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角銅 立身 国選弁護二題
中島  晃 大逆事件一〇〇年と福島原発事故
神田  高 “沖縄米軍基地はいかに撤去されるか”(その五)
黒澤 いつき 今だからこそ給費制の維持を
〜メーデー活動報告&リーフレットのご紹介〜
上条 貞夫
(東京憲法会議幹事長)
坂本修・小沢隆一・上脇博之 共著
ブックレット『国会議員定数削減と私たちの選択』(新日本出版社・新刊)を、運動の力に
山口 真美
(衆院比例定数削減阻止対策本部事務局長)
衆院定数削減阻止リーフの活用を!
千葉 一美
(女性部部長)
岸  松江
千葉 恵子
(女性部事務局長)
異業種交流会



国選弁護二題

福岡支部  角 銅 立 身

その一

 前科・前歴九件で服役と出所を繰り返し、受刑中にあって医療刑務所で、社会復帰中は〇〇病院で病名は覚せい剤中毒後遺症(分裂病様状態)や、田川市の△△病院(病名は統合失調症、中毒性精神病《覚せい剤後遺症》及びアルコール依存症)で治療を受けるために入退院を繰り返した。

 当時被告人は、障害者年金と生活保護を受給しており(月約一〇万円以上の収入が確保されている)、経済的には困窮しておらなかった。

 「被告人は正当な理由がないのに、平成二一年六月四日午前九時頃、福岡県田川郡添田町大字落合三二六番地Y方に中庭南掃出し窓の施錠を外して、侵入したものである」と起訴され、検察官は改定長谷川式知能評価スケールの合計得点「七」にも拘らず、担当の九州大学医学部精神科医局入局(昭和四四年四月)精神保健指定医(昭和五六年七月二一日)岡元健一郎氏は、「非常に重度の認知症と疑わせしめるに足るだけの数値ではあるけれども、『私はお借りした調書を全部読んだだけで(検察官は【今回法廷には検面調書だけ出しておりますけれども、当時は員面調書もありますので、先生にはそういうもろもろをお見せしておりますことを念のため】と)・・「七」という数値は正しい反応とは思えないということ、これが一つと。二番目にはその行為状況についての被害者の話が本当であれば、こういった形で(被告人の)合目的態度、合理的行動をとっていれば当然、是非善悪を区別した形で逃げ出しているということも含めてのことなんでしょうというのが、先生のお考えであると、こういう風に理解してよろしいのでしょうか――そのとおりです。 というので、責任能力――ありと結論付けている。

 弁護人としては、正式の鑑定の申出をなし(鑑定人には同系列の大学ではない)た。鑑定人には筑波大学の大学院人間総合科学研究科教授医学博士中谷陽二氏で、二五頁に亘る詳細なもので、被告人を東京拘置所に移し、二度の面接、東京地方裁判所で鑑定人の宣誓更に福岡刑務所での面接の結果、鑑定主文として、

(1)被告人は三〇歳代から長期にわたり覚せい剤を使用し、四〇歳代から覚せい剤による精神障害を発症した。使用中止後も症状が持続し、現在は「覚せい剤使用による残遺性精神病障害」の状態にある。原因を特定できない「特定不能の器質性精神障害」が重なっている。

(2)現在は、幻聴、体感幻覚、発動制低下、再混迷、不眠等の精神症状がみられる。心理検査では知能水準の低さと短期記憶の障害が認められるが、知能は元来の水準に比して著名に低下しているとはいえない。画像検査、脳波検査等では気質的所見はなく、器質性精神障害は軽度であり、現時点では認知症は否定し得る。

(3)本件犯行時も、覚せい剤使用による残遺制精神病性障害及び軽度の特定不能の器質性精神障害の状態にあった。精神障害が本件犯行の行動に顕著な影響を与え、是非善悪を弁識する能力およびその弁識に従い自己の行為を制御する能力は著しく低下していたと考えられる。

 であり、判決結果も右判断を採用した上で、「被告人を懲役八月に処する(求刑一年二月)未決拘留月数中、その刑期に満つるまでその刑に算入する」、裁判官山野幸雄。

 元被告人は、病院から弁護士宛に「面会にきてください」と手紙を出している。

その二

主文

被告人を懲役四月に処する

この裁判確定の日から、三年間その刑の執行を猶予する

罪となるべき事実の要旨

第一 公安委員会の運転免許を受けないで、平成二二年五月一二日午前八時頃、福岡京都郡みやこ町国分五八三番地付近道路において、普通乗用自動車(軽四)を運転し、

第二 前記日時ころ、道路標識によりその最高速度が四〇キロメートル毎時と指定されている前記場所付近道路において、その最高速度一八キロメートルを超える五八キロメートル毎時の速度で、前記車両を運転して進行したものである。確定裁判、被告人は平成二二年六月二二日福岡地方裁判所小倉支部で道路交通法違反の罪により懲役一〇月(三年間執行猶予)に処せられている。裁判は同年七月七日に確定したものである。

