過去のページ―自由法曹団通信:1387号        

<<目次へ 団通信1387号(7月21日)


田渕 大輔 最低賃金裁判提訴の報告
〜人間らしく生き働く権利の実現を目指して〜
牛久保 秀樹 ILOは、日航問題を重要案件とする
―日航、郵政ILO要請行動報告(上)
渡邊  純 原発事故による放射性物質汚染は「公害」である
馬奈木 厳太郎 東京電力に対する第二次仮払請求のご報告
和田 美香 原子力損害賠償・白河相談説明会のご報告
秋元 理匡 報告:緊急学習交流会「水俣の闘いにまなぶ」
〜東電原発事故被害対策弁護団(仮)結成に向けて〜
松島  暁 原発の再稼働を止めたい─玄海町訪問記
玉木 昌美 第二一回裁判勝利をめざす
全国交流集会に参加して
芝田 佳宜 六・九比例定数削減に反対する大集会in東京のご報告
近藤 ちとせ 宮城県のソニー期間労働者と厚生労働省要請、街頭相談・宣伝を共にして

千葉 一美
岸  松江
千葉 恵子

自由法曹団女性部総会のご案内



最低賃金裁判提訴の報告
〜人間らしく生き働く権利の実現を目指して〜

神奈川支部  田 渕 大 輔

 去る六月三〇日、神奈川労働局長に対し、神奈川県の最低賃金を一〇〇〇円以上とする決定を行うよう命ずる判決を求め、横浜地方裁判所に提訴しました。

 最低賃金については、平成一九年の最低賃金法の改正により、生活保護に係る施策との整合性に配慮することを定めた九条三項が設けられましたが、この規定の趣旨は、最低賃金が生活保護を下回らないようにすることにあります。

 そのため、最低賃金法の改正後、最低賃金が生活保護を下回る逆転状態を解消することが意識されるようになりました。逆転状態にある神奈川県でも、改正法が施行された平成二〇年以降、三年の間に合計八二円引き上げられ、平成二二年の時点で、神奈川県の最低賃金は八一八円となっています。

 他方で、国は、神奈川県の最低賃金について、八三六円まで引き上げられれば、生活保護との逆転状態は解消するとしています。

 最低賃金は時給によって定められるのに対し、生活保護は月額で定められます。そのため、最低賃金と生活保護の比較においては、一定の計算を行う必要があります。そして、中央最低賃金審議会が行っている計算によれば、神奈川県では、最低賃金が八三六円に引き上げられれば、逆転状態は解消するとされています。

 しかし、中央最低賃金審議会が行っている計算の方法には、五つのゴマカシがあることが、かねてから指摘されていました。

 一点目は、最低賃金と生活保護を比較するにあたり、時給で定められる最低賃金に、毎月の労働時間として一七三・八時間を掛けている点です。一七三・八時間を掛ける根拠は、この数字が労働基準法上想定される最長の所定内労働時間だからです。しかし、国が行っている毎月勤労統計調査を見ても、一般労働者の所定内労働時間は、過去数年一五五時間前後で推移しています。そのため、一七三・八時間を掛けることは、実態よりも、所定内労働時間を大幅に水増しするものです。

 二点目は、公租公課の負担を除去して最低賃金と生活保護とを比較するため、〇・八五九という係数を掛けている点です。この係数は、沖縄県の公租公課の負担率を根拠として定められています。しかし、沖縄県は全国で最も最低賃金の額が低いため、公租公課の負担率も全国で最も低くなっています。そのため、神奈川県で働く労働者の公租公課の負担率は、中央最低賃金審議会が計算に用いる沖縄県の公租公課の負担率よりも、もっと高くなっています。それにもかかわらず、沖縄県の数字を神奈川県でも用いることは、神奈川県の労働者の公租公課の負担を過小評価するものです。

 三点目は、勤労経費が全く考慮されていない点です。最低賃金で働いている人も、労働によって収入を得るには、労働に伴う一定の経費が必要となります。そこで、勤労経費を差し引いた金額と生活保護とを比較しなければ、正しい比較となりません。現に、労働によって収入を得ながら生活保護を受給する場合にも、勤労経費は考慮されています。ところが、中央最低賃金審議会が最低賃金と生活保護を比較するにおいて、勤労経費の点は全く考慮されていないのです。

 四点目は、級地間の調整です。最低賃金は、各都道府県ごとに一律の金額で定められています。他方、生活保護は、各都道府県を複数の級地に分け、生活保護の支給額を決めています。そこで、中央最低賃金審議会の計算では、人口加重平均によって生活保護の平均額を求め、最低賃金と比較しています。しかし、生活保護の平均額を上回っていても、平均額以上の生活保護の支給を受けている人もいるのですから、逆転状態を解消したことにはなりません。

 五点目は、住宅扶助費です。中央最低賃金審議会の計算では、生活保護の住宅扶助費について、実績値を用いて最低賃金との比較を行っています。しかし、この点も、実績値を上回っていても、実績値以上の住宅扶助費の支給を受けている人もいるのですから、逆転状態を解消したことにはなりません。

 このように、国が公表している数字には五つの大きなゴマカシがあり、たとえ神奈川県の最低賃金が八三六円になったとしても、生活保護を下回る逆転状態は解消しないのです。

 裁判では、最低賃金が生活保護を下回る逆転状態を解消することが国の法的義務であることと並んで、以上述べた国の計算の不当性を主張していくことになります。

 国の計算のゴマカシを明らかにして、最低賃金が不当に低く抑えられている現状を打破することができれば、最低賃金水準での労働を余儀なくされている人々の生活苦を直接救済できるだけでなく、労働者全体の賃金水準を引き上げることもできるでしょう。

 この裁判を、そのような大きな流れにつなげ、人間らしく生き働く権利を実現していけるよう、全力を尽くしていきたいと考えております。


ILOは、日航問題を重要案件とする

―日航、郵政ILO要請行動報告(上)

東京支部  牛 久 保 秀 樹

 日本航空整理解雇、郵政における一〇万人正社員化運動について、五月、ILO要請行動を行いました。その報告です。

 日本航空整理解雇は、ILOの専門家たちと協議して、国鉄型で、ILO結社の自由委員会申立を行いました。

 結社の自由委員会先例のダイジェスト二〇〇六年版は、次のような提起をしています。

「七九五・反労働組合差別行為は経済的必要性をもとにした解雇という名目で許可されるべきではない。」

「八〇四 (結社の自由)委員会は、労働組合役員の保護を保障する一つの方法は、これら役員を、深刻な違法行為を行った場合を除いて、在任期間中にあるいは退任後一定の期間内に解雇してはならないことを定めることであると指摘してきた。」

