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<<目次へ 団通信1447号(3月21日)


松井 繁明 坂本福子さんを偲んで
吉田 悌一郎 裁判へ立ち上がった区域外避難者たち
〜福島原発被害首都圏弁護団、三・一一東京地裁提訴〜
岡田  尚 大風呂敷を広げず 勝つまでたたまず(その二)
―竹澤哲夫先生へのオマージュ―
松村 文夫 解雇三件・高裁で勝訴判決
― 穂高白百合荘労組事件 ―
井上 耕史 債権法改正・中間試案が公表されました
小野 通子 「明日の自由を守る若手弁護士の会」第一回総会にぜひご参加ください
今泉 義竜 四月一三日 四団体合同事務所説明会(東京以外の事務所)へご参加ください



坂本福子さんを偲んで

東京支部  松 井 繁 明

 一月のなかば「赤旗」紙上で坂本福子さんの逝去を知り、つよい驚きと衝撃をうけました。

 じつは昨年の七月ごろ私は、妻の美紀とともに、坂本修さん、福子さん夫妻と会食しました。会食の名目は修さんの出版を祝うことだったので、編集に多少かかわった私は始めから出席を予定していました。美紀の出席は「ひさしぶりに会いたい」という福子さんのご指名によるものでした。

 美紀はかつて、ラジオ単営局の「ラジオ関東(現、ラジオ日本)」の組合員で、のちに民放労連婦人(現、女性)協議会議長なども務めました。当時の民間放送では、女性にたいする二五歳や三〇歳の若年定年制や結婚退職制が公然と存在し、女性アナウンサーを「美貌が衰えた」という理由で事務職へ配転するような事件が続出していました。そんなこともあって二人は近しい関係になったのでしょう。

 その日の会食は、渋谷のピッツァ専門店で福子さんが選んだおいしいワインを飲み、ピッツァをつまみながらなごやかに談笑して終わりました。ところがその日の直後に福子さんが心臓の病で倒れ、私たちも大変心配しました。しかし一月にはいると、東京法律事務所の「たより」や坂本ご夫妻の年賀状などで福子さんが原稿執筆ができるまで回復された近況が記され、年賀状には福子さん自筆の添え書きまでありました。そこでは私たちの健康まで気遣ってくれていました。これで安堵した矢先の「赤旗」記事だったので、驚きと衝撃が深かったのです。

 福子さんが六〇年代から今日まで、男女差別や女性の人権に関わる諸事件に果敢に挑戦し、多大な成果を積み重ねられたことは、周知のところです。福子さんはまた、裁判だけではなく講演や執筆活動、さらには組織活動をつうじても、男女差別の解消のために奮闘してこられました。これらについてはおそらく、私よりも事情に明るい人びとによって追想・追憶が書かれることでしょう。

 ここではいくつかエピソードを記しておきます。

 福子さんに接した人は誰でも、その人柄の優しさ、穏やかさを感じたことでしょう。しかしその福子さんには「厳しい弁護士」としての側面がありました。たとえば、これこれの証拠や資料が必要だから探してほしい、と言う。言われた労働者も探すのだが、見つからない。見つからない理由も説明するのだが福子さんは一歩を退かず「探してほしい」と言いつづけるのだそうです。労働者たちが困った、と嘆いているのを聞いたことがあります。私ならすぐあきらめてしまったことでしょう。福子さんが勝訴し、私が敗訴してしまうのはここに差があったのではないか、と思ったことでした。