摘要した罰条

 被告人の判示第一の所為は・・・懲役刑を選択し・・・前期確定裁判があった道路交通法違反の罪とは刑法四五条後段の併合罪の関係にあるから・・・被告人を懲役四月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判が確定した日から三年間の刑の執行を猶予し、訴訟費用は・・・全部これを被告人に負担させることとする。

平成二三年三月一五日

裁判官 山野 幸雄

弁論要旨

 被告人は福岡地方裁判所小倉支部で、道交法違反(酒気帯び運転)で懲役一〇月、三年間執行猶予(平成二二年七月七日確定)で、且つ免許取消を受けていたが、免許証の紛失後たまたま発見後所持していた。

 公安委員会の担当者からいわれたとおりの、「免許証は切り刻んで破棄した」と書いて提出していたので、免許証の返納など頭になかった。

 その翌日保険契約書などみていたとき、免許証を発見した。そのためビデオ会員カードなどの更新などのとき無効な免許証でも身元確認のため使用できると思い、そのまま財布に入れて保管していた。

 本件の朝、寝忘れて工場の出勤のための列車に間に合わず、工場への欠勤や遅刻で、契約社員であるため馘首になる恐れもあったので、無免許且つ無効の免許証提示となったものである。

 情状証人である父親とは父子関係がギクシャクしており、特に本件での実情や被告人が置かれている窮状について、知ってもらう関係が取れなくて困っていることもあって、弁護人から直接実情を吐露するよう説得され、被告人との親子関係のパイプが法廷を通じて開かれたという実情にあった。父親としても被告人との同居は望まないまでも、父親として真摯に接したいと希望しており、被告人本人尋問でも人生をやり直す機会として本件を胆に命じて更生を誓っている。

 従って、再度の執行猶予の「情状特に酌量すべきものがある」に相当すると思料するものである。


大逆事件一〇〇年と福島原発事故

京都支部  中 島   晃

 一九一一年一月一八日、大逆事件で幸徳秋水ら二四人に死刑判決が下され、うち一二人に対し、一月二四日と二五日の両日、死刑の執行がなされた。それから一〇〇年がたった二〇一一年三月、日本は地震・津波・原子炉損傷という未曾有の災害に見舞われた。大逆事件の死刑判決から一〇〇年後に原発災害がおこったことは、決して偶然ではない。それは、大逆事件に始まった日本の社会の構造的なゆがみから、ひきおこされた人為的な災害である。

 これは私が言い出したことではない。哲学者の鶴見俊輔氏は、震災から間もない三月三一日の朝日新聞夕刊に、「退行を許さぬ文明よ 身ぶり手ぶりから始めよう」と題して、次のように述べている。

 「明治末に至って、つくりあげた落とし穴だった大逆事件が正されることなく新しい弾圧の時代をつくり、昭和に入って、軍国主義に押し切られて敗北に至った。

 そうした成りゆきの分析をしないまま、米国従属の六五年を越える統一は続いていて、地震・津波・原子炉損傷の災害に見舞われた。」

 日本の支配層は、大逆事件のフレームアップによって日露戦争に反対し、あるいは韓国併合に反対する勢力の一掃を図った。支配者の推し進める「国策」に反対する思想や言論を完全に封じ込めるために、死刑を含む刑罰を持って弾圧する体制は、大逆事件に始まり、治安維持法に引き継がれ、一五年戦争の敗北によって終わったかに見えた。

 しかし、国策に反対する思想や言論を封じ込めようとする体制は、戦後も消滅することなく継続してきた。刑罰による公然たる弾圧は影をひそめたものの、非常に陰湿な形で、異論や批判を封じ込めようとするやり方がとられてきた。

 数年前に亡くなった作家の水上勉さんは、生前、ふるさと若狭に原発が設置されることに反対する意見を公表したところ、カミソリや汚物が入った手紙が送られてきたことから、うかつに名前を出して意見を述べることに躊躇を覚えたという。

 また、東京大学などでは、国の原発政策を批判する研究者に大学教授のポストを与えようとはしなかった。このため、これらの教授ポストは、原発政策を推進する“御用学者”によって占められてきたといっても過言ではない。

