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渡邊  純 *島根・松江五月集会特集その2*
五月集会・構造改革分科会に参加して
中村 里香 「震災で露呈した構造改革の歪み」
下川 朋恵 事務局交流会全体会に参加して
北村  栄 あいち九条の会の取り組み
津島 理恵 「取り調べの可視化と裁判員制度を考える市民集会」開催報告
古川 景一 『君が代』から『民が代』へ
玉木 昌美 日野町事件と阪原さんのこと
後藤 富士子 給費制統一修習は、どんな実務法曹を作ったか
―国賠法における「お手盛り」判決
衆院比例定数削減阻止対策本部 「ストップ!比例定数削減」ののぼり旗ができました!



*島根・松江五月集会特集その2*

五月集会・構造改革分科会に参加して

福島支部  渡 邊   純

 福島の便利屋こと、渡邊です。

 今年の五月集会、福島から遠く離れた島根ということもあり、出不精の私は、不参加を決め込むつもりでした。しかし、三月末以降、震災があり、原発事故があり…ということで、いろいろ動かざるを得ず、そうすると、やっぱり五月集会にも行かなければならないというジレンマ(?)に陥り、やむなく参加することにしたのでした。

 案の定、参加すると、いろいろと報告を求められる羽目になり、一日目は環境公害分科会で原発事故被害の報告、懇親会終了後の交流会でも拙い報告を余儀なくされました。

 二日目は、全体会での発言を某H支部長に任せたのでゆっくりできるかと思いきや、出席した貧困+構造改革分科会で被災地からの発言を求められました。そのときに発言した内容と重複するのですが、現在、被災地にいて感じることを少し述べます。

 被災地で感じるのは、やっぱり基礎自治体の役割が大きい(と同時に、負担も重い)ということです。四月半ばに、相馬や南相馬の現地調査をしました。南相馬市は、いわゆる平成の大合併を機に、二〇〇六(平成一八)年に、(北から)鹿島町、原町市、小高町の一市二町の合併により誕生した市です。もともと、合併についてはいろいろ騒動があったようですが、合併による矛盾が、震災と原発事故によって吹き出しました。一番南にある小高区は、原発から二十キロ圏にほぼ重なり、中心部の原町区は、ほぼ二十キロから三〇キロ(屋内退避区域、現在は緊急時避難準備区域)、北の鹿島区はそれ以外(一部は計画的避難区域)というように、合併前の単位と原発事故による避難等区域がほぼ重なってしまったのです。鹿島区の住民は、甚大な津波被害や原発事故の不安はありつつ、復興と生活再建に向け、走り出したい。小高区の住民は、県内・県外に避難を余儀なくされ、生活再建の目途すら立たない。原町区は、四月半ばころまで、新聞配達も、宅配便の配達もない(鹿島区や相馬市まで自分で取りに行かないとならない)という状態の中で、孤立感を深める…というように、住民間の温度差が広がりました。一時は、市の職員に対して、原町区の住民が、「市で新聞配達をしてほしい」と要望するほどだったそうです。

 そうした中で、基礎自治体である市が、住民個々の要望を丁寧に聞き、必要な支援を即応的に進めていくことは容易なことではありません。一人一人の置かれた状況によって、必要な支援は異なりますが、南相馬市では、原発事故により、必要な情報も届かず、支援物資も滞る中での対応を余儀なくされました。市当局や職員も一生懸命に対応したとは思いますが、合併による基礎自治体の広域化と「効率化」の名の下に進められてきた人員削減により、支援の手が十分に届かなくなりました。そのことが、特に原町区の住民から「生殺し」との不満を招いています。そういった意味で、震災対策をテコに進められようとしている道州制導入の動きは、絶対に阻止する必要があると思います。

 今、被災地の自治体で問題になっているのが、生活保護制度における義援金等の取扱いです。ご存じのように、生活保護制度では、定期か臨時かは問わず、収入があれば収入認定された程度で保護費の減額や停廃止がされますが、義援金や東電の仮払補償金(一世帯一〇〇万円、単身世帯七五万円)を受け取った場合に、それを収入認定して生活保護を停廃止する動きが急速に広まっていることが新聞でも報道されています(福島県だけでなく、宮城県でも実例が報告されているようです)。福島県弁護士会は、この問題について、六月六日に会長声明を出し、(1)義援金の一次配分額については収入認定せず、そのことを被保護者に周知すること(2)原発事故による避難者等については、元の居住地に帰還できるか目途がつくまで、自立更生計画の提出を事実上強制しないこと(3)一定額を包括的に自立更生計画に計上して差しつかえないとする厚労省通知の趣旨を徹底し、被保護者に周知させることを求めていますが、こうした停廃止の動きの底流には、自治体の財政逼迫があるだろうと思います。被災の程度がひどく、避難者がたくさん出ている被災地については地方税の税収がほとんど見込まれない中、生活保護の自治体負担分は、自治体にとっては過大な負担になることは明らかです。逼迫した財政に苦しむ自治体が、生活保護行政にかかる費用を少しでも減らしたいと思うのは(非人道的で許されないことはもちろんですが)、ある意味当然です。

