過去のページ―自由法曹団通信:1318号      

<<目次へ 団通信1318号(8月21日)



広田 次男
二一世紀の森処分場・勝訴の報告
穂積 匡史
大手鉄鋼会社「JFEスチール」で偽装請負!直接雇用を求め提訴
大久保 賢一
[核兵器のない世界]を妨害する日本政府
中島  晃
“NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」を考える”市民シンポジウムに、二〇〇人が参加
中野 直樹
鬼門の峪(その三)
松井 繁明

【*書評*】
吉田博徳『平和運動発展のために―多数派構築をめざして』

菊池  紘 大森典子さんの「歴史の事実と向き合って・中国人『慰安婦』被害者とともに」を読む
上条 貞夫 坂本修団員の最新講演録(二〇〇九年六月)
『憲法をめぐる新しい情勢とこれからの課題』を、先手必勝のスプリングボードに活用しよう



二一世紀の森処分場・勝訴の報告

福島支部  広 田 次 男

一 はじめに

 六月二二日、被告A商事が、請求認諾の書面を裁判所に提出した事により、一九九七年から始まった足掛け一三年に亘る斗いは、住民運動の全面勝利に終った。

二 斗いの端緒

 一九八八年にA商事が土地を取得して大規模土地取引を届出た土地はいわき市のほぼ中央に位置し、西側には内郷綴町秋山および金谷といった中世から続く古い集落が、東側には市内の最高級住宅地といわれる温泉つき分譲地である草木台団地が拡がり、その周辺は「二一世紀の森」として市が環境整備を進めていた。

 建設計画書では、内郷と草木台の間の谷に廃棄物を埋め立て、その搬入量は二六〇万立法メートルで、当時、東洋一とされた。

 しかし、この計画は住民に宣伝される事なく、住民がその詳細計画を知ったのは、一九九七年であった。

 この計画の推進者は、当時の民主党いわき支部長であり、県議を兼ねていたBであり、Bは市の公害関連の元職員で、公害行政に長けていた。

 一九九七年、内郷側市民により「阻止する会」が結成されるが、処分場予定地周辺住民各戸に金五〇万円が投げ込まれるなどして、ゴミ業者が圧倒的に有勢であった。

三 斗いの発展

 二〇〇一年、谷を越えて内郷と草木台が手を握り、反対運動は「二一世紀の森産廃処分場に反対する会」と改称し、裁判による阻止も決議された。

 予定地の周辺は、人家の密集地であり、保育園、学校、病院が多数存在する。予定地は両岸に広大な農地を有する滑津川の源流である。

 私は、この裁判は大きな大衆的運動に発展すると思った。

 そこで、裁判と同時に運動の発展に心を砕いた。

第一に、政治的中立を徹底した。

 反対運動に積極的に加入してくる人々は市民意識も高いから、当然、各々の政治的立場を有しており「会」の場に各々の政治的立場を持ち込まれては「会」が持たない事は明らかである。

 各個の政治信条は尊重しつつ「会」としては政治的中立を貫いた。

第二に、運動体の確立を見定めたうえで、私の事務所を拠点としていた「会」の事務局を外に出すことであった。

 私の事務所は、夜は何時まで居ても無料だし、ユックリ会議もできるし、お茶もコピーも使い放題だし、大体の場合に貰い物の菓子もあるから、ひどく居心地がよい。

 しかし、私は強引に「会」の事務局を、私の事務所から追い出した。

 何故ならば、私の政治的旗幟は鮮明であり、私の事務所を拠点とする幾つかの市民運動も同じ旗色と見られている。

 運動の性格によっては、それで良いと思っているが、この「会」は、その性格と課題からしても、同じ旗色に見られる事で折角の発展の条件が阻害されると思った。

第三に、最も活動家らしくないオバチャンを会長に強く推し、強引に本人を説得して、会長職を納得させた。

一部活動家から、強烈な非難があった。

「何も分からない人を会長にするなんて、大事な運動なのに広田弁護士の明らかなミスキャストだ」と面と向って言いにくる人もいた。

四 斗いの飛躍

)斗いの飛躍の原点は、多くの人々の個人的活動量である。

オバチャンは、何も分からない人ではなかった。

処分場の危険性をオバチャン言葉で喋り拡げた。

次々と第二、第三のオバチャンが生まれた。

孫に当るオバチャンも生まれた。

許可権者である市長に提出した、処分場建設反対署名数は、最終的に一九万三〇〇四人に及んだ。(いわき市の人口は約三四万人余)