 原発推進政策を批判し、これに反対する意見を述べる者を敵視し、排除する、あるいは、特定の研究者に対しては、その行動を日常的に監視するというやり方までとられてきた。反対意見を「異端」として徹底的に排除し、村八分にするという、この国の異常な体制について、斎藤貴男氏たちは、異論を述べることを忌み嫌い、支配的な意見に同調することが「安心・安全」だとする風潮が社会に広まっていることに対し、「言論自滅列島」(河出文庫)とよんで警告している。

 このようにして、原発問題に関する反対意見を徹底的に排除し、封じ込めることによって、原発の「安全神話」が作りあげられ、それがあたかも完成したかに見えた、まさにそのときに福島原発事故がおこったのである。また、こうした「安全神話」の仕上げとして、星野仙一氏や勝間和代氏らの有名タレントが電力会社の原発コマーシャルに出演するにいたったが、星野氏がプロ野球「東北楽天」の監督に就任した年に、福島原発事故がひきおこされたことは、全く歴史の皮肉というほかない。

 斑目春樹東京大学教授(現・原子力安全委員長)は、中部電力浜岡原発の運転差止訴訟で、中部電力側証人として出廷し、原発の安全性を強調する一方で、今回のように地震の影響で、原発の非常用電源が起動しない可能性について問われると、それを想定する必要はないと述べたといわれている。こうした原発の「安全神話」を作りあげてきた専門家や研究者たちが、その責任を問われることなく、原発事故のレベルを過小に評価し、放射線量が公表される都度、直ちに問題となるものではないと述べて、今なおテレビに出演して、「安全神話」をたれ流し続けていることに唖然とせざるをえない。 以上述べた、業・官・学の三者の強固な結合によって、原発の「安全神話」をつくり上げ、異論や批判を徹底的に排除するという、日本の社会の歪んだ構造が根本的に改められない限り、福島原発事故に見られる不幸な厄災は、日本の民衆にこれから何度もふりかかることになろう。その意味で、今回の未曾有の災害は、こうした日本の社会のゆがみをただすうえで、私たちに貴重な教訓を提示しているということができる。

 かつて日本の社会では、体制に反逆して処刑された人々の死を悼み、これらの人々を「義士」・「義民」として敬い、まつることが民衆によって行われてきた。しかし、大逆事件に始まった弾圧の歴史は、そのことすらも許さずに来た。侵略戦争で戦死した兵士を「英霊」としてまつることをしてきたにもかかわらずである。「国策」に反対する意見を述べる勇気をもつ者に敬意が払われず、逆に迫害されるという体制は、戦後も変わることなく受けつがれ、むしろ一層強められてきたのではないだろうか。そのことは、水俣病などの公害薬害事件の裁判にかかわるなかで、痛感させられてきたことである。

 こうしたなかで、裁判所は、大逆事件の犠牲者に再審の門を閉ざすことで、上述した体制を支える役割をはたしてきたし、また原発訴訟では、「安全神話」に依拠して原発の安全性を問う住民の訴えをことごとくしりぞけてきた(金沢地裁井戸判決という唯一の例外があるにしても)。この点で、裁判所の責任もまた、まことに重大である。

 いま、テレビで繰り返し流されている「がんばろう日本」の大合唱を聞くときに、これによって、さきに述べた日本の社会の構造的ゆがみがおおい隠されるようなことがあってはならないと考える。


“沖縄米軍基地はいかに撤去されるか”(その五)

東京支部  神 田   高

九五年の少女暴行事件と九万五〇〇〇人の基地縮小・撤去の県民大会

 ところが、そのときに、大田革新県政に途中で変わるんですね。変わった段階で、アメリカはアジアの米軍再編をやるわけです。“ナイ報告”というので、アジアに一〇万人の兵の体制をとる、それ以上のものは削減すると言って、韓国からも兵隊を減らすことになります。日本からも兵隊を減らすことになります。

 そういう流れの中で、沖縄の革新知事が誕生したときに、私たちは、初めてここで軍用地が本当に返される時に安心して県民が使えるように、「平和転用促進法」を作りなさいと言って、県民要求を出しました。

 「地籍明確化法」も反戦地主が立ちあげたから、あの法律ができて沖縄の土地測量ができた。今度は米軍用地が返還されたときには、日本政府の責任において、キチッと不発弾も探査し、毒ガスもちゃんと撤去して、土地を使えるようにして、その使える間はちゃんとした適正補償をしなさいよ。そして、平和転用するんだよ。」といって、「平和転用促進法」の要求を掲げたけれども、日本政府はこれを一顧だにしませんでした。ところが、九二年になってくると私たちは三つの要求を掲げます。