 阪神淡路大震災の際に、兵庫・大阪の団員の先生方を中心に、生活再建に公的な負担を求める運動があり、生活再建支援法に結実しました。こうした成果を、私たちが正当に継承し、発展させるためには、「生活再建は国の責任」と同時に「原発事故は、東電だけでなく、国策による人災、だから原発事故被災者救済は国の負担で」ということを求めつつ、基礎自治体の体力をどのように回復させ、きめの細かい支援を可能にしていくということを考えざるを得ないと思っています。支援を必要としている人、必要な支援はあまりに多く、地元団員の力だけでは足りません。全国から、知恵を、力をお貸し下さるようお願いします。


「震災で露呈した構造改革の歪み」

大阪支部  中 村 里 香

 貧困・構造改革分科会(二日目)においても、やはりと言うべきか、今回の震災に関連する問題を中心に報告・議論がなされました。

 震災に関係する貧困問題といえば、災害救助法に基づく現物給付や、震災の際の生活保護問題などが真っ先に思い浮かぶのですが、本分科会では、個別の法律問題というよりは、より横断的な観点から、復興後の地域のあり方等が取り上げられていたように思います。

 現在、「構造改革」という言葉を頻繁に耳にすることは少なくなっています。しかし、かつての構造改革が未だに影を落とし続けており、震災の打撃に輪をかける結果となっていることに、改めて怖さを感じました。

 具体的には、新地方行革指針(平成一七年総務省通知)・行政改革の重要方針(平成一七年閣議決定)に基づく地方公務員の削減数だけを見ても、この一〇年間で約三九万人(一二%)減と、極端な事態になっています。特に、被災地のうち、宮城県石巻市では五年間で二四四名の公務員削減の目標を掲げていたところ、今回の震災で、新たに二四二名を臨時職員として採用したという皮肉な結果を招じたことは、構造改革の歪みを如実に顕したものと言えるでしょう。また、「平成の大合併」がもたらした基礎自治体の広域化、公立病院の削減なども、震災に多大な悪影響を及ぼしているようです。

 これに対し、財界、政府の動きは、この震災を機に一挙に構造改革を推し進めようとするものであり、注意する必要があります。

 震災復興を口実にした増税論などは、比較的よく耳にするところですが、構造改革について警戒する声はまだまだ小さいのではと思います。

 しかし、財界は露骨に、道州制の導入を提言したり、復興特区構想を示したりしており、そのための法案の制定も求めています。

 また、政府も、被災市町村の合併促進へ向けた特別立法を検討しており、民主党の復興ビジョンチームは、「法人税の無税化も含む特区制度」を提言し、財源については「税制の見直しを含めて検討」するとしています。さらに、復興構想会議においては、増税も含めて議論することが強調されています。同時に、「社会保障制度改革」として、医療・介護、生活保護等の切り下げも図られています。

 現在「創造的復興」の名の下に強力な「上からの復興」が推し進められようとしている動きについて警戒を強め、阪神大震災の際の様々な教訓を生かすことが求められているのではないでしょうか。

 私は和歌山県出身で、阪神・淡路大震災はそれなりに身近な地域での出来事であったはずですが、震災後の復興が必ずしも成功していなかった内実については、最近になって大阪弁護士会の研修を受けるまでほとんど知りませんでした。阪神・淡路大震災と同じ轍を踏まないようにするためにも、当時の経験を今一度洗い出し、地域に根ざした復興のあり方について模索し、法律家団体としての提言を行っていく必要があるのではと感じました。


事務局交流会全体会に参加して

あかしあ法律事務所  下 川 朋 恵

 今回は、松江で女性弁護士第一号の岡崎由美子先生と、名古屋南部事務所事務局の堀切幸寛さんにご講演いただきました。

 岡崎先生からは、弁護士と事務局との関係形成に重点をおいてお話しがありました。

 先生ご自身が事務所創立者として、事務局との協働をめざし、事務所を大きくしていく過程で感じていること、その改善策や、これから心がけなくてはいけないと思っていることなどを、ざっくばらんにお話しいただきました。事務所の内部事情をここまでオープンにしてしまっていいのかな、と心配になってしまいましたが、私自身経験してきたこととよく似ていて、「弁護士と事務局とは仕事・活動のパートナー」という言葉に感動をおぼえながら、どんどん話に引き込まれていきました。

