC17C135などが目撃された。

(3)パジュ(坡州)のムゴンリ(Mugenon-ri)米軍射撃演習場拡張に反対する村民の激励行動

 この射撃演習場では二〇〇二年二月に、二人の女子中学生が道路上で、米軍の装甲車に跳ねられて死亡した。その事故現場とそこに米軍が建てた追悼碑を訪れ、さらに、団結小屋にもなっている住民の集会所で蝋燭を灯しながらの交流会に参加した。

 私は、このソウル会議の参加によって、初めて、「宇宙への兵器と原子力の配備に反対するグローバルネットワーク」の人たちの運動に接したが、かれらの、日本でも欧米でも、必ずしも目に見え音に聞こえるような基地被害の出ていない地域での、ミサイル防衛システムは、必ず、アジア太平洋地域での軍拡競争を激化させ、宇宙での兵器の配備と核戦争を誘発させるから、反対する。≠ニいう、自分たちの属している地域を超えて、いわば、アジア全体、世界全体のために、MD体制に反対し、宇宙の戦場化に反対するという視点と志に、大きな示唆と感銘を受けた。

 (更に、私は、この五泊六日の会議の内、四泊を一緒に過ごして大変なお世話になった山口響君(ピープルズ・プラン研究所事務局、国立市在住)という若手の研究者と知り合いになり、今後とも、私たちの運動に協力をしてくれることを申し込んで快諾を得るという嬉しい土産も持ち帰ることができた。―早速、我が「美堀町九条の会」は、この八月二日(日)、彼を講師に学習会「横田基地のミサイル防衛システムと憲法九条」(仮題)を持つことになった。)

 他方で、私は、私たちの「横田基地問題を考える会」のMD体制に反対の運動は、あくまでも、横田基地に焦点を絞った“あわてず、あせらず、あきらめず”のモットーを肝に銘じた長い運動でなければならぬとも自分に言い聞かせている。



ちょっぴり荷を背負って五月集会へ(その二)

東京支部  中 野 直 樹

 再び、昨年の五月集会の回想である。というよりアフター・ファイブのもう一つの荷を背負う自主企画である。下呂温泉から飛騨路を北上して高山市の代官屋敷跡と町並み景観に目を休めたあと、残照の安房峠を越えて、信州側の上高地道路をくだり、途中で右折して乗鞍高原温泉郷に登り返した。秋田五月集会後の鳥海山、山形五月集会後の月山以来の乗鞍山頂スキーツアーに胸が膨らむ。主宰は埼玉の南雲芳夫団員、随行は神奈川の三木恵美子団員と私である。

 朝五時、寝息をたてている南雲さんを気づかいながら布団を出て、外にでた。車で二〇分ほど下り、昨日のぼってくるときに眼にした沢の橋のたもとの空地に止めた。軽トラックが一台とまっていた。温泉宿のサンダル履きで、危なかしく沢におり、釣り竿をのばした。雪解け水は冷たく水生昆虫が羽化するような状態ではなく、毛鉤が流れにむなしく遊ばれるだけである。川原の丸石に足をとられながら四〇メートルほど進むと、川中に釣り人が川虫を採取している姿が目に入った。岩魚の気配も感じとれないで心残りであったが、いさぎよく撤退した。

 宿への帰路、眼前に、残雪豊かな乗鞍岳が青空を後背にどっしりと鎮座していた。道ばたの木々の新緑に縁取られたその雪面は朝日に橙色に染まっていた。宿にもどり、もみじ湯と名付けられた露天風呂に入った。うす青色の白濁温泉に冷えた身体を暖めながら、空を眺めると、若芽の吹き出した落葉松の梢に深山の冷気をはらんだ朝の風が渡っていた。

 乗鞍高原温泉スキー場の残雪と土肌が斑模様をえがく斜面を横切りながらバスが高度をあげるにつれ、春景色から冬の装いに逆戻りである。しらびその森はまだ根雪が支配し、道添いの広葉樹は裸木で寒そうである。バスは山スキーをもった人々を拾い、満員となった。

