過去のページ―自由法曹団通信:1411号        

<<目次へ 団通信1411号(3月21日)


丸山 重威 *特別寄稿*
メディアだけの問題ではない「知らせるな、しゃべるな法案
「秘密保全法」で、団とマスコミ団体が院内集会
鶴見 祐策 課税庁側による争訟対策の証拠づくり
馬奈木 厳太郎 「震災復興・なくせ原発 三・一一行動in東京」に参加して
大久保 賢一 ビキニ環礁水爆実験ヒバクシャを忘れない
佐藤 誠一 役割を果たすことなく行政追随判決となった最高裁―老齢加算生存権訴訟
丸山 幸司 「さよなら原発四・一大集会inいばらき」へのご参加のお願い
藤野 善夫 「課税府のノダ」リーフレットを活用し広めよう



*特別寄稿*

メディアだけの問題ではない「知らせるな、しゃべるな法案

「秘密保全法」で、団とマスコミ団体が院内集会

関東学院大学法学部教授 丸 山 重 威(日本ジャーナリスト会議会員)

 自由法曹団・マスコミ四団体(日本マスコミ文化情報労組会議=MIC、日本ジャーナリスト会議=JCJ、マスコミ関連九条の会連絡会)は、三月一日、衆院第一議員会館会議室で、秘密保全法反対集会を開いた。メディア関係団体との会だったが、さまざまな形で「メディアだけの問題ではない」と危険性が強調された集会になった。

 参加は一八団体、六五人。MICの東海林智議長があいさつしたあと、団の森孝博弁護士が基調報告した。発言したのは、JCJ、日本ペンクラブ、日本婦人有権者同盟、国公労連、日本雑誌協会、出版労連、民放労連など。議員では、民主党の辻恵議員、社民党の福島瑞穂議員が発言、共産党の塩川鉄也議員の秘書が参加した。

 衆院法務委員の辻議員は「この法案は内閣委員会にかかるのだろうが、そもそも立法事実があるかどうか疑問がある法案だ。一度消えた共謀罪も、国際金融取引関係から圧力があり、金融庁、警察庁、法務省が動き始めている。せっかくの政権交代なのに逆行する事態が進んでいる。院外とも連携してがんばっていきたい」と話した。

 また、福島瑞穂議員は「危険を知らせる適切な言葉を見つけたい。いま『運命の人』のドラマが放映されているが、この法律ができると、当時の横路孝弘議員や大野正男弁護士も懲役になりかねない。米国の文書を基に沖縄密約を追及したが、『確認できない』と逃げられ、ここまでシラを切るのか、とくやしかった。東電福島原発事故でも情報隠しが続いている.この法律は市民的自由が縛られメディアが死んでいく情報隠し法案だ。秘密の判断は国会の委員会が決め、議院に守秘義務を課す話まで出ている。憲法委員会で議論が始まったのと無関係ではない。国会内で果敢に闘うつもりだ」と決意表明した。

 憲法の清水雅彦日本体育大教授は「学生時代、国家秘密法で反対運動をした。ジャーナリストや言論人が反対運動をしたことでつぶした。メディアが『どうせ通らない』と見ていたり、有識者会議に長谷部恭男東大教授が入っていたりするのが問題だ」と指摘した。

 発言の中では、「反対のネットワークを作ろう」(ペンクラブ)、「国公労働者の認識はまだまだ薄い。公務員の在り方自体が問われる問題だ」(国公労連)、「共同通信によると、担当の参事官は『米国からもちゃんとやれ、といわれた。秘密はしゃべった方がいけない。適正評価が人事に影響ないとは言えない』と本音を言っている」(民放労連)、「まだみんな知らない。『ファシズム法案』『知らせるな、しゃべるな法案』『国民総箝口令法案』はどうか」(マスコミ九条の会連絡会)、「共通番号制と結びつけて考えることが必要ではないか」(JCJ)などの発言が相次いだ。集会は最後に「世論と行動を広げ、秘密保全法の国会上程を断固阻止しよう」とのアピールを採択。終了後、議員要請が行われた。