 これから地域で事務所を維持し、所員が同じ方向をむいて依頼者や活動に関わっていくためには「人を個人として尊重する」こと、お互いコミュニケーションを大切に、事務所理念を確認・認識していくことが大事なのだという先生の言葉が心にすっと入ってきました。

 自分から心を開き、寄り添っていくということは、簡単そうで難しいことですが、忘れずにいなくてはいけないなと、気持ちを新たにすることができました。

 堀切さんは、事務局としての仕事のほか、積極的に社会活動に関わっていらっしゃり、さらに事務局のバイブル『実務講座』テキストの編集にも携わっている方でした。

 活動で忙しくしている弁護士を支えるのも事務局、そのためには事務局のスキルアップが必要なのだ、というお話しには、なるほど!と妙に納得してしまいました。

 私自身、法律事務所事務員という職業について一一年、団事務所に所属して七年、もうベテランの域なはずですが、日常業務と活動のバランスの取り方に悩ましく思うこともありました。私のように、「仕事のありかた」について悩んでいる事務局は多いとおもいます。ただ、その分、仕事でも活動でも弁護士と協働できると、やりがいを感じることができます。

 それはほんのわずかなきっかけなのですが、お二人の講演を聞いて、仕事も活動もと、やりたいことを自分なりにやっていけばいいのだと、私のように憑きものが落ちたように心が軽くなった方は多いのではないかと思います。交流会に参加し、お二人のお話しを聞くことができて、本当によかったです。

 余談ですが、二日目の夕食懇親会で、偶然、岡崎先生と同じ事務所の弁護士さんと並びの席になり、一日目の事務局懇親会後の客室懇談会(?)では、堀切さんとお会いでき、ほんの少しですがお話しをすることができました。

 事務局が、団事務所員として真剣に考える機会をもらうだけでなく、いろいろな方々と出会い、話ができるというのは、五月集会ならではと思います。これからも楽しみにしています。


あいち九条の会の取り組み

愛知支部  北 村   栄

一 あいち九条の会の結成

 あいち九条の会は二〇〇五年一月二二日に結成され、今年六周年を迎えました。

 この六年間の活動の経験から、年間の活動は次のようになっています。

二 あいち九条の会の活動

(1) 設立記念のつどい

 二月二六日に結成六周年のつどいを行いました。

 今年は憲法学者の森英樹氏を講師にお招きし、(1)憲法をめぐる現情勢の報告−政府が「動的防衛力」を表明し、西南諸島で日米で初の離島防衛のための軍事演習を行った現状と東アジア情勢を中心に「壊憲」が進んでいる実情を分かり易くお話しをしていただきました。

 また、併せて(2)本年のあいち九条の会の活動計画を提起しました。具体的には以下のとおりです。

(2) 県内「九条の会」交流会

 六月二六日に開催を予定しています。県内各九条の会のみなさんに活動の交流の場を提供しています。

 今年は東日本大震災の救援活動に際し自衛隊の指揮下で警察や消防が動くという事態が生じました。大震災によって生じた新しい憲法問題が議論のテーマの一つになるかも知れません。