 芝信用金庫の男女差別賃金を担当していた福子さんは、いつも悩んでいました。労基法は男女間の賃金差別そのものは禁止しているが昇給・昇格差別を禁じていないので、裁判所が損害賠償までは認めるが、昇給・昇格は認めない、どうしたらよいのか、というのがその悩みでした。会うたびに質問されるので、私もこんなことを答えた記憶があります。―男女差別の禁止は憲法の大原則。戦後の混乱期に制定された労基法に昇給・昇格差別の禁止が規定されていないのは「法の欠缺」であり、それは憲法原則によって補修されるのではないか、などと。しかし福子さんが納得した顔をされたことはありませんでした。考えてみれば福子さんは、私の言ったことなど、とっくに考えつくされていて、しかしそれでは裁判官を説得できない状況を肌身に感じておられたからでしょう。それにつけても、芝信用金庫の男女賃金差別事件が勝訴して最高裁で勝利和解したことは、嬉しいことでした。

 さて福子さんが亡くなって、心配なことが二つあります。

 ひとつは、修さんのことです。二人は本当に愛しあっていた夫婦で、修さんも福子さんを支えてきましたが、同時に多くを福子さんに頼ってきたのも事実です。福子さん亡きあとの修さんを心配しているのは私だけではないでしょう。親しい後輩の私たちの責任なのでしょうが、さてどうしたらよいのか、戸惑うばかりです。

 もうひとつの心配は、福子さんの仕事をだれが引き継いでゆくのか、ということです。

 日本はまだ、ジェンダーフリーの問題では発展途上国です。女性の社会的地位や権利の向上のために為すべきことは山積しています。私たちにはこの課題が残されているといわざるを得ません。

 しかしこの点では、私は楽観的です。おおくの若い弁護士らが力を強めているからです。集団の智恵と力を集めてゆけば、困難な課題を背負ってゆくことは充分に可能でしょう。

 まるで「家制度」の復活をめざすかのような安倍改憲内閣にたいし、私たちの総力をあげて闘い、さらに女性の地位を向上させていこうではありませんか。

 福子さんの生涯を偲ぶとき私には、一輪の清冽な水仙の花が想い浮かびます。

 知る人ぞ知るように福子さんは、保守派を代表する司法界の重鎮のひとり五鬼城最高裁判事の娘であり、実兄は最高検から最高裁入りした藤島判事です。このような家庭に生まれ育ちながら、労働者を守る弁護士の途を選ぶ。ここには、どれほどの重圧と困難が伴ったかは、想像することさえ難しいでしょう。しかしこれらを平然と乗りこえおこなってしまうところに福子さんの真骨頂がありました。

 宗教心のない私でさえ、福子さんの霊の安らかなことを願わずにはいられません。



裁判へ立ち上がった区域外避難者たち

〜福島原発被害首都圏弁護団、三・一一東京地裁提訴〜

東京支部  吉 田 悌 一 郎

 あの震災・原発事故から丸二年になる今年の三月一一日、福島原発被害首都圏弁護団(共同代表、中川素充弁護士、森川清弁護士)により、東京地方裁判所に提訴が行われた。原告は、福島県いわき市から東京都内に避難している三世帯八名の避難者で、加害者である国と東京電力を被告として、損害賠償を求める裁判を起こした。

 正確な人数は公表されていないが、いわゆる政府による避難指示の地域以外の地域からも、東京都内に避難している人が相当数いる。福島原発事故は未だ収束しているとは言い難い状況であり、避難指示区域以外の地域でも、いわゆるホットスポットと呼ばれる放射線量の高い地域がたくさんある。特に幼い子どもを持つ世帯などは、こうした区域で安心して生活することができず、避難を選択する場合がある。俗に「自主的避難」と呼ばれている人たちである。こうした避難者もやむにやまれず避難を選択せざるを得ない状況に追い込まれているのであり、決して「自主的」に避難を行っているわけではない。その意味で私たちは、「自主的避難」という言葉は使わず、「区域外避難」という言葉を用いている。多くは、地元に夫を残し、母親が幼い子どもを連れて避難しているという、いわゆる二重生活世帯が多い。

 しかし、こうした区域外避難者の救済は、あらゆる面で置き去りにされている。

 まず、原子力損害賠償紛争審査会の中間指針においては、原発被害の損害賠償について、区域内からの避難者と区域外避難者とは明確に基準を分け、区域外避難者にはほとんど見舞金程度の賠償基準しか認めていない。その上、加害者である東電は、区域外避難者に対しては仮払補償金の支払いを行わず、本賠償についても、原則として中間指針追補の水準での賠償にしか応じない姿勢を明確にしている。

