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長澤  彰 越後湯沢でお会いしましょう
― 二〇一三年五月集会へのお誘い ―
土屋 俊幸 「雪国」駒子の地、越後湯沢の五月集会に ようこそ
齋藤  裕 一泊旅行のご案内
二宮 淳悟 半日旅行(山古志村ツアー)のお誘い
松永  仁 *新潟県特集*
柏崎刈羽原子力発電差止請求訴訟の経過
齋藤  裕 賃下げ同意書の効力を否定した裁判例 常陽会事件
馬奈木 厳太郎 「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の提訴について
鈴木 雅貴 「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟被害弁護団・参加感想
板井  優 原発訴訟と脱原発をどのように闘うか
川上 麻里江 憲法が生きる社会へ−「改正」の仮面を剥ぎ取るまで−
見田村 勇磨 憲法問題講師の養成のための学習会
川上 麻里江 「明日の自由を守る若手弁護士の会」パンフレット完成&販売開始のお知らせ



越後湯沢でお会いしましょう

― 二〇一三年五月集会へのお誘い ―

幹事長 長 澤  彰

 今年の五月集会は、五月一八日(土)(プレ企画)〜五月二〇日(月)、新潟県越後湯沢の「NASPA(ナスパ)ニューオータニ」で開催します。越後湯沢駅から会場のホテルまで、シャトルバスで五分ほどです。新潟県での開催は、一九九四年一〇月団総会・佐渡島・両津、以来となります。

 安倍内閣が成立して三カ月を経過しましたが、内閣の高支持率を維持し、オバマ大統領との首脳会談を経て、TPP交渉参加の表明、辺野古基地建設の公有水面埋立承認申請へと突き進んでいます。安倍政権の野望は、改憲と「教育再生」です。安保法制懇の再開で解釈改憲と立法改憲、九六条の明文改憲を同時並行的に進行させています。自民党は、七月の参院選挙で勝利し、改憲の道を一気に突き進むことを狙っています。

 五月集会では、自民党の改憲策動について全体会で渡辺治氏(一橋大学名誉教授・日民協理事長)の講演「安倍政権の政治と改憲戦略(仮題)」を企画しました。渡辺教授の講演から今後のたたかいの展望を学びたいと思います。

 五月一八日のプレ企画として、(1)将来問題「基盤づくり・人づくり」、(2)新人学習会、「ベテラン弁護士講演」「弾圧事件の経験から学ぶこと」、(3)事務局交流会 を企画します。将来問題は、昨年の五月集会から「人づくり・基盤づくり」を連続的に行ってきましたが、今回は「基盤づくり」を中心とします。事務所経営に必ず役立つ知恵を与えてくれるものと思います。

 分科会は、九つ企画しました。(1)憲法・選挙制度、(2)原発問題、(3)労働問題、(4)TPP、(5)構造改革、(6)教育問題、(7)貧困問題、(8)治安警察、(9)給費制です。自由法曹団が日常的に取り組んでいる課題を集めましたので、関心のある分科会に参加していただければ、必ず、今後の活動への活力を見いだしていただけると確信します。

 半日旅行は、二〇〇四年七月の新潟県中越沖地震から九年経過し復興した山古志村を、一泊旅行は柏崎刈羽原発と良寛記念館、寺泊漁港などを予定しています。

 盛りだくさんの企画を用意しました。越後湯沢で是非お会いしましょう。


「雪国」駒子の地、越後湯沢の五月集会に ようこそ

新潟支部 支部長 土 屋 俊 幸

 ノーベル文学賞作家の川端康成の小説「雪国」の舞台となった新潟・越後湯沢で五月集会が開催されることになり、心から歓迎致します。

 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」で始まる小説「雪国」の上越線の清水トンネルも、今では上越新幹線の大清水トンネルとなり、長いトンネルを抜けると、スキーシーズンの風景とは一変した「新緑」の越後湯沢を堪能できます。日本百名山である谷川岳、苗場山、巻機山が近くにあり、山あいの新鮮な空気を味わうことができる温泉地です。

 「雪国」の人は辛抱強くてじっと耐えるというイメージがありますが、新潟支部の団員はさまざまな課題に果敢に取り組んでいます。

 上越新幹線は日中の国交を開いた田中角栄元首相の政治力の恩恵と地元では語られていますが、その田中元首相の金権金脈政治の追及、信濃川河川敷訴訟の闘いに果敢に挑んだのは新潟支部の団員でした。

 四大公害訴訟といわれた新潟水俣病も一九六七年六月提訴の第一次訴訟から多くの支部の団員が取組み、今もなお、患者切り捨てを許さない闘いを続けています。

 越後湯沢のある「中越」は豪雪地帯ですが、二〇〇四年十月二十三日の中越地震、二〇〇七年七月十六日の中越沖地震と二度の大きな地震の被害に遇った地域です。中越地震では多くの家が倒壊し、田んぼが崩れました。中越地震のあった冬は近年にない豪雪となり、地震の被害に豪雪被害が追い打ちをかけました。中越沖地震では東京電力の柏崎・刈羽原発が被害を受け、その教訓が生かされないことが、福島原発の事故につながっています。

 東日本大震災では多くの人が湯沢町など県内各地に避難をしています。県内には現在でも約六千人の避難者がいます。

 新潟支部の団員が中心となって、原発被害者弁護団を結成し、原発被害者の賠償請求に取り組んでおり、六月頃には東電と国を被告とする賠償訴訟を提訴すべく準備を進めています。

 また、現在停止中の柏崎・刈羽原発の差止訴訟も新潟地裁に係属しており、団員の多くが原発を稼働させない闘いに取り組んでいます。

 このほか、新潟地裁で国と企業に賠償責任を認めさせる画期的判決を得た中国人強制連行事件、B型・C型肝炎訴訟、最高裁に係属中の非常勤講師の雇止め訴訟である加茂暁星高校事件、トンネルじん肺訴訟などにも取り組んでいます。