 九時すぎ、終点位ヶ原(標高二三五〇メートル)からスキーを装着しての登りとなる。幼い頃遊んだ長靴スキーは自ら登らないとスキーにならない。子どもらは、村の山の比較的木々がまばらな斜面を物色しては、横歩きに登りながら滑走面を踏み固めた。長いコースでせいぜい五〇メートルほど。滑り降りてはまたせっせと板をハの字にして登り直した。吹雪のなかで汗びっしょりになったことが私のスキーの原風景にある。

 今の山スキーは便利にできている。板はカービング仕立て、靴は合成樹脂製である。ゲレンデスキーと違うところは、ビンディングにある。滑走するときにはかがとを固定するが、スキー歩きをするときには、かがとを自由に浮かせる。板の滑走面に逆送防止用シールを貼り付けると、胸をつくような急斜面でも直登ができるから痛快である。

 三木さんは、久しぶりのせいか、前に進むことに苦労している。南雲さんが、こつを教えているがなかなか身体に伝わらない。山スキー歩きは、板を雪面につけた状態で片足ずつ膝を前に突き出して、板を押し出す。そしてこの直後に、滑らせた板を、かがとで踏み込むことが大事である。この踏む込みによりシールの繊毛が雪面に食い込み、板が後退しなくなるのである。ダケカンバの林を過ぎると斜度が増した壁となった。三木さんは一歩前進半歩後退の模索をしながらもなんとかここを乗り越えた。

 真っ青な空から日差しが雪面を照らし、サングラスなしには目をあけられない。眼前にひろがる大斜面を登り切ると、左手に、剣が峰、蚕玉岳、朝日岳、摩利支天岳と連なる乗鞍岳の姿が大写しになり、右手遠方に穂高山塊と槍ヶ岳がくっきりと浮かぶ。山登り人の心がときめく瞬間である。

 一一時、エコーラインの除雪作業の重機音が響くところで、三木さんと分かれて、南雲さんと二人で、頂上をめざして踏み出した。朝日岳と蚕玉岳の間(コル)下の雪渓を直登する。斜度に合わせて四段階に高さ調整ができるビンディングのかがとを直角の状態にし、長さを調整できるストックも短く縮めて急斜面に食らいつく。日差しに融けた雪の表面が崩れ、肩で息をしながらあえぎあえぎの苦しみとなる。

 一二時、ようやく稜線に出た。板をはずし、頂上へ向かった。剣が峰(三〇二六メートル)のピークには頂上小屋がある。昼食をとりがなら、南方の眼前にどっしりと座る木曽御嶽山を眺めた。私はまだ登れていない名山であるが、南雲さんから、一年前、この御嶽山に山スキーで登ったとの話を聞き、私も来年、山スキーでいこうと心が決まった。眼を北側に移せば、北アルプス、中央アルプス、南アルプス、八が岳の雪嶺の大パノラマに時間のたつのを忘れる境地である。私の故郷の白山も遠望できた。

 さて、いよいよ大滑降である。剣が峰と蚕玉岳の間の沢のコースを選んだ。先行する南雲さんの姿が見えなくなったが、出だしで転倒したようである。飛び出しから三〇度ほどの斜面で落ち込んだところを小回りターンで右側に回り込む。やがて斜面は左にカーブを切り広い直線バーンとなったところで、大回りターンに切り換えて加速し、醍醐味のある滑走となった。かがとが固定されているものの、ゲレンデ用に比べ、板が軽めである、靴の足首固定がゆるい、そして背負っているザックの重さが余計な遠心力をもたらす。そのためゲレンデスキーのように雪面に吸い付くという安定感はなく、ザラメ雪の凹凸にたえずバランスを乱され、身体が振られる、最後は疲労した足がばたばたとなってしまった。

 標高差四〇〇メートルの滑走は、つらい登りの何十分の一の時間で終わった。エコーラインを横切るところで、三木さんと合流したあと、それぞれの技量で、思い出のシュプールを雪面に残しながら、位ヶ原に向かった。