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<<目次へ 団通信1442号(2月1日)


田中  隆 経団連・政治改革提言が投げかけるもの
岡本 浩明 「中津川市議会における発声障がいをもつ議員へのいじめ損害賠償請求事件」報告
吉田 悌一郎 自治体が主導する震災復興事業について
〜宮城県気仙沼市の場合
森  孝博 原爆症認定制度を巡る現状と課題
坂井 興一 「司法は自殺する気ですか。」
空襲訴訟・大阪高裁一・一六判決について
瀬川 宏貴 TPP問題で食健連と自治労連を訪問してきました
宮里 民平 給費制廃止違憲訴訟へ
井上 洋子 ドラッカー著「『経済人』の終わり」の勧め
畠山 幸恵 はじめまして
〜自由法曹団女性部新年学習交流会及び新人歓迎会に参加して〜



経団連・政治改革提言が投げかけるもの

東京支部  田 中   隆

一 「政治改革の二〇年」の総括

 一月一五日、日本経済団体連合会(経団連)が政治改革提言(国益・国民本位の質の高い政治の実現に向けて)を発表した(経団連HPに掲載)。資本の世界展開がはじまった九〇年代初頭、小選挙区制や政党助成金などの政治改革を実現させた財界が、二〇年余を経て再び突きつけた政治改革の要求である。提言は、政治認識を示す総論と、具体的な改革課題を列挙した各論からなっている。

 「内外の重大課題の山積」を掲げ、政治の立ち遅れや国民の政治不信を言い立てて政治改革を要求する政治認識は、第八次選挙制度審議会答申(九二年四月 八次審答申)と変わるところはない。政治不信を、「カネと政治の問題」に矮小化するのも常套手段、ここから政治の方向は変えずに政治資金だけ手をつける「処方箋」が生まれる。

 「グローバルな視点で、国民に痛みを伴う政策を、迅速果敢に行う政治」を「めざすべき政治」とするのも八次審答申と同じ。「国民が主体となった政治」を生み出そうとする視座など、まったく見いだせない。

 いささか異なっているのは、立ち遅れの原因。「オセロゲーム」による政治の不安定や議員の劣化、政党助成金への政党の過度の依存が、「衆参ねじれ」と並んで、「迅速果敢な政治」の障害物として描き出される。

 中選挙区制を「諸悪の根源」のように描き出して小選挙区制を導入させ、少数政党を排除して構造改革や自衛隊海外派兵を強行した。だが、構造改革の矛盾が露呈するなかで、安定した政権による果断な政治を続けることはできなかった。だから、制度の一部手直しを含む「さらなる改革」を要求し、多国籍企業化した資本の世界展開を安定して支える政治を実現させる。

 これが財界の「政治改革の二○年」の総括であり、「さらなる国家改造要求」の本質にほかならない。

二 一院制・中選挙区制・政党法

 各論にはさまざまな課題が並列されているが、重要なのは参議院・選挙制度・政党と政治資金の三つである。

a 参議院

 「衆参ねじれによる決められない政治」の解消が眼目。

 制度的には一院制か、衆議院の再議決要件緩和しかなく、いずれも明文改憲が必要。これらを改憲案に組み込まなかった自民党への「抗議と要求」の意味ももっている。

 明文改憲までの措置は、「与野党修正の慣行化」。積極化する企業献金を背景に、「大連合」を強要しようというのだろう。

b 選挙制度

 衆議院は、議員の劣化や政治の不安定を理由に、中選挙区制の再評価を主張し、小選挙区比例代表並立制の廃止を示唆する。財界のこれまでの方向を転換しようとする志向が顕著である。

 参議院は、道州制を視野に入れた地域ブロック制や比例代表制の見直しで、これまでの論議の範疇を超えていない。

c 政党と政治資金

 眼目は、(1)「企業の社会貢献」としての企業献金の積極化、(2)政治資金のバランス確保のための政党助成金の抑制、(3)政党の政策活動強化とこれらを要件とした政党法の制定。

 一見すると政治改革と「逆方向」だが、政党への国家管理の方向はかわらない。公費を投入しても「政党本位の政治」が実現できなかったから、企業献金で政党への圧力を強めるとともに、政党要件の法定などによる政党規制に道を開こうとするものである。

三 安定のための中選挙区制

 提言のうち、もっともストレートに影響を及ぼすのは衆議院の選挙制度に違いない。解散前の臨時国会で「総選挙後の通常国会で結論」との三党合意が交わされており、三月七日の札幌高裁判決を嚆矢とする格差違憲訴訟の判決が「促進剤」とならざるを得ないからである。

 この焦眉の課題で、経団連・財界は、中選挙区制の再評価を唱えて小選挙区制の廃止を示唆するに至った。「中選挙区制の復活も排除すべきではない」とのメディアの主張(読売・一二月二四日付社説)や、「中選挙区制復活も検討」とされる自公両党協議(読売・一月一五日報道)に、すでに影響が現れているとも言えるだろう。

 政治改革を推進した財界やメディアが中選挙区制復活を示唆するに至ったのは、支配層も小選挙区制の問題点に目を背けることができなくなったことを意味している。だが、問題点として指摘されるのは、「天下国家を語ることのできる政治家が、着実に連続当選を重ねることが困難」になって議員と政治の劣化が進んだことで、民意が歪曲・淘汰されたことではない。この文脈で語られている中選挙区制とは、政治を安定させるためのもので、「国民の声が反映する選挙制度」など一顧だにされていないのである。

 民意の反映を度外視した「安定のための中選挙区制」の制度設計で、ただちに導かれるのは定数三である。

 同質性をもった二大政党は、ともに一議席を安定的に確保して「優れた政治家の連続当選」を確実にし、三議席目の争奪によって政権の帰趨を決める。政権交代は「劇的なオセロゲーム」ではなく「六対四」と「四対六」程度で起こることになり、議席数は二大政党の得票率にほぼ照応する。

