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飯田 美弥子 「茶のしずく」石鹸の被害者です。
中島  晃 NHKドラマ「坂の上の雲」第三部の放映にあたって
―乃木は、何故那須で百姓をしていたのか
松本 啓太 民弁・沖縄交流会報告
大久保 賢一 「時空を超えた書簡集」が面白い
井上 耕史 【自由法曹団九〇周年&東京・お台場総会特集 その三】
事務局次長新任のご挨拶
川口 彩子 事務局次長就任のごあいさつ
斉藤 耕平 「労働者派遣法の早期抜本改正と派遣切り・期間切り裁判の勝利をめざす
一一・一六院内集会」を開催しました
◆自由法曹団結成九〇周年記念出版
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「茶のしずく」石鹸の被害者です。

東京支部  飯 田 美 弥 子

一 テレビ報道

 一一月一七日フジテレビ系列午前八時からの「トクダネ!」、翌一八日日本テレビ系列午前八時からの「スッキリ!!」をご覧になっていた方は、突然に、私の顔が映ったので、びっくりなさったのではないか、と思います。

 いずれも、真矢みきの「諦めないで」というCMで爆発的に売上を伸ばした、「茶のしずく」石鹸によって運動誘発の小麦アレルギーを発症した、という、被害の報道でした。

 私自身が、被害者なのです。

二 最初のショック

 私が前記石鹸を使い始めたのは、抗がん剤投与が終わって毛が生え始めた頃(二〇〇六年秋頃)、まだ、抗がん剤の副作用で、匂いが鼻についたりむかつきがあったりするときでした。

 お茶の香りに心癒される思いをしたものです。

 最初に、アレルギーによるアナフィラキシーショックを起こしたのは、二〇〇八年二月二四日(日)午前、ジョギングをしていたときでした。

 体がむず痒くなり、慌てて家に戻ると、ジョギングウェアをむしり取るように脱いで、狂ったように痒み止めを塗りたくっていた…ときに、プツッと意識を失ったのでした。

 次に気づいたときは、全裸で倒れていました。

 「私、何をしていたんだっけ?」

 「ああ、そうか。痒かったんだ。」

 と、思い出すものの、立ち上がれないということが、自分でわかるのです。血圧が急降下していたようです。

 しばらくそのまま倒れていて、「立てそうだ。」と思った瞬間に隣室のベッドにもぐりこみ、とにかく体を温めました。

 またしばらくして、「動けそう」と思うと、まず、下着をつける、うとうと眠る、また「動けそう」と思うと、パジャマを着る。そんなことを繰り返していて、家の中を連続して歩けるようになったのは、既に夕日が射す頃でした。

 ジョギングの後なので、恐る恐るシャワーを浴びました。

 体に触ると、左後頭部と右肋骨辺に打撲のような痛みがありました。

 背後の壁に頭の左をぶつけ、反動で、前に倒れ掛かってテーブルに体の右側を打ちつけ、右を下にして倒れたのね、なるほど、気づいたときの姿勢・現場の状況とよく一致している、と一人、感心したものでした。

 翌日、病院に行きました。

 「死ぬところだったのよ!一人で暮らしていてはいけません!」と医者に叱られました。

 血液検査を受け、一週間後に、小麦とグルテンのアレルギーと診断されました。

二 二度目のショック

 私は、世の中に小麦のアレルギーがあるということも知りませんでした。

 血液検査の結果がわかるまでの間、卵や大豆を警戒して、かけうどんを食べていました。うどんそのものがアレルゲンとも知らずに。強い抗アレルギー薬を処方されていたので、ショックを防げたようでした。