 それだけでなく、区域外避難者は、あらゆる公的支援についても区域内からの避難者と比べて差別的な扱いを受けている。たとえば、区域内からの避難者は、現在医療機関における国民健康保険や後期高齢者医療制度の一部負担金、介護保険の利用者負担額等の支払いを免除する措置が採られているが、区域外避難者の場合は、震災によって自宅が全半壊する等、地震・津波の被害に遭った場合を除けば、医療費の免除を受けることができない。また、日本赤十字社の義援金についても、区域外避難者は、区域内からの避難者とは異なり、やはり地震・津波の被害を受けた場合でなければ、配分の対象とされなかった。さらに、区域内からの避難者については、現在高速道路の無料化措置が継続しているが、区域外避難者については平成二四年三月末をもってこの無料化措置が打ち切られてしまっている。

 上記のように、区域外避難者は地元に夫を残し、母子で避難するという二重生活を強いられている場合が多く、その分余計な生活費や交通費の負担が重くのしかかる。しかし、賠償手続は進まず、公的支援もほとんどない状態である。 

 今回原告の一人のAさんは、約一年前の三月二七日に原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)に和解仲介の申立を行った。ところが、何と、このAさんのケースは何度か書面のやり取りがなされたものの、現在に至るまで一回も期日が開かれずに放置され、挙げ句の果てには、担当調査官が「口頭審理は不要と考えている。文書で仲介案を出す。」などと言い出す始末である(結局、現在に至るまでその文書の仲介案すら出ていない)。このことは、区域外避難者は原発ADRにおいても差別的な扱いを受けている事実を示すと同時に、そもそも原発ADRが被害者救済の制度として完全に破綻していることを示すものである。

 その上さらに、区域外避難者たちを追い込む事情がある。それは、区域外避難者が上記のような差別的な扱いを受けていることに加えて、ほとんどマスコミ等で報道されることもないため、被害実態が世間に理解されないことだ。本当は避難の必要がないにもかかわらず避難生活をしている「エセ被害者」扱いを受けることもあり、実際、インターネットなどで区域外避難者を激しくバッシングする言動が投稿されるなどしたこともあった。こうした世間の無理解が、余計に区域外避難者を萎縮させ、声を上げにくくしている事情がある。今回の提訴にあたっても、提訴したい気持ちはあっても躊躇してしまう避難者は多い。その中で、今回の三世帯の原告は大変な勇気を振り絞って提訴を決断したのである。

 結局、この区域外避難者の問題は、水俣病の未認定患者の問題とも共通するように、国や加害企業による被害の線引き、切り捨てなのであり、これを許さないためのたたかいなのだ。原告たちは、区域外避難者の被害を世間に理解してもらいたい、分かってほしいとの一心で、裁判を起こすことにした。

 しかし、今回の提訴によって、萎縮していた区域外避難者たちに変化が見られた。自分たちも原告に加わりたいと新たに決断する人や、マスコミの取材に積極的に応じようとする人たちが出始めたのだ。

 たった三世帯から始まった裁判、しかし、これを川切りに大きく被害を訴え、広げて行きたい。たたかいはまだ始まったばかりである。



大風呂敷を広げず 勝つまでたたまず(その二)

