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河野 善一郎 罰金を返せ! 人権条約の個人通報制度の実現を
齋藤  耕 大量解雇阻止対策本部・第三回全国会議に出席して
村山  晃 団総会の愉しみ
―市民のための司法をめざす課題にふれて
松島  暁 裁判官は鼓腹撃壌の民か
―葛飾マンション事件最高裁判決を控えて
庄司 捷彦 総会欠席のお詫びとカンパのお願い



罰金を返せ! 人権条約の個人通報制度の実現を

大分支部  河 野 善 一 郎

期待を抱かせる新政権

 新政権がマニフェストを盾に矢継ぎ早に打ち出す行政改革や自公政策の見直しが注目を浴びている。その一つ、千葉景子法相(弁護士:三四期)は、就任記者会見で(1)国内人権救済機関の設置、(2)個人通報制度を含む人権条約の選択議定書の批准、(3)取調の可視化、の三点を挙げて実現に意欲を示した。いずれも昨年の自由権規約委員会による第五回政府報告書審査の最終所見が日本政府に実現を勧告した重要項目である。ようやく政府レベルで公式に取り上げられたわけで、新政権に大いに期待する一方、我々もこのチャンスを生かさなければならない。

個人通報制度とは

 自由権規約や女性差別撤廃条約など各種の人権条約は、保障した人権が締約国内で実効的に確保されるために、幾つかの装置を用意している。その一つが政府報告書審査であり、条約委員会が審査の最終所見として懸念事項や勧告事項を提示する。昨年一〇月の自由権規約委員会の審査、今年八月の女性差別撤廃条約委員会の審査では、いずれもその最終所見で日本の現状が厳しく批判され、是正が勧告されたことは既報のとおりである。しかし最終所見は、締約国の履行状況に関するいわば全般的な評価の見解を提示するもので、締約国を拘束するものではない。

 二つ目が個人通報制度であり、自由権規約に則していえば、規約本体とは別の第一選択議定書は、規約で保障された権利を侵害され国内手続きでその救済がなされなかった個人が規約人権委員会に通報し、国に対して救済勧告を求めることができる制度を定めており、この議定書を批准すれば適用される。現在自由権規約を批准した一六四カ国のうち一一二カ国が第一選択議定書も批准している。アジアでは、韓国、フィリピンも批准している。OECD加盟国、G8サミット参加国で個人通報制度を批准していないのは日本だけである(第二選択議定書は死刑廃止議定書)。

個人通報の効果

 個人通報が受理されると、締約国は六ヶ月以内に答弁書を提出し、さらに必要に応じて双方に委員会からの釈明があったりする。条約違反が認定されると、通報者の名誉回復や通報者が受けた損害の回復などを締約国に命じる見解(Views)が交付される。選択議定書を批准した締約国はこの見解を履行する条約上の義務があるが、実際は強制する方法がない。しかし、特定の事件について条約委員会から条約違反を明示的に裁定されるから、国際信義上からも容易には無視できず、実際にもその結果を受入れて法改正や回復措置をとることが多い。韓国では、国家保安法違反で処罰された活動家からの通報が多く、いずれも規約違反が認定され、名誉回復のほか労働関係調整法の改正が為されたり、同種事件の検挙が抑制されたりしている。

 翻って日本では、これまで団員が関与した公選法事件の犠牲者(被告)が約二〇〇人位いるはずであるが、既報の第五回審査の規約委員会所見は、戸別訪問禁止や文書制限が規約一九条、二五条に違反すると明言しているから、通報すれば規約違反が認定されることは間違いない。通報には時効はないとされているから、彼らの名誉回復や損害の回復を求めることができる。大石事件では、罰金一五万円と訴訟費用一〇〇万円も取られたから(法廷通訳費用がかかった)、何としても取り返したい。選択議定書を批准すれば、これができるのである。各地の団員が関与した人権侵害事件をこうした見地から見直して、名誉と損害の回復を想像するだけでも意欲が湧いてくるではないか。

選択議定書の批准に向けて

 近着した〇九年雲仙総会の議案書でも、選択議定書の批准に向けた団の運動強化が訴えられている。これまで日弁連は「個人通報等実現委員会」を中心にして海外事例の研究や外務省との折衝を重ねてきたが、他の司法関連事項と合わせて、新政権へ向けて統一的な戦略方針を立てて働きかけを行うと聞いている。団も国際人権活動日本委員会などとも提携して、選択議定書問題の宣伝と新政権への要請行動の立ち上げを早急に取り組むべきである。合わせて実際の通報には翻訳その他相当のスタッフや費用もかかるので、将来は共同のサポートセンター構想など実践的な対策も検討してもらいたい。