 小麦を食べてはいけない、と言われて、驚くとともに、気落ちしましたが、まだそのときは、小麦を取らなければいいのだろう、と高をくくっていました。

 ショック発現時に服用する薬も処方され、常時携行するようになりました。

 パンも麺も止めて、過ごしていました。

 しかし、同年一一月九日(日)の朝、ジョギング中に、再び、ショックが起こってきました。

 ショック時のための薬(リンデロン)を服用し、治まるのを待つつもりでしたが、ショックは、前回よりゆっくり襲っているだけで、治まりませんでした。

 歩けなくなって立ち止まり、立っていられなくなってしゃがみこみ、しゃがんでいることもできなくなって、道路に伏してしまいました。

 「おばちゃん、どうして、泣いてるの?」

 三輪車に乗った坊やが、声をかけてくれ、お母さんを呼びに行ってくれて、救急車を呼んでもらえました。

 その夜は、救命救急センターに入院となりました。

そのときの原因は、漢方薬のつなぎにつかわれていた「デンプン(小麦由来)」でした。

 そんなところにも小麦由来成分があると知り、小麦を除去することの困難さを認識しました。そこで、運動を止めることにしました。

三 三度目のショック

 しかし、一年間に二度もショックを起こした私の免疫は、せっせと小麦から体を守ろうと感度を高めていたらしく、二〇〇九年三月五日(木)朝、自宅から事務所まで二〇分ほど歩いて通勤したところで、事務所に向かうエレベーターの中で発症してしまいました。

 転ぶようにして事務所に飛び込み、すぐ裏にある病院の主治医のところに連れて行ってくれるよう、頼みました。事務員が、私をおぶって、病院に連れて行ってくれました。主治医は全ての外来患者を後回しにして、救急措置をしてくれました。

四 生活の変化

 小麦はどこで使われているかわからない。歩くだけでも発症してしまう。

 こんなで、一体、弁護士を続けていけるのだろうか?

 このときが、私にとって、一番、苦しいときでした。

 食べることが怖くなり、塩と梅干しのおむすびしか安心して食べられない、という昼食が続きました。裁判所に行く往復も怖い。電車に乗るのも、車内で発症することを思うと怖い…。食事の後は、私の場合いつも最初に症状が出る両掌を、しばらく眺めるのが日課になりました。

 幸いにも、その後二年間、徹底したコントロールによって、発症は免れています。

 しかし、死の恐怖は常につきまとっています。今年三月、計画停電の折、地裁立川支部のエレベーターが止まり、八階まで、非常灯だけの階段を昇りながら、「ここで発症したら、死ぬな。」と思いました。遅刻しても、ゆっくりゆっくり上がって行ったものでした。死ぬよりも遅刻の方がましなのは、言うまでもないことです。

五 原因を知る

 今年六月二日、製造・販売元である悠香から、石鹸リコールのはがきが届きました。

 「このせいだったのか…」呆然としました。

 水俣病やイタイイタイ病と同様、私も、原因物質とは知らずに、毎日、朝晩、顔にアレルギーの誘発物質を塗りつけていたというわけです。

 道理で、午前に発症したわけだ、などと納得してしまいました。

 被害者は、厚生労働省の発表でも四七一人にのぼっています。現在、全国で一三の弁護団ができています。アレルギーという新しい被害について、責任論・損害論などが検討されています。

 私は、弁護団員であり被害者でもあるという立場で、被害実態を伝えつつ、実態に即した解決の途を研究させてもらっています。

 事件の推移については、今後も寄稿させていただきます。応援してください。


NHKドラマ「坂の上の雲」第三部の放映にあたって

―乃木は、何故那須で百姓をしていたのか

京都支部  中 島   晃

 NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」第三部が一二月四日から始まる。

 第三部は「激闘完結」編ということで、「二〇三高地」や「日本海海戦」などで、日本が大国ロシアを打ち破っていくシーンが放映され、「坂の上の雲」はいよいよクライマックスを迎えることになる。

 しかし、こうした映像が、作者の司馬遼太郎自身が危惧したように、ミリタリズムを鼓舞するものになることはいうまでもない。とりわけ、いま国会で、改憲原案の審査を行う憲法審査会が開かれる最中での「坂の上の雲」の放映は、憲法改悪に向けた策動につながるおそれがあることは明らかである。したがって、この機会にあらためて、NHKドラマ「坂の上の雲」の危険性について警鐘を鳴らす必要がある。

 さて、昨年放映された「坂の上の雲」第二部の映像に、少しばかり気になったシーンがあったので、そのことについて紹介しておきたい。

 それは、昨年一二月一二日に放映された第七回「子規、逝く」の後半で、児玉源太郎(高橋秀樹)が、休職して那須で暮らす陸軍中将・乃木希典(柄本明)を訪れるシーンである。そこで、求職中の乃木は那須で百姓をしており、収穫した芋をふかして、農民の子どもたちにふるまい、そこに裸足の子どもたちがむらがり、手づかみで芋をむさぼり食うといった場面と、この子供たちが、大きくなったら乃木のように軍人になると口々に言うシーンが登場する。