(3)「憲法九条を守ろう '11年 県民のつどい」

 毎年一一月三日に講演を中心とした集会を開催しています。現在、今年の講師予定者の方と講演内容について打ち合わせを進めているところです。

 企画の内容は、国民世論の動向をながめながら決めていくことになりますが、東日本大震災によって新しく生じた憲法問題を深めることも候補の一つではあります。

 また、県内では、地域ごとに複数の九条の会が合同で講演会を企画し、中には一〇〇〇名単位で参加者を得た企画も生じています。

 これらの地域会の動きには、新しい動向として注目しています。

(4)「アピール行動」

 インドアで講演を聴く学習だけでなく、市民に対して「憲法九条を守ろう」をアピールしようというアウトドアのパレードを企画しています。

 今年は九月に予定しており、名古屋の繁華街をにぎやかしく練り歩き、街角の市民が「なんだろう」振り向いてくれるような企画にすべく準備を進めています。

 また、名古屋市内のある九条の会では近隣の地域九条の会と合同で毎年一二月八日夜に「平和のともしび」と称した街頭パレードする企画を成功させている団体があります。

 このような、夜間に灯火を掲げて街頭行進する企画は、県内の他地域にも広がっています。これも新しい動きです。

(5) ホームページによる情報の発信

 あいち九条の会のホームページがあります。

        http://www.aichi-article9.jp/

 特に「新着情報/県内九条の会の催しのお知らせ/二〇一一」のコーナーでは県内各九条の会の企画を紹介しています。

三 愛知県下の各九条の会の結成が果たした役割

 県内では、現在二八〇を超える会が結成されています。結成は現在も続いています。

 県内各地における会の結成は、県民が「憲法運動にアクセスできる」身近な「場所を作る」という点でも大きな役割を果たしています。

四 地域に影響力ある会作り

 ある地域会では、中学校区・小学校区単位での会作りを目指しています。

 企画を地域の公民館で開催し、その地域にチラシを撒いて地域の方に参加を呼びかけ、さらにはこの活動の中で知り合った高齢者の方を講演者として「戦場体験を聞く会」の企画するなどの経験もあります。

 最近は「憲法擁護」をテーマとする企画には自治体は後援しないとの話を聞く一方で、九条の会が企画した講演会に地元自治体の後援や外郭団体役員の支持を得たという例も生まれています。


「取り調べの可視化と裁判員制度を考える市民集会」開催報告

京都支部  津 島 理 恵

一 はじめに

 二〇〇九年五月、京都支部は、日本国民救援会京都府本部、京都地方労働組合総評議会、京都マスコミ文化情報労組会議などの団体と共同で「裁判員制度を考える京都の会」(以下「京都の会」といいます)を立ち上げ、毎年、集会の開催をはじめとする活動を行ってきました。

 そして、本年五月一四日には、ジャーナリストの江川紹子さんと京都支部の古川美和団員を講師として、「取り調べの可視化と裁判員制度を考える市民集会」(以下「集会」といいます。)を開催しました。

 今回の集会は、郵便不正事件や大阪府東警察署警察官による取調中の暴言脅迫事件などを機に、市民の間でも取り調べ過程の全面的な録画・録音の必要性が認識されつつあるこの機会に、全面的可視化実現に向けた運動をさらに盛り上げるとともに、裁判員法施行三年目の見直しの時期を迎え、えん罪を生まない制度にするためにどうすればよいかを学び考えることを目的に開催したものです。

 開催の約二ヶ月前から街頭宣伝や関係団体等へオルグ活動を行い、集会への参加及び協賛金の協力を求めました。

 その結果、二〇〇名を超える参加があり(昨年実績の二倍以上)、また、協賛金についても昨年を大きく上回る協力を得ることができました。

二 集会の内容

(一)江川さんのお話

 江川さんは、新聞記者時代に取材した事件を機に、えん罪は戦後の混乱期といった過去のことではなく現代でもありうるのだと実感し、その後、えん罪問題に取り組むようになったそうです。この事件では、被疑者が取調官から「犯人はお前かお前の息子のどちらかだ。お前が違うというなら息子を攻めるしかない。」と脅されたために、虚偽自白がなされていました。

 また、検察の在り方検討会議に関わった経験や足利事件、郵便不正事件などの取材を踏まえて、裁判員制度とえん罪について次のように指摘されました。

 従来のえん罪を生み出した原因として、捜査機関の捜査方法が問題だとされることが多いが、調書を重視する裁判所の責任も大きい。裁判官は書面を重視する傾向が強く、この“裁判官の紙好きマインド”のせいで、捜査機関も調書作成に躍起になっている。ところが、裁判員が膨大な量の書面を読むことは困難なので、調書をできるだけ用いない裁判へと変容し、裁判官も徐々に“紙好きマインド”から脱却できるのではないか。えん罪をなくすために、裁判員裁判は大きな意義がある。

(二)古川団員のお話

 古川団員からは、日弁連裁判員制度実現本部での議論や裁判員裁判を何件も手がけた経験を踏まえてお話いただきました。

 自白調書があまりに論理的に書かれていたため、「被告人の性格からすればそのような供述をするとは考えられない」と裁判所が判断し調書の信用性が否定された事例などが紹介される、取り調べの問題点が明快に語られました。そして、裁判員の意見を聞いて「目から鱗が落ちた」と話す裁判官もおり、市民参加が刑事裁判に良い影響を与えているとの話がありました。

 ただ、他方で、裁判員の負担を考慮するあまり、「裁判員のための裁判」になっているなど問題点が多いため、検察官手持ち証拠の全面開示、無罪推定の原則の説明方法の徹底、裁判員の守秘義務の緩和など制度面及び運用面の改善が必要であることについて分かりやすく説明がなされました。

