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渡部 容子 自衛隊情報保全隊の国民監視が違法とされ、慰謝料請求が認められました。
馬奈木 厳太郎 東電賠償金に対する課税阻止を勝ち取る!
城塚 健之 橋下維新の会にかき回される大阪から
神原  元 裁判員と量刑・再論
畑地 雅之 京都における衆議院比例定数削減に反対するとりくみ
寺内 大介 「すべての被害者救済」に背く水俣病救済措置の締め切り(その二)
今泉 義竜 六五期向け東京以外の事務所説明会へご参加下さい



自衛隊情報保全隊の国民監視が違法とされ、慰謝料請求が認められました。

宮城県支部  渡 部 容 子

一 一部勝訴判決!

 本年三月二六日、仙台地方裁判所は、自衛隊情報保全隊の国民監視差止・賠償請求訴訟につき、原告一〇七名中、五名に対し、慰謝料の支払いを命ずる判決を言い渡しました。

 判決は、国が内部文書の存在すら認否しなかったにもかかわらず、「真の原本が存在し、かつ、これらが情報保全隊によって作成されたこと」を真正面から認めたものです。また、自己の個人情報をコントロールする権利を人格権に位置づけて、情報保全隊の情報収集・保有行為を違法と判断した画期的判決です。

二 内部文書の発覚、提訴へ

 二〇〇七年六月六日、内部文書が公表されました。同書には、地元スーパーでのコンサート、街頭でのアピール行動、集会等の自衛隊イラク派兵反対運動など個人・団体の行動が、「イラク自衛隊派遣に対する国内勢力の反対動向」「反自衛隊活動」として自衛隊によって監視され、個人名も含め、詳細に記載されていました。P、Sなどの記号により思想選別までされていました。驚愕の内容です。私たちは、自衛隊によるこのような監視活動は、報道の自由、知る権利、表現の自由、プライバシー権、自己情報コントロール権、監視されない自由、肖像権、思想良心の自由、平和的生存権を侵害する重大な違憲・違法な行為であるとして、同年一〇月五日、仙台地裁に対し、原告らに関する情報を収集・記録・整理・利用・保管してはならないとの差止めと、原告各自に慰謝料一〇〇万円の国家賠償を求める訴えを提起しました。

 私たちは、そもそも自衛隊の市民監視行為は自衛隊法等の法令上の根拠がなく、行政機関個人情報保護法にも違反していること、本件監視活動は戦前の憲兵政治復活の危険があり、人権保障や民主主義、立憲主義に対する重大な侵害行為であり、国家的不法行為であるとの主張・立証をしました。

 原告は東北六県の市民一〇七名であり、弁護団は、仙台弁護士会所属五九名の弁護士に加え、自衛隊イラク派兵違憲判決を勝ち取った名古屋弁護団をはじめ全国のイラク派兵違憲訴訟弁護団員など合計一〇一名の先生方に参加していただきました。

三 訴訟

 原告の監視被害に関する陳述書をほぼ全員分提出しました。また、纐纈厚山口大学教授の情報保全隊の実態に関する意見書、小林武愛知大学教授の情報保全隊国民監視が国民の人権侵害・平和的生存権侵害である旨の意見書も提出しました。

 人証に関しては、情報保全隊関係者証人三名及び学者証人二名は不採用となりましたが、原告五名の尋問を実施しました。原告尋問では、監視の実態が明らかとなり、また原告らの率直な思いを裁判所に伝えることができました。

 訴訟における国の対応は異常なもので、内部文書の成立に関する認否、原告個々人を監視したかどうかに対する認否も頑なに拒否しました。その一方で、監視は人権侵害に当たらない、収集した情報の管理が適正になされているので問題ない、情報収集は行為規範がなくとも組織規範さえあればできると主張しました。さらに、国の指定代理人席に自衛隊の制服組・情報保全隊員が座るという事態も続きました。

 震災で途中、中断を余儀なくされましたが、昨年末、詳細な最終準備書面を提出し、この度の判決となりました。

四 判決

 判決は、「自己情報をコントロールする権利は実体法上の権利とは認められない」との国の主張を排斥し、「自己の個人情報を正当な目的や必要性によらず収集あるいは保有されないという意味での自己の個人情報をコントロールする権利は、法的に保護に値する利益、すなわち人格権」として確立されていると宣言しました。その上で、情報保全隊が、原告らがした活動等の状況等に加え、氏名、職業、所属政党等の思想信条に直結する個人情報を収集して保有したことを認定し、人格権侵害に基づく慰謝料合計三〇万円の支払いを命じました。

 他方で、「個人情報を収集して保有したと認めるには足りず」として、他の原告の慰謝料請求は退けています。実名の記載はされなかったいわば「名も無き市民」への萎縮効果への配慮に欠けています。