「一〇八二・委員会は、新たな人員削減計画が実施される場合、当該企業と労働組合との間で交渉が行われるよう要請する。」

 日航事件は、これまでの、ILO結社の自由委員会が明らかにした基準にそって、審査されます。

 既に、ILOは、解雇強行を前にして、事務総長代理としてクレオパトラ・ダウンビア・ヘンリー国際労働基準局長名で、ILO条約に沿った対処を日本政府に要請していました。

 今回の要請行動では、カレン・カーチス結社の自由委員会責任者が対応し、解雇された原告三名も直接、英語で、訴えをしました。

 更に、クレオパトラ国際基準局長、ガイ・ライダーILO事務局長補佐が、突然の会談要請に快く応じ、私たちの訴えをメモしながら聞き、重要な質問を幾つかされて、日航問題は、ILOが機構全体で取り組む課題であることを表明しました。

 結社の自由の原則だけでなく、他の条約違反の検討も必要です。ILO第一一一号条約(「雇用及び職業についての差別待遇に関する条約」)違反の問題があります。日航の整理解雇基準は、雇用の継続について年齢による差別待遇を行うものであることが明らかであり、この一一一号条約は、ILOにおける中核条約としてILO加盟国に効力があります。

 また、ILO第一二二号条約(「雇用政策に関する条約」)は、自己に適する職業に必要な技能を習得し並びにその職業において自己の技能及び才能を活用するための可能な最大限度の機会を有すること、を確保することを目的として、完全雇用、生産的な雇用及び職業の自由な選択を促進するための積極的な政策を、主要目標として宣言し及び遂行するとしています。

 同行している堀団員からは「国家的な企業で大量解雇がなされた場合、一二二号条約違反として申立が可能か」と質問する。ILO事務局担当者は、「本来、一五八号の解雇規制条約の対象であるが、この条約は日本政府が批准していないために起きる問題だと理解する。結局、その大量解雇が、完全雇用を実現するという政府の政策と適合するかどうかいうことで、一二二号条約とからんでくると思われる。」と回答しました。

 実際に、一一号条約、一二二号条約がどのように活用しうるか、今後の検討事項になります。

 日航整理解雇の要請で、ILOでは、この事案について、はじめての要請とは受け取っていないことを感じました。野村證券事件、郵産労組合事務所事件、そして国労問題と、ILOが関わり解決してきた一連の事件の延長に位置づけられているからなのです。国際基準局のクレオパトラ局長、カレン・カーチス次長、そしてダン・クニア労働者活動局長は、直接、それらに関わり、担当していました。日本の運動が、これまで、ILOとの関係で誠実に活動し続けてきたことが、今回の要請行動の成果につながっているのでしょう。

 ILOとの意見交換で、かれらが、労使交渉の実態に、強い関心を持っていることが判りました。日本に、交渉で解決するという「文化」の確立を求めているのです。

 更に、日航事件のILO申立では、ITF(国際運輸労連)、IFALPA(国際定期航空操縦士協会連合会)が支援を表明して、ILOに文書を送っています。ILO申立が、国際的連帯の重要な機会となることも明らかになってきています。


原発事故による放射性物質汚染は「公害」である

福島支部  渡 邊   純

 福島県で弁護士をしていると、いろいろなところで、放射線被曝の健康影響について深刻に考えている人に出会います。そのたびに、「私は、放射線の影響で癌になるより先に、煙草で癌になるはずだから…」と冗談めかして言うのですが、それでほっとした顔をされる方も、少なからずいらっしゃいます。喫煙者も、変なところで役に立つ実例です(「自分で好んで吸っているんだろう」という突っ込みは断固却下。私は煙草は好きじゃありません。依存症なので、仕方なく吸っているのです。「じゃあ、依存症を治せばいいだろう」って?ま、そんなに突っ込まなくてもいいじゃないですか)。…それはさておき。

 この間、原子力損害紛争審査会が一次指針、二次指針を出し、福島県内では、原発事故の損害賠償についての関心が高まっています。福島県弁護士会も、六月二五日に、原発事故の損害賠償を視野に入れた「被災者ノート」の説明会や相談会を各地で開きましたが、三〇〇〇人を超える数の方が説明会に集まりました。きっちり賠償させることは確かに大事です。でも、私は同時に思います。賠償を受けたら被害回復になるんでしょうか?と。

 ある日突然、原発で爆発があって、否応なしに、頭上から放射性物質が降ってきて、それが今でも地表に残り、放射線を放ち続け、それを浴びている、水も、土も、作物も否応なしに汚染され、そのことによって、たくさんの人が地域を捨て、仕事を捨てて避難しなければならず、長期間にわたって不便な生活を強いられる。かたや、地域にとどまっている人も、今後長期間にわたって低線量被曝による健康影響や農業などへの影響を心配しながら暮らさざるを得ない。基本的な要求は、「環境を、地域を、事故の前の状態に戻せ。元に戻すことが本当に不可能なら、せめて完全賠償を」だと思うのです。

 避難所での相談の中で、賠償の話になると、私はいつも最後に「賠償はきちんとさせないとね。でも、戻れるんだったら戻りたいよね。そのためにどうすればいいか、一緒に考えましょうよ」と言います。避難者の方は、一様に、戻りたいというところでは頷いてくれます。でも、その後の反応は、「戻れっこない」「戻りたいけど、どうすれば戻れるの」「何年経ったら戻れるの」「何年かかっても、戻りたい」…人それぞれです。私も、「いつ戻れるか」「どうすれば戻れるか」については、答えを持ち合わせていません。朝日新聞によると、チェルノブイリ事故の際に居住禁止区域となった区域と同じレベルの汚染区域が六〇〇平方キロ(東京二三区とほぼ同じ面積)、農業禁止区域となったと同じレベルの汚染区域が七〇〇平方キロということです。そこまで至らずとも、中通りの人口密集地も含め、かなり高濃度に汚染された区域は広範囲に広がっています。汚染地域の除染をどのように進めるか、その費用は…など、考えると気が遠くなるような思いですが、それが現実です。