(三)参加者からの感想・意見

 質疑応答の時間には、会場からたくさんの質問が寄せられ充実したものになりました。

 参加者のアンケートには、感想や意見が豊富に書かれており、「参加してよかった」との好意的な意見がほとんどでした。また、「『裁判員のための制度』ではおかしいと思うが、『被告人のための制度』と言い切ってしまうのも極端な気がする。何のための制度といえばしっくりくるのでしょうね。」「可視化は必要だが、可視化によって何がどの程度犠牲になるかという話を聞いてみたい。」「裁判員になった方の話を聞いてみたい。」「死刑制度の話をもっと聞きたい。」など、刑事裁判について学び考えたいという具体的かつ積極的な意見がたくさん寄せられました。

三 今後の活動方針など

 集会後の反省会において次のような意見が出されました。

 裁判員裁判における被告人の権利保障の議論が必要であると同時に、市民参加の意義にも十分に目を向ける必要があるのではないだろうか。今日までに一万人を超える市民が裁判員を経験し、そのアンケート結果からは裁判員となったことについて肯定的な意見が多く存在するという事実を無視することはできない。これまでヴェールに包まれてきた裁判という国家権力の行使を市民が見守ることができるよう司法手続が透明化されつつあることは大変意義のあることだ。

 裁判員法見直しにあたり、被告人の権利保障の観点が必要であることはいうまでもありませんが、市民の立場からの視点や刑事裁判への市民参加の意義という観点も必要なのだと気づかされました。「えん罪や取り調べ可視化の問題を風化させることなく、市民が関心を持ち続けることが重要である」という江川さんの言葉が特に心に残っています。えん罪を防止できる、さらに成熟した裁判員制度になるよう市民を巻き込んだ形で議論や運動を進めていきたいと思います。


『君が代』から『民が代』へ

東京支部  古 川 景 一

 私の本籍は日本労働弁護団ですが、『君が代』問題については、自由法曹団員として奮闘されている諸氏に問題提起した方がよかろうと考え、投稿させてもらいます。

一 提案の趣旨

 私の提案は、『君が代』の頭の一文字『き』を『た』に換えてしまうことです。

    民が代は
    千代に八千代に
    さざれ石の
    巌(いわお)となりて
    苔(こけ)のむすまで

二 日本国憲法との関係

 この歌詞なら、日本国憲法にふさわしい国歌といえるのではないでしょうか。そして、起立斉唱することについての違和感は生じないのではないでしょうか。

 周りの人の多くは冒頭の一文字を『き』と発声するかもしれませんが、堂々と、或いは、こっそりと、『た』と発声し、時間をかけてでも、『た』と発声する人の多数派形成に努めたらどうでしょうか。

 『た』と発声する人が多数派になったら、日本国憲法は盤石の基盤を固めることになります。

三 日の丸の扱い

 『君が代』とセットの問題として日の丸の扱いがあります。「日の丸に向かって起立斉唱するのはイヤだ」と考える人がいます。私個人は、「日の丸は、元々は艦船識別旗であり、戦争で悪用されただけ」と考えているため、日の丸については『君が代』とは別扱いしてもよいと考えています。ですが、日の丸を軍国主義のシンボルと捉える考え方についても十分理解できます。

 もしも、仮に、日の丸を軍国主義のシンボルと捉えるとしても、「軍国主義のシンボルである日の丸を押しつけようとする者に対するプロテスト・ソングとして、日の丸に向かって『民が代』を歌う」という選択肢もあり得るのではないでしょうか。

四 新たな選択肢

 これまで『君が代』を歌わないという抵抗を続けてきた皆さんには、本当に心から敬意を表します。これまでの闘いの意義を決して軽んじるつもりは毛頭ありません。

 最高裁判決が出て、大阪府の条例が作られようとしているときに、『民が代』を歌って広めるという積極的な行動に新たに打って出ることは、今後の憲法擁護運動の選択肢の一つとしてあり得るのではないでしょうか。

五 懲戒処分事件の論点

 私の専門である労働事件として考えてみたとき、もしも、『た』と発声したことを理由に処分をされたら、思想信条の自由という抽象度の高い論点ではなく、憲法と労働法をつなぐより具体的な論点が浮かび上がります。

 例えば、日本国は『君が代』なのかそれとも『民が代』なのか。処分をした側とされた側のどちらが憲法遵守義務を履践しているのか。『た』と発声したのか『き』と発声したのかについて沈黙する自由はないのか。『た』と発声したことを証明する証拠はあるか。『た』と発声したことにより式典の進行に支障が生じたり、式典の威厳が損なわれたのか。『た』と発声したことを理由とする処分に合理性・必要性があるのか、等々。