 また、判決は情報保全隊の監視行為の差止請求については、特定性を欠くとして却下しました。監視による情報収集・保有行為が違法であることを認めながら、その差止請求を却下したことは一貫性に欠きます。

 なお、判決文は、支援する会HPからダウンロードできます。

http://blog.canpan.info/kanshi/

五 今後について

 私たちは、四月五日、本判決で示された違法行為につき、防衛省に対し、控訴しないこと、徹底した原因解明及び防止策を求める要請行動をする予定です。翌六日には、原告九四名が敗訴部分についての控訴をし、その旨の記者会見を行う予定です。

 判決後、北海道新聞、西日本新聞、朝日新聞などの各紙が相次いで「自衛隊 違法な市民監視やめよ」「自衛隊の情報収集 人権守る観点が欠けている」「自衛隊判決―市民を見張る考え違い」など、判決に肯定的な社説を発表していることにも注目したいと思います。地元河北新報は、「国は内部文書の存在についても、認否を留保してきた。ここからうかがえるのは、情報収集の妥当性について説明責任を果たすことなく、その判断をするのは自分たちだという、独り善がりの論理だ。」「自衛隊のイラク派遣をめぐっては国内で賛否が渦巻き、反対運動も高まっていた。自衛隊はこれを「攻撃」と受け止め、監視網を敷いた。過剰反応と言うほかない。・・・防衛省は判決を機に、情報保全隊の活動が本来業務から逸脱しないよう、きちんと基準を示すべきだ。自衛隊が守るべきもの、それは生命財産であると同時に人権、表現の自由である。」という社説を発表しています。

六 私の感想

 私にとっては、弁護士となって最初に取り組んだ憲法訴訟でした。何としても勝ちたい気持ちが強かったので、裁判を紹介した手作りのリーフレットを作ったり、支援を求める集会を企画するなど、原告団と一緒になって、運動面でも頑張ってきました。法律論においては、今回採用されませんでしたが、平和的生存権の主張に力を入れました。イラク訴訟の書面を参考にさせて頂いて、原告一人一人にとっての具体的な平和的生存権の侵害を言葉にする努力をしました。平和憲法に憧れて弁護士になった私からすれば、この裁判に参加できたこと自体、幸せなことでした。今回の判決は、思わず原告団長のおじいちゃんと抱き合って大泣きするほど嬉しかったです。

 判決が前進するよう今後とも頑張りますので、ご支援ご協力どうぞ宜しくお願いいたします。(二〇一二年四月二日)


東電賠償金に対する課税阻止を勝ち取る!

東京支部  馬奈木 厳太郎

 「我々は、名称にこだわっているのではない。実を取れればよいのだ」――二〇一二年三月七日に行われた東電交渉での一コマです。この発言が、東電を動かしました。

 「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発事故被害弁護団(安田純治団長)では、この間、福島県商工団体連合会(福商連)をはじめ、埼玉県商工団体連合会や茨城県商工団体連合会など、全国商工団体連合会(全商連)傘下の各県連の要請に応え、協働して賠償支払いの取り組みを続けてきました。福商連関係では、二〇一二年三月二四日現在で、約六〇〇件(事業主)につき、約一三億五〇〇〇万円を東電に支払わせています。弁護団は、完全賠償を求める立場ですが、弁護団としても、完全賠償に向けた重要な一歩と評価しています。

 ところが、せっかく支払わせた賠償金に、国が課税しようとする動きが生じます。原発事故被害に関する賠償金については、避難生活などによる精神的損害や避難・帰宅費用、一時立入費用、人に関する検査費用に対する賠償金は非課税ですが、必要経費を補填するためのものや営業損害のうち減収分(逸失利益)に対するもの、就労不能損害のうち給与などの減収分に対するものなどは、事業所得などの収入として扱われるというのが、国税庁や税務署の立場です。

 しかし、支払われた賠償金は、生存権補償的な性格を有するものですし、なにより被害が終息していないなか、損害の全体像さえ見えていません。そこで、国会議員の協力なども得て、国税庁交渉を粘り強く行い、「一般的に、将来、損害賠償の内容や金額が確定した際に精算することを前提としている仮払金については、その支払を受けられた段階では、課税関係は生じない」との言質を引き出させました。

 そうすると、次は東電を説得する番です。東電は、当初、仮払金とは仮払法(「平成二三年原子力事故による被害に係る緊急措置に関する法律」)に基づく仮払いを指すのであって、東電のいう本賠償としての支払いは仮払金ではないという立場に固執していました。そこで、冒頭のようなやりとりが展開されることになります。