―竹澤哲夫先生へのオマージュ―

神奈川支部  岡 田   尚

○「キンツマは、キンツバと思っていたよ」

―多摩川水害訴訟事件―

 一九七六年二月に提訴した多摩川水害訴訟は、団長が竹澤先生、副団長が豊田誠団員、高橋利明弁護士、事務局長が篠原義仁団員と自由法曹団の団長、幹事長、青法協の議長を務めた弁護士が集まった超豪華弁護団であった。原告団も団長は、引退はされていたと思うが、大手私鉄の偉い方で、事務局長は詩人の土井大助さんだった。弁護団合宿も労働事件とは様相を異にし、原告団長の計らいで箱根仙石原のハイランドホテルで、ワインとその場で焼きあがるローストビーフを食し、テニスなどを楽しんだ。もちろん、あのメンバーである。議論は、侃々諤々であった。多摩川水害は、八千草薫が主演した「岸辺のアルバム」というテレビドラマのモデルにもなった。「金曜日の妻たち」略して「キンツマ」のはしりである。竹澤先生は、ある日恥ずかしそうに「キンツマはキンツバとばかり思っていたよ」とのたもうた。これが冗談なのかどうかは聞かなかった。竹澤先生なら本気かも知れないと思ったもので……。

○「そこまでの認識が不足していた。思いが至らなかった」

―刑事確定訴訟記録法事件―

 一九八九年五月三日の憲法記念日を選んで、静岡地裁沼津支部の休日受付に、ジャーナリスト江川紹子さんを申立人とする刑事確定訴訟記録法第八条に基づく、記録閲覧拒否に対する準抗告を申立てた。三島警察署の留置場において、看守が女性被疑者に対し、暴行したとして特別公務員暴行陵辱罪に問われ、有罪判決を受け、確定していた。江川さんがこれの閲覧を申請したところ、沼津支部の検察官は「どこの馬の骨か判らぬ人間に閲覧はさせられない」(本当にそう言ったそうだ)として全部の閲覧を口頭で拒否した。「文書で理由を示せ」と要求しても、それすら応じなかった。江川さんは、当時神奈川新聞を退職し、フリーランスになって間もなくで、今のように著名ではなかった。怒った江川さんから相談を受けた私は、閲覧拒否に対し、準抗告ができることを知って「これは裁判の公開や知る権利の問題である。正に憲法訴訟である」として五月三日に申立てたのである。

 この裁判自体は、裁判所と検察庁の談合により、裁判の途中で大半を「閲覧させます」と検察庁が和解を申入れてきた。こちらは「全部の閲覧拒否処分の違法性を問うているのだ」としてこれを断った。決定は、「閲覧許可した部分については、今では争う法的利益がないとし、依然として閲覧を許さない部分については、法で規定する拒否事由に該当する。」として棄却した。最高裁に特別抗告したが、結論は変わらなかった。

 この事件で私と江川さんは、東大に奥平康弘教授を尋ねて、憲法的観点からの意見を聴いた。奥平教授は、刑事確定訴訟記録法四条二項の閲覧拒否ができる場合の規定たとえば三号の「閲覧させることが公の秩序又は善良の風俗を害することとなるおそれがあると認められるとき」は、裁判の公開や知る権利について憲法の保障するところからして、検察官に広範な裁量を与えすぎ、先進諸外国に類を見ないもので、違憲の疑いがあると指摘した。

 私は、その意見をもって、刑事確定訴訟記録法の制定に尽力された竹澤先生に「再審との関係等で、刑事確定訴訟記録の保存が課題で、立法化されたことについては評価するが、閲覧の点に限ると刑事訴訟法五三条が『何人も、確定記録を閲覧することができる』とし、その例外として拒否できるのは、但し書きで『保存又は裁判所若しくは検察庁の事務に支障があるとき』に限られているのに、刑事確定訴訟記録法は閲覧制限が保管検察官の裁量によって広く認められることになる。改悪ではないか。また、なんで確定記録の保管が裁判所でなく、訴訟当事者の一方である検察庁なのか」と見解を質した。今思えば相当厳しい質問であった。

 生意気な私の問いに、竹澤先生は実に謙虚に「保存に一生懸命で、閲覧について自分の認識が足りなかった。」と素直に反省された。検察庁保管については、「私も裁判所だと主張したのだが…」と残念そうに述懐された。