 私個人の考えですが、原発事故による放射性物質汚染は、大規模な公害問題としてとらえることが可能なのではないか…と思っています。

 この点、土壌汚染基本法は、有害物質に土壌が汚染された場合、汚染した事業者や土地所有者に汚染除去対策などを命じることができるとされていますが、残念ながら、同法にいう「汚染物質」には、放射性物質は含まれていません。また、環境基本法第一三条は、「放射性物質による大気の汚染、水質の汚濁及び土壌の汚染の防止のための措置については、原子力基本法その他の関係法律で定めるところによる」とする除外規定を置いています。原子力基本法関連法規の中では、災害後の金銭補償について、原子力損害賠償法(原賠法)があるのは周知ですが、原子力災害対策特別措置法二七条では、地方自治体が原子力災害事後対策(放射性物質や線量の調査、健康診断等)を行い、事業者が必要な措置を行うとされています。「え、これだけ?」という感じです。災害後の紛争関係処理の手続については、原賠法に基づく紛争審査会以外の規定は、知る限りありません。

 しかし、環境基本法の除外規定は、あくまで「防止のための措置」であり、汚染が既に発生している場合には、放射性物質による汚染であっても、環境基本法(公害紛争処理法)に基づいて調停などを求めることができるとする解釈は成り立ちそうな気がします。環境基本法第二条三項は、「公害」を「環境の保全上の支障のうち、事業活動その他の人の活動に伴って生ずる相当範囲にわたる大気の汚染、水質の汚濁、土壌の汚染…によって、人の健康又は生活環境(人の生活に密接な関係のある財産並びに人の生活に密接な関係のある動植物及びその生育環境を含む)に係る被害が生ずることをいう」と定義しています。そうだとすれば、現在の事態は、少なくともこれらの法律にいう「公害」にあたること自体は間違いないでしょう。東京電力が、「原子力発電」という事業活動に伴って、大気、水、土壌に、「放射性物質」をまき散らし、生活環境を汚染したのですから。

 難しいのは、(1)汚染地域がとてつもなく広いこと(2)まだ具体的な健康被害が目に見える形で現れていない(晩発的影響、しかも確率的影響)ということでしょうか。でも、後者の問題は、大阪ダイオキシン公害調停では突破できていたように思われます。低線量被曝の健康影響のとらえ方については、専門家の間でも意見が分かれていますが、少なくとも現在の国際放射線防護委員会(ICRP)の考え方は、低線量であっても、癌などの晩発的影響の生じるリスクはゼロではなく、しきい値はないという仮説(LNT仮説)に基づくものです。ICRPの緊急勧告に従って年間の被曝目安を二〇ミリシーベルトまで引き上げた日本政府が、ICRPの考え方を否定するだけの根拠を持ち合わせているとは到底思えません(当のICRPは、実際に低線量被曝をしている際のリスク評価にはLNT過仮説を用いるのは適当でないともしており、楽観はできませんが)。

 現在の事態を公害問題としてとらえるならば、金銭賠償がすなわち唯一の救済であるという原子力損害賠償法の狭い枠組みを突破し、金銭賠償にとどまらない救済・被害回復(汚染地域の線量・核種の測定とアセスメント、除染や放射性物質の除去、長期間の健康管理…など)を実現していくことにつなげる視点を獲得できるように思います。

 団は、これまで、水俣病、イタイイタイ病をはじめとする公害闘争において、幾度となく先進的な役割を果たしてきました。私自身は、公害訴訟の経験はありませんが、公害闘争の経験と成果を、現在の事態に取り組む際に生かしていくことができるのではないかと考えています。全国の団員の皆さまに、英知(できれば労務も)の結集を、改めてお願いします。

 私は、これまで常々、原発のような危ないものとは、なるべくおつきあいしたくないと思ってきました。でも、なんだか、長くおつきあいしなければならない羽目に陥ってしまったようです。セシウム一三七の半減期(三〇年)が来るころには、七五歳を超えている計算になってしまいます…また気が遠くなってきたので、この辺で。


東京電力に対する第二次仮払請求のご報告

東京支部  馬奈木 厳太郎

 七月一三日、福商連(福島県商工団体連合会)は、東京電力に対して、第二次仮払請求を行いました。福商連では、すでに六月二八日に、第一次仮払請求(八二名分。請求額は約一億二八〇〇万円)を行っていましたが、今回の請求はそれに続くものです。私は、東日本震災対策本部の一員として、今回の請求に同行しましたので、当日の様子などをご報告いたします。

 第二次仮払請求は、福商連の事務所に東電の社員が出向いてくる形で行われました。東電からは、福島原子力補償相談室福島補償相談センターの課長と課長代理が出席しました。

 まず、福商連から、要望書に対して回答するよう要求がありました。要望書というのは、仮払いの早期支払いを要望するもので、具体的には、(1)三〇キロ圏内など機械的な線引きをやめ、幅広い被害者救済に努めること、(2)当面八一日分となっている営業損害仮払いについて、今後の二次・三次分についての受付計画を具体的に明らかにすること、(3)いわゆる風評被害の仮払いについて、早急に具体化をすること、の三点を内容としています。東電からは、(1)については、三〇キロ圏内の避難者の方たちがもっとも深刻な被害を受けているので、まずはその方たちを優先する形をとっている、そのことについてご理解いただきたいとの回答が、(2)及び(3)については、本社にも要望を伝えており、現在検討中ではあるが、お支払いできるかどうか確定的なお返事を今日の段階ではできないとの回答が、それぞれありました。率直に言って、極めて不十分な内容でした。回答を受け、会員の方たちからは、中小の事業者が置かれている現状をもっと真剣に考えるべきだ、事故からすでに四カ月が経過しているのだからもっと速やかに支払うべきだといった声があがりました。私も、東電は紛争審査会の指針待ちといった姿勢を改めて、企業責任を果たすべきだといった趣旨の発言をしました。

 要望書への回答をめぐるやりとりに続き、第二次分の請求書が東電側に手渡されました。今回は、七二名分で、請求額は約一億一〇〇万円です。確定申告や決算書類などの添付された請求書が、机にドンと積み重ねられるのを見ると、この間の法律相談会に参加されたお一人お一人の顔が思い返され、被害の深刻さと事業者の方たちの切迫した状況を改めて痛感させられます。一枚一枚の書類のもつ重みを前にして、一日も早く支払うよう念押しせずにはいられませんでした。

 請求書の枚数などを確認する作業の合間には、東電の方たちとの雑談もありました。お二人とも東京から福島に単身赴任していること、家族からはしっかり仕事をしてこいと言われて福島に来たこと、小さい子どもがいる社員では家族連れで福島に応援に来た者はおそらくいないこと、自分たちは外から来たが福島出身の東電社員は避難所などにいても本当につらい立場にあり、同じ社員だが彼らに対しても申し訳ないと感じていること、個人的には東電として企業責任を最後まで果たすべきだと考えていることなどなど、率直な思いも語ってくれました。また、民商会員の方たちは書類が整っているのでスムーズな支払いができてこちらも助かっているといった発言もありました(これは、他の団体、たとえば商工会議所や商工会の場合、説明会などは開いても請求をとりまとめるといったことはしておらず、請求が個人任せになっているために書類の不備などが多数発生していることを念頭にした発言だと思います)。