 東電の立場に立ったとしても、東電は自分たちの作成した請求書では期間を区切って支払うという方法を採用しており、期間がいつまで続くのか東電自身にも見通しがあるわけではありません。いわば、賠償支払いの中途段階であり、まさに賠償の一部を仮に支払っているにすぎないのです。

 最終的に、東電が、二〇一一年一二月三一日までに支払った賠償金は、今回の事故に伴い支払うべき賠償金の全部または一部であるとの記載のある書面を、福商連の会員の請求に応じて発行することを受け入れ、賠償対象の一部支払いであることを認めました。交渉翌日の八日のことでした。

 今回、東電が書面を作成することによって、実質的に非課税扱いを勝ち取ることができました。ただ、これも昨年度についての扱いにすぎず、その意味では暫定的なものにすぎません。抜本的には、賠償金については非課税とする扱いを確立することが求められています。

 過去には、水俣病や宮崎県の口蹄疫、オウム真理教事件などにおいて、手当金について特例法の制定によって非課税とした実例もあります。引き続き、立法を目指して取り組んでいきたいと思います。


橋下維新の会にかき回される大阪から

大阪支部  城 塚 健 之

一 まずはお詫びから

 大阪はこの間、橋下維新の会にかき回されっぱなしである。すでにさまざまな識者から指摘されているとおり、橋下の政治手法は、「民意」により選ばれた以上、自分の言うことはすべて正しいとし、意見を異にする者を敵と決めつけて徹底的に叩きのめし、フラストレーションの溜まった市民の喝采により支持を調達するところに特徴がある。ナチスドイツと同じである。橋下は、大阪府知事時代から、府職員、府議会、大阪市長、あるいは橋下に批判的な知識人と、攻撃対象を次々と取り替えてきた。そして、大阪市長に就任してからは、その矛先を大阪市職員とその労働組合に向けている。確かに、多数派組合の自治労のあり方には批判されるべきところが多いが、橋下は自治労も自治労連(大阪市労組)もお構いなしに攻撃を強めている。

 この間の攻撃があまりにも激しいため、私たち団員もその対応に追われっぱなしで、団通信への報告もできないでいた(仕事にならず、休業損害を請求したい気分である)。

 しかし、先日、日本労働弁護団の大阪常幹で、大阪の状況が他の地域には知らされていないという意見を聞き、日々の対応に追われて十分な全国発信ができなかった責任を痛感した。そこで、まずはこの点をお詫びし、この間、大阪の民法協として関わってきた橋下の公務員攻撃について簡単に報告しておきたい。

二 教育・職員基本条例(二条例)

 大阪府議会では大阪維新の会が過半数を制しており、勝ち馬に乗りたい自民・公明の賛成もあって、三月二三日、新たに知事提案された教育・職員基本条例はあっという間に成立させられてしまった(四月一日施行)。他方、大阪市議会では、大阪維新の会が単独で過半数議席を有しておらず、継続審議になっている。キャスティングボートを握りたい自民・公明の態度は油断ならない。

 二条例のうち、教育基本条例については「教育の政治支配」が、職員基本条例については「職務命令絶対主義・厳罰主義」、「相対評価による免職」による恐怖支配が主として批判されている。もちろん、それらは重大な問題ではあるが、私は、二条例の最大の目的は、幹部職員の政治的任用と中途採用、官民交流、人事監察委員会などを通じた橋下一派(さらには財界)による自治体乗っ取りにあると考える(規制改革会議・経済財政諮問会議を活用した小泉内閣や「お友達内閣」と揶揄された安倍内閣が想起させられる)。また、彼らが狙う市交通局(とりわけ黒字の地下鉄)の民営化をスムーズに進めるためには、整理免職のハードルを下げておく必要があり、この点でも職員基本条例は役に立つ。

 なお、職員基本条例については、榊原秀訓『自治体ポピュリズムを問う』(自治体研究社 二〇一二年二月)(団通信一四一〇号で山口真美団員が書評を書いてくれている)所収の拙稿で詳しく論じたのでご参照願いたい。

三 職員アンケート

 「職場の関係者から投票を依頼されたことはないか」、「組合に加入することによるメリットをどのように感じるか」など、職員の思想信条・政治活動の自由や労働基本権を公然と侵害するアンケートが、二月一〇日から一六日にかけて実施された。それは、橋下市長の署名入りの「業務命令」により回答が強制されていた(なお、「職務命令」という言い方をしていないのは公務員法を知らないからかもしれない)。こんな踏み絵まがいの思想調査が、公権力によって白昼堂々と、しかも橋下や野村修也(中央大教授(商法)にして弁護士)という、いやしくも「法律家」という肩書きを持つ者によって実施されたことに戦慄を覚える。