 その限りでは確かに「安定」することになるだろう。だが、並立されていた比例代表がなくなるため、少数意見の切捨ては並立制より顕著になり、第一党と第二党あるいはそのいずれかと連携する政党しか生き残る道はなくなるから、第三党以下の離合集散や野合はますます激しくなる。

 資本の世界展開を安定的に支える果断な政治を実現するために、経団連提言が再評価しようとする中選挙区制は、民意のいっそうの歪曲と集約を引き起こす「小選挙区制の変形物」にほかならず、国民が政治の主人公となるための「民意の鑑の議会」とは、似て非なるものなのである。

四 どのような政治と議会を求めるか

 〇九年総選挙で民主党マニフェストが掲げた「比例定数八〇削減」に反対するたたかいは、東日本大震災・福島第一原発事故の体験などを経て、国民の声が届く選挙制度を要求する運動に発展した。超党派の「中選挙区議連」が中選挙区制復活を主張するもとで、「民主党以外のすべての政党が小選挙区制見直しを主張」という状況も生まれた。「比例削減による強権政治」の野望をくじいた三年余のたたかいの意味は決して小さくない。

 だが、中選挙区制の再評価が、「同床異夢」の所産であったこともまた直視しておかねばならない。定数の多寡によって機能が大きく異なる中選挙区制の「ぬえ」的性格は、「民意の反映のためのツール」だけではなく、「強権政治のために政治を安定させるツール」にも活用できるからである。

 財界までもが中選挙区制復活を示唆するようになったいま、検討と運動はさらに一歩前進しなければならない。問われているのは、どのような政治と議会を求めるかという民主政治の根本にかかわる問題なのである。

(二〇一三年 一月二五日脱稿)


「中津川市議会における発声障がいをもつ議員へのいじめ損害賠償請求事件」報告

岐阜支部  岡 本 浩 明

 ずいぶん遅れてしまったが、昨年五月に確定した「中津川市議会における発声障がいをもつ議員へのいじめ損害賠償請求事件」について、報告する。

一 事件のあらまし

 小池公夫さんは、中津川市議であった一期目途中の二〇〇二年一〇月に下咽頭がんの治療のために声帯を切除したことから、発声が困難な状態になった。

 二〇〇三年四月、二期目に当選した小池さんは、本会議等での発言を、議会職員による代読で行おうと考え、その旨を議会運営委員会(議運)に伝えた。ところが議運は、議会での発言は肉声が原則であるとして小池さんの代読による発言を認めなかった(第一期)。

 そこで、小池さんは、支援者らとともに署名・陳情運動をしたところ、二〇〇四年九月、議運は、小池さんが希望した代読ではなく、努力してパソコンを使えるようになれということでパソコンの持込だけを許可した(第二期)。

 納得できない小池さんは、岐阜県弁護士会に人権救済の申し立てをするなどした結果、二〇〇五年一一月、本会議における一般質問のうち本質問はパソコン、再質問は議会職員の代読という方法を決定した(第三期)。再質問は一般質問が前提となっており、議運の決定は単なるごまかしに過ぎない。

 小池さんはあくまでも全ての質問について代読を求め続けたが、発言通告書は全く受理されなかった。そこで、小池さんは、任期最後の年度にあたる二〇〇六年一二月、本会議において、議会職員の代読による発言の保障を認めるという決議案を提出した。しかし、かかる決議案は賛成五・反対二七の反対多数で否決された。

 議運だけでなく本会議の決議においても代読発言が否定されたことから、小池さんは、同月五日、中津川市及び反対票を投じた議員個人を被告として慰謝料請求の裁判を起こした。

二 一審判決(二〇一〇年九月二二日)

 岐阜地裁の一審判決では、一部認容判決(一〇万円)という結果であった。小池さんが議員であることから、使用できないパソコンを押し付けた時期(第二期)については、障害者ゆえに小池さんの参政権が侵害されたと認定したが、その他の時期については議会の自律権を広範に認めて、違法ではないとした。

 もちろん、参政権は重要であるが、一審判決は、小池さんの障害者としての権利について、全く考慮しないものであり、到底納得できるものではなかった。そこで、小池さん及び弁護団は、さらなる権利保障を求めて名古屋高裁に控訴した。

三 控訴審判決(二〇一二年五月一一日)

 慰謝料を三〇〇万円に増額。第二期のみならず第一期についての違法性をも認めた。弁護団及び小池さんは控訴審判決を評価し、上告せず。被告中津川市も「控訴する何もない」として上告せず。控訴審判決が確定。

四 控訴審判決の評価

 本事件については、昨年の団総会の際に資料として配付された愛知支部の「特別報告集 二〇一二年」の中で仲松大樹団員が極めて的確な評価をされているので、そちらを参照されることをお勧めする。また、控訴審判決全文は小池さんのHPにおいて入手できる。

五 事件を振り返って

 私は二〇〇六年一〇月に弁護士登録をした。小池さんの事件は同年一二月提訴であり、訴状を起案した。その後、当事件の事務局長であった林真由美団員が岐阜県美濃加茂市で独立され、私が事務局次長を拝命した。きちんとこなせるだろうかと不安になった。

 事務局次長になると、誰よりも先に被告の書面に目を通すことになる。とにかく、被告の書面が辛辣で読むのも辛い。一審判決が出た時も落ち込んだ。なかなか展望が開けず、被告らを見返してやるんだという矮小な心持ちで臨んでいた時期も、正直あった。しかし、小池さんや支援者、弁護団の先生方に支えられ、事務局次長という大役を何とかこなしてきた。