 ところで、新潟の特産といえば「魚沼産コシヒカリ」といわれるように、越後湯沢は「魚沼産コシヒカリ」の産地です。おいしい御飯を食べるだけでも、新潟に来てよかったと満足していただけるものと思います。

 新潟は幻の銘酒といわれた「越乃寒梅」のほか、「久保田」、「〆張鶴」などの全国的に知られた多くのお酒がありますが、銘酒「八海山」の蔵元も南魚沼です。地元湯沢町には白瀧酒造の「上善如水」、「湊屋藤助」という淡麗なお酒があります。

 魚沼の「新緑」は木の芽など山菜料理のシーズンです。おいしい御飯と、名もしれない地酒に酔いしれる、下戸の私には理解できない魅惑な世界が待っています。

 是非、多くの団員が五月集会に参加されんことを心からお待ちしています。


一泊旅行のご案内

新潟支部 齋 藤  裕

 一泊旅行にご参加の方は、山古志から海の町寺泊に来て、一泊していただきます。

 寺泊は名のとおり海も近く、新鮮な魚介類を堪能していただけると思います(新潟支部で視察を兼ね宿泊先の旅館に泊まりましたが、都会の割烹では見られない豪華でおいしい料理でした)。 

 二一日は海沿いに南下していきます。おくのほそみちの旅程をなぞる旅となります。

 まず訪れていただくのは寺泊の魚屋が並ぶ通りです。地元の者は「魚のアメ横」と呼んでおります。新潟県民の多くにとって年末に「魚のアメ横」に行ってお正月用の魚を買い出すのが恒例行事です。お土産を買ったり(もちろんご自宅に宅急便で送ることも可能です)、浜焼き(イカや魚を焼いたもの)を堪能して下さい。

 寺泊の次は出雲崎です。

 江戸時代、出雲崎は天領でした。そのため、同じく天領だった佐渡と同様、建物の間口の広さに応じて課税されていました。そこで、間口が狭く奥行の長い妻入り住宅が発達し、現在も残っています。皆様には、良寛記念館の展望台から出雲崎の街並みをご覧いただきます。天気が良ければ同展望台から日本海に浮かぶ佐渡を眺めることができます。芭蕉が出雲崎にて「荒海や佐渡によこはふ天河」と詠んだのは夜だったでしょうが、その雰囲気を味わっていただければと思います。

 出雲崎の次は西山の田中角栄記念館です。

 田中角栄については言うまでもありませんが、田中角栄全盛期の資料が多く(美空ひばりの映像とか周恩来の写真とか)、ある年代以上の方は特に興味を持たれることと思います。越山会(田中角栄の後援会)歌が自由法曹団歌にそのまま転用しても良いような内容であることに驚きます。

 締めは柏崎市にある柏崎刈羽原子力発電所サービスホールです。

 世界最大の原子力発電所である柏崎刈羽原子力発電所は東京電力が運営しています。中越沖地震の際には煙を吹きだしており、県民はひやっとしたものです。現在、運動・訴訟両面で柏崎刈羽原子力発電所の差し止めが求められています。運動・訴訟に関わっている方からの解説を受けつつサービスホールの見学をしていただきたいと思います。 

 皆様のご参加お待ちしています。


半日旅行(山古志村ツアー)のお誘い

新潟支部 二 宮 淳 悟

一、今回の五月集会の半日旅行は、新潟県中越地震で甚大な被害を受けた山古志村を訪れ、その「復興」に触れて頂くとともに、観光を楽しんで頂ければと思います。

 山古志村は二〇〇四年一〇月二三日に発生した新潟県中越地震により、土砂崩れなどによって周辺の道路が寸断されたため孤立し、村は全村民に対し避難指示を出しました。あれから九年が経ちました。山古志村の復興に触れることは、今の東日本大震災の復興を考えるにあたり、参考になります。

二、まず、山古志の復興の特徴は、「まちづくり」にあります。

 そこで、楢の木集団移転箇所、木籠水没集落、竹沢復興公営住宅の見学を予定しています。ツアーガイドは社団法人中越防災安全推進機構 復興デザインセンター長の稲垣文彦さんにお願いしています。

 まず、「楢の木集落」は小規模宅地改良事業を活用し、低地から高地へと集落移転を行いました。公営住宅もあり、景観に配慮した外装になっているのが特徴的です。

 次に、「木籠水没集落」を巡ります。震災による山崩れにより、川がせき止められ、木龍集落は水没という被害を受けました。同集落の住民の方々は、仮設住宅の集会所に集まり、議論を重ね、集落移転の判断に至ったとのことです。仮設住宅に集落がまとまって住んでいたからこそ、議論ができたことが良かったそうです。

 その後、「竹沢復興公営住宅」を回ります。この住宅は、コミュニティを壊さないよう、新たな土地に公営住宅を建築するのではなく、既にあるコミュニティの中に木造で復興公営住宅を建設しました。ここからは山古志の風景が一望できます。

三、そして、山古志の復興を担ってきたのは農業、そして観光業です。

 山古志には絶景ともいうべき「棚田」があります。山古志村は、五〇〇万年前は海の底であり、地盤が不安定のため、長い年月の間に地すべりを繰り返し、その結果「棚田」が広がっています。この棚田が稲作に適しており、米作りが盛んです。

 また、「養鯉場」に寄ります。錦鯉は山古志、小千谷地域が原産地とされています。現在では山古志を代表する産業になっています。

 そして、山古志の観光に一役買っている「アルパカ」を見て頂きたいと思います。山古志には「アルパカ牧場」が二か所あります。二〇〇九年一一月、アメリカコロラド州から「山古志が元気になる役に立てば」と送られました。今や地域のアイドルとして大人気の『山古志のアルパカ』は震災復興の象徴的存在となっております。ご家族でお楽しみください。