 沖縄県の中では復帰一〇年目、二〇年目、三〇年目といって、七二年、八二年、九二年、一〇年毎に「沖縄振興開発特別措置法」が日本の法律によって作りかえられます。この九二年というのは、まさに「第三次振計」を作る年でした。そのときに沖縄の土地を返すときは、「平和転用促進法」をつくりなさいと。同時に大田県政は、「基地返還アクションプログラム」で沖縄県の土地を二〇年間で計画的に返還させると打ち出して、振興法に盛り込ませようとやるわけです。

 基地被害が一番起こっている那覇軍港(これは原潜が入ってきたりして、放射能汚染がしているところ)をまず取り返す。それから、県道一〇四号線越えの実弾砲撃演習地を取り返す。そして、「軍用地転用促進法」、この三つを沖縄県の振興開発計画の中では、位置付けてしっかり取り組みなさいという要求、これはいわゆる“三事案”なんです。

 ところが、日本政府は九二年にやっぱり米国政府に対して、改めて沖縄の土地を米軍に提供しなければならなくなるので、そこで問題が起こるのは“三事案”と三点リンクを要求します。「那覇軍港は返還しますよ。一〇四号線越え実弾演習は本土に移しますよ。」という条件をつけて大田革新県政を落ち着かせるわけです。反戦地主のときには、そのときに押印を躊躇しているわけです。我々反戦地主の土地使用の応諾について、土地物件調書に押印をする時期ですけれど、「これに押印しなければ、沖縄の三点リンクをすることは認めませんよ。」と日本政府は大田知事に圧力をかけます。そのときに反戦地主はいくらいたかというと、七八名に落ち込んでいます。この間に相当な迫害を受けてね。村八分や職場八分などいろんなことをされて、国が反戦地主切り崩しのためにいろんな策動をやって七八名まで落とし込められましたが、「わずか七八名の反戦地主よりも一〇〇万県民の利益を優先させた方がいい。」と言って、大田県政はわれわれの土地の物件調書への押印に対して(基地反対といって県知事に当選したのですが)、土地取り上げに手を貸すのです。ところがこの九二年に手を貸した案で「三次振計」は進んでいくんですが、九五年になって、何がおこったかというと、あの“少女暴行事件”ですよ。

 少女暴行事件の時に、大田県政は、自分が押印したことは間違いであったと、九二年に押印をして、九五年までの三カ年間の間に、あの三点リンクでいくといっていた“三事案”が解決すると思っていたら、何一つ進んでいない。それどころか、少女の一人の人権をも守り切れなかったと言って、あの九万人の県民大会の中で、懺悔をしたわけです。そのことで、大田県政は、次の九五年に改めて反戦地主の土地取り上げの手続がはじまったのです。そしたら、大田知事はこの物件調書について、「もう押印しない。」と言って抵抗したのです。それで、九七年に村山内閣(社民・連立内閣)ができて、担当大臣は上原康助で、「軍用地転用促進法」を議員立法で通します。他方、村山内閣(後に橋本内閣となる)は大田知事を裁判にかけ、最高裁まで争います。このとき、「大田知事を守れ。」といって全国の六〇〇名の弁護士さん(神田弁護士はもちろん)が活躍し、支えてくれました。

再度の安保に風穴と“ウチリ火”の闘い

 この中で、読谷村の“象のオリ”(謀略的な通信傍受施設)の「米軍用地特措法」に基づく土地の使用期限が手続中に切れてしまいました。そこで、国は“象のオリ”内の反戦地主の知花さんの土地を取り上げるために、緊急米軍特措法をつくりました。国は“野球の試合で負けそうになったので、自分に有利にルールを変えて試合を再開した”のです。

 こんなことまで、日本政府はやるんです。

 日本政府は、この法律を四七五法案の“地方分権一括法案”の中にいれて、最終的には建設大臣が認定すればいつでも県民の土地を取り上げられるように法律を作りかえてしまった。いくら抵抗しても日本政府に土地を取り上げられる仕組みに作りかえました。沖縄の地主が裁判をおこしても、訴えの利益がないとして、却下されます。しかし、法律が変えられても、反基地闘争を闘いつづけました。土地取り上げについて、土地・物件調書以外については、今も、裁判を続け、収用委員会の公開審理を闘っています。