 この場面を見ていると、こうした農村の貧しさから抜け出すためには、「富国強兵」のスローガンのもとに、日本が海外に進出していくことが必要であり、日本がロシアと朝鮮半島の覇権をめぐって、日露戦争をたたかい、それに勝利して「韓国併合」に踏み切ったことを正当化しようとする制作者の意図がうかびあがってくる。

 ところで、乃木は何故、栃木県那須で百姓をしていたのであろうか。そのことを調べていくと、明治政府の北海道や東北における開拓と藩閥の利権の問題にたどり着く。

 那須は、明治に入ってから大規模な開拓が進められ、一八八〇年代に入って、次々と大農場が生れてくる。こうした農場の所有者になったのは、明治の元勲たちであり、華族農場とよばれた。乃木の那須にあった農場も、こうしたものの一つであった。

 したがって、乃木のまわりにむらがった貧しい農民の子どもたちは、小作農の子どもであり、その貧しさは、地主・小作という戦前の日本の農村の抱えていた支配構造に由来するものであった。

四 白樺派の作家として知られる有島武郎は、一九二二年、薩摩藩出身の大蔵官僚であった父親が明治政府から払い下げをうけた北海道の狩太(現ニセコ町)にあった農場を小作農に開放した。

 有島のとったこの行動は、大正デモクラシーの影響によるものであることは勿論であるが、同時に藩閥の利権を受け継ぐことを嫌ったことにあると考えられる。しかし、こうした農地解放の動きは広まることなく、結局日本の敗戦まで農村の地主小作関係は温存された。

 そして、日本の支配層は、地主・小作関係という支配構造から引き起こされた貧困と矛盾を対外的な侵略戦争によって乗り越えようとして、最終的には、昭和に入ってアジア太平洋戦争を引き起こし、敗戦を迎えるのである。

 このように見てくると、NHKドラマ「坂の上の雲」の第7回に出てくるあの場面は、作者の司馬遼太郎が目をそむけて語ろうとしなかった、またNHKの制作者自身も決して意図しなかった、戦前の日本社会の構造的矛盾を象徴するものとしてきちんと見すえておく必要があると考える。

 そうした意味からも、NHKによる「坂の上の雲」第三部の放映に対して、きびしい批判の目を向けていくことが重要である。


民弁・沖縄交流会報告

沖縄支部  松 本 啓 太

 沖縄支部では、平成二三年一〇月一日から五日まで、韓国における基本的人権擁護と民主主義実現のために活動している弁護士の団体である、民主社会のための弁護士会(民弁)との交流会を行ったので報告します。

 交流会は今年で五回目になり、韓国と沖縄で交互に開催されています。私は初参加でしたが、非常に有意義な話を聞くことが出来ましたし、何より楽しい交流会でした。

 初日は、那覇市内において民弁と沖縄の双方から基地問題に関するレポートの発表と質疑があり、それぞれの抱える問題や裁判の報告がありました。

 民弁からは、枯れ葉剤と米軍基地環境問題、タクシー運転手の米合衆国に対する米軍基地立入権及び通行権存在確認等請求訴訟、済州島海軍基地建設に関する訴訟の報告、沖縄からは、基地環境問題、沖縄における基地訴訟の現状について報告されました。

 韓国では、今年の五月に駐韓米軍の退役軍人が一九七八年に枯葉剤が入ったドラム缶を埋めたと発言したことから基地環境が特に問題とされているそうですが、沖縄においても今年の八月以降に退役軍人の証言により、在沖米軍基地内で枯葉剤を使用した可能性があることが報道されています。そして、日本・韓国ともに、地位協定の不平等性により、十分な対応が出来ないことが共通しています。

 また、基地訴訟では、沖縄において普天間基地の辺野古移設について環境影響評価手続のやり直しを求めているのと同じように、韓国では、済州島での海軍基地建設の環境影響評価や、公有水面埋立承認や保全地域解除処分無効訴訟などが提起されているそうです。 二日目、三日は渡嘉敷島に移動して釣りや韓国の先生方が作ってくれた本場のチヂミを楽しんだり、夜は遅くまでカラオケをしました。(私は聞くだけでしたが)

 もちろん、遊んでいただけではなく渡嘉敷島の戦跡を巡るツアーも行いました。

 最終日には何名かの団員が空港まで見送りに行き、交流会は終了となりましたが、連日朝から晩まで懇親をして疲れただけではなく、交流会があまりにも楽しかったために、その後しばらくは仕事が手に付かなかった団員もいたようです。