 控訴審判決を経て勝訴が確定したときに胸に去来したものは、「被告よ、ざまあみろ」というような気持ちでは全くなく、まず何よりも勝てて良かったという大きな安堵感、次に障害者の人権保障についてわずかであるかもしれないが前進をさせたという達成感、そして、もうこれで小池さんや支援者、弁護団で集まって会議をすることもなくなってしまうという寂寥感であった。

 これまでの弁護士人生(たった六年ではあるが)で最も思い入れのある事件であり、大きな財産である。

 最後に、各地の団員の方々には、多数、代理人に就任していただき、また議会への抗議行動にもご協力いただいた。二〇〇八年五月の岐阜県下呂市で開催された五月集会では支援決議もいただいた。本当にありがとうございました。


自治体が主導する震災復興事業について

〜宮城県気仙沼市の場合

東京支部  吉 田 悌 一 郎

 気仙沼市は、宮城県北部に位置する太平洋沿岸部地域であり、人口は約七万四〇〇〇人の宮城県内中規模都市で、二〇一一年三月一一日の東日本大震災によって甚大な被害を受けた地域の一つである。震災及び津波による死者は一〇一五人、行方不明者は三八八人、建物被害は一万七五一件(全壊+半壊)である。気仙沼市は、漁港としても有名な場所で、震災・津波によって漁船三五六六隻の八割が被災し、沿岸部の魚市場周辺は最大で一・一メートル地盤沈下した。

 気仙沼市は、現在合計九三地区で三五〇三戸の仮設住宅を建設し、そこに市の人口の約一一%にあたる約八二〇〇人が暮らしている。しかし、山が海に迫るこの地特有の地形のため、住宅建設の適地が少なく、山間部の極めて不便な場所にある仮設住宅も少なくない(なお、上記九三地区のうち二地区は岩手県一関市内に建設している)。

 気仙沼市は、二〇一一年一〇月、「気仙沼市震災復興計画」を策定した。この計画は、大まかに言って、(1)沿岸部の低地ゾーンは住宅の建築制限地域に指定し、この地で魚市場や水産加工工場を整備し、事業地として集積化する(南気仙沼地区の場合)。(2)それより山側の地域を盛土嵩上げゾーンに指定し、この地区は土地区画整理事業による地盤の嵩上げ造成、道路、公園等の整備、区画の整理等を行い、宅地の利用の増進を図る。そして、津波被害地域に居住していた住民の集団移転を促す。その際、市が造成した宅地は分譲又は賃貸となる。(3)また、津波等で自宅を失った被災者で、自力で住宅を建築することが困難な住民を対象に、災害公営住宅を建設する。(4)各沿岸地域に巨大な防潮堤を建設する、というものである。

(1)については、住宅跡地の集積化などを行うことによって、効率的な事業活動に資する大規模な工場や倉庫等の事業所の建設を計画している。(3)の災害公営住宅については、入居から三年間は、年収・世帯人数などにかかわらず継続入居が可能であるものの、それ以降は、世帯月収が一五万八〇〇〇円以内という利用制限がかけられる。

 私は、気仙沼市内の複数の仮設住宅を訪問し、この「気仙沼市震災復興計画」に関する複数の被災者の声を聞く機会を得た。まず被災者の口から出たのは、先行きに対する不安である。上記の盛土嵩上げゾーン等の整備は、早くても完成が平成二七年頃とのことであるが、こうした事業の常として計画がさらに遅れる場合も多い。仮設住宅には高齢の入居者も多い。夫婦二人で四畳半の仮設住宅に居住しているケースもある。上記のとおり、ただでさえ不便な場所の多い気仙沼の仮設住宅での不自由な暮らしを、一体この先何年強いられるのか、被災者の不安は大きい。

 災害公営住宅に関する意見も耳にした。現在市は、ある小学校跡地に一一階建ての災害公営住宅の建設を予定しているという。しかし、そもそも気仙沼市内には高層建築物はほとんどなく、マンションなども多くないため、住民はそもそも高層の集合住宅に住んだ経験のない人も多い。利便性の問題などもあり、高層集合住宅に住むことを好まない住民も多い。実際、新潟県では、中越沖地震の後に同様の災害公営住宅を建設したが、人気がなく空き家が出ているという。また、上記のように入居から三年を経過すると所得要件が課せられるという問題もある。

 そしてもう一つは、防潮堤の問題である。もともと気仙沼は、美しく青い海と緑溢れる大地に恵まれた地域で、住民にとっては海は常に身近にあり、磯の臭いや波の音は住民の生活の一部であった。まさに海というのは、気仙沼の文化の形成に不可欠の存在であり、住民の心の拠り所なのである。しかし、沿岸部に巨大な防潮堤が建設されると、当然海は見えなくなり、防潮堤の圧迫感によりこの地の景観は大きく損なわれることになる。さらに、防潮堤の建設が海の環境に負荷をかけ、環境破壊に繋がるとの意見もある。

 私は以前、岩手県大船渡市の震災復興事業を取り上げ、拙稿「自治体が主導する震災復興事業について〜岩手県大船渡市の場合」(自由法曹団通信一四三四号)にまとめた。しかし、今回気仙沼の被災者の声を聞き、大船渡の場合と比較しても、気仙沼の被災者は市に対する不信感や不満が非常に根強いと感じた。

 何より、この震災復興事業を主導する気仙沼市においては、こうした住民の声を真摯に受けとめ、住民の意見を丁寧に採り上げながら事業を行うことが必要である。

 その上で、事業に一定の時間がかかることはやむを得ないとしても、住民の先行きへの不安をできるだけ払拭すべく、事業の今後の見通しや具体的なスケジュールなどを含めた丁寧な情報公開を行っていくべきである。