 東電への請求後には、福商連の方たちと今日の到達などについて話しあいを行いました。第一次仮払請求については、一週間から一〇日くらいで九割の人については支払いがあったので、今回もそれくらいの期間で支払いがなされるであろうこと、第一次仮払請求の際に三〇キロ圏外の人たちの請求も含めていたが、その人たちについては支払いがなされておらず、紛争審査会の指針の範囲内でしか対応しないという姿勢は当面変わらないであろうことなどを確認しました。

 今後の課題としては、引き続き、三〇キロ圏外の人たちの被害について、東電にどうやって責任を認めさせるのかといった点がポイントの一つになろうかと思います。福商連では、いわゆる風評被害の損害についても請求していく方針ですし、完全賠償を求める取り組みを今後ますます大きなものにしていかなければ、そう強く感じました。

 私としては、今回のような請求に同行するのは初めてのことでしたし、しかも弁護士は私だけでしたので、最初から最後まで緊張の連続でした。少しでもお役に立ったのであればよいのですが……。

 福商連では、第三次仮払請求についても準備を進めています。引き続き、私も全力で取り組んでまいります。


原子力損害賠償・白河相談説明会のご報告

福島支部  和 田 美 香

一 全体の概要等

 本年七月三日(日)午前一一時四三分、東北新幹線なすの四五五号が新白河駅に到着し、同駅改札前に一八人の団員が集まりました。五月に二本松から始まった福商連・民商による福島第一原発事故に関する相談説明会も、ここ白河での開催で県内を一巡することになります。

 これまでの相談説明会では、毎回県内外からたくさん(のべ八〇名ほど)の団員が駆けつけ、原発事故の被害を訴える参加者に対して原子力損害賠償制度の説明や相談活動を行ってきました。もっとも、地域によっては相談説明会への参加者数が伸びず(原発事故による被害者はたくさんいるはずなのに)、弁護士の数と参加者の数が同じくらいであった場所もありました。そのような中、原発からある程度距離のある白河市での説明相談会には人が集まるだろうか…、一抹の不安を抱えながら昼食をとり会場に向かいました。

 会場である白河市産業プラザ人材育成センター講堂に入ると不安は一掃されました。原発事故さえなかったら、参加者それぞれが自己の営業活動や余暇のため有意義に過ごすはずであった暑い日曜日の昼下がり…、会場には約七〇名の参加者が集まっていました。中には民商会員ではない方や栃木県からの参加者も多数おられたようです。

二 相談説明会

 会は、冒頭の白河民商会長の挨拶に始まり、地元白河や県内の原発事故後に発生した損害等に関する報告が行われ、続いて、馬奈木厳太郎団員による原子力損害賠償制度に関する説明が行われました。

 馬奈木団員の説明は、賠償制度の大まかな内容や現在作られようとしている指針の問題点(慰謝料に関する基準の根拠を自賠責に求めているが、誰もが起こしうる(加害者と被害者が逆の立場になりうる)交通事故の基準を電力会社による原発事故という特異な事態の賠償基準の根拠としてしまうことのおかしさ、避難期間が六か月を超えたら慰謝料額が半額になってしまうことのおかしさ等)について、参加者のみならず、私まで前のめりになって聞き入ってしまう大変分かりやすい内容でした。

 次に、渡邊純団員による放射線が生活に与える影響等に関する説明がなされました。その中で、同団員は、いま地元で生活してゆくにあたり知っておくべきことや、汚染された県土を元のきれいな土地に戻すために今後見据えていかなければいけない活動(現行の土壌汚染対策法に規定された「特定有害物質」に放射性物質は含まれておらず、東電が同法に基づき放射性物質による土地の汚染除去等を義務づけられたりすることはない。新たな立法を求める活動等が必要である等)について話されました。渡邊団員の説明には、自身が地元で生活しているからこそ(渡邊団員の住まいは、郡山市内でも放射線量が非常に高い地域にあります)、地元の人間が知りたい情報が多々盛り込まれており、これまた、参加者のみならず、私まで前のめりになって聞き入ってしまいました。

 その後、団員が二人一組になって、各参加者に対する相談会を行いました。この日各団員ペアが受けた相談の中には、地元で事業を営んでいる民商会員からの相談だけでなく、地元ゴルフクラブの支配人や栃木県那須町のペンション経営者、福島県浪江町からの避難者等、原発事故に起因して生じた種々の問題に関するものがありました。

三 相談会の報告・議論等

 相談説明会終了後、これまでの会同様、団員と地元民商関係者が集まって各団員ペアから相談会の報告がなされ、また、今後の活動等について話し合いがもたれました。冒頭に述べたとおり、今回の会をもって福島県内での相談説明会は県内各地を一巡したことになります。そのこともあって、福島第一原発事故問題に関する今後の活動(弁護団を作るか否か、作るとしてもどのように組織してゆくべきか、また、請求内容が異なる被害者たちをいかにまとめあげてゆくか等)について、各団員からの提案や議論がなされました。

 また、今回の福島第一原発事故は大気・水・土地を広範に汚染した事態として、公害問題と位置づけて活動してゆく必要がある、今後の活動のためにも過去の公害事例に学ぶべきところを学んで今後の活動につなげてゆこうということが確認されました。

 散会後、関東方面から来られた一六人の団員は、発車時刻がせまっていた新白河駅一八時一三分発のなすの四七八号に急いで飛び乗り、帰路につきました。

四 感想等

 本年五月に入団したばかりの私にとって、この一連の福商連・民商の相談説明会を含む福島第一原発事故問題に関する活動が団員としての初めての活動となっています。まだ日は浅いものの、これまでの活動を通して、休日遠方から毎週のように来県して原発被害者の相談にあたる先輩団員の姿を目の当たりにし、団の真髄を肌で感じている今日この頃です。


報告:緊急学習交流会「水俣の闘いにまなぶ」

〜東電原発事故被害対策弁護団(仮)結成に向けて〜

千葉支部  秋 元 理 匡

一 開催の趣旨

 二〇一一年七月九日午後六時から、団本部で、題名の通りの会合がもたれた。

 五月以降、団の震災対策本部では、福島の民商の要請に応え、相談活動を続けてきた。二本松、須賀川、いわき、会津若松、飯坂温泉で相談会を開き、七月三日に白河で開いた相談会の後の総括会議で、「県内の相談活動は一巡したという感じだ。東京電力との相対の交渉ではどうにもならないケースについて次の手を打つ受け皿が必要ではないか」との意見が大勢を占めた。