 秘密保全法問題では、二月八日には日弁連も院内集会を開き、運動は広がっている。しかし政治状況は、提出されれば、あっさり通りかねない危険な状況。メディア諸団体が反対した個人情報保護法は、成立すると、「メディア規制」より、一般市民のあいだの連帯や組織作りの障害になっている。「現代の治安維持法」という指摘もあるこの法案。前回の轍を踏まないように、本質と狙いを明らかにして闘うことが必要だ。

 四団体は、四月一四日昼に有楽町「マリオン」前で街頭宣伝活動をすることにしている。


課税庁側による争訟対策の証拠づくり

東京支部  鶴 見 祐 策

一 国税局の部内資料

 東京国税局(課税第一部審理課)が平成二一年四月に調査担当者あて配布した「証拠資料の収集と保全」と題する冊子(以下「部内資料」という)がある。保存期間は平成二四年一二月末。情報公開で開示のものは「黒塗り」の部分が少なくないが、概要の把握は可能である。要するに税務調査段階における「証拠固め」の手法として証拠資料の整備と保存の必要と強化を求めている。

二 聴取書の作成要領

 各論の重点は、税務調査に際して納税者らとの問答を記録した「聴取書」の作成にある。換言すれば、課税処分の正当化に役立つ言質を納税者らから獲得することの必要性である。それだけに納税者の立場からは看過しがたい問題点が含まれている。これは、東京にかぎらず、全国的に顕在化の傾向にある。

三 作成の目的は証拠の補強

 この「部内資料」は「事実関係について争いが生じると見込まれる事項について、課税要件事実を立証するに足りる十分な直接証拠がない場合、又は証拠自体の意味内容や位置付けに疑義がある場合には、確実に聴取書を作成し、これを補充しておく」と述べている。つまり課税処分に確証が得られない事案では、将来の争いに備えて「聴取書」の形で証拠を補強する必要があるというわけである。そのための「聴取書」である。

 そして書式や記載例を掲げながら留意事項を示している。

(1)作成者と立会人

 作成には「立会人を同席させた上で、聴取(質問)者が自ら作成する」とされている。納税者あるいは取引先など調査の相手方(以下「相手方」という)にも署名捺印を求めるが、「公文書のほうが、私文書より信用力において優れる」から税務職員の作成に固執している。

 立会人を必要とするが、これを同僚の税務署員に限定している。作成過程の公正担保のためではない。

(2)署名および押印

 「聴取内容を確認した後に、申述者の署名押印を求める」「聴取者も立会人も署名押印する」とされ、印鑑を持っていない場合は「左手第二指又は拇指その他の指頭に朱肉等をつけて押捺すること」とある。「犯罪者」扱いに近い。拒否の場合には「(理由等)なるべく詳細に最終行に記載する」ことになっている。当該職員の「不快感」が表示されるであろう。

(3)作成部数その他の留意事項

 「聴取書」は「原本のみ一部作成」し、申述者等に「写しを交付することはしない」と断っている。署名をさせながらコピーを渡さないのである。書かれた内容を相手の手元に残させないためである。

 納税者以外の者(取引先など)から聴取したときは、納税者に連絡される前に「時機を失することなく、納税者本人へ接触を図る必要」が強調されている。

四 「聴取書」に根拠がない

 税法は、調査について客観的な必要がある場合には当該職員は、その相手方に質問検査権を行使できると定めている。この構造は新国税通則法でも変わらない。しかし「聴取書」を作って相手方に署名押印を求める権限を認めた規定はない。相手方が拒否しても非協力の責任を問い得ない。税務調査そのものが相手方の任意の同意と承諾を前提としているから当然のことである。もともと当該職員が作った文書に相手方が署名捺印することなど法律は想定していない。

 「部内資料」では「陳述書」の作成に先立ち「署名及び捺印をお願いします」と告げることになっている。相手方は「お断りします」と言えばそれまで。納税者側が税務署側の脆弱な証拠の補強に協力する理由も必要もない。

 これまでの例では税務職員が納税者に修正申告を求めながら、あたかも当然の権限があるかのごとく自分たちの見方でまとめた「聴取書」に署名捺印を迫るということが行われ始めている。相手の弱い立場に乗じた事実上の「強要」というほかない。