四、半日旅行では、復興における「コミュニティ」そして「まちづくりの視点」に触れることができます。「人」の、そして「まち」の復興に触れつつ、ゆっくりとした時間を楽しんでいただければと思います。

 是非ともご参加下さい。


*新潟県特集*

柏崎刈羽原子力発電差止請求訴訟の経過

新潟支部  松 永   仁

 柏崎刈羽原発差止訴訟のこれまでの経過は、以下のとおりである。

係属裁判所 新潟地方裁判所第二民事部合議係(大竹優子裁判長)

第一陣提訴 二〇一二年四月二三日提訴 原告一三二名。

第二陣提訴 二〇一二年一〇月一五日提訴 原告五八名。

 なお、市民サポーターは二〇〇〇名近くとなっている。

 弁護団一一〇名(新潟県弁護士会所属四〇名)。

 口頭弁論は、第一回が二〇一二年七月一二日、第二回が同年一〇月一五日、第三回が本年二月四日に行われており、次回期日は、五月一六日午後三時からと指定されている。毎回、原告本人の意見陳述と原告準備書面の陳述を実施している。

 言うまでもなく、被告東京電力は福島第一原発事故を起こした当事者である。ところが、これまでの被告の主張はまるで他人事である。

 原告側は、訴状等において、福島第一原発事故の被害実態を詳細に主張し、弁論期日では毎回、事故当時福島県で生活していた被害者の意見陳述を行っている。また、原告側は、地震、津波の予見可能性があったにもかかわらず対策を怠ったこと、過酷事故対策の不備、事故対応での失態、さらにはこれまでの被告の利益優先、隠ぺい体質等原発を運転する資質、能力がないと主張している。

 ところが、被告は、福島第一原発事故の被害実態については、個別具体的な評価や反論を回避し、事故の原因については、地震発生→外部電源喪失と非常用電源の確保→津波の襲来と浸水→電源喪失→炉心冷却機能と燃料損傷→水素発生と爆発と、事故の流れをごく簡単に記述するだけ、地震・津波対策を怠っていたこと等については一切触れず、柏崎刈羽原発については、平常運転時の被ばく低減策、炉心損傷事故発生時の対策を講じているほか、中越沖地震や福島第一事故を踏まえた対策を講じているから安全である、つまり、これまでの安全基準、審査をクリアしているからその安全性に問題はないと強弁して、原告らの原発差止請求については、原告ら個々人の生命、身体に関する個別具体的な危険を及ぼす具体的事実が明らかではないので棄却されるべきと主張している。

 特に、被告が準備書面の記述の大部分を使って強調しているのが、「福島第一事故を踏まえた本件原発の安全対策」(柏崎で教訓をどう活かすか)であり、津波が事故原因であるという前提のもとに、防潮堤などの津波対策、外部電源確保及び炉心損傷防止対策の強化、フィルター付ベントなど炉心損傷後の影響緩和策の強化などを実施するとして、本件原発は一層安全なものになる等と主張している。

 しかし、福島第一原発事故によってこれまでの安全規制、基準がまやかしであったことが明らかとなったのであり、事故から二年が経過した現在もなお、炉心、格納容器の状態も分からず、事故原因について厳密な検証ができないままである。健康被害はどうか、賠償、除染についてはどうか。何も解決していない、何も分かっていないにもかかわらず、なぜ安全であると言えるのか。

 原告は一号機については津波到来の前に、配管損傷によって炉心損傷に至ったと主張しているが、被告はこれについて全く触れていない。先頃、東電が国会事故調査委員会による一号機建屋内の調査を妨害していたことが判明している(被告は故意ではなかったと説明しているが)。

 いわゆるシビアアクシデント対策について、その有効性は実証されているのか。そもそも、これまで被告はこれらの対策は必要がないと強弁してきたのではないか。被告はこれまで地域住民に対し重大事故発生の危険性があると説明したことはあったのか。重大事故が発生したとき作業員が職務放棄したらどうなるのか。そもそも作業員に対し命を危険にさらす作業を命ずる権限があるのか。

 現在、弁護団では原告・サポーターと勉強会を開催してさらに県民に参加を呼びかけるなどしている。三月一〇日には柏崎市で集会を開催し、民間研究所が開発したシステムによる柏崎刈羽原発で事故が発生したときの放射性物質拡散のシミュレーションを公表するなどした。

 全国各地の弁護団と情報交換などしながら原発廃炉に向けて活動を進めていきたい。


賃下げ同意書の効力を否定した裁判例 常陽会事件

新潟支部  齋 藤   裕

 新潟地裁二〇一二年四月二〇日判決は、社会福祉法人常陽会において、使用者が労働者に対して賃下げを申し付け、そのことについて同意書を取った件について、同意書の効力を認めませんでした。参考になると思うのでご紹介します。

 事件の舞台となった社会福祉法人常陽会は、新潟県内で特別養護老人ホーム、ショートステイ施設などを経営する社会福祉法人です。

訴訟の当事者となったXさんは二〇〇七年五月、常陽会に雇い入れられました。給料は基本給だけで三〇万円でした。

 Xさんは事業部長を務めるなどしていましたが、二〇〇九年九月、施設の事務長補佐に降格させられ、同時に給料も基本給二五万円に減額されました(第一次減給)。その際、理事長は「オール五の仕事を望んでいたが達成されなかった」と降格理由を説明しています。

 二〇一〇年一月、Xさんは同じ施設の平事務職へ降格され、基本給も二〇万二一六〇円と減給されました(第二次減給)。降格理由は管理職として不適格というものでした。減給については同意書が作成されました。