“ウチリ火”と県民、本土が一体となった闘いの反撃を〜第五次土地収用

 沖縄は日本政府にほんろうされてきましたが、私たちはずっと抵抗し続けてきました。抵抗していくことができた根っこに反戦地主がいたからです。反戦地主は、“ウチリ火”(種火)と呼ばれています。“ウチリ火”が残っているから、いつか情勢が変化すれば、強制使用手続が行われる五年ごとにまた燃え上がることができるのです。

 九五年の少女暴行事件のとき“SACO(サコ)合意”で「普天間基地を返す」の合意がされました(橋本内閣)。ただし、名護の辺野古への移設という「条件付き返還」でした。しかし、一〇年以上経過しても、杭一本打つことが出来ず、海上基地建設はできませんでした。海上基地建設の「V字(滑走路)案」は県民と県の闘いで一歩も引かず、今回の県知事選をむかえました。

 昨年二〇一〇年一月の名護市長選で名護移設反対の稲嶺市長が当選し、九月には名護市議会議員選挙で、「名護移設反対」の議員が保革を超え多数を占めました。

 県議会では全会一致で“普天間基地撤去、県外移設”が決議されました。鳩山前首相は、総理大臣になる前は沖縄にきて、「普天間基地は少なくとも県外へ移設」と言いました。沖縄では、昨年四月二五日に読谷村運動場で、九万人の「普天間基地の早期閉鎖・返還を求め、県内移設に反対する県民大会」が開かれました。

 そして、今回の県知事選で追いつめ、「県内移設」を終わらせるつもりでした。県内移設反対の揺るぎない県民世論を前に、「県内移設」を容認していた仲井真知事も選挙戦をむかえ、争点隠しのために、「県外移設」と言わざるをえなくなりました。

 沖縄県民は、日本政府にほんろうされながらも闘いつづけました。歴史はかならず動く。この闘いは必ず実を結ぶものと思っています。私はいっぱしの農民にすぎません。しかし、いっぱしの農民の草の根の闘いが今や、県知事選でも現職候補に「県外移設」と言わしめ、日米政府は追いつめられています。アメリカ政府も沖縄米軍基地の“グアム移転”の方向を打ち出さざるをえなくなっています。

 沖縄の現実を真摯に受けとめていただいて、沖縄米軍基地の全面撤去に向けて、本土も沖縄の闘いに連帯・支援いただくようお願いして、お話を終わります。


今だからこそ給費制の維持を
〜メーデー活動報告&リーフレットのご紹介〜

東京支部  黒 澤 い つ き

一 メーデーでの活動

 五月一日のメーデー、皆様お疲れ様でした。代々木公園の式典会場につながる歩道上は、各種団体の署名活動・アピール行動がさかんに行われていましたが、ひときわ元気な声を響かせ注目を浴びた(?)一角がありました。なにを隠そう、給費制維持を訴える団員とビギナーズ・ネットの修習生達有志でした。以下、メーデーでの取り組みを報告致します。

 まず、式典が始まる一一時までの一時間、署名活動・四つ折りリーフレット配布・缶バッヂ販売・拡声器による宣伝を行いました。私にとっては震災後初めての街宣だったので、反応が予測できず、多少緊張しました。「未曾有の大惨事を前に、給料が欲しいだなんて」という向かい風が吹き荒れるであろうことは予想でき、各単位会の活動も停滞しているのは事実です。しかし国民が「日常」を奪われた今こそ、法律家が必要です。誰よりも被災者のそばで悩みや不安を受け止め、的確にアドバイスして不安を解消させ、限界があれば先頭に立って問題を発信し、乗り越えるための方策を行政に訴える法律家、換言すれば憲法が予定し、弁護士法一条に具体化された使命を全うする法律家の養成は、東日本の復興に不可欠です。復興を願うからこそ給費制の維持を―これを端的に、どんな言葉で訴えれば道行く人に伝わるか、難しいなぁと思いながらの活動でした。

 ビギナーズ会員だけでなく給費制維持対策本部の先生方もしゅうしゅう君Tシャツで鮮やかに目立ってくれたためか、幸いにして反応は良く、四つ折りリーフレットは一時間で用意していた一〇〇〇部全てを配布できました。署名は五〇筆ほど集まり、缶バッヂも「そこそこ」売れました(!)。

 デモではビギナーズ・ネットの横断幕をはじめ、たくさんの団員が給費制維持を訴えるプラカードを手に、ときおりシュプレヒコールしながら、勢いよく行進できました。 

 政府内検討機関もようやく設置され、月末には第一回会合が開催される予定です。給費制維持の声を高め、あらゆる角度から政府に圧力をかけていく必要があります。その皮切りとして今回のメーデーでのアピールが良好な反応を得られたことは、とても意味があることです。五月集会でもプレ企画として給費制の問題を取りあげて頂きました。今年こそ給費制の完全復活を勝ち取るために、活発な意見交換を期待しておりますので、一人でも多くの方のご参加をお待ち申し上げます。