五 本音は「わび状」にある

 税務職員が作成する「聴取書」には前述の「謝罪」や「反省」の言葉が書き込まれるのが普通である。修正申告に応ずることで調査のストレスから解放されると思ったときに、相手方がつい見落としがちな短い文言が予想外の重い意味を持つ。確定申告の過誤の自認だけでは済まないのである。

 課税側の本音は、この「わび状」の獲得にあると言ってよい。

 過少申告が租税ほ脱犯(脱税)として処罰の対象となる場合がある。また重加算税の制裁の場合も用意されている。ほ脱犯の成立要件は「偽りその他不正の行為」、重加算税の課税要件は「隠ぺいし、又は仮装」であるが、判例によれば、過少申告だけでも、体刑、罰金、重課など過酷な制裁が降りかかる危険性がある。

 ちなみに一九八一年に悪質な脱税に対する更正期間を「七年」に延長の改正が行われたが、それは大企業の大口の脱税が相次いで報道され、ロッキード、グラマン事件など、巨額の裏金が自民党など大物政治家に流されていた事実も明るみに出て大企業や政権党に対する国民の厳しい批判が背景にあった。それゆえ立法に際しては「原則として高額、悪質な脱税者に限り、いたずらに調査対象、範囲を拡大するなど、中小企業者等に無用の混乱を生ずることのないよう特段の配慮をすること」との付帯決議がなされた。ところが、現実の税務では、その矛先は大企業に向けられるよりも、末端の実務では、零細な自営業者の些細なミスを見とがめ、それを悪質ときめつけ、五年も七年もさかのぼって調査をしたあげく高額の更正処分を競うという風潮を広げたのである。立法趣旨は没却されてきた。

六 実際は「不利益供述の強要」である

 もっとも悪質とされる「偽り不正」にせよ「隠ぺい仮装」にせよ、いれも故意(意図的)による行為であることが制裁発動の前提として必要とされている。過少申告の結果だけでは足りない。しかし故意の立証は難しい。本人の「自白」をとるほかない。そこで「聴取書」に織り込んだ「詫び」や「反省」の言葉が必要となるのである。

 重加算税の濫発が甚だしい。その重加算税の発動に直結する。「自白」は脱税で告発の誘因となる。「聴取書」への署名は、自らの刑事責任に跳ね返ってくる。

 憲法三八条(不利益な供述強要の禁止)に関して最高裁昭和四七年一一月二二日大法廷判決(川崎民商鈴木事件)は、税務調査のような行政手続でも「実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有する手続には、ひとしく及ぶものと解するのを相当とする」と判示している。「聴取書」に署名を求める行為自体が憲法違反の評価を免れない。税法も「税務調査として行われる税務署員の「質問検査」は「犯罪捜査のために認められたとものと解してはならない」と定めている(新国税通則法では七四条の八)。違憲、違法な要求には、断固拒否の姿勢で当たるべきであろう。

七 新国税通則法のもとで

 従来の税務調査でも理由を示さず、嫌がらせの調査を続けたうえに困惑する納税者に修正申告を慫慂する手口が広く行われてきた。これが脱法的な税務署の「裏技」であった。納税者が「慫慂」に応ぜず、「それなら更正してくれ」と開き直られると処置なしの場合が多かった。処分理由を明確にできず、更正に踏み切る自信がないから、何とか落とし所を探りながら「修正」に誘い込もうと努めてきたのが実際であろう。

 「新国税通則法」では、これが「勧奨」という名目で法定化された。ただし文書で「更正の請求」が可能であると説明しなければならない。更正処分に「理由付記」も定められた。それだけに税務職員としては、修正申告の「勧奨」の多用とあわせて「聴取書」の作成に執着するであろう。今後が懸念される。納税者の権利を堅持した毅然とした取組みが必要と思う。


「震災復興・なくせ原発 三・一一行動in東京」に参加して

東京支部  馬奈木 厳太郎

二〇一二年三月一一日。

 日本国中で、そして世界の至るところで、多くの方が様々な想いを抱いて、この日を過ごしたことでしょう。静かに鎮魂に耽ったという方、街に出たという方、あえて日常と同じように過ごしたという方。それぞれの過ごしかたがあったと思います。