 この件では、団本部や日弁連を初め、多数の弁護士会・法律家団体に機敏な声明を出していただいた。この場をお借りしてお礼を申し上げたい。

 さて、ここでは民法協における議論の経過を報告しておくべきだろう。

 私がこの件を知ったのは実施初日(連休直前の二月一〇日(金))の夕方であった。びっくりして各種メーリングリストに情報発信し、翌日一一日(土)、大阪を不在にしていたところ、その間に民法協のメーリングリストが「炎上」した。「なぜ、ただちに仮処分を申し立てないのか」、「なぜ幹事長は行動を提起しないのか」などなど。困った民法協の増田尚事務局長が同日夕に緊急会議を開催すると、そこでは主戦論が大勢を占め、すぐに訴訟提起だ、明日までに準備をしようとなったそうである。同日深夜に「運動を裁判の枠内に狭めるのではないか」という伊賀興一団員のメール、自治労連弁護団の中心メンバーのいないところでそんなことを決めていいのですかという谷真介団員の悲鳴のようなメールが流れていたが、その時点では少数説だった。

 しかし、当面する獲得目標は、(1)アンケート強制にさらされている職員(大阪市労組組合員とは限らない)にアンケートの違法性に確信を持ってもらい、応じないよう励ますことと、(2)提出拒否に対して懲戒処分をさせないことである。あわてて仮処分や行訴・執行停止を申立てたって、到底間に合わない。それどころか、こうした組合民主主義を軽視する方針決定は、すぐに裁判当事者となれる組合員と、逡巡する組合員との間に分断を生む。「あの人は超人だからすぐに裁判ができるのだろう、でも私は違う」など。裁判闘争は、運動と団結を強めるために有効であれば積極に考えるべきであるが、そうでないときにはするべきではない。

 そこで、翌日一二日(日)の会議では、前日の決定を翻して、まずは法律家の意見を現場の職員に届け、励まして行こうと意思統一をした。これは正しい選択だったと思う。

 最初、職員の間には、アンケートを拒否すれば職場を辞めざるをえないではないかという底知れぬ恐怖が渦巻いていたそうである。その意味では、橋下は、アンケート開始早々に、職員を恐怖支配するという目的の大半を達成してしまった。

 しかしながら、そんな環境下にいる職員にとって、全国から寄せられる法律家の意見表明は大きな励ましとなった。思い切って「回答しません」と答えた人、いったん提出したけれど思い直して上司に「返してください」と言いに行った人、それを受けて、「分かった。取り戻してくる。」と動いてくれた、日頃は反目していたという上司(これはポータルサイトではなくペーパーで出せと言われた職場の話である)など、いろんなドラマがあったそうである。

 その後、アンケートは、自治労(大阪市職労ほか)の不当労働行為救済申立と大阪府労委の異例ともいうべき実効確保措置勧告を受けて「凍結」された。しかしながら、橋下や野村にそのような態度をとらせたのは、実は全国的な批判声明の集中であった(自治労の代理人弁護士も同様の評価をされていた)。

 しかし、橋下にも野村にも反省はない。その後も、いかなる権限に基づくのか、若い弁護士らが彼らの走狗として動き回り、当局にメールを提出させたり、庁舎内の写真を撮ったり、ゴミ箱を漁ったりと、スパイ大作戦よろしく諜報活動を進めている(ほかにまともな仕事はないのか)。まことに異常な職場と化しているのである。

 反省がないといえば、大阪維新の会が、連合の組合が交通局の名簿を使って選挙活動を強要していると騒いでいたところ、三月二六日、当該資料が捏造だったことが判明した。それなのに、橋下も維新の会の議員も、当該組合に対して謝罪はしないというのである。かつての民主党の偽メール事件では民主党はそれなりに反省していたのに。この尊大ぶり・傲慢ぶりには呆れるばかりである。

 現在、民法協では、人権侵害を世に訴えるべく職場実態調査(ヒアリング)を進めている。

四 組合事務所明渡問題

 橋下は、ダブル選挙後、労使関係のすべてをリセットすると称して、自治労、自治労連双方の組合事務所に「庁舎から出て行ってもらう」と言い出した。そして、まず、支所の一角に印刷機などを置いていた「支部スペース」の使用許可を年度途中の一月に取消して一ヶ月以内に物品を撤去するよう求めてきた(その多くは昨年の一二月に許可したばかりだった)。違法な自力救済すらやりかねない雰囲気だったことから、大阪自治労連弁護団は、取り急ぎ、不許可処分の撤回と、自力救済をしないことの申し入れ活動を行った。