 ざっと考えてみただけでも、これだけ多数の論点がありますから、処分をするのは容易なことではなく、余程のことがなければ処分権の発動は困難でしょう。

六 立法政策

 立法政策として考えたとき、「国旗及び国歌に関する法律」を改正し、『き』を『た』に変更することについては、曲を換えずに歌詞の一文字を変更する微修正ですので抵抗感が少なく、日本国憲法の精神を活かすという大義があり、音楽の出だしの音としてはイ音の『き』よりア音の『た』の方が曲全体が明るい印象を与え、さらに、国歌を巡る対立状況を止揚して国民統合を図るものとして、国粋主義者以外の反対は招かず、多くの賛成を得られる現実的な可能性があると言えるのではないでしょうか。

七 具体的な行動提起

 自由法曹団の団員諸氏に異論がなければ、自由法曹団として、「国旗及び国歌に関する法律」を改正して『き』を『た』に変更することを提起し、かつ、「法改正に至るまでは『た』と発声しよう」というアピールを発してはいかがでしょうか。


日野町事件と阪原さんのこと

滋賀支部  玉 木 昌 美

 二〇一一年五月二六日、布川事件で再審無罪判決が出され、櫻井さん、杉山さんがえん罪を晴らすことができ、うれしいかぎりである。獄中二九年とその後の長きに亘る闘いは、二人、家族、弁護団、運動体にとって大変なものであったと思う。弁護団の精力的な活動については柴田団員や山本団員等からご報告を詳細に受けていただけに感慨深いものがある。また、櫻井さんには日野町事件支援で、支援集会、現地調査等、再三、滋賀においでいただいただけに心から祝福したい。

 日野町事件(酒店女主人強盗殺人事件)が日弁連支援事件に決定されたとき、再審無罪にもっとも近いと言われたのは、「東の布川事件、西の日野町事件」であった。

 ところが、日野町事件の阪原弘さんは、二〇一一年三月一八日死去され、大阪高裁に係属していた即時抗告審は、同年三月三〇日、「死亡により終結した。」と決定された。

 私は、二〇一〇年一一月五日に、広島刑務所で阪原さんに接見したが、弁護人がそれなりのやりとりをすることができた最後の機会となった。彼は「点滴を打ってもらった。刑務所で倒れて頭を打った。食事がとれない。」と訴え、しきりに寒がっていたし、「病院に入れてほしい。」と希望していた。私は、接見後、庶務課長に面接を申し入れ、病状と刑務所の対応を問い質したが、「阪原さんの処遇については万全を期している。」という説明であった。しかし、同年一二月六日、阪原さんは意識を失うなど病状が悪化し、執行が停止されて病院に収容された。

 二〇一一年二月三日、伊賀団長と国民救援会の佐藤氏と一緒に広島の病院にお見舞いに行ったが、意識を失ったままの阪原さんの細くなってしまった足を見るにつけ痛ましいかぎりであった。それでも、それなりの反応があり、「ひょっとして、こちらからかける声がわかっているのではないか。」と期待させるものがあった。「このまま、濡れ衣を晴らさないで死ねない。」という強い意志があったようにも感じられた。

 病状は一進一退を繰り返したものの、同年三月一八日に最悪の結果となった。阪原さんの無念さは痛恨の極みであろうと思う。

 日野町事件は、代用監獄で自白を強要された典型的なえん罪事件である。当時、被疑者弁護の制度は勿論、当番弁護士の制度もなく、被疑者段階で適切で十分な弁護を受けることはできなかった。

 阪原さんは、最高裁で無期懲役が確定したものの、事件は何ら解明されていない。彼は、家族が全員働き、経済的に困った事情はなかったし、毎日のように親しく常連客として酒店にコップ酒を飲みに行き、ときには被害者の配達等の手伝いもしていた。何ら動機がない。また、被害金額も不明であり、通帳等も行方不明のままであって被害品も解明されていない。壊した被害金庫のダイヤル等部品も不明のままである。そして、どの裁判所も認めているように、秘密の暴露は何もない。捜査官によれば、「涙を流して自供した」はずであるのに、捜査官にわかっていること以外は何も解明されていない。手首のひもの結び方も弁護団の岡根団員の解明により、間接事実ではなくなった。

 一審では、「自白の筋書きでは有罪判決が書けない。」と考えた坪井祐子裁判官が担当検察官に公訴事実をぼかすように指示し、予備的訴因が追加されて有罪にされた。その結果、判決は、強盗殺人事件では異例の、殺害の日時も場所もわからない概括的認定となった。

 二審判決は、金庫を取り違え、被害金庫が店頭にあったとして、自白の信用性があるとしたが、証拠上当該金庫はそもそも店頭にはなかったものである。人は店頭に存在しない金庫を見て犯行を思い立つことはできない。