 また、上記の災害公営住宅についても、地域住民の特性を無視した機械的で無機質な住宅建設を行うべきではない。被災者の生活上の最低限の利便性にも配慮がなされるべきである。上記の三年経過後の所得要件についても、機械的に適用するのではなく、被災者の実情に合わせた弾力的な運用が望まれる。

 さらに、防潮堤の建設計画には慎重な配慮が必要である。もちろん、あれだけの甚大な津波被害を受けた地域であるから、何らかの津波被害対策が必要であることは当然である。しかし、上記のように、海は気仙沼の文化そのものと言っても過言ではない。住民は長年海と共存しながら生きてきたのである。このことを無視して、はじめに防潮堤ありきという機械的な事業の推進を行えば、取り返しのつかない地域・文化・環境の破壊に繋がるおそれがある。そして、防潮堤はあくまで津波防災機能の一つではあるが、すべてではない。津波防災はただ一つの防災機能によって実現可能なものではなく、複合的な防災機能が合致し、連動して初めて実現可能なものである。

 震災復興事業の推進にあたっては、これらのことを肝に銘じてほしい。住民の意思と地域の実情に配慮しない復興事業によっては、真の復興はもたらされない。


原爆症認定制度を巡る現状と課題

東京支部  森   孝 博

 二〇〇三年四月以降、全国各地の裁判所で提起された「原爆症認定集団訴訟」(原告三〇六名、一七地裁に係属)は、相次ぐ原告らの勝訴判決とともに、(1)二度にわたる審査基準の改定(二〇〇八年三月「新しい審査の方針」策定、二〇〇九年六月同方針改訂)、(2)政府と日本原水爆被害者団体協議会(以下「被団協」)の「原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」(以下「確認書」)の締結(二〇〇九年八月六日)、(3)「原爆症認定集団訴訟の原告に係る問題の解決のための基金に対する補助に関する法律」(以下、「基金法」)の成立(同年一二月九日)という大きな成果を勝ち取りました。そして、上記確認書と基金法に基づき、係争中であった各地の集団訴訟は、一審判決の言渡しにより、一つ一つ終結し、二〇一一年一二月二一日に言い渡された大阪地裁判決をもって「原爆症認定集団訴訟」は終結しました。

 もっとも、「原爆症認定集団訴訟」の終結をもって原爆症認定制度を巡る問題が全面的に解決したわけではありません。厚労省は、相次ぐ国敗訴判決を受けて二度にわたり審査基準を改定したものの、いまだに「原爆症認定集団訴訟」で下された司法判断とかけ離れた認定行政を続けています。すなわち、(1)がん疾患については「新しい審査の方針」の定める積極認定の基準(直爆三・五km、一〇〇時間以内に爆心地二km以内へ入市など)をわずかでも超えると認定しない、(2)非がん疾患については近距離の直爆被爆者のみしか認定せず、入市被爆者・遠距離被爆者の申請をことごとく切り捨てるといった極めて不合理な線引きに固執しているのです。

こうした厚労省の姿勢の背景には、原爆放射線による被害の矮小化(とりわけ残留放射能〔誘導放射能、放射性降下物〕・内部被爆による影響の軽視ないし無視)があります。放射線の健康被害を矮小化することによって(1)核兵器の非人道性を隠蔽する、(2)原発を推進する、(3)戦後補償予算を抑制するといった一貫した意図があり、そのために原爆症認定行政において被爆の実相に反した不合理な線引きを続けているのです。

 このような厚労省・国の姿勢を改めさせるべく、「新しい審査の方針」のもとで原爆症認定申請を却下された被爆者が、広島、大阪、熊本、東京などの各地裁判所で却下処分取消しを求めて一斉提訴に立ち上がっています。

 それとともに、基金法附則に基づき、二〇一〇年一二月九日、厚労大臣主催により「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」(以下、「在り方検討会」)が設置され、法改正も視野に入れた原爆症認定制度改正に向けた議論が進められています。もっとも、すでにこれまで一八回(二〇一三年一月一五日現在)の検討会が開催されましたが、厚労省側の激しい抵抗があり予断を許さない状況が続いています。特に、第一四回検討会(二〇一二年九月七日)において、中間とりまとめに基づき新制度の方向性として三つの案が示されましたが、被団協案と異なり、厚労省案は現行の原爆症認定制度にわずかな手直しをするだけで、前述したような国による被爆者の不合理な差別・線引きを許すという現行制度の最大の問題を是正するものに全くなっていません。こうした案を新制度として認めるわけにはいきません。

 このような状況の下で迎えた二〇一三年は原爆症認定制度の抜本的改正に向けた重要な一年になります。弁護団として、一斉提訴でたたかっている原告・被爆者全員の勝利判決を勝ち取るために全力を尽くすとともに、在り方検討会や立法府への働きかけ等、運動面の取り組みも強めていく所存なので、引き続きご支援・ご協力のほど、よろしくお願いいたします。