)次々と集会を重ね、東京、宮城、茨城、山梨などから人を招き、処分場の危険性についての、講演会を開いた。

 全ての市会議員にアンケートを送付し、市議会は全員一致で処分場反対を決議した。

 二〇〇五年の市長選挙に於いて、処分場建設反対を明確にする市長が当選した。

)漁協、農協、労働組合、婦人団体など市内の主だった団体の協力を求めた。

 特に医師会、歯科医師会、薬剤師会、「いわき三師会」の有志名をもって、地元紙いわき民報に三週間連続で紙面の一面買い切りの反対意見広告を続けた。

五 訴訟の経過

)運動を支え、拡大するためにも訴訟が必要と考えた。

現地は、江戸期からの入会共有地で、様々に分・合筆が繰り返され、その経過は極めて複雑であった。

 広大な処分場予定地の公図、字切図、登記簿謄本、閉鎖謄本、土地台帳の全てを舐めるように見た結果、

(1)処分場予定地に接して、未売収地がある事。

(2)未売収地は、囲繞地である事。

(3)囲繞地に最も近い市道が、処分場予定地を横断している事。

などが分った。

)そこで、二〇〇四年一二月一〇日、囲繞地から市道までの通行権確認を求めて提訴した。

 二〇〇六年一一月一五日、いわき支部の判決は住民敗訴であった。

理由は、住民の主張した道路ではなく、「最後に分筆をした土地(「一番二四」という)を通行すべし」というものであった。

)分筆の経過は前述の通り複雑であったため、最後の分筆の経過につき疑問なしとしなかったが、仙台高裁もいわき支部と同様な判断をした。

 一番二四は住民主張の道路より、深く処分場予定地に進入しており、一番二四の通行を認められる方がA商事にとっては痛手と考えられた。

)そこで、二〇〇八年四月一六日に、仙台高裁、いわき支部の理由を引用する形で、一番二四の通行権確認の訴を再提起した。

 双方の主張も出揃い、主張整理も終わり、次回は証人尋問という時点で、A商事は「採算がとれなくなったので撤退」を表明し、認諾となった。

六 まとめ

 裁判が運動拡大の一要因になった事はまちがいない。

 但、その費やした労力に見合う形で成果に繋がっているかについては疑問ありとしない。

 A商事が投入した資金は八億超と言われている。 

 「採算が採れなくなった」との表明を額面通りに受け取る訳にはいかない。

 今後とも油断はできない。

 しかし今回の認諾調書が、いわき市民にとって大きな意味のある勝利である事は間違いない。

七 追伸

 私は、八ッ場ダム訴訟の全体原告団、弁護団兼任事務局長として「八ッ場ダム三連敗」の報告を団通信に書いた。

 青法協、日民協、公害弁連からも同じ報告を書くようにとの要請があった。

 なかには、親切に「(私の責任で)他の弁護士に(指示して)書かせても良いですが」と言ってくれるところもあったが、まさか三連敗の報告を他の弁護士に押しつける訳にもいかない。

 結局、少し味付けを変えた同じような文書を四回書いた。

これで「三連敗の弁護士」のイメージが定着したと思う。

八ッ場訴訟は六地裁で進行しているから、やがて「六連敗の弁護士」になるかも惧なしとしない。

 話は変るが私は弁護士として、いわき市に移住するまで相当熱心な労山(日本勤労者山岳会)の会員であった。

 所属会に「雨男」と評価されるメンバーが居た。

そのメンバーが山行に加わると「降る訳のない雨が降る」とされた。

もっとも会員は、相当に先鋭的な強者揃いだったので「山の雨は当り前」として、気にかける様子もなかった。

 八ッ場ダム訴訟を「負ける訳のない裁判」と考える団員はいないと思うが念のため、この勝利を報告して「雨男」の評価の阻止をはかりたかった。



大手鉄鋼会社「JFEスチール」で偽装請負!直接雇用を求め提訴

神奈川支部  穂 積 匡 史

 売上三兆四千億円、利益四千億円(いずれも〇八年実績)を誇る世界規模の大手鉄鋼会社JFEスチール梶i日本鋼管と川崎製鉄が経営統合)の東日本製鉄所京浜地区内で、いわゆる事業場内下請業者の共和物産鰍フ期間工約二〇名が、二〇〇九年三月末、突如雇止めされました。

 そのうち二名は、共和物産の社員でありながら、八〜一〇年間にわたって、JFEスチールの鋼板塗装ラインで働いてきました。このラインは三直三交代制で、二人はそれぞれA組とC組に配置されていました。各組とも六〜七名のうち、共和物産の社員は一人だけ。ほかは全てJFEスチールの社員でした。そして、二人は、JFEスチールの従業員ばかりの中に混じって、同従業員から直接かつ詳細な指示を受けて作業に当たり、休憩時間の取得もその指示に従っていました。また、休憩中はJFEスチールの社員が二人の代わりに作業に当たっていました。これは明らかな偽装請負です。そして、JFEスチールが二〇〇九年四月から、この二名の仕事を自社従業員で賄うことにしたため、二人は雇止めされてしまいました。

 ところで、JFEスチールは、人件費の削減と雇用の調整弁としてこのような偽装請負を利用し、さんざん利益を貪った挙句、一〇年間にわたって中間搾取された低賃金で働いてきた労働者をあっさりと切り捨て、未曾有の不況といわれるにもかかわらず今期も純利益二〇〇億円を見込んでいます(二〇〇九年七月二八日発表の二〇〇九年度業績見通し)。

 このような労働者の使い捨ては許されません。二人は、JFEスチールとの間で黙示の労働契約が成立しているとして、二〇〇九年七月三一日、同社を相手どって直接雇用を求める訴えを提起しました(横浜地裁川崎支部)。

 このほか、共和物産による期間工二〇名の雇止めは、就業一〇年前後の期間工一二名で見た場合、組合員五名が全員雇止めされた一方、非組合員七名は全員雇用継続されるという、組合員を狙い撃ちした明らかな不当労働行為でした。そこで、雇止めされた組合員のうち四名が、共和物産に対する地位確認等を求め、前記JFEスチールと併せて提訴しました。

 非正規切りに偽装請負と不当労働行為が重なった絶対に負けられない訴訟です。川崎合同法律事務所で弁護団を編成し(西村隆雄団長)、川崎労連等の支援を受け、徹底的に闘っていきます。