 この時も、「立法化するにあたっての私の苦労も知らないで」とか「この法律が出来たことで、君がやってる不服申立てもできるようになったではないか」という自慢話あるいは弁解がましいことは一言も言われなかった。

 後日談になるが、江川さんの申立が五月四日付けのいくつかの新聞で報道され、その新聞記事を見たオウム真理教の信者となって出家した娘の母親が、新聞社を通して相談してきた。「今まで、警察をはじめ、いろんな機関や人に相談しても埒が明かなかった。この人なら何かしてくれる」と思ったそうだ。江川さんが私にもちかけ、結局、私が当時在籍していた横浜法律事務所の一番の若手であった坂本堤弁護士が担当することになった。いや、正確に言うなら私が彼に振ったのだ。そして、ちょうど半年後の一一月三日から四日にかけて、坂本堤はオウム真理教によって妻子もろとも惨殺された。この事件の報道がなければ、オウムと坂本堤あるいは江川さんとの結びつきはなかったかもしれない。事件発生から終結までいや今でも、私の心には重い澱となって残っている。

 偲ぶ会当日、竹澤夫人が「東京演劇アンサンブル」の舞台女優だったとうかがって驚いた。「あの」竹澤先生が、新劇の女優さんとどこでお知り合いになったのであろうか。実は私は、同劇団の練馬区武蔵関にある「ブレヒトの芝居小屋」に相当数通った。昨年九月のアーノルド・ウェスカー作「大麦入りのチキンスープ」の公演に際しては、頼まれてパンフレットに「サラ―持続する志」の一文を寄せている。縁は奇なものだ。



解雇三件・高裁で勝訴判決

― 穂高白百合荘労組事件 ―

長野県支部  松 村 文 夫

 以前も報告しました(一四二五号)が、特別養護老人ホーム穂高白百合荘で労働組合を結成したところ、団交を拒否され、労組役員が次々と解雇等で追い出されてしまっておりましたが、一審判決に引き続いて、本年になって東京高裁でたて続けに三件勝訴判決をかち取ることができました。

 追い出しの手口は三件とも異なっておりました。

   (1)畠山(労組委員長)〇九年三月 定年後再雇用更新拒絶

   (2)中村(副委員長) 〇八年一〇月 解雇

   (3)甕(執行委員)  〇九年七月 休職命令満了による退職扱い

 これについて昨年三月から一〇月にかけて長野地裁松本支部で勝訴判決をかち取り、法人側が控訴しておりましたが、本年になって、次のとおり東京高裁で勝訴判決(控訴棄却)をとることができました。

   (1)畠山  高裁一〇民    一三・一・二四

   (2)中村  高裁八民     一三・三・七

   (3)甕   高裁七民     一三・三・一四

 いずれも、苦労して主張・立証し尽くした努力による成果です。

 (1)の定年後再雇用更新拒絶は、一年ごとの再雇用が二回更新されたのに、入所者のいないデイサービスに異動させ、その後自宅待機にしたうえで、三回目の更新にあたり担当業務がないとして、一か月一日勤務(六、三〇〇円)の条件を提示してきたのに対して、畠山が拒否したところ、法人側は更新拒絶したのは畠山であると主張しましたが、判決は、法人の雇い止めであると認定しました。そして、原告側は、高年齢者雇用安定法の立法趣旨から主張を展開しましたところ、判決は就業規則に基く期待権をもと解雇法理の類推適用によって無効としました。

 (2)の解雇は、解雇理由として介護業務のミスなど二百件以上があげられ、管理職がつけたノート等を提出されましたが、二場面における録音からノートの記述が歪曲・誇大であることを立証して、勝訴に結びつけられました。

 なお、高裁判決は、二件のミスについては解雇事由に該当するが、解雇は客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないとするものであって、際どい勝訴判決となっています。