 私自身は、ようやく一年という思いと、もう一年経ったのかという思いを胸に並存させつつ、この日を迎えました。被害の聞き取りに奔走した一年、それが率直な感想です。同時に、これからの長い長いたたかいの基盤を作った一年、そんな印象ももっています。

二〇一二年三月一一日。

 静かに過ごしたいという気持ちもありましたが、一人でも多くの方に原発事故の被害を知ってもらいたい、その気持ちのほうが結局は強かったようです。私は、八〇〇〇人の人々が集まった集会に参加し、発言しました。

 発言者の最後の一人として登壇しましたが、発言したいことがはっきりしていたこともあり、原稿を準備し、それを手に登壇するということはしませんでした。

 以下の内容は、知人の記者さんが、当日の発言を記録してくださったものです。

 *  *  *  *  *  *

 みなさん、こんにちは。

 自由法曹団を代表して、連帯のご挨拶を申しあげます。わたしは、東京で弁護士をしている馬奈木厳太郎といいます。

 冒頭で、まず強調したいことが一つあります。それは、この場には本当はわたしではなく、福島の被害者の人がきて、みなさんに被害の実態を訴えたほうがいいということであります。しかし、あの事故から一年、福島では多くの人が今なお、日々の生活に追われ、被害に苦しんでいます。あるいは、家族を失い、仕事や故郷を失ったなかで、今日を静かに迎えたいという方も少なくありません。

 そうしたこともあり、今日、この場には、代わりを務めることなどできないのですが、わたしが立っています。

 わたしは、実は昨年弁護士になりました。弁護士になってからわずか三カ月後に、原発事故が起こり、それ以来、福島に通い、被害者の方々のお話を聞いてきました。わたしは、弁護士になったのに、この問題にかかわらなくていったい何のために弁護士になったのか、そういう思いからかかわってきました。福島には、もう四〇回以上行ったことになります。

 現地に行くと、本当に様々な被害が起きています。旅館の方は、予約がまったく入らない、子連れのお客さんなんか一人も来ないといわれます。農家の方は、一生懸命作ったのに、野菜が全然売れない、シーズンで七五〇万円も損害が出て、ビニールハウスの燃料代も払えない、でも、それでも昨年はまだよかった、今年は土そのものがやられているのではないか、これから農業を続けていけるのか本当に不安だと訴えられていました。また、原発からわずか数キロのところから避難されたご老人は、避難しているが、生まれ育った故郷に帰れるのか不安だ、目をつむると実家や街並みがまぶたに浮かんでくる、自分はもう先は長くない、死ぬまでに一度でいいから帰りたい、そう涙ながらにいわれていました。小さなお子さんを抱えたお母さんは、子どもの健康を心配し、家族の反対を押し切って、沖縄に避難している、そういう方もいらっしゃいます。実に多様な、そして深刻な被害が続いているのです。

 あるとき、わたしはある方のお話を聞きました。わたしは、その話を忘れることができません。その方は、先祖代々農業をされていましたが、キャベツの出荷停止のファックスが自宅に届いた翌日、首を吊って自殺をされました。その方は、有機農法にこだわり、安全で安心な野菜づくりを続けてこられました。地元の学校給食にも使われ、直販所でも大人気でした。その方が、福島の農業は終わったと言い残して自殺したのです。自分が精魂を込めて耕してきた土や野菜がダメになった。おそらく、その方は自分の生き方が否定され、人生そのものを奪われたと感じたのだと思います。事故が、人の命まで奪ってしまったのです。

 しかし、東電は、これだけの被害を出していながら、きちんと責任をとろうとはしていません。それどころか、まるで自分たちが、誰が被害者かを決めるかのような態度をとり、自分たちが決めた水準で賠償をしようとしています。加害者が、誰が被害者かを決め、損害がどれだけなのかを決めているのです。いったい、こんな馬鹿な話が許されていいのでしょうか!

 現在、わたしたちは、「生業を返せ、地域を返せ!」をスローガンに弁護団を結成しています。これから、わたしたちは、東電と国の責任を徹底的に追及していきます!