 その後、本体の組合事務所についても、橋下は新年度の使用許可申請を不許可としたことから、裁判闘争に踏み切らざるをえなくなった。なお、自治労は組合事務所をいったん退去した上で労働委員会で争う方針をとったが、自治労連は退去しないで争う方針をとり、三月一四日、民法協会員八二名の弁護士を代理人にたてて大阪地裁に不許可処分の取消訴訟を提起し、次いで三月二九日、大阪府労委に不当労働行為救済申立もした。

 ところで、自治労連の提訴日の朝、テレビ朝日の女性記者とカメラマンが、組合役員の制止を振り切って組合事務所の内部を強引に撮影しようとした事件が発生した。昼の提訴時にそれを聞いて驚き、居合わせた当の女性記者に抗議すると、なんと「市民の財産なんだから撮影して何が悪い。」と開き直るのである。頭に来て「そんな理屈が通るのなら市営住宅で寝ているところ撮るのも自由ということになるじゃないですか。」「その映像を放映したりしたら法的手段をとりますからね。」というと、「じゃあ、どう報道しろって言うんですか。」と言う。「どう報道するかはあなた達が考えることでしょ。」と言い返すも、あまりのレベルの低さに唖然とさせられた(実はこの手の「論理」で組合事務所に押し入ろうとする「市民」がときどきいるそうである)。さらに、最近聞いた話によると、橋下を批判する記者は橋下にツイッターで実名で集中攻撃されるので、怖がって批判を口にしなくなっているそうである。まったくとんでもないことになっている。

五 大阪の狂乱は人ごとではない

 以上がこの三ヵ月ほどの出来事の点描である。本当は、もっともっと報告しなければならないことがあるのだが、紙幅の限界もあるので、個別の報告は若い団員にお任せしたい。

 大阪の狂乱は他の自治体でも人ごとではない。「一九二〇年代にはミュンヘンの地方政党に過ぎなかったナチスが…一九三〇年代に入って急速に支持を伸ばし独裁権力を獲得して世界中の人々に惨禍をもたらした歴史」(三月五日に民法協や団大阪支部など法律家八団体の共催による「大阪『維新』を考えるつどい」でご講演いただいた浦部法穂教授のブログから)が想起されるべきである。

 ぜひ、大阪の状況に注目していただき、たたかいへのご支援を願いたい。


裁判員と量刑・再論

神奈川支部  神 原   元

一 はじめに

 私の三月一一日付団通信掲載「裁判員の量刑関与は正しいのか」(以下、「拙稿」という。)について、宮城県支部の杉山茂雅団員が四月一日付団通信に「裁判員に量刑判断はできないのか」を寄せて下さった。貴重な時間を割いて私のつたない論考をお読み頂き、丁寧な検討をして下さったことに対し、心からお礼を述べたい。杉山団員の論考は、刑罰の本質等多岐に及ぶ論点について真摯な検討がなされており、私も、自分の考えを修正したり、補強したりすることができた。

 その上で本稿を投稿し、さらに皆の教えを請いたい。団内でも異論の多い、この論点については、(杉山団員がされたように)真摯で建設的な議論の積み重ねが何より重要だと考えるからである。

二 「重罰化」は「悪」なのか?

 拙稿は、裁判員裁判になって以前より量刑が重くなっていることを問題にした。これに対し、杉山団員は、「どの程度の刑罰を科すべきかも社会の規範意識と合致することが求められる」「これまで行われていた裁判官による量刑が社会の規範意識から乖離していたということはできないのであろうか」「裁判員裁判における量刑が、社会の規範意識により近づいたと評価できるのではないか」「その意味で『重罰化』が悪であると単純に言うことはできない」とされる。拙稿の弱点を鋭く指摘されたものと思う。

 私も「重罰化」が全て「悪」だとは思わない。何らかの合理的な「理由」で量刑が重くなるならば、それは当然正しい。他方、合理的な「理由」がないならば、これまで「懲役三年」とされていたものを、「五年」としてはならない。ことは被告人の「人権」に関わるし、なにより、「法の下の平等」に反するからである。では、杉山団員のいう「社会の規範意識に合致すべきこと」は、裁判員裁判の下での量刑変化の「理由」となるだろうか。

 私も、杉山団員が述べられるとおり、刑罰の正当化の根本には、罪と罰に関する、社会の、一定の「暗黙の了解」ないし「合意」があると思う(杉山団員はこれを「社会の規範意識」と呼ぶ。私は「社会契約」のようなものをイメージする。)。問題は、この「了解ないし合意」に具体的な「刑の重さ」まで含まれているかどうかである。確かに「重い罪を犯せば重い刑が科される」という程度の了解はあるに違いない。しかし、殺人未遂の量刑を「五年」とすべきか「七年」とすべきかまでの了解は、市民の間にはないのではないか。早い話、法律をしらない私の両親に刑事記録を与えて「さあ、何年?」と聞いてもトンチンカンな答えしか返ってこないに違いないのである。