 (3)の休職満了=退職扱いは、甕が腰痛(ヘルニア)で休職して復職しようとしたところ、法人側が完治していないとして休職命令を出し、休職期間(九か月)満了を理由に自然退職扱いにしたものですが、法人側は、使用者の安全配慮義務を持ち出して、完治していない不完全な労務提供を拒否できる旨を主張しました。介護業務によるヘルニアの再発の危険性があるだけに神経を使った反論をした結果勝訴できました。

 三件とも、不当労働行為の主張を、先行した救済命令・勝訴判決に基いて展開できました(東京高裁七民一二・六・二六判決、最高裁一二・一一・二七不受理決定)。この主張があったからこそ、その前段階で勝訴できたと言えます。

 なお、団交拒否を不当労働行為とする労働委員会命令について、法人側が付近の広場に設置するコンテナにおいて交渉委員とを三名に限定する団交を提案して来たのに対して、中労委は命令不履行として長野地裁に過料を求める通知をしています。

 法人は、五億円の預金(無借金)をもとに、代理人弁護士を次々と代えて、なりふり構わず、高齢の女性組合員に襲いかかり、職場から組合員を一掃しましたが、労組は、この勝訴判決をもとに、あくまでも原職復帰、職場における労組活動再開をめざして戦っています。

 弁護団は、上條剛・中島嘉尚・蒲生路子と松村の各団員です。



債権法改正・中間試案が公表されました

事務局次長  井 上 耕 史

 現在、債権法改正の中間試案が法制審議会HP上で公表され、本年四月一日から六月三日までの間、パブリックコメントが募集されます。

 改正案は多岐にわたっており、判例法理を明文化するだけでなく、判例・実務を変更するものも多く含まれています。団本部市民問題委員会では、一般市民、中小零細事業者の権利を拡大し、後退を許さない立場から検討を進めています。

中間試案には、次のような前進面もあります。

・保証人保護の方策の拡充として、(1)貸金等根保証契約及び事業者の貸金等債務について、経営者を除く個人保証を無効とする。(2)事業者である債権者は個人である保証人に対し主債務者の信用状況等の説明義務を負い、これを怠ったときは保証人は保証契約を取り消すことができる。(3)事業者である債権者は個人である保証人に対し主債務の履行状況に関する情報提供義務を負い、これを怠った間に発生した遅延損害金に係る保証債務の履行を請求することができない。(4)個人である保証人の保証債務の裁判所による減免等。ただし、これらは、「引き続き検討する」という位置づけである。

・不法行為に基づく二〇年の制限を除斥期間とするのが判例法理であるが、これを消滅時効と明記する。また、生命・身体の侵害による損害賠償請求権の消滅時効については、債権の原則的な時効期間(後述)より長期とする。

・情報の質、量、交渉力の格差がある当事者間で締結される契約に関し、信義則・権利濫用等の適用に当たっては、その格差の存在を考慮しなければならない。

 他方、権利の後退を招くおそれのある条項案も少なくありません。

・錯誤の効果を無効から取消しに変更する。

・取消権の行使期間につき、知った時から五年、行為の時から二〇年とする現行法を、それぞれ三年、一〇年に短縮する。

・債権の消滅時効における原則的な時効期間を短縮する。行使できる時から五年とする(甲案)又は知った時から三年、行使できる時から一〇年(乙案)の両論併記。

・法定利率を年三%を当初利率とした変動制とする一方で、中間利息控除の割合を年五%に固定する。

・時効消滅した債権を自働債権にする相殺を、債務者の時効援用前に限定する。

・不法行為債権を受働債権とする相殺の禁止について、害意ある場合又は生命・身体侵害の場合に限定する。→物損事故の場合には相殺により現実の損害填補がなされない場合が生じる。

・書面による諾成的消費貸借契約を認め、金銭を受け取る前に借主が解除した場合に損害賠償義務を負わせる。→過剰貸付等の弊害が懸念される。

・消費貸借の期限前弁済について損害賠償義務を負わせる。→期限の利益は債務者の利益のためと推定される現行法から後退。

・不動産譲渡による賃貸人たる地位の当然承継が生じる場面で、譲渡人と譲受人の合意により賃貸人たる地位が移転しないこととする制度を創設。→譲渡人の無資力のリスクを賃借人が負わされる懸念がある。