 六月二五日に福島県弁護士会が県内八カ所で開いた「被災者ノート」の説明会には、合計約三三〇〇人にもなる被災者が詰めかけたという。地元の救済要求は深刻かつ超大規模だ。

 弁護団結成に向けた準備作業を始めるにあたり、地元・郡山の渡邊純団員から、「福島第一原発事故は公害問題として捉えるべきだ」との、誠にもっとも指摘があった。ついては、大規模な公害被害である水俣病、その患者救済の中心となり、ハンセン病・川辺川ダム・原爆症認定といった大規模訴訟の解決でも中核を担い続けた板井優団員(熊本支部長)から話を聞かせていただこう、ということになった。

二 講演要旨

 (当然だが文責は全て秋元にある。原爆症認定で熊本地裁の法廷にも数回立ち会ったこともあり、若干のコメントを付した。)

1 裁判による責任論の明確化

 板井団員のお話は、宇井純氏の「公害問題の起承転結」論の紹介から始まった。公害問題は、起:被害の訴え、承:原因追及、転:加害企業の責任回避、結:中和(加害企業が責任をとらない)、というプロセスを経るという。水俣病問題では、この中和を打開してチッソの責任を明らかにしたのが裁判だった。

 大量の被害者が原告となる裁判では、包括一律請求を行い、損害論の立証負担の軽減を図った。そこでは、共通損害の抽出が課題になる。

2 被害実態を明らかにすることの重要性

 裁判で責任論を明らかにするにあたっては、被害実態を明らかにすることが重要だ。

 水俣病第三次訴訟で一九八七年に熊本地裁が国に対する請求を認めた後、控訴審で、国は、これだけヘドロを除去するなどの対応してきたのだと主張してきた。しかし、それでも汚染は拡大していた。弁護団の努力で、水俣湾から不知火海を回遊する大型魚に、食物連鎖で汚染物質が濃縮し、拡大していったことが分かった(この大型魚の死骸はプランクトンに摂取される)。

 そして、水俣病では、鰯から猫、烏、人間に汚染が拡大していること国は分かっていた。その知見に基づいて対策を講じていれば、被害があれほど拡大していることはなかったはずだ。水俣湾の鰯を摂取していないと思われる奄美大島と比較したところ、違いがはっきりした。

 川辺川ダム訴訟控訴審では、利水事業に関する同意を確認するための二〇〇〇戸の聴取調査を行い、農水省が主張し地裁判決が認定した「三分の二の同意」を覆した。

 原爆症認定訴訟では、国は、残留放射線等に被曝している可能性のある人を「非被爆者」に加えて爆心地周辺地域の人と比較して「健康影響に差がない」などと結論づけた。これに対し、弁護団は、県内の被爆者と非被爆者の戦後の健康状況を比較する調査をした(プロジェクト〇四と称したこの調査で、被爆者は、がん等のみならず、広い範囲の疾病の発症率が高いことが分かった。熊本地裁では糖尿病の原爆放射線起因性も肯定しているが、この調査が大きな影響を及ぼしたのではないかと考えられている。)。

 福島第一原発の損害賠償の範囲についても、避難区域内・外ということにとらわれると誤る。飯舘村の悲劇もある。広範囲で線量が上がっていて茶葉からもセシウムが検出されている。今やるべきことはきちんとした調査をすることであり、それは今しかできない。特に内部被ばくの問題に注意が必要ではないか。

 さらに、福島第一原発の問題では、村落そのものを移転してしまい、故郷に住めなくなっていることが大きな損害となっている。このことをどう受け止めるかが大きな問題になる。

3 被害の掘り起こしについて

 被害実態を明らかにするとともに、包括一律請求による迅速な進行を進めるのには大勢の被害者を組織することが必要になるが、最初から大勢立ち上がるわけではなかった。

 水俣でも不知火海いっせい健診による被害実態調査が、被害者の組織化にもつながった。また、勝訴判決の連弾も被害者を励ました。

4 エール

 水俣病訴訟の地元常任弁護団は二十人余りだったし、川辺川ダム訴訟の常任弁護団も十数名だったが、様々な支援を受けながら実態調査をやり抜いた。あとは、覚悟の問題だ。

 七月二日、熊本学園大学で「緊急シンポジウム・福島原発事故にミナマタの教訓をどう生かすか」と題する集会を開いた。その成果はブックレットにして出版する予定である。

三 今後の活動への「つなぎ」

 板井団員をはじめ、途方もない公害を乗り越えた彼の地の弁護士と運動体の実力には度肝を抜かれる。事実をつかみ裁判所を説得し抜く構想力と実行力に畏敬の念をもつのは私だけではないはずだ。普遍化のためとそこを割り引いても、福島第一原発事故を公害として捉えたとき、今どの段階にあって、何をすべきか、今日の事態にどういう構えをすべきか、板井団員のお話は示唆に富んでいた。

 私たちは、先達の実績に学び、現地で被害者の声を聞き、受け止め、これらを糧にしてこれを救済ようとしている。この取り組みは、広島・長崎の経験のある日本が戦後原子力を導入し国策で原子力発電を推進してきたことが問うことでもある。科学技術の限界とそれを糊塗した独占資本、それに従属した国の政策とそれによる被害実態を捉えるのか。現地の声を被害要求とし、権利闘争に高めることが、法律家に求められる。

 原発事故の被害は途方もないが、住民と共に立ち向かう法律家が、どうしても必要である。一人でも多くの方にこの仲間に加わっていただくことを呼びかける次第である。

 末筆ながら、超ご多忙の中、数日前の要請にもかかわらず、無理なスケジュール調整を伴う要請に応えていただいた板井団員には、この場を借りて厚く御礼申し上げます。


原発の再稼働を止めたい─玄海町訪問記

東京支部  松 島   暁

玄海町へ行ってこよう

 「玄海町へ行ってこよう」と決めたのが、七月六日の夜。

 いま多くの原発が停止したままとなっている。五四基のうち三五基が運転停止中であるうえに、美浜三号機と高浜四号機、柏崎刈羽の一、七号機が、この夏にはそれぞれ定期点検に入る。