 したがって、「社会の規範意識」で量刑の変化(特に重くなる場合)まで正当化することには、少々躊躇を覚える。前提となる「規範意識」(国民の了解)の内容があいまいで頼りないからである。杉山団員は、「法曹関係者のこれまでの意識自体を問い直してみる必要がある」とされる。そのとおりだ。しかし、私自身、これまでの意識を問い直してみて、これまでの裁判官の量刑が「不当に軽かった」とは、どうしても思えないのである。

 いずれにしても、杉山団員が提起された「社会の規範意識」ないし「国民意識」をどう評価するかの点は、非常に深く、大切な論点だと思う。多くの方に検討をお願いしたい。

三 裁判員は行刑の実態を知らないか?

 杉山団員は、拙稿が「裁判員は行刑の実態を知らない」と述べたことに関連して、「私自身の結論はいまだ出てはいない」とされつつも、「裁判官は、犯罪の原因、刑務所の実態を知っているのか。この点では、裁判員と裁判官との差は、たいしてないのではないか」「ならば、多様な価値観を持つ裁判員に判断させてもよいのではないか」とされる。深い洞察に基づく真摯な結論だと思う。杉山団員の立論が成り立ちうることを認めつつ、(やや観点は違うが)次の諸点についても検討を求め、教えを請いたい。

 そもそも、量刑判断は、どのようなプロセスでなされるのか。一番早い方法は、まず過去の同種事例を参照して、おおよその「相場」を知ることであるに違いない。その上で、犯行に至る経緯や動機、被告人の反省の程度、被告人の生活環境、示談の有無等、当該事案において考慮すべき要素を拾い、「相場」からプラス、またはマイナスを行う。この判断過程では、「過去の事例との均衡」と「事案の特殊性への対処」の二つのファクターの「均衡」が重要であり、そこに判断者の「腕」が問われる。

 このような思考過程が一般市民にとって馴染みやすいものかどうか疑問である。そもそも、「過去の相場」が分からないから、裁判所に与えられた「量刑データ」に飛びつく。その上で、裁判官の指導を受けつつ、主観を交えながら、相場からプラスまたはマイナスを行う。結果として、殺人未遂や強姦致傷など被害者のいる罪種は「相場」より重くなる。他方、覚せい剤目的輸入罪は、被害者がいないから(?)、相場どおりになる。

 裁判官も「人の子」であるから、被害者の意見陳述に心を動かされたり、被害者と同じ年頃の自分の娘を思い出して加害者を憎んだりするだろう。しかし、裁判官裁判では、判断者の「属性」や「価値観」、「感情」は、少なくとも「原理的には」排除されている。そこに、法適用の安定性と公平性、さらには「法の支配」の意味があるだろう。ところが、裁判員裁判では、判断者の「属性」や「価値観」、「感情」は原理的にも排除されず、むしろ、これらを交えた判断こそ奨励される(そうでなければ市民参加の意味がない)。その結果が裁判員裁判における量刑変化に現れているのではないか?

 市民の「多様な価値観」を量刑に反映させるべきか、させるとしてどう反映させるべきかは、非常に悩ましい論点だ。多くの方に検討をお願いしたい。

四 市民参加に期待するもの

 私も、先輩たちが「司法の民主化」にかけた努力に敬意を表するし、「市民参加」に期待するところがないわけではない。しかし、それは、本来、市民の豊かな社会経験を事実認定に生かし、官僚司法による「えん罪」を防止するという点にあったはずだ。

 映画「一二人の怒れる男たち」(一九五七年:シドニー・ルメット監督)は、陪審員がそれぞれの「経験」を持ち寄って真実を暴いていく様を描いている。労働者は線路脇の塗装作業における騒音について話し、スラムに住んでいた男は飛び出しナイフの使い方を話し、老人は老人の心理がどのようなものであるかを話す。持ち寄られた「経験」が真実を暴く。これこそが「市民感覚(正確には「市民の経験」)」による裁判の真骨頂だ(五〇年代に作成された、このアメリカ映画に多くの欠点があることは私も認める。九七年のリメイク版では、裁判官と弁護士に女性を配置し、陪審員に黒人を配置する等の改善がなされた)。

 未だデータが少ない段階であるから、「結論を出すのはまだ早い」という杉山団員の判断も十分に分かる。しかし、議論はどこかで始めるべきだ。何年か経って「疑問」が「杞憂」に終わるのであれば、それはそれでよいではないか。