 わたしたちが求めていることは、いたってシンプルです。責任をとらない企業は許されない、被害者をなおざりにするような政府は許されないというものです。

 もう一つ、わたしたちは、みなさんにも求めていることがあります。わたしは、今回のような事故が起きてからでしか、原発をやめようという動きを大きくできなかったことに、同時代を生きる者として、非常に悔しく情けない思いをもっています。しかも、いまでも政府は、原発を再稼働させようとし、輸出をしようとさえしています。そして、あの政府は、みなさんが好きだろうが嫌いだろうが、国民主権である以上、「わたしたち」の政府です。だとすると、もし再び事故がどこかで起きたとき、そのときには福島を体験しているわたしたちは、もはや知らなかったでは許されないと思うのです。わたしたちは政府をとめなかったという意味で、やっぱり加害者になるのだろうと思うのです。傍観する立場なんかない、そう思うのです。

 自分たちの社会がどんな社会でありたいのか、次の世代にどんな社会を残したいのか、私たちひとりひとりの生き方が、いま問われているのではないでしょうか。

 みなさん、人の命や健康よりも営利を優先する、そんな企業のありかたは、もう終わりにしようじゃありませんか!

 みなさん、人の命や健康よりも企業を大事にする、そんな国のありかたは、もう終わりにしようじゃありませんか!

 そして、みなさん、原発はもう終わらせようじゃありませんか!

わたしたち弁護団も、一生懸命頑張っていきます。みなさん、これからもともに頑張りましょう! 

 ありがとうございました。


ビキニ環礁水爆実験ヒバクシャを忘れない

埼玉支部  大 久 保 賢 一

大石又七さんの存在

 二月一六日付毎日新聞朝刊は、「『死の灰』の教訓どこへ」と題する元第五福竜丸乗組員大石又七さんの記事を掲載している(以下の記述は、その記事に依拠するところ大である)。

 一九五四年三月一日(「三・一ビキニデ―」の起源である)、米国は、南太平洋のビキニ環礁で、水爆実験を行った。コードネーム「ブラボー(万歳)」という水爆の威力は、広島型原爆の一〇〇〇倍といわれている。水爆は、海域の珊瑚礁を破壊した。珊瑚は、放射能を帯びた「死の灰」となって、マグロはえ縄漁船第五福竜丸に降り注いだ(「原爆マグロ」の発生)。二〇歳になったばかりの乗組員大石さんもその「死の灰」を浴びた。「死の灰」は、船のデッキに足跡が残るぐらい積もったという。「体に触れても熱くもなく、匂いもないので怖くはなかった」と大石さんは述懐している(放射能は五感で感知できないのだ)。

 乗組員の被曝量は正確には分かっていないが、二〇〇〇ミリシーベルトから三〇〇〇ミリシーベルトと推測されている(帰港までの二週間の内部被曝も含まれる)。乗組員で最年長の久保山愛吉さん(当時四〇歳)は、急性放射能症で半年後に死亡している。大石さんは頭髪が抜け、白血球も減少したが、一年二カ月の入院生活を経て退院することができた。

 けれども、大石さんの苦悩は決して終わったわけではなかった。大石さんを待っていたのは、被曝者への差別や偏見、受け取った「見舞金」(日本政府は、米国から七億二千万円を受領し、それで「決着済み」とした)支給に対する妬みの感情だった。借金の肩代わりを求められたり、娘さんの結婚話も二回破談になったりした。被曝者とその家族というだけで、世間から「人間から外れたもの」と見られた、と大石さんは無念そうに言っている。

 当初、大石さんは、「被曝の過去を忘れたところで、人混みにまぎれて暮らしたい」と思っていた。けれども、仲間の乗組員が癌などで次々と亡くなっていくのを見て、「このまま黙っていていいのか。」、「当事者である自分がしゃべらなければ、事件は闇の中に消えていく。声を上げていくしかない」と決意する。そして、各地で、放射線や内部被曝の恐ろしさを訴え続けるのである(私は、二〇一〇年五月、ニューヨークで、大石さんの話を聞いている)。