 二〇一〇年二月一七日、Xさんは、三月以降の運転手兼事務職補助への降格と基本給一四万六七二〇円への減給を言い渡されました(第三次減給)。Xさんはこのときも減給について同意書に押印することを求められましたが、拒否をしました。

 二〇一〇年三月一日、押印拒否を理由に解雇されました。

 その後、団体交渉等の経過がありましたが、団交拒否等があり解決ができませんでした。そのため、Xさんは地位保全等仮処分申立事件を申し立てています。また、常陽会は雇用関係不存在確認請求訴訟を提訴し、それに対しXさん側が反訴もしています。

 保全の決定及び判決は、当然、地位確認は認め、第三次減給も無効としました。そして、第二次減給について、保全の決定は有効としましたが、判決は「自由な意思に基づいて同意したとは認められない」として同意書の効力を否定しました。これは団交で第二次減給の効力を争っていたこと等を理由としています。

 訴訟については常陽会が控訴しましたが、常陽会が既払金の他に解決金九〇〇万円を支払うという内容で和解が成立しています。東京高裁の裁判官も、第二次減給が無効であることを当然の前提のように和解を勧めていました。

 早期の段階から団交等で争うことの重要性を示した判決かと思います。

 なお、常陽会をめぐっては組合配布チラシをめぐる文書配布禁止の仮処分申立事件、常陽会らを原告とする損害賠償請求訴訟もありましたが、基本的には組合側が勝利を収めています。詳細は労働法律旬報二〇一二年一一月上旬号をご覧ください。 


「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の提訴について

東京支部  馬奈木厳太郎

一 三・一一提訴

 「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団・弁護団は、二〇一三年三月一一日、国と東京電力を被告とし、原状回復と慰謝料を求めて、福島地方裁判所に提訴いたしました。今回の原発事故について、国を被告とし、損害賠償のみならず原状回復を求める集団訴訟は、本件が初めてとなります。

 第一次提訴の原告団は、八〇〇名。原発事故時に、福島、宮城、山形、栃木、茨城の各県に居住していた方々で、そのまま居住地にとどまっている方(滞在者)と、事故時の居住地から避難された方(避難者)が、一つの原告団を構成しています。

 提訴当日の三月一一日には、強い風が吹きつけるなか、あぶくま法律事務所前に約二〇〇名の原告団・弁護団・支援者が集合し、震災で亡くなられた方々に対し黙とうを捧げた後、「生業を返せ、地域を返せ!」の横断幕を先頭に、福島地方裁判所に向けて行進しました。

 午後からは、記者会見と報告集会を行いました。記者会見には、海外メディアやフリーランスの方も多数集まり、会見終了後ただちに配信されていました(確認できた範囲では、ABCニュースが一番早く報じました)。

 報告集会では、中島孝・原告団団長が、「原発事故後、不安な日々を過ごしていたが、被害回復のために何か行動しなければという思いで声をあげた。放射能は、福島だけでなく多くの地域へ飛散した。この集団訴訟は、原告になった人だけが救済されるものではなく、被害者全体の救済を求めるものであり、世の中全体の利益のために行うものである。まだ原発事故にこだわっているのかと心無い言葉をかけられることもあるかもしれないが、我々の痛みを周囲が理解していないからといって諦めることはない。訴訟はこれから始まる。大きな原告団に育てていこう!」と力強く決意を語りました。

 また、「原発なくそう! 九州玄海訴訟」弁護団の板井優団員、東島浩幸団員、馬奈木昭雄団員からはそれぞれ、「団結の輪を大きくしていくことが問題の解決につながる」、「原告が多数にならなければ原発廃絶は実現できない。原発が安全かどうかは国ではなく市民が決めること」、「国は、被害者が黙れば問題は解決と考えている。被害者は声をあげ続ける必要がある。物事を決めるのは国ではなく自分たち。徹底して被害を明らかにする。みなさん力を合わせて頑張りましょう」との連帯の挨拶をいただきました。当日は、そのほか、全国公害被害者総行動実行委員会、いわき市民訴訟原告団・弁護団、福島原発被害首都圏弁護団、原発被害救済千葉県弁護団からも連帯の挨拶・メッセージをいただきました。

 報告集会は、三時間にわたって続きましたが、提訴を受けて、原告団と弁護団が改めて決意を固めあう感動的で有意義な場となりました。

二 原告団について

 第一次提訴の原告となった方々は、ゼロ歳児から八五歳まで、属性も農業、事業者、会社員、主婦、年金生活者、教員、漁業関係者など実に様々です。原告団八〇〇名のうち、いまも避難をしている方は約二〇〇名。そのうち、いわゆる避難区域内からの避難者の方は約八〇名となっています。また、原発事故時の居住地が福島県にあった方は、原告団の九割を占めています。

 こうした特徴を有する原告団ですが、原告団と弁護団は、各地で開催された説明会を通じて出会い、信頼関係を強めてきました。説明会は、週末はもちろん、平日も開催され、ときには同日に三カ所開催ということもあり、第一次提訴までに実に四〇回以上開催されました。若手を中心とした弁護団員が積極的に参加してきましたが、説明会の開催にあたっては、県北、南相馬、相馬・新地などの被害者の会や米沢、沖縄などの避難者の会、各地の民商や農民連の事務局の方々が、会員の方などを中心に電話がけをしたり、地元紙にチラシを折り込んだりして参加を呼びかけるなど、大変な努力を続けてこられました。

 今回、八〇〇名という規模で提訴しましたが、弁護団としては、毎回毎回の説明会の開催のため尽力された事務局の方々に対し、大変感謝しています。

三 私たちが求めるもの、私たちが目指すもの

 私たちは、今回の事故を「公害」と位置づけ、国と東京電力の責任を追及しつつ、被害者の根本的な要求である原状回復と完全賠償を実現させ、全体救済のための制度化を求めています。したがって、今回の提訴は、このような取り組みを実現させるための一環として位置づけられることになります。