 私にとって今回の交流会での思い出の大部分は、韓国の先生方と遊んで飲んで懇親を深めたことで占められているので、団通信に報告することは適切ではないかもしれません。

 しかし、来年は韓国において交流会が開催されますので、米軍基地問題に取り組む全国の団員の積極的な参加を求めるためにこのような形にしたいと思います。

 韓国の先生方は日本語の勉強をした上で交流会に参加して下さっているので、私も来年まで基地問題とともに少しでも韓国語を勉強しようと決意しました。


「時空を超えた書簡集」が面白い

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 日本民主法律家協会(日民協)が、創立五〇周年を記念して、その機関誌「法と民主主義」四六一号(二〇一一年八・九月号)で、「次世代へのメッセージ」と題する書簡集を掲載している。そのタイトルが「時空を超えた書簡集」である。これは本当に「時空」を超えている面白い読み物である。

 この書簡集は、何人かの先輩が「自分たちの想いを知ってくれ」、「バトンをつないでくれ」と、個別の後輩に語りかけ、それに各後輩が応答するスタイルをとっている。「どうして、バトンなんぞ受け取れようか。まだまだ疾走していただきたい。」(康由美)などという洒落た応答も含めて、全部で五五通のエール交換だ。

 瞥見するところ、最年長は根本孔衛さん(一九二五年生)である。最年少は一九八三年生れの神保大地さんである(生年月日が書いてないケースもあるので正確でないかもしれない)。その年齢差は五八年である。

 かくいう私は語りかける先輩の側である。その年齢差の中では、明らかに高齢者層なのだ。「時空を超えて」という言葉になぜか納得してしまう自分がいる。

 感嘆すべきは、その年齢差だけではない。大御所、中堅、若手の学者や弁護士はもとより、現職の判事や家裁調査官、司法書士、第五福竜丸展示館の学芸員、司法試験受験生までが登場している。よくぞここまでの人志を糾合できたものだと思う。

 もちろんテーマも千差万別である。戦争と平和、核兵器と被爆者、原発事故、震災、公害、冤罪、再審、司法制度、様々な差別、貧困と格差、教育、教科書、メディアのあり方、小選挙区制などは当然のこととして、なるほどそういう問題もあったのかと改めて確認する課題も含めて、本当に括目させられる企画である。

 共通するテーマは、日民協の設立趣旨を反映して、「平和・人権の確立と司法の民主化をめざして」である。

 いくつか読後感があるけれど、ここでは、一つだけ紹介しておきたい。安田純治さん(一九三一年生)の「坂の上のキノコ雲」と題する書簡である。安田さんは、「私は自分の体験にこだわります。白馬に乗った大元帥閣下を、暗い映画館のスクリーンで、直立不動の姿勢で見たのは、この私だ。南京陥落の提灯行列で旗を振っていたのはこの私だ。…日本は神の国であり、アカは国賊であると、私はこの耳で聞いた。その教えと軍歌の声に背中を押されて試験を受け、過酷な内務班生活を送った少年はこの私だ。…私は自らの痛苦の体験から離れることができずに、憲法九条平和論者になった。…私たちの祖父・父の世代は、確かに坂の上の雲を見ながら駆け上がっていった面がありました。然しバトンタッチを受けて駆け続けた私たちが、実際に見たのはキノコ雲でした。…武力や軍事同盟で威を張るのではなく、小振りで内実のある国を。」と、渡部容子さんに語りかけている。

 一九八二年生れの渡部さんは、「大元帥」だとか、「提灯行列」だとか、「内務班生活」などという言葉を実感として受け止めることなどできないであろう。私にもそんな体験はないし、そもそもこんな言葉は死語だろう。けれども、安田さんは、ここでどうしても「自分の体験」にこだわりたかったのだろうと思う。

 渡部さんは、祖父の世代に近いであろう安田さんに、「自分の体験」を踏まえながら返書を書いている。「私の中高時代は、憲法劇と原水爆禁止世界大会に費やされました。『戦争は嫌。平和な世界をつくりたい』と平和活動に熱中しました。…私の住む東北地方は長い間、暗く、貧しく、最も遅れた地域とみなされてきました。しかし、だからこそ、私はこの大地に日本の未来や可能性があるような気がしてなりません。…私は今回の震災で家族を失った女性から、以前の生活ぶりを聞き驚いています。市場で新鮮な魚介や旬の野菜を買い、裏山から山菜を採り、近所で物々交換する生活。自然や地域コミュニティー、衣食住の豊富な文化に囲まれた生活。…これからの日本の進むべき道は、坂の上に登ろうとない道を探すのではなく、『あるもの探し』をしながら、本来の人間の姿を社会の中心に取り戻し、現代的に発展させることではないでしょうか。それこそがキノコ雲を経験した世代からメッセージを受け取った私たちの世代だと思うのです。」