 団本部市民問題委員会では、上記のような項目を中心に、実際の紛争事例も踏まえて意見を提出すべく作業を進めています。次回委員会は四月一一日(木)午後二時から団本部で開催します。団員なら誰でも参加できますのでご出席下さい。また団本部にご意見をお寄せください。



「明日の自由を守る若手弁護士の会」

第一回総会にぜひご参加ください

神奈川支部  小 野 通 子

 自由法曹団通信一四四三号でご報告したとおり、我々は、自民党改憲草案の内容とその怖ろしさを国民に周知させ、改憲を阻止するため、「明日の自由を守る若手弁護士の会」を立ち上げました。

おかげさまで二月末日までに会員数は一一〇名を超えました(うち、五〇期代の会員二割)。

 会員数三桁を超えることは一つの一里塚ではありますが、全国民の間で改憲への危機感を高めるという目標の前にあっては、まだまだ規模が小さいと言わざるを得ません。

 改憲問題が、自分や自分の家族の将来を大きく揺るがすものであることは、言を待ちません。

 現在、四つ折りパンフレットや紙芝居等のツールも完成間近ですので、ぜひご入会の上これらをご利用いただいて、ともに改憲を阻止しましょう!

 さてこの度、全国各地に散らばる、「明日の自由を守る若手弁護士の会」会員が顔を合わせ、現在までの活動の情報交換やこれからの活動についての意見交換をすべく、第一回総会を開催することになりました。

 当総会には、阪口正二郎教授(一橋大学)も講師にお招きし、特別講演「憲法学の視点から自民党改憲草案を斬る(仮)」も行います。

 五〇期より上の弁護士の観覧も歓迎ですので、みなさまぜひお越し下さい。 

【第一回総会】

日 時 三月三〇日(土)一五時三〇分〜

場 所 中央大学駿河台記念館 五一〇号室

参加費 無料

【連絡先】

事務局長 早田由布子(弁護士・旬報法律事務所)

電 話 〇三-三五八〇-五三一一

FAX 〇三-三五九二-一二〇七

メール peaceloving.lawyer@gmail.com



四月一三日 四団体合同事務所説明会(東京以外の事務所)へご参加ください

東京支部  今 泉 義 竜

 来たる四月一三日(土)、六六期司法修習生を対象とした、自由法曹団、青法協、日民協、労働弁護団の東京以外の事務所を対象とした四団体合同事務所説明会が下記の通り開催されます。

 六六期は、昨年一二月から一年の司法修習を行い、今年一二月末に登録をする予定の修習生です。六六期は、現在準備中の七月集会では、全体会のテーマを原発問題として、学習会を開く等活発な活動をしています。

 新人獲得を少しでも検討されている事務所には、是非参加していただきますようお願いします。多数の事務所のご参加をお待ちしております。ご参加頂ける事務所につきましては、メールまたは電話、ファックスでご連絡ください。

 なお、参加していただける事務所、また、参加は難しいが意欲のある新人を募集しているという事務所につきましても、事務所の紹介、募集要項をA4・一枚で添付ファイルにてメールでお送り下さい。

☆当日のスケジュール

 三時〜 事務所説明会開始(各事務所、島に分かれての説明)

 六時〜 懇親会

○場所

 主婦会館プラザエフ四階「シャトレ」(懇親会は三階「コスモス」)

 JR・地下鉄四ツ谷駅 麹町口(徒歩一分)

○参加費用

 一事務所一万円

 (懇親会については別途費用お一人一万円を頂戴します)

☆お問い合わせ

 東京法律事務所 弁護士 今泉義竜

   電 話 〇三―三三五五―〇六一一

   FAX 〇三―三三五七―五七四二

   メール imaizumi@tokyolaw.gr.jp