 集団訴訟の提起に際し、原告団と弁護団が重視してきたのは、 (1)加害と被害の構造を浮き彫りにし、国の責任を明確にすること、(2)公害事件の伝統に倣い、賠償のみならず、差止と再生までを取り組みの射程とすること、(3)被害者の諸要求の具体化・制度化を図り、全体救済を目指すこと、(4)国や東電による被害者の選別と分断を乗り越え、完全救済を求めること、といった点です。

 これらをふまえ、たとえば、中間指針や原賠法の枠組みを乗り越えること、とどまっている被害者と避難した被害者とが連帯し一体的にたたかうことなどの実践的な方針が確認され、この間、運動上のスローガンと合わせて訴訟上の請求としても原状回復を掲げることや、訴訟上の請求としては個々の損害ではなく共通損害を打ち出すことといった形で、それぞれ具体化されてきました。

 また、原告団は、取り組みを通じて達成すべき目標ともいうべき要求項目を取りまとめ、本年三月三日の原告団総会において採択しました。

 要求項目「私たちが求めるもの、私たちが目指すもの」は、前文に加えて、責任、原発関係、環境汚染対策、賠償、医療・健康管理、生活再建など八分野にわたる項目から構成されていますが、原告団のマニフェストとして、また原告団の団結の要として、今後の取り組みの方向性を指し示すものとなっています。

四 今後について

 原告団と弁護団は、第一次提訴直後から、「第一次提訴を上回る規模で第二次提訴を!」を合言葉に、すでに第二次提訴に向けた説明会を開始しています。また、弁護団では、当面の主張立証に向けた準備に着手しています。

 現在、各地で被害救済のための訴訟や原発差止の訴訟が提起されていますが、私たちはこうした各地の取り組みとも連携しつつ、“被害救済”・“原状回復”・“脱原発”を目指し、国を追いつめていくため全力を尽くしていく決意です。団員のみなさまの引き続くご支援を心からお願い申し上げます。

【弁護団体制(二〇一三年三月一一日現在)】

 共同代表  安田純治(福島)、菊池紘(東京)

 副団長   加藤芳文(東京)、荒木貢(福島)

 幹事長   南雲芳夫(埼玉)

 副幹事長  久保木亮介(東京)、渡邊純(福島)

 事務局長  馬奈木厳太郎(東京)

 事務局   山崎徹(埼玉)、渡辺登代美(神奈川)、斉藤耕平(埼玉)、倉持惠(福島)、深谷拓(福島)、藤原泰朗(福島)、川岸卓哉(神奈川)、青龍美和子(東       京)、中瀬奈都子(神奈川)、鈴木雅貴(福島)


「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟被害弁護団・参加感想

福島支部  鈴 木 雅 貴

 司法修習の一年間を原発事故後の福島で過ごした縁から、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発事故被害弁護団(以下、「生業弁護団」と言います。)に参加しました。

 僕は、静岡県磐田市出身で、大学は東京、法科大学院は名古屋にある南山大学法科大学院に通っており、福島には地縁血縁もありません。司法修習地に福島を希望したのは、原発問題をライフワークとしたいと考えたからです。

 僕の実家は、浜岡原発から約二八kmの距離にあります。福島でいえば、賠償の線引きに翻弄される南相馬市あたりです。原発事故後、事故の報道を見聞きしては、もし自分の故郷で原発事故が起きていたらと心を痛める毎日でした。

 司法修習生として福島で学んだ一年間で、原発事故によって、土地が放射能に汚されたこと、たくさんの方が苦しんでいることを知りました。

 特に僕が驚いたのは、福島の除染が全く進んでいないということです。事故から二年が経ち、空間放射線量が低下したと言われています。しかし、福島の放射能汚染の実態は、決して空間放射線量だけで理解することはできません。福島市に面的に降った放射性物質は、雨や風によって流されたために、あるものは点(ホットスポット)として集まり、またあるものは阿武隈川に流れていきました。そのため、福島市内の地表二〇〜三〇マイクロシーベルト/hの地点は、おそらく数万という単位で存在します。その一つ一つをなくしていくには、途方もない労力がかかりますが、将来を担う世代に健康被害を生じさせないため、差別の問題を生じさせないためにも、ぜひやらなければならないことです。

 「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(以下、「生業訴訟」と言います。)は、国と東京電力を被告として、放射能汚染された原告の居住地の原状回復等を求めています。この訴訟を通じて、放射能汚染された土地の除染を大きく進めたいという思いから、生業弁護団に参加することにしました。

 原告の方と話しをすると、自らが避難者だったり、家族に避難者がいたりする方が多いことに気づかされました。福島県民だけでいえば、今も一六万人程の方が避難生活を余儀なくされています。いわゆる「自主避難者」に対しては、雀の涙ほどの賠償しかされていません。賠償が圧倒的に足りないのは自明のことですが、東京電力は賠償を終えようとしています。こうした現状を変えるために、八〇〇名の被害者が立ち上がり、二〇一三年三月一一日に生業訴訟を提起しました。

 提訴日行動には、福島地方裁判所前に原告二〇〇名が集まりました。裁判所前まで行進をした後、生業訴訟の原告団長中島孝さんが訴状を抱えて裁判所内に入っていく際には、原告の皆さんが大きな拍手で中島さんらを送りだしました。被害者一人一人の力は弱くても、「みんなして」(弁護団だよりのタイトルです。)団結していけば、必ず現状を変えられるはずです。原告の皆さんの大きな拍手は、団結の象徴だと思います。

 生業訴訟は、原告一万人を目指しています。これまで原発事故の被害者は、「二〇km圏内」・「三〇km圏内」、「福島県内」・「県外」、「強制避難者」・「自主避難者」等の賠償の線引きによりバラバラにされてしまいました。しかし、「元に故郷に戻して!」という願い、「もう二度とこのような被害を受けたくない!誰にも受けさせたくない!」という願いは、被害者共通のものです。一万人の力で、被害者共通の願いをかたちに変えていきたい。