現在の受け止められ方

 震災後、大石さんの話は「他人の哀れな話」ではなく、「自らの深刻な話」になったという。大石さんは、「ビキニ事件と原発事故は、内部被曝を引き起こすという意味では全く同じです。私が吸ったり浴びたりしたのは約二週間だが、福島の人たちは、その中で生活している。目には見えないが、測定器を当てれば反応が出る。本当に戸惑っていると思います。」と言う。そして、国際競争で負けたくない指導者たちは、被曝の健康被害を重く見ることに抵抗するから任せられないと強調する。

 確かに、根拠薄弱な「収束宣言」を出し、原発の「再稼働」を急ぎ、輸出を推進する「指導者たち」の姿を見ていると、大石さんの指摘はその通りと頷ける。ビキニ被曝に際して、米国の責任を追及せず、被曝者への支援を十分にしなかった当時の「指導者たち」と現在の「指導者たち」の姿勢は、完全に重なり合うのである。

 更に、大石さんは、「一般の人たちがもっとレベルを上げて考えないと、この問題は何時まで経っても解決しませんよ。」と続ける。私は、この大石説を、妬み根性や差別意識や偏見に囚われて事の本質を見ようとせず、政府や東電あるいは「原子力ムラ」に巣くう「専門家」たちの情報操作に踊らされていては、「いつまでたっても問題は解決しませんよ」という意見として受け止めたいと思う。なぜなら、この国の政治的「指導者たち」は、国民多数派の支持をその正統性根拠としているからである。(もちろんこのことは、この国の政治的「指導者たち」を、国民の手で転換できることを含意している。)

大石さんの現状

 大石さんは、狭心症や心筋梗塞などの症状の改善、喘息の発作の予防、感染症の治療などのために、一日約三〇種類の薬を飲んでいるという。肝臓がんの摘出手術を受けたこともあるし、不整脈、白内障もあるという。ビキニ事件をきっかけに一九五七年に設立された放射線医学研究所で、年一回の健康診断を受けていたが、それもやめたという。結果を問い合わせても詳細なデータを示してくれないし、自分たちは研究材料に過ぎないと感じたからからだというのがその理由である。原爆被爆者を治療の対象ではなく、「研究材料」としていたABCCの姿勢と相通ずるところがあるといえよう。そして、国は、大石さんの症状と被曝との因果関係を認めていないという。だから、大石さんは、現在も通常の健康保険で治療を続けているという。(もっとも、仮に、国が因果関係を認めたとしても、そのための措置を根拠づける法令は存在していないのだが。)

国の冷酷さ

 原爆被害者に対する援護措置は、不十分さはあるとしても、ある程度講じられている。けれども、ビキニ水爆実験の被曝者である大石さんは放置されたままである。このことは、福島原発事故被災者に対する態度と重なり合う。政府は、一八歳未満の子どもたちの継続的健康診断すら拒否しているのである。

 大石さんは、「過去の被曝者から得た教訓を生かそうとしない限り、私たちが歩んできた苦難の道は繰り返されるのでないか。」と指摘している。

 私は、大石さんのこの言葉が耳に痛い。それなりに、ヒバクシャの実情を知っているつもりでいた自分の半可通さを思い知らされたからである。そして、改めて、ヒロシマ・ナガサキに止まらず、核実験やその他のヒバクシャの実情を知らなければならないこと、政府の無責任さと資本の強欲さを確認することの重要さを自覚したいと考えている。

 大石さんの「生の声」を四月八日の福島大学での「『原発と人権』全国研究・交流集会」の第五分科会「原水爆被害者の運動に学ぶー広島・長崎から福島へー」で是非聞いてほしいと思う。