二 四つ折りリーフレット「『司法修習』って、なんですか?」

 今回、団通信に同封したビギナーズ・ネットの四つ折りリーフレット「『司法修習』って、なんですか?」は、上記街宣活動で配布したものです。統一修習の意義を理解して頂くことが給費制維持の第一歩と考え、現役の修習生達が中心に、忙しい修習の合間を縫って作成しました。一般市民の方々に、修習生がどのような道をたどって法曹へ育つのか、わかりやすく解説しています。各支部での活動でも、是非活用してください!リーフレットのデータはビギナーズ・ネットのHPからダウンロードできます。


坂本修・小沢隆一・上脇博之 共著

ブックレット『国会議員定数削減と私たちの選択』(新日本出版社・新刊)を、運動の力に

東京支部  上 条 貞 夫(東京憲法会議幹事長)

 事態は緊迫している。今国会中に、参院の選挙制度改革と併せて衆院比例代表定数の八〇削減を実現する方針を、民主党が決定した(三月二五日)。「今国会中」つまり来月、六月を目前にして、この策動と切結んで勝負を決するための、絶好のブックレットが刊行された。いずれ劣らぬこの道のヴェテラン、団員弁護士と憲法学者の共著・最新刊。これを全国の団員が一斉に活用すれば、国民与論形成の決定的な転機を掴むことが出来ると思う。タイミングを逃さず、団五月集会に向けて、その要旨を紹介したい。

〈パート一〉国会議員定数削減をめぐる“せめぎ合い”
      坂本 修(弁護士)

一 策動はここまで来ている

 二〇一〇年参院選で大敗した菅内閣・民主党は、支持率を下げ続けている。こんな弱体内閣に何が出来るか、と見る人もいる。しかし、アメリカと財界の強い要求である、普天間基地県内移設、消費税アップ、PTT参加など、国民要求との矛盾が深まれば深まるほど、アメリカや財界に忠誠を誓うことによって政権の「危機」を乗り切りたい、その“目玉”が衆院比例代表定数削減による完全小選挙区制への決定的な接近なのだ。参院の定数格差是正が呼び水になっている。アメリカや財界の強い「注文」、マスコミのエールを受けて、民主・自民中心の談合による強権政治体制確立のための選挙制度「改革」に打って出る危険は大きい。しかも、それが「公選法の一部改正」で実現出来ること。この「二重の危険」を直視する必要がある。

二 “大いなる災い”― 定数削減の危険な正体

 一九九四年に導入された小選挙区制度を梃子とする「二大政党制」政治により、全国民に被害を及ぼす悪法が続々とつくられた。しかし今、小選挙区制導入の「どんでん返し」密室会談の主役だった細川元首相と河野元自民党総裁が、その誤りを率直に語っている。では、この上さらに定数削減が行われたなら、どうなるか。二〇〇九年八月総選挙比例票に基づくシュミレートでは、合計で三〇%の得票を得た第三党以下が八%の議席しか得られない。それ以上に、「国民の願いが切り捨てられる」こと。世論調査では九条改憲反対は六割、消費税増税反対もTPP反対も、真実が明らかになれば圧倒的多数となる。しかし、こうした声は国会に届かない。派遣法抜本改正も、後期高齢者医療制度廃止の立法も、国連への「個人通報制度」の早期実現も極めて困難になる。

 この企みには、連動し重なり合う二つの動機がある。(1)財界とマスコミのエールを受けて二大政党制づくりが本格的に開始された二〇〇三年以降の国政選挙で、自民・民主の合計得票率はいずれも七割前後。それが二〇一〇年の参院選では五五・六%に下落し「二大政党離れが鮮明になった」(二〇一〇・七・一二日経夕刊)。ここに支配勢力は並々ならぬ危機感を抱き、このピンチを乗り切るために“劇薬”として単純小選挙区制に近づけたい。(2)それにとどまらず、かねてから財界が描いてきた「青写真」に基づく強権的・“壊憲”的な「国家改造」を実行する反動攻勢に打って出る。九条改憲に反対する政党を国会から締め出し、九条を破壊して「戦争をする国」に、二五条を空文化して「格差と貧困の国」にする。