 弁護団活動において、弁護士一年目の非力さを痛感する毎日ですが、少しでも被害者救済の役に立てればという思いで、これからも一生懸命活動していきます。


原発訴訟と脱原発をどのように闘うか

熊本支部  板 井   優

一 はじめに

 二〇一一年三月一一日から二年が流れた。そして、先日、三回目の三・一一を迎えた。その日、私は、「原発なくそう!九州玄海訴訟」弁護団として、福島地方裁判所への損害賠償を求める提訴に立ち会った。各地から集まった約二〇〇人の原告たちが寒風の中を行進して提訴行動を行った。

 以下は、今後どうするのかについての私の考えである。

二 二〇一一年三月一一日以降の裁判の動向

 東日本大震災・東京電力福島第一発電所事故が起きる前、わが国での原発裁判で勝訴した事件は二件であったが、勝訴して確定した事件はなかった。この時期の裁判については、個別の電力企業か、処分をした国に対する裁判が主で、それぞれの裁判が主張・立証でも協力しあうことなく別々に行うなどいわゆる「タコ壺方式」と評されていたと聞いている。

 これに対し、原発事故後は、少なくとも主張と立証を共通にして研究者証人の負担を軽くするなどの目的のためもあって脱原発弁護団全国連絡会議が作られたとのことである。

 ところで、この原発事故を踏まえて、従来の裁判が安全性についての科学論争が中心となっており、被害の実態を見据えて国民世論を結集して解決を図っていく側面が弱かったことを指摘している。

 特に、九州では、九電の外に国をも被告として共同不法行為として原発の差し止めを求める裁判が提起された。ここでは、科学論争ではなく、原発被害の半永久的・壊滅的側面に着目した闘い、国の原発推進政策の転換を求めて国民世論を結集していく闘いとして原告一万人をめざす裁判が提起された。

 この闘いは、二〇一二年一月三一日「なくそう原発!九州玄海訴訟」、さらに「原発なくそう!九州川内訴訟」として提起され、さらに京都にも闘いが広がり、静岡の浜岡原発では、九州のブックレット「原発を廃炉に」(玄海の訴状)を使うという動きになり、いくつかの地域で一〇〇〇人を超える大量提訴が行われつつある。

三 福島原発事故の損害賠償と原状回復を求める訴訟の意義

 こうした中で、今年三月一一日、福島地裁いわき支部で原告八二二人が、福島地裁本庁で原告八〇〇人、千葉地裁で原告二〇人、東京地裁で原告八人の合計一六五〇人が五三億六〇〇〇万円の損害賠償請求を求めて裁判を提起した。これらの裁判はいわきでは原告は全て地元の方々で、福島では福島以外の方々も原告で、千葉と東京は避難者の方々が原告となっている。確かに、これらの裁判では損害額が同額ではないが、東京電力の外に国をも被告にしている点で全国各地での闘いと連帯して闘っていく上で大きく評価できるものである。

 今後、全国各地に避難している方々が全国の各地裁で損害賠償を求めていく闘いが予想されており、今回の裁判に引き続く闘いが大きく期待されているといえる。これは、損害を余すところなく補足していくという事が、被害を再び繰り返させないことにつながるものであり、極めて重要な闘いではないだろうか。

 その上で、損害賠償と差し止めという二つの闘いが国の原発政策の転換を求める闘いへと大きく発展することが求められている。

 特に、これらの損害賠償をめぐる闘いは東日本・首都圏で起こされている。これは、損害賠償・差し止めの勝訴判決を得て、その判決を確定させ、さらに脱原発特措法(仮称)を実現していく上で、地の利を得た闘いを実現する上で、極めて重要な事である。

 その意味で原発をめぐる闘いは新たな段階になった。

四 解決に向けての視点

 今、原子力規制委員会は、活断層を見つけ活断層があればその原発は危険な原発であるかのような行動を取っている。また、津波対策として巨大な堤防を築こうとしている原発施設もある。九州電力は、全電源喪失に対応する対策が出来たので安全対策は出来た、再稼働だという立場を強調している。

 果たしてそうだろうか。世の中に、安全な原発と危険な原発があるとか、地震に対する安全対策をしたから大丈夫だとかということが本当に正しいのであろうか。

 福島が教えていることは、絶対に二度と原発事故を起こしてはならないということであり、コロンブスの卵よろしく後で分かった結論について安全対策をすればよいというものではない。

 原発事故は、人為的ミスでも、隕石・飛行機の衝突、核ミサイルをも含むテロもある。要するに、原発事故を防ぐことは出来ないのである。事実、今回の福島での事故は原発推進勢力からすれば、絶対に起こらないはずであった。したがって、もっとも安全で確かな方法は、この国の発電政策を原発から原発以外の発電政策に完全に転換することであると考える。

五 今後の課題と展望

 私は、原発から自由になるためには、国民の力で政府の原発推進政策を転換させるということを求められていると考える。そのために、国民に説得的な勝訴判決を闘い取り、これを確定させ、さらに脱原発特措法(仮称)を実現していく壮大な国民的闘いを実現していくことが求められていると思う。

 その意味で、力のある正義を実現していく法廷内外での闘いが必要である。

 そのためにどうしたらいいのか。

 ここでは、三つの課題を提起したい。

 第一は、政府が推進している立地自治体もしくは三〇キロ圏内の自治体だけが危険であるかのようなキャンペーンを事実でもって崩すことが求められている。ここでは、風船プロジェクトを全国の原発の施設付近で年四回行い、これを図示し、まさに全国が被害自治体であり、全国民が被害住民であることを明らかにしていくことが求められている。わが国の上空にはジェット気流が吹いており九州はその出発点である。