[核兵器のない世界]を妨害する日本政府

埼玉支部  大 久 保 賢 一

問題の所在

 米国で、核政策の見直しが進められている。「核態勢見直し」(Nuclear Posture Review―NPR)|という作業で、八年に一度行われるものである。今年末までにはその結果が公表される予定である。今回の見直しは、四月五日のオバマ大統領の「核兵器のない世界」を目指すとしたプラハ演説をどのように具体化するのかという課題を担うものである。オバマ政権の核政策の基本となるもので、オバマ演説が今後どのように生かされるのか、その見直しの内容に注目しなければならない。

 オバマ演説以前・以後の経緯を見れば、米国の核戦略の見直しの内容は、(1)核兵器の廃絶をめざして、(2)核兵器に依存する戦略を見直し、(3)米ロ間の核軍縮から始めて、(4)核不拡散条約(NPT)の誠実な履行、(5)包括的核実験禁止条約(CTBT)の発効、(6)軍事用核分裂物質生産禁止条約(FMCT)の制定などを目指す内容となることが期待されている。(オバマ演説には核抑止論の残滓があるので予断は許されないが。)

 ところが、日本政府は、米国の核政策見直し、特に、核兵器に依存する戦略の見直しに、一般的に言えば慎重、はっきり言えば足を引っ張る姿勢をとっているのである。

日本政府の姿勢

 中曽根外務大臣は、四月二七日の演説「ゼロへの条件―世界的核軍縮のための『一一の指標』」でこういっている。「核軍縮・不拡散を進めていく際には、現実の安全保障環境を踏まえる必要があります。東アジアの状況にかんがみれば(北朝鮮の危険性と中国の不透明性のこと。筆者注)、日米安全保障体制の下における核抑止力を含む拡大抑止が重要であります。」、「国際的な核不拡散体制を維持・強化しつつ、核兵器のない世界という到達点と、そこに至るまでの過程で、国際的安全保障を維持できるような現実的な核軍縮の方途を、より具体的に検討すべきです。」

 要するに、「日本の安全に万全を期すためには、核を含む米国の抑止力に頼る必要がある」というのである(外務省ホームページ)。

 この姿勢は確固としたもののようで、「米戦略態勢に関する議会委員会」(委員長ペリー元国防長官)の最終報告(「核態勢の見直し」に大きな影響を及ぼすとされる)は、アジアの一部の同盟国(日本のこと)が、米国が不要と考えている攻撃型原子力潜水艦に搭載されているトマホーク地上攻撃型核ミサイルの退役に深い懸念を抱いているとしているのである(しんぶん赤旗〇九・八・四)。

 また、四月六日・七日にワシントンで開催されたカーネギー国際平和財団主催の国際会議で、日本は対米同盟を絶対視し、中国や北朝鮮を意識して、冷戦時代の抑止論を繰り返し、会場に場違いな印象を残したとされている(毎日新聞〇九・五・四)。

 整理しておくと、「唯一の被爆国」を枕詞に、核兵器の究極的廃絶を口にする日本政府は、「唯一の核兵器使用国」としての道義的責任を認めて「核兵器のない世界」を目指すとした米国大統領がその核戦略を見直そうとしているのに、「核の傘」をはずさないでくれと頼み込み、核兵器依存体質を維持しようとしているのである。唯一の被爆国日本が、唯一の核兵器使用国米国の核軍縮・核不拡散・核廃絶への政策転換を妨害するという「皮肉な悲劇」(米国・「憂慮する科学者同盟」のグレゴリー・カラキー)が展開されているのである。

日本政府の姿勢が及ぼす影響

 この日本政府の姿勢は、米国国務省、国防省、国家安全保障会議なども含め米国内に残っているオバマ大統領の核政策転換に反対する勢力に勢いをつけることになるであろう。元々、核兵器の先制使用も含めて核兵器依存国家戦略を支えてきたのは、米国のいう自由と民主主義と市場経済を承認しない国家に世界支配を譲るぐらいなら地球の滅亡も辞さないという勢力と、核兵器の生産と維持に依存する軍需産業である。端的に言えば、強力な武力を背景にして、野放図な金儲けができないのであれば地獄のほうがましだと考えている連中である。彼らが簡単に権力と利権を手放すと考えるのは余りにもナイーブであろう。彼らはこう言うであろう。「同盟国日本が必要としている『核の傘』は核抑止と拡散抑止に不可欠なものだ。」、「同盟国との信頼関係を維持しなければならない。」、「もし、ここで我々が『核の傘』をはずすようなことがあれば、彼らは我々に不信を持ち、独自に核兵器の保有に走るであろう。現に日本には、そういう勢力が存在しているではないか。」、「そのようなことはかえって我々の安全保障にとって不都合である。」、「だから我々は核兵器を手放すことはできないのだ。」などと。

 このままでは、オバマ大統領が命懸けで提案した「核兵器のない世界」は、その重要な一歩を踏み出せないことになってしまう。もしこのような事態を是正することができなければ、私たちは、「皮肉な悲劇」の鑑賞者にとどまらないで、悲劇を生み出す張本人の役割を演ずることとなるであろう。