 渡部さんの返書は「大地に足をつけて」と題されている。安田さんの「自分の体験」が見事に受け止められているではないか。ここでは、言葉の本来の意味で「時空を超えた」交流が行われているのである。そして、この書簡集は全編にわたって同様の感動的な交流が展開されているのである。私は、このような交流が行われていることに、希望を見出したいと思う。

 なお、この特集号には、「法と民主主義」の創刊号から四六〇号(この特集号の直前号)までの記事のDVDが付録として付いている。貴重な史料であることは言うまでもない。これで二〇〇〇円というのは超お買い得であろう。申し込みは、日民協まで。

  電 話 〇三―五三六七―五四三〇

  FAX 〇三―五三六七―五四三一

(二〇一一年一一月二五日記)


【自由法曹団九〇周年&東京・お台場総会特集 その三】

事務局次長新任のご挨拶

大阪支部  井 上 耕 史

 現在、堺総合法律事務所に勤務しています。

 大阪で弁護士活動をしてちょうど一〇年が経ち、自分の中でも一区切りついたかと思ったとき、次長就任のお話をいただきました。正直しんどいなあと思いましたが、五二、五三期と次長を務めているので、当番みたいなものかとあきらめて(?)、就任させていただくことになりました。せっかくの機会をいただいたので、すこしでも社会進歩への貢献と自己の成長を実現できればと思っています。

 これまで、労働事件、サラ金・商工ローン事件を中心に取り組んできました。現在取り組んでいる主な事件は、偽装請負の是正指導後直接雇用したものの二年六か月で雇止めされた期間工について雇止めの無効を主張しているダイキン事件、国交省の道路・河川事務所で偽装請負で働いてきた運転労働者が国に対し雇用確保の団交を求めている国交省事件、五〇歳で退職して子会社に移らない限り継続雇用をしないことが高年法違反と主張して地位確認と損害賠償を求めているNTT高年法事件、リボ貸付けについて悪意推定を覆す特段の事情の有無が争われた過払訴訟(最高裁平成二三年一二月一日判決)、無担保から不動産担保貸付けへの切替事例における一連計算の可否を争う過払訴訟(最高裁係属中)などです。

 現在の担当委員会は、改憲阻止、市民問題、将来問題です。まだ、いま何が起こっているのかを勉強し始めた段階ですが、一日も早く皆さんに追いつきたいと思います。

 趣味は、鉄道の乗りつぶし、桜と紅葉観賞、名所旧跡めぐり、食べ歩き(特にさぬきうどん)などですが、仕事に追われて時間が取れないのが悩みです。

 あまり体力のある方ではないので、次長が務まるか不安もありますが、鉄道での移動が苦にならないことだけは取り柄ですので、東京での楽しみなど見つけつつ、活動していきます。宜しくお願いします。


事務局次長就任のごあいさつ

神奈川支部  川 口 彩 子

 このたび事務局次長に就任しました川崎合同法律事務所、五五期の川口彩子です。

 岡山で実務修習をしていた二〇〇一年一〇月、岡山合同の則武団員に団の八〇周年に連れてきていただきました。クレオで行われたシンポと翌日の総会に参加して、壇上の「自由法曹団」という赤い旗がなんとも格好よく、早く弁護士になって自由法曹団の一員になりたいという思いが募りました。そのときの総会の役員退任挨拶に、則武団員が「二年前、僕も事務局次長を退任して、あそこで挨拶をしたんだよ」とおっしゃったのも印象的でした。その一〇年後、九〇周年の総会で「憧れの自由法曹団」の事務局次長に就任したことに、なんとも感慨深い思いを抱いています。

 二〇〇二年一〇月に弁護士登録をした後の総会、五月集会には全部参加してきました(遅くまで飲みにつきあってくださった全国の団員の皆様、ありがとうございました。次回からは、翌日きちんと仕事ができるようにしなきゃ…)。一番最初の総会の分散会では、まったく議論についていくことができず、チンプンカンプンでしたが、事務所会議での議論や情勢討議のおかげもあって徐々に理解できるようになりました。自由法曹団では、いつも最先端の議論や実践的な運動論が討議されていて、やる気がかき立てられます。団に入りたてのころは、何がなんだか訳分からないかもしれませんが、若い団員の方々には是非、継続的な参加をお勧めしたいです。参加するたびに面白くなります!