 第二に、毎年夏に、福島で現地調査を行い全国各地から参加して、福島で学び全国に返すという壮大な闘いのうねりを作っていくことが求められている。このうねりの中に損害賠償、差し止めの二つの全国的な闘いを組み込んで行くことが求られている。

 第三に、首都圏を中心に、判決確定行動の輪・国会議員を取りまとめて脱原発特措法(仮称)を策定・制定させる闘いを行う体制を作っていく課題がある。

 私たちが、原発から自由になるためには、どうしてもこうした課題を具体化することが求められていると思う。

 公害は、被害に始まり被害に終わるという。私たちは、こうした立場から長年闘ってきたが、いま原発被害の新たな特徴を踏まえた歴史的な闘いに勝利していく必要がある。


憲法が生きる社会へ−「改正」の仮面を剥ぎ取るまで−

北海道支部  川 上 麻 里 江

 二月一九日、小沢隆一東京慈恵会医科大学教授の講演「憲法が生きる社会へ ‐安倍政権の再登場・「再稼働」した憲法改悪の動きと私たちの課題‐(北海道憲法改悪反対共同センター)に参加しました。

 先の衆議院選挙において自民党が“圧勝”した小選挙区制度の害悪が露呈し、周辺の国際情勢も緊迫する中、自党の憲法草案を引っ提げて正当に踊り出た自民党が、なぜこの内容の憲法草案を起草したのか、そして今後いかにして改憲を推し進めていくのか、といったことから憲法と憲法情勢を学ぶことの大切さを訴える内容でした。

 特に興味深かったのは、戦後最低の投票率であった先の衆院選において、前回と比較すると合計一〇〇〇万票減少した票の行方についての分析でした。先の衆院選での比例代表における各党の得票を前回と比較すると、減少率が高い方から民主党(マイナス二〇二一万票・六七・八%)、社民党(マイナス一五八万票・五二・七%)、共産党(マイナス一二六万票・二五・四%)となります。つまり、今回棄権した人の多くは、自民党による政治に終止符を打つべく「政治変革」を期待した人たちであり、そういった人たちが「投票しても政治は変わらない」「投票したい政党や候補者がいなかった」といった理由(二〇一二年一二月一九日朝日新聞朝刊に掲載された世論調査)で選挙から離れていったのではないか、とのことでした。この分析が正しいとすれば、自民党が小選挙区制の下で“圧勝”したからといって、自民党憲法草案が国民によって支持される可能性は低い、といえるように思えます。

 しかし他方で、改憲勢力が着々と支持を拡大する素地もあるようです。そもそも、なぜ自民党憲法草案が“あの”内容なのかといえば、「日本らしい日本の保守主義」をうたい(二〇一〇年綱領)まずは過激な改憲派の活力を引き出す必要があったからで、次には「維新八策」において統治機構の改変をうたい、後に自主憲法の制定を主張する石原や「たちあがれ」と合流した日本維新の会、「憲法改正の考え方」を発表し自衛権のあり方の明確化などを唱えるみんなの党など、他の改憲勢力の同意を取り付けるべく一部切り出し・修正を行うことになるだろう、との見方も示されたのです。

 そうであるとすれば、自民党憲法草案がそのままの形で国会を通過しないことなどは、改憲勢力にとっても想定の範囲内であり、一定の内容さえ通過させられれば目的は達成、ということになるのではないでしょうか。私はこの講演を聴いて、改憲勢力の悲願である九条改悪、改正要件の緩和、ひいては立憲主義を破壊し国民を拘束する憲法への変質などが、政党間の調整を経たわずかな妥協をもって、ヨリ柔らかい「修正案」の仮面をかぶって国民の前に再登場する事態を思い浮かべずにはいられませんでした。そうなったときに、国民がきちんと改憲の本質を見抜き、反対の意思を示すことができるだけの基盤を、まさに不断の努力をもって整えておく必要があるのではないでしょうか。

 最後に小沢教授は、勤労者通信大学の憲法コース受講を呼び掛けて講演を締めくくられました。もちろん、自ら受講するほどの関心のある方に正しい知識を持ってもらい、大いに語ってもらうことも大切です。しかし、今本当に大切なのは、改憲を自分の問題であると考えていない、危険な改憲を止めようという発想のない人たちに、いかにして関心を持ってもらい、改憲後の社会に対するイメージをわかせ、それを阻止するために必要な行動に出る意思を持ってもらうか、ということではないでしょうか。

 私は、自民党憲法草案が現在の憲法の構造を根底から覆すものであることを訴え、危機感を広めていきたいと考え、「明日の自由を守る若手弁護士の会」呼びかけ人に名を連ねました。「国防軍」などの過激な文言だけではなく、「改正」の仮面を剥ぎ取った「壊憲」の本質を明らかにするための取り組みを進めていきます。


憲法問題講師の養成のための学習会

岐阜支部  見 田 村 勇 磨

 私たちの日本国憲法が、危機に瀕しています。このままでは、近い将来、本当に憲法が改正されてしまうのではないかと言わざるを得ない国会の状況です。しかも、自民党が公表している日本国憲法改正草案の内容があまりにも酷いことは周知のとおりです。もちろん、憲法の改正について議論をすること、それ自体が批難されるべきではありません。しかし、憲法について「まっとうな」議論がなされるために、最低限踏まえなければならないことがあるはずです。私たちは、特段憲法に強い関心を持たない、言わば「普通の」人々に、きちんと説明をして、彼らが雰囲気にのまれて「まっとうな」議論を経ることなしに憲法改正に何となく賛成してしまうことを防止する必要があるのではないでしょうか。

 そこで、私たち自由法曹団岐阜支部では、あいち支部の川口創団員をお招きして、「普通の」人々に対する憲法問題の講師を養成するための第一歩として、学習会を開催しました。