「司法は自殺する気ですか。」

空襲訴訟・大阪高裁一・一六判決について

東京支部  坂 井 興 一

  (大阪空襲訴訟)昭和二〇年三・一〇の東京下町へのものを代表に、日本の主要都市を焼き尽くした空襲被害については、未だ一切の救済措置が為されないままである。累積五三兆、今尚、年五・六千億円に達する軍人・軍属諸氏への補償との違いの放置は幾ら何でもあんまりではないか。と云ったことなどで東京・大阪、そして昨夏からは沖縄でも空襲訴訟が係属している。その大阪高裁五民(坂本倫城裁判長)は、一月一六日、敢えて戦争損害受忍論を肯定する立場から大阪地裁判決を容認し、救済立法の不作為違法はないとしたが、後述するその要件論は、極めて高いハードルになっている。判決文は、原告側の主張を簡にして要を得た如くに引用し、詳細・丁寧に紹介検討したような体裁になっている。ところが判断の具体的な言い下しとなると、俄に一転して、「(軍人・軍属に)不合理に利益は与えていない、差異が拡大一途であっても著しい不平等ではない、」と、その差を合理化し、「如何に危険(な空襲下)でも(被災住民は)防空法制下で特別の関係に立つとはならない、(だから)アレコレの差異の容認は(立法府の)裁量逸脱ではない。」として、すべて切り捨ててしまった。(救済責任)三月一〇日のものに絞った東京訴訟と違い、大阪のは同年三月と六・七月のものに別れ、また別地域での被災も含まれている。それが両者の被害の意味の違いも示していて、つまりは、米国との関係では後続被害であり、帝国側の予測は可能故、不意打ちとは言いにくく、従って空爆の犯罪性とサ条約免責による救済代行責任も問いにくい。それ故、責任を承継する現日本国に対しては、先行被害と空襲の防御不能を秘匿し、防空・防火義務で縛り付けて損害を拡大・助長した責任が問われている。国体護持名目による帝国政府の降伏の遅れのため、残念ながら日常事になってしまった大阪などの後続の空襲被害では、銃後の一般人であるべき国民は、その拘束と負担に於いて、一体としての前線兵士扱いで、最早、軍属と変わらず、にも係わらず救済差別するのでは、「軍と民」の違いでの取り扱いの差異、軍民差別としか言いようがない。その関係で、銃後一般国民の防空・防火努力を強く要求したことの責任と、動員された軍属諸氏の負担との比較、救済の有無・規模の違いの合理性が主要争点となっていた。(差別の合理化)それ故、極端な差別解消のため、国による真摯な努力義務が期待されるのであれば、「事実上最初にして最大の不意打ち(犯罪)の三・一〇東京大空襲の被害者らが救済されるべきは自明のことであり、上告中の小生ら関係者が大阪裁判に注目していたのは言う迄もない。ところが大阪高裁は、「そうそう、その通り」と、相槌を打ちたくなる程、好意的装いで被災民の主張を整理紹介し、国側については「特別犠牲・損害論」への若干の反論や、昭和一八年一〇月当時の上田誠一防空局長(cf・「ある内務官僚の軌跡」の人)の帝国議会での防空法八条関係での疎開・退去・避難と云った言葉の整理程度の紹介で済ませた程度で、被害者要求は否定文言の羅列で切り捨ててしまった。その要件なるものは、刑事犯罪者処遇の場合でさえ考えにくい「殊更冷遇する特別の差別目的の立法など、極めて例外的な場合」等と言うのでは、言葉の遊び以前のこととしか思えない。また、「差異が著しく不合理、誰の目にも明らかなのに是正しない、極めて例外的な場合」と言うのは、極端の二乗三乗の表現で、今時、国会答弁でもお目に掛からない代物である。民間一般人が未救済であるため、軍人軍属諸氏とは「毎年一兆もの予算手当・累積一人一億五千万円の支給、かたやゼロ(判決の主張紹介)」の、拡大一途の差異は誰の目にも明らかだと思えるに係わらず、それを否定する弁明らしきものさえない。軍人・軍属と民間人の、概ね二つのカテゴリーだけの単純明快で対比可能のものが、どうして「極めて例外」の「極端なケース」ではないから、立法府の裁量に従えとなってしまうのか。ならば、裁判所が「これではあんまりだ」と言って呉れるのはどんな場合だと言うのか。(司法不要宣言)而して、この高裁判決は、「摘示主張の認定作業では何が不足だと言うの?」との、極く当たり前の疑問への答えもないうえ、判決の終わり方も分断しての切り捨てだけである。それ故、隔絶した両者の違いについては、細密画の描き捨て同様、トータルとしての結論の合理性の有無がまるで分からない。東京空襲訴訟では「戦争損害受忍論」が遠慮がちの言い訳に使われていたが、ここでは殆どそれで開き直っている。みながそれで我慢しているなら兎も角、責任も政治力もない人たちだけに強いる我慢の受忍論を、無批判に垂れ流すとはどう云うことなのか。事実摘示による主張紹介を、被害者への共感の域に達したかと思われる程の書き振りを示しながら、極端に厳格なハードルを課して立法不作為責任を否定する。歴史的大事件についての不作為違法判断には、それなりの概要認定が必要であるとは云え、その関連のことに国側は一貫して対応を拒否していて、それなら擬制自白扱いでもいいのだが、それも国側と公刊の資料、それにこれ迄の篤志研究のお蔭で充分認定可能になっている。にも係わらずのこの肩透かし手法は訟務検事とも共通し(cf・「法と民主主義」二〇一一年五月号「戦後補償と憲法」(鹿児島大・大野友也準教授(当時))、要するに、草臥れる(かも知れない)認定作業を省略する意図を持っている。「事実認定に踏み込みたくない、したら国が負けになる。だから(主張摘示では住民サイドに立つ装いとなっても仕方がないが)、認定作業が不要となる極めて高いハードルを設ける。」との論理展開の本音が透けて見える。裁判所が安心して違法宣言する議員定数訴訟は、形式論で済まそうとすれば事実認定は至って容易で、然し一票の格差の意味合いは、幾ら何でも空襲訴訟で言う「殊更冷遇、特別の差別目的、極めて例外等、意図的・極端、」とかの最大級の措辞で言うようなものではない。裁判所は、「軍人・軍属優位、立法府優位」のお役人社会共有の通奏低音を感じ取り、保身からの受忍論の振り回しと、面倒な作業を厭う怠慢と、政・官サイドからの批判・反発から逃れたいとの怯懦から、非常識で極端な要件設定で煙幕を張ったことが透けて見える。このズルイ流儀のため、世界相場とも違って、この国の民間被害者だけが放置され、おかしな理屈を付けてまでの格差は、「申し訳ないからあの人たちにも廻して!」との声が聞こえてても尚、継続し拡大している。結果、かの日の孤児たちは、何時までも完了形にならない寂しさと怒りで官尊民卑のこの判決を迎えたであろうと思い、他人事ならず拙文を寄せた次第である。取り敢えず指摘したいのは、判決が棄却の言い訳にするとんでもない要件についてであるが、そんな言い方は、身近なところで韓国憲法裁判所とは余りにも違い過ぎ、「司法は不要、違憲立法審査権もそれに類する立法不作為違法宣言も不能・不要」となってしまうことと、クレバーだが、逃げの姿勢に馴染み過ぎて臆病の自覚さえなくしている在朝司法官諸氏に対し、「あなたは不要なのですか、自殺する気ですか。」と問いたくなるのである。