 再審段階では、「座っている被害者の首を中腰で、両手で絞めて殺した」という自白の殺害方法が重要な争点として問題となった。一審判決ですら、解剖医の尋問結果を踏まえ、その方法に疑問を投げかけていたからである。それが、再審段階では、二人の鑑定人により、それでは首が固定せず、自白の方法では殺せないことが解明された。大津地裁(長井秀典裁判長)は、殺害方法を含め、二〇数点に渡り、弁護側の主張を認めつつ、論点をばらばらにし、各論点について、「そうでない可能性論」を展開して、再審請求を棄却した。極めつけは、自ら「客観的証拠に矛盾する」とした殺害方法を「記憶違い」でごまかした点である。ここまでくると刑事裁判とはおよそいえず、犯罪的である。

 こうしたふざけた判決の根底にあるのは、「重大事件で人はウソの自白をするはずがない。阪原さんは捜査段階で捜査官に対し、一貫して自白を維持した。また、金庫投棄現場、死体発見現場を案内できた。だから犯人に違いない。」という判断である。浜田寿美男教授の「虚偽自白の理論」をまるでわかっていないのである。

 阪原さんの弁護を一審から担当してきたが、彼は接見に行くたびに、「先生、もう出られますか。」という言葉を繰り返した。一審、二審、最高裁、再審、いずれの段階においても、そうであった。彼にすれば、拘置所や刑務所に閉じこめられる理由がない。「自白した以上、無罪判決を勝ち取ることはそう簡単ではない。」とか「有罪が確定した以上、再審開始、再審無罪を勝ち取ることはそう簡単ではない。新証拠を検討している。」といくら説明しても納得しない。「私は事件とは何も関係あらしませんし。」という言葉が返ってくるだけであった。浜田教授が憲法集会の講演の中で、「無実の者にとっては、重罰の恐怖感など現実的ではない。」と説明されたが、まさにそのとおりであった。

 即時抗告審の段階では、主任弁護人の谷田団員らを中心に論点の解明を続け、最後に残ったのは、主として、自白の問題、引き当ての問題となった。そして、浜田教授作成の鑑定意見書は、まさに「虚偽自白の理論」を知らない裁判官を完膚無きまでに叩きのめすパワーがあったと思う。事件はその結果を見ることなく、終了してしまった。あとは、遺族が名誉回復のために別途再審請求を行うしかない。

 阪原さんは、酒とカラオケが好きな、地域でも世話好きの、人のいいおっさんだった。強盗殺人の犯人に間違えられることにならなければ、子や孫たちと平穏に暮らしていく人生だったと思う。阪原さんのカラオケ好きは有名で、あの時代に歌手田端義男のファンクラブに入り、のど自慢大会にも出場していた。彼から、琵琶湖哀歌の歌詞カードの差し入れを求められ、歌手山本和美のテープを購入して、歌詞カードのコピーを差し入れたこともあった。

 二〇一一年四月二三日、滋賀弁護士会の憲法集会においでいただいた足利事件の菅家さんや布川事件の櫻井さんと一緒に懇親会の二次会でカラオケスナックに行き、三時間近くフィーバーした。菅家さんは本当にカラオケ好きでうまく、彼が歌う舟木一夫の「仲間たち」や橋幸夫の「恋をするなら」が印象に残った。櫻井さんは、歌手デビューを予定している(?)だけあって、迫力ある演歌がすばらしかった。日野町事件もこの二つの事件のように再審無罪を勝ち取り、阪原さんと一緒にカラオケを歌いたかったが、残念である。

 国民救援会の献身的な援助に対し、「親戚でもないのに救援会の人たちが面会に来て、差し入れまでしてくれる。足を向けて寝られない。」などと感謝し、「自分は果報者だ。」と言っていた阪原さん。「伊賀先生、石川先生、玉木先生来てください。」と、時にはご指名で弁護団の接見を希望し、それを楽しみしていた阪原さん。接見のときにはしっかりと説明しようといつも緊張感を持って接していた阪原さん。心からご冥福をお祈りしたい。


給費制統一修習は、どんな実務法曹を作ったか

―国賠法における「お手盛り」判決

東京支部  後 藤 富 士 子

一 裁判官としてあってはならない基本的な法律適用の誤り

 昨年、私は、裁判の誤りについて、三件国賠訴訟を提起した。

 一件は、外国の裁判手続で離婚した日本人父母の子に対する親権をめぐる問題である。当該国では、離婚後も父母の共同親権であり、日本の戸籍届出が受理されている。ところが、父親は、外国から子どもを日本に連れ去り、日本の民法を悪用して単独親権者になるために、家庭裁判所に「親権者指定」の審判を申し立てた。この事件で、「親権者を父母から父に変更する」という法外な審判が下され、上訴(抗告)で関わった裁判官らも、これが異常な審判であるとは気づかなかったらしい。