京都における衆議院比例定数削減に反対するとりくみ

京都支部  畑 地 雅 之

一 三・一六全国活動者会議に参加して

 おかげさまで、比例定数削減をめぐる最新の情勢や団の理論的到達、めざすべき運動の方向性について、未熟ながら少しは深めることができたと感じております。

 特に、仁比聡平団員が強調されていた、団が担うべき三つの観点からの理論的イニシアチブ((1)九四「政治改革」の総括を深化させること、(2)憲法に則った国会議員論、(3)ハシズム・維新の会の動向と議会制民主主義論)の話は、まだまだ物事を断片的にとらえがちな私にとって、この問題を「いま」の問題としてだけではなく、歴史的な一局面として大きく捉えることの必要性を感じさせられました。

 そういう意味で、比例定数削減反対・選挙制度の抜本改革を求める運動は、日本の民主主義の歴史に新たな一ページを刻み込む、壮大なロマンあふれる運動だと認識して、がんばりたいと思います。

 余談ですが、会議後の懇親会での歓談のなかで、私はかろうじて「中選挙区制を経験していない」団員であることが判明しました(私が投票権を得たのは九六年の総選挙からです)。なんか選挙制度の問題にとりくんでいると、あたかも中選挙区選挙でも投票経験があるかのように感じてしまうものです・・・。

二・六団体決起集会の開催

 団京都支部と京都憲法会議とで選挙制度に反対する行動を呼びかけ、三月二三日、ハートピア京都にて、京都総評・京商連・新婦人京都府本部・京都民医連を加えた六団体共催で決起集会を開催しました。

 まず、こくた恵二衆議院議員に最新の国会情勢を報告していただき、各党協議会のせめぎ合いや中選挙区議連などの動き等により、国会内で「抜本改革」ムードが醸成されている様子をリアルに語っていただきました。

 次に、小松浩立命館大学教授より、憲法原理からみた比例定数削減問題についてご講演いただきました。憲法学的な難しい議論をそのまま大衆運動に反映させることは困難ですが、根っこのところで深い考察をすることが、比例定数削減が何故問題なのかという点について、新たな攻撃や変化球(「連用制」とか)にもブレずに強い確信を形成する助けとなると思いました。

 その後、各団体から決意表明をいただき、今後学習会や街頭宣伝活動にも旺盛に取り組んでいくことが確認されました。参加者は約七〇名と期待よりちょっと少なめでしたが、何かと多忙の折、各団体から足を運んでいただき、少なからず問題意識を共有することができたと思います。

三 団京都支部による街頭宣伝行動

 二月の京都市長選後は、頭を切りかえて、支部内の「憲法平和プロジェクト」のメンバーを中心に街頭宣伝活動を継続しています。

 「課税府のノダ」リーフレット、がんばって配布しています。家政婦に扮した野田首相のイラストはそれなりのインパクトがあるようで、今までの宣伝物より若干受け取りはいいように思えます。しかし、なにぶん世間の関心・流行は移ろいやすいものですので、このリーフレットの「賞味期限」がきれてしまう前に、できるだけ多く普及したいところです。

四 さいごに

 前述した六団体で、通常国会の山場である四月から六月にかけて、毎月一一日に統一街頭宣伝行動を行う予定です。六団体決起集会を契機に、運動を広げる基盤が整いつつあります。団京都支部の役割・責任は非常に重いものですので、決起集会だけの共闘関係に終わらせないよう、奮闘したいと思います。

 「無力感を感じる」小選挙区制度の下でしか総選挙を経験していない団員のみなさん! ぜひこの問題のとりくみにも結集して、民意が反映される選挙制度を実体験できるよう、ともにがんばりましょう!


「すべての被害者救済」に背く水俣病救済措置の締め切り(その二)

熊本支部  寺 内 大 介

隠された水俣病

 行政やチッソは、これまで水俣病像をねじまげ、「ニセ患者」呼ばわりなどの差別・偏見を助長してきた。

 国・熊本県・チッソが、司法判断を無視し水俣病患者を限定しようとしてきたため、水俣病と名乗り出る被害者が「金欲しさのニセ患者」呼ばわりされ、苦しんできた。そのため、水俣病として名乗り出ることができない状況が続いてきた。

 天草市河浦町の漁師は、「ノーモア・ミナマタ訴訟の原告になったとき、国賊と言われた」という。

 今年二月二七日に福岡高裁が言い渡した溝口訴訟判決で、感覚障害だけの水俣病が認められてもなお上告し、争いを続ける国・熊本県の態度は、「水俣病隠し」の象徴である。

 昨年、救済措置に申請した天草市倉岳町の漁師は、一〇年前から養殖業の仕事中、道具や貝を落としやすいという自覚症状があったという。そして、昨年、熊本県民主医療機関連合会の水俣病検診のチラシに「手の感覚が鈍くなる」との症状があるのを見つけ、「自分が悩んでいるのと同じだ」と思って検診を受け、申請に至っている。