TPP問題で食健連と自治労連を訪問してきました

事務局次長  瀬 川 宏 貴

一 食健連、自治労連と懇談を実施

 国際問題委員会ではTPP反対運動をしている団体を訪問し、懇談を行うという取り組みを行っています。

 昨年一二月六日に食健連に、今年一月二二日に自治労連を訪問し、懇談を行ってきましたので、本稿で報告したいと思います。

二 食健連の取り組み

 食健連は、「食糧と健康を守れ」「それを支える地域農業守れ」という国民要求実現を目的として、全労連や農民連など、様々な団体が加入する組織で、TPP反対運動では各団体の中心となって運動を進めています。いわゆる民主団体だけでなく潮流の異なる団体と一点協働してTPP反対の取り組みをしています。農協・医師会・パルココープなどで作るTPPを考える国民会議や、TPPを慎重に考える会(国会議員の議員同盟)とのつながりを持つなどして活動しているそうです。二〇一二年三月には、民主団体、消費者団体などの市民団体、生協団体などでストップTPP市民アクションを結成し、官邸前行動などの行動を行っています。昨年四月二五日は日比谷公園でキャンドル集会を行い、同年六月にはニュージーランドの教授による講演会を行ったそうです。ストップTPP市民アクションでは月に一回定期的に会議を行っており、昨年末から団でもその会議に参加しています。

三 自治労連の取り組み

 自治労連では、二〇一一年にTPP反対リーフを作成し、同年一一月に自治労連として初めて日本医師会と懇談を行ったそうです。また、岩手や三重など各地でJAや医師会などと懇談などを行っているとのことです。自治体憲法キャラバンでは、再生エネルギー問題とTPP問題を前面にかかげて行動しているそうです。ただし、TPP問題の研究はあまり進んでいないということで、政府調達の分野など研究の必要があるとのことでした。この点で考えられる政府調達条項による影響、すなわち外国企業と日本・国内企業に差をつけてはならないとなり、自治体が地元経済に対して保護的な政策をとることができなくなる、また、自治体が英語で入札の案内を作らなければならず、事務作業も膨大となる、といったことを意見交換しました。

四 その他情勢―米韓FTAに基づき米投資ファンドが韓国政府を提訴

 その他の情勢として、昨年一一月に米投資ファンド・ローンスターが米韓FTAのISD条項(投資家-国家間訴訟条項)に基づき、国際投資紛争機関に韓国政府を提訴した事件をご紹介します。事件の概要は、ローンスターが買収した韓国外換銀行の売却の過程で韓国政府が承認を遅らせ、恣意的で差別的な課税措置により損害を受けたとして、韓国政府に損賠賠償を求めるものです。

 これは、米韓FTAによる初の提訴事件で、韓国では早速ISD条項の見直しが叫ばれているようです。この事件は日本がTPPに参加すると何が起きるのかを具体的に示すものであると思いますので、今後も動向を注視していきたいと思います。


給費制廃止違憲訴訟へ

東京支部  宮 里 民 平

一 現在の司法修習制度

 新六五期司法修習生より、給費制が廃止されたことはご承知のとおりである。

 現在、司法修習は一年間、前期修習は廃止され実務修習から始まる。各地へ配属されるが、引越費用や赴任手当は支給されない。実務修習中、自宅から裁判所までの通勤費用等も支給されず、家賃手当もない。実務修習を終えると、和光で集合修習が始まるが、寮には、全員が入れるわけではなく、集合修習の二か月間のためだけに家を借りなければならない者もいる。その場合でも、特段の手当てはない。公務員の共済組合にも入ることはできないし、貸与金の免除の制度があるわけでもない。

 これが、現在の司法修習であり、この一年間、司法修習生は国や親戚などから『借金』をして生活を送るのが通常である。

二 給費制廃止の弊害

 給費制が廃止されたことの弊害は大きく二つある。

 一つは、司法の役割の崩壊を招きかねないこと。統一修習は、法曹三者を国家の責任で養成し、基本的人権を守るための司法を作るという理念の下始められたが、上記のとおり、現在の法曹養成は、司法修習生の『自己負担』の下で行われており、これでは、司法の担い手がいなくなり、司法の役割の崩壊を招きかねない。

 もう一つは、若手法律家の窮状に追い打ちをかけるという点である。若手法律家を取り巻く状況は、毎年、厳しくなっており、法律事務所等への入所も競争が激しく、入所後も十分な収入を得ることができるという保証はない。法科大学院に通うために借金をし、司法修習を受けるために借金をするということのリスクは非常に大きく、現に法曹志望者は激減している。