 川口団員からは、「憲法の破壊」に抗うというタイトルで、ご講演をして頂きました。

 まず、憲法とはそもそも「権力を縛る安全装置」であること(立憲主義)、日本国憲法が大事にする価値は憲法一三条の個人の尊厳(「あなたがあなたであるゆえに尊い」)であることが確認されました。

 ところが、自民党による新憲法草案は、「立憲主義」自体を否定しているといわざるを得ない内容のもので、天賦人権論も否定し、平和主義も放棄しているとの解説がなされました(日本は、近代国家ですらなくなってしまうのですから、北朝鮮や中国を笑うことは、もうできなくなります。)。

 更に、自民党の具体的なプランについて解説がありました。まず第一に、「国家安全保障基本法」を議員立法で成立させようとしています。同法案は、集団的自衛権行使、及び交戦権行使を可能にするもので、真っ向から日本国憲法に抵触する内容を含むものです。そのため、本来であれば、憲法改正の手続きを経なくてはならないものなのです。明文改憲を回避して、立法で目的を達成しようというのは姑息です。しかも、そのために、内閣法制局を殊更に回避するため、議員立法で成立させようとしているのも、姑息です。

 第二に、九六条を改正し、改正要件を緩やかにしようとしています。そして、第三に、憲法改正して国防軍を創設しようとしています。国防軍というのは、単に名前を変えるという事ではなく、国民の上に、国家があり、国家の中枢に軍を位置づけるものであり、軍が「治安維持」名目で国民弾圧を行うようになるとの解説がなされました。

 川口団員は、まず、上記「国家安全保障基本法」による集団的自衛権行使を許さないことが大切であると述べました。仮に、一〇年前に、集団的自衛権行使が可能であったなら、日本もイラク戦争に正面から参戦していただろうとのことでした。イラク戦争による、イラクの市民の死者数は、抑制的にカウントしたものでも、六五万人であるし、米兵の死者数は四四〇〇人、ケガをした人は二万人にのぼること等を例に挙げて、イラク戦争の実態を説明がありました。憲法九条があったからこそ、自衛隊が直接の加害者や被害者にならずに済んだわけです。集団的自衛権行使を認める意味は、アメリカの国防予算の削減の中で、アメリカ軍の足らぬところを、日本が補ってあげる(要するに、都合よく使われる。)ということにあるとのことでした(安倍信三は、本当に愛国者なのですか。)。

 一方、中国や北朝鮮の脅威論に対しては、それでも、集団的自衛権は不要であり、自衛権で十分に可能であるとのことでした。川口団員は、「現実から」議論を出発させることの大切さを述べておられました。決して「丸腰で守る」のではなく、自衛隊はアジア最強の軍隊なのであるとのこと。そのことの是非はともかくとして、自衛隊は、中国と尖閣諸島を争っても、局地戦争では負けないし(中国は、陸軍中心。海軍は弱い。)、北朝鮮の瀬戸際外交は、あくまでも瀬戸際外交である(竹やりと戦車が戦うようなもの。)。九条を変えて軍隊を持とうという論理は、現実に照らしても、誤りであるとのことでした。

 最後に、日本国憲法の価値の再認識と、そもそも「憲法」とは何か、ということの再確認の重要性についてお話がありました。そして、世界の潮流は、間違いなく、軍事力に寄らない平和を志向する方向にあるとのことでした。

 川口団員のご講演は大変分かりやすく感銘を受けました。しかし、「普通の」国民に、憲法を語ることの難しさは、どうしても残ります。価値観の押しつけと受け取られないよう、粘り強く、説明・説得を続けることが大事なのではないかとの団員の意見もありました。日本国憲法が「まっとうに」議論されるために、機会があれば私自身も、微力ながら、憲法問題の講師を務めたいと思います。川口団員には、この場をお借りして深く御礼を申しあげます。憲法問題について論じる、智慧と勇気を授かりました。


「明日の自由を守る若手弁護士の会」パンフレット完成&販売開始のお知らせ

北海道支部  川 上 麻 里 江

 自民党の改憲草案の内容と危険性を国民に知らせる「明日の自由を守る若手弁護士の会」より、待望の(?)パンフレット完成と販売開始のお知らせです!

 タイトルは「憲法が変わっちゃったらどうなるの?〜自民党案シミュレーション〜」。A4四つ折りサイズで、コンパクトです。

 ポイントは、なんといっても「かわいい」ところにあります。イラスト満載で、文字を極力大きく、解説をできるだけ簡素にしました。何千万人もの無党派(端的に、政治に無関心な国民と言いましょうか)に、改憲問題に興味を持ってもらい、さらに改憲への危機感を高めてもらうためには、思わず手にとって中を見てみたくなるようなかわいいものでアプローチすることが不可欠です。さらに、小さな文字はお年寄りには厳しく、苦労せずに読めるものを目指しました。

 専門用語を廃し、しかし改憲の重要ポイントである「立憲主義を覆す」「国防軍創設」「憲法改正要件の緩和」を中心に、要点をきっちり押さえて正確に伝えることができる、とっても便利なツールです。憲法記念日が近づき、また参院選を控える大事な時期です。民主団体での講演会や学習会を予定されている先生方も多いかと思いますので、ぜひ当パンフレットをお役立てください!ウケること間違いなしです。

〈料 金〉

●一部一五円(送料別途)

●五〇〇部買うごとに五〇〇円割り引き。

〈購入方法〉

(1)必要部数、送付先住所、電話番号をご記入の上、

 〇三-三五九二-一二〇七へFAX送信

(旬報法律事務所 細永貴子団員宛て)

(2)同様に、peaceloving.lawyer@gmail.com へメール送信

 パンフレットの写真は、当会ブログやFacebookページで見ることができます。ぜひアクセスしてみてください♪

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