 それは決して、たんなる選挙制度いじりの問題ではない。

三 何を掲げて立ち向かうか

 話す相手は国民。まず真実を語ること。でも、国民の間には、選挙や政治についての諦めや無関心が軽視できないレベルで多様に広がっている。だから、たんに「阻止しよう」と言うだけではエネルギーが出てこない。さらなる改悪の阻止にとどまらず、民意を正しく反映する選挙制度に速やかに改めることを、攻勢的に訴える必要がある。― 小選挙区制の廃止、比例代表制の実現を。「正当な選挙」実現の夢を語ろう。

四 勝利の展望をどこに見るか―私たちには“夢”を実現する力がある

*「ムダを省く」「わが身を削る」に対する反論のポイント

* たたかってこその勝利―私たちには大義と力がある

「三大事件」の意味 

(1)九条明文改憲を二〇一〇年までに実行する策動(安部首相)を、二〇〇七年選挙で自民党を歴史的大敗させることで挫折させた

(2)ひきつづく自・公政治に対しては二〇〇九年選挙で惨敗させ、ついに打ち倒した

(3)政権を得たにもかかわらず、公約を裏切った民主党については、二〇一〇年参院選挙できびしい審判を下し、しかも自民党をも敗北させた

*たたかいは、これから

 すでに立ち上っている九団体、草の根の学習会、署名運動、各地方議会での反対意見書採択要請、国会要請迫りくる濁流に気づいた人が、仲間を信じ、国民を信じ、多様なやり方でねばりづよく真実を訴え、要求を共同のものにするために、努力を尽くす。主権者として、私たちで決めよう。

(以下、紙数の関係で、パート二、パート三はテーマと目次の紹介に留める。理論上の新しい展開が魅力的で、学ぶところが多い)

〈パート二〉いまの選挙制度の問題点とは何か
      小沢隆一(東京慈恵医科大学教授)

 いま、政治への国民の怒りが渦巻いているが、こうした政治にしてしまっている原因は小選挙区制と政党交付金にあること、小選挙区制が「国民を政治から遠ざける」結果になっていること、「議会制民主主義の再生」のためには、選挙制度の改革をおこない、小選挙区制を廃止して比例代表制にし、「政党の鍛え直しと育成」をする必要があることを解明

 渦巻く政治への国民の怒り その向かう先は?

 品位なき国会・頼りにならない政治家

 「二軍議員」を生む仕組みとしての小選挙区制と政党交付金

 国民を政治から遠ざける小選挙区制 

 官僚への恐れと依存の克服

 議会政治の再生に必要なこと

   *選挙制度の改革

   *政党の鍛え直しと育成

   *是非と改めるべき高額な供託金

   *政治活動の自由の保障を

〈パート三〉議員定数と選挙制度についての憲法論
      上脇博之(神戸学院大学教授)

「議員の数が多すぎる」という主張は、すべての事実と道理に照らしてまったく誤っていることを解明し、その上で、そもそも憲法がどういう選挙制度を要請しているかを問い、それは、衆院、参院ともに、民意を正しく反映する比例代表制であること、小選挙区制は違憲であることを詳細に論証

一 定数削減に道理はあるのか?

*国際的には国会議員は少ない!

*終戦直後の有権者数や人口数を基準に比較しても少ない!

*財界政治から転換し、官僚依存政治から脱却するなら国会議員を増やすべき!

二 憲法はこう要請している

*裁判所は「立法府の裁量」と考えている

*国会の多数派の暴走に歯止めをかける必要がある!

*選挙法は「実質的な意味での憲法」であるはず!

*原則対等な二院制からの要請

*権力分立制・議院内閣制からの要請

*国民主権・議会制民主主義からの要請(社会学的代表)

*「投票価値の平等」からの要請

三 憲法が要請する選挙制度はこれだ

*選挙制度は以上の憲法上の要請をすべて充足すべき!

*衆議院の小選挙区選挙は違憲!

*参議院の選挙区選挙も違憲!

*選挙無効判決を下すべき!

*憲法の要請すべてに応えるのは比例代表制!

*衆院は定数六〇〇比例代表制(ブロック)、参院は定数三〇〇比例代表制(全国一区)に!

*二院制であっても、衆参いずれも比例代表制でかまわない


衆院定数削減阻止リーフの活用を!