日本政府の問題点

 日本政府の主張は、「東アジアの状況にかんがみれば、米国の『核の傘』でわが国の安全を保障してもらう必要がある。」、「北朝鮮と中国の脅威からわが国の安全を確保するために、米国の核兵器を頼りにする。」というものである。北朝鮮は核兵器もミサイルも持っているし、中国も核軍縮をしようとしていない。もし彼らがわが国を攻撃するようなことがあれば、米国に核兵器で反撃して欲しいというのである。

 この主張の特徴は、「核兵器による抑止」(核抑止論)を前提としていることである。ここで「核抑止論」とは、敵国が攻撃に出れば核兵器による反撃を受け、壊滅的な打撃を受けるということを恐れて、攻撃を思いとどまるであろうという「理論」である。そもそもこの「理論」は数多くのパラドックスに満ちていた(岩田修一郎)。この「理論」がパラドックスに陥ることは無理もないことである。何故なら、この「理論」は、核の恐怖で相手の行動を制約しようとするものであるから、核を使用しないということであれば恐怖を覚えさせることはできないし(もちろん相手が核攻撃を恐れないのであれば効果はない)、核を使用すれば「相互確証破壊」が現出するか(米ソ間の核戦争)、少なくも非人道的国家としての烙印を押され「政治的敗北」をすることになるからである(非核兵器国への使用)。「相互破壊」も「政治的敗北」も避けたいということになれば、使用できない兵器に巨額の国費(米国の核開発に投入した国防予算が年間五〇〇億ドルに達したこともあるという)を費やすことになる。使用することができない兵器に自国の命運を託するというパラドックスである。「悪魔の兵器」に自国の安全を委ねる愚かさに気づくべきであろう。核抑止論は自縄自縛の中でもがき続けてきたのである。

「核抑止論」の副作用

 この「理論」に囚われてしまうと、思考停止という副作用も起きることになる。北朝鮮との国交の確立や中国との友好関係の樹立などを忘却してしまうという副作用である。何らかの脅威を覚えるのであれば、その脅威の正体を正確に把握し、その除去を試みればよいのに、いたずらに脅威を言い立てるだけに終始してしまい、軍事力による対立や恐怖で相手を制圧するという方策以外に想いが至らなくなるのである。米国の核という使用できない武器に依存して事足りるとしていた付けが回っているのである。

 核兵器に頼れば自国の安全が確保できると考えるのは、単に論理的に非整合的というだけではなく、実践的にも有効でないことは、最大の核兵器国である米国が核兵器に脅えていることを見れば明らかである。日本の「核抑止論」に基づく安全保障政策はその根本において間違っているのである。「北の核の脅威」に対抗するために「核の傘」に頼るという姿勢は、多くの被爆者が指摘するとおり、核兵器廃絶を遠ざけるだけではなく、一層危機を深めることに直結するであろう。

求められていること

 今私たちに求められていることは、オバマ演説の積極的側面を評価し、核廃絶に向けた彼の決意の実現をサポートすることである。兎にも角にも、核超大国の政治リーダーが、「核兵器のない世界」の実現についての道義的責任を宣言したのである。この機会を活かさないという選択肢はない。そのためには、核兵器の必要性を支える「核抑止論」の没論理性と無用性を確認し、それを乗り越えることである。合わせて、核の恐怖に依存しない安全保障体制を樹立することである。当面、国連憲章が定める「各国の主権の平等」と「武力行使禁止」の規範を遵守し(更にその発展形態として日本国憲法九条がある)、核兵器の先制不使用を確立し、核不拡散条約(NPT)を誠実に履行し、北東アジア非核地帯条約を実現すべきである。その地平に立って、「核兵器廃絶条約」を実現すべきである。そのような運動の原動力となるのは、核兵器が人間に何をもたらしたのか、ヒロシマ・ナガサキの実相を知り、世界のヒバクシャの叫びを聞くことである。大量・無差別・残虐かつ永続的な被害をもたらす核兵器の犯罪性・非人道性を知るならば、核兵器に頼りながら語られる「平和」や「安全」がいかに欺瞞に満ちた気色の悪いものであるかを確信できるであろう。

(二〇〇九年八月六日記)



“NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」を考える”市民シンポジウムに、二〇〇人が参加

京都支部  中 島   晃

〔はじめに〕

 NHKは、今年一一月から、スペシャルドラマとして、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」を放映する計画をしている。しかし、「坂の上の雲」は、作者自身が生前テレビドラマ化を承諾しなかったといういわくつきの作品である。

 自衛隊がソマリア沖に出動し、海外派兵の恒久化がおしすすめられようとしているこの時期に、NHKが「坂の上の雲」をテレビドラマとして放映することは、憲法九条の改悪の動きにつながる危険性を多分はらむものである。そこで、この問題に関して、今年二月一日の団通信に、「『坂の上の雲』のテレビドラマ化を懸念する」と題する拙文を掲載して、警鐘を鳴らした。

 しかし、問題提起をしただけでは不十分であると考え、実際に、NHKによる「坂の上の雲」のテレビ放映を市民の立場から批判して、議論を巻き起こしていくために、京都で全国で初めての試みとして、去る七月一八日、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」を考える℃s民シンポジウムを開催した。

 このシンポジウムは、近代史の研究者やメディア関係者をはじめ、趣旨に賛同する市民によって結成された実行委員会(実行委員長 岩井忠熊立命館大学名誉教授)が主催したものであるが、当日のシンポには、私たち主催者の予想を上回る約二〇〇人の市民が参加して、熱心に議論がなされた。このことは、この問題に対する市民の関心の高さを示すものである。このシンポジウムのプログラムは後記のとおりであるが、このシンポの議論を通して、今回のテレビ放映には、さまざまな疑問や問題のあることがうかびあがった。そこで、明らかになった主な疑問を紹介すると、次のとおりである。