*書籍の紹介*

書 名 「日本の人権保障システムの改革に向けて」
     ―ジュネーヴ2008 第5回日本政府報告書審査の記録―

編 集 日弁連

価 格 三一五〇円(税込み) 資料CD付き

出版社 現代人文社
      出版社のサイトから注文もできます。



大量解雇阻止対策本部・第三回全国会議に出席して

北海道支部  齋 藤   耕

 一〇月三日午後、団本部で開催されました大量解雇阻止対策本部・第三回全国会議に出席させていただきましたので、その感想等を報告させていただきます。

 現在、私は、NTT東日本の子会社の偽装派遣に関する事件について、道支部の先生方と共に、労働審判の申立の準備を進めているため、勉強の意味で今回の会議に出席させていただきました。

 会議は、冒頭、鷲見本部長から、現状についてご報告があり、現在、全国で、五〇件以上の派遣切りに対する訴訟等が提起されているところ、民主党政権誕生により、法改正等への期待は広がってきているが、だからこそ、裁判闘争が重要になってきているとのお話しがありました。

 続いて、全労連事務局次長の井上さんから、民主党政権誕生後の法改正に関して、民主党が選挙に大勝したことにより、厳しい状況であることなどがご報告されました。

 これらの報告の後、松下PDP事件に関し、最高裁第二小法廷が一一月二七日に口頭弁論を開くことを決めたことを受け、議論がなされました。

 会議には、当該弁護団の出席はありませんでしたが、九月二七日に名古屋で開かれた関連会議での議論が報告され、大阪高裁判決の後退を許さないための全国的な取り組みの必要性等について、話し合いがなされました。

 それから、出席された各地の先生方から事件報告がなされました。

 各地で提起された訴訟については、近く完成する「非正規黒書」にまとめられるそうです。

 製造業への派遣の解禁後、全国の多くの企業で、安易に派遣労働者を使用し、不況により、安易に労働者を切り捨てられている現状は、驚く限りです。

 このような中、全国の裁判闘争を勝ち抜いてゆくことは大変重要であり、各地の裁判闘争を勝利し続けるためにも、派遣先に対する黙示の労働契約の成立を肯定した松下PDP事件の大阪高裁判決を最高裁で後退させないための闘いが重要であることを実感しました。

 労働者切り捨ての「派遣切り」を許さず、労働者の生活を守るための裁判闘争の重要性を認識することのできた会議でした。



団総会の愉しみ

―市民のための司法をめざす課題にふれて

京都支部  村 山   晃

 弁護士になって三九回目の総会を迎える。記憶に間違いがなければ、ずっと参加をし続けてきた。以前、同期(二三期)は、出席者が多かった。二桁参加が常識で、本当に愉しい同窓会の機会でもあった。

 それが次第に減っていった。ここ数年では、僕だけしか出席していない時もあった。四〇年近く経つといろんなことがある。逝ってしまった人や、病気療養中であったり、何か事情を抱えている人も増えた。そして僕はと言えば、大変寂しい思いをしている。出席の意欲も少し萎える。

おーい、二三期、もっと参加してくれよ。

 私の事務所では、総会出席を最優先課題にしてきた。むかしもいまもその位置づけは変わらない。「ついで観光」も楽しい。おかけで、ほとんどのエリアに行くことができた。そんなことで、今年も参加をする。久しぶりの長崎は、大変楽しみだ。

 京都支部は、「まず実践をすること。そして、それに基づき発言すること」をモットーにしてきた。団員も多方面で活動するようになってきた。視野を広げ、いろんな活動や市民の声を持ち寄ることができればさらに良いものになる。

 こうして団総会に参加してきたが、議案書は、ほとんど無関心で推移してきた。毎月団本部に通った常幹時代でさえ、あまりまともに向き合ったことがない。

 しかし、二年前、ふと目にとまった「司法問題」で議案書に異議を述べた。そして議論され、議案書とは異なる方向性が示された。しかし、そこで議論されたことが、今回の議案書に生かされていないのが残念だ。同期が総会に来ない以上に寂しい思いをした。

 二三期の団活動は、荒れ狂う司法反動の嵐の中で始まった。大量の任官拒否、坂口罷免、最高裁長官は「共産主義に同調する者は、裁判官に相応しくない」と豪語し、裁判官への統制を強めた。それから四〇年の年月が流れる。司法の民主化は、変わらぬ思いだ。ずっと闘ってきたし、これからも不断の取り組みを続けたいと思っている。