 原発推進勢力は、玄海原発二、三号機を再稼働させ、それを突破口に原発稼働の流れを作ろうとしていた。佐賀県では八日に県民説明会を開き、週明け一一日には県議会の原子力安全特別委員会が開かれる予定となっていて、七月中頃には再稼働にGOサインが出されるのではという危機感を覚えた。なにせ原発利権にどっぷり浸かった町長と元自治官僚の県知事なのだから。

 居ても立ってもいられず一〇日に現地で予定されていた「七・一〇原発からの撤退しゅう会」行きを決めた。ところが、決めたとたん、「やらせメール」やら「ストレステスト」発言やらで情勢は一変、七月中の再稼働の危険は遠のいてしまったのだけれど、航空チケットも取ってしまったことだし、一人でも参加者が多い方がよかろうと玄海町行きを決行した。

 会場の玄海町民会館へ向かう車の窓に広がるリアス式海岸、見え隠れする湾内に点在する島々、その風景は、二五年前、誘われて訪れた若狭湾の美浜原発のことを思い出させた。(原発の立地場所は、本当に風光明媚なのだ!)。

 弁護士志望の修習生と裁判官志望の修習生、三人で訪れた美浜原発、一応原発の危険性を学ぶというのが企画者の意図ではあったのだけれど、まさか今回のような事態が現実化しようなどとは当時は思いもよらず、少なくとも私は、ほとんど観光気分で、若狭湾と三方五湖を堪能し、民宿の料理をぱくついただけだったように思う。こんなことになるとわかっておれば、もうすこし真面目に原発の勉強をしておけばよかったのだが、私も「安全神話」に浸っていたということである。

原発問題とは

 会場の町民会館は、オーシャンビューのたいそう立派な建物で、定員三五〇名のイベントホールに四五〇名の人々が参集した。椅子を追加したもののそれでも足りずに、直接床に座り込んでの参加者も多かった。

 武藤明美佐賀県議の司会で始まった集会、最初は、玄海原発の計画段階からほぼ半世紀にわたって反対運動を組織し牽引されてきた仲秋喜道さんの「地元(玄海町)からの報告」だ。禅宗の僧侶(東光寺住職)であり中学の先生で佐賀教組の活動家でもあった。全国各地の様々な運動を仲秋さんのような有名・無名の「知識人」が支えていることを実感する。

 「じぶんが生まれ育った故郷には誰でもそれなりの愛着があるし、郷里を離れている人にとってはなおさら、ふるさとは懐かしいに違いない。だが私にとって玄海町を語ることは正直いってためらいがある。原発問題があるからだろうか。原発問題とは、安全性とか環境問題、エネルギー問題使用済み燃料・廃棄物の処理処分、緊急時対策などいろいろな問題があり、それはそれで厄介だけれどこの地に生活している私にとってはそれ以上のどろどろした現実問題が横たわっている。原発汚職・町政腐敗事件や、度重なる事故と不安、圧力、中傷いやがらせなど人をめぐるトラブルやそれによって生じる人間不信、それをひっくるめて私は原発問題だと考えている。この地に私がすむかぎり、この人間関係を避けて通ることはできない。」(仲秋喜道『玄海原発に異議あり』より)

 原発問題は、環境や科学の問題ではあるのだが、同時に、共同体の問題でもあるような気がする。放射能の危険を考えれば、福島の地を脱出するのが「合理的精神」の選ぶ道なのかもしれない。しかし人々がそうしないのは、単に知らないとか経済的にできないというだけではない、共同体の問題が横たわっているように思われる。

五〇ccバイクで全国を

 二人目が菊地洋一さん。福島第一原発六号機、東海第二原発の建設に携わった元GEの技術者で、安全性への不安から原発の仕事から離れ、五〇歳を機に財産を全て処分、一年間の準備期間を経て、五〇ccバイクで全国を回りながら原発の危険を訴えている方だ。尚、愛用のバイクはその酷使により遂に寿命を迎え、現在は自転車だそうである。

 計算や図面だけでしか原発を語れない自称「専門家」とは異なり、差別構造を含む現場の作業実態を踏まえた発言には説得力がある。

 三人目が団員でもある仁比聡平前参議院議員。「激動の三週間 世論と運動の力は局面を一変させた」とのテーマでの報告だった。

 岸本町長が再稼働受け入れを撤回し、古川佐賀県知事が再稼働と言えなくなった直接の要因は、九電の「やらせメール」や菅首相の「ストレステスト」なのだが、会場で私の席の直ぐ近くで話していた地元の人の会話、「いやぁー、かつての九電だったら考えられないね。(やらせメールの)内部情報が外に漏れることなんかありえなかったのに・・・・」。それ程、運動と世論は九電の内部にまで「浸透」しているのだ。

玄海町は馬鹿です。でも・・・・

 後半は、会場からの発言。三〜五分という司会者からのお願いに応えて、多くの発言が短時間になされた。長くなりそうな発言には、「簡潔に!」という「間の手」がすかさず入ったり、仁比さんには「どうして共産党は五〜一〇年などという(悠長な)提案をされるのか」等という鋭い質問が飛んでいた(一部、佐賀訛りか九州弁かで聴取り不能の箇所あり)。

 「玄海町は馬鹿です。自分も馬鹿だと思う。でも、他人からそう言われるとカチンとくるんです」という、最後に発言された地元玄海町の女性の声に、「それよくわかる!」と、内心で目一杯の拍手・喝采をおくってきた。


第二一回裁判勝利をめざす
全国交流集会に参加して

滋賀支部  玉 木 昌 美

 二〇〇一年六月一九日〜二〇日、静岡県熱海市で開催された第二一回裁判勝利をめざす全国交流集会に参加しました。滋賀県からは、私のほか、痴漢冤罪事件の被告人である柿木浩和さんが妻の伸子さんと共に参加しました。

 集会第一日目は、自由法曹団の大先輩の小野寺利孝弁護士(一九期)が「『裁判闘争に勝つ』ということ」と題して記念講演をされました。幼児どぶ川転落事故の経験から、裁判闘争から住民運動を発展させ、自治体に安全対策をとらせるに至った興味深いお話等がありました。そして、「裁判闘争に勝つ」ためには、裁判官の心の共鳴板を強く振るわせる必要があること、そして、そこで求められる「闘う弁護士」の心構え等を力説されました。原告団・弁護団・支援の統一・団結は勝利の鍵であること、主戦場は、法定の外=闘いを支持する強力な世論と政治的潮流の形成が重要であること等を強調され、参加者を元気づける内容でした。