 弁護士一〇年目に入り、一般事件のループから外れて違うことをやってみたくなりました。今後本格化するであろう次長としての仕事を楽しみにしています。担当は「構造改革PT」と「教育」と「衆院比例定数削減阻止対策本部」となりました。地域主権改革、教科書問題、選挙制度の問題など、どれも興味がある分野です。まだまだ勉強不足ですが、二年間、団本部で学んで、自分の意見、方針が語れるようになりたいなあと思います。本部だけでやっていると寂しいので、是非、全国で活動されている団員の皆様も本部に足をお運びいただき、盛り立てていただけたらと思います。お願いします!

 最後に、なかなか本人を前にして言う機会はありませんが、同じ事務所から団長となった篠原団員はすごい人です。篠原団長と同じ時期に団の役員ができることは幸せだと思っています。

 二年間、団長の健康も気遣いながら、役員の皆様と一緒に精一杯つとめさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。


「労働者派遣法の早期抜本改正と派遣切り・期間切り裁判の勝利をめざす一一・一六院内集会」を開催しました

事務局次長  斉 藤 耕 平

 去る一一月一六日、衆議院第一議員会館にて、標記の院内集会を開催いたしましたので、報告いたします。

 もともと、今回の院内集会は、東京一〇月総会での派遣法早期抜本改正に関する決議を受け、非正規裁判当事者の声を直接国会に届けるために企画されたものでしたが、集会前日の一五日、かねてより国会に提出されていた労働者派遣法改正案について、(1)「製造業派遣・登録型派遣の原則禁止条項を削除する」、(2)「日雇い派遣禁止は二か月以内から三〇日以内に緩和し、例外を政令で追加する」、(3)「違法派遣があった場合のみなし雇用制度の施行は三年後に延期する」などと修正することで、民自公三党が合意した旨が新聞各紙で報道されたことにより、期せずして、情勢に即した非常にタイムリーな集会となりました。

 この日は、同じく団本部の比例定数削減阻止の院内集会が実施されたため、団員の参加は比較的低調でしたが、いすゞ、キヤノン、日産をはじめとする当事者の方々や、支援団体の方々など、団外から多数のご出席をいただき、報道関係の方を含め六〇名以上の方にお集まりいただきました。偶然とはいえ、この問題で院内集会を開催するのはおそらく団が初めてだと思われ、マスコミの方々の関心も高かったようで、赤旗を始め、朝日、東洋経済等の各社からも取材に来ていただきました。

 高橋ちづ子衆議院議員、今村労働問題委員会委員長、鷲見大量解雇阻止対策本部長、伊須団員から、それぞれ現在の国会情勢、派遣・有期法制改正を巡る情勢、非正規裁判闘争の情勢について報告をいただきました。意見交換、討論の時間では、たくさんの当事者、支援団体の方々からご発言をいただき、現在の派遣・有期労働の実態がいかに労働者の生活に打撃を与えており、結果として雇用情勢の改善を阻害しているか、今回の三党合意がいかにそれに拍車をかけるものであるかが強く主張されました。まったくそのとおりだと思います。

 このたびの三党合意は、これまで積み重ねてきた改正議論の経過を全て反故にし、最も弊害が著しいと批判の強い登録型・製造業派遣の規制を骨抜きにするものであり、絶対に許されるものではありません。三党合意案を断固として阻止するべく、主要な国会議員への要請を行い、集会は終了しました。

 一二月五日には、緊急の街頭宣伝行動を実施することが決まっています。三党合意案の不当さを広く市民に呼びかけるために、たくさんの団員のご参加をお願いいたします。

 日 時   一二月五日(月)午後五時から午後七時まで

 場 所   JR新宿駅西口

 主 催   自由法曹団 全労連 労働法制中央連絡会


◆自由法曹団結成九〇周年記念出版

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 定価 五二五〇円(税込)→ 団員価格 四二〇〇円(税込)

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