 「司法の民主化」の運動の流れは、「司法改革」の取り組みに受け継がれている。それは、我々にとっては、司法を民主化するとともに、司法機能を大きく高め、真の人権擁護機関にしていくことを目指した改革でもある。もっとも今回の「司法改革」が、目指したものを成功裏に展開できているとは思わない。とりわけ、官僚司法をどこまで打破できたかは、はなはだ心もとない。それでも、判決の中には、司法反動の強かった時期には、見られなかった変化が現れている。闘うことに展望を与えている。

 また、弁護士会が自前で始めた当番弁護士が被疑者国選につながり、「慈善事業」だった法律扶助が法テラスになり事業を広げ、「ひまわり」がスタッフ弁護士と結びついて、過疎解消を推進していった。

 今、求められていることは、市民の視点・団の視点に立って、司法改革の一つ一つについて、丁寧な検証・検討を加えることである。人権擁護機関としての司法が、果たすべき役割はどこにあり、そのために、何がどこまで進み、何を克服しなければならないのか、を明らかにすることだ。

 しかし、今回の議案書では、「裁判員裁判」と「法曹人口」が記述されているだけである。そして冒頭六ページのところでは、「司法改革には、全体として、新自由主義的司法改革の方向が色濃くあらわれており」とされている。果たしてそうだろうか。もっと十分な検証・検討が必要だ。被疑者国選や法テラスも一筋縄ではいかなかった。裁判員裁判も、設計の当初から強い官僚の抵抗にあって、いろんな問題点があることは確かだ。しかし、裁判への市民参加は、歴史的な扉を開きつつある。僕には、これらが新自由主義の流れだとは思われない。

 司法は、権力装置の一翼であり、時の政権政党が、治安強化に使いたいと考えていることを否定するつもりは全くない。そこには人々との間で常に激しい「緊張関係」と「せめぎあい」がある。日弁連の執行部に身を置いて、日弁連の苦闘している姿も手に取るように分かる。団は、広く司法を人権の砦にしようと奮闘している人たちとしっかりと手を携えることが求められている。団結を阻害しかねない一面的な評価は避けるべきだ。

 法曹人口問題も、重要な問題であることを否定するつもりは無い。しかし、私たちの視点で、より重要なのは、市民の権利救済のための司法アクセスが、どこまで改善され、何を克服しなければならないのか、という「市民の視点」であるはずだ。これは、本来、法曹人口増員見直しを検討するためにすべき課題ではない。

 例えば、法テラスが、「返還猶予」をしないために利用できない人もいる。法テラスの運用改善は喫緊の課題だ。今年は利用が進んだが、そうすると予算が足りないということで利用規制が始まりつつある。放置しておけない課題だ。償還制から給付制への抜本的改革も急務である。日弁連が総力を結集して取り組もうとしているいま、団は、その先頭に立つべきだ。司法アクセス改善のため取り組むべき課題は他にも多い。「増員見直し」の口実にするのではなく、司法機能拡充のための課題を明らかにし「闘っていく」ことが強く求められている。

 「やみくもな増員」を見直すのは、大方異論はないはずだ。しかし、そこで引用されているのは、鳩山発言であり埼玉などの決議である。理事会で丁寧に議論し圧倒的多数で決議された日弁連の提言には何故かふれられていない。埼玉の決議は、総会出席者では、圧倒的に反対が多かったが、会長への一任委任状で決議がされた。埼玉の団員の多くは、若手会員も含めて、この一〇〇〇人決議に反対する取り組みをしている。決議には「市民の視点」が欠落しているからだ。それを手放しで肯定的に評価して良いのだろうか。

 法科大学院とそこに在籍し苦闘している学生をどう考えるかも大きな問題である。当事者である、学生達がどう考えているのかも、率直に意見を聞いてみないといけない。

 いずれにしても、司法改革のこれまでとこれからについて、市民目線に立ち、大きな視点からの検討と丁寧な議論を心から望みたい。総会を通して団結が強まり、団が、人権擁護と司法改革の先駆者となる希望の持てるものにして欲しい。そんな団総会となれば、同期参加者が少なくても楽しい総会になるに違いない。