〔スペシャルドラマ「坂の上の雲」の放映をめぐる疑問〕

 司馬遼太郎は、生前、「坂の上の雲」の映像化を拒み続け、その理由について、ミリタリズムを鼓吹しているように誤解される恐れがあること、しかもそれが弊害をもたらすかもしれないことをあげている。

 NHKが何故、上述した誤解や弊害をおそれた作者の遺志に反してまで、「坂の上の雲」をテレビドラマとして放映するのか、非常に大きな疑問をもたざるをえない。

 「坂の上の雲」は、日露戦争を祖国防衛戦争ととらえたうえで、明治の若者たちが祖国日本の防衛のためにいかにたたかったかという視点から描かれている。しかし、日露戦争は、日本とロシアとの間でたたかわれた植民地争奪戦争であり、このことは、日本が日露戦争に勝って間もなく、朝鮮を植民地にしたことからも明らかである。

 NHKが「坂の上の雲」をテレビドラマとして放映することは、日露戦争を祖国防衛戦争とみる、特定の誤った歴史観を視聴者に押しつけるものであり、中国や朝鮮など北東アジアの人々の感情を逆なでするものであって、公共放送のあり方からいっても重大な疑問がある。

 NHKは、「坂の上の雲」をスペシャルドラマとして制作するにあたって、このドラマを「国民ひとりひとりが少年のような希望をもって国の近代化に取り組み、そして存亡をかけて日露戦争を戦った『少年の国・明治』の物語」であるとしている。しかし、この作品の主人公である秋山好古、真之兄弟のように、日露戦争を戦った軍人だけが明治の若者ではなく、日露戦争に反対した内村鑑三や幸徳秋水、堺利彦、さらには「君死にたもうことなかれ」とうたった与謝野晶子などの存在もまた、日本の近代化を考えるうえで、重要なことはいうまでもない。

 にもかかわらず、日露戦争に反対し、これを批判した明治の若者の存在を無視した「坂の上の雲」のテレビドラマ化は、「ミリタリズムを鼓吹」する危険があることは明らかである。しかも、こうした危険のあるドラマの最終回(「日本海海戦」)をもって、NHK「プロジェクトジャパン」の企画を締めくくることに、大きな疑問や懸念をもたざるをえない。

 一昨年五月に、憲法「改正」手続法が成立し、平成二二年五月から施行される。

 この法律の施行により、国会で三分の二以上の議決により、憲法「改正」が発議されると、国民投票が実施されることになる。こうした時期に、「坂の上の雲」がテレビドラマとして放映されることは、一歩間違えば、「ミリタリズムを鼓吹」することによって、憲法九条の改悪に向けた世論操作に利用されるおそれがあることは明らかである。このことは作者自身が映像化による誤解や弊害が生ずることを恐れていたことからも裏付けられる。私たちが、こうした時期にNHKがスペシャルドラマ「坂の上の雲」を放映することに大きな疑問を持つのはここにある。

〔結び〕

 私たち実行委員会は、市民シンポのなかで明らかになったこうした疑問を、公開質問書の形でNHKにぶつけて、引き続きこの問題に対する監視と批判活動を継続していくことにしています。

 なお兵庫県では、今年一一月に、京都で行われた同じような市民シンポジウムを開催する計画が進められており、このシンポをコーディネイトする弁護士を紹介してほしいと言ってきています。誰か兵庫県の団員が引き受けてくれると有難いのですが。そうでないと、小生が兵庫県まで引っぱり出されそうですので。また、今回のシンポジウムの基調講演を行った中塚明氏の著書『司馬遼太郎の歴史観―その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う』(高文研)が出版される。是非、ご購読を。

(追記)その後連絡が入って、神戸で弁護士が見つかったそうです。

〔プログラム〕

◎ 第一部  一三時三〇〜一四時三〇

実行委員長挨拶 岩井 忠熊(立命館大学名誉教授)

 基 調 講 演  中塚  明(奈良女子大学名誉教授)

◎ 第二部  一四時四〇〜一六時五〇

パネルディスカッション

○パネリスト

井口 和起(京都府立大学名誉教授)

神谷 雅子(京都シネマ代表)

土橋  享(映画監督)

湯山 哲守(NHKを監視・激励する視聴 者コミュニティ共同代表)

渡辺 輝人(弁護士)

○コーディネーター

中島  晃(弁護士)

閉会の挨拶 隅井 孝雄(ジャーナリスト)



鬼門の峪(その三)

東京支部  中 野 直 樹

 けたたましい雷鳴がとどろいた。ヘッドランプをつけると午前二時であった。木立から天幕にしずくが落ちる音がしたかと思うと、土砂降りとなった。このときは一五分ほどで収まったが、苦行の幕の予告であった。

 明け方、再び強い雨が天幕をたたき始めた。雨具を取り出してテント外へ出てみると、岡村さんが、夕餉のあと河原においたままになっていた食器、コンロなどを川辺から高台に引き揚げていた。朝日沢には泥水が石の頭を隠すほどに増水し、水辺の草を揺らせ始めていた。岡村さんは、直前まで朝日沢を釣り上がっていたところ、この急変となったとのことである。