 分科会では、第三分科会、冤罪・再審問題一に参加しました。伊賀カズミさんの司会で、問題提起を受けて議論しました。

 冒頭、足利事件に続いた布川事件の再審無罪勝利をみんなで喜ぶとともに、これまでにない世論の流れが形づくられたことを確認しました。布川事件の櫻井さんは、当初はこれまでの再審無罪は単独のケースで、複数の自白がある布川は難しいという見通しもあったこと、柴田五郎弁護団長が人をうまく使う形で弁護団をまとめたこと、支援運動は歌手の佐藤光政氏ら文化人も巻き込んでいったこと等に触れ、「真実は必ず勝つ」「明るく楽しく闘って欲しい。」という報告をされました。

 さて、分科会では、事件の真相を市民に知らせるためにいかに工夫をしているか、短い時間でわかってもらうための訴え方、ビラ、街頭宣伝の工夫等経験交流をしました。家族がビラを見て、救援会に相談があり、支援活動を組織した事件の報告では、街頭宣伝の重要性を確認することができました。また、ホームページ、ブログ等インターネットを活用した宣伝についても経験交流がされました。運動的には、「金くれ。署名くれ。」だけでは支援者に申し訳ない、たえず情報を提供していく必要があるという発言も印象に残りました。今回、各事件が延々と自分の事件の報告をするという形ではなく、論点に該当する事件関係者が発言していく方式で、事件の報告を聞いただけで終わるという悪弊を絶つことができて良かったといえます。

 滋賀県の痴漢冤罪事件の当事者である柿木氏は、事件の内容を説明したうえで支援を訴えました。中学三年生を担当していた熱血教師が痴漢事件の犯人にされてしまったこの事件。卒業式前に身柄を拘束され、卒業式に出席できなかったが、保釈後、再度彼を迎えての自主卒業式がなされたことなども報告し、妻がブログを作り、支援を訴えてきたこと等も紹介しました。

 一日目の懇親会では、柿木夫妻が自分の事件を訴え、私は日野町事件の現状を報告しました。

 柿木氏は私と同室であり、懇親会や二次会、部屋で事件の当事者になってしまった悩み、不安、今後どうなっていくのか、あれこれ考える、他の事件のひどい現状や気が遠くなるような長い闘いにびっくりしたという話を聞きました。

 翌二〇日、早朝若干アルコールが残っていたものの、走りました。ホテルから坂道を伊豆山神社方面に上っていき、身代わり不動尊まで行きました、途中、海の景色や山の緑がさわやかでした。

 翌日の分科会では、私は、団通信に投稿した二つの文書を配布し、日野町事件における支援運動の発展と三者の団結の重要性に触れつつ、それを実際につくっていくには困難さも伴うことなどについて発言しました。特に、当事者や支援者も弁護士に遠慮しないで発言し、お互いに信頼できる関係を作っていくべきであること、時には相互批判も必要であることを述べました。参加者からは、「弁護士に金も十分払っていないのに注文をつけることはむずかしい、遠慮する。」という発言がありました。救援会大阪の中西進さんの「自由奉仕団」という言葉を思い出しました。

 公判前整理事件、期日間整理事件では、その審理の経過が運動体に開示されず、支援活動ができないまま中身が決まって、後処理としての裁判になりかねない等の指摘がありました。また、弁護団が記録を支援者になかなか開示しない事件もそれなりにあることもわかり、弁護団が「目的外使用」の禁止にとらわれすぎているという指摘がありました。支援者とともに記録を検討して闘ってきた日野町事件では想定できない現状にあるともいえます。その他、名張事件の幅広い活動に感心しました。どの事件もひどい事件ですが、特に、柳沢さんの新宿駅あずさ三五号窃盗事件など信じられないものでした(一審 無罪、二審 逆転実刑判決、最高裁 上告棄却)。

 全体会では、分科会報告がなされましたが、五つのうち、四つまでは自由法曹団の若い事務局次長が報告を担当しました。頼もしい限りで、若い弁護士がこうした集会に出て学ぶことは実によいことです。さらに、新任判事補の研修に利用し、これだけひどい裁判が沢山あることを認識させる人権教育の場にするとよいと思います。 最後に自由法曹団の小部幹事長がまとめの発言をしましたが、この集会の意義を捉えたまとまった発言で迫力がありした。

 久しぶりに参加しましたが、なかなか充実した会議であったといえます。


六・九比例定数削減に反対する大集会in東京のご報告

事務局次長  芝 田 佳 宜

 二〇一一年六月九日に、自由法曹団などの主催の「六・九労働者・国民の声を国会から締め出す比例定数削減に反対する大集会in東京」がなかのZEROホールにて開催されました。今年一月に大阪の中之島公会堂で行われ大成功をおさめた「民意をゆがめる比例定数削減ストップ!! 府民のつどい」に触発され、東京でもこの六・九集会が開催される運びとなりました。当初は、小部幹事長の「東京でも一〇〇〇人以上集めて大集会を持つ!」との呼びかけに対して周囲からは「そんなに人が集まるものでしょうか。」と若干冷ややかな反応もありました。しかしながら、本年三月二三日には衆院の一票の格差を違憲状態とした最高裁判決が出され、それを受けて民主党や自民党などの選挙制度改革案が提案されるなど、選挙制度改定必至の情勢となり、結果的には非常に時機を得た集会となりました。また各主催団体では、震災問題を始めとした要求課題と比例定数削減を結びつけた取り組みや訴えを行ったほか、自由法曹団員五名も含めた多数の主催団体構成員で在京の五〇団体ほどに対して参加要請に訪問活動も行いました。団東京支部では事務所ごとに目標を定め積極的に参加要請活動を行い、団埼玉支部、法律会計特許一般労働組合からも積極的に参加していただきました。そのような流れの結果、この集会ではなかのZEROホールを埋める一二〇〇名余とされる大勢の人が集まり、弁護士、事務局だけでも計一八〇名余の参加を得ることができました。

 集会では、渡辺治一橋名誉教授による講演、新日本婦人の会など八団体によるリレートークが行われ、最後には、団比例定数削減阻止対策本部事務局長の山口真美団員の提案による集会アピールが採択されました(詳細は月刊憲法運動七月号をご参照下さい)。

 今国会も八月末までの延長が決まっており、予断を許さない情勢です。六・九集会後の衆院比例削減阻止対策本部では、「遅くとも一〇月の総会までに全国各地でも労働組合、市民団体と連帯・連携した同様の集会を開催してもらいたい。」、「どのような集会にでも呼ばれたときには、頼まれなくても比例定数削減の話を勝手にするべき(比例定数「お通し」論)」といった提案がなされました。