 民法第八一八条三項では婚姻中に限り父母の共同親権とし、離婚により単独親権になるところ、父母の協議が調わないときは、裁判官が「親権者指定」することになる(八一九条一、二、三、五項)。これに対し、「親権者変更」は、子が単独親権に服している場合に、親権者を他方の親に変更するものである(八一九条六項)。したがって、「共同親権から単独親権に親権者を変更する」ことなど法律上不可能である。

 なぜ、このような無理な審判がされたのか。まず、父親も親権者になっているのであるから、「親権者指定」は審判の利益を欠いており、不適法却下を免れない。それにもかかわらず、母親の親権を剥奪したかったのであろうが、それは、親権喪失宣告手続によらないという点でも、違法であろう。

 他の二件は、離婚前の夫婦間で子の身柄を移転するために悪用される人身保護請求手続に関するものである。関与する弁護士・裁判官で、人身保護法規を理解している法曹に出会ったことがない。とにかく、ヘビアス・コーパスの正反対のものとして運用されているから、英米法の法曹が見たら驚愕するだろう。

二 裁判と国家賠償法の適用―「特別の事情」

 裁判については、そもそも国家賠償法が適用されないのではないかという議論がある。英米法の国では、裁判官の民事責任については司法免責特権という考え方があり、また、ドイツでも裁判官の義務違反が犯罪になる場合に限って損害賠償が認められているといわれている。しかし、日本の国家賠償法第一条一項は「公務員」から裁判官を除いていないし、裁判行為が「公権力の行使」に当たることは異論がないことから、裁判官の行為であっても、適用を除外していないと解されている。

 しかるに、裁判の誤りが国家賠償法で違法とされるのはどのような場合かについて、民事訴訟で裁判官が法律の適用を誤った(民事留置権と商事留置権の取り違え)という事案で、最高裁昭和五七年三月一二日第二小法廷判決(民集三六巻三号三二九頁)は、違法とされる基準を示した。すなわち、「裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国家賠償法第一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるわけのものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である。」として、当該事案は「特別の事情」に当たるものではないと判断している。

 ここでいう「特別の事情」など、俄かに想像できないもので、この論理は、裁判官無謬論には立たないものの、重過失による誤りは国賠責任の対象外とするものと言える。しかし、裁判官の重過失による誤りが免責されるとは、「お手盛り」判決というほかない。

三 「特別の事情」と「裁判官の資質」

 ところが、裁判所構内での接見の際に、弁護人が被疑者に交付する文書の授受を裁判官により拒否された事案で、名古屋地裁判決は、当該裁判官の行為を国家賠償法第一条一項の規定にいう違法な行為にあたると判示した。刑事訴訟法第八一条による接見等の禁止の効力は弁護人には及ばないのに、担当裁判官が、その効力が及ぶと誤解しており、弁護士が法律解釈の誤りを指摘して何度も裁判官に再検討を求めたのに、条文の確認もしなかったというのである。判決は、当該裁判官の誤解を「裁判官としてあってはならないともいうべき基本的な法律の適用の誤り」とし、昭和五七年三月の最高裁判決の基準を適用したうえで、違法であったと判断している。なお、同判決は、控訴審で認容金額が増額されて確定している。

 ここで、昭和五七年三月の最高裁判決の基準を適用したというものの、「当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をした」とも、「裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使した」とも、認定していない。むしろ、主観的にはイノセントな裁判官の基本的な法律の適用の誤りを断罪している。すなわち、昭和五七年当時には考えられなかったような、法律に無知な裁判官が平成一五年には実在したため、断罪せずにはすまされなかったのであろう。

 私が国賠訴訟を提起した事件の担当裁判官は、家事審判でも判事であったし、人身保護請求事件にいたっては高裁合議部で裁判長は超ベテラン判事である。そして、私が痛感したのは、これら裁判官と、同じ法律をめぐってコミュニケーションが成立しないことである。彼らは、実務マニュアル(最高裁執務資料)に盲従するだけで、当該事件の具体的事実に自分の頭で考えて法適用するという、司法作用の実務ができないのである。また、これをリードするのが、相手方弁護士である。これが、給費制統一修習によって生み出される法曹の実態である。

〔二〇一一・六・二〕


「ストップ!比例定数削減」ののぼり旗ができました!

衆院比例定数削減阻止対策本部

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