 本流は濁流が大音響をたたており、みるみる間に宴会場所に浸水してきた。今日は二時間ほどかけて本流を下って帰るだけの予定であったが、この状態では行動しようもない。雨があがり、水が引くまで待とうということでテントに戻り、横になった。七時半すぎ、人の声がするのでテントから顔を出すと雨合羽と渓流シューズに身をかためた男女ペアーが立っているのに驚いた。この強雨の悪条件下で朝日岳の山頂から朝日沢を下ってきたと聞いてまた驚いた。彼らは食料が底をついているのでこのまま本流沿いに下ると言って、男の方が水辺にザイルを捨て具で固定し、女が確保するなかを、ザイルを身体に巻いて送水した本流を対岸に渡った。今度は女が、張ったザイルを伝いながら果敢に徒渉を始めた。拳をにぎりしめて固唾を飲んでいた私たちは、女が無事対岸に渡り終えたとき思わず拍手をした。彼らは手をあげてあいさつをしながら下っていった。無事を祈るしかない。

 梅雨が明けたはずである。しかし、雨は降り続き、川水の咆哮が続いた。高台のテン場は安全であるが、私たちは次第に深刻な問題の渦中にはいりつつあった。それは三人分の食料として、おにぎり六個分の米、インスタントラーメン三個、そして釣果の焼枯らし岩魚しか残っていないこと。今日は三一日(火)、明日一日停滞となると完全に欠食となってしまう。また緒方靖夫さんが当選していれば八月一日夜、玉川学園で祝勝会が予定されてここに大森さんが出席することになっているのに、連絡がつかずに欠席となると「遭難」騒ぎがおきてしまうかもしれない。繰り返し、空を見上げ、川をながめてため息をつく。焦慮の高まりとは反対に、午後のときがゆっくりと過ぎていった。

 夕刻近く、私は二人のテントに呼ばれた。大森さんと岡村さんは地図をにらみながら思いつき、練った脱出ルートを提案した。堀内沢は途中両岸が切り立った岩盤の箇所があり。無理して川沿いに下ったとしても、ザイル装備のない私たちは行き詰まる可能性が高い。それならば、いったん朝日沢を形成する小尾根をあがり、稜線まで出て、遡行を開始した取水堰堤にもっとも近いところに向かう枝尾根を探し出して、そこを下る。滝を高巻くことの応用の発想であった。川をみてなすすべもなく呆然としているだけの私は、二人の知恵に感服した。この活路とて、道なき薮の中を標高差四〇〇〜五〇〇メートルをはい上がれるか、幅広い稜線に濃霧がかかり見通しがきかないときには目的とする下り尾根の起点を正しく把握することができるか、三人の体力がもつか、等心配も山積みであるが、危険の潜む沢筋を回避するこのルートしかないと思った。そして、食料事情から明日未明出発と決まった。

 夕食は昨夜までと一転して酒もなし、おかずもなし、インスタントラーメンをすするだけであった。岡村さんがガスで飯を炊き、明日用のおにぎり六個をつくった。

 早めにシュラーフにもぐっても、降り止まぬ雨音が耳元に騒いで、寝付かれない。これまで山中で雨に苦しめられたときのことが思い出された。葛根田川の源流で、夕刻釣りをしているうちに夕立に見舞われた。私は、雨具を忘れ、Tシャツでびしょ濡れになった。テント場にもどると、雨具をきた岡村さんも大森さんも冷たい雨に震えていた。雨に打たれながら、大森さんが夕食のカレーをつくっているのを待つ間、私は空腹と体温低下のために悪寒が走り、歯が合わないほどがたがた震える状態になった。大森さんが、順番に各自のコッフェルに盛りつけた。一番に受けた私は待っていましたとばかり、すぐ口にしようとしたところ、大森さんの叱責する声が飛んだ。みんな同じ状況にあるのだから、自分だけ抜け駆けしちゃだめだ、苦しいからこそ、みんなを思いやって、相手を先にする姿勢が必要だ、それが苦楽を伴にする仲間というものだ、とこんこんと説かれた。そして三人で揃っていただきますをして食べた。心がシュンとしてしまった苦い体験であるが、このときの大森さんの凛とした説諭が私の心に言葉となって残った。



【*書評*】

吉田博徳『平和運動発展のために―多数派構築をめざして』

東京支部  松 井 繁 明

 オバマ大統領が四月、プラハでの演説で「核兵器のない世界の実現」を訴えた今年は、わが国の平和運動もまた、画期をなすことが求められている。それにタイミングをあわせるかのように、本書が刊行された。

 本書のねらいは「はじめに」に明記されている。戦争と平和をめぐる情勢や政策を学ぶこともたいせつだが「平和運動を正しく発展させるための理論と組織方法、すなわち運動論≠学習し、平和運動のとりくみ方について確信をもつことも、極めて大切なことだと思います」と。

 戦後の日本の平和運動の経過を振りかえり、その長所をしっかり押さえたうえで著者は、運動の弱点をも率直に指摘している。

「第一は、活動家が高齢化していることです」。第二は「仲間うちだけの運動」になっていないか。「第三は、労働組合の運動が(中略)弱いのではないか」。「第四に、自主性の問題を強調したいと思います。日本の平和運動では(中略)全国的に整然と行われる組織性が国際的にも評価されていますが、逆に個人や基礎組織が自発的に行動を起こすことが弱く、指導待ちの傾向があるのではないかと思います」。―本書はまさに、こうした弱点を克服し、後継者たちに運動論≠伝えるために著されたものであろう。