 また、昨年、救済措置に申請した出水市の被害者の父は、水俣でチッソの下請けの仕事をしていたが、医師から「水俣病じゃなかろうか」と言われながらも、「二人の娘が嫁に行けなくなるから黙っておけ」と言って、水俣病であることを隠し続けたという。

 こうした、差別・偏見に苦しみ、沈黙を守っている被害者が多数潜在しているにもかかわらず、自ら名乗り出た人しか救済しないというのでは、「あたう限りすべての被害者救済」を義務付けた特措法に違反するものと言わざるをえない。

 新潟県の泉田知事は、「偏見や中傷を恐れ申請を控えている人たちがいれば、可能な限りの救済にはつながらない」として、「被害者がためらわずに申請できる環境整備」を国に求めている。

国がやるべきは住民の健康調査

 特措法は、「政府は、・・・メチル水銀が人の健康に与える影響を把握するための調査、効果的な疫学調査、水俣病問題に関する社会学的調査等の手法の開発を図るものとする」(第三七条三項)と定め、政府に対し、健康調査義務を課している。

 熊本県の潮谷義子知事(当時)が、平成一六年の水俣病関西訴訟最高裁判決の直後、不知火海沿岸に居住歴がある四七万人の健康調査を国に要望したところ、環境省の幹部から、「この案はおかしい。患者の掘り起こしになるじゃないか」と言われ、唖然としたという。「潜在患者はそのままにしておけ」といわんばかりの対応である。

 小池百合子環境大臣(当時)の諮問機関である「水俣病問題に係る懇談会」が平成一八年九月一九日にとりまとめた提言書は、「水俣病の被害の全貌を明らかにするための総合的な調査研究を推進すること」としている。

 昨年、救済措置に申請した天草市楠浦町の漁協役員は、それまで、「行政が指定した地域じゃないから駄目だろう」とあきらめていたという。そして、「よくわからない中で申請するのは勇気がいるし、時間もかかる」としている。こうした、行政が救済対象としていない地域では、「特措法に基づく救済措置は始まったばかり」との認識なのである。

 今年一月二二日に西日本六ヶ所で実施された民間の医師による集団検診では、受診者四〇〇人の約九割に特措法の救済対象となる症状が確認され、あらためて潜在患者の多さを浮き彫りにした。

 環境省は、表向きは、「メチル水銀を含む排水の停止から数十年が経過した今では、調査してもメチル水銀曝露と症状との因果関係がはっきりしない」などとして健康調査を拒否している。

 しかし、行政が、現に特措法に基づき救済対象者を判定している以上、少なくとも特措法の救済対象者に該当するかどうかの健康調査はできるはずであり、要は、やる気の問題だ。

 加齢によって症状が悪化することもあるから、一回限りの調査ではなく、生涯にわたる健康管理と十分な施策が必要である。

期限を撤回し、すべての被害者救済を

 行政がやるべき調査をしていない以上、今年の七月末までに申請が終わると見るのは非現実的だ。

 とりわけ、不知火海沿岸や阿賀野川流域から県外に転居された被害者に対する広報が圧倒的に不足している。すでに多くの被害者が救済されたとされる津奈木町(熊本県葦北郡)の西川裕町長によれば、現在の町人口約五二〇〇人よりも多い約六〇〇〇人の町出身者が、高度成長期の集団就職などで県外に住んでいるという。

 また、水俣市や芦北町の山間部は対象地域から外れているが、昨年一〇月、水俣協立病院などの医師が芦北町の山間部(黒岩地区)で実施した検診では、同地区の住民七六人のうち三九人が受診し、うち三七人(九五%)に水俣病特有の感覚障害が認められている。水俣湾周辺で獲れた魚を行商人が山間部にも売り歩いていたためと思われる。

 以上のように、水俣病被害の実像が明らかにされていない以上、特措法の申請期限は撤回し、まずは健康調査を徹底すべきである。そのうえで、特措法の定める三年の目途を超えるようであれば法改正をするのが「あたう限りすべての被害者救済」という法の趣旨にかなうはずだ。

 行政の救済システムが機能しない場合、被害者は司法に救済の道を求めるほかなく、かえって解決を難しくするというのが水俣病の教訓でもある。「水俣病問題の解決」とは何か。環境大臣はじめ、関係者に再考を促したい。


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東京支部  今 泉 義 竜

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 二時半 開場

 三時  事務所説明会開始

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 説明会の参加費用として一事務所一万円を頂戴します。懇親会は別途費用お一人五〇〇〇円を頂戴します。

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