二〇一二年三月一二日記


役割を果たすことなく行政追随判決となった最高裁―老齢加算生存権訴訟

東京支部  佐 藤 誠 一

一 老齢加算生活保護訴訟の概略

 二月二八日、最高裁第三小法廷で生存権訴訟東京事件の判決があった。全く遺憾な不当判決であった。

 生活保護における老齢加算は、一九六〇年に創設された。加齢にともない生じる特別の需要を満たす趣旨であり、七〇歳以上の生活保護受給者に支給されていた。ところがこれが、「小泉構造改革」によって二〇〇四年から三年かけて段階的に削減・廃止された。これまで高齢単身者で月額約九万三〇〇〇円の保護費が支給されていたところ、約一万八〇〇〇円がカットされ七万五〇〇〇円程度の支給に減額されたのである。従前の約九万三〇〇〇円の保護費は、行政の判断において「健康で文化的な最低限度の生活」を維持する生活費として支給されていた。それを二割も割り込むなら「最低限度の生活」が維持できるわけがない。この減額が憲法二五条に違反することは明白である。かくて一九五七年に提訴された朝日訴訟以来、半世紀ぶりとなる生存権裁判が全国八カ所の地裁に提訴された。本件が朝日訴訟と異なるのは、一度決定された保護の切り下げ事案であるため、一度決定された保護を不利益に変更するには「正当な理由」が必要であるとする生活保護法五六条違反の問題(厚労大臣の行政裁量権がこれに制約されるかの問題)があったことである。

 東京事件は地裁・高裁とも原告が敗訴した。しかし福岡事件は原告が地裁こそ負けたが高裁で逆転勝訴した。二つの事件が最高裁に係属し、第二小法廷の福岡事件では、行政の上告が受理され二月二四日に口頭弁論が開かれた。四月二日に最高裁の判決が予定されている。東京事件は第三小法廷に係属していたところ、口頭弁論が開かれることなく、二月二八日、上告棄却の不当判決となった。

二 最高裁判決の不当性

 朝日訴訟大法廷判決(一九六七年)は、原告の死亡により「訴訟は終了する」といいつつ「なお念のために」といって悪名高い憲法二五条論を展開し、これは傍論にも過ぎないにもかかわらず、それ以降五〇年にわたり下級審を縛り付けてきた。本件高裁判決もそのに呪縛された判決の一つであった。われわれは、その不当性を上告理由の一つに掲げたが、最高裁は朝日訴訟大法廷の傍論に、全く何の見解も示すことなくわれわれの上告を棄却した。

 また最高裁は、本件切り下げが生活保護法三条・八条二項にも違反しないと判示したが、憲法二五条違反の主張に対して、「憲法二五条の趣旨を具体化した生活保護法…に違反するものでない以上、これと同様に憲法二五条にも違反しない」と、何の論証もなく憲法二五条の裁判規範性を否定した。

 厚労大臣の行政裁量について、これを制約する原理として各地裁・高裁が、生活保護法五六条の適用ないし準用を認めるなどしているにもかかわらず、最高裁は具体的な理由を示すことなく、これを一蹴し法五六条の適用を認めなかった。しかし最高裁はそのことが後ろめたかったのか、老齢加算を「期待的利益」(権利だとは認めない!)といい、それを喪失させる厚労大臣の判断について、裁量権の範囲の逸脱・濫用があるか、二つの判断基準を示してを判断せざるを得なかった。しかしその判断の中で、(詳細は省略するが)最高裁はこれまで被告が格別意味のある主張として構成しなかった事実をわざわざ取り上げて、裁量権の範囲の逸脱・濫用はなかったと結論づけたのである。

三 当事者の生活を見ない最高裁

 最高裁は、全一三頁の判決文中七頁を費やし、原審が認定した老齢加算を廃止する根拠をなぞった。その中で最高裁は、生活費に関わる数万円から一〇万円程度のデータをもてあそぶのであるが、その数字は単なる数字あわせに過ぎなかった。その数万円で生活する、被保護高齢者あるいは保護を受けていない低所得高齢者の生活実態に思いをいたすことは全くなかった。それでは不当判決は当然であったろう。この判決が四月二日の福岡事件最高裁判決に、また各地の同種事件を抱える地裁・高裁に悪影響を与えることが強く懸念される。日の丸・君が代訴訟にならって、どこかで何とか成果を挙げられるよう、東京弁護団は各地の弁護団に協力を果たしたいと思っている。

四 反対意見がない!