 そこで著者が力をこめるのは「草の根の平和運動をどう広げるか」であり、そのためには「平和運動の組織をつくる」ことからはじめなければならない、という。だれしも「平和運動の組織をつくる」ことに異論はないだろうが、著者にかかるとこれは、じつは多岐多面にわたる諸活動の総体にほかならない。

 まず、むごたらしい戦争の実相を知らせること。つぎに職場・地域・学園のいたるところに平和運動の組織、団体をつくること―具体的には個人加盟の日本平和委員会への加入―の大切さが説かれる。また、平和運動と他の運動、とくに政治革新の運動との結合を訴える。さらに、役員会の重要性が指摘される。

 運動の出発点としての「要求づくり」が「見逃されている」という指摘もある。「普通の人ならみんな戦争を嫌い平和を望んでいるでしょう。しかしそれは願望であって要求ではありません」。「願望を要求にねりあげる」には、「学習と討論と実践をくり返すこと」だというのである。さらに、「組織の維持と発展」について著者は、会議での討議から会費集め、会員の拡大のやり方まで、それこそ噛んでふくめるような指示をしている。このあたりは、平和運動だけでなく、たとえば自由法曹団の活動にとっても示唆されるところがおおい。

 そういうわけで本書は、平和運動論に力点をおき、平和論そのものまたは平和政策論については軽くふれているにすぎない。しかしそこにも著者の識見が表出されている。

 いま、「国家の平和」にたいし「人間の平和」こそが重要だとする議論が叫ばれ、「平和とは戦争のない状態」ではなく、国の主権、人権、民主主義などが保障されなければならないことが強調される。著者もこれに賛成しながら、さりげなく、つぎのように言う。

 「貧困、福祉、環境、権利、経済などなどに関する問題は、人間が平和に暮らすうえで重要なことではありますが(中略)、熱い戦争と同列に論ずることはできません。平和運動はまず戦争を阻止すること、いま行われている戦争は止めさせることに重点をおかなければならないということです」。

 さいごに、今年八八歳の著者の人生が簡潔に描かれていて感動的である。「典型的な皇国青年」であった著者が、職業軍人の道へ進むと、ハイラルから大分へ転属となるが、その二ヵ月後、著者の属していたハイラルの部隊はフィリピンへの移動を命じられ、アメリカ潜水艦の魚雷攻撃で沈没。二五七六名のうち二〇四六名が戦死した。五〇余年におよぶ著者の活動は「戦友にかわって我が人生を捧げ」るものであった。いま、著者の感慨は、こうである。

 「大衆の要求を大切にし、その要求実現のために誠心誠意活動し、常に目標をもって前へ前へと努力するならば、大衆は私を守ってくれるのだ」。

 講演をもとにしたので読みやすく、本文九六ページの短いものだが、受ける感銘は深い。ぜひご一読を―。

(学習の友社、一〇〇〇円)



大森典子さんの「歴史の事実と向き合って・中国人『慰安婦』被害者とともに」を読む

東京支部  菊 池   紘

 「自由法曹団物語・世紀をこえて」で大森典子さんは、家永教授の教科書裁判について「植民地支配や日中戦争中の日本軍の残虐行為を教科書に書くべきか否かの論争を通じて、広く加害の歴史を知らせ、子供たちに伝えるべきだとの認識を広げていった。このことがその後に提起された戦後補償裁判を支持する世論を準備した。また、もっと直接的に教科書裁判の審理を通じて、南京大虐殺、七三一部隊などの実態を、最高裁を含めて認めさせることとなった。・・・」と書いている。

■本書は教科書裁判に力を尽してきた大森さんが、中国人「慰安婦」裁判を弁護団長としてすすめた経過を記したもの。

 その過程で大森さんは山西省盂県の村々を二〇回近くも尋ね、悲惨を強いられた女性たちを訪問し励まし続けてきた。

 その村々へは、でこぼこ道を延々と行き、橋のない川をじゃぶじゃぶと走り、通りかかったトラックに車を引いてもらって大きな沼を越えて行かなければならない。「北京や大原のような街は別の国のことのようにはるか遠く、そこはまさに別世界であった。切り立った山に囲まれて谷に、へばりつくように家々が固まっている」「こんなところまで日本軍はやってきたのか」という村である。そこで待つかっての「慰安婦」のみなさんに、被害事実を認定せず「国家無答責、除斥」で請求を棄却した最悪の判決(東京地裁)を、大森さんは報告に行く。その重さ・・・。

■最高裁はこの課題の司法による解決は拒否したが、地裁判決とは異なり、被害者には依然として被害回復を請求する権利は残っており、政治部門で解決することが「期待される」と問題解決を促している。

 この点に関して大森さんは、結論で原告勝訴とならなくても、判決の理由中に日本国の責任を明らかにする事実の認定が含まれ、さらにそれが国際法、あるいは当時の国内法に違反する行為であったことが書き込まれていれば、除斥などいわば法技術的な理由で敗訴の結論であっても、日本政府の政治的責任は免れないのであって、政治的解決を求める大きな手がかりになる、と述べている。