三 給費制復活運動の一環としての訴訟

 いよいよ、新六五期を中心に、給費制廃止違憲訴訟を提起する予定であるが、そもそも、国が、市民に対して一年間も働くことを禁じながら、何の生活保障もない制度など許されるはずがなく、新六五期の給費制廃止に対する怒りは大きい。また、給費制は、憲法の定める司法の役割の実現に不可欠であり、給費制は憲法上保障された権利であるともいえる。

 さらに、これまで給費制復活のための運動を続けてきたが、マスコミはこの問題についてとりあげることは少なくなり、政府が設置した法曹養成についての検討会議は、貸与制を前提とした議論しかしない。国会議員への要請を何度やっても前に進まない。もはや、給費制復活運動は手詰まりの段階まで来ており、このままでは運動が終息してしまうのではという危機感は大きくなる一方であった。

 そのような状況で訴訟を提起するか否かについては、様々な意見があったが、給費制復活運動を終わらせないためにも、訴訟という手段が必要なところまで来ているとの決断であった。

 この訴訟の面白いところは、給費制が復活しない限り終わらない点だ。新六五期司法修習生の訴訟だけではなく、今年の一二月には六六期司法修習生が訴訟を提起する予定であり、来年は六七期が提訴し、その次は・・・と、勝つまで続けることが可能なのである。

四 今後の課題

 この訴訟は、多くの若手弁護士によって担われているが、経験不足は否めない。是非、諸先輩方の貴重な経験をこの訴訟に生かしていただきたく、我々も、先輩方からのアドバイスを真摯に受け止め、訴訟を維持していかなければならない。

 また、経済的負担を問題とするならば、法科大学院にも問われる。法科大学院に対する意見も様々であるが、このままでよいという論調はあまりない。法曹養成制度として、どこまで真剣に向き合えるのか、給費制は最初の一歩にすぎない。


ドラッカー著「『経済人』の終わり」の勧め

大阪支部  井 上 洋 子

 一月一九日、名古屋での団本部常任幹事会に出席したところ、名古屋の若手弁護士の活動が紹介されました。その中のレジュメの一つに、講読会をしてサンデル、ドラッカー、グリシャムを読んだ、と記載がありました。私はそれを見て、恥ずかしながら「ドラッカーって誰?」「私、知らないわ。」と思い、急遽調べました。そして、ドラッカーには、数ある著作の中の一つに、ナチスの迫害を逃れてヨーロッパからアメリカに亡命した後の一九三九年一月に出版され、当時のファシズムを分析した政治の書「『経済人』の終わり」という著書があることを知り、さっそく名古屋で購入して読みました。

 これが、非常に興味深かったので、まだ読まれたことのない方には一読をおすすめします。内容をきわめて単純化して簡単に報告します。

 ドラッカーは、ファシズム全体主義の特徴として三つを挙げています。

(1)否定がその綱領であること。前向きの信条がない変わりにおびただしい否定があること。

(2)権力は自らを正当化すること。それまでのヨーロッパ社会では、王権神授説にせよ社会契約説にせよ、権力の正当化根拠を求めてきたが、ファシズム全体主義は、権力をとったから自らは正当であると考えること。

(3)公約は矛盾だらけであること。しかし、聴衆は、信条と公約に対するそれまでの不信と絶望ゆえに、大衆がファシズムを信任し、大きな嘘に熱狂すること。

 すなわち、当時、大衆は、第一次世界大戦での惨禍を経験し、経済的困難に苦しみ続けていたが、ブルジョア資本主義もマルクス社会主義もその苦しみから大衆を救ってくれるものではなかったという絶望から、いわば奇跡か魔法を信じるかのように、ファシズム全体主義の矛盾だらけの大きな嘘に賭ける心情になっていった、と分析しています。

 ドイツとイタリアにおいてファシズム全体主義が支配したのは、歴史的な国家の成り立ちから、両国においては国家統一への願望が強く、その分、他国よりも民主主義の全体主義に対する抵抗力が弱かったと分析しています。

 ユダヤ人虐殺については、ファシズム全体主義がブルジョア秩序を敵としたことに始まる。当時ブルジョア階級はドイツ人とユダヤ人とが担っていた。同国人であるドイツ人を敵として非難することはできない。そこでユダヤ人をブルジョア秩序の表象として攻撃の対象とした。当時のドイツは、ナチス前のドイツはヨーロッパではもっともユダヤ人差別が少なく、ドイツ人とユダヤ人との通婚も多く、ブルジョア階級はドイツ人とユダヤ人とが友好関係をもって経済活動をしていた。憎しみも否定もないところへ、作った否定を持ち込んだ。現在の経済苦を招いたブルジョア資本主義の失敗は、ブルジョア階級にあったユダヤ人のせいだ、と主張する方策をとった。しかし、経済苦はもともとユダヤ人のせいではない。ユダヤ人を弾圧しても経済は上昇しない。すると経済が上昇しない理由を、さらにユダヤ人への対応が手ぬるいからだと、否定をエスカレートさせていくしかない。と分析して、最終的にホロコーストにつながっていった道筋を説明しています。

 また、ナチスの支持拡大については、ナチスは、失業にあえぎ貧困に苦しんでいた経済的困難層の人々に、非経済的な贅沢(演劇、オペラ、コンサート、旅行など)を与えたり、経済的地位と切り離された社会的に優越な地位を与えたり、精神的報償を与えることによって、ひとときの救いを与えた。また、経済的に恵まれてきた層は社会的に劣位な地位にすることによって貧困層の妬みを満足させた。そして失業の代わりに党の役務や軍務を与えることで、自分は社会の役にたっているという満足感を与えた。こうして経済的貧困層の支持と組織化を進めていった。と書いています。