裁判官は鼓腹撃壌の民か

―葛飾マンション事件最高裁判決を控えて

東京支部  松 島   暁

 葛飾ビラ弾圧事件の最高裁判決(第二小法廷)が、今月一九日に出される。弁論を開かないままでの判決であり、原審判断(東京高裁平成一九年一二月一一日判決、裁判長池田修、裁判官稗田雅洋、同吉井隆平)がそのまま維持されるのであろう。立川反戦ビラ事件では、同じ第二小法廷が有罪判決(二〇〇八年四月一一日)を出しており、予測された事態とはいえ、「確かに、表現の自由は、民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならず、被告人らによるその政治的意見を記載したビラの配布は、表現の自由の行使ということができる。しかしながら、憲法二一条一項も、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって、たとえ思想を外部に発表するための手段であっても、その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されないというべきである」という、文書配布の意味・表現の自由を弁えない、判で押したような空疎な判決文になるのであろう。

 問題は、裁判所、とりわけ高裁や最高裁の裁判官らは、これほどまでに政治的文書配布の自由、表現の自由を粗末に軽く扱うのかである。本当に表現の自由は保障されるべきだと考えているのか、疑いをもたざるをえない。

 表現の自由を含む精神的自由は優越的地位にあり、その規制は厳格な基準によって判断されなければならないとする「二重の基準論」は、私たち(正確には私たちの世代というべきか)にとっては、自明の前提であり憲法のイロハであった。にもかかわらず裁判官らは、何故、これほどまでに表現の自由を冷遇するのか。実害などまったく生じていないにもかかわらず、不動産(マンションや官舎)所有権やそのコロラリーとしての管理権の前には、「ビラ配布お断り」という管理者意思の前に、表現の自由は屈しなければならないのか、あたかも経済的自由・財産権の優越的地位に表現の自由が劣後するということが「二重の基準」なのかと、冷笑したくなるのは何故なのかである。

 一橋大学の阪口正二郎教授は、奥平康弘教授の傘寿記念論文集の中で、次のように書いている。

 一般に、憲法上表現の自由は優越的地位にあるとされているが、「なぜ表現の自由は『優越的地位』にあるのか」と法科大学院で学生たちに問えば、即座に学生たちからは「表現の自由は『自己実現』と『自己統治』の価値に仕えるからだ」という答が返ってくる。「自己実現」「自己統治」という概念について、十分な吟味を加える作業も、この両者の関係を検討する作業も学生たちが行うことはまずもってない。これに対して、わが国において表現の自由論を牽引してきた奥平康弘は、「表現の自由はなぜ特別に保障されなければならないかということについて、今でもまだ決着はついていないという気がします」と述べており、学生たちと奥平との対照性は際立っている。(長谷部・中島編『憲法の理論を求めて・奥平憲法学の継承と展開』)

 高裁や最高裁において立川反戦ビラ事件や葛飾事件を担った裁判官たちが、表現の自由は本当に優越的地位にあるのか、それは何故なのかについて、十分な「吟味」や「検討」を行ったとはとても思われない。あるいはその水準は、法科大学院の学生たちと同じか、それ以下かもしれない。

 阪口教授は、学生たちの答の出所について、おそらくは芦部信喜の『憲法』にあるとされ、法律家の誰もが一度は目にしたことのある芦部教授の記述を紹介されている。

 表現の自由を支える価値は二つある。一つは、個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させるという、個人的な価値(自己実現の価値)である。もう一つは、言論活動によって国民が政治的意思決定に関与するという、民主政に資する社会的な価値(自己統治の価値)である。表現の自由は、個人の人格形成にとっても重要な権利であるが、国民自らが政治に参加するための不可欠の前提をなす権利である。

 この芦部教授らの精力的活動を通じて、二重の基準論は憲法学の常識となったのであるが、最近はそうでもない節があるらしく、二重の基準論を個別の利益考量論に引き戻そうという学説上の動きに対しては、芦部『憲法』の「補訂者」であり継承者でもある高橋和之教授が積極的批判の論陣を張っておられる。

 「二重の基準論」は学説上の常識ではあっても、判例上の常識ではなかったのかもしれない。少なくとも最高裁においては、表現の自由の優越的地位を理由に違憲判断を行ったことは一度もない。

 何故そうなのか、この国において表現の自由は最大限保障され、様々な言論が満ちあふれているからなのか。そうではないだろう。立川反戦ビラ事件、葛飾事件、堀越事件、世田谷事件などをみれば表現活動が危機にあるとはいえても、表現の自由が保障されているなどとは、到底いえない状況にあることは明らかである。民間人がビラを配れば住居侵入で、公務員が行えば国公法違反で、実害の有無を問うことなく逮捕・起訴されるのである。