 さらに裁判のもつ大きな機能は、公開の法廷で被害の事実を明らかにし、法律論の面でも誰でも見られる公開の論争ができることであるとし、「裁判が全く無くて『慰安婦』問題が日本の社会に広く知られるようになったとは思えないし、また、今日の国際的な世論もなかったのではないかと思われる」と大森さんはいう。ここには政策形成型訴訟としてのこうした裁判の役割が過不足なく述べられている。

■大森さんは書いている。「今やドイツだけでなく様々な国や地域で過去の負の歴史を見直し、被害を与えた事実があればその被害者に率直に謝ろうという流れが顕著になってきているのに、日本は過去に率直にむきあおうとしない、と見られている。

 なによりも、被害者がのこされたわずかな時間に心から癒されたといえる日本政府の対応を求めているときに、この問題はすでに過去の問題だ、といってしまうことは許されないはずである。こうした思いを共有する多くの人々とともに、私は今こそこの問題の最終解決をと、この問題にかかわり続けている。」と。

 朝日と赤旗の七月二五日付は「女性差別撤廃条約の実行停滞、国連で日本批判噴出」の見出しのもと、女性差別撤廃条約をめぐり、国連の女性差別撤廃委員会が日本政府の条約実施状況について審査し、日本軍「慰安婦」問題にも質問が集まったことを伝えている。「法的に解決済み」との主張を繰り返す外務省に対し、委員からは「何度も同じ説明を繰り返しているが、それでは不十分だ。日本政府は、この歴史的問題を避けずに、誠実に正面から取り組むべきだ」と強烈な批判が突きつけられたとのことである。

 過去の深刻な誤りを明確に認めて被害者に謝罪し、そのうえにこれからの中国との関係をどのように形成するかが、アジアと世界の中での日本の針路にかかわる大きな問題であることを痛感する。そして憲法九条をめぐる攻防はこの課題と分かち難いものとなっている。団員の皆さんに一読を勧める所以。

「歴史の事実と向き合って・中国人『慰安婦』被害者とともに」

新日本出版社刊



坂本修団員の最新講演録(二〇〇九年六月)

『憲法をめぐる新しい情勢とこれからの課題』を、先手必勝のスプリングボードに活用しよう

東京支部  上 条 貞 夫

 年齢にかかわらず旺盛な生気あふれる憲法論を展開し続ける坂本修団員の著作・論説のシリーズは、これまで団の内外によく知られている。しかし、今度の講演は、「任期中改憲」を公約した安倍内閣が二〇〇七年七月に自民党の参院選大敗をうけて崩壊した後、これを巻き返す改憲派の「複合戦略としての新たな改憲策動」が、事実上の改憲のエスカレートと民主党の取り込みによって遂行され、いま「政権交代」を賛美するマスコミの大合唱の下で改憲の動向が急速に高まった、この時期に丁度噛み合って改憲阻止の展望を語ったもので、実践的に非常に貴重な冊子となった。郷里の「秋田九条の会」全県交流会での語りはソフトで簡潔だが、要所要所にピカリと光る「証拠」が強靭な説得力を発揮している。

 安倍内閣は二〇〇五年の総選挙の突風的勝利を力に、同年一一月確定した自民党新憲法草案を掲げて正面突破で改憲を実現しようとし、二〇〇七年五月に国民投票法を強行制定した。しかし国民は力を合わせて二〇〇七年七月の参院選で自民党を歴史的大敗に追込み改憲策動を挫折させた。これが一時(いっとき)の勝利以上の貴重な勝利であることに確信を持とう、という話題から講演は始まる。

 これに対して改憲勢力が、二つの手口(事実上の改憲と憲法審査会の始動)と新たな陣立て(民主党の取込み活用)の「複合戦略」で攻めて来ていることを、しっかり捉えよう、との指摘の中に、既に海外武力行使のための精鋭部隊が結成され、強襲上陸艦がつくられ、モデルの町並みをつくって市街戦訓練が始まっている有様がリアルに語られ、これと連動する憲法審査会の始動、国民投票法の壊憲カラクリが端的に述べられる。

 とりわけ講演が重視するのは民主党の体質と危険な動きで、ここは、小沢一郎氏が党代表を辞める前の『世界』や読売新聞のインタビュー記事、鳩山由紀夫代表が著作『新憲法試案』に憲法九条二項は「最も欺瞞的」でこれを改めて海外の武力行使を可能にせよ、こんどつくる憲法は明治憲法の継承であり天皇を元首にせよとまで提起した、数々の「証拠」が具体的に示される。とくに、衆議院の比例定数一八〇議席を八〇議席カットするという、少数政党を締め出して一挙に改憲を実現しようとする策謀について、初めて聞く人もストレートに分かる明快な語りが見事だ。

 しかし、勝つ条件は十分にあるのだと、ここからの全面展開の語りは、珠玉の「証拠」を数々ちりばめた、リアルで溌剌として聞く方が惹き込まれる、いつも変らぬ坂本節の真骨頂で、中身を紹介するよりも、直接、手にとって読んでみて下さい。続く「質問に応えて」「参加者の感想」と合わせて、読者はもう一度、ことの本質を深く掴むことが出来る。

 通読するのに、それほど時間は要らない。読みながら、そうかと気付き、自分が語るならここはこう補強したい、とも考える。これから一人一人が、装いを新たにした改憲策動と切り結ぶ正念場。受身では勝てない。先手必勝の総力戦を、団の総力をあげて開始しよう。この講演冊子は、そのために絶好のスプリングボードとなる筈だ。

(二〇〇九・八・一一記)