 軍国化については、社会的役割と経済的役割を分離することで、経済は社会的制度に従属するものとなり、国家管理化へ入っていく。輸出入も管理していく。輸出入管理をして国家の政経を建てるためには、自国で調達できない物品を産出する国を支配する必要がある。そのためには軍国化して他国を制覇する必要がある。そして国家全体が一つの軍となり上意下達で動く方式へと進んでいく。しかし、経済活動的には不合理な選択なので、ファシズム全体主義の経済的崩壊は時間の問題である。と分析しています。

 この本は、一九三八年ころまでのナチスの政策やヨーロッパの状況などを元に、その時代に書かれているのでとても興味深いです。

 さて、この本の説を、現代の橋下大阪市長に当てはめた場合、(1)橋下氏が既存の価値観や制度への否定ばかりを言うこと、(2)橋下氏は、反対意見に対しては、文句があるなら選挙して俺を落とせばよい、と自己の主張の正当化根拠として自分が権力を握ったことについてたびたび言及すること、(3)橋下氏のその言説は矛盾に満ち、豹変すること。しかし何か変えてくれるのではないかという奇跡を待つような思いが、今の不況にあえぐワーキングプアや失業者や閉塞感の中の若者の絶望に依拠しやすいこと、など、橋下氏の手法はまったくもってファシズム全体主義的であると思います。

 私は、この本を読んで、「橋下氏もときどきは良いことを言う。」「この政策なら橋下氏と共同できる。」といった考えは、甘く危険なもので、否定すべきだと感じるようになりました。橋下氏の行動原理は既存のものの否定です。そこに前向きな理念があるわけではありません。ですから共同は決してできないと思います。

 大阪市立桜宮高校の体罰への対応の議論で、橋下氏が言う学校改革の手法ももっともだという説がありました。しかし、私たちは学校改革として何をなすべきかを論じるべきであって、その結論が橋下説とたまたま一致したからといって、橋下氏を評価することには危険を感じなければいけないと思います。

 そして、ファシズムを跋扈させないために、絶望と妬みを膨らませない社会を作る努力をしなければいけないと思います。

 余談ですが、この本には「民主主義以外には社会的平等を求める基盤をもたないユダヤ人」との表現がありました。私この表現を読んで、ユダヤ人は他国に居住する場合は、民主主義の擁護者であり自らのためにリベラルである必要があるが、自らの国イスラエルにおいてはもはや民主主義をさして必要としない、ということがよくわかりました。アメリカにおけるユダヤ人のリベラル派としての英明と、イスラエルのパレスチナに対する態度とが、私には矛盾に感じられていたのですが、この本でそれは矛盾ではないということが、ようやくわかりました。

 たくさん刺激を受けるとてもおもしろい本でした。

(二〇一三年一月二二日記)


はじめまして

〜自由法曹団女性部新年学習交流会及び新人歓迎会に参加して〜

東京支部  畠 山 幸 恵

 新人会員の、新第六五期畠山幸恵です。二〇一三年一月一六日、新年学習交流会及び新人歓迎会を開催していただいたので、ご報告します。

 新人学習交流会の講師は、(株)資生堂元監査役、ニ弁「男女共同参画基本計画」策定当時から有識者委員を歴任され、現在、都労働委使用者側委員もつとめておられる大矢和子先生です。大矢先生からは、「資生堂のおもてなしクレドから学ぶ、相談者が望む法律相談の在り方を考える」という講演をしていただきました。

した。

 資生堂では、お客様への説明よりも、お客様が何を望んでいるのか、何に悩んでいるのか、要望が何かということをきちんと聞くことを重要視しているそうです。そして、紹介した商品の効果をきちんと伝え、お客様に購入の決定をさせる。これによって、お客様は、自己決定でしっかり納得をして商品を購入することができるのだそうです。さらに、アフターケアの提供を伝えることで、安心にもつなげることが一連のサービスとなっているそうです。これに対して、出席された先生からは、「法律相談で真の要望が何かを聞き出すのが、一番難しい」という経験談も出ました。

 資生堂では、おもてなしの信条の体現のため、感性工学的アプローチによる研究等を行っているそうですが、整容の乱れが専門性のイメージを低下させるというデータがあり、驚きました。

 また、大矢先生の考える、相談者が望む法律相談についてもお話しいただきました。まず、弁護士は、敷居が高く、相談をするにも、「こんなことを聞いたら変かな?」など、相談者は不安をもっているので、笑顔で対応して不安を取り除いてほしいこと。威圧感をもたせないこと。相談者の話をよく聞いて、どうしてほしいのかを見極めること。難しい法律用語をやさしく説明してほしいこと。特に、法曹間ではわかりやすくても、相談者にとってはまだまだ難しいので、もっと平易に説明してほしいとのことでした。そして、今後の流れなど手続きの全体像などを早い段階で説明してほしいこと、依頼者はいっぱいいっぱいで相談に訪れるので、時には人生相談にも乗ってほしいこと(人生相談で解決策が見えてくる場合もある)などでした。

 さらに、女性の気になる化粧については、他人から自分へのコミュニケーションだけではなく、自身の心理的要素に作用して、自分から他人へのコミュニケーションへも影響するのだということも教えていただきました(認知症対策にも!)。

 その後、十九時からは、新人歓迎会を開催していただき、おいしい食事に楽しい話と、とても有意義な時間を過ごすことができました。同じ女性弁護士の先輩方の女性ならではの悩みや工夫も教えていただきましたし、大矢先生にも講演会に引き続きいろいろなことを質問等させていただきました。大矢先生がおっしゃられたことで印象的なことは、「弁護士には、いつもキラキラした憧れの先生でいて欲しい」ということです。親しみやすさを損なわず、女性ならではのおもてなしができるキラキラした弁護士になろうと決意したのでした。