 これだけの事件でありながら、補足意見、反対意見がなにもないことはいっそう問題である。朝日訴訟大法廷判決は傍論でありながらも、補足意見が一人反対意見が四人いた。今般第三小法廷には、弁護士出身の裁判官四人のうち二人がいた。私は個々の裁判官その人を批判するつもりはないが、このような方々は、果たして弁護士会がわざわざ推薦する価値があったのか。推薦制度のあり方に強く疑問を投じたい。


「さよなら原発四・一大集会inいばらき」へのご参加のお願い

茨城県  丸 山 幸 司

 団員のみなさん、水道橋の団本部から直線距離一一四・二キロ(福島第一原発までの距離の約半分)という東海第二原発で、三・一一の際に外部電源が喪失し、非常用発電機二機が故障し、冷温停止まで三日半も綱渡りの対応をしていたことをご存じでしたでしょうか。東海第二原発がかろうじて過酷事故をまぬがれたのは単なる偶然と言っても良く、稼働から三三年を経過したこの危険な原発を止めるチャンスを手にした幸運に、私たちは感謝すべきであります。

 こうした東海第二原発を止める運動の一大イベントとして、茨城労連を中心とした実行委員会が企画した「さよなら原発四・一大集会inいばらき」が、来る四月一日笠松運動公園(ひたちなか市)にて開催されます(集会のHP http://anic.sub.jp/home/ 「集会会場のアクセス http://www.ibaraki-sports.or.jp/kasamatsu/09access/index.htm)。

 実は、茨城では五〇〇〇人規模の集会は過去にも数えるほどの例しかありません。しかも開催場所はその敷地の一部が東海村にかかる、東海第二原発至近の公園です。こうした規模の集会が成功すれば、県内マスコミが大きく取り上げ、世論喚起さらには東海村議会をはじめとする各議会に対する大きなアピールにもなります。東海第二再稼働に際しての地元の同意は、議会の意向によっても大きく左右されるはずなので、未だ再稼働容認派が強い地元の議会を動かすためにも、首都圏の世論をこういう集会で目に見える形で示していく必要があると思います。

 この集会に対する期待と関心は、県内の幼少の子を持つお母さんたちを中心に高まっています。しかし、子連れで集会参加というのは大変なのが実情ですし、目標人数を下回って地元の再稼働推進派を喜ばせてしまうわけにはいきません。

 つきましては、団員のみなさま方のみならず、みなさまのつながりのある団体等に呼びかけていただき、ぜひとも集会の成功にご協力ください。


「課税府のノダ」リーフレットを活用し広めよう

千葉支部  藤 野 善 夫

  団通信二月一一日号に与那嶺次長の「課税府のノダ」のリーフの活用を訴える要請文が掲載されていますが、この「リーフ」は好評で、この時期に、このリーフの内容を簡単に説明するだけで、要領よく講師活動が出来ますので、私からも活用を訴えます。

 「課税府のノダ」の由来は、テレビドラマの「家政婦のミタ」にあることと、その内容の説明は、先の与那嶺次長の記事のとおりです。

 最初に、このキャッチコピーを聞いたとき、余り好評とは感じませんでした。

 ところが、平成二四年一月二五日の朝日新聞の朝日川柳に次の川柳が良作として掲載されていました。 「巷では課税夫(家政婦)の野田と言われてる」…へー同じ様な感覚を持つ人いるノダ(野田)と思いました。すると、翌日の「天声人語」欄(一月二六日)に、苛酷に税金を搾り取った徴税吏の経歴を持つ老人が、筋肉隆々の若者の絞ったレモンをさらに「さいごの一滴まで見事に絞り上げる」小話を披露し、世の人は、税金を役人(徴税吏)搾り取られることへ痛烈な皮肉の情を示していることを指摘し、昨日の川柳氏が、消費税増税にひた走る野田首相を「課税夫のノダ」と一刺したとまさに皮肉くる文章を掲載しました。詳細は、「一月二六日付け天声人語」をお読み下さい。

 この「川柳」とこの「天声人語」の小話を紹介することで、学習会での話の「枕」にし、この「課税府のノダ」のリーフレットの表裏の両面を説明する、そして最後に付属の署名用紙の活用を訴えることで、簡単に「講師活動」が出来ると思います。

 この「課税府のノダ」リーフを活用し、比例定数の削減を許さず、「課税府(夫)のノダ」は「ノーダ」(NO!)の声を広げましょう。