 団本部では、七月八日には「選挙制度問題イギリス調査報告書」を使って国会要請を行いました。八月二五日には、新たに作成予定の意見書「あるべき選挙制度について(仮)」を使っての国会要請が予定されています。

 全国各地でも比例定数削減阻止の大集会を開催して頂くとともに、団作成のリーフレット、のぼり旗等々の宣伝グッズを利用して、学習会、宣伝行動、署名、集会、国会議員要請などのとりくみを草の根からも強めていきましょう。


宮城県のソニー期間労働者と厚生労働省要請、街頭相談・宣伝を共にして

事務局次長  近 藤 ち と せ

 七月一三日午後、団の労働問題委員会では、新宿駅南口での街頭相談・宣伝を予定していましたが、その数日前、宮城県多賀城市でソニーの子会社から雇止めされた期間労働者の方々(電機連合ソニー労働組合仙台支部加盟)が上京し、厚生労働省へ申し入れを行うという情報が入ったので、鷲見団員と一緒に、厚生労働省への申入行動に同行し、その後も新宿南口街頭相談・宣伝行動を共同で行ってきました。

 ソニーは、仙台テクノロジーセンター(宮城県多賀城市)を、震災によって浸水被害を受けた等の理由から事業縮小し、正社員二八〇人を県外配転するとともに期間社員一五〇人全員を解雇しようとしています。 しかし、ソニーが受けたとする浸水被害は、保険金でほぼ全額まかなわれることが決算で明らかになっていると報じられています。

 行動に参加していたソニーの期間労働者の方々の話では、ほとんどの方々がその地位は偽装請負→派遣→期間と転々と変更されながらも、五年以上同じ業務を行ってきて、今回雇い止めされたとのことでした。

 厚生労働省申し入れでは、雇止めにあった期間労働者らから、「三月一一日から一週間程度自宅待機せよといわれ、その後は復旧活動に呼び出された。有期社員として手取りは月額一一万円程度だったが、復旧活動のため、自転車や手袋などを買って一所懸命出て行ってがんばった。それなのに その後、突然来なくて良いといわれ、雇い止めを言い渡された。説明はほんの一五分ほどだった。」「今仕事を探していると、ほとんどが派遣ばかりで、安定した雇用を希望するが全く無理な状態」「なぜこのような不平等な状態に耐えなければならないのか」「ソニーに雇い止めを撤回するように指導してほしい」等の申し入れがありました。また、労働者派遣法や、有期法制に関しても、「我々人間を物のように扱う負のサイクルを断ってほしい」「このままでは国を支える若者がものも買えず税金も払えない」「人間の尊厳を踏みにじるような法律を改正してほしい」等の切実な要求が投げかけられました。

 しかし、厚生労働省の対応は「個々の事業所の問題はここでは話ができない」「震災を理由にすれば無条件に解雇・雇止めが許されるというわけではないが、一般的には労使間の話し合いを促し、パンフレットなどを配布し裁判例等を理解させるよう指導している」などというだけで、積極的な対応も、その約束もありませんでした。宮城県では多賀城市長も、市の経済に重大な影響を与えるとして、ソニー本社に計画撤回を要請しています。それにもかかわらず、厚生労働省の対応がこのように鈍いものに留まったことには、大きく失望しました。 

 それでも夕方からは、場所を新宿駅南口へ移し、全労連、団員が集まって街頭相談・宣伝を行いました。ここでも、ソニーの期間労働者の方々が宣伝カーに乗り、「あのプレーステーションを作っているソニーが、私たち、仙台で被災した人間のクビを切ろうとしています!」「皆さん話を聞いてください!」等と呼びかけました。夕方の新宿駅南口は、蒸し暑く風も強い環境でしたが、道行く人々は、「ソニー労組」の旗や、「ソニー 被災者を助けて」などのゼッケンに目をとめ、「ソニーが関係しているのですか」等の質問をしてくる人や、「がんばって」と声をかけてきてくれる人も多く、超有名企業による被災地での首切りに、人々は関心を持っていることが伺われました。団は、この日のために「東日本大震災 許すな リストラ・解雇・雇止め」という震災問題に関連したQ&Aを乗せたリーフレットを準備していましたが、このリーフレットの受け取りも良く、六〇〇枚近くをまきました(なお、このリーフレットは、近日中に団のHPにアップいたしますので、皆さんでご利用下さい)。

 また、この日の法律相談では、千葉支部の加藤団員が路上生活者からの生活保護に関する相談を受け、区役所への申請をサポートするなどフットワークの良い対応がありました。

 街頭相談への参加者は、ソニー労組七名、宮城県労連一人、団員一四人、全労連が六人でしたが、ソニーの期間労働者の方々と共同したことで、街頭宣伝、街頭相談にも力がこもりました。


自由法曹団女性部総会のご案内

東京支部  千 葉 一 美 自由法曹団女性部部長
東京支部  岸   松 江 同事務局長(兼会計)
東京支部  千 葉 恵 子 同事務局長

女性部部員の皆様

 このたびの東日本大震災により、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。福島第一原発の事故収拾の見通しも復興のビジョンも見えないなか、エネルギー政策のみならず日本の政治と社会のあり方が問われています。

 下記の要領で女性部の総会を行い、皆様と活発に議論をしたいと思います。出席・欠席の連絡は七月末日までにお願いします。

【日   時】

      二〇一一年九月一一日(日)一三時〜

            同九月一二日(月)一二時まで

【日程・内容】

  九月一一日

     (1)震災・原発の各地の被害状況と復旧・復興に向けて〜

        被災県の団員からの報告・全体討論

  九月一二日

     (2)ハーグ条約学習会

     (3)今期の活動、来期の活動、人事について

【宿泊場所及び会議場所】

     吉池旅館(箱根登山鉄道 箱根湯本駅から徒歩六分)

         住所:神奈川県足柄下郡箱根町湯本五九七

         電話〇四六〇-八五-五七一一

【会   費】 一泊二食合部屋懇親会費込で二万五〇〇〇円(宿泊なしは二万円)を予定しています。(和室二名、一名の部屋を希望される方はそれぞれ一万五〇〇円、二万一〇〇〇円の追加料金が必要です。)

・・・・・・・・・出 欠 の 返 信・・・・・・・・・・・・

 弁護士 岸 松江 宛

    (東京法律事務所FAX〇三―三三五七―五七四二)

   お名前 (           ) (  )期

   ご連絡先(           

   TEL&FAX                   )

    ご出席   宿泊する       宿泊しない    

    ご欠席

    近況(総会議案書で紹介させて頂く場合があります。)