東京支部  山 口 真 美(衆院比例定数削減阻止対策本部事務局長)

 本年二月に衆院比例定数削減阻止対策本部の事務局長に就任した東京支部の山口です。少し遅くなりましたが、就任の挨拶をかねて定数削減をめぐる情勢と自由法曹団で作成した定数削減阻止リーフの活用を訴えさせていただきます。

 まず、定数削減をめぐる情勢です。三月一一日に発生した東日本大地震は、巨大地震と津波、加えて福島原発事故の拡大で、その被害は戦後最大の規模に達しています。今、国民も国会議員も力を出し合ってこの危機を乗り越えなければならない時です。しかし、民主党は、比例定数削減などという悪巧みに時間を使うのはやめて復興支援に専念しますなどとは一切言いません。むしろ、党内での議論を着実に進めています。しかも、衆参両院の一票の格差に関する違憲判決を契機に衆参両院において定数是正のための公職選挙法の改正が不可避となったことを悪用し、格差是正と衆参の定数削減とを一体のものとして押し進めようとしています。たいへん危険な情勢と言わざるを得ません。

 衆院の比例定数を削減しようとするねらいは、現行の選挙制度を限りなく単純小選挙区制に近づけ、保守二大政党制を完成させることにあります。未曾有の災害に対しリーダーシップを発揮できない民主党は、統一地方選挙でも敗北し、大きく国民の支持を失っています。民主党は、比例定数を削減することによって、過半数に及ばない得票率で議席の七割、八割を獲得し、強権的な政治を押し進めようとしているのです。比例定数削減を盛り込んだ法案を国会に提出させないとりくみがたいへん重要となっています。

 しかし、必ずしも比例定数削減の危険性が一般的には十分に認識されているとは言えない状況です。早急に、衆院比例定数削減の危険性を広く国民に訴え、法案の提出を阻止する運動を大きな波にしていくことが必要です。

 自由法曹団のリーフは、多様な民意を切り捨てる衆院比例定数削減の危険性を分かりやすく伝える内容になっています。コンパクトサイズで配りやすく、與那嶺次長の力作のイラストが魅力的です。配る人が「配りたい」と思う、道行く人が「受け取りたい」と思うリーフになっていると自負しています。定数削減の危険性を訴える宣伝ツールとして、ぜひ、ご活用ください。五月は憲法関係の集会なども多い時期ですので、そういった場所でも利用していただけると幸いです。

 憲法の国民主権の原理からすれば、主権者である国民の多様な意思が国会の議席に公正に反映される選挙制度こそが求められています。国民の多くは、今の政治が国民の声を反映していないと感じており、政治と政治家の劣化に厳しい批判の目を向けています。衆院の比例定数の削減は、国民を政治からいっそう遠ざけ、政治の劣化をさらに進めるものにほかなりません。そうした衆院の比例定数削減を阻止するたたかいは、国民主権を掲げる憲法を守り活かす大切なとりくみだと思っています。事務局長として尽力する決意ですので、衆院の比例定数削減阻止のたたかいを大きく広げていきましょう。

【注文書は団HPからどうぞ…】

 http://www.jlaf.jp/html/menu3/index_0.jpg

 FAX 〇三―三八一四―二六二三 へ


異業種交流会

東京支部  千 葉 一 美(女 性 部 部 長)
東京支部  岸   松 江            
東京支部  千 葉 恵 子(女性部事務局長)

 下記のとおり異業種交流会、その後に懇親会を行います。

 女性教員のおかれている状況、学校の現状などに触れる機会です。

 女性部部員の方々、ぜひご参加くださいますようお願い申し上げます。

 準備の都合・予約等がありますので、二〇一一年五月一一日までに出欠席をお知らせ下さい。

☆異業種交流会☆

《 日 時 》二〇一一年五月一二日(木)一八時三〇分〜二〇時

《 場 所 》旬報法律事務所

      東京都千代田区有楽町一丁目六番八号

              松井ビル六階(受付7階)

     〇三-三五八〇-五三一一 http://junpo.org/

      JR「有楽町」駅日比谷口徒歩四分 

      丸ノ内線「銀座駅」駅徒歩二分(C1出口)

      日比谷線「日比谷」駅徒歩一分(A4出口)

      千代田線「日比谷」駅徒歩三分(A11出口)

《 テーマ 》 教師のおかれている現状、子どもの現状

 教師の方々二、三人(前田淑子先生他)をお招きして、最近の教育現場の状況、教師、子どもの現状などについてお話しをおうかがいし、交流したいと思います。

☆懇親会☆

《 日 時 》 二〇一一年五月一二日(木)二〇時〜

《 場 所 》 かこいや有楽町店

          〇三-五五六八-七一二六

        会費五〇〇〇円程度を予定しています。

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下記のいずれかに○をつけて五月一一日までにご返信下さい

弁護士 岸 松江 行き(FAX〇三-三三五七-五七四二)

異業種交流会に     出席します     欠席します

懇親会に         出席します     欠席します

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