 日本の民主主義社会は、彼らのような無名の人々の献身的行為によって支えられているといっても過言ではない。ビラを配布することによって、何か利益が得られるわけではない。休日や仕事が終わった後のプライベートの時間を削って、何の得があるのか。この国の現状を憂い、イラクの戦禍を思う人々にとって、ビラを配布、投函するという行為は、その生活信条や思想などの精神生活、内面的営みの発露であり、精神的自由の発現そのものなのである。

 高裁・最高裁の裁判官には、このことに対する共感はもちろん、洞察すらも認められない。

 むしろ政治的中立性こそが自らの生き方の信条だと観念し、その信条を基準に、特定の政治思想に有する人々を偏頗な人々と見なし、政治的文書の配布などは「政治的偏向の強い行動類型」と評価しているのかもしれない。あるいは、イラク派兵の強行という国の政策に対し、自衛隊員の家族に「イラク反戦ビラ」を届けるなどは、国策の実行の阻害者と見ているのかもしれない。それとも表現行為を支える精神生活や内面の活動が欠如しているのか。

 言論の自由、出版の自由、信教の自由、結社の自由といった古典的自由のカタログは、いずれも国家の強制からの自由を要求する.これらの自由が重みをもつのは、人々が自由の領域の中で自己の目的を追求し営々と努力行為を行う場合である。「からの」自由という消極的自由は「する」自由、一種の積極的自由と不可分の関係にあると見るべきである。人々が国家権力の圧力を圧力として感じるのは、彼らが何事かに向けて邁進しようとしているからである。人々は自分の部屋の中でぼんやりしていたいと思う。そのことを他人がとやかく言う筋合いはない。しかしそのとき、人々は自由を享受しているのだとは言わない。自由は何事かを為すことと相関的であって、鼓腹撃壌の民に自由の観念があるとは思われない。(間宮陽介『ケインズとハイエク〈自由〉の変容』より)

 はたしてこの国の裁判官は、何事かに向けて邁進しようとすることとは無縁の鼓腹撃壌の民なのだろうか。



総会欠席のお詫びとカンパのお願い

宮城県支部 庄 司 捷 彦

 雲仙総会は欠席します。宮城県は一〇月二五日を投票日とする知事選の真っ直中です。八年前に候補者として活動した私ですので、前後の日程からも出席は無理な状況です。

 石川元也団員からの「映画弁護士布施辰治」成功のための訴えが、既に、団通信に掲載されています。団本部や幾人かの団員からは、早くも、出資金・協賛金が寄せられてきていると、東京の製作委員会から報告がありました。いよいよ、財政面での活動も始まりました。私からは、地元石巻の状況を報告し、団員諸兄のご協力をお願いする次第です。

(1)当地にも、支援組織が発足しました。九月一〇日「映画布施辰治応援団」結成。発起人は石巻市・東松島市・女川町の首長三人と石巻商工会議所の所 が名を連ねました。結成式には、東京から、阿部三郎弁護士(元日弁連会 長・女川町出身)も出席してくれました。

(2)「応援団」は、映画製作への協力と「布施辰治の思想と行動の普及を目的としています。現在予定されているのは、一一月一三日(辰治の誕生日)を中心に、(1)七日間程の遺品展示会、(2)一一月一五日には、石巻の「岡田劇場」を舞台にした「普選挙運動での布施辰治」を再現しての現地ロケ、(3)一一月一八日には、伊藤塾塾長伊藤真さんの講演会などです。(2)の企画では市民のエキストラ出演も予定されています。

(3)映画での布施辰治役は「赤塚真人さん」に決定。脇役は未定。映画シナリオによれば、小生も映画に登場し、祖父の遺した言葉を語る予定です。小生の祖父作五郎は、辰治と同じ蛇田村の生まれで、小学校を卒業後、短期間、布施辰治の書生だったのです。後に弁護士となり、松川事件弁護団の末席にありました。

(4)いよいよ、資金集めも始まります。東京では「出資金五万円・協賛金一万円」を単位に始まっていますが、「応援団」では、金額を定めずに、応募者が自由に金額を決めてカンパとして拠出して頂くことにしました。

 送金先は次のとおりです。

【七十七銀行石巻支店】
      普通預金 5855624 映画布施辰治応援団

【郵便振替口座】
      02240―7―124599 映画布施辰治応援団

 総会資料の中に、郵便振替用紙を入れますので、金額自由で積極的なカンパをお待ちいたします。

(5)今日、日本国民救援会発行の「救援情報」編集部宛に、弁護士布施辰治についての原稿を送りました。次号に掲載される予定です。是非、ご一読下さい。特に